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ぽかぽか春庭「2022年2月もくじ」

2022-02-27 00:00:01 | エッセイ、コラム

20220227
ぽかぽか春庭>2022年2月目次

0201 ぽかぽか春庭アート散歩>2021アート散歩拾遺(2)甘美なるフランス展 in 文化村ギャラリー
0203 2021アート散歩拾遺冬(3)キューガーデン・ボタニカルアートin 庭園美術館

0205 ぽかぽか春庭アート散歩>2021アート散歩拾遺華麗なる職人技(1)ブダペスト工芸博物館展 in パナソニック汐留美術館
0205 2021アート散歩拾遺華麗なる職人技(2)アジアのうつわワールド展 in 五島美術館
0208 2021アート散歩拾遺華麗なる職人技(3)ハンドバッグの中身展 in アクセサリーギャラリー」

0210 ぽかぽか春庭アート散歩>2021アート散歩拾遺民族の布と服(1)民族衣装展 in 文化学園服飾博物館
0212 2021アート散歩拾遺民族の布と服(2)カンタ展 in 岩立テキスタイルギャラリー

0214 ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>日本語学校冬~光の春(1)生まれて初めての雪だるま
0215 2022日本語学校冬~光の春(2)春節餃子パーティ&節分
0217 2022日本語学校冬~光の春(3)日本人にインタビュー
0219 2022日本語学校冬~光の春(4)校外学習発表会

0220 ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>2021ことば拾遺(1)モンペとステマ
0222 2021ことば拾遺(2)オミクロン
0224 2021ことば拾遺(3)Bull sit Job
0226 2021ことば拾遺(4)解決!シャーロックホームズ青い紅玉事件」
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ぽかぽか春庭「解決!シャーロックホームズ青い紅玉事件」

2022-02-26 00:00:01 | エッセイ、コラム
20220226
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>2021おことば拾遺(4)解決!シャーロックホームズ青い紅玉事件


 コナン・ドイルのシャーロック・ホームズシリーズの中の短編の一つ「青い紅玉」について、2004年に書いた文をUPしました。
 「青い紅玉」とは、「土砂降りの青天」「広大な狭隘地」のような矛盾した形容詞と名詞の結びつきじゃないのか、と論考したのです。(ひまつぶし)

 語の意味の拡大縮小などの面から見ても、「青い紅玉」は、落ち着かない表現だと述べました。
 シャーロックホームズシリーズの原題では「The Adventure of the Blue Carbuncle) 」だったのですが、2004年当時、日本で手に入る翻訳本では、訳者により「青いガーネット」「青い柘榴石」「蒼炎石」などの邦題が用いられていました。

 ところが、最近娘といっしょに見たテレビシリーズのシャーロック・ホームズでは、ホームズは、原題通りの「青いカーバンクル」と言っており、「青い紅玉」という矛盾した形容の語は使われていなかったのです。

 ガチョウに飲み込ませた青いカーバンクル。私には犯人捜し以上に「青い紅玉」という語の探索にいっしょうけんめいだったのですが、2021年のテレビ放映であっさり解決しました。
 そもそもコナン・ドイルがこの短編を構想したときは、「青いダイヤモンド」だったのを、途中で変更したので、いろいろ矛盾が出てしまったらしい。

カーバンクル(Carbuncle)とは。by ウキペディア
  • 赤い宝石の総称。ラテン語で「小さな炭」の意味。ルビーなどを指すことが多い。
  • 磨き丸く仕上げられたザクロ石(ガーネット)のこと。特に鉄礬柘榴石(アルマンディン)。
 以下は、2004/01/21の春庭コラム「へぇへぇへぇなる平成(へぇなる)言語文化教育研究」というタイトルのもと、かきつらねたアホ考察です。「青い紅玉」の原題が「 the Blue Carbuncle」である、ということがわかれば、↓の解釈あれこれは、単なるひまつぶしになりました。よって、以下の分は読まなくてもいいんですが、2004年には、↓のような考察こねまわしが、自分を納得させるためには必要だったのだ、ということを思い起こすための、再録です。
~~~~~~~~~
 探偵小説、推理小説はゆっくり楽しみに読みたい。だれが犯人なのか、トリックはどうか、のんびりゆったり読むために、今はがまんがまん。
 ホームズもポアロも、仕事リタイアしてから読むと決めているのに、当方のオバカ息子のために、シャーロックホームズシリーズの『青い紅玉』を読むはめに。

 息子の中3英語の冬休みの宿題。ホームズシリーズの中の「青いダイヤモンド(オックスフォード版の中高生向け編集)」を読んでレポートを書く、というもの。思いっきりやさしい英語で書いてある短編を読み、英語の質問に英語で答えるという宿題だ。
 しかし、冬休みが終わっても、息子は当然のごとく、国語の宿題も社会の宿題も未提出。

 息子は、学校のランキング上位常連。なんのランキングかというと、遅刻率最高、宿題未提出率「学年トップの記録」を更新中。
 しかし、息子も息子なら、母も母。2003年12月の終業式に息子が欠席してしまったのは、母が悪い。母は12/19に年内の授業をすべて終えて、すっかり冬休み気分。12月23日が休みだったゆえ、終業式が12月24日だったことを忘れてしまった。ネット三昧をしていて、息子が起きてきたときは、終業式が終わっている時刻。
 「なんで起こさないんだよぉ」「だってぇ、もらって来てほしいような通知票でもないし。昨日は休日だし。こんな中途半端な時期にご生誕あそばさなくってもねぇ。いっそイギリスが実際の誕生日と関係なく、季節のいいお出かけどきに女王公式誕生日を設けているのをまねして欲しい」「僕の終業式欠席は、イギリス女王のせいか?」「我家の女王のせいだよ。悪かったね」

 どの教科も学年掉尾を飾っている息子であるが、英語も当然苦手。
 中学校時代の私にそっくりな「つづり字音痴」。持ち帰ってそこらに捨ててあった英語スペリング小テストを拾ってながめたら、「いとこ=kazun」「娘=dotar」「三月=maach」なんぞという答案で、おおいに笑えた。つづり字のまちがいまで遺伝するとは思わなかった。で、「スペルぐらい覚えなさいよ」と叱るにも笑いながらになり、叱る効果がない。

 ホームズ短編の宿題について息子の主張。「翻訳が出版されているんだから、ホームズなんて、日本語で読めばいい。英語でわざわざ読む気がしない」と、ぬかす。「じゃ、せめて日本語で読みなさいよ」と、翻訳を探した。
 しかし、訳本を探すのにちょっと手間取った。「青いダイヤモンド」というタイトルがホームズシリーズにないのだ。ダイヤモンドでみつからないので、「青い~」がつく短編を探した。
 創元推理文庫とパシフィカ社「シャーロック・ホームズ全集」の両方とも阿部知二の翻訳で、「青い紅玉」という短編があった。

 オックスフォード編集版のタイトルの「青いダイヤモンド」が、翻訳の「青い紅玉」か、どうか、内容がおなじものか確認しなければ、買っても息子は読まない。自分の楽しみのためならどんな分厚い本でも読み通すが、宿題となると、絶対にいやというへそ曲がりの息子だ。(DNAのおそろしさ)
 ダイヤモンドを金剛石というのは知っていても、「紅玉」と訳されたのは読んだことがなかった。手持ちの漢和も国語も、紅玉といえば「ルビーの意」としか出ていない。それで、万が一にも「青い紅玉」がりんごの話とか、別の短編だったら、宿題の助けにもならないので、先に私が読んでみることに。

 オックスフォード版「ブルー・ダイヤモンド」。文章はやさしくなっているが、内容は結局、翻訳の「青い紅玉」と同じだということがわかった。最初のページで同じ内容ということはわかったが、そこはホームズワトソンコンビ、結局ラストまで読んでしまった。短いし。
 ああ、私の老後の楽しみを、宿題のためにひとつ前取りしてしまった。

 それにしても、なぜダイヤモンドが紅玉になったのか。ルビーでなく、ダイヤモンドを紅玉と翻訳した時期があったのか、訳した阿部知二が、「ダイヤモンド」というカタカナの語の語感が気に食わず、紅玉というタイトルに変えたのか。
 阿部知二の「ダイヤモンド」嫌い。ダイヤモンドに恨みでもあったのか。彼女がダイヤに目がくらみ、貧乏な阿部をふって、金持ちに走ったとか。あ、それは『金色夜又』だ。(ちなみに、「きんいろよまた」と読むのではありません)

 と、悩んでみたが、春庭は語彙に弱い。ホームズ探偵が語彙探索を行った結果、コナン・ドイルの原作原題では、「Blue diamond」ではなく、「Blue garnet」であることが判明した。青いガーネット、青いざくろ石というのが原題。

 日本ではざくろ石の名で親しまれ、ガーネットといえば赤と思われている。しかし、ガーネットは「ガーネット族」という広い範囲の宝石を指す。その色は赤に限らず、大別するならば、赤ガーネット、緑ガーネットがある。
 赤ガーネット:パイロープ、アルマンディン、スペサルティン。
 緑ガーネット:(グロッシュラー)、アンドラダイド、ウバローバイト。
 ドイルがホームズシリーズに登場させたのは、この緑ガーネット、グロッシュラーの類であったのだろう。
 
 しかし、中学生用のオックスフォード編集「レベル1」は、みだし語400語習得レベルの版だったため、garnetという語が基礎語彙の中に含まれていない。そこで、オックスフォードは、タイトルという重要な部分を「青いダイヤモンド」と改変した。そして、ドイルの原題が「青いガーネット」であるということは、私の見た範囲では、オックスフォード編集版のどこにも書いてなかった。

 阿部知二は、ガーネットを「ざくろ石」と訳さずに紅玉とした。ルビーだけでなく、赤いガーネットを紅玉と訳すことは可能だったのだろう。そのために「青い紅玉」というタイトルになった。「青いざくろ石」だったら、ひっかからない。紅玉を形容する言葉が「青い」!!

 私が、ホームズも何も関係なく「青い紅玉」という言葉を見たら、紅玉りんごがまだ赤く色づいていなくて、青リンゴのうちにもぎとるのかなあ、などと、想像してしまう。
 芸者になるまえの「半玉」を、まだ熟さないうちに賞味するのは男の甲斐性だったそうだが、私は熟さない紅玉は、アップルパイにも使いたくない、などと、話はとめどなく脱線。「青い紅玉」について、であった。

 「青みがかった赤」とか、「赤っぽい青」というのは、色の形容として可能。「青ざめた白い肌」もよろしい。また、「黄色い紅花」は可。紅花は「染料の紅をとるための花」であって、花びらの色は黄色だ。
 「黒い白衣」も、形容矛盾ではない。この場合の「黒い」は、黒色を意味するのではない。古くて洗濯もしていない、汚れて黒ずんだ作業用の白衣が想像できる。
 
 「赤い白墨」「緑色の黒板」などは、被修飾語の白墨・黒板などの、指し示す物(指示対象)が、「もともとの意味から意味の拡大」をしたゆえに、このような「形容矛盾」が矛盾でなく、可能になった。

 もともとは黒く塗られていて黒板という名が付けられた名詞。黒以外に「濃緑」などの色を塗られるようになっても「濃緑板」とは呼ばれずに「黒板」という名称のまま呼ばれた。それゆえ「緑色の黒板」という表現ができる。この場合、黒板は、「黒い板」を指し示す名詞ではなく、「学校などで使用される、文字を書くための板」を意味するので、「黒」という語は、直接色を示す意味を持たなくなっている。
 
 「みどりの黒髪」については、04年01月03日の、日本の伝統色名「白黒赤青」のところを参照。このばあいの「みどり」は「緑色」ではなくて、「つやつやとして生まれ出たばかりのように輝いている」という意味。
 
 と、ここまで考えてきたが、やはり私の気分としては「青い紅玉」は、ひっかかるタイトルだ。ブルー・ガーネットの翻訳、今ならそのまま「青いガーネット」か「ブルー・ガーネット」としてタイトルにされるだろう。阿部知二が最初に翻訳したころは、ガーネットという宝石は一般には知られていないことばだったのかもしれない。なぜ「青いざくろ石」ではなく「青い紅玉」にしたのかをたずねてみたいところだ。

 言葉は送り出す側と受け取る側のコード(規約、基準、ルール)が同じ土俵にのっていないと、さらりと同じ意味を共有できない。誤解も生まれる。
 同じひとつの言葉を、異なる意味で二人の人が話していて、双方誤解に気づかないということも起こる。
 言葉には多義語もあれば、譬喩や含意という使い方もある。また、言葉の意味は常に変化する。

 動詞の内容も変化するし、形容詞も変化。変化の方向は、意味がずらされたり、拡大したり、縮小したり。
 現代「あの方、あわれよね」と表現したとき、普通は誉め言葉ではない。「あの人は哀れだ」といえば、「かわいそうな同情すべきみじめな存在」と受け取られ「あの人はものごとの情趣を深く感じる人だ」とか「かわいらしく恋しい人」と受け取る人はいない。

 名詞の「指し示す物」の内容も、時代につれて変化する。
 白墨、黒板は、元の意味から指示範囲が広がった例。黒ではなく、緑色に塗られていても、「黒板」と言う。「黒板」という語が指し示す範囲が拡大したのだ。
 拡大する語のほうが数が多いが、意味が縮小する語もあるし、元の意味からずらした意味の方が一般的になる場合もある。

 「房」は、家の中の一つの部屋。部屋を賜って仕事をする宮中の女官や貴族の屋敷で働く女性を意味した「女房」が「部屋を与えられている女」を意味するようになり、やがて家庭の部屋で生活する「妻」を意味するようになった。

 現代では「うちの女房がさぁ」と、話し出したら、それはその人の結婚相手の女性をさししめすのであって、その人のために働いていて個室を与えられた女性を意味するのではない。
 あなたが、妻以外の女性に個室を与えていて、彼女があなたのために働くとしても(主として夜間営業)、一般的にはその人をあなたの「女房」とは呼ばない。「うちの女房がさぁ」と話し出したら、個室の女性ではなく、妻の方を指していると、「世間コード」では受け取るのである。
 一方春庭は、団地2DKに住み個室もなく、台所一室でご飯を食べテレビを見てパソコンして食事テーブルで試験の採点までやっている。それでも世間からみると「女房」の部類。「女」はもうどっちでもいいけど「房」は欲しいよ。できれば書斎と書庫と寝室と化粧室とお納戸の「房」が。ハァ、無理でしょうねぇ。

 意味範囲拡大の例。もともとは武家屋敷の奥の間に居住していた正夫人を「奥方」と呼んだ。公的部門を扱う「表=おもて」に対して、私的部分を取り仕切る「奥」の代表者として存在していた人が「奥方」「奥様」。
 「奥様」と呼ばれる方は、大きなお屋敷の奥の方に住んでいなければならなかったのだ。安普請の家に住んでいて家事雑事をやらせる使用人も使っていない人を「奥様」などとは呼べなかった。

 現在では、私のような、奥も表もない2DKに住まいしていようと、八百屋さんから「奥さん、大根安いよ」と声かけられるようになっている。
 「奥様」「奥さん」の意味する範囲が広がり、「夫を持つ女性」さらに「若くない女性で、既婚者と思われる年代の女性に対する呼びかけの語」へと拡大した。

 自分を指し示す語の意味変化の例。貴人のしもべ、下僕として存在し、自分が心身を捧げて働く人の前で、へりくだった意味で使っていた一人称「僕」。
 現在では「一般的に男子が自分を指し示して使う一人称」になっている。成年男子でも「ぼく」を使う人は多い。別段まちがいではない。自分はあなたの「下僕」である、という気持ちで使っているのかどうかは知らねども。

  私は、教師の前で一人称を「僕」という男子学生に対して、心の中で「お前は女王様のしもべよ、オーホッホッホ」と思うことにしている。

 春庭、教室で心ひそかに女王様気分を味わったのちは、近所の八百屋で「奥さん、奥さん」と、住まいの奥深いことを讃えられつつ、「ちょっとぉ、その大根一本200円は高いよぅ。二本買うから、二本350円にしなさいよ」なんぞと、「奥」の仕事を仕切るのである。

 そして帰宅すれば、大根を千切りにしながら、息子へ大声を上げる。ゲーム三昧を続けていて、宿題を提出しようとしない息子に、母はついに切れたのだ。もう、千切り乱切りである。

 「翻訳本さがしてきてやったのに、なんで宿題やらないのよぉ」「はぁ、翻訳を読むことは読んだよ。ストーリーは日本語で理解した。でも、英語の質問に英語で答えるなんてトリビアなことがらに時間を費やすより、ボクは日本史のある時代のみ深く追求することに決めた」
 息子は「信長の野望」「太閤立志伝」の時代に関しては、トリビア博士である。

 結局のところ、「青い紅玉」はこれでいいのか悪いのか。「鋼玉」のうち、青いものがサファイア、赤いものがルビー。ルビーを「紅玉」と呼ぶのが一般的。しかし、ざくろ石=ガーネットを「紅玉」と呼ぶことも可。ガーネット属宝石類の中には緑色もあるから、「青い紅玉」も不可とはいえない。というところなのですが、どっちにせよ英語の宿題を投げた息子、私がホームズを読んだ意味もまったくなし、という結末となりました。
 中3息子、中高一貫男子校だから高校進学が決定していて、だらけきっています。4月に高校生になったあと、「独立行政法人化の影響で授業料が値上げされるかも知れない」という噂もあるのだから、なんとか留年せずにいてほしいという母の願いもむなしゅうなりそう。
 
 「おっきくなったら、お母さんにダイヤモンド買ってあげるね。お母さん宝石ひとつも持っていないから、ボク買ってあげる」なんて、かわいい約束をしてくれたころが花でしたね。今じゃ、ちょっとこずかい貯まるとゲームソフトを買いに走り、ダイヤのダの字もありゃしない。青いダイヤでも青い紅玉でもいいから、買って!!
 あ、先日常磐炭田のボタ山見学をしたとき、「黒いダイヤ」と呼ばれていた大きな石を拾ったんだった。首にでもぶら下げておくことにします。
~~~~~~~~~~
20220226
 青いカーバンクル。納得しました。そして、コナン・ドイルが最初に考えたのは、「青いダイヤモンド」だった、ということもわかりました。
 その上の謎は。青いカーバンクルを見つけ出した人に「賞金1000ポンド」が与えられる、という記述。娘とシャーロック・ホームズの時代に1000ポンドはものすごい大金だと思うけれど、だいたいの金額は現代の価値になおすといくらくらいになるのだろうか」と話はすぐにお金問題に。

 物価変動その他の要素を考慮して、ホームズのころの1ポンドは5万円~10万円相当になるらしい。とすると1000ポンドは5000万円~1億円くらいの価値になる。カーバンクルを飲み込ませたガチョウから取り出してホームズに預けた「荷物運搬人(今なら宅配業者?)」が1億円もらったのかどうかは、テレビドラマでは描かれていませんでした。

 願うらく、青いカーバンクルを正直にホームズのもとへもっていった荷物運搬人が、1億円をギャンブルなんぞに使い果たさず、奥さんとささやかでも幸福な生活を送ることができたことを。

 さて、私も、ダイヤか、せめてガーネットでもいいから、飲み込んだ魚か何かを買いたいな。

 青いカーバンクル、画像見つかりませんでした。かわりに、2021に63年ぶりに新誕生石として追加されたタンザナイトの青いきらめきを。

 タンザナイト、タンザニアの希少宝石。ダイヤモンドより高価だとか。
 タンザナイト飲み込んだ魚が手に入りますように。あ、半額引きになった切り身しか買わない生活では無理か。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「 Bull shit Job」

2022-02-24 00:00:01 | エッセイ、コラム
20220224
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>2021年のおことば拾遺(3) Bull shit Job

 2022年にも新しい言葉を発見して、「虎の子」を得たごとく悦に入り、「お金無くても楽しい生活!」を実践していきます。とは言っても、「お金なくても楽しい生活、あったらあったでなお楽し」ですから、心ある方、私がなおいっそうたのしくなるために、投げ銭などいただければ幸いにぞんじます。
 
 2021年も年末になって、「ブルシットジョブ」ということばを知りました。Bull shitという語は知っていました。それは、直訳の「雄牛の糞」という意味だと勝手に解釈して済ませていました。牛のクソ、すなわち「汚くて価値のないもの」の意味だと。
 たしかに、英語Bull shitは、スラングで「嘘」「たわごと」「でたらめ」「無価値」などの意味を持ちます。It's Bull shit ! などの表現が使われたら、それは非常に強い調子で「うそつけ!」「ばか言ってんじゃないよ! 」と、非難する語になる、というのです。

 もし、通常の感覚で表現するなら、It’s not good to me.私にはよろしくないことですね。 It’s not right.正しくないですよ。 That’s not true.本当ではないです、とというようなおだやかなフレーズで言うほうが無難であり、Bull shitなんて「クソ!」と言う語を使ったら、品がないし言われたほうも怒り出す。

 ところが、2021年夏にこの語は日本の経済学、社会学、文化人類学の専門用語として「Bull shit Job」が知る人ぞ知る語として巷をかけめぐりました。
  「紀伊國屋じんぶん大賞2021」で第1位を獲得して一気に有名なことばになったのです。(じんぶんをなぜ人文という漢字にしなかったのは謎ですが)

 『Bull shit Job』は、デイヴィッド・グレーバーによる著作。無意味な仕事の存在と、その社会的有害性を分析している書です。巷間「Bull shit Job」ばかりなのですって。
 日本では2020年に翻訳出版され、2021年に「紀伊国屋じんぶん大賞」の1位になったことで、注目を集めました。本のタイトル翻訳が秀逸『クソどうでもいい仕事』

 私がこの語を知ったのは、「100分で名著マルクスの資本論」という番組で。
 資本論、完読したことないので、テレビ見てよんだ気になれるかと。

 番組中、伊集院光が講師の斎藤幸平に教わりながら「マルクス資本論」を読み解くなかで、経済学、哲学で使う用語としてBull shit Job について聞きかじったのです。
 (斎藤幸平は、日本の哲学者、経済思想史研究者。専攻はヘーゲル哲学、ドイツ観念論、マルクス主義哲学。大阪市立大学大学院経済学研究科・経済学部准教授。「資本論」読み解きの講師として選ばれたのは、2021年に著書『人新世の「資本論」』で新書大賞を受賞 したから)。

 Bull shit Jobのデヴィッド・グレーバーによる解説。
 ブルシット・ジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている。

 例としてあげれば。
 プラスチックのコップを売らんがために、宣伝用のモデルが「より美しく鮮やかに」彩られたコップで何かを飲んでいる写真を仕上げ加工をする仕事。モデルが実際にこのコップを使って飲んでいなくともよい。あくまで宣伝用の写真にすぎず、写真はコップの色や品質を保証するものではありません。ただ消費者がこの写真を見て「私もこんな色のコップが欲しい」と欲望をおこし、消費行動に出ればいいのです。

 一面から見れば「宣伝」という最先端の仕事に携わっていて、高い報酬も約束されている、と言えるのだが、冷めた目で見れば、実際にはないかもしれない「コップの価値」を高めて売り物にするいわば「詐欺行為」に当たる仕事に加担しているともいえる。
 この仕事に価値を見出し「売れる」ために寄与したと生き甲斐を感じる人もいるだろうけれど、もし働きながら「本当にこのコップを使っているのでもないモデルを写して美しい品に見せかけるだけの仕事」と感じてしまったら、むなしい「クソどうでもいい仕事」にしかならない。

 ほとんどの人は、働いても働いても真に満足感を得られず、世に貢献したという実感ももたず、「クソどうでもいい仕事」に従事している、とグレーバーは論じています。資本家は、労働者の労働の内容や質を云々するよりも、より効率的に働かせ、より多くの利潤を上げればいいので、労働者が「ほんとうに生きがいややりがいを感じる労働」なんぞに目覚めないほうがいいと思っています。

 自分を「資本家に都合のよいロボットのように働いている」と感じるか、「人々の中に立ち、コミュニティの一員として人間らしく働いている」と感じるか、働き方は選べますが、現代社会の中では、「クソどうでもいい仕事」のほうがずっと高い報酬を得ることができる。

 プラスチックコップの例でいえば、生産ラインの工員となって、ベルトコンベアのコップを仕上げていく作業より、詐欺のような美しい写真をとって売り上げに貢献したほうが報酬が高い。さらに言うと、山奥の山岳民族のだれかが山の木を彫って飲み物用のコップを作ったとして、それは高名な民藝批評家がアート作品として取り上げ、褒め讃えない限り、大量生産品のプラスチックコップより高い値段で売れることはない。(民藝という名詞がくっつく前、日本の民芸品も同じようにタダ同然でした。今では土産物屋でよい値段で売られているし、工芸展に入選でもすれば、高額商品となる)

 春庭のような教育産業従事者はどうか。昔のように、教師が手作りプリントなんぞ作って、教え子に作文書かせて表現力のある子供に育てようなどとしたら、校長がすっとんできてやめさせる。教科書に書かれていることを、教師用マニュアル書に書かれている通りに授業をちゃきちゃき進めていかないと、親が「うちの子の担任教師は、無駄なことを生徒にやらせる。入試には役立たないことを」なんて言って教育委員会に抗議する。大事なのはテストに合格点をとること。より偏差値の高い学校に入学させること。講師がたの意見は反映するけれど、教育分野に関しては経営者から全権委託されている。

 その点、春庭は、現在勤務中の日本語教育の分野では、基本テキストは初級中級上級と決めてあるが、自分で教え方も決めることができるし、クラス担当の講師にもできる限り「自分の裁量で授業をすすめる時間」を持てるよう、スケジュールを決めている。講師は朝出講してくると、自作の補助プリントをコピーするところから仕事を始めます。PPTスライドも自由作成。

 仕事に対して上から押し付けられるストレスはない。(今のところストレスの多くは、オンライン授業のWifeだけ。「接続が不安定です」という文字が出ると、ストレス満杯)、ない。人様から見たら私がやっていることも「クソどうでもいい仕事」かもしれないが、「青雲の志を抱いて日本に留学してきた学生たちが、よりよい人生の選択ができるように力を尽くしている」つもり、、、、なのは自己満足だろうけど、いいの。

 そうそう、40年前に泊まりにいったケニアのマサイ族の家では、「牛のクソ」は、燃料として日々の生活に欠かせず、また、家の壁に塗りこめる建築材料でした。乾燥しているので臭いもなく、有用なものでしたから、「牛のクソ」を決して「無駄でどうでもいい」と感じたことはなかったです。「Bull sit Job」を「クソどうでもいい」と訳したセンスは買うけれど、「牛のクソ」を決して無駄なものと思っていない者にとっては、ちょい残念な気も。
 
 牛のクソ画像なんぞ見たくない人は、ここで終了してくださいませ。

 牛のクソ

<つづく>
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ぽかぽか春庭「オミクロン」

2022-02-22 00:00:01 | エッセイ、コラム
20220222
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>2021ことば拾遺(2)オミクロン

 春庭の財産は「ことば」であり、ことばを教えることで生計をたて、言葉を紡ぐことが日々の愉しみ。2022年も、ことばとともに歩んでいきたいと思います。
 2021年のことば拾遺をメモしておきます。

 流行語大賞ノミネート30語には入らなかった語が年末急激にニュースに登場してきました。コロナ変異株のオミクロン。

 ギリシャ文字も、αβγくらいまでは、プラスアルファだのベータカロチンだのガンマ線だのとなじみがありますが、それ以後はデルタもエプシロンもさっぱりと関わりなく生きてきてしまいました。え~と、カッパとラムダはロケットの名前できいたことあること、かすかに覚えています。カッパロケット、えんぴつくらいの細いロケットでした。

 シータとかクシー(クサイ、グサイ)とか使ったことない。
 ああ、数学用語はかすかに覚えている。シグマΣなんてのが出てきて、数学はまるでわからなくなった。πパイが3.14ってのは覚えているんだけど。
 オメガΩって、なんで使ったんだっけな。

 そこへきて、年末いきなりのオミクロン!「O」
 変異株のなかでも、とっておきに強烈でワクチンすりぬけ、感染力最大なんだって。政府の「新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長「 オミ苦労ん」とゴロがあうし。

 早いとこオミクロン対策できますように。という願いを胸に2022年もがんばります。

 2020年の流行語のうち、2021年にも残って使われていたのはやはりコロナ関連の語句でした。
 たとえば、帰省警察マスク警察なんていう、他者をとがめだてする人達の氾濫。

 2021年夏には、田舎の庭に他県ナンバーの車が止めてあると、近所から白い目で見られたなんてこともあったらしいです。さすがに、2021暮れ2022正月には、帰省ができた人も多くなりました。

 昨年のニュースのなか少々がっかりのマスク警察の話。
 マスクしてない人見ると「マスクせえよ」と説教して回っていたおっさんがいましたとさ。説教されてブチ切れたワカゾーに殴り倒され、うちどころ悪く下半身不随の重傷に。殴ったほうは、無論、傷害罪になります。

 残念に思ったのは一生車椅子生活になると知り、「マスクの咎め立てを後悔している」と語ったこと。信念を持って「自分は世のため人のためにマスクしてない人に注意をしたのだ」と思っていたのなら、後悔する必要はない。自分の行動に信念があり、行為の結果に対する覚悟があったのだったら、誇りを持って車椅子に乗っていたらよい。他者を咎めることが楽しくて「マスクせえよ!」と、たいした覚悟もなく言っていただけだったのか思います。それゆえの後悔だったんじゃないか。
 なんらかの行動をとるには、その結果に責任が伴うということをわかっての行為であってほしかった。エラソーにするのが大好きな春庭ですから、自戒をもってこのニュースを読みました。

 喘息の持病を持つ高校生が、電車のなかで喫煙していた若い男性にやめてほしいとお願いしたら、ブチ切れた男が高校生を殴り倒し、大けがをさせた、というニュースも。男は警察で正当防衛だと主張したのだとか。このニュースなどきくと、思い切って注意をした高校生の勇気はみとめるけれど、世の中にはこのような喫煙注意にブチ切れるバカ者も多いのだから、別の人に協力を頼み、急いで電車車掌に連絡して駅で鉄道警察に突き出すのがよかったのではないかと感じます。

 自分を正義の側にして他者の不備不実をなじる人が、コロナ以後増えてきたように感じます。喫煙注意された男も何の根拠で「正当防衛」だと主張したのか、自分は正しいと思い込んでいるのでしょうか。(高校生にケガをさせ、土下座までさせて殴り続けた加害者は精神鑑定されることになり、「心神喪失により無罪」となりそうだと。やりきれないなあ)

 帰省警察もマスク警察も、自分の閉塞感を打ち破ろうとしての「人様への文句つけ」でうっぷん晴らしをしているのでしょうか。
 世の中に絶対の正義も、絶対の真理もなく、簡単には主張できないということを考えずに、自分一人が正義と思い込む人のなんと多いことか。

 という自戒をもちつつ、人様の落ち度を責める春庭。
 米軍兵士の来日時、PCR検査もワクチン証明書の提出もさせないで入国させていた政府。「米軍へのおもいやり」だったのでしょうが、沖縄では米軍基地からコロナが広がった、ということです。これまでコロナ感染者が少なかった某県も、基地があるゆえか、新年になって感染拡大。

 責めたくもなります。留学生が来日できないのです。
 空港で陰性証明ができた留学生の入国を許可してほしいよ。
 2週間の缶詰待機ちゃんと守るから。
 留学生が来日できない日本語学校、どこも経営たいへんです。日本語学校の倒産も増えています。

 もう2か月がすぎてしまいましたが、皆様の2022年のために、縁起のよい七福神を(江戸期の浮世絵です)
 大黒様、ちとメトボすぎですが、きっと2022年に福が来ます。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「モンペとステマ」

2022-02-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
20220220
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>2021ことば拾遺(1)モンペとステマ

 留学生に新しいカタカナ語を導入するとき、短縮されてカタカナ4文字か3文字になってから日本語語彙として定着する、という話をしています。
 リストラクチュアリングがリストラになり、メタボリック症候群が、メタボになったごとく。
 最近耳にする機会が多くなったコンプライアンスもエビデンスも、コンプラやエビデになると社会に浸透したということになるでしょう。

 ただし、もとの英語の意味からは、ずれる、ということに注意させます。
 「リストラクチュアリング=再構築」が日本語リストラになると、「余剰人員の馘首」の意味に限定されたし、「メタボリックシンドローム=新陳代謝異常症候群」が、メタボになると「代謝異常→余分な脂肪などを代謝できずに太ること」に転用され、「太りすぎ」の意味に用いられる。メタボ=太りすぎ、になってしまいました。

 最近のビジネス用語では、エスカレーションがエスカレに短縮されて、「上昇」の意味から「上司・上位者への報告」という限定された意味で用いられてきています。エスカレーターという語がすでに日本語に定着しているので、エスカレーションの意味がわかりやすかったのかもしれませんが、コンプライアンスも「コンプラ」になると意味がどのように変奏するのか、観察していきたい。

 さて2021年末、私が知らなかった省略カタカナ語彙ふたつ仕入れました。「モンペ」と「ステマ」

 モンペは、モンスターペアレントの略。学校や教育委員会にねじ込んでいく怪物親モンスターペアレントは、すでに学校現場でおなじみの語になっていましたが、ネット上ではそれを「モンペ」と略しているとは知りませんでした。

 ステマは、ステルスマーケティングの略語。
 ステルス=敵方に見つからないように行動するスパイ行動。ステルス(英語: stealth)は英語で「隠密」「こっそり行う」という意味。他者に気づかれないようにあることを行うことを俗に「ステルス〇〇」と言う。
 戦術としてのステルスは、「ステルス布教=大学のサークル活動のように見せかけて宗教活動と気づかれないようにして宗教に引き入れる方法」などで理解してきました。

 ステマは、こっそり行われるマーケティング(市場調査・販売促進)の意味で、ネット内では拡散している語でしたが、マーケティングにもネット販売にも縁がないため、春庭がこのカタカナ語に気づいたのは、2021年も終わりかけのころ。

 つぎつぎ現れるカタカナ語、その省略語。どれがどれだけ日本語語彙として定着するのかはわかりません。10年後の広辞苑に載っている語はどれになるか。
 もっとも若い人は重たい広辞苑どころかコンパクトサイズ辞書もひかない。すべてスマホまかせ。
 10年後、日本語は確実に変わっているでしょう。

 現在の小学生がやり取りしているライン文では、助詞はほとんど省略されている、という小学生親からの報告を聞きました。
 「10ねんあとさあ、にほんごまじかわってる。しょうがくせいラインやりとり助詞きえてる」。
 ま、私が消えた後に日本語が消えてしまったとしても、嘆きようもないけれど。

 春庭、メタボではあってもモンペではない。
 モンペじゃないけど、モンスター通勤者としてひとこと。モンツウ。
 わたくしの通勤事情。
 駅のホームをスマホを見つめながら私に向かって歩く人に対して、よけないことにしています。メールやゲームの画面から目を離さない人に対して、私のほうが通路をあける必要はない、という信念があるから、ただ立ち止まるだけ。
 私に気づいて、黙って相手がよけることもあるし、チッと舌打ちすることも。幅広めの婆さんが自分の行く手をふさいで迷惑と思ったのでしょうが、迷惑なのはアンタ。

 最悪の場合、相手が私に気づかずぶつかってしまい、足元不如意の老婆のほうがよろけてホームに落ちるなんてこともあるかもしれないという覚悟を持っての行為です。
 もし運悪く、落ちたバーさんの前に電車がやって来たりしたら、、、、、やっぱりスマホをよけて歩けばよかったと後悔するんだろうな。ちょい覚悟の足りぬ72歳片道110分の通勤道中。

 メタボばーさんを電車前に突き落とさないために、
 歩きスマホはやめませう!

 私のメタボは当分かわりませんので、あしからず。これ2021年12月24日にメタボ気にせず15cmのホールケーキを娘と分け合いハーフを一気食い。
 ラメゾン白金グランのムースケーキ。娘が応募した抽選が当たったの。メタボ街道まっしぐら。私の行く手をスマホごときでふさがぬように。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「校外学習発表会」

2022-02-19 00:00:01 | エッセイ、コラム
20220217
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>2022日本語学校冬~光の春(4)校外学習発表会

 2022年になっても、コロナ感染がおさまるどころか、オミクロンとやらで東京都の連日の感染数が1万6千、1万7千と拡大が止まりません。
 教職員の子女の小学校などもオンライン教育に切り替わる昨今、ついに春庭勤務の日本語学校もオンライン授業に切り替えることになりました。学生が学校に集まることによるリスクを減らすことができるといいのですが。

 学生たちにとって学校・アルバイト先・アパートや寮の3か所を行き来する毎日で、休みの日にも人混みなどに出かけてはならない、と制限されている毎日です。休日には遊びに出たい年ごろなのに、通学もなしとなると、ますます外にでない日々。

 教室内の授業だけではなく幅広い学びを、と企画していたことの大部分が中止になりました。企業ミュージアム見学なども中止にしました。

 そんな中、1月に行った「日本人に日本語でインタビューする」という活動のまとめ発表会を2月14日に実施することができました。(オンライン授業は、2月15日から蔓延防止または緊急事態宣言解除まで継続)

 学院理事長と校長の前で、パワーポイントスライドを使って発表する学生たち。緊張しながらもじょうずに発表できました。
 


 さすが現代っ子の学生と思うのは、ほとんどの学生はすでにPPT(パワーポイントスライド)作成方法を習得しており、ローマ字による日本語入力ができない、という学生はひとりだけでした。ローマ字入力を3月の卒業までに習得するという条件で、手書きのスライド原稿入力を春庭センセが手伝いましたが、ほかの学生は、アニメーションつきでまとめていました。中国の大学情報教育は徹底していて、PPT作成は必修だそうです。

 全チームの発表が終わり、理事長による講評の際、最初は日本語で講評していた理事長が「少しだけ中国語で話します」と断って話しだすと、学生がくすくすと笑いました。
 あとでバイリンガル先生にうかがうと、学生が笑ったところは。
 「春庭先生は、2009年に私が中国で日本語を教えていただいた恩師です。先生は当時すでに60代になっていましたが、私たちに『転ぶ』という単語を教えようとして、学生の前で転んで見せたんです」というエピソードを披露したのだそうです。

 そんなことまったく覚えていませんでしたが、中国式の厳然とした「老師」が多い中、ジェスチャーつきで教える日本語教師は印象深かったとみえます。
 「そんな熱意ある先生に教わることができて、諸君は幸運です」と結ばれていたそうですが、そのあとの日本語のしめくくりは、型通りのあいさつで、
 「みなさんは、両親と離れて、とても寂しかったと思います。私たちはコロナのために、勉強にも生活にも影響があります。学校は、学生が幸せに勉強していけるよう、支援していきます。心配ごとがあれば、先生に相談してください。
 来年の1年間のことを作文に書いてください。1年後に、それが実現するよう、お祈り申し上げます」。
 ということでした。

 まだまだ続くコロナ時代ですが、留学生が夢を実現して日本での学びを続けていけるよう、みなで応援していきたいです。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「日本人にインタビュー」

2022-02-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
20220217
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>日本語学校冬~光の春(3)日本人にインタビュー

 教科書ワークブックの「発展練習」として出ている活動。日本人に日本語でインタビューしてみよう、という課題です。
 1期生は校内で先生方にインタビューする、という活動にとどめましたが、今年、2期生は「学校の外に出て、日本人にインタビューしてみる」というさらなる発展形の活動を試みました。

 市役所や国際交流協会に電話して、インタビューに応じてくれる時間と人数を確保するところから準備開始。
 市役所の「地域協働課」や「国際交流協会」などのほか「株式会社〇〇材木店」にもご協力いただけることになりました。〇〇材木店は会社を実質引退している会長が市の国際交流協会の会長をしている関係で、息子さんの社長がこころよくインタビューに応じてくれることになったのです。

 学生たちは、アルバイト先で日本人と会話をする機会があっても、仕事上のきまりきった言葉を交わすだけのことも多く、仕事の指示の受け答え以外の日本語を、学校以外で話す機会はごく少ないのです。

 ワークブックに出ているインタビューのことばの凡例を読み込むところから練習開始。「本日はお忙しいところ貴重な時間をとっていただき、私たちの活動にご協力くださり、ありがとうございます」と、これだけ言うのだって、すらすらできる学生ばかりではありません。
 「今みたいに、書いてある文を朗読しているんじゃだめですからね。インタビューなんだから、自分のことばできちんと話せるように」と叱咤激励の末、1月24日月曜日に、各学生が4か所に分かれてインタビュー先へ出向きました。

 挨拶を交わすところから開始


 対応してくださった方々は、学生のインタビューに真剣に応じてくださったようで、「日本語で質問できた」「日本人の言っていることが理解できた」と、自信を持って学校に帰ってきました。


 次は、「インタビューの内容をパワーポイントスライドにまとめ、発表しよう」というまとめの活動。
 私よりパソコンには習熟している若い世代ですが、中国語漢字入力をピンインアルファベットでなく入力してきたものにとって、日本語ワープロの入力がたいへんでした。「ひらがな入力だと小さい[ツ]や[ヤユヨ]の入力、濁音の点々の入力がたいへんになるからローマ字入力ができるように自分で入力訓練して」と言いましたが、ちかごろの学生は、パソコンではなくスマホで入力するから、ローマ字入力の機会がありません。

 額を寄せて発表用のパワーポイント作成


 2月14日に、発表会を行いました。

つづく
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ぽかぽか春庭「春節ぎょうざパーティ&節分」

2022-02-15 00:00:01 | エッセイ、コラム
20220215
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>2022日本語学校冬~ひかりの春(2)春節餃子パーティ&節分 
 
 中国・ベトナムなどのアジアの国々の中には、太陽暦とは別に、生活においては太陰暦、旧暦を使って生活にいかしています。
 旧暦の新年は、毎年ずこしずつ日にちが移動します。太陽暦ではなく太陰暦だからです。農業にはこちらのほうが有益な「月の満ち欠けによる暦」で、中国では「農暦ノンリー」と呼ばれています。
 2022年は、2月1日が春節。旧暦の元日です。例年なら国中が大移動をして、家族や親族が集まる日です。でも、ことしは、北京オリンピック成功の旗印を掲げる政府によって、「大移動自粛」が求められました。

 今年は2月1日が春節。学生たちは、コロナのため帰国もできず、親を日本に呼ぶこともできません。
 学生たちは大晦日(ことしは1月31日)に友達同士あつまって、餃子パーティを楽しんだようですが、アルバイトもあって集まれなかった学生のために、教室でも去年と同じく「餃子を食べる会」を行いました。
 手軽に市販の冷凍餃子をゆでて好みのラー油や酢をつけて食べるのですが、教室でみなといっしょに食べる気分は楽しいもの。

 大鍋でゆでます。
わいわいと待っている学生たち

 ベトナムも2月1日は元日です。ベトナムの正月料理もふるまわれました。
バインテットとジョールア。

 ベトナムでも、中国でも、旧暦正月は離れていた家族親族が寄り集まって飲み食べ楽しいひとときをすごす大切な行事です。ふるさとを遠く離れ、コロナのために1年以上家族に会えないでいる留学生たちにとって、友だちと食べるふるさとの味がなによりなぐさめになったようで、よかったです。

 春節の次は日本の節分&立春。学校恒例の豆まきをしました。学生の何人かが鬼の面をかぶり、教室内で「福は内」「鬼は外」の掛け声で豆を投げまし他。この
 上級クラスは、教室がせまいので、鬼が逃げ回るスペースもなく、対決方式に。2人の鬼に豆の小袋を投げ、当たったら福が来る、当たらず鬼に逃げられたら、今年の福はどうなることやら、というゲームです。

 私は、鬼になったときは盛大にぶつけられ、投げるほうになったらぜんぜん当たらないという運のない結果に。ことしの福はどこへ行ってしまうのやら。




 きっとよい福を招来できた学生もいたことでしょう。食べる豆の数は、年の数プラス1(数え年)と教えたのですが、中国ではいまだに自分の年を陰暦(旧暦)の数え年でいう人もいる、ということなので、もともとの数え年にひとつプラスしてしまったら、ちょっと余計か。まあ、年がひとつ多くても福はくるでしょう。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「生まれて初めての雪だるま」

2022-02-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
20220214
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>日本語学校冬--光の春(1)生まれて初めての雪だるま

 日本語教師、留学生からさまざまなことを知り学ぶことができるのは、超低級給与を補うに足る役得です。
 日本の民間学校では英語教師のほうがずっと高給とり。「日本語教育能力試験に合格していない人でも、とりあえず日本語しゃべれる人ならだれでも大勢雇える」と考えている経営者がいるうちは、高給にはならないのです。ほんとうは、日本語教育能力試験はなかなか難しく、専門的に学んだ人でないと合格できないのですけれど、、、。
 「薄給を補うに足る」喜びもある、とはいえ、もうちょっと高水準にならないと、日本語教育界によい人材があつまりません。有望な人材は、なかなか日本語教育界を志さない。

 さて、給与の低さを補う楽しみのひとつは、今まで行ったこともない国の文化や歴史を日本語学習者から教わること。もうひとつ、学習者から「日本に来てはじめて経験した」という体験談を聞き出すのも、とても興味深いこと。

 昔の留学生が「はじめて靴をはいたときの喜び」などを語ってくれたことがあります。熱帯ジャングルの中にあった日本の熱帯植物研究所で、植物採集助手としてアルバイトに雇われた彼、その利発さと勤勉さを日本人研究者から愛され、故国で教育を受ける機会、日本に留学する機会を与えられました。「ふるさとにいた子供のころ、くつを履いたことはありませんでした。日本人から靴をもらってはじめて履いた日、うれしくて抱いて寝ました」なんて話もききました。

 「日本で初めて電車に乗った」という「はじめて体験」も聞きました。アラブ産油国出身の大金持ちの坊ちゃま。移動はいつも運転手付きの自家用車だから、電車もバスも乗ったことがなかったのです。

 2022年。2月10日は東京にも積雪がありました。
1月の正月休みにも、東京に雪がふりました。きっとベトナムの学生など、ふるさとには雪が降らない地域の学生から「はじめての雪景色」の話がきけるぞ、と思って新学期の教室に行きました。

 やはり、ベトナム人学生は「はじめて雪を見た」と言っていました。あらゆる情報がスマホで手に入る現代ですが、自分で雪の冷たさにさわり、自分の目でどこまでも広がる白い世界を眺める経験は、ネット情報などにはかえがたいものです。

 ベトナム人学生が作った「生まれてはじめての雪だるま」の画像をスマホから送ってもらいました。
 フェンスの上にちょこんと乗った小さな雪だるまですが、彼にとっては故郷の家族に「雪だるま作った!」と自慢できるものだっただろうと思います。


 意外だったのは、ネパール人学生もはじめて雪景色を見たと言っていたこと。ネパール人はヒマラヤの雪景色など見慣れていると思い込んでいました。しかし「北の地方は山に近いから雪が家のまわりにふるけれど、私の出身地はインドに近い暑い地方のネパールだから、山にふる雪は知っていたけれど、自分の家のまわり全部白い雪の景色になるのを見たのは初めてでした」と、語っているのを聞き、ネパールといっても、南の地方は気温も異なるのだとわかりました。

 もうひとつ以外だったのは、中国でも南の地方の出身者が、1月6日に初めて雪景色を見て、はじめて雪だるまを作った、と話していたこと。
 いつも斜に構えてクールな社会評論を語っている学生ですが、「アルバイト先のコンビニ店長が、この雪じゃお客もそんなにこないから、雪だるまでも作ろう」と、店の前の駐車場の雪を集めて雪だるま作りに興じたと。

 「中国の貧しい地域に生まれて、子供時代に楽しいことなんてひとつもなかった」と語ってきた彼が、無心に雪だるまを作っているようすを想像すると、私の心も楽しくなりました。

 「日本に留学したって、いいことなんかひとつもない。とにかくお金がなければ何もできない」という彼、なにごとにも悲観主義の彼は「雪だるま作りなんて、手が冷たくなってたいへんなだけだった」などと言うのでしょうが、私は「ピカチュウ雪だるま、かわいいから写メ送って」と頼みました。

 彼の作品は、耳をつけた「ピカチュウ型雪だるま」でした。

 はじめてスキーをして、転んでばかりだったけれど楽しかった、という学生も何人かいたけれど、どんなことであれ、はじめての体験は楽しくうれしい。それを聞き出す私も楽しい。

 今日教えたオノマトペは、「心のようすを表す擬態語」。「わくわく、どきどき」などは、どんなときに使う擬態語か、文を作ってもらいました。
 「好きな子の隣に座って、どきどきした」うん、そうだろうね。
 「スキーに行く前、わくわくして眠れなかった」そうそう。

 日本でわくわくドキドキの体験をたくさんしてほしいです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「カンタ展 in 岩立テキスタイルギャラリー 」

2022-02-12 00:00:01 | エッセイ、コラム

 インドの手刺繍布カンタ

20220107
ぽかぽか春庭アート散歩>2021アート散歩拾遺・民族の布と服(1)カンタ展 in 岩立テキスタイルギャラリー

 岩立フォークテキスタイルミュージアムは、自由が丘駅から5分ほど歩いたところのマンションの中にある小さなミュージアムです。館長岩立広子さんがアジアを中心に集めてきた布地を展示販売しています。

 今年、経営が成り立たなくなり、閉館を決めました。10月に閉館のニュースが新聞文化欄に載ると、にわかに日時予約がいっぱいになり、私と娘が観覧できたのは最終日12月11日のキャンセル待ちでした。



 館からのメッセージ
 岩立フォークテキスタイルミュージアムは、館長 岩立広子が長年収集した染織品を基礎に開設された、小さな美術館です。
1965年の中南米に始まり、インドへの旅から本格的な収集が行われました。多彩な文化を持つインドの、名もなき民が生み出す「大地の布」の美しさに魅せられ、情報の全くない時代、「車窓から見た女性たちのスカートの柄に惹かれ、近くの染め場を訪ねる」 といった、手さぐりの出発でした。
現地の人々や風土に触れ、暮らしの中にある染織品を収集し、およそ50年間、インドを中心に世界各地を訪れました。
 現在、インドの収集品が約4000点、その他の国が約4000点、計8000点余りの染織品を所蔵し、年3回の展覧会を企画、運営しています。

 手間暇を惜しまず、労力を顧みず作られた、かつての美しい布に実際に出会える美術館です。

「カンタ——母からの贈り物」
2021年7月29日(木)- 12月11日(土)まで延長
会期中の木−土曜の10時-17時開館

展示室内


 岩立広子の口上
 かつてのベンガル州で作られたカンタは、使い古しの白木綿を4、5枚重ね、農作業や日常の暮しの合間にコツコツと刺されて仕上がった廃物利用のキルトです。しかし糸でつづられた物語の様なデザインの楽しさはだれにも眞似が出来ない純な思いが伝わってきます。カンタを見て心動かされない人はめったに居ないでしょう。使い終った白木綿が更に輝きを増すやさしさに包まれ、布仕事の無限の樂しみです。只のボロ布が母の手で清められ再びよみがえった布です。特別な一瞬です。是非見て頂きたい一点ものの作品です。

 カンタは、使い古しの布地を重ねて、伝統の刺繡をほどこし、美しく仕上げて母から子へ伝えられてきました。
 刺繍のモチーフは花や鳥、象や牛など、身近な動植物が多いです。


 室内の展示物は撮影禁止で下が、室外階段などの展示はOKと言うことでしたので、撮影させてもらいました。


 フォークテキスタイルミュージアムとして公開していくことは経営上難しくなったということですが、岩立さんのアジアやラテンアメリカの布地収集と研究はこれからも続いていくと思います。

 現在、世界では各地に伝わってきた手仕事の作品が急激に失われてきています。手間暇かかる手仕事より、大量生産の品を買うほうが安上がりで、布地を作り上げるより、縫製工場などに働きに出て賃金をえる仕事を見つけたほうが現金収入が多くなる。大量生産品の布地を買ったほうが手っ取り早いのです。
 布地の仕事を保存するためには、国やユネスコが適正な価格で製作品を買い取るようにしなければならないと思います。

 民族の魂を織り上げ刺繍してきた布地。失われてしまう前に、1枚でも集めて残していきたいです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「民族衣装展 in 文化学園服飾博物館」

2022-02-10 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220210
  • ぽかぽか春庭アート散歩>2021アート散歩拾遺・民族の布と服(1)民族衣装展 in 文化学園服飾博物館

 世界中にさまざまな独自の衣裳があります。それぞれの民族が糸を紡ぎ染め、織機を動かし針と糸で美しい衣裳を作ってきました。
 私は、20代からラシネ の民族衣装の本をめくって西欧の民族衣装も見てきたし、特にアジアアフリカの民族衣裳を、ただ好きで見てきました。

 展示室に「ラシネ民族衣装」の原本が展示してあるコーナーもありました。私が持っていたのは、古本屋100円本コーナーで買った文庫本サイズでしたが、原本は大判であったこと、はじめて知りました。

 今回は、「民族衣装 -異文化へのまなざしと探求、受容-」というテーマのもと、民族衣装がファッション界にどのように影響を与え受容されていったか、ということを追求していて、興味深い展示でした。

会期:2021年11月1日(月)~2月7日(月)

 文化服装学院美術館の口上
 世界では、それぞれの地域で多様な民族衣装が着られています。それは現代では誰もが知る感覚ですが、情報が少なく世界が隔てられていた時代には、自分たちと異なる民族がどのような生活をし、どのような衣服を着ているのかは容易に知ることはできず、それを知ることは人々の好奇心を満たし、また重要な情報のひとつとなりました。
 展示では、民族衣装が描かれた書物や、民族衣装の研究、フィールドワークなどに焦点を当て、ヨーロッパや日本において、アジアやアフリカの民族衣装がどのようにとらえられてきたのかを探ります。またデザインやカッティングなどに民族衣装の影響を受けたヨーロッパのドレスを、元となった民族衣装とともに紹介します。

 第1室は、世界各地の民族衣装。いろいろなコレクターの努力が結集しての展示。今では手に入らないものも多いと思います。
 
 展示室内


 第2室では、世界の民族衣装が新しいファッションデザインの源泉になっているようすがわかりました。


 中国の模様を取り入れたガウン。
    

 アラビアの男性衣裳をとりいれたイブ・サンローランの女性ドレス

    

 民族衣装の影響を受けたドレス

 

 アートの世界でも、ピカソらがアフリカ彫刻からインスピレーションを得て作品を作り上げるなどの、民族芸術からの影響は指摘されてきましたが、ファッションの面でも、民族衣装が大きな影響を与えていたこと、展示によってよくわかりました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ハンドバッグの中身展 in アクセサリーギャラリー」

2022-02-08 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220208
ぽかぽか春庭アート散歩>2021アート散歩拾遺華麗なる職人技(3)ハンドバッグの中身展 in アクセサリーギャラリー」

 娘はガラス玉のアクセサリー制作などのために最近訪れていましたが、私がアクセサリー美術館を訪れたのは10年ぶりぐらい。
 今回は、アクセサリーだけでなく、ハンドバッグとその中身の女性小物をあれこれ見ることができる、というので、会期終了前に娘と出かけました。

会期:2021年1月19日(火)~12月11日(土)

 女性のスカートが膨らんでいてくじらの骨かなんかのコルセットをしていた時代には、ポケットをスカートの中に縫い付けてたので、化粧道具やハンカチなどをいれておくことができました。しかし、ココ・シャネルらの女性衣裳の革命が起きて、スカートが動きやすい細身のスタイルになると、小物入れが必要になりました。ハンドバッグの登場。そしてハンドバッグそのものがアクセサリーとして衣裳を引き立てる小道具になりました。

 2階展示室でバッグの歴史的な解説を読みながら、すてきなハンドバッグを見て歩きました。「あ、このビーズバッグは、私が成人式のとき着物といっしょに買ってもらったのとよく似ている」などと娘に伝えながら、さまざまなハンドバッグを観覧。

 時代時代の女性たちが、ハンドバッグの中にいれておいた、化粧道具やハンカチも、展示されていて興味深かったです。

展示室
 
 ハンドバッグの展示


 華麗なアクセサリー。
 アクセサリーギャラリーは、高価な宝石ではなく、ガラス玉のような安価なものでも、デザインを重視した作品を展示しています。

 ガラス器大好きな娘は、ラリック、ドーム兄弟などのガラス製品の展示がよかったと、見入っていました。

 ラリック

 ちゃんと記録しておかないので、写真を見て、どれがドーム兄弟でどれがティファニーの製品なのかわからなくなったので、とにかくならべておきます。






 日頃は、結婚指輪も含めていっさいのアクセサリーを身につけたことがない春庭ですが、美術鑑賞としてながめるなら、ブレスレットもブローチも、ネックレスもすてきだなあと眺めていられます。
 パソコン仕事するには指輪もブレスレットも邪魔、と思って日常生活にアクセサリーは縁がないし、すてきなアクセサリーやハンドバッグを身につけておでかけすることもないしと思っているのですが、時代時代の衣裳を彩ったアクセサリーやハンドバッグの展示をひとときを愉しむことができました。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「アジアのうつわワールド展 in 五島美術館」

2022-02-06 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220205
ぽかぽか春庭アート散歩>2021アート散歩拾遺華麗なる職人技(2)アジアのうつわワールド展 in 五島美術館

 五島美術館庭園で紅葉を楽しんだあと、展示室1・2で「町田市立郷土博物館所蔵アジアのうつわワールド」を鑑賞しました。
 町田市立郷土博物館は、新たに町田市立国際工芸博物館として生まれ変わるため、いったん閉館します。閉館の間、所蔵品の一部が貸し出され、五島美術館でもアジアのうつわの展示が行われました。
 
 会期:2021年10月23日(土)〜2021年12月5日(日)

 五島美術館の口上
 お休み中の町田市立博物館から中国陶磁や東南アジアのやきもの・中国ガラスがやって来ます。町田市立博物館は陶磁器やガラスなどの美術工芸品の収蔵で知られる博物館です。
 今回の展覧会では、町田市立博物館のコレクションより中国と東南アジアのやきもの約60点と、鼻煙壺をはじめ珠玉の中国ガラス約40点を一挙公開します

 
 第1室は、町田市立博物館所蔵の陶磁器展示です。


 第2室に娘のお目当てのガラス器「鼻煙壺」がありました。
 鼻煙壺(ビエンコ)とは、清朝時代に貴族たちが愛用した「嗅ぎたばこ」を入れて持ち運ぶ、高さ10センチにも満たないほどの小型容器 です。精緻な技巧があしらわれており、小さいながらもガラス器の美しさを存分に発揮しています。
鼻煙壺の展示 

 小さなガラスの壺に精緻な模様がついています。


 チラシの裏側

 アジアの陶磁器や絵画を多く所蔵している五島美術館ですが、今回のように他館所蔵品も幅広く見る機会があり、よかったです

 上野毛駅に戻る途中、アンクルサムというサンドイッチ専門店のイートインで休憩。美術館入場券はぐるっとパス利用でお金使わないようにしている母娘は、サンドイッチひとつ1700円というので、2人前注文することができず、1人前だけ頼んでふたりでシェアしました。むろん、おいしかった。
 サンドイッチひとつ1700円でびっくりすることもないと思う人もいるでしょうが、JRキヨスクで買ういつもの昼御飯用のサンドイッチは300円なので。

 上野毛。東急の創始者五島昇(別名「ゴート―(強盗)のぼる」という呼び名があったという)一家の家が建っている土地ですから、サンドイッチも1700円くらいして当然ですけど、、、、。どうにもけち臭い母は、2人前買えない身であることが、ちょいと残念で。
 一冊2500円の「ぐるっとパス」使い倒すまで美術館博物館をめぐり、「元をとろう」と考える母娘、1月23日までの2か月間で十分にめぐりにめぐりました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ブダペスト工芸博物館展 inパナソニック汐留美術館」

2022-02-05 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220205
ぽかぽか春庭アート散歩>2021アート散歩拾遺華麗なる職人技(1)ブダペスト工芸博物館展  in パナソニック汐留美術館

 ガラス器大好き娘は、ブダペスト工芸博物館展もとても楽しみにしていました。ルネ・ラリック、エミール・ガレ、ドーム兄弟らの作品をはじめ、ヨーロッパのガラス工芸が多数展示されているというパナソニック汐留美術館を訪れました。
 会期・2021年10.9ー12.19

 いつも会期終わりに駆け込むことがおおく、こみこみなので、会期真ん中くらいに行ってみたのですけれど、日時指定制で人数制限していたわりに、みな花瓶も皿もじっくり見入っているせいか、かなり混んでいた印象です。会場が狭いのも原因のひとつで、こみこみに感じるのですが。

 パナソニック美術館の口上
 古くから、日本や中国の工芸品は西洋にとって憧憬の的でした。とりわけ陶磁器やガラスの製品においては、日本や中国の工芸を手本として、材質、形状、装飾などの面で様々な試行錯誤が繰り返されてきました。19世紀後半、日本の美術工芸品がヨーロッパに流入すると、日本の文化に対する人々の熱狂を巻き起こし、西洋の工芸品やデザインに影響を与えるようになります。1854年の開国以降、日本では欧米との貿易に拍車がかかり、ヨーロッパやアメリカの愛好家の求めに応じて多くの美術品や工芸品が輸出されました。
 日本の文化、また日本そのものに対する憧れによって、ジャポニスムは西洋の作家やデザイナーたちの間で流行のスタイルとなったのです。その影響は、19世紀末の西洋諸国を席巻したアール・ヌーヴォー様式の作品にも大いに見られます。そして、ヨーロッパ諸国の他の工芸美術館と同様、ブダペスト国立工芸美術館も1872年の開館当初から、ジャポニスム様式の作品とともに日本の漆器や陶磁器を始めとする日本の工芸品を積極的に収集してきました。
 本展覧会は、日本の美術を西洋がどのように解釈したか、そして日本の美術や工芸がどのようにして西洋に影響を与えたか、そのありようを19世紀末葉から20世紀初頭までの工芸作品の作例を通じて辿るものです。ジャポニスムとアール・ヌーヴォーをテーマに、ブダペスト国立工芸美術館のコレクションからエミール・ガレ、ルイス・カンフォート・ティファニーらの名品とともに、ジョルナイ陶磁器製造所などで制作されたハンガリーを代表する作品群を含めて約170件(約200点)をご紹介いたします。

 館内、展示室はすべて撮影禁止ですが、展示室外のロッカー前のポスターと展示室出口のブダペストのスライド写真は撮影OKでした。(展示品の画像は借り物)



 《菊花文花器》エミール・ガレ 1896  
 

 ルイス・カンフォート・ティファニー孔雀文花器 1898以前
エミール・ガレ洋蘭文花器1900頃
エミール・ガレ蜻蛉文花器1920 
 
  ドーム兄弟 多層間金箔封入小鉢1925-1930
建築の中の装飾陶板 -1900年パリ万博のビゴ・パビリオン 
 ルネ・ラリック

 ジャポニズムがヨーロッパの工芸に与えた大きな影響に思いをはせながら、会場を回り、動物文も植物文も日本人の心にすっと入ってくる美しさでした。

 

<つづく>
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ぽかぽか春庭「キューガーデン・ボタニカルアート in 庭園美術館」

2022-02-03 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220203
ぽかぽか春庭アート散歩>2021アート散歩拾遺冬(3)キューガーデン・ボタニカルアートin 庭園美術館

 庭園美術館「キューガーデン英国王室が愛した花々シャーロット王妃とボタニカルアート 」展
 会期:2021年9月18日-11月28日

 美術館の口上
 英国王立植物園「キューガーデン」はユネスコ世界遺産に登録され、22万点を超えるボタニカルアートを所蔵する世界最大級の植物園です。
 はじまりは、1759年にジョージ3世の母であるオーガスタ皇太子妃がロンドン南西部に造った小さな庭園でした。ジョージ3世とシャーロット王妃の時代にその規模を飛躍的に広げ、当時ヨーロッパを席巻していた啓蒙思想などを背景に、研究機関としての整備も進みました。
 本展では、18~19世紀に制作されたキューガーデン所蔵の貴重なボタニカルアートコレクションのほか、シャーロット王妃が愛し、王室御用達となったウェッジウッド社など陶磁器の数々を展示します。時代が大きく変革していく中で、英国において自然科学や植物画がどのように発展し、どのような歴史的背景を歩んできたのか、変遷をたどります。
 精緻な描写による科学的視点と、目を奪われるような美しさが共存するボタニカルアート。世界中から集められた色とりどりの花々に囲まれるこの機会をどうぞご堪能ください。
 
 庭園美術館の雰囲気はいつものとおりゆったりした空間ですが、人出は以前より増えていました。前回は、観覧しているのは私と娘だけ、という展示室もあったのですが、「キュー植物園の植物画」の会期がまもなく終わるという時期だったせいもあり、また、茶室光華庵公開がはじまった、というタイミングでもあって、密とはいわないまでも、なかなか人気でした。

 キューガーデンの創始者オーガスタ皇太子妃の息子の嫁。シャーロットの肖像。オーガスタの息子ジョージⅢ世の妻は、英国の政治に口を出さないであろうという思惑からドイツの小国から選ばれたシャーロット。
 シャーロットの実家は確かに英国政治に野心を持ったりしなかったようですが、シャーロットは姑からひきついだキューガーデンを充実させ、そのほか「クイーンズウェア」の称号を与えたウェッジウッド陶磁器を世界的メーカーにする役割など、イギリスの富と学術に貢献しました。

 ちなみに、ウェッジウッドの創始者の孫は、進化論のチャールズ・ダーウィン。進化論が成立するためにも、ウェッジウッドの富が役立ったと思えば、シャーロット王妃は世界史的にもなかなかの人物。エリザベスⅠ世のように表舞台には出なくても、自分に与えられた範囲で、能力を発揮する人は発揮していたんですね。

 ヨハン・ゾファニー シャーロット王妃の肖像 1772年 メゾチント、紙 個人蔵 


  チューリッパ・シルベストリスの栽培品種(ユリ科)byシデナム・ティースト・エドワーズ 1809年 黒鉛、水彩、紙 キュー王立植物園蔵


ロードデンドロン・ポンティクム(ツツジ科))by ピーター・ヘンダーソン。ロバート・ジョン・ソーントン編『フローラの神殿』より 1802年 銅版、紙 個人蔵 培品種(ユリ科) 1809年 黒鉛、水彩、紙 キュー王立植物園蔵 


  ボタンの栽培品種(ボタン科) byシデナム・ティースト・エドワーズ 1809年 銅版、手彩色、紙 個人蔵

 R.J.ソーントン:フローラの神殿(シクラメン)

 イスメネアマンカエス by シデナム・ティースト・エドワーズ  1813年 黒鉛、水彩、紙



 展示のうち、撮影が許可されていたものは少なかったです。
 新館のコーナーに、貴族の室内が再現されていました。当時の金持ち階級では、ウィリアム・モリス柄の壁紙にボタニカルアートを飾るのが流行。テーブルにはウェッジウッド。


 この室内再現の壁に飾られていたボタニカルアート

 約200点にも及ぶ展示品のうち、原画、印刷された白黒植物に手で彩色をほどこしたもの、後世のコピー印刷の3種類がありますが、この再現室内の絵はコピー印刷のものと思います。私には区別がつかないので、展示の全部が印刷でも撮影自由のほうが絵に親しめるかも。



 ウェッジウッドのクイーンズウェアは、アールデコのお屋敷旧朝香宮邸にお似合いの展示でした。これだって、私にはウェッジウッドの本物なのか、〇〇産模倣陶磁器なのか、区別はつかぬ。

 ウェッジウッド ポートランドの壺 18世紀(1790年頃完成) ジャスパーウェア(炻器) 個人蔵 
 ウェッジウッド 蓋付き深皿(クイーンズウェア) 1765-70年 クリームウェア(陶器)、エナメル彩 個人蔵

 日本や中国の陶磁気器絵付けの影響を受けたテーブルウエアが西欧貴族のステータスになりました。

 「こんな本物のウェッジウッドで食事を出されたら、コーヒーカップ落として割ったらどうしようとか気になっておちおちお茶も飲めない」と、娘と言い合う貧乏育ちの鑑賞会。

 庭園美術館併設のレストラン・デュパルのランチコースが高いわりに居心地悪いと文句付けたあとの本館新館観覧でしたが、ボタニカルアートの精細な植物描写で気分も上々となりました。

 最後に、シャーロット王妃の英国社会への貢献をもうひとつ。ボタニカルアートの分野では女性画家が大いに活躍し、女性のためのボタニカルアートスクールも開設されました。
 女性の職業が限られており、教育を受けた女性の働き場所はほとんどありませんでした。上流中流下流の身分区別がはっきりしていたイギリス社会では、下流の女性は召使いや洗濯女などの下働きに出て、中流家庭女性の仕事としては、ジェーン・エアがそうだったように家庭教師の仕事がありましたが、上流家庭女性は職業婦人になることなど考えられなかった時代でした。そのころ、シャーロット王妃のもと、女性が活躍できたのが植物画の分野です。職業として確立したものであったとはいえない場合もあったでしょうが、女性が、家政や子供の教育以外で能力を発揮できる場所ができたことは画期的なことでした。

 さて、ボタニカルアートについて、補足です。2016年5月に川原慶賀の植物画を埼玉県立近代美術館で観覧して図録も買い、「川原の植物画については、のちほど記録します」と20160513のブログに書いたのですが、その後川原慶賀の図録を買ったことさえ忘れていて、家の本箱のどこかにはあるはずですが、さて、どこに行ったのでしょう。掘り出した写真だけでもUPしておきます。

 日本のボタニカルアート先駆者ともいえる川原慶賀。シーボルトに委嘱され、せっせと日本中の植物を精緻に写生しました。
 日本には蘭癖大名などが日本流植物画を出版したりしてきましたが、「科学的な目を持って写生する」という意識を持って植物画に取り組んだのは川原が最初かと思います。

 ボタニカルアートの世界。私にはただ楽しむだけの植物の絵ですが、環境の変化で絶滅寸前の草花も多い現在、葉や根、種まで正確に描いた図版は、貴重な記録と思います。

<つづく>
コメント (2)
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