20181115
ぽかぽか春庭アーカイブ>(た)高橋和己『日本の悪霊』
2003年のアーカイブです。
at 2003 10/10 06:44 編集
春庭千日千冊 今日の一冊No.16(た)高橋和己『日本の悪霊』
高橋和己が癌を患って入院したとき、私は彼が入院している病院で働いていた。友人の一人は毎日病室の近くに行って、中に高橋が横たわっているであろう病室の窓を見つめていた。当時、高橋和己は「ファンにとっては神様以上の存在」だったのだ。
半年後、高橋が亡くなったとき、友人はビルの屋上から飛び降りて死んだ。
友人が死んでから半年後、私は病院勤めをやめた。
at 2003 10/10 06:44 編集 罪と罰、悪霊の町
「とはずがたり」二条は、全半生の激しい愛欲生活を罪と感じ、自身の浄化を求めて仏道遍歴の旅をつづけた。
年をとれば、「未熟なころのあれもこれも、罪なことやったなぁ」と思うことが、いくつも出てくる。
高齢になるまで、生涯に一度も罪を犯したことはない、という人がいるだろうか。私なぞ、罪だの罰だのが、いっぱい!
「罪と罰」「犯罪」「資本主義という妖怪」とか、「悪霊退散!」などという言葉を聞くと、私の目の前には、生まれた町の古びた警察署が頭に浮かぶ。「悪いことするとお巡りさんに連れて行かれるよ!」という大人のおどしが効いていたころ、罪人、悪者、悪霊!などがすべて、この警察署の中に詰まっているように思っていたからである。
小学校の「社会科見学」で訪問した警察署の内部は、カビくさく、薄暗く、罪と罰の匂いに満ちていた。この庁舎は取り壊して、別の場所に新庁舎を建てる予定があったから、署内は古くさいままにしてあったのだ。
警察署の隣には「スター小間物店」があり、化粧品やアクセサリー、リボンなどの小間物類、女の子があこがれるような品物がたくさん並んでいた。そんなに高級品でない小間物とはいえ、子どものこずかいではめったに買えない品物だった。「鉄鋼労連」の娘には敷居の高い「資本主義という妖怪」の象徴のように思える店だった。
1度だけ、この店の小さな化粧水の瓶を「黙って借りて」しまったことがある。化粧品のおまけとして販促キャンペーンでついてくる、化粧水見本品のガラス小瓶が気に入ってしまい、欲しくてたまらなかった。母は、クリームひとつ顔につけない人だったから、販促おまけつきの化粧品など買うはずもない。それで化粧品は買わないで、販促おまけを「ちょっとだけ借りて」しまったのだ。
私が犯した生涯最初の窃盗罪。最初である故40余年たっても罪悪感が消えない。20代のある日、新宿にあった喫茶店の小さな灰皿が気に入って、煙草も吸わないのに、「黙って借りて」しまったこともあるが、こちらは、まったく罪悪感が残っていない。
スター小間物店の娘とは、中学で同じクラスになり、文芸部でもいっしょだった。高校でも2年間同じクラス。中学、高校を通し、美貌と頭のよさでスターだった彼女は、今「明治女性文学研究」のトップ研究者となっている。
新警察署庁舎ができて、署長署員一同が移転した後、スター小間物店の隣の旧警察署が一度だけ脚光を浴びたことがある。高橋和己原作の『日本の悪霊』が映画化されたとき、ふるさとの田舎町がロケ地に選ばれからだ。刑事落合が勤務している警察署として、旧警察署が登場した。
私は一度だけ映画を見たが、ストーリーよりも「知っているあの場所」が、画面のどこにでてくるかに気を取られて見ていた。
映画は、黒木和雄監督。刑事落合と六全協活動中に地主を殺す罪を負ったやくざ村瀬の二役を佐藤慶。ほか、観世栄夫、渡辺文雄、舞踏の土方巽、フォーク歌手岡林信康(ファンだった)が出演している。原作と脚本は、別の作品というくらい内容が異なると評されている。DVDで、見直したいと思っている。
============
2010/01/24
スター小間物店の娘レイコさんは、現在A大学の教授。A大学の最寄り駅と、私が月木に出講している母校へ行くときの乗り換え駅は同じ駅。2007年にいっしょに中国に赴任したアクアフレスコ先生は現在A大学の専任になっていて、同じ駅でばったり出会ったことがある。レイコさんにも新任の挨拶をしたと言っていました。「次に会ったら春庭元気でやってます、と伝えてね」と伝言したのだけれど、さて、2010年の春庭はあまり元気じゃない。
~~~~~~~~
20181115
レイコさんは、現在はC大学の教授。近代文学の学会理事もつとめて、相変わらず華々しい活躍ぶりです。落ちこぼれの春庭は、ただただまぶしく見上げていて、ときには落ちこぼれの我が身を嘆き、うらぶれた老後生活が寂しくなることもあるけれど、ま、人の生き方はそれぞれだから、私は私の道を歩くしかないのでしょう。
<つづく>
ぽかぽか春庭アーカイブ>(た)高橋和己『日本の悪霊』
2003年のアーカイブです。
at 2003 10/10 06:44 編集
春庭千日千冊 今日の一冊No.16(た)高橋和己『日本の悪霊』
高橋和己が癌を患って入院したとき、私は彼が入院している病院で働いていた。友人の一人は毎日病室の近くに行って、中に高橋が横たわっているであろう病室の窓を見つめていた。当時、高橋和己は「ファンにとっては神様以上の存在」だったのだ。
半年後、高橋が亡くなったとき、友人はビルの屋上から飛び降りて死んだ。
友人が死んでから半年後、私は病院勤めをやめた。
at 2003 10/10 06:44 編集 罪と罰、悪霊の町
「とはずがたり」二条は、全半生の激しい愛欲生活を罪と感じ、自身の浄化を求めて仏道遍歴の旅をつづけた。
年をとれば、「未熟なころのあれもこれも、罪なことやったなぁ」と思うことが、いくつも出てくる。
高齢になるまで、生涯に一度も罪を犯したことはない、という人がいるだろうか。私なぞ、罪だの罰だのが、いっぱい!
「罪と罰」「犯罪」「資本主義という妖怪」とか、「悪霊退散!」などという言葉を聞くと、私の目の前には、生まれた町の古びた警察署が頭に浮かぶ。「悪いことするとお巡りさんに連れて行かれるよ!」という大人のおどしが効いていたころ、罪人、悪者、悪霊!などがすべて、この警察署の中に詰まっているように思っていたからである。
小学校の「社会科見学」で訪問した警察署の内部は、カビくさく、薄暗く、罪と罰の匂いに満ちていた。この庁舎は取り壊して、別の場所に新庁舎を建てる予定があったから、署内は古くさいままにしてあったのだ。
警察署の隣には「スター小間物店」があり、化粧品やアクセサリー、リボンなどの小間物類、女の子があこがれるような品物がたくさん並んでいた。そんなに高級品でない小間物とはいえ、子どものこずかいではめったに買えない品物だった。「鉄鋼労連」の娘には敷居の高い「資本主義という妖怪」の象徴のように思える店だった。
1度だけ、この店の小さな化粧水の瓶を「黙って借りて」しまったことがある。化粧品のおまけとして販促キャンペーンでついてくる、化粧水見本品のガラス小瓶が気に入ってしまい、欲しくてたまらなかった。母は、クリームひとつ顔につけない人だったから、販促おまけつきの化粧品など買うはずもない。それで化粧品は買わないで、販促おまけを「ちょっとだけ借りて」しまったのだ。
私が犯した生涯最初の窃盗罪。最初である故40余年たっても罪悪感が消えない。20代のある日、新宿にあった喫茶店の小さな灰皿が気に入って、煙草も吸わないのに、「黙って借りて」しまったこともあるが、こちらは、まったく罪悪感が残っていない。
スター小間物店の娘とは、中学で同じクラスになり、文芸部でもいっしょだった。高校でも2年間同じクラス。中学、高校を通し、美貌と頭のよさでスターだった彼女は、今「明治女性文学研究」のトップ研究者となっている。
新警察署庁舎ができて、署長署員一同が移転した後、スター小間物店の隣の旧警察署が一度だけ脚光を浴びたことがある。高橋和己原作の『日本の悪霊』が映画化されたとき、ふるさとの田舎町がロケ地に選ばれからだ。刑事落合が勤務している警察署として、旧警察署が登場した。
私は一度だけ映画を見たが、ストーリーよりも「知っているあの場所」が、画面のどこにでてくるかに気を取られて見ていた。
映画は、黒木和雄監督。刑事落合と六全協活動中に地主を殺す罪を負ったやくざ村瀬の二役を佐藤慶。ほか、観世栄夫、渡辺文雄、舞踏の土方巽、フォーク歌手岡林信康(ファンだった)が出演している。原作と脚本は、別の作品というくらい内容が異なると評されている。DVDで、見直したいと思っている。
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2010/01/24
スター小間物店の娘レイコさんは、現在A大学の教授。A大学の最寄り駅と、私が月木に出講している母校へ行くときの乗り換え駅は同じ駅。2007年にいっしょに中国に赴任したアクアフレスコ先生は現在A大学の専任になっていて、同じ駅でばったり出会ったことがある。レイコさんにも新任の挨拶をしたと言っていました。「次に会ったら春庭元気でやってます、と伝えてね」と伝言したのだけれど、さて、2010年の春庭はあまり元気じゃない。
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20181115
レイコさんは、現在はC大学の教授。近代文学の学会理事もつとめて、相変わらず華々しい活躍ぶりです。落ちこぼれの春庭は、ただただまぶしく見上げていて、ときには落ちこぼれの我が身を嘆き、うらぶれた老後生活が寂しくなることもあるけれど、ま、人の生き方はそれぞれだから、私は私の道を歩くしかないのでしょう。
<つづく>