春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

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ぽかぽか春庭「2015年6月 目次」

2015-06-30 00:00:01 | エッセイ、コラム



20150630ぽかぽか春庭>2015年6月 目次

0602 ぽかぽか春庭アート散歩>梅雨どきアート(1)ベルナルダ・アルバの家
0603 梅雨どきアート(2)上村松園と女流画家展in山種美術館
0604 梅雨どきアート(3)ピカソとクレーとエルンスト新潟美術館展in目黒美術館
0606 梅雨どきアート(4)長倉洋海写真展in吉祥寺美術館

0607 ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記6月(1)2003年の星野道雄展
0609 2003三色七味日記6月(2)2003年の地下鉄文庫の本
0610 2003三色七味日記6月(3)2003年のあえて毀傷せざるは
0611 2003三色七味日記6月(4)2003年のグループホーム
0613 2003三色七味日記6月(5)2003年の合唱大会
0614 2003三色七味日記6月(6)2003年の吉野家擬古文
0616 2003三色七味日記6月(7)2003年のめぐり逢う時間たち
0617 2003三色七味日記6月(8)2003年の海のオルゴール

0618 ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>ことばの知恵の輪(1)ベクション
0620 ことばの知恵の輪(2)ドローン&囲み
0621 ことばの知恵の輪(3)夏至

0623 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十五夜満月日記6月(1)緑道散歩with姑
0624 十五夜満月日記6月(2)伸びきり蕎麦屋談義
0625 十五夜満月日記6月(3)ラベンダーポプリ
0627 十五夜満月日記6月(4)雨の日に

0628 2015読書メモ(1)2015年上半期に読んだ本メモ
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ぽかぽか春庭「ブックスタンド2015年1~6月」

2015-06-28 00:00:01 | エッセイ、コラム

モネ「読書する女」

20150628
ぽかぽか春庭ブックスタンド>2015年1~6月読書メモ

・百円本半額本 @図書館本 ¥定価購入本 *図書館廃棄本)

<日本語・日本言語文化>
・大野晋  『日本語の水脈』1993新潮文庫
・石田英一郎『日本文化論』1987ちくま文庫
・末木文美士『日本仏教史ー思想史としての』1996新潮文庫
・ドナルド・キーン『明治天皇四』2001新潮文庫

<評論・エッセイ>
・澤地久枝 『昭和・遠い日近い人』2000文春文庫
・澤地久枝 『別れの余韻』1987文春文庫
・司馬遼太郎『沖縄・先島への道』1997(1978)朝日文芸文庫
・司馬遼太郎『台湾紀行』1997朝日文芸文庫
・司馬遼太郎『中国・蜀と雲南の道』1997(1987)朝日文芸文庫
・司馬遼太郎『中国・江南の道』1997(1987)朝日文芸文庫
・司馬遼太郎『甲州街道・長州路』1998(1978)朝日文芸文庫
・司馬遼太郎『陸奥のみち肥薩のみち』1998(1978)朝日文芸文庫
・司馬遼太郎『越前の諸街道』1997(1987)朝日文芸文庫
・司馬遼太郎『明治という国家 上』1994NHKブックス
・杉本苑子 『片方の耳飾り』1983中公文庫
・小原祥嵩 『ミャンマー経済で儲ける5つの真実』2013幻冬舎新書
・鴨志田穣西原理恵子『アジアパー伝』2003講談社文庫


<小説・ノンフィクション>
・石川淳  『狂風記 上下』1985集英社文庫
・池澤夏樹 『カイマナヒラの家』2004集英社文庫
・高野秀行 『アヘン王国潜入記』2008集英社文庫
・田辺聖子 『姥ざかり花の旅笠―小田宅子の「東路日記」』2004集英社文庫
・高田宏  『言葉の海へ』1984新潮文庫
・三上延  『ビブリア古書堂の事件手帖4栞子さんと二つの顔』2013アスキー・メディアワークス

<アート>
・朝日新聞編集部『世界名画の旅 Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ』1985朝日新聞社
¥中野京子 『怖い絵2 泣く女編』2008朝日新聞社

~~~~~~~~~~~~~~~~~
 4ヶ月に一度にまとめていた読書メモ、今年は半年に一度にしました。4月から通勤電車読書の時間が半分以下になったので、本を読む時間が大幅に減るだろうという予想をしたからです。
 1ヶ月に4冊程度の読書量、半分以下という減り具合ではありませんけれど、これからますますゆっくり本を読む時間が減っていくのではないかと思います。ただし、ヤンゴンでの教員宿舎ではインターネットが使えない、という通信事情であるので、宿舎では、夜の間本を読む以外時間をつぶす方法がない、ということになるのかもしれません。
 ヤンゴンに何を持っていくか、思案中。

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ぽかぽか春庭「雨の日に」

2015-06-27 00:04:31 | エッセイ、コラム
20150627
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十五夜満月日記6月(4)雨の日に

 九州では集中豪雨となっている今年の梅雨。関東地方ではあまり雨が降らず、今年はカラ梅雨かと思っていましたが、26日は昼からしとしと降りの雨が夜まで続いています。 雨も家の中で眺めている分には、少しもいやではないですが、でかける用事があるときは、自転車でのお出かけはあきらめ徒歩になるので、出かけるのがおっくうになります。

 金曜日夜のジャズダンス練習も、いつもなら自転車で練習場所の文化センターへ行くのですが、雨の日は、地下鉄とバスと徒歩で30分以上かかってしまいます。
 26日夜、徒歩で歩道を歩いていたとき、傘を差していたために前方から猛スピードで近寄る自転車に気づきませんでした。深くさしていた傘に打ちつける雨音のために、自転車の車輪の音が、耳の遠い私に聞こえなかったのが、いけませんでした。白いビニールコートを着た男性が自転車ですれちがいざま、「邪魔だ!!」と大声で叫んだので、びっくりしました。

 自転車の人にしてみれば、もたもた歩くオバハンがしゃくに障ったのだと思いますが、歩道は基本的に人が歩くための道です。
 私は車道を自転車で走るのはこわいので、歩道に人が少ないときは歩道を走らせてもらうこともあります。でも、人が歩く道だと思うので、人を追い越して走ることはしません。いったん降りて自転車を押して、少し広いところに出てから自転車に乗ります。私の自転車に、チリンチリンのベルはついていません。前行く人にどいてもらおうとしないので、必要ないのです。
 
 6月1日から自転車の交通ルールが変わったそうです。
 自転車を運転しながらのイヤホン・傘さしなど、安全運転基準に違反し、逮捕もありうるとか。歩道では徐行が当然になり、猛スピードで歩道を走ってきて、歩行者に「邪魔だ!」と、どなるのは、完全に安全基準違反。
 私は、自転車くらい、法律でガチガチに決めてしまうのではなく、互いの気遣いによって、より楽しく道を通れるのではないかと考えてきましたが、今日、歩行者の立場で危ない目にあい、自転車の規制も必要なのかなあとちょっと、方針変更。

 ヘルメット着用規制も自治体によって出されているのですね。万が一事故があったとき、ほんとうに頭を守れるくらいの強度があるヘルメットを求めるなら、2万円から3万円以上はするものを選ばなければならないそうです。あらら、ヘルメットのために貯金しなければ。

 さまざまな決まりが、それぞれの立場によって、解釈がことなったり、どうも法律には弱いのですが、基本的な理解の方法として、法は「より立場の弱い者を守るためにある」というのが、私の解釈です。自転車と歩行者なら、歩行者の安全を考え、国と人なら、国家の権力は、人権や人の幸福を踏みにじるものであってはならないと考えます。

 国の権力が、人の心を踏みにじることなきよう、願っています。
 「政府の意に沿わない記事を載せる新聞社には、広告をださないよう、企業に言えば、新聞はつぶれてしまう」という言論の自由を踏みにじり、権力の暴走を認める発言をする「お友だち」に囲まれた方、自分の考えがすべて正しく、自分の意をくまないヤカラはつぶしたいとおもっているのでしょうけれど、、、、
 私は、人を優先しつつゆっくり走って考えます。止まない雨はないと信じて。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「ラベンダーポプリ」

2015-06-25 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150625
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十五夜満月日記6月(3)ラベンダーポプリ

 今年もラベンダーポプリの時期になりました。
 出講先のキャンパスにラベンダーが咲く一角があって、許可を得て、毎年6月下旬に切り取らせてもらっています。
 ラベンダーポプリの作り方を覚えて以来、せっせとポプリを作って、香りのプレゼントにしています。さまざまな形のポプリがありますが、私ができるのは、スティックタイプのみ。また、こぼれた蕾を集めて匂い袋にいれます。

 昔は手芸が好きで、ぬいぐるみとか、紙粘土の人形とかとか日用品の小物作りを楽しんでいました。今、もの作りの趣味は娘に移動しています。私の手仕事のうち、今も続けているのは、このポプリ作りだけ。
 ポプリ作りに必要なのは、包装用のサテンリボン。道具はハサミ。とても簡単ですが、見た目もきれいだし、ラベンダーの香りもかなり長持ちします。「本来の香りが衰えたあと、ラベンダーオイルを一滴垂らして香りを長持ちさせることもできます」と、ポプリ作りを教えてくれたボランティアの人は言っていたけれど、花自体の香りもけっこう長持ちします。

 キャンパスのラベンダー、管理をしている係の人は「ラベンダーは、株を長持ちさせるために刈り込みを行わなければならないので、剪定代わりに、適度に切ってくれたほうがありがたい」と言うのですが、私以外、だれもラベンダーに近づきません。ミツバチがブンブン飛び回り、クマンバチまで飛んでいるからです。若い子たち、蜂が苦手みたいです。
 ミツバチは、花の蜜を吸うのに忙しくて、たまにハサミが花を切り取っても気にしなません。蜂をいやがって叩いたりすればあちらも攻撃してくるけれど、仲良く蜜と花を分け合おうとしていれば、刺されることはありません。

 ラベンダーの香りには鎮静作用があり、リラックスしたいとき、興奮した神経をやすませたいときに、心をおだやかにする効果があるそうです。アロマセラピーにはラベンダーから抽出したラベンダーオイルが使われることも多いですが、花の自然の香りもすてきです。枕元におけば安眠の友。

今年の春庭ラベンダーポプリ。ぎゅっとリボンを締めなければいけないのに、ちょっとゆるゆるのリボンになってしまい、形が悪いです。


 毎年恒例の行事って、「今年もこのイベントを無事執り行うことができた」という自分への確認になるようです。「今年も無事、梅仕事ができた」とか「○○にお参りできた」とか。私には、このポプリ作り、「今年もラベンダーを生かすことができた」という安心材料です。

 紫色の花もきれいだし、香りもいいし、栽培もとくに難しそうじゃないので、お庭のある方には、ラベンダーを数株植えることをおすすめします。種からでも挿し木でも。
 ラベンダーの語源はラテン語で「洗うlavare」で、古代ローマでは風呂に入れたり洗濯したあとの衣類香りづけに使ったりしたそうです。
 ラテン語で「手をきれいに洗う」は、lavare manus bene。現代イタリア語で「手を洗う」はLavo una mano。lavareは、古代フランス語ではLaunder 。英語ではLaundryです。

 今年もポプリを作り終えて、私の心も洗われたかな。春庭は、いつもヒガミ嫉みそねみやっかみばかりのそうとう邪悪な心の持ち主なので、ちょっとやそっとのlavareじゃ、きれいにできないかも。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「伸びきり蕎麦屋談義」

2015-06-24 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150624
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十五夜満月日記6月(2)伸びきり蕎麦屋談義

 私にとって最高のうどんは、母の手打ちうどんであり、最高の蕎麦は、父の手打ち蕎麦です。父は、母の死後、蕎麦打ちが趣味のひとつになり、やもめ暮らしのつれづれに自分で蕎麦を打つのを楽しみにしていました。蕎麦の実を知り合いの蕎麦栽培農家から分けてもらい、縁側に特注の石臼を出してゴリゴリと蕎麦の実をひきます。機械でひくのと異なり、どうしてもそば殻が混じってしまうので、茹であがりはかなり色黒な蕎麦でした。素人が十割蕎麦を打つのはとても難しいとのことで、つなぎに卵水ととろろ汁を入れてうつのですが、ぶつんぶつんと短くなった蕎麦でした。味はいいけれど、見た目が悪い。

  そんな器量悪い蕎麦を「また、蕎麦?」と言いながら食べていたけれど、父の死後、父の蕎麦ほど味がよい蕎麦にはめぐりあっていません。
 どんな老舗の蕎麦屋でも、十割蕎麦という看板が出ていても、父の蕎麦に比べれば、老舗も立ち食い蕎麦屋も五十歩百歩なのです。

 住まいの団地から徒歩10分くらいのところにある蕎麦屋、そこにあることは30年も前から知っていましたが、今まで一度も入ったことがありませんでした。
 6月19日の昼、午前中の用向きをすませてビルの外に出ると雨。傘も合羽も持っていたけれど、ちょうど昼時でもあるし、無理して雨の中を動き出さなくても、小止みになるまで待っていようと、ビルのとなりのその蕎麦屋に入りました。

 外観が古びていることは外から眺めて知っていましたが、店の中も相当な古び具合。足の悪いおばあさんが出てきて「いらっしゃい」と言う。昼時だけれど、店に客は私だけ。
 おばあさんがテーブルの上のメニューを指さしたので取り上げたら、ぼろぼろのメニュー表にまずびっくり。ビニールカバーのメニューがべたべたしている。イマドキこんなメニューおいておくことに驚きながら、とにかく、看板メニューらしい十割蕎麦とてんぷらを注文しました。セットで1400円。

 店内には古い芸人やタレントのサイン色紙類が所狭しと貼られていて、昭和のイメージ。ガラスケースの中に、狐面のコレクション。小上がりのテーブル3つのうち、2つは客が座るスペースがあるけれど、1つは雑然とものが積み上がっていて、「何年掃除していないんだよ」という雰囲気。

 エビ1本とピーマン半分のてんぷらがのった皿がきました。そばつゆもきたけれど、自慢のテンプラというので、塩を所望する。おばあさんは「この塩は名のある塩で、ほかの塩とは違う」というので、「どこの塩ですか」と尋ねたら「どこだっけな」と頼りない。テンプラに塩をふったが、塩の瓶の穴がつまっていて塩が出てこない。

 おばあさんが「このエビはいいエビなんです」と自慢するが、エビの衣がぼてっとしていて、おいしくはなかった。おばあさんは、「十割蕎麦出している店、この区ではまえは2軒あったけれど、今はうちだけ。うちのおにいちゃんががんばって出しているから」と、言う。店主は、おばあさんの息子だろうけれど、妹がいたのだろう。それで、自分の息子のことを子どものころのまま「うちのおにいちゃん」と呼んでいるのでしょう。

 しばし待つうちに、蕎麦せいろがきました。量はまあまあ。近頃の老舗蕎麦屋の盛りそばせいろときたら、私のくちだと2口3口で食べ終わるほどしかのっていないことが多い。
 色が白い蕎麦。味は、別段立ち食い蕎麦と変わりない。

 ほかに客がいないので、店主が出てきて蕎麦の講釈を始めました。店主、中年、小太り、テンパー頭。北海道のどこそこの蕎麦であること、石臼で挽いていることなどをとうとうと語ります。この店は100年前に創業した由緒ただしき店で、そこらの蕎麦屋とは違う、という自慢。

 私の父が石臼をごりごり手で回してひいた蕎麦は、どうしてもそば殻が混じってしまって色黒だったのに、この店のは、石臼でこんなに白くひけるのかとびっくり。
 あとでわかったことに、店主が石臼でひいたというのは、石臼風の機械挽きのことでした。

 女の人が店の入り口に立ちました。雨は小降りになっています。「すみません」と女の人は、道をたずねていました。店主は「ほら、道教えてほしいんだって」と、おばあさんをせき立てました。おばあさんは足が悪いので、店の入り口まで出て行くにも時間がかかります。女の人は、店から人が出てこないので、立ち去りました。おばあさんは女の人をおいかけて、店の外へ。
 「お兄ちゃん」が道案内を自分でしないで、足の悪い母親に言いつけたこと、私にはまず「親不孝」にうつりました。
 店主は、道案内をするより、私を相手に講釈を続けたかったのです。
 ここまでの店主蕎麦蘊蓄は、私がこれまで仕入れた蕎麦に関わる蘊蓄以上のことがらはありませんでした。私は蕎麦畑を見て育ったのです。

 やがて、蕎麦話は、全国の有名神社の参道にはうまい蕎麦屋が多いという話になり、神社のどれがいい神社でどれが悪い神社なのか、という話になりました。店主によれば、全国の神社は、よい神社と悪い神社に分かれているのだそうです。それでもまだ私は、小降りのうちに店を出るタイミングをはかりたいと外の雨を眺めながら、話半分に聞いていました。

 店主の話は、小中学生が事件をおこすのは、道徳教育をきちんとしていないからだ、それも日教組が教育を悪くしたからだ、というふうになっていきました。靖国神社はとてもすばらしい神社で、全国の小中学生をお参りさせるべきだ、と店主のご意見。
 安倍さんはちゃんと靖国神社にお参りしたいのに、中国とか韓国がいらぬおせっかいを言ってきて、共産党とかそれにのって反対するから、ことしもお参りできないんじゃないかなと、店主、残念がる。

 店主は政治も語り、安倍さんはがんばっているのに、憲法もなかなか改正できなくて困る、武装に反対する人たち、沖縄で中国漁船が珊瑚密漁をしているのをどうしてくれるんだ、と怒る。中国は武力で脅さなければラチがあかない国なのだそうです。
 日本の政治は、日本全国を神社の霊力によってタダしていくべきだ、いうふうになっていきました。

 「神社や日本の教育をちゃんと考えて、日本の代表として国連に行っている人がいるんだけれど、とてもすばらしい人なんだ」というところまできて、鈍い私も、ああ、蕎麦の話がしたいんじゃなくて、その「すばらしい人」の話をしたいのだ、と気がつきました。

 「その人、お名前はなんとおっしゃるのですか」とたずねると、カウンターのごちゃごちゃものが積み上がっている中から赤い表紙の本をひっぱり出して「この本を書いた人です」という。著者紹介を見ると、新聞の広告欄で著書の広告や経営している進学塾の広告でしょっちゅう見かける人でした。

 「この本さしあげます」というので、本をもらったことにお礼を言って立ち去ろうとしたけれど、店主は話しをやめずに、この著者がいかにすぐれた人物であるかをとうとうと語りだしました。霊界にも通じ、国際社会でも才能を評価されている人物なのだそうです。私は、本の最後の経歴欄を見て、「ああ、あの新興宗教の教祖やってる人だ」とわかったので、一度小やみになったのに、立ち去る機会を失ったことを後悔しながら、まだ降り続いている中、百円ショップで買ったビニールレインコートをひっかぶって、帰宅することにしました。2時間も店主の独演会「深○東○先生がいかにすばらしい人か」という講義をきいたのですから、十分おなかいっぱいです。
 2時間店主の話をきいたのに、雨やまず。蕎麦屋だけに、ツユはとぎれず。

 晩ご飯どき、もう一度この店の前を通ることになりました。出先に忘れ物をしたので、とりに行ったのです。(あちこちに忘れ物をするのは常習です)
 7時の晩ご飯時分でしたが、やはり客はひとりもいませんでした。店主が真ん中のテーブルで、「偉大な先生」の本を読んでいるのが見えました。

 「偉大な先生」の著書『強運』というタイトルの本、はじめのほうをぱらぱらと見たところ「強運を呼び込み繁栄するには、整理整頓掃除が肝要」と、書いてありました。
 ものが積み上がってごちゃごちゃの店内、ぼろぼろベタベタのメニュー。店主は、エライ先生の著書を読むより、まず掃除をすべきなんじゃないかしら。そうすれば、週末の晩ご飯時に、客がひとりもいない、という事態が少しは改善すると思うのだけれど。

 そして、通りかかった人が駅までの道を尋ねたとき、足の悪い老いた母親に道案内を言いつけるのでなく、さっと人に親切をほどこす「情けは人のためならず」を実践していれば、百年続いてきたと自慢する老舗を維持していけるんじゃないかしら。このままでは先代のころには、「うまい生蕎麦」と評判だったせっかくの老舗、近々つぶれるのかも。

 ネットの店評価には、「手打ちでもない蕎麦を手打ちと称して売るような店、先代にたいして恥ずかしくないのか。早くつぶれてしまえ」という激辛のコメントがのっていました。

 店主、ワー○ドメ○トという新興宗教にお賽銭つぎ込み続ければ、きっと強運がついてきて、また店が繁盛すると信じているんだろうな。

 私の周囲には、反核反戦反原発という考えの人が多く、正反対の考え方の人から直接話を聞くチャンスが少ないです。
 日本は完全武装して中国をやっつけるべきだとか、神社にお参りしない人が不幸な目にあうのだ、とか、霊界に通じているエライ人がいるのだ、とか、私の考え方とは異なる意見の持ち主の話を聞いていて、とても興味深く感じました。

 私、自分自身は不信心者だけれど、新興宗教の教祖やら会長やらに夢中になって帰依している人、きらいじゃありません。帰依する対象を持っている人は幸せだろうなあと、うらやましく思います。

 ご近所だし、しばらくして、店主が私に『強運』をくれたことを忘れた頃にまた食べにいってみよう。きっともう一冊『強運』をくれるんじゃないかしら。

 娘に本を見せたら「どうしてそういう怪しげな本、持って帰ってくるのよ」と叱られました。娘は大の宗教嫌いなのです。この「偉大なセンセー」の広告も見たことがあって、アヤシゲな顔と思っていたのですって。
 私は、宗教は別段好きでも嫌いでも無いけれど、仁戸田六三郎の一般宗教学と島薗進の新興宗教学はとても楽しく講義を聴きました。鰯の頭も信心から。

 梅雨時の蕎麦屋談義でした。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「緑道散歩with姑」

2015-06-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150623
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十五夜満月日記6月(1)緑道散歩with姑

 姑の退院以来、感心なことに、夫はほぼ毎晩実家に泊まっています。舅が亡くなって姑がひとり暮らしするようになっても、親の家にほとんど立ち寄らないできた夫、「忙しいからのんびり親の顔なんぞ見ていられない」と、言い訳していました。

 忙しさを言い訳にして、不孝者を続けてきたけれど、さすがに、九十媼の母親に不義理をしたら寝覚めが悪かろう。姑は、心臓を悪くし、タンパク質も塩分も糖分も制限された食事しかできなくなったので、ひとり息子の顔を見るくらいしか楽しみがない。90才すぎての入院と退院をさかいに、親孝行息子に変身です。

 姑はデイケアセンターに火~金で通って、昼ご飯を食べ、お風呂に入ります。デイに行かない日曜日は、娘が姑のお相手役。いっしょに買い物に出かけたりおしゃべりしたり。
 私は、土曜日に仕事を入れたので、日曜日は出かけずに、家で洗濯やお茶碗洗いで一日終わってしまうことが多くなりましたが、6月14日の日曜日は、娘といっしょに姑の家へ行きました。

 姑は、デイケアセンターの「お習字の時間」にご不満で、「30分の交代制で、墨汁で書きたい字をそれぞれが勝手に書くだけなのよ。先生もいないし、上達できない」と、文句。「ちゃんと墨をすって書きたいけれど、30分だけだから、墨すっただけでおわっちゃうもの」
 でも、「散歩の時間」にみなでいっしょに出かけるのは気晴らしになるし、お友達ができたので、おしゃべりするのも楽しい、と、デイケア生活はまあまあ納得しているようです。

 納得できなかったのが、デイケアに行かない月曜日に派遣をおねがいしたヘルパーさん。お掃除や洗濯をしてもらうことになっていましたが、「きちんと掃除してくれない」と不平を言っていました。トイレの掃除を頼んで、トイレに髪の毛1本落ちていても「いらいらする」と言うきれい好きの姑。

 ついに「いらいらするから、もうヘルパーさん断った」というのです。入院前に来てくれていたヘルパーさんは、きちんと掃除してくれるひとだったけれど、今の人は気に入らないので「もう自分でリハビリのつもりで掃除するから、来てもらわなくてもいい」と、断ったのだそうです。
 姑の気がすむようにしたらいいと思うけれど、たぶん、嫁が同居して掃除していたら、行き届かない嫁への不満が爆発していただろうと想像できます。

 姑と娘の「お買い物散歩」につきあって、隣町まで行きました。
 姑が「杖で歩けるかどうか試してみる」というので、私は「歩行補助カート」を押して後ろからついていくことにしました。杖で歩くのに疲れたら、カート歩きに変更できます。姑の家近辺は静かな住宅街ですが、隣の駅は東京でも若者が集まる人気のスポットになっています。隣町まで、ずっと緑道が続いています。桜のころは見事な並木で花見散歩にいいところです。

 電車で行けば2分くらいでつく隣の駅の町。距離にして1kmちょっとなので、普通の人の足なら15分も歩けば着きます。しかし、娘とおばあちゃんが買い物散歩に出ると、おばあちゃんが買い物カートを押して、娘が付き添ってゆっくりゆっくり、途中休み休み行くので、30分以上かかる。
 そこを杖でさらにゆっくり歩き、途中所々で休憩を入れながら歩いたので、1km歩くのに、小1時間かかりました。

緑道を杖つきながら行く姑


 隣町の買い物目的地は、マツモトキヨシ。ここで前に買った「カロリーゼロのマンナンゼリー」の買い置きがなくなりそうなので、買い足しに来たのです。おなかがすいたとき、パンなんか食べるとたちまち血糖値が上がってしまって、担当の看護師さんに「何か、決まった食事以外に食べましたか」と叱られてしまうので、マンナンゼリーでおなかの足しにしているのだそう。

 私と娘の散歩なら、ついついマツモトキヨシの2階にあるスイーツの店に入ってしまいそうですが、おばあちゃんには目の毒な店。
 緑道のベンチでおやすみしただけで、帰りはタクシーでまっすぐ帰りました。

 行きは歩きで、少し休んで帰りはタクシーで、というのが、姑散歩のコースになっています。家に引きこもっていると足腰弱るから、歩きたいけれど、往復歩く体力はなし、片道散歩がちょうどいいみたい。

 タクシーを降りると、玄関先には梅雨時のアジサイが咲いています。ご近所のあちこちにアジサイが咲いていて「この家も、あちらのも、うちのアジサイを分けてあげたのよ」と、姑はおヨメに出したアジサイを教えます。なんだかヨメに出した先で咲いているほうが色あざやかな気がします。雨が降らない日があっても、水やりなどできなくなった姑なので、色が悪いのかもしれません。

姑の家のあじさい


 「おばあちゃん、杖でよくがんばったね」と、娘に言いました。娘は、「あれは、そうとうくたびれたかも知れない。でも、母がいるから、元気なところを見てもらおうと、見栄はって歩いていたんだと思うよ」
 そうか、でも、元気ぶりたい気力があるのはなによりです。

 花の色は褪せても、足腰弱ってきても、姑の生き抜こうとする意欲は衰えず、また、毒舌は相変わらずです。ほんと嫁のほうが、気息奄々のありさまですが、娘のばあちゃん孝行に感謝しつつ、がんばります。

 娘は、6月21日、姑の家に行って「夜、父が泊まりに来たら、これ渡してね」と、おばあちゃんに「父の日プレゼント」を託しました。五月に東急ハンズで絵付けをした陶製ペン立てです。「ありがとうのひとことも返してこない父だけれど、あげとかないと、あとで拗ねるからメンドクサイ」と、娘の弁。姑も自分の息子の幼いときの思い出話をするとき「めんどくさい子だった」と言うのです。めんどくさい子が育ってめんどくさい父親になったのだから、順当な成長というべきか。

 退院後の姑の暮らしがまずまず平穏なものになったこと、「めんどくさいタカ氏」と「めんどうみのよい娘」がいてくれるおかげと、思います。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「夏至」

2015-06-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150621
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>ことばの知恵の輪(3)夏至

 1年で一番昼間が長い日、というのが夏至だと思ってきました。でも、天文学では太陽が夏至点を通過する日。すなわち、太陽が天球上の黄経90度の点を通過する日。今年2015年は6月22日です。

 夏至から半夏生(太陽が天球上の黄経100度の点を通過する日)までの間、日本では田の仕事もさまざまな農作業も忙しい時期なのだからか、お日様に関わる祭りも神事もそれほど盛んな行事もないのが不思議に思います。ヨーロッパなどでは、夏至を祝う祭りが盛んなのに対し、ちょっと寂しい。6月月末には茅の輪くぐりなどがありますけれど。

 シェークスピアの『夏の夜の夢A Midsummer Night's Dream』は、夏至の夜という説と五月の夜という説と両方が出ているそうですが、やはり夏至のほうがなんとなく景気がいい。

 ハロウィーンもバレンタインデーも商魂に乗せられる形ではあるものの、日本の若者達は上手に楽しむ日にしているようです。ミッドサマーにはなにやら祭りが仕掛けられているのでしょうか。
 それともコンビニの商法によって節分に恵方巻きが仕掛けられたように、「夏至にはこれを食べろ」的な食べ物がすでに売り出されているのやら。土用の丑の日のうなぎがすでに定番になっているため、夏至の当日の食べ物というのも、まだ特に盛り上がっていないみたい。

 冬至にゆずを風呂に浮かべて入るとか、端午の節句には菖蒲湯に入るとかに比べて、夏至の湯は特に聞かないし。どうも夏至は人気薄です。
 そんな存在感薄めの夏至のために、春庭は、ひとり夏至祭りを決行。
 ジャズダンス仲間のミサイルママの2015年夏至まつり。若者の集う「クラブ」にはじめて行き、踊ってきたそうです。連れて行ってくれた若い同僚は、仕事着からセクシー衣装に着替えてお立ち台で踊っていたけれど、さすがに還暦過ぎでお立ち台には上がることはしなかった、という夜中のメールをもらいました。
 夏至の一日、太陽の黄経90度通過のお祭りを、私もひとりで、、、、、

<おわり>
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ぽかぽか春庭「ドローン&囲い」

2015-06-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150620
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>ことばの知恵の輪(2)ドローン&囲い

 2015年5月に新聞テレビを賑わしたことばのひとつが「ドローン」です。
 15才の少年が人混みにドローンを飛ばして「祭り警備への威力業務妨害」なんぞで補導され、物議をかもしました。

 ドローンは少し前から話題に上っていました。もともとは軍事用偵察機として開発されたようですが、私がこの「自動操縦小型ヘリコプター」の民間活用を知ったのは、小笠原諸島西之島が噴火して、島の形がどんどん変わっていくころでした。人が近づけない島に、この「ビデオカメラ付き自動操縦小型ヘリコプター」を飛ばし、島の貴重な固有生物などがどうなっているのか調査した番組を見たときでした。2013年ですから、それほど昔のことではないですが、それ以来、あっという間の「ドローン」の浸透でした。

 あれよあれよと言うまに、この小型ヘリコプター「ドローン」という名が社会に広まり、「ドローンによる宅配サービス」などが話題になりました。
 一般の人が買える価格になった現在、ドローンの使用についての社会合意がなされる前に、「首相官邸屋上への着陸」「15才の少年によるドローン飛行操作」が「悪徳」として話題になったのです。早速規制案が出てきました。

 これらの事件は、「ドローン」という「物」「機械」の存在を世に広めましたが、私が新しく知ったことばは、「囲い」という「人」「現象」についてです。

 15才の少年が、学校に行くことを拒否し、自分の枠の中だけで生きている。そのこと自体は、彼の選択なのだから、少年とその家族にまかせるべきだろう。しかしこの事件には「囲い」と呼ばれている一群の人々がいて、少年はこの「囲い」の人々に「囲われて」いたのです。

 ネット社会で「囲い」と呼ばれる人々。最初は、「ニコニコ動画の生中継コンテンツを応援する人」「おもしろい生中継動画のファン」でした。

 ニコ動による「囲い」「囲い厨」の解説では。
 ファンと囲いという用語について。「囲い厨」は元来、出会い目的の者を指す語だったが転じてファンであるリスナーが自ら名乗る、または(生)放送主がファンに囲われることを歓迎するケースがある。これらの場合、リアルで接近することを目的とした出会い厨としての囲いでなく、ネット上に限られた配信者とファンという関係を保つために、配信者が放送中に嫌悪感を抱くなどして放送を辞めてしまったり、ファンリスナーが離れることを回避する必要性が生じ、その配信者や自分以外のファンリスナーを擁護するなどして放送をサポートする。この種類のファンによる行為も囲いと呼ばれることがある。

 単なるファンの応援コメント書き込みからエスカレートして「あおり」や「やらせ」まで行き着くまで、あっという間のできごと。

 ドローン少年にも特定の「囲い」ができました。囲いたちは少年をはやし立て、おだてあげるコメントを寄せる。少年は自分の行為を撮影して動画サイトに投稿することによって、ファンから誉められ社会から一定の認知を得られることを感じるようになりました。
 少年がドローンを購入したり、映像を作ったりする資金を与える囲いが現れます。少年はより上位の機種を買い、囲いたちのあおりに乗せられていく。

 囲いたちは、ある程度の金額を提供することにより、自分はなにひとつ手をくださずに、他の人物に「突出したできごと」を行わせ、おもしろがったりスリルを味わうことができます。
 一連のドローン動画は、まだ自己判断力、自己決定の力が弱い少年に対して、囲いの大人たちが資金援助することによってエスカレートしていった、と言えます。

 ネット社会では、従来の人間関係とは異なるつながりが生まれてきます。生動画の放送主と「囲い」の関係は、事業主とクラウドファンディング(Crowdfunding)と相似形です。
 群衆(crowd)と資金調達(funding)を組み合わせた造語「クラウドファンディング」は、不特定多数の人が、直接に、またインターネット経由で他の人々や組織に財源の提供や協力などを行うことを意味します。ソーシャルファンディングとも呼ばれ、ある事業に投資する資金提供者は、その事業に魅力を感じることによってお金を投じます。

 自分が魅力を感じた動画生放送に、資金を提供することも、提供者は「趣味を楽しむ」のと同じようにお金を出したのでしょう。
  5月のドローン事件では、生放送主となったのが15才の少年であったため、問題となりました。
 
 働いているコンビニストアの冷蔵ケースの中に横たわる映像をyoutubeにアップした男性は「馬鹿なやつ」とは思いますが、22才でした。コンビニの本部は、フランチャイズのこの店との契約を解除。店の経営者にとっては、大きな損害が生じる事件になりましたが、損害賠償などは本人の責任において行われるでしょう。

 15才少年の将来、どうなってしまうのかを案じています。
 手を下さずにスリルが味わいたい「囲い」にひとこと。「動画投稿者は匿名であるため、年齢がわからなかった」という言い訳はするな。いまどき、名を知らぬ年も知らない相手に資金援助として金を出すなら、被提供者に代わって責任をとるくらいの覚悟を持って「囲い」をやってほしい。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ベクション」

2015-06-18 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150618
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>ことばの知恵の輪(1)ベクション

 はじめて見聞きした語や、それまで誤解していた言葉の本来の意味がやっとわかったとき、できるだけメモしようと思っていたのに、このところサボっていました。新しく覚えた言葉も多々あったけれど、覚えるはしから忘れていくのもあるし、何を覚えたのか、書き留めないうちに、ずっと前から知っていたような顔をして使うようになったりしています。
 2015年5月に知った、新しい言葉、書き留めておきます

 ある物や、ある現象を目で知り身体で感じていても、その名前を知らない、というとき、その名前を知ると、「ああ、そうだったのか」と腑に落ちます。

 たとえば、荷物を送ったり受け取ったりするとき、割れ物などを包んでおく、気泡が入ったビニールの包み。包みから荷物を出したあとは、たいてい空気の入っているところをプチプチとつぶして遊ぶ、あれです。「エアパッキン」「エアクッション」という商品名を知ったときも「気泡緩衝材」という正式っぽい名前を知ったときも「へぇ、なるほど、そういう名前だったのか」と、納得しました。

 今回知ったのは、脳の知覚や心理学などの専門用語です。専門用語だから、一般には知られていないことばなのですが、それが表している現象については、だれでも経験している。
 止まっている電車に乗っていて、まだ発車していないとき、隣のホームの電車が動き出したとき、自分の方が動き出したのだと錯覚することが、あります。
 
 子どものとき、水路にかかる橋の上にいて、水路の水を眺めていると、いつのまにか橋が動き出し、遠くとおく旅することができました。ふっと水を見るのをやめて、周りの景色を眺めると元いた場所なのですが、水を眺め続けている限りは、どこまでも橋は動き続けていたのです。

 こういう現象を、専門用語では「視覚誘導性自己運動知覚」英語では「ベクションVection」と言うのだと、知りました。おお、子どものころのあの橋の旅行は、ベクションがなせる旅だったのか。

 自分ではなく、周囲が動いているのに、自分自身が動いているように感じる、こういう脳の働きをベクションと言う。最近では、運転シュミレーションとかパイロット養成のシュミレーション訓練にも取り入れられています。もっと身近な例でいうと、遊園地などにも、アミューズメントアトラクションとして取り入れられています。椅子に座って映像を見ているだけで、宇宙旅行やジャングル奥深くを探検できるアトラクションです。

 目から入る錯覚の現象や耳による錯聴など、人間の目や耳はとても簡単にだまされます。これは、人の脳の働きによるのです。

 私にとっての「新しく知ることば」
 新聞からは、新しいカタカナの言葉を仕入れるし、明治大正昭和前期の著作物からは、漢字の言葉を知ることができます。学生からは「若者ことば」を仕入れます。
 ベクションは、「キワミコトノハ」という専門用語を取り上げる番組で知りました。

 そのほか、去年あたりから大いに人の口に昇るようになったことば「爆買」とかいろいろありますが、「周辺事態」だとか、「重要影響事態」だとか、さっぱり理解できないことばもあふれてきました。「意味ワカンナ~イ」と、理解できないうちに、とんでもないことになってしまうのかも知れず、言葉には鋭敏でいたいと願っているのに、この私の脳では把握消化できないうちに、自分ではとどまっているのだと錯覚しているうちに、どこやらに運ばれていくのかも知れない、と警戒しています。

 なにしろ、人の脳は、自分の周りが動いているのを見つめていると、自分が運動しているという錯覚に陥るくらいヤワな脳なのですから。
 平和な世にするためなんだよ、と言われているうちに、脳は「武器をとることが平和を守ることなんだ」と知覚するようになるのかもしれません。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年の海のオルゴール」

2015-06-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150617
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記6月(8)2003年の海のオルゴール

2003年三色七味日記再録を続けています。
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2003/06/28 土 くもりときどき小雨
日常茶飯事典>南蛮屏風と『海のオルゴール』

 出光美術館の「京の茶陶展」を見た。サブタイトル「仁清・乾山を中心に」仁清は偽物騒ぎの一件しか知らないし、乾山は光琳の弟というしか知らない。
 それに私が茶碗をみても、さっぱりどれがいいのか悪いのかわからないのであった。百円ショップのそれっぽい茶碗をガラスケースに入れて、「これは江戸期の知られざる名品です」と説明されれば、ほう、なるほどと思ってみるであろう。

 収穫は屏風。酒井抱一の「十二ケ月花鳥図貼付屏風」作者不詳の「南蛮屏風」など。
 南蛮屏風は『留学生のための日本史』のポルトガル人来航の説明に使われている。白黒のちいさな図版で、これまで犬だと思って見てきたのは、今回実物を見て、はじめて山羊だということがわかった。留学生に「これが本物」と見せたくて、絵はがきをさがしたが、教科書に載っている部分の絵はがきはなくて、南蛮船の部分がはがきになっていた。

 出光美術館に何度かきたことがあったと思うが、ムンクとルオーがロビーにあったのは記憶にない。ムンクの「遺伝」というタイトルの絵。ひざの上に死んだ赤ん坊を乗せ、母親らしき女が泣いている。赤ん坊は胸に赤い斑点を浮かべ、やせこけている。単に病気の子供が死んだというより、「遺伝」とタイトルをつけられると、いっそうなんだか悲劇的なような気がする。

 帰宅したらテレビの『海のオルゴール』を松雪泰子の竹内てるよ、池内博之のてつやでやっていて、娘と息子が見ていたから、いっしょに見た。モー娘。がでるというので、27時間テレビをみていたら、このドラマになっちゃったんだって。皇后が竹内の詩を引用したことからのドラマ化らしい。

 出産したものの、てるよは脊椎カリエスのため、息子を他家へ里子に出すことになり、自分も婚家をでる。詩人として成功した後、てるよは必死に息子をさがす。息子はやくざ組織に入り、何度も犯罪を繰り返す。息子の尻ぬぐいを続けながら息子を待ち続けるてるよ。最後は息子の死を見届ける。

 こちらはなんとも古めかしい典型的な「母モノ」。息子が何度罪を犯そうと、母は無限の愛を持って息子を待ち続け、受け入れる。これぞニッポンのハハなんである。このようにハハの愛が皇后のお墨付きで、存在するのであるから、ニッポンの息子どもは安心してマザコンしていられるのである。

 ニッポン教とは、けだし「母の愛」がミオシエのおおもとであるなあ。大地母も阿弥陀の愛もすべてを許し受け入れる。

本日のイザナミ: 大地母イザナミを地下においやり、太陽神アマテラスのほうを至高神とした思想操作はいかに可能となったのか


2003/06/29日 日 曇り
ジャパニーズアンドロメダシアター>『裸足の1500マイル』

 午後、息子と映画『裸足の1500マイルーうさぎよけのフェンス』を見た。

 隔離政策によって母親と引き離された3人の少女が収容所を逃げ出し、母親のもとへ帰るまでの9週間の逃亡生活の話。そもそもアボリジニを主人公にした映画というのを初めて見た。実話によるストーリー。
 最後に主人公のふたり、モリーとデイジー姉妹の本物がオーストラリアの大地を歩く姿がでると、涙がでた。モリーは結婚後も収容所に入れられ、再び逃亡する。しかし、モリーの生んだ娘は3歳のとき収容所行きとなり、モリーと娘は二度と会えなかったという。

 収容所長のネビルはデビルというあだ名を持ち、「野蛮なアボリジニの中でも白人の血を分け持ったハーフを教育してやり、文明の光を与えてやるのが正しい道」と信じ込んでいる男。狭矮な白人キリスト教絶対主義が、世界中のマイノリティに果たした不正義を代表する男。
 収容所でおとなしく教育され、「白人家庭の忠実な召使い」として働くようになたメイビスは、オーストラリアの大地で暮らすより幸福になれたか。「旦那様」の蹂躙におびえ、人間の尊厳を失いながら生きるしかなかったのに。

 モリーは、頭のいい子だ。教育を受ければ、もしかしたらアボリジニ解放のために働ける人材になれたかもしれない。しかし、学校教育を受けさせるためにネビルたちが子供を選別する方法は「色がより白い方が優秀」という基準だった。
 モリーは西洋式の学校教育を受け損ねたが、アボリジニーの伝統的な生活の知恵を身につけ、人間らしい尊厳を忘れることなく生きることができた。

 現在、収容所への隔離生活を余儀なくされたアボリジニの中には、アイデンティティの不在のため心を病む人がいるのだという。オーストラリア政府は、彼らが人間としての尊厳を持って自分たちの文化を守って生きていける政策をきちんとつけるべきだろう。後からやってきて、勝手に入植し勝手にうさぎよけフェンスを張り巡らせたのは、白人なのだから。オーストラリアの大地は本来アボリジニのものだ。北海道が本来アイヌの大地であるのと同じように。

本日のつみ:コロニアリズム


2003/06/30 月 晴れ
ジャパニーズアンドロメダシアター>『モンド』

 漢字作文2コマ。

 キャサリン・ヘプバーン死去。彼女の戦前の作品はあまり見ていないが、戦後日本で公開された作品のほとんどを見たと思う。とても好きな女優だった。ファンレターを出したいと思っていた唯一の女優だったけれど、英語が書けないまま、ついに出さなかった。『冬のライオン』『ベニスの夏の日』『黄昏』、どれもすばらしい作品、すばらしい演技だった。

 昨日見た、併映作品「モンド」というフランス映画。

 海辺の町にやってきて、皆になぐさめや癒しを与えた浮浪児モンドの話。最初画面に現れたときは、浮浪児とは思えないこぎれいな身支度にかわいい顔。こういうかわいい顔の男の子が家もなしに生き延びられるとは、なんてのんびりした町なんだろう。大都会なら、たちまちどこかの組織に誘拐されて、男娼としてどこかの金持ちに売り飛ばされてしまう。
 警察は浮浪児を収容しようとやっきになる。「子供が学校にも行かずに町を徘徊するのは、教育上も治安上もよろしくない」からである。

 不法就労のジャグラーや、ホームレスのダディや町のパン屋、金持ちのベトナム系ユダヤ人の老女。皆、モンドが大好きで彼を助ける。気まぐれにモンドは金のありそうな男に「僕を養子にしてくれる」と声をかけたりするが、彼を本気で養子にしてくれそうな老女には「養子にして」とは頼まない。
 病気になったモンドは施設に送られたが逃げ出す。施設で暮らせば、食べ物はある。風呂に入れば清潔でいられる。でもそれがなんだっていうんだろう。自分で自分の生活を決定できることの幸せは、それを奪われたことのない人には想像できないのかもしれない。

 モンドが駐車場で倒れるシーンなどいくつかの場面で、野良犬とイメージが重なる。もしかしたら、モンドとは「自分を人間の子供だと思っている野良犬」だったのかと思うけど、釣り人のおじさんから文字を習って、つづれるようになっていたので、やっぱり人間だったのかな。キャッチコピーは「現代のおとぎ話」だったので、よけいなことを考えずにモンドの自由な暮らしを見つめてやればいいのだろう。そしてそんな自由を許さない社会とはなにかも。

 日本で、小学生くらいの男の子がホームレス生活をしていたら、「彼を養子にして引き取ろう」と思うより先に「この子をちゃんと児童施設に保護して教育をあたえてやるべきだ」ということになるだろう。

 「うさぎよけのフェンス」「モンド」とも、人間らしい暮らしとは何か、人間が尊厳を持って生きるとはどういうことか、と見る者に考えさせてくれた。
 
本日のうらみ:パンは食えるが、我が不自由なくらし

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20150617
 毎日仕事の帰りには、地下鉄のエレベーター、住まいの建物9階に上がるエレベーターの中で、後ろについている鏡に向かって「お仕事ご苦労さんでした。今日もいっしょうけんめい働いたね。がんばってきたね」と、声をかけてやります。誰もほかにいない時だけですけれど。
 言ってくれる人ないから、自分で言って誉めるんです。

 心の中で言うより、声に出して言ったほうが、脳への影響が大、と聞いたので、ちゃんと声に出しています。きっと脳内ホルモンが出てきて、元気な声で「ただいま」とドアを開けられます。
 どっと疲れて帰ることもあるけれど、よどんだ声で「ただいま」と言ったのでは、楽しく晩ご飯が食べられないと思うので、できるだけ元気に。

 単純な自己暗示法ですけれど、いいことばかりではない世の中で、せめて気分だけは落ち込まないように。明日もなんとか生きていけますように。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「2003年のめぐり逢う時間たち」

2015-06-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150616
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記6月(7)2003年のめぐり逢う時間たち

 2003年の三色七味日記再録を続けています。
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2003/06/27 金 晴れ
ジャパニーズアンドロメダシアター>『めぐり逢う時間たち』

 ビデオ、会話3コマ。

 夕ご飯、有楽町駅前の可口飯店でタイ風やきそばと春巻きを食べる。バンコクに本店があるコカレストランの支店。たぶんバンコクの華僑が始めたのであろう、タイ風味の中華。昭和初期に建てられたらしい古い3階建てビルをそのまま使って、内装も古くてぼろいままで経営している。中国の食堂を思い出す。
 タイスキが名物らしいが、フォーを炒めた焼きそばにナンプラーをかけて食べた。春巻きが辛かったので、ついビールを頼んだ。ビール飲んで眠くなると困ると思いつつ。
 レジにいたのは、オーナーかマネジャーか、いかにも「若い頃はさんざん遊びまくったけれど、今はこのレストラン経営で青年実業家にのしあがろうとしているのさ」という雰囲気の30代くらいの男。野心をソフトさで押し包んではいるが、抜け目のなさは見え見え、という感じだった。

 有楽町ピカデリーで「めぐりあう時間たち」を見た。ドア前に並んで、入場したけれど、中はがらがら。最終上映時間で、10分くらい予告編を見た。ディズニーの『カリブの海賊』の予告に、ゾンビみたいのがでてきてとても怖かったので、次のホラー映画の予告になったとき、目をつぶって画面を見ないようにした。そして目をあけたら、なんと『めぐり逢う時間たち』本編は半分終わっていた。
 ヴァージニアウルフが小鳥の葬式をするシーンからみた。ストーリーはおおよそ知っていたけれど、なんてこった。

 エイズで死にかけている詩人のメークと、最後にでてくる年老いてからのローズブラウンのしわ顔メークがすごいと思っただけ。半分寝ていておもしろくなかったというのもなんですが、あんまりおもしろくなかった。メリルストリープはいつものメリル演技だし。

 ニコールキッドマンが主演女優賞をとったことが、この映画のウリ?キッドマンの主演作では『ある貴婦人の肖像』を見たことがある。
 ヴァージニア・ウルフは、もっと四角い感じの女というイメージがあったので、ニコールキッドマンでは線が細すぎる気がした。しかるに、私とてヴァージニアの実物をみたわけじゃなくて、本の扉についていた写真をみてそう思っただけ。

 考えてみるに、私がヴァージニアウルフの名前で思い出すのは映画で見た『ヴァージニアウルフなんか怖くない』であって、読んだことのあるウルフの作品は、英文学の授業で読んだ『幕間』だけだった。『幕間』も、翻訳の順番が回ってきたので、翻訳本を買い、なんとか自分の翻訳の割り当てをこなした、というだけの読書だった。このとき、「翻訳の順番がまわってくるのが怖い→ヴァージニアウルフがこわい→ヴァージニアウルフなんかこわくない」ということで、ヴァージニアウルフときたら、映画でエリザベステーラーがわめいていた顔と結びついてこわい四角い女というイメージができあがったのだろう。

 主人公3人の女のうち、1949年の「平凡な主婦の人生にあきたらないローズ」が、2001年のエイズ詩人の母だったというのが最後にわかるってとこだけが「へー3つ」。小説執筆の中で精神の平衡を失い、入水自殺するヴァージニアも、第2子を産む前に自殺しようとして果たせなかったローズも、10年レズビアン同棲を続け、人工授精で生んだ娘とは別居している編集者のクラリッサも、中途半端にしか描かれていないという感想。3つの時間の交錯は何の相乗効果もない。三つのオムニバスを並べた方がまし。

 クラリッサが幸福について語ることば「あるすばらしい朝、私はこれから幸福がはじまると感じた。でもそれはちがった。はじまるんではなく、その瞬間こそが幸福そのものだったのだ」それは、とてもよくわかる。人生のあらゆる瞬間。幸福を感じ取るべき瞬間が訪れる。幸福を感じとれるか感じ取れないかは、人による。

 ローズは模範的な亭主にも、母を慕う息子にも幸福を感じられなかった。これから生まれる赤ん坊にも。彼女は出産を終えると家族を捨てて、カナダの図書館に仕事をみつけた。図書館で働く人生は、人形のように夫に愛され、ふたりの子どもを育てる人生より幸福だったろうか。しわを強調したメークからは、人生の荒廃と退屈と孤独だけが感じられて、現在が満ち足りた幸福な生活であるようには見えない。
 それでも彼女自身が決定して選んだのだから、悔いはないのだろう。母に捨てられたトラウマを抱えたまま、窓から身を投げた息子のリチャードは、リチャードの人生を自分で作り上げるしかなかったのだろうし、ローズはローズの人生を自分でえらぶしかない。アメリカの母と子の人生。

本日のうらみ:ビールめ、ホラー映画め

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20150616
 『めぐりあう時間たち』を、私は都合3回見ました。2003年6月に有楽町ピカデリーで、2003年10月に飯田橋ギンレイホールで、そして、もう一度、テレビ放映で見たのか図書館のDVDで見たのか忘れたのだけれど。
 
 私は演劇でも映画でも舞踊でも見巧者として見ることがなく、いつもミーハーとして見るだけなので、4度めに『めぐりあう時間たち』を見たとしても、この映画を十分に理解することができないんじゃないかな。相変わらず『ダロウェイ夫人』を読んでいないし、LGBTについての理解も深まっていないし。クラリッサがダロウェイ夫人のファーストネームであるってことすら、知りませんでした。

 2001年のアメリカのクラリッサにも、50年代のローラにも、20年代のイギリスのヴァージニアにも、感情移入も共感もできないので、映画を作った人たちには、すみませんねぇ、理解の足りない鑑賞しかできなくて、と思います。

 私のように、母親としても教師としても中途半端な類型役割を演じることでかつかつ生きてきた女は、良妻賢母ロールをきっぱりうち捨てて一人で生きることを選んだローラの孤高からもっとも遠い者であるだろうと感じるけれど、まあ、私のショーモナサは、今も2003年もカワリがないということだけが、確かなことで。

 それにしても、12年前の金曜日の夕食、私はどうして一人で有楽町可口飯店で食べて一人でビール飲んだのでしょう。さっぱり思い出せません。
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年の吉野家擬古文」

2015-06-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150614
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記6月(7)2003年の吉野家擬古文

 2003年の三色七味日記を再録しています。
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2003/06/26日 木 曇りのち小雨 
アンドロメダM31接続詞>「駄目人間血風録」の吉野家話擬古文訳

 日本事情作文2コマ。

 先週土曜日に久しぶりに吉野屋で牛丼を食べた。相変わらず殺伐とした「餌補給所」という雰囲気で、とても人間様のお食事所という感じじゃない。なぜなんだろう。280円の並に半熟卵つけて400円。私にしてみれば、特別安上がりな食事でもない。
 しかし、290円のラーメンを食べる店より、格段に「荒廃感」がただよう。うらぶれた、腹が減った人々がつかのま腹を満たしに来るところ、というこの「吉野家感!」というのも、また貴重な存在なのかもしれず。

 久しぶりに「駄目人間血風録」を見て、なぜ吉野家で牛丼を食べる気になったか、わかった。ここの掲示板に「ちかごろの吉野家」という投稿があったのをずっと以前に読んだからだった。
 今日サイト訪問してみれば、その「吉野家話」が古文訳されている。書き手はヒゴ。


さても聞こしめせよ>>1。刷れとかかはりなきことなれど。

きのふ近うある吉野家に行きたるに、なでふこともなう人のおほくあれば、えもゐられず。

よう見るに、垂れ幕の下がりてあり、百五十円引きとなむ書きたる。あなや、をこかな、しれ者かなと。

わぬしら、よき人は百五十円引きばかりにてひごろ来も来ぬ吉野家になどか来たらむ。百五十円よや、よや。

親子連れあり。一族郎等ひきつれて吉野家に来たる、いとむくつけし。
あまつさへ、てて様は特盛頼まうわいの、など言ふ様こそ、かたはらいたけれ。百五十円給ぶに往ねよかし。
さるは、吉野家てふ所、げに殺伐たらむこそつきづきしけれ。
ひの字めく餉台のあなたざまに居たるをのこどもの、いさかひいつ始まらむともしらず、かたみに刺すや刺さるるやと案ぜらるるけしきのいとをかしかるべきを、をんな子らはいぬべし。

かかるうちに、やうやうゐらるるかと思ひしに、傍らなるしづ山がつの、大盛露だくをとかや言ふを聞くに、さらにこそぶち切れたれ。

いで、露だくなるはこのごろにてはつゆ流行らざるを、げにをこざまなるかな。したり顔して何のつゆだくをや。
さはまことに露だく食はまほしきものかと問はばや。問ひ詰めばや。半刻ばかりぞ問ひ詰めばや。

むげに露だくと言はまほしきのみにやあらむ。
吉野家知りたるまろに言はすれば、月ごろ吉野家知りたる人の間につとに流行らむは、なほ葱だくにこそあらめ。

大盛り葱だくかりのこ、これなむ才ある人の頼み方なる。
葱だくてふは、葱の多く入りたるに、肉の少なめなる。これこそ。
また大盛りかりのこは、いふもおろかなり。

さるに、こを頼めば次より雇ひ人に目つけらるるは必定ななれば、危ふき諸刃の剣にて、つたなき人にはえ薦めぬわざにこそあんなれ。

とまれかうまれ、わぬしらつたなき人は牛鮭定食などやうをば食へかし、とこそ。
 

 この擬古文訳は、BBS168から175まで同じ「吉野家話」がコピーされて並んでいる「荒らしにしちゃ中途半端な行為」に対して、「やるならこれくらいの技をみせろ」という先輩の意地をみせたものと私は解釈した。

[175] 無題 投稿者:モナー 投稿日:2003/04/30(Wed) 16:33:44 No.175 [返信]

昨日、近所の吉野家行ったんです。吉野家。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。

で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、150円引き、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。

お前らな、150円引き如きで普段来てない吉野家に来てんじゃねーよ、ボケが。
150円だよ、150円。

なんか親子連れとかもいるし。一家四人で吉野家か。おめでてーな。
よーしパパ特盛頼んじゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。

お前らな、150円やるからその席空けろと。
吉野家ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。

Uの字テーブルの向かいに座った奴といつ喧嘩が始まってもおかしくない、刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと座れたかと思ったら、隣の奴が、大盛つゆだくで、とか言ってるんです。

そこでまたぶち切れですよ。
あのな、つゆだくなんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、つゆだくで、だ。

お前は本当につゆだくを食いたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、つゆだくって言いたいだけちゃうんかと。

吉野家通の俺から言わせてもらえば今、吉野家通の間での最新流行はやっぱり、
ねぎだく、これだね。

大盛りねぎだくギョク。これが通の頼み方。
ねぎだくってのはねぎが多めに入ってる。そん代わり肉が少なめ。これ。
で、それに大盛りギョク(玉子)。これ最強。

しかしこれを頼むと次から店員にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。

まあお前らド素人は、牛鮭定食でも食ってなさいってこった。

 

 ま、私がAO入試担当者なら、この擬古文訳を見ただけで、入学を許可するが、もちろんヒゴくんもミナイレイジもとりあえず第一志望校は東大なんだろうな。
 我が息子も高校生になったら、このくらいのお遊びはやってのけられるようになるといいのだが。
 授業では、中1で竹取&百人一首、中2で平家&雨月、中3の今は大鏡を読まされているが、我が息子の古文点数は悲惨なものである。英語や数学が悲惨なのはわかるが、古文くらい点数をとってほしいもんだ。

本日のかこみ:文屋(あやや)は吉野家とともに、ミナイくんヒゴくんの東大受験を応援しています。
 食うからに大盛り玉入りしおるれば、むべつゆだくをDQNといふらむ。<文屋の安いヒデェ意味不明。春庭


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20150614
 春庭が応援していた高校生ブロガー薬袋黎爾(みないれいじ)クンは、どうやらラノベ作家としてのペンネームは、篠山半太と名乗っているらしい。ガセネタが多いネット情報だから、確かなことなのかどうかもわからないけれど。

 160人の同期生のうち100人が東大に入る高校だったけれど、みないれいじくんは東大ではなく、AO入試で山形大学に入学。→京都大学編入、という大学生活をおくったのらしい。(不確定情報)
 これが本当としたら、受験勉強がいやだからAO入試で潜り込めそうな地方大学に入学しておいて、転入学が比較的楽勝な京都大学に入り直した、という受験戦略も、いかにも頭のいい子がやりそうな。(学歴ロンダリングとも言う)

 みないれいじくん、30才になった今は、何をどうしているのだろう。
 見ず知らずのオバハンが、人知れず彼の行く末を思い、薬袋黎爾の才能開花を待っていたことなど、まったく知らないだろう。これもネットのご縁ですね。今も作家を目指しているのなら、どうかよい作品を生み出してほしい。

 薬袋黎爾クンのサイト「駄目人間血風録」は、今では完全に削除されてしまったらしく、検索しても出てきません。検索して出てくるのは春庭サイトのみ。あるいは、パスワードをかけないと出てこない設定になっているのかも。
 いずれにせよ、春庭Annexというこんな辺境サイトに自分たちのお遊び文章がコピーされていたとは、知らないだろうと思います。

 ヒゴくんの書いた擬古文吉野家話、本人の思惑はどうか知らないけれど、その文章をおもしろいと感じた者がいて、こうしてコピーしておいた。これがネットの恐ろしさかも。一度世に出たものは、完全に消し去ることはできない。
 二枚舌を使って論を左右する政治家とちがって、一度した発言に対し、ネットはシビアです。

 高校卒業の日、みないれいじくんは、式で国歌演奏が流されている間、ひとりでインターナショナルを高歌放吟したという。(これまた不確定情報。ガセかも)。惜しむらくは、我が息子は、みない君の高校卒業式には在校生として出席していないので、このインターナショナルを聞いていないこと。息子は、高校入学式の日以後、一日も授業に出席せず、16才の夏に高校卒業資格認定試験に合格した後、退学してしまったから。

 息子も、みないれいじくんも、ヒゴくんも、自分の未来に向かっている最中ならいいな。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年の合唱大会」

2015-06-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150613
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記6月(5)2003年の合唱大会

 2003年の三色七味日記再録を続けています。
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2003/06/20 金 晴れ 
日常茶飯事典>合唱大会

 ビデオ会話3コマ。

 合唱大会、今年は金曜日開催で休めない。娘に参観を頼んだら、姑がいっしょにいきたいというので、姉と祖母の参観ということになった。
 息子のクラスは優秀賞優良賞をのがして、大衆賞獲得。まあ、よかったのではないか。
 
 ホームセンターで荷物運搬台車を1300円で買って、息子に古いモニターを飯田橋の事務所まで持っていってもらう。大きなブラウン管モニターが鎮座したままでは新しいパソコンをセットすることができないからだ。
 赤帽に頼んだら6000円かかるというので、「ゲームしたいなら飯田橋まで運んで。少しは貢献しないとパソコン使わせないよ」と頼むと、「合唱大会してきて疲れているのに。明日は水泳大会なのに」と文句をいいながら、運んでくれた。ゲームサイトを見られなくなったら困るから。
 古いモニターと修理後のパソコンは事務所で娘が使うことになった。

本日のつらみ:土曜日じゃないと、学校行事に参加できないのに、土曜は休みの学校


2003/06/21 土 晴れ
ジャパニーズアンドロメダシアター>楽友会コンサート

  午後、2時から楽友会のコンサート。今日はロシアの曲が中心。オケの配置がロシア方式で、バイオリンが両翼、コントラバスがシモテ、打楽器がカミテだった。どの曲もとてもよかった。無料でこんなにたのしめるイベントはそうない。
 アマチュアのオーケストラの中で、どれくらいの実力があるのか知らないが、私にはプロオーケストラと遜色なく聞こえる。聞く人が聞けば、プロとアマの差は歴然なのかもしれないが、私はこの楽友会の音色が好き。

本日のどれみ:第1バイオリンと第2が両翼にくると、どう音がちがうのか、わからず


2003/06/22 日 晴れ
ジャパニーズアンドロメダシアター>『怒りのぶどう』

 12時半に阿子さんと待ち合わせたのだが、埼京線のホームで待っていてと言われ、私の早とちりで、行き違ってしまった。阿子さんは下車駅の池袋の埼京線ホームで待っていて、私は阿子さんが電車に乗る駅で待っていた。おまけに池袋で美弥さんと待ち合わせたのに、改札のはじとはじにいて、お互いを捜してしまい時間をくった。
 
 阿子さんも美弥さんも視覚障害者なのだから、私がしっかり見つけなければいけなかったのだが、私は美弥さんに会うのははじめてなので、わからなかった。阿子さんと美弥さんは「見えないふたりだけで、イタリア旅行した仲」という仲良しコンビ。
 お昼ご飯を食べる予定だったのに、2時の開演時間に間に合わないと困るので、三人で一皿のサンドイッチをとっただけで、サンシャイン劇場に入った。

 阿子さんが賛助会員になっている劇団昴。視覚障害者むけの音声ガイドや点字パンフレットに力を入れていて、客席へのサポートもきちんとしている。今回は芸術祭大賞をとった『怒りのぶどう』の凱旋再演。演出のジョン・ディロンを含む役者のアフターステージトークショウ付き。

 阿子さんは今回に備えて、スタインベックの点字本『怒りのぶとう』全11巻を読んだのだって。私は、はるか昔に「少年少女名作ダイジェスト」みたいな版で読んだだけで、本当の原作は読んでいない。ダイジェスト版だって、こまかいところはみんな忘れている。
 長いカルフォルニアへの移住の物語をうまく処理してあるし、役者も熱演でおもしろかった。最後のローズが瀕死の男に授乳するシーンも、宗教的なこうごうしさがでて、感動ものだった。

 チーズとワインを買いたいという阿子さんを案内して、デパ地下へ。阿子さんが「今まで食べたカマンベールチーズの中で一番おいしかった」とおすすめのボンジュールカマンベールというフランス製のチーズを、私もためしに買ってみた。
 そのあと8階レストラン街で中華を食べた。ちゃんと美弥さんをみつけて案内できなかったおわびにおごったささやかな夕食。

本日のみみ:視覚障害者用のイヤホンを私もつけてみて、どのように解説しているのかわかった


2003/06/23 月 晴れ
日常茶飯事典>インターネット接続

 漢字作文2コマ。

 やっとパソコンを箱から出して、線をつなぐ。一太郎は導入できたが、インターネットとプリンターがわからない。
 OCNサポートセンターに電話して、インターネットに接続した。わけわからずやっているので、何度も失敗したり、同じことを繰り返して聞いたり、本当にたいへんだった。電話サポートのおねえさんもこんなわからない素人を相手に懇切丁寧におしえなければならないので、たいへんだろうなあ。でも、とにかくネットとメールが復帰した。

 辰巳国際プールで東京都中学校水泳大会の成果。一昨日の一日目、息子はメドレーリレーのアンカーだったが、力泳むなしく、チームが失格。第2泳者から第3泳者のつなぎがフライングと見なされて失格になったのだと。息子、日頃の練習不足がたたって「泳いでいると足がつれる」と言っていて、自分の足がつれたせいでぼろ負け、という事態をおそれているふうだった。「自分が原因じゃない失格」という結果で、むしろほっとしたという感じ。息子は自分のせいでチームが負けたりするのが本当にいやみたい。
 だから、球技などのチームプレイができないのだが、個人競技の水泳にも、リレーというチームプレイはある。昨日は個人種目だけなので、気楽に泳げた。負けてもいいから、楽しめって、思うけれど、競技する本人はそうはいかないのだろう。

 インターネットをつなぐのも、リレーをつなぐのも、やっている本人は必死である。

本日のいさみ:勇み足フライングで失格


2003/06/24 火 曇りのち小雨 
日常茶飯事典>プリンターインストール

 わけわからないまま、プリンターに接続しインストールした。機械に弱く、パソコンのパの字もわかっていないのに、セットアップから周辺機器接続、インターネット接続、全部やって、本当に私はえらいと思うので、娘に「ほめて、ほめて」と、自慢する。娘も「はい、はい、えらい、えらい」と、いかにも「自分がかり出されるまでもなく、面倒なことが終わってよかった」という調子で答える。

 娘は「秋葉原で買うときにつきあってあげた。優柔不断の母ひとりでは、とうていどれを買うか決断できなかったはず。私の貢献度はもう十分」と思っているし、息子は「合唱大会を終えて疲れて帰ってきて、翌日は水泳大会があるというのに、飯田橋の事務所までじゃまなモニターを届けてやった。もう貢献度は十分」と思っているので、インストールの世話までしたくないと思っている。
 とにかくこれで、前と同じパソコン環境になった。

 ビックカメラから連絡があり、古い方は修理代5万弱、修理期間は10日くらいかかるという話。どうしようかと思ったが、娘が使うというので修理を依頼する。

本日のねたみ:パソコンに強い人、うらやましいぞ


2003/06/25日 水  午前中雨午後曇り 
ジャパニーズアンドロメダシアター>劇団パレット公演『まほろば』

 午前中Aダンス。午後教授法2コマ。

 アンさんに、先週の芝居のお礼を言う。
 土曜夜、神楽坂のディープラッツェというスタジオで劇団パレットの公演『まほろば』を見た。アンさん所属の学生劇団の招待券をもらい、「見に行くから」と約束した。何の期待もなく「寝ないで見られたら上出来」と思っていた。しかし、思ったよりひどくはなく楽しめた。

 役者は滑舌悪いし、脚本にも穴がある。それでも面白かったから、いいんじゃないの。ただ、衣装の縫製がひどかった。最初はわざとこんなにひどい縫製にして、新旧ふたりの「みかど」の権力が「はかなくもろい、すぐほころびる見かけの権力」であることを象徴しているのかと思ったが、そういうわけでもなく、単に裁縫できるスタッフがいなかっただけみたい。
 何にせよ、学生劇団は本人たちが楽しんでいるのが一番いいのだろう。

本日のひがみ:若いうちはほころびもよし

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20150613
 関東地方梅雨入りの平均日は6月8日なのだそうですが、ほんとうにジメジメしてきました。 自転車で出かけることが多いので、雨の日は出ぶしょうになります。家にいると、なにかしら食べてしまうので、梅雨時はダイエットの大敵。って、食べなければいいだけなんですけれど。 
 
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ぽかぽか春庭「2003年のグループホーム」

2015-06-11 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150611
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記6月(3)2003年のグループホーム

 12年まえのひつじ年2003年の三色七味日記を再録しています。
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 2003/06/15  日 晴れ
日常茶飯事典>グループホーム

 スモモさんとお墓参り。そのあと、グループホームへ。松伯母を見舞う。
 伯母を連れだし買い物。スモモは夏物の衣類などを買ってあげる。「こっちのワンピースとこれ、どっちが好き」と聞かれると、伯母は「こっちじゃ、ちょっと年寄りっぽい」と、必ず派手なほうを選ぶ。88になるのだから、十分年寄りだと思うのだが、半分惚けていても気は若い。

 私は甘いおやつを買ってくる。伯母に面会して外に連れ出すたびに「おまんじゅう食べたい」というからだ。自宅で気ままに定年退職後の年金生活をしていた伯母は「今日の昼ご飯はおだんご5本」とか、好き勝手な食生活をしていた。
 ホームでは栄養バランスを考えた食事を提供しているので、甘いものは制限しているという。本当は勝手におまんじゅうなど食べさせたらいけないことなんだろう。
 だが、スモモの考えでは「いまさら栄養バランスに注意しても意味なし。食べたいというものを食べて栄養が片寄っても、本人は幸福だろう」

 伯母はおまんじゅうをこっそり食べながら、きっと100歳まで生きちゃうんだろう。

本日の甘味:酒饅頭とシュークリーム


2003/06/16 月 ときどき小雨 
日常茶飯事典>秋葉原のリストラコーヒー
 
 漢字作文2コマ。

 午後、秋葉原へ行って、何軒かパソコンの売り場を見た。娘を呼んで、相談。新品のIBMを店舗で扱っているところがあったので、今までと同じ「ネットビスタ、ウィンドウズ2000」を買った。本体8万、エプソン液晶モニタ3万。プリンターは買う予定じゃなかったが、店頭ディスプレイ使用後のものが15000円だったので買った。使用済みのものだが、新品と同様に1年間の保証もついているというので。スキャナーとコピーがついているプリンタ。

 ミスドでお茶。ウェイターが「これまでダスキンで長年働いてきたけれど、リストラかミスドに出向か選ばなくてはならず、やむをえず、ここでコーヒー運んでます」みたいなオジサンが2階にふたり。きっと肩書きは「フロアマネジャー」とかになっているんだろうが、「定年間近になってコーヒー運ぶ仕事にかわるとは思わなかったよ」という顔をしていた。

 コーヒーのおかわりを頼んだ。私のカップについだ後、周りのコーヒー飲んでいる客に「おかわりいかがですか」ときいていたが、いかにも「私、本来こんな仕事をする人間じゃないんです」というオーラがでている。2杯目のおかわりは、おじさんが奥のスタッフコーナーにいる間に、若いウェイトレスに頼んだ。

 なぜ、おじさんのコーヒーはおいしそうじゃないのか。コーヒーを注ぐという単純作業も、客とウェイターウェイトレスのつかのまのコミュニケーションだからだ。いっぱいのコーヒーで、仕事の合間や、買い物疲れの体にうるおいとやすらぎを注ぎたいと思って飲む。それが、おじさんが楽しくなさそうにせつなそうについだコーヒーではやすらぎが減る気がしてしまう。コーヒーいっぱいそそぐにも、「このコーヒーでくつろいでね。」というオーラが感じられるなら、よいウェイターウェイトレスだ。

 ホテルのコーヒーショップなどでは、とても慇懃丁寧な接客が訓練されている。こういう慇懃さを心地よく受け止める客層がくるからだろう。私は、ホテルマンの接客はあまり好きではない。客を値踏みする視線が含まれているからだ。
 「ホテルマンから値踏みされたとき、明らかに貧困階層と見なされることからくる劣等意識」をかかえているから、ホテルの喫茶店が好きになれないのだ。「貧乏だっていいじゃないか」と言いながら、貧乏な自分にときどきうんざりするのを、確認しなければならないのがいやだからでもある。いっぱい2千円のホテルのコーヒーは飲めず、ミスドでお変わり自由250円のコーヒーをお変わりして飲んでいるからである。

本日のひがみ:「滝沢」の一杯千円だって、高いと感じてしまう 


2003/06/17 曇り 火 
ニッポニア教師日誌>授業

 漢字、SFJ3コマ。

本日のくみ:1くみも2くみも、ちょっと疲れ気味


2003/06/18 水 曇り 
ニッポニア教師日誌>授業

 午前中Aダンス。 午後教授法2コマ。

本日のなやみ:ダンスのふりつけ、さっぱり覚えられず


2003/06/19 木 晴れ 
ニッポニア教師日誌>授業

 日本事情作文2コマ。

 木曜日出講先のコンピュータ使用番号をもらった。家のパソコンがこわれたとき、学校のが使えると便利。コードをもらい、学生パソコン室や教職員用教材作成室で使えるようになった。

本日のそねみ:コードをもらったが、自分のと違う仕様のパソコンはわからない

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20150611
 娘はおばあちゃんと「お買い物散歩」をしていると「おばあちゃんは、お寿司食べたいなあ、天ぷら食べたいなあって、ため息つくから、かわいそうになっちゃって」と言う。私と娘の考え方では「食べたいもの制限したままあと20年生きて111さいめざすより、食べたいもの食べたいだけ食べてあと10年、100才になれれば、幸福なんじゃないか」と思うのだけれど、」姑は、医者の指示を確実に守って、まんじゅうなど決して食べない。
 血糖値を下げる注射を毎日受けていて、先日は低血糖で具合が悪くなったのだという。毎日看護士から注射を受け、週一回は訪問診察を医者から受けているのだけれど、なかなか血糖値管理もたいへんなんだろう。

 テレビを見ていたら、血糖値コントロールは、野菜を食べればOKなのだと放送していました。だったら、簡単だと思うのだけれど.
 私の母は毎日たっぷり野菜を食べる生活だったけれど、長年糖尿病を患っていたので、「野菜たっぷり」というのも、ほんとにほんとなのかなあと思います。何事もすぐには信じられず、疑うクセがついている。でも、毎日の、朝はヨーグルト&バナナ、晩ご飯は野菜たっぷり、は間違ってはいないようなので、続けます。

<つづく>、 
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ぽかぽか春庭「2003年のあえて毀傷せざるは」

2015-06-10 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150610
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記6月(3)2003年のあえて毀傷せざるは

 2003年の三色七味日記を再録しています。
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2003/06/11 水 
日常茶飯事典>あえて毀傷せざるは

 朝、息子を病院の眼科に連れて行く。目が痛いというので。炎症がおきてはれているが、ものもらいとは違うといわれた。

 娘はピアスの穴が化膿したが、どの病院も皮膚科は水曜日にやっていない。それで近所の小児科医院にかかる。帰ってきてぷんぷん怒る。「ピアスは、身体を傷つけるからやめろっていわれた。医者は悪いところを治せばいいのであって、人のファッションにあれこれ説教しなくてもいい。だからあの医院には行きたくないって言っていたのに、お母さんが勝手に予約をいれちゃうから」と立腹おさまらず。

 お医者さんにしてみれば、娘3歳のときから見ているので、まだまだ子供に思えるのだろうが、娘にしてみれば、もう自分は大人なんだから、お医者さんだからという資格で、人の好みにケチつけるな、ピアスをあけるか、あけないかは、個人の判断にまかせろ」と、思うのだろう。

 近頃の子には「身体八腑、これを父母に受く。あえて毀傷せざるは、これ孝のはじめなり」が「寝台敷布、これを父母に受く。あえて起床せざるはこれ孝のはじめなり」というパロディになったというのも通じないのだから、耳に穴あけてはいけないという説教も通じない。っていうか、私はなぜこのギャグを知っているのか。いったいいつの生まれだ。父が言っていたのを聞いて覚えたのかな。

 午前中Aダンス。午後、教授法2コマ。

本日のいたみ:子が病めば、母も目いたし耳いたし


2003/06/12 木
日常茶飯事典>掃除

 日本事情作文2コマ。

 今年度の木曜日講師室。大学院一年先輩の幸さんと一年後輩の多加さんがいっしょ。多加さんは保育園児、幸さんは5年生の女の子と保育園の男の子を育てている。多加さんは建築家のご主人、中国人だから、育児にも家事にも協力的、幸さんは、親と同居だから孫の面倒をみてくれる。私よりは、恵まれた環境での講師稼業だが、それでも他の講師室にいるときよりも子供の話題がだせるところが気楽。
 子どもの運動会がどうした、とか、塾に行かせるかどうか、とか。学問教育の話題じゃなく、うちの子がすべったころんだという話ができるのがうれしい。

 息子休み。娘に「目が痛い程度で休むなら、部屋の片づけをぜんぶしなさい」と命令されて、息子の部屋がきれいになった。

本日のひがみ:母が部屋掃除を命じてもやろうとしないが、姉の命令はきく。ゲーム機を貸してもらえなくなるから


2003/06/13 金 
日常茶飯事典>掃除つづき

 ビデオ、会話3コマ。
 
 息子休み。部屋のかたづけ続き。やれやれ。

本日のごみ:息子の部屋から山のように出てくるごみ。あ、これは去年の保護者会のお知らせ、零点のテストも


2003/06/14 土 曇り 896
日常茶飯事典>パソコン修理

 ビックカメラに、パソコンを抱えて持っていった。修理には3週間くらいかかるという。そんなに待っていられないので、新しいのを買おうと娘と売り場を見たが、IBMのディスクトップは一般店舗の販売から撤退して、ネット販売のみだという。
 think padにしようかとも思ったが、「ノートのキーボードは打ちにくい」と、娘がいうので、やめた。ビックカメラの隣のマックでお茶して、よくよく考えたけれど、結局修理依頼だけで、買うのはやめた。ミニ扇風機を今までためていたポイントで買う。

 夕方ひつじとササニシキの車に拾ってもらって、坂下へ。鉄さんに娘の奨学金の保証人になってもらう。ひつじの奨学金保証人は私。相互扶助。

本日の紙:去年は印鑑証明の紙を付け忘れた

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20150610
 パソコンに弱いのは、相変わらず。「プリンター・オフライン」という表示がでたまま、印刷ができなくなり、どうやったら回復するのかわからない。息子のパソコンからは印刷できるので、データを息子のパソコンに添付で送り、息子のパソコンからプリンターに送る、という手間をかけないとならない。
 なんとかならんもんか。

<つづく> 
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