春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

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ぽかぽか春庭「2020年12月目次」

2020-12-31 00:00:01 | エッセイ、コラム


20201231
ぽかぽか春庭「2020年12月目次」

皆々様、2020年、いかがお過ごしだったでしょうか。
 ステイホーム中にも、春庭サイトへお越しくださり、応援マーク等、またコメントをいただきありがとうございました。
 また、静かな日常生活を書き綴ってくださった方、お連れ合いが旅立つつつらい日々を過ごされた方、アメリカとブラジルの感染者数を毎日記録して、さまざまなことにご意見UPの方、執筆の仕事が減ってしまった中、アルバイトでしのぎながら自分の書くべきことを書いた方、それぞれのブログ記事に心打たれつつ読ませていただきました。

 皆様の2021年が健やかで実り多い年となりますよう、よいお年をお迎えくださいませ。

1201 ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>2020二十重日記秋色の空(6)大人の遠足北浦和公園

1203 2020建物めぐり(1)江戸東京たてもの園
1205 2020建物めぐり(2)旧岩崎邸
1206 2020建物めぐり(3)横浜の建物
1208 2020建物めぐり(4)旧清水邸&旧朝倉家住宅

1210 ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>2020庭めぐり散歩(1)横浜三渓園
1212 2020庭めぐり(2)東京の庭巡り

1213 2020二十重日記行楽横浜(1)ロイヤルウイングクルーズ
1215 2020二十重日記行楽横浜(2)帆船日本丸
1217 2020二十重日記行楽横浜(3)横浜建物拾遺

1219 2020二十重日記行楽東京(1)赤坂迎賓館
1220 2020二十重日記行楽東京(2)小泉八雲展
1222 2020二十重日記行楽東京(3)シャンシャンに会いに行く
1224 2020二十重日記行楽東京(4)クリスマスコンサート in 静嘉堂文庫 &岡本民家園

1226 ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌(1)2020の日本語学校&クリスマス会

1227 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2020二十重日記(1)2020回顧その1
1229 2020二十重日記(2)2020回顧その2
1230 再録アストリッド

 年末年始も医療や介護に尽くす方、ありがとうございます。この1年をいっしょうけんめい過ごしてこられた方々すべてに感謝。
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ぽかぽか春庭シネマパラダイス「再録アストリッド」

2020-12-30 00:00:01 | エッセイ、コラム
20201230
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>再録アストリッド

 なぜか、「アストリッド」についてUPした記事が、画像のみ反映されていて記事がよめなくなっています。なんど再アップしても同じなので、ここに再録しておきます。
~~~~~~~~~~~~~~


20201124
ぽかぽか春4シネマパラダイス>2020虹のかなたに(3)アストリッド 

 2019年の映画『アストリッド(原題Unga Astlid)』を邦題『リンドグレーン』にしてしまったのは、売るためには仕方がなかったとは思います。『長靴下のピッピ』の作者がリンドグレーンだということをかすかに記憶している読者でも、彼女のファーストネームがアストリッドだということまで覚えているのはかなりコアなファンだろうから。
 「アストリッド」というタイトルだと、映画見ようかという層は限られるけれど、リンドグレーンなら「カッレ君」ファンも「ロッタちゃん」ファンも「あ、子供のころ読んだあの作家か」と興味を持つかもしれない。

 世界中から届いたファンレターを、晩年の彼女(93歳の長命の作家でした)が読んでいる姿から映画は始まります。彼女の紡ぎだした物語に夢中になった子供たちが「どうして子供の心がわかるのですか。あなたが子供だったのはずっと昔のことなのに」と、無邪気な質問を寄せます。
 この映画は、一人の少女アストリッドが「リンドグレーン」という筆名を持つまでの話です。邦題をつけるなら「アストリッドがリンドグレーンになるまで」というほうが的確だったかも。
 アストリッドがリンドグレーンになるまでもいろいろ修羅場があったのですけれど、それはまた別のお話。(妻子あるリンドグレーンとアストリッドの恋愛)

 文才を見込まれ、新聞社の助手に採用されたアストリッド。友達の父親である社主と恋愛関係になりますが、離婚をしぶる妻ともめているうち、アストリッドは離婚成立前に妊娠。アストリッドは出産を決意します。
 厳しいキリスト教社会の中で、シングルマザーとして生きるには、大きな試練がありました。アストリッドが働いて子供の養育にかかる費用を稼ぐには、息子を里子に出し、養母に養育を託さなければなりませんでした。

社主かがようやく離婚を法的にクリアし、アストリッドに「やっと結婚できる。子供を引き取っていっしょに暮らそう。これからは仕事をやめて家庭のなかだけでくらせるよ」と言ったとき、アストリッドは求婚を拒絶します。社主は古い女性感をアストリッドに押し付けるだけで、自立して生きようとする女性を認めない男でありアストリッドを少しも理解していない男だったのです。アストリッドは社主と分かれシングルマザーを続けます。

息子はたまに顔を見に来る生みの親より、毎日いっしょに暮らす養母に懐いています。
しかしデンマークで里子の世話を続けてきた養母は病気になり、アストリッドは5歳になった息子を引き取っていっしょに暮らすことにしました。しかし息子は養母を慕って泣きます。
デンマーク語とスエーデン語の違いという壁もありました。

デンマーク語とスエーデン語の違いは博多弁と青森弁くらいで同じ仲間の言語ですが、こどもには違和感があったでしょう。やっと会えた母親と言葉が通じないこともあるとつらかったでしょう。
しかし、アストリッドの家族とも次第に打ち解け、アストリッドは出版社の校正係として働き続けます。上司のリンドバーグ氏がシングルマザーのアストリッドに親切にしてくれるのが救いです。

映画は、アストリッドがたくましくも愛らしいキャラクターの子供たちを描き出した背後には、彼女の苦あり涙ありの人生模様があってのことだ、ということを描き出していました。
 平穏無事な一生で、泣くことなど一度もない幸福な人生を送ったという女性作家もいたのかもしれませんが、ムーミンのトーベ・ヤンソンにしても、ピッピのアストリッド・リングレーンにしても、北欧の女性作家、強い意志を持って自分の道を切り開いていった生き方、いいなと思います。

 もう一人、北欧女性作家は「ニルスの不思議な旅」)のスウェーデン女性作家セルマ・ラーゲルレーヴ(1858-1940)がいます。スウェーデン最初のノーベル文学賞受賞者あるラーゲルレーブは、女性解放論者でもありました。
 
 女性の地位は参政権や男女機会均等法など法的には100年前150年前とは格段の違いがありますが、セクハラ問題やら夫婦別姓問題やらまだまだ日本の女性たちが抱えている問題は大きい。
「オールドミスを主人公にしたら、だれもそんな小説を読まない」と出版社に説得されて妥協し、ルイザ・メイ・オルコットは、自分自身は生涯独身であったのにもかかわらず、自らの自伝小説でもある『Little Women』では、3人の姉妹はそれぞれ結婚するストーリーしました。

 現代ではオルコットのような妥協なんて昔話かと思いきや、ある女性作家のことばに「新人賞をとるためには、審査員が男性ある以上、彼らの価値観に沿った女性像を描かなければ、読んでももらえない。まず、下読みする雑誌社の男性社員の価値観に沿い、最終候補作を読む男性審査員に嫌われないように書かないと」と語っていたのを読んだことがありました。

 リンドバークやトーベ・ヤンソンが果敢に自らの人生を切り開き、文学を豊かにしていったあとを、私たちは受け継いでいけるのでしょうか。

監督・脚本:ペアニレ・フィシャー・クリステンセン
製作:マリア・ダリン アンナ・アントニー ラーシュ・G・リンドストロム
製作総指揮:ヘンリク・ツェイン
アストリッド:アルバ・アウグスト、
マリア・ボネヴィー、
マグヌス・クレッペル、
ヘンリク・ラファエルセン、
トリーネ・ディアホム

 スエーデンの映画、なじみのない俳優さんばかりでしたが、とてもいい演技でいい映画でした。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「2020回顧我が家の反ひきこもりその2」

2020-12-29 00:00:01 | エッセイ、コラム
20201229
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>2020二十重日記師走(1)2020回顧我が家の半引きこもりその2

 2020年、どちら様にとっても特別な年だったことでしょうね。予定したことが次々に出来なくなるし、会いたい人には会えないし。よいことが少なかった年になってしまった方が多かったと思います。 
 そんなこんなの2020年。私にとっては「娘が楽しい思いをたくさんするように、そして楽しい思いが免疫力をUPするように」と、せっせとお出かけした今年後半になりました。

 娘は出かけた先で、図録やグッズを買い込むことを楽しみのひとつにしていて、各地で必ず買ったのがクリアファイルとコースター。美術館博物館では、ほとんどの図録を買っていました。私は招待券で入館したときは図録を買うけれど、チケットを購入したときは図録はがまん、という方針だったので、図録はめったに買いません。娘が買った図録を私が先に見て、見終わったら娘に返して娘は大事に保管、ゆっくり眺めて、出掛けた先の思い出を反芻するというパターン。

 図録の一部コースターの一部


 お出かけ先でフォトサービスがあると撮影もらい、一枚1500~2000円くらいのを買い取っていました。ケチな私は、自分のカメラで写すだけで十分と思うのですが、プロに撮ってもらうのは気分が違うそうで、、、、


 もうひとつの娘の楽しみはミニアルバム作り。スマホでとった写真でミニアルバム作成をするインターネットアプリがあるそうで、会員は無料で紙のアルバムにしてくれるのです。「お出かけ先の記録になるし、母はネットで見るより紙アルバムのほうがいいだろうから」と、アルバム編集をお出かけ後の楽しみにしています。11月12月は出掛ける日が多くて、ミニアルバム作りが追いついていないので、秋の出雲旅行以後のアルバムはお正月にゆっくりと作成予定ですと。
 

 出かけた先で買うおみやげ、9月の大相撲見物で買ったお土産セット。力士紹介冊子のほか、国技館名物焼き鳥、ゴーフル、土俵チョコ、国技館レトルトカレーが入っていて5000円。焼き鳥とカレーはすぐに食べましたが、チョコはまだとってあります。


 楽しい思い出がたくさんできて、我が家にとっては「どこに行っても、すいててよかった」という具合になりましたが、爆買いの顰蹙はたっぷり貯金?貯顰蹙?できたので、こののちは、私のできることでお詫び行脚を、、、、アン、ギャッ、、、、、。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「我が家の反ひきこもり2020回顧その1」

2020-12-27 00:00:01 | エッセイ、コラム

20201227
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2020二十重日記2020回顧(1)我が家の反ひきこもり2020年回顧その1

 世はあげてステイホーム。家籠もりをきちんと守った方々にはひょいひょい出掛ける一家は、顰蹙爆買いなのはわかっていたのですが、いつもよりお出かけが多くなりました。

 私は仕事が自宅待機となった間は、さすがに毎日家にいたのですが、出勤するようになったあとは、「学校の人以外で濃厚接触する人はいない私、もし感染するとしたら、電車の中でだろうけれど、全員律儀にマスクをして、繰り返し「会話はおひかえください」というアナウンスが流れている電車内では、濃厚接触とはいえないし、電車に乗って、感染予防徹底している場所に出掛けるのはアリだなあと判断しました。この判断が間違っていたとしたら「ほら見たことか、大馬鹿者め」と嘲られるのは覚悟。

 というのも、現在免疫力低下が懸念されている娘は、人混みや行列が大嫌い。どんな有名店の新スイーツが話題になっているとしても、行列していたらいきません。ほとぼりがさめて行列などなくなってからお試しに買う。もう流行が終わっていることになります。ですから、今年の自粛でどこも「人との間隔を2mあけましょう」ということになって、美術館などは密にはならない環境です。11月と12月はせっせとお出かけしました。反ひきこもり生活。

 娘の健康状態も決して安心できませんが、もっとひどいことになってしまったのが、夫タカ氏です。長年の不摂生がたたり、この秋から「腎臓透析」を受ける身となってしまいました。週3回、火木の夜と土曜日の午後、病院に行ってベッドに横たわり、透析を受けなければなりません。しかも、昼の間飲む水分量が厳しく制限されています。コーヒーがぶ飲みが大好きで、一日3回も近くのコーヒー店に通っていた夫にとって、好きなだけコーヒーを飲むことができなくなったことが一番つらい。

 病院のベッドに3時間横たわっている間は、読書タイムと思えばそうつらいとは思わないのだそうですが。読み終わった本のうち、妻にも読ませようと思う本を回してきます。今週は東野圭吾の新作「ブラック・ショーマン名もなき町の殺人」が届きました。2020年11月20日発行の新作。私は古本屋の100円本ばかり読んできたので、こんな出たての初版本で読むことは久しぶり。
 喜べない夫の透析生活ですが、これまで不摂生を絵に描いたような生活が、「きちんと医師に言われた食事制限飲水制限を守る」生活になり、かえって今後は「一病息災」かもしれません。
 一日おきの透析生活ですから、2泊以上の旅行もできません。「海外旅行なんて無理になったなあ」と嘆きます。夫にとっては、世間様無関係の病院引き籠もりです。

 私と娘は、年末年始はフィギュアスケートテレビ観戦と年始の全日本駅伝箱根駅伝のテレビ応援が世間様並のひきこもりになるかな。

 我が家の楽しみのひとつであるフィギュアスケート。コロナのために多くのスケート大会が中止になり、開催できたグランプリシリーズNHK杯は、国内選手と日本で練習している韓国ひとりのみの参加になるなど、例年とは異なるシーズンとなりました。
 それでも、テレビ放映があれば録画しておき、順次見ています。グランプリシリーズロシア大会では、ロシアのほかは周辺の旧ソビエト連邦国からの参加のみでしたが、ぴょんぴょんくるくると4回転を決めていくようす、2022北京冬季五輪には女子シングルも4回転が決め手になってくるのかなあと思いました。トゥクタミシェワがさすがの貫禄で優勝。それでも北京は若手が有利かなと感じました。

 NHK杯。男子シングルは羽生も宇野もいない中、鍵本らの若手ががんばったし、女子シングルは坂本花織が優勝。

 注目は高橋大輔村元哉中の公式戦初登場。2020年1月に見たKOSÉ新横浜スケートセンターでのアイスショー、エクスプロージョンで高橋が村元とちょこっとだけ二人で組んですべるようすをお披露目しましたが、このときはまだまだよちよちダンスの状態で、はたしてたった1年でどこまでアイスダンスらしくなっているのか、期待半分心配半分で見守りました。
 スケート靴がシングルとアイスダンスでは異なり、ステップの仕方もエッジの使い方が違うという、スキーの選手がモーグルに転身するような難しさがあると言われているので、高橋がどこまでアイスダンスらしくできるのか、と見つめました。

 3組出場中、日本に帰化して小松原尊となったティム・コレトと小松原美里組が1位は当然として、ショートでは2位になった高橋村元組。フリーでは大ちゃんらしく(?)こけた減点があったために3位になりましたが、1年前と比べて、思った以上に仕上がっていると感じました。肝心のエッジワークを見極める目がないから本当のところはわからないし、リフトやツイズルがまだまだなのも素人目にもわかるけれど、これからの勝負の1年間、娘はアイスエクスプロージョンで買った「ダイスケだいすきタオル」を振って応援しようと待っています。

 25日夜の全日本フィギュア。久しぶりに公式戦に出た羽生結弦選手。さすがの貫禄でトップに立ちました。スピンをとりこぼしたのですが、ショート103点強。2位鍵山3位宇野に差をつけました。女子ショートは紀平坂本三原。
 26日、男子シングルフリー。順当に優勝羽生2位宇野3位鍵山。アイスダンスショートは小松原組一位高橋村元組2位。フリーも楽しみ。

 家にいたらいたで、楽しみはたくさんあるので、年末年始、ゆったり過ごします。

 メダリストオンアイス(全日本エキシビション)のゆづ様



 こんな我が家のひきこもり&反ひきこもり生活、家ですごす楽しみもいろいろある中、次回はお出かけ山ほどの報告です。

<つづく>

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ぽかぽか春庭「2020年の日本語教室の1年」

2020-12-26 00:00:01 | エッセイ、コラム
2020/12/26
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>2020日本語学校の1年(1)クリスマス会

 どこの2020年回顧も、「いやあ、さんざんな年だった」ということになるのでしょうが、日本語教育界も、激動の年でした。
 2020回顧は、まず仕事の話から。
 2019年4月に入管法が変わりました。労働ビザの要件が変わり、これまでの「高度な専門知識を要する労働ビザ」や「介護看護の資格を持っている人のビザ」のみでなく、非熟練労働目的でも労働ビザで働けるようになったのです。
 その変わり、日本語学校入学審査が一段と厳しいものに変わりました。

 これまで実際は労働目的で来日したいのに、労働ビザがおりないから日本語学校に籍をおき、留学生資格で週28時間まで許されているアルバイトに就く。そして実際には学校へは居眠りをしに来るだけで、2か所のアルバイト先を掛け持ちして28×2=56時間も働く、という留学生がいたという現状がありました。

 入学書類審査、バングラディシュやネパール、ベトナムなどの留学希望者に、これまでとは格段に厳しく来日後の生活と学費の支給条件を課しました。年間収入の低い国では、日本の高い学費生活費をまかなえないと見なされ書類審査ではねられてしまうのです。これまでは仲介業者に借金をして入国審査に通ってきたらしいのですが、実際の預貯金書類まで提出しなければなくなったので、ネパールやベトナムの学生はほとんど審査を通ることができなかったようです。そのため、ベトナム人やネパール人留学生を中心に学校を運営してきた学校は、事業縮小をせざるをえず、倒産する学校もあるし、クラスを担当する日本語教師が25人いたのに、15人が解雇された、という話をききました。

 私が働く日本語学校は、中国からの留学生が多く、富裕層が増えている中国なので預貯金の証明書はOKだったのですが、コロナ蔓延の時代、せっかく許可された留学ビザをけって日本への留学中止を決めた学生が出ました。

 春庭の仕事、3月に学校一時閉鎖が決まり、オンラインでリモート授業が開始されました。春庭も家にWifiを入れ、いざ、オンライン授業と思ったのですが、木造一戸建てでご近所の家も立て込んでいる地域、Wifi環境が途切れるので授業になりませんでした。

 春庭は授業担当をはずれ、自宅待機中は、教材作成に専念。毎日、どの教材が仕上がったか、メール添付で報告するという条件でしたが、途切れ途切れのリモート授業よりはましでした。
 4月も一か月の自宅待機。給与は6割カット。毎日自宅で8時間教材を作っているのに6割カットは理不尽な気もしましたが仕方がありません。
 6月からは、在校生はクラスに戻り、学校で授業。

教員室のわたし。まだ片付けが済んでいません。


 4月に来日するはずだった中国からの留学生は、コロナのために来日延期。7月から来日できない学生のために、初級日本語のリモート授業を実施。8,9,10,11月、リモート授業を続けました。4月入学生を担当する予定だった非常勤講師は、学校に来てリモート授業を担当。

 11月中旬にようやく来日できたあと、2週間のホテル缶詰待機が義務付けられました。ホテルのロビーに毎日お弁当を届け、待機者はロビーにお弁当を取りにきて、部屋で食べる。ようやく学校に来ることができたのは、12月7日からでした。

 4月生と10月生、初級前半組と初級後半組にクラス分けをして授業が開始されました。リモート授業を担当していた非常勤講師2名と新任の非常勤講師ひとり(他の日本語学校が授業縮小のためリストラされたそうです)とで授業を続けました。
 ところが問題勃発。コロナで学生数が減った分、在日のネパール人が入学してくることになりました。すでに何年かは日本で暮らしてきて、配偶者ビザを得ている女性。留学生ビザに切り替えたいという希望で入学したのですが、話すことはできても、ネパール人は漢字がゼロ。中国人は話すことはできなくても、日本語との共通の漢字熟語の意味は文字を見ればわかります。

 非漢字圏の学生と漢字圏の学生では授業方法も異なり、本来ならば同じクラスで学ぶのは無理があります。しかも、途中入学。しかたがないから、ネパール人の漢字学習クラスを特設し、春庭は12時半に午前中の授業を終えた後、12時半から1時過ぎまで漢字入門クラスを担当することを申し出ました。ボランティア!

 昼休み時間がなくなりました。そもそもまったく漢字を書いたこともない人たちが、いきなり漢字は5000字自国で読み書きしてきた学生をいっしょにするのが無理なのです。
 国立大学の留学生クラスで非漢字圏留学生の漢字授業を担当したときは、クラス全員が漢字がわからないのですから、初歩から丁寧に教えれば読み書きできるようになります。しかし、今回は毎日30分という短時間で、5000字知っている中国人クラスで授業についていくための漢字教育ですから、私も初めての経験です。おまけに途中から「ひらがなカタカナ」の読み書きもできないネパール人が加わり、ひらがな指導をしながら、漢字授業もするというアクロバット授業、私は聖徳太子でもないのに、5人のネパール人女性相手に5部授業をしています。

 しかも、しかも。学校経営者からは「コロナで学生の入学辞退が相次ぎ、学校の経営が危機的状態になってしまった。ついては教職員の給与を2割カット8割支給とする」という一方的な通達。倒産するよりはましですが、毎日9時間拘束8時間労働を続け、サービス残業も連日のように。朝6時半に家を出て、8時半に学校に着く。夜は6時に学校を出て8時に家に着く。昼休みも仕事して、ボーナス要求したいところなのに、2割カット給与じゃ労働意欲も衰えるってところですが、今まで以上によく働いている春庭です。えらい!

 入国が遅れたために、年末クリスマスイブの24日まで授業を続けました。年明けには12月まで習ったところを試験すると学生に予告したので、テストつくりもたいへん。なんとか仕上げて、25日は学生たちのお楽しみ会、クリスマスパーティです。
 クリスマスの飾り付けをした教室。


 教室の飾り付けは、先輩である昨年10月に入学した学生。最初の学生たちはとても優秀な人たちであったこともあり、教師は苦労知らずで授業を進めてきました。
 大学院入学を目指して日本語、英語、専門科目の勉学を続け、2人は国立大学の大学院に合格。一人は公立大学の大学院合格。一人は国立大学の大学院研究生(半年後に大学院修士課程に入学できるはず)ほんとうによく頑張った学生たちです。

 先生達


 クリスマス会。中国人学生の「アイドル風ダンス」「クイズとゲーム」などもあり盛り上がったところで、ネパール人女性によるネパールの踊りが披露され、美しい民族衣装とともに、中国人男性たちの目はくぎ付けに。



 ケーキを食べ、いったんおひらきになったあとも、学生たちはワイワイとにぎやかに教室で過ごしていました。
春庭は年明けに実施するテスト問題作成のため、クリスマスの日もサービス残業。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「クリスマスコンサート&民家園」

2020-12-24 02:20:39 | エッセイ、コラム
20201224
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2020二十重日記行楽東京(3)クリスマスコンサート&民家園

 今年は何もかも、自粛だったり中止だったりの1年でした。娘が毎年楽しみにしてきたディズニークラシックコンサートもほとんど中止になり、ディズニーリゾートもショーやパレードは中止。ランドもシーも入場制限が行われたので、四季ごとに出かけてきた例年とは異なりました。

 ところが、今年11月12月有効のぐるっとパスを購入した我が家、せっせとお出かけしました。娘は人混みと行列が嫌いで、列に並ぶのはイヤ、という。しかし、コロナ自粛のため、どこも例年に比べて人出は半減。娘にとっては、「マスク、アルコール消毒を徹底している場所ならば、普段より病気になる率は下がっているかも」と、美術館博物館にでかけました。どの館も清掃回数をふやし、人の手が触る箇所のアルコール消毒も丁寧です。それでも、コロナにかからないという保証はありませんが、できる限りの感染予防を続けて出掛けました。マスク手洗いは当然、館内でも他の観覧客とは2m以上離れて見学することが推奨されていますので、人混みの中にいるということはありません。今の状況だと一番安全なお出かけ先かもしれません。

 11月4日から始まった、ぐるっとパス使い倒し作戦。有効期間は2ヶ月。1月3日までの有効期間ですが、年末年始は休館となってしまうので、使用最終日は12月28日まで。1週間分くらい損した気分。ともあれ、99施設の入場券と割引券がついて2200円。おそらくぐるっとパス利用史上の最高数の利用を記録することになった2020年。

 12月20日日曜日に出かけたのは、「100万人クラシックライブ」というコンサートが静嘉堂文庫ホールで行われたからです。
 「100万人のクラシックライブ」という財団法人、2015年から各地でコンサートを開催しています。若手の演奏家に出演機会を与え、普段はクラシックになじみのない聴衆に低料金でクラシックを楽しんでもらう、という活動を続けています。

 今回静嘉堂文庫のコンサートは開催できるかどうか、コロナ感染とのかねあいでなかなか開催決定とならなかったという経緯があり、聴衆からは料金をとらずに、静嘉堂文庫が会場などを提供するという形での開催となりました。つまり、私の大好きな「無料」
 講演などに使われているホールは100名入るキャパですが、50名に減らして椅子の間の間隔を開けています。

 若手演奏家。ヴァイオリン望月茉莉奈、ピアノ宮園祐希


 曲目
クリスマスメドレー
ブラームス:ハンガリー舞曲6番
ブルッフ:スコットランド幻想曲3楽章
マルグリット・モノー:愛の賛歌
中島はる:ピアノのための二つの百人一首より「あいみての」
ピアソラ:リベルタンゴ
ヴィタリ:シャコンヌ
アンコール マライア・キャリーとウォルター・アファナシェフ・恋人たちのクリスマス

 はじめて聞いたブルッフと百人一首。ゆったり曲調の「あいみての」の間、ちょい眠くなりました。娘に「一番前に座っていて居眠りするのは演奏者に失礼!」と叱られました。でも、全体としてとても楽しい気軽なコンサートでした。
 小さな坊やが何が面白いのか、ケラケラ笑いながら聞いていたのですが、私の隣の男性は後ろを振り向いてはにらみつける。両親はついに男の子を連れて席を立ちました。隣の男性はまもなく寝始め、終わりまでしっかり睡眠確保。娘は「気軽なコンサートってところがいいところなんだから、子供の声が気になるなら5千円くらいだせば格調高いクラシックコンサートにいけるんだから、こんなファミリーコンサートにきて、子供を追い出すことはない」と憤慨していました。娘の感想もうひとつ「無料だから文句は言えないが、演奏が終わったあとの財団法人理事長の寄付を求める挨拶が長すぎた」

 演奏だけだったらいつもなら徴収して居るであろう千円くらいの寄付はしようかと思っていたのですが、理事長の「寄付しろ」挨拶が長すぎたのにうんざりして、寄付しませんでした。
 ちなみに、ストリートエンターティメント大道芸での私の投げ銭は、とりあえず10分は見る。投げ銭100円。30分見たら500円1時間見るほどおもしろかったら千円。

 静嘉堂文庫の裏口から階段を降りていく道の下に世田谷区立岡本民家園があります。こちらも見学無料ですから、無料大好きなHALは「ついでだから見ていこう」と娘を誘いました。
 ここの紅葉は、これまで回ってきた庭園のなかでもっとも美しく色づいていました。クリスマス時期の紅葉、東京の紅葉時期は12月とはいっても、やはり今年は遅かったのだとみえます。


 静嘉堂文庫階段下道側の民家園の門


 民家園全体(画像借り物)


 民家園内部


 民家園前で


 私の好きな建物巡りとクラシックコンサート、どちらも無料で、私には1年間よく働いたご褒美プレゼントになりました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「シャンシャンに会いに行く」

2020-12-22 00:00:01 | エッセイ、コラム
20201222
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>2020二十重日記行楽東京(3)シャンシャンに会いに行く

 当初の予定では2020年12月末に中国に返還されることになっていたシャンシャン。帰っちゃう前に一目会っておかなくちゃ、と上野動物園に出かけてきました。

 実はシャンシャン誕生後、公開が始まったとき娘は何度もウェブ応募たのですが、3回応募して3回ともハズレでした。それで力尽きてあきらめてしまい、いつの間にやらシャンシャン2歳に。もう大きくなってしまい、赤ちゃんのときのかわいい様子は生で見ることが適わなかったのですが、中国に帰されるとなると話は別。

 入園申し込みウェブ登録をしてあわてて出かけました。私と娘が当選した時刻は午後3時入場の回。
 列に並び、ようよう見ることができましたが、柱の陰に顔を隠しているサービス精神欠如のシャンシャンでした。


 「立ち止まらず前へお進みください」と係の人が言うから、あっという間に外へ押し出され、しかも「2度目に見たい人の列」に並ぶことは3時で打ち切りになっていたので、もう一度シャンシャンを見ることは適わず。

 しかたないから西園の「パンダの森」に引っ越しした両親のシンシン&リーリーを見に行きました。

 東園の猿山の前を通り過ぎる。


 西園に歩いて行く途中、今は廃止になったモノレールの前で娘は「上野動物園にくるたび、モノレールに乗るのが楽しみだったなあ。もう一度乗りたかった」と。 
 貧しい親子にとって入園料が安かったこと、電車で20分もかからずに行けたこと。動物園は楽しいお出かけ先でした。必死に働き、二人の子の食い扶持を稼いでいる母親だったので、どこに出掛けるにもお弁当持参、おでかけさきで何も買ってやらなかった。かわいいキャラクターのハンカチがほしいとか、ねだることもありましたが、娘はお金が掛かることをねだると母が「今夜の夕食代に困る」という我が家の経済状態を理解していて、弟をいっしょうけんめいなだめてくれるけなげな姉娘でした。「あのね、ロボットのおもちゃはサンタさんにお願いしようね。だから今は買わないの」
 バブル景気の中、何でも買ってもらえる級友たちの中で、いとこのお下がりの服やおもちゃだけですごした子ども達。今思い出しても涙が出てきます。でも、貧しいなりに楽しい思い出も心に残せてきたのではないかと思えること、救いです。

 娘は少しは余裕も出てきた今、子供時代にはできなかったことをせっせと果たしていました。大人になってそんなに買ってどうするんだと思うほど、クリアファイルだのタオルハンカチだの、子供時代に買いたかったものを買いこむのです。「こんなに全部をつかうわけじゃないけれど、思い出になるからいいの」と、キャラクターのついた手帳や髪飾り等々。娘はきっと幼い頃の自分に買ってあげているんだろうと思います。

 西園の通りすがりにフラミンゴを見ました。

、、
 西園にパンダ舎が移転してから初めて来ました。こちらも並びましたが、予約制ではないので、そんなに追い立てられることはありません。

 シンシンはこんな感じ


 リーリーは、盛んに笹を食べていて、いい姿を見せてくれました。


 娘は自然番組のキャラクター「マヌールネコ」のファンなので本物をを見たいと言ったのですが、マヌール公開は4時で締め切り。
 そのほかの動物、キリンもシマウマも公開が終わっていました。
 かろうじて寝小屋に入ったカバを見て、上野動物園見物は終わり。

 久しぶりの上野動物園、シャンシャン見ることができてよかったよかった。
 ところが、翌日のニュースでやっていました。
 シャンシャンが中国に帰るのは、コロナの影響などにより2021の5月まで延期されたのです。2歳も3歳も層違いはないだろうから、12月に慌てて見なくてもよかったんです。

 老婆と老嬢ふたり組、家族連れに押されながらの見学も楽しかったから良かったですけど、久しぶりの動物園、楽しげな家族連れを見るにつけ、老婆はどうしても子ども達が幼かったころのことばかり思い出されて、感慨深い動物園見物になりました。

 上野の甘味屋「みはし」でおしるこを食べて帰りました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「小泉八雲展」

2020-12-20 00:00:01 | エッセイ、コラム

 小泉八雲展ポスター&図録表紙

20201220
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2020二十重日記行楽東京(2)小泉八雲展

 楽しかった出雲市松江市旅行。出雲大社も松江城も十分に参観できたのですが、いくつか心残りもありました。松江市の小泉八雲旧居を訪れたのに小泉八雲記念館には時間が足りなくて見学をあきらめてしまったのです。

 松江市のホテルで夕食時間を予約していました。予約におくれたからと言って、夕食を出してくれない、ということもなかったと思うのですが、90分単位で鉄板焼き晩御飯の時間が決められていたので、あせってホテルに戻ったのです。鉄板焼きはおいしかったけれど、八雲についてちゃんと知りたかったという思いが娘に残りました。

 八雲は、松江市の家に1年ほど暮らしただけです。しかし最初の日本での住まいとなった松江市や出雲の神話をたいへん気に入り、日本名を「八雲たつ」という出雲ゆかりの言葉からとったくらいです。八雲は、松江市の借家を大いに気に入り、庭や部屋のたたずまいを随筆に書き残しています。

 反対に次に移り住んだ熊本は「熊本の町は、近代化が進んでいるので好きになれない」と言い、その次の神戸市では、外人が多い街で八雲は、他の外人たちと折り合って暮らしていくことには不向きだったこともあり、東京に移転しました。東京大学の英語教師という職を得た小泉一家は、新宿の中に住みかを見つけました。夏には沼津の漁師の家に一家で保養に出かけるという毎年の習慣もでき、東京での暮らしは落ち着いたものとなりました。

 新宿には八雲ゆかりの場所がいろいろあるところから、今年、新宿歴史博物館は「小泉八雲展」を開催しました。

 娘は小学生のとき、八雲のお話のうち、読んだのかテレビで見たのか「耳なし芳一」が怖くて怖くてトラウマになり、それ以来怖いお話は苦手になって、いい年になってもホラー系映画はいっさいだめ。私も子供のころ『怪談』を読んだきりで、大人になってからは『日本の面影』を読んだだけ。あまり八雲について詳しいわけじゃありませんでした。

 ぐるっとパスの入場券の中に新宿歴史博物館もあったので、「ちょうどいい、八雲について知るいい機会だ」ということになりました。四谷から歩いて新宿歴博へ。

 八雲展ポスターにある本展のタイトル「流浪するゴースト」のゴーストは、八雲にとって、目に見えない霊的な存在をさしているのだろうと思います。八雲は子供のころから、目に見えない存在を「心に感じる」ことの多い人でした。ハイスクール時代の事故で左目を失明してからより一層、見えない左目で見る(心に感じる)存在を大事にしたのだろうと思います。

 娘が心から震え上がった「耳なし芳一の話」。
 八雲は確かに平家の亡霊たちの姿を感じ取る感受性を持っていたのだ、だから子供心に恐ろしくてトラウマになるくらいの真に迫った描写ができたのではないかと思います。
 日本語の読み書きはあまり上手にならず、妻のセツとはカタカナによる「ヘルンさんことば」で手紙をやりとりしました。ヘルンさんことばとは、八雲と妻との間だけで通じ合える、一種の方言です。ヘルンさん言葉のカタカナ手紙も展示されていました。八雲が亡くなったあと、セツは八雲の遺品や遺作、出版した作品の原稿などを管理し後世に残していく努力を惜しみませんでした。子供を裕福に育てていけるだけの資産と印税などの収入がセツに残されていたとはいえ、彼女の努力があってこそ、八雲文学が今日まで私たちに多くのものを与えてくれるのだと思います。
 八雲展で新しく知ったことがたくさんありましたが、小泉セツについてもいろいろ知ることができたことも収穫でした。

 八雲は外国人としては小柄な人で、展示されていたスーツやコートも小さめでした。八雲にとって、日本が居心地よかった理由のひとつは、自分より大きい男性が少なかったこともあったかもしれない、と感じました。
 小泉八雲の等身大イラストといっしょに写真をとりました。


 背景の地図には、八雲がラフカディオ・ハーンとしてギリシャ、アイルランド、イングランド、アメリカなどを流浪したその足跡が刻まれていました。
 少年時代に失明した左目。八雲が見えない左目に生涯コンプレックスを感じていたことは、右目を見せる横顔の写真以外、肖像として使わせなかったことからもわかります。わずかに画家となった長男が描いたスケッチや沼津で写した家族写真などに正面の姿が残されているのみ。

 ただ、この劣等感の元となった見えない左目こそが、彼が日本の魂の本質を見抜く目となったのではないかと感じさせられた展示「Wandring Ghost」でした。彼自身が流浪するゴーストであったのであり、彼が見つめたGhostとは、日本の各地に残っていた霊や座敷童や妖怪、アニミズムなどの基層を仏教伝来以後も保ち続けた日本文化の中の存在だったと思うのです。今はほとんどが失われてしまったこれらのGhost、たぶん現代のわれわれは、Ghostとともにあった大事なものを失い、失ってしまったことすら気づかないで、せっせと金儲けに励み、「感染防止も大事だが、経済も大事」とさけんでいるのではないでしょうか。

 八雲は、自分を放浪者として流浪の生涯に追い立てる心のありようをGhostと呼んだ、と展示の中に書かれていました。八雲自身が一カ所にとどまっていることのない放浪の魂を持っていた人だったのです。
 54歳という短い生涯でしたが、40歳以後日本に定着したのは、セツの愛もあったでしょうし、日本の風土が八雲に合っていたゆえでしょう。

 今まで知らなかったこと。ラフカディオというアイルランド人には珍しいファーストネーム。母の故郷ギリシャのレフカダ島で生まれたゆえ、レフカダに由来するラフカディオであったこと。正式なファーストネーム、キリスト教聖人の名であるパトリックを捨ててラフカディオを名乗ったこと。母は、父の故郷アイルランド・ダブリンでの暮らしに耐えられず、心を病み、ギリシャにひとり戻り若くしてなくなったこと。父方の資産家大叔母サラ・ブレナンに引き取られて跡取りとして育てられたが、大伯母の破産により学業半ばでアメリカに渡ったこと。

 日本に来る前のことはアメリカで新聞記者をして文筆で身を立てられるようになったことのほかは、ほとんど知らなかったので、八雲の前半生を今回詳しく知ることができました

<つづく>
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ぽかぽか春庭「赤坂迎賓館」

2020-12-19 00:00:01 | エッセイ、コラム

赤坂離宮迎賓館南側庭園から

20201217
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2020二十重日記行楽東京(1)赤坂迎賓館

 久しぶりに四谷駅から赤坂迎賓館に行きました。
 中国から日本に留学し、20年近く日本で生活してきた方をお連れしました。学校での勉学や仕事が忙しくて、仕事で出かけた場所のほか、東京の中でも行ったことのない場所がたくさんある、というので、いくつか候補地をあげて、まだ行ってことがなかった有名なところの中で、私のお勧めは赤坂迎賓館。

 最初の門。ここからは入れない。見学者用入り口は西側にあります。


 宮殿入口の門


 ここのキンピカリンの部屋は、中国のほとんどの人が好きになります。古代の竹林の七賢人とかは詫びさびもすきになるかもしれないけれど、現代中国人はきんぴかが好き。わびさびの狭い茶室なんぞを「二畳台目、待庵、如庵、これぞ日本文化の神髄」なんて案内しても、ぜんぜん感激しない。ただのわびしい粗末な部屋と思われてしまう。(茶道に嵌った人は別として)

 片山東熊の設計の欧風宮殿。
 これでもかっ、の豪華絢爛。キンピカの飾り、フランスから輸入した1トンも重さのシャンデリア。
 明治大正に生きた人たちがせっせと働いた税金で建てた宮殿ですから、子孫の我々は、国宝となった宮殿をせっせと見学して「この絨毯の糸の半本分くらいは先祖が納めた税でまかなったのかもしれない」と思いながら眺める。うちの先祖だから、実際は庭の小砂利の半個にもならかっただろうが、ま、気は心。

 迎賓館正面向かって左側

 迎賓館正面向かって右側


 最初に来たときの迎賓館入館料
は500円でしたが、2018年には1000円になっていて、今回は1500円。値上がりしたかわりに、かなりしっかりしたパンフレットが入館券についていました。

 噴水越しの南側迎賓館

 ごいしょしたツバメさんは、中学生の女の子のお母さん。日本への留学を果たしたのは27歳のとき。まだまだ中国は貧しく、日本への留学も難しい時期でした。それから日本で中国政府肝いり先端産業育成事業の中で仕事を続けながら、2020年には博士号も取得した「加油!なマーマ」です。

 外観は撮影自由ですが、室内写真撮影できないのが残念です。



 正面玄関を上がったところにあるホール


 朝日の間


 入口の足元。タイルも100年前のもの。


 階段


 どの部屋も豪華絢爛。
 思った通り、ツバメさんは迎賓館が気に入ったようでした。どの部屋も「きれいねぇ」と感嘆しきり。
 1か月ほど前に、仕事の会合で箱根仙石原に行くというので、仙石原に行くなら、仕事が終わったあと、いろいろ観光したらどうですか、ガラス美術館もいいですよ、とお勧めしました。今回迎賓館へお連れしての感想。「先生が説明してくれたこと、明治天皇が皇太子宮殿として建てられたことに対して、贅沢すぎるって怒ったというのがよくわかった、ほんとうに贅沢。それでね、ガラス美術館も見学料1500円だったけど、迎賓館の1500円のほうがずっと見ごたえありました」
 金ぴか豪華版宮殿を気に入ってくれて、お連れした甲斐がありました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「横浜建物拾遺」

2020-12-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
20201217
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2020二十重日記行楽横浜(3)横浜建物拾遺

 帆船を見に行った日、通りすがりではありますが、クルーズの際に撮影したときに写真を撮れなかった建物をカメラに収めました。建てられて以来修理しながら現在まで現役で使われている神奈川県庁舎あり、一部を残してビルに建て替えられた建物もありますが、横浜の建物、ほんとうに絵になります。

 開発に次ぐ開発、再開発。次々に古い建物を壊し、高層化をはかってきた東京。墓石のように四角いコンクリートのビルが立ち並ぶ。一方横浜は、代々の市長が建築遺産の保存に熱心だった人たちだったそうで、市域全域に歴史的建造物が残されています。グランドホテルのように一貫して経営が続いているホテル、神奈川県庁舎など、建てられてから同じ地に同じように立ち続けて利用されている建物もあるし、復元された建物もある。外形を保ちつつ高層ビルの中に溶け込ませた一部保存もあるけれど、東京よりは古い建物を生かしているように思います。

 神奈川県歴史博物館(旧横浜正金銀行)1904(明治37)妻木頼黄

 
 YCC都市創造センター BankART Temporary(旧横浜銀行本店別館→第一銀行横浜支店)1929(昭和4)西村好時

 村野藤吾と槇文彦展をやっていました。槇は旧横浜銀行本館の建物を一部保存しつつビルを建てるリノベーションをやった建築家なので、見たかったけれど、今回はパス。

 横浜生糸検査所倉庫事務所(旧帝蚕倉庫本社事務所)1926(昭和1)遠藤於菟


 東京藝大映像科横浜キャンパス(旧安田銀行→旧富士銀行横浜支店)1929(昭和5)旧安田銀行営繕課
 

 今回は帆船日や本丸の見学がメインでしたが、娘もこのごろ私の建物趣味に感化されてきたので、次はのんびりと建物をめぐる散歩をしたいです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「帆船日本丸」

2020-12-15 00:00:01 | エッセイ、コラム

 日本丸メモリアルパークに係留されている日本丸Ⅱ

20201217
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>2020二十重日記行楽横浜(2)帆船日本丸

 以前は東京都内施設だけだった「ぐるっとパス」が、埼玉、千葉、横浜の施設の入場券もセットされたので、今まで行ったことのなかったところにも「せっかく無料で入れるのだから行ってみよう」と、「ぐるっとパス使い倒し」の一環で、帆船日本丸見学をしてきました。

 帆船日本丸は、日本を代表する大型帆船(機帆船)です。エンジンと帆を備えて、海の男の卵たちが航海術を学ぶための航海練習船。海技教育機構が保有しており、現在みなとみらいのメモリアルパークに係留されている船は1984(昭和59)年に竣工した2代目(日本丸II世)です。

 全部の帆を張る総帆展帆の姿は本当に美しく、私は横浜散歩の中で姑と赤レンガ倉庫から歩いたときに一度、娘とクルーズ船に乗っていたときに通りすがりに一度見た、というだけで、なんとか総帆展帆のときに行きあいたいと思っているのですが、2020はコロナの関係で総帆展帆は中止となるか、人々が見に押し寄せるのを避けた「三密を防ぐため予告しないでこっそり実施する」かで、残念です。

 総帆展帆した日本丸(画像借り物)


 帆を広げていない日本丸も、カッコいい。


 甲板や船室の中をぐるぐる歩きました。娘は、ロープの結び方がいろいろあるのに感心し、練習生たちがこの結び方を利用して紐でコースターなどを作っている手工芸品が気に入りました。
 練習生たちの船室は2段ベッドが片側4つ、一室8人で、機関長や船医の部屋は広く、船長室は2室続きでお風呂付。

 将校のクラブ室天井のステンドグラス。なかなかきれいでした。


 大きな舵と。


 日本丸メモリアルパークの前で


 娘は、保育園のときに「復元咸臨丸の船室公開」というイベントに参加したことがあるのですが、すっかり忘れていて、今回の練習船日本丸を見学できて「面白かった。でも、わたし、こんなつながれている船だって酔いそうなのに、嵐の海なんかに出たら生きた心地がしない。船乗りにはなれない人生だったなあ」と。
 まあ、帆船は乗組員にはならずに、総帆展帆した姿を眺めているのが一番いいみたいです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ロイヤルウイングクルーズ」

2020-12-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
20201213
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>2020二十重日記行楽横浜(1)ロイヤルウイングクルーズ

 コロナの影響でいろいろな企業が苦しい経営に追い込まれたニュースがあとをたちません。今年の春、早春の東京湾めぐりを楽しんだ「東海汽船ヴァンテアン」も営業停止になり、ネットで乗船記念グッズを半額で売り出すということになりました。娘は「思い出になるし、この前乗船したときは、帰り道に重くなるからそんなにいろいろ買い込むのもなあ、と思って買わなかったものを買うことにした。社員は東海汽船に残るだろうけれど、パートなどで働いていた人は、仕事なくなっちゃうかもしれない。せめて乗務員の退職金の一部にでもなれば」と、クルーズ船の絵がついたマグカップだのいろいろ買い込みまた。

 そして「ヴァンテアンが楽しかったから、前みたいにディナークルーズじゃなくても、アフタヌーンティクルーズもいいかと思って、横浜のクルーズに乗ることにした」と、さっそく次のクルーズ乗船を決行。
 東急が売り出している「横浜切符」。往復の電車代と乗船代がついてひとり3000円。


 日本大通りから出発。ユーラシア博物館や開港記念館を見てから大さん橋乗船ターミナルへ向かいました。14時出航のケーキ&ティクルーズです。
 港ビューの席が用意されていました。
 窓からランドマークなど横浜らしい光景が見えます。
 

 横浜ベイブリッジの下をくぐるときは、みながいっせいに記念撮影。インスタ映えするベイブリッジです。


 デッキの風は思った以上に強かったですが、11月とは思えないぽかぽか陽気の日だったので、テラスからの景色を十分に楽しむことができました。

 東京湾をひとまわりして帰り道は夕暮れのベイブリッジ。


 下船してロイヤルウィングを撮影。


 船の前方にサンタ風船があったこと、下船してから気づきました。


 大さん橋のイルミネーションなどを楽しみ、ディナークルーズに出航するロイヤルウィングを見送りました。

 ライトアップして出航するロイヤルウイングを大さん橋から見送る。


 帰りは馬車道まで「赤い靴バス」に乗り、東京芸大映像科前で晩御飯食べて帰宅。「疲れたけど楽しかったね」「楽しかったけど、疲れたね」と言いあうのが帰り道の親子の会話です。
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「東京の庭巡り」

2020-12-12 00:00:01 | エッセイ、コラム
202012
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>2020二十重日記庭めぐり(3)東京の庭巡り
 
 娘と歩く秋の庭園巡り。11月3日は東京国立博物館の庭園公開へ。
 東博は春と秋の2回、庭園を公開しています。私は東博に行って庭園公開時期にはたいていお庭を歩いてきましたが、娘ははじめて。

 東博の庭園


 11月14日は旧安田庭園を歩きました。旧安田庭園は刀剣美術館とセットで行きました。刀剣美術館は旧両国記念ホールを取り壊した後に建てられた刀剣専門美術館。旧安田庭園の中に建てられています。安田財閥安田善次郎ゆかりの庭園は、もとのままです。

 旧安田庭園の説明

安田財閥を築いた安田善次郎が手に入れた大名庭園を、善次郎没後1922(大正11)年、東京市に寄附されました。
 もとは常陸国笠間藩主本庄因幡守宗資により元禄年間(1688〜1703)に築造されたと伝わる隅田川の水を引いた汐入回遊式庭園。明治維新後は、旧備前岡山藩主池田侯の邸となり、安田善次郎が購入しました。善次郎から東京都に寄贈され、現在は墨田区立公園として公開されています。




 旧安田庭園も秋色には早く、今ひとつでしたが、近くの横網町復興記念館を通り抜ける途中の銀杏はきれいな秋色になっていました。
 
 復興記念館横の銀杏


 11月22日に訪れた東急線上野毛の五島美術館の庭も秋色にはまだまだ遠かったので、娘は「もうひとつ庭を見ていこう」と、二子玉川公園帰真園にも足をのばしました。

 五島美術館庭園


 上野毛から二子玉川駅に向かう途中、ちょっと寄り道して二子玉川公園へ。公園内に「帰真園」多摩川に見立てた池を中心に作庭された「帰真園」は、2013(平成25)年に開園した新しい庭園です。
 帰真園があること、この時までまったく知りませんでした。


 旧清水邸から庭を見る


 11月25日に訪れた六義園。もう11月も下旬というのに、紅葉はぜんぜん。盛りの色には程遠かったです。昨年の紅葉がことのほか見事で大賑わいだったそうですが、昨年のを撮影したらしいポスターとはうって変わって、茶色になった楓の木ががっかり感を増幅。

 それでも、赤く色づいているところをうまく切り取って、秋らしい色に。楓よりもハゼがきれいな色になっていました。




 紅葉にがっかりした分、おなかにはたっぷりとおしるこ。


 六義園染井門出口で。雨もよいの一日、寒い日にお庭歩きをしてしまいました。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「横浜三渓園」

2020-12-10 00:00:01 | エッセイ、コラム
20201210
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>2020二十重日記庭めぐり散歩(1)横浜三渓園

 秋色を求めて庭園めぐりを始めましたが、今年は9月10月の気温が高くて最低気温が8度以下の日が続くと始まるという紅葉には早すぎた庭園巡りになりました。
 11月4日は横浜三渓園へ。私は久しぶり、娘は初めての訪問です。娘は「子供の頃は庭園散策なんて退屈なだけで、遊園地のほうがずっと楽しいと思っていたのに、年取ってきたら庭見物も楽しくなってきた」と。


 園内、紅葉にはまだまだ早かったのですが、菊の展覧会が開催されていたので、秋気分を味わえました。


 三渓園の説明をコピー
「三溪園は生糸貿易により財を成した実業家 原 三溪によって、1906(明治39)年5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。(現在、重要文化財10棟・横浜市指定有形文化財3棟) 

 文化財のうち「臨春閣」は改修中でみることができませんでしたが、白川郷の合掌作りを移築した旧矢箆原家住宅 (きゅうやのはらけじゅうたく) や旧燈明寺三重塔 (きゅうとうみょうじさんじゅうのとう) を見学しました。

 旧矢箆原家住宅(この建物は内部見学もできました)


 旧燈明寺三重塔


 園内では結婚式用の前撮り写真の撮影が何組か行われていました。とてもよいお天気で、紅葉がないのは残念ながら、きっとよい花嫁姿が撮影できたと思います。

 帰りは中華街で焼きそばで有名な中華店でフカヒレスープと焼きそばセットを食べ、おなかいっぱいになって帰宅。美しいお庭もいいけど、やっぱり散歩の最後には、歩いて消費できた分おなかにごほうび。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「旧清水邸&旧朝倉家住宅」

2020-12-08 00:00:01 | エッセイ、コラム

 旧清水邸

20201208
ぽかぽか春庭アート散歩>2020建物めぐり(4)旧清水邸&旧朝倉家住宅

 旧清水邸を見学したのは偶然のこと。
 五島美術館の庭が思ったほど紅葉を見ることができなかったので、娘が少しがっかりして付近の施設を検索したところ、世田谷区立の公園「帰真園」を見つけました。「歩いていけそうだから、ここにもよって行こう」というの、立ち寄ったところ、帰真園の中に、旧清水邸が移築保存されていたのです。

 世田谷区立の帰真園は、2013(平成25)年に開園した新しい庭園です。多摩川に見立てた池を中心に作庭され、水辺のほとりに元台東区にあった旧清水邸書院が移築されています。

 旧清水邸書院(二子玉川公園帰真園)
旧清水家住宅書院は明治43年(1910年)頃、中根岸(現在の台東区根岸3丁目あたり)に建ったものを、大正8年(1919年)に区内瀬田の清水家屋敷に移築したもので、平成25年、現在地に再度移築しています。



 旧清水邸書院(二子玉川公園帰真園)復元された金泥の襖絵


 旧清水邸は見学無料で写真撮影OKという「えらいぞ、世田谷区」の建物でした。


 旧朝倉邸も、偶然立ち寄った建物。郷さくら美術館を出て、来た道を中目黒駅まで戻るか、代官山まで歩いていくか地図を検索していたとき、代官山への道筋にある旧朝倉家住宅に気づきました。渋谷区が管轄しています。

 旧朝倉家住宅


 朝倉家邸宅は、東京府会議長や渋谷区会議長を歴任した朝倉虎治郎によって、1919(大正8)年に建てられました。大正期に建てられた大規模な邸宅が、関東大震災にも耐えて東京都心部に残された数少ない和風住宅であり、重要文化財に指定されています。
 入館料は、一般100円、シルバー無料。写真もフラッシュ禁止で撮影可能。

 室内は議長としての接客室と、家族が生活する部屋がありますが、とにかく広かった。 





 朝倉家の敷地はヒルサイドテラスとして再開発されましたが、住宅はの槇文彦らによって保存が決まり、渋谷区が管理して公開しています。
 土曜日の午後とあって、「密」にはならない程度ながら家族連れなどがけっこう大勢見にきていました。
 帰りは代官山まで歩き、駅前のおしゃれなチョコレート屋で、いつもは買わない一粒200円のチョコを6個買って帰りました。娘に「高いんだから、ちゃんと味わって食べなさいよ」と、言われました。すご~くおいしかったけれど、私はコンビニのひと箱100円10粒入りチョコもおいしいと思って食べています。

<つづく>
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