春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

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春庭@アート散歩

ぽかぽか春庭「2023年8月もくじ」

2023-08-31 00:00:01 | エッセイ、コラム

20230831
ぽかぽか春庭2023年8月もくじ

0801 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023文日記夏(2) 水だしコーヒー飲んでおしゃべり
0803 2023文日記夏(3) ビール飲んでおしゃべり

0805 ぽかぽか春庭感激観劇日記 >観劇感激2023夏(1)その場しのぎの男たち in 紀伊国屋サザンシアター

0806 ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩炎帝(1)谷内こうた風のゆくえ展 in ちひろ美術館
0808 2023アート散歩炎帝(2)テート美術館展 in 国立新美術館

0810 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023文日記夏(4)ステップコンサート in 東京ガーデンシアター
0812 2023文日記夏(8)板橋花火大会

0815 ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>8月15日のことば(1)小さなノート

0817 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023文日記夏(3)カンチュウハイ飲んでおしゃべり
0819 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023ふみ日記夏(4)ミシン

0820 ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩衣装を見る(1)「 in 杉野学園衣裳博物館
0822 2023アート散歩衣装を見る(2)「日本の服飾美 in 文化学園服飾博物館
0824 2023アート散歩衣装を見る(3)甲賀まりこ服飾展 in アクセサリーミュージアム
0826 2023アート散歩(4)染め物図案あかね会 in 丸紅ギャラリー

0827 ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩まだ暑い(1)野又穫 想像の語彙展 in オペラシティアートギャラリー
0829 2023アート散歩まだ暑い(2)水めぐる in 郷さくら美術館
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ぽかぽか春庭「水めぐる in 郷さくら美術館」

2023-08-29 00:00:01 | エッセイ、コラム

 20230829
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩まだ暑い(2)水めぐる in 郷さくら美術館

 夏場に涼しくすごすには、冷房のきいた美術館、というのが私の基本。8月16日で終わるぐるっとパスを使い切らなきゃと、出かけました。
 8月11日。何度も来ている郷さくら美術館なのに、今回もしっかり道を間違えて、駅からあらぬ方角へ行ってしまい、しばらく歩いてから、あれへんだなと、駅までもどりました。スマホ地図を出してながめる。最初から見ればいいのに、もう何度も来ているのだから間違えるはずがないと思って歩き出してしまうのです。世の中、お酒を飲めない人がいるように、高いところが苦手な人がいるように、方向感覚がない人もいます。待ち合わせの時間が指定されているなら困るけれど、美術館に行く時間など閉館前の入館締切前につけばいいだけ。だれに迷惑をかけるわけでもないので、「今日もたくさん運動ができた。健康によい」と思って、郷さくら美術館にたどり着く。

 暑かったので、しばし館内の椅子で休む。水の風景は涼しげ。


 山の日だけれど、「水をめぐる」展覧会。
 

 水を描いた日本画、さらりと流してみても、ひとつの絵の前でじっくり腰落ち着かせて見続けても、心がすずやかに洗われます。


平松礼二「モネの池 夏」

藤田哲也「蒼い群影」

村松公嗣「舟唄」

坂本藍子「たゆたう」

 こじんまりとした郷さくら美術館。旧実山の日も、展示室に1,2組の観覧者がいる程度で込み合うことはまずありません。1F,2F3Fの各階にお気に入りの1枚をみつけて、展示室のいすでゆったりすごすことが、避暑に最適。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「野又穫 想像の語彙展 in オペラシティアートギャラリー」

2023-08-27 00:00:01 | エッセイ、コラム

20230827
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩まだ暑い(1)野又穫 想像の語彙展 in オペラシティアートギャラリー

 本展では、同館コレクションをはじめとする野又作品の初期から最新作までを展示。野又の全貌を総覧する。
 東京藝術大学でデザインを学んだのち、広告代理店のアートディレクターとして勤務しながら絵画制作に励んでいた野又は、1986年に佐賀町エキジビット・スペースでの個展を皮切りに、いくつかの個展を開催。その後、作家活動に専念することとなる。
 野又の作品群には、未来感がありつつも郷愁めいた感覚を思い起こさせる謎の建造物が登場する。建造物はあれど人の姿は一切描かれておらず、自然と人工物のみが一体となって存在している。これらの建造物は人間のためにつくられたものではないのかもしれない、そう想像することもできてしまう世界観だ。画面の美しさに反して、どこかディストピアを感じさせるのもこれらの作品の魅力といえるだろう。

 野又穫という画家をまったく知りませんでした。見に行ったのは、西新宿エリアで、文化学園から歩いていけそうだ、という点、ぐるっとパスで入館できる点。展示タイトルが「想像の語彙」というものだった点。「想像の絵」なら絵画展のタイトルとして平凡ですが、想像の「語彙」とはなにをいうのだろうか
 オペラシティへ出かける前、どんな絵を描く人なのかは、ネットに出ている絵を見てある程度知っていたのですが、実際に見て、ほんとにすごいと思いました。

 遠目には建築写真建造物を写真に撮ったように見える絵。パッと見て、建造物であることはわかりますが、違和感も残ります。この違和感は、よく見るとわかってきます。ほんものの造形物ではなく、野又の想像した建造物なので、よく見れば、建築物としてはありえない造りになっているのがわかるのです。高い塔や建物についている螺旋階段は、たどっていくとメビウスの輪となっており、階段の上を進んでいくと、ある地点で階段の裏にいることになるのです。これに気づいたとき「建造物の写真のようなリアルさ」という印象がくつがえります。建造物としてはありえない「想像」の構造。

 家にヨットの帆がついていて、もし帆を全部張ったら、家は風に乗って飛び立つのかもしれないし、宇宙実験室のようなドームが重なった建造物も現実の建築は無理な構造なのに、パッと見た時は「あるかも」と納得してしまうのです。あまりにリアルなので。

建築写真のような絵


全作品、撮影OK.


 建物の模型も展示されているのですが、絵をよく見てみると、マグリットのだまし絵のように、こんな建造物ほんとに作れるのか、だまされているんとちゃうかいな、という気になります。
 

 全作品の中で、1点のみ人物が建っている姿が見えるものが。

 荒れた野の上に立っている家は帆を張っている。どこかへ風に乗っていくのか。


 不思議な建造物がずらり。見ているとほんとうにあるかもしれないというキになるが、
 階段をだとって上っていくと、あれれ、、、


  

 
 


 この風車、よくプロペラ部分を見ると、風ではまわらない向きに取り付けられていると思うんです。




 



 緻密な描写で、一軒ほんとうの建物に見えるのに、よく見るとありえない構造。とても不思議な気持ちになりました。でもことばでは言い表せない「想像の語彙」
 
 暑いかようようたどり着いたオペラハウスギャラリー、真夏の蜃気楼のように、ありえないけどそこにある建造物。

 新宿から中野行きのバスが出ていたのですが、都庁第2庁舎の案内係の人は、「バスがあるかどうかは情報がありません」というので、不確実なバスを探すよりは歩く方が早いかと考えた。夜のうちにスマホ充電をしておくのが日課なのに、接触がわるかったらしく、スマホは充電切れでなにも情報がない。スマホなしの現代人の弱点。都庁案内の人が「この南通りをひたすらまっすぐ進んでください。高速したの大通りを渡って、まっすぐ」と言われたと思って、どんどんまっすぐ進みました。
 で、いつものごとくこれは間違い。高速にぶつかったら左に曲がるべきでした。暑い盛りに初台を超えて先まで歩き、戻ってきたので、ギャラリーにたどり着いたときはへろへろ。脳みそ沸騰した状態で観覧したので、オペラギャラリーの空間がいっそうクールにしみわたりました。

 2階の展示、オペラシティギャラリーの収集を行ったコレクター寺田小太郎(1927-2018)のコレクション。東京オペラシティ共同事業者として、戦後日本の画家、アーティストの作品4000点が残されました。

<つづく> 
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ぽかぽか春庭「染め物図案あかね会 in 丸紅ギャラリー」

2023-08-26 00:00:01 | エッセイ、コラム


20230824
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩(4)染め物図案あかね会 in 丸紅ギャラリー

 「染織図案とあかね會―その思いを今につむぐ―」という展覧会が、丸紅ギャラリー開館記念展Ⅳとして開催されました。
 染めと織りは、私が追いかけていきたい「糸の仕事」の柱。どんな展示かなあと思ってはいたのですが、暑さの中出かけるのもためらわれがちでした。少しは暑さがやわらいでからにしようかと思っていたのですが、7月31日にチェックしてみたら、会期が7月31日まで。あらら、今日で終わりだ、と、あわてて出かけました。

会期:2023年5月16日-7月31日 
   会場が狭いので、展示は前期と後期で変わり、私が観覧したのは、後期後期7月3日~7月31日 

 きもの図案の展示だけに着物を着て来館した人が多いなあと思ったら、着物浴衣を着て来館した人は無料とありました。なるほど。こちらはいつものジーンズにシャツ。500円払いました。「入場料は丸紅基金に全額寄付」ということですが、丸紅、商売で儲けているのだから、入場無料にしてほしい。
 展示室は2室で、展示数は前期24点後期24点。着物を作る前の図案の展示はそうそう見ることがないので、よい展示と思いましたが、展示数に対するコスパ悪し。展示1点につきいくら、なんていうけち臭い計算をするような人は、アートを楽しむべきじゃないのは承知の上なれど、貧乏人は、ついつい、65歳または70歳以上無料、という制度をありがたく思う次第。

 丸紅が所有する600点もの染織図案コレクション。大正末期から昭和初期にかけて、丸紅の前身である丸紅商店が「草の葉会」や「あかね会」といった染織図案研究会を主宰し、画壇を代表する、日本画洋画彫刻家などの異なる分野のアーティスト総勢70名が参加して染織品の新しい意匠を模索する試みの中で生み出された図案集が保存されています。あかね会会員の名前がずらりと並べられたパネルがありましたが、主なアーティストだけ見ても、竹内栖鳳、西村五雲、土田麦僊、藤島武二、石井柏亭、向井寛三郎、杉浦非水 。朝倉文夫と、綺羅星のごとく。 
 
 丸紅ギャラリーの口上
 1858年の近江麻布の持ち下り商い開始を創業とし、染呉服商として事業を拡大してきた丸紅は、染織品の新しいデザインを模索するために昭和初期から染織図案研究会「あかね會」を主宰しました。日本画家の竹内栖鳳、洋画家の藤島武二、彫刻家の朝倉文夫など多様なジャンルの芸術家約70名がこの研究会に参加し、彼らによって描かれた染織図案は約600点にのぼります。本展では、あかね會で生まれた独創的で個性的な染織図案や、それらをもとに作られた着物や帯を紹介することで、染織品の意匠であり通常は表に出ることのない染織図案の魅力を浮き彫りにしていきます。

磯つづれ


 杉浦勉館長の解説
 1920年代、本格的な東京進出を控え、当時の副社長である伊藤忠三は、呉服商品のサンプル約1000枚を持って上京します。そして、以前より懇意にしていた三越百貨店の仕入部部長にそのサンプルを見せたのですが、『良いと思ったものは3枚くらいしかない』と言われてしまう。商品に自信があった伊藤はとてもショックを受けました。東京の人に受け入れられる図案ではなかったのです。ショックを受けた伊藤は、丸紅の商品が東京でも受け入れられるにはどうすればいいのかを考え、商品をその土地や時代に合わせるため、「染織図案」のブラッシュアップが必要だ、と結論づけた。染織図案とは、染織品のために考え出されたデザイン(下絵)のことだ。 
 「あかね會」は、丸紅商店の京都支店を中心に発足した染織図案の研究会。当時最前線で活躍していた竹内栖鳳や菊池契月、岡田三郎助に藤島武二、朝倉文夫ら、ジャンルを越えた芸術家、評論家たち約70名が参加している。丸紅商店はあかね會の参加者たちに、染織品や着物のためのオリジナルの図案を毎年考案してもらい、その図案をもとに、職人たちが着物や帯などの染織品を制作。毎年開催される「染織逸品会」で新作として披露するスタイルを構築した。 

 

 以下、室内撮影は禁止でしたが、できる限り見てきたものの記憶をたどります。(画像は部分です)

澤田宗山「図案 朝顔」 1929年 紙本着色 
 
 この図案を元にして制作された着物(制作=京友禅作家坂井修 2023年友禅染)」が見える入口付近の展示室内


土田麦僊 「芍薬」1932年


東郷青児「無題」1935年


田中善之助 「翡翠」 1928年)
 

朝倉文夫「浜千鳥」1928



朝倉文夫「薔薇」1959


杉浦非水「無題」1929


 「白百合」


 展示室内は撮影禁止でしたが、廊下に映写された着物図案は撮影自由。ただ、薄い色合いの図だと、床がすけてしまうので、図案がわかりづらい。





 床に映写された図案がつぎつぎに変わっていくので、まごまごしていると次の図柄になっていきます。
 映写で見た図案のすべてが展示されているのではないですが、丸紅が所蔵する着物図案原画のさまざまな美を知ることができました。そうそう、あかね会の図によって制作された着物の展示会は「染織美術展覧会 」は。略称を「美展 」と呼ばれ、「美」を着物に表現してきました。
 私が着物を着ることは浴衣以外にはなくなって久しいですが、目で美しさをめでる着物は今も大好きです。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「甲賀まりこ服飾展 in アクセサリーミュージアム」 

2023-08-24 00:00:01 | エッセイ、コラム

20230824
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩服を見る(3)甲賀まりこ服飾展 in アクセサリーミュージアム

会期:2023年6月1日(木)~8月13日(日)

アクセサリー美術館の口上
 日本のファッションデザイナーである甲賀真理子氏は過去のインタビューに「大人の女性のための服」という言葉を何度も残しています。
1974年に松田光弘が設立したニコルにアシスタントデザイナーとして入社し、ブランド担当デザイナーを経て、「ゼルダ」や「マリコ・コウガ」のチーフデザイナーとして活躍、東京コレクションにも参加し、日本のデザイナーズブランド全盛期に大きく貢献しました。
彼女の作る服はオートクチュールを感じさせる西洋的なフォルムでありながら、頽廃的な個性を兼ね備えており、コレクションの中にはそれらのスタイルを完成させるコスチュームジュエリーも多くみられます。
本展は甲賀氏の全面協力を得て、1980年代後半から2000年代のコレクションをはじめ、ブランドカタログやコスチュームジュエリー、坂本冬美さんや中森明菜さんら著名人の着用した衣装や同型の展示も行います。そして作品をより深く鑑賞して頂くため、実際に使用された貴重な素材や布に触れられるコーナーも予定しています。

 2階の甲賀真理子の衣装代表作展示


 アクセサリー美術館 で数回観覧し、さまざまなアクセサリーやアクセサリーをつけるにふさわしい衣裳の展示を見てきました。今回は、ニコルのデザイナーだった甲賀真理子の展覧会です。
 前回は娘のスマホ地図があったので、娘のあとをついていったのですが、今回は一人だったので、スマホ地図見ながら暑い中遠回りしてしまいました。祐天寺の住宅街のわかりにくいところにあります。

 これまでアクセサリー美術館を訪問したときは、「展示室内撮影禁止」だったのですが、今回は「歌手の顔が映っている写真ポスターのほかは撮影可能」になっていました。うれしくなってシャネルやサンローランデザインのアクセサリを撮りまくっていたら、3階の甲賀まり子の服を撮影している途中でカメラの電池切れ。いつものマヌケな準備不足。毎回、夜にカメラの電池充電をしているのに、忘れてしまったらしい。

 甲賀真理子のファッションショーのDVDを2階展示室でゆっくりながめていました。実際のファッションショーというのは、見たことありませんので、ほんとうに目の前で見れば、きらびやかな衣装に目を奪われるばかりでしょうが、DVD4なので、モデル歩きが気になりました。モデルさんたちはみなスタイルよく背が高く、衣裳を着て映える方ばかりですが、ランウェイを歩く時、どうしてみな左足は中央線より右側に出し、右足は左側に出すのでしょう。そう歩くと、必然的におしりがくねくねしてセクシーには見えるのでしょうが、私には、服の見栄えがよくなる歩き方には思えませんでした。ひとり、中央線上を右も左もまっすぐに前に出す歩き方のモデルさんがいました。こっちのほうが服がきれいに見えると思うのは私だけだから、どのモデルもくねくね歩きをランウェイの歩き方として採用しているのでしょう。

 甲賀さんの衣装、ニコルでもご自身のブランドを立ち上げてからも、すてきなデザインです。ニコルに入ったのは、生地のデザインからまかされたからですって。生地のデザイン、スカーフ、ストールに仕立ててあるものを、「アルコール除菌したうえで、さわってください」と、おさわりOKがでていたので、ふむふみと触ってきました。服のことわかっていない私なので、さわったからと言ってなにもおきませんが、テキスタイルデザイナーの卵などがさわって、大いにけいはつされるところがあったんじゃないかしら。
触ってよいストール


  代表作の展示の中、赤と白のロングドレスは歌手坂本冬美に提供した舞台衣装。
  中森明菜のコンサート衣裳と同じシリーズのデザインは、小田急のポスターにも採用されていました。
 

 子供服


 ファッションショー甲賀真理子春夏コレクション、秋冬コレクションのパンフレット表紙写真


 ものすごく暑くて、九州では台風という8月12日でしたが、13日に会期が終わってしまうので、かけこみで観覧。どの服も「私には縁遠い服」ではありましがが、きれいなモデルさんたちがきれいな衣装を着ているのを見て、アクセサリーもたくさん見て、かえりは迷わないで帰れたので、祐天寺駅前でマックのコーヒーと駅前ラーメンで休憩して帰宅。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「日本の服飾美 in 文化学園服飾博物館」

2023-08-22 00:00:01 | エッセイ、コラム


20230822
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩衣装を見る(2)「日本の服飾美 in 文化学園服飾博物館

 ドレメの博物館へ行ったので、文化もね、ということで、8月3日に文化学園服飾博物館を訪問しました。

会期:6月17日-8月6日

 文化学園服飾博物館の口上
 本展では、江戸時代の豪商で近代には財閥として知られる三井家伝来の打掛、公家の伝統を受け継いだ近代の宮廷衣装、簡素な中にも潔さの漂う江戸時代後期の武家の服飾などを紹介します。それぞれの制度やしきたり、気風から生み出された服飾には、精緻な染織技術や優美な意匠が見られ、日本の美意識が集約されています。当館の誇る日本服飾の優品を是非ご堪能ください。

 私は、ずっと「文化服装学院」という名称が頭にあり、文化学園大学と名称が変わっているのに、「文化服装学院→文化女子大学→文化学園大学」の変化に追いついていませんでした。
 今年は、1923(大正12)年の「文化裁縫女学院」創立から100年の節目の年です。
 1919’(大正8)年に並木伊三郎が東京・青山に「並木婦人子供服裁縫店」を開き、同店舗内に「婦人子供服裁縫教授所」を開設したのが前身。1922年、並木は「文化式裁断法」を確立し、遠藤政次郎と共に東京・牛込袋町に「文化裁縫学院」を設立。わが国初の洋裁教育の各種学校として認可を受け「文化裁縫女学校」と改称。この年を創立年とする。
 戦後の洋装化時代、母の姉アヤ伯母が熱心に文化式の洋裁をならっていたのは、1950~1970年代でした。
 2011年に文化学園大学に改称し、翌年から共学化。
 という沿革です。博物館は、1979年に開館。

 博物館展示ポスターを並べた2階ロビーの壁(2階ロビーは撮影OK)


 出身デザイナーは,皆川明、山本耀司、高田賢三、コシノジュンコ、松田光弘(ニコル)金子功(PINKHOUSE)、ファッションに興味なかった私でも知っている人が、キラ星のごとく並びます。
 写真に刺繍したアートで有名になった清川あさみも文化学園大学出でした。

 さて、今回の伝統衣装の展示。
 第1室は。 

 平安時代に確立した和装。狩衣、直衣直垂、小袿などの宮廷装束が並んでいました。
 小袿
 神事に臨むときの白い装束と冠

 第2展示室は、江戸期を中心にした衣裳



 会期終了の前だったので、平日の午前中にしては「展示室に渡しだけ」という状態ではなかったですが、ゆっくり見て舞われました。 
 昔、文化学園で洋裁を習った仲間なのか、オバ様軍団が楽しそうにロビーで話をしていました。ハサミやミシンを駆使した日々が、青春だったのかなあ、と思います。

 文化学園が収集してきた服飾資料の展示、これからも、ドレメよりは多く訪問することと思います。ぐるっとパスをの入館可能施設なので。
 次回は、文化服装学院卒業生、甲賀まり子(ニコルから独立)を紹介。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「黒いドレス in 杉野学園衣装博物館」

2023-08-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
20230820
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩衣装を見る(1)「 in 杉野学園衣裳博物館

 杉野学園衣裳博物館は、1957に開館。日本初の衣装博物館です。杉野学園創始者杉野芳子(1892-1978)が収集した西欧衣裳、世界各地の民族衣装、杉野芳子がデザインした服を展示しています。私がここを観覧したのはいつだったか覚えていないくらい昔のこと。たぶん50年くらい前。
 今回は「色をよそおうー黒いドレスを中心に」を見ました。

会期:4月10日-7月28日
 日曜祝日や夏休みなど大学休学中は閉館。土曜開館日はHPで確認すべしとのこと。

 
1階のメインテーマ展示。
 20世紀の前の西洋女性衣装として、黒い色のドレスは、ヴィクトリア女王が喪服として着た程度で、日常着やおしゃれ着として着られることはありませんでした。黒は男性衣装の色であり、男性が自分の権力や財力の反映として連れの女性の衣服をを飾り立てました。華やかな色彩の流行のドレスで社交の場に出ていく服は、男性の財力のみせどころでした。極端にウエストを細くしぼったり、コルセットでがちがちに固めたり、クリアノンというクジラの骨などでつくられたスカートをふくらませる下着をつけて、女性は男性の「飾り」として美しくかわいらしく存在していました。

 黒を女性のおしゃれなドレスに仕立てたのはココ・シャネルです。もともと男性の乗馬服を自分用に仕立て直すところからデザインを始めたココは、「リトルブラックドレス」と名付けたドレスを発表しました。男の衣服の色だった黒を女性の衣服にデザインし、女性が男性と同じように能力を発揮しようとしていく欧米社会に新風をもたらしました。第1次世界大戦で従軍する男性の代わりに、社会で働くようになった女性たちは、シャネルのドレスを歓迎しました。コルセットなどを取り払い、働きやすく動きやすい服を着て、女性たちはさっそうと働きました。

 1階メインテーマ室には、ココシャネルや杉野芳子がデザインした黒いドレスが展示されていました。

 2階は杉野芳子がデザインした洋服。



 杉野は、1926(大正15)年に洋裁学校「ドレスメーカー女学院 」を設立。昭和初期には、洋服というものを身近に見たこともない生徒が多くいたため、さまざまな洋服を自分で仕立てて教育していったと、中2階のビデオで解説されていました。型紙(ドレメ式)によって、日本社会に洋服を自分で仕立てる文化を広めていきました。女性の職業として、洋裁店で働いたり、店を経営することが女性の社会進出のひとつの方法になりました。看護婦か学校教師以外に働く女性の場が広がりました。

 展示室内「撮影ご遠慮ください」のプレートがありましたが、「遠慮しない」と決めて、勝手に撮影。杉野芳子が1978年に亡くなって45年なので、まだデザインの著作権は残っていますが、この写真により、杉野のデザインを盗用して服を作ろうと思う人もいないと思うので、掲載します。問題あれば削除しますが。

 3階は、杉野が収集した世界の衣服を展示。来期に民族衣装展があるため、民族衣装展示はなく、今回の展示は日本の伝統衣装十二単直衣狩衣と江戸火消装束、19世紀の西洋の衣服が展示されていました。

 
 博物館では、著作権のほかに所有権というものがあり、「撮影ごえんりょください」の館が多いのですが、美術館博物館にも他の観覧者にも迷惑をかけることはないと判断した場合に、えんりょしません。あしからず。

  

 私はずっと装苑派でした。文化学園の博物館はぐるっとパスで見られるので、ときどき行きましたが、ドレスメーカーの杉野学園には縁がなく、衣裳博物館も何十年も前に一度いったきり。
 それでも1度いったことあるから大丈夫というつもりで歩き出したら、見事に道を間違えていて、1時間も歩くことになりました。ほんとは駅から徒歩5分です。

 目黒駅アトレからの出口を間違えて、JR線路の反対側を歩いてしまったのです。私が杉野衣裳博物館に行ったのは、目黒駅にアトレなどなかったころでした。JRの線路をはさんだ反対側にでてしまったことはすぐわかったのですが、どこかに反対側に渡る陸橋などがあるだろうと、どんどん下って行ったのですが、反対側に出るところはなく、もうすぐ五反田というあたりまで来て、高速道路の下の道で反対側に出る。そこからは上りで目黒駅方面をめざす。またまた道を間違えて、スマホの地図を取り出す。最初から地図見ればいいものを、たしかこの道だと思い込みで歩き出すからこんな目に。

 ジム通いなどできずに足腰弱りがちな高齢失業者にとって、歩くことはなによりの「足鍛え」と思って暑い中歩きました。柳生藩の下屋敷跡が公園になっている脇などを歩き、「ぜったいに自分から訪問しようとは思わない場所」を歩けたので、よしとします。次は「1度きたはず」なんて思わずに、最初からスマホ地図見ます。

 目黒駅から杉野学園までの道はドレメ通りと名付けられていて、本館博物館体育館、2号館から5号館まで建物があります。博物館の閉館時間まぎわにやってきた青年は、杉野服飾大学の学生だったのでしょうか。ファッショにかかわる男性も増えてきたのだと思いますが、今思いつく「私でも名前を知っているファッションデザイナー」は、圧倒的に文化のほうが多い。ドレメで知っていたのは島田順子くらい。がんばれドレメ!
 暑い一日の、足腰鍛錬の時間でした。熱中症にならないでよかった。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ミシン」

2023-08-19 00:00:01 | エッセイ、コラム
20230808
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023ふみ日記夏(3)ミシン

 私が2歳ころ、母はミシンを買いました。当時、家にミシンを置くことは「もはや戦後ではない」という時代の象徴ともなり、家庭文化の華でした。つぎの家庭文化の花はテレビです。

 我が家にあったのは、たぶん、このJUKI製だったと思います。


 伯母(母の姉)アヤは、かわいがっている姪(私の姉)にかわいい服を着せたくて、洋裁を習うことにしました。1950年代のこと。定期購読の「装苑」という雑誌が届き、その中のパターン(型紙)を使って、生地をワンピースなどに仕立てるのです。

 母は、伯母といっしょに町へ「生地買い」にでかけ、伯母のパターンを使って新しい服(姉とおそろい)を作ってくれました。伯母は洋裁教室で教わった通りに原型をいろいろ変えて工夫していましたが、母は「原型」を少しもかえることなく、原形通りの服をミシンで縫ったので、リボンだのフリルだのいっさいかざりはなし。「姉と私」のおそろいが「私と妹」のおそろいになるまで着続けるので、私は同じ原型の服を何年も着ることになりました。
 私は、母がミシンをかけているのを、反対側にすわって、針が上下したり布地がたぐられて前に押し出されてくるのを見ているのが好きでした。母が「文化的な仕事」をしているのがうれしかったのかもしれません。
 私は新しい服を作ってもらうより、本を買ってもらう方がうれしかったから、姉の「おさがり」を着ることに文句はなく、2階のすみっこで本を読んでいました。
 
 母が伯母に教わりながら見よう見まねで子供たちの作ったのは、既製品の服は高くて、生地から作るほうがはるかに安上がりだったからです。子供をかわいい服で包む趣味は母にはいっさいなし。姉は伯母と同じようにおしゃれ好きに育ちましたが、私は母と同じく「夏は裸でなければよし。冬は寒くなければよし」
 姉は高校生になると「セブンティーン」などの雑誌を買って、自分で服を作り出しました。姉のほうが背が高かったので、おさがりのスカートなどは長めになりましたが、おさがりはつぎつぎに回ってきます。

 50年たち、私がファッションに興味を持つようになったのは、自分が着ようと思うことなく、アートとして眺める愉しみを持つようになったからです。足のながい180xmくらいの身長のファッションモデルが着ている服を見ても、いっさい「自分が着てみたい」と思わず、ファッションショーなど無縁と思ってきたのですが、眺めている分には衣裳はアートとしておもしろい。ミナペルホネンの服も、クリスチャンディオールの服も、現代美術館で見ました。ミナペルホネンは私にも着られるかも。GUやシマダ屋に比べれば高いけど、100年着られる服にしてあるそう。
 今も私は、妹や娘のおさがり服でまかなっていて、不自由はない。

 ということで、私はずっと装苑派でした。文化学園の博物館はぐるっとパスで見られるので、ときどき行きましたが、ドレスメーカーの杉野学園には縁がなく、衣裳博物館も何十年も前に一度いったきり。それでも一度いったことあるから大丈夫というつもりで歩き出したら、見事に道を間違えていて、1時間も歩くことになりました。五反田のほうまで行ってしまったのです。

 高齢者には歩くことが必要だから健康のために良かったと思うことにしましたが、暑い盛りの中、熱中症になったかもしれません。前回ドレメ博物館を訪れた時は、目黒駅にアトレなどなかったので、アトレ出口をまちがえてしまったのです。

 杉野衣裳博物館の前の道はドレメ通り。ファッションやアパレルの分野に進みたいのだろうと思う若い人が闊歩していました。
 杉野衣裳博物館の観覧を追えて、とぼとぼと歩き目黒駅へ。帰りは徒歩5分で目黒駅に着きました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「カンチュウハイ飲んでおしゃべり」

2023-08-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
20230817
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023文日記夏(3)カンチュウハイ飲んでおしゃべり

 NHKの番組「イイいじゅう」という番組をときどき見ます。都会から山奥や海辺、島などに移住した人々の「自然豊かな田舎暮らし」のドキュメントです。
 移住を決意し、都会の快適な暮らしを捨てて、ときには周囲の反対を押し切って元のすみかから移住した人々。移住が成功して周囲のもともとの住人とよい関係を築いて移住先に定着した人々のストーリーが画面に写ります。
 しかし、移住に成功した人よりはるかに多くの人々が「地域の人間関係がうまくいかなかった」「半年がんばって畑仕事を続けたのに、収穫は全部猿とイノシシに荒らされた」などなどのさまざまな理由で成功はしないままフェイドアウトもあるのだろうと思う。番組には「移住から退却」した人の話は出てこない。

 友人のA子さんが飛騨に移住した時、「遊びにいくからね」と、私も喜んだ。昨年8月に移住直後のA子さんをたずね、A子さんの移住先に3泊、そのあと高山のホテルに1泊してたのしい飛騨の旅を続けることができました。
 夏から秋、問題はありながらもA子さんの移住生活はなんとか続けることができました。しかし。

 雪深い飛騨の里。A子さんの話では「屋根の雪下ろしが女手ひとつではできず、近所からも苦情がくる。小学生が屋根から急に落ちてきた雪の下敷きになる事故も起きたことのある地域だ、ということで「雪下ろしをしない家は、近所迷惑になる」と、だいぶめげたようだったけれど、それでもがんばって住み続けていました。入居するとき、おふろのバスタブやシャワーも自費で整備し、築何十年だかの古屋を、なんとか住めるようにしてきたのに、「さらに家の補修をめぐって、家主さんともめてしまって」というトラブルが勃発。古屋をまるごと託されたというのなら家の修理を自分で続けるのも納得できるが、光熱費などを払いつつ借りている身では、借り手が勝手に修理を業者に依頼することもできず、何度も修理依頼をしても家主は応じてくれなかった。
 話し合いも埒があかず、これ以上のもめごとで神経すりつぶすのは不毛と、退去を決めたと言う。

 移住全部が上首尾となるわけではない。私としては1年間よくがんばったと思います。A子さんの場合は、家主側に問題があった感がありますが、これは当事者でなければわからないことですから、部外者としては、もう一度飛騨の旅をするのは、もうしばらう先になるだろうなあ、ということを残念に思うのみ。

 A子さんは一人息子さんが8月に結婚式を終え、これで子育て完全卒業です。お嫁さんのご家族もよい方々のようで、結婚式も盛大なものだったと、写真を見せてもらいました。バスケット選手として活躍してきて、今はIT関連の希望の職場で望みの仕事をしているという183cmの自慢の息子さん。結婚式の親の挨拶では、花嫁のパパが「おかあさん、よくぞ息子さんを立派に育ててくださいました。この先、私の息子とともに、私の事業を受け継いでいってほしい」というような挨拶をされたそうで、まるで嫁さんの一家に息子をさらっていくようなご挨拶だった、ということですが、「結婚した息子がこの先どういう生き方をするのかは息子にまかせる。私は私で暮らしていくから」と、今後の一人暮らしをどうしていくか、思案中。一人暮らしのために飛騨への移住を模索したのだけれど、今は都会のシェアハウスを検討中、だそう。

 これまでは、生活のため収入のための仕事として翻訳を続けてきたけれど、これからは「ほんとうに訳したい本を、自分なりに翻訳していく」ということ、応援したいです。まもなく65歳になって年金受け取りも開始する、ということなので、しっかりと退職後生活ができるだろうと思います。

 私ときたら、今後のめどはまったくないまま「ジャンボ宝くじ、買わなかったけど、宝くじあたらないかなあ」程度の計画しかないので、A子さんは私を見ていると、「こんなズサンな生き方でも元気そうにやっている」と思えるようになり、心配を吹き払えるみたい。よかったよかった。アホな生活もだれかの役にたっているのかも。

 東京に戻って、シェアハウスで新生活が始まったらまたおしゃべりにでかけたいです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「小さなノート」

2023-08-15 00:00:01 | エッセイ、コラム
20230812
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>8月15日のことば(1)小さなノート

 2020年、アフガニスタン政府は、女性が大学教育を受けることを禁止しました。
 いまだ戦火やまぬウクライナで子供たちは学校へ通えるようになったでしょうか。
 世界で、受けたい教育を受けられないすべての人に、以下の詩をおくります。
 ノートに書き留めてあったので、再録しておきますが、実は いつ誰が書いた詩なのか、不明です。
 詩のことばをあれこれ組み合わせて検索しても何も出てこないので、「詠み人知らず」にしておきます。原作者をご存じの方がいたら、お知らせください。

小さなノートを抱きしめる
少女はうれしくてたまらない 
町の学校が再開された
道に瓦礫は残っているけど、学校には机も黒板もある
女の子も学校へ行っていい
はじめての学校、ともだち、字を教えてくれる先生
黒板の文字
右から左へ 上から下へ 下から上へ 
点々をつける 長く伸ばす お碗のように丸めて、、、

インサン(人間)と先生が書く
先生が黒板に書いたとおりに、一生懸命、少女もインサンと書く
消しゴムは買えないから、まちがえないように、ひとつひとつ丁寧に
ウム(母)と先生が書く
先生のお手本通りに、少女は心をこめてウムと書く
少女のウムは爆撃で死んだ、でもこうやって少女は「母」と文字をつづっている

ジャイシュ(軍隊)と先生が書く
少女の顔が曇る
ハルブ(戦争)と先生が書く
少女は鉛筆を下におく

小さなノートに、いっしょうけんめい書き綴ることば
消しゴムは持っていないから、消したくなる言葉は書きたくない

消しゴムはいらないんだよ
明日、爆弾が落ちてきたら
先生が黒板に書いた文字も
少女がノートに書き取った言葉も
全部消えてなくなるから

父の体が砲撃に飛び散ったように、母の体が瓦礫の下に埋もれたように
少女の書いた小さなノートも明日は飛び散るかもしれないのだから
消しゴムで消さなくてもいい

少女はrabi'「春」と書く
wi 'alekumu saalam「あなたの上にも平安あれ」
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ぽかぽか春庭「板橋花火大会」

2023-08-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
20230812
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023文日記夏()板橋花火大会

 
 子供を連れて毎年のように楽しんできたのに、20,21,22年、3年間もコロナ禍により中止になってきた板橋花火大会。
 今年は4年ぶり開催が決まりましたが、やはり久しぶりの開催となった足立の花火がものすごい混みようだったとニュースで知り、足立より人出が多い板橋では、見るのも難しいだろうとあきらめていました。ところが、懸賞生活を続けている娘が「金麦特等席」という観覧席を当ててくれました。うれし。全国の花火大会で250名。板橋花火では25組50名だけの当選者。宝くじなみです。



 花火会場へ向かう都営地下鉄三田線は、こみこみになってきて、朝の通勤ラッシュ並み。その中に、クーラーボックスかかえたオヤジや、昔人間から見るとなんともいえない崩れた着付けをしている若い女性の浴衣姿が押し合いへし合い西台駅まで。込み合う前に座れてラッキーでした。
 西台駅から花火会場まで、傾いてきたとはいえ4時すぎの日のなか20分歩き、娘は花火が始まる前にグロッキーになっていました。花火会場付近は、タクシーバス、すべて乗り物禁止なので歩くしかない。

 金麦特別席は、打ち上げ場所から300メートルくらいのいちばん近い地域の雄良績「陸上競技場内」の一角に椅子席が用意されていました。係員が「飲み物どうぞ」と、ソフトドリンクや金麦を運んでくれます。写真も、金麦の宣伝用にさつえいさせていただきますが、移りたくない方はお申し出ください、という配慮。
 椅子席で、板橋側打ち上げも戸田側の打ち上げ花火もよく見える席です。
 配布の紙袋には柿ピやビーフジャーキーなどのおつまみや急な雨の場合に使うレインコート、ごみ用ビニール袋などいたせりつくせりの品がそろっています。金麦飲み放題でしたが、トイレの列が長いから、2本でやめておきました。


 花火開始前に、出店で食べ物購入。1品700円。鶏唐揚げテリマヨ味4個、たこ焼き(4個)&ポテト、かき氷(イチゴミルク)の3パックで2150円。(かき氷、娘とシェアしようと思ってプラスチック器を希望したら50円でした)
 持ってきたプチトマトなど私は打ち上げ前にあらかた食べましたが、娘はトイレ列の待ちが長くて、食べ終わらないうちに打ち上げ開始。

 スターマインや4号5号玉早打ち、10号単発など。コンクールで入賞した花火職人さんたちの入魂の一発など、次々に打ちあがる花火に歓声をあげました。


 終盤、ハプニング。ナイアガラを見たあと、板橋側打ち上げ場所で火災が発生したということで、板橋側の打ち上げは終了となってしまいました。戸田側のフィナーレもきれいでしたから、途中で終わってしまった、という不満足感はなく楽しく観覧。消防車も駆け付けたけれど、花火師さんにケガなどなかったと思いたい。


 退場規制によって、「西台駅は来るときあまりにこんでいたから、高島平まで歩こう」と、30分ほど歩いて高島平へ。「これじゃ座れないだろうから、西高島平まで行って始発に乗ろう」と逆方向へ。これ、正解でした。高島平から西高島平まで行った電車がそのまま日吉行きになったので、乗り換えなしに座ったまま折り返し。西台駅ではもうこみこみで座れませんでしたから、逆方向へ行ったこと、裏技判断よし、でした。

 娘はアルコールを飲まないのに、私用にせっせと金麦を買った甲斐がありました。娘の懸賞生活、このところ、マグカップとかトートバッグの当選が多かったのですが、久しぶりの大物、欲しがっていた「冷凍専用庫」が当選しました。暑すぎる今年の夏ですが、ビール飲んで消夏します。あ、金麦は発泡酒でビールじゃないけど。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ステップコンサート」

2023-08-12 00:00:01 | エッセイ、コラム

20230810
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023文日記夏(4)ステップコンサート in 東京ガーデンシアター

 昨年たのしく聞くことができた住友不動産の無料招待によるステップコンサート。2023年の第114回コンサートも娘が応募し、当選しました。3000人当選というので、だれでも当選なのかと思ったら、冬のステップコンサートは応募したのに当選しなかったというので、当たらない人もいるのだとわかります。

 有明ガーデンの東京ガーデンシアター。全席利用すればキャパが5000くらいあるかもしれませんが、3階席には客を入れていないので、全席埋めて、応募した人全員が入れればいいのに。夏休み中なので小中学生も多く、はじめてのオーケストラ体験だ、という子供も多かったです。司会者が「初めてオーケストラ聞いた人、手を挙げて」と質問したら、けっこう多くのこどもが「はじめてのオーケストラ」だったとわかりました。いい体験になると思います。

 今回は「シネマ音楽」の特集。映画やミュージカル映画の曲がセレクトされています。
 演奏:東京フィルハーモニー交響楽団  指揮:角田鋼亮
 歌唱:三宅理恵 田代万里生

 司会の塚本江里子の照会によると、田代と三宅は初共演ながら、子供のころ、田代は三宅の父三宅民規 にピアノを習っていた、という縁があったそうです。

<第一部> 
・ジョン・ウイリアムズ ET フライングテーマ
・マックス・スタイナー 風と共に去りぬ タラのテーマ
・エルトン・ジョン   ライオンキング サークルオブ・ライフ(歌田代万里生)
・ハロルド・アーレン   オズの魔法使い 虹のかなたに(歌三宅理恵)
・アラン・メンケン   アラジン ホールニューワールド(歌田代三宅)
・ジョン・ウィリアムズ ハリーポッター ヘドウィグのテーマ
<第二部>
・ビゼー  カルメン 序曲  (指揮者体験 こども3名おとな1名)
・アンドリュー・ロイド・ウェバー オペラ是の怪人 シンクオブミー(三宅)
・リー・ハーライン ピノキオ 星に願いを (田代)
・レナード・バーンスタイン ウエストサイドストーリー トゥナイト(三宅田代)
・ジョン・ウィリアムズ スターウォーズ メインテーマ
アンコール
・ジョン・ウィリアムズ インディジョーンズ レイダーズ失われたアーク

 席は2階バルコニーの中央。Eの5列目。去年は1階席だったので、舞台には遠くなったのですが、楽しいコンサートでした。

 3000人がいっせいに帰路につき、いっせいにレストランに向かったので、どの店も行列。30分ほど待って、ようやく娘と有明ガーデンの5階の牛タン屋で晩御飯食べました。
 10時ころ国際展示場駅へ。娘はすぐにりんかい線に乗って帰りましたが、私は、往路は東京駅からビッグサイト行きの都営バスに乗ってきたので、帰りも逆コースで帰ろうとバス停をうろうろ探しました。ようやく東京駅行きのバス停がみつかったのですが、バスは8時代に最終が出ていました。

 来るとき、私は有明ガーデンのイベントのミニコンサートを見たいからと、娘より先に家をでました。東京駅から有明ガーデンを通るバスがあることに気づき、乗り込みました。シルバーパスで乗れるので。銀座や築地を通り過ぎ、隅田川の橋を渡るとき川岸に高層ビルが立ち並んでいる光景がとても都会的で隅田川や運河を横切るとき、川面が光るようす、ちょっとした車窓東京観光の気分でしたから、帰りもバスがあるなら乗って帰れば、銀座の光も見ることができるかと思ったのですが、バスはなし。結局りんかい線で帰りました。

 ミニコンサートは夏休みのちびっこ向けのバイオリン(大島理沙子)。
 ミッキージャンボリーでちびっこがダンスしたり、100%勇気を子供たちが大声でうたったり、たのしそうでした。


 夏休み、オーケストラもバイオリンも楽しく聞いて、よい夏の体験にしてほしい。
 私にも、よい一日でした。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「テート美術館展 in 新国立美術館その2 テートの現代美術」

2023-08-10 00:00:01 | エッセイ、コラム

20230810
ぽかぽか春庭アート散歩4>2023アート散歩炎帝(3)テート美術館展 in 新国立美術館その2 テートの現代美術

 第4室はターナーの講義用図解や写真が展示されていました。
 第5室から、現代美術の展示が中心になります。私が見てここちよいのはカンディンスキーまででした。どうも人間が古い体質なので、なかなか新しいものになじめない。

ワシリー・カンジンスキー「スウィング」1925

 じっと見ていられるのは、ぎり、リヒターまで。
ゲルハルト・リヒター「アブストラクトペインティング」1990


 光を表現した現代美術として、蛍光灯を並べた作品や壁の隙間を覗くと蛍光管が光っていたりする作品が第5展示室に並んでいましたが、現代美術苦手な春庭には向かない作品でした。

 電光が数秒で色が変わるしかけ

 ペー・ホワイト「ぶら下がったかけら」2004

 
 いっぱい、小さいかけらを天井からつるしているので、「ご苦労さんね」と声をかけたくなる。つるした人は作者本人じゃないと思うけど。

 最後の展示は、現代の部の目玉。光に反射する金属のボールは、わかりやすいので好き。
 オラファー・エリクソン「星くずの素粒子」

 リヒターと私


ぶら下がったかけらと私

 14時半に入場して、月曜日なのにけっこう混んでいるなあと思ったら、大学生高校生が夏休みになって美術館でデート。うん、いいと思う。涼しいし。休憩室で1時間ほど休憩し、16時半になってすいてきたのでもう一度入口のターナーから見ていきました。デート組は晩御飯に行く時間になって、今度はかなりゆったり見ることができました。6時まで観覧。冷房がきついので、ロッカーの中に羽織るものを置いてきてしまったのを後悔しつつ歩きました。
 6時の六本木、まだまだ暑い。今度は歩かなくてもいいように、乃木坂駅から帰りました。

<つづく> 
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ぽかぽか春庭「テート美術館展 in 国立新美術館その1 18-20世紀の光」

2023-08-08 00:00:01 | エッセイ、コラム


20230808
ぽかぽか春庭アート散歩4>2023アート散歩炎帝(1)テート美術館展 in 国立新美術館

 7月31日月曜日。月曜日に美術館へ行くのは、選択肢が限られます。ほとんどの美術館は月曜日休館ですが、六本木の3つの美術館のみ、火曜日休館です。森美術館は、現代美術だったのでパス。サントリー美術館「虫めづる日本の人々 」展、国立新美術館「テート美術館展」の二択です。「虫」はサントリー美術館蔵が多そうなので、そのうちまた見る機会がありそう。テートは、次にイギリスからやってくるのはいつになるかわからない。決まり。テートです。

 国立新美術館は乃木坂駅直結だったのに、都営線に乗り、六本木で降りました。六本木と乃木坂はつながっていると思い込んでいたのです。国会議事堂駅と溜池山王駅は別々の地下鉄路線の駅ですが、中でつながっています。麻布十番駅も中で都営地下鉄から南北線へ移動することができるので、路線図では線路が交差している乃木坂と六本木もつながっていると思ってしまった。でも都営線とメトロはつながっておらず、10分ほど日盛りの中を歩きました。街路樹の木陰を選んで歩きましたが、熱中症にならなくてよかった。
 「テート美術館展」ぐるっとパス割引100円引きで2100円。シルバー割引はなし。著作権が残っている作品の撮影禁止以外は、撮影自由。


 新国立美術館の口上
 本展は、英国・テート美術館のコレクションより「光」をテーマに作品を厳選し、18世紀末から現代までの約200年間におよぶアーティストたちの独創的な創作の軌跡に注目する企画です。
「光の画家」と呼ばれるジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーや風景画の名手ジョン・コンスタブルといった英国近代美術史を彩る重要な画家たちの創作、クロード・モネをはじめとする印象派の画家たちによる光の描写の追求、モホイ=ナジ・ラースローの映像作品やバウハウスの写真家たちによる光を使った実験の成果、さらにブリジット・ライリー、ジェームズ・タレル、オラファー・エリアソン等の現代アーティストによってもたらされる視覚体験にまで目を向けます。
 
本展では、異なる時代、異なる地域で制作された約120点の作品を一堂に集め、各テーマの中で展示作品が相互に呼応するようなこれまでにない会場構成を行います。絵画、写真、素描、キネティック・アート、インスタレーション、さらに映像等の多様な作品を通じ、様々なアーティストたちがどのように光の特性とその輝きに魅了されたのかを検証します。

第1室
 ターナー以前の西洋画は、聖書の中の一場面を描く宗教画や歴史画が上等の画題であり、風景画や社会の人々を描く世俗画は、一段と低いものとみなされていました。ルネッサンス以後、静物画や風景画を描く画家も出てきましたが、モナリザの背景に美しい風景を描かれたように、風景は添え物でした。18世紀になり、「崇高」という概念が絵画に入りました。恐怖、畏怖の気持ちから至高の存在をあがめる気持ちをもたらす、アルプスなどの峻険な高山や渓谷、大海などが描かれるようになりました。

 ジョセフ・ライト・ダービー「噴火するヴェスヴィオ山とナポリ湾の島々を望む眺め」1776-1780


 火山噴火の強烈な光が表されている絵ですが、ひとめ見た時違和感がありました。「え~、これ、ほんとに噴火の写生?なんかウソっぽいんですけど」と感じました。解説を読んでから納得するのは本意ではないのですが、画家ダービーは、噴火を実際に目にして描いたのではなかった、という説明に「なるほど、やっぱりね」と、納得。
 「噴火するヴェスヴィオ山とナポリ湾の島々を望む眺」は、全展示作品の中で、最も古い時代に描かれており、展示No.1なのに、観覧者は、ターナーを見てから、No.1のダービーを見るようになっています。自然に沿って描いたターナーらに比べると光の感じ取り方が違っているからかと。「光」をテーマとする展示なので、No.9のターナーから見てほしかったのだと思います。

ウイリアム・ブレイク「アダムを裁く神」1795


ブレイク「善の天使と悪の天使」1795-1805


ジェイコブ・モーア「大洪水」1787

ジョン・マーティン「ポンペイとヘルクラネウムの崩壊」1822

かってジョン・マーティンに帰属「パンデモニウムへ入る堕天使(失楽園第1巻)」1841


 展示室1は、順路に従って進むと、ターナーの光の表現から観覧するように設定されています。時代が少し前のブレイクやモーアは、ターナーの光を見てから目に入るように並んでいました。「光」をテーマとするテート美術館展なので、光を表す技法にすぐれ、後世に影響を与えたターナーから見て回りなさい、というキュレーターの並べ方。

ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー「湖に沈む夕日」1840頃

ターナー「大洪水の夕べ」

ターナー「光と色彩 大洪水の翌朝 創世記を書くモーゼ」


ターナー「陽光の中に立つ天使」1846


 ターナーが光の表現、陰影、遠近法などに心をくだき、アカデミーの学生にも教育していたことが、第4室の「ターナーの学生講義用の図解」が並んでいてよくわかりました。

ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー「講義のための図解監獄の内部65遠近法」
  
 この図は、ターナーがロイヤルアカデミーの学生に遠近法を教えるために描いた監獄の内部。反射と屈折、異なる光源による光の状態を講義。

 展示室2
 ターナーと同時代に光の表現をめざしたジョン・コンスタブル。クロード・ロランの影響を受けつつ、風景画家として自立しました。当時宗教画や歴史画に比べて、風景画は一段と低い価値しか持たないとみられていたのに、コンスタブルは、風景画を描き続け、イギリスに風景画の時代をもたらしました。コンスタブルの風景画はメゾチント版画として「風景を見る」ということをイギリスに定着させていく画家のひとりになりました。

ジョン・コンスタブル「ハリッジ灯台」1820頃

ジョン・コンスタブル「ハムステッドヒースのブランチ・ヒルボンド、土手に腰掛ける少年」1825頃


 ターナー以後、画家たちは「自然と光」の表現を研究していきます。

ジョン・リネル「風景(風車)1844-1845

ウィリアム・ホルマン・ハント「無垢なる幼児たちの勝利」1883-1884


ジャン・ヤング・ハンター「私の妻の庭」1899

ジョン・エヴァレント・ミレイ「冬に濡れたエニシダ」


印象派の登場で、光の表現はひとつのピークを迎えます。

クロード・モネ「エプト川のポプラ並木」1891


アルマン・ギヨマン「モレ=シュル=ロワン」1902


アルフレッド・シスレー「ビィの古い船着き場へ到る道」1880
シスレー「春の小さな草地」1880

カミーユ・ピサロ「水先案内人がいる桟橋、ル・アーブル、朝、霞がかかった曇天」1903


第3室
ウィルヘルム・ハマスホイ「室内」1899

 さて、私にここちよいアート散歩は、ここまで。第4室以降の現代美術は「さてはて」と「わからん」の連続。報告は次回。



<つづく>
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ぽかぽか春庭「谷内こうた展 in ちひろ美術館」

2023-08-06 00:00:01 | エッセイ、コラム

20230806
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩炎帝(1)谷内こうた風のゆくえ展 in ちひろ美術館

 コロナ禍により休館していたちひろ美術館。久しぶりにお出かけしました。今のすまいから、遠いです。中井まで都営大江戸線、西武線にのりかえて上井草まで200円。上井草から徒歩10分なのですが、前には出ていた駅からの案内板がない。スマホ地図を見ながら暑さの中、ようようたどり着きました。コロナ休館中に案内板をすべて撤去してあったのだそうです。再開したのだから、案内板も復活してほしいところ。
 
 暑さからの回復するために、飲み物片手に2階のビデオコーナーで黒柳徹子が語る「ちひろ美術館とわたし」を見てすごす。
 てつこさんは、「あの画家に会いに行きたい」と思っているうちに、ある朝、いわさきちひろ逝去の新聞記事を読んで、会ったこともない人なのに、悲しくて号泣したという当時のエピソードを語っていました。

 いわさきちひろ(1918 - 1974)56歳の生涯は長いとはいえない人生でしたが、死後50年たつ今も人気の高い絵の数々。東京の自宅跡地に建てられたちひろ美術館も、とても心地よい場所でゆったりすごすことができます。

 東京には大名庭園も大富豪庭園もいろいろ残されていますが、ちひろ美術館の庭はこじんまりとしていて、テラス席でお茶を飲むのにほっとひといきできる場所です。今回は暑すぎて、ロビー席でのお茶でしたが。


 谷内こうた(1948-2019)は、叔父谷内六郎のすすめにより、若いころから絵本作家イラストレーターとしてデビュー。順調な画家人生をスタートしました。71年の生涯のうち、大半をフランスルーアン市を中心とするヨーロッパで家族とともにすごしました。アトリエでの制作はルーアン、発表は日本、という生活でした。今回は没後最初の回顧展です。

 これまでは、谷内こうたの作品、絵本で見てきました。
 「なつのあさ」を、娘に何度読み聞かせしたことか。だっだっしゅっしゅ、という汽車の音を読むと、どの子も笑顔になると思います。

会期:2023.6.24 - 2023.10.1

展示室前

展示室内


 谷内こうたの油絵タブローを見るのははじめてです。

海辺の親子 1998


レストラン 1997


 絵本やイラストの仕事も素晴らしいですが、叔父谷内六郎は、油絵タブローを描くことを強く勧めました。絵描きは油絵を描いて認められるという時代でしたから、売れっ子イラストレーターは、画家の仲間にも入れられず、六郎は差別も味わったからです。甥の鋼太には、油絵を描かせたかった。こうたはフランスを中心に油絵を描き、日本での発表も続けました。

ノルマンジーの家 2003


  花りんご(絶筆)2014   リラの家2012


 気持ちのよいちひろ美術館の小さな庭

<つづく>
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