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ぽかぽか春庭2013年8月目次

2013-08-31 00:00:01 | エッセイ、コラム


2013/08/31
ぽかぽか春庭>2013年8月

08/01 ぽかぽか春庭・知恵の輪日記>2003年の夏(6)夏の庭
08/03 2003年の夏(7)夏の千羽鶴
08/04 2003年の夏(8)編集学校
08/06 2003年の夏(9)夏の誘拐
08/07 2003年の夏(10)お盆帰省のふるさと
08/08 2003年の夏(11)ホームページビルダー

08/10 ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>夏の記憶(1)倉庫の記録
08/11 夏の記憶(2)生ましめんかな
08/13 夏の記憶(3)コレガ人間ナノデス~水をください
08/14 夏の記憶(4)白い馬(太郎の)
08/15 夏の記憶(5)夏の9

08/17 ぽかぽか春庭感激観劇日記>芝居は地球を回っている(1)水族館劇場「あらかじめ失われた世界へ」
08/18 芝居は地球を回っている(2)東京ノーヴィレパートリーシアター「白痴」
08/20 芝居は地球を回っている(3)文学座「ガリレイの生涯」
08/21 芝居は地球を回っている(4)エゲリア&シンベリン&マクベス

08/22 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記8月(1)夏の日常茶飯事・図書館、プール、ダンス
08/24 十三里半日記8月(2)花火
08/25 十三里半日記8月(3)シルクロード美術館
08/27 十三里半日記8月(4)野外バレエ
08/28 十三里半日記8月(4)お盆介護

08/29 ぽかぽか春庭ブックスタンド>2013年5月~8月の読書メモ
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ぽかぽか春庭2013年5月~8月の読書メモ

2013-08-29 00:00:01 | エッセイ、コラム
ゴッホ

2013/08/29
ぽかぽか春庭ブックスタンド>2013年5月~8月の読書メモ

@は図書館本 *は図書館リサイクル本 ¥は定価で買った本 ・はBookoffの定価半額本&100円本。

<日本語・日本言語文化論>
+岡田幸彦『語の意味と文法形式』

<小説 戯曲 ノンフィクション>
・荻原規子『西の善き魔女Ⅰ~Ⅵ』2005中公文庫
・井上ひさし『花石物語』1984
@内澤旬子『世界屠畜紀行』2012角川文庫

<評論 エッセイ>
・吉村昭『街のはなし』1996文藝春秋
・青木玉『小石川の家』1995講談社
・松本健一『真贋ー中居屋重兵衛のまぼろし 』1999幻冬舎アウトロー文庫
・佐野洋子『役に立たない日々』2011朝日文庫
・佐野洋子『私はそうは思わない』1997ちくま文庫
・佐野洋子『友だちは無駄である』2009ちくま文庫
・司馬遼太郎『歴史と視点』1994新潮文庫
・司馬遼太郎『人間というもの』2006PHP文庫
・司馬遼太郎『微光の中の宇宙』1991中公文庫」
・出口保夫『イギリス四季暦秋冬篇』1997中公文庫
・須賀敦子『地図のない旅』1999新潮社
・近藤富枝森まゆみ『一葉のきもの』2005河出書房新社

・草間彌生『無限の網』2012新潮文庫
¥Chim↑Pom『芸術実行犯』2012朝日出版社
@岡本太郎『疾走する自画像』2001みすず書房
@岡本敏子『岡本太郎』2006アートン
@赤坂憲雄『岡本太郎の見た日本』2007岩波書店

* 山本夏彦『最後の波の音』2006文春文庫
* 宮沢章夫『牛乳の作法』2005ちくま文庫
* 李進煕篇『韓国と日本の交流史古代中世篇』1994明石書店
* 本田透『喪男の哲学史』2006講談社
~~~~~~~~~~~^

 百円本のいいところは、100円だからついでに買っておいた本のなかに、自分の関心外のジャンルに広がる思いがけない出会いがあるところ。松本健一という著者名だけで買った『真贋』、面白かった。近代史のなかに忽然と現れた資料の真贋をめぐって、緻密な論考と足で確認する作業を積み重ね、近代史大家までが一級資料として扱い始めた文書を「一個人が捏造した偽書」と結論づけるまでが推理小説のように展開する。

 絵画の真贋を扱う話も面白いものが多いが、『真贋』も、もっともらしい資料を鵜呑みにしてしまうアカデミズム歴史学に対して、歴史評論家である松本が渾身の力を振り絞って明らかにした痛快な話。菅内閣の参与となって以来あるいはその前の大学教授におさまって以後、「在野の」という冠は消えて久しいのに、やはり歴史学アカデミズム側とは一線画しているなあという気がする。同じ郷里なので贔屓目もあろうが。

 『世界屠畜紀行』は、解放出版社から単行本が出たときから読みたいと思い、百円本コーナーに並ぶ日を待っていたのだけれど、なかなか並ばないので図書館で借りてやっと読めた。日本における屠畜に関わる人々への差別を考えつつ世界の屠畜をリポートしています。

 私も生きている牛や豚の姿と薄切り肉とを結び付けないようにして食べるほうで、クリスマスなんぞに七面鳥でも鶏でも鳥の丸焼きなんぞを食べるのはまっぴらごめん、という「元の姿見ないよう考えないようにして肉を食べている肉食人種」のひとりであるので、とても興味深く読みました。生きている命をいただいて食べるのは魚でもきゅうりでも同じと思うのだけれど、やはり四足を目の前でつぶして食べるのはできそうにない。魚やエビは生きてピチピチはねているのに包丁をいれることさえするのに。

 百円本、前に読んだ本でも好きな作家の本だと何度でも100円だからと思って買ってしまいます。10年くらい前、2002年に新潮文庫で読んだ『地図のない旅』、単行本が100円だったので、家に文庫があるのを承知でジョルジオ・モランディの静物画のカバーがすてきだったので買って、再読。夫の死はどの作品にも影をおとしているけれど、『地図のない旅』のヴェネチアは須賀自身の間近い死を予感しているかのような色に染められていて何度読んでも深い味わいがあります。

 『小石川の家』。初代のは勉強のために読み、二代目のは好きで読んだけれど、三代目まで読まなくてもいいんじゃないかと思って今まで読まなかったけれど、三代目もまた近代文章語の達人なのであって、DNA持たぬ家系のひがみ増すばかり。露伴、幸田文、青木玉につづく四代目も書いている。四代目のはまだ読む気がしないが。
 直系親子の関係ではないけれど、伯母(母の姉)と姪という間柄であったことをはじめて知ったのが、近藤富枝と森まゆみの共著『一葉のきもの』一葉の著作を中心に明治時代の着物について考証しています。

 じんましんで何もする気になれない間、横たわって『西の善き魔女』シリーズ6巻を再読。細かいところは忘れているから楽しめた。『花石物語』も何回目読むのかわからないけれど、ちゃんと笑える。古典落語の同じ話を何度聞いても笑えると同じなのでしょう。

 今期も通勤電車本は、文庫エッセイがほとんど。佐野洋子と司馬遼太郎が電車のお友達。
 眠り薬代わりの入眠剤本はさっぱり面白くない厚みのある本が望ましいけれど、『喪男の哲学史』はほんとうに面白くなかった。非モテ男の愚痴哲学は小谷野敦でもうあきている。数行読んで寝てしまうのには役立った。一応読了した私はエライ。

 今期読んだ本、並べてみると気づくことに、「日本語のナンタラ」というのが一冊もなかった。消費するためのお楽しみ読書であっても、3ヶ月に一冊くらいは一応「お仕事カンレン」として、日本語文法論やら意味論やらという本を読んできたのに、ついにお楽しみ本としても言語学日本語学関連がなかったことに感慨ひとしお。
 専門を問われれば「日本語学、日本語言語文化」と答えてきて、言語文化に関わるといえば、日本語で書かれた何を読んでも専門に関わると言えるのですが、日本語学、日本語文法学からはほんとうに遠くはなれてきたのだなあと感じます。

 と、感慨にひたっているとき、出版社から「著者謹呈」の本が送られてきました。友人が博論をまとめた本を送ってくれたのです。1985年に同じ学科に入学して以来、彼の文法オタクぶりを見てきました。修士課程を終了後、私は子育てと食い扶持稼ぎ、彼は相変わらず文法オタク。
 08年同じ年に博士課程に入学して、彼は国立大で私は私立大でしたが、2011年私は3月友人は9月に博士号を得ました。
 そのあと着々と本にまとめて、この度の出版。ひとつひとつの論述は、博論執筆の過程で「読んで批評せよ」とメール添付で送信されてきているので、読んではきたのですが、まとまった本になったのを見ると、「最後まであきらめずにがんばろうね」と励ましあったことなど思い出して感慨深いです。『語の意味と文法形式』出版おめでとうございます。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「お盆介護」

2013-08-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/08/28
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記8月(4)お盆介護

 盆の入り13日は郷里に帰省し、両親と姉の眠る墓にお参り。
 しかし、今年のふるさとの盆は墓参りがメインではなく、母の弟、「駅おじさん」一家のもめごと仲裁が主要な用事でした。

 こどものころの夏休み、海に行くにも東京へ行くにも、我が家は駅おじさん一家といっしょにでかけました。駅おじさんの持つ「国鉄家族パス」に便乗するためです。おじいさんたち留守番の人の分の家族パスを使わせてもらって、父や姉私も家族パスで出かけたのです。JRになった今はチェックが厳しくなったことでしょうが、50年以上も前は、知り合い同士で家族パスを貸し借りするなんてことも行われていたみたい。(もう時効ですよね)一般的な親戚のおじさんという以上に、駅おじさんは我が家にとって親しい存在でした。

 長男が農業を継ぐから、三男の駅おじさんは国鉄に入って独立する予定だったのですが、長男が戦死したあと、駅おじさんが母の一家の後継ぎになりました。駅長職を退職した後は運輸会社に再就職し、農作業と農家の伝統行事を守ることとの両立をはかってきました。再就職先も退職してからは、市の「シルバー技能者」に認定されて、地域の人々に「正月飾りのつくり方」などを指南する伝統技能保持者として活躍してきました。今年は90歳。

 数年前から認知症の兆候があったようですが、周囲の人は「これほどしっかりとしていて、人にものを教える立場でいる人なんだから」と、認知症の診断を受けることを保留していました。本人もプライドがあって、自分の物忘れを認めないでいるうちに一気に認知症状がすすみ、ことしの4月に家を離れてグループホームに入所しました。

 ここから「嫁に行った長女と次女」vs「あとを継いだ長男と嫁」が、「父の介護」をめぐって大対立の様相になりました。
 長女次女は、長年築き上げた家を出されて、グループホームに追いやられ、「家に帰りたい」と泣く父親が、不憫で仕方がない。「兄嫁はグループホームにも顔を出さない」と、不満です。兄嫁は「嫁に出たものが、うちのやり方に口を出すな。もう、この家の敷居をまたがせないから、実家などと思ってくれるな」という、世間によくある対立となりました。

 駅おじさんは長く仕事を続けて、年金も一番有利にもらえた世代です。広い土地や家屋敷の財産のほか、貯金もたくさんある。長女次女は「お父さん名義の貯金は、葬式代を除いて、すべてお父さんの介護のために使い切って欲しい」と主張します。兄嫁は「実家の貯金を何に使おうと、嫁に出たものが口出しするな」という主張。肝心の長男は嫁と妹の間をさばけない。

 いとこたちのうち、駅おじさんの長女とは、30余年前にいっしょにケニアですごした仲で、私もいろいろ世話になった義理もあるので、彼女は私を「自分の味方」とみなしていっしょに兄嫁を非難してくれるものと決めていました。しかし、老人介護をめぐっては、私も一方の味方をすることはできません。毎日をいっしょに暮してきた兄嫁ひとりを悪者にもできません。

 駅おじさんの嫁は「お父さんがグループホームに入ってから、私はようやく肩の荷がおりて、ほっとしている。家に戻って欲しくない」といいます。駅おじさんは家長意識の強い人で、嫁として長年仕えてきた苦労もわかるのです。

 戦地で苦労し、終戦後は働きづめで長年苦労してきた父親の老後が、これじゃあんまり惨めでかわいそう。父が笑顔で余生をすごせるよう、父が貯めたお金は全部父のために使い切って欲しい、という長女次女の気持ちもわかります。 

 そこで、私、妹のモモ、横浜の叔父夫妻が間に入って仲裁することになりました。互いに怒鳴り合う激しい応酬の末、これまで介護を一手に負わされていた次女の苦労も汲み取って、長男、長女、次女が平等に介護を担うこと、月に一度はグループホームから実家に戻ってくる日を設けること、などを取り決め、メモに書き入れて収まることになりました。

 しまいに、いとこは「モモちゃんちは三人姉妹で仲良くて、老人介護も仲良く担っていたから、そういうもんだと思っていたのに、嫁が関わるとダメだわ」と嘆きます。
 我が家の場合、三女の妹がサザエさんち方式で父といっしょに住んでくれていました。嫁に出た私と姉は、私が仕事の休みの土日、姉が美容院定休日の火曜日、あとは妹にまかせてローテーションで父の最後の入院生活を支えました。もめるほどの財産もないので、父といっしょに住んだ妹が家と家作アパートを相続し、姉は結婚後に父に家を建ててもらったからそれが生前贈与の分。私は物置ひとつもらって終わり。もめることはありませんでした。
 三姉妹仲良くすごせたことが、父にはなによりの孝行だったと思います。

 「リゾート特別快速やまどり号」に乗ってふるさとへ行きました。


 8月15日は、姑の家にお盆参り。前日に電話すると「暑いから、昼間こないで、夕方来るように」と姑が言うので、日が傾いてから娘息子と出かけました。
 姑の目下の課題は、2階と3階の窓にカーテンをつけたいということ。2階の窓にはブラインドがあるのですが、これが気に入らず、ブラインドではなくてカーテンがいいというのです。日差しを遮るためにはブラインドでもカーテンでも同じだと思うのですが、縦に開け閉めするのは好みに合わないのでしょう。

 娘むすことメジャーを持参し、窓の横幅縦の長さを図って、ホームセンターでさがすことにしました。姑がカーテン生地を見に行った専門店では、注文あつらえしか扱っておらず、窓ひとつ分のカーテンが4万円するといって憤慨していました。
 「昔は、家のカーテンなんぞ、全部ミシンで家で縫ったものなの。こうやってひだをとって」と、紙を折り曲げて実演する。「でも、もうミシンを出してくるのもおっくうになってしまって」と、なんでも家のことは手作りした昔をなつかしんでいます。

 我が家では「山形のだし」と呼ばれる郷土料理を、生協の既製品を買って食べています。きゅうり、みょうがなどの夏野菜を細かく刻んでしょうゆなどで和えたもので、うちでは豆腐にのせていただきます。でも、姑に言わせると、「最近じゃ、だしを市販品で間に合わせるうちもあるって聞いたけれど、だしってのは、その家その家の味があるんだもの、あんなもの料理のうちにもはいりゃしない、買って食べるもんじゃない」というのです。我が家で市販品のだしを買ってすませていることは姑にはないしょです。

 昔、実家の母も「糠漬けをスーパーで買う人もいる」と、驚いていたことがありましたが、今、私も糠漬けをビニールパック入りで買っています。
 時代の趨勢とはいえ、カーテンも既製品。セーターも靴下も既製品。しかたないことなんだろうなあと思います。「なんでも手作り」をした時代を必死に家族のために働きとおした姑を思いやりつつ、姑のカーテンはホームセンターで買ってこようと思います。

 火を使うのもたいへんな暑さの猛暑日、夕食はスーパーのパック入り握りずしにしましたが、「おいしい」と言って食べてくれたので、まずはよし。
 山形の親戚の○○ちゃんと○○ちゃんは仲がよくない、という話をきいて、その○○ちゃんのどちらも、私は一度もあったことのない親戚で、だれやらわからない人なのだけれど、姑が話したいことなのだから、謹んで承りました。

 去年の夏は暑さにやられて元気がなかった姑。今年は口うるさく「水飲んだか、冷房入れたか」と、こまめに気遣うようにしています。健康番組で老人の熱中症の話をしていました。老人は、自分ではのどがかわいた気がしないので飲まないでいて、体中の水分が不足してしまうそうです。
 顔を合わせるたびに「お茶のめ、水のめ」というので、うるさく思っていることでしょうが、嫁というのは、どうぜ何をしても不満に思われる存在なのだから、気にしません。

 88歳の姑、去年の夏に比べると、今年はずっと元気なのがなにより。今まで山のようなサプリメントをとっていたのですが、「これが一番効果があるから、これ一本にした」と、サプリメントを一種類だけにしぼったので、それもよかったのかと思います。健康おたくで、健康にいいことはなんでもやってきた姑。カスピ海ヨーグルトにはまっていたときは、ポットで手作りしていたし、どくだみ茶がいいと聞けば、せっせとどくだみの葉を乾燥させてお茶にしていました。夫に「おかあさん、昔、紅茶きのこっていうのを作って飲んだでしょ」と、聞いてみたら「ああ、そんなこともやっていたなあ」といいます。今でも紅茶きのこを健康食品として飲用している家庭あるのでしょうか。

 カーテン、娘と息子がホームセンターで注文して、取り付けはふたりで仕上げました。娘と息子は「お父さんは、おばあちゃんになんにもしてやらないんだから」と憤慨しますが、姑にしてみれば、なんにもしないタカ氏がいちばん大事。

 今は、土曜日のデイケア体操教室がなによりの楽しみです。どんな体操をしているのか、再現して見せてくれるのがかわいらしい。
 私も、この夏はいままで経験したことのない蕁麻疹の症状で苦しみました。お互い一病息災ながらなんとか過ごせているのが何より。

 姑88歳。駅叔父さん90歳。
 子供の頃から病弱だった妹モモも、来年には還暦をむかえます。みな、戦後のもののない時代を必死に生き働きづめの親を見て「早く大人になって働いて、親に楽させてやりたい」と思って今日までがんばってきた世代です。私とモモは親にあんまり楽もさせないうちに死なれてしまったけれど、従姉妹は、駅おじさんの余生が少しでも笑顔を見せられる毎日であってほしいと願って、必死だというのもわかります。

 モモは、従姉妹にたのまれ、昔のアルバムを家から持ってきて、おじさんに見せていました。「兄嫁が家に入れてくれないので、アルバムをどこにしまったのかもわからない。同じ写真がモモちゃんちにあるでしょう。お父さんに昔を思い出すように古い写真を見せてやりたいの」と、いとこは言うのです。

 「ほら、海で撮った写真。これが駅おじさん。若いねぇ。くじら波海岸につくまでに、トンネルいくつ越えたっけね。窓を閉めないと、蒸気機関車の煤で顔が真っ黒になったけ」と、妹といとこが昔話をしていました。

 古いアルバムのセピア色の写真。波の音が聞こえます。家族パスでみなで行ったくじら波海岸。駅おじさんが休暇をとれるお盆あとの時期は、日本海には大きな鯨のような波が立っていて、私は海というものは大きな波がうねるものだと思っていました。凪で平らな海をはじめて見たときはびっくりしました。

 夫はこどものころは毎夏、山形の姑のふるさとへ行っていました。山形の田舎が舞台の高畑勲『おもひでぽろぽろ』を見て、夫が子供時代をすごした夏の光景を想像することができました。

 夏の思い出を持つことができたこどもは幸福です。宿題が終わった子も終わっていない子もよい夏をすごしたと信じて、9月をむかえましょう。
 駅おじさんも姑も、ゆったりと古い夏の思い出を反芻しながら秋を迎えることができますように。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「野外バレエ」

2013-08-27 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/08/27
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>>十三里半日記8月(4)野外バレエ

 妹は毎年、清里の「萌木の村」で行われる野外バレエを見に来ています。私が妹といっしょに見たのは2008年に1度だけ。そのあとも毎年誘ってもらっていたのですが、2009年には中国に赴任していたし、2010年は博士論文執筆で煮詰まっていました。2011年には震災アパシーが続いており、2012年は、姑の具合が悪くなったので、自分だけ遊んでいる気分になれず、というわけで、5年ぶりのフィールドバレエです。

 八王子にあるバレエシャンブルウエスト(今村博明&川口ゆり子主宰)が毎年、清里萌木の村に設置された特設舞台で野外バレエ公演を行ってきました。今年は24回目の公演でこれまで3本立ての演目でしたが、今年から一演目だけになって上演されます。

 演目は『ジゼル』。1841年に初演されたロマンチックバレエの代表作です。
 未婚の娘が愛する人と結ばれることなく亡くなったとき、娘は妖精ウィリとなり、夜中に森に迷い込んできた男性を死ぬまで踊らせるというオーストリア地方の伝説がありました。この伝説がハインリッヒ・ハイネによって紹介されると、広く知られるお話となり、バレエに脚色されました。

 スペシャルゲストが下村由理恵というので、楽しみにしていたのですが、日替わりトリプルキャストの『ジゼル』、私が見た8月3日夜は、川口ゆり子でした。妹と、「御大はじょうずだろうけど、若い人の踊りを見たかったわね」と言い合いましたが、仕方ありません。川口ゆり子、年齢は公表していないけれど、1964年にバレリーナとして主役デビューですから、2013年には60代後半。70歳かも。舞台終えてから近くでみる機会があったのですが、すんごいメークです。けれど、そこは演技力。舞台の上では可憐華麗なジゼルでした。

 この公演のいいところは、リハーサルを無料で見ていられること。野外舞台があるだけでリハーサル室などないので、芸術監督が指導してマイクでダンサーにダメ出しをしながら、踊りが仕上がっていくようすを見ていて、完成した舞台を見るのとはまた異なるおもしろさがありました。

リハーサル風景

 姪は子供のころずっとバレエを習っていて、日比谷公会堂で公演があったときは、私も花束を持って見にいきました。
 「今、保育園のお遊戯会なんかするとき、振り付けなんかするのに役立っているでしょう」と聞いてみたら、「うん、でも今の受け持ちはゼロ歳児と1歳児だから、おゆうぎするほどじゃないの」とのこと。

 舞台はブドウ収穫祭村祭りのシーンでは野外ステージならではの、打ち上げ花火がバンバンと上がり、思いがけず花火も楽しめました。
 第2幕の墓場シーンも、舞台が森に包まれているので、とても雰囲気がよく出ていました。

フィナーレ


 ジゼルは愛するアルブレヒトに裏切られました。アルブレヒトは公爵の身分を隠してジゼルを愛しましたが、実は君主の令嬢バティルド姫という婚約者がいたのです。アルブレヒトの裏切りを知って狂乱したジゼルは、死後ウィリとなります。

 ジゼルの墓にもうでで後悔するアルブレヒト。ウィリの長ミルタはアルブレヒトを一晩中踊らせるよう、ジゼルに命じます。疲れて命絶えるまで踊りつづけさせるのが、乙女の純情を裏切った男への制裁なのです。しかし、ジゼルはアルブレヒトの命乞いをするのです。
 やがて朝が来て、ウィリたちは立ち去り、アルブレヒトがひとり森に残されます。

 裏切られた思い、痛めつけられた思いは死後ものこるだろうと思います。日本の夏はそんなうらめしや~の幽霊たちがうごめく季節。
 でも、ジゼルは恨みを捨て、純粋な愛の力によってアルブレヒトを守ります。

 わたし?ケニアでちょいと親切にしてもらったからってうかうか結婚しちまって、30余年。まあ、夫を死ぬまで躍らせるよりは、自分が踊っていたほうが楽しいから、この夏もジャズダンスの練習に励んでいます。9月、発表会です。むろん、後ろの列の端役です。

 フィールドバレエのリハーサルで、芸術監督のするどい声がコールドバレエの人に飛んでいました。「そこ!右端の人、それでパドブレやってるつもりなのか!本番でそれじゃないだろうね!」先生が主役しか見てないと思って、練習では手抜きするコールドを、先生の目は見抜いているんだわん、と反省しました。

 先日のジャズダンスサークルの練習で。
 床にあお受けに寝て両足を30度60度90度と上げていき、先生がダンサーたちのおなかを押してみて、腹筋を確認していました。先生、私のおなかをぽこぽこと押して「あはは、発表会まであと半月でこのおなかをなんとかしなくちゃね」と笑い出しました。
 はい、十分承知しております。でも、この脂肪の塊を何とかするには、1年ほど絶食でもしなければならず、、、、、先生の叱咤激励身にしみましたが、なんともならぬでしょう。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「シルクロード美術館」

2013-08-25 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/08/25
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記8月(3)シルクロード美術館

 8月3日、青春18切符利用で山梨県清里高原に出かけました。
 私は、ずっと清里は長野県だと思っていたら、いっしょに行った妹に、「山梨県に決まってるでしょ。前にも行ったことあるのに」と、笑われました。地理音痴方向音痴です。

 2008年に行ったときは、妹の車で群馬から長野県軽井沢、小諸から八ヶ岳へ向かったので、長野だと思い込んでしまった。
 今年は、甲府を通って山梨県側から清里に入るべく、中央線で行くことにしました。

 毎年夏休み前に、留学生に青春18切符をすすめてきました。若いうち体力のあるうちは、これで旅行するといいですよ、と。もう若くない私ですが、久しぶりに利用しました。
 青春18切符利用なので、すべて鈍行での移動です。朝、5時にもよりの駅から京浜東北線、中央線、中央本線鈍行を乗り継いで9時半には甲斐小泉駅につきました。車で群馬を出発した妹は、まだまだ清里につきそうもありません。甲斐小泉でのんびり待つことにしました。

 2008年に清里で過ごしたとき、妹と絵本美術館を中心に美術館めぐりをしたのですが、甲斐小泉駅の前にある『平山郁夫シルクロード美術館』は、前を車で通過しただけで見ませんでした。
 今回、小海線に乗って小淵沢から一つ目の甲斐小泉で下車、シルクロード美術館によることができました。

 シルクロード美術館の開館は10時からなので、近所にある「亜絲花(あしはな)」というギャラリーを見てくるといいですよ」という案内を受けました。シルクロード美術館の館長平山美知子(郁夫夫人)が、アジア各地で買い付けた小物や民族衣装の展示と販売、地元の画家、流郷由紀子さんの絵やインドネシア細密画なども展示されており、30分たのしくすごしました。

 10持に美術館が開いたので、「シルクロードの饗宴・葡萄とワインの文化をめぐって」という展示をみました。
 平山郁夫がシルクロードを旅して描いた絵画や収集してきた文物。唐三彩のラクダもあればササン朝ペルシャの切子ガラス椀、ブドウ模様のレリーフなど、ローマから奈良正倉院までのシルクロードの風景や文化が、葡萄をテーマに展示されていて、私も旅した気分で絵や彫刻を見ました。
http://www.silkroad-museum.jp/

 全部見終わって、妹に電話したら「今、横川をすぎたところ」と言います。まだ時間があるので、2階のラウンジコーナーでビデオを見たり、「シルクロードの衣装を着て写真を撮ろう」というコーナーで写真をとりました。


 妹と姪(妹の長女)と清里駅前で落ちあい、萌木の村の中にあるメリーゴーラウンドというカフェでランチ。ビーフシチューなど。
 姪は子供が大好きで、私が娘と息子を妹に預けて中国に赴任したときも、出稼ぎの母と離れて東京からやってきたふたりをよく世話してくれました。今は公立保育園の保母さんをしています。

 宿泊は、ペンション。「清里高原カントリーインファーストトレイン」
http://www.kiyosato-first-train.com/

 オーナーシェフのフレンチ料理も、笑顔がやさしいママさんも、アンティークの雑貨が並べられた食堂や玄関も、とてもすてきな居心地のよい空間でした。
 ペンションの周囲は、ブルーベリーやラズベリーの畑。デザートのフルーツ盛り合わせもとてもおいしかったです。オーナーシェフ特製の自家製燻製のお肉がとてもおいしいので、おみやげにほしいと思ったけれど、ペンション食堂で消費する分だけで、販売用にはつくっていないとのこと。


 2日めのランチは、ここ。
妹モモと姪

 畑では、ズッキーニがなっているところを初めて見ました。私はきゅうりのように花が下に垂れ下がって長く伸びるのだろうと想像してきたのですが、花は茎の間から天を向き、上に伸びていました。ズッキーニは形はキュウリみたいだけれど南瓜の仲間というのがよくわかりました。

 野菜や果物がどのようにしてなるのか、知って食べたいと思っています。野菜の花、素朴で美しい花が多く、見るのが楽しみです。
 おみやげには、地元の人が栽培したコリンキーという洋梨をひとまわり大きくした形の黄色いかぼちゃを買いました。コリンキーは生で食べられるかぼちゃです。家でサラダにして食べました。コリンキーはトマトじゃがいもやズッキーニと同じように南米原産だそうです。

上に伸び上がるズッキーニ


 ズッキーニもいつの間にやら食卓にお目見えして今では我が家の夏の食卓によくのぼる野菜になっています。コリンキーもこの夏はじめて味わって、これからいろんな調理法で食べていくことになるでしょう。

 胡椒、瓜、西瓜、いろいろな野菜も果物も、シルクロードを通って、西の世界から東のはじっこの日本に到達し、今ではスイカもブドウもなじみになっています。
 シルクロード美術館に展示されていた平山郁夫の隊商やペルシャの遺跡を描いた絵を眺めながら、西域の文物と東の絹や陶器が時空を超えて行き交うようすを思い浮かべました。
 シルクロードは絵で見るとロマンチックですが、私にとっては「おいしいロード」です。

シルクロード美術館らくだ広場


<つづく>
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ぽかぽか春庭「2013夏・花火」

2013-08-24 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/08/24
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記8月(2)花火

 花火を見るのが好きですが、今年はスケジュールがうまくいかず、葛飾区の花火も足立区の花火も見に行くことができませんでした。テレビで見るのもまた良きかな、と思っていた隅田川花火大会は突然の豪雨で中止。
 しかし、息子に「ネットで観覧席応募しておいて」と命じておいたのが当選し、8月10日、東京湾大華火会を見に行くことにしました。

 息子は、歴史の研究会が夜までかかり、7時の開演時間に間に合わないだろうからあきらめる、という。娘と連れ立って晴海ふ頭へ。娘はワンセグで世界陸上を見ながら開演待ち、私は本読んだり昼寝したり、親子でのんびり待ち時間もそれはそれでゆったりした時間がすごせるというつもりで勝どき駅で地下鉄下車。

 地下鉄駅から外に出たとたん、炎熱地獄となりました。前回の東京湾大華火会のときは歩いて晴海埠頭までいきましたが、この暑さじゃ、埠頭につくまでに熱中症になると思い、バスでホテルマリナーズコートまで行くことにしました。

 バスを待っていると、留学生っぽい二人連れのうち、日本語が話せるほうが「お台場はどこですか」とたずねてきました。ひとりは中国人らしく、もうひとりはアメリカ人かなと思っていると、バス停にいたおっちゃんが、ぺらぺらと説明しました。とまどうふたりに、私は、相手の日本語力を推理しつつ「ここからお台場まで、1時間かかります。歩いていきますか」と、教科書文型どおりのビギナーズ日本語に翻訳して伝えました。ふたりはスケボーを持っているので、スケボーにのりながら歩くつもりらしい。

 おっちゃんは、「歩けやしないよ。タクシーならビッグサイトまで2千円ちょっとだよ。ぺらぺら」と説明を続ける。ふたりは、1時間というのを聞いて納得して、お台場方面へ向かいました。おっちゃんは「あいつら、タクシーなんか乗らんからね。中国じゃ1万円もありゃあ一家が一ヶ月くらせるからね。私はねー、台湾生まれだから中国人よく知ってるんだ、韓国人や中国人は、あいつらまったく、ぺらぺら~」と、前都知事の「三国人発言」のようなことをしゃべりだしました。ヘイトスピーチというのをテレビでは耳にしたことがあるけれど、生では初めて聞きました。実に気分が悪い。バスが来たのでおっちゃんのしゃべりを無視して乗りました。
 留学生のおふたりさん、熱中症にならないように日本の夏を楽しんでね。

 帰宅後、娘が「バス停にいた外国人の日本語話さなかったほう、アメリカ人かなって思ったけど、カナダのケベック州出身だって」と、教えてくれました。「え~、どうしてわかったの」と聞くと、「ゲーム機を持っていたので、すれ違った人と情報交換ができる機能がついている。午後すれ違った人で外国人はあの人だけだったから、あのバス停の人がカナダのケベック州に住んでいる人だってわかった」といいます。へぇ、そんなことがすれ違っただけでわかる時代なんだ、と感心しました。

 前回は主会場に当選して、並木道の木陰を選んで並び、会場に入ってからものんびり本を読んだり昼寝して待っていられたので、花火打ち上げまでの時間それほど苦になりませんでした。
 ところが、今年の観覧場所は第二会場。最高気温37度という予報でかんかん照りの中、日陰がひとつもない駐車場のような場所。シートの上にシーツを敷き、凍らせたお茶を飲みながら待ったのですが、本を読む気にもなれない猛烈な暑さ。日傘を用意し日やけどめを塗り「ひんやり感」を出すエアスプレーをふりかけても、眠ることもできない猛烈な暑さです。

 娘は気分が悪くなりかけました。
 「花火はきれいだけれど、母みたいにひとりで見に行くほど好きじゃない。こんなたいへんな思いをして待つくらいなら、見なくてもいい」と、娘は言います。途中、救急車が会場に来ました。おそらく熱中症の人が出たのでしょう。

 気温は37度という予報ですが、かんかん照りの駐車場。地表の温度は40度を超えていたでしょう。昼寝もできず、岩盤浴をやっている、と思うことにしました。韓国旅行での岩盤浴室。よく焼けた石の上にタオルしいて暑い中汗を流しました。あのときはお金出して熱い岩の上に寝転んだ、今日はタダでそれをしていると思うことにしました。

 近年娘息子が花火につきあわなくなって、このところひとりで花火を見にいっていました。娘息子には「ひとりで花火見ていてさびしくないの?」と聞かれますが、一人花火にはひとりの楽しみもあります。
 ひとりだと、花火師さんたちの苦心を思ったりして、一瞬で消えていく芸術作品として鑑賞するのも、しみじみします。
 花火映画を思い出してすごしたりします。

 今回日照りのなかで思い出したのは、片貝町の花火『おにいちゃんの花火』という映画、テレビで放映していたので録画し、花火の時期にちょうどいいので、お茶碗洗いながら見ました。「高良健吾主役だから見ておこう」と。

 「病気で死んじゃう妹とひきこもり兄の心の交流」というストーリーを聞いただけで、またキャッチコピーが「この花火をずっと楽しみにしていた、天国の妹へ」というものだと知ると、もうそれだけでおなかいっぱいになった気がするので、映画としては何も期待せずに見はじめました。

 新潟県小千谷市片貝町で祝い事や追善供養のために市民がお金をためて花火を打ち上げるという実話を基にしたということなので、予測したストーリーから一歩もはずれることなくお話は進みます。
 予測はしていても、追善供養の花火が上がると、やっぱり涙ぐんでしまいました。

 8月10日の東京湾花火でも、「東日本大震災の追善供養のための打ち上げを行います」というアナウンスがありました。盆踊りも、花火大会も、日本の夏は死者をしのび、死者の魂とともにあるための行事として始まっています。

 江戸の花火は、1733年が最初だと言われています。1732(享保17)年の大飢餓での餓死者やコレアなどの疫病による死者が出ました。8代将軍吉宗が、慰霊と悪病退散を祈って水神祭を行った際、両国橋周辺の料理屋が幕府公許によっておこなったのが最初、とされています。

 炎熱の地表から見上げる花火を、たくさんのみたまが空高くから見おろしているかもしれない、という気持ちになります。 小千谷市片貝町のほか、花火を奉納行事としてうちあげるという地方も多いそうなので、私は自分では花火のために一円もお金出したりしないけれど、夏のひととき、花火が打ちあがるごとに、父母を思い姉を偲びながら華麗な一瞬の芸術を見てきました。

 6時過ぎ、ようやく海風も吹くようになり、炎熱地獄がやわらぎました。6時50分、まだ明るいけれど、打ち上げ開始。
 花火師さんの名前の紹介と創作花火の打ち上げに拍手がおこったり、パンダ花火や五輪花火に「あれじゃあんまりパンダに見えない」とか批評が出たり、周囲の花火見物客もさまざまに楽しんでいました。

 素人がデジカメで撮った花火、あまりきれいにとれなくて残念。あとで、息子に「花火撮影モード」という機能がついているのだとおそわりました。おそかりし。

               

 前回、晴海で花火見たときは、帰りの道が大渋滞で、地下鉄の駅にたどり着くのも一苦労。駅のホームでは線路に落っこちそうな込み具合、地下鉄の中はラッシュ時以上の込みこみで、帰りがたいへんだったのを教訓として、今年は用意周到。帰宅時間をずらせるように、帰りはホテルマリナーズコートのレストランによって、帰宅時間をずらすことにしました。

 食事と生ビール。ホテルで時間つぶしすること2時間。帰りの地下鉄も座れたし、疲れもとれたし、「次も、ここで時間をつぶしてから帰ろうね」ということになりました。「かんかん照りの中待っていたときはもう二度と来たくないと思ったけれど、始まるまでと、終わってからここのカフェで待っていればいいんだから、これからは花火の前後はホテルカフェだ」と、先の計画もたちました。

<つづく>

 
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ぽかぽか春庭「2013夏の日常茶飯事」

2013-08-22 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/08/22
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記8月(1)夏の日常茶飯事・図書館、プール、ダンス

 夏休みになって、夏の日常をすごしています。
 夏休みのはじめ、とにかく、最初はのんびりしたい。4月から7月まで、月ー金で授業をして、土日は翌週の授業案やら授業でつかうパワーポイントスライド資料つくりやら。すずめの涙ほどの給与を受けつつほんとうによく働いたのですから、ちょっとは休んでもいいでしょうと、数日はのんびりすごすと思っていて、たいてい夏中のんびりだけでおわるのですが。

 いつもは5時に目覚ましをかけておき、寝床の中で新聞を読む。それから6時半に家を出るまで、コーヒー飲んで身支度して。
 夏の日常でもたいていいつもどおり目が覚めてしまって、いつもどおり新聞を読み始める。でも、そのまま二度寝ができる。目が覚めると9時半だったり10時すぎだったり。

 で、夏休み二日目の朝の夢。目が覚めたら10時過ぎ。おおあわてて、「すみません、1限の授業に遅れてしまうので2限からいきます」と電話する。でも10時半からの2限にも間に合わないことは明白。さて、ドタキャン授業の言い訳はなんとしょう。冬場なら風引きもいいけれど。姑を病院に連れて行こうか。悩んでいるうち、今は夏休みだと気がつく。そんなアホな夢。どんだけ遅刻や休講をおそれているのやら。けなげな働き虫。

 非常勤講師たちの前期打ち上げの食事会で聞いた話によると、みな「授業がはじまっているのに、何も準備をしていない夢」とか「教室に行こうとしているのに、新学期の教室がわからなくて校内をぐるぐる探し回る夢」というのをよく見るということで、私だけではないらしいのだけれど。
 いいんだよ、今は天下の夏休み。

 7月30日夏休みになって、次の日の春庭スケジュール。
・07:00-09:00 起床。寝床で朝刊を読む。コーヒー1杯、牛乳1杯。夕べの残りの豚汁に卵をおとして朝食。お茶碗を洗う(ゆうべの)。
・09:30家を出る。

・10:00-11:40 区のふれあい館ホールでジャズダンス練習。アイソレーション孤立運動という準備運動やストレッチをしたあと、マイケルジャクソンThe way you make me feelと、美空ひばりPaper moonを練習
・12:00-14:50 図書館でパソコン利用。インターネットコーナーのほか、「研究個室」という独立スペースが2時間借りられるので快適です。
・15:00-15:30 駅前のマックでチキンナゲットとソフトクリーム。クーポン券利用で250円。
・16:00-18:00 区民プールでウォーキングと背泳ぎ。水中ヨガ(ただひたすらぷかぷかあおむけに浮いていて、ときどきポーズをつける。だるまのポーズとか、十字架のポーズとか、自己流に命名したポーズ。)2時間200円。

・18:30-19-30 近所の銭湯柳湯で入浴。薬湯の露天風呂にしばし浸る。風呂を出た後、生ビール。450円+200円。
・19:30-20:00 近所のスーパーで買い物少し。

・20:00-21:00 テレビ見ながら娘が作った夕食を食べる。録画のあまちゃんなどを見ています。
・21:00-22:00 デザート食べながらテレビを見る。バラエティやドラマ。夏ドラマは「半沢直樹」と「Mother」

・22:00-23:00 布団の中で夕刊や本を読むが、娘息子は「母はきのうは3分で落ちた」と、私の寝つきをカウントしている。ばさっと新聞が下に落ちる音がするのだそうです。
 「どうせ、すぐ寝ちゃうんだから、新聞もっていかなきゃいいのに。新聞がばらばらになって落ちるので、きれいに重なるように戻すのが面倒くさい」と、娘に文句いわれますが、本人は、ちゃんと全紙面読んでから寝る気なんです。

 8月3日4日は、妹と姪といっしょに山梨県清里へ。野外バレエの公演を見ました。8月6日は、息子といっしょに秋葉原へ行って、息子のパソコン修理と私のパソコンの新調。起動しなくなった古パソコンからデータ取り出してもらう代金だけで4万。息子が「僕がパソコン分解してデータ取り出すのやってみたいけれど、失敗もありうる」という。入っているデータでなくなって困るものといったら、写真くらいのもので、ほとんどの文書データはUSBなどにあるので、息子にやらせてみようと思っていたのに、なんだか知らぬ間に、店でやってもらうことになっていました。

 8月7日は、午前中ジャズダンス練習、午後は図書館でパソコン。家にいる日は、お茶碗洗って洗濯して合間に録画の映画や演劇を見ているとあっという間に一日終わり。何をしなくても一日はおわる。きっと何をしなくても一生がおわるのだろう。 
 
 ひとりで楽しむプールで水中ヨガも、娘息子と楽しむ花火大会も、何もしない一日も何事もなく夏をのんびりすごせるのも、一病息災なればこそ。8月9日は、区民健康診断予約日。夜から飲み食い禁止で採血やら血圧やら。

 では、夏のお楽しみ、花火や野外バレエのご報告。

<つづく> 
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ぽかぽか春庭「エゲリア&シンベリン&マクベス」

2013-08-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/08/21
ぽかぽか春庭感激観劇日記>芝居は地球を回っている(4)エゲリア&シンベリン&マクベス

 テレビ放映された劇場中継を見るのは、劇場で生の迫力とともに見るのとはまた違った楽しみ方ができます。劇場での感激は一期一会。役者のその日の体調や声によっても印象は変わるし、演出家によっては毎日ダメ出しをして、翌日の演出を変える人もいます。初日からどんどん演技を変えて千秋楽には別人のようにうまくなる役者もいます。

 テレビは、そのような一回限りの出会いはありませんが、あるセリフを何度も再生して確認したり、ちょっと見逃した部分を巻き戻して「ああ、やっぱりこのとき後ろにもう一人隠れていたのね」なんてなぞ解きをしたり生とは違う楽しみ方ができます。なによりも。演劇チケットは高いので、私の懐具合では見たい劇を全部見に行くことができません。しかし、見たいと思っていなかった舞台でも、テレビ中継録画が放映されれば、たまたま見て、存外面白かった、というときもあります。
 文学座の『エゲリア』とパルコ劇場『こどもの一生』。埼玉芸術劇場の『シンベリン』、世田谷パブリックシアター『マクベス』テレビ録画で楽しみました。

 文学座の瀬戸口郁脚本『エゲリア』は、岡本かの子(1889ー1939)をとりまく人々をえがいた作品です。私は瀬戸内晴美『かの子繚乱』、岡本太郎「疾走する自画像」岡本敏子「岡本太郎自伝」などを読んで、かの子の魅力も、おかしな構成の岡本一家のこともわかっているつもりでしたが、エゲリアのかの子もとても強烈な個性で輝いていました。

 強烈な個性のかの子を、いやみに落とさず、魅力ある女性として現出するのは、脚本の力、そして演出家や女優の腕だとおもいます。かの子を演じたのは吉野実紗。かの子は、天真爛漫天衣無縫我儘一杯傍若無人。しかし、なんともかわいらしく、助けたくなる女性です。

 エゲリア(Egeria)は、ローマ神話に出てくる水の精。第2代ローマ王の妻であり助言者だったので、エゲリアは「女性助言者」の意味も含みます。瀬戸口郁が、どのような観点からかの子を「エゲリア」とみなしたのかはわかりませんが、エゲリアが「神の領域の存在」でありながら、人の王の妻として暮らしたということを考えると、かの子もまたそのような「人の心にとって女神であり、妻であり愛人であり姉であり母であり」という複雑な魅力を持つ女性という意味であろうと感じます。

 太郎は母について「母の邪魔にならないよう、ひもで縛られ、柱にくくりつけられいた」という子供時代を過ごしたこともあったことを書いていますが、母を「天女のようだった。尊敬できる芸術家であった」と評しています。

 岡本一平、かの子、太郎の家族に、夫公認のかの子の愛人柴田亀造(かの子の主治医であった新田亀三がモデル)。
 成松恭夫(のちに慶応大学教授、島根県知事となる恒松安夫がモデル)は、家事ができないかの子に代わって、一家をきりもりします。かの子とは「やすおちゃん、お姉さん」と呼び合う仲で、姉弟のように同居する下宿人です。恒松の晩年の談話によると、「いちばん自分が人間らしく暮らせたのは、岡本家で家事をして暮らしたとき。それに比べると知事の仕事など余生にすぎない」と述べたそうです。いかにかの子との生活が生き生きとした活力に満ちたものだったか、しのばれます。

 かの子は、あらゆることにエネルギーを注ぎ込み、歌を詠み小説を書き仏教研究者としても熱中します。50歳で亡くなったとき、一人息子の太郎はパリ滞在中でした。
 かの子を演じた吉野実紗は、1981年東京都生まれ。青学仏文卒後、2005年文学座入りし2010年には座員に昇格。文学座の中では若手ですが、実力のある魅力的な女優さんです。杉村春子太地喜和子のあとにあまり好みの女優さんがいなかった文学座ですが、吉野のかの子はとてもよかったです。

 『こどもの一生』は、ケータイも通じない島に設置されている「MMM」という「臨床心理治療所」が舞台です。都会のストレスを癒すため島にあつまった「治療を必要とする患者たち」と、医者看護師。笑っているうちにホラーになる物語。

 会社社長・三友(吉田鋼太郎)と秘書の柿沼(谷原章介)。東北のテーマパークで働いているユミ(中越典子)は、ほんとうは東京ディズニーランドで働くのが夢なのに、かなわぬ夢を追ってストレスがたまっています。家電量販店に勤めている淳子(笹本玲奈)、頭の中から量販店のCMテーマ曲を追い出したいと思って治療に参加。ワイドショーの再現ドラマなどの脚本を書いている藤堂(玉置玲央)らを治療するのは、医師(戸次重幸)と看護師(鈴木砂羽)。

 治療は、子供時代に戻ってこどもの心を取り戻すことでストレスをなくす、という方法。子供心になってもやっぱりいじめっ子の社長を仲間はずれにする目的で、他の「クライアント」たちが考え出したのが「山田のおじさんごっこ」。架空の人物だったはずの山田のおじさんが島に現れたときから恐怖がひろがります。

 他の舞台では重厚な役柄が多い吉田鋼太郎がやんちゃに飛び跳ね、「軽いハンサム」イメージの谷原章介が、現代社会の人間関係に追い詰められていく複雑な心理を「無意識のこわさ」として体現していてよかったです。
 1990年の初演から23年。現代にあわせてリメイクしたそうですが、23年たっても、中島らもが「現代の人間関係が生み出すホラー」をめざした内容は、古くなっていません。ますます怖い人間カンケー。

 蜷川幸雄の演出でシェークスピア劇の全上演を続けている埼玉芸術劇場、シリーズ第25弾として、シンベリンが上演されました。(2012年4月2日~21日)
ロンドンオリンピック開幕前の6月にはロンドンのバービカンシアター公演も行われました。
録画時間3時間10分という劇。上演では途中15分の休憩が入りますが、私は場面転換ごとにトイレにたったりお茶を入れたりしながら観ました。

出演者
・ブリテン王シンベリン(吉田鋼太郎)昔、大切な跡取りの息子たち(長男と次男)を何者かに誘拐され、今はひとり娘イノジェンに後妻王妃の息子を目合わせて跡継ぎにしようとしています。王妃の尻に敷かれています。イタリアとの交渉が決裂し、国を戦乱に巻き込みます。

・王妃(鳳蘭)王には愛情のかけらもないけれど、一人息子をブリテン王にするため、継子のイノジェンと結婚させようと図っています。

・クロートン(勝村正信)王妃の息子であることを鼻にかけ、傍若無人。イノジェンと結婚できる気でいます。

・王女イノジェン(大竹しのぶ)父王に許しを得られずとも、最愛の人ポステュマスと結婚し、追放された夫の帰りを待っています。夫からプレゼントされた腕輪を大切にしています。

・ポステュマス(阿部寛)許可なく王女と結婚した罪により国から追放処分を受け、ローマへ渡ります。ローマの貴族ヤーキモーに妻を自慢したため、妻の貞節を賭ける仕儀となります。

・ヤーキモー(窪塚洋介)ローマの外交団としてシンベリン王の居城に入り、策略によって王女イノジェンの大切な腕輪を盗み出します。ポステュマスは、腕輪を見て妻が裏切ったと思いこんでしまい、下僕ビザーニオに「イノジェン殺害」を命じます。

・ベラリアス(嵯川哲郎)シンベリン王に反抗したため、追放された貴族。モーガンと名を変え、息子ふたりと猟師生活を送っています。

・モーガンの息子ふたり(浦井健治&川口覚)実はシンベリン王の息子

 ローマとの交渉が決裂し、ブリテンとローマは戦闘状態に入ります。夫を案じる王女イノジェンは、男装して山に入りモーガンたちに助けられますが、ローマ軍に捕らえられ将軍の小姓となります。
 ポステュマスはローマからブリテンに戻り、シンベリン王の軍に入って大活躍。
 最後は、ヤーキモーの悪だくみもあきらかにされて、めでたしめでたしの大団円となります。

 役者たちの演技合戦のような面もあり、見どころは多いのですが、劇場で全部見たら疲れたかもしれません。休みやすみ自分のペースで見ることができて、生で見るのとはちがう楽しみ方ができました。

 野村萬斎演出主演の『マクベス』。シェークスピアはどのように演出してもぴたっと収まる演出自由自在の面がありますが、狂言をシンに持つ萬斎の演出、5人のみの出演者と和風の衣装、和柄の装置、簡素なのに華麗な舞台でした。

 萬斎の演出力をほめている感想が多いのに、私には、今までいろいろなマクベスを見た中で一番「王殺しの悪行をそんなに悔いることないじゃないのさ」と感じさせるマクベスでした。「権力者なんて、しょせんみーんな人殺し。下克上の世の中で、先代の王を殺してしまうのは年中行事みたいなもんなのに、なんであなただけがそんなに錯乱しちゃうの?しっかりしなさいよ!」と、背中をけっとばしたくなるマクベスでした。マクベスの受容として、これ、いいんだろうか。

 演劇にはいろいろな楽しみ方があると思いますが、出演している役者が好きか、演じられている主役に興味があるか、演出方法に興味があるか。日ごろ高いチケット買う金のない私には、テレビ観劇、もっといろいろ見てみたいです。舞台中継の放映、増えてほしい。 

<おわり>
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ぽかぽか春庭「文学座:ガリレイの生涯」

2013-08-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
201308/20
ぽかぽか春庭感激観劇日記>芝居は地球を回っている(3)文学座「ガリレイの生涯」

 「視覚障がい者の演劇鑑賞」をすすめる活動をしているアコさん、この夏、住まいの大阪から所用で上京して、「いっしょに文学座を見にいきましょう」と誘ってくれました。アコさんは劇団昴のファンで、いままで昴の芝居は何度もいっしょに見たのですが、文学座をいっしょに見るのははじめてです。

 池袋のアウルスポットで上演された『ガリレイの生涯』
 6月15日土曜日の回。
 最初日曜日に約束をしたのですが、チケットがとれず、土曜日ならまだ席がとれるというのでアコさんがとってくれたのですが、確認を怠ったために大失敗がありました。久しぶりに会ったので、ゆっくりランチをとっていて、1:30開場2:00開演と思って「ぎりぎり開演に間に合ったね」と劇場に入ったら、それは日曜日の開演時間で、土曜日は1:30開演。30分も遅刻してしまいました。
 
 地動説をとなえたために裁判にかけられ、軟禁状態におかれているガリレオ・ガリレイ。
 「真理はいつか必ず人類の前にあきらかになる」と信じ、教会からの迫害に耐えて『新科学対話(ディスコルシ)』を書き上げます。

 ブレヒトとその演劇理論「異化作用」については、「コーカサスの白墨の輪」を紹介した時に述べました。
http://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/426b5859cef8dc0f502173bacaa5617e
 文学座にとって、はじめてのブレヒト劇だというのが意外でした。

・作:ベルトルト・ブレヒト
・訳:岩淵達治
・演出:高瀬久男
・出演:石田圭祐、三木敏彦、大滝寛、中村彰男、清水明彦、高橋克明、沢田冬樹、鈴木弘秋、木津誠之、植田真介、亀田佳明、釆澤靖起、南拓哉、山本道子、鈴木亜希子 、牧野紗也子、永川友里、金松彩夏、増岡裕子

 舞台には大きな直角三角形オブジェがひとつ。それが壁になったりドアになったりする。ガリレオの望遠鏡と書き物机など、わずかな家具。
 科学者の発見発明するものが、人類にとってどういう意味を持つのか、科学者の役割と良心、葛藤。ブレヒトは、この劇を書きあげたあと、ヒロシマナガサキへの原爆投下をしり、劇内容に大きな変更を加えたのだという。
 311のフクシマ原発爆発後の今はいっそう「科学者の良心と、科学によってもたらされた成果」の問題は大きくなるでしょう。
 深く大きなテーマを含んだ劇でした。

 主役のガリレオは、石田圭祐が演じ、他の役者は、場面ごとにさまざまな役を演じ分けています。演じ分けているとはいっても、一般の観客はそのちがいを衣装などによって見分けているので、声によって役者のちがいを感じるアコさんにとっては、わかりにくい部分があったかもしれません。アコさんが「昴」のファンなのは、視覚障碍者のための音声ガイドが充実していたり、点字パンフレットによって劇の概要を知ることができるからです。
 今回の文学座は、役者の声の差によって劇内容を把握するアコさんにとって、ストーリーが追いにくかったのではないかと思います。

 劇が終わった後、お茶する時間があったらアコさんの質問に答えたりできると思ったのですが、劇の終了後はアコさんの希望で、車いす生活のお友達ケイコさんを訪問することになり、劇の話をする時間がとれませんでした。
 文学座の良質な演劇、よい劇だったのだと思いますが、私とアコさんには、ちょっと消化不良の部分が残りました。ブレヒトの原作戯曲を読んでからアコさんに解説したいと思います。



<つづく>
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ぽかぽか春庭「東京ノーヴィレパートリーシアター:白痴」

2013-08-18 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/08/18
ぽかぽか春庭感激観劇日記>芝居は地球を回っている(2)東京ノーヴィレパートリーシアター「白痴」

 東京ノーヴィーレパートリーシアターは、下北沢にある席数26席のミニミニ劇場を本拠地としています。
 昨年、両国にあるシアターX(カイ)で上演された『コーカサスの白墨の輪』と『白痴』が高く評価され、シアターカイの「千円で演劇を見る」企画の上演団体に選ばれました。
 上質の演劇を低料金で提供するという劇場側の企画です。

 私は『コーカサスの白墨の輪』をこの劇団の「第二スタジオ」に所属する友人K子さんといっしょに見ました。
 『白痴』は、仕事かえりに両国へ立ち寄り、2回みました。千円だから、2回見るのもそう負担にはなりません。
 一回目、開演に間に合わず、最初のシーンを見逃しました。おまけに一番うしろの席で前に「座高リッチ」な方が座っていたために、おちびの私は右に左に頭をめぐらせて舞台を見たのですが、「ええい、座高がこんなに高いやつは、遠慮して一番うしろに座るべきだろうよ」と心のなかで文句を言うに忙しく、肝心の劇に没頭できなかったのでした。

 2度目は、6月11日、6時半の開場と同時に入場し、一番前の席に荷物をおいて「ここ、私の席とってあるんだからね」という主張をしておいてから、外に出て、スパゲッティをかっこんで腹ごしらえ。19時の開演には一番前の席に戻って、今度は気分よく見ることができたのでした。

 『白痴』は、タイトルが一発では変換できません。差別用語になっちまったので、「白い痴人」と打ってから、「い」と「人」を消さなければならないのです。
 ドストエフスキーの有名な小説のタイトルで、坂口安吾の『白痴』もあるのに、出てこないのは理不尽です。

 私は、1946年のフランス映画を場末の名画座のようなところで見た気がするのだけれど、1958年のソビエト映画だったのかもしれません。1951年の黒澤明監督作品、ムイシュキン=亀田欽司が森雅之、ナスターシャ=那須妙子が原節子の『白痴』を見たことがないので、見てみたい。

 お話は、「世界文学あらすじ集」でも見ていただければ、私がヘタな要約をするよりもよくわかるとは思うし、何度も映画化されているので、ご存じの方も多いことでしょう。ロシア語の原題「Идиот」英語「Idiot」。現代日本語なら「おバカさん」あたりの訳になったと思うのですが、なにせ明治時代の初訳時代以来「白痴」で固定されており、白痴が差別用語として禁止語になってのちもタイトルだけは「白痴」のまま。

 超要約!すれば。
無垢な心をもったムイシュキン公爵。重度てんかんの治療を終えて、サンクトペテルブルクに戻ってくる帰途、パルヒョン・ロゴージンと知り合いになります。パルヒョンと語りあううち、パルヒョンが恋するナスターシャ・フィリポヴナの名を知ります。ナスターシャは「金持ちの情婦」として知られている存在でしたが、純な気持ちをもっています。
 パルヒョン・ロゴージン、ナスターシャ、ムイシュキン、ムイシュキンの遠縁エパンチン将軍の娘アグラーヤなどがぐるぐると入り乱れて恋し恋され、もつれあって、最後は、、、、

 文庫本だと、2巻本、3巻本になっている長いお話なので、2時間の映画や演劇にするといろいろなところをはしょるため、「ムイシュキンの静かで純粋な愛情」より、ロゴージンの「なにがなんでもナスターシャ」と突き進む猪突猛進、現代ならストーカーに扱われる愛情のほうが際だって見えました。

 役者は、役柄への理解も深くてそれぞれ熱演だったので、秋にシアターカイで再々演されるというので、今度は「視覚障害者が演劇を楽しむ運動」を続けているアコさんをさそって、もう一度見てみたいと思っています。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「水族館劇場:あらかじめ失われた世界へ」

2013-08-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/08/17
ぽかぽか春庭感激観劇日記>芝居は地球を回っている(1)水族館劇場「あらかじめ失われた世界へ」

あまり期待していなかった。
「あらかじめ失われた世界へ」というタイトルが、いかにも平凡だし、一時代まえの感覚のタイトルに思えたので。神社境内での仮設テントでの公演というのも、昔むかしのアングラ劇場の模倣のような内容だったらどうしようという思いもありました。

 東京での知名度はいかほどか知らないけれど、私には初めて見る劇団、「水族館劇場」を見ることにしたのは、ミサイルママのおすすめだったから。
 私はてっきりミサイルママの息子が出演しているのだろうと思ったのだけれど、そうではなく「息子の知り合いが出演している」ということでした。「息子がこの子に迷惑かけちゃったので、この子を応援するのが母のツトメ」というミサイルママ。いっしょにチケットをとってもらいました。

 千秋楽の二日前。6月2日日曜日にミサイルママと池袋で落ち合って、三軒茶屋へ。キャロットタウンで腹ごしらえ。15分くらい歩いて八幡神社の仮設劇場につきました。鎮守の杜太子堂八幡神社境内特設蜃気楼劇場「夜の泡〔うたかた〕」というのが、劇場の名前です。

 座長の桃山邑さんは、作、演出を手がけるのはもちろん、仮設小屋の建設も自分の手でこなします。とび職が着る制服(?)だぶだぶニッカボッカに、だぼシャツ。頭にはヘルメット、という出で立ちで、最初にハンドマイクを持って開場のあいさつ。

八幡神社内の夜の泡劇場


 仮設小屋の外回りで、役者顔見世のプロローグがありました。ひとりの女がふるさとの炭坑町を捨てて、町に出よう汽車に乗るところ。15分ほどのプロローグが終わると、もらった入場札の順に小屋入り。50人ちょっと入る小屋です。
劇の概要はこのサイトで。
http://suizokukangekijou.com/information/

 舞台は、泪橋と呼ばれる場末の街。二階では女たちが「曖昧商売」をやっている居酒屋、木賃宿などがごちゃごちゃと立ち並んでいる一角に、なぜかシスターが運営している孤児院も建っています。
 殺人事件が起こり、それは失われた炭坑街と泪橋をつなぐ回路で起きたらしい。刑事や孤児の少年やあれやこれやが入り乱れての大騒動。

 水族館劇場は、仮設小屋がけなのに、毎回大量の水を流すことで、ファンの間で知られています。今回の「あらかじめ失われた世界へ」も、最後は、名物の噴水やら滝流しやら。
舞台の背面があくとそこは神社の境内そのまま。神社の奥へ向かって、不思議な機関車が女と少年を乗せて走り去ります。


 ミサイルママに「舞台に水が流れるから、一番前の席に座るとぬれるよ」と言われていたので、真ん中へんに座ったので、水濡れにはならなかったけれど、これだけの規模の小屋でよくもこんなに大量の水をぶちまけたな、というのが、はじめて見た者のびっくり感。 幻想や非現実が解け合う不思議な舞台作りでした。
 この夏の巡業も、大量の水を流せる場所をもとめて、静岡から博多まで巡るそうです。お近くの方、おもしろいから見てください。
http://suizokukangekijou.com/news/

舞台のうしろの緑は、神社の森
<つづく>
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ぽかぽか春庭「夏の9」

2013-08-15 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/08/15
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>夏の記憶(5)夏の9

 憲法第9条

 1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


 9条 若者言葉訳
 俺達は筋と話し合いで成り立ってる国と国の間の平和な状態こそ大事だと思う。だから、もし外国となにかトラブルがおこったとしても、国として武器をもって相手を脅かしたり、直接殴ったり、殺したりは、永遠に絶対しないよ。戦争放棄だ。

 9条2項
 で、1項で決めた戦争放棄という目的のために軍隊を持たないし、交戦権も認めないよ。大事だから念を押しとくね。
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ぽかぽか春庭「白い馬(太郎の)」

2013-08-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/08/14
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>夏の記憶(4)白い馬(太郎の)

 毎年、8月6日から8月15日までは、私的「平和祈念週間」です。ヒロシマ・ナガサキの原爆文学や戦争にかかわる表現の書き写しをしてすごしてきました。本から書き写すこともありますし、青空文庫などからコピペして朗読してすごすこともあります。声を出しての朗読は、脳トレにもいいそうなので、一石二鳥、私にとっては写経みたいなものです。 これまで、『黒い雨』『夏の花』などの書き写しをしてきました。今年も何篇かコピーして朗読してすごしています。

 2013年の写経のひとつは、岡本太郎(1911-1996)の従軍の記憶の書き写し。青山の岡本太郎記念館へ出かけた後、岡本敏子による伝記とかいろいろ読んだので、どの本の中にあったのか、ごちゃまぜになってしまいました。たぶん、『失踪する自画像』の最初のほうにあったと思います。著作権は岡本敏子なきあと、敏子の甥の平野暁臣(岡本太郎記念館館長)になったのか、財団が管理しているのわかりませんが、春庭の「夏の記憶」シリーズ全体への引用として、掲載します。何らかの問題があるのなら、削除します。
~~~~~~~~~~~~~

 白い馬(コピー)
 この世界にあらゆる生命が、ざわざわと音を立てながら、からみあい、食い合っている。それは生命の永遠の運命、姿であろう。ザワザワと粋、食い合う。たとえ、意識していなくともまことにそうなのだ。むしろ意識では、陣減精神はどこ久野なかに静まり、瞑想しているよだが。なぜ私がこの生命の動きを、ザワザワと表現するのか。
 思い出があるのである。
 戦争中、中国の前線にいた。私の人生で、もっとも残酷に、辛かった時代である。軍隊では、私の域、人事的他モラルとはすべてが反対だった。なま身をひきちぎる、逆の噛み方時空の歯車が回転していた。
 私は最前線の自動車舞台に配属していた自由主義者の非国民、戦死すればモッケお幸いというわけだろう。自動車隊といったって、車を走らす道がないのだ。一日中、泥濘とのあく先駆層、しかも夜は保障に立たされる。
 大陸の夜は深い。信じられぬほどの静寂のなかに、一人、住建をかまえて歩き回っている。すると何処からか、ザット水の流れるような、異様なもの音が聞こえてくる。
 何だろう!
 音をたよりに、いく。ふと見ると、真っ白な馬。
 夜空に向かって首をあげ、前足を突っぱってのけぞっている。悪路の行軍のはて、ついに力つきた軍馬の死骸である。
 全身から最っ白にウジがふきだし、月光のもとに、彫像のようい冷たく光っているのだ。
 ウジのうごめく音が、ザttと、低いがすさまじい威圧感でひびいてくる鬼気せまるイメージだ。
 生きものが、生きものを犯す。生きるために、そしてその肉をまた強者が食う。今おびただしいウジが肉の巨塊をなめつくしているのだ。
 ザワザワと不気味な音をたてながら。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「コレガ人間ナノデス~水をください」

2013-08-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/08/13
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>夏の記憶(3)コレガ人間ナノデス~水をください

 春庭が「夏の記憶」として書き写し、朗読していくシリーズです。
 書き残されてた記憶を受け止め、受け継いでいこうと思う詩や散文を、8月6日から15日の間に祈りをこめてコピーし、朗読しています。祈りの文として、心に染みつくまで何度も読み直したいことばです。

 今日の書き写しは、原民喜(1905-1951)
 「水をください」は、何度も読んできたけれど、何度読んでも、いっぱいの水を飲めずにうめきながら死んでいった人の声に圧倒されます。
~~~~~~~~~~~

「原爆小景」原民喜


  コレガ人間ナノデス

コレガ人間ナノデス
原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ
肉体ガ恐ロシク膨脹シ
男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル
オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ
爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ来ル声ハ
「助ケテ下サイ」
ト カ細イ 静カナ言葉
コレガ コレガ人間ナノデス
人間ノ顔ナノデス


  燃エガラ

夢ノナカデ
頭ヲナグリツケラレタノデハナク
メノマヘニオチテキタ
クラヤミノナカヲ
モガキ モガキ
ミンナ モガキナガラ
サケンデ ソトヘイデユク
シユポツ ト 音ガシテ
ザザザザ ト ヒツクリカヘリ
ヒツクリカヘツタ家ノチカク
ケムリガ紅クイロヅイテ

河岸ニニゲテキタ人間ノ
アタマノウヘニ アメガフリ
火ハムカフ岸ニ燃エサカル
ナニカイツタリ
ナニカサケンダリ
ソノクセ ヒツソリトシテ
川ノミヅハ満潮
カイモク ワケノワカラヌ
顔ツキデ 男ト女ガ
フラフラト水ヲナガメテヰル

ムクレアガツタ貌ニ
胸ノハウマデ焦ケタダレタ娘ニ
赤ト黄ノオモヒキリ派手ナ
ボロキレヲスツポリカブセ
ヨチヨチアルカセテユクト
ソノ手首ハブランブラント揺レ
漫画ノ国ノ化ケモノノ
ウラメシヤアノ恰好ダガ
ハテシモナイ ハテシモナイ
苦患ノミチガヒカリカガヤク


  火ノナカデ 電柱ハ

火ノナカデ
電柱ハ一ツノ蕊ノヤウニ
蝋燭ノヤウニ
モエアガリ トロケ
赤イ一ツノ蕊ノヤウニ
ムカフ岸ノ火ノナカデ
ケサカラ ツギツギニ
ニンゲンノ目ノナカヲオドロキガ
サケンデユク 火ノナカデ
電柱ハ一ツノ蕊ノヤウニ


  日ノ暮レチカク

日ノ暮レチカク
眼ノ細イ ニンゲンノカホ
ズラリト河岸ニ ウヅクマリ
細イ細イ イキヲツキ
ソノスグ足モトノ水ニハ
コドモノ死ンダ頭ガノゾキ
カハリハテタ スガタノ細イ眼ニ
翳ツテユク 陽ノイロ
シヅカニ オソロシク
トリツクスベモナク


  真夏ノ夜ノ河原ノミヅガ

真夏ノ夜ノ
河原ノミヅガ
血ニ染メラレテ ミチアフレ
声ノカギリヲ
チカラノアリツタケヲ
オ母サン オカアサン
断末魔ノカミツク声
ソノ声ガ
コチラノ堤ヲノボラウトシテ
ムカフノ岸ニ ニゲウセテユキ


  ギラギラノ破片ヤ

ギラギラノ破片ヤ
灰白色ノ燃エガラガ
ヒロビロトシタ パノラマノヤウニ
アカクヤケタダレタ ニンゲンノ死体ノキメウナリズム
スベテアツタコトカ アリエタコトナノカ
パツト剥ギトツテシマツタ アトノセカイ
テンプクシタ電車ノワキノ
馬ノ胴ナンカノ フクラミカタハ
プスプストケムル電線ノニホヒ


  焼ケタ樹木ハ

焼ケタ樹木ハ マダ
マダ痙攣ノアトヲトドメ
空ヲ ヒツカカウトシテヰル
アノ日 トツゼン
空ニ マヒアガツタ
竜巻ノナカノ火箭
ミドリイロノ空ニ樹ハトビチツタ
ヨドホシ 街ハモエテヰタガ
河岸ノ樹モキラキラ
火ノ玉ヲカカゲテヰタ


  水ヲ下サイ

水ヲ下サイ
アア 水ヲ下サイ
ノマシテ下サイ
死ンダハウガ マシデ
死ンダハウガ
アア
タスケテ タスケテ
水ヲ
水ヲ
ドウカ
ドナタカ
 オーオーオーオー
 オーオーオーオー

天ガ裂ケ
街ガ無クナリ
川ガ
ナガレテヰル
 オーオーオーオー
 オーオーオーオー

夜ガクル
夜ガクル
ヒカラビタ眼ニ
タダレタ唇ニ
ヒリヒリ灼ケテ
フラフラノ
コノ メチヤクチヤノ
顔ノ
ニンゲンノウメキ
ニンゲンノ


  永遠のみどり

ヒロシマのデルタに
若葉うづまけ

死と焔の記憶に
よき祈よ こもれ

とはのみどりを
とはのみどりを

ヒロシマのデルタに
青葉したたれ


<つづく>
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ぽかぽか春庭「生ましめんかな」

2013-08-11 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/08/11
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>夏の記憶(2)生ましめんかな

 栗原貞子(くりはらさだこ1913-2005)。92年の生涯を、平和運動にささげた方です。
 「生ましめんかな」は、まだ著作権の消滅していない著者の作品ですが、平和を願う日記への引用としてコピーさせていただきます。(初出『中国文化』1946)
~~~~~~~~~~~~~~

栗原貞子「生ましめんかな」

こわれたビルディングの地下室の夜だった。
原子爆弾の負傷者たちは
ローソク1本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。

生ぐさい血の匂い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえ
その中から不思議な声が聞こえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。 

マッチ1本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です。私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。

かくてくらがりの地獄の底で
新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。

生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも
 

<つづく>
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