春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

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ぽかぽか春庭「2023年11月もくじ」

2023-11-30 00:00:01 | エッセイ、コラム

20231130
ぽかぽか春庭2023月11日目次

1102 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023文日記秋行楽(1)秋のディズニーシー
1104 2023文日記秋行楽(2)ディズニーランド・プライベートイブニングパーティ
1105 2023文日記秋行楽(3)サンリオピューロランド

1107  ぽかぽか春庭日常茶飯事典>感激観劇日誌2023秋(1)ミュージカル『美女と野獣』by 劇団四季 in 舞浜アンフィシアター

1109 ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩白秋(1)アーツ&クラフツとモリス展 in 横浜そごう美術館
1111 2023アート散歩白秋(2)コスチューム・ジュエリー展 in パナソニック汐留美術館1112 
1113 2023アート散歩白秋(3)長谷雄草紙ほか in 永青文庫
1114 2023アート散歩白秋(4)松聲閣 in 肥後細川庭園と永青文庫2021年12月の古代中国とオリエント展
1116 2023アート散歩白秋(5)昭和の日本画洋画 in 松岡美術館
1118 2023アート散歩白秋(6)アメイジングチャイナ in 松岡美術館
1120 2023アート散歩白秋(7)装飾の庭展 in 庭園美術館

1121 ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩冬支度(1)写真学校100年 in 写真美術館
1123 2023アート散歩冬支度(2)見る前に跳べ in 写真美術館
1125 2023アート散歩冬支度(3)戦争だから結婚しよう by mumuko in 写真美術館

1126 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023文日記11月夏日から雪の日へ(1)11月夏日から雪への二季時代の日常生活
1128 2023文日記11月夏日から冬へ(2)小さい者のひとりとして、生きる
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ぽかぽか春庭「小さい者のひとりとして、生きる」

2023-11-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
20231123
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023文日記11月夏日から冬へ(2)小さい者のひとりとして、生きる

 仕事をしなければ食べていけない高齢者なのに就労見込みもないので、退職老人の多くが同じように過ごしているであろう日常、すなわち、ぼんやりテレビ見ているしかない。60年も昔に「テレビばっか見ているとバカになる」と言われて育ったのだから、もともとおバカな脳ではあるが、老いた脳の劣化著しいのは仕方がない。テレビ放映の映画など見てすごす。

 ぼうっと見ているテレビでも、心動かされる番組もある。私のように「金がない金がない」と言いつつ、就活もせずごろごろテレビ前に寝転がってすごす者もいるし、世のため人のために時間を使う尊い人もいる。最近見た「こころの時代」という番組で紹介されていた大阪西成あいりん地区のキリスト教会牧師西田好子さんは、ホームレスや服役後の生活のケア心のケアをしていらっしゃる。番組タイトル「小さい者のひとりとして共に」

 西田さんは、教員をしながらふたりの子を育て、50歳すぎて神学校に通って牧師になりました。社会からはじき出されてしまった人々を自分の教会に受け入れ、亡くなったあと引き取り手のないお骨を引き取って供養してきました。立派だなあと、思いつつ、自分ではなにひとつ世のためになることを始める気力もなく、テレビを見ている。

 映画館に行く電車賃もないので、家でぼうっと見ているテレビ録画の映画。
 昨年「2022年の大ヒット映画」といううたい文句でテレビ放映された「余命10年」を見る。10代女子が大挙して映画館に押し寄せ、泣きながら見ていたという映画。若者に受ける映画にするには、「余命」と「純愛」を重ねるセオリー通り。明治の「ほととぎす」から平成の「世界の中心で愛を叫ぶ」まで、どうしてこうも、愛される可憐な女子は早死にし、残されたものの涙に、見ているおなごどもは号泣するのか。原作の「余命10年」は、2007年に出版されて以後、映画化前2017年に原作者が「治せない難病」で亡くなっているから、いっそう涙腺は崩壊する。
 劣化した脳でテレビ放映をぼうっと見ていたものだから、映画の中で10年たったのがわからなかった。せいぜい数年しかたっていないように思える年月の移り変わりに思えました。主人公美男美女が若い風貌のままだったので、10年たっているとは思えなかったのです。西暦年号が出てくるシーンもあって、ようやく時間がすぎていたことに気づきました。映画リテラシーが不十分ですなあ。

 余命もののひとつと言えると思う「友情」。男女の愛ではないけれど、ラグビー選手平尾誠二の最後の1年間の闘病を、ノーベル賞山中伸弥教授との友情によって描いた感動作。余命3か月という状態から、あらゆる可能性を信じて治療に積極的に取り組んだのちの、54歳の最期、生き抜きたいと言う強い気持ちを届けて見事なタックルでした。

 「余命」ものと言えば、私には「生きる」です。カズオイシグロ脚本のリメイクも見たいと思っています。ギンレイのラインナップになりそうな映画なのに、ギンレイは再開のめどなし。夫はギンレイパスポートカードを大事にとっておいていますが。

 テレビ放映の録画で、ぼうっと見る映画。はじめて見た「42ー世界を変えた男」は、最初のメジャー黒人選手ジャッキー・ロビンソン の伝記映画。何度か見てきた「ドライビング・ミスデイジー」を見て、ハリウッド映画でマイノリティの描き方推移を復習してスコセッシ花殺し月に備える。

 テレビの前に枕を出して、ごろりんと寝っ転がって見ているから、だいたい途中で眠くなって、肝心なところを見逃したまま話は先に進んでしまう。録画を巻き戻してつづきを見ることもあるけれど、ま、いいかと途中が抜けたままThe endにしてしまうことも。2時間サスペンスドラマなど、どうしてこの人が犯人だという決め手になったのかわからないけれど、犯人つかまったんだからめでたしめでたしと終わりにする。私の人生はちっともめでたくないラストステージなのだけれど、まだThe endにはなりません。食い扶持稼がねば。どうやって?

 フェルナン・レジェ「生きる喜び(水浴者たち)」


 とりあえず、風呂でも入って。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「11月夏日から雪の日へ・二季時代の日常生活」

2023-11-26 00:00:01 | エッセイ、コラム
20231125
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023文日記11月夏日から雪の日へ(1)11月夏日から雪への二季時代の日常生活
 
 10月末には暑い日々がようやく落ち着いて、東京の木々の葉も秋色めざすかと思いきや、11月4日。東京都心も午前11時15分に気温が25.0℃に達し、11月6日7日も夏日。11月7日の最高気温27.5度は観測史上100年ぶりですと。暑いまま11月7日夏日の翌日、11月8日は♪こよみの上では立冬です。立冬過ぎたのだからいいだろうと、11月10日は時雨そぼ降る寒い一日。11日土曜日には、北国では雪が降っているのをニュースで見ました。夏から一気に冬。13日月曜日には東京に木枯らし1号も吹き、本格的冬到来というところ。

 春と秋は消え去り、酷暑と酷寒の2季になるという未来予報もほんとうらしく思えます。世界には雨季と乾季の2季の地帯もあるのですから、日本が酷暑酷寒の2季になるというのも、これだけ地球を痛めつけて異常気象が通常になっていれば当然なのかも。四季を楽しむ日本の伝統も終わりかと懸念されます。子孫を残す予定の方々、よい未来のために、四季を取り戻せるよう、がんばってね。子孫なく未来なき我らは、お先に失礼。
 なんて発言すると、SNSだと「無責任だ」なんて攻撃されてしまうみたいですけれど、SNSには無縁の我が家、言いたいことはだれも読まないブログに吐き出しているから、炎上どころか、ほのかに尻があったまる程の熱も受けない。

 2023年、目下の地球的大問題は、温暖化のほか、ウクライナロシア戦争、パレスチナイスラエル戦争などの戦乱。心痛む報道が多いけれど、日本の報道番組では、政治家にとっては、小麦ほか食料や燃料高騰が日本経済にどう打撃を与えるかが大問題のようです。ウクライナやガザの子どもが何千人も殺されていることは心苦しい出来事だけれど、それと同時におのれが口にするパンの値上げやガソリンの値上げのほうが大問題という世は、ガザの病院への侵攻より「日本シリーズ第7戦」となっている。私がオリックスタイガース戦を見なかったのは、世界情勢に心痛めていたからじゃなくて、単に野球にたいした思い入れがないからだったけれど。

 38年前の阪神優勝のとき、私は娘2歳をワンオペ子育てしながら奨学金を生活費にするため2度目の大学生になり、午前中は勉学午後は日本語養成講座の通信教育講師おかね。
 2023年優勝の今回は、仕事を失って生活費がなくなる中、明日の飯はどうなるという気分で、虎のアレを気にすることはなかった。次の38年ぶり優勝のとき、私は地球にいないと思うので、なにはともあれ、虎優勝を祝しましょう。めでタイガー。

 野球はほとんど見ないけれど、相撲Live放送の間は、毎日娘は幕下上位あたりからテレビつける。私はあとで贔屓力士の勝敗だけダイジェスト番組で観戦する。私のスポーツ観戦は、今のところフィギュアスケートテレビ観戦のみ。
 スケート、グランプリシリーズのテレビ放映見ているけれど、ゆづ君の現役参加当時の熱は下がっています。私は自分をフィギュアスケートファンと思っていましたし、他のスポーツよりは好きですが、フィギュアファンではなくてゆづ君ファンなのだということがわかりました。私にとっては、まおちゃんゆづ君を超えるスケーターはいません。

 ゆづ君単独公演。座席数1万4千人のたまアリ公演、籤運強い娘の応募にもかかわらず、11月4日も11月5日もダメでした。SNSゆづ君フォロワー数36万のうち、チケット購入希望者数がどれくらいいたのかわからないけれど、サンリオピューロランドのキティちゃんとの写真撮影で籤運使い果たしたか。残念。

 羽生結弦結婚の報の直後にネットに、羽生グッズの売り物が出たということでしたが、グッズを買い占めてきた転売目的の業者が売り急いだと見えます。ゆづ君人気をあなどって、そんじょそこらのイケメン俳優やアイドルのように、結婚で人気が下がると思ったのでしょう。むろん、ゆづ君ファンは、結婚報道くらいで押し活をやめるようなヤワなファンじゃありません。さいたまアリーナも横浜も、抽選にはずれましたが、いつか必ず見にいきます。

 ゆづ君、「入籍しました」発表から105日めに「離婚しました」え"~!!
嫁が家から一歩も出られないような非道な追い廻し取材や誹謗中傷から「未熟ゆえにお相手を守り切れなかった」というゆづ君発表に、どれほど悩み傷ついた末の決断かと思うと、涙、涙です。ふたりで幸せになってほしかったのに。

 ミーハーだから、お相手とはヴァイオリン奏者末延麻裕子さんと判明直後、ネットに出ていたユズ元嫁のヴァイオリン演奏は、UPされているもの全部聞きました。無職のヒマ人高齢者。日光のお寺での演奏、蘭展イベント演奏など。上手だし、一流の演奏とは思います。しかし国内のいくつかのコンクールでの入賞履歴はあるものの、上手なだけじゃコンサート会場をいっぱいにできる演奏者になるのは難しい。末延麻裕子さんは、チャイコフスキー国際、エリザベート王妃国際、パガニーニ国際などに上位入賞する「箔」を持てなかった。末延麻裕子さんが日本で演奏を続けるなら、高嶋ちさ子に次ぐ二番手の「美人演奏家タレント」として生き残るであろう、という私の感想。たいした聞き耳ももたない無責任ファンの言です。ひがみやっかみで生きているので、エエとこのお嬢様への厳しめの感想になる。国際的なコンクールに上位入賞できるヴァイオリンじゃないなどと素人が勝手に言い放つのも、誹謗中傷の内に入るのだとしたら、謝罪。

 2022年の11月以後、演奏家としての活動はいっさい停止し、SNSもすべて閉鎖したという元嫁様だったので、覚悟を持って結婚したのだろうに、パパラッチ攻撃や誹謗中傷が降り注ぐことには耐えられなかったのですね。そんな状況にお連れ合いを置かなければならない状態に、ゆづ君自身が耐えられなかったのじゃないかと思います。「未熟でお相手を守れなかった」というユヅ君、悲痛です。高嶋ちさ子後塵No.2演奏タレントよりは、ゆづ君のNo.1伴侶というのはよい選択だったと思い、ユヅ君を末永く支えてくれると思ったのに。

 これまで、ゆづ君を支え続けた両親と姉様にも文句を言わせない相手を選んだゆづ君の判断も、よかったと思った。亡くなった元嫁父は、安倍晋三の支援者であった地元企業社長。嫁叔父はテレビ朝日の元記者で今はコメンテーター。これまで噂に出たゆづ君噂のお相手候補をはねのけてきたファミリーバリアーでしたけれど、今回はバリアーもなんのその。ゆづ君はいい方を選んだものよ、と思っていたのに、105日目の離婚。ふたりがいっしょにすごす時間がどれほどとれたでしょうか。

 練習スケート場などへの送り迎えは結婚後も主として母上が担当していたということです。11月からの単独フィギュアツアーの練習に集中していたであろう日々、家から出ていけない状態だったというお相手、つらかったと思います。元嫁様地元では「おらがお嬢様を幸せにできなかったハニュー許すまじ」という声も上がっているそうですが、ファンとしては別々の人生を選んだふたりの決断を尊重し、今後もそれぞれの道に邁進するのを応援するしかありません。ほんとにほんとにゆづ君が幸せになれるように。元嫁様も今後の人生に幸あれ。
 ミーハーゆづファンとしては、2世誕生までは入籍事実を伏せていた方がよかったんじゃないかという気がします。

 マルク・シャガール「ヴァイオリン弾き」


 夏日の3日後に雪が降った寒さ身にしむ昨今ですが、暖をとには着ぶくれるほかない家計。レッグウオーマーやらちゃんちゃんこやら、着ぶくれています。

 夏日の3日後に降雪という気象も、温暖化などの影響ということで、ますます「環境にいい暮らし」への転換が声高になるでしょうが、我が家、ごみ排出を減らすために、食品ロス削減に協力。すなわち、夜7時半すぎに半額になる肉や野菜を購入。排水を汚さないために、古布を切ったものでで皿や椀をふき取ってから洗うことにしている、などなど、環境負荷削減に努力をしておりまする。
 11月夏日は、脳みそも沸騰、一転の雪降りニュースには脳みそ凍るという日々をすごしております。さて凍える厳冬をどう乗り切るか、乗り切れぬか。

 勤労感謝の日。18歳から73歳まで55年間も労働者として働き続けた「私に感謝」です。感謝はしても、金はなし。国民年金では飯が食えぬ。収入ゼロなのに、去年の収入で計算された住民税と国民保険代と介護保険代が容赦なく「〇〇日までに払わないと差し押さえに行く」という通知がくる。

 食うものなければ痩せるは道理。久しぶりに会った知り合いからは「痩せた?」と聞かれる。「アハハ、ダイエット成功だよ」と答えるが、りんごダイエットとかパイナップルダイエットとかさまざまあるなか、確実に痩せる「食う金がないダイエット」。
 きっちり痩せます。お試しあれ。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「戦争だから結婚しよう by mumuko in 写真美術館」

2023-11-25 00:00:01 | エッセイ、コラム

20231125
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩冬支度(3)戦争だから結婚しよう by mumuko   in 写真美術館

 結婚式に招待された。
 招待状を書いているのはItoさん。花嫁に当たるであろうウクライナのスライドスクリーンの上に花嫁ベール飾られています。結婚相手は夢無子?展示室に入った時点では、私は夢無子が男性か女性かも知らなかった。たぶん、どちらに思われてもかまわないのだろうと思います。結婚式は、男と女があげるものでもない時代だし。招待状には、平服でかまわないし御祝儀もいらないと書いてあるので、会場に入っていく。暗幕で仕切られた暗い展示室。





 第一展示室の奥の暗幕の中で、夢無子の作品がスライド上映されていました。Ito氏の結婚招待状によると、夢無子はウクライナの戦場から帰国後、ウクライナ滞在前とは変わったのだそう。たった一人でカバンひとつで世界中を放浪してきた夢無子が、戦場を見たのち「人とのつながり」を求めるようになったと。それでタイトル「戦争だから結婚しよう」

 第2面側の飾りつけ。花嫁のヘアドレスがモニターを飾っている。


 夢無子は、1988年中国生まれ。現在は日本国籍で活動するアーティスト。世界60カ国以上をスーツケースひとつで放浪した写真などの作品により、さまざまな賞を得る。

 夢無子が放浪した国、2022年の滞在国がウクライナ。ウクライナもホテルに泊まったりはできず、爆撃によって家族がいなくなった半壊の家屋などに寝泊まりしてきました。 

 暗幕内の展示室中央に向かい合わせのスクリーンが2面設置されています。観覧者は第1室第2室の壁前のベンチで、スライド写真を眺め夢無子の日記文章を読みます。1面は夢無子が2022年5月6月にウクライナ・キイウほかの街に滞在した記録。2面は2022年9月-11月の2度目のウクライナ。これまでに世界各地70ヵ国を放浪したという夢無子ですが、さすがに「戦場」に出かけるのは初めてです。

 キイウは、戦場であるけれど全住民が退避したわけではない。18歳以上64歳以下の男性は、徴兵予備員として国外出国は禁止されています。生活者が残っている都市でもある。夢無子は、破壊された家や公園を撮影し、戦場lで営まれる「日常生活」を撮影しました。

 日本にも「戦場カメラマン」と呼ばれる撮影者がいて、世界の紛争地を命がけで撮影してきました。戦場で攻撃を受け亡くなった女性ジャーナリストもいました。そんな中、なぜあえてウクライナに乗り込んだのか。夢無子は写真スライド上映の解説として日記文章をスライドにはさんでいました。

 2022年2月24日、ウクライナ戦争が始まった。
 戦争って何? 戦争の中にいる人々どう生きている?
 SNSでNetflixのように戦争を見るより、
 やはり自分の五感で戦争を理解したいと思って、
 2022年5月の頭、ウクライナに向かった。

 五感で理解したいって!
 戦争を肌身で感じたわけでもないのに、安全なSNSなどで「ウクライナかわいそう」とか「戦争反対」とか叫ぶ人々にうんざりして、夢無子はウクライナ行きを決意する。
 「世の中でアーティストができること、自由に生きることだ」と言って。(youtube夢無子インタビューNo.2より)

 夢無子は、ウクライナに武器を運ぶボランティアの活動家を紹介されました。武器運搬車両で、ポーランドからウクライナに向かう。ガソリンは1時間並んで20リットルくらいしか手に入らない。ガス欠で道端に立ち往生。ウクライナから脱出する車のガソリンを少しだけ分けてもらい、それがなくなるまで走る。またガス欠になると「もらいガソリン」して走る。

 5月5日ウクライナ入国。
 走っても走ってもガソリンスタンドは全部空なんだ。
 そして周りの木がなぜか全部お墓に見えてくる。
 月の光がすごく立派だ!

 5月8日。Kyivから車で30分のIropinという町にに行く。曇り→晴れ
 雨のように爆弾が下りて来た。
 殺された人々、
 闘い続けた一般人たち、
 穴だらけの大地、
 残された猫と人形、
 冷蔵庫に残された食べ物、
 全てが割れて、
 全てがあの瞬間で止まった。
 いや違う
 死体を探し続けるポリスマンがいた。
 家族をお墓に入れているお婆さんがいた。
 買い物しに行く高校生がいた。
 ボランティアをし始めた女の子がいた。
 血まみれの家を片付けているお姉さんがいた。

 でも。人類。
 何をやっているだろう。©mumuko

 戦争の中にも生活は続く。戦争の中の日常


 夜中の2時3時にミサイル爆撃注意報のサイレンが鳴る。鳴ったって逃げるところがないから、あきらめて寝ている。もし、自分が寝ている建物が攻撃されたら、これでおしまいだと思いながら。

 夢無子は、破壊されつくされた家の残骸や公園に落ちたミサイルの跡やたくさんの死体を写真に撮り、爆撃の合間に広場で踊る人々の写真を撮る。



 5月28日(土)Peremoha 晴れ
 ミサイルのいちばんの問題は
 大量なカケラが飛ぶ。
 穴だらけになる。
 雨も風も家に入ってくる。
 一つ小さな村でも1200軒くらいの
 屋根を直さないといけないんだ。

 たくさんの破壊された家々や公園。 
 地下のジャガイモ倉庫に隠れて一か月閉じこもっていた家族が地上に出てみると、「家はがれきになっていた」と、この家のおねーさんは笑う。笑うっきゃない。

 6月3日、夢無子はウクライナからポーランドに戻る。その後の3か月間、夢無子は日本で「金を稼ぐための仕事=ハイブランドのCM」撮影をして資金を得る。(youtubeで語っていたこと)

 9月25日、同じルートでポーランドからウクライナに入国。
 第2面のスライドは、9月から11月までのウクライナ滞在記録です。
 まとめきれない戦争の記憶を抱えて、2022年9月25日、夢無子はふたたびキイウに入国。第2回目の記録は第2面のスライドに投影され、1回目よりもさらに建物は破壊され、がれきは山となっている。種から油をとるためのウクライナ特産のひまわりは、収穫されることなく「ひまわりの死体」となって畑で黒く立ち枯れている。

《戦争だから、結婚しよう!(第二章)》2022-23 年 ©mumuko


 夢無子は、ハルコフ出身の映像作家アリーナと行動を共にする。ハルコフはロシアに一番近く、一番先に爆撃を受けた町。アリーナはハルコフ脱出後、家族を案じながらもふるさとに戻れなかった。線路保全責任者としてハルコフにとどまっている父親をたずねる決意をしたのは、夢無子がいっしょに行きたいと言ったからだ。残っていたアリーナの祖母と共に森に入って、きのこをとる。きのこは家族が2日間生き延びる食糧になる。おばあちゃんは一番ロシアに近い場所で鼻歌を歌いながら残っている小麦粉とジャガイモで料理をする。

 安全なところでカメラを回し「昨日ミサイルの攻撃がありました」などとジャーナリストが報告しているのを「戦場からの報告」として、私たちは毎日消費しています。でも、本当にウクライナの戦場を見てきた夢無子をマスコミがとりあげたのを、少なくとも私は知らない。気づかなかっただけかもしれないけど。

 youtubeに、2023年春に夢無子インタビューがある。インタビュアーいつきに応じてウクライナの体験を語り、撮ってきた映像がでてくる。(25分)

 いつきは、戦争帰りの夢無子の顔つきも変わったと言う。とんがって生きていた夢無子に、人に関わりたい、と言う気持ちがでてきたことで顔つきも変わったのかもしれない。
  写真美術館のスクリーンでは読むだけでせいいっぱいだけれど、youtubeは一時停止できるから、夢無子の言葉を書き留めることができる。©mumuko だから、もしかしたら、ここに書き留めたmumukoの文章、著作権違反かも。

 夢無子はウクライナに出かける前のインタビューで、1988年に生まれたと述べている。天安門事件を経てどんどん自由が失われていく国に居場所がなくなり、世界を放浪してきた。アマゾンで現地民といっしょに暮らしたりして、現在の国籍は日本だけれど、たぶん「自由人」と言うパスポートがあるならそれで世界を歩くのだろう。

 夢無子は、自分をアーティストとして規定することさえ居心地悪いみたいだ。これからも自由人としてさまざまな活動をしていくだろうことをwatchingしていきます。

 「見る前に跳べ」の5人の新進写真家のうち、一番好きなのは、夢無子でした。ほんとに跳んでウクライナに入り、見たことを報告している夢無子。どうやって応援したらいいのかわからないけれど、応援します。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「見る前に跳べ in 写真美術館」

2023-11-23 00:00:01 | エッセイ、コラム

20231123
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩冬支度(2)見る前に跳べ in 写真美術館

 コロナで中止になっていた第3水曜日のシルバーデイ復活は、写真美術館庭園美術館現代美術館の3館。東京都美術館は抽選方式に変更。
 写真美術館11月シルバーデイ。5人の「新進写真家」の作品展を観覧しました。写真美術館3階の「見る前に跳べ」の展示。

会期:2023年10月27日-2024年1月21日

 写真美術館の口上
 東京都写真美術館では、2002年より写真・映像の可能性に挑戦する創造的精神を支援し、将来性のある作家を発掘するとともに、新たな創造活動を紹介することを目的として「日本の新進作家」展を開催してきました。20回目となる本展では、5人の作家を取り上げ、不確かな時代を生き抜くための原動力を探ります。
 21世紀に入り、アメリカ同時多発テロ、東日本大震災、新型コロナウイルスの感染拡大、ロシアによるウクライナ侵攻等、私たちの日常を揺るがす大きな出来事が起こっています。明日への不確かさは、人々を不安にさせ、心に迷いを生じさせ、新しいことへ挑戦する気持ちを後退させてしまいます。私たちは、間違えを恐れ、萎縮し、まるで「一万メートルの深海のような深い孤独」(W.H.オーデン)に陥っているかのようです。このような心の強ばりは、どのように解きほぐすことができるのでしょうか。
 本展では、この「深い孤独」と向き合い、独自の方法で写真作品によって、生きるための原動力の在処を示す5人の作家をご紹介します。孤独の中にありながらも、人とのつながりを手繰り寄せようとする彼らの作品は、私たちのかたくなな心を溶かし、人生の豊かさとは何かを思い出させてくれることでしょう。
 ―見るまえに跳べ― 私たちいつもそのように歩んできたはずです。

出品作家
うつゆみこ|Yumiko Utsu[1978-]
淵上裕太|Yuta Fuchikami[1987-]
星玄人| Haruto Hoshi[1970-]
夢無子|mumuko[1988-]
山上新平|Shimpei Yamagami[1984-]

 ポスターになっている写真はうつゆみこの作。動物や昆虫、植物、オブジェやフィギュア、図版などを組み合わせて、対象から得たインスピレーションにより作品を制作しています。このオブジェを吊り下げたコーナーがあり、そこだけは撮影禁止。あとは、撮影自由です。

 こどものころ、いろいろな植物動物を「見立て」によって空想上の生き物やものに仕立てた遊びをしたことがある人は多いと思います。いちばんありきたりの見立ては、入道雲→ソフトクリーム。
 うつゆみこの見立て、ユニークです。おもしろいし、気持ち悪いのもある。
 ヤングコーンに人形の首をくっつけて、人魚にするくらいは私にも思いつくけれど、豚足を京劇の役者にするのはまったく奇想天外、すごい発想です。


 川に黒い点々が出てきたバナナとヒョウのフィギュア、ほか、発想のさまざまに笑えたり気持ち悪かったり。よくもまあ、思いつくなあと見て回りました。毎日当たり前にものを見て常識通りにものに取り囲まれている生活をしていると、つくづく自分は平凡な感覚で生きているのだと思います。


 

 写真美術館3階の「見る前に跳べ」の展示室に入ると渕上裕太の写真が、切り抜きによって埋め尽くされてる中に展示されています。淵上裕太が撮影した上野公園に集まってくる人々も興味深い写真でした。ごく普通の感じの人の写真もあったけれど、ほかでは見ないユニークな人の写真が多かった。ホームレスはまだしも普通の人です。全身入れ墨の人とか、どうみても「ウリセンおかま」(差別用語ですが、あえて)に見える人など、肖像を撮らせてくれと言って撮らせてもらっている時点でどんな人間関係を結べていたのかと思うと、写真家としてすごい才能だと思います。

 全財産と思われる荷物の脇に横たわって、目はしっかりカメラ目線です。

 
 1987年生まれの渕上が2016年から発表を続けるシリーズ「路上」シリーズは、路上で見かけた気になる人物に声をかけ、撮影する。今回は、上野公園を中心に声をかけた人物の写真。
  
 たぶん(女装していると思う)女性が、左にはホームレスが寝っ転がっている横で、白髪の方のとなりに腰掛けています。その同じふたりの写真。次は、このじいさんと女性がキスしているところで、女性の舌がじいさんの口にさしこまれているところをリアルに撮影しています。興味なさそうに横向いているじいさんにどんなことばをかけて、どうしてキスシーンになるのか。そのやりとりを知りたくなるし、それをそのまま撮影している渕上の目はすごい。

 たぶん、桜の木の横にたつ女性と同じ人だとおもうのだけれど。
 

 

 雪の中に立っている「立ちんぼのおねえさん」は、客を待っている。寒さの中「もう少し(客を)待ってみる」と語るおねえさんを写す渕上の視線は暖かい。

 さまざまな背景がありそうな人々。これらの人々を受け入れ、同じ時代にいっしょに同じ空気を吸っているなあ、という渕上の受け止め方が伝わる写真でした。
 渕上自身による作品解説。2019年の大阪での展示「上野」につけたことばです。
 ほかの⼈間が存在し 僕以外の⼈間がRPGのキャラクターでも通りすがりの影でもない。 ⼀⼈の⼈間として存在していることを強制的に本能に訴えかけてきた。 僕は、世界に⼀⼈しか存在しないのではないか? 確かめるため、 息をするために ⼈と関わり撮影をしてきた。 上野は、⼈が⼈として存在している。 安らかな気持ちを与えてくれる。 ⼣陽に照らされた池の蓮 ⾵に揺れる⼀枚の花弁 ゆっくり時を刻むごとに⽔⾯の輝きを纏っていく ⼈々もまた変わっていく いまこの瞬間の『上野』が必要だった お⼿製の帽⼦を被ったおじさん 毎⽉、10年間上野公園の同じ⽊を写真に撮りに来る新潟の⼈ ⼤雪の中、誰もいない公園で『もう少し待ってみる』と笑顔で話す⽴ちんぼのお姉さん 同じ時を刻む⼈々の姿 僕は、今東京にいる。 僕たちは今を⽣きている。

 跳べないまま74年


<つづく>
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ぽかぽか春庭「写真学校100年 in 写真美術館」

2023-11-21 00:00:01 | エッセイ、コラム

20231121
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩冬支度(1)写真学校100年 in 写真美術館

 70年ほどの昔。私は被写体としてカメラの前にいました。3歳の姉と2歳の私は、はじめてミシンを買って子供たちの服を縫い始めたうれしそうな顔の若い母といっしょに写っている。銀行の最初のボーナスで初めてのカメラを買い、長方形のボディの上からファインダーをのぞきこんでいるのは、母の3番目の弟。私と姉は「ぎんこおじさん」と呼んでいました。母の1番上の弟はフィリピンで戦死(骨壺に入っていたのは遺品の時計だけ)2番目の弟は国鉄駅員で、私と姉は「えきおじさん」と呼んでいました。
 写真はぎんこおじさんの70年の生涯を通じての趣味となり、自分の子どもが生まれるまで、おじさんのよい被写体になったのは姉と私と妹、駅おじさんの子どもヨシユキとミチコでした。ボーナスに余裕があると、叔父さんはどんどん新しいカメラを買い換えました。昔の、お金持ちじゃない家の子どもにしてはたくさんスナップ写真が残っているのは、ぎんこおじの写真シュミのおかげです。

 次々に新しいカメラを買い換えてきたぎんこおじは、1979年にケニアに出かけるとき、古いほうの一眼レフを私に「餞別」としてくれました。ミチコがJAICA海外協力隊員として赴任しているケニアに出かけ、1年間、ケニアでの写真はこの一眼レフで撮影しました。

 ケニアに着いた翌日にナイロビの町で迷子になり、タカ氏に街を案内してもらって2年後には結婚してしまったので、ケニアで撮った写真を何に生かすこともなく、ネガは押し入れにしまわれたまま。一眼レフを手にしたときの「写真を撮り続けたい」という情熱は、たちまち子育ての忙しさのもとにうずもれました。ワンオペ育児、生活費をひとりでかせがなければならなかったこと、いいわけはいろいろですが、娘の成長を写真に残す程度にしか、一眼レフは使いませんでした。息子が生まれたころにはコンパクトカメラに切り替えていたように思います。写すの簡単だから。

 撮るほうは続かなかったけれど、写真を見ることはずっと大好きで、東京都写真美術館は、ぐるっとパスで入れるし、第3水曜日は無料公開が復活したし、よく出かける美術館のひとつです。
 今回出かけた写真美術館で「写真から100年東京工芸大学創立100年記念展」が開催されていました。

 会期:11月11日-12月10日(全会期入場無料)

 東京工芸大学は、工学部と芸術学部の2学部の工と芸で工芸大学と名称変更したのですが、私の世代には「写真大学」写大です。
 写真美術館地下1階の展示には、写大の歴史年表、卒業生の写真。写大が収集してきた古写真の展示、そして現在の工学部での研究成果展示(色彩研究やAI利用の成果)。芸術学部のアニメや漫画の成果。、もりだくさんの百年の展示でした。写大の工学研究の成果の歴史、今も輝くのはオリンパスの胃カメラです。八王子にあるオリンパス研究所を見学した時は、写大と結びつけて考えていませんでしたが。

 日本で最初の写真大学であり、数々の著名写真家を輩出していることも知っていたけれど、100年の歴史をじっくり見たことなどありませんでした。第1室は、100年の歴史年表です。
・1923年に日本初の写真学校である小西寫眞専門学校(写専)として設立。
・1950年に新学制の元で東京写真短期大学として発足 。
・ 1965年4年制大学
・1977年東京工芸大学に名称変更

 第2室。教員や卒業生の作品展示。文化勲章の田沼武能、文化功労者の細江英公などの大御所からずらりと出身者の作品がならんでいます。
 第3室は、写大が収集してきた歴史的な写真の展示。東京に写真美術館ができるよりはるか前から写大のコレクションは始まっています。膨大なネガ収集の中からごく一部の展示ですが、写大キャンパスの中野にも厚木にも出かけることがない者にとっては、見せてもらって、ありがとう、です。

 写大が収集した写真の展示。右側上はナダール肖像。

 絵を見ることは好きでも、けっして自分で絵を描こうとは思いません。超絶下手です。でも、写真は見るだけでなく、自分でも撮り続けたいです。コンパクトカメラ利用限定。絞りも露出もわからんちんでも、とにかく写りますから。スマホのカメラ機能はまだ使いこなせていません。写真はうつせるけれど、スマホからどうやったらパソコンにとりこめるのかわかっていない老婆です。

 10秒セットでカメラに向かって。顔を暗めに写すところがミソ。皺は写らないように。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「装飾の庭展 in 庭園美術館」

2023-11-19 00:00:01 | エッセイ、コラム

20231120
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩白秋(7)装飾の庭展 in 庭園美術館

 11月10日午後、庭園美術館へ。「装飾の庭」展。庭園美術館(旧朝香宮邸)のインテリアや装飾品、庭園を取り上げています。
 アンリ・ラパンを中心とした浅香宮邸インテリアと庭が、竣工当時の写真や設計図、保存されているラリックのガラス器などの展示によって再現されていました。

会期:9月23日-12月10日

 庭園美術館口上
 1933年(昭和8年)、東京・白金の御料地の一部を敷地として朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)は竣工した。約一万坪の敷地の庭園部分には、広々とした芝生が広がり、日本庭園、盆栽・花卉園が備わり、鶴や孔雀などの動物たちが闊歩していた。同邸宅内の壁面には、遠景に山々を望む森林や水を湛えた庭園の風景が描かれており、室内に居ながらにして自然の中にいるかのような装飾プランが展開されている。主要客室の装飾を手がけたフランス人装飾芸術家アンリ・ラパン(1873~1939)によって描かれたこの一連の装飾画は、朝香宮邸のコンセプトを読み解く鍵であると共に、当時のフランスにおける庭園芸術との関連性を指摘することのできる作品でもある。 
 同邸の装飾プランに多大な影響を及ぼしたとされる1925年のアール・デコ博覧会において、「庭園芸術」は初めて独立した出品分類として設けられるなど、重要視されていた。造園家のみならず、建築家や装飾芸術家も “庭”を如何に“装飾”するかということに心を砕き、各パヴィリオンの周囲や街路には多様な庭園が造りこまれた。
 本展では、博覧会を中心とした両大戦間期のフランスの近代庭園を巡る動向に着目し、古典主義・エキゾティシズム・キュビスム的要素を取り入れて展開していった様について、絵画や彫刻、工芸、版画、写真、文献資料等、約120点の作品から紹介する。本展を通して、当館建築の装飾や空間自体についてのより一層の理解を深めてほしい。 

 久しぶりに3階のウインターガーデンに入室できました。雨の金曜日ですから、待ち時間も人数制限もなく、ひとりでゆったりと「邸内に作られた庭園」で過ごしました。冬の寒い日、庭に出られなくても、この3階の「室内庭園」で自然を感じながらお茶でも飲む、って優雅な暮らし。むろん、私のご先祖がこの時代に生きていたら、食うや食わずでお茶の一杯も飲めない暮らしだったに違いないけれど。 

 最初にウィンターガーデンを見た時、この赤いパイプチェアは今風だなあと思ったんですが、竣工当時の室内写真の展示を見ると、なんと最初からこの椅子だったことがわかりました。現在部屋に置いてあるのは新しく購入したものでしょうけれど、前からこの椅子だったということがわかりました。モダンです。

 朝香宮夫妻が、パリの「アールデコ博覧会」観覧したことから朝香宮邸宅建設につながったことは、邸宅の説明にさまざまな形で語られています。
 1階の客室、大広間、大食堂、2階の殿下書斎とか妃殿下室、姫宮室なんて部屋をめぐりながら、ラパンやラリックの作品、セーブルの陶器などが飾られているのを観覧。20世紀前半のインテリア雑誌、庭園の設計図や完成予想図などを見てまわりました。

 いつもは締め切られていて庭は見通せない「香水塔の間」背景のカーテンが開け放たれていて、初めて香水塔ごしに庭を見ることができました。


アンリ・ラパン「サントヴィクトワール山麗ふたりの子供のいるプロヴァンス風景」
      ルネ・ラリック玄関パネル(一部割れたので、取り替えた古いもの、展示は寝た状態でしたが、玄関と同じように立ててUP)

  

 ルネ・ラリック「電灯式燭台三つ枝のロワトレ1931
               ラリック「電動式置時計野ばら」1926
  
 置時計のデザインまでラリックかい、と、どんだけアールデコデザインが気に入ったんだか、と思いながら観覧。

 1階食堂 椅子はレイモン‐シュブ鍛鉄布張り1920-1930(修復)
 

新館展示 ラリック「噴水の泉」1924頃  デコルシュモン「杯」1925頃   
 

ポール・ポワレ「デイドレス」1910頃
 漆のライティングビューローとテーブル1930年代


マックス・アングラン「四季」1920-1930


ドゥメトル・シバリュス「永遠の友達」ブロンズと、鏡の中の私
 

 アールデコ装飾の全盛期を堪能しました。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「アメイジングチャイナ in 松岡美術館」

2023-11-18 00:00:01 | エッセイ、コラム


20231118
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩白い秋(7)アメイジングチャイナ in 松岡美術館

 松岡清次郎(1994-1989 )は、若いころも骨董に興味を持っていたけれど、収集が本格的になったのは、ビジネスで富を得たのちの78歳以後。ビジネスで稼いだお金を西欧のオークションにつぎ込む。積極的に購入を進め、1975年に新橋の自社ビル内に松岡美術館を開館。清次郎他界後、白金の自宅跡地に今の美術館をたてました。館内展示は自館所蔵品のみ、ということもありますが、いくつかの撮影禁止作品のほかは、撮影自由というのも、清次郎の方針だそうです。(現館長松岡満喜子(清次郎三女)談話による)

釉裏牡丹菊唐草文鉢 明時代


青花臙脂紅 双鳳文 扁壺 清時代 1936-1795

黄地青花梔子文盤


 これらの壺や盤の色をだすために、最初に地の色の釉薬をかけて焼いたのちにもう一度青い釉薬で絵を描いて焼く。細かい技法を駆使しているのですと。

コレクションの約3割は陶磁。今回の展示は、特に翡翠を掘り込んだ玉器の「超絶技巧」が目を引きました。清時代、ミャンマー北部の翡翠産地が中国領となり、良質の翡翠がもたらされ、康熙帝康熙帝ほか皇帝たちは精緻な玉器を作らせました。

 翡翠白菜形花瓶 清時代

 白菜は汚れなき花嫁の白さを象徴し、葉の上にのっている昆虫は、繁殖力の強さ=子孫繁栄を表すのだそう。台湾の故宮博物館でもたくさんの白菜玉器を見た思い出があるけれど、この高さ40cmほどの松岡の白菜もなかなか手の込んだ彫りこみで、これだけの玉を彫って行って「あ、失敗」なんてなったら、首切り落とされるんじゃないだろうか、という迫力に満ちていました。

 翡翠獣耳環双獅子紐香炉 清時代
 

翡翠楼閣花鳥図 清時代

 釉薬使いの細かな技術、翡翠を掘り込む技術。すごい技を使った陶磁器や玉器がずらりと並んでいる展示室。ひとまわりすれば、私のような陶磁器にも玉器にも素養のないものには、ああ、いっぱい見た、で終わるけれど、たぶん、見る目がある方々にはとてつもないお宝の山なんだろうと思いつつ、1階の庭を眺めに階段を下りました。
 庭は、まだ紅葉しようかどうかな、11月はじめは夏日だったから、紅葉しようかどうかまよっていたけれど、立冬になったから、じゃ、赤くなろうかな、どうしよう、という庭でした。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「昭和の日本画洋画 in 松岡美術館」

2023-11-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
20231116
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩白秋(6)昭和の日本画洋画  in 松岡美術館

 秋のぐるっとパス利用。松岡美術館と庭園美術館は、白金台駅下車でひとまわり。11時から松岡美術館へ。1階は常設展示。2階第3室は「アメイジングチャイナ」。中国の陶磁器玉器の超絶技巧の展示。2階第4室は近代日本画、第6室は近代洋画のコレクション展です。美術館創設者松岡清次郎の晩年の収集作品を展示しています。95歳の天寿全うした松岡清次郎が晩年まで眼力を発揮してし集めた昭和時代の日本画洋画です。


 松岡美術館の口上
 世界有数の長寿国、日本。いまや、人生100年設計といわれる時代になりました。何かを始めたり、新たな道を拓くことを、年齢というくくりでためらう時代ではなくなったのです。少し前の世代ですが、95年の生涯を全うした松岡清次郎(1894 明治27-1989平成元年)もコレクションを充実させたのは70代半ば以降でした。日展、院展をはじめとする多くの団体公募展に自ら足を運び、じっくり選んだ日本画、洋画。のちに大成された画家たちの、若き日の無垢な作品もお見逃しなく。
 
 まずは近代日本画の部屋へ。
小笠原光「早春」1982


 この春の三毛猫に会うのは、2度目。同じ三毛猫と思うけれど「爽秋」という絵もあるらしいので、次は秋バージョンを見たいです。
 特にカラスが好きというわけじゃないけれど、カラスが出てくると「絵になる」。もちろん、私が描いたらただの黒い鳥だけど、枯野の中のカラスも枯れた杭の上のカラスも、物語を含んでくる。

山本眞也「枯野」1986


北久美子「午後の視線」1985


展示室6昭和の洋画
 いろいろな画家の絵が展示されているとき、これまで知らなかった画家の絵に出合うのも、絵を見る愉しみのひとつ。 
 昭和の洋画展示室


 大國章夫「時化る」1978

 荒れた海もすごい運命や人生を物語る。見る人はそれぞれの胸にストーリーが沸き上がり、海と空と柴垣を見つめる。」
 
 村田省蔵「ヴェネチアの赤い館」1982


 村田省蔵、はじめて見た絵でした。はじめましての画家に会う楽しみのほか、さまざまな画家の絵が並べられている展覧会での、ひとりゲーム。近代絵画の場合、絵を見て画家名を見る前に誰の絵か当てる。当たることもあるし、当たらないこともありますが、当たると単純にうれしい。その画家独特の画風から推理するのは、絵を見る時の邪道愉しみですがおもしろいゲームです。

 次の絵を見て「小磯良平」と思ったら、藤森兼明(はじめて見た画家)だった。残念。でも、画家紹介を読むと、「小磯良平に私淑」と出ていました。小磯良平の絵をよく知っているわけでもなく、小磯風味(なんていうのがあるとして)というのを感じたわけでもないのですが。当たらずといえども遠からずの気分。

 藤森兼明「エルトリア追想」1979


日本画展示室で

 先に日本画洋画を見てから、中国陶磁器の展示へ。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「2021年12月の古代中国とオリエント展と松聲閣 in 肥後細川庭園」

2023-11-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
20231114
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩白秋(4)永青文庫2021年12月の古代中国とオリエント展と松聲閣 in 肥後細川庭園

 毎年11月3日は「晴れの得意日」と言われてきたのですが、最近の気象データでは、11月4日が「晴れの得意日」になりつつあるという。
 2023年11月3日は、朝から晴れ。永青文庫を観覧したついでに、肥後細川庭園に足を延ばしました。前回2023年夏に永青文庫にきた日は、どしゃぶりでしたから、庭園散歩どころではなく、足を滑らせないように目白台台地が神田川に落ち込む斜面地を下りました 。旧細川侯爵邸(現・和敬塾本館)に暮らしていたお姫様奥方様なら、いったん椿山荘側に駕籠とか輿にのって出て脇の下り道を駕籠でそろりそろりと下り、神田川側に回ったのではないかしら。それでないととても肥後細川庭園に出られないと思うくらい、急な階段のハケ下りです。

 11月3日。よいお天気の中、ひとり散歩。肥後細川庭園は、熊本細川藩の藩邸下屋敷だった土地を文京区が整備し、区立庭園にしました。


 藩邸建物のうち、下屋敷学問所だった松聲閣を修復したものが、区立施設として集会所などに利用でき、1階「椿の間」では抹茶と和菓子600円が供されています。地元高校奏楽部が琴の演奏したり、ライトアップや「あかり文化を楽しむ」などさまざまなイベントも盛んです。2023年11月3日の庭園は家族連れなどでけっこうな賑わいでした。

 松聲閣のたたずまいは2年前とかわらずおっとりと。

 
 松聲閣前で


 肥後細川庭園は、文化の日晴れ空のもと、木々も池も光を浴びていました。


 何年か前に娘といっしょに肥後細川庭園を散歩したのを覚えていて、いつものように「ぽかぽか春庭 松聲閣」「ぽかぽか春庭 細川庭園」とキーワードを入れて検索しました。検索すると相当前のおでかけでも、googleさんが教えてくれるので、記憶があいまいな婆にとって重宝です。しかし、キーワードを変えて検索しても、ひっかかりません。おかしいなあ。私はいつ何をしたかほとんど覚えていないので、こうしてブログをメモがわりに記録しているのです。

 しかたないから、なんでもきっちりメモをとって記録している娘に質問。「前回永青文庫と細川庭園に行ったのはいつですか」。娘の返事「2021年12月22日」
 春庭ブログ2021年12月から2022年2月までチェックしたのに出てきません。なんと、ブログ抜け。記録していなかったのです。それじゃ、検索してもでてこないも道理。どうしてすっぽ抜けたのか。

  2021年12月18 日に富士美術館で「古代オリエント展」を見て、2022年1月6日に池袋の古代オリエント博物館を見て、ブログUPしたので、オリエントに満足してしまったらしく、永青文庫の冬季展「「古代中国・オリエントの美術リターンズ―国宝“細川ミラー”期間限定公開―」を書き忘れたみたいです。書かないでおくと、記録からも記憶からも抜け落ちて、なかったことになってしまう私の老婆脳。娘がメモしてくれていたので、記憶の底から引き出すことができました。
 
 2021年12月22日に永青文庫で観覧したのは、「通称・細川ミラー」。国宝です。そのほか、貴重な中国古代の文物や古代オリエントの出土品を観覧して大満足し、細川庭園を娘と散歩したのに、抜けてました。

 国宝 金銀錯狩猟文(通称細川ミラー)(永青文庫HP掲載の画像)
 私が写した写真は銅鏡の錆色がよくわかります。


 国宝ミラーのほか、オリエントや古代中国の文物いっぱい。
 
 
「木製シャブティ」エジプト 新王国時代第18王朝(前15~前14世紀頃)
                      人物画タイル イラン17世紀   
      
    

 ゴールドバンドガラス碗」東地中海沿岸域 前2~前1世紀

 透明ガラスと紫色のガラスでレース模様をつくった後に、金箔を挟んだ縞模様のガラス板を合わせて浅鉢形にするという、複雑な工程です。帯状の金箔をガラスに挟むのは、現代でも難しい高等テクニック。
 
 

 2021年12月の細川庭園は、雪吊りが美しかった。

 

 UPし損ねていた細川ミラーも、2021年12月の松聲閣の写真も掲載出来ました。これで今後「ぽかぽか春庭 松聲閣」と検索すればポンと出てきて、春庭が2021年12月に娘と訪れ、2023年11月にひとりで肥後細川庭園を訪れたことが記録できました。

 ほかにもすっぽり抜け落ちてしまった出来事は数限りなくあると思いますが、私の「思い出せない日常茶飯事」など、世の中になんの影響もない。2023年11月4日が夏日だった、ということがテレビの気象ニュースに残るほどの痕跡も残らない出来事の日常の積み重ねですけれど、2021年の永青文庫文物と松聲閣を記録できたこと、私的には、めでたしめでたし。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「長谷雄草紙ほか in 永青文庫」

2023-11-12 00:00:01 | エッセイ、コラム


20231112
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩秋(3)長谷雄草紙ほか in 永青文庫

 文化の日。文化っぽいことをやる日かなと思って、ぐるっとパスで永青文庫に入館。長谷雄草紙絵巻の一挙全公開、というので見る気になりました。
 長谷雄草紙は、全一巻五段の絵巻物です。平安時代の貴族、紀長谷雄(845-912)が、鬼とすごろく勝負をした物語の絵草紙。成立は鎌倉~室町時代。徳川将軍家宝物→行方不明→細川護立が収集し永青文庫所蔵。

 永青文庫への前回訪問は8月でした。理事長が細川護熙元総理大臣から息子の護光氏へ移譲された直後でしたが、そんなことにはまるで気づかず、護立侯爵収集の絵画の展示を見ていました。今回理事長が息子の代になったこと、「季刊永青文庫122号」に新理事長のあいさつが載っていたのでわかりました。2階の休憩コーナーで冊子を見て、長谷雄草紙五段のほか、展示の絵巻物が載っているので、1階受付で購入。800円。

 「長谷雄草紙」公開は14年ぶりで、五段まとめての公開は初だそうです。14年前には見ていないので、今回の「まとめて全部」見ることができたこと、これぞ”ぶんかの僥倖”でした。そのほか、永青文庫所蔵の太平記絵巻や蒙古襲来絵詞の摸本など、充実の絵巻展示でした。 

 永青文庫の口上
 「長谷雄草紙」(鎌倉~南北朝時代、13~14世紀)は、平安時代の漢学者・紀長谷雄にまつわる怪異な説話を題材 にした絵巻です。江戸時代に徳川将軍家の宝物として秘蔵されていた一巻で、幕末維新期の混乱により長らく所在不明 でしたが、昭和に入り、永青文庫の設立者・細川護立(1883~1970)の所蔵となりました。 この絵巻に描かれているのは、長谷雄と朱雀門の鬼との双六争い。見事勝利した長谷雄は美女を得ますが、鬼との約 束を破って100日を待たずに美女に触れると、たちまち水となって流れ消えてしまうというストーリーです。双六の賽 を振る音が線で表されるなど、今日のアニメや漫画に通じる表現も見受けられます。物語はわずか5段と短く、内容も 明快で、室町時代以降の短編小説「お伽草子」の源流を示す貴重な作例とされています。 

 絵巻の横の詞書を翻刻したパネルが実物の上にあるので、変体仮名をすらすら読むのがむずかしい私でも、翻刻と対照しながらならなんとか読める。仮名文字が一字一字くっきりかっきり、とても読みやすい字です。常々「後世の無学な者のために、わかりやすい字で書いてほしいよ」と思っていたHalに願ったりかなったりの書体になっていました。流麗なくずし字は、書いた人にとっては「ほれ、美しいじゃろうが」と、満足のいく美的文字なのでしょうが、読む者はこのような一字一字くっきりした字体は、大歓迎です。思うに、御伽草子のさきがけと言われる長谷雄草紙なので、子供が親におとぎ話を読んでもらいながら、仮名文字を知るのにいい絵巻。文字を読み習い、次に手習いを始めるのかと想像しました。

 紀長谷雄は、菅原道真の門人。文章博士、大学弁のちに中納言。遣唐副使に任ぜられるも、道真により遣唐使が894年廃止され、唐には渡らなかった。が、その学才は鬼にも対抗できる力があるとされ、長谷雄草紙が描かれました。『今昔物語』にも長谷雄は登場し、長谷雄草紙は、師匠道真を神格化した天神様のご利益を表す物語になっています。 

 長谷雄は鬼とすごろく勝負をします。この時代の双六とは、盤双六。今の絵双六とはことなり、現代で言うバックギャモンのような盤ゲームです。長谷雄が盤に打ち込む場面では、「バーン」という音が、現代の漫画表現のように斜線であらわされています。鬼が長谷雄と勝負をしているのは、朱雀門の上。さいころで自分のコマを進めますが、戦略のうまい下手で勝負がつく。長谷雄は全財産を賭け、鬼は絶世の美女を賭けて長谷雄が勝つ。

 鬼が連れて来たのは、100日の間触れてはならない、という美女。あまりの美しさに、長谷雄は80日目にはがまんができなくなり「もう相当待ったのだから大丈夫だろう」と触ってしまう。美女はたちまち水となって流れ出てしまった。


 鬼が美女の死体からよいところを集めて作り上げた絶世の美女で100日めには本物の人になるところでした。しかし、水となってしまった上、長谷雄は鬼から違約を責め立てらます。あやういところで、長谷雄は一心に唱えた北野天神の加護を得て鬼を退散せしめることができました。めでたしめでたし。
 逃げていく鬼

 そのほか、蒙古襲来絵詞(文政年間模写)や、後三年合戦(天保年間模写)の摸本が展示されていました。江戸時代に熊本藩のお抱え絵師が諸家から絵巻を借り出して摸本を作成したのだそうです。いまでは原本が火災戦乱海外流出などで失われているものもあるので、これらの摸本も貴重な資料です。絵入り太平記(17世紀)の展示もあり、充実した絵巻展示でした。

 蒙古襲来絵詞の国宝指定後の展示は、再開した皇居三の丸尚蔵館で公開。教科書に出ている、肥後国(熊本)の御家人・竹崎季長 が蒙古軍に立ち向かう場面とか、摸本でも迫力十分でしたけれど、せっかくなら国宝も見ておきたい。

 細川藩のお姫様たちが歌留多取りをして遊んだ絵かるたなどの展示もあり、充実した展示でした。
 11月3日、よいお天気でしたから、肥後細川庭園へ。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「コスチューム・ジュエリー展 in パナソニック汐留美術館」

2023-11-11 00:00:01 | エッセイ、コラム


20231111
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩白秋(2)コスチューム・ジュエリー展 in パナソニック汐留美術館

 ジュエリーは私にとって、身に着けるものではなく、見て楽しむものです。美しいものを見るのは心楽しいこと。この1年の間にも、大倉集古館でのヴィクトリアンジュエリー展や、アクセサリーミュージアムの常設展などジュエリーを楽しむ機会がありました。今回はパナソニック汐留美術館での「コスチュームジュエリー」展。

 貴族などが希少な宝石で身を飾りつけるのと異なり、コスチューム・ジュエリーは、ガラスビーズ、メタル、プラスチックなど、安価な材料を使って、斬新なデザインのアクセサリーを創作したものです。ポール・ポワレ、ココ・シャネルなどの新時代の洋服に合う新しいアクセサリーが生み出されました。

会期:2023年10月7日-12月17日

 ポール・ポワレが嚆矢となり、シャネルによって広く普及したコスチュームジュエリー。宝石や貴金属といった素材の既成概念から解放され、優れたデザインや衣服との組合せの魅力によりパリのモード界では不可欠の要素となり、やがてアメリカへも伝わりました。本展はコスチュームジュエリーの展開を包括的にご紹介する日本初の展覧会です。ディオールやスキャパレッリなどオートクチュールのコレクションのために生み出された作品はもちろん、それらのブランドからの依頼も受けたジュエリー工房による卓越した技術の精緻なネックレスやブローチに、リーン・ヴォートランやコッポラ・エ・トッポらによる独創的な逸品、そしてミリアム・ハスケルやトリファリに代表される、幅広い層に支持されたアメリカン・コスチュームジュエリー。これらを、国内随一のコレクションから選りすぐり、400点あまりの作例を通じてご紹介するとともに、各デザイナーが素材の自由を獲得することで生み出した、それぞれの様式美を探ります。
 
第Ⅰ章 美の変革者たち オートクチュールのためのコスチュームジュエリー
 ポワレやココ・シャネルなどパリのオートクチュールは、20世紀の女性のために、コルセットを取り払い、活動する服、働く女性の服を作るようになりました。昼、職場で働くための服を着ていた女性が、コスチュームジュエリーを身につければ、華やかなパーティに出ていける。高価な宝石ではなくても、デザインの華麗さ優美さは、どんなダイヤモンドやルビーにも負けない美しさをみせます。(第Ⅲ章の一部は撮影可能。撮影不可画像は借り物)

夜会用マスク、ブレスレット「深海」
 ポールポワレデザイン、マドレーヌ・パニゾン:制作 1919
 (メタリックチュールにガラスビーズ、クリスタルガラスで刺繍)

 ココ・シャネルデザインのコスチューム・ジュエリーは、メゾン・グリポワやロベール・ゴッサンス が制作しました。

 「ビザンチンクロス」ココ・シャネル:デザイン ロベール・ゴッサンス:制作 1960頃
(ガラスビーズ メタル)
 

《ネックレス「葉」》デザイン・制作:ジャン・クレモン、1937年頃
 クリアエナメル彩メタル、メタルメッシュ


第Ⅱ章 躍進した様式美 ヨーロッパのコスチュームジュエリー
 「私は職人」と自己規定をしていたココ・シャネルは、コスチュームジュエリーを「本物の偽物」と表現しました。本物の宝石ではなく、人造パールやダイヤモンドに似せたガラスなど、宝石の偽物ではあるが、「その美しさは本物以上」という意識です。
 一方シャネルの好敵手スキャパレリの自己規定はあくまでアーティストであり、自己主張や表現を明確にしつつデザインしました。

 シャネルが働く女性のためにデザインした服は、男っぽいテーラードカラーをもつ、かっちりしたスーツ。19世紀の女性たちはスカートで乗馬するとき、足を同じ側に下げ、馬にまたがることはありませんでした。ココは男性のための乗馬服を自分自身のためにアレンジし、鞍にまたがって馬に乗りました。ココは、この「男性と同じ乗馬服」から出発しています。シャネルの「男装の麗人」スタイルは、第1次世界大戦で男性に代わって社会に飛び出した働く女性からの支持を集めました。そして、昼働いた女性たちにとって、夜のお出かけに必要なものがコスチュームジュエリーでした。

 一方スキャパレリは、ショッキングピンクを駆使したシュールレアリズムとコラボした奇抜なデザイン。いわば男も女も飛び越えてしまっています。
 
チョーカー「花火」コッポラ・エ・トッポ 
デザイン:リダ・コッポラ、1968年、クリスタルガラス、ガラスビーズ、ワイヤー、メタル、


第Ⅲ章 新世界のマスプロダクションーアメリカのコスチュームジュエリー
 西欧のコスチュームジュエリーが貴族文化としての宝飾品から出発したのと異なり、アメリカ新世界では、最初から新しい素材のコスチュームジュエリーが「偽物」としてではなく、それ自体の存在によって受け入れられました。

 さまざまな素材、さまざまな色によって表現がひろがりました。



・ネックレス「葉と藤の花」クリスチャン・ディオール:デザイン 1952
メゾン・グリボワ:制作
・ブローチ「白鳥」メゾン・グリボワ:制作1950-1960 ガラスペーストラインストーン エナメルガラス メタルサイズ
・「えんどう豆」シュザンヌ・グリ歩ワ:デザイン メゾン・グリボワ制作
1955頃


 クリスタルガラスや人造パール、メタルなど、さまざまな素材が用いられて、新しいデザインが歓迎されました。

 パナソニック汐留美術館は、水曜日が定休なので、月曜日お昼前後に観覧しました。ブローチやピンなど、小さい作品に顔を寄せるように近づいてみることもできる程度の人の入りで、ゆったり回れました。観覧客のほとんどは女性。

 デザインの多様さ、素晴らしさに感嘆するばかりで、出口のショップで売られている素敵なデザインのアクセサリーも、図録も買うことはできませんでしたが、絵ハガキを2枚買いました。2枚で230円。ぐるっとパス(2500円)使用は、松濤美術館五島美術館についで3館目。これで元はとった。


 交通費のほかは節約しようと思って、ハムチーズサンドイッチを作って持参。広場のベンチで空きボトルに入れて持ってきたコーヒーでランチにしました。ベンチの目の前が丸亀製麺に店だったので、お昼はうどんにして、サンドイッチはそのまま持って帰って晩御飯にしようかなとも思ったのですが、いやいや、初志貫徹。帰り道、スーパーで半額牛丼300円を買って帰りました。やはりコスチューム・ジュエリーといえどもジュエリーにはとことん縁のない暮らしです。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「アーツ&クラフツとモリス展 in 横浜そごう美術館」

2023-11-09 00:00:01 | エッセイ、コラム


20231107
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩白秋(1)アーツ&クラフツとモリス展 in 横浜そごう美術館

 ウィリアム・モリスのデザイン、壁紙もカーテンの柄も好きですが、モリス以外のデザイナーの名は、「アーツクラフツに関連するまわりの人たち」という意識で、ひとりひとりの名前などは知らなかったです。
 今回のそごう美術館の「アーツ・アンド・クラフツとデザイン ウィリアム・モリスからフランク・ロイド・ライトまで」展は、モリスの作品もありましたが、モリスの仲間たちの作品が多かったです。

 アメリカでのアーツアンドクラフツの影響を受けた人として、フランク・ロイド・ライトやティファニーが展示されていました。これまでライトやティファニーをモリスと結びつけたことはなかったので、ロイドがモリスの影響を受けてきた、という流れの展示に、目を開かれました。

 モリスの代表作「いちご泥棒」


 そごう美術館の口上
 19世紀後半にイギリスで興ったアーツ・アンド・クラフツ運動は、産業革命以降、急速に失われつつあった手仕事による制作活動を取り戻すこと、さらには、生活と芸術が一体化することを目指しました。中心人物となったウィリアム・モリス(1834-1896)の思想と実践は、同時代の作家に広く受け入れられ、イギリス全体、そして世界各地へと広まります。アメリカでは、建築家フランク・ロイド・ライト(1867-1959)らも参加し、運動は新たな展開を見せました。
 手仕事の復興を目指したアーツ・アンド・クラフツ運動は、美術や工芸、建築だけにとどまらず、産業や人々の生活文化にも影響を与え、その思想は現代の日本にも息づいているのです。
本展では、各地の歴史や文化を反映し発展したアーツ・アンド・クラフツ運動の歩みを、テキスタイルや壁紙・家具・金工など、約170点の作品を通じてご紹介いたします。

 産業革命のあとの機械製品勃興時代に、手仕事による染織や手工芸の価値を復興させようとしたアーツアンドクラフツ」でした。アーツアンドクラフツが、アメリカにも広がっていき、フランク・ロイド・ライトらが、「機械による大量生産」も取り入れたアーツアンドクラフツの新しいムーブメントを立ち上げました。高価な手仕事製品を買えない層にも、機械による大量生産によって、手ごろな価格で消費者に届くからです。

 ティファニー創業者の息子、ルイス・コンフォート・ティファニーが手掛けたランプやステンドグラスは、伊豆のティファニーガラス美術館で堪能しました。しかし、この時は、「アーツアンドクラフツ」の影響を持つ作品という視点がありませんでした。フランツ・ロイド・ライトの建築作品も、モダニズムの一語で見ていましたので、モリスとの関連で見たことがありませんでした。

 展示は、ウィリアム・モリス(1834 - 1896)の代表作「いちご泥棒」などのテキスタイル作品のほか、アーツアンドクラフト工房関連の椅子やガラス製品、金工作品など、さまざまな意匠が並んでいました。
 展示第1室に写真OKのコーナーがありましたが、第2室以後は写真不可。ネット借り物写真で思い出作り。

 モリスは亡くなってから127年たっており、著作権はとうに消滅。そのデザインはパブリックドメインとなっています。しかし、展示物には所有権というものも付随しているので、全部が撮影OKとはなっていないところが残念。所有している方々、フラッシュ無しのシャッターを受けても、展示品が劣化するわけじゃないので、撮影OKにしていただけるとありがたいし、貴重なものを持っている人の徳を示してほしい。モリスの仲間たちの作品もほとんどがパブリックドメイン。

 撮影OKのコーナー モリス タペストリー「孔雀と竜」1878 ほか
ウィリアム・モーガン「バラと格子」1872
C・F・アン・ズリー・ヴォイジ―「ポピー」1895
ウィリアム・モリス「格子垣」1864年

 生活の中にこそ「美しさ」を、というのがアーツアンドクラフツの主張でした。毎日暮らす家の壁紙もカーテンも、自分の好みの柄にすれば、心地良い日常がすごせます。産業革命後の機械万能時代に、職人仕事の保護など、機械生産に対抗する必要があったのだと思います。しかし、今となっては、手作りの品々は、私のようなものには手が出ない高価なものになっています。フランク・ロイド・ライトが「工場大量生産の安価なものも必要」と考えたのもわかります。

 アーツアンドクラフツ発祥の地である英国は、モリスが生きた19世紀後半、厳然たる階級社会でした。現在も貴族制度が残っている英国社会。貴族や地主ジェントルマン階級と無産労働階級との差は、モリスの時代と今では大きく異なってきました。現在は、意識の上では労働者階級の首相も出てきたとはいえ、貧富の差などはいまだに大きい。移民階級などの問題も広がっています。

 資産のある投資家の息子に生まれ、聖職者をめざしたこともあるモリスは、「生活の美」は労働者階級にこそ必要と考え、カール・マルクスの娘エリノア・マルクスとともに、ハマスミス社会主義協会を結成し、終生社会主義者として活動しました。詩人としても才能を発揮し、美しい本、美しい活字の制作も行ったモリス。展示には、モリスデザインの活字や装丁による本の展示もありました。貴族階級ブルジョア階級が「美しいもの、よきデザイン」を保護してきたという歴史はあるのですが、モリスの考えた「働く階級にこそ美を」という理念はまだまだ理想です。

 現実の我が家など、整理整頓の対極にある散らかり放題の「生活の美」の反対「生活の醜」の暮らしを続けていますが、きちんと片づけができないのも生まれ持った「片づけられない症候群」と開き直って、今後も「美」は美術館で楽しむことにします。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ミュージカル『美女と野獣』by 劇団四季 in 舞浜アンフィシアター」

2023-11-07 00:00:01 | 映画演劇舞踊


20231107
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>感激観劇日誌2023秋(1)ミュージカル『美女と野獣』by 劇団四季 in 舞浜アンフィシアター

 懸賞生活を続けている娘が10月20日の「ディズニーランドイブニング貸切招待」に当選したのですが、金曜日日帰りのつもりでした。21日には「サンリオピューロランドの食事会&キティちゃん撮影会」にも当選していたので、20日夜は泊まらない、と決めていたのです。しかし、逆に19日木曜日の夜泊まる、ということにして、19日昼の間はディズニーシーですごし、19日夜アンバサダーホテル宿泊。20日昼から舞浜アンフィシアターに行くことにしました。

 10月20日午後12時半からアンフィシアターで、劇団四季公演『美女と野獣』を観覧。
 19日夜に泊まったアンバサダーホテルと舞浜アンフィシアターは直結しています。前にこの劇場に入ったのは、稲垣吾郎司会のディズニー名曲コンサートで、まだそう昔のことじゃないので、ホテルからシアターまでの行き方、覚えていました。ていうか、間違えようもない近さです。隣の建物ですから。
 
 『美女と野獣』は、アニメで何度も見て、エマ・ワトソンの実写版も見て、ディズニーランドのアトラクションも、ランドに行くたびに楽しんできたのですが、四季のミュージカルだけはまだでした。

 今回はディズニーランドはご招待だけれど、ディズニーシーと美女と野獣、アンバサダーホテルは自費の大盤振る舞い。おそらく、これが最後の有料行楽になるでしょう。1階15列87席88席、2席で24200円
 無料行楽は私の得意とするところですが、今後は有料行楽はゼロになる見通し。

 劇団四季のミュージカルを劇場で見るのは、たぶん40年ぶりくらいです。子どもが生まれてからは、劇場では一度も見ていない。昔見たのは鹿賀丈史 や市村正親が四季団員だったころのことです。ジーザスクライストでヘロデ王を演じる市村などを見ました。ウエストサイドも四季の舞台で見ました。~遠い目、、、



10月20日金曜日12時半開演 出演者
 ベル :五所真理子
ビースト:清水大星
モリース:菊池正
ガストン:金久烈
ルフウ :山本道
ルミエール:大木智貴
コッグスワース:雲田隆弘
ミセス・ポット:塩﨑亜耶
マダム・ブーシュ:秋山知子
バベット:杉野早季
チップ :奥谷悠玄 

 開演前撮影OKの劇場


 アニメや映画では、ビーストが唄う場面は少なかったですが、ミュージカル舞台ではビーストが唄う曲がけっこうありました。娘はアラン・メンケンのファンで、「美女と野獣」も英語版も日本語版もよく聞いていますから、「四季の歌詞は、アニメや実写版と違う部分がある」など、訳詞の違いなどにも注目していました。日本語の歌詞をメロディにのせるために、訳詞家は苦心しただろうと思います。

 アニメや映画も楽しい物語ですが、舞台で踊るアンサンブルの質の高さや舞台美術や照明も、さすが四季だなと感じました。キャストのなかでは、金久烈(かねひさ・れつ韓国出身、韓国名はキム・グヨル)は、最近のキャスティングのようですが、腕が太くたくましい体格て、自信満々でベルに結婚申し込むあたりはガストンにぴったりと思いました。そのかわり、後半野獣攻撃側になっての非人間的攻撃性が強く感じられず、雷に打たれて崖を落ちるシーン、ちょいかわいそうに思えます。

 「外見で人の中身を判断するな」という魔女の呪い。王子は外見で判断したために野獣にされてしまいました。この魔女の教訓から言うと、金久のガストンは外見は野卑ですが、心の中はただ単純な気のいい奴に見える。人魚姫を死なせずにハッピーエンドにしたディズニーなのだから、ガストンを助けるストーリーもできただろうに。やはり、悪役は必要なのね。

 終演後、係員が「撮影おことわり」のプラカードをしまってから、去り際に撮影しました。ラストシーンの舞台美術。

 

 久しぶりの四季ミュージカル鑑賞。よいひとときを過ごせました。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「サンリオピューロランド」

2023-11-05 00:00:01 | エッセイ、コラム

 30年ぶりのサンリオピューロランド

20231105
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023文日記秋行楽(3)サンリオピューロランド

 娘は、キティちゃんのついた赤いバッグを肩にかけて保育園に通いました。当時はキャラクターマスコットなどもそれほど種類はなく、キティちゃんとキキララくらいのものでした。いまのように、さまざまなキャラビジネスが展開しようとや思っていませんでした。

 1990年オープンのピューロランド。2度ほど遊びに来た記憶があります。おそらく開園当初の人気が落ちて、新聞販売店などが、月ぎめ購読者に招待券を配布したでしょう。我が家は、そんな無料招待券を利用して遊びにきたのだろうと思います。

 それ以来30年以上来ていなかったサンリオピューロランド。娘はひとりで出歩けるようになった中学生以後はディズニーファンを貫いているので、まったく来ることはありませんでした。
 懸賞生活を続けている娘が、伊藤ハムをせっせと買い込み、応募した結果の、伊藤ハム主催「キティと食事会&写真撮影会」に当選です。

 前夜、10月20日夜は、ディズニーランドからの帰宅が、最終電車から最終電車へ乗り継ぎという危機一髪で家にたどり着いたので、21日土曜日はゆっくり起きて、お昼ごろ多摩プラーザ駅につけばよい、というスケジュール。
 多摩プラーザ駅にはベネッセの施設があり、キティとしまじろうが仲良くキャラクターとして並び立っていました。
 

 キティちゃん撮影会食事会は17時半開始なので、お昼から夕方まで、急がずあわてずすごす、という方針で、いくつかのショウを見ることにしました。

 

 最初は「カワイイかぶき」。キティちゃんが「桃太郎」を歌舞伎テイストで演じるという演目です。見えを切ったり、隈取メイクなどで、歌舞伎風にして上演されていました。これで、若者や子どもが歌舞伎に興味を持って、歌舞伎座にも足を運ぶようになるかどうかはわかりませんが、レビューダンスと歌舞伎テイスト演劇の組み合わせ、演じているダンサーの一生懸命さは伝わりました。たまたま一番前の席にふたつ空き席があったので、座ったのですが、どうやら最前列は演者に声掛けをする歌舞伎座でいう「大向こう」役の人がリピーターになって声をかける席だったらしく、「にっぽんいち!」とか、声掛けをしていました。拍手以外に応援方法を知らないので、遠慮がちの手拍子などをしつつ観覧。


 幼い子供を連れた家族連れ、「カワイイ」が大好きな若い女性ペア、たまにカップル。若い男性はほとんど見かけないピューロランドでした。土曜日午後にこの限定された客層ということでは、ディズニーリゾートには勝てないなあと、経営者側の視線で園内をながめました。経営者じゃないけど。

 次は、キャラクターパレード。


 パレードは、キティちゃんたちがフロートに乗って登場。MCが「キティちゃ~ん」と紹介すると、若い女性たちが「カワイイ、カワイイ」と唱和する。魔女が王国の支配をもくろむが、キティちゃんたちの「思いやり、愛する心」によって邪悪な心を改心して、平和がやってくる、というストーリーが展開します。

 せまい3階入り口フロアにぎゅうぎゅう詰めになって観覧しました。キャラクターのどれかに特別なお気に入りがあるなら、楽しいショウなのだろうと思います。リピーターは、お気に入りがよく見える場所を知っていて、早くから場所とりをするみたい。娘は「たあ坊の写真撮りたかったけれど、こっち側から見えるところには来なかった」と残念そう。

 パレードの次は、うさぎのキャラクター「メル」が主人公のショウ「ウィッシュミーメル」こちらも、早くから並んではいないのに、最前列に座れました。ピューロランドは土日に最大入場者となっても1万人くらい、ということですが、室内1-4階の狭いフロアのスペースなので、こみこみになった場合、休むベンチも少ないことが入場客には不親切。

 

 キティちゃんの歌舞伎テイストショウも、うさぎメルのミュージカルも、やはり子供向けの演出ですから、残念ながらリピーターになる気持ちは起きず。パレードもショウも、クオリティの高さから言うと、ディズニーランドひとり勝ちです。としまえん閉園後のハリーポッターはまだ入園していませんが、ディズニーランドにどれほど対抗できるのか、一度は入ってみたいと思うものの、無料抽選だのみですから、いつになることやら。

 16時からお食事会開始。Meiji Chocolate 、というロゴの入ったTシャツを着てきたので、娘に「主催者が伊藤ハムなのに。まあ、同じ食品会社でも競合商品がないからいいか」と言われました。ホント、着るものにまったく意識がないのです。ぶら下げていた袋は、インスタントラーメンの抽選で当たったバッグで、ラーメンキャラの豚とキティちゃんがついていた袋なので、いちおうキティちゃんグッズ。
 

 ビュッフェは、伊藤ハム製造食品使用のソーセージや揚げものなどが中心。いなりずしにキティちゃんの顔がついていたり、カワイイところはよかったですが、食べ放題大好きマニアとしては、ビュッフェとしてフツーのグレードと採点。

 食事のあいまに、キティちゃんとの写真撮影が同時進行。家族ごとペアごとのテーブル番号が呼ばれて、写真撮影にのぞみます。
 


 
 キティちゃんは、お色直ししてもう一度登場し、2度目の写真撮影。 
  

 お食事会の最後に、伊藤ハムの担当者さんがあいさつし、おみやげの紙袋を渡されました。伊藤ハム製品などの詰め合わせ。ごちそうさまでした。
 

 楽しい半日でしたが、娘は「今回はご招待だからいいけれど、同じお金を払うなら、ピューロランドの2倍払ってもディズニーに行く」 
 ビューロランドは、子供が小学校低学年までに家族連れで行くのが正解と思います。また、マイメロディ押しとかキキララ押しとかのサンリオキャラクターマニアの人にとっては楽しいテーマパークです。

 押しキャラもない婆と老嬢ペアにとっては、この次「ご招待」が当たったら再訪するってことで。伊藤ハムさん、楽しいご招待をありがとう。
 ただし、娘の懸賞生活、次の懸賞によっては日本ハムをせっせと買い込むのかもしれず、あしからず。
 
<つづく>
コメント (2)
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