春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

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ことばの知恵の輪
春庭ブックスタンド
春庭@アート散歩

2014年4月 目次

2014-04-30 00:00:01 | エッセイ、コラム


2014年4月 目次

04/01 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記春(1)桜さいて13回忌
04/02 十四事日記春(2)桜吹雪13回忌
04/03 十四事日記春(3)動物園プチクラス会
04/05 十四事日記春(4)プチクラス会のおしゃべり
04/06 十四事日記春(5)やっちゃんと牛
04/08 十四事日記春(6)やっちゃんと馬

04/09 ぽかぽか春庭@アート散歩>桜めぐり花のアート(1)東御苑&東京近代美術館工芸館の花見
04/10 桜めぐりと花のアート(2)東京近代美術館本館常設展と花見
04/12 桜めぐりと花のアート(3)旧醸造試験場と晩香盧でのお花見
04/13 桜めぐりと花のアート(4)富士とさくらin山種美術館
04/15 桜めぐりと花のアート(5)金唐紙の花in 紙の博物館


04/16 ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>私の舟に載せる(1)ヤバイだいがえ揖譲する
04/17 私の舟に載せる(2)日常茶飯事の揖譲
04/19 私の舟に載せる(3)明治人に匹儔せざる我、勃如として企及すべし
04/20 私の舟に載せる(4)番外編・コラムタイトルの由来

04/21 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記4月(1)街角コンサート古箏&アルパ
04/23 十四事日記4月(2)ペコロスの母に会いにいく
04/24 十四事日記4月(3)老いの行く末2045年
04/26 十四事日記4月(4)石っ子けんさん
04/27 十四事日記4月(5)春の日常茶飯事

04/29 ぽかぽか春庭ブックスタンド>2014年1月~4月読書メモ
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ぽかぽか春庭ブックスタンド>2014年1月~4月の読書メモ

2014-04-29 00:00:01 | エッセイ、コラム


2014/04/39
ぽかぽか春庭ブックスタンド>2014年1月~4月の読書メモ
(・百円本半額本 @図書館本 ¥定価購入本 *図書館廃棄本)

<日本語・日本文化>
・鈴木孝夫『日本語教のすすめ』2009新潮新書
・蛇蔵&海野凪子『日本人の知らない日本語3』メディアファクトリー
・増田彰久&藤森照信『アールデコの館』1993ちくま文庫

<評論・エッセイ>
・司馬遼太郎『歴史の舞台』1996中公文庫
・ドナルド・キーン『明治天皇を語る』2003新潮新書
*半藤一利『清張さんと司馬さん』2005文春文庫
*山本努ほか『現代の社会学的解読』2006学文社
@小倉千賀子『赤毛のアンの秘密』2004岩波書店
@柄谷行人『隠喩としての建築』2004岩波書店
@川口恵子『ジェンダーの比較映画史』2010彩流社
@中沢新一『ミクロコスモスI -夜の知恵』2014中公文庫
@森岡正博『生命観を問いなおす』2003ちくま新書

<小説・戯曲・ノンフィクション>
・辻邦生『江戸切絵図貼交屏風』1995文春文
・エレノアポーター菊島伊久栄訳『少女ポリアンナ』1986偕成社
・エレノアポ-ター菊島伊久栄訳『ポリアンナの青春』1986偕成社
・司馬遼太郎『空海の風景 上下』1975中公文庫
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ぽかぽか春庭「春の日常茶飯事」

2014-04-27 04:21:34 | エッセイ、コラム
2014/04/27
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記4月(5)春の日常茶飯事

 4月26日土曜日。朝、8時半起床。いつもは5時起きだから、ふとんの中でごろごろできる朝はとっても快適。娘が起きてきて朝ごはん食べているようすを聞きながら、ふとんの中で朝刊を読む。1時間ほどごろごろ。
 娘は身支度をして、「東急ハンズの手作りコーナーに行く」と、出かけて行きました。子供の頃から、毎年ゴールデンウィークに開催される東急ハンズの「手作り工芸フェア」に出かけて行って、作り上げた品を、母の日のプレゼントにするのが恒例になっています。

 10時から片付けごと開始。洗濯機を回し、1週間分の洗濯。毎週火曜日と土曜日に洗濯するのに、今週は火曜日にできなかったから、山のような洗濯物。洗濯機を4回回しました。その間に同時進行で風呂場の掃除。壁にカビ取り剤の泡を吹付け、排水口をきれいにする。なぜかというと、27日に「雑排水管清掃」というのに立ち会わなければならず、ひごろ汚いままつかっている風呂場だけれど、排水管清掃の人に「こんなきたない風呂場に入るのはいやです」と言われないくらいにはきれいにしなければなりません。
 風呂洗いが息子の担当になって以来、息子は浴槽しか洗わず、風呂場全般はほったらかしなので、汚れもたまってきます。

 いつもは、風呂場と古新聞の片付けは息子の担当で、私は茶碗洗いなのだけれど、今日は茶碗洗いが息子。私は古新聞を紙袋に入れてドアの外に出す。毎月やればそう手間でもないのに、今回も紙袋4袋分溜まっていました。息子の茶碗洗いは12時半まで2時間半かかりました。
 息子は、洗い終わると「図書館へ行く」と、出かけて行きました。息子が茶碗だけ洗って鍋とフライパンを洗い残したので、それを洗いながら「花子とアン」のビデオ録画を見て、雑排水管清掃の人を待っていました。

 2時ごろ清掃の人がきて、風呂の排水管と台所の排水管に長い管を通して「詰まっている箇所はありません」と言っておわり。全部で15分くらい。もっとかかるのかと思っていたので、時間ができ、夕食用の豚汁を作ってカリフラワーを茹でました。

 ミサイルママに「今から文化センターに行きます」とメールして、自転車でお出かけ。中央公園は、新緑が美しい季節。
 文化センターで4時から「文化センター利用サークル友の会総会」というのがあり、決算予算の報告を聞いて、役員紹介があって、新役員を決めておわり。我がジャズダンスサークルにとって大事なのには、文化センター祭の会議日程を知ることだけ。今年は、9月にセンター祭開催。我がジャズダンスサークルは「実演の部」というのに参加します。1年1度の発表会なのです。

 5時に会議が終わって、センター休憩コーナーで、紙コップのコーヒー片手に、ミサイルママとおしゃべりタイム。ミサイルママのもうひとつの趣味、登山の今年の計画、ゴールデンウイークには戸隠山に登る予定、夏休みにはまたアルプスへテント担いでいく予定など聞きました。

 ふたりとも登山家冠松次郎さんの写真展を見て感激したという話をしたのですが、話が少しずれているので確認したら、私は東京都写真美術館で開催された「黒部と槍 冠松次郎と穂苅三寿雄」を見たのに対し、ミサイルママは飛鳥山博物館で「岳人冠松次郎と学芸官中田俊造―戦前期における文部省山岳映画ー」を見たことを話していて、どうも微妙に食い違うなあと思ったのに、同じものを見たとふたりとも思って話していたのでした。

 お笑いのコントに、老夫婦がまったく別の話題を話しているってのがよくある。とんちんかんなやりとりであることに互いに気づかずに話していて、お互いに話しが合っていると勘違いするのがあるけれど、そのうち、私たちも、全然違うこと話していて、いっしょに笑うのかもね」と互のボケ具合を確認しました。

 私は子供の頃から無意識に行動することが多く、お金その他の紛失物が多かったのですが、ジャズダンスサークルの仲間たちも、近頃「あれがない、これが見つからない」と言うことが増えた、とミサイルママの報告。あらら、時代が私に追いついてきたのね。あ、ちょっと違うか。

 うちに帰ったら6時半。娘が帰宅していて、東急ハンズで作ったものをにぎやかに披露していました。自分用には貝殻のペンダント。弟くんに銀のストラップヘッド。おばあちゃんに金箔の切り紙細工を施した小物入れ。
 手作りコーナー三つ回って、6時間の作業。生まれて初めて金箔を切って貼り付けるという作業をして、「楽しかった」と言っていました。桜と流水文様のとてもきれな小箱です。でも、「母のための革細工は5月5日の予約なの」。カメラケースを作る予定なんだって。

 マグロを醤油漬けにして、息子が「野菜スライサー」でカットした大根とあわせて「大根まぐろサラダ」、豚汁と娘が作った「うな茶づけ」これで、今夜のお夕飯。「最後から二番目の恋」を笑いながら見て、今日いちにちがおわりました。

 なんの変哲もない、平凡な一日。掃除して洗濯して、友達とおしゃべりして、家族と晩御飯を食べる。
 ひごろは特に気にすることもなく過ごしているのですが、こんな「普通の日」が大切なのだと思います。旅行などの非日常は思い出に残るけれど、こういう「平凡な日」は、なんとなくすぎてしまっておわり、でも「日常生活」も残しておきたい。

 子供の頃のことはさまざまなことをよく思い出すけれど、最近のことは片端から忘れていくというのが、老人だそうなので、こんなふうに一日の出来事を書き留めておいて、「日常茶飯事」というものが、どんなふうだったか、思い出す日もくるのかと。

 まあ、これが2014年4月26日の日常茶飯事でした。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「石っこけんさん」

2014-04-26 00:00:01 | エッセイ、コラム
2014/04/26
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記4月(4)石っ子けんさん

 桜は散ったけれど、花みずきも白ぴんくが美しく、紫もくれんも華やかっです。水曜日に郊外の大学に出講するとき、スクールバスの道すじでは、畑の菜の花が黄色い絨毯になって咲いていました。

 花を見るのも絵を見るのも楽しい。
 西洋画では、花は美しさの表現であるよりも、「どんな美しい花も、やがて枯れ果てて散る」という「はかなく消えゆくもの」の象徴として描かれていると教わりました。果物も、瑞々しかった皮もしぼみ、熟れた実も果肉は崩れ腐ちていく。テーブルいっぱいにのせられた花と果物の静物画は、実は「怖い絵」なのだ、と、『「怖い絵」で人間を読む』を読んでいて、若桑みどり先生に西洋美術史講義を受けたことを思い出しました。

アンリ・ファンタン=ラトゥール「花と果物、ワイン容れのある静物」西洋美術館蔵


 一方、石は、永遠に変わらないものの象徴になります。日本の古事記でも、石長比売ではなく木花之佐久夜毘売を妻として選んだために、人間の寿命が石のように永遠ではなく花のようにはかないものとなった、という物語が書かれています。

 石と花。仕事帰りに見てきました。
 4月24日、上野へ行き科学博物館の「石の世界と宮沢賢治」
https://www.kahaku.go.jp/event/2014/04kenji/



 宮沢賢治は地域の地質調査を行うなど、地学研究者としても成果を残しています。宮沢賢治らの書き残した地質図が近年発見され、高く評価されたのだそうです。
 宮沢賢治は、子供の頃から石を拾い集めるのが好きで、「石っ子けんさん」とあだ名されていました。
 今回の科学博物館企画展では、賢治が知識の源泉とした鉱物学の本や、賢治が作成した鉱物の薄片標本などが展示されていました。薄片標本は、たったひとつが奇跡的にのこっていたのだそうです。賢治の母校、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)本館(現農業教育資料館)に保存されています。この本館は1994に重要文化財に指定された近代建築のひとつですから、岩手に行ったらぜひ見学したいと思っています。

 賢治文学には、鉱物の名前や地質の学術用語が展示されていました。
 賢治の詩や童話の中に出てくる鉱物名や地学のことばは、文体に大きな魅力を与えています。加藤碵一「賢治と鉱物」2011工作社も、そのうちぜひ読んでみたいです。

 石集めが大好きで石を拾ってすごした宮沢賢治に対し、私は子供のころ、石にはあまり興味がなかったのです。利根川の川原できれいな石を拾い集めるのはやりましたが、それはあくまで「きれい」が基準で、みた目が綺麗でない石には興味がなかったのです。

 石に興味を持つようになったのは、娘が化石好きになり、化石掘りを目的として「日曜地学ハイキング」に参加するようになってからです。地層の解説や石の説明を聞いているうちに、石のおもしろさもわかってきました。

 「石の世界と宮沢賢治」展には、賢治の持っていたのと同じ時代の鉱物標本箱などが展示してありました。地球の46億年の成り立ちに思いをはせながら、科学博物館を出ました。にぎやかに見学していた修学旅行生も5時の閉館でいなくなり、私はとなりの西洋美術館に移動。閉館までの30分だけですが、ささっと常設館を歩きました。新蔵の絵もあったし、「はかない美」の象徴としての女性像や花の絵を見て回りました。

 「いつかは朽ち果てる美」である花や女性の姿は、一瞬のきらめきなのかもしれませんが、その一瞬に魅力があります。ゴッホの薔薇の絵も、モネの睡蓮の絵も、とても美しい。印象派以後の画家たちは、なんの気兼ねもなく美しいから花を描いたのでしょうけれど、教会の権威に従って生きた近代以前の画家だって、やはり美しい対象を美しいものとして描きたかったのだろうと思います。絵の注文主たちも、教会の教えによって「朽ちるものとしての花と実と女性美」と口実はもうけても、実際は、この一瞬の美しさを愛でるために絵を壁にかけたにちがいない。

 節理をなしている石や結晶構造の石、磨くときらめきをみせる宝石類。永遠の美をほこる石、一瞬の美を輝かせる花。どっちも美しいけれど、プレゼントしてくださるというのなら、石のいちばん硬いやつを。10カラットほどの大きさで。 

<つづく>
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ぽかぽか春庭「老いの行く末、2045年」

2014-04-24 01:00:01 | エッセイ、コラム
2014/04/24
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記4月(3)老いの行く末2045年

 認知症高齢者の映画について、そして我が家の高齢化問題についてのお話をしました。私が住んでいる区は、23区で一番高齢化率が高いらしい。65歳以上の老年人口比率は25%で、つまり、街で見かける人の4人にひとりは高齢者。どっちを向いてもバーさんばっかり。自分もバーさんなんだけれど、それにしても婆さんだらけだと思います。

 今日も仕事帰りのバスで。「このバス、どこへ行きますか」と聞かれたので「車庫行きです」と答えると、「あれ?土手へは行きませんか」「ええ、行かないとおもいますが、運転手さんに確かめましょうか」というとおばあさんは、運転手にもういちど「このバスで土手にいきますか」「いいえ、行きませんよ。土手へ行くなら、ここで降りて乗り換えてください」と、運転手さんが言っても、まだ納得できずに「土手へ行きたいので、乗ったのに。雨も降ってきたのに」と、このバスが土手にいかないのは納得がいかない、というふうに怒っていました。

 家に帰ると娘が「母は、自分のパジャマが風の強い日に飛んでいってなくなっちゃった、だれかが拾ったとしても、捨てられちゃうだろうとか、怒っていたけれど、そこのハンガーにかかっているじゃない。母はね、すぐ風のせいだとかだれだれのせいだとか、言うけれど、自分が悪いのに認めようとしないんだから」と、怒っています。
 ほんとよく調べもせず探しもせず、ものがなくなったと思うとだれかのせいにしたり、自分の責任ではないと思いたがるのは、きっと私が年をとったしょうこなのでしょう。

 一日いちにちと老いていく。その現実はわかっているつもりなのに、自分の老いとはなかなか向き合えない。
 いつか、私も「このバスが土手にいかないのは、このバスが悪いからだ」と、プンプン怒るようになるのだろう。バックの中に鍵が入っていないのは、だれかが隠したからだとか言うのかもしれない。財布が見当たらないのは、電車の中ですられたに違いないとか。

 白髪やシワが増えていくことは納得しているつもりなのに、精神の老いはなかなか自覚できません。このブログにも、擦り切れたレコードのように、何度も繰り返して同じことを書くことかと思います。おっとレコードなどすり切れることもなくなりました。CDだって録音媒体としてもう古いのだから。

 2045年には、人間の脳の容量以上のビットを備えたコンピュータも登場するのだそうです。人間以上に賢いコンピュータに出会ってみたい気もするけれど、2045年には、私の脳のほうが擦り切れているかもしれず。
 SF小説の中の話だと思ったことが、もうまもなく現実になる。
 人間より賢いコンピュータが出現したら、2045年の私は、すぐさま支配下におかれてしまうだろうなあ。今だってすりきれた脳なんだから。はい、今日も同じことをくりかえし言う愚痴でした。 

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ペコロスの母に会いにいく」

2014-04-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
2014/04/22
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記4月(2)ペコロスの母に会いにいく

 4月21日月曜日、仕事帰りに映画を見てきました。映画館はいつもの飯田橋ギンレイホール。2本だてのうちのひとつは、『ペコロスの母に会いにいく』です。

 出講先のエントランスホールに「大学生に新聞を無料配布するキャンペーン」の新聞が各社置いてあります。留学生センターのエントランス。日本語上級の留学生は手に取りますが、授業終了時間になっても、さほど新聞の山は減っていません。留学生にとって漢字がいっぱい並んでいる日本語の新聞は、なかなか手ごわいものです。

 夜になって余っている新聞は処理されてしまうだろうと思うので、帰り際に1部2部もらっていきます。家でとっていないのを選ぶので、21日は、毎日と東京をカバンにいれました。毎日に私の好きな西原理恵子の「毎日かあさん」が連載されているのは知っていたけれど、今話題の、「続ペコロスの母に会いにいく」が東京新聞に、毎週月曜日連載になっているとは、知りませんでした。自費出版から単行本刊行となって、大ヒットしたことは知っていましたが、実際に連載中の漫画を見たのは、はじめてです。

 21日の作は、入所先に見舞いにきた息子ユーイチが、発語がなくなってきた母に、言葉がけをするようすを描いていました。まだ若かった母が、幼い息子に「生きとこうで(生きていこう)」ということばをつぶやく。
 幼い心を励ましたそのことばを、こんどは息子が母に「一日でも長くいきとこうで」と、おかえしする。母はそれを聞いて、「あ、あ、あ、、、」と発語する。息子の思いが伝わったのでしょうね。

 それで、21日の仕事帰りの電車の中で「そうだ、ギンレイで映画やっているから見ておこう」と、思い立ちました。2013年にNHKでドラマになったときは、見逃していました。
 この映画が初主演作となる赤木春恵 (1924- )は、クランクイン時で86歳で、「初主演」としては世界最高齢。ギネスブックに登録されたそうです。現在は90歳。また、監督の森崎東(1927-)も、現在86歳。

 あたたかい笑いや長崎ランタン祭の華麗な画面に彩られて、とてもいい映画になっていました。キネマ旬報2013ベストワンというのもうなずけます。原作者の岡野雄一も森崎東も、ペコロス役の岩松了も長崎出身です。長崎の町の今昔を映画を通して知ることもできました。

 主人公は、ペコロス(ミニ玉ねぎ)という筆名のとおり、ペコロスの形のままの「ハゲチャビン」頭。ペコロスさんのお母さんみつえさんは、息子と他の人の区別がつかないくらい認知症がすすんできましたが、ペコロス頭をなでると、「おお、ユーイチか」と、息子を思い出すのです。

 幼い頃の父との思い出が、回想シーンとなっています。泥酔してなけなし月給袋の中身を全部なくしてしまうようなダメおやじでしたが、ユーイチはそんな父が大好きでした。息子には母親が夫のダメぶりにいやけがさしているように見えましたが、心の中では慕う気持ちが残っていたようで、ボケればボケるほど、夫の姿が蘇ってくるようす。
 長崎ピカドンの原爆症でなくなった幼馴染を思い出すことも多いけれど、息子や孫のことはしょっちゅう忘れてしまう。

 認知症がすすみ、自宅での介護が無理になって、介護施設に入居した母に、息子はせっせと会いにいきます。施設の熱心な職員と、入居者たちのようすも映画に出てきますが、介護はほんとうにたいへんな仕事ということがわかります。
 たぶん、みつえさんは、自分が主人公になっている映画を見ても、もうわからないのかもしれません。でも、なつかしい長崎の光景を見て「あ、あ、あ、、、」と発語していたらいいな。
 「一日でも長くいきとこうで」と、感じてくれますように。

 さて、我が家の89歳姑、「卒寿の祝いに連れて行ってもらいたい店がきまった」と、夫に言ったそうです。
 姑は、自ら「一日でも長生きしたい」と、宣言している1925年生まれ。来年卒寿ですが、米寿祝いの年に体調不良が続き、祝い事をする状態ではありませんでした。それで、少しは体調がよくなってきた89歳の今年に、卒寿を前倒しでやろうということになりました。夫から「祝いの席を決めなくちゃ」と言われていたのですが、どこがいいのやら、足が悪くなっているから、電車に乗ったり遠出は無理。家族だけの卒寿祝いだから、小さな店でいいから、おいしいところ、など、条件はなかなか厳しい。私も決めかねていました。

 それが、夫が姑の買い物散歩に付き添って緑道を歩いていたとき、緑道沿いの小さな店を見つけて、「ここで、食べてみたい」と言い出した、というのです。20年前にできた最寄り駅近くのイタリアンの店なのですが、これまで姑とイタリアンの店が結びつかず、店の候補になっていなかったのです。

 姑は、舅や舅の親族たちといっしょに何度かヨーロッパ旅行に出かけており、「ツアー中の食事が口にあわず、欧州旅行に出るたびに痩せて帰った」という思い出を、何度もきかされていました。それで洋食はダメなのだと思い込んでいました。
 しかし、駅前のフレンチレストランに誘ってみたところ、すっかり気に入り、何度もでかけ、今年の誕生日もフレンチで。ヨーロッパの食事は口に合わなかったけれど、東京の洋食はおいしいのだと納得して、こんどはイタリアンレストランに挑戦してみようという気になったのでしょう。

 姑が元気で一人暮らししているうちは、姑の家にめったに寄り付かなかった夫でしたが、米寿の夏に体調を崩してからは、姑宅にこまめに顔をだすようになりました。娘は病院や買い物の付き添い、息子は、「蛍光灯の取り替え」や、「新聞をまとめて資源ゴミに出す」係など、分担しておばあちゃんの家に行きますが、娘が嘆くに「私がばあちゃんの晩御飯作るとね。おばあちゃんは、これ、あのこに食べさせたい、と言って、取り置きしようとするんだよ。私はおばあちゃんのために晩ごはん作っているのに、おばあちゃんは、自分が食べるよりも、チチに食べさせたいって。どんだけ息子がかわいいのやら」と。

 夫は、このところ、一日おきくらいに通い、土曜日の夜は泊まります。それでも、「ばあちゃんちに泊まると、よく寝られないから、翌日の仕事にさしさわる」と、同居するつもりはないのです。まあ、通いの息子でも、実娘を15年も前に亡くしている姑にとっては、誰よりかわいい長男です。
 夫は、おばあちゃんの爪切りをしてあげるなど、これまでになく親孝行をしているので、感心感心。これまでこんなに親孝行なんだと思ったことがありませんでした。いつも仕事しごと、ばかりで家族を無視して暮らしてきた夫だったので。

 でも、夫の親孝行ぶりを見ていると、きっと我が息子くんも、私が年取ったら親孝行してくれるんじゃないかという気になります。娘が言うことに「父と弟くんは、ものの考え方とか行動がすごく似ているところがあって、ほんと、遺伝子ってこわいなあと思う」のだそうで。
 夫は家によりつかず、息子は「父の背中」なんぞ見たこともなく育ったのに、「思考回路が同じ」というのも、DNAのなせるわざか。

 ペコロスさんが、寝たきりになった母の頬をなでて「生きとこうで」と、呼びかける漫画を見ていて、ぼけ老人になった私に、我が息子も「一日でも長く生きて」と言ってくれるかしら、と思います、、、、、しかし、、、、、親孝行思考回路が私の方の遺伝子を受け継いでしまったら、「そう、いつまでもがんばらんで、そろそろご先祖様にむかえにきてもらってもええのんちゃうかい」と、言う可能性も、大です。

 とりあえず、卒寿祝いの準備、がんばります。

<つづく> 
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ぽかぽか春庭「街角コンサート古箏&アルパ」

2014-04-21 23:59:56 | エッセイ、コラム
2014/04/22
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記4月(1)街角コンサート古箏&アルパ

 4月20日、日曜日に王子駅前にある北トピアつつじホールに行きました。北区が実施してきた「まちかどコンサート」が200回に達したのを記念するコンサートです。通常は50名ほどの人が入れる区民館ふれあい館などで、遠出しなくても音楽に身近に親しむというイベントなのですが、今回は200回記念なので400名収容で音響もよいホールでの、13時から16時までの拡大コンサート。しかも、通常のまちかどコンサートと同じく無料。
 無料大好きの春庭は、ジャズダンス仲間のKozさんとお出かけしてきました。



 どうしても聞きたかったのは、第一部13:00から14:00の伍芳(ウーファン)の中国古箏の演奏です。前回伍芳の古箏を聞いたのは、2007年のこと。もう7年も前のことになります。伍芳は、友人の教え子の妹さんという縁で、友人にコンサートチケットやCDをいただいたので、聞きに行ったのです。
 http://hal-niwa.blog.ocn.ne.jp/blog/2007/11/post_90a8.html

 今回の伍芳さんの演奏もとてもすばらしかったです。そして、7年の間に、演奏はもともとすばらしかったですが、伍芳さんの日本語もとても上達していました。なめらかに曲目紹介をしながら、自作の曲、日本の歌などを弾きました。
 自作曲は、河の流れが目に浮かんでくる翡翠河、雲南省少数民族の水かけ祭に想を得たという撥水節、桜のトンネルなど。夜来香や竹田の子守唄、桑田佳祐「花咲く旅路」松任谷由実「春よ来い」など、古箏の響きの美しさを十分に発揮したすてきな演奏でした。

伍芳演奏 桑田佳祐作曲「花咲く旅路」
https://www.youtube.com/watch?v=6nXuBksyK-0

 第2部はレ・クロッシュという若い兄妹デュオの演奏。兄がチェロ、妹がピアノの宇宿兄妹です。エルガー「朝のあいさつ」メンデルスゾーン「歌のつばさに」サンサーンス「白鳥」などのおなじみの曲のほか、Rシュトラウス「ピアノとチェロのためのソナタ第1楽章」などはじめて聴く曲もありました。幼い時に父親の仕事によってフランスに住みフランスで音楽教育を受けたそうで、教会の鐘の音に親しんで育ったことから、デュオの名をレ・クロッシュ=鐘と、名付けたそうです。兄と妹の息ピッタリの若々しい演奏でした。

 第3部は、南米のハープ、アルパのトリオ。ルシア塩満トリオ(アルパ:ルシア塩満、ケーナ&サンポーニャ、ギター菱本幸二、高橋マサヒロ。
 カスカーダ(滝)、コンドルは飛んでいくなどの南米の曲のほか、日本の歌「また君に恋してる」、ベネズエラの曲「コーヒールンバ」など。

 コーヒールンバは「ベネズエラの曲なのに、日本ではなぜか、むかしアラブのえらいおぼうさんが、と歌われています」という紹介がありました。コーヒーの原産地はエチオピアなので、私もアラブのえらいお坊さんになんの違和感も持たずに歌っていました。
 1958年、ベネズエラの作曲家ホセ・マンソ・ペローニ(Jose Manzo Perroni)が、コーヒー豆を挽くときの歌をイメージして作りました。日本の粉挽き歌みたいなものだったのかな。

 しかも、リズムはルンバではなく、アルパ独特のオルキデアというリズム。私は西田佐知子の歌を聞いて育ちましたが、井上陽水のカバーも好き。カラオケでもよく歌います。
 アルパの演奏中もつい口ずさみたくなりました。

 帰りは、Kozさんとお茶飲みながら感想を語りあいました。古箏もアルパも私は撥弦楽器の音色が好きなので、楽しいひとときでした。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「コラムタイトルの由来」

2014-04-20 07:00:45 | エッセイ、コラム
2014/04/18
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>私の舟に載せる(4)番外編・コラムタイトルの由来

 春庭gooブログのタイトル「日常茶飯事典」は山本夏彦のエッセイ集「日常茶飯事」にあやかってのこと、と申し上げたので、ことのついでに、あやかりの元ネタを並べておきます。「日常茶飯辞典」には、日常のあれこれの出来事をメモしておきます。

 まず、ブログネーム春庭とは。江戸時代後期の国学者、本居春庭(1763-1828)にあやかっています。本居春庭は、本居宣長の長男で、30代で失明。本居家の家督は養子の本居大平が継承することとなりました。宣長は、自著の口述筆記を、幼い時から春庭に書かせており、春庭も国学、とくに動詞の活用研究にすぐれた業績を残しました。
 失明という逆境、家督を告げなかった無念をものともせず、国学大成に励んだ春庭にあやかりたいと、修士論文に自動詞他動詞の研究を選んだときに、ブログネームとして春庭を選びました。

 「ぽかぽか春庭」は、暖かい春の感じと、「おつむが少々アタタカい、何をやってもポカばかり」の私の謙譲表現です。私の書くものが、だれかの心をぽかぽかに温めるものであればいいなあと願ってというポジティブな考えも書いておきましょう。

 「カフェ・ら・パンセソバージュ」は、レヴィストロースの「野生の思考(La Pensee sauvage ラ・パンセソバージュ)」にあやかっています。gooブログがもとは「OCNカフェブログ」だったので、人々が「野生の思考」を持ち寄るカフェ、の意味を含んでのことです。最初に考えたのは、「カフェ・ら・パンセソバージュ・パーマネント」でした。ヘアスタイル用語のソバージュパーマネントウエーブ=アフリカ系の人に多い、ちりちりもじゃもじゃのヘアスタイルと、「野生の永遠」の掛詞のつもりでしたが、パーマネントをとりました。

 コラムのサブタイトル。
 「ことばのYa!ちまた」は、本居春庭の著作『詞八衢ことばのやちまた』(1806年本居春庭44歳で出版した動詞活用論)にあやかり、ぽかぽか春庭が巷(ちまた)で気になったことばのあれこれについて、Ya!そうだったのか、と、おもしろく感じたことを書いています。

 春庭ブックスタンドは、読んだ本のタイトルと著者名を記録しておくだけのメモ。春庭感激観劇日記は、映画や演劇の鑑賞記録メモ。春庭@アート散歩は、博物館美術館、建築などのの見学記です。

 最後に「食べ放題インターナショナル」は、「東京近辺の教え子の国の料理を食べ歩く」という講師仲間との食べ歩き記録。東京にはさまざまなエスニック料理の店があり、食の世界旅行ができます。たとえばカレーの店だけでも、「南インドカレー」「ネパールカレー「パキスタンカレー」」「スリランカカレー」など、さまざま。それらの店の味を紹介する記事にしたいと思ったのですが、レストラン紹介ブログが山のようにあるのに、春庭のエスニックめぐり、このところ停滞しているので、更新が途絶えています。
 食べ歩きの目標としている「春庭が出会った留学生の国一覧」を再掲載しておきます。

東アジア東南アジア:
韓国・中国・台湾・モンゴル・ベトナム・ラオス・ミャンマー・カンボジア・タイ・マレーシア・シンガポール・フィリピン・ブルネイ・インドネシア

南アジア西アジア:
ネパール・インド・バングラディシュ・スリランカ・パキスタン・アゼルバイジャン・ウズベキスタン・タジキスタン・イラン・イラク・シリア・ヨルダン・レバノン・イスラエル・パレスチナ・トルコ・サウジアラビア・アラブ首長国連邦・クエート・オマーン

ヨーロッパ:
ロシア・ウクライナ・ラトビア・リトアニア・フィンランド・スエーデン・ノルエー・ドイツ・ベルギー・オランダ・ポーランド・ブルガリア・クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニア・スロバキア・チェコ・ギリシア・スイス・イタリア・フランス・スペイン・ポルトガル・イギリス・アイルランド

アフリカ:
エジプト・リビア・チュニジア・アルジェリア・モロッコ・セネガル・モーリタニア・シオラレオネ・ガーナ・ナイジェリア・カメルーン・スーダン・ケニア・モザンビーク・南アフリカ

アメリカ:
カナダ・アメリカ・メキシコ・ドミニカ共和国・キューバ・ハイチ・グァテマラ・コスタリカ・パナマ・エクアドル・ニカラグア・ベネズエラ・コロンビア・ブラジル・チリ・ペルー・パラグァイ・ウルグァイ・アルゼンチン

オセアニア:
オーストラリア・ニュージーランド・サモア・パプアニューギニア・ソロモン・パラオ

 全部の国の料理、全部食べてみたいと願っています。
 今期受け持つ、5つの大学6つのクラスに在籍している留学生の国。台湾、中国、ベトナム、タイ、インドネシア、ネパール、ケニア、南アフリカ、アメリカ、メキシコ、ドミニカ共和国、エクアドル、グァテマラ、フィンランド、ポーランド、ドイツ、スイス、スペイン、フランス。
 今期ひさしぶりに南アフリカとケニアの学生に会ったので楽しみです。

 では、こちらもひさしぶりに、春庭テーマソング「食べ放題インターナショナル」を掲載します。
 ユーチューブに初音ミクが歌う「インターナショナル琉球方言バージョンがあったので、載せておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=EvqJNXgr7HU

春庭テーマソング「食べ放題インターナショナル」
♪起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し
食えよ我が腹へと 暁(あかつき)は来ぬ
忘却の鎖 断つ日 肌は血に燃えて
海を隔てつ我等 腕(かいな)結びゆく
いざ起ち食わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの
♪いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの♪

聞け我等が雄たけび 天地轟きて
脂肪越ゆる我が腹 行く手を守る
満腹の壁破りて 固き我が腕(かいな)
今ぞ高く掲げん 我が勝利の旗
いざ起ち食わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの
♪いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの♪

<番外編おわり>
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ぽかぽか春庭「明治人に匹儔せざる我、勃如として企及すべし」

2014-04-19 07:36:03 | エッセイ、コラム
2014/04/17
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>私の舟に載せる(3)明治人に匹儔せざる我、勃如として企及すべし

 明治人たちの使用語彙。現代に生きる私には理解できない語彙もあり、理解語彙ではあるけれど、使用語彙ではない、という語も多い。
 前回は、明治の語彙に強かった山本夏彦の使用語彙のうち、私には意味がわからなかった語を取り上げてみました。今回は、渋沢栄一(1840-1931)の本から、私には意味不明だった語をプックアップしてみます。

 渋沢栄一は明治から昭和まで政治経済に大きな足跡を残した人です。飛鳥山公園に渋沢史料館があるので、折に触れて業績を知るようにしています。政治に関わっても権力とは一線を画し。経済に関わっても社会福祉のために力を使ったという、渋沢の心の基礎を作ったのは『論語』
 『論語と算盤』は、経済活動に『論語』の精神を生かした渋沢栄一の訓話をまとめた本です。

 『論語』からの引用が多いので、漢文をきちんと学ばなかった私にはわからない語が多いのは当然ですが、漢籍が素養の原点であった明治人の訓話に、どれくらい「私の理解語彙ではない語」があるのか、チェックしてみました。
 『論語と算盤』の文庫版(角川2008初版)の最初の章「処世と信条」だけで、知らない語や私は使わない語がぞろぞろ出てきました。

p31「逸居」暖衣逸居という四字熟語で出てきたので意味はわかるけれど、暖衣飽食の四字熟語は使うけれど、暖衣逸居をつかったことはありませんでした。
p32「循吏」法に従い、人民をよくおさめた役人(大修館大漢和)  
p36「縲紲るいせつ=縲絏」「縲」は罪人を縛る黒なわ。「絏」「紲」はなわ、または、つなぐ意》罪人として捕らわれること。(デジタル大辞泉)
p39「企及ききゅう=跂及」努力して追いつくこと。肩を並べること(岩波国語)
p39「匹儔ひっちゅう」匹敵するほどのもの(岩波国語)
p45「勃如ぼつじょ」むっとして顔色を変えるさま(大辞林)

 最初の章だけでも、わからない語がこんなにありました。渋沢栄一の訓話ということは、これを耳で聞かされた明治の人たち、意味がわかって受け止めたのか、少なくとも渋沢栄一はこれらの語を用いて語るとき、聞いている人たちが当然これらの語を理解していると信じて語っていたのだろうと思います。漢典の教養を失っている我らには、遠い世界の気がします。

 「明治人に匹儔せざる我、勃如として企及すべし」とは念ずれど、たぶん、追いつけないんじゃないかな。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「日常茶飯事の揖譲」

2014-04-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
2014/04/17
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>私の舟に載せる(2)日常茶飯事の揖譲

 一般的な卓上小型辞書、三省堂国語辞典とか岩波国語辞典などには、7~8万語の日本語が搭載されています。
 職業訓練として春休みとか夏休みなどに、辞書を1ページめから最後のページまで眺めて、知らない語があるかどうかチェックしたことがあります。7万語レベルの辞書だと、知らない語はあまりない、という状態になったのですが、漢和辞典や広辞苑、大辞林などの大型辞書だとまだまだ知らない語があるし、20巻(初版)の小学館国語大辞典だと、全部読み通したことすらありません。

 江戸期の日本語、江戸言葉を知るのに、松村明『江戸ことば・東京ことば』は役立つし、それぞれの専門用語を知るために、『建築用語』とか『遊里ことば集』などを眺めることも。

 山本夏彦の『文語』の中に出てくる、明治期の語彙をチェックしたことがありました。露伴鴎外漱石など、その基本的な素養が漢籍である世代から、大正昭和と時代が下ると、理解語彙使用語彙が変化してきます。現代において、明治時代に通用していた語彙がどれくらい使われているか、を知るのに、山本のエッセイはとてもよい資料です。

 山本夏彦(1915-2002)は、大正4年の生まれですが、父親の蔵書(ほとんどが明治期の出版物)を読んで育ったので、「今時の若者にはわからない」という語彙をエッセイ中に用いることがあるのです。そして、「ああ、うちの社員、才媛と呼ばれているのに、こんな熟語も知らない」と嘆く。たとえば「神妙」という語を才媛は知らぬ」と、嘆く。昔は、子供でもチャンバラ好きなら、「神妙に勝負しろ」とか、「御用、御用、神妙にせい」などのセリフを知らない者はいなかった、と。(『日常茶飯事』p20)

 山本夏彦の『文語文』を中心とする「明治の語彙」については、下記にあります。
http://hal-niwa.blog.ocn.ne.jp/blog/2012/07/

 今回は、山本夏彦の『日常茶飯事』を材料とし、知らない語彙がどれくらいあるか、チェックしました。雑誌『室内』の「日常茶飯事」の連載をまとめた単行本初版は 1962(昭和37)年。私が持っている新潮文庫は2003(平成15)年。
 ちなみに、春庭のこのgooコラムのサブタイトルが「日常茶飯事典」であるのは、山本翁の随筆タイトルにあやかりたいと願ってのこと。

 さて、「揖譲」は、上記文庫のp62ページ「内と外」に出てきます。
郷にあっては神州清潔の民であり、揖譲して進退したわが同朋に、悪鬼の振舞があったとは、信じられない。」

 常用漢字ではないから「ゆうじょう」とルビがふってあります。ルビがなければ、当然読めません。はじめてみた熟語だから、意味もわかりません。「譲」は「ゆずる」だから、何かをゆずるのか、どのようにゆずるのか、意味の見当をつけて推理してみたけれど、文脈からはわかりません。

 岩波国語や三省堂国語などの小型辞書には「揖譲」は、出てきません。しかし、広辞苑には「拱手(きょうしゅ)して、へりくだること。人に会釈して譲ること」と、出ていました。出典として「論語」を上げています。

「デジタル大辞泉」によると、
ゆう‐じょう〔イフジヤウ〕【×揖譲】.
1 拱手(きょうしゅ)して、へりくだること。古代中国の作法。
2 天子の位を譲ること。禅譲。

 ほほう、今まで知らなかったことばを知って、脳細胞の縮み方が、ちょっとは抑えられた気がします。脳トレ、脳トレ。
 
 そのほか、なんとなく意味は文脈から理解できるが、私は使ったことがない語「卒そつご」
 この読み方でいいのかがおぼつかなかった「鞠躬如きっきゅうじょ」、
鞠躬如=身をかがめて、つつしみかしこまるさま。(用例)「鞠躬如として用を聞いている」〈円地・女坂〉」女坂を読んだのは40年も昔のことですが、鞠躬如なんてことばを気にもとめないで読み飛ばしたのでしょう。

 山本夏彦「日常茶飯事」の中で、以上、三語が「はじめて知った語でした。山本翁にとっては、鞠躬如も、揖譲も、ごく普通の日常茶飯に用いる程度の語彙だったのでしょう。
 春庭の「日常茶飯事典」、特にむずかしい語彙を使った覚えはないけれど、きっと今の20代の学生に読ませてみると、「知らない単語ばかり並んでいる」と、言われるのだろうと思います。

 言語学では「理解語彙=意味は理解しているが、自分では使わない語」、「使用語彙=日常的な言語生活において読み書き話すに使用している語」という区別があります。春庭も使用語彙はとぼしいものです。しかし、理解語彙をふやす努力は続けてきます。日本語のセンセにとって、日本語は商売道具ですから。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ヤバイだいがえ揖譲する」

2014-04-16 07:02:57 | エッセイ、コラム

2014/04/16
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>私の舟に載せる(1)ヤバイだいがえ揖譲する

 新しいことばを知ることは仕事の上でも必要だし、何よりも楽しいこと。
 辞書の中に新しいことばを取り入れる際、編集者たちは喧喧囂々侃々諤々だろうと思うのですが、わりあいすぐに新しい言葉を載せていく方針の辞書と、じっくり思案のところがあります。

 新しい言葉を取り入れることが多い三省堂国語辞典(三国)は、第七版に4000語もの新語を搭載しました。(第7版の収録項目数は約8万2000)、中でもネット用語「W」=あざ笑うときに使われる」を載せたことは話題になりました。「W=〔俗〕インターネットで(あざ)笑うことをあらわす文字。(21世紀になって広まった使い方)」
 私としては、次回改訂までに「W」が現代日本語として残っているのかどうか、気になります。~なう、ツイッター、つぶやく、なども搭載されました。

 学生に「辞書に載るまでは、就職の面接などでつかったらアウトだよ」と言い聞かせてきた「やばい」の褒め言葉としての使い方。
 学生は、「やばい」を若者用語褒め言葉として日常多用しています。就職面接で「御社の社風はやばいと思って志望しました」なんて言ったらだめだよ、と釘を指していたんです。しかし。

 新しもん好き三国の第七版には、従来の語釈「やばい=あぶない、まずい、だめ」の他に、3の語釈として「すばらしい。夢中になりそうであぶない。「今度の新車はやばい」3は1980年代から例があり、21世紀になって広まった言い方。」とあります。
 ついに辞書に載ったのです。就職試験で「御社の製品はいつもやばいです」と答える就活生を、面接官はどう受け止めるでしょうか。

 流行によってすぐに変化するファッション用語や食品用語も、三国第七版はどしどし取り入れています。
 私など、タイツ、スパッツ、レギンス、いつのまにやら変わって行くので、あれれと毎年思っており、未だに「ももひき」も使う。チョッキがベストに変わったと思ったら、今は「ジレ」ですと。マフラーと言わず「襟巻き」というとさすがに留学生にも通じないが。

 語釈も時代につれて変わります。第六版では「おたく=特定の趣味にのめり込んでいる <内向的な> マニア」でしたが、第七版、「オタク=特定の趣味にのめりこんで、くわしい知識を持つ人。ヲタ」
 「おお、オタがついに市民権を得た!」と、喜んでいるオタも多いことでしょう。

 御用とお急ぎでない方々は、三国新語4000語をじっくりながめて、時代と自分の言語感覚を確認するのも「脳トレ」になるんじゃないかしら。「脳トレ」は脳トレーニングの略語ですが、昨今の新語は、ネットやゲーム界から生まれることが多いですね。

 さて、ここから本題です。
 最近知る新しい言葉はなんといっても外来語がおおくなったし、若者言葉や流行語、新語などがほとんどで、古いことばを知ることはあまり多くなくなりました。
 古いことばは、どんどん使われなくなっていきます。

 また、若者の誤解による新しい使われ方もあります。たとえば、代替案(だいたいあん)は、最近の若い世代のビジネス界では「だいがえあん」と呼ばれているそうです。昨年の人気ドラマ「半沢直樹」でも、会議の席上「だいがえあんを出せ」と言っていたというので、私もこのドラマ見ていたのに、気付かなかったってことは、「だいがえあん」という言葉に違和感をもたずに、さらっと「スルーした」んだろうなあと思います。

 ネット界では「既出」を「ガイシュツ」と誤読されたと早くに知られていましたが、代替案が「だいがえあん」に誤読されていたのだとは知りませんでした。誤読による漢字読みの変化については、以前まとめて書きました。
消耗しょうこう→しょうもう 漏洩ろうせつ→ろうえい 稟議ひんぎ→りんぎ 捏造でつぞう→ねつぞう、など。
「春庭ことばの通い路」誤読から慣用読みへ
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/nipponia0502.htm

 代替案も、この誤読から慣用読みへ、という漢字読み変顔真っ最中なのです。あらま、誤変換です「へんか変化」と書こうとして、変顔になってしまいました。変顔も新語です。

 最近読んだ本の中から、私は日常生活で使っていないことばをいくつか見つけました。明治の人は使っていたのだろうとおもうことば。
 クイズです。「揖譲」とは何か。ちなみに、岩波国語辞典には載っておらず、広辞苑には載っていました。
 揖譲を日常茶飯事のことばとして使っている方、いらっしゃいましょうか。揖譲について、明日また。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「金唐紙の花 in 紙の博物館」

2014-04-15 00:00:01 | エッセイ、コラム


2014/04/15
ぽかぽか春庭@アート散歩>桜めぐりと花のアート(5)金唐紙の花in 紙の博物館

 4月5日、旧醸造試験場を見学したあとの紙の博物館見学は、1週間日延べしました。飛鳥山はものすごい人出だったので。
 4月12日には、金唐紙の復元技術者上田尚(うえだたかし1934- )のギャラリートークがあるというので、上田さんのお話も聞きたかったし。

 金唐革紙について、何度か紹介してきました。ヨーロッパで壁の内装に用いられた金唐革(きんからかわ)の技法を、江戸時代に和紙を使って再現した工芸品。革ではなく、錫などの金属箔を貼った手すき和紙に,文様を彫った版木棒を重ね凹凸をつけ,彩色してあります。江戸時代には好事家の煙草入れなどに用いられて珍重されたそうです。
 幕末から明治になると、金唐紙は欧米に輸出され、宮殿の壁紙として用いられました。「皮に見えるけれど紙で作った最高級壁紙」として人気が高かったのですが、制作に手間がかかることから値段も高く、機械製品との競争に敗れて衰退しました。戦後は後継者も途絶え、幻の紙となっていました。

 上田尚さんは、1983年から30年に渡って金唐紙の復元研究を続け、歴史的建造物の壁面修復などに携わりました。金唐革紙の復元品は、上田氏によって金唐紙と命名されました。
 私は、旧岩崎邸の壁紙を見て、はじめて金唐紙を知りました。世界に誇るべき日本の工芸品だと感じました。

金唐紙の壁紙

 今回の紙の博物館の展示は、上田尚さんの傘寿記念ということです。上田さんは金唐紙研究所を設立し、後進を育成しながら、1987年、日本郵船小樽支店の壁面修復して以後、呉市の入船山記念館、神戸の移情閣などの壁紙制作にあたりました。

 写真だと凹凸がわかりにくいので、美しさが半減してしまいます。


 4月12日には、14時と15時の2回、上田さんのギャラリートークがありました。私は14時の回のトークをきいたあと、会場内のビデオコーナーで「金唐紙制作の工程」のビデオを見ているうちに15時の回が始まったので、同じお話でも聞く価値あると思ってもう一度きくことにしました。1回目は一般見学者が多かったので金唐紙を説明する一般的なお話が多かったのですが、2回目は1回目も聞いた客のほか関係者が多かったということで、またちがうお話を聞くことができました。



 作品制作にかかわる裏話や苦労話、これからの作品への意欲など、80歳の上田さんが熱意を込めてお話になるのをうかがいました。
 作品のもとになる版木ロールは、紙の博物館に所蔵されているものを使うほか、新たに彫刻を行うこともあるのだそうです。しかし、新たな版木は、ロール一本制作するのに500万円かかるそうで、博物館所蔵の117本のロールの中から選ぶほうが多いとのこと。

 同じ版木を使っても、彩色によって全然違う作品に見えます。 
 会場に展示されている金唐紙はどれも、華麗、荘厳。特に、傘寿を前に昨年制作された「田園風景」という作品。とても見事でした。

 会場にはお弟子さんの池田和広(1972-)さんがおられて、パンフレットを見学者に配ったりお手伝いをされていましたが、2回目のトークでは上田さんに話をふられて、後継者としての抱負を述べていました。

 博物館のミュージアムグッズ売り場で売られている金唐紙のしおりや小物入れなどを購入すると、上田尚さんがサインをしてくれるというアナウンスがあり、見学者たちは、買い求めた作品にサインをしてもらっていました。横3センチ、縦12センチという大きさのしおりが1枚1500円だったかな。ほしいなあとしばし悩みましたが、1枚100円の金唐紙絵葉書を買いました。絵葉書ではサインはしてもらえないけれど。
 この大きさのしおりが1500円なら、壁一面に貼ったら数千万円になるというのもうなずけます。

 制作過程がわかる展示もありました。錫箔にワニスを塗って金色をだしていることが多く、本物の金箔を使うこともあるけれど、制作費が莫大になるし、錫箔のほうがかえって金色が深いというお話でした。銀箔もあるそうです。



 我が家の壁を金唐紙にすることは一生無理ですが、せめてしおりくらいはためらわずに買えるようになりたいわぁ。

 4月12日土曜日の飛鳥山公園。ソメイヨシノは散ってしまい、葉桜になる前の、赤い萼が残っている状態です。しかし、ソメイヨシノより遅く開花する八重桜、里桜、鬱金桜などが盛りで、5日ほどではないですが、花見客の宴会シートも広げられていました。

 鬱金桜。うっすら緑色を帯びた桜です。

 
 飛鳥山公園の八重桜


 4月第3週目からは、週5日、5つの大学の6つのクラスで、留学生への日本語教育、日本人学生への日本語学、日本語教育学など5種類の授業を担当する日々が続きます。
 美しいものを見て目の保養をした日々に別れを告げ、脳と体力を消耗する日々へ。大丈夫、たっぷり心に栄養補給ができたから、、、、。あ、心だけでなく、体への栄養補給がたっぷりすぎたようで、どうにも動きがにぶいです、、、、。 
 
<おわり>
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ぽかぽか春庭「富士とさくら in 山種美術館」

2014-04-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
2014/04/13
ぽかぽか春庭@アート散歩>桜めぐりと花のアート(4)富士とさくらin山種美術館

 今期の仕事は、9日がスタート。4月8日は、春休み最後の日。ほんとうは、新学期の準備にしなければならない仕事が山のようにあるのですが、いつものように「なるようにしかならぬ」というよくいえば楽天的悪く言えば投げやりな方針によって、春の最後を楽しむ方に走りました。
 招待券をもらってあった山種美術館へ。「富士と桜と春の花」

 山種美術館の向かい側にある広尾中学校では入学式当日。例年東京は入学式には桜が散ってしまったあとになることが多かったのですが、今年は桜をバックに記念写真が撮れたのではないかと思います。

・広尾中学校入学式のさくら


 山種美術館は日本が専門の美術館です。戦前に活躍した株屋山崎種二(1893-1983)の個人コレクションを公開しています。株で儲けたら茶道具や絵画を収集したくなるのがお金持ちの倣い。こうして私のようなお金に縁のない者もよい絵を見て楽しめるのですから、文句はございません。できるなら、高齢者入館料を無料にしてほしい。

 さて、今回は世界遺産登録記念の富士の絵と桜、春の花の絵を並べています。



 富士の絵で気に入ったのは、小倉遊亀(1895-2000 105歳没)と片岡球子(1905 - 2008 103歳没)という両長寿女性画家の渾身の富士。それぞれ迫力ある富士です。小倉遊亀の「霽(は)れゆく」(1975富士ミュージアム蔵)は、大津祭の山車の幕に使われている図柄で、大津の人にはなじみの富士。雨のあと、からりと晴れていく雄大な富士です。祭の気分もこの富士なら盛り上がることでしょう。

・片岡球子「めでたき富士」1991年96歳の作 東京美術倶楽部東美ミュージアム蔵


・小倉遊亀「咲き定まる」1974年79歳 山種美術館蔵


・奥村土牛「吉野」1977 山種美術館蔵


 西洋画の花も、最高傑作のいくつかは、生きとし生けるものの命の輝きや神の姿を感じさせるものがなくはないですが、多くの花は、美や若さが失われやすものだということの象徴として描かれています。また、女性を飾るアクセサリーとしてあしらわれている絵も多い。
 しかし、日本画の富士も桜も、画家たちは目の前の富士の姿、桜の姿にある神聖なものを表そうと格闘しているように感じました。
 桜はやはり特別な花だと思います。

 晩香盧の庭の桜。頭上すぐ上に枝が伸びている枝がありました。中国人女性の二人連れがやってきて、頭上の枝に飛びついて折れてしまいそうにたわめて、自分の顔の前に持ってきました。代わる代わる「美しい桜と美しい私」のショットを取り合っていました。枝が折れはしないかとハラハラしましたので 簡体字が書けなかったので「请不要触摸樱花的樹枝」と紙に書いて、彼女たちに見せました。
 係員でもない私が注意したことは、彼女らにとって不本意で「意地悪な日本人」と出会ったいやな思い出になってしまったのかもしれません。

 彼女らは、紙きれの注意書きなど気にせず、10分ほど撮影を続けました。
 枝は低くたわめられていて、花びらも散りました。彼女たちにしてみれば、枝を折ってしまったならいけないことだけれど、折れてはいないのだから、何一つ悪いことなどしていない、美しい花に顔を近づけてとるのは、ポーズとして最高のもの、私たちの勝手。
 桜をただ見るだけ愛でるだけという楽しみ方は、つまらないと感じるのかもしれません。中国の武漢市にある武漢大学キャンパスに咲く桜は、近年中国中から観光客が集まる場所になってしまい、集団で木登りをして写真を撮るわ、枝を折るわで、無残なことになっている、という中国国内ニュースを見ました。

 中国からの観光客が春の日本を楽しみに来るのは歓迎ですが、花見の楽しみ方について、文化差を知ってほしいです。中国に3度暮らした私、中国人に親しみを感じるからこそ、かれらが「マナーを心得ていない」と非難されることのないよう、願っています。
 外国人が温泉の入り方を知らないからと「外国人お断り」の看板を出したり、サッカー場に「Japaneze only」という垂れ幕をだして世界中の顰蹙を買ったりすることのないように。皆で楽しむには、銭湯のマナーも花見のマナーも互いに知り合うことが大事だと感じた今年の花見でした。「おもてなし」は、あいてを知ることあいてに知らせることから第一歩を。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「旧醸造試験場と晩香盧でのお花見」

2014-04-12 00:00:01 | エッセイ、コラム


2014/04/12
ぽかぽか春庭@アート散歩>桜めぐりと花のアート(3)旧醸造試験場と晩香盧でのお花見

 毎年桜の時期に公開される旧醸造試験場(現・酒類総合研究所赤レンガ酒造工場)。妻木頼黄(つまきよりなか1859-1916)設計のレンガ造り。今年の施設公開は4月5日。
 土曜日の王子近辺、飛鳥山公園のお花見は人ごみで桜を見るより人を見にきたようになるだろうとは思いました。しかし、4月4日の雨で飛鳥山の桜も半分散っていまい、4月6日も雨の予報。5日の土曜日しかない、というわけで、大勢の人が飛鳥山公園にシートを広げて宴会を繰り広げていました。テレビでも「8代将軍吉宗が整備した江戸時代からの花見の名所」という紹介があちこちの番組でされたということで、人々は散る桜を愛でていました。

 近所の人の「知る人ぞ知る」穴場のお花見場所が「旧醸造試験場跡地公園」です。こちらは人も少なく、家族連れがゆったりくつろいでいました。

 旧醸造試験場跡地公園の入口


 酒類総合研究所

 赤レンガ酒造工場は、1903(明治36)年、大蔵省営繕課長の妻木頼黄がドイツビール工場を手本にして建設し、1904(明治37)年より醸造試験場として使用されてきました。
 妻木は、旗本の家に生まれ、J・コンドルの弟子となって建築家になりました。妻木のライバル辰野金吾の作品は比較的多くが保存されているのに比べ、妻木作品は保存された建築が多くはありません。旧醸造研究所は、現在でも酒の研究所として醸造研修などで現役で使われている建物として貴重です。


 醸造試験場は、創立以来110年。創立100年記念に制作されたビデオを場内でゆっくり見ました。醸造研究に携わった人々のことが紹介されているビデオでした。
 経験と勘にたよる杜氏の仕事だった酒造り。味に勘は重要でしたが、勘だけでは処理できないのが醸造途中での酒の腐敗。しかし、科学的な研究によって腐敗を防ぐことができるようになり、現在ではコメや酵母の遺伝子研究までバイオテクノロジーを駆使して酒造りを行っていることなどをビデオで知ることができました。
 醸造所百年のビデオの中で、伝統の酒造り杜氏は女性を拒否してきたけれど、戦後再出発した酒類研究所は積極的に女性を研究者として採用してきたことも紹介されていました。 


 ビデオ観覧あと、試飲の列に並びました。私のうしろに並んだカップルは何年か前にこの研究所で「醸造研修生」として酒造りを学んだ人とその奥さん。見学者に試飲のコップを渡したりパンフレットを渡していた研究所の人たちは、みな「あら、○○さん」と、久しぶりらしい再会を喜んでいました。研修生研究生は、大学の醸造科などで学び、実家の酒蔵や酒造メーカーでの酒造りをめざす人などが研修研究するとのこと。

 試飲した中では大吟醸がおいしかった。ほんの一口ずつの試飲でしたが。
 おみやげに麹をもらいました。「塩麹のつくり方」もついていました。

 110年前のレンガが美しい。アーチ型の部分や丸窓の周囲のレンガは台形に形成されている珍しいもの。埼玉県深谷市にあった渋沢栄一設立のレンガ工場製品が主。


 飛鳥山へ行ったのは、「桜と晩香盧」というショットで撮影したかったのと、紙の博物館で金唐紙の展示を見たかったからですが、飛鳥山のすごい人を見て、博物館はやめにしました。普段は人も少ない博物館ですが、桜の時期は一番混むときだろうから、こんなとき見なくてもいいや、と思い1週間日延べ。
 晩香盧もすごい人出でした。

 晩香盧とさくら


<つづく>
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ぽかぽか春庭「東京近代美術館本館常設展と花見」

2014-04-10 00:00:01 | エッセイ、コラム
2014/04/10
ぽかぽか春庭@アート散歩>桜めぐりと花のアート(2)東京近代美術館本館常設展と花見

 東桔梗門から見た東京近代美術館


 今回、近代美術館の常設展でもっとも印象に残ったのは、長谷川利行の作品です。

 「カフェ・パウリスタ」長谷川利行(1891-1940)


 1911年にオープンした銀座のカフェ、パウリスタ(サンパウロっ子)。長谷川が1928(昭和3)に描いた絵です。この絵は第3回「1930年協会展」に出品されたことは記録に残っていましたが、その後行方不明となっていました。

 長谷川利行は、下町貧民街で一日中絵を描き、絵が売れるとたちまち飲んだくれて放浪。ついに1940年5月に路上で行き倒れとなり「行路病者」として東京市養育院に収容されました。治療を拒否して1940年10月胃癌で死去。病院は身寄りのない行き倒れ収容の慣例通り、持ち物のスケッチブックなどは焼却処分してしまいました。無頼の画家の49年の人生、なんとも壮絶です。

 長谷川は1931年に東京下谷区谷中初音町の下宿屋へ移転。貧乏画家や文士のたまり場となっていた下宿で、下宿代未納の末追い出されるとき、画家たちは売れない絵を「下宿代がわりに」と置いていきました。福井龍太郎の父は、長谷川の絵も3点、下宿代のかわりに受け取っていました。

 下宿屋のおやじとしては、しょうもない絵を受け取ったものの、物置に放り込んでおいて忘れてしまったのです。長谷川の絵が評価されるようになるのは、死後10年以上もたってからです。 
 2009年、下宿屋のむすこ福井龍太郎は絵に詳しい友人のすすめで、父が物置に残した絵を、テレビ番組「開運なんでも鑑定団」に出品。長谷川利行の真作で時価1800万円という鑑定を受けました。同年、近代美術館が買い取り、修復を加えて公開。

 そんな絵にまつわる「ものがたり」を知らないとしても、隣に並んでいるガスタンクを描いた「ガスタンク街道(1930年)」と、別コーナーの「新宿風景(1937)」の3点が同時に見られた今回の常設展、強烈な印象を受けました。

 足が疲れたらいつものように4階の「眺めのいい部屋」で一休み。桜のころは一段といい眺めです。


<つづく>
コメント (2)
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