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ぽかぽか春庭「2015年7月 目次」

2015-07-30 00:00:01 | エッセイ、コラム



20150730
ぽかぽか春庭>2015年7月目次

0701 ミンガラ春庭ミャンマー便り>ミャンマー事情(3)ビルマの竪琴について
0702 ミャンマー事情(4)ビルマの竪琴について その2
0704 ミャンマー事情(5)ビルマのダディンジュ祭り
0705 ミャンマー事情(6)ザ・レディ

0707 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2015十五夜満月日記7月(1)青い鳥
0708 2015十五夜満月日記7月(2)雨安居
0709 2015十五夜満月日記7月(3)水着の夏は、遠い、、、

0711 ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記7月(1)2003年の夏休み前
0712 2003三色七味日記7月(2)2003年の報道写真展
0714 2003三色七味日記7月(3)2003年のケニア同窓会
0715 2003三色七味日記7月(4)2003年のセンターポジション
0716 2003三色七味日記7月(5)2003年の一票のラブレター
0718 2003三色七味日記7月(6)2003年の中学技術科試験問題
0719 2003三色七味日記7月(7)2003年の磁力と重力の発見
0721 2003三色七味日記7月(8)2003年のボリショイサーカス
0722 2003三色七味日記7月(9)2003年のホテルハイビスカス
0723 2003三色七味日記7月(10)2003年の銀河鉄道
0725 2003三色七味日記7月(11)2003年の着ぐるみダンス

0726 ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>70年前の夏に(1)ポツダム宣言・原文と現代語訳
0728 70年前の夏に(2)私たちが受け入れたこと
0729 70年前の夏に(3)政治音痴が知りたい、一九九七年のいわゆる日中漁業協定における尖閣諸島の取り扱い、について
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ぽかぽか春庭「1997年の日中漁業協定における尖閣諸島の取り扱い、について」

2015-07-29 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150729
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>70年前の夏に(3)政治音痴が知りたい、一九九七年のいわゆる日中漁業協定における尖閣諸島の取り扱い、について

 衆議院での安保関連法案の論議は、残念ながら仕事中の国会中継だったので、生中継で見ることはできませんでした。7月27日月曜日に、前期の仕事をすべて終え、成績もつけましたので、これで前期は打ち上げ。お茶碗洗いながらそして遅めの昼ご飯を食べながら、国会中継を見ることができました。

 ひとことで言って、「唖然」でした。
 私が見たのは、小川敏夫議員(民主)、大塚耕平議員(民主)、大野元裕議員(民主)の質問に対して「国民にご理解をいただく」のとは正反対の、のらりくらりとしたはぐらかしに終始し、見ていて「質問の本旨にきちんと答えなさい」と、テレビに向かってヤジをいれたくなりました。

 私は無党派ですから、別段民主党に肩入れする気もないですが、今回の質疑では、3議員の質問はきちんと国民が知りたい点をまとめていたと思います。それに対する答弁は、首相、防衛大臣、外務大臣とも、まったく答えになっていない答弁を繰り返すのみでした。質問者は「こういう答弁をしている首相大臣なのだと、国民が理解するに足る答弁でした。国民をバカにしている」と述べていました。首相は、「中学生にもわかるようにとおっしゃるので」と、そのように答えたと、述べました。

 不詳春庭、中学生に国語を教え大学生には日本語学を教えてきて、中学生よりは幾分なりとも文章読解能力も語彙力もあるつもりですが、まったく理解不能な政府答弁の数々でした。(日本語教師だと胸張っている割にボケナスの春庭。不肖の誤変換に2018年5月15日に気づきました。上記の不詳春庭は不肖春庭です)

 首相はこれまで故意にだろうけれど、衆議院では、中国という国名を出しての答弁はしてきませんでした。
 私は医院に行っていたので、午前中の答弁は見ていなかったですが、27日午前中の質疑で、首相は、中国の南沙諸島埋め立てやガス油田開発の問題を出し、集団的自衛権により、米国との安保提携が必要との答弁を出したということでした。

 午後の質疑の中では、具体的に尖閣諸島の名が出されました。尖閣諸島について論議するなら、私はぜひ、議員さんに質問してほしいことがあります。
 1996年自民党橋本内閣時に締結された「(いわゆる)日中両国の海洋法に関する国際連合条約」と、それに付随する「外務大臣小渕恵三書簡」に関してです。

小渕書簡全文をコピーします。
~~~~~~~~~~~
  本大臣は、本日署名された日本国と中華人民共和国との間の協定に言及するとともに、次のとおり申し述べる光栄を有します。

 日本国政府は、日中両国が同協定第6条(b)の水域における海洋生物資源の維持が過度の開発によって脅かされないことを確保するために協力関係にあることを前提として、中国国民に対して、当該水域において、漁業に関する自国の関係法令を適用しないとの意向を有している。

 本大臣は、以上を申し進めるに際し、ここに閣下に向かって敬意を表します。
                       1997年11月11日東京で
                          日本国外務大臣小渕恵三

日本国駐在中華人民共和国
 特命全権大使 徐敦信閣下

~~~~~~~~~~~~~

 この日中両国が締結した国際条約および当時の外務大臣名で出された書簡によれば、日本は、「海洋生物資源の維持」ができるなら、日本の尖閣諸島周辺(北緯27度以南)の海域で中国漁民が操業していても、日本の法律を適用しない、と自民党政府が認めているのです。

 7月27日午後の質疑で、首相は「中国漁民による珊瑚密漁問題」について言及していました。もし、この珊瑚密漁が「生物資源の確保」に問題を与えるなら、首相は中国政府に対して、この条文をもとに、堂々と抗議をし、国際社会にも「国際的な条約に違反している」と、外交によって訴えるべきです。

 それをしないでこれまできたのは、北緯27度以南の中国漁船の活動を、自分たちの手で認める条約を結んできたからです。

 この条約に対する衆議院質問とその答弁が、衆議院HPの質問答弁情報にあります。
(平成24年十月二十九日提出 質問第九号 一九九七年のいわゆる日中漁業協定における尖閣諸島の取り扱い等に関する質問主意書)

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b181009.htm
 
 その答弁
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b181009.htm 

 答弁の中でも、この小渕書簡について言及され、答弁では「具体的な事例がない」と、されています。

 2015年の時点で、首相が「中国漁船が密漁により、生物資源を破壊している」と認識しているなら、まさしく「具体的な事例」があるのだから、正式な外交問題として中国政府に申し入れをすべきではないですか。
 それができないのは、上記の条文と書簡、すなわち、中国漁船が尖閣諸島近辺で操業しても、日本はそれに対して日本の法律を適用しないと、自分たちが決定したことであるからです。

 「アメリカと仲良しになれば、尖閣問題で中国ともめてもアメリカの傘の下にいて、後ろ盾になってもらえる」かもしれないと、政府が考えているなら、その前に、自分たちが決めた条約について、国民に説明し、尖閣諸島近辺の海で中国漁船が操業していても、日本側は手出しできないんです、そういうふうに中国政府と約束したから」と、説明してから、「尖閣諸島が危ないことになってもいいんですか」ということを論議してほしい。

 かく言う私も、このような日中漁業協定が取り決められていたことについては、まったく知らずに、尖閣諸島近辺の中国漁船の行いはけしからぬ、と思っていました。知ることは大切です。沖縄返還時の密約も、報道したジャーナリストを社会的に葬る形で長年隠してきました。
 原発問題も、さまざまな放射能漏れ事故があったこと、ほとんど報道されず、知らされないまま安全神話を信じてきました。一般庶民は、かくもだまされやすい。

 前回、首相が「つまびらかに読んではいない」と述べたポツダム宣言を読むところから「事実を知る」を始めました。
 毎年5月3日には憲法を文を、8月には9条を、11月3日には各章を一部ずつ読み返してきましたが、ポツダム宣言はほんとうに久しぶりに読み返したのです。

 無条件降伏を受け入れた1945年後に生まれた私たち世代にとっても、過去を考えずに目をつむっては、未来を考えることができません。

 国民は、現行憲法を受け入れ戦後社会を築き上げてきました。憲法により、主権者は一人一人の国民とされました。国家は、ひとりひとりの個人の幸せに奉仕するために存在するのであり、個人を尊重する国になりました(13条)。

 2006年、第1次安倍内閣のもと、教育基本法の改悪がなされました。
 新たな教育基本法1条では、国を支えるのに相応しい国民の育成を教育の目的とし、第2条では「国を愛する態度が教育の目標」と、されました。これは、独裁権力国家の目標です。話が逆です。国家は、国民から支えてもらえるような国を作るべきなのであり、国家が国民を抑圧しようとしたとき、それに抵抗できる信念有る国民を育てることが教育の目標です。それが、近代国家の存立基盤なのですから。

 この法改正がなされたとき、私は反対しました。1974年から教育を仕事としてきた者として、新たな条文を「つまびらかに」読んで、これはとんでもない改悪だと思いましたが、法は改悪されてしまいました。
 2006年11月28,29,30日の「春庭Annex」に「教育基本法」について反対表明を書きました。しかるに2006年12月には改悪教育基本法が成立してしまいました。

 シンゾーさんは、「反対など言い出す者があっても、押さえつければ誰も反対しなくなる」と、考えただろうと思います。
 参議院が安保関連審議に入ってそうそう、礒崎陽輔首相補佐官が26日、「我が国を守るために必要な措置かどうかで、法的安定性は関係ない」と、講演で述べました。すなわち、今回審議の法案を通すためなら、憲法無視も許される、という考え方です。ついつい本音が出てしまったのだろうと思います。首相は否定、火消しにまわるでしょうが、私はこの発言を「現内閣の本音」は、「憲法無視しても、法案通す」だと、受け止めました。

 シンゾーさんは、彼を支持する「おともだち」が「沖縄の新聞は反対ばかりするから、つぶしてしまえ」と発言したことに対して、「個人がそういう発言をするのは、言論の自由だ」とひらきなおりました。
 「言論の自由」とは、権力側に立ち向かおうとする言論を、権力側が封じ込めてしまえないようにするためにあるのです。権力にすり寄る者が、タイコ持ちのごとく権力側の意向を代弁することもを称して「言論の自由」と言うなら、世の中に言論の自由などないのです。
 反対する言論を「つぶす」などということが、ひどい暴力行為であることくらい、わかってほしい。

 春庭は、特定の支持政党を持たない「ノンポリ」人間ですけれど、今、これだけは、言っておきます。

1,現行憲法を支持します。
2,政府がこの夏に変えようとしている安保関連法案に反対します。
3,「言論の自由」のはきちがえに抗議します。
4,フクシマの被害保障、ふるさとの復興が完全に終わるまで、政府と東電の責任を追及します。
5,すべての原発の廃炉を求めます。原発再稼働に反対します。
6,LGTB、傷害の有無、国籍や出身地による差別など、あらゆる差別に反対します。こどもの貧困、高齢者の貧困など、経済格差の拡大に対処を望みます。
7,以上春庭の1~6の考え方とは反対である人の立場を尊重し、私とは反対の意見に耳を傾ける努力を続けます。

 「言論の自由」と言うけれど、この程度のことさえ言えない時代が、すぐそこまで来ているのを感じます。
 「政府のやることに反対する新聞はつぶせ」から「政府に従わない考えをのべる者はつぶせ」に飛ぶのは、ほんの一歩。1875(明治8)年の讒謗律(ざんぼうりつ)から1925(大正14)年の治安維持法までは40年でしたが、2006年教育基本法改悪から「戦争できる国」まではたった10年。

 おそらく、この先、若い人が就職活動するにも、「政府に反対する者は、正社員として採用しない」なんてことにもなっていくのかな、黙って体制にしたがい、長いものに巻かれていたほうが、安穏平和な暮らしができるのだろうか、など、いろいろ迷いはします。

 徴兵制なんぞ復活させなくても、いくらでも兵隊は集められるのだそうです。4年間で500万円もの借金となる奨学金の返済ができない若者が増えています。正社員として就職できなかった若者たち、フリーターで働いても、奨学金返済はおろか、生計を維持する金額も稼げない。

 そういう若者に、「奨学金返済免除」あるいは、「大学学資支給」を打ち出せば、貧乏な家の子は、どしどし自衛隊に応募するからだそうです。現に、アメリカの若者の多くが、この「貧しい家庭の子弟が、大学教育を受けようとしたら、数年の兵役につくしかない」という方法を選んでいると。

 なあるほど。金持ちや政治家の家なら、戦争にいくようなことはない。
 自分の家にことが及ばないから、「兵站は最前線じゃないから兵隊をおくる」と言うのですね。
 「平和を守る法案」というなら、法案に賛成した議員自身とその子弟が、まっさきに「国を守る任務」につく、いう条文を加えてほしい。

 ドイツでは、「平和を守るための後方部隊で」働いた兵士が攻撃を受け、ある者は戦死、ある者は負傷、ある者はPTSDによって心を病んでいるとの報道がありました。でも、それもこれも自分の家の子でないなら、カンケーない、と政治家は言うのでしょう。

 将来、このページを見た「思想検閲警察」が、「このページを書いた非国民を逮捕した」なんていうニュースを見たときは「あはは、黙っていればいいものを、余計なこと書いたから、身から出た錆だよ」と、笑ってください。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「70年前の7月に」

2015-07-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150728
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>70年前の夏に(2)私たちが受け入れたこと
 
 ハフィントンポスト日本語版は、インターネット新聞です。アメリカのリベラル系ネット新聞ですが、イギリス、カナダ、スペイン、フランスなどに各国語版があり、日本語版は2013年から。
ハフィントンポスト日本語版の報道から、5月20日の国会討論を引用します。

5月20日に行われた党首討論で、共産党の志位和夫委員長は安倍晋三首相に、ポツダム宣言に関する認識を質問した。
志位氏は「過去に日本が行った戦争は、間違ったものという認識はあるか。70年前に日本はポツダム宣言を受け入れた。ポツダム宣言では、日本が行ったのは間違った戦争だったと明確に記している。総理はこの認識を認めないのか」と聞いた。これに対し、安倍首相は「ポツダム宣言は、つまびらかに読んではいないが、日本はポツダム宣言を受け入れ、戦争が終結した」と述べた。


 この記事が報じている通り、AB首相は「つまびらかに読んではいない」と述べました。
 5月下旬のネットでは、「戦後レジュームからの脱却」を声高に述べる首相は、戦後レジュームの出発点と呼ばれるポツダム宣言をろくすっぽ読んだこともない人だったことが露呈されたとして、大騒ぎでした。

 ただし、AB様御用達の某N○K放送は、この「読んでない」発言の部分をカットして放送。この騒動を報じた新聞も少なかったので、「ポツダム読んでないけど、戦後レジュームから脱却したい」というしんちゃんの信念が、「じっちゃんの名にかけて」だけであって、日本の現代史を「つまびらかに」学んだ結果ではないことが知れ渡りました。憲法学者でなくとも、口あんぐりです。

 アメリカ大統領が「独立宣言をくわしく読んだことはない」とか、ドイツ首相が「ベルリン宣言をつまびらかには読んでいない」と言ったら、たちまち「政権担当失格者」と指さされるのに、日本はほんとうにのんきな国だと思います。

 むろん、二枚舌を持つ政治家の例にもれず、シンゾーさんは「1度も読んだことはないなんていうこと、あるはずないではないか。予定外の質問で、手元に資料がなく正確な引用が不可能だったので、つまびらかに読んでいないと言っただけだ」と、言い訳をしてすませようとしました。この二枚舌のいいわけですむなら、国会という国民の代表が集まった場というのも、ずいぶんと軽く見られたものですね。

 「読んだことは読んだけれど、くわしく検討してはいない」という意味だったとしても、問題です。くわしい検討なしに、戦後レジュームからの脱却なんてことを述べているのだとしたら、これまた大問題ですから。
 いずれにしても、国会審議を経る前に「アメリカ議会で、安保関連の新法案を夏までに通すと演説してしまった」というだけでも、国会軽視のソーリであることはわかっていました。
 数が多ければ、どんな法案も成立させられる、という考え方を持った人なのだろうと思います。

 私たちは、歴史的事実に対し、まずはそれを知ることから始めることにしなければなりません。

 政府が招聘した憲法学者3人が3人とも、おのれの学識と良心とを掛けて、「審議中の安保関連法案は、憲法違反」と断じました。
 憲法を無視して審議を続けるなら、立憲主義という国の根幹にかかわる大問題であると、そのほかの識者も述べています。

 まずは、現行憲法の成立史を読むこと、憲法が現代社会にどのような役割を果たしてきたかを知ること。その上で、これからの社会にとって、憲法をどのようにしていったらいいのか、国民全体で考えるべき問題でしょう。
 イマドキの18才19才なんて、な~んにも考えていないから、彼らに選挙権与えて国民投票すれば、政府の狙ったとおりのアピールにとびついて、政府の考え方に賛成してくれるだろう、という即席の選挙改革も、もっと時間をかけるべきです。

 18才以上に選挙権を与える国は数多いですが、自国の問題を討議する授業を十分に与えて、現代史を学ぶ授業も行って、それぞれが国の問題を考える頭を持つ教育を実施しています。
 「国を愛することにしましょう」というお題目の道徳教科書を与えておけば、国のいいなりになる18才ができあがるのだと思っているなら、そうはいかない、と、微力ながら教育に携わってきた私は、信じています。

 私は支持政党を持たない、普段は政治活動などしたこともない、ひ弱な一市民です。でも、自分の頭で考え続ける気力は、なんとか持ち続けたいと思っています。

 さて、資料として、まずは、ソーリが「読んだことない、なんて言っちゃったけど、ほんとは読んでいるに決まっているだろ」と言った、ポツダム宣言を読むところから始めました。読み返す人も。はじめて読む人も、7月26日は、70年前の1945年にポツダム宣言が日本に出された日ですから。

 50年目にも、60年目にも、いや、毎年3月10日がくれば、この日、大空襲の火の下を、東京中の人が逃げ惑い焼け死んだのだ、と思い、6月23日になれば、沖縄でこの日の前に、島の奥で、海岸で、親は泣き叫ぶ赤子を「うるさいから殺せ」と命じられ、集団で自決した村もあったことを思います。8月6日も9日も祈りを欠かしたことはありません。

 でも、今年は、これらの祈りの日々をすべて踏みにじる法案が通されようとしているのです。憲法違反です。
 平和を求め、戦争を放棄した憲法に違反することなかれ。

 我が国は、近代国家として「立憲民主主義」を国の根本として成立しています。民主主義とは、国家の主権は国民にある、という意味です。国民は、近代的共同体である国家をコントロールできる、という意味。国家を動かすのは国民です。
 立憲主義とは、国家は国民が定めた憲法を根本の存立基準としており、国民が国家によって自由を奪われないために、国の権力中枢にいる者をコントロールできる。国民は、国家権力による制約から自由であるということです。

 この立憲民主主義を破壊してしまったら、国の成り立ちの屋台骨を壊すことになるのです。国の屋台骨を自分たちで壊しておいて、「外部の脅威から国を守る」というのは、マッチポンプ以上に、矛盾しています。
 今、与党政府が行おうとしていることは、「国民が国家をコントロールする国民主権をふみにじり、国家権力が国民を支配できるようにする」ということです。

 「これまでだって、国民の声なんぞ無視して通したい法案を通してきたのだから、今度もそうする」と、高村氏は言いましたが、国の土台を破壊しておいて、「さあ、国を守れ」とは、いったい、何をどう守れというのでしょうか。
 私は、民主主義と立憲主義を守りたいです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ポツダム宣言・原文と現代語訳」

2015-07-26 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150726
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>70年前の夏に(1)ポツダム宣言・原文と現代語訳
 
  私は、30年前にようやくポツダム宣言を読みました。
 中学高校の日本史授業では、現代史は1コマくらいですっとばし、「ポツダム宣言を読む」なんて授業は受けたこともありませんでした。おそらくABさんも同じような日本史学習だったとは思います。しかし、一国の運命に責任を持つべき立場になったのなら、「つまびらかに」読み、日本の現代史を十分に理解した上で権力の座につくべきでしょう。

 このようなポツダム宣言について、私は1985年に2度目に入学した大学の日本史授業現代史4単位ではじめてちゃんと読みました。それまでは、ただ歴史年表に出てくる宣言、というだけでした。
 原文の英語が翻訳されています。ただし、外務省による翻訳では読んでもわけわからない日本語に翻訳されているので、日本語をさらに現代日本語に読み解きながらの理解でした。

 ポツダム宣言は、70年前の1945年7月26日に、日本に対して布告されました。
 第二次世界大戦末期に、ソ連の動きを牽制するために、連合国側がトルーマン、チャーチル、蒋介石の連名で日本に対して出した宣言です。

 日本政府(鈴木貫太郎首相)は、この宣言に対して「黙殺」と返答。この「黙殺」は、日本の通信社である同盟通信社は「ignore it entirely(全面的に無視)」と翻訳しました。またロイター(当時の本拠地ロンドン)とAP通信(当時も今も本拠地ニューヨーク)では「Reject(拒否)」と訳され報道されました。

 「拒否」と受け取った連合国側は、これを利用しました。日本政府が、天皇制維持が確保されることを条件としてポツダム宣言受諾の交渉に入ろうとしていたことを察知した連合国側は、受諾が行われる前に、原子爆弾を落とそうとしました。日本のポツダム宣言受諾への動きは、連合国側に筒抜けダダ漏れであったことは、70年前のアメリカの記録を見れば、わかります。

 ただし、ポツダム宣言の拒否が原子爆弾による核攻撃を正当化し「日本を降伏させるために、原子爆弾投下はやむを得なかった」というアメリカ側の主張を未だに信じている米国民がほとんどです。
 「ソビエト連邦のスターリンを牽制するため、原爆というできたばかりの核攻撃を実施した」のは、トルーマンでした。

 日本が無条件降伏を受け入れることがわかっていながらの原爆投下だったのです。ただし、トルーマン自身は、死ぬまで原爆投下を「戦争早期終結のため」という答弁を続けました。
 しかし、アメリカで当時の事情を記録した種々の回想録その他で、トルーマンの自己弁護は自己欺瞞であったことが知られています。知らないのは、アメリカ市民とAB氏だけでしょう。

 歴史に「もしも」はないのだけれど、7月26日にポツダム宣言が伝えられたとき、せめて7月中に受諾決定をしていれば、原爆投下はなかったのです。

 以下、1)現代語訳 2)外務省翻訳 3)英語原文を掲載します。 

ポツダム宣言(ハフィントンポストの現代語訳)
1. 我々、アメリカ合衆国大統領、中華民国主席とイギリス首相は、我々の数億の国民を代表して協議した結果、この戦争終結の機会を日本に与えることで意見が一致した。

2. アメリカ、イギリス、そして中国の陸海空軍は、何度も陸軍、航空編隊の増強を受けて巨大になっており、日本に対して最後の一撃を加える体制が整っている。この軍事力は、日本が抵抗をやめるまで同盟国によって維持できるものだ。

3. 世界中の自由な人々は立ち上がった。それに対してドイツが採った無益かつ無意味な抵抗の結果は、日本の人々に対しても極めて明快な例として示されている。現在日本に向かって集中しつつある力は、ナチスの抵抗に対して用いられた力―全ドイツ民の生活、産業、国土を荒廃させるのに必要だった力―に比べると、測り知れないほど大きいものだ。決意をもって、我々の軍事力全てを投入すれば、日本軍は壊滅し、また、日本の国土は焦土と化すだろう。

4. 日本が決断する時は来ている。知力を欠いた身勝手な軍国主義者によって制御され続け、滅亡の淵に至るのか。それとも、理性の道を選ぶのか。

5. 我々の条件は以下の通り。条件からの逸脱はないものとする。代替条件はない。遅延も一切認めない。

6. 日本の人々をだまし、間違った方向に導き、世界征服に誘った影響勢力や権威・権力は、排除されなければならない。無責任な軍国主義が世界からなくなるまでは、平和、安全、正義の新秩序は実現不可能である。

7. そのような新秩序が確立されるまで、また日本の戦争遂行能力が壊滅したと明確に証明できるまで、連合国軍が指定する日本領土内の諸地点は、連合国軍がこれを占領するものとする。基本的目的の達成を担保するためである。

8. カイロ宣言の条項は履行されるべきものとし、また、日本の主権は本州、北海道、九州、四国及びわれわれの決定する周辺小諸島に限定するものとする。

9. 日本の軍隊は、完全に武装解除されてから帰還を許し、平和で生産的な生活を営む機会を与えることとする。

10. 我々は、日本を人種差別し、奴隷化するつもりもなければ国を絶滅させるつもりもない。しかし、われわれの捕虜を虐待した者を含めて、全ての戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を行うものとする。日本政府は、日本の人々の間に民主主義的風潮を強化しあるいは復活するにあたって、障害となるものは排除する。言論、宗教、思想の自由及び基本的人権の尊重が確立されなければならない。

11. 日本は産業の維持を許される。そして経済を持続し、正当な戦争賠償の取り立てに充当する。しかし、戦争を目的とする軍備拡張のためのものではない。この目的のため、原材料の入手はこれを許される。ただし、入手と支配とは区別する。世界貿易取引関係への日本の事実上の参加を許すものとする。

12. 連合国占領軍は、その目的達成後そして日本人民の自由なる意志に従って、平和的傾向を帯び、かつ責任ある政府が樹立される限りにおいて、直ちに日本より撤退するものとする。

13. 我々は日本政府に対し日本軍の無条件降伏の宣言を要求する。かつ、誠意を持って実行されるよう、適切かつ十二分な保証を求める。もし拒否すれば、日本は即座にかつ徹底して撃滅される。.



日本国外務省資料による翻訳(出典:外務省編『日本外交年表並主要文書』下巻 1966年刊)
憲法条文・重要文書

ポツダム宣言
千九百四十五年七月二十六日
米、英、支三国宣言
(千九百四十五年七月二十六日「ポツダム」ニ於テ)
一、吾等合衆国大統領、中華民国政府主席及「グレート・ブリテン」国総理大臣ハ吾等ノ数億ノ国民ヲ代表シ協議ノ上日本国ニ対シ今次ノ戦争ヲ終結スルノ機会ヲ与フルコトニ意見一致セリ
二、合衆国、英帝国及中華民国ノ巨大ナル陸、海、空軍ハ西方ヨリ自国ノ陸軍及空軍ニ依ル数倍ノ増強ヲ受ケ日本国ニ対シ最後的打撃ヲ加フルノ態勢ヲ整ヘタリ右軍事力ハ日本国カ抵抗ヲ終止スルニ至ル迄同国ニ対シ戦争ヲ遂行スルノ一切ノ連合国ノ決意ニ依リ支持セラレ且鼓舞セラレ居ルモノナリ
三、蹶起セル世界ノ自由ナル人民ノ力ニ対スル「ドイツ」国ノ無益且無意義ナル抵抗ノ結果ハ日本国国民ニ対スル先例ヲ極メテ明白ニ示スモノナリ現在日本国ニ対シ集結シツツアル力ハ抵抗スル「ナチス」ニ対シ適用セラレタル場合ニ於テ全「ドイツ」国人民ノ土地、産業及生活様式ヲ必然的ニ荒廃ニ帰セシメタル力ニ比シ測リ知レサル程更ニ強大ナルモノナリ吾等ノ決意ニ支持セラルル吾等ノ軍事力ノ最高度ノ使用ハ日本国軍隊ノ不可避且完全ナル壊滅ヲ意味スヘク又同様必然的ニ日本国本土ノ完全ナル破壊ヲ意味スヘシ
四、無分別ナル打算ニ依リ日本帝国ヲ滅亡ノ淵ニ陥レタル我儘ナル軍国主義的助言者ニ依リ日本国カ引続キ統御セラルヘキカ又ハ理性ノ経路ヲ日本国カ履ムヘキカヲ日本国カ決意スヘキ時期ハ到来セリ
五、吾等ノ条件ハ左ノ如シ
吾等ハ右条件ヨリ離脱スルコトナカルヘシ右ニ代ル条件存在セス吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ス
六、吾等ハ無責任ナル軍国主義カ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序カ生シ得サルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレサルヘカラス
七、右ノ如キ新秩序カ建設セラレ且日本国ノ戦争遂行能力カ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ルマテハ聯合国ノ指定スヘキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スルタメ占領セラルヘシ
八、「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ
九、日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルヘシ
十、吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非サルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ
十一、日本国ハ其ノ経済ヲ支持シ且公正ナル実物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルカ如キ産業ヲ維持スルコトヲ許サルヘシ但シ日本国ヲシテ戦争ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルカ如キ産業ハ此ノ限ニ在ラス右目的ノ為原料ノ入手(其ノ支配トハ之ヲ区別ス)ヲ許可サルヘシ日本国ハ将来世界貿易関係ヘノ参加ヲ許サルヘシ
十二、前記諸目的カ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府カ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルヘシ
十三、吾等ハ日本国政府カ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス.



原文(出典:国立国会図書館)
Proclamation Defining Terms for Japanese Surrender
Issued, at Potsdam, July 26, 1945

1.We-the President of the United States, the President of the National Government of the Republic of China, and the Prime Minister of Great Britain, representing the hundreds of millions of our countrymen, have conferred and agree that Japan shall be given an opportunity to end this war.

2.The prodigious land, sea and air forces of the United States, the British Empire and of China, many times reinforced by their armies and air fleets from the west, are poised to strike the final blows upon Japan. This military power is sustained and inspired by the determination of all the Allied Nations to prosecute the war against Japan until she ceases to resist.

3.The result of the futile and senseless German resistance to the might of the aroused free peoples of the world stands forth in awful clarity as an example to the people of Japan. The might that now converges on Japan is immeasurably greater than that which, when applied to the resisting Nazis, necessarily laid waste to the lands, the industry and the method of life of the whole German people. The full application of our military power, backed by our resolve, will mean the inevitable and complete destruction of the Japanese armed forces and just as inevitably the utter devastation of the Japanese homeland.

4.The time has come for Japan to decide whether she will continue to be controlled by those self-willed militaristic advisers whose unintelligent calculations have brought the Empire of Japan to the threshold of annihilation, or whether she will follow the path of reason.

5.Following are our terms. We will not deviate from them. There are no alternatives. We shall brook no delay.

6.There must be eliminated for all time the authority and influence of those who have deceived and misled the people of Japan into embarking on world conquest, for we insist that a new order of peace, security and justice will be impossible until irresponsible militarism is driven from the world.

7.Until such a new order is established and until there is convincing proof that Japan's war-making power is destroyed, points in Japanese territory to be designated by the Allies shall be occupied to secure the achievement of the basic objectives we are here setting forth.

8.The terms of the Cairo Declaration shall be carried out and Japanese sovereignty shall be limited to the islands of Honshu, Hokkaido, Kyushu, Shikoku and such minor islands as we determine.

9.The Japanese military forces, after being completely disarmed, shall be permitted to return to their homes with the opportunity to lead peaceful and productive lives.

10.We do not intend that the Japanese shall be enslaved as a race or destroyed as a nation, but stern justice shall be meted out to all war criminals, including those who have visited cruelties upon our prisoners. The Japanese Government shall remove all obstacles to the revival and strengthening of democratic tendencies among the Japanese people. Freedom of speech, of religion, and of thought, as well as respect for the fundamental human rights shall be established.

11.Japan shall be permitted to maintain such industries as will sustain her economy and permit the exaction of just reparations in kind, but not those which would enable her to re-arm for war. To this end, access to, as distinguished from control of, raw materials shall be permitted. Eventual Japanese participation in world trade relations shall be permitted.

12.The occupying forces of the Allies shall be withdrawn from Japan as soon as these objectives have been accomplished and there has been established in accordance with the freely expressed will of the Japanese people a peacefully inclined and responsible government.

13.We call upon the government of Japan to proclaim now the unconditional surrender of all Japanese armed forces, and to provide proper and adequate assurances of their good faith in such action. The alternative for Japan is prompt and utter destruction.


~~~~~~~~~~~~~

20150726
 自由と民主主義のための学生緊急行動(シールズ) SEALEDs(Students  Emergency Action for Liberal Democracy s)は、安保関連法案反対の集会に7万人を集めてデモをおこないました。25日土曜日、隅田川花火見物の96万人にはかないませんけれど。

 従来の政府批判勢力とは一線を画する若者たちの集まりに、期待しています。
 花火もきれいだから大好きですが、自分たちで考え集まった若者をたのもしく思います。  だれからも動員されたわけでも強制されたわけでもなく「今回の憲法違反法案に反対する」と集まった学生、若者たち。
 
自民党の高村正彦副総裁は、NHKの番組で「刹那的な世論だけに頼っていたら、自衛隊も日米安保条約改定もPKO法もできなかった。国民のために必要だと思うことは、多少支持率を下げてもやってきたのが自民党の歴史だ」と述べました。
 SEALEDsの7万人のデモも、「刹那的」であると、自民党の方々は見ているのでしょうが、今回のデモの主張が、これまでのデモとは異なっていることが見えていないのは、「憲法無視」の法案に対して、国民がどうとらえるのかがわかっていないからでしょう。

 民意を「刹那的な世論」とせせら笑う政権が、このまま我意を通すなら、この国は「国を守る」前に崩壊するでしょう。

 70年前の戦争も、たしか「国防のため、我が国を守るため」だったはず。前回の「なかよし」がドイツイタリアで、今回の「おともだち」がアメリカ、という違いはあるけれど。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年の着ぐるみダンス」

2015-07-25 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150725
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記7月(13)2003年の着ぐるみダンス

 2003年三色七味日記の再録を続けています。
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2003/07/30 水 雨のち曇り
日常茶飯事典>着ぐるみダンス

 午前中、Aダンスィング練習。9月の発表会、私の出演曲は、プレスリー特集の「監獄ロック」「テディベア」
 「テディベア」を踊っていると「何も衣装来ていなくても、くまの着ぐるみが踊っているようだわ」と言われる。そりゃ、衣装を用意する手間がはぶけて、結構ですな。
 Aダンスィングサークル、太めトリオのうち二人が抜けて、いまや私がただひとり「パパイヤおやじダンサーズおばはん版」なのだ。
 
 発表会がおわるまで、ビールを飲まないダイエットを決意。

本日のねたみ:私は水を飲んでも太る。

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20150725
 本来なら、成績提出をすませ、ヤンゴン出発準備もおえて、はればれと月末を迎える予定でしたが、常に予定は決定にあらず。

 姑が体調を崩し、入院になりました。
 娘は、毎週日曜日は、「おばあちゃんの買い物」につきあっているのですが、19日は「駅前の八百屋に行ってきただけなんだけれど、帰ってきたらものすごく疲れたみたいで、おばあちゃん、すぐに寝ちゃった」と、言います。

 月曜日、医師の訪問診察の日ですが、海の日で医師が休みというので看護師さんの訪問をうけることに。ところが思いのほか姑の体調が悪くなっていて、娘と看護師さんの判断で救急搬送で病院へ。娘が言うには「熱が40度まで上がってしまって、呼びかけても返事もできないくらい弱っていたので、もうびっくりした。急にわるくなっちゃったから」

 これだから、年寄りの体調は油断ができません。最近とみに元気になってきて、娘との買い物散歩を楽しみにして歩く力がついてきていたので、すっかり安心していたところだったのです。

 風邪気味だったため、姑は寒気がして「寒いから」と、冷房を切り、まだ寒気がするからと下着を厚めに重ね着。このために、本人は寒く感じても体内温度が急上昇して、熱中症の症状になったらしい。
 幸い、病院での点滴などの手当てがきいて、翌日の検査でも「風邪以外の症状は出ていませんが、年齢を考えて、1週間ほど入院をしましょう」ということになりました。

 水曜日まで授業があったので、木曜日に病院へ行きました。
 娘が入院させたときは、もうろうとしていて「自分では歩けなかった」というくらいだったのが、だいぶ回復していて、目がさめたあとはひとしきりおしゃべり。
 「午前中、頭の体操したの。ここは何階ですかって聞かれたけれど、そんなこと知らないって答えた」と姑の弁。もうろうとしている中で入院したので、自分が何階の病室にいるのか、そんなこと知らなかった、というのです。「それから、好きな野菜の名前を10個言ってくださいっていうから、どんどん言ったら、もうけっこうですって」
 どうやら認知機能の検査を受けたらしい。体力回復してきた今では、いつもの毒舌家ぶりも回復してきて、1月に入院した病院と比べて、「ベッドごとのごみ箱もないのよ」と、ひとしきり文句。看護師さんに頼んで、ベッドにゴミ入れ用のビニール袋をくくりつけてもらった、と。文句がでるくらい元気になってきたのだ、と思います。

 介護を娘にまかせきりにして出稼ぎに出ていく嫁なので、なにかと心配はつのりますが、姑の気力に頼るしかありません。 
 最近の自分の不調から自分の心配ばかりしていましたが、女性が仕事を進めるには家族の健康もあってのことと、いまさらに身に染みました。


。2003/07/31 木 曇り
トキの本棚>2003年前期1月~7月読了本リスト

2003年上半期読書リスト
 
      ☆☆☆☆☆わたしにとっては最高  ☆☆☆☆貴方も読むべし
      ☆☆☆私にはおもしろかった     ☆☆暇なら読んで損はない
      ☆悪くはないが私の好みじゃない   *読まなくてもよい・時間の無駄

書名 著者 星 日記感想文
1 茫然とする技術 宮沢章夫 ☆☆☆☆☆
2 秘宝耳 ナンシー関 ☆☆☆
3 なにがなんだか ナンシー関 ☆☆☆
4 ホームページにオフィスを作る 野口悠紀夫 ☆☆
5 牛への道 宮沢章夫 ☆☆☆
6 日本語の21世紀のために 丸谷才一・山崎正和 ☆☆
7 最新宮沢賢治講義 小森陽一 ☆☆☆
8 言霊と他界 川村湊 ☆☆☆
9 リトルバイリトル 島本理生 ☆
10 ゲーム脳の恐怖 森昭雄 *
11 かえり見ずの橋 杉本苑子 ☆☆☆
12 新日本語の現場 橋本五郎 他 ☆☆☆
13 キャラクター小説の書き方 大塚英志 ☆☆ 2330/3上旬
14 発声と身体のレッスン 鴻上尚史 ☆☆☆
15 教えることの復権 大村はま・苅谷剛彦 ☆☆☆ 2003/3下旬
16 霧のむこうのふしぎな町 柏葉幸子 ☆☆☆ 2003/4上旬
17 快楽の本棚 津島祐子 ☆☆☆
18 天皇と王権を考える 表徴と芸能 岩波講座 ☆☆☆
19 20世紀日本の思想 成田龍一・吉見俊哉 ☆☆
20 文学じゃないかもしれない症候群 高橋源一郎 ☆☆☆
21 男たちの脱暴力 中村正夫 ☆☆ 2003/4上旬
22 ディズニーリゾート150の秘密 TDR研究会議 ☆☆ 2003/4中旬
23 癒す知の系譜 島薗進 ☆☆☆
24 信長と天皇 今谷明 ☆☆☆
25 モードの迷宮 鷲田清一 ☆☆☆
26 怪しい日本語研究室 イアン・マーシー ☆☆☆
27 ぼくは勉強ができない 山田詠美 ☆☆☆ 2003/5上旬
28 物語の体操 大塚英志 ☆☆☆ 2003/5上旬
29 読者は踊る 斉藤美奈子 ☆☆☆ 2003/5上旬
30 色の名前で読み解く日本史 中江克巳 ☆☆
31 ことばの課外授業 西江雅之 ☆☆☆☆ 2003/5下旬
32 毎月新聞 佐藤雅彦 ☆☆☆
33 一葉に聞く 井上ひさし ☆☆☆ 2003/5下旬
34 主婦ですみません 青木るえか ☆☆☆☆☆ 2003/5下旬
35 夢にも思わない 宮部みゆき ☆☆☆ 2003/6上旬
36 青の美術史 小林康夫 ☆☆☆
37 記憶スケッチアカデミー ナンシー関 ☆☆☆☆
38 21世紀にどう入っていくか 塩野七生 ☆
39 歴史の舞台 文明のさまざま 司馬遼太郎 ☆☆☆
40 日本の色を染める 吉岡幸雄 ☆☆☆
41 日本語は悪魔の言語か? 小池清治 ☆☆☆
42 日本語文法の謎を解く 金谷武洋 ☆☆☆
43 パリ20区の素顔 淺野素女 ☆☆
44 A to Z 山田詠美 ☆☆☆
45 お姫様とジェンダー 若桑みどり ☆☆☆
46 ジョン・レノン対火星人 高橋源一郎 ☆☆☆ 2003/7上旬
47 謎解き少年少女世界の名作 長山靖生 ☆☆☆
48 龍を見た男 藤沢周平 ☆☆☆
50 都市の「私物語」 中野収 ☆

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20150725

 2003年は半期(1~6月)で50冊読了していた。
 2002年は舅と姉が続けて亡くなったし、2004年から2007年までは息子不登校だし、2007年は中国単身赴任で忙しかったし、2008年からは博士課程の勉強で忙しくなったので、読了本リストは半減する。2003年はまだ本を読む余裕が持てた、ということだろう。

 現在の読書量は、年に50冊程度。年に3回メモしていた読書記録、今年からは、年に2回、6月末と12月末だけにしました。
 電車通勤90分間が私の読書タイムだったのに、今年から電車通勤は週2日に減りました。週2日ずつ、月火は電車、水土は自転車通勤です。

 ミャンマーでは、もっと読書時間がとれないと思うので、さあ、年末までに読める本、どれほどか。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「2003年の銀河鉄道」

2015-07-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150723
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記7月(10)2003年の銀河鉄道

 2003年7月の日記を再録しています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
2003/07/28 月 はれ
ジャパニーズアンドロメダシアター>『銀河鉄道の夜』

 月曜日授業、前期最終日。漢字試験と文集作成。

 夜、ビデオの『銀河鉄道の夜』を見た。ジョバンニ、カンパネルラがネコ。氷山にぶつかった船とともに海に沈んで、天国へいく人たちの顔は人間。どうして全部ネコじゃまずかったのだろうか。
 アニメとしてできは上々と思うけれど、アニメだけ見るという人に原作も読んで欲しい。

本日のやみ:銀河の駅、むこうは闇

2003/07/29 火 曇り 
ニッポニア教師日記>ブレイクタイムのラジオ体操

  火曜日の授業最終日なので「みんな4ヶ月よくがんばりました。みなさん、とてもいい学生でした」と、ほめたら「先生は、とてもいい先生でした」とエルサルバドルのカン。インドのフラは「あなたのクラスが一番たのしかった」と言う。エールの交換。
 何度言っても「先生に対して、あなたを使ってはいけない」ということを忘れるフラも含めて、皆授業が終わってほっと一息。

 あと、最終試験とスピーチ発表が残っているが、このコースの試験は、点がとれなくても、落第するわけでなし。今まであらゆる試験において最優秀者として勝ち抜いてきたであろうエリート留学生にとって、プライドが満足できるかどうかだけ。

 授業が終わってから、朱賀先生と試験の打ち合わせをする。朱賀先生「授業中、フラがトイレに立つと、ゲールもトイレに行ったまま、なかなか帰らなかった。もどってきたとき、あなたたち、授業中にトイレに行くなんて小学生みたいよ、って言ってやった」と言う。う~ん、最後の最後まで朱賀先生のお小言をちょうだいしながら、がんばった学生にエール。
 私のような小物の教師、「授業中トイレに立つおまえは、小学生並だ」なんて、絶対に言えない。大学・大学院を卒業し、自国では教師、研究者として働いている立場の留学生たち。私は、フラが授業中トイレに立つと、「それじゃ、みんなブレイクタイムにしましょう」と、便乗するほう。

 フラはヘビースモーカーなので「トイレに行って来ます」と席を立つとき、一服してとぎれかかった集中力を復活させているんじゃないかと思う。
 私だって語学授業を90分ぶっ続けで受講したら、途中で集中力がとぎれることがある。大学で韓国語やタイ語の授業を受けたとき、虎ノ門教育会館でアラビア語の授業をうけたとき、近くにトイレがなかったから、教室を出ることはしなかったが、自分なりにブレイクタイムを作っていた。自国では大学講師のフラが、自己管理の上ブレイクタイムを自分なりに作っているなら、それは大人の判断として認めてしまう。

 今日、SFJ復習の時間は、プリントを使って短文穴埋め問題を続けたから、脳みそ沸騰。疲労も大きい。フラが「ブレイク」と言ってトイレにいったので「じゃ、みんなも頭を休めましょう」と便乗ブレイクタイム。
 ブレイクの間、「日本の文化と社会の紹介タイム」と言って、日本各地の夏休みに学校の校庭や公園で「ラジオ体操」が行われることを知らせた。ラジオ体操を少しやって見せて「このストレッチ体操を、日本人1億3000万人のほぼ全員ができます。すべての小学校中学校で、この体操を教えるんです」と、言う。「朝、6時半に公園から音楽が聞こえてきたら、この体操をやっているから、参加するといいよ。健康になります」と、おススメ。

 異文化シャワーをたくさん浴びた方がいい留学生は、盆踊りもラジオ体操も参加することに意義があると思っている。中国では、ヤンガーの踊りの輪に入りたかったが「連」のようなものがあるらしく、グループごとに輪を作るので、参加できなかった。
 ラジオ体操や盆踊りは、だれでも参加できるので、留学生にはいい体験になると思う。ゲ-ルが「無料か」と聞くので「もちろんフリー。だれでも、いつでも、どこでもフリー」と言う。
 さあ、8月は学生も講師も「リリース&フリー」だ!

本日のやすみ:あったらしい朝がくるブレイクタイム


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20150723
 7月22日の授業が今期の最終日。29日にもう一校残っていますが、こちらは成績付けだけが残っているので、授業実施はおわりです。ふう、疲れた。

 毎回の授業課題のひとつとして、授業フィードバックを140字でメールツィートせよ、と課題にしています。イマドキの子は140字くらいのつぶやきは、指先ひとつでチャッチャッと文にします。なかには、おいおい、タメグチそのまんまかよ、と思うつぶやきもありますが、今日の授業で何に気づいたか、どんな新しいことを学んだのか、振り返りをさせることによって、授業ノートにどの程度のことが記録されたかわかります。

 最終コメントはそれをまとめさせて1600字のレポートにさせます。
 授業感想の定番は、「何度も発表させられて、準備がたいへんでいやだとおもったけれど、人前で発表することにだんだん慣れてきた」「日本人ならだれでも日本語を教えられると思って授業をとってみたのだけれど、日本語を教えることの難しさもよくわかった」「異文化への視点がひらかれた」「ハチャメチャな授業だと思ったり、むちゃぶりに困ったりしたけれど、先生の個性的な授業展開方法によって、ちゃんと授業のおわりには学ぶべきことが与えられていることがわかった」などなど。

 成績をつけてもらう側が、教師に向かって悪いことは書いたりしない、というのはわかっているけれど、おおむね授業の意図が伝わったと知るとほっとする。
 日本語の奥をたどれば、深く広い。世界の文化やことばを見渡せば、広く深い。ことばは、コミュニケーションの道具であり、思考の武器である。そんなことあんなことを、今期も少しでもわかってくれる学生がいたことをもって、今期の仕事もよしとしよう。自分に「お疲れ様」

 <つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年のホテルハイビスカス」

2015-07-22 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150722
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記7月(9)2003年のホテルハイビスカス

 三色七味日記2003年7月を再録しています。
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2003/07/26 土 曇り 
日常茶飯事典>ケータイ機種変変奏曲

 娘が「前期、よくがんばったので自分にご褒美」といって「ケータイ買いにいくから、お母さんも機種変更して」という。2台一度に買うと割引率が高いのだそう。あいちゃんが「激安」と紹介したケータイ屋。
 ちゃんとした店舗でなく、仮店舗のようなごちゃごちゃした店。店内は販促用のおまけ菓子が入った段ボール箱などが乱雑に置かれ、契約用のテーブルも備品も、「なにかやばいことがあったら、すぐに店をたたんで夜逃げができそうな」という感じ。路上に商品を並べ、販売は路上でする。その時点でこういう雰囲気の店はなんだか信用が薄いなあ、と感じた。店長は見た目「新宿の裏稼業で稼いで、ちょっと小金ができたのでケータイ屋はじめました」というふうの「堅気ではない」臭ぷんぷんの茶髪。目つきが悪い。

 日頃「安物の服を着ているからって、人間まで安物扱いされたくない」なんて突っ張っているくせに、人様の店を見た目だけで判断してはいけないんじゃないか、と「こんな店で買いたくない」と娘に忠告したい気持ちを抑える。路上で販売している店員は商品知識なし。それでも、娘はいろいろ質問して、納得がいく回答を得たので、契約の書類に書き込みをした。

 しかし、路上の商品説明と、実際の契約が食い違う部分がいろいろあった。路上で受けた説明が、実際の契約時には破棄され、異なる条件がつけられた。いくつかの条件が覆り、最後に娘は「もういいです、契約しません」とやめにした。娘は、路上販売のニーチャンに「販売をするなら、ちゃんと商品知識をもってください」と抗議したが、ニーチャンは「あ、そう」という程度。

 そのあと、今までケイタイを買ってきた店に行き、値段はそれほど変わらないのを確かめる。「激安という言葉につられて、違う店で買おうとして失敗した。最初にいつもの店の値段を見てから、行けばよかった」という。こちらはすいているし、特に派手な新聞のチラシで「激安」を謳っているわけではないが、店員はきちんと教育され応対も丁寧だった。
 このごろ、販売や飲食業の店員の質とサービスについて思うことが多かったので、今回のケータイ販売でも、つくづく接客とはいかにあるべきかを考えた。

 今日は、神楽坂事務所の荷物引き上げ手伝いの日。息子は、手伝えば3000円もらえると言われて、午後は手伝いに行く。もらえるこずかいをあてにして、先にゲームソフトを買ってしまってある。

本日のつらみ:いつもケータイを携帯していくのを忘れる私


2003/07/27 晴れ 
日常茶飯事典>水泳大会

 中学校水泳夏期区大会。
 息子は、個人フリー100が8位、リレーが4位。顧問の保健室先生から、「がんばりました」というメールと合宿のときのデジカメ画像が届いた。お礼メール返信。

本日のなみ:プールサイドに波たかし


2003/07/23 水 雨 
ジャパニーズアンドロメダシアター>『ホテルハイビスカス』

 午後、雨の中サントリー美術館に『古代中国の文字と至宝』展を見に行った。前回この展示をみようと思ってやってきたら、まだ始まっていなかった。6月10日から始まると明記してあるのに、私は5月10日にサントリーへ行ったのだ。これは1ヶ月まちがえた私が悪い。しかるに、6月10日から7月27日までと書いてある招待券を無駄にすまいと再びサントリー美術館にきてみれば、この展覧会は「無期延期」となっていた。
 係員は「来年に延期になりました」と言って、代わりのサントリー美術館招待券をくれた。確認しないで出かけた方も悪いと思うが、招待券に会期が書いてあるので、まさか延期になったとは思わなかった。
 中国との準備折衝折り合いがつかなかったのか、サーズの影響か?よくわからないが、とにかく現在展示中の「ロートレックとポスター展」は、あまり興味が無かったので、見ないことにした。

 雨の中でてきたのにこのまま「無駄足」だけで帰るのも気分が悪い。遅いお昼ご飯を食べてから『ホテルハイビスカス』をみることに決めた。
 単館上映の映画館にたどり着くと、冒頭20分すぎていた。が、「いいや、こういう話は冒頭の伏線がないと後半の意味が分らないというもんではあるまい」と、気にせず第2話の「フェンス」から見た。

 「いったいこの雑音は何の音」という程度に小さく聞こえた機関銃掃射音がだんだんハッキリしてきて、ジェット機離発着轟音になる。フェンスの中は基地だ。

 主人公「中曽根美恵子」のキャラがとてもよく、ホテルハイビスカスの住人その他の登場人物がひとりひとり際だっている。基地の掃射音ジェット機音がなければ、ほんとうにのどかでのびのびした、底抜けに明るい沖縄の一家の心温まる話なのだ。
 余貴美子のかあちゃんは「太陽(ティダヌ)母さん」とタイトルがつけられている。黒人のジョージとの間に生まれたハーフ(ネスミス演じるケンにいにい)と、白人のビルとの間に生まれたサチコねえねえ、山羊をつれて散歩に出るおばあ。いつもはビリヤード屋で寝ているけど、具志堅さんのパイナップル畑では力を発揮するおとうもいい味。

 でも、「ここは昔から私の土地、基地なんかじゃない」と語っていた基地の中のまやーくいおばあの家は取り壊されてしまうし、美恵子がお盆に出会う多恵子は、終戦後食べるものがなくて死んでしまった叔母(おとうの妹)だったし、沖縄が「そこぬけに明るい」だけの土地ではなく、さまざまな悲劇を底に持ち、現在もたくさんの問題を抱えている島なのだということを監督はさりげなく示していると思う。けっして声高に叫ぶのではないが。
 しかし、それより何より、登場人物のキャラがすごいので、それに圧倒されて笑いながら見終わってしまう。原作コミックを読んでから映画を見た人には、原作がはっきり示している「沖縄の諸問題」をもっと前面に出して欲しいという感想を持ったようだ。そのうち原作を読んでみよう。

 冒頭を見ていないので、もう一度みるつもり。ビデオレンタルがはじまったら、娘と息子にも見せよう。

本日のひがみ:沖縄大学のスタさん元気か?私も住みたい南の島

~~~~~~~~~~~

20150722 
  私の同窓生の何名かは、「沖縄米軍基地反対のための基地侵入」を実行して逮捕実刑を受けました。彼らは今の沖縄にどんな行動をとっているでしょうか。

 ホテルハイビスカス。
 主演した少女蔵下穂波は、高校卒業まで沖縄ですごしたあと2012年に上京。女優業に。2013年の朝ドラ「あまちゃん」の中の沖縄ご当地アイドル喜屋武エレン役に出演した姿を見たときは、親戚の子がすっかり大きく大人になった姿に出会ったような気持ちでした。

 朝ドラ、土屋太鳳はかわいくて好きなのですが、どうもドラマの展開があまちゃんよりおもしろくないので、今はあまちゃん再放送を見ています。二度めにみて、どのシーンもはっきり覚えているのに、二度目もおもしろい。クドカンはやっぱり天才だなあと思います。

 さてさて。沖縄です。
 基地が絶対に必要なら、国会議事堂その他霞ヶ関永田町施設を沖縄に移転して、空き地になった千代田区ほかを中心に基地を作ったらいいと思います。二重橋基地とか九段下基地とか。
 大事な問題を語るに冗談口で話すなという人もいるかと。しかるに首相その人が「沖縄の新聞をつぶせと作家が語るのも言論の自由」と、おっしゃいましたので、ここはひとつ言論の自由ってことで。

 沖縄の新聞、「政府の言うことに逆らう新聞はつぶしてしまったほうがいい」なんて言われようでしたが、沖縄についての報道、がんばってほしいです。

 私は6年生の卒業文集に将来の希望はジャーナリストと書きました。あこがれのジャーナリストはアフリカ探検のスタンレーでした。報道にかかわる人、ジャーナリストは、未知の世界に乗り出し、社会の真実を追究する仕事をすると思っていました。学生時代はジャーナリズムに関する本もずいぶん読んで、「事実をしっかり見て書く」人になりたいと思ったのです。

 40年以上も前のこと。本の中で繰り返しジャーナリストの心得として説かれていたことがありました。
 「権力側が主張することをそっくりそのまま書くような人間は、ジャーナリストとは呼べない。提灯持ちと呼ぶべきだ。反骨精神、反権力精神を失ったら、ジャーナリスト失格」

 お金持ちなら、新聞を5紙くらいとって読み比べたいのだけれど、いつもの読み比べは、図書館などの新聞コーナーでするだけです。
 勧誘員が「無料キャンペーン期間なので、1週間だけ宅配をいれさせてくれ」と、玄関先でねばるので、「宅配してくれるなら、読みますが、無料期間が終わってからの購読は絶対にしませんよ」と断りを入れた上で、Y新聞を読み比べをしました。

 7月17日、安保関連法案が衆院通過をトップニュースに掲げた日の社説を読んで、あらあら政府の説明とおんなじことを、そのまんま記述してある、と思いました。法案通過を快挙とし、与党政府が主張していることを焼き直したような社説でした。これで日本も安全が確保されたと。
 Y新聞社説は、「提灯持ち」そのままの論述でした。でも、Y新聞の社説執筆者は、自らをジャーナリスト失格なんて思わないのでしょう。「そんな古い時代のジャーナリズム観は、アナクロニズム」と笑って済ませてしまうことでしょう。

 権力にすり寄り、権力側の意向に沿う記事や論説を書くことは、楽です。1930~1945年ごろの報道陣も多くは楽なほうを選びました。筆を折り、報道から離れたジャーナリストもいたけれど。

 現在も、「意向に沿わない沖縄の新聞は、つぶしたほうがいい」と、言われているのですから、楽なほうを選ぶ新聞があっても、そりゃそうだろうとは思います。

 何か行動するとき、それをしたほうが得をするほうと、そうでないほうがあるなら、現時点で得にならないことをしようとするほうにつけ。と、何かの本に書いてありました。
 得にならないほうを選びます。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年のボリショイサーカス」

2015-07-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150721
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記7月(7)2003年のボリショイサーカス

 2003年7月の日記を再録しています。
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2003/07/24 木 曇り 
日常茶飯事典>ボリショイサーカス

 午後、ボリショイサーカスを見に行く。蛍、花火、ボリショイサーカス、豊島園プールというのが、我が家の「夏の定番」である。蛍と花火はただで見られる。ボリショイサーカスは招待券で見られる。豊島園は共済会で安く買えるという理由で、20年間同じメニュー。
 ここ数年「今年はいっしょに花火をみる最後かな」「いっしょにプールで泳ぐ最後の夏かな」と思いながらいっしょに過ごしてきて、ボリショイも何年か前に「これで最後かも」と、しみじみしながら見たのだが、娘が二十歳をすぎ、息子が中学3年になった今年もまた、いっしょに見ることになった。いっしょにでかけるのが好きな母子である。

 娘は「教職課程介護体験」を受けるための健康診断があるからと大学へ行く。有明コロシアムの前で合流することになっていたので、自由席のB席招待券をA席指定席にランクアップする。娘がおくれてきても座れるように。
 二人が保育園小学校のころは、この「ランクアップの千円、3人分3000円払ったら、帰りの電車賃がない」という状態だったことを思えば、ランクアップして、夕食も食べて帰れる程度に財布の中にお金が残っている現在の状況、貧乏度が「最底辺から少し上」くらいにはなっているのだ。

 サーカスは、前半が犬や猫、熊の演技、目玉は空中ブランコ。後半が虎の演技、目玉がシーソーアクロバット。ブランコやアクロバットにハラハラし、犬や猫、熊の演技はかわいらしく、虎のガォーという吼え声はちょっとおそろしく、おもしろく見ていられた。私はキダムなどの「ミュージカル風サーカス」を見てみたいのだが、娘は「ミュージカルとかあんまり好きじゃないから、こういうサーカスだけの構成のほうがいい」という。

 いっしょに夕ご飯を食べるつもりだったが、娘は友だちとご飯を食べる約束をしたからと、別れる。息子と汐留めシオサイトをひとまわりした。広場でオルガンを弾いている。広場に面した店から見えるので「ここで食べよう」と誘ったのに、息子は「こういう雰囲気は落ち着かないから」という。「あんた、こんなところで雰囲気に押されちゃ、将来宮中晩餐会に招かれたとき、堂々としていられないよ」と渇を入れたのだが、マックや牛丼屋じゃないと雰囲気に負けてしまう中坊クンである。

 まあ、宮中が将来も存在しているとして(共産党も綱領を変えたし)招かれることはないからいいんだけどね。それで、スープストックというスープ専門店でスープだけ「腹の虫おさえ」に注文して、夕食は家に帰ってから残り物ですませた。

本日のひがみ:ボリショイ・アクロバットリーダーがほしいHP。キャノンワープロの読み出ししたい

2003/07/25 金 曇りのち雨 
日常茶飯事典>ポストフェミニズム トークショウ

 ビデオとSFJ3コマを終えて池袋へ。
7時から小森陽一と竹村和子の対談講演会があるというので、聴講券千円払う。6時45分まで、本をながめたり、椅子に座って雑誌「本とコンピュータ」を読んだ。立ち読みじゃなくて座り読みできる本屋が好き。でも、45分の間に興味があるところはあらかた読んじゃったから、買わなかった。すみませんね、貧乏人で。

 8階コミュニティカレッジへ。客層は、堅そうなおばさんや、いかにも「お茶か駒場でゼミとってます」みたいな院生風か、どっちか。別にいいんだけどね。私だって「鏡開きもとうにすぎてカビが生えたモチのごとく堅そうな食えないおばさん」に見えているだろうから。

 しゃべりは、竹村が話し出すと、小森が横からつっこむという進行。竹村の新編著『「ポスト」フェミニズム』小森の新編著『研究する意味』の宣伝を兼ねたトークショウなのだが、なかなかおもしろかった。
 小森の「日本でもっともたくさん抗日戦争映画を見た少年」として育ったゆえ「抗日軍に取り囲まれ、銃で撃たれて蜂の巣にされる悪夢」を時々見るというトラウマが残った、という話。『小森陽一日本語に出会う』でもロシア語インターナショナルスクールのエピソードが出てくる。米原万里の父親は共産党幹部だったが、小森の父は何者?

 竹村の「『タイタニック』の巧妙なアンチフェミニズム」解釈。労働者階級のデカプリオとブルジョアのお嬢様ローズの恋。ローズが労働者階級に近づいていったようにみせて、その実、タイタニックの日々を回想するローズは、有産階級の自分の地位を少しも失っておらず、結局彼女はなにひとつ失うことなく変わることもなかった。という解釈。この解釈「主人公には変わってほしい」という私の趣味と一致する。

 現在の差別構造が「階層格差増大、貧困階層の再生産悪循環」に陥っているということへも言及されていたし、拡大家族、出入り自由の束縛なきゆるい結合家族、の可能性についても話が行ったところで、終わり。

 質問タイムで「昔のリブ闘志」みたいなおばさんが質問したら、小森はさかんに「次はもっと若い人に質問してもらおう」と、お茶駒場院生風が座っているあたりに顔を向ける。「若い人たちどうですか」と水を向けたが、応答なし。次に質問したのは「若くないので、質問しづらいのですが」とツッコミをいれた「地方自治体男女参画事業推進課で働いています」みたいなおばさんだった。

 若い人たち、どう見回しても「貧困階層の再生産悪循環」の中でのたうち回っているような人はいない。皆、おりこうそうな坊ちゃん嬢ちゃん。
 竹村が指摘したように、上層では男女差別や人種差別はは昔ほど大きな抑圧や差別を生んでいない。優秀な女たち、優秀な有色人種は自分の能力でのし上がり、差別を受け付けない権利を手に入れることができる。問題は、貧困層ではよりいっそう弱い者が差別される構造から抜け出せないことだ。私だって、この講演会に1000円払えるくらいには、なった。世界水準からいえば、貧困層ではないのだろう。

 小森は「最終的には、天皇制の問題にいきつく」と何度か言及して新自著『天皇の玉音放送』の宣伝もばっちり。
 本を買ったらサインするということだったが、図書館で注文することにした。「おばはんより若い人」と、オバハン拒否!?の小森に印税はらわんぞ。

本日のひがみ:若くなくても読むフェミニズム


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20150712
 この12年間代わり映えしなかったこと。
 息子が「人生の長さ=彼女いない歴」であることと、娘が「結婚しない、またはしたくてもできない結婚適齢期女性」であることは、カワリがなかった。こういう時代、持参金をつけてやれる親(または、家の一軒くらい買ってやって、子守もしてやれる親)を持った女性なら早々に結婚相手を見つけられるのかも知れませんけれど。資産なし、年収なしの親ですからね。
 相変わらず母子で仲良くおでかけできる、ありがたい「恋人いない娘と息子」です。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年の磁力と重力の発見」

2015-07-19 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150719
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記7月(7)2003年の磁力と重力の発見

 2003年7月の日記を再録しています。
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2003/07/21日 月 曇り 
トキの本棚>『磁力と重力の発見』

 日曜日の朝日読書欄に『磁力と重力の発見』書評を山形浩生が書いていた。本の著者名を見て「おお、あの山本義隆か」と思う。
 書評を読むと、「本書の著者名を聞いて、書評委員会は一瞬どよめき、自分の知らない時代のできごとが、三十年たっても、深い刻印を残していることにぼくは改めて驚いた。」と山形は書いている。やっぱり、どよめくでしょ。自分の知ってる時代のできごとだもの。

 山形は予備校で山本義隆に物理を教わったのだという。「全共闘騒動の最大の損失は、山本義隆が研究者の道を外れ、後進の指導にもあたれなかったことだ、という人さえいた」と、山形は書く。「でも、プラスの刻印もあった。その事件のおかげで、ぼくをはじめ無数の受験生が予備校でこの人に物理を教われたのだもの。かれが教えてくれたのはただの受験テクニックじゃなかった。物理は一つの世界観で、各種の数式はその世界での因果律の表現だと言うことを、かれは(たかが受験勉強で!)みっちりたたき込んでくれたのだった。」

 こういう文章を読むと、それだけで泣きたくなる。弱い。この山本へのオマージュを読んで、救われた気持ちになってしまうほどの弱虫世代。

 山本らを踏みつけて、80年代90年代をのしてきた元全共闘、元ノンポリ、元心情三派。バブルに踊りつつ、食うためにあるいは「欲っするままにむさぼり食うため」30年生きてきた一団は、「あの時代を引きずっている馬鹿な奴ら」をせせら笑いながら天下り先でもさがすのだろう。

 私は70年には「医療労連組合員」であり、75年には「日教組」だった。
 「出世コース」を突っ走る人を斜めに見てひがみ、全共闘の後、学問の世界から方向を変えていった多くの研究者候補たちが、「ただ時代のためでなく」地に伏した姿を横目で見て、うしろめたく思うのみだった。
 30年前も何もせず、今も何もしていないうしろめたさを背負っている。私は何もできず、何もしてこなかった人間だけれど、でも「自分の生きていく社会を変えたかったし、今でも変えたいと思っている」その思いだけは持続している。たぶん、これって若い世代からは「レトロ」「アナクロ」と、ひとくくりにされてしまう感情なんだろう。

 何年か時代がずれていれば、山本は東大に残り、物理学の研究者として研究生活をまっとうしたのかもしれない。今頃は東大か、どこかで教授になっていたのかもしれない。だが、それがどうした。彼が生きた「予備校講師」の30年で、いくつかの著書を残し、彼の講義を「世界観の醸成」と受け止める予備校生を大学へ進ませ、彼は彼なりに物理学を「彼の生き方」として提示したのが、この著書三部作なのだろう。(読んでもいないのに、予想だけでの感想)

 私は山本義隆の予備校講師人生を断固支持する!「企業に頼らない自立人になる」と言って、田舎町の駅前で焼鳥屋をやりながら、飲むほどに「俺たちの若いころはなぁ」とクダをまくおやじを支持する。あまりもうからないように思える医院で、ぶっこわれかけた医療機器をなだめすかしながら診療する九州田舎町の医者を支持する。

 私は、万国の労働者にもバンコックのストリートチルドレンにも連帯せずに、7月中あと残り8コマの授業をヒーコラとこなすのだ。立て!なえたるモノよ。いまぞ夏休み近し!

本日のつらみ:私に「おまえはプチブル思想をひきずっている、自己批判せよ」と言った者たちよ、私は今でもプロレタリア


2003/07/22 火 曇り 
ジャパニーズアンドロメダシアター>『少女の髪留め』

 イズミさん、今日で辞任。今週中に台湾高雄へ出発。単身赴任で2年間。出稼ぎといっても、イランに出稼ぎにいくアフガン人とは大違い。

 『少女の髪留め』は、テヘランの建設現場で働くイラン人青年ラティフとアフガン難民ナジャフ一家の物語。けがをした父親のかわりに少年ラートマと偽って働く難民少女バラン。バランが女の子とわかって思いを寄せるラティフ。
 なによりバランがとてもかわいい。少年のふりをしていたときは眉も濃くして「かわいい男の子」の風貌だが、ブルカを着た少女の姿になったときは眉も作り、初々しい少女の清純なかわいらしさ。  バランは「雨」の意味だという。バラン役のザーラ・バーラミは、本当にアフガン難民村の出身。ほかのアフガン難民たちの役も、素人のアフガン人が出演している。難民のバランたちがIDカードもなく、ひどい労働条件でイランで出稼ぎしている間にも、アフガニスタンの親戚は、戦場となった町で死んでゆく。

 バランが女の子だとわかってから、ラティフはできる限りのことをしてバラン一家を助けようとする。最後は自分の命の次に大事な身分証明書を売り、金を作ってやる。その金で、一家はアフガニスタンに帰国することになる。IDを失ったラティフの将来は暗いだろう。でも、生涯最初の恋のために、これだけのことができたラティフは幸せ者だ。少なくともちょっとアルバイトをしてはあぶく銭を遊びにつぎ込む日本の若者に比べれば、なんと心豊かに生きていることだろうか。

 この映画が『一票のラブレター』より私にとって心にしみるのは、やはり、ラティフが成長するからなのだ。ラティフは、けんかっ早くて、仕事はできるだけ楽をしようとする17歳。父親から現場主任のメマルに預けられ、給料もメマルによって管理されている。ラートマに炊事係の仕事をとられると、いやがらせを繰り返したラティフが、ラートマが実は女の子だったことを知ると、恋しい女の子に身を犠牲にしてまで献身する男に変貌する。この純粋さ、一途さは幼いゆえとも言えるだろうが、人間のもっとも美しい心を成長させたとも言える。

 この映画を見た日本の若者がアフガン難民の状況を理解できるようになるのだろうか。日本から、ハワイは近いがイランやアフガンは遠い。私は東京と同じような緯度にあるテヘランが冬になるとあんなに雪がふるとは思わなかった。娘は「テヘランはイラン高原にあるんだから、海辺の東京とは条件が違うでしょ。赤道直下でもキリマンジャロには雪がふる」と、まともなことを言う。さすが地理学科。

 世界中、ほとんどの国の学生を教えたことがある私でも、アフガニスタンからの学生は、まだひとりも出会っていない。西アジアの国では、アフガン周囲のパキスタン、イラン、アゼルバイジャン、アラビア半島の石油成金国では、サウジアラビア、クェート、アラブ首長国、バーレーン、オマーン。ヨーロッパに近い方では、トルコ、ヨルダン、シリア、レバノン、イスラエル、パレスチナからの学生を教えた。しかし、アフガニスタンとイラクはない。私にとって、一番縁のうすい国。アフガニスタンが直接爆撃されている間は世界のニュースも報道したが、今はアフガニスタンの情報はほとんどない。バーミヤン遺跡を世界遺産にしようというニュースくらい。それでも、人々はアフガンで、そして難民として他国で生きていかなければならない。

 イラクのフセイン大統領一家は、未だに行方不明だが、莫大な海外資産を形成してあるので、どこで地下潜伏生活を送るのでも、最大級の贅沢三昧ができるのだという。そのほんの一部でもいいからお金があれば、イラクやイランやアフガンに学校を建てたい。

 バランがラティフに別れのことばも告げられずにアフガンへ帰るシーン。かぶっていたベールをさっと下ろして顔を隠す。これは、私の解釈では、「はじめてラティフを男と意識した少女の心の芽生えの表現」
 男のかっこうをして働いている間、顔を晒して平気でラティフの前に出ていた。別れの際に初めてバランはラティフを男として意識したのだ。だから、イスラムの掟に従って、顔を隠した。少女は去ってしまったけれど、ラティフは無視されたわけじゃない。「私にとって、あなたは男として意識される存在よ」とベールの中から見つめているのだ。ラストシーンの雨は、冬のテヘランに春をもたらす雨なのだ。

本日のかみ:少女の髪に春の雨

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20150719
 「彼らの異議申し立て」は、あえなく潰えて、山本義隆も秋田明大も逮捕されました。

 70年の学生闘争も60年の反安保も、力で押し切ってしまえば、そのあと、すぐに国民は忘れる、と、シンゾーさんはじいちゃまに教わって育ったのでしょうね。
 安保関連10法案がまとめて衆議院通過。参議院で成立しなくても、60日たてば、衆院で再度成立させて、国民は秋がすぎて冬になれば、忘れるさ、と考えているのだろうと思います。
 コクミン、なめられていますね。
 廃案になるまで、声をあげつづけなければ。

 「絶対安全」だったはずのフクイチ。今週も雨のために放射能汚染水が、排水路から外海 に流れ出た、というニュースが伝えられました。1971年の運転開始日には、国民は「絶対安全」を信じさせられていたのです。

 曖昧な説明のままでは信じたくても信じられないから、ちゃんと説明してと、コクミンが求めているのに、「法案通してしまえばこっちのもん」という政府。コクミンはバカだから、のど元過ぎれば熱さ忘れると、いう方針、なんとかならんでしょうか。

 ほんとうにこの法案が必要ならば、憲法違反をせずに、改憲から国民みんなで考えていくべきです。時間がかかっても。現在の憲法を私は支持していますが、占領下で決定されたことに不満を持つ人がいるなら、もう一度みずからの意志で戦争放棄を選びたいと思っています。

 権力にある側が国の根本である法律を無視していいなら、子供は赤信号など無視しますって。法を守らなくてもいいと、子供に教えたくないです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年の中学技術科試験問題」

2015-07-18 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150718
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記7月(6)2003年の中学技術科試験問題

 2003年三色七味日記再録です。
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2003/07/19 土 曇り 
日常茶飯事典>1学期、中3試験問題

 きのう終業式のあと、息子のクラスメート、村長が家にきて、夕方までゲームをしていたのだという。「わぁ、こんな散らかり放題の家にきてもらったら、恥ずかしいじゃないの。土日で少しはかたづけるつもりだったのに。」と言うと「だって、終業式がおわってから、村長がこんな通知票親に見せたくないから、できるだけ帰宅時間を遅くしたい、っていうから、急に家にくることになったんだ。ぼくのよりずっとましな通知票なんだけどね」そりゃ、あんたのより下だったら、やばいって。

 それにしても、村長はこんな「片づけられない女」の住処を初めて見たのかもしれないから、驚いたことだろう。うさぎの糞はころがっているわ、うさぎの噛みちぎった段ボールはそのままになっているわ、お茶碗は流しに山盛りだわ、服はいすにどんどん積み上げてあるわ、テーブルの上はスペースの半分が物でうまっていて、食べるスペースがない。クラスメートお母様方の優雅な主婦生活からは想像もつかない、ぐちゃぐちゃホームキーピング。でも、こういう家もあるんだということを知るのも、社会科見学!中学生よ、世の中は広いのだ!こんなゴミ箱の中のような家でもスィートホームだ、埴生のやど。

 息子の通知表、たしかにどの科目も期末テスト点は、かぎりなく底辺をさまよっている。しかし、問題と答えをながめて「うん、成績は悪いけど、息子よ、まだまだ大丈夫」と言えるものだった。

 全教科の中で、一番学年平均点が低い社会科公民でも、62,2点。もちろん息子は平均以下の50点。「資本主義社会成立史」というような問題で、経済学部の一般教養経済史レベルの出題。
 1番の文章穴埋め書き込み問題12問。
 「自給自足、ガレー舟、古典荘園制、フォーブル、重量有輪犂、塁壁、ブルグ的集落形成、燕麦、内陸貿易圏、贅沢禁止令、グレシャムの法則、トーマス・モア」を書き込む。そのうち、息子の正解は3問、ガレー船、内陸交易、ぜいたく禁止令のみ。内陸貿易圏を内陸交易と書いたのはおまけで○になったが、古典荘園制を「古代荘園制」と書いたのは、おまけしてもらえず、×。
 私は、ブルグ的もフォーブルもグレシャムも知らない。トーマスモアについてはユートピアしか知らない。経済史の面で何をした人だったのだろう。グレシャムは名前だけは聞いたことがあるが、フォーブルは名前を聞くのもはじめて。

 2番(8)の「二圃式農業と三圃式の経済上の違い」を記述する問題で、正解は「畑の耕起を牛馬に頼る時代、労働力は耕作の拡大にとって大きな限定要因として働いた。休耕地の土壌維持に手間のかかる二圃式に比較し、三圃式では犂耕量を効率的に耕作地にむけることができるため、耕作地の拡大をはかることが可能となった」
 息子の記述「耕作地は年一度、休耕地は年2度耕す必要がある。休耕地の割合が減った分、耕作地が1,5倍程になった」で、満点の5点になっていた。おまけか。
 3番でも正解「ノーフォク式四種輪作農法」息子は「ノーフォク式」を抜かして「四種輪作農法」とだけ書いたため、×。合名企業と書くべきところに「有限会社」と書いて×。

 この公民問題で90点以上とれたのは、120人中1人だけだった。(ひとりいるのかよ!)しかし、他の科目では、数学代数は、90点以上が51人、幾何はなんと61人が90点以上なのだ。半数が90点以上。

 しかるに息子は、1番のサービス問題、ひとつの三角形に内接円もうひとつに外接円を描くという基本問題に、なんと両方とも外接円を描くという、これまた基本的ケアレスミスをおかしている始末で、68点。ま、このケアレスミスがなくて2点増えたとしても、70点では幾何最下層なのである。おそるべし、スーパーサイエンススクール。

 鉄緑会などの塾に行っている人たちは、この程度の期末試験問題朝飯前、半数が90点以上と言うことは、スーパーサイエンスの基準では、とてもやさしい問題なんだろう。

 しかし、私の目には、塾にも行っていない息子が、学校の授業を受けただけで、家では5分も勉強しないで、よくもここまで正解していると思ってしまう。少なくとも、25年前の市立中、5年前の区立中の数学と比較すれば、息子は、決して数学ができないわけじゃないと思う。ただ、国際数学オリンピックメダリストレベルといっしょにやらなければならない、完全文科系の息子に同情。

 技術科の「フォトベリオリズム光周反応の概略と、それを応用した栽培技術について説明せよ」という一問だけの記述問題については、おもしろい試験結果が出た。まじめに図書館やネットで調べに調べて、きちんと解答し90点以上を獲得したのが120人中84人。70点以上90点以下という中間レベルがたったの8人、授業でノートに書き取ったことをそのまま書き込んだ「技術は適当でいいや組」が60~69点で26人、50~59点が3人。50点以下なし。点数分布が完全にふたつの山に分かれるという、生徒の「より進んだ学習に対する意欲」を看取るにちょうどいい。

 息子は、むろん下の山。息子の「フォトベリオリズム」についての記述解答


 「植物は決まった季節に花をつける。つまり植物には季節を判断する方法がある。そのひとつに日の長さによって季節を判断するものがある。それが光周反応である。
 植物には長日植物、短日植物、中性植物がある。長日植物は日の長さが長くなると、短日植物は短くなると、中性植物はそれとは関係なく湿度などによって、開花する。植物によって、どこまで日が長くなるとあるいは短くなると開花されるという限開日長が設定されており、それを越えると開花するようになっている。
 植物は主に葉で光を感知している。以前は日が当たっているとき、明部によって日長を認識していると思われていたため、長日、短日という名がついているが、実際には日が当たっていない夜、暗部の時間によって日長を認識していることが分かった。長日植物は夜が短くなると、短日植物は夜が長くなると開花するのである。
 これを利用すれば、好きなときに開花させることができる。電照で人工的に昼と夜をつくり、夜を限開日長にあわせて短く(長く)するのである。
 また植物は暗部を明部で分断すると、暗部を短く認識することも分っている。この場合、分断する光はライトが少し当たったくらいではだめで、十分光合成が行える程度必要である。
 これにより電照を少ししか当てなくても夜を短くすることができる。暗部の間に30秒光を当てることにより、暗部を分断するのである。実際には暗部が12時間でも、6時間だと思わせることができるのである。これによりコストを削減できる」


以上で、B4解答用紙の半分が埋まり、あとは暗部と明部分断の図が書いてある。
 これで、評価は「B」だった。う~ん、私には、これで十分フォトベリオリズムとは何かが伝わったのだがなあ。「へ~」を20回たたきたい。あえて言うなら、後半の応用栽培技術について、もっと具体的にこの花は、こうやって咲かせるという例が書いてあるといいかな?
 たぶんA評価は、B4全部を使って、ぎっしり埋めて書かれているのだろう。

 技術科の指導要領など読んだこともないが、むろんこの出題は指導要領範囲を逸脱していると思う。スーパーサイエンススクールは、技術科だって、こんなことを理解させているのだぞと、いうんだろうなあ。ますます文科系の息子に同情。

 と、いいつつ、文科系の国語と英語もいい点がとれているわけではない。英語は三角形のとんがり部分に属する!と、いっていもピラミッドは逆三角。80点以上が120人中70人、順次逆ピラミッドを形成し、息子はピラミッド頂点のとんがり、つまり一番下にいる。

 古文はまままあだったが、現国は平均67,4点、最低点が50点のところ、下から2番目の52点というありさま。英語は課題の英作文未提出、現国もきっと課題作文未提出があるのだろう。しかるに、息子の国語力、新聞が読めて批判ができ、自分の意見を述べることができるのだから、よしとする。英語は基礎英語を聞き、理解できるのだから、よしとする。という私の基準で判断するから、息子も自分の点数に少しも動ぜず「中3、1学期も、ひとつも勉強しないでも期末がなんとかしのげた」と思ってしまうのだろう。しのげてないって。

 学校からは「親がそんな甘い態度でいると、あとで泣くことになる」と言われてしまうのだろうが、東大だけを目標とするのでなければ、なんとかなると思ってしまうこの甘さ。あとで、泣くことになるのだろう。きっと。

 娘は、金曜夜から「前期試験終了クラスコンパ」に参加。お酒が飲めないのでこれまでコンパのおさそいは全部ことわってきた。高校のコンパは「お酒を飲まないのは高校生として当然」という了解があるからいいけど、大学生のコンパでは「20歳未満であっても、飲むのが当然」という雰囲気になって、いちいち「飲めないから」と断るのがめんどうくさいし、たばこの煙が充満しているところでは息も吸えないから、参加したことがなかったのだ。今回はじめて、1次会居酒屋、2次会カラオケ、3次会喫茶店までつきあった。「みんな、気をつかってくれて、たばこも吸わないようにしてくれたし、楽しかった」という。
 クラブやサークルも「サークルで活動することより、コンパが目的のようなのが多いから」という理由で、何もしてこなかった。大学生活は勉強よりサークルが主体という学生も多い中、なにも参加しないのでは学生生活が寂しいものになるんじゃないかと余分な心配をしてきたけれど、はじめてコンパに参加していい雰囲気だったのなら、よかった。

本日のひがみ:ブルグ的集落形成ってなに?  


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20150718
 息子の中学校の期末試験の問題を記録していたのを見て、あらためてスーパーサイエンス校の試験問題にびっくりした。私にもさっぱりわからない問題の数々。こんな高度な内容を中学生にやらせてドースル。文系息子にはつらい授業だったろうなあ。
 まあ、息子は、このあと、サミダレ登校に入り、中3の三学期からは不登校。高校は一日も授業に出ず、押し入れに引きこもって1年と半年間過ごし、16歳と8ヶ月で高校卒業資格認定試験に合格した。そのあとまた1年半を押し入れの中でゲームしてすごし、センター試験を受験。センター試験で入れる私立に潜り込む。現在博士課程の3年目。

 息子と同学年クラスメート160人のうち、100人は東大に入ったことだろう。
 今でもあの中高一貫男子校は、フォトベリオリズムだのブルグ的集落形成だのノーフォク式四種輪作農法について、試験問題が出ているのだろうなあ。
 息子はただ、野田秀樹の後輩になりたくて入学しただけだったのに。6年生のころは演劇やってたから。

 息子が博士課程でどんな研究をやっているのか、わかっていませんでした。むずかしげな古文書のプリントやら本やらが散らかっているのを見て、戦国期の政権論をやっているということは推測できたのですが、息子は自分の研究について、何も話さない。

 今月、息子は博論の研究発表をしました。その「発表原稿」の「校正前下書き」が、古新聞の間に重ねられて捨ててあったので、拾いました。そして「歴史資料論」という授業に提出するレポートの「印刷失敗プリント」も、同じく古新聞の置き場から拾う。

 息子の研究内容概要の一部が、わかりました。
 セオリー通り、最初は、従来の戦国期政権論の先行研究のまとめ。本論は、それに対する反論を、ひとつひとつの一次資料をしめして述べています。歴史資料の扱い方統計の取り方を含め、きっちりとした論述になっているので感心しました。歴史の1ページに新しい論を示すことができていると、思いました。審査の先生たちはどう評価するのかわかりませんが、親ばか評価は「秀」です。
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年の一票のラブレター」

2015-07-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150716
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年7月(5)2003年の一票のラブレター

 2003年7月の日記を再録しています。
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2003/07/20 日 曇り
ジャパニーズアンドロメダシアター>『一票のラブレター』

 朝6時、息子水泳部夏期合宿に出発。いざ出発というときになって、バッグのファスナーが壊れていることがわかった。あわてて、リュックサックの方に詰め替えたら、こちらも前ポケットファスナーが兎タイムに齧られていてぼろぼろ。しかし、とりあえず、前ポケットには物をいれなければいいので、リュックで出かけた。いつもぎりぎりに準備するからこういうことになる。

 午後、イラン映画『一票のラブレター』を見る。

 『一票のラブレター』は、ペルシャ湾の小さな島の一日の出来事。朝、8時半モーターボートから選挙管理委員会から派遣された管理委員の娘が島に上陸する。伝統的なブルカに身を包んでいるが、きちんと教育を受けたしっかり者だ。密輸監視が主な仕事の兵士が護衛になり、ジープで島内を回る。行く先々にさまざまな島の暮らしがある。
 神に投票するという太陽電池発電所管理の老人あり、選挙したら魚が捕れるようになるのか問う漁師あり、という具合。16歳以上の男女に選挙権があるとはいえ、女たちの大部分は文盲なのだ。伝統的な社会に生きる男たちに選挙が何かを理解させることもむずかしい。それでも一日のうちに、何票かは集まり、管理委員としての仕事を果たせた。

 兵士は最初は女の分際でと思っていたが、一途に民主主義の必要性を信じ、投票の大切さを人々に説く娘にしだいに心を惹かれるようになる。最後に自分の投票として、娘の名前を書き入れる。娘は「私は候補者じゃない、候補者の中から選ぶってことは、今日一日選挙の説明を聞いていたのだからわかっているでしょ」というが、兵士は「秘密投票だから、だれに入れてもいいのだ」と言う。娘の名を書き込むことだけが、兵士の恋の表明なのだ。

 娘は、都会で高等教育を受けた上流階級の娘である。教条的に「民主的選挙」を説いていたが、実際の世の中を知っているわけではない。兵士がこわれた赤信号を守って車を動かさないでいた態度から、「国が決めた法律がすべてではない」ことも知る。
 任務を終え、娘は迎えの飛行機に乗って帰っていく。空高く飛び立つ飛行機と、海岸に置かれた粗末な野営ベッドの対比のごとく、兵士の淡い恋心は、高嶺の花へのあこがれだけでおわるのだろう。

 冒頭最初のシーンは、投票箱が飛行機からパラシュートで投げ落とされる場面から始まった。空から民衆にいきなり落とされる選挙権。選挙権を与えるなら、識字教育も与えて当然だろう、と思ってしまうのは、江戸時代でさえ識字率50%を越えていた日本に生まれ育った者の感想だろうか。
 島では、ペルシャ語以外のことばもあって、通訳を介さないと選挙の意味もわかってもらえない。ケニアの選挙では、候補者ごとにシンボルマークを決め、ラジオマーク候補、とか、飛行機マーク候補、机マーク候補などに○をつけて選ぶ方式だった。イランでは、候補者にシンボルマークをつけることは許されていないのだろうか。字が読み書きできない国民が存在することがわかっているなら、絵やマークで選ぶほうがいいと思うのだが、偶像否定のイスラム教では許されないのかもしれない。

 娘は一日の経験で、一般民衆の暮らしや教育レベルについて身にしみてわかったことだろう。しかし、彼女がこれからどのように変わっていくのか、あるいは変わらないのかは映画からはわからない。たぶん、この映画では、ペルシャ湾の光景や人々の暮らしを味わうべきなのだろう。でも、監督が「観光映画」や「映像詩」としてイランを描くのなら、もっと別の題材でよかったような気がする。空から降ってきただけで、地に根付いていないイランの民主主義とは何か、を描いたのでもなし、少女の一日の成長を描いたのでもなし。じゃ、何を?

 我が国の選挙。解散近しと見て、何をするかというと、辻本逮捕。マキコはおかまいなしなのに。与野党とも泥沼。選挙するわれわれももっと泥沼。空から投票箱が降ってきても、書き入れる文字を知らないペルシャ湾の女たちと、泥沼の中で顔に泥をなすりつけ合っているわが被選挙民たちと。私の一票のラブレターは、次回も届かないだろう。

本日のかみ:投票用紙に書くのは君の名

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20150709
 映画『一票のラブレター』では、投票を呼びかけても応じられる人が少ないことに主人公はやきもきしていました。投票するのに字が書けない人もいるし、砂漠を越えてはるばる旅しなければ、投票できないという地域もありました。

 国民が民主主義を達成し、自分たちの運命を自分たちで選び取るということ、そう簡単なことではないことを忘れないようにしたいです。

 OD先生は私のボス。8月は、ヤンゴン大学におらず、日本に帰っています。
 ボスは、日本で数少ないミャンマー学の専門家。1960年代にビルマ語を専攻してビルマそしてミャンマーと深く関わって研究を続けてきました。温厚篤実な人柄でとても尊敬できる方です。彼は、今「ミャンマーの民主化」と深く関わって研究を続けていて、この夏は「ミャンマー人のための民主主義教科書」の編集に携わり、ようやく出版にこぎつけたところです。

 長く軍事政権が続いたミャンマーで、「さあ、民主主義です。民主化が達成されたので、投票して国の代表を決めましょう」と言っても、それが自分の生活とどう関わり、自分の投票がどう国を動かしていくのか実感を持って投票できる人がまだ少ない。

 長く民主主義を続けてきたと自負する日本でも、どうやらことはそう簡単なものではない。
 莫大な経費を費やして、「オレ様の大阪都構想の反対派を黙らせるには、住民投票がいちばんてっとリ早い」として、実施された住民投票。
 僅差で反対派が勝ち、一弁護士に戻るという市長は「引退宣言」を行いました。でも、きっと「大阪の行政からは引退するけれど、次は国政に参入だ」という意味だと、大方のひとは受け取っています。これで本当に一弁護士業務のみに徹するなら、徹ちゃん、本物の民主主義者だと評価します。もし、国政とかにしゃしゃり出てきたら、大阪府民、市民は「馬鹿にすんな」と、言うべきですよ。

 民主主義の基本は、わたしの一票、あなたの一票。ミャンマーの民主主義がんばれ、、、、日本も。

 しかるに、強行採決。
 民主主義の破壊に思えます。
 この、「国民の大半が、まだ法案を採決出来る段階にはない」と考えている法案を「多数決だから」と数の論理で押し通すとしたら、「憲法無視」という「国家の破壊」というくらいの出来事になります。心臓にナイフを突き立てて「平和を守るためには武器をとらなければならない」と叫んだところで、ナイフが心臓を打ち破っている状態で、どのようにして平和を守れというのでしょうか。

 春庭は、今、政府がゴリ押しで成立させようとする諸々の法案に反対し、論議を尽くすべきだと考えます。

 「よそから攻めてきたらどーすんだ」と、法案賛成の方々はおっしゃいます。
  闘うことだけが解決の方法でしょうか。イランに核開発疑惑があるとしてアメリカは先制攻撃をすると脅しをかけてきましたが、その脅しでは解決せず、国際的な地道な話し合いによって、イランの核問題が最終的に解決への道にこぎつけました。長い外交努力が実を結んだのです。
 国際紛争の解決は、「攻撃されるかもしれないから先制攻撃」「攻撃されたら反撃」だけではありません。時間はかかるかもしれないけれど、このような話し合いでの解決もありうる。

 戦争を法案化したい人たち、そんなに戦争によって解決したいのでしょうか。外交努力という方法は、まだろっこしいと思っているのかもしれません。
 私はイランとの交渉が、戦争でなく協議によって最終合議に至ったことを喜びたいと思います。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年のセンターポジション」

2015-07-15 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150715
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年7月(4)2003年のセンターポジション

 2003年7月の日記再録です。
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2003/07/14 月 雨 
ニッポニア教師日誌>授業

 漢字、作文2コマ。

 娘は今週いっぱい前期期末試験。

本日のなやみ:単位おとすな脂肪をおとせ


2003/07/15 火 曇り
ニッポニア教師日誌>授業

 漢字、SFJ3コマ

 生まれてしおにゆあみして、波を子守の歌ときく~。留学生、漢字の授業を子守の歌ときく。ごめんね、面白い説明ができなくて。

本日の波:眠いウェイブは隣の席に波及する


2003/07/16 水 曇りときどき小雨 
日常茶飯事典>センターポジションは、私

 午前中Aダンスィング。
 今週から先生はバリ島へ出かけているので、サークルメンバーだけの自主練習。
 フィナーレのラインポジションで、サークル内に争いが。みんなセンターポジションで踊りたいらしい。
 私はセンターポジションで踊りたくない。前列センターポジションで踊る人は、ほかの人の踊りを見ながら踊るわけにはいかないからだ。自分でふりつけを全部覚えなければならない。
 私は常にセンターの人を見ながら、半テンポ遅れで回転したり足あげたりして踊る。ワンテンポずれると目立つし振り付けを覚えていないのがばれてしまう。ずれを半テンポ以内に納めるのがこつ。
振り付けを覚えようとすると、ストレスになって、ストレス解消のダンスじゃなくなる。

 午後、先週レポートを持ってこなかったふたりの分をうけとって、水曜日今期の仕事は全部終わり。あとは成績付け。

本日のつらみ:踊ってだけいられない主婦のダンス


2003/07/17 木 曇りときどき小雨 
ニッポニア教師日誌>学校を建てよう

 期末試験2コマ。日本事情と作文の試験。同じ問題なのに、去年に比べるとずっとできがわるい。日本史問題の採点を終えてから帰宅。作文はあとで。
 ともあれ、前期日本事情のクラスはこれでおわり。留学生たちは疲れをとり、家族に留学中の生活を語るために帰国する。夢を抱いて留学して、現実はどうなのか。夢のとおりの留学生活か、現実の前に夢が破れてしまったか。

  金曜日のビデオの時間、『新基礎復習ビデオ』第一話「宝くじ」を見た。主婦なつえが初めて宝くじを買い、2等300万円が当たったと誤解して一家でぬか喜びする話。家族でそれぞれの夢を語り合い、夢やぶれてがっかりというストーリーだ。
  視聴後の会話トピックとして、「300万円あたったら、何がしたいですか」という質問をする。「~たいと思う。~ようと思う」の文型を使うように指示。「私は、世界中を旅行したいと思います。たくさん本を読もうと思います」と例文を出す。

 ケニアのショーの夢は、「農場を買いたいと思います。学校を建てようと思います」というものだった。「農場に動物がいます」というので、「買う」とアクセントが異なるが、ひらがなで書くと同じかきかたになることばとして「飼う」を教える。
 「飼いたい動物はライオンとキリンですか?」と冗談を言うと、大慌てで単語を思い出そうとするが、彼は辞書を引かない主義なので「家畜」という言葉が出てこない。ショーは「ドメスティック・アニマル」と答える。「牛と馬?山羊と犬ですか?」と聞くと、「馬はいらない、牛と山羊と犬」。ほんと、ドメスティック。しかし、ションの答えを聞いて、私も例文「世界旅行」の夢を訂正。「私も本当は学校を建てたい」と、言う。

 カンボジアに「大学の寄付で建てられた小学校」があり、仏教学科や国際科の学生がボランティア活動を行っていることを学生のレポートで知った。日本の企業や大学は世界各地に会社や学校名を冠にした学校を建てるとよいと思う。
 夫がやっている「フォスターペアレント」は、お金を寄付すると援助国児童の学習支援費になる。児童からたまに手紙が届く。それだって無いよりましだが、実際に学校を建ててるほうが、もっといい。そこに日本から高校生大学生を派遣すれば、日本の若者の教育にとっても、有意義なことだ。

 援助を必要とする国を支援でき、自国の若者の教育にも役立つなら税金で行って欲しい事業だが、われわれの税金はイラクに自衛隊を送るのに使ってしまうらしいから、自分たちでなんとかしなければならない。

本日のうらみ:自分で払う税金の使い道を自分で指定したい。

2003/07/18 金 曇り夜から雨
ジャパニーズアンドロメダシアター>『ラストプレゼント』

 ビデオ、会話3コマ。を終えてから、ギンレイへ。
 娘が『猟奇的な彼女』の併映作品『ラストプレゼント』を見て「泣けるから見ておいた方がいい」と言うので6時から見た。

 裕福な家の息子ヨンギは売れないお笑い芸人。みよりのない娘ジョンヨンとの結婚を両親に反対され勘当されている。妻は病身を隠し、小さなベビー用品屋を切り盛りして夫を支えている。反対を押し切って結婚したのに、赤ん坊が死んでから、二人の間はぎくしゃくしている。妻は必死に夫が芸人として成功することを願い、夫は妻の体を気遣っているのに、表面上は互いにぎすぎすしたままだ。
 実は、ジョンヨンにとって、ヨンギは小学校のとき転校してきてまたすぐ転校して去っていった片思いの相手だった。ヨンギにそれがわかり、芸人として成功のきっかけがつかめそうなとき、ジョンヨンは死んでしまう。

 もう典型的な病気ものの泣かせ映画。主演の李英愛イ・ヨンヘがとてもきれいなので、見ていられたが、キムタク美容師と不治の病の常盤貴子の恋愛話のように、すれた大人にはちょっと気恥ずかしい愛情物語なのだ。しかし、まあこういう話で涙を流すことが必要なんだろうと思う。

 ジョンヨンはなぜ子供の頃同級生であったことを夫ヨンギに話したことがなかったのだろう。恋人同士になれば、お互いに相手のことを知りたいから、学校時代のこと、家族のことふるさとのことを話し合うものなんじゃないだろうか。小学校のことを話せば、当然同じ小学校に在校していたことがわかるじゃないの。夫が妻と同級生だったことを完全に忘れていたから、妻はあえて秘密にしてきたのだろうか。転校というのは、小学生にとって、強烈な生活の変化だから、ヨンギが転校した学校のことを忘れていたとは思えないのだけど、そこをつっこんではいけないのだろ。せっかく間抜けな詐欺師コンビがいっしょうけんめい「妻の初恋の相手は夫だった」と、探してくれたのだから。

 キムタク美容師と下半身不随不治の病を持つ図書館員との純愛が30%の視聴率を得たのも、もはや日本にこのような「純粋恋愛」が存在しなくなったからゆえだろうと思っていたが、この映画が韓国で大ヒットしたということは、もはや韓国にもこのジョンヨンのような「自分のことはあとまわしにして、夫にひとすじ尽くしまくり」タイプの妻がスクリーンの中にしか存在しなくなったということなんじゃないだろうか。

 少なくとも、わたしが見てきた韓国人女性は、もっと辛辣でたくましく自己主張が強く、そしてなにより「じぶんより金があり、自分に今以上の暮らしとステータスを保証してくれる男」を求めていた。
 日本に留学しよう、という意志をもったという時点で、すでに一般の韓国女性より、はっきりした強さを持っている人たちだったのかもしれないが、皆強くたくましく、貪欲に自分の人生を求めていた。ジョンヨンのような「耐えて耐えて夫に尽くします」タイプはまだ韓国のどこかにいるのだろうか。

本日のちぢみ:チヂミ食べて耐えよう、夫が収入得られるようになるまで

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20150715
 ジャズダンスの練習、続けています。
 が、会員が老齢化。怪我でやめた人、体調悪くなり療養のためにやめた人、それぞれの事情はあるのですが、会が維持できないところまで落ち込んでしまいました。私は8月9月のミャンマー赴任中も、会の維持のために会費は払い続けることにしましたが、9月の発表会には出られません。
 中国赴任中は、この腹をくねらせて「ベリーダンス」を習ったのですが、ミャンマーではどういう運動でストレス解消しようか、思案中。

 マララ基金による学校がシリア難民女子のためにできたという。「学校を建てる」「女性のための学校」を着実に実行していくマララさん。IS国や他のイスラム組織に暗殺される危険にさらされる毎日でしょうが、どうぞ、ご無事で「教育を受ける権利」のために活躍してほしいと願っています。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年のケニア同窓会」

2015-07-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150714
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記7月(3)2003年のケニア同窓会

 2003年7月の日記を再録しています。
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2003/07/11 金 晴れ 
日常茶飯事典>ケニア同窓会

 ビデオと会話3コマこなして、6時から渋谷で、Goケニア同窓会。
 Go副社長大阪支社代表のポンドさん幹事で、1980年前後にケニアで知り合った10人が集まった。私が直接知っている人はポンドさんのほか、ブラックさんとマサさん。あとの人は知らなかった。ポンドさんが予定の6時より遅れて6時半から始めたので、きっちり8時まで2時間しかいられないシステムの店であわただしかった。
 あと知っている人はセベさんだが、彼は遅れてきて、ちょっとだけいて、さっさと帰ってしまった。セベさんはAA学院で西江雅之にスワヒリ語を教わった。セベさんからスワヒリ語を習った私は、スワヒリ語に関して、西江先生の孫弟子。言語学に関しては直接教わったけど。

 ドトールに移動して、コーヒーいっぱいでさらに2時間のおしゃべりタイム。私はほとんど聞き役で、マサさんがいちばんしゃべっていた。週刊タイムに記事を書いているという人、ポンドさんセベさんとAA学院の同級生という女性からも、もっと話を聞きたかったが、ふたりは先に帰ってしまい、ドトールには寄らなかった。

本日の飲み:生ビール2杯、コーヒー1杯

2003/07/12 土 晴れ 
日常茶飯事典>ホタル狩り

 午後、娘と息子はタイムをうさぎクリニックに連れて行く。普段に比べて食べなくなり、糞が小さくなったため。元気はいいので、腸の病気とかでなく、うさぎの持病の「毛球症」だろう。体の毛をなめるため、腸に毛玉が貯まるのだ。ときどき毛玉をとかす薬をあたえなければならない。
 その間、私はエアコン工事に立ち会う。

 夜、公園に蛍を見に行く。今年はこれまでの中で一番蛍の数が少なくて、あまりきれいじゃなかった。いつもは橋の上から飛び回る蛍が見られるのに、今年は橋に人がたまっていないので、あれっと思ったら、じっとながめていたいほど蛍がいなかったのだ。
 でも、まあ、蛍見物は、花火見物とならんで我が家恒例「無料夏のイベント」
 蛍をみると「ああ、夏だな」と季節感満喫。

本日のつらみ:蛍の光、足らず


2003/07/13 日 曇りのち雨 
ジャパニーズアンドロメダシアター>『猟奇的な彼女』

 館内は超満員で、私と息子は座れたが、娘は座る椅子がない。「私は明日すいているときに見るから」と、娘はパソコンを届けに夫の事務所へ。

 韓国映画『猟奇的な彼女』。韓国映画を見るのは『西便制』以来。現代韓国を舞台にした映画を見るのは初めてだ。タイトルはすんごいが、英語タイトルは「My sassy girl」直訳すれば「生意気な女の子」にすぎない。
 韓国語で漢字の「猟奇的な」の意味は、「奇妙な、変わっている」だそう。それにこの映画の影響で「クールでかっこいい」という意味も付け加えられて若い人が使うようになったんだとか。映画が語意を変えた。

 「猟奇的」とタイトルがつけば、日本語の語感ではその後ろに殺人事件でもこなければおさまらないところだが、「猟奇的な彼女」とそのままの文字にしたのは配給会社の陰謀か。たしかに「生意気な女の子」というタイトルなら、こんな座る席もないほどの人気映画にはならなかったかもしれない。

本日のやっかみ:30年前のsassy girlは、男どもに毛嫌いされたぞ。もてなかった「生意気女」のやっかみ。

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201507014
 1979年に出会ったナイロビ同窓生たちと2003年に再会。なつかしかったけれど、この時、タカ氏は参加せず。
 ケニアで出会ってから35年。ナイロビで青春をすごした人々、どうしているでしょう。

 ナイロビで出会った人たちの中で、ミニーというケニア人がいました。日本人と結婚したけれど、ご主人は経営しているラーメン屋の仕事が忙しいから、奥さんの帰省に同行していませんでした。ケニアに向かう飛行機の中でことばを交わしたミニーと、ナイロビの町でばったり出会ったのでびっくりし、いっしょにいるケニア人男性を紹介してと頼んだら、「夫です」と言うのでまたまたびっくり。「え?ご主人は日本人なんでしょう?日本にいるんでしょう」と尋ねると、「日本にいるときは日本人が夫だけれど、今わたしはケニアにいる。ケニアにいるときは、ケニアの人といっしょに暮らす」と、悪びれた風もなく言う。

 「今現在いっしょに生活している人が家族であり、今現在、夜いっしょに寝る人が夫」という彼女の考え方を教わりました。
 家族観はひとぞれぞれであり、「夫婦が離れている場合、妻は夫のみを愛して貞節を守るが、夫は現地妻を持つのも自由勝手」という考え方をする地域もあれば、「離れているときは、それぞれが自由に暮らす」という夫婦の考え方もあるのだと知らされ、私は「日本の固定した文化の見方だけで判断してはいけない」ということを、ミニーから学びました。

 中世ヨーロッパで、十字軍に従事する士卒が、妻の身体に「貞操帯」をつけさせて、妻が決して他の男と肌をあわせることができないようにした、というのも、離れていたら浮気するのが横行していたからこそ、そういう発想が出てきたんでしたね。
 
 1年に一度だけ会うのを許された恋人達。牽牛さんは、その1年の間、浮気なんぞしなかったのでしょうね。まさか、牽牛は織り姫に貞操帯をつけさせていた?いやいや二人は心から愛し合っていて、、、、、わかりませんけど。

 1979年の夏のナイロビを飛び回っていた西江雅之先生が6月14日に亡くなりました。文化人類学者、旅行エッセイの名手などなど肩書きには収まりきれない先生でしたが、私には言語学の師匠。
 サバンナを吹く風のように、カリブ海の雲のように、自由に世界中を旅した西江先生、いっそう自由な魂となって、吹き渡ってください。合掌。
 先生は一学生のことなんぞ忘れているか、覚えていたとしても「君なんぞに合掌されても、なんの御利益もあげません」と、おっしゃると思いますが。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年の報道写真展」

2015-07-12 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150712
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記7月(2)2003年の報道写真展

 2003年7月の日記再再録です。
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2003/07/06 日 曇り
日常茶飯事典>報道写真展

 恵比寿の東京写真美術館へ。2階で2003年報道写真展を見た。1階と3階はロバートキャパ展、アフリカ写真展をやっていて、私はそちらのほうが興味をそそられたけれど、もらった招待券は2階だけのものなので、2階だけ見て帰る。自分で入場券を買ってまで見ようとはしないところが、なんともケチ。キャパは大好きだし、アフリカも好きなのに。

 報道写真はイラク戦争報道など、迫力のあるものだった。現場に迫りその目で見てファインダーに納めてくるという行為をなしえる写真家の仕事を尊敬する。私は対象に近づけないもの。こわいから。

本日のそねみ:キャパのピンキーになりたかった


2003/07/07 月 雨 
日常茶飯事典>アルタイルデート不可ピザ

 漢字、作文2コマ。

 息子はやっと期末終了。テスト終了記念にボーリング大会。村長ら4人で。
 「学校生活に関わることはお金を出す」という約束。「ボーリングにつきあうのは、これからの中学校生活に欠かせないクラスメートとの友情と結束を確保するための必要経費」というので、3ゲーム分1300円を出すことに。ま、村長にはこれからもお世話になるだろうし、「学校生活に必要な経費」として許可する。

 でも、1週間プチ不登校の間の公民のノートをコピーさせてくれたのはウェイくんだし、幾何テストのとき、あれほど忘れるなと念をおしたのに、忘れていったコンパスを貸してくれたのは、隣の席のしんくんだ。結局、皆々様にお世話になっているんだな。しんくんありがとう。世界中から主体思想が消え去っても、コンパス貸してくれたクレヨンしんちゃんの親切を忘れません。

 今日の公民は山はずれ、理科Ⅰは物理を捨てて化学でなんとか赤点のがれ、というところだったが、全体的には2年生のときに比べ、少しはできたという。
 去年は聞き取ったことを書き取る際に、スペルが全部まちがっているので、LLは点数にならなかったが、今年は聞き取ったことを記号で選択する方式に変わったので、LL点数がふえる。「スペルはめんどうだから捨てたんだけど、正解だったね」と言うのだが、正解か?

 一太郎の英単語校正機能、スペルがあっていない語の下に波線が出るだけ。校正というからには、クリックすれば正しいスペルに変わる機能もほしいのに。もしかして私がその機能をしらないだけなのか。
 息子は「将来はスペルを丸暗記する必要はなくなる。英語文章中にI habe a kyatto.と打ち込んでもワープロが I have a cat.と、直してくれるようになる」というのだ。「パソコンが全部処理するから」と判断して、スペリング練習しない息子の成長速度と、ワープロソフトの進化と、どちららが先か。

 ともかく、無事1学期の山を越えたし、七夕なのに雨でデートができないアルタイルのためにという理由をつけ、娘の希望で夕食はピザ宅配。ピザとアルタイルに何の関係があろうか。ないけど。

 我が家ではピザの宅配は「ぜいたく」夕食の部類なのだ。カマンベールミルフィーユMとポテトピザSとエビとチキンの唐揚げで4500円。1500円分のクーポン券を使って、消費税込み3200円。一人分は1066円。
 「たまには、いいよね。でもこの次ピザ頼むのは、またクーポン券もらったときだね」といいながら食べた。

本日のうらみ:1年に1度くらいは会わせてやろう


2003/07/08 火 小雨ふったりやんだり 
ニッポニア教師日記>「行ったことがあります」授業

 漢字とSFJ、3コマ。 
 「~ことがあります」の文型の練習。「日本でした経験をいってください」と指示して、「北海道へ行ったことがありません」「さしみを食べたことがあります」などを言わせる。

 「日光へ行ったことがありません」とホンジュラスのゲールがいうと、アルゼンチンのアルが「先生は夏休みに日光へ行きますか」と質問してきた。「私は日光へ行ったことがあります。でも、夏休みにいくかどうかわかりません」と、前の課の「~か、どうか」もついでに復習。
 しかし、学生が知りたかったのは、私に日光へ行った経験があるかどうかではなく、「先生は学生といっしょに、留学生研修旅行にいくか、どうか」ということだった。

 9月の留学生研修旅行、今年は日光へ行く。予備コースの学生はほとんどが参加するらしい。その際、引率の教師として「私たちはHAL先生といっしょにいきたい」と言うのだ。「私は非常勤講師なので、いっしょに行くことができません。たぶん、先任の先生がいっしょにいけるから大丈夫でしょう」と伝える。
 「先生、いっしょに行ってください」と、ご指名を受けるのはうれしいけれど、非常勤の仕事ではない。すなわち、指名料バックはない。

 数年前の夏のこと。今オーストリアで仕事をしている先生が、富士山登山に留学生の希望者を連れて行った経験を話してくれたことがあった。
 「富士山は日本で一番高い山だと説明したので、わかると思ったけれど、留学生たちは登山に対して何の知識も持たずに集まってきた。登山の装備も靴も用意できていなくて、ふだんのままのスニーカーにジーンズ。隣町に遊びに行くスタイルで、高山どころか、とにかく山と名前が付くものに登るのも初めて、と言う人もいて、たいへんだった。」と、いかに留学生の引率がたいへんだったか、話していた。

 非常勤の教師が、個人的に留学生を連れて外出するとき、困るのが事故が起きた場合。大学の行事として出かけるのなら、保険などの措置もとれるけれど、個人的な企画の場合、事故対策などが何もない。
 日本事情クラスで、毎年博物館見学に行くのだって、去年は「それぞれが自由に博物館へ遊びにきたら、偶然クラスメートに会った、ということにしてください」と話しておいた。上野の博物館では事故の可能性は低いけれど、万が一事故がおきたとき、私個人では何の保証もできないからだ。
 今年は、一応日本語学科長の「暗黙の了解」を得た、という形になっているが、それでも別段何の保証もない。

本日のひがみ:通勤中事故の保証もない非情勤の非常勤


2003/07/09 水 曇り 
ニッポニア教師日誌>日本語音声表現

 午後、水曜日春学期授業最終日。日本語音声表現発表会。教師として必要な、声の訓練の一環として、3分間自己表現を行う。一生懸命準備してきたスピーチあり、適当に体験談を語る気軽なのもあり。実家がお寺だからと般若心経の朗読あり、徒然草の朗読あり。

本日のたしなみ:社会人学生多摩川おじさんは、茶道お手前を披露


2003/07/10 木 雨 
ニッポニア教師日誌>博物館見学

 木曜日、日本語Eクラス。東京国立博物館見学。
 予想通り、スーとリューが欠席。スーは欠席の電話をかけてきたが、リューは連絡なし。
 1時集合。1時半から、平成館の考古出土品を見た。教科書の写真で見たものが目の前に本物として並んでいることに、皆感激。本館へ行って、一階二階を見て、3時にいったん集合、3時半から4時まで東洋館見学。4時に解散。

 私ひとりで、もう一度本館2階へ戻って、ゆっくり回った。信長、秀吉、家康の手紙が三通並んでいる所など、息子にみせたかった。信長の野望も太閤立志伝もエンディングクリアしたら、次は変体仮名手紙読解にでも挑戦して欲しい。

本日のてがみ:祐筆が書いた手紙か、自筆なのか。誰が書いたかより文字そのものが読めないのだが


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20150712
 今、息子は、古文書解読翻刻のアルバイトをしています。ティーチングアシスタント(TA )として学部学生を博物館に引率していくのも、年に1回はあります。学生相手はしんどい、と言いながらも、TAを続けているので、少しは社会への適性がついてきたのかと思います。 
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年の夏休み前」

2015-07-11 00:00:01 | エッセイ、コラム
201507011
ぽかぽか春庭日知恵の輪日記>2003三色七味日記7月(1)2003年の夏休み前

 2003年三色七味日記7月の日記再録です。
2013年の夏にも、この2003年7月日記再録をしているので、再々録になります。何度も同じコピペですみません。既読の方もいらっしゃるかと思います。すっとばしてください。
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2003/07/01 火 曇りときどき小雨 
ニッポニア教師日誌>授業

 漢字とSFJ3コマ。

本日のこよみ:7月に入れば、待ち遠しい夏休み

2003/07/02 水 曇りのち晴れ 
ニッポニア教師日誌>授業

 午後、2コマ。水曜日春学期授業は終了。来週は音声表現大会。

本日のなやみ:最後の講義、まとまりつかず


2003/07/03 木 曇り 
トキの本棚:『ション・レノン対火星人』

 日本事情、作文2コマ。

 通勤電車読書。行きで高橋源一郎『ジョン・レノン対火星人』読了。これまで高橋の小説を読んだことがなかった。評論がおもしろい人の小説はおもしろくないだろうという気がしていたので。

 タイトルからSFっぽい話かと思ったのだが、ぶっとんだ小説で、とてもおもしろかった。ホラー映画の死体シーンは大嫌いだが、活字にすれば読むことはできる。気持ち悪いのは同じだけど。でも発表された当時の85年に読んだとしたら、「すばらしい日本の戦争」が登場して死体描写が続く手紙が届いたあたりで、もう読む気がしなくなっただろうなあ。耐性少しは進歩。
 読後イメージは、なぜか『スズキさんの遍歴と休息』に似ていて、気分が同じになる。心情三派の残骸か。

 帰りは『資本論の世界』を読む。これはいつもは枕頭読書用の本。数頁も読まないうちに眠くなるための本なのだ。資本論を読み通したことないし、この本みたいな解説本すら読み通せなかった。 
 「はやりもの」のうちは手がだせず、すたれてきたあたりで「どれ、ひとつためしてみようか」というのが、私の「メジャーなものへの関わり方」。ようするに「みんなといっしょに、はやりもの」がいやなだけだろう。

  息子の隣の席のクレヨンしんちゃんは、資本論を愛読中とか。がんばれしんくん。21世紀の主体思想信奉者しんくんの成長を応援します。もしかしたら、君は地上最後の主体思想家になるのかも。ジョンイルだって、今じゃ、そんなものけっ飛ばしているのに。

本日のやっかみ:インテリげんちゃんの妻は3人目(4人目だっけ?)


2003/07/04 金 晴れ
ニッポニア教師日記>授業

 ビデオ、会話3コマ。

本日のつらみ:何年も同じビデオで授業をして、ヤンさんの台詞も暗記

 
2003/07/05 土 晴れ
日常茶飯事典>うさぎタイムの百円ショッピング

 午後、買い物。ダイソーで、ネット5枚と結束バンドを買う。
 ベランダの柵からタイムが出ないようにネットをはる。好奇心旺盛うさぎのタイムはテリトリーを広げようと活発に動き回る。雌のアスカと行動が違う。ベランダの柵の外は空中。今、ベランダに柵代わりにおいてある網戸、古すぎて真ん中が破れてきた。頭がつっこめれば、のぞいてみようとするタイム。破れた隙間から入り込み、9階から落ちたら終わりだ。
  昔、沢さんちの亀が9階ベランダから下に落ちて死んだことがあった。亀は好奇心から下をのぞいたのではなく、ただ単に落ちたのだと思うけど。

 一生を2DKの中ですごすタイムを考えるとかわいそうな気もするが、息子がいうには、学校のうさぎは2畳くらいのスペースで一生をすごす。宇宙からみたら、小さな惑星地球から出られもせずに一生をおくる人間も似たようなものなのだろう。
 金魚鉢の金魚は一生鉢の中ですごして、「毎日泳げて餌も豊富、ぼくはなんて幸福な金魚なんだろう」と思いながらすごすか。いや、別段何も考えないだろうけど、生物の体の大きさと行動範囲と棲息テリトリーの関係は、心理的なものなんだろう。
 一生を小さな山の村ですごし、ふもとの町に出ていったのは小学校の修学旅行だけ、なんて老人もいて、別段不幸な一生ではなし。村の中で充実した人生が送れればそれでよい。

 Aダンスの発表会用の衣装その他を買う。ダイソーの100円Tシャツ。監獄ロックは「ぼろぼろにしたジーパンとボロボロにひきさいたTシャツ」で踊るというので、ぼろぼろにしても惜しくないように100円Tシャツを買ったのだ。

 ダイソーは、地下一階地上5階。これが100円で手にはいるのかと感激するようなものもあるし、スーパーでは88円で売っているものもある。売り場を回るたびに、これを100円で売るために、作っている人はいったいいくらの手間賃をもらっているんだろうと思ってしまう。その賃金で一家が楽しく暮らせる額になっていればいいのだけれど。

 私たちがものを100円で買って、「100円だから、ぼろぼろに切り裂いて衣装にして、あとは捨てればいいや」と使い捨て商品とするために、作っている側は不当な低賃金を余儀なくされているのだとしたらいやだなあと思う。
 マックの59円ハンバーグのために、企業は牛肉や小麦を安い値段で買いたたき、生産者はたいへんだったという記事を読んだことがあるので、いらぬ心配してしまう。

本日の負け惜しみ:100円ショップでショッピングの楽しみ

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20150711
 2015年前期の授業は7月29日に終わりになるが、今年は夏休みなし。
 例年7月は待ち遠しい夏休みを指折り数えて待つのだが、7月中に赴任準備が整うか、微妙。
 とりあえず、必要なものだけカバンにいれて、あとはヤンゴンで買っていくしかない。夜の安眠のための蚊帳はどうする?持っていくか、現地調達か。
 教員宿舎の申し込みはしたが、返事はまだない。
 ヤンゴンではさまざまな事務処理が、日本の何倍もかかるときいています。特に教育関連の連絡は、首都ネピドを経ての、東京ーヤンゴンーネピドーヤンゴンー東京というやりとりになり、さまざまな人の決済が必要になるので、一通のメールの返事が1ヶ月後、ということもザラ。
 出発日は8月4日と決まりました。あと半月。なんとか準備をしておかなければ。

<つづく>
コメント (4)
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