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ぽかぽか春庭2018年7月目次

2018-07-31 00:00:01 | エッセイ、コラム


20180731
ぽかぽか春庭2018年7月目次

0701 ぽかぽか春庭アート散歩>キッチュtokyo(1)真実の口
0703 キッチュtokyo(2)リベルタカス自由の女神
0705 キッチュTokyo(3) Kokinwakashuのダビデ像 in 広尾パパス
0707 キッチュTokyo(4)ピエタ像 in 東京カテドラル

0708 ぽかぽか春庭感激観劇日記>全力劇場(1)未開の議場
0710 全力劇場(2)ミサイル全力
0712 全力劇場(3)櫻の園 in 梅若能楽堂

0714 ぽかぽか春庭シネマパラダイス>終活映画(1)ロングロングバケーション(LeisureSeeker)
0716 終活映画(2)あなたの旅立ち、綴ります(The last ward)
0717 終活映画(3)おみおくりの作法(Still life)

0719 ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>日本語質問ノート(1)おいしみ、まずみ、なんでもみ
0721 日本語質問ノート(2)自由と不自由
0722 日本語質問ノート(3)絆という字

0724 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記絆唄(1)おばかさん絆

0726 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記絆音楽(1)夢オーケストラ
0728 2018十八番日記夢音楽(2)シネマティック・ピアノ・アドベンチャー byジェイコブ・コーラー
0729 2018十八番日記絆音楽(3)ジュピター、パイプオルガン by 澤菜摘

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ぽかぽか春庭「ジュピター、パイプオルガン by 澤菜摘」

2018-07-29 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180729
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記絆音楽(3)ジュピター、パイプオルガン by 澤菜摘

 ジェイコブ・コーラーの演奏開始を、3時と思い込んだ理由があります。翌22日日曜日の「オルガンコンサート」の開始が3時からだったからです。澤菜摘さんのオルガンコンサートと、ごっちゃにして思い込んでいました。

 無料パイプオルガンコンサートは、毎月最終週日曜日に、北とぴあで開催されます。21日の失敗にこりて、3時からの開演に2時10分には会場に着き、だいぶ待ちました。いつもすぐに座席がいっぱいになって、立ち見(立ち聞き?)になることもあるのに、22日は、「用事の無い人は外出するな」という警報が出ている猛暑日でしたから、3時になっても余裕で座れました。みなさん猛暑ではオルガンどころではなかったか。

 澤さんは、2017年10月から、横浜みなとみらいホール、ホールオルガニスト・インターンシップ・プログラム第16期生として研鑽を積んでおられる若いオルガニスト。2017年3月に洗足学園大学オルガン専攻科を卒業した若手です。

 横浜みなとみらいホールのオルガン前で


 演奏された曲目のうち、バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」は、オルガンの定番曲ですが、ホルストの「ジュピター」は、オルガンでは初めて聞きました。オーケストラや 平原綾香の歌ではおなじみですが。

 曲の紹介をする澤さん(フラッシュ使わなければ撮影OKでした)


1 G.ムファット「トッカータ第3番イ短調」
2 J.パッヘルベル「シャコンヌ ヘ短調」
3 G.ホルスト「ジュピター(組曲惑星より)」
4 J.S.バッハ「主よ、人の望みの喜びよ」
5 J.S.バッハ「パッサカリア ハ短調」

 演奏中の澤さん


 猛暑日に集まったジジババたち、いつものように居眠り組もいましたが、ま、この暑さですし。
 若さあふれる演奏を聞きながら、ひととき、木星にみつかった12個の新発見衛星に思いをはせました。
 12個の新衛星のうち、他の衛星とは逆方向に木星のまわりをまわっているのもいるそう。ふふ、そういう反逆もん、大好きです。

 1610年に、ガリレオが初めて4個の衛星を見つけてから、木星はどんどん大家族になっていき、12個を加えて79個の衛星を従えていることとなりました。衛星一個だけの地球からみると、そんなにぐるぐる周囲を回られて、大家族の束ね具合は大丈夫かと、天文学知らぬ「この地球の片隅で」生きている婆は思いますけれど、きっと大ジュピター大ゼウスはうまくさばいているのでしょう。

 79個のうち9個は逆回り。そんな逆走衛星の存在を許しているところから見ても、ジュピター、大物です。この地球の片隅では、同調圧力高まるばかりで、上目遣いの忖度ばかりが幅を利かしていて、ジュピターとは大違い。

 木星の衛星たち。緑色の小さいのが逆走衛星。がんばれ、同調しないやつ。


 たった4人の小家族さえさばけずに、うろうろ夏を過ごしている身としては、ひとときのオルガンの音色に癒されつつ、さて、この先、8月の夏休みを楽しみに。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「シネマティック・ピアノ・アドベンチャー byジェイコブ・コーラー 」

2018-07-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180728
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記夢音楽(2)シネマティック・ピアノ・アドベンチャー byジェイコブ・コーラー

 無料のコンサートを楽しんでいます。
 7月21日(土)「ジェイコブ・コーラー シネマティック・ピアノ・アドベンチャー」というピアノソロコンサートを聞きに行こうと楽しみにしていました。

 ジェイコブ・コーラーさんは、2016年のテレビ番組『関ジャニの仕分け∞/ピアノ王No.1決定戦』で優勝して、世に名前が出たというピアニスト。ジャニーズ系の番組に縁薄い私はまったく知りませんでしたが。
 1980年USAアリゾナ州フェニックス市出身で、アメリカのピアノコンクールや作曲コンクールでの活躍を経て、2009年に来日。以後、ジャズピアニスト、ポップスなどの分野で活動してきました。蒲田のご自身のピアノ教室での指導も続け、現在は、映画音楽のピアノアレンジやクラシック曲のジャズアレンジに取り組んでいます。

 すごく楽しみにしていたのに、お馬鹿な私はまたも同じポカをやらかしました。
 2時半開場3時開演と思い込んで、開場と同時に入場しようと張り切って到着し、入り口のポスターを見たら、1時半開場、2時開演でした。どうして確かめないのか。思い込んでいるので、もらったチラシを確かめないんです。

ジェイコブ・コーラー演奏会ポスター


 それでも、最後の3曲だけ聞くことができました。
 いまどきの演奏会は、こうなっているのか、映像とのコラボ演奏。

 入場したときはウイリアム・テル序曲でした。ウイリアム・テルは、スイスの伝説の英雄ですが、日本の私の世代にとっては、「ハイヨー、シルバー」の掛け声とともに馬に乗ったカウボーイが駆け抜けるローンレンジャーの曲として耳に残っています。
 ピアノの横にあるプロジェクタースクリーンには、アメリカ西部と思われる光景が映されていました。

 「ポポ」という曲は、コーラーさんのオリジナル曲です。
 メキシコを旅したコーラーさん、標高5426mのメキシコ北部の活火山ポポカテペトルを見て、その雄大な姿を曲にしたのだそうです。観客はコーラーさんの誘導で、早口言葉のようなポポカテペトル、ポポカテペトルと、さいしょはゆっくり、だんだん早く言うよう練習しました。映像には、ポポカテペトル山が映され、コーラーさんが「はい、ポポカテペトル」と合図すると、みなで、ポポカテペトル、ポポカテペトル、、、、、と何度も唱えました。小さい子も声を出し、楽しそうでした。 

 ポポカテペトル山 日系移民の人々には「メキシコ富士」と呼ばれているそう。


 会場の前部分には、マットが敷かれ、小さいお子さんが寝転がったり自由に過ごせるスペースがあり、曲の間も笑ったりぐずったり、いろいろな子供の声が聞こえます。シーンとしておゲージュツするコンサートもありでしょうが、こういう気楽なコンサートだったら、子供もピアノ曲が好きになるかも。

 ラストの「トルコ行進曲ジャズアレンジ」には、趣向がありました。
 コーラーさんが、ピアノの前からスクリーンの後ろに消えました。
 スクリーンには、モーツァルト風の衣装を着たコーラーさんが、奥のほうから荒野に現れます。キャリーバックで運んできた荷物を組み立てると、それは携帯ピアノ。スクリーンの中のコーラーさんは、トルコ行進曲を引き始めます。すると、赤に金モールのスクリーンと同じモーツァルト衣装を着たコーラーさんがプラチナブロンドのカツラで現れ、スクリーンのなかのコーラー・モーツァルトといっしょに弾き始めました。

モーツァルト扮装のジェイコブ・コーラー


 最近の舞台では、映像と実演とのコラボが進んでいて、いろいろな効果映像が発達しているのは知っていたけれど、ピアノコンサートでもこのような面白いコラボができるんだなあと楽しく聞いていました。

 今回のテーマは、「シネマティックピアノアドベンチャー」という映画音楽特集でしたが、ゴッドファーザー愛のテーマ、ラ・ラ・ランド。ムーン・リバー、風の谷のナウシカなどは残念ながら私が到着する前に終わっていましたので、youtubeで聞きました。

 イケメンぶりもウリのひとつ


 暑い中でかけたのに、半分も聞くことができなかったコーラーさんの演奏ですが、youtubeには各曲UPされているので、夏のひとときを昼寝しながらでも気楽に聞いて楽しみたいです。
 日本人の奥さんと蒲田や横浜でピアノ教室も開いているとのこと。イケメンに習いたいわぁ。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「夢オーケストラ」

2018-07-26 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180726
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記絆音楽(1)夢オーケストラ

 7月7日、日曜日朝、「題名のない音楽会」を見ました。4人組のボーカルグループ、イルディーヴォの出演です、トーキョー・スター・オーケストラ演奏。指揮は曽我大介さんでした。

 午後、「地下鉄コンサート」にでかけました。
 地下鉄渋谷駅の中、13番出口の広場で無料コンサートが行われるというポスターを見ていて、どうしようかなあと思っていましたが、気分転換しようと、出かける気になりました。なんといっても、「無料」ですから。

 14時からの会の最後のほうを聞き、15時15分からの会の列に並びました。一番前の席に座ることができました。ポピュラーな曲を並べた楽しいコンサートでした。



 パソナ夢オーケストラは、人材派遣業のパソナが企業メセナとして設立した管弦楽団で、結成10年目。アマチュアですが、実力あるオーケストラです。

 本日の衣装は、指揮者も演奏者も、タキシードの襟と蝶ネクタイがプリントされているTシャツ姿。

 演奏曲目。
1.ウィリアム・テル序曲よりスイス軍の行進(ロッシーニ)
2.トリッチトラッチポルカ(ヨハンシュトラウスⅡ)
3.観光列車(ヨハンシュトラウスⅡ)
4.鍛冶屋のポルカ(ヨーゼフ・シュトラウス)
5.クラリネット・キャンディ(ルロイ・アンダーソン)
6.トランペット吹きの子守唄(ルロイ・アンダーソン)
7.フィドル・ファドル(ルロイ・アンダーソン)
8.交響曲第9番新世界より終楽章(ドヴォルザーク)
9.ラディッキーマーチ(ヨハン・シュトラウスⅠ)

 どの曲もおなじみの楽しい曲でしたが、私にとって、オーケストラが2メートルも離れていないところにいて演奏するのは、初めてのことでした。室内楽や小規模のソロでは、演奏者が近くに立つことはありましたが、オーケストラは初めてです。

 アマチュアオーケストラの中でも実力に定評あるパソナ夢オーケストラ。
 特に、トランペットソロ、クラリネット二重奏では、目の前1メートルのところに演奏者がいます。トランペットの指使いを目の当たりにしながら聞くことができたなんて、はじめてのことですから、とっても興味深く楽しく聞くことができました。
 トランペットソロは、プロの方(お名前失念)

 パソナ夢オーケストラの常任指揮者は、曽我大介さん。朝、テレビで見た人が目の前で指揮していたので、ミーハーな私は、キャー、テレビに出てた人がすぐそばに、と思ってうれしかったです。しかも、気楽なコンサートですから、曽我さんもサービス精神旺盛で、鍛冶屋のポルカのときは、衣装も鍛冶屋風にしつらえて、付け髭もつけての熱演でした。

 鍛冶屋の音を出すために、東急グループのレールの一部と東京メトロのレールの一部を「楽器」として用意してもらったということで、金槌でキーンカン、コンカンという鉄を鋳る音を響かせて、とても愉快な鍛冶屋さんでした。

 私は、いつかルロイ・アンダーソンの「タイプライター」をオーケストラをバッグに打ちならし、しかも、打ち終わったその文字が、きっちりと文章になっている、というのが「やってみたいこと」のひとつです。

 ラディッキーマーチは、ウィーンフィルのニューイヤー演奏会で観客が楽しそうに手をたたいているのを見て、私も拍手クラッピングで演奏に参加したいと思っていました。
 望みがかなって、曽我さんの指揮に従って、拍手するところ、止めるところ、わかりやすく手を打つことができました。

 私のうしろの席には、子供を含む外国人の方々が座っていて、演奏前、演奏後、楽しそうにおしゃべりしていました。男の子のお父さんは、外国人の女性方とは英語で、子供とは日本語でおじゃべり。
 オーケストラコンサートというと、日本では「高尚な教養」の部類になるってことが多かったように思います。紳士淑女が盛装して謹厳に演奏を聴くのもいいものでしょうが、このような無料の気軽な演奏会がもっと増えるといいなあと思います。少しくらい子供が声を出しても、拍手を間違えても、それはそれで楽しめる演奏会。

 もうちょっと時間があったら、鍛冶屋のポルカで「鍛冶屋になってみたい人大募集」なんてのをやってみたら、「リズムオンチ鍛冶屋」なんかも加わったりして、それはそれでおもしろいかなあ、なんていろいろ考えました。

 夢オーケストラは、いつもは企業で一日働く人たちが集まっています。終業後に2時間、週2回の練習。コンサート前は、臨時で練習が増えるということです。1ヶ月に5千円の会費払ってのオーケストラ参加、アマチュアといえども、人の前で演奏するのですから、コンサート前の練習は厳しかったと思いますが、楽しい演奏を聞けて、ちょっと精神的にきつい毎日だったこのところですが、気持ちが晴れました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「おばかさん絆」

2018-07-24 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180724
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記絆唄(1)おばかさん絆

 「絆とは、もともとは家畜をつないでおくための綱」という中国漢字字源の説明を読むと、人間にとって、絆って拘束具のひとつとも言えるんだなあ、と思います。

 ネアンデルタール人は、現生人類クロマニヨン人と同じような知能を持ち、体力的にはより優れていたという研究結果が出されています。地球上に同時期に繁栄をしていた人類のうち、なぜ、ネアンデルタール人は滅んでしまい、クロマニヨン人が地球上に76億人もの個体を繁栄させることができたのか。

 一説によると。
 ネアンデルタール人は、家族の絆がとても固く、一家でまとまって生活していました。家族が亡くなるとお墓に花を供えていたことが、花粉の分析でわかっています。狩りをするにも家長の体力がもっとも大切。家族が協力して暮らしていましたが、家長を失うと、残された家族は生き抜くことが難しかった。家族の絆は固くても、他の家族とのつながりは薄く、他からの援助は期待できなかったのです。

 一方、クロマニヨン人はいくつかの家族が集団を作って暮らしたので、群れで狩りや採集を行い、収穫したものは、群れ全体で分かちあいました。狩りができない子供にも、お年寄りにも。
 文化人類学の研究によると。現代まで狩猟生活を行っていたコイサン族(昔はブッシュマンと呼ばれていた)は、狩猟の獲物を、どの人にも平等に分けていたそうです。

 「分かち合い」し合えたことが、クロマニヨン人が発展できた理由、と人類学者や文明史学者はみなしています。群れの中で親を失った子がいたとしても、皆でその子を育て、狩りに出ることができなくなったお年寄りにも獲物を分ける。お年寄りは、子供たちに培った知識を伝えることで、群れはより多くの経験と知恵を蓄えることができました。

 現代社会。トップから8人の大富豪が抱える富は、低いほうの36憶人の富を上回っているそうです。はしかやマラリアにかかっても、医者も薬もなく、栄養失調の子を育てていくこともできない36憶人。トップから20人の大富豪の富は、76億人のうちの50憶人の富と同じ。おそらく、日本人の多くは、その他大勢の「そこそこ食べていけて、文化生活も享受できる」26億人のほうに入っているでしょうから、「自分が食べていけるのだからそれでいい」と感じている人が多数なのでしょうね。

 すなわち、現生人類は格差をよしとしています。分かち合いができなくなっているのです。
 分かち合いができなくなった現生人類は、たぶん、やがて滅びます。次に地球を支配するのは、ミュータント新人類なのか、それとも鳥の一種が進化して恐竜以上に栄えるのか。ミミズが進化して地球の主役になるかもしれませんし、粘菌が進化する、というのも考えられます。

 さて、家族の絆です。
 春庭夫は、6月12日に骨折して18日に手術をしました。春庭は、仕事を5時に終えると病院へ行き、夫のはきかえパンツ洗濯などをしたり、夫事務所のごみを出したり、けなげな妻をやっていましたが、、、、

 6月下旬の木曜日。夫の事務所と病院を2往復した日がありました。夫から「事務所固定電話の留守番電話に録音されたメッセージをメモしてきて。それから着信電話番号をメモしてきて」と命じられました。私にとって、数字にかかわることをするのは、なにより大嫌いなことです。(ちなみに、夫はいまだにケータイもパソコンも拒否している変わり者です)。

 私が数字で好きなのは、数字とともにユキチさんとか一葉さんの顔がついている場合だけ。顔で判断できるから、数字を見なくてもよい。それ以外だと、いっさいの数字がダメ。
 ディスクレシア(識字困難症)は、近年、ハリウッドスターのトム・クルーズもそうだということが公表されて、一般の認知も進みました。ことばは理解できるのに、文字の識別が困難な人たちがいるのです。

 私の「数字はいっさいダメ」というのは、学習障害のひとつで、算数障害(ディスカりキュア)の一種じゃないかしら。数字が目の中をよぎると、頭の中全部が混乱するのです。小学校のうちは、数字もせいぜい二桁だから、まだよかった。自慢じゃないが、高校の数学Ⅱというのは半分も理解できず、数学Ⅲというのは、最初の授業から放棄しました。ベクトルだぁ?極限だ?対数だ?導関数だ?なんのこっちゃ。以来、数字を見るとめまいがする。

 私が数字に弱いことを知っているのに、夫は、そんな私に電話番号を書いて来いという。自分は数字に強く、電話番号を書くくらい、目をつぶってもできると思っています。
 何度も電話を操作して、ようやく番号を書き留め、ストレスいっぱいになって病院に戻り、夫に言いました。

 「とっても簡単なステップを教えるから、退院したらリハビリがわりにダンスをおどってね。マイケルジャクソンの曲にしよう」
 もちろん夫はいやだ、と言いました。夫は、音楽は演歌まで。なかんずく嫌いなのがダンス。「でもあなたは、私に、一番苦手な数字を書かせたじゃない。どうしてあなたは、数字を嫌がる私に数字を書いて来いと言って、自分は苦手なことをやろうとしないの。同じことでしょう」と文句を言いました。すると夫は「じゃ、もう病院こなくていい」と、言い放ちました。

 怒り心頭。そうなると、これまで35年間のうらみつらみが一気によみがえります。
 娘息子の学芸会。劇で主役を演じてもリレー選手に選ばれても、「運動会だの学芸会だの喜んで見に行くやつの気がしれない」と言って、一度も見てやったことなかったこと。息子生まれてから、一度もいっしょに旅行してやったことがないこと。いっしょに散歩する遊んでやるとか皆無。

 子供二人にしてみれば、精神面でも生活面でも、父親として関わること薄かった人です。それなのに、父が怪我をしたといえば、娘も息子も入院の世話をして、事務所の掃除までしてあげている。事務所のそうじ、たいへんだったと、文句は言っていたけれど。なんていい子たちに育てたんでしょう、私はえらい、と、自分で自分に言いました。姑が亡くなった後、だれも言ってくれないから。

 7月21日も、猛暑の中娘は、父からの電話を受けて、郵便物チェックやメダカの餌やりのため事務所をに行き、病院で父の話し相手をして、暑かったあと帰って来ました。当初は1か月くらいという入院期間の予定でしたが、年寄りはやはり治りが遅いらしく、退院時期はまだ未定。

 ちゃんとリハビリに励んでいることを自慢していたということですが、足だけじゃなく、家族ほったらかしの根性もリハビリすべきでしょう。

 夫婦の絆、ですってぇ。こんな綱、切ってやるぞ、と35年言い続けて、鋏もさびついた私がばかなのよね。
 


A: オレたちって、つながっているよナァ、絆で結ばれている。
B:これって、絆なの?拘束具だと思うけど。ま。働くってことは拘束されているってことだから、今の世でせっせと働くには、拘束されるのには目をつぶらなきゃあね。ちょっとお、そんなにくっつかないでよう。
A: だって、オレたちの絆が、、、、、
B: だから、これって、拘束だっつうの。

 夫が歌える唄「わたし、馬鹿よねぇ、おばかさんよねぇ、、、、」
 はい、私がおばかさんです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「絆という字」

2018-07-22 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180722
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>日本語質問ノート(3)絆という字

 日本語質問の再録です。
 ずっと前に、いただいた「絆きずな」という文字について回答したものを、再録したものがあります。それをもう一度、使いまわし。
~~~~~~~~~~~~~

momosukeさんから質問がありました。
絆という言葉は糸を半分づつ引っ張っているという意味なのですか?

春庭がお答えします。

 「絆」という字の旁は現在使われている「半」ではなく、上側は「八」になっています。「一つ」のものをふたつに「分ける」という意味の「八」です。下側の本字は「牛」です。中国でこの文字が作られたときは、「牛の足をつなぎ止めるヒモ」「拘束具」という意味でした。
 そこから、「絆」は、「牛や馬の脚をつなぎとめる網」「拘束するもの」「つなぎとめるもの」という意味になりました。


~~~~~~~~~
 と、コメントしたのですが、説明に不足や誤記があったので、もう少し詳しく字源について述べます。
☆    ☆    ☆    ☆    ☆
 漢字の字源には、諸説があります。漢和辞典によっても、異なる説明が出ているのです。さらに後世になるほど「通俗字解」というものが出てきて、わかりやすくはあるけれど、本来の漢字の意味とは異なる説明になっていたりします。中国で古来から行われてきた字源研究にも、通俗字解が混じっていて、それを日本の学者が信じて本に残し、それが通説になる、という場合も多い。

 長らく漢字字解の本家とされてきたのは、中国後漢時代の『説文解字』です。『説文解字』は最古の部首別漢字字典で、後漢の許慎(きょしん)が篆書の文字を分類し、紀元100年(永元12)に成立しました。後漢の時代に最も古いと見なされていた始皇帝時代の編纂による篆書の文字を部首によって分類し、字の本義を記しています。

 しかし、篆書文字以前の甲骨文字などについてはまだわかっていなかったため、たとえば「王」という字について、許慎は、「天地人三才を貫くもの」と字解し、「三」の字を縦棒で貫いて出来た、と解釈しました。しかし、甲骨文字の原点に戻って字源を研究した白川静は、「王」を「大きな鉞(まさかり)の頭の刃の部分を下にした形。この鉞が王の座る席の前に置かれ、王のシンボルとなり、王の意味となった」と解釈しました。

 「口」という字は、従来、顔の中の口を開けた形とされてきました。しかし、白川は、新発掘が続いた甲骨文字や金文資料を吟味することにより、口(くち)と解釈するものではなく、「神に捧げる祝詞を収める箱」と解釈しました。音読みは「サイ」、訓読みは「ノリト」と提唱しました。
 白川字源研究は人気が高いですが、批判者もいます。また、留学生への漢字教育で、「口」の字を教えるときは、『説文解字』に従って、口を開けた唇の形を絵にして、その上を「口」の形になぞって、印象づけて覚えさせています。この方が手っ取り早く印象に残るからです。

 そのほか、「体」という字、留学生には、「人のオリジン(もと=本)になる体」と教えていますが、本来「体」の本字(繁体字)は偏が「骨」で旁が「豊」という字「體」です。でも、暗記のために、新字に合わせて便宜的な説明をしています。 

 絆は、留学生への説明でには「You and I are bound together with a thread. We are better half.」なんて言ったりしますが、これも記憶のためで、本来の字源ではありません。
 「絆」は、会意文字(二つの意味を組み合わて出来た文字)ではなく、形声文字(意味を表す部首と発音を表す部首を組み合わせた文字)なので、偏の意味は「糸」に関わるけれど、旁は「半ハン、バン」という発音を表しています。

 この「絆」という字が中国から日本にもたらされたとき、訓読みとして「きづな」が与えられ、平安時代中期の辞書『和名抄』には、「牛や馬をつなぎ止めておく綱」の意味で用いられた用例がでています。
 現代の国語事典で「羈(音読み:キ、訓読み:おもがい、つな、たび)」と組み合わさった「羈絆(きはん)=行動する人の足手まといになるもの、束縛になるもの」は、日中辞典(岩波)にも「羈絆(簡体字:表示できず)jiban」とありますが、現代の若者たちは、日本語の「絆きづな」を中国語に翻訳するときは「羈絆」を用いているらしいです。

 以下は、中孝介のうた「絆」の中国語(台湾)訳。
http://www.youtube.com/watch?v=3OHMct0yOX8&feature=related
♪いつでも答えは 僕らのすぐそばに:不變的答案 就在你我身邊
大切な絆を この手の中 繋いで:手中緊握著 連結你我 重要的羈絆

♪今日も仲間の笑い声が聞こえる:一如往常聽見的朋友們嬉鬧的聲音
ふざけあいながら:打鬧嬉笑中
語らう夢のカケラ達:一邊訴?著那夢想的點滴

♪遠く離れた母親からの手紙:遙遠的母親寄來的信
身体を気遣う言葉が並ぶ:寫著要多注意自己的身體
深く深く染み込む愛を:深深的深深的這份愛
時に僕らは忘れてしまうけれど:即使偶爾我不小心遺忘
いつも目には見えない:但總是被那眼睛所看不見的羈絆所相繋著
「絆」が僕を支えてくれる: 給我支持給我鼓勵

♪いつでも答えは 僕らのすぐそばに:不變的答案 就在你我身邊
大切な絆を この手の中 守り続けたい:我要好好守護 連結你我 重要的羈絆

♪今日も僕らは人ごみに流されて:今天依然在洶湧人潮裡流失
自分の居場所を探し続ける:尋找著自己的棲身之處
もしも辛い時が来たなら:如果遇到困難
涙の理由を一人で抱えないで:不要一個人孤獨落?
君の笑う姿を:相信在某處
誰かがきっと待っているから:總有著人期待著你的笑容

繰り返される 悲しいニュースが溢れる:不斷播放 令人悲傷的新聞
誰かを傷つける為に :人?對沒有生來就是
生まれてきた訳じゃないだろう:為了傷害某個人

♪いつでも答えは 僕らのすぐそばに:不變的答案 就在你我身邊
大切な絆を 胸の奥に感じて:心中能感受到 連結你我 重要的羈絆
素直に愛を繋いでいけたなら:單純的因為愛而互相吸引
互いに信じあえる:就能相互信賴
その強さを 守り続けたい: 這份強韌 我要堅守下去
僕らの「絆」を: 那就是你我之間的羈絆
☆    ☆    ☆    ☆    ☆

 以上の説明のように、絆という文字は、人と人とのつながりを表しているより古くは、人が他者や動物を縛り付け、自分から離れないようにするために拘束するもの、という元の意味がありました。

 拘束されるのは嫌ですね。遅刻するな、とか、宿題を必ず提出しなさい、とか。学校で学ぶには、いろいろな決まりがあり拘束されます。
 「校則は拘束」と感じる人もいるでしょう。でもね、人と人との関係を結ぶためには、お互いに絆が必要なのです。

 絆は「羈絆」であり、「羈絆きはん」は「規範きはん」と日本語では同じ音になります。学校の規則、規範を守ることから学校と学生、教師と生徒のきずなを築いていきませんか。

 私は、あなたと絆を結びたいです。 

~~~~~~~~~~~~~~

 学生向けの文として再録した文章なので、最後の部分がちと学校側の人間みたいで、春庭としては「いつからお前は修身教科書のまわしもんになったんだ」という気分です。
 けれど、学生が規則を守らずに、週に28時間以上のアルバイトなんぞした日にゃぁ、とんでもないことになるので、まあ、ここんところはひとつよしなに。
 春庭、車が見えない時には赤信号でもわたっていますけれど、みなさん、ルールは守りましょう。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「自由と不自由、Liberty とFreedom」

2018-07-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180721
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>日本語質問ノート(2)自由と不自由

 学生からの質問、まだまだありますが、ここで大人の質問を。
 ブログ友達すみともさんからの「自由と不自由」について質問をいただきました。
 春庭回答コメントとともに、再録させていただきます。
~~~~~~~~~~~
  (すみとも)2018-07-03 13:33:40
liberty の訳語として生まれた「自由」と言う日本語 
それ以前に「不自由」と言う日本語は有ったそうですね・・・「自由」以前に「不自由」と言う言葉が有った!!・・・って 本当なのでしょうか
Freedom の訳語も「自由」? な~んて考えていたら 眠くなってしまいました。。 
兎に角 自由 ことに言論の自由が無くなるのは怖い!




春庭回答コメント
2018-07-03 16:12:16
自由の前に不自由があった、というのは「自由」という語のふたつの意味が錯綜していると思います。

仏教のはじめからある仏教用語としての「自由」は、「自らに由る」という意味です。他者にたよらず、自らの意思で自立してあること。不自由とは、その逆の意。

明治期以後の、「自由」は、仏教用語とは意味合いがことなります。
J・S・ミルの『On Liberty』(『自由論』)の訳語として定着したもので、明治5年に中村敬太郎が『On Liberty=自由之理』と訳しました。

仏教用語の「自由=他者によらず自立すること」に対して、Livertyの訳語としての自由は「自らが意識的に獲得する自己決定の権利」という意味合いになります。

一方Freedomは、人にもともと備わっているもので、「言論の自由」と言えば、人には人としてあるべきものとして生まれた時から所有しているのです。

Livertyのように、苦労して努力して得るものでなくて、「人権」の一部と思ってください。

自由がある前に不自由があった、というのは、前者は、訳語の自由で、後者は仏教用語なのではないでしょうか。

「言論の自由」「表現の自由」が抑圧されようとしている現在、自由の意味をもう一度考えたいですよね。
もともとある人権としての「言論の自由」を「お国のためにならない考え方は制限せねばならない」と考える人がその思い違いを知っていきますように。

先の大戦中は、川柳の表現も抑圧を受けましたね。お国を批判したりする川柳は厳しい弾圧にあいました。

川柳が弾圧される日の再来
言いたいこと言えぬ日があったあの日


<つづく>
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ぽかぽか春庭「おいしみ、まずみ、なんでもみ 」

2018-07-19 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180719
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>日本語質問ノート(1)おいしみ、まずみ、なんでもみ

 前期の学部授業、「日本語教育研究」も終盤になってきましたので、学生たちに課題を出しました。
 日頃、日本語について気づいたことや、不思議に感じていることわからないことを解決しまshow」という課題です。講師から日本語についての説明を聞くばかりでなく、自分たちで日本語の疑問点を見つけ出し、考える、というアクティブラーニングの一環です。

 日本語教師養成コースの授業のひとつとして、「日本語教師になったとき、留学生から質問を受けた場合、あわてずさわがず、日本語学習者にわかるように説明する」という訓練のひとつでもあります。
(1)ペアで自分の考えた疑問点を出し合い、相手の疑問点を解決しようと、ふたりで考える。(2)二人で考えてもわからなかった場合には、質問をメモに書き教師の答えを聞く。

 留学生からの「あるある質問」として 私から例にあげたのは。
 日本語初級者からの質問。
(1)赤ーあかい」「白ーしろい」と言えるのに、どうして「緑ーみどりい」「紫ーむらさきい」と言えないのですか。
(2)「病院へ行く」と「病院に行く」は同じですか。
(3)レストランのウエイトレスさんが「おビール」「おジュース」と言っているのに「おワイン」と言わないのはなぜですか。(回答のヒント):タバコとパンは、どちらも戦国時代末期にポルトガル宣教師が伝えた外来語です。「おタバコ」はいいのに、「おパン」はいいませんね。

 日本語中級者からの質問。
(4)玄関も部屋もフラットな造りで、平らなのに、どうぞ、上がってください、というのはなぜですか。メゾネットタイプマンションで、2階が玄関で、部屋は1階にあるときでもあっても、上がってくださいといいますか。(回答のヒント:多義語の理解、プラグマティックな言語の理解)

(5)美容院で、「こちらのトリートメント、いかがですか」と高級なトリートメントを勧められて「結構ですよ」と断ったのに、美容師は、高いトリートメントを使った。「いらない」というつもりだったのに、どうして。(回答のヒント:言語運用、プラグマティックな言語の理解)
 などです。

 1~5までの質問、本欄では何回も取り上げていますから、回答は省略します。

 学生の疑問点、私が授業中に何度も説明しているのに、同じ質問をしてきたのもありました。きっと、私が説明した日に欠席したか、放課後のバイトシフトが気になって、気もそぞろだったか、なんでしょうが、聞かれれば何度でも答えます。「先週説明したでしょ」なんてことはいいません。1度目は右耳から入って左耳に出ていくことが、2度めには半分頭に残り、同じこと3度目に聞くと全部残るかもしれないから、と言って。

 学生の質問その1 留学生から、どうして「こんにちわ」じゃなくて、「こんにちは」って書くんですか、と聞かれたんですけれど。
 回答:
 前に説明したことあるけれど、もう一度言いますね。「こんにちは」というご挨拶。もともとは「こんにちは、お天気も上々で、、、」や、「今日は、おひがらもよく、、、」とという、出だしのことばなので、「は」は、助詞です。でも今は、「こんにちは」のあとに、何も続けなくてもいいので、独立したあいさつことばとして、「こんにちわ」と書いても、なんの誤解も不都合もありません。誤解がないなら、留学生に覚えやすい書き方でいいと思います。でも、就活などでメールの最初に書く必要があるときは、日本語母語話者ならば「こんにちは」と書いておいたほうが無難です。

 学生質問その2「~のに、と、~けど は、同じですか」
 回答:
 ~けど、は、~けれど、の縮約形(縮めて短く表現している形)ですね。例文を作ってみましょう。今朝、私は早起きしたのに朝ごはんを食べなかった。今朝、私は早起きしたけれど朝ごはんを食べなかった。同じようにつかえそうですね。では、別の例文。Kさんは留学するといいました。けれど、私は賛成しませでした。Kさんは留学するといいました。のに、私は賛成しませんでした。あれ、違和感がありますね。「けれど」は接続助詞であり接続詞でもあるので、文末にも文の頭でもいえますが、「のに」は接続助詞(複合助詞)なので、文末にのみつかうことができ、文頭にはつかえません。

 同じようなことばでも、使い道はいろいろですから、たくさん例文を作って、比べてみてください。留学生に違いを説明するとき、文法用語を並べるのではなく、例文をたくさん出して帰納法によって理解させるようにしてください。
 
 学生質問その3「どうしてひとつの漢字にいくつも読み方があるんですか」
回答:
 「漢字の読み方、音訓、呉音漢音唐宋音」について説明をしたときお休みしちゃったのかな。はい、もう一度説明します。何回でも聞いていいんですよ。
 日本語は、いくつかの時代、いくつかの地域からの中国音をとりいれており、それを全部保存しているので、ひとつの漢字にいくつもの音読みがあり、さらに、日本語の意味に合わせて訓読みをつくりましたから、たくさん読み方のある漢字ができました。

 音読み訓読みの基礎から、漢字音の歴史的な移入について、説明をもう一度。例は前回は「行」をつかって「呉音:行事ぎょうじ 漢音:旅行りょこう 唐宋音:行脚あんぎゃ」をつかいましたので、今回は「明」で。
呉音:燈明とうみょう 
漢音:明白めいはく 
唐宋音:(活字の)明朝体みんちょうたい 
訓読み:明るい、明ける 明らか

 同じ説明を繰り返すにも、前回とは異なる例を上げるのは、他の学生が「またおんなじことを」と思わないようにするため。でも、呉音漢音唐宋音がそろって日常的な熟語として用いられているのは、行と明のほか、春庭にも思いつかないんです。
 3回目に聞かれたときは、例をどうしようか。呉音:勧請(かんじょう)漢音;要請(ようせい)唐宋音:普請(ふしん)もありますが、仏教用語「勧請」は、学生が知っている日常的な熟語ではないので。道普請が道路工事のことだということも、学生には縁遠い語になっています。

 接頭辞接尾辞についても説明済みだったのですが、私にとって、これは新日本語と思う質問がありました。
質問:「やばみ」とか、「うれしみ」というときの「み」は何ですか。

回答:
 「み」は「さ」と同じく、形容詞を名詞化するための接尾辞です。
 おいしい(イ形容詞)→おいしさ(名詞)、かなしい→かなしさ、あまい→あまさ、ながい→ながさ、元気な(ナ形容詞)→げんきさ(名詞)、活発な→活発さ など、「程度、度合い」の意味を含む名詞になる。

 「み」は、その意味合いが含まれる、という名詞になるので、つくことばに制限があります。
 苦しい→くるしみ、悲しい→かなしみ、あまい→あまみ、にがい→にがみ など。
 しかし。「おいしい *おいしみ」「うつくしい *うつくしみ」「きれいな *きれいみ」などはいいません。(*は、非文、非語を示す)

 で、私にとって「新日本語出現!」と感じられたのは。ネット社会や学生の間では、なんにでも「み」をつけてしまう用法がすでに定着しかかっている、ということでした。
 学生があげた「やばい→やばみ」「つらい→つらみ」「きつい→きつみ」など、ほとんどのことばに「み」をつけて発言することができるというのです。
 びっくり!ぜんぶ「み」です。形容詞なんでもみ名詞化。

 調べてみれば、ツイッターなどのネット社会では、若い世代のおよそ2~3割は使用しているとのこと。あらま。
 使用例が5割すぎたら三省堂辞書にのるし、8割すぎたら広辞苑に載ります。
 「つらい」の名詞形が「つらさ」ではなくて「つらみ」とは、コハいかに。

 「こはいかに(これはいったい、どういうことなんだろう)」という日本語を日常語としてつかっている方、いらっしゃいましょうか。たぶん、なんぞの強調ことばとして発するのみで、ふだんは、使いませんよね。でも、生まれる前にすたれてしまったことばは自分がつかっていなければ、すたれたって気にしない。生まれてから現在までの日本語が変化するのがいやなんです。
 あれほど抵抗を受けた「見れる出れる」のラ抜き可能形、今では辞書でも公認です。

 まさに日本語は変わっていく、という若者言葉の現場。若者の中にいるから遭遇する「新しい日本語」。
 形容詞ぜんぶに「み」をつける、これも、「むかしもん」には抵抗されるでしょうが、若者世代がいいと思えば、50年後には辞書に載っています。「さ」よりも「み」のほうが、かわいらしい感じがするんですって。「かわいみ」倍増。
 
 集めた学生の質問メモの中に、「質問とは違くて、感想なんですけど」という表現がありました。書いた学生は「ちがくて」という語を、何の違和感もなくごく当然の表現としてつかっています。

 教師から。
 「ちがう」という動詞のテ形(連用形)は「ちがって」です。「ちがくて」というテ形は、状態動詞「ちがう」を形容詞化して、「ちがう→ちがい→ちがくて」と、表現しています。「長い→長くて」「美しい→美しくて」と同じテ形の作り方です。
 まだこの「ちがくて」を快しとしないお年寄りは多いので、就職活動の面接時には、「ちがって」という従来の言い方をするように。

 お年寄り世代は、自分たちが使ったことのない表現には抵抗します。「間違った日本語だ」と言いたがる。「やばみ」「おいしみ」にも、反論が沸き上がることと思います。しかしながら、さはさりながら。

 若者言葉でいっときはやっても、消えていく表現はすぐにすたれます。定着する勢いがある語について、抵抗しても無駄です。
 新しい表現に、ヒヤッと「寒さ」を感じた方、「さむみを感じた」という時代が来る前に、日本語の現場から退場しましょう。
 来るもの拒まず、去る者は追わず。

 日本語表現が少々「ちがく」なっても、日本語そのものが消えてしまうよりはましと、春庭は思っております。
 今の政府の言語政策、文科省方針を受け入れていると、早晩、日本語は消え去り、われらの子々孫々、将来はおぼつかない片言英語でしゃべってビジネスにいそしむしかないみたいですね。

 あは、おぼつかないのは年寄り世代。0歳児から英語DVD見て育つ世代も出ています。両親が「この子は、英語使って世界に羽ばたくように」と願って、家でも英語で生活するように育てれば、あと50年で子供たち全員日本語忘れています。

 ま、あと50年後、私は日本にいないからいいんですけれど。極楽または天国で、子々孫々が英語で歌うのを聞くことにしましょうかね。「Sukiyaki song」です。

 ♪I look up while I walk
So the tears won't fall
Remembering those spring days
But tonight I'm all alone
I look up while I walk
Counting the stars with teary eyes
Remembering those summer days
But tonight I'm all alone
Happiness lies beyond the clouds
Happiness lies above the sky
I look up while I walk
So the tears won't fall
I cry while I walk
For I am alone tonight
Remembering those autumn days
But tonight I'm all alone
Sadness hides in the shadow of the stars
Sadness hides in the shadow of the moon
I look up while I walk
So the tears won't fall
My heart is filled with sorrow
For tonight I am alone
For tonight I am alone.♪

上を向いて歩いても、涙とまりません。かなしみも、うれしみも、くやしみも、空の上に。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「おみおくりの作法Still life」

2018-07-17 00:00:01 | エッセイ、コラム


20180717
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>終活映画(3)おみおくりの作法Still life

 さまざまな生と死。
 九州四国中国近畿までの、大雨の被害で亡くなった200人もの方々、お悔み申し上げます。今だ安否のわからない行方不明の方々、ご無事を祈ります。

 大雨の少し前からニュースでは「歴史的な大雨が予想されます。土砂災害が懸念されています」と繰り返されていました。私が予報を受けたとしても、目の前で川が氾濫したり家に土砂が流れ込むまでは、避難を考えなかったかもしれません。
 生と死、人生は予想のつかないことが次々に起こります。 

 オウム教祖と幹部の死刑執行にも、23年前の事件を反芻して、気持ちが沈みました。ナチスのガス室担当者も、オウムのサリンを製造し噴霧した信者も、ひとりの人に思考をゆだねてしまい、トップの言いなりになってしまった。これを「自分とは関係ない、特異な人々のこと」と思うなら、必ずこの事件は繰り返されてしまうと思います。自分たちが正義だと思い込まされれば、殺人さえも正義。私たちの思考は、いとも簡単にオウムと同じ構造になります。75年前の日本全体がそうだったこと、みな忘れようとしていますが。

 できることなら、自分の生と自分の死は、自分自身によってよりよいものにしたい、そんな願いも、はかない望みなのかもしれません。

 2015年に見た「おみおくりの作法Still life(ウベルト・パゾリーニ監督)」ですが、ヤンゴン赴任のドタバタがあったので、鑑賞メモも残さなかった映画。
 「終活映画」のくくりで思い出しました。とても心にしみる映画で、人の生と死について、深い印象が残りました。

 原題のStill lifeとは、絵画では「静物画」のこと。英語では「まだ生きているものを描く」という意味になり、やがて枯れたり腐ったりする生き物を描くことです。果物の絵だったり花瓶の中の花だったり。フランス語だと「Nature morte 死にゆく自然物」。
 Still lifeもNature morteも、やがては死にゆく生き物の姿を描くこと、すべての命あるものは平等に死を迎えることを、描き出していきます。

 ジョン・メイ(エディ・マーサン)は44歳で独身。役所務めを22年続けてきた、風采の上がらない小男です。ロンドン市ケニントン地区の民生係。
 几帳面な性格は、毎日の暮らしの中でも変わりません。机の上のものが曲がっておかれていたら、さっとまっすぐに置きなおすようすからも、律儀にささやかに生きてきたことがわかるジョン。仕事が終われば、毎晩りんごと缶詰の魚と食パンと紅茶でひとりきりの夕食。1年中同じ。

 食卓の食パンと紅茶。一幅の静物画です。


 以下、ネタバレあらすじ紹介です。

 彼の仕事は、孤独死した人の後始末。役所としては事務的に処理してほしいのですが、几帳面なジョンは、ひとりひとりを尊び、丁寧に葬儀を行います。
 ジョンは、故人の貴重品をまとめ、書類を作り記録します。葬儀を手配し、家族親戚をはじめ友人・知人も見つからない場合は、ジョンがたったひとりの会葬者。遺品から生前の故人を推察してジョン・メイが弔辞原稿を書き、葬儀を執り行う神父に代読してもらいます。役所にとっては、そんな丁寧な葬儀は費用の無駄です。葬儀が終わると「案件終了」。ジョンは、個人の遺品の写真をアルバムに貼っておきます。

 アルバム整理中のジョン


 地方行政の財政悪化で、役所は人員整理を実施。もともと「費用対効果」の悪い仕事とみなされてきたジョンの仕事はやり玉にあがります。
 ジョンの上司は、孤独死した身寄りのない人の葬儀は無駄、さっさと火葬して、遺灰はそこらの墓地の片隅にぶちまけておけばよい、と割り切っているので、ジョンの「余計な仕事」が気に入りません。ジョンは最後の仕事を終えたら解雇されることになりました。

 ジョンの最後の「おみおくり」は、ジョンの向かいの家で孤独死したビリー・ストーク。
 近所に住んでいても、言葉を交わすこともなかったビリー。ジョンは、ビリーの生涯をあきらかにして見送りたいと願います。ジョンは、ビリーの生涯をたどって、イギリス中を旅して、ビリーと関わった人と出会います。

 墓地を歩くジョン

 
 残されたアルバムから、ビリーにかかわった人々がわかっていき、孤独なアル中と思われていたビリーの生涯があきらかにされていきます。アル中になったのは、パラシュート部隊として従軍した戦争の悲惨な記憶からの逃走でした。アルコールに逃げるしかなかったビリーは、勤め先のパン工場でもいざこざをおこし、刑務所に収容されてしまいます。幼い娘とも音信不通に。
 ジョンはビリーの娘ケリーにたどりつきました。が、ケリーは、子供時代のつらい思い出から、ビリーの引き取りを拒否します。ジョンは自分のために購入してあった墓地を、ビリーの埋葬に使うことにしました。

 ケリーは、ジョンの調査によってビリーの真実の姿に気づき、ジョンの手配した葬儀を受け入れます。そして、ジョンに「葬儀が終わったらお茶でも」と、お礼のことばをかけます。
 
 ジョンがイギリス中で探したため、ビリーの葬儀には、ビリーにかかわった人々が大勢参列することになりました。パラシュート部隊の仲間、パン工場の同僚など。

 ビリーの葬儀の隣で、2階建てバスにはねられた孤独な男の葬儀も行われていました。毎日りんごと缶詰の魚を食べ、律儀に役所の仕事をしたのに、解雇された孤独な男の葬儀。
 参列者がだれもいないと思われた葬列でしたが、観客の目には、見えない参列者たちが見えてきます。
 観客も、「この人の葬儀に加わらなければ」という思いになるラストシーンでした。

 ジョン・メイがアルバムに張り付けていった孤独死した人々の一枚一枚の残された写真。
 律儀で誠実な男の仕事。身よりも友達もいない孤独な人。いかにも安月給らしい人の、狭い部屋。
 でも、彼が過ごした日々は、私たちの心に残り、だれもが、ひとりひとりの貴重な一生を送っているのだと伝えてくれました。

 お金持ちが残された時間に「やり残したことを全部やる」という終活も、よいものなのでしょうが、それ以上に、ささやかな庶民の生涯に残された写真が、私の心にしみました。

 終活。
 私の終活は、今日一日を後悔なく過ごすことかな。
 今日も一日働いて、生ビール一杯。これって終活? 
 (ほんとは、毎日後悔ばかりですけれど)

<おわり>
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ぽかぽか春庭「あなたの旅立ち、綴ります」

2018-07-15 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180715
ぽかぽか庭シネマパラダイス>終活映画(2)あなたの旅立ち、綴ります(The last ward)

 シャーリー・マクレーンが出ているので見ることにした終活映画。
 映画冒頭には、シャーリーの人生アルバムが映されます。かわいらしい少女時代、映画女優として栄華に包まれた時代。ほぼ実年齢である、ハリエット役までのさまざまなシャーリーが出てきて、1960年の『アパートの鍵貸します』以来、シャーリー娘のサチ・パーカー出演の『西の魔女が死んだ』まで見てきた私にとっては、すてきな冒頭でした。

 夫婦なかよくいっしょにすごしたエラとジョン夫妻に対して、シャーリー演じるハリエット・ローラーは、お金はあるけれど、ひとり暮らしの80代女性です。女性の社会進出がまだまだだった時代に、広告ビジネスで成功したお金持ちではあるけれど、夫とは結婚19年目に離婚。娘とは音信不通の仲。

 なんでも自分の思い通りにして生きてきたハリエットは、自分の死後に新聞などに載る訃報も、自分の思い通りにしようと決め、地方新聞社の訃報記事担当記者アン・シャーマン(アマンダ・セイフライド)を雇います。
 アンがまず、ハリエット・ローラーの知人にインタビューしてみると、ハリエットをよく言う人はいませんでした。
 ある知人「ハリエットについて、何かよいことを言えですって。そうね、彼女が死ぬのはよいことだわ」

 ハリエットは「最高の訃報記事」になるために、自分自身に課題を出します。「人生を変える影響を誰かに与えること」「やり残したてきた、やりたかったことを実行すること」など。

 以下、ネタバレ紹介です。

 ハリエットは、別れたままだった元夫エドワード(フィリップ・ベイカー・ホール)や、娘エリザベス(アン・ヘッシュ)にも会うことにします。
 夫は、「結婚したことを後悔したことはない」と述べます。彼が離婚を望んだのは、妻が自由に仕事に没頭できるようにするためであった、と。

 娘との久しぶりの邂逅は、ぎくしゃくしたものでしたが、娘エリザベスは、「医師の夫とふたりの子供に恵まれた幸福な母親」として生活していることがわかります。 
 娘が自分とは対照的な人生を選び、幸福な家庭を営んでいることを知り、ハリエットは大笑いします。ハリエットは、自分の思い込みが間違っていた時には大笑いする、と、アンはハリエットのモト夫から聞いていました。
 娘に対して「よい母親にはなれなかった」と、悔やむ心を持ち続けてきたハリエットでしたが、それは思い込みにすぎず、エリザベスはちゃんと育っていたのです。

 児童施設にいたわんぱくなアフリカ系の女の子ブレンダ(アンジュエル・リー)と、ロックミュージックをともに楽しむようになり、地方ラジオ局で「昔やってみたかったDJ」をやってみます。ハリエットは、古いレコードを大切にコレクションしてきたのです。
 CDではなく、レコードの音質を世に伝えるべく、ハリエットはすてきな選曲をして朝の番組のDJをしていきます。

 DJを(無給で)つとめるハリエット


 アンは、ハリエットが設立した広告社が、部下の裏切りにあって会社を乗っ取られていたことを知ります。最初に受けたハリエットの印象「金持ちのわがまま婆さん」とは異なる人物だったことがしだいにアンにも見えてくると、アンは、失敗を恐れ傷つくことを恐れていた自分が変わっていくのがわかります。アンが失うことを恐れるのは、幼い時に母親が家を出ていってしまった喪失感からきているのです。
 人生において、失うこと傷つくことは山ほどある。でも、同じくらい得ることも多いのです。

 ハリエット、アン、ブレンダの3人は、旅をともにすごすうち、家族のような絆を感じます。3人が夜の湖でいっしょに泳ぐシーン、とてもすてきです。月明かりのなか、3人は子供に返ってはしゃぎます。
 ただし、私の感想としては、惜しい気がします。このシーン、3人とも全裸だったら、もっと印象深い画面になったでしょうに。すべてを脱ぎ捨てて素に戻る意味で、全裸がよかったなあ。シャーリーが、しわしわのおしりを写されるのを拒んだのか。垂れパイでも価値ある裸と思うのだけれど。

 湖で泳いだ翌朝、泊まったモーテルの前で3人の記念撮影
 

 旅から戻り、アンは、ハリエットの真実の姿を訃報記事にまとめていきます。
 アンは、ハリエットの人生を知ることによって臆病な自分をかえていき、「ほんとうはエッセイストになりたい」という人生の希望を失わずに突き進むことにします。
 ブレンダも、ハリエットが残した最後のことばThe last word「道を照らす人になりなさい」に勇気づけられて生きていくでしょう。

 ハリエットの「最後のことば」は、「I am who I am 私はわたし」。

 配役でよかったのは、ブレンダ役の子役。生き生きしていてよかったです。
 ハリエット家の庭師を演じたゲディ・ワタナベGedde Watanabe は、日系人の役者さん。キアヌ・リーブス主演の「47RONIN」には、旅芸人座長の役で出演しているそうですが、私は未見。

 もともとシャーリー・マクレーンあて書きシナリオだったそうですけれど、81歳の老女役をとってもチャーミングで毅然として生き生きとして演じたシャーリー。しわはいっぱいあったけれど、とても魅力的でした。

 実在のシャーリー・マクレーンが貫いてきた強烈な個性が、映画のハリエット像に反映されていることは間違いありません。(彼女のスピリチュアル傾向は、私にはピンときませんでしたが)

 むろん、ハリエットがDJをやることができたのも、ハリエットの財力があってこその晩年だったのですけれど。
 ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンの『最高の人生の見つけ方(バケットリスト=死ぬまでにやりたいことリスト)』でも、大金持ちのニコルソンの財力があったからやりたいことやりつくせたのであって、私にはできそうにない。

 お金はまったくないけれど、「私はわたし」を貫ける人生でありたいなあと、来年は古希の老女も思うのです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ロングロングバケーション」

2018-07-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180714
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>終活映画(1)ロングロングバケーション

 まだまだ遠いと思っている「終活」。ほんとはすぐそこなのに、まだ遠いと思いたいのが人情。せめて、映画で学ぼう、明るい終活。
 自分の人生を生き切った、と感じて終わりたいなあ。

 以下、映画『ロングロングバケーション』のネタバレ紹介です。6月に飯田橋ギンレイホールで鑑賞。

 70代後半のエラ(ヘレン・ミレン)と80代のジョン(ドナルド・サザーランド)は、50年連れ添った夫婦。娘ジェーン(ジャネル・モロニー)は父と同じく大学教師として独立し、なんの心配もない。息子・ウィル(クリスチャン・マッケイ)は定職がなくて気がかりだけれど、エラは「息子の人生は息子がなんとかするだろう、自分たちの子育てはとっくに完了している」と考えています。

 エラにとって、息子より気がかりなことがあります。元文学教師のジョンはアルツハイマー進行中。現在と過去が混濁する夫は、これからますますいろいろなことができなくなっていくでしょう。エラ自身の体調「末期がんで、余命いくばくもない」ということを告げても、それを理解できるかどうか、わかりません。

 子供たちが小さいころ、「Leisure Seeker楽しみを探す」という名をつけて一家で出かけてきたキャンピングカー。もうおんぼろで、しばらく動かしていませんでしたが、エラはこのキャンピングカーで、長い休暇をすごすことを決意します。長い、ながい休暇。

キャンピングカー「LeisureSeeker」の前のエラとジョン


 ルート1号線を走り、ジョンが大好きなヘミングウェイの家を見に、フロリダを目指します。毎晩、子供たちとすごした家族思い出の8ミリ映像を木にかけたシーツに映し、ふたりで歩んできた歳月をかみしめます。キャンプ地での「人生のさまざまな道筋」映像は、周辺のキャンパーも楽しませています。
 
 ジョンの教え子に出会ったり、さまざまなアクシデントも笑いのうちに進みます。観客、みなで大笑いが続きました。
 判断力を失っているジョンですが、ときどき正気にもどります。
 ジョンの願いは、この先完全に自分の脳が完全に機能しなくなる前に、自分で自分の人生を完結したい、ということでした。ヘミングウェイが銃でそうしたように。エラは、その望みをよく理解しています。

 レジャーシーカーは、キーウェストのヘミングウェイの家も見ることができました。エラは、夫婦が歩んできた人生に満足します。

 イタリア映画の巨匠パオロ・ビルツィ監督によるイタリア制作の映画。でも、舞台はアメリカの英語映画。エラとジョンが生きてきたアメリカの社会背景の描き方も、アメリカ人とは異なる感性が感じられました。

 これは、原作にあるのかどうかわからないのですが、エラが老人ホームに初恋の人をたずねていくシーン。ずっと初恋の人を忘れずにいたエラなのに、彼はエラのことをひとつも覚えていませんでした。彼もまたジョンのように認知症なのです。
 エラが初恋をした時代。60年前1950年代のアメリカは、公民権運動が起きかけたころです。エラが恋した人は黒人でした。1950年代のエラの恋は、おそらく実らないことが最初から決まっているような恋でした。エラの中にくすぶっていた初恋の落とし前をつけて、エラの人生もすっきりしました。この初恋エピソードは、マイケル・ザドゥリアンの原作にもともとあったのか、イタリア人ビルツィ監督その他のシナリオライターが付け加えたのか。

 また、ジョンがトランプの選挙活動に巻き込まれる、というシーン。かっては民主党支持者であった、というジョンが、わけわからぬままトランプ支持者たちに巻き込まれ「USA!USA!」と叫びます。(このシーンは原作にはなく、アメリカロケ中に偶然でくわした選挙活動ということです)
 アメリカのこの熱狂は、判断力を失っているジョンが、判断できないまま巻き込まれていくようすに見えます。

 ビルツィ監督は作品のテーマを「自分の人生の自由を選ぶ映画」と述べ「エラの選択は、とても勇敢でリスペクトすべき尊厳に満ちた行為」であると描いています。
 アメリカが舞台だけれど、イタリア映画。この映画の結末について、アメリカとイタリアでの受容度を知りたいです。

 中世の僧侶が補陀落渡海することが尊い行為とみなされた仏教。一方、キリスト教社会では、現在でもバチカンは、尊厳死を認めていないと思うのです。
 9割は今も「私はキリスト教信者」と言うのがUSAで、大統領宣誓式には聖書に手を置くUSAと、さらにカトリックの教えが厳しいイタリア。

 アメリカは、州によって尊厳死・安楽死への容認度が異なります。モンタナ州、ニューメキシコ州、オレゴン州、バーモント州、ワシントン州とカリフォルニア州6州が、尊厳死を法的に認めています。尊厳死を望む人は、引っ越しをしてまで尊厳死法がある州に行くのだそうです。

 全身にがんが転移し、余命いくばくもないと診断された70代後半のエラと、回復が認められず、認知症が進行していくジョンの人生を、「自由で積極的な人生」として選択するには、「長い休暇」に入るのは必然の選択だったと、私は思います。



<つづく>
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ぽかぽか春庭「チェホフ桜の園 in 梅若能楽堂」

2018-07-12 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180712
ぽかぽか春庭感激観劇日記>全力劇場(3)チェホフ桜の園 in 梅若能楽堂

 K子さんから招待券をいただき、K子さんが演劇を学んでいる劇団の「桜の園」を見てきました。5月27日の1回限りの公演。このあと、「ロシアにおける日本年」に参加してロシアでの上演が行われるのみで、1年間は下北沢の本拠地小劇場でも公演は行わず、俳優のトレーニングを強化する、と劇団HPに出ていました。
 K子さんが所属する「スタニスラフスキー・スタジオ」は、劇団ワークショップに参加した人を中心にした演劇集団です。こちらも、3本の「次回公演予定作」の練習を続けるのだそうです。

 「桜の園」は、さまざまな劇団、さまざまな演出によって公演されてきました。日本では、1905年のロシア初演から10年後には、小山内薫演出によって公演されているそうです。
 今回の演出で、他に見られない演出は、能舞台での公演だ、ということ。

 前回私が東京ノーヴィの公演を見たのは、東中野の梅若能楽堂での『古事記』公演でした。
 『古事記』公演、『古事記』という題材そのものは能舞台によく合っていたと感じたけれど、日本の古代への感性について、私とは合わない部分もありましたので、疑問点についてK子さんに質問し、お返事もいただきました。

 今回はロシア人チェホフのロシア語戯曲なのですから、アニシモフさんの演出もよりいっそう熱がはいっているだろう、一体『桜の園』を能舞台でどのように演出するのかしら、という興味で見に行きました。

 ロシアで演じるには、橋掛かりでの演技などはまた異なる演出になるのでしょうが、はたしてチェホフの本場ロシアで、日本の能舞台演出は受けるだろうか、という興味。

 能楽堂版『桜の園』は、出入りに橋掛かりを使いますが、長い間ラネーフスカヤ一家に仕えてきた病身の爺やフィールスだけは、お囃子が出入りする切戸口から出入りしました。爺やはもう、一家の人々からは「すでにいない人」のように扱われているというのを表しているのかもしれません。(一家のメンバーは、フィールスが入院して老後を過ごしていると思っています)

 今回も、いくつかのわからなかった点について、K子さんに質問を出しました。K子さんから丁寧な返信をもらい、納得できた部分もありますが、依然わからない部分もあります。K子さん、演劇素人の素朴な質問へのお返事をありがとうございます。
~~~~~~~
K子さんへ
 桜の園ご招待ありがとうございました。
 能舞台での桜の園上演という得難い観劇経験ができました。
 演出と演技について、感想。

1)衣装は能舞台によく映えてきれいでした。ことにリューバ(ラネーフスカヤ)の衣装の和風の模様は、ロシア人の目をひくと思います。しかし、アーニャの赤いボレロ風衣装は、そこだけ色が浮いていたと感じました。アーニャがこの一家にとって異質な存在ということを強調する衣装なのかしら。

2)同じくアーニャ。頭のてっぺんから声を出すキンキン声でセリフを言っていました。演出家の指示のもとにあの発声をしているのでしょうけれど、とても違和感がありました。アーニャは働く意思を持ち、新しい生活へと母を促す役回りと思いますが、あの声では、思考力不足のおばかさんに思えました。政治的に正しい言い方だと、脳の働きに不自由を持つ人物。

3)この公演でのリューバの年齢設定はわかりませんでしたが、主演女性は美しいけれど、若すぎるように思いました。実年齢が何歳の女優さんかわからないけれど、もうちょっと年齢を感じさせてもよかったかな。というのも、ワーリャ役の女優さんが老け顔なので、ならぶとワーリャが親でリューバが娘のように見えました。これは、フラットな照明のせいで、照明の助けがないための老け顔なのかと思います。

4)カーテンコールで舞台に上がっていた白い着物の女性は所作指導の方でしょうか。ロビーにいた着物姿のお弟子さんたち、「先生にご挨拶してから帰りましょう」と言っていました。

5)橋掛かりを登場人物が並んで行進してくる場面。全員が同じ歩き方で、私から見ると、あ、これスコットなんぞの鈴木メソッドでよくやってた動き、と感じましたが、たぶん、ロシアの観客達には新鮮に見えるかな。

6)楽隊はとても不思議な音をだしていい雰囲気でした。いまにも滅びがきそうな。壺の周りに立てた棒を弓でこする楽器、はじめて見ました。なんていう楽器でしょう。アジアっぽいけれど。

 ロシアには能舞台はありませんから、また違う演出になるのでしょうけれど、ロシアでの成功と凱旋公演を待っています。
~~~~~~~~~~~~

 役者の表現力と、演出力がうまく組み合わされれば、100年前の戯曲が、現代のわれわれの心に直接響いてきます。

 今回の『桜の園』観劇、能舞台での上演というのは、私には新鮮で、興味深かったのですが、出ている役者さんたちの演技、私にはすっと舞台に溶け込めない感が残りました。
 能舞台という舞台を生かしている演出と思いましたが、私には、チェホフの戯曲を読んだときのほうが、より生き生きと19世紀末のロシアを感じることができる、と感じたのです。

 これは好みの問題でしょうから、この能舞台版『桜の園』を見て、すばらしい演技演出と感じた方もきっといたことでしょう。
 今後、ロシアでの上演をめざして、どのような演出変更があるのかはわかりませんが、故郷での上演に、アニシモフさんの演出、さらに深くなっていくのだろうと思います。

 もともと「滅びていくもの」に哀惜を感じる民族性。その舞台が桜の植えられた広大な土地とあれば、ますますハラハラと散りゆく花びらの中に美を感じてしまうのが、「滅びゆかんとするわれら」です。
 (桜の園 vs ヴィーシニョーヴィ・サート(Вишнёвый сад)の訳語については、https://blog.goo.ne.jp/halniwa/e/3c01381a7cd55711821d84d70ca06971#comment-list
をご参照ください)

 どこの舞台であれ、「桜の園」の上演記録がないかなあと、youtubeをサーフィンしていて、映画『櫻の園』(1990)を見ました。映画のなかでは、桜の園の上演舞台は出てきません。たぶん、高校演劇という設定とはいえ、桜の園を演じられるほど、出演俳優たちにセリフ術がなかったのだろうと思います。練習風景は出てきますが。
 でも、女子高校生たちの春の一日、1967年の女子高校を思い出しながら、しみじみ見入りました。

 消え去っていった私たちの桜の園。
 先日、やっちゃんの車で駅まで送ってもらったときのこと。卒業した女子高のわきの道をとおったとき、「あれ、ここの道沿いに学校なんてあったっけ」と言ったら「なに言ってんだよ、自分が卒業した女子高だろがっ」と、やっちゃんに言われました。私たちが学んだ木造校舎が残っているとは思っていなかったですが、すっかり様変わりしたようすに、時の流れを感じました。卒業して50年ですからね。

 東京ノーヴィのロシア公演『桜の園』。
 アニシモフさんふるさとのロシアに帰っての上演。
 ラネーフスカヤにとって、消え去った故郷はよみがえるのでしょうか。それとも、ソ連をくぐりぬけたロシアは、100年前とは似ても似つかぬ大地になっているのでしょうか。

 ノーヴィの皆さんの大成功を願っています。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「ミサイル全力」

2018-07-10 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180710
ぽかぽか春庭感激観劇日記>全力劇場(2)ミサイル全力

 ミサイルママの長男さん、高校卒業時から演劇一筋で生きてきました。アルバイトをしながら弱小劇団の客演を続けたり、ひとり芝居の公演を続けたり。
 ミサイルママはミサイル君のゆくすえを案じて、「演劇やめてどこでもいいからちゃんとお給料もらえるところに就職してほしいと思っていたけれど、30過ぎてもあきらめないで続けているので、もう、好きなこととことんやったらいいっていう気になってきた。40すぎたら、生きてさえいればいいと思えてきた。このごろ母親にお金貸してって、言わなくなったし」

 美人のミサイルママの息子ですから、長男も次男も超イケメンです。次男さんはバリスタの資格をとり、レストランなどで働く一方、専門学校のバリスタ養成講師も務めるという堅実派で、ミサイルママの働き者DNAをひきついだみたい。長男さんは、経済にはまったくうとい芸術派。

 私は、20年ほど前、娘の高校の近くで「ふたり芝居」の公演があり、ミサイルママから「息子が出演している」と聞き、保護者会の帰りに見たのが最初でした。このころ使っていた芸名がミサイルでした。
 その後、ミサイルママにさそわれて、ミサイル芝居を見てきました。前衛的なお芝居で、最初から最後まで私は寝っぱなし、というときもあったけれど。

 最近は180cmの長身に女子衣装をつけて演じるひとり芝居が多かったということでしたが、ここ2年程、私はミサイル芝居から遠ざかっていました。

 ある日のこと、駅に向かってミサイルママが歩いていくと、駅から出て歩いてくるウエディング姿の人が見えました。やけにデカい花嫁さんだなと思って近づいてきてよく見たら、ウエディング姿で一晩中ひとり芝居をして帰るところの長男だった、という話も大笑いしながら聞きました。
 今回は、「長男ね、ようやく芸能プロとの契約ができて、自分でチケット売ったりしなくてもよくなったみたい」という劇団の第2回公演を見に行くことにしました。

 劇団は「全力歌劇団」というミュージカル劇団。劇団員の多数がトランスジェンダー。
 LGBTの人々が集まって2018年1月に旗揚げ公演。そのとき病気降版した俳優の代役をつとめたのがミサイルで、その縁から6月の公演から正式団員として舞台にたつことになりました。

 春庭夫の病院へは、娘息子と私の交代で行っていましたが、6月21日、私は病院行きはお休み。仕事を早めに終えて、新宿歌舞伎町へ。
 新宿FACEというライブホールでの公演。19時開演ですが、客席は床がフラットだというので、開場と同時に入って、前のほうの席を確保。普段は、プロレス興行などが行われるホールです。前売りチケット4000円+ドリンク代500円must。

 全力歌舞団のミュージカル、「長屋の花見」「子ほめ」「二十四孝」などをとりまぜて、一応のストーリーがあります。でも、ミュージカルだから、メインは歌とダンス。
 2018年1月に「女装子(じょそこ)歌劇団」として旗揚げしたのだけれど、トランスジェンダーの役者ダンサーだけでなく、あらゆる性自認の人を受け入れて幅広く活動していきたいとして、女装子から「全力歌劇団」に劇団名変更。

 人口の6%は、身体性別と心の性別が一致しないという統計があるし、人の性自認は、とても複雑。クラスにひとりはマイノリティがいることになるけれど、その子たちは息をつめて、自分を押し殺して学校にいることが多い、と全力歌劇団のアピール文にあります。
 悩みを抱えた子どもたちが、ステージに立つ私たちを見て、自信を持って輝くきっかけをつかんでほしい。息苦しさを感じながら社会や職場で頑張っているすべての少数者の人々に、難しい理屈ではなくエンタテインメントを通して決して私たちは1人ではないと伝えたい。私たちが、なぜエンタテインメントへの道を選んだのか。それは難しい主張や理屈よりも、この劇団の成功こそが私たちが誇りを持って生きているという姿が一番ストレートに伝わると思ったからです!!!
 というのが、全力歌劇団の「伝えたいこと」なのだとHPに載っています。

 さまざまな性自認を持つ子たちが自分に誇りをもって生きていく、それはとても大切。しかし、それをエンターテインメントとして活動するなら、エンタメとしての誇りも必要でしょう。

 さて、全力歌劇団、エンタテインメントとしての実力はどうか。
今回はじめて見たわたくし、楽しかったですよ。笑えるところもあったし、歌も聞けたし、でもお芝居はまだまだ素人。演じられている舞台の構成が、地方の会社慰安会レベルというのは、次回はなんとかしてもらいたい。

 ダンスは、まあまあそこそこ、というレベル。一生懸命踊っていて、その一生懸命さが伝わるところはよかったのだけれど、レベル的には、大阪府立登美丘高校ダンス部はじめ、高校生ダンスクラブのほうがレベルが高い。

 歌は、今のところ、メインボーカルのひとりのみ。
 センターボーカルのなおさんの「歌で伝えたい」という気持ちがストレートに伝わって、気持ちのよい歌声でした。しかし歌のテクニックとしては、微妙なところ。これからもボイストレーニングや歌のレッスンを続けていくのだろうと思いますが、この先の課題は多いと思います。

 今はまだいい。「うちの子」が出ているので、親戚縁者、その友人がチケットを買っている。だが、来年1月にふたたびミュージカル公演があるというので、そのときこそ、エンターテインメントとして、きちんとプロの演技とダンスを見せてほしい。初公演から1年たったら、素人が演技をすることが許される期間は終わり。

 女装子たち、かわいい子が多かったし、個性もそれぞれでよかったのだけれど、演技レベルもダンスレベルも、低い。「エンターテインメントを通して、決して私たちはひとりではないと伝えたい、そのためには劇団の成功こそが伝えられる力」と、いうのなら、まずはエンターテインメントとして、実力を確立してほしいです。

 たとえば、劇団四季でも宝塚でも、ダンスと歌のレベルは練習生(歌劇学校生徒)でも、ハイレベルです。そして、数年間、みっちり訓練は続きます。

 全力歌劇団、センターのナオさんは、レッスンを受けているとミサイルママに聞いたけれど、他の人々、学芸会レベルです、ダンスも演技も。
 ダンスは、元気がよくてきれがいいのはいいけれど、最初から最後までワンパターンの振り付けなので、次回までには、もう少しダンスレベルをあげてほしい。

 振り付けと作曲、もうちょっと高いところを狙ってもいいのではないかしら。
 もし、2019年1月のダンスと作曲が、今回と同じレベルだったら、少なくとも私は次の次は見ない。私はトランスジェンダーだからどうのこうのではなく、ミュージカルを上演する劇団であるなら、お金をとるレベルを確保してほしいと思うのです。
 素人の集まりとして学芸会が許されるのは、2回目までじゃないかと思います。

 2018年1月の1回目公演を見て、今度が2度目のミサイルママは、「メンバーみなじょうずになってきた」と言いますが、全員の演技とダンス、歌が「金とれるレベル」になるまで、本当は歌劇団としての訓練だけをつづけて、一定のレベルを保ってから公演すべきだったと、私は思います。

 ミサイル君は、これまでのひとり芝居で過激なパフォーマンスを行い、舞台上で骨折などのけがをしたこと、たびたびです。ミサイルママは、ずっと息子の芝居にハラハラし通しでした。「劇団のなかでやるなら、そうむちゃもできないだろうから、けがをせずにすむかも」と、今回の劇団参加には賛成しています。
 今はミサイル君も劇団カラーに合わせようとしているけれど、そのうち、また、ひとりで好き勝手な舞台を作るほうに戻ってくるような気もする。がんばれミサイル。

 観覧者のうち、2丁目関係、女装愛好者関係からの客がどれくらいの割合でいるのかと客席を見渡す。1~2割くらいは、女装しています。あとは、家族とお友達か。

 「キャンディミルク」と、胸のハンカチに名前を書いていた太めの女装子さん、背にはランドセルしょって、キャンディになりきっていました。女装界ではカリスマ的存在なのですって。
 ビキニ姿でおなかを見せていた方は、「あの人、お医者さんなんだって」と、ミサイルママからの情報。

 今後の全力歌劇団に期待しましょう。



 中列中央がセンターボーカルの「なお」。前列左はし「うさぎ」、その隣が「東京デスティニーランド」。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「未開の議場」

2018-07-08 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180708
ぽかぽか春庭感激観劇日記>全力劇場(1)未開の議場

3月22日木曜日、ミサイルママといっしょに演劇『未開の議場』を見ました。ジャズダンスサークルの元メンバーいくちゃんが出演するので誘われたのです。
 19:30開演 於北とぴあペガサスホール 
       脚本:北川大輔(カムヰヤッセン)演出:大石晟雄(劇団晴天)


 架空の地方都市、幸笠県萩島町の、国際交流イベントを準備するための委員会。テーブルを囲んだ13人の市民が会議を続けていくうちに、国際交流の裏も表もどんどんひっくりかえされていきます。
 芝居の世界では「会議室物」とか「法廷もの」などと呼ばれている、テーブルのまわりに集まった人々が会議をし、人の表裏が出たり丁々発止の激論やら主張の豹変やらで進んでいく演劇です。映画にもなった『12人の怒れる男』や三谷幸喜の『12人の優しい日本人』などはよく知られています。(私はどちらも映画で見ただけで、劇場では見ていません)

 今回「会議」に顔をそろえる役者は13人。プロの役者と、アマチュア役者(北区民)が共演します。1年前にオーディションを受けた区民と役者が、2017年6月から週1回日曜日に稽古を続けてきました。

 ペガサスホールに「区民割引2250円」を払って入場すると、ホールの真ん中にテーブル。入場口わきには、本棚、ソファなど。テーブルの上には鍋。
 客席は会議テーブルをはさんで両側に雛段が作られています。私とミサイルママは一番前に座りました。

 開演時間すぎると、会議に出席する人々が三々五々集まってきて、これまでの会議の反省などを口にしたり今日の議題を確認したりするので、会議は「町内の日本人と外国人居住者がいっしょに楽しむ交流イベント」を行うための準備会議だということがわかります。

 架空の国トメニアからの移民が人口の1割を占める町で、恒例の交流イベントが開かれます。(モデルになっているのは、群馬県大泉町だそう。大泉は、人口4万人のうち、外国からの出稼ぎ民が2割。うち半数はブラジル人)。

 会議物の作り方セオリーどおり、丁々発止の激論やら、くだらない足の引っ張り合いやら、人間の裏まで見えます。疑心暗鬼やら逃げ出そうとするものもいて、どたばたありのどんでん返しありの、最後にはなんとか来週の会議開催日時を決めて解散。

 出てくる役者さんたち、プロも北区民のアマチュアもすごい熱演で、役になりきっているので、お芝居というより、ほんとうに町おこしに集まった人々とが会議をしているというように見えました。2時間やすみなしの演劇でしたが、時間がたつにつれ登場した人物たちの人生の背景まで見えてきて、奥深い脚本でした。
 トメニアとの交流のお祭りのはずなのに、自分の利害のために動いているのではないかと疑い合ったり、過去のイジメや事件が影を落としていたりと、人間模様がどんどん複雑になっていきました。
 アマチュアだけれど、いくちゃんは港区の区民ミュージカルなどに出演してきて演劇歴は長いです。演技、とても上手でした。

 出演の役名はこのプロジェクトの紹介サイトに書いてあったのだけれど、どういう役回りだったのか、13人分全部は思い出せなくなっています。思い出せるところと思い出せなかった役とありました。登場人物が多いので老体の記憶が及ばなかった。以下、役名と演じている訳者と、その人の役柄があっていないかもしれません。すみません。

1森雄太(演:木村聡太)、会議が進むにつれて、自分自身がいじめの過去を持ちそのトラウマを抱えて子供の世話をしていることがあきらかに。苗山みどり、大崎龍介とは、小中学校の同窓生だったことも会議が進む中でわかってくる。演じている木村聡太は、1994年生まれ23歳。イケメン。

2苗山みどり(演:西若菜) カフェ店主。テーブルの上の鍋には、みどりの得意なトメニア料理が作られているのだけれど、料理は「あとちょっと煮込んだほうがおいしくなる」というばかりで、結局できあがらない。

3湯田清美(演:荘司まゆみ) 不動産屋 外国人居住者への不動産斡旋でもめごともあるが、会議のまとめ役として議長役をこなしている。

4升遠綾子(演:桜井由美子)スナックのママさん。おだやかに皆をまとめようとしている。

5紫門源一郎(演:氷室幸夫<京介>)トメニア人コミュニティと役所との折衝などを行う部署の事務局長的な仕事をしている。恐妻家なのに、女好き。

6葉浦充(演:シマザキタツヒコ)なにしていた人だっけ。
  
7馬場倫(演:森野郁子)大勢のトメニア人が働く工場に勤務。記憶力があり、たいていのことはしっかり細かく覚えていたが、過去に起こったトメニア人がかかわる事件のことは、しらなかった。何回かの会議に出席しているのに、みなには独身女性とイメージされてきていて、今回はじめて実はトメニア人の夫がいたことが判明。いくちゃんが演じてじょうずでした。

8(演:) ツバメ食品萩島工場勤務。5年前に萩島町に転勤になった。
調味料やレトルトカレーを製造する食品工場に勤務。トメニア人労働者の研修、管理全般を担当している。やや硬いサラリーマン。

9向井章吾(演:尾崎真一)

10神田香(演:木村雪緒)コンビニ経営。トメニア人の万引き被害に悩んでいる。

11町屋要(演:加藤巧)
 
12大崎舞子 親から引き継いだ銭湯を経営。日本人への銭湯入場お断りは、酔っぱらいのほか刺青を禁止しているので、トメニア人の中でタトゥをしている人を銭湯おことわりにしたい、と主張。

13大崎龍介 大崎舞子の夫。銭湯の仕事は妻にまかせて、学校行事などの写真撮影をひきうけている。本来は会議のメンバーではないのにオブザーバーとして出席を聴講参加を認められた。にもかかわらず、どんどん意見を出す。

 国際交流、同じ町の居住者同士、なかよくお付き合いしていきましょう、という表面だけの交流を、例年通りにこなしていけそうだったのに、深くえぐっていくと、心の中に持っていた差別感情や外国人忌避感情が表に出てきたりします。

 演劇のおもしろさをたっぷり味わうことができました。
 ただ、「未開の議場」というタイトルは、わざとそうしたのだろうと思うけれど、堅そうで、会議劇ときくとなおさらつまらないかも、という印象を受けてしまうかもしれない。無理やりキャッチ―にすることもないのだけれど、「みんなで交流・風呂場をめぐる13人の怒れる男女」なんてのだと、風呂場シーンがあるかと勘違いして見に来る客もいるかも。いないか。
 銭湯の入浴禁止についてのやりとりが、裸の人間模様を描くきっかけなので、いいタイトルだと私は思うんだけどな。

 観客の何割かは区民出演者のご家族友人たちだったのはいいとして、もっと一般客を呼べるすぐれた脚本だと思いました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ピエタ像 in 東京カテドラル」

2018-07-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180707
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>キッチュTokyo(4)ピエタ像 in 東京カテドラル

 両親と姉が曹洞宗のお寺に眠ることから、留学生には「I'm Zen buddist.」なんて自己紹介してきましたが、信徒といえるのは、法事でお寺にいくときくらいです。いわばテキトー仏教徒。テキトー仏教徒なので、キリスト教のミサに紛れ込んだりもします。
 クリスチャンでもないのに、クリスマスのイベントとして、ミサイルママといっしょに、東京カテドラル関口教会のクリスマスミサを「見学」したことが1度だけありますし、コンドル設計のニコライ堂見学に行って、ミサも見学してきました。

 ニコライ堂は、日本正教会の首座主教座大聖堂。私は、ニコライさんがロシア人だから、ロシア正教の教会と思ってきたのですが、神田の日本正教会(東京復活大聖堂)は、ギリシャ正教なのでした。ニコライ堂建物見学のおりにミサ参観もしたのに、誤解したままでいたとは、申し訳ない。
 参観したミサは、首座大司教というえらいお坊さんがミサをつかさどる日とかで、信者でもないのに、ラッキーな日でした。
 主教座(カテドラ)は、扉の中にあって、一般信者からは見えない造りでした。しかし、主教座の中に入るまでの大司教をあがめ拝んでいる信者を見ていると「病は気から」の病なら、神にも近しい大司教様を拝んだら、それだけで治るんじゃないかと思いました。

 ニコライ堂、正式名の東京復活大聖堂は、首座主教座大聖堂。すなわち「カテドラル」と呼ばれる教会です。
 上空からのニコライ堂(借り物画像)


 大司教が、教区内にいる信徒を教え導き、司式するための“着座椅子”をギリシャ語で「カテドラ」といい、カテドラのある教会をカテドラルと言います。カテドラルの日本語訳が大聖堂であって、建物がでかいから大聖堂と呼ぶわけじゃないってのも、テキトー仏教徒春庭は知らずにいて、聖堂の大きな造りのものが大聖堂と思っていたんです。

 カトリックの大聖堂、名古屋市の名古屋カテドラル聖ペテロ・聖パウロ大聖堂、大阪市の大阪カテドラル聖マリア大聖堂など、大司教区にひとつあります。
 東京ですと、首座主教座(カテドラ)を備えるカテドラルは、東京カテドラル聖マリア大聖堂関口教会です。「でっかいから大聖堂」と思い込むのも当然、というくらい、大きなカテドラルです。

 都内23区には46教会、多摩地区には17教会。さらに千葉の教会を合わせて「東京大司教区」にまとめられています。東京大司教区の信者は、96000人。その人々をまとめるトップは「大司教」と呼ばれます。東京大司教区をまとめるのは、タルチシオ菊地功大司教。2017年12月にバチカンのフランシスコ教皇から任命されました。

 コンドル設計のニコライ堂に対して、関口教会は丹下健三設計の現代的な建物です。
 鉄筋コンクリートとステンレススチールで、日を浴びるとメタリックに輝きます。荘厳な教会というより、左側の鐘楼61mの塔から宇宙電波でも受信していそうな、、、、電波系❓
 上空からは十字の形をしているように見えるそうですが、地上からだと、↓こんな感じ。


 私は、関口の講談社野間記念館に絵を見に行くたびに目白通りから眺めてきて、なかはどんな感じなんだろうと思ってきました。
 丹下健三の設計、見た目は派手ですが、東京都庁も代々木体育館も、築何十年かたつと、雨漏りがひどくなる設計で、どこもメンテナンスがたいへんなんだとか。
 でも、教会での雨漏りなら、雨したたるところにマリア像とか天使像なんかおいておき、「聖母の涙」とか「天使の涙」なんぞというネーミングつけて売り出すと、パワースポット好きの若者とかスピリチュアル系の人たちに売れるんじゃなかろうか。イワシの頭も信心から。

 聖堂の外側には、「ルルドの泉」を模した池があります。ルルドは、1858年に聖母マリアが出現したという伝説の土地。その水を飲めば医者が見放した病も治るという霊験あらたかな泉。150年間にバチカンによって「公式に」奇跡とされた「完全治癒例」は68例あるそうです。

 関口教会のキッチュルルドは、1911年にフランス人宣教師が作成。現在では「パワースポット巡り」を楽しむ若者にも人気なのだとか。ただし、バチカンが正式に「ルルドの泉で病気が治った」と認めるには「心身正しき信者」でないとダメみたい。レプリカルルドだと、テキトーブディストでもいいのかなあ。とりあえず、泉のほとりに立つマリア像に健康長寿家内安全世界平和など祈っておきました。

 ミサイルママとクリスマスミサに参列したときは、椅子に座ってじっとしてミサを見ていたで、内部の見学などできませんでしたから、ひとりで聖堂内部見学に出かけたことがあります。勝手に中を見させていただきました。見学を申し込めば、心正しき信者さんが案内してくれるそうですが、こちらは心やましいブッブッディスとなもんで、ご案内いただくにおそれおおいかと。

 イスラムのモスクも、キリスト教教会も、基本、だれでも中に入っていいことになっています。叩けよさらば開かれん。
 モスクは、中国の吉林市と長春市で見学したことありますが、日本のモスクに入ったことありません。

 関口教会の内部には、ピエタ像がご鎮座ましました。
 本物は、バチカン市国サンピエトロ大聖堂におわす、ミケランジェロの傑作です。

 関口ピエタは、高さ175センチ、重さ2,600キロ。原像と寸分たがわぬ精巧なレプリカで、1970年、日本文化財団の依頼によりフィレンツェのリド・ボベッキ教授指導の下に作成され、1973年6月、同財団から関口教会大聖堂へ寄贈されました。
 現在では舞踏とか空手などの「修業」を奨励する日本文化財団が、なにゆえピエタレプリカ寄贈を思い立ったのか、謎です。

 サンピエトロ大聖堂の大理石像ピエタは、現在では、防弾ガラスが設置されているそうです。祭壇の向こうに安置され、観覧者ははるか遠くから像を拝むしかない。


 一方、東京カテドラル関口病院のピエタ像は、イエスの足にキスできそうなほど、接近できます。(そんな罰当たりな真似はしていません、いくらテキトーぶっでぃすとでも、ちゃんと離れてお祈りしました)


 この像をキッチュと呼んではいけないのでしょうね。ちゃんとサンピエトロ教会から「これは、公式レプリカ」というお墨付けを得ているのだそうです。

 ミケランジェロの傑作、レプリカであっても、近寄れば荘厳な音が鳴り響きそうな感じがして、思わず「マリア様」と祈りたい気持ちがわいてきます。
 祈るは、健康長寿家内安全世界平和、、、、、。

 祈る場があるなら、春庭、どこでもどなた様にも祈ります。世界中の神様仏様が私の味方、と信じる汎神論者です。

 「僕は無宗教」といばるタカ氏、すっころんで骨折しました。どこの神社仏閣へ参っても、決して手を合わせない無信心者、全治数か月。
 春庭、ちゃんと祈っていますし、四ツ谷駅の階段ではしっかと手すりを握って、一歩一歩踏みしめて上り下りしております。

 慈悲篤きマリア様。心正しく身清く生きておるワタクシを、どうぞお守りください。日々の糧をお与えください。糧には栄養素のひとつとしてビールもつけてくださればまことにありがたく、信仰心いやがうえにもましてまいります。
 あ、同じことを、阿弥陀様や普賢菩薩様その他もろもろ諸仏諸神にもおねがいしてありますが、どちら様でも、お暇な折にかなえてくださいまし。

 7月7日。彦星様もおり姫様も、銀河を渡る波間にも、笹の葉に結んだ小さな願いをお聞き届けください。みなが平穏無事でありますように。

 あ、もろもろの諸神諸仏の皆様方、夫の骨折、治る方向でおねがいします。お暇があったらでいいので、不信心なアヤツにも慈悲の手を。

<おわり> 
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