春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

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ぽかぽか春庭2023年10月もくじ

2023-10-31 00:00:01 | エッセイ、コラム

20231031
ぽかぽか春庭2023年10月もくじ

1001 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023文日記秋(1)中秋の満月&敬老週間
1003 2023文日記秋(2)スタイリスト・リュージのゲイシャ
1005 2023文日記秋(3)白金散歩with 日曜地学ハイキング
1007 2023文日記秋(4)ミサイルママ踊る in 文化センター
1008 2023文日記秋(5)飛鳥山でおしゃべり
1010 2023文日記秋(6)バレーボール観戦
1012 2023文日記秋(7)東京楽友協会交響楽団定期公演 in 府中の森芸術劇場どりーむホール
1014 2023文日記秋(8)八王子まち歩き
1015 2023文日記秋(9)池袋よさこい踊り見物

1017 ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2023夏シネマつづき(1)アラヤシキの住人たち

1019 ぽかぽか春庭アート散歩<2023アート散歩写真を見るつづき(1)覗き見るまなざしの系譜」展 in 写真美術館

1021 ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩秋(1)堅山南風震災絵巻 展)in 半蔵門ミュージアム
1022 2023アート散歩秋(2)本歌取り東下り by 杉本博司 in 松濤美術館
1024 2023アート散歩秋(3)紫式部日記絵巻 in 五島美術館
1026 2023アート散歩秋(4)伊万里鍋島の凸凹文様 in 戸栗美術館

1028 ぽかぽか春庭アート散歩>2023建物散歩秋(1)セミナーハウス in 八王子
1029 2023建物散歩秋(2)白金聖心女子学院と都立大学
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ぽかぽか春庭「白金聖心と都立大」

2023-10-29 00:00:01 | エッセイ、コラム

 道路側から見た聖心女学院レツル門

 20231029
ぽかぽか春庭アート散歩>2023建築散歩秋(2)白金聖心と都立大

 日曜地学ハイキングのメンバーといっしょに白金を歩いた日、「ヤン・レツルの設計した校門」が残っているので、聖心女学院が見学コースに入っていました。当初は校門外観だけの見学と言うことでしたが、思いがけず、門内に入り、本館の撮影も許されました。個人で来訪しても、学内に面会者がいない限り学外者は中に入れないガードの硬い学院です。上皇后美智子様の出身校ですから、内部のお嬢様たちをしっかり守る必要があるのはわかりますけど、前回ひとりで来た時は、門から中を覗こうとしただけで、守衛さんに怪しまれて追い返されました。

 学院の校舎についての説明
 初代本館は、1909年に竣工。広島原爆ドームで知られるヤン・レツル氏が設計した木造4階建の洋風建築で、赤いレンガでおおわれ、中央には高い塔がそびえ立っていました。しかし関東大震災で崩壊。2代目本館は、1925年に竣工。帝国ホテルの建築などで知られるアントニン・レイモンド氏の手によるもので、聖心初の鉄筋コンクリートの3階建でした。しかし第二次世界大戦の戦禍で1945年に焼失。3代目となる現在の本館は、1956年に完成した鉄筋コンクリート3階建の建物です。現在は音楽室、美術室、視聴覚室、選択授業教室などが配置され、一部は修道院となっています。

 初代はヤン・レツル。二代目校舎はレーモンドと、そうそうたる設計者ですが、三代目にあたる現本館は1956年竣工とのみ学校側の説明にあり、設計者は解説されていません。だれ?
 一部は修道院になっているということで、ミッションの静謐な雰囲気のキャンパスでした。

 ヤンレツル門を入ってすぐにある立像


ヤン・レツル設計の門。竣工:1909(明治42)年 ◎移築:1935(昭和10)年ころ
校舎側からの撮影です。
 

 本館

 本館の搭

本館の玄関

 コロナ禍で中止されていた聖心女子大学のキャンパス内に残る重要文化財「旧久邇宮邸(通称パレス)」の一般公開 が3月にあったのですが、見逃してしまいました。次こそは。

 10月4日に八王子のセミナーハウス見学の前に、南大沢駅を最寄り駅とする、東京都立大学をちらと見学。

 正門前の銅像。

 都立大学キャンパスと私

 こちらは、都税を払っている身としては、いつかは内部の見学もしたいと思っています。

<つづく>

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ぽかぽか春庭「大学セミナーハウス in 八王子」

2023-10-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
20231028
ぽかぽか春庭アート散歩>2023建物散歩・秋の学校(1)大学セミナーハウス in 八王子

 八王子には、都心から移転したり、本部は都心のままキャンパスは多摩地区に置く大学が多く、八王子市内に25校もの大学がひしめいています。ひしめくと言っても、広い市内なので、どのキャンパスも悠々ゆとりの広さですが。

 その八王子に大学が集まりだす前。1965年に吉阪隆正+U研究室が設計した「大学共同利用セミナーハウス」が竣工しました。2017年には、本館が東京都選定歴史的建造物に選定されました。現在の名称は「公益財団法人 大学セミナーハウス」になっています。以下、略称セミナーハウスと表記。

 吉阪隆正は、ル・コルビュジエ 日本人3人の弟子のひとりです。東京文化会館設計者前川国男、アンスティテュ・フランセ東京設計の板倉準三。そして早稲田で教鞭をとった吉阪隆正。

 現代美術館での吉阪隆正展を見ました。
https://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/65eb22c49dda0ab50e8f7bd0a4c7d54b 

 逆三角錐の形。三角錐のてっぺんが大地に突き刺さる、というユニークな形。たぶん、この形に追随した建物をほかに知りません。唯一無二の形。「大地に知の楔(くさび )をうちこむ」というのがコンセプト。
 現在は、大学だけでなく、申し込みをすれば施設が利用できる。10月4日は、神奈川赤十字の感染症対策シュミレーション訓練が内部で実施されていました。医師役、患者役などのゼッケンをつけた赤十字の人たちが4階多目的ホールに待機していました。

 本館

入口の三角屋根
 

 階段
 3階ラウンジ
 

 さくら館

中央セミナー室
 ユニットハウス(宿泊棟)
長期館

 1970年に東京にでてきたとき、セミナーハウスは「早稲田のかかわる大学共同利用の施設」として知られていました。それから50年たって、ようやく見学がかないました。

 本館4階多目的室から周囲の多摩丘陵のけしきをながめる。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「伊万里鍋島の凸凹文様 in 戸栗美術館」

2023-10-26 00:00:01 | エッセイ、コラム


202310
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩秋(1)伊万里鍋島の凸凹文様 in 戸栗美術館

 戸栗美術館は、陶磁器を展示しています。10月14日は、創設者戸栗亨(1926(大正15)年-2007 (享年81)のメモリアルデー(命日)のため無料開館。私は気づかないでいたのですが、娘が「母は無料が好きだから教えます」と知らせてくれました。

会期:2023年10月6日(金)~12月21日(木)  

 エレベーターがないので、階段をゆるゆると昇っていくと展示室前のロビーに飾られている大壺


 戸栗美術館の口上
 今展では、やきものの表面に施された凹凸(おうとつ)の文様に注目します。取り上げるやきものは、江戸時代初頭に佐賀・有田(ありた)で日本初の国産磁器として誕生した伊万里焼(いまりやき)と、その技術を応用して徳川将軍家への献上品として創出された鍋島焼(なべしまやき)。これらのやきものの施文方法は筆による絵付けが主流ではありますが、中には表面を盛り上げたり、貼り付けたり、反対に削ったり、くりぬいたりという表現も見られます。
 こうした凹凸文様は、画像はもちろん肉眼であっても絵付けによる表現に比べると視認しにくいもの。しかしながら、凹凸文様をあらわすための技法は、型の準備や、ヘラや鉋(かんな)などの工具の使用など、伊万里焼や鍋島焼の基本成形技法である轆轤(ろくろ)挽きだけでは完成しない、ひと手間もふた手間も掛けられ、高い技術力も要するものです。
 伊万里焼・鍋島焼あわせて約80点。
 伊万里焼や鍋島焼では、凹凸文様を作るのに幾つかの主要な技法があります。「線彫り」や「透かし彫り」といった陰刻(いんこく)技法と、「貼付け」や「轆轤型打ち(ろくろかたうち)成形」「型押し成形」などの陽刻(ようこく)技法の手順を解説。


 
2階ロビー展示の大皿は、鍋島焼の制作過程の全工程を示す図柄


 色絵 七宝菊文 稜花皿 鍋島 江戸時代(17世紀後半) 口径21.3cm 




 何度見る機会があっても、陶磁器の見方はさっぱりわからず、ただ単に色がきれい、形がおもしろい、という感想しか出てこない。 
 
 染付 竹虎文 捻花皿 伊万里 江戸時代(17 世紀中期)口径 19.6 ㎝
 美術館創設者戸栗亨は、虎の図柄が好きで、美術館のシンボルマークも、この虎の形を図案化したもの。

 「命日により無料」が土曜日と重なったので、館内はいつもより混んでいたとは思いますが、それでも、こみこみの絵画美術館から見れば、ゆったり観覧できる環境。1階ロビーからの庭の景色も、幕末期の鍋島藩に由来する大砲とか田の神石像が飾られていて、よいながめでした。



 松濤散歩。たしか前に戸栗美術館から松濤美術館に向かったとき、古い洋館のレストランがあったような記憶がありました。土曜日のひるどき、歩いている散歩者はいません。住宅街の住民は運転手付きの車で移動しますから、とほ者は、各家の門前の防犯カメラに録画されていることでしょう。ここらでは、一戸建ての住宅は10億~100憶という価格帯ですが、その中にあるレストラン。シェ松尾は、大正時代に英国人建築家が建てた建物だそう。どんな客がくるのやらと思いましたが、門の外にはボーイさんが立ってランチ客をお出迎えしていました。客の予約時間の30分前には門前に出てお出迎えしているそうです。「宝くじ当たったら食べにくるよ」という婆の声掛けに、笑ってくれました。許可をもらったので、玄関の写真をとってから松濤美術館へ。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「紫式部日記絵巻 in 五島美術館」

2023-10-24 00:00:01 | エッセイ、コラム

 五島美術館所蔵「紫式部日記第一段 皇子誕生」

20231024
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩秋>紫式部日記絵巻 in  五島美術館

 2024年1月からのNHK大河ドラマは、『光る君へ』。紫式部と藤原道長を描き、武士が台頭する前の京の歴史絵巻になるのだとか。
 紫式部は日記を残しています。宮仕えをしたあいだ、仕えた中宮彰子がのちの皇太子を出産する前後1年半の記録。

 その他の時代の紫式部は、ほとんど資料がありません。藤原道長の生涯も『栄花物語』などでたどることはできますが、鎌倉時代に書かれたものです。あまりの歴史離れはないと思うものの、どこまで史実がでてくるのか、興味深いところです。あくまでドラマですから、日記に書かれていない紫式部(宮廷の呼び名は藤原氏出身で兄の官職が式部ゆえ、藤式部)が、源氏物語(「紫の物語」とも呼ばれた。紫の上と呼ばれるヒロインの物語)を描いたというあだ名が「紫式部」
 上野毛の五島美術館で紫式部日記の展示がありました。
 
五島美術館の口上
『紫式部日記』は、『源氏物語』の著者紫式部(生歿年未詳)が、平安時代、寛弘5年(1008)7月から同7年(1010)正月までの約1年半の間に書き遺した日記。藤原道長の娘であり一条天皇の中宮であった彰子に仕えた紫式部が、彰子の2度の皇子出産とその祝賀の華やかな様子を中心に、当時の権力者道長をめぐる様々な平安貴族の様子を生きいきと描き出した日記文学の傑作である。「紫式部日記絵巻」は、それを約250年後の鎌倉時代前期に絵巻にした作品。もとは全10巻程度の巻物であったと推定。江戸時代以前の伝来は不明。現在はその約4分の1にあたる4巻分が伝わり、五島美術館のほか、大阪・藤田美術館、東京国立博物館、個人コレクターが所蔵する。詞書の筆者を鎌倉時代の能書後京極良経(1169~1206)、絵の筆者を鎌倉時代の絵師藤原信実(?~1233~1266~?)と伝えるが、詳細は不明。五島美術館が収蔵する三段分は、大正9年(1920)に名古屋の森川勘一郎(1887~1980)が発見した巻子本(全五段)の内の第一・二・四段目にあたる。昭和7年(1932)、益田鈍翁(1848~1938)が購入する際に第五段目を切断、森川家に残し(現在、個人蔵)、さらに翌年、鈍翁は第三段目を切り離し掛軸に改装(現在、東京国立博物館蔵)、残りの三段分はその翌年額装となり、戦後、高梨家を経て五島美術館が収蔵することとなった。
(五島美術館収蔵「国宝 紫式部日記絵巻」は、毎年秋に1週間程度展示の予定)

 絵巻は、展示室1に五島美術館所蔵の国宝が、復元模写と並べて展示されていました。模写には、傷んでいたり色が落剝している現在の状態をそのまま模写する現状模写と、描かれた当初はこうだったであろうという分析によって再現する復元模写があります。源氏物語絵巻が現状模写復元模写、どちらも完成したのは知っていましたし、東京芸大での展示も見ましたが、紫式部日記も模写が完成していること、知りませんでした。

 紫式部日記第三段
 中央で背中を見せている公家が藤原斉信。

 復元模写によって、そうか、当時の人はこのような色合いで絵巻を見ていたのか、と気づくこともあります。模写する画家さんはたいへんだろうけれど、大切な作業と思います。

 紫式部日記は、私が初めて「影印本」を読んだ古典作品です。武蔵野書房の本だったと思います。影印本とは、古写本をそのまま写真にとって本にしたもの。影印本によって、変体仮名の読み方を覚えていく古典文学の授業。私は紫式部日記の前半と伊勢物語の数段を影印本で読んでみて、たちまちgive up。発表割り当てのページは、影印本の文字の横に翻刻本(活字本)の文字をルビにふるというごまかしでこなし、レポート提出でなんとか単位は獲得。

 書道をやる人にとっては変体仮名の流麗な筆文字を読みこなすことも必要でしょうが、私には、変体仮名を覚える努力をするより、活字本でいいから、物語そのものに没頭したい、という気持ちが強かった、、、、ようは、地道な努力ができない人間でした、、、

 五島美術館で国宝の詞書を見てその美しさにうっとりでしたが、やはり「筆文字を努力して読んでみよう」と言う気持ちは起きませず。ただ、千年前にこのような日記を書いた女性がいたということに驚嘆し誇りに思う気持ちで、読めない文字を眺めてきました。

 第一段 渡殿の公達と紫式部

 第一段の登場人物
 渡殿にいる藤原斉信と藤原実成  つま戸の中にいる紫式部(手前)と宮の内侍(奥) 

 第一弾の詞書        

 詞書の翻刻
 くれて月いとおもしろきに宮のすけ女房にあひてとりわきたるよろこびもけいせさせんとにやあらんつまとのわたりも御ゆとののけはひにぬれ人のおともせさりけれはこのわたとののひむかしのつまなる宮のないしのつほねにたちよりてここにやとあんないし給さいしょうはなかのまによりてまたささぬこうしのかみおしあけて~

 さて、大河ドラマ「光る君へ」に、この渡殿のシーンが出てくるかしらなど、楽しみです。藤原斉信は、お笑い出身の「はんにゃ」金田哲が演じる、とキャストが発表されているので、第一段、第三段のシーンじゃなくても画面に顔を出しそう。劇伴ピアノ演奏が反田恭平っていうのも楽しみ。っていうのも、今の「どうする~」が、どうにもならないくらい私にはおもしろくなかったので、早いこと紫式部に光ってほしい。

<つづく> 
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ぽかぽか春庭「本歌取り東下り by 杉本博司 in 松濤美術館」

2023-10-22 00:00:01 | エッセイ、コラム

20231022
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩秋(7)本歌取り東下り by 杉本博司 in 松濤美術館

 2016年に杉本博司『ロストヒューマン』展を見て以来、「海景」の展示など、いくつかの美術館で見てきました。まとまった展示は、久しぶりです。今回の展示は、「本歌取り」がテーマ。
 人が生み出してきた「新しい文化も文明も」すべては先人の生み出したものをふまえて、それを本歌取りしてきたものだ、という杉本の考え方。和歌の本歌取りは万葉古今の昔からあるけれど、文化全体の本歌取りについて学んだのは、松岡正剛の著作を集中的に読んだころからだった。「文化情報を編集する」ということが新しい文化を生んでいく、という考え方だ。

 川柳詠み人知らず「本歌取りといえばききよいパクリかな」
と言ってしまえば身もふたもないが、「本歌取りは芸術です」。
 他者の作品を下敷きにして、面白おかしいパロディ作品をめざすのもありだし、パクリをオマージュと言い換えるのも可能。下敷きにした作品を超えて新しい表現を獲得していればアート!能の安宅のパクリ作品が歌舞伎の勧進帳だが、勧進帳をパクリと非難する人はいない。

 杉本博司は、ニューヨークを活動拠点のひとつにしてきましたが、2009年小田原文化財団を設立しました。2017年に開館した「江之浦測候所」を 拠点に日本での活動を続けています。

 小田原文化財団の設立主意
 伝統芸能の再考を試み、古典芸能から現代演劇までの企画、制作、公演を行い、また既成の価値観にとらわれずに収集かつ拾集された「杉本コレクション」の保存および公開展示を通して、日本文化を広い視野で次世代へ継承する活動を行います。

 今回の杉本博司の本歌取りは、写真や絵画における「継承」を中心に編集されています。当初は1年前の姫路市立美術館での「本歌取り」展の巡回展として企画されたようでしたが、2022-2023の1年間で、新作がどんと増えたので、姫路本歌取りの企画そのものをさらに本歌取りした展示になっており「本歌取り東下り」として展開されています。

 松濤美術館の口上 
 杉本博司(1948~)は、和歌の伝統技法「本歌取り」を日本文化の本質的営みと捉え自身の作品制作に援用し、2022年に姫路市立美術館でこのコンセプトのもとに「本歌取り」展として作品を集結させました。
 本歌取りとは、本来、和歌の作成技法のひとつで、有名な古歌(本歌)の一部を意識的に自作に取り入れ、そのうえに新たな時代精神やオリジナリティを加味して歌を作る手法のことです。作者は本歌と向き合い、理解を深めたうえで、本歌取りの決まりごとの中で本歌と比肩する、あるいはそれを超える歌を作ることが求められます。西国の姫路で始まった杉本の本歌取り展は、今回、東国である東京の地で新たな展開を迎えることから、「本歌取り 東下り」と題されました。本展を象徴する作品である《富士山図屏風》は、東国への旅中に、旅人が目にする雄大な富士山を描いた葛飾北斎の《冨嶽三十六景 凱風快晴》を本歌とした新作で、本展で初公開となります。またこの他にも、書における臨書を基に、写真暗室内で印画紙の上に現像液又は定着液に浸した筆で書いた《Brush Impression》シリーズなど、本展は新作を中心に構成される一方、中国宋時代の画家である牧谿の水墨画技法を本歌取りとした《カリフォルニア・コンドル》など、杉本の本歌取りの代表的作品も併せて展示します。さらに、室町時代に描かれたと考えられる《法師物語絵巻》より「死に薬」を狂言「附子」の本歌と捉え、その他の8つの物語と共に一挙公開致します。
 現代の作品が古典作品と同調と交錯を繰り返し、写真にとどまらず、書、工芸、建築、芸能をも包み込む杉本の世界とその進化の過程をご覧ください。

 伝 牧谿「叭々鳥図」

 杉本は、カルフォルニアコンドルの剥製を手にいれ、牧谿の本歌取り作品を制作。
 杉本博司「カルフォルニア・コンドル」


海景」シリーズの本人による本歌取り「宙景」


 「時間の矢」火炎宝珠形舎利容器残欠+「海景」杉本博司1987
 

 小田原文化財団が手に入れた出口なおの「お筆先」。これはなんの本歌取りなのかわからぬが、小田原文化財団のコレクションのひとつ

 これまで写真版で見たことがありましたが、本物のお筆先を見たのははじめてです。最初は文盲であったという出口なおが自動書記のようにしたためたお筆先、信者さんからは神仏のことばと思えるありがたい文字と思います。私は江戸以降の新宗教の教祖となった人のなかではいちばん出口なおが好ましい。文字の読み書きもできなかった貧困の中にあった女性が、書き綴った神仏のことば、今どきの若者にとって、出口なおはカリスマにもならぬであろうが、御筆さきの文字を見れば、若者用語でトートイ。

 911のためにアメリカに渡航できないでいたあいだに、ニューヨークに保管していた写真の印画紙が劣化して、写真には使えなくなった。その印画紙に現像液と定着液をインクにして筆で書き留めた作品。
 印画紙に現像液。


 印画紙に定着液
  

 小田原文化財団のコレクションに加わった室町時代の絵巻物「法師絵巻」。発見された巻物の展示がありました。
 

 この絵巻物の逸話の中から狂言の「附子」と共通する「和尚が「これを飲むと死ぬ」と小僧に言い含める「死に薬」を、「本歌取り」として上演することが紹介されていました。2階ロビーでは、杉本の監修による文楽や能の本歌取り公演がビデオ上映されていました。

 14時から15地まで学芸員西さんのギャラリートークをききました。北斎の赤富士の本歌取りとして描かれた杉本の「富士山図屏風」は、展覧会開始3日前にようやく完成し、松濤美術館に運び込まれた、などの裏話も楽しく解説されていました。

 何のパロディ?ほら、鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだあれ、と問う、あのリンゴ持っていくおばあさん。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「堅山南風震災絵巻 in 半蔵門ミュージアム」

2023-10-21 00:00:01 | エッセイ、コラム


20230921
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩秋(1)堅山南風震災絵巻 展)in 半蔵門ミュージアム

 半蔵門ミュージアム。真如苑という宗教団体の運営する美術館です。入館無料。
 真如苑は、立川飛行機製作所のエンジニアだった伊藤真乗が仏教修行をする中で1938年に設立した真言宗系在家仏教教団です。宗教統制が厳しかった時代は苦労もあったでしょうが、戦後発展を続けました。宗教団体は無税ですから、お布施はまるもうけ。ついに、2008年、ニューヨークでオークションにかけられていた仏像を14億円で落札。ありがたや。私たちが拝むことができるようになりました。

 地下1階の展示フロア。常設展の中央におわします大日如来。右手の人差し指を左手がにぎる智拳印を結んでいます。14億円の仏様。高さ約60センチの大日如来坐像は、像内に心月輪(水晶珠)が納められ、作風や構造、納入品から運慶作と見られています。


 曼荼羅の複製も飾られていました。3階の映像ホールで、展示品の解説映像が順に上映されていたのですが、曼荼羅の説明、すみません、いつものごとく椅子に座って暗くなると、寝てしまう。後半はほとんど眠っていました。これでは曼荼羅のご利益にありつけませぬ。

 地下1階の特集展示室。展示のめだまは関東大震災100年にちなんで、堅山南風の『大震災実写絵巻上中下』の3巻。震災直後のスケッチをもとに、1925年大正14年に完成しました。

 会期 7月19日-11月5日

 上巻 家屋の倒壊や火事に逃げ惑う人々のようす。現場を歩いたスケッチをもとにした絵巻です。 



中巻 揺れが収まると、逃げ延びた人々も放心しています。下町を中心に東京の半分が焼け落ち、10万人が亡くなりました。

 下巻の最後は、慈眼視衆生福聚海無量是故応頂礼 大正十四年夏 南風生写」と観音経の一節が記され、観音菩薩の姿を描きました。 


 半蔵門駅4番出口のすぐ前が半蔵門ミュージアムです。私は市ヶ谷駅で降り、迷いに迷い、歩きに歩いてたどりつきました。交番に寄って道順をたずねたのに、私はそれでも間違えてイギリス大使館の周りをうろうろしました。アメリカ大使館の前は大倉集古館へいくときによく通りますが、イギリス大使館の前を通ったのははじめて、もしくは50年くらい前に通ったことがあるかもしれないけれど、全然おぼえていなかったです。立派な石垣をめぐらせたお城のような構え。土地は明治以来低価格で貸し出されていましたが、一部を日本政府に返還することを条件に、今はイギリス政府の所有物。返還された土地は、半蔵門園地として公園になっています。公園の中を通り抜けました。

 どうして半蔵門でなく市ヶ谷で降りたかと言うと、東京都のシルバーパスを使って交通費をかけずに出歩きたかったからです。シルバーパスは9月30日で期限切れ。バス通勤に使うことがなくなったので、都に2万円払ってシルバーパスを買うメリットはなくなりました。来年になれば、たぶん千円払えばシルバーパスが手に入るはず。10月1日から1年間はシルバーパス更新なしですごすつもり。
 迷ったせいで1万歩あるきましたが、健康に役立ったと思うことにします。
 大日如来様。心を込めてお祈りしました。ご利益ありますように。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「覗き見るまなざしの系譜展 in 写真美術館」

2023-10-19 00:00:01 | エッセイ、コラム


20231021
ぽかぽか春庭アート散歩<2023アート散歩写真を見るつづき(1)覗き見るまなざしの系譜」展 in 写真美術館

 写真展のほか、ときどき今回のような「写真史研究」の展示も行う写真美術館。とってもおベンキョになります。写真がどのように発展してきたか、動画映像がどのように生まれてきたか、知らなくても写真を楽しめるし、動画を面白がれる。でも、私のような素人でも写真史動画史の発展の歴史を知ると、新しい表現に一生をかけた人々の苦闘を知ることで、表現することに取り組んだ人々に感謝したくなる。むろん「見世物」として写真や動画に取り組んだ人は、いかにして大勢の客を集め、いかにして興行として成功させて木戸銭を稼ぐか、という一心で日々苦心を重ねたのかもしれない。ただ、私はそうやって取り組んだ人がいた、という事実を知るだけでうれしいし、人間がますます好きになる。

会期:2023.7.19(水)—10.15(日)

 写真美術館口上(長いですが、全文引用)
 本展では、東京都写真美術館が所蔵する、映像史・写真史に関わる豊富な作品と資料を中心に、「覗き見る」ことを可能にした装置と、それによって作り出されたイメージ、そして「覗き見る」ことからイマジネーションを広げた、作家たちの多様な表現をご紹介します。
 写真や映像を撮影する装置として発明されたカメラは、同時に覗き見る装置でもあるといえます。カメラの原型となったカメラ・オブスクラは、外界の景色を写し取るため、真っ暗な箱の一方の壁にピンホールを開けた装置で、その後ピンホールはレンズに代わり、箱は小型化され、携帯可能なサイズとなっていきます。このカメラ・オブスクラを反転させた構造を持ち、レンズ越しに絵を覗いて鑑賞する視覚装置がかつて存在しました。それらはピープショーと総称され、様々な形態が考案され、興行としても成立していきます。
 覗き見る装置のヴァリエーションとしては、顕微鏡や望遠鏡に代表される光学機器や、ステレオスコープのような立体視のための器具、キネトスコープなどの動く絵を創り出す機械が挙げられます。こうした多種多様な装置の発明と流行により、まだ見ぬ新たなイメージの誕生が後押しされ、無数の表現が生み出されてきました。
 覗き見る装置は、現代の私たちをとりまくメディア環境はもちろん、写真・映像で表現をおこなう際の形式的な前提をも形作ってきたと言えます。現代にも受け継がれる、「覗き見る」まなざしの系譜を、写真美術館のコレクションから探求します。
 覗き見る視覚装置の最初期の例として、17世紀末にヨーロッパで考案されたピープショーがありました。ピープショーは、1つ以上の覗き穴を持ち、箱のように閉ざされた空間を覗き穴越しに見ると、中の絵が立体的に見える視覚装置で、室内で楽しむもののほか、見世物師による興行用のものも存在しました。日本にも江戸時代に「覗き眼鏡」が伝わりますが、レンズを嵌め込んだ穴から、何らかの仕掛け(からくり)がなされた箱の中を覗き見る「のぞきからくり」が江戸から明治、大正期において庶民の娯楽として親しまれていました。
 
 箱眼鏡絵は、に穿たれた穴から中をのぞくと、外国の風景などが見える。
眼鏡絵「中国。南京のメインストリー

 眼鏡絵『ナポレオンとマリ・ルイ―ズの花火祭典」1850頃


 眼鏡絵「セントポール大聖堂の内部 ロンドン」1850頃


 眼鏡絵「マルセイユのペスト禍」1890頃

 「驚異のへや」19世紀末


 江戸幕末、明治初期にも、このような「驚異」を見せて町や村をめぐって歩く興行師がいたことでしょう。実際に目にしているのと同じ風景画遠近法にようって描かれている「ピープショー」をのぞき見した人々は、リアルな風景が眼前にあらわれることに、驚異を感じたのだろうと思います。われわれも3Dが現れた時も、ホログラムを見た時も最初は驚き、すぐにそれに慣れた。

 マジックランタンという「覗き見る人々」を描いた絵には、楽譜もついています。興行師は、音楽を流しながら絵を見せ、楽譜も売ったのでしょうか。

 ゴッドフロイ・エンゲルマン「マジックランタン」

 前田利同は、1856年に生まれ、3歳で加賀前田家から富山藩藩主に迎えられました。利同が愛用した「覗きからくり」の箱。東海道53次(日本橋2枚と京都1枚をプラスして56枚の種板)の絵などを楽しんでいました。精巧な作りの覗き箱。

 絵画は3次の世界を2次元の平面で表すものですが、立体的に絵を見たいと言う欲求は早くから存在していました。

 マーティン・エンゲルブレヒト「エンゲルブレヒト劇場」1700年頃
立体視のための仕掛けと絵を見た時の効果



 微妙に角度を変えて撮影した2枚の写真を、左右の目で覗き見ると立体的に見えることがわかると、この立体写真が盛んに撮影され、のぞき絵として人気になりました。

 下岡蓮杖 ステレオ写真「もみの餞別」慶応年間~明治初年

 フレンチティッシュという裏彩色をほどこした写真と薄紙のセットを覗くと立体視ができる写真もあった。

 フレンチティッシュ「ステレオビューアーをのぞく子供たち」19世紀

 「覗き見る」ことの次に人々が望んだのは、「動きを見る」ことでした。ぐるぐる回る絵をスリットからのぞくと、連続した動きに見える装置が開発されました。
 エミール・レイノー「ブラクシノスコープ」19世紀


 写真術の発達につれて、連続写真の技法が進み、ついには「パラパラ漫画」を実写写真で実現したのです。
 1895年、リュミエール兄弟によって、連続写真術が完成し、「シネマトグラフ活動写真」となりました。1894年にエジソンが特許申請した「キネマトグラフ」は、従来の一人が箱の中をのぞき込むスタイルだったために、大勢の人がいっしょに楽しむ「映画」としては、リュミエール兄弟が一歩さきんじました。

 初期の映像をいろいろ見ることができました。リュミエール兄弟は、工場から退社する女工を写した作品を「演出をほどこした動く写真」として上映。また蒸気機関車が走るようすなどを、見世物として上映しました。人々が機関車にひかれると思って逃げ出したという伝説の初期映画です。

 写真美術館や国立映画アーカイブで保存している初期映画の上映があり、何本かを見ることができました。

 今回の「覗き見るまなざしの系譜」展、美術絵画を見るまなざしとはまた違った視点ですが、「覗き見る」ことのわくわくどきどきや「珍しもん見たさ」のあくなき欲望、人のまなざしのおもしろさを知ることができました。

 写真がさまざまな技法に挑戦しながら、芸術としてジャンルを確立していく過程の作品も展示されていました。
 
 ハロルド・ユージン・エジャートン「縄跳びの動き」1952

奈良原一高「インナーフラワー ユーチャリス」1991

 だれでもいつでも、スマホカメラでさまざまな写真が撮影されるようになりました。
 しかーし、「覗き見る」ことへの欲望は、特殊な形で生き残っています。小学生女子生徒の写真を撮って逮捕された校長もいるし、トイレにカメラを仕掛けて逮捕される者も。バカだねー。歌舞伎町の覗き部屋は、2023年料金は15分2千円とか。どんな店か知らんけど。

 写真美術館の「のぞき」は、実に健全かつ芸術的でありましたけど、とてもお勉強になりました。第3水曜日、無料の見学、ありがとうございました。



 <つづく>
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ぽかぽか春庭「アラヤシキの住人たち」

2023-10-17 00:00:01 | エッセイ、コラム


20231017
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2023夏シネマつづき(1)アラヤシキの住人たち

 9月17日鑑賞。写真美術館で無料の映画鑑賞のつづき。本橋成一監督のドキュメンタリー作品『アラヤシキの住人たち』2015
 
 映画オフィシャルサイトの口上
 北アルプスの山裾、長野県小谷村。車の通わない山道を1時間半歩いたところに真木共働学舎はある。生きることの根源的な意味を考える「共に働く学び舎」として創設され、今の社会に肉体的・精神的な生きづらさを抱える人も、そうでない人も、だれもが固有に持つそれぞれの能力を尊重しあい暮らしている。春・夏・秋・冬…40年。くり返されるその営みは、誰にもある生きものとしての人間の時間を思い起こさせる。
 
 共働学舎の説明
 1974年(昭和49年)、宮嶋眞一郎(元自由学園教師)の首唱のもと、心や体に不自由を抱える人たちと数人の仲間により、長野県小谷村で共働学舎は始まりました(立屋共働学舎)。現在まで5カ所で活動を続け、2024年に50周年を迎えます。
1975年、同じ小谷村の山間部にある真木集落で「真木共働学舎」が始まりました。信州の2カ所では米、肉牛、養鶏を中心に生産し、雪に閉ざされる冬は工芸、木工などを行っています。


 真木共働学舎の説明
 長野県北安曇郡小谷村真木。1978年、集落全体の高齢化などによって廃村となった後の集落で、共働学舎の創設者宮嶋眞一郎と数人の同士が生活を始め、真木共働学舎がスタートした。ひときわ立派な茅葺きの家「アラヤシキ(新屋敷)」に現在20代〜60代の男女十数人が犬や猫、ヤギ、鶏などの動物たちとともに暮している。村の先人達が代々使ってきた田畑、数軒の古民家をそのまま受け継ぎ、農業中心の生活を続けてきた。昔から車の入ることができない真木集落へは山道を約4km、1時間半歩いて往復する。冬は根雪が2mを超えることもある豪雪地帯。  

 本橋監督のことば
 共働学舎の創設者、宮嶋眞一郎氏はぼくの中学校のときの恩師です。通っていた自由学園は、共働学舎と同じように「競争社会よりも協力社会を」という精神のもとにある学校でした。卒業し、どんどんモノが豊かになっていく時代のなかで、何かが違う、豊かとはこういうことじゃないんじゃないか、という思いがいつもどこかにありました。5年ほど前から真木共働学舎に行くようになり、ああここにはぼくが教えられた原点がある、と思ったのが映画を撮るきっかけです。
 

 監督の本橋成一は、自由学園の恩師である宮嶋眞一郎が設立し、宮嶋の息子、信が継承している共働学舎の季節のひとめぐりをドキュメンタリー映画として映像に残しました。

 画面は四季折々に美しく、身体的精神的不自由さを抱えた人たちが、ボランティアの人といっしょに生活しているようすを丁寧にすくいとっています。プイといなくなり、結局出戻ってきた人に「黙ってでていったのは許しがたい」という人もいる中で、周囲は受け入れていきます。

 田植え、ヤギの出産、稲刈り、柴刈り薪割り。ごはんができると、軒につるされた木の板を叩きたい人が叩いて、働いている人々に知らせます。自足自給の食事をいっしょにとり、ときに祈りのことばを唱和し、ひとりになって煙草を吸い、みなで結婚式を行う。

 映像はたいへんゆったり進んでいくので、近年の数秒で画面が切り替わっていく速い展開の画面作りに慣れている目で見ると、「途中で寝た」と言う感想も出てきます。私の後ろの席の人も、帰り際「眠った」とお連れさんに告白していました。椅子に座って周囲が暗くなるといつでもすぐに眠れるHALは、アラヤシキでは寝なかった。珍し!

 共同で働く団体、イデオロギーで固まっていたり、宗教色が強かったり、拒否反応が起きてしまうことが多いのだけれど、本橋監督の撮り方が上手なんだろうと想うけれど、すんなりこの共同の中に気持ちが入っていけた。ご飯の前に聖書を読むのだけれど、それに加わらなくてもだれも咎めたりはしないだろうと思います。

 共同体に入ったとき、私なら「なまけ者と非難されないようにせいいっぱいがんばって働く」となってしまいがちです。
 共働学舎にいる人々は、それぞれが自分にできることをする。ときには住人同士でぶつかり合う。でも、アラヤシキの住人たちは、みないい顔をしています。

 映画もよかったが、「場所の継承に伴う共同体と土地の関係性の再構築に関する研究 ―長野県小谷村真木集落を事例に― 」という研究論文がおもしろかった。東京大学環境学の修士論文。ああ、こうやって学位のためにこの集落に潜り込んだ学生も、のびのびと過ごせるんだろうなあと思いました。
 
<おわり>
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ぽかぽか春庭「池袋よさこい踊り見物」

2023-10-15 00:00:01 | エッセイ、コラム


20231015
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023ふみ日記秋(7)池袋よさこい踊り見物

 池袋よさこい祭りもコロナ中止を経て、2023年は神輿祭りとよさこい祭りの両方が復活。ミサイルママと見物の約束をしました。
 10月10日日曜日、11時に約束したのに、私は例によって1時間も遅刻。謝りながらミサイルママ&K子さんと合流。和食の店でランチしたあと、アゼリア通りでベンチに座って観覧しました。

 私が見た時のアゼリア通り演舞は、地元の池袋小学校(ちびっこ賞
佐久間ドロップ賞受賞)とか、「みんなで仲良く」のなごやかな踊りが多かったです。商店街のおばちゃんたちお茶飲み友達があつまった、という感じのゆる~い演舞もそれはそれで楽しそうなのですが、私はもう少しダンス技術がすごいのをみたいと思いました。


 ランチ後13時半から見始めて16時半にミサイルママが「ちょっと疲れた」というので、3人での観覧は終了。アゼリアで見たなかでは、Dance Company REIKA組の演舞がいちばんダンス技術はうまかった。ゆる~く仲間と楽しむダンスもいいものですが、やはり、きれっきれなダンス技術を見ると心高揚します。REIKA組はコンテスト準大勝(豊島区長賞)でした。

 池袋駅に入ろうとしたのですが、雨がぽつぽつ。帰り支度の人もでて、駅前観覧席にすきまができました。おお、これはこちらでも見ていこう、雨が強くなったら撤収ときめて、駅前観覧席で18時半の終了時間まで見ました。どんだけよさこい好きなんだか。



 駅前の最後の1時間は、大学のよさこい同好会の「大学生チームのエキシビション」がありました。早稲田大学は100人超のチームが「踊り侍」「花火」の2チーム、東京農大の「百笑」など、さすがチームの大人数の迫力と青春のひとときを仲間と練習に励んだ若さのほとばしりで、胸熱くなる演舞でした。

 ジャズダンスの練習で仲間と集まることがなくなってしまった寂しさを日々感じているだけに、よさこいにあつまった4000人以上の踊り子たちが、100チームを超える仲間たちと、1年間の練習の成果をぶつける発表の場を見て、元気をもらいました。
 大勢の観客が拍手をおくり、踊り手も観客も楽しそうなようすを見て、こんな平和な光景が世界中にあればいいのに、と思いながらの観覧でした。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「八王子まち歩き」

2023-10-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
20231014
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023ふみ日記秋(9)八王子まち歩き

 八王子市内在住の先達に案内をしていただき、八王子の街の中を歩きました。京王線南大沢駅で待ち合わせ。都営新宿線から直通京王線橋本行きに乗車、11時に南大沢駅に着きました。待ち合わせの12時まで時間があるので、まずは駅前のコンビニで缶コーヒー150円購入。パン屋のイートインでモーニングトーストとオレンジジュース400円。

 まだ時間が30分あるので、駅前イトーヨーカ堂の中の大教堂書店を一回り。原田マハ「たゆたえども沈まず」税込み825円と「アフロみえ子の四季の食卓」825円。2冊計1650円。ものすごく久しぶりに新刊書店で本を買いました。もう何年も、古本屋で100円本を買うか、夫が回してよこした単行本のほかはネット頼りばかりでした。
 先日読み終えた原田マハ『リボルバー』は夫からの回され本だったけど、私は原田マハの絵画小説が好きで、いろいろ読んできました。元キュレーターの絵画への愛が好き。アフロみえ子さんは、朝日記者時代からのファン。ぶれないアフロ。ものを必要としないナチュラルライフが好き。ここまでで支出2200円。

 待ち合わせ場所を南大沢駅改札から文教堂レジ前に変えて、12時に待ち人と会えました。セミナーハウスは、多摩丘陵の中に建っています。バス便も少ないので、足がない私は一度も見学したことがないとぼやいていたら、車での案内を買って出てくださったのです。
 本日のメイン目的地である「セミナーハウス」に行く前に都立大学の正門と本館を見学。(建物はのちほど紹介)

 雨がしょぼついている中、私の希望で「カフェ・ペテルブルグ」で遅めのランチ。道を隔てた反対側は、結婚式場の八王子日本閣です。

 カフェ「ペテルブルグ」の全景。2階建てのようですが、高い天井の1階建てです。中世の南ドイツ騎士の館がモデルだそう。




 「魔女の館」のテーマパークみたいな外観と店内装飾。平日の13時半でしたが、女子会グループ、家族連れ、カップル、女性一人客などでこみこみでした。奥のシカの首の下のテーブルで、サンドイッチランチ。コーヒーセット1700円。
 
 カフェペテルブルグ入口
 
 天井が高い造り
 レジ回りのお土産売り場

 「美の壺」という草刈正雄ホストの番組でちょうど「コーヒー」という特集をしていて、サイフォンコーヒーについても勉強しました。で、ペテルブルクのサイフォンもじっくり見物。
 サイフォンコーヒーの肝は、コーヒー豆の攪拌にあり、と美の壺で解説していました。
 




 カフェペテルブルグのコーヒー。カフェに入ると、はしたない私は、味がわからないくせに、コーヒーカップのソーサーを裏返してメーカーを確認します。ペテルブルグのコーヒーカップは、ウェッジウッドでした。私の目では、百均のカップもウェッジウッドも区別つかないのに、服では気にしないブランドを、陶器ではありがたがるのは、これいかに。サイフォンも丁寧に淹れていたし、コーヒー1カップ850円も納得。ブレンドは600円。この日のブレンドは、コロンビア、メキシコ、ブラジル。


 外観だけ見る予定だったセミナーハウスが、内部見学できるということがわかり、一番上の階までゆっくり見物して、他の建物も見て回ったので、思ったより時間がかかりました。それでランチが終わったのが15時半。案内してくださった先生の奥様との合流時間は16時なので、当初の予定地富士美術館シルクロード展観覧は、閉館の17時にはちょっと時間が足りない。そこで滝山城址公園へ行ってみました。よい天気なら頂上を目指したかったのですが、雨が降ったりやんだりの空模様で、足元がぬかるんでいる。坂道は年寄りの足には危険。ほんの入り口を覗いて、堀あとなどを見学して元の駐車場に戻りました。

 

 案内してくださった先生の奥様と合流してから、八王子市内歩き。八王子名物は、古い方から、滝山城址、絹産業、荒井(松任谷)由実の生家、八王子ラーメン(生たまねぎミジンをのせているのだそうですが、食べたことなし)
 荒井呉服店前でミーハー写真を撮り、先生おすすめの「黒塀横丁」へ。八王子が絹産業で栄えた時代に、料亭や八王子芸者で盛り上がった時代のなごりがまだ市内に残されている。おりよく、八王子芸者をモデルにした写真撮影が行われているところに行き合わせました。

 八王子芸者後ろ姿
 
黒塀街


 黒塀街見物のあとは、ホテルラウンジで、コーヒー休憩。440円。
 奥様の弟先生が仕事を終えて合流し、高幡不動駅前のインド料理屋でカレーディナー。おみやげに麦焼酎を差し上げたおかえしに、カレーをおごってもらいました。海老鯛。ごちそうさま。

 


 生ビール、カレーとナン、マンゴーヨーグルトを食し、高幡不動駅から帰りました。

 荒井呉服店(ユーミン実家)前で


<つづく>
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ぽかぽか春庭「東京楽友協会交響楽団定期公演 in 府中の森芸術劇場どりーむホール」

2023-10-12 00:00:01 | エッセイ、コラム

20231012
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023文日記秋(7)東京楽友教会興行楽団定期公演 in 府中の森芸術劇場どりーむホール

 毎年春夏に定期公演をつづけているアマチュアオーケストラ東京楽友協会交響楽団。スケジュールをあわせられないことが多いのですが、この秋は、なんといっても無職ですから、スケジュールはOK。勇躍はるばる出かけてきました。ただし、府中の森芸術劇場は、今の住まいからは遠い。京王線府中からも東府中からもバスに乗ります。今回は府中駅から市内バス「ちゅうバス」で行きました。思ったより遠くて、最初のラヴェル「スペイン狂詩曲」は遅刻のため、ロビーでまたされて、2曲目のヒンデミット『ウェーバーの主題による公響的変容』から聞きました。

 ヒンデミット演奏の前


 クラシックコンサート、ロックやポップスの演奏会とことなり、会場にいる聴衆は高齢者がほとんどです。お前もナー。

 2曲目のヒンデミットは初めてききましたけれど、3曲目ムソルグスキー『展覧会の絵』はおなじみの曲です。が、間引きで演奏されてきたことが多く、第1曲から10曲まで全部を一度に聞くのは久しぶりの気がします。ムソルグスキーのピアノ組曲をラヴェルがオーケストレーションした交響組曲。

 ムソルグスキーの友人ガルトマンの遺作から10枚の絵を描き作曲したということですが、1873年に39歳で亡くなったガルトマン(ロシア語表記ではガルトマン、英語発音はハルトマン)の死から8年後にはムソルグスキーも42歳でアル中死したため、演奏されないままお蔵入り。リムスキーコルサコフが遺品整理をして楽譜を発見。ようやく演奏されました。ラヴェルのほか、たくさんの作曲家が編曲を手掛けていますが、ラヴェルの編曲がもっとも演奏機会が多い。 

 よい演奏で、ヒンデミットもムソルグスキーも楽しくききました。いつもアンコールを演奏しない楽団なのに、今回はアンコール曲があった。アンコール曲はドビュッシー「月の光」

 

 次の春の定期演奏会も聞きたいが、府中は遠いので、前のようにすみだトリフォニーホールか、文京シビックセンターが私にとっては理想。ホールの予約はかなり前から予約しなければ土日にはとれないので、早く予約に行ってください。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「バレーボール観戦」

2023-10-10 00:00:01 | エッセイ、コラム


2231010
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023文日記秋(6)バレーボール観戦

 日本の女子バレーボールチーム「火の鳥ニッポン」。世界ランキング1位のトルコと、ランキング4位ブラジルに負け、パリオリンピック切符獲得は今後の課題になりました。残念。

 私と娘が代々木体育館で応援したベルギー戦は、ストレート3-0で勝ち、応援のし甲斐がありましたが、トルコ戦ブラジル戦では私の応援が届かず、勝利できませんでしたが、まだ終わりじゃない。きっとパリ行き切符は手に入れられると信じています。


 9月22日金曜日。私は先に家を出て、第1戦目は、第2セット途中から観覧。第1戦と第2戦は、応援練習のつもりでバルーンスティックを打ち合わせて、よいプレーを応援。



第3戦トルコ-ブラジルは、第1戦第2戦に比べて、さすがの迫力ですごい試合になりました。

 日本はベルギーに3セットストレートで勝ちました。日本より10センチくらい平均身長が高いチームばかり。192cnとか、どうしてそこまで伸びた?と聞きたくなる背が高い選手ばかりの中、日本選手は身長差をものともしない技を繰り出していました。

 競技場が一体となって火の鳥ニッポンを応援するようす、私はちょっとひきました。とくに、相手チームのサーブになっても静まらず、日本チャチャチャの応援を続ける声は、選手に対して失礼だし、サーブの出来にもかかわるかも、と感じました。フィギュアスケートの応援では、どの国の選手へもリスペクトを忘れずに、各国の国旗を振って応援するので、自国チームにだけ応援することに違和感を感じました。

 村祭りの神輿かついで、全員いっしょに力合わせてきた伝統が、サッカーやラグビーの競技場一帯になる応援になったのだとは思いますが、全員が声を合わせる応援が私には合わないみたい。全員が一心同体となっての「日本チャチャチャ」は、たちまち「進め一億火の玉だ 」になることが恐ろしいのです。こういうのを老婆心というのでしょうが、老婆だから、しかたない。

 トルコ戦ブラジル戦に負け、五輪出場権はこの先に持ち越しになりました。今後の火の鳥ニッポンが、あきらめずに前進していくようすを応援していきます。競技場一体となる応援でなく、家のテレビの前で静かに応援します。



<つづく>
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ぽかぽか春庭「飛鳥山でおしゃべり」

2023-10-08 00:00:01 | エッセイ、コラム
20231008
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023文日記秋(4)飛鳥山でおしゃべり

 10月1日に、K子さん出演の舞台を見ました。K子さんのご招待。ただし、今回の舞台は、off record。なんでも書きたがるHALに「客演なので、書いてはいけない」との通達が事前にあった上でのご招待でした。

 お芝居がはねたあと、K子さんはお芝居の共演者と打ち上げがあるので、私は以前のジャズダンス仲間とあつまって、おしゃべり会。
 Sダンスィングは解散して数年たちますが、ともだち付き合いは続いています。ミサイルママとT子さんKozさんと、飛鳥山公園で会うことにしました。

 王子駅で4時に待ち合わせ、飛鳥山に昨年できたレストランにいきました。5時からディナー開店ですが、早く着いてしまったので、どうせ待つならと、無料お楽しみについてなんでも知っているHALが、飛鳥山博物館の1階は無料展示だから、見て時間つぶしをしようと提案。北区の工芸作家展が開催されていました。



 北区の工芸は、人間国宝の奥山峰石が目玉です。
鍛金 打込象嵌花器「雅」

 
 彫金も陶磁器も七宝もよい作品がならんでいましたが、やはり人形が好きです。
塚山洋子「南の汐風」
鎌倉愛子「」


 30分の鑑賞時間でしたが、レストラン開店までの待ち時間を楽しくすごせて、食べながらのおしゃべりも弾みました。
 おしゃべり、まずは、ダンスの話。9月10日の文化センター祭のミサイルママのダンスが、去年よりもずっとよかった、という話題から。練習も去年よりも打ち込んだ、ということですが、70代中心のメンバーとは思えないすごいダンス技術に驚嘆したことでした。足はまっすぐ頭の上まであがるし、しなやかな動きもメリハリのある動きもばっちりきまっていました。指導のミワ先生に、ターンの回数を2回まわりじゃなくて1回にしてくださいとお願いしたけれど、先生からの振り付け変更のお許しなし、だったので一層むずかしかったのだとか。


 後半は、70代仲間らしく、自身の体調、家族の健康状態、お墓の心配まで、高齢者あるある話題がたっぷり。孫がいるのはT子さんだけなので、孫自慢がないだけ老婆トークからはずれていますが。

 体調モンダイ。私は、ますます耳の聞こえが悪くなり、ひとりのときなどテレビの音声のボリュームをびっくりするくらい上げて聞いていることを報告。特に周波数の高い高音がききとれない。Kozさんは、去年一昨年と2年間体調最悪で、毎日1万歩くらい歩いていたのが、めっきり衰えてしまい、ジャズダンスサークル終了後も続けてきた競技ダンスも、ステップが覚えられなくなり、やめてしまったとのこと。

 私も振り付けが覚えられないダンサーだったけれど、ジャズダンスの振り付けでは、ミサイルママのうしろに位置取りをして、ミサイルママのふり見て半拍おくれで動いてきました。競技ダンスは、相手があることなので、半拍おくれると相手の足を踏んでしまう。私は昔から諦めていたのだけれど、素人同士の練習で、きちんとリードできない男性と組まされると、いらいらして、自分からリードしたくなる。それで二人で組むダンスはできないと、Kozさんも私と同じになってきた。しっかりリードできない相手にいらいらし、つい相手の足を踏みそうになることもあり、競技ダンスは引退。日本の男、自分ではきっちりしたリードがとれないのに、女性がリードしようとするといやみたいだし、競技ダンスでは女性がリードしちゃいけないことになっている。しかたない、これは、3アウトとったら攻守交替というルールと同じ。ホームラン打ったら文句なしに得点できるのと同じ。(大谷選手44本ホームラン王、すごい!)

 ミサイルママの話題は、再婚したジンさんとの終活。ふたりの故郷湘南の海で行われた「海への散骨葬」を見学にいったのだそう。船に乗り、富士山が見える海へ。船から散骨。海に投じる花は、茎をつけてはいけなくて、花びらだけ。とてもすてきな散骨葬だったので、5万円という値段を聞いて、これにしようと腹を決めたと。おそらく5万円というのは基本料金で、あとからいろいろオプションがつけられるのかもしれないが、残された人は、海に向かって手を合わせれば、海は世界中つながっているから、どこにいてもお墓参りができる。

 飛鳥山のレストランデティナ―、サラダ、パスタ、牛肉煮込み、チーズケーキ。2300円。
 ひさしぶりのおしゃべりも、チーズケーキもおいしくて、よいひとときになりました。

 

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ミサイルママ踊る in 文化センター」

2023-10-07 00:00:01 | エッセイ、コラム

 セビジャーナスを踊るミサイルママ

20231008
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023文日記秋(3)ミサイルママ踊る  in 文化センター

 コロナは完全に終息したわけではないけれど、いろいろなイベントが復活しています。9月10日、文化センターの「友の会発表会」も無事開催され、ミサイルママ所属のAダンスィングも出演しました。

 ミサイルママから文化センター祭のチラシやAダンスィングの発表曲プログラムが送られてきました。今年も、文化センターでの発表になります。私といっしょに練習してきたSダンスサークルが解散した後、ミサイルママは古巣のAダンスィングで練習を続けてきました。ことしは、例年以上に練習を一生懸命やった、というたミサイルママ。1984年からいっしょに踊り続けている仲間も70代ですが、踊りを一目見れば70代というのが信じられないくらい生き生きとしています。
 70代ふたり「ジョビジョバ」

 フラメンコの盆踊り曲といわれる「セビジャーナス」と、ジプシーキングのフレンチフラメンコ「ジョビジョバ」は、ミサイルママが何度も踊ってきた曲です。


 そのほか、ミサイルママは、2019年には私もいっしょに踊ったダイアナロスの「スエプト・アウェイ」に出演し、私には本番直前まで覚えられなかった振り付けを華麗に踊りました。

 60代40代 右端70代ミサイルママ


 出演者、みなイキイキと踊り、70代60代とは思えないはつらつとした動きでした。
 年取ってからのダンス、盆踊りもフラメンコもいいけれど、そういうゆるいダンスとは迫力が違います。Aジャズダンスのすごい動き、脚は宝塚並みにピッと頭の上まで上がるし、すばらしかった。今年は練習に励んだ、とミサイルママが言うだけあって、昨年よりずっと動きがよかったです。

 ミサイルママは、文化センターを利用している「センター友の会」の打ち上げ反省会があるというので、おしゃべり会は別の日に、ということで解散したました。
 仲間たちが楽しそうに踊るようすを見るにつけ、今はラジオ体操をたまにやるだけで、身体はどんどん硬くなる。踊りたいなあという思いもありますが、それよりまず食っていかねば。

<つづく>
コメント (2)
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