春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

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春庭@アート散歩

ぽかぽか春庭「2022年4月目次」

2022-04-30 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220430
ぽかぽか春庭2022年4月目次

0402 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記桜さくら(4)桜と春のエフェメラル in 白金植物園
0403 2022ふたふた日記桜さくら(5)桜 in 庭園美術&緑道

0405 ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2021シネマ拾遺(1)ブータン山の学校
0407 2021シネマ拾遺(2)浜の朝日の嘘つきどもと
0409 2021シネマ拾遺(3)街の上で

0410 ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2022シネマ春(1)最後の決闘裁判
0412 2022シネマ春(2)プロミシングヤングウーマン
0414 2022シネマ春(3)映画「とんび」
0416 2022シネマ春(4)長江哀歌
0417 2022シネマ春(5)空白

0419 ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩冬から春へ(1)小林清親展 in 練馬美術館
0421 2022アート散歩冬から春へ(2)季節をめぐり自然と遊ぶ展 in 大倉集古館
0423 2022アート散歩冬から春へ(3)上野リチ in 三菱一号館美術館
0424 2022アート散歩冬から春へ(4)山本作兵衛展 in 富士美術館
0426 2022アート散歩冬から春へ(5)上村松園・松篁・淳之 三代展in 富士美術館
0428 2022アート散歩冬から春へ(6)フェルメールと17世紀オランダ絵画展 in 東京都美術館
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ぽかぽか春庭「フェルメールと17世紀オランダ絵画展 in 東京都美術館」

2022-04-28 00:00:01 | エッセイ、コラム



20220428
ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩冬から春へ(6)フェルメールと17世紀オランダ絵画展 in 東京都美術館

 東京都美術館『フェルメールと17世紀オランダ絵画展』を見に行きました。
フェルメールの『窓辺で手紙を読む女』の壁にキューピッドが描かれていて、後世にそれを壁で隠したことが判明し、修復がほどこされたのです。所蔵館のドレスデン国立古典絵画館以外の展示は世界初、ということなので、そりゃ、物見遊山に行かねばなるまい。

 2月に開幕したのですが、1度予約申し込みに失敗してすっかりやる気をなくし「わけわかんない年よりにこんなネット申し込みをさせるような展覧会に見に行かんでもいい!」と拗ねてしまいました。しかし、ミサイルママが「東京都美術館の予約わかんなかったけど、ゴッホ展予約なしに見に行ったんだ。当日分の人数もとってあるから、予約なしでも入館できた」と言うので、予約なしに東京都美術館に行ってみました。

 9時半開館で10時半ころ美術館についたのですが、入れました。午後になると混んできたので、難しかったかも。シルバー券1500円で私には「高い」チケットでしたが、目玉のフェルメール以外はほとんど知らない画家ばかりでしたので、「チケット高いときは図録も音声ガイドもがまん」の自分ルールをお休みして音声ガイドを借りました。説明聞いてもどうせすぐ忘れるんですけれど、聞いている間は、その画家についてわかったような気になる。

 会期:2020年2月10日ー4月3日

 17世紀オランダを代表する画家ヨハネス・フェルメールの《窓辺で手紙を読む女》は、窓から差し込む光の表現、室内で手紙を読む女性像など、フェルメールが自身のスタイルを確立したといわれる初期の傑作です。1979年のX線調査で壁面にキューピッドが描かれた画中画が塗り潰されていることが判明、長年、その絵はフェルメール自身が消したと考えられてきました。しかし、その画中画はフェルメールの死後、何者かにより消されていたという最新の調査結果が、2019年に発表されました。
 本展では、大規模な修復プロジェクトによってキューピッドの画中画が現れ、フェルメールが描いた当初の姿となった《窓辺で手紙を読む女》を、所蔵館であるドレスデン国立古典絵画館でのお披露目に次いで公開します。所蔵館以外での公開は、世界初となります。加えて、同館が所蔵するレンブラント、メツー、ファン・ライスダールなどオランダ絵画の黄金期を彩る珠玉の名品約70点も展示します。

 修復後の「窓辺で手紙を読む女」キューピッドが見えます。


 ハブリエル・メツー「レースを編む女」1661-64年頃  。

 ヤン・デ・ヘーム「花瓶と果物」1670~72頃

 一巡目は人の間を縫って、人のいないところいないところをさがしてあっちに行ったりこっちに戻ったりしながら、一通り見て、2巡目は音声ガイドを借りて、説明を聞きながら見ました。
 フェルメールとレンブラントと以外は、名前を知らない画家でした。

 17世紀のオランダ絵画では、まだまだ宗教画や歴史画が「格上」で、肖像画はその下の格。風景画や静物画はもっと下。動物を描くなんて、下の下だったそうです。
 今見れば農村ののどかな風景に思える牛の群れの絵。当時としてはそんなもの描いても、だれも家に飾りたがらない、というような画題だったということ、知りませんでした。

 パウルス・ポッテル(Paulus Potter)「家畜の群れ(休んでいる家畜Resting Herd)」


 江戸時代、日本はオランダとは通商していたのですが、江戸の絵師たちがオランダ絵画に触れるのは、江戸中期18世紀19世紀になって以後。蘭学が江戸で流行してから、司馬江漢などが、蘭画を取り入れるようになります。
 
 今回観覧した17世紀オランダ絵画。事前に知っていたのは、目玉の「窓辺で手紙を読む女」だけでしたが、ひとつひとつ見ごたえのある絵でした。

 見るか見ないか迷っていたけれど、見に出かけてよかったです。
 朝思い立ってふらりと出ていき、その日の気分で美術館博物館に寄りたいのです。しかし、昨今、美術館はたいていが日時予約制です。ネット予約が苦手な年寄りとしては、ネット予約にも四苦八苦するし、予約したらその日に行かなければならないと、縛られるのがいやです。アート散歩はぶらぶらと好きなように歩きたいのに。何時から何時までに入館せよ、なんて決められると「自由に見たいときに見たいなあ」と思ってしまいます。

 絵を見るときくらい、自由な心で。という日が早く来ますように。

<つづく> 
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ぽかぽか春庭「上村松園・松篁・淳之 三代展 in 富士美術館」

2022-04-26 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220421
ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩冬から春へ(6)上村松園・松篁・淳之 三代展in 富士美術館

 3月9日に富士美術館へ行きました。山本作兵衛の展示を見たかったのです。作兵衛展は常設展の一室でしたが、同時展覧会として「上村松園・松篁・淳之 三代展」をやっていて、どうせのことだから、上村母息子孫の三代の絵も見ました。シルバー券1000円。せっかく遠い富士美術館まで来たのですから、全展示を見なきゃ、と思って。

会期:2022年2月29日ー4月12日


 平日を狙って行ったのに、館内は大賑わい。池田大先生のエッセイ本の装丁をした絵の原画があるということで、新聞などにその旨の告知があったのではないかと思われます。隣接の創価大学で講演会かなにかがあったのか、中高年の皆様が連れだってご鑑賞。
 その装丁の本の展示があったのですが、大先生のファンでもないので、エッセイのタイトル、忘れてしまいました。

 混みあっている中、館内一巡した後、しばらくラウンジで飲み物休憩をしたり、ビデオの作者紹介などを見ているうち、鑑賞を終えた人々がいなくなり、以前の通常くらいの混み具合、すなわち一室に数人くらいになったので、もう一巡しました。

 富士美術館の口上
 上村松園(1875―1949)は京都市出身。気品あふれる美人画で知られ、1948年に女性として初めて文化勲章を受章した。松篁(1902―2001)はその長男で、花鳥画の大家。松篁の長男、淳之(1933―)もやはり花鳥画の大家だ。この展覧会では「第1部:上村松園」「第二部:上村松篁」「第三部:上村淳之」の3部構成で、三代にわたる絵画芸術の系譜をたどる。

 第一部では、松園の生涯を「建設期」「模索期」「大成期」の3章に分け、折々のエピソードや松園自身の言葉、遺品などを紹介しながら、彼女が作品に込めた思いや貫いた信念、また彼女自身の人間性に迫る。「女性は美しければよい、という気持ちで描いたことは一度もない」と随筆で述べた松園。彼女が描こうとした理想の女性像とはどんなものだったのか。

 今回の展覧会は、2020年に開催されたのに、コロナ禍のためたった二日間だけ展示されたのち、中止となった「上村松園・松篁・淳之 三代展」の再展示なのです。

 上村松園「花がたみ」 

 この絵に描かれた照日前という女性は、継体天皇に見初められ、「迎えに来る」という言葉を信じて待ち続け狂女となった古代の人物。世阿弥の謡曲『花筐』に登場しました。
 松園は、狂女のリアルな描写を求めて、精神病院に滞在し入院患者を観察をした、と制作の苦心を自身のことばで語っています。現在ではそのような意図で病院内に入ることなどできないでしょうが、制作に打ち込む松園の絵に対する情念が画面に表れているような女性像になっています。

 私が好きな作品、1922年の『楊貴妃』


 光源氏の愛人であった六条御息所が、正妻の葵上に嫉妬して生霊となった姿を描いた『焔』を描いたのち、松園はスランプにおちいり、4年間作品発表がありませんでした。(私は『焔』を東京国立博物館で見ました。激しい情念の女性像です。今回は展示なし)

 『楊貴妃』。
 絶世の美女が、湯あみを終えたばかりの一場面です。唐美人が湯あみのあとくつろぎ、侍女が髪をととのえています。楊貴妃は生まれながらに身体からかぐわしいかおりが立ち上る体質だったということですが、ゆったりとすわる楊貴妃の姿から、画面からも香気が立ち上るようです。
 この絵を完成させたのち、スランプから脱却し、つぎつぎに美しい女性像を描いていきました。

 「わか葉」1940
 

 松園の息子松篁も、孫の淳之もそれぞれにすばらしい日本画家です。
 おみやげの絵ハガキも5枚買いました。

 上村淳史「月汀」1998(平成10)も、絵ハガキを買った一枚。


 松園の作品は、近代美術館山種美術館東京国立美術館などで、見てきましたが、三代そろってのの展示は、はじめてでした。山本作兵衛展がなければ、見なかったかもしれなかったので、観覧できてよかったです。

<つづく> 
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ぽかぽか春庭「山本作兵衛展 in 富士美術館」

2022-04-24 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220424

ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩冬から春へ(6)山本作兵衛展 in 富士美術館

 山本作兵衛(1892-1984)の展覧会が富士美術館で開催されていたので行ってきました。
 前回作兵衛展をみたのは、2013年3月18日のこと。2011年に世界記憶遺産に認定されたあと、東京タワー開場55周年記念として開催されていました。   東京タワー1階の特設会場の「世界記憶遺産の炭坑絵師山本作兵衛展」は、美術館ではないので、やや会場が狭かった印象が残っています。
 春庭Annex2013年4月にUPしました。
https://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/4ee93c60bfcfa94e9a027

 それからほぼ10年。作兵衛のことも、10年前から見ると知る人も多くなってきました。
 今回の富士美術館での展示は、常設展の中での開催でした。特別展の上村松園松篁淳史三代展のシルバー券1000円で常設展も見ることができたので、「チケット買わないときは図録購入OK」という自分ルールで、今回は作兵衛の図録を買いました。
 東京タワーでは絵ハガキ集を購入したのですが、すでに大半は青い鳥さんに送付して手元に残っているのはわずかになっていたので、図録で山本の画業をゆっくりたどれるので、よい観覧の機会になりました。

 富士美術館の口上
 2011(平成23)年5月25日、「山本作兵衛コレクション」697点が、ユネスコ「世界の記憶」(世界記憶遺産)に日本で初めて登録され話題を集めました。田川市石炭・歴史博物館及び福岡県立大学が収蔵する「山本作兵衛コレクション」は、筑豊の炭坑労働者であった山本作兵衛氏(1892-1984)が、自らの体験と記憶などをもとに描き始めた炭坑記録画に代表されます。作兵衛氏は60代半ばから、炭坑記録画を描き、確認されているだけでも1000枚を超える作品を残しました。
 本展では作兵衛氏の初期作品を中心とした田川市石炭・歴史博物館所蔵の原画78点を、ユネスコ「世界の記憶」に登録後初めて東京で展示公開いたします。また、作兵衛氏が炭坑の仕事や暮らしを子や孫に伝えたいと折々に描き残した貴重な個人所蔵作品32点と、この度初めての展示公開となる当館所蔵の原画4点も合わせて展示いたします。作兵衛氏が“未来に伝えたい”との情熱を持って描いた原画一枚一枚に宿る力強い筆の運びをぜひご覧ください。


会期:前期 2月11日(金・祝)〜27日(日)
   後期 3月1日(火)〜13日(日)

 前期の展示と入れ替えがあり、見ることができなかった絵もあったのですが、2013年の展示で見たものと合わせて、作兵衛画業を知るには十分でした。
 作兵衛は小学生のころから炭鉱で働きだし、学校にはあまり通えないまま卒業となりました。しかし、大人になってから、もらった漢和辞典を書き写して勉強をするなど、努力を続けました。チラシやノートに自分の記憶をメモしてしっかり書き残しています。

 暗闇の中の仕事、信頼できる相手と組んで仕事をするため、夫婦でヤマに入る組が多かった。


 作兵衛が閉山に伴い炭鉱を解雇され、警備員として働くようになったのが、1955年。夜間警備のあいだ、戦死した長男を思い出してしまう気持ちを紛らわすために、明治期に少年作兵衛が炭鉱で働き始めてから、筑豊の炭鉱が閉山される時代までの記憶をたどって、チラシの裏などに「子や孫に語り残すため」の絵を描き始めました。

 幼い弟を背負って母のあとを追って炭鉱を下っていく。


 今回の作兵衛展では、「山本作兵衛の人となり」を中心にまとめられていて、作兵衛がうたう「ごっとん節」の音声が会場に流れていたり、孫が語る「じいちゃんの思い出」がビデオ上映されていたりしました。
 9歳ころから親の手伝いで炭鉱に入り、小学校もろくろく通えなかったという作兵衛ですが、おどろくほどの記憶力を発揮して、炭鉱の道具などを細かく描いています。昭和の炭鉱では作兵衛が描いたようなツルハシふるっての採炭などはすでにおこなわれなくなっていたそうですが、作兵衛は明治大正の炭鉱の労働のようす、炭住の生活、子供の遊びなどを生き生きと描いています。

 石炭を運ぶ川船の船頭をしていた父親も、鉄道の整備で船頭の仕事を失い、炭鉱夫になる。父が船頭をしている記憶を絵にする。


 富士美術館同時開催の「上村松園松篁淳史三代展」の日本画も、女性美、鳥や花の美しい絵。こちらも美しく心打つよい展示でしたが、私はこの山本作兵衛の画業を「よくぞ描き残してくださった」と感謝したいです。
 すばらしい記憶遺産と思います。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「上野リチ展 in 三菱一号館美術館」

2022-04-23 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220423

ぽかぽか春庭アート散歩>2021アート散歩冬から春へ(3)上野リチ展 in 三菱一号館美術館

 織物や染め物、刺繍や刺し子キルトなど布の手仕事を見るのが好きな春庭。テキスタイルデザインも楽しみに見てきました。
 「上野リチ・ウィーンから来たデザインファンタジー展」は、京都国立近代美術館で開催されたあと、巡回展として三菱一号館美術館で開催されました。

 会期:2022年2月18日ー5月15日

 上野リチは、本名上野リチ・リックスFelice Rix-Ueno, 愛称Lizzリッツィ日本名リチ 1893(明治26)–1967)

 三菱一号館のリチ紹介
 フェリーツェ・リックス(後の上野リチ・リックス|1893-1967)
は、ウィーン工芸学校においてウィーン工房のヨーゼフ・ホフマンらに師事、才能を開花させます。卒業後は同工房に入り、テキスタイルデザインなどを手がけました。彼女のデザインの特徴は、自由な線と生命感あふれる色彩です。鳥や魚、花や樹木といった身近な自然を組み合わせたデザインは人気を博しました。
 リチは京都出身の建築家・上野伊三郎と出会って結婚、二つの都市を往復しながら、ウィーン工房所属デザイナーとして活動を続けます。1930年の工房退職後も、テキスタイルだけでなく、身の回りの小物類など、さまざまなデザインに携わりました。個人住宅や店舗などのインテリアデザインに加え、第二次世界大戦後には教育者として後進の指導にもあたっています。

 ウィーン工房時代のリッツィ・リックス作品
 ウィーン工房ポスター図案(1917)
 

 伊三郎はリチと結婚後、1925年に日本にやってきました。伊三郎は、上野建築事務所を開設し、
リチ夫人を迎え入れます。リチはウィーンと日本を行き来しながら、しだいに日本の生活を確固としたものにしていきました。

 上野リチ・リックス《ウィーン工房テキスタイル:日本の国》(1923-28) 

 
 青い鳥さんに毎月10枚送る絵ハガキ。2022のテーマカラーは黄色なので、↑の「日本の国」の絵ハガキがあったら買いたかったのですが、残念ながら、「日本の国」のはがきはありませんでした。「花園」というタイトルの壁紙をデザインした絵ハガキなどを購入。

 壁紙デザイン「夏の平原」1928以前


 リチの夫・上野伊三郎(1892(明治25)-1972)は、ブルーノ・タウト(Bruno Taut1880-1938)の推薦により群馬県工芸所の所長となりました。
 タウトがウィーンセセッション(分離派)の研究所で学んだリチのデザインを好んでいないことをわかっていながら、伊三郎は群馬県知事に直談判してリチを工芸所の嘱託としました。

 上野伊三郎・リチ夫妻


 松本久志の論文に書かれた水原徳言(よしゆき通称とくげん1911-2009)の証言によると)伊三郎は、リチのデザイン力を高く評価していたそうです。タウトの意向に反してもリチといっしょに仕事をしたかった、という上野伊三郎のリチデザインへの信頼を感じます。 

 ウィーン工房壁紙「花園」1928

  
 タウトは伊三郎と仲たがいをしたわけではないでしょうが、トルコから大学教授のポジションを提示され、日本を離れました。
 タウトが日本を去ったあと、リチは1939年まで群馬工芸所で伊三郎といっしょに活動しました。しかし、太平洋戦争中、ふたりは群馬工芸所を辞しました。強まる戦時色の中で、伊三郎リチのデザインを生かした製品を作り出す余裕は工芸所にはなくなっていたからです。ふたりは京都に戻り、上野建築事務所を復活させました。

 


 戦後は1963年まで京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学) に上野は建築、リチはデザインを担当として後進を育てました。 

 手袋の刺繍デザイン


 三菱一号館第1展示室の入口にあった手袋のタペストリー


 本展のタイトルは、「上野リチ・ウィーンから来たデザインファンタジー」です。ここで使われている「ファンタジー」は、日本語の「おとぎ話・空想の話」という意味ではなく、ドイツ語本来の意味「想像力」から、さらにリチ独自の「他の影響を受けず、想像力を発揮して独自性を獲得する」という意味が含まれています。
 後半生で学生を指導するときに常に「ファンタジーであれ」と言い、他者の真似をしたデザインを認めず、提出されたデザインにだれかの影響があると感じた時は、デザイン画を受け取らず、裏返して学生に返すなど、自分の信念を貫いた教育だったそうです。(リチの教え子たちの回想による by NHK日曜美術館)

 晩年のリチ作品「プリント服地」1955

 プリント服地「野菜」1955

 
 写真撮影OKの部屋で
 
 
 リチのテキスタイル・デザインは、展覧会のタイトルにもあるように、現代の若い女性にも好まれるような「かわいい」ものが多いです。ブルーノ・タウトには好まれなかったというのも、このかわいらしさだったかなと思います。

 娘は一番気に入った「スイートピー」の図柄がなかったので、リチデザインの七宝小箱を模した小箱を買いました。サーカスの図柄です。中に入っていた「京都の飴」はタカ氏が食べてみて「甘い!」うん、そりゃそうだ。


 1926年に夫を追って来日して以来、1967年に74歳で生涯をおえるまで、日本と欧州を行き来しながらも40年間日本で暮らしデザインの仕事を続けました。
 リチが3年ほどの短い期間であったけれど、高崎で「群馬工芸所」の嘱託職員としてすごしたことは、群馬出身のHALとしては、とてもうれしいこと。
 日本ですごした40年の歳月、確固とした信念のもとに自分自身の「ファンタジー」を追求したリチの仕事に立ち向かう姿は、伊三郎との夫婦愛とともに、深く心に残る女性芸術家の姿でした。

<つづく>
  
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ぽかぽか春庭「季節をめぐり自然とあそぶ展in大倉集古館

2022-04-21 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220421
ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩2022冬から春へ(8)季節をめぐり自然と遊ぶ展 in 大倉集古館

 1月22日、大倉集古館に行きました。
 日本画や東洋工芸を集めている美術館の自館所蔵品展です。

 大倉集古館の口上
 本展では、花鳥や山水などの自然の姿を写した和漢の絵画・書跡・工芸品を取り上げ、季節や時の移ろいを意識しながら、そこに込められた意味や表現方法などを探っていきます。

 【会期】1月18日(火)~3月27日(日) 10:00~17:00

 大倉集古館のいいところは、名前や電話番号を書けば、単眼鏡を無料で貸し出してくれること。娘とひとつずつ借りて、日本美術の細かい模様もしっかり見ようと館内をめぐりました。
 1階展示室は、「和の世界~春と秋の造形~」。2階は「漢の世界~中国の花鳥・山水~」

 1階展示室

 
吉野山蒔絵五重硯箱 江戸時代
 

 秋草蒔絵文台 富田幸七作 明治 

桜に杉図屏風 桃山時代・16世紀


 2階中国絵画と工芸品
 清朝名人便面集珍「梅椿に白頭翁図」
 中国明~清時代・16~19世紀  李之洪(生没年不詳)筆 



 正面入り口側

2階ベランダで
 裏側出口で


 2021年11月23日に使用開始して、2022年1月に2か月間の使用終了日まで、あちこち訪問して美の世界を楽しむことができました。「美術館博物館めぐって2500円」のぐるっとパス使い倒し計画の最後「今回も十分すぎるくらいパスを使い倒したね」と、娘と「満足マンゾク」の半日でした。

 六本木一丁目のスタバで、ドリンク休憩して帰宅。行きかえりは、通勤定期とシルバーパスを使い、ぐるっとパスで入館し、娘がネットの抽選で当てた回数券のスタバコーヒーを飲み、絵ハガキを購入したほかはお金を使わないホリディは、無料大好きの私にもよい休日。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「小林清親展」

2022-04-19 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220423
ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩冬から春へ(1)小林清親展 in 練馬美術館

 港区立郷土資料館で川瀬巴水展を見た時、無料公開なのに点数も多いし映像資料もあって充実した展示でしたから、練馬区立美術館の無料公開「小林清親展サプリメント」もかなり期待して出かけました。
 しかし、こちらは以前に練馬区美術館が実施した小林清親展のあと、遺族が清親遺品や残された作品を寄贈したその拾遺展でしたから、作品は一室におさまる点数でしたし、ちゃっちゃと見て終われる展示でした。1月26日に観覧。

 練馬区美術館の口上
 当館では2015年に清親没後100年を記念し、「小林清親展 文明開化の光と影をみつめて」を開催しました。
 この展覧会が機縁となり、清親の作品や資料、遺品類約300件の寄託を受け、その寄託品の中には、下図絵や自作の箱、裃などの身の回りの遺品も含まれていました。
 今回はこれらの未公開、再発見の作品・資料を中心に展示し、
 2015年の展覧会のサプリメント(増補)として開催いたします。

 会期:2021年11月23日(火・祝)~2022年1月30日(日)

 雪の浮御堂


 展示されていた清親の版画は、横浜で見たもの町田市版画美術館で見たものと重なる絵が多かったですが、ポスターになっているアラビアンナイトの挿絵は初めて見ました。このアラビアンナイトの絵は、元の外国語版の原画をそのまま版画にしていますが、清親作品の中でいままで知られていなかったものらしく、ポスターになっていました。 
 

 点数は少なかったですが、なんせ無料大好きな春庭ですから、無料で楽しく観覧させていただきました。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「空白」

2022-04-17 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220417
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2022シネマパラダイス春(5)空白

 スーパーやコンビニに防犯カメラが常備し、警備会社がそれを一括チェックしているという現代ではかってほど「万引きし放題」ということもなくなってきたみたいですけれど、個人経営のスーパーなど、まだまだ被害が続く。

 以下ネタバレ含む感想
 スーパー青柳も、松坂桃李演じる店長が、万引きに悩まされながら細々と親が残した弱小スーパー経営をつづけてきた。
 店長がが化粧品に手をかけた中学生の手をつかんだことから事件が始まる。
 添田花音は店長の青柳直人に見つかり、追いかけられた末に車に轢かれて死んでしまう。

 娘に無関心だった花音の父・充は、せめて彼女の無実を証明しようと、事故に関わった人々を厳しく追及するうちに暴走しはじめる。青柳店長は父親の狂気のような追及に人生を狂わせて行き死のうとまで追いつめられる。スーパーは閉店。
 添田は、学校にもねじ込むが、花音の担任女性教師も、校長も、「大人しくて目立たない子だったから、いじめの対象にすらなっていなかった」というクラスメートの証言をよしとし、保身をはかるのみ。

 添田の元妻は再婚し身ごもっており、花音がまったく我が子に向き合えていない父親でなく、離れて暮らす母に「三者面談」に来てほしいと言っていた、という添田の知らない情報を知らせる。添田は、娘のことを何も知らなかったことに気づき始めたころ、娘を最初にはねた乗用車の若い女性が自殺してしまう。被害者の父が、加害者を追い詰め死に至らしめる。それでも女性の母はひたすら「娘を許してやってください」と言い続ける。

 ようやく船に戻った添田は、娘のことを理解しようと試み始める。娘が美術クラブに残した絵を見て、キャンバスに青い空を描き白い「イルカみたいな雲」を描きこむ。娘も青い空にイルカみたいな雲を描き残していたことを知って「同じ雲を見たことがあるのだ」ということに気づいたからだ。
 娘の気持ちを何一つ知らなかったことに気づくのが遅かったのかもしれない。でも、これからも青い空に白い雲は浮かんでいく。空に白。 

監督・脚本:𠮷田恵輔
古田新太:添田充。漁師。自分の船を持つ
松坂桃李:青柳直人スーパーマーケット「スーパーアオヤギ」の店長。
田畑智子:松本翔子 充の元妻。
藤原季節:野木龍馬 添田の船で働く漁師見習い
趣里:今井若菜 添田音が通う中学校の担任教師。
伊東蒼:添田花音
片岡礼子:中山緑 はねた車を運転していた女性の母
寺島しのぶ:草加部麻子 スーパーアオヤギに勤務するパート店員。ボランティア活動に熱心

 登場人物それぞれ、心に空白を抱えている。スーパーパート草加部は、一人暮らしの空白を埋めるようにボランティアの炊き出しに熱心だが、家庭の都合で次のボランティアに参加できないという同僚に「いいのよ、ボランティアは人のために役立ちたいという思いでやるものだから」と、嫌味をいうし、自殺しかかった店長を助けたあと、店長にキスをしいる。

 執拗に加害者を追い詰めていく狂気的な添田の暴走。古田新太ならではの迫力でした。娘を万引き犯して追いかけたために事故に合わせてしまったスーパーあおやぎ店長や最初にはねた自家用車の女性を追い詰める添田が、はねられた娘をひきずって、顔の原型をとどめなくしたトラック運転手については、まったく追い詰めないないのは、どうしてだったか、トラック運転手、添田の元に誤りにも来ていなかったようですが。

 被害も加害も紙一重。どちらの身内も世間から殺される。
 同じようなテーマを2本立てにするギンレイの併映だったのは「由宇子の天秤」。
 ドキュメンタリーディレクターが、加害者と被害者を見つめていく物語でした。
 事実を追求し真実を突き詰めていくなかで、ひとりひとりの人間の姿に驚愕の事実が浮かびあがります。
 

 2本ともずっしり重い作品でしたから、2本立て見終って少々くたびれましたけど、よい作品に出合えた満足感にひたりながら帰りました。
 2本ともよい作品で海外での評価も高い作品でしたが、東映と松竹がかかわっていないから、日本アカデミー賞にはノミネートもなしでした。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「長江哀歌」

2022-04-16 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220424
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2022シネマ春(4)長江哀歌

 春休み、家ごもりの間は、撮りためておいたビデオ鑑賞。
 ジャ・ジャンク―監督の『長江哀歌』2006年。ヴェネツィア映画祭金獅子賞。

出演者:
ハン・サンミン(サンミン)
チャオ・タオ(シェン・ホン(チャオ・タオ)
リー・チュウビン(グォ・ビン)
ワン・ホンウェイ(トンミン)
マー・リーチェン(ヤオメイ)
チョウ・リン(マーク)

 あらすじ
 長江。三つの峡谷に囲まれた三峡付近では、「三峡ダム」の建設が進められていた。万里の長城以来ともいえる国家の威信をかけた壮大なプロジェクト。三峡ダムは第3期工事に入り、水位が上がったのち、多くの町や村がダムむに沈みことになる。
 長江を行きかう船のひとつにの乗ってきた男がいる。山西省で炭鉱夫として働いていた男、サンミンだ。サンミンは16年前に別れた妻ヤオメイと娘を探すために奉節にきたのだ。しかし妻に書いてもらった住所、奉節青石5番地はすでに長江に沈んでいた。サンミンは奉節の安宿に住み、ビルの解体工事をしながら妻子を探しつづける。
 サンミンはこの工事の作業場でチンピラのマークと意気投合しいっしょに働くが、ある日解体途中のビルが崩壊し、マークは下敷きになる。
 看護師のシェン・ホンもまた、2年以上も家に戻っていない夫を探しに奉節にやってきた。夫グォ・ビンが仕事をしている住民撤去管理部に案内されたシェンホンは、夫を社長として雇っているオーナーの資本家ディン女史とグォミンの仲について聞かされる。夫の元軍隊仲間のトンミンに助けられ、夫に会ったシェン・ホンは、夫に離婚を要求する。
 ヤオメイは義兄が作った莫大な借金のカタとして、義兄に金を貸した船主の元で働かされていた。船主は「ヤオメイを連れて帰りたいなら義兄が借りた3万元を返せ」と言う。サンミンは3万元を貯めるために、山西省に帰る決意をする。山西の違法な炭鉱で働けば、一日200元稼げる。何人もの炭鉱夫が死んでいる危険な炭鉱だが違法なことは皆知っているから、死んでも文句はいえない。それでもサンミンは金を作るために長江を下る船に乗り、山西省へ戻っていった。

 見ている間、サンミンのストーリーとシェン・ホンのストーリーがつながっているのか関係ないのか、私にはわかりにくかった。シェン・ホンに「なにか仕事ないか」と尋ねる16歳の女の子がサンミンが探している娘なのだろうと推察できたけれど、その少女とはそれっきり。
 UFOみたいな飛行機みたいな光るものが青空に現れたり、途中で展望台みたいなビルがロケットになって空に飛んで行ったりするのは、白昼夢か幻想なのか。この世の流れはしょせん白昼夢にすぎない、ってことか。
 長江の流れも、解体工事現場の埃っぽい空気も、2千年前の西漢(前漢)のお墓も、やがては水の底に沈む。

 私が2度目に中国に赴任したのは2007年でした。2006年公開の長江哀歌は南の地域のお話だから、私が働いていた北の地方とは風土は異なる部分はあったでしょうが、時期としてはちょうど同じころ。町のようすとか、同じような店があったり、解体工事現場の雰囲気などは同じでした。2007年は、2008年の北京五輪を前に、北京も長春も古いビルを解体して新しい町をつくるために湧き上がっている時期でした。
 2009年に三峡ダムは完成。
 住民110万人の強制移住・三峡各地に残る名所旧跡の水没・水質汚染・生態系への悪影響など、数々の不都合は、水力発電とひきかえに「なかったこと」にされました。

 違法の出稼ぎ先、というのもありそうな話。貧困の中で、それでも働き続けるしかない労働者と、資本を回し巨額の富を手に入れる富裕層。2006年から20年近くたち、中国の貧富の差はますます開いています。
 しかし、ジャジャンク―監督は別段共産党独裁支配を告発しているわけでも生態系や伝統文化を守れとか主張しているのではないのでしょう。
 中国4000年の歴史がとうとうと流れてきたように、長江がすべてを飲み込んで流れているその流れのようすは、たんたんとうとうと描写されています。マークが事故死した遺体も、流れは飲み込んでいくのでしょう。

<つづく>

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ぽかぽか春庭「映画とんび」

2022-04-14 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220414
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2022シネマ春(3)映画「とんび」

 堤真一が「ヤス」を演じたNHKの『とんび』は見逃しましたが、内野聖陽がヤス、佐藤健が息子あきらを演じた連続ドラマは、毎週楽しみに見ました。父の愛情に、ときに涙し、息子の反発に我が家と比べてはらはらし、重松清原作の『とんび』、とてもよいドラマでした。

 娘はいろいろな抽選に応募するのが趣味のひとつ。阿部寛がヤス、北村匠海があきらの父子を演じる映画に応募したら、3月22日夜の試写会上映に当たりました。

 監督:瀬々敬久 脚本:港岳彦 撮影:斉藤幸一 
キャスト
・市川安男:阿部寛
・市川旭:北村匠海
  • 由美:杏
  • 照雲:安田顕
  • 幸恵:大島優子
  • 広沢:濱田岳
  • 尾藤社長: 宇梶剛士
  • 萩本課長:尾美としのり
  • 葛原:吉岡睦雄
  • トクさん: 宇野祥平
  • 泰子:木竜麻生
  • 健介:井之脇海
  • 美月:田辺桃子
  • 島野昭之:田中哲司
  • 編集長:豊原功補
  • 出版社守衛:嶋田久作
  • 村田:村上淳
  • 海雲:麿赤兒
  • 市川美佐子:麻生久美子
  • たえ子:薬師丸ひろ子
 2013年放映TBS「とんび」は全10話の連続ドラマだったから、上映時間2時間20分に収めるには、ドラマと映画では違うところがあるのは当然ですが、2022年の映画版は、令和の時代も描かれていました。2003-2004年の新聞連載時にはもちろん、2013年のドラマでも令和時代にはなっていなかったですから、映画オリジナル脚本です。

 オリジナルつけたし部分、旭の仕事が紹介され、ヤスが息子をどれほど誇りに思っていたかもわかるシーンなので、観客が満足して帰れるラストシーンになっていて良かったと思います。
 ドラマは息子旭の回想として語られたのですが、映画は昭和63年と過去の時間軸が行ったり来たりします。2時間の中、行ったり来たりが私には余計な演出のような気がしました。ただ時間軸通りにストーリーがすすんだほうが良かったように感じました。最初が昭和63年で始まり、63年で終わるのかなと思ったら、令和まで進みました。時間を行ったり来たりすることで、何かよい効果を生み出していたように思えなかったんですが、これは私の映画作術がわかってないからかもしれません。ただ時間軸がたんたんと現代に向かって進んでしまうと、映画的ではないような、わかりやすすぎるような。

 私は内野聖陽と佐藤健の両方が「好きな俳優」だったので 、阿部寛と北村匠海の父子になじめるかな、と思ったのですが、映画の父子もすばらしかった。ただひとつ、阿部寛で悪かったところは、旭といっしょに銭湯につかり、頭から湯の中にもぐってしまうシーンで、ついつい「ローマに転生か」という思いがよぎってしまうところ。これは、試写3月22日の前日夜に放映された『テルマエロマエ』を見たせい。(2度目だか3度目だかのテルマエロマエなのですが、何度見ても笑えた)。

 海の波の撮影が美しかった。監督の演出力なのか、撮影斉藤幸一の腕なのかわかりませんが、美しいだけでなくつらさや悲しさも含んだ海に見えました。こういうところが「映画」なんだろうと思います。

 原作は、備後市という名の架空の町を舞台にしています。備後とは江戸時代の広島県。ヤスが務める運送会社は瀬戸内運送。
 小説の舞台は、備後の名の通り、広島県を舞台にしていますが、原作者重松清が岡山県出身であるゆえ、岡山県内1町7市でロケが行われました。映画の聖地巡りは、現代では大事な町おこしコンテンツですから。
 ヤスが暮らす昭和の町は、岡山県金光町に設置されたオープンセット。
 私がいいと思った海のシーンは、岡山県青佐鼻海岸。

 朝ドラの「カムカムエブリバディ」でも岡山弁を聞いています。とてもあたたかくて、心にしみる方言です。と言っても、私には広島弁との区別はついていないのですが。

 川崎TOHOシネマというシネコン、6時半からの試写で、キャパいっぱいの客でした。飯田橋ギンレイだと、ネットで動画を見る方法がわかっていないような高齢者が客層の大半を占めていますが、シネコンの試写会だと、ギンレイよりは若い層が来ていました。

 この先、映画館で映画を見ようという人たちは確実に減っていくだろうと思います。映画も、デジタルコンテンツ収入を見越しての制作になっていくのでしょう。また、制作にあたっては、今回の岡山ロケのように、地元のコミッションとの連携、エキストラの動員などが製作費にかかわってくるでしょう。映画の終盤、ヤスが神輿をかづぐ祭りシーンでも、地元のエキストラ200人が参加してお祭りを盛り上げたそうです。

 映画も、ネット公開を目指して、スマホカメラを駆使して撮影するような制作方法も出てきて、これまでとは違う表現が出てくると思います。
 テレビ放映の映画を見ることが多い春庭ですが、飯田橋ギンレイを中心に、これからも映画を楽しんでいきたいです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「プロミシングヤングウーマン」

2022-04-12 00:00:01 | エッセイ、コラム

20200412
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2022シネマ春(2)プロミシングヤングウーマン

 93回アカデミー賞作品賞監督賞脚本賞主演女優賞編集賞にノミネートされ、脚本賞を受賞した『プロミシングヤングウーマン』を飯田橋ギンレイで見ました。最後の決闘裁判』の併映。ギンレイの2本立ては同じ監督の2本、同じ俳優の2本や、テーマが同じ2本(たとえば、2本とも母ものとか)を併映にすることが多いですが、今回の2本共通テーマは「レイプ」

 「プロミシング」とは、直訳は「約束されている」。通常は「プロミシング・ヤングマン=将来が約束されている有望な青年」という意味合いで使われる。しかし、女性に対して「プロミシングヤングウーマン」という使い方は特殊です。女性は「将来有望な」「行く末を期待されている」と言わなければならない場面が少ないからです。どんな優秀な女性も、「ガラスの天井」に頭がぶち当たる。

 さらに、報道の場や裁判で「プロミシング・ヤングマン」が使われるのは、どんな場合か。
 レイプ事件の加害者が有名大学の成績優秀な男性で、被害者が偏差値低い高校の校則違反の服装なんぞしている女子高生だったりしたとき、20年ほどまえまで、「将来ある若者の未来を奪うことは社会のためにならない」という意識を持つ法律関係者のもと、女性のレイプ被害は男性の名誉侵害問題にすり替えられたりしたのです。
 どこかの政治家が、有名大学の運動部員が女性を酔わせて襲った事件で「若者らしく、元気があってよろしい」と発言したことも思い出されます。

監督脚本:エメラルド・フェネル
カサンドラ・トーマス(キャシー):キャリー・マリガン
ライアン・クーパー:ボー・バーナム
マディソン・マクフィー:アリソン・ブリー
スタンリー・トーマス:クランシー・ブラウン
スーザン・トーマス:ジェニファー・クーリッジ
エリザベス・ウォーカー:コニー・ブリットン
ゲイル:ラバーン・コックス
ジェリー:アダム・ブロディ
ジョー:マックス・グリーンフィールド
ニール:クリストファー・ミンツ=

 かって、「将来を約束されていた」医学大学生だったキャシー。
 本名がカサンドラだということがわかると、ギリシャ悲劇好きには「そうか」という思いがわきます。カサンドラはトロイアの王女。予言の能力を持っているのに、彼女が予言したことをだれも信じないという呪いをアポロンからかけられています。アポロンをふったためです。最後は無残に殺されるカサンドラ。

 キャシーは、親の期待通りの優秀な医学生であったのに、今は無気力なカフェウエイトレスとして毎日をすごしています。しかし、キャシーの夜の顔は昼とは一転します。濃い化粧にケばい衣裳。酔って崩れ落ちそうな肢体。彼女を自分のアパートなどに連れ込んだ男性に、キャシーは手ひどい仕打ちを加えます。なんのために?

 ある日、医大で同級生だったライアンに出会ったことで、キャシーの過去が明らかになっていきます。キャシーの親友ニーナが同級生アルにレイプされたことを訴えたのに、だれもニーナを信じません。アルは「将来を約束された若い男性」だったからです。ニーナは信じてもらえないことに絶望し、自殺します。
 ニーナがレイプされた夜、キャシーはいっしょにいませんでした。そのため、キャシーはニーナに対して「守ってやれなかった」と後悔の毎日をすごしていたのです。

 キャシーは、ライアンのことばのはしはしから、しだいにニーナがどのような目にあわされたのか、どうして周囲の人はニーナの味方をしてくれなかったのか、わかっていきます。
 たとえば、医学部の

 キャシーは「最終的な復讐」のために計画を練り、実行にうつします。アルと、アルをかばってニーナを破滅させた面々は、キャシーの「わが身をかえりみない復讐」によって、裁かれます。

 キャシーとニーナは、4歳のころから心を結びあった「真実の親友」「心の友」でした。ニーナを失ってからキャシーは「生きる気力」も失っていました。両親は「優秀な娘」「期待の我が子」から一転「無気力ななげやりな人生」をおくるようになったキャシーが「いつかは立ち直る」と信じて見守っています。しかし、両親もキャシーがニーナに寄せた特別な思いには気づけませんでした。

 この映画でも、レイプする側が強者であり、被害者が自殺、という世の多くの事例と同じになっています。
 監督は、「レイプ・リベンジ=性的暴行の被害者やその関係者が復讐を行うジャンル 」の常の作り方とは異なる方法をとった、と制作意図を述べています。

 キャシーの復讐は想像できないものでした。ほかに方法があったにちがいないけれど、キャシーはニーナの魂にわが身をささげることで、ニーナを守れなかった贖罪をおこなったのだろうと、思います。つらいラストシーンでした。

 決闘による裁きによって、自分自身も火あぶりの刑になるかもしれなかった『最後の決闘裁判』のマルグリット。その身を焼かれることも予測していながら、自分をそこに追い込んで復讐を望んだキャシー。
 予言者カッサンドラ―は自分自身の運命も予見していました。アガメムノンの妻クリュタイムネストラに殺されると。キャシーも自分の運命を予見していたことでしょうが、キャシーはニーナとの愛を完成させる生き方を選んだのです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「最後の決闘裁判」

2022-04-10 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220410
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2022シネマ春(1)最後の決闘裁判

 2021年10月に公開された英米合作映画。日米同時公開。飯田橋ギンレイホールで3月13日に鑑賞。
 歴史上の出来事をもとにした映画ですが、14世紀の出来事の全容がわかる確かな資料は不足しており、歴史学者の研究でも諸説ある、といういわくつきの史実です。

監督:リドリー・スコット
脚本:ニコール・ホロフセナー、マット・デイモン、ベン・アフレック
原作:エリック・ジェイガー(『決闘裁判 世界を変えた法廷スキャンダル』)
出演:マルグリット:ジョディ・カマー
   ジャン・ド・カルージュ:マット・デイモン
   ジャック・ル・グリ:アダム・ドライバー
   ピエール伯:ベン・アフレック

 エリック・ジェイガーの原作


 1386年のフランス王国のパリにおける最後の決闘裁判の顛末をエリック・ジェイガーが、ノンフィクション『決闘裁判 世界を変えた法廷スキャンダル』として執筆し、それを基に、今回の映画では、出演者でもあるベン・アフレックとマット・デイモンが脚本を執筆。ふたりに加えて、ニコール・ホロフセナーが「女性側の視点で」という第3の脚本執筆を担当しています。
 3人の登場人物が同じ出来事を語る、というと、黒澤明の『羅生門』その原作の芥川龍之介『藪の中』を思い浮かべます。
 実際、マットデイモンがリドリースコットに監督の依頼をしたときスコット監督は、「(デイモンは)とりつかれたように『羅生門』の話をしていたよ。私は一つの行為が登場人物3人の視点で、それぞれ描かれるというポイントに惹きつけられたんだ」と脚本本の面白さにひかれて監督を引き受けたことを述べています。

 もとになった史実とは、騎士ジャン・ド・カルージュがイギリスに出征している留守の間に、ジャンの旧友従騎士ジャック・ル・グリがジャンの妻マルグリット を強姦したという事件の裁判のいきさつについて。 
 決闘裁判というのは、双方の言い分をさばき切れない場合、神に裁きをゆだねて、双方が決闘をする、という決着のつけ方。どちらかが死に至るまで戦い続け、勝ったほうが神に正義と認められ、負けたほうが不正義。さすがにこの決着のつけ方は問題は大きく、1386年のこの決闘を最後に、こんなやり方はなくなったのです。この裁判が「最後の決闘裁判」となりました。


 監督リドリー・スコット(1937~ )80歳過ぎての作品であるというだけでも「すごい!」と見たくなるけれど、なにより脚本の「ジャン、ジャック、マルグリットの3人がひとつの出来事を語る」というのを知ると、あらら、黒澤明の『羅生門』か、芥川龍之介の『藪の中』か、と興味津々になります。

 女性は「人権ゼロ。男性の所有物同然」の存在だった中世ですから、史実の記録では、マルグリット視点の記録などはどこにもありません。ニコール・ホロフセナーが女性の側から裁判を描いた、というところがこの映画のキモでしょう。

 マルグリットを強姦したル・グりは「貴婦人だから嫌がるふりをしてはいたが、この行為は双方合意の上のものだった。よって自分は無罪」と主張し、ル・グりが使えている領主ピエール伯もお気に入りの臣下の味方をするし、神職をめざしていたル・グりに教会関係者も肩入れする。
 どこまでもル・グりの処罰を望むカルージュは、もし自分が決闘で負けた場合、妻のマルグリットも「偽証」の罪になり生きたまま火あぶりの刑になるということを知りながら、決闘に臨みます。

 同じ出来事をカルージュ視点とル・グり視点からの事実が述べられたあと、マルグリット視点の「真実その3」が語られる。

 夫と、夫の友人で強姦者のル・グりのどちらも、マルグリットを尊重し愛したとは思えない。夫の行為は初夜のときから一方的で妻の身体を尊重しているようには見えないし、ル・グりが「いやがるふりをしているけれど、本当はしたがっていたはずだ」と考えて行った行為も、マルグリットを歓喜に導くようなやり方ではなかったように見えた。ベッドに追い詰めたあげくの一方的バック!
 あのような一方的行為を行って「いやがっているふりをしているけれど、女はほんとはやりたがっていたのだから、自分は無実」と最後の最後まで信じているル・グりも、「神学は学んだけれど、女性についてはなにも知らない大バカ者」だと思うし、女を知らないという点では中世の男たちはみな、「本当の喜び」を知らなかったのだろうなあと思います。

 マルグリットは裁判の場で、「夫との行為に喜びがあったか」と問い詰められます。中世の考え方ってよくわからないのですが、映画の中で語られていたのは「女性が絶頂に達すれば妊娠する」というのです。子を授からないでいたマルグリットは「夫との行為に喜びはあったが、絶頂に導かれてはいない」と答えています。へぇ、そうなんだ。絶頂にいかないと妊娠しないって、ほんとにみんな信じていたのかな。

 もうひとつ、中世のヨーロッパ女性の人生で重要なこと。女性には法的に不動産相続権が与えられていなかった、ということ。ヨーロッパ周辺国すなわちイギリス、スペイン、スエーデンには女性の不動産相続権王権相続権があったので、エリザベス一世のような女王も存在できたけれど、フランスの女性は不動産相続権も王権相続権もなかったのです。
 そのため、マルグリットは、父親が「持参金」として持たせてくれた不動産も、一部は領主のピエールに簒奪され、残りは夫が所有権を持ちました。

 カルージュの母親は、ジャックの父カルージュ3世亡きあと地方長官の職を世襲できなかった息子を不憫に思い、無一文だった息子にいくぶんかの不動産を与えることになった持参金付きの嫁マルグリットをよく思っていません。息子のいるところでは露骨な嫁いびりをしませんが、嫁にあたたかい視線を寄せることはしません。
 マルグリットは、夫がイギリスへ遠征している間、領地を管理し税収もきちんと確保する賢い嫁でした。武辺一方で無学なカルージュにはすぎた嫁だったわけですが、姑にとっては「まだ世継ぎも生んでいない嫁」でした。

 強姦されたと夫に訴えた嫁に、姑は「私も若いころ強姦されたことがあったが、それはだれにも話さなかった」と語り、決闘することになってしまった息子を案じて嫁を責めます。おそらく、多くの女性がつらい経験をしたあと、口をつぐまざるをえなかったのだろうと思います。強姦の場にだれもおらず、真実を証明する方法は何もないのですから。
 姑は、嫁が襲われる原因を作ったのは、自分自身であったことなど、かけらも反省していません。 ジャンが言い残した「マルグリットをひとりにするな、必ずメイドをそばに置け」という言いつけを守らず、自分の用足しのためにメイドをみな連れて外出したために事件が起きたことを考えずに、息子を決闘の危険にさらした嫁に冷たく当たります。

 1386年のこの裁判のあと、妻を残して遠方へ出征しなければならなかった夫はどうやって妻の貞操を守ることにしたか。十字軍のころ、妻の腰に「貞操帯」をはめ込み、夫が鍵を外さない限り、排尿はできるが男との交渉はできない、という装置を考え出したのです。

 マルグリットは「夫が負けたらおまえは生きながら火あぶりになる」と聞かされても、自分の主張を変えることをしませんでした。夫の勝ちを信じていたから?いいえ、夫が勝とうがル・グりが勝とうが、「女性の尊厳」を考えてくれる者がいないことを知り尽くしたうえでの主張だっただろうと思います。そうでなければ姑やその他の女性たちがしたように「口をつぐむのがいちばん賢い方法」とわかっていたでしょう。
 マルグリットは、女性を「自分の所有物・奴隷や家畜と同じ存在」としか見ない男社会に敢然と「女も、男と同じ尊厳を持つ人間」という主張をしたのだと思います。

 現在でもなお、レイプ事件で「女にもスキがあったのだ」「そんなに嫌だったのなら抵抗できたのではないか」などの言説が裁判でも報道でもまかり通っています。
 #Metoo時代になってもまだ、女性が声をあげるには厳しい世の中です。脚本家と監督は、現代においても、女性が強姦された場合の世間の取り扱いかたを知ったうえで、この映画を作り上げたことでしょう。

 153分という上映時間が「長すぎた」という感想もあったようです。3人の語る事実の同一部分をはしょれば、もう少し短くなったかもしれないけれど、同じ部分でも視点が異なれば違う見方になるのだ、ということを表現するには、この繰り返しも必要だったと思います。

 興行ではリドリー・スコット監督の作品の中で最低になった、という今作を、私は高く評価したいと思います。
 じゃんじゃか兵士が死んでいく戦闘シーンは、『乱』よりすごかったし、騎士と従騎士の馬上一騎討ちの決闘シーンも迫力あり、最後まで「どっちが勝つ?」とはらはらしました。
 ただし、敗者の最後がどうなったか、の描写はえぐい。目をそらさず見たけど。
 マルグリットの生涯を語るラストナレーション、記録が残されているのだろうか。

 美術が秀逸。ちょうど電車読書で紅山雪夫『ヨーロッパものしり紀行・城と中世都市』を読んでいた最中で中世の建築に詳しくなっていたので、画面のすみずみまで、中世都市や城のようすが再現されていてその面でも楽しめました。


 「映画を見る楽しみ」をおおいに味わうことができました。2021年10月公開の映画を2022年3月にもう見ることができて、飯田橋ギンレイの買い付け力、いいと思います。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「街の上で」

2022-04-09 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220409
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2021シネマ拾遺(3)街の上で

 『街の上で』は、2021年4月公開の日本映画。最初はネットフリックス公開でした。私は飯田橋ギンレイで観覧。

監督:今泉力哉
脚本:今泉力哉、大橋裕之 
出演:
若葉竜也
穂志もえか
古川琴音
萩原みのり
中田青渚
成田凌

 私が飯田橋ギンレイで見たあと、写真美術館の1階ホールでも上映しているのでびっくり。そんな「芸術映画」だったのか。これまで写真美術館1階ホールで上映される映画は、ここでしか見ることができない「ぜったい大衆受けはしない」という映画だったので。
 クロート評価では、2021年の段階では「ドライブマイカー」よりも受ける映画になったみたい。
 
 下北沢の古着屋で働く青年、荒川青を中心に「青春群像劇」という作劇。私が知っていた俳優は古川琴音と成田凌だけだったので、下北沢の「町おこしドラマ」映画だと言われればそうかもしれない、と思ったろう。オール下北沢ロケ。

 私にとって下北沢は、客席数26のミニ劇場に出演する友人を見るために出かけた街。下北沢の小田急側の駅と劇場周辺しか知らない。友人が劇場の所属をやめたあとは、もう下北を訪れることもないかなあ。

 下北沢映画祭からの依頼がきっかけで製作された映画だったというから、下北沢の町の魅力を伝えることもミッションのひとつで、それには成功していると思うが、映画シロートの私には、主人公もその恋人・友人たちも、自主映画製作にかかわり、打ち上げでわいわいやる仲間たちも、なんだかピンとこなくて、ぜんぜん響かなかった。 

古着屋で働く主人公・荒川青:若葉達也
青の元恋人・川瀬雪:穂志もえか
古書店の店員・田辺冬子:古川琴音
美大生で映画監督・高橋町子:萩原みのり
衣装スタッフ・城定イハ:中田青渚
古着屋の客・朝子:上のしおり
ラーメン屋「珉亭」の客で風俗店従業員:村上由規乃
レコード屋兼カフェCCCの客・美穂:美羽

 これだけ女優がでていたけれど、雪はさっさと別れ話をして出ていくし、他の女性たちとの仲も深まりもしない淡々とした仲。
 
 若者の「日常」をゆるゆる淡々と、というのが、私の感覚にあわなかったのでしょうが、このゆるさが合う人にはきっといい映画だと思います。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「浜の朝日の嘘つきどもと」

2022-04-07 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220407
ぽかぽか春庭>シネマパラダイス>2021シネマ拾遺(2)浜の朝日の嘘つきどもと

 福島テレビ50周年記念ドラマ『浜の朝日の嘘つきどもと』(2020年10月30日放映 )の前日潭として、タナダユキのオリジナル脚本高畑充希主演による映画が製作されました。タイトルは同じ『浜の朝日の嘘つきどもと』。
 福島県に実在する映画館「朝日座」をめぐる物語。。 

 映画解説
 福島県南相馬に実在する映画館を舞台に、映画館の存続に奔走する女性の姿を描いたタナダユキ監督のオリジナル脚本を高畑充希主演で映画化。
 100年近くの間、地元住民の思い出を数多く育んできた福島県の映画館・朝日座。しかし、シネコン全盛の時代の流れには逆らえず、支配人の森田保造はサイレント映画をスクリーンに流しながら、ついに決意を固める。森田が一斗缶に放り込んだ35ミリフィルムに火を着けた瞬間、若い女性がその火に水をかけた。
 茂木莉子と名乗るその女性は、経営が傾いた朝日座を立て直すため、東京からやってきたという。しかし、朝日座はすでに閉館が決まっており、打つ手がない森田も閉館の意向を変えるつもりはないという。

 高畑充希:茂木莉子 〈26〉朝日座にアルバイトにやってきて、映画館存続にかけまわる。
 柳家喬太郎:森田保造 〈57〉映画館「朝日座」の支配人。朝日座を占める決意をしている。
 大久保佳代子:田中茉莉子 莉子の高校時代の恩師。莉子に「朝日座」再建のきっかけを与える。
甲本雅裕:岡本貞雄 莉子に協力するようになる不動産屋
佐野弘樹:チャン・グオック・バオ 茉莉子のパートナー
光石研:莉子の父。タクシー会社社長。莉子 との間に確執がある。
吉行和子:松山秀子 資産家未亡人。朝日座常連。
竹原ピストル:川島健二 生きる希望を失い、朝日座の前にふらふらとあらわれる。映画ではラストワンシーンのみ出演

 以下、ネタバレ含む感想
 私はテレビドラマは見ないで映画をみて、予備知識はゼロでした。にもかかわらず、すべての登場人物が私が映画ポスターの顔ぶれを見て予想した通りの役割を果たし、予想通りに物語が進展しました。予想と反したのは、大久保佳代子が結婚し朝日座の存続にかかわることくらい。
 最初から田中先生に蓄えがあることを莉子が知っていたら、物語は進展しないわけだから、莉子にかくされていたことは仕方ないとして、田中先生の臨終のことば「やっときゃよかった」は、ほんとやっとくべきだったと思います。
 一番の嘘つきは、田中先生だった、ということがわかってハッピーエンド。 


 ただし、チャン・グオック・バオがどんなに純真な青年であったとしても、茉莉子から自分に残された遺産を朝日座のために分け与えるか、というと。
 少なくとも私が今まで出会ったベトナム人は、少しでも余力があればどんなことをしても故郷の家族のために仕送りしたい、というマインドの持ち主でした。パオ君は特殊なベトナム人なのかもしれませんが、田中先生が生前に「朝日座のための信託基金」を設立しておいたのでなかったら、茉莉子先生の好意はハロン湾の波の中に消えたであろう、、、、って、ベトナム人の家族愛の強さを褒めているんですよ。
 ということで、私が感じた一番の「嘘」は、ベトナム人のメンタリティについてでした。田中先生がベトナム人のメンタリティを理解していなかったのは、やっぱりやってなかったからだと思います。自分のお金を残したい男とはちゃんとやって、ちゃんと彼を理解しておかないと。以上。

 どもあれ、朝日座は存続が決まり、今では映画の「聖地巡礼」に訪れる人も多いとか。ただし、現在では単館映画館としてでなく、地域コミュニティの中心として「人々が寄り集まる場所」として活用されているのだそうです。

 「心あたたまる話」にはとかく眉に唾つけてしまう干からびた春庭の心も、「朝日のごとくさわやかに」なりました。竹原ピストル主演のドラマ版もみた
い。ドラマ放映の機会を待っています。

 あのね、ジャズの名曲「朝日のごとくさわやかに」は、原題Softly, as in a Morning Sunrise で、失恋の歌。まったくもってさわやかな状況でないときの歌です。つまり、この邦題も知ってみれば「うっそ~」です。世の中うっそ~で出来上がっているんですね。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ブータン山の学校」

2022-04-05 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220405
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2021シネマ拾遺(1)ブータン山の学校

 「ブータン山の学校」。3月28日に予定されている第94回米アカデミー賞の「外国語映画賞」に最終ノミネート5本に入りました。岩波ホールで公開されてから半年後に飯田橋ギンレイで鑑賞しました。ドキュメンタリー記録映像以外のブータン映画を見たのははじめてです。

 監督のパオ・チョニン・ドルジは、ブータン出身。1983年生まれ。作家、写真家、映画監督。

監督脚本:パオ・チョニン・ドルジ
出演
・ウゲン:シェラップ・ドルジ
・ミチェン:ウゲン・ノルブ・へンドゥップ
・ペムザム:ぺムザム 
 
 ヒマラヤ山脈の標高4800メートルにある実在の村ルナナを舞台に、都会から来た若い教師と村の子どもたちの交流を描いたブータン映画。ミュージシャンを夢見る若い教師ウゲンは、ブータンで最も僻地にあるルナナ村の学校へ赴任するよう言い渡される。1週間以上かけてたどり着いた村には、「勉強したい」と先生の到着を心待ちにする子どもたちがいた。ウゲンは電気もトイレットペーパーもない土地での生活に戸惑いながらも、村の人々と過ごすうちに自分の居場所を見いだしていく。

 

 原題「ヤクのいる教室」の子供たちのようすが、ドキュメンタリーのように撮れていると思ったのですが、実際にドキュメンタリーの手法と同じく、自然に授業を受け、生活している子供を撮影して編集したのです。
 映画を見ているうち、学級委員役だけが子役で、あとの子供たちは、村の子供たちの出演なんだろうなあ、と推測したのに、学級委員役のペム・ザム も村の子供のひとりでした。

 本作が初メガホンとなるパオ・チョニン・ドルジ監督が、出演している地元の子供たちに、撮影の最初に言い聞かせたこと。「これから授業をするから、授業をうけてください。部屋の隅にカメラを置いておくので、カメラを見てはいけません」
 監督の心配は無用でした。子供たちは、電気も水道もない生活のなかで、映画もテレビも見たことがなく「カメラのレンズを見る」ってことがどういうことかも知らなかった。
 子供たちは、新しい先生から授業を受けることを楽しみに待ち、キラキラした眼で先生の一挙手一投足を見つめ、先生の声を聞く。

 映画のラストクレジットをじっと見ていたら、学級委員役のペムザムを演じていた出演者名がペム・ザム 。びっくり。
 クラスメートのみならず、主役級の子役も地元の子供がそのまま出演していたのでした。
 しかも、子供たちも出演した村人たちも、自分たちが出演した映画をまだ見ていない。監督の「必ず上映会をします」という約束が、コロナのために果たされていないから。

 電気も水道もトイレットペーパーもない村で、人々は「私たちは幸福だ」と感じて生きていました。これまでは。
 急激な情報社会の変化で、都市部にはスマホも普及し、テレビなどがみられるようになった村では「よその国には私たちが知らない物質があふれ、私たちが見たこともない幸福があるらしい」と知り始めたというのです。
 ほとんどの国民が「私はしあわせだ」と言っていた国が変化しつつあります。 
 
 監督は、自然の中で自然のままに暮らす村人たちを美しい映像で描きとり、本当の幸せとは何かを問いかけました。
 歌手志望だった主人公ウゲンが、希望通りシドニーに移住し小さな店で歌う仕事もできたというのに、少しも幸せそうに見えません。しかし、けっしてウゲンは標高4800メートルの山の中に帰るとは言いださないでしょう。彼はシドニーの生活を知ってしまったからです。

 最も近い小さな町から、道なき道を歩いて 1週間もトレッキングして到達する山の奥も奥のルナナ村。
 ルナナ村の人々にテレビやスマホが届けられたのち、山に向かって歌う幸せや助け合って暮らす村人の幸福はどうなっていくのでしょうか。


 監督におねがい。外国語映画賞ノミネートで映画も売れるだろうから、ルナナ村の小学校にぜひ、勉強用のノートと鉛筆を届けてほしい。
 私が40年前にケニアに滞在したとき、タカ氏といっしょに訪問した田舎の小学校でのこと。ノートを持たない生徒たちに、小学校の先生は木の枝をそれぞれに持たせ、「Andika、書け!」と命じ、子供たちは地面にAだのBだの書いていました。ケニアだとはだしの子供たちが校舎の外で授業を受けていても寒くはなかったですが、標高4800mで暮らすペムザムたちには、凍った地面は過酷です。

 村の子供たちが、自分たちが出演した映画を見る日がきますように。

<つづく>
コメント (2)
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