20190112
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2019十九文屋日記京都旅行2018(4)三条通りの近代建築
京都は長い歴史を持つ寺社建築も豊富ですが、明治以降に建てられた近代建築もよく保存されています。
東京が1923年関東大震災や1945年大空襲にあい、戦後は「作っては、壊し」のビルド&スクラップで街を更新させてきたのに比べると、京都はビル群も静かにゆっくり建て替えられてきたなか、近代建築の価値を見直す動きに間に合って、保存が決定した建物も少なくない。
10月31日水曜日午前中は、今回の京都旅行の目玉と思っている「京都三条通り近代建築見学」の日。ひとりぶらぶらと歩きながら、目にとまった建物を覗いてみる、お楽しみ散歩です。
29日月曜日に、地下鉄三条駅から正反対の東山方向に歩いてしまう、という失敗をしたので、31日は、烏丸御池駅で降りて、三条駅方向へ向かうことにしました。
最初に目に入ったのは、現みずほ銀行京都中央支店(旧第一銀行京都支店)。なんてったって、辰野きんちゃんのレンガは目立ちますね。
目立たない文椿ビルにだどり着くまで、地図片手にぐるぐる歩いてしまいました。
朝ごはんを食べずに出てきたので、文椿ビルの向かい側にある「伊右衛門サロン」で朝ごはん。10年前2008年に友禅染老舗の町屋一角をカフェにしたとかで、2018年末にいったん閉店するとか。静かで落ち着いたカフェでした。
伊右衛門サロン(友禅染の店舗は水曜日は休みでした)
店内では茶道教室もひらかれる
おなかも満ちて、いよいよ近代建築散歩。
@文椿ビルヂング(旧西村貿易)竣工1920 設計:不明 施工:清水組
本館は1920(大正9)年に建てられた木造洋館。当初は、西村貿易店社屋でした。銅板及びスレート葺のマンサード屋根。外壁はタイル張り。南面中央の入口部は8角断面を半割した片蓋柱で飾る。2004年に久和幸司建築設計事務所がリニューアルし、レストランほかの店舗が入る商業施設となっています。
文椿ビルヂング入り口
文椿ビルヂング・マンサード屋根
古い木材を利用していて改築の苦心がわかる階段部分
@みずほ銀行京都中央支店(旧・第一銀行京都支店)竣工1906(明治39))設計:辰野金吾・葛西萬司
辰野式の赤レンガ白帯ビル。1999年に解体。2003年に外観復元。
みずほ銀行の行員さんに聞いてみましたが、建築当初建物の内部がはどうだったか、という記録は、現在の支店内にはまったく残されていないということでした。ビルの外壁には三条南殿址という説明版が取り付けられており、銀行内には、発掘された遺物展示はあったのですが、1906年の建築物の説明はなし。きっと、復元建築を受け持った建築会社のもとにはなんらかの記録が残っているのでしょうけれど。
@京都中京郵便(旧逓信省京都郵便電信局)竣工1902(明治35)設計:三橋四郎(1867-1915)吉井茂則(逓信省営繕課)施行:安藤組
竣工当初から現在に至る110余年間、現役の郵便局舎として営業しています。
近代建築が残されている三条通りでも、100年間変わらない営業を続けている建物は数少ない。
とは言っても、百年前の建物は老朽化し、1973年には取り壊して新しい建物を建てることに一度は決まりました。その後、建築の価値が論議され、ファサード保存が決定しました。建築物の表面だけを残し、内部は新築するという保存方法です。1978年改築。日本で最初のファサード保存は、その後の建物保存へと続きました。
@京都文化博物館別館(旧日本銀行京都支店)竣工:1906(明治39)年 設計施工:辰野金吾・長野宇平治(1867-1937)
正面入り口
裏側はパティオカフェになっています。
別館では講演会、本館では「華ひらく皇室文化」という展覧会をやっていたため、建物内部の撮影ができませんでした。またの機会に。
@日本生命京都三条ビル旧棟(旧日本生命京都支店)竣工1914(大正3)設計:辰野片岡建築事務所 施工:山本鑑之進
辰野片岡事務所作品といっても、辰野式赤レンガではないので、片岡の設計が採用されたのでしょう。片岡は、ほかにも石張りのビルを残しています。
片岡安(1876-1946)は、東京帝大造家学科卒。1999年に日本生命保険副社長片岡直温の婿養子となり、大阪を中心に銀行建築を数多く手がけました。
レンガの上から石を張り付けている壁面。
1983年に、右側の塔屋部分を残して、後方は新築ビルとなり日本生命が営業しています。
10月31日に私が見学したとき、旧館部分は貸出店舗となっており、リサイクル着物を展示販売していました。ショップの人たちは、登録文化財になっていることは知っているけれど、建物については、何も知らない、とのことでした。
@SACRAビル(旧不動貯金銀行京都支店)竣工1915(大正4)設計:日本建築株式会社
正面入り口
近代建築をリノベ―トし、商業施設に転用するさきがけとなった、サクラビル。中は、若い女性向けの雑貨小物の小さな店舗がたくさん入っていましたが、店舗の入れ替わりも激しいらしく、ちょっと前のガイド本の京都ショッピング案内に出ていた雑貨アクセサリーの店はもう出店していませんでした、娘のおみやげにシュシュを買おうと思ったんですけど。
@家邊徳時計店(家邊家住宅)店舗 竣工1890(明治23)
郵便局やら銀行やらの古い建物が多い三条通り。三条通りでも一番古い建物「家邊家住宅」は、個人の建物です。
現在は時計ではなく、洋服を売っている店。リサイクル着物の店や小物雑貨の店に比べて、店員さんたちはツンとお高くとまっている印象で、店内の写真撮影が可能かどうかとたずねたときも、とても冷たい対応でした。洋服を買いもしないで、建築を見るだけの客にうんざりしていたところだったのかもしれませんね。すみませんでしたね、シャツの1枚も買わない貧乏バーさんの応対をさせてしまって。
お金持ちになったとしても、こういう応対をさせておく店では服を買いたくないな、と思った、、、、けれど、私がお金持ちになることはないので、家邊家のお店に何の影響もないことですよね。貧乏婆さんはひがみっぽいので、ここに書いておきまする。
@1928ビル(旧京都大毎会館1998年まで毎日新聞社京都支局)竣工1928(昭和3)設計:武田五一
三条通り散歩も終わりになり、三条駅が近づいてきたあたりの1928ビルは、残念ながらシートに覆われて改装中でした。
このビルも、毎日新聞社が移転したあとは解体が予定されていました。しかし、建築家若林広幸がビルを買い取り、リノベーション。カフェ、アート展示など、さまざまな商業施設になっています。
正面入り口。改装中でも、中の施設は営業していました。
番外として。
京都の建物は、古いものを改装したり耐震装置を付け加えたりして、利用する動きが盛んです。
京都の町屋をいかして、アンティークギャラリーに改装している最中の空間デザイナーさんにお話を聞くことができました。京都に多い骨董店ではなく、外国人観光客にも喜ばれる、日本的な古い道具を展示販売するのだ、ということでした。
町屋が並ぶ通り
この一軒が改装中
アンティークショップになるそうです。
三条通りに残る富田歯科醫院。
現役の歯科医院ではなくなっているみたいで、中ではコンサートなどが行われるギャラリースペースになっているようです。
昔ながらの手仕事で足袋を作り続けている老舗。分銅屋足袋店
このままの風情で残っていてほしいです。
<きょうの京ごはん>
伊右衛門カフェの朝ごはんは「薩摩赤鶏の卵かけごはん」ナスの煮びたし、ひじき、ご飯と汁600円
<つづく>