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ぽかぽか春庭アーカイブ「(せ)瀬戸内寂聴『余白の春』」

2018-11-11 00:00:01 | エッセイ、コラム
20181111
ぽかぽか春庭アーカイブ>(せ)瀬戸内寂聴『余白の春』

 2003年のアーカイブです。
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at 2003 10/09 07:23 編集
春庭千日千冊 今日の一冊No.14(せ)瀬戸内晴美『余白の春』

 私の若い頃の「アイドル(偶像神、崇拝物)」、外国人女性ではローザ・ルクセンブルグ、日本の女性では、菅野須賀子、伊藤野枝、金子文子(すごいラインナップ!)男性では、チェ・ゲバラ。最近ではアフガニスタンのマスード(ゲバラに風貌が似ている気がする)。

 須賀子や野枝は、歴史上の人物として、瀬戸内の評伝『遠い声』や『美は乱調にあり』を読む前から知っていたが、文子については、この『余白の春』を読むまで、遺書となった獄中手記『何が私をかうさせたか』の書名のみを知っていて、その生涯についてはあまり知らなかった。
 須賀子、大逆罪により刑死。野枝、関東大震災の混乱の中、甘粕中尉らにより虐殺。文子大逆罪により逮捕、獄中で自殺。あまりにも激しい生を生きた女性たちを前にして、私は、ただ、自分のふがいないぐうたら人生をぼやくだけで五十余年がすぎた。

at 2003 10/09 07:23 編集 出家という老後
 『源氏物語』のヒロイン紫の上が、晩年に強く願ったことが「出家」だった。極楽浄土へ旅立つことが、人生究極の望みとして人々の意識にのぼってきたのが、紫式部のころから。

 現代も「老後は仏門に入りたい」という言葉を聞くことがあるが、私の知る限りでは、女性には少なく、男性に多い。男性の出家者は、多くの宗派の住職が妻帯し、普通の家庭生活をおくるのに対して、女性の出家者は、文字通りの「出家」を求められることが多いからではないだろうか。だったら、在家の優婆夷(うばい=清信女)のままでいいかと。

 僧籍をもつ作家で、思い浮かぶのは、立松和平、玄侑宗久、寺内大吉、今東光。
女性では、今東光を得度の師として晴美から名を変えた瀬戸内寂聴。

 瀬戸内は五十を境に、前半は激しい愛憎の中に生き、後半は仏門修行と文学を両立させた。
 寂聴は『源氏物語』の現代語訳や、『女人源氏物語』の中で、出家願望に共鳴しつつ紫の上の姿を描いている。平安時代の一夫多妻制度の中で、紫の上が真に自分だけの精神的自立を求めるには、出家しかありえなかったと。しかし、光源氏は最後まで紫の上を手放すことを拒み、出家を許さなかった。

 「とはずがたり」をもとにした、瀬戸内の『中世炎上』の主人公二条も、前半生は激しい愛憎の生活、後半生は仏門へ。瀬戸内と通ずる人生だった。
 瀬戸内の作品、前半生の自身の激しい愛憎生活を描いた自伝的小説類よりも、後半生の仏教エッセイや源氏などの古典エッセイが好き。そして、激しい生を生き抜いた女たちの評伝作品が好き。


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20181111
 2022年生まれの寂聴さん、96歳の今も各地での講演や新作発表でご活躍。大きな手術もなさったし、若いころのような無理はきかないと、エッセイにも書いておられるけれど、そのパワーには圧倒されます。
 そこで思いついたのは、「おちゃめに百歳」のパワーをもらおうという「寂庵詣で」。
 11月1日の「寂庵写経の日」に参加しようと嵯峨野めぐりの間、寂庵に何度も電話をして参加申し込みをしようとしたのですが、電話はつながりませんでした。またの機会に。

 私の人生も「余白」になってずいぶんたちます。秋もすぎ、「余白の冬」の人生ですが、吹雪あり日照りありの世を生きていきます。


<つづく>
コメント (3)
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