春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

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ぽかぽか春庭「2022年10月目次」

2022-10-30 00:00:01 | エッセイ、コラム

20221030
ぽかぽか春庭>2022年10月目次

1001 ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩夏~秋(3)キース・ヴァン・ドンゲン展 in パナソニック汐留美術館
1002 2022アート散歩夏(8)ボストン美術館展 in 東京都美術館

1004 ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩工芸の美(1)刺繡絵画の世界 in 日本橋高島屋
1006 2022アート散歩工芸の美(2)第69回日本伝統工芸展 in 日本橋三越
1008 2022アート散歩工芸の美(3)アールヌーヴォーからアールデコに咲いたデザイン オールドノリタケ×若林コレクション in 横浜そごう美術館
1009 2022アート散歩工芸の美(4)愛のヴィクトリアンジュエリー華麗なる英国のライフスタイルin 八王子夢美術館
1011 2022アート散歩工芸の美(5)アジアの漆工芸展 in 東京芸大陳列館
1013 2022アート散歩工芸の美(6)フィン・ユールとデンマークの椅子展 in 東京都美術

1015 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記秋冬(1)ジャパンオープン2022&カーニバルオンアイス2022
1016 2022ふたふた日記秋冬(2)ブレード

1018 ぽかぽか春庭アート散歩>アート散歩2022ガラスの美(1)ルネ・ラリックの輝き in 箱根ラリック美術館
1020 アート散歩2022ガラスの美(2)ガラスの森美術館
1022 アート散歩2022ガラスの美(3)所蔵ガラス展 in 東京国立博物館

1023 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記秋の旅(1)新宿バスタから飛騨市神岡へ
1025 2022ふたふた日記秋の旅(3)神岡町歩き・カミオカンデ道の駅
1027 2022ふたふた日記秋の旅(4)神岡町歩き・旧花街、神岡城
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ぽかぽか春庭「神岡町歩き・花街、神岡城」

2022-10-29 00:00:01 | エッセイ、コラム
202210

ぽ29かぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記秋の旅(4)神岡町歩き・旧花街、神岡城

 飛騨神岡町は、三井鉱山によって開発され、町は「鉱山城下町」でした。鉱山で働く人を向かい入れる花街。古い遊郭の建物や、鉱山の迎賓館だった建物などを、町の地図をたよりにめぐりました。

 古い町並み。どの家も落ち着いたたたずまいを見せていますが、かっては人々が行きかい、にぎわっていた花街だったのでしょう。

 古い町並み

 かっての花街に建つ家


 旧深山邸(大勢の客を迎え入れた料亭)


 神岡鉱山の迎賓館として使われていた神和荘。閉鎖中で中は見ることができませんでした。
 

 一度さびれてしまった建物の復元が図られた例もあります。鉱山町の娯楽の殿堂であった船津座は、元のように再建されました。

 船津座外観
 
 船津座内部の劇場部分

 
 船津座のカフェでソフトクリームを食べて一休み。
 船津座の近くに円城寺があり、円城寺の宝物などを収蔵する蔵が立ち並んでいました。

 河岸段丘の上に作られた神岡。段々を造るのに、ほとんどの石垣がこの斜め積によって積まれていました。東京では見たことのない石積みです。


 円城寺の鐘楼の建物を見ると、「飛騨の匠」ということばが思い出されます。腕のよい飛騨の大工や石工たちは、全国の寺社などで建築に携わりました。
 円城寺鐘楼

 小高い山の上にお城が見えたので、復元されたお城だろうけど、見ておくか、と回って見ました。

 仰ぎ見る神岡城。


 公園の中に、復元されたお城と、移築された古民家がありました。まずはお城から。
 神岡城は、1970年に神岡鉱業創業100年記念に犬山城をモデルにして建てられました。


 神岡城の前で


 天守からの眺め。

 旧秋葉家は、1968(明治元)年に建てられ、1968に公園内に移築されました。



 養蚕農家として発展し、屋根裏の作りなどに飛騨の建築の特徴がみられます。機織り機、糸繰り機などの養蚕関連の道具なども屋根裏に展示されていました。



 屋内には、仏間、囲炉裏のある居間などがあり、村の資産家として集められたさまざまな道具がおかれていました。
 電話機、和文タイプライターなどは、村の有力者だったことがうかがえますが、ユニークな道具のひとつとして、「仁丹の自動販売機」がありました。お金を入れると仁丹の包が出てきたのだそうです。

 公園の中に「鉱山資料館」もありました。


 鉱石が展示されていたほか、さまざまな鉱山の機械が展示されていました。
三井の鉱山として発展してきた神岡ですが、鉱山の廃液が川に流れ、富山でイタイイタイ病という公害病が存在したということは、「鉱山資料館」や「古民家」「カミオカンデ」とともに、「神岡の三井鉱山に原因がある公害」の記録として残していくべきでしょう。

 カミオカンデはじめ、神岡は緑豊かで街並みや芝居小屋、無料で湧き水を旅人や町の人にふるまう「水屋」など、豊かな自然と人情が残された美しい町です。
 この町に移り住んだ友人が町でなごやかに暮らしていけるよう、願いながら9月26日の朝、神岡から高山行きのバスに乗りました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「神岡町歩きー磯崎新設計図書館、カミオカンデ道の駅」

2022-10-27 00:00:01 | エッセイ、コラム
20220927

ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記秋の旅(3)神岡町歩き・カミオカンデ道の駅

 9月25日、飛騨市神岡3日目。A子さんと「神岡町歩き」
 最初は、飛騨市神岡図書館へ。飛騨市神岡振興事務所 の1階が飛騨市神岡図書館。ここがなぜ有名かというと、磯崎新の設計だから。
  曲線の使い方が磯崎っぽいなと思いました。

 A子さんは、「まだ住民票は移してないけれど、東京から引越ししてきて、この先神岡町に住みます」と申告して「図書カード」を作成。
 カード作成時間の間に、私は図書館の中を見学しました。
 
図書館の中

 図書館の中に、ノーベル賞受賞者・梶田博士の実物大パネルがあり、写真スポットになっていました。(梶田 隆章(かじた たかあき、1959~ )は、日本の物理学者。専門はニュートリノ物理学)
 カミオカンデでニュートリノ研究が続けられていることは、町の誇りです。


 カードをつくってA子さんは家に戻り、ここからは「神岡ひとり散歩」です。

 飛騨市神岡町は、かって三井鉱山の町として栄えました。鉱山が閉鎖された後、千メートルの深さに達する坑道が残されました。この千メートルの地中深い行動に、カミオカンデが設置されました。
 宇宙の発生の秘密を探るためニュートリノをつかまえる。た地球を通り抜けようとするニュートリノを検証するための装置がカミオカンデです。

 カミオカンデの模型。
 カミオカンデの解説をしている映像の前で。解説員さんにシャッター押してもらいました。

 「道の駅カミオカンデ」の中に、カミオカンデについて説明している資料室があります。
 道の駅で「飛騨蕎麦セット」を食べてから資料室に入りました。

 資料室入口で
  ニュートリノのビデオを見て、パネルの説明を読み、解説員の説明を聞いたのですが、さて、ニュートリノって、何?
 連休中の日曜日ですから、デートカップルや親子連れで、わいわいと一回りしたあと、親子で「なんだかむずかしかったな」カップルで「で、結局ニュートリノってなんだかよくわかんない」と口にしながら、出口に向かう。私は一人散歩だったから、話す人いなかったけれど、「ニュートリノ、むずかしかったわからなかった」と思いながら資料室をあとにしました。

 次回、神岡城や旧花街の散歩をリポート。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「秋の旅・神岡廃線散歩」

2022-10-25 00:00:01 | エッセイ、コラム
20221025
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記秋の旅(2)カミオカンデ道の駅 in 神岡

 9月24日、神岡の朝。
A子さんと散歩に出ました。1時間くらい歩くというので、高齢者足の私は「自転車がいいなあ」と、ヤワなことを考える。東京生活ン十年の間、1時間も歩くことはめったにない。
 しかし、神岡は河岸段丘にできた町で、上下移動がきつく、自転車はかえって疲れるということなので「疲れたらバスかタクシーで帰る」と宣言して出発。
 A子さんのご近所探索のうち、まだ出かけていないところを回るのだって。

 家の近くの路傍にはヒガンバナ。そういえば、9月23日は彼岸の中日でした。
 川の水は澄んでいます。

 かって神岡鉱山の「トロッコ路線」だった線路は廃線となったのち、神岡の観光資源となりました。「マウンテンレールバイク」としてレールの上を2連結の自転車で走るレジャーが人気となっています。
 連休2日目の土曜日、かなりの数の自転車がレールの上を走っていきました。千円くらいなら私も走ってみようかと思ったのですが、ひとり3000円と聞いてやめました。



 お昼近くなったので、神岡トロッコ路線の駅だったところを改装したカフェで一休み。

 中にはかっての駅舎の名残りが。「貨物取扱所」なんて看板が残されています。

 カフェ「あすなろ」のコーヒーとホットサンド。

 かって神岡鉱山を結んで走っていたトロッコが保存されています。
 

 廃線になったあとの「なつかしのグッズ展示

 駅舎正面


 帰りは元の道をそのまま戻りました。
 晩御飯は、A子さんが借りている家の家主さんYさんとの夕食会というので、午後は「昼寝タイム」として部屋ですごしました。Yさんとの晩御飯に備えて、Yさんが2010年に出版した新書を読むことにしたのです。

 シンクロナイズドスイミング(現在はアーティスティックスイミング)のコーチ井村雅代、ソフトボールコーチ宇津木妙子などのコーチや監督がどのように選手を育て、選手にどんなことばをかけていたのか、7人の名コーチへのインタビュー集です。
 現在は、子供とスポーツの「いい関係」を作り上げるスクールの運営に主力を注いでいる、というYさん、どんな人なのか、出会う前に著書を読んで下準備。

 15分くらい歩いたところにあるカフェバーで、18時にYさんとその「ビジネスパートナー」という方と待ち合わせて食事。
 私はいつもの生ビール。ビザなどの定番でしたが、私はお昼は「あすなろ」のホットサンドをA子さんと半分ずつシェアして食べただけだったので、おなかすいていて、はじめて出会う人の前では大人しくしていればいいのに、かなり大食いぶりで食べました。

 4人の食事でいろんな話題が出ました。
 Yさんのパートナーさんは、飛騨で農場を経営しています。ベトナムの農業研修生が農作業を担当しているという方でした。
 Yさんが長年「スポーツと女性、スポーツと子供」の問題を追及してきた方なので、農場経営の方と「ビジネスパートナー」というのが、どういうあたりでパートナーになっているのか知りたかったけれど、プライベートについては、相手が言わないことは聞かないのがマナーと思って質問せず。

 そのかわり、午後ふとんの中で読んだYさんの著作について、少し質問を。
 インタビューに取り上げたコーチが「女性コーチと女子選手」「男性コーチと男子選手」のみで、スポーツ界にいちばん多い「男性コーチと女子選手」をあえて取り上げなかった意図をたずねました。
 やはり、異性コーチだとセクハラ問題などがからみ、取り上げるのがむずかしい、というようなお答えでした。それはまた別の問題として追求すべきだけれど、現在の日本では、スポーツ界の暗部追求は、まだまだできないという感じでした。
  1.  東京オリンピックの汚職追及がようやく取り上げられるようになったけれど、ラスボスの「しんきろう」までたどり着く前につぶされるかも。(しんきろう、訓読みにしてね。木が3つのしん)

 初めて会う人との会食。ふさわしくない話題を避けたり言葉遣いを気にしたり。初めて会う人と食事をする、という「社会生活上必要な試練」を、73年も生きてきて、ほんとに数えるほどしかしてこなかったなあ、と、社会性のなさにがっくり。どっと疲れて、A子さん宅についてすぐ寝ました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「秋の旅・飛騨市神岡」

2022-10-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
20221023
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記秋の旅(1)新宿バスタから飛騨市神岡へ

 思いがけず、神岡という町に出かけることになりました。岐阜県飛騨市神岡。
 飛騨高山や白川郷には観光で出かけたことがありますが、神岡という地名について知っていたことは、ごくわずか。
 若いころに聞いたのは「三井神岡鉱山」の毒排水が富山県神通川流域でイタイイタイ病の原因となったこと。

 近年になってからは、神岡鉱山の鉱山跡の地中深くに「カミオカンデ」が作られたこと。
 宇宙から飛来するニュートリノをつかまえる装置がカミオカンデ。
 お台場の科学未来館でカミオカンデの実物大模型をながめて、「この装置で宇宙誕生のなぞもわかってくる」と解説員に聞いたのだけれど、さて、ニュートリノがなんなのかも、さっぱりわかっていませんでした。
 それでも、カミオカンデがある町が神岡、ということはわかっていました。

 はやりの「退職後の移住生活」。テレビ番組でもUターンやIターンの田舎暮らし移住のリポートをよく見ます。
 田舎暮らし。「自然がいっぱい、食べ物もおいしく、ご近所さんともふれあいが楽しい」なんてテレビで映されていても「そんなうまくいくわけなかろうが」と、負け惜しみ的に思ってきました。

 「老後は田舎で暮らしたい」と念じてきたのに、さっぱり実現しそうもないので、「田舎は田舎ですごく人付き合いがたいへんだし、畑つくっても、サルやイノシシに荒らされてろくな収穫がないって言うし」と、悲観的な面ばかり見るようにして、「老後は田舎でのんびりと」というリタイア生活のあこがれを封印してきたのです。

 友人A子さんが公的な翻訳の勤務先を退職し、息子さんもよいお相手と巡り合って一家をかまえたのを機に「田舎暮らし」を始める、と聞いて、うらやましく思っていました。
 A子さんは「友人が所有している岐阜県の飛騨神岡の家が空き家のようになっているので、借りることにした」と、本格的にIターン移住をきめたのです。

 この夏、東京の住まいをすっかり引き払い、飛騨市神岡に引越し完了。
 「荷物片づけもまだ完全には終わっていないけれど、遊びに来て」と言われて、ほいほいとおじゃますることにしました。あこがれの移住生活ですが、ほんとうに実践している人は、知り合いの人では初めてだったからです。

 A子さんは、神岡までの道のりを、名古屋まで新幹線、高山線に乗り換えて、そこからバスで40分。と、教えてくれたのですが、私には新幹線は高い。高速バスで往復することに決定。片道7000円往復14000円。これ、「安物買いの銭失い」でした。
 
 9月23日、3連休初日の朝8時に新宿バスタ発。


 予定では5時間バスに揺られて午後1時に神岡へ着くはずでした。しかし、連休初日、中央道は激コミ「低速道路」となっており、飛騨高山に着いたのは午後6時すぎ。バスを乗り継いで飛騨神岡に着いたときは7時半。神岡バスセンターの乗り継ぎバスはなくなっていたので、強い雨の中、タクシーでA子さんが待つ家にたどり着きました。新宿から12時間かかりました。
 9月23日は、「ワタクシ史上、もっとも長い時間バスに乗り続けた記念日」になりました。

 おみやげは、新宿高島屋のデパ地下で買ったA子さんリクエストの「ヤギ乳チーズ」その他のチーズ詰め合わせ。
 チーズやA子さん心づくしの「飛騨牛の焼肉」をつまみにビールを飲みました。

 23日は、新宿から神岡に移動しただけで終わったけれど、今回の旅は「田舎移住をうらやましがり、田舎でなんにもしないですごす休日」が目的でしたから、初日はこれでよし。

 A子さん友人Yさんの所有する古民家は、JAスーパーの近くにあり、バス停も歩いていけるところなので、田舎と言っても、「たんぼの真ん中」とか「山の中」という「本格的ド田舎」とは違い、「地方の小さな町の街道に面した古民家」です。

 Yさんは、スポーツの名コーチが、「勝つ!ためにどんな言葉を選手にかけてきたか」をまとめたスポーツジャーナリストです。
 現在は子供や女性がスポーツに親しんでいくためのセカンドスクールを運営しています。

 A子さんが借りた古民家は、スポーツ教室などの拠点にしてきた家ですが、現在は「宿泊型」の施設を別に移し、たまに、海外からのスポーツ学研究者などが泊まりに来る程度になっています。
 最近ではUCLAの女性研究者(ルーマニアからアメリカに移住)が1か月ほど泊まっていたのだとか。
 玄関土間にゴルフセットがたくさん積まれていたりしていましたが、今のところ滞在者はなし。

 晩御飯食べて、ビールを飲みながらしばし語りあう。
 5月にスエーデン料理レストランの「食べ放題スモーガスボード」で、A子さんとおしゃべりしたとき、神岡移住の話も聞いていたのですが、その時はまだ具体的になっていなかったのです。

 夏の間、神岡と新宿を往復しながら息子さんもいなくなったマンションを整理しはじめ、「大半の家具も本も断捨離して、ごく少量のものだけ神岡に持ち込んだ。息子の「保育園の連絡帳」なんかも、捨ててきた、というので、「私は絶対にそれ、できない。息子さんに渡せばよかったのに」と、わがことのように残念がりました。
 ひとり親として息子さんを育ててきた記録は、息子さんにとっても宝物と思うのですが、何を大切にするかの価値観は人それぞれ。
 A子さんは、息子さんを立派に育て上げ、就職してパートナーと暮らすまでの成長を見届けたのですから、息子さんの姿こそ「ひとり親の勲章」なのでしょう。

 公的な翻訳オフィスでの勤務の傍ら、個人的な翻訳も続けてきました。2021年秋にアメリカ女性の書いた本を訳者として名前を掲げて出版したところです。オリンピックと政治やジェンダーのかかわりについて書いた本。大手の新聞の書評欄にもとりあげてもらったのだけれど「硬い内容なので」まったく売れない、と嘆いていました。

 たとえ大売れに売れたとして、共同訳者に名を連ねている5人のひとりであるA子さんに入る印税がどれくらいになるのかは、定かではない。とにかく、仕事の上でまとまった本を出して「一区切り」になりました。
 現在はフリー翻訳者として仕事を引き受けながら、ライフワークの出版に向けて頑張っているところ。

 お風呂に入って2階の6畳間で休みました。
 13時間バスに乗って、疲れていたので、いつもと同じに、ふとんに入った途端、爆睡。

 神岡に着いたときは雨の中真っ暗な時間帯でしたが、朝起きて窓を開けてみると、町中とはいえ、やはり緑いっぱいの環境でした。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「所蔵ガラス展 in 東京国立博物館」

2022-10-22 00:00:01 | エッセイ、コラム
20221022
ぽかぽか春庭アート散歩>アート散歩2022ガラスの世界(3)所蔵ガラス展 in 東京国立博物館

 ありがたいことに、東京国立博物館は70歳以上は無料で本館東洋館の常設展示を見ることができます。(西洋美術館常設と東京近代美術館と常設展も65歳以上無料)

 美術工芸品が好きなら、無料で洋画日本画工芸品を楽しむことができ、70歳以上のシルバーパス(都民税払わなくていい人は千円。納税している人は2万円)と組み合わせて、移動にバスと都営地下鉄を使うと、一日ほぼ無料で楽しくすごすことができます。お昼ご飯に朝の残り物とおにぎりを持ち、ランチ。娘と一緒のときは、の上野の帰りにはときどき精養軒や駅構内の泰明軒に寄ることも。

 9月3日土曜日は、のんびりひとりで東博散歩。本館で「明治ガラス展」が開催されていました。
 8月にはフランスのルネ・ラリックや17~19世紀のヴェネチアングラスをたくさん見て、「明治のガラス工芸」も見ておきたいと思ったのです。



 東博の口上
 この特集では、東京国立博物館(東博)が収蔵するガラス作品のなかから、主に明治期前後につくられ、博物館草創期にコレクションに加わったものをご紹介します。 
 江戸時代から日本では、食器など生活用具のガラス器が本格的につくられるようになります。なかでも江戸時代末からつくられ始めた切子(カット)ガラスは、薩摩をはじめ江戸、大坂でもつくられ、緻密で豊かな文様装飾をうみだしました。多彩な表現は、幕末期の小さなガラス製の雛道具にも見ることができます。
 明治時代に入ると、西洋式のガラス生産を目指す動きもおこり、明治9年(1876)には官営の品川硝子製造所(のちの品川工作分局)が設営されます。その製品は内国勧業博覧会にも出品され、一部が当館に寄贈されています。
また当館のコレクションには、珍しい舶来のガラスも含まれています。例えば、幕末期の箱書きをともなった脚付のコップや、金彩の施されたカットガラス、そして、イギリスのインダストリアルデザイナー、クリストファー・ドレッサーが選定に関与し明治9年に寄贈されたイギリスやフランスのガラスなどです。これらは、当館のガラスコレクションに彩りを与えています。
 150周年を迎えた東博ならではの、多様な来歴で、かつ貴重な国内外のガラスコレクションをお楽しみください。

 北斎漫画の中に描かれている「月夜に蛙と蜻蛉」の絵柄をつけた「白色ガラス蛙蜻蛉刻文瓶」。 
 「ジャポニズム」が流行していた西欧で、パリ万博1867に出品されたもの。
 トーマス・ウェッブ&サンズ社の製品と推測。


 日本のガラス工芸は、幕末にはすでに薩摩藩でガラス製品がつくられており、薩摩切子として西欧へ輸出がはじまっていました。明治政府も「殖産興業」のスローガンのもと、ガラス製品の輸出に力をいれるようになりました。

宮垣秀次郎「切子銅赤色被せガラス鉢」(第二回内国勧業博覧会出品)1881(明治14)頃 

 草花文脚付杯


 

 明治時代になると、博覧会が開かれ、入賞者の名前などは記録されるようになるのですが、陶工にしろ漆工芸にしろ、江戸期までの職人の名前はほとんど残されていません。しかし、作品が残され、後世の人がそれを見て「ああ、美しい、すばらしい」と思ってくれれば、作った人はきっとあの世で微笑んでいると思うのです。

 東博は、明治に開館して150年たちます。明治時代に収蔵されたものをこうしてまとめて陳列してくれて、ありがたいことです。(しかも無料で見れた) 
 このあとは、「国宝一気展示」という目玉展示も控えています。
 鉄道150年といい、明治文明開化殖産興業の意気込みが伝わってきます。
 
 モノづくりの日本。今は工芸も「アート作家」が作る時代です。
 昔の「名もなき職人」が作り出した工芸品も、現代の「工芸作家」が作る作品も、私にはただただ「きれい!」と思って眺めるだけですが、漆工芸もガラス工芸も、楽しんでいきたいと思います。
 (ブンカムラで開催中の「フィンランド・イッタラ社のガラス展」は、シルバー割引なしの1700円は老人には高いと思って、私は見にいかず、10月15日、娘がひとりで見てきました)
 無料または「ぐるっとパス」で見ることのできるアートを楽しんでいきます。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「ガラスの森美術館」

2022-10-20 00:00:01 | エッセイ、コラム

20221020
ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩ガラスの輝き(2)ガラスの森美術館

 ガラスの森美術館、最初は娘息子と1度きて、娘と私二人で再訪。今回は3度目になるので、娘は「今回はルネ・ラリック美術館をメインにして、ガラスの森はついででいいかな」と言っていたのです。でも、私は「現代ガラス作家の展示」があるという美術館チラシを事前に見ていて「現代ガラス作家の作品」を見たいと思って3度目の来訪となりました。



 ベネチアンガラスや歴史的なガラスは前回までの展示と同じものもあったし、展示替えされていたものもありました。

 ガラスの森美術館口上
 約4000年前に生み出されて以来、人々を魅了し続ける人工の素材、ガラス。20世紀に入ると、ガラスは、装飾品や工芸の分野だけではなく、芸術表現の分野でも更なる可能性を秘めた素材として注目を集め、芸術家自身がデザインから制作までを一貫して手掛けたガラス・アートが誕生しました。
 本展では前期と後期に展示を分け、ガラス・アート界を牽引する国内外の現代作家6名のガラス作品をご紹介。ガラスという千変万化する素材の魅力を存分に引き出し、工芸の分野に留まらない多様なガラス表現を模索するイタリアとアメリカ、そして日本のアーティストたちの個性が豊かに響き合う、ガラス・アートの世界をご覧ください。

 灼熱の炎の中で真っ赤な流動体として生まれ出るガラスは、冷えて固まると光を透過し周りの風景を映し出す、身近にありながら、その実体を捉えるのが難しい不思議な素材です。約2000年前のシリアで生み出された宙吹きと呼ばれるガラス製法は、熔けたガラスに息を吹き入れて器を作る一大発明であり、以来ガラス工芸の礎となった技法です。

 ヴェネチアングラスの輝き。17世紀~20世紀までのどの作品も、工房の職人たちが技を尽くして作り上げたガラス器です。ヴェネチアングラスは撮影自由。


 そして、私が見たいと思っていた現代ガラス作家の作品、目玉らしい有名作家セグーゾは、残念ながら娘にも私にも、あまり好みの造形ではありませんでした。

 ガラスの森美術館による現代アートガラスの口上
 ヴェネチアングラスの伝統技法を生かし、ガラスの中に空気(空間)を封じ込めた抽象的な造形作品を作り出したのがヴェネチア・ムラーノ島のガラス彫刻家、リヴィオ・セグーゾです。彼は透明感のあるガラスを時に金属や石などの異素材と組み合わせ、ガラスを媒介とする内と外の空間や、他の素材とのハーモニー(詩的な調和)をもたらす彫刻を目指しました。
 また、内村由紀は、キャスティングというガラス鋳造技術によって、ガラスの内部により多様な空間を封じ込めることに成功。ガラス内の耐熱石膏をくり抜き、器や人の姿などの様々な形の空間、そこに存在していたであろうものの痕跡を時間から切り離して表現することで、「存在することとは?」という問いへの回答を導きました。
 一方、木下良輔は、ガラスがもつ光の透過効果を生かした表現と、着色技法(ステイニング)によるガラスの透過性を消し去った真逆の表現を併用することにより、作品の外側から受けるイメージと、内に秘められた実体(エネルギー)の不一致の可能性に、身近な「本」というテーマで迫っています。
 彼らの作品は、それぞれに技法やテーマは違えど、そこにガラスという素材を通した内と外の関係性を私たちに投げかけています。

 木下良輔の作品
 
 
内村由紀の作品


  1階から2階へ。ヴェネチアの館を再現したと思われる内装。

 
 2階には、さまざまな技法の解説があり、レース模様やミルフィール(千の花模様)をどうやって作りだしたのか、説明されていました。解説されてもよくはわかりませんが、途方もない技があるのだ、ということはわかりました。




 ヴェネチアングラスの技術の最高峰という、風にゆらぐグラス。


 窓を飾るステンドグラスもかわいい。
 

 ショップには山のようにおみやげガラス製品が並んでいました。どれもすてきでしたが、相変わらず貧乏春庭には手が出せないおねだん。

 ショップのおみやげガラス製品



 きれいだったし、楽しかったけれど、ガラスの森美術館を出ると雨が降ってきて、富士屋ホテルに向かうバスは激混みで、移動がたいへんでした。
 美術館はだいたい全部回れたので、次の箱根旅行は「のんびり温泉」がいいかも。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ルネ・ラリックの輝き in 箱根ラリック美術館」

2022-10-18 00:00:01 | エッセイ、コラム
20221018
ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩ガラスの美(1)ルネ・ラリックの輝き in 箱根ラリック美術館

 8月に娘と箱根旅行に出かけました。今回のテーマは、温泉でも真っ黒な卵でもなく「箱根の美術館巡り」。岡田美術館、ポーラ美術館、彫刻の森美術館など主だった美術館は観覧することができました。

 箱根の「ガラス」も、前々から見たいと言っていた美術館です。
 ガラス大好きな娘。お連れでガラス好きになった私。渋谷ブンカムラや庭園美術館などで開催されたガラス展には足を運んできたのですが、諏訪の北澤美術館などまだ見ていないところも多く、今後の愉しみにしています。
 8月は、箱根で「ガラスの森美術館」と「ルネ・ラリック美術館」を観覧しました。

 「箱根ラリック美術館」の紹介
 「フランスの宝飾・ガラス工芸の巨匠ルネ・ラリックの作品を展示する箱根ラリック美術館。ラリックはアール・ヌーヴォー、アール・デコ両時代で活躍し、20~40代の頃には美麗なアクセサリーや装飾品を中心に、50代以降はガラス作品を制作しています。
 箱根ラリック美術館で展示されている作品は、ブローチや髪飾り、香水瓶など、女性にとって見ごたえのあるものが多数」。

 ルネ・ラリックはジュエリー作家として出発しました。



 パリの万国博覧会にガラス製品を出品して大成功をおさめ、ガラス工芸品のデザイン、家具や客車の内装、噴水のデザインまで多方面で活動しました。

 箱根ラリック美術館の展示品、撮影可能の展示室と撮影禁止の展示室がありました。
 1階にラリックデザインのドアがありました。撮っちゃったけれど、撮影禁止のドアだったみたい。天井のシャンデリアもラリックデザインです。


 ルネ・ラリックが生きた時代の部屋を再現した展示室は、撮影OKでした。ラリックデザインのステンドグラス、きれいでした。


 ルネ・ラリックの代表作。ランプシェード。

 さまざまな美しいガラスを堪能しました。



 特集展示は、「明日への祈り展」。
 ルネ・ラリックが第1次世界大戦の期間に、戦費への寄付をつのるために制作した作品。作品を買い上げてもらい、そのお金を戦費にあてました。


 ルネ・ラリック美術館による今回の展示「明日への祈り展」の口上
 本展では、フランスの苦難の歴史と戦争で傷ついた人々のため、ラリックにより作られたチャリティ用のメダルやブローチ、キリストや天使をモチーフにした作品などを、祈りをテーマにご紹介します。新型コロナウイルスが猛威をふるうなか、21世紀を生きる私たちもた、何かに祈り、明日に希望を見出し、今を生き抜こうとしています。どんな時にも人々の心にそっと寄り添ったラリックの作品をどうぞご覧ください。

会期:2022年03月19日(土)~2022年11月27日(日)

 戦争勝利へのシンボルにしたのが、アザミの花。
 アザミは、フランス・ロレーヌ地方の象徴です。普仏戦争に負けたフランスは、ロレーヌ地方をドイツに割譲しました。ロレーヌの屈辱を忘れないという意味もあって、戦争に負けない、という意思をしめすアザミをデザインした作品も多くつくられたのです。

 アザミのブローチ
 アザミの花デザインの花瓶、ブローチ、ネックレス

 「祈り」を表現した作品もたくさんつくられました。

 ブローチ《二人の女性の半身像》1898-1900年頃 

 1階の休憩室からは、「モネの庭」が見渡せます。モネが愛した「日本の橋」も見えます。緑の草木の中の緑色の太鼓橋、緑の中にまぎれてしまっていますが。


 庭に出ることもできたらしいですが、オリエント急行の列車内カフェの予約時間が迫っていたし、ちょっと暑い日だったので、庭は休憩室から眺めただけ。
 ルネ・ラリック内装デザインの「オリエント急行」の車内を紹介はのちほど。

 箱根ラリック美術館の入口で。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「ブレード」

2022-10-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
20221015
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>2022ふたふた日記秋冬(2)ブレード

 ジャパンオープン2022。録画しておいたものを、のんびり見返しています。生観戦は、リンク全体を見渡し、移動の軌跡を追うのもの楽しみのひとつです。スケーターが美しいスパイラルのポーズをとってリンクの端からはしまで滑っていくなど、爽快です。

 テレビ録画では選手のアップが中心になるので、ジャンプが成功した時の表情を見たり、衣装のデザインをあれこれ比べたり、また違う楽しみがあります。
 ジャパンオープン2022のテレビ録画では。ジャパンオープンの解説を町田樹が担当していました。スポーツ科学の博士になった町田の落ち着いたトーンの説明、選手の滑りのよさがよくわかりました。

 ジャパンオープンのエキシビジョンに当たるカーニバルアイスも楽しかったです。


 今年「羽生結弦展」を日本橋高島屋で見たとき、衣装に縫い付けるビーズや羽飾りの繊細な手仕事に見入ったことを思い出します。
 衣装ももちろんですが、フィギュアスケートにとって、ジャンプやスピンの華麗な技を支える大事なアイテムは、なんといっても、スケート靴の「刃=ブレード」です。革製の靴に刃を取り付け、0.1ミリの単位で研いでいく。その刃の出来によって、ジャンプが成功したりスピンがうまく回らなかったり。

 靴に刃をとりつけ、研ぐ職人さんの世界。ほんとうにすごい職人技だと思います。
 私も、ことばの世界を研ぎ続ける職人でありたい、と思ってはいるのですが、このところ忙しくアウトプットするばかりで、インプットが減っており、「言葉職人」の貯金が目減りしている気がします。

 通勤電車でパラパラとめくる本の中で「あ、こんなことば初めて出会った」と、思っても、電車を降りて、バタバタと留学生に日本語をアウトプットしているうちに、「なんか、新しいことばを見つけた気がするのに、もう忘れちゃった」ということも増えてきました。忘れてしまったことも忘れることが多いので、自分の脳力が3A(3回転アクセル)から2Aにダウングレードした、なんて嘆いている時間もないのですが。

 さて、革で作られるスケート靴は樹脂の靴底がつけられ、氷の上に乗るのは「ブレード」と呼ばれる「刃」です。選手の体格やどんな滑り方をするのかによっても、職人はよい結果が出せるように研いでいく。足との相性もあるのですが、だいたい1シーズンには1本の刃をならしていくのだそうです。

 よい演技を支える刃。


 高橋大輔がシングルからアイスダンスに転向したとき、「シングルスケート靴は男女で変わらないのだけれど、アイスダンスはまったく別の靴を使用するので、スキーにたとえれば、スキージャンプの選手がスノボに変更するくらい違いがある、ということをアイスダンスの解説で知りました。

 「ブレード」についてあれこれネットサーチしているうち、「あらら、ブレードランナー」は、どうして「刃の走者」っていうのだろう、と気になりました。
 1982年の映画。公開からちょうど30年。映画人には30年から「常識」だったことなのでしょうに。私は何も思わずに「ブレードランナー」という語が最初からあったのだと思っていたのです。

 「録画でブレードランナー2049」を見たこともあって、にわかに原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか? 」の映画化にあたって、映画のタイトルを「ブレードランナー」にしたのはなぜか、と気になりました。

 原作とは別のSF小説のなかに出てくる主人公の職名が「ブレ―ドランナー」です。
 近未来の世界で「医療用の刃(メスやハサミなど)を非合法に運ぶ運び屋」の職名でした。
 アンドロイドを狩って「解任(抹殺)」する職業に対して、原作になかった「刃の運び屋」という職業名を採用したのです。主人公の捜査官ハリソン・フォードは「解任」の刃を携えた警察官でした。

 ブレードは「刃」であり、ブレードランナーは「刃の運び屋」と、わかってすっきりしました。明日には忘れてしまうこともおおいので、ここにメモしておきました。

 言葉を追跡する職人として、鋭い刃を研いでおきたいと思うのですが、すり減る一方の73歳。

 ・氷盤のブレードきらめきクルクルとスピンもジャンプも回れよまわれ <春庭
 ・4Aをおりるブレード氷盤を削りかなたへと飛ぶ氷片 <春庭

<おわり>
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ぽかぽか春庭「ジャパンオープン2022&カーニバルオンアイス2022」

2022-10-15 00:00:01 | エッセイ、コラム


2022111220221112
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記秋冬(1)ジャパンオープン2022&カーニバルオンアイス2022

 秋になれば、待ちかねていたフィギュアスケートシーズンが始まります。
 羽生結弦の選手としての競技生活から引退宣言はありましたが、これからアイスショウでの活躍も期待できます。
 羽生が出演するショウをみにいくことができるかどうか。娘はネットのチケット申し込みは続けていますが、はたして抽選に当たるかどうか。ネットのユヅ君のフォロワーは70万人ですから、そのうち何割がチケット申し込みをするのかわかりませんが、たぶん、良い席は当たらない。お金に糸目はつけないおっかけオバサマ軍団がファンクラブでの独占をはかるでしょうから。

 とりあえず、シーズン開幕のジャパンオープンのチケットがとれたので、埼玉スーパーアリーナに出かけてきました。
 ジャパンオープンとそのエキシビションに当たるカーニバルアイスの両方SS席を確保すると、我が家にとっては、けっこうな「ぜいたく」です。



 ジャパンオープン。鍵山選手、アメリカのテネル選手、ゲストスケーターのネイサン・チェン選手がけがのため欠場。鍵山優真選手に代わって急きょ出場が決まった三浦佳生選手。進境著しい若手の出場も楽しみでした。
 娘は代役情報を知らなかったので、「鍵山の応援タオルも持ってきちゃったよ」と残念がる。選手の演技終了後、応援タオルを振って演技をたたえるのもファンのしみのひとつ。

 ss席の10列目。ちょっと斜めの会場。さいたまスーパーアリーナ。
 前年までの座席数に比べると、空きが見られました。


 三浦佳生選手は4回転ループ、4回転トウループ、4回転サルコウを成功させ、169.94点 。自己ベストですが、ジャパンオープンは公式試合ではないので、記録はつきません。でも一生懸命すべった姿、とてもよかったです。美女と野獣の王子の衣裳でしたが、優勝インタビューでは「ビューティ2割でビースト8割」と話していましたが、優美さも出していました。

 坂本香織選手はさすがの「女王」のすべり。


 けがから1年半ぶりに試合復帰した紀平梨花選手は、113.44点。まだまだ本格復帰のすべりではありませんでしたが、これから調子を上げていくでしょう。坂本香織選手と宇野昌磨選手はともに快調。よって、チームジャパンは優勝しました。



 北アメリカもヨーロッパも、日本に比べるとメンツがちょい弱かった。
 32歳チェコのミハル・ブレジナは、チャレンジしたジャンプすべてに失敗して、「ころんだ減点その他減点」が「6」になり、私が見たフィギュアの「ころんだ減点」の最高記録になりました。でも、ブレジナ、好きですよ。
ジェイソンブラウンも好きだし、4回転アクセルを成功させたイリヤ・マりニンも生で見ることができ、楽しめたジャパンオープンでした。

 振り付けや後進指導で長く日本のフィギュアスケート界に貢献してきた佐藤 有香さんが、スケーターとしては引退。今後はコーチとして指導や解説などの仕事を通じてフィギュアスケートとかかわっていきます。有香さんのスケーター引退セレモニーも見ることができて、よかったです。



<つづく>
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ぽかぽか春庭「フィン・ユールとデンマークの椅子展 in 東京都美術館」

2022-10-13 00:00:01 | エッセイ、コラム


20221013
ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩工芸の美(6)フィン・ユールとデンマークの椅子展 in 東京都美術館

 10月1日、東京都美術館を観覧。都民の日無料公開の日でしたから、大勢の人が集まっていました。13時に整理券をもらって16時に入場。
 フィン・ユールを中心にデンマークの工芸デザイナーの作品が椅子やテーブルなど、美しく機能的なデザインが並んでいました。

 入場待ちの列から階下を写す。

 
 東京都美術館の口上
 デザイン大国として知られるデンマークでは、1940年代から60年代にかけて、歴史に残る優れた家具が生み出されました。デンマークのデザイナーのなかでも、フィン・ユール(1912-1989)は、ひときわ美しい家具をデザインしたことで知られます。優雅な曲線を特徴とするその椅子は、「彫刻のような椅子」とも評されます。
 本展は、デンマークの家具デザインの歴史と変遷をたどり、その豊かな作例が誕生した背景を探るとともに、モダンでありながら身体に心地よくなじむフィン・ユールのデザインの魅力に迫る試みです。椅子のデザインにはじまり、理想の空間を具現した自邸の設計や、住居や店舗、オフィスのインテリアデザイン、そしてアイデアを伝えるために描いたみずみずしい水彩画まで、フィン・ユールの幅広い仕事を紹介します。椅子という、あらゆる日常を支える身近な家具にあらためて光を当てる本展が、新しい生活を模索する私たちが快適に生きるためのヒントを見つける機会となれば幸いです。

 写真撮影禁止の展示室もありましたが、原則撮影自由なので、どの椅子もすてきで、どの椅子も記念に撮っておきたくて、迷いました。

 フィンユールの部屋の再現
 フィンユールデザインの食器

 「あ、このデザインの椅子を使っているホテルのロビーに行ったことある」というポピュラーな椅子もあったし、「え~、こんなデザインの椅子、見たことない。座り心地はどうなんだろう」と思うものもありました。




 ありがたいことに、第4室に展示されていた椅子は、観客が座ってよい展示です。
 観客は、かわるがわる座ってみて、座り心地を楽しんだり「家を新築するときはこんな椅子とテーブルほしいね」と、家族で話していたり。

 私と娘も、かわるがわるいくつかの椅子に座ってみました。

 
 娘も「椅子だけの展示なのに、とても楽しめた」と言っていました。無料観覧、よい都民の日になりました。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「アジアの漆工芸展 in 東京芸大陳列館」

2022-10-11 00:00:01 | エッセイ、コラム

20221011
ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩工芸の美(7)アジアの漆工芸展 in 東京芸大陳列館

 10月1日、都民の日の無料施設公開日に東京都美術館へ。そのついでといってはなんだが、無料で公開されているので、東京芸術大学陳列館にも立ち寄りました。
 「無料だから美術館に入ってみようか」という善男善女が都美にわんさかおしかけたため、入場整理券が必要になり、13時に都美に到着して手にいれた整理券は16時。それまでの「時間つぶし」として芸大陳列館に入ったのですが、思いがけず美しい漆芸作品を眺めることができました。

 ミャンマーに赴任したさい、機織りや陶器工房などを見学したのですが、機織りの織り子は「朝から夜まで降り続けて一日200円ほどの工賃」だと言っていたし、陶芸工房で長年壺の絵付けをしているおじいさんも、恵まれてはいない印象でした。
 しかし、芸大陳列館に作品を出している作家たちは、みな作品にタイトルをつけ作者名を作品の前に掲げていて、「職人」ではなく、「工芸作家」として一家を構えている人たちのようでした。アジアの工芸大学の教授をしている人も多かった。

 私は「名もなき職人が作った」という工芸のほうが好きなのですが、アジア全体でまだまだ職人が恵まれない環境で仕事をしていることを思うと、一部の人であっても、アートとしての作品を評価されてアーティストとして工芸に携わる人が増えてきたことは、喜ぶべきことなのでしょう。
 陳列館2階には、芸大の漆芸専攻学生の作品もあったのですが、見る時間がなくなりました。
 会場で放映していた「アジア各地の漆芸制作風景」のビデオをじっくりと見ていて、都美の整理券時間になってしまったので、ちょっと残念ですが、2階の学生作品、もしかしたら50年後には「人間国宝」とか呼ばれる作家さんになるのかもしれなかったけれど、次の機会に。

 ビデオで製作過程が紹介されていましたが、漆に埋め込む顔料の実物展示。


 ヴェロニカ・グリツェンコ(ウクライナ→ミャンマー)(ブラックエレファント工房)」

 ミャンマーのバガンには2回訪問したのですが、タクシーの運転手が連れていかれた場所はお寺めぐりばかりで、ブラックエレファント工房を訪れる機会がなかったのが残念。
 ウクライナのキーウ科学技術大学で物理学を専攻したヴェロニカ・グリツェンコが、ミャンマーの漆工芸に魅せられてバガンに移住。新しい意匠もとりいれて作品を作っています。
 蓮の花や葉は伝統的なモチーフですが、彼女がデザインしたのは「キンマ」の葉。キンマは、東南アジアの人々の嗜好品で、どんな街角にも売っている、葉っぱ。たばこより安い。噛むと出てくる赤いつばをぺっぺと吐き出すので、私は葉っぱを眺めてみようとも思わなかったのに、彼女は美しい漆器のデザインに取り入れました。

 ミャンマー・インレー湖近辺で製作された漆の供物器。


 工芸作家の作品も、「名もなき職人」が作った伝統的工芸品もいっしょに並んでいるのがよかった。

 
 漆工芸を絵画としてにも、抽象画も出てくる。ベトナムうるしのコン・キム・ホア作「The Shine」

 ドゥ―・ドック・カイ「ハッピー」
 

 


<つづく>
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ぽかぽか春庭「ビクトリアン宝飾展 in 八王子夢美術館 」

2022-10-09 00:00:01 | エッセイ、コラム


20221009
ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩工芸の美(5)愛のヴィクトリアンジュエリー華麗なる英国のライフスタイルin 八王子夢美術館

 八王子駅からバスに乗り、八王子夢美術館へ。市立の小さな美術館です。8月24日に観覧。

 八王子夢美術館の「愛のヴィクトリアンジュエリー華麗なる英国のライフスタイル」は、ヴィクトリア女王時代に確立された英国式ライフスタイルの紹介と、女王時代に発達した服飾品宝石の展示です。
 英国が栄華を極めた時代といえば、エリザベス一世の時代、ヴィクトリア女王時代。さきごろ亡くなられエリザベス二世。なかでも、現在まで続く英国式生活スタイルは、多くがヴィトリア時代にイギリス全土に広まった風習が多く、午後、集まった人々が優雅にスコーンや紅茶を楽しむのアフタヌーンティとか、白いウェディングドレスとか、イギリスの習俗と思っているライフスタイルは、ヴィクトリア朝に広まったものが多いのです。

会期: 2022/7/1(金)〜2022/9/4(日)

 八王子夢美術館の口上
 1837年、18歳の若き女性が王位を継承し、大英帝国の頂点に立ちました。栄華を極めたヴィクトリア時代の幕開けです。「太陽の沈まない帝国」と呼ばれ世界中の物資がもたらされた英国では、金や銀、ダイヤモンドに象牙など、様々な富が美しいデザインのジュエリーとして享受されました。またアフタヌーンティーや今日のウェディングも、ヴィクトリア女王の時代に完成されたものです。

 本展覧会では、ヴィクトリア時代のイギリス王室にまつわる宝飾品など、技巧を凝らしたアンティークジュエリーの数々を、アフタヌーンティーの豪奢な銀食器やアンティークレースなどとあわせて紹介します。伝統と文化、華麗なる英国のライフスタイルをお楽しみください。

 エリザベス2世が在位記録を塗り替えるまで、ヴィクトリア女王は63年の長きにわたって、大英帝国に君臨しました。政治や外交の中心だったばかりでなく、ライフスタイルのさまざまな面でヴィクトリア女王がイギリス全土及び植民地の生活スタイルに多大な影響を与えたのです。
 「愛のヴィクトリアンジュエリー華麗なる英国のライフスタイル」の展示では、宝飾品・衣服や家具に至るまで、午後のアフタヌーンティなどのライフスタイルの確立など、ヴィクトリア時代の生活様式まで再現されており、興味深く観覧しました。

 第1章は、アンティークジュエリー。アンティークと呼んでいいのは、100年以上前の時代のもの。今回は18世紀と19世紀に制作され、人々を飾ってきた宝飾品を中心に展示されています。
 大英帝国の威信によって世界各地の植民地から集められた宝石もあiりますが、デザイナーの意匠によって、ヴィクトリア時代までは服飾には使われてこなかったガラスや鉄などの材料によって、さまざまな宝飾品が生み出されました。



 第2章は、ヴィクトリア女王時代のライフスタイル。ウェディングドレスやアフタヌーンティセット、アンティークレースなどの展示が華麗でした。
 ヴィクトリア女王は母方のいとこアルバートと恋愛によって結ばれ、4男5女を出産。結婚式に白いレースのドレスを身に着けたのもヴィクトリアが始めたことだし、アルバートが若くして亡くなったあと、喪服として黒いドレスを着つづけたのもヴィクトリアから。

 黒い喪服


 ヴィクトリア時代にイギリスにひろまったライフスタイルとして午後のアフタヌーンティの習慣があります。インドなどの植民地から茶葉輸入が盛んになったこと、中国や日本からティーセットやディナーセットなど陶磁器の輸入が盛んになったことなどにより、イギリス中の家庭で午後に紅茶を飲み、スコーンやサンドイッチなどの軽食をとることが流行しました。

 アフタヌーンティに使われた家具セット。
 

 銀製のティーセット

 会場の外に、ポスターといっしょに撮影できる場所があり、ティアラやネックレスを身に着けて写真をとれるお遊びコーナーをたのしむことができました。
 春庭もティアラを頭にのせて撮影して見ましたが、自撮りを見てつくづくと「ティアラの似合う風体ではない」と納得したので、ネックレスティアラ無いバージョンの写真を。それでも「気分は女王様」です。
 「オッほっほ、膝まづいて 足を お 、、!」あ、そっちの女王様じゃないな。

 

<つづく>
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ぽかぽか春庭「オールドノリタケ×若林コレクション in 横浜そごう美術館」

2022-10-08 00:00:01 | エッセイ、コラム


20221008
ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩工芸の美(3)アールヌーヴォーからアールデコに咲いたデザイン オールドノリタケ×若林コレクション in 横浜そごう美術館

 日本の陶磁器は江戸時代からオランダとの貿易を通じて、西欧へ輸出され王侯貴族にもてはやされてきました。明治時代に入ると、政府の殖産興業政策にのっとり、欧米新興ブルジョア階級にまで販路を拡大してさかんに輸出されるようになりました。
 ノリタケはアメリカに支店を設立し、輸出を行いました。

 各地の美術館で若林コレクションの展示が開催されているのに。「コレクターの若林氏」というのが何者なのか、キャラクター説明をしているサイトがみつからなくて、知りたがりの春庭はもどかしかったですが、「コレクター若林」が何者なのか、追求。
 関西在住の若林経子さん、2022年に81歳。
 戦後の物のない時代に、物々交換によって若林さんの家に一客のオールドノリタケのティーセットがもたらされました。若林経子さんは、その美しさに魅せられて、収集を始めました。現在ではオールドノリタケの陶磁器やデザイン画など250点以上を集め、『オールド・ノリタケ名品集 里帰りした陶磁器Masterpieces of Nippon porcelain』という本を2001年に出版、各地での美術館でコレクションを公開しています。たぶん、会場グッズ売り場ににこの本も並んでいたのでしょうに、グッズ売り場では絵ハガキしか目に入らない春庭なので、本にも気づいていませんでした。(1枚100~160円の絵ハガキ以外に買う予算ないから)

会期:2022年9月10日(土)~10月16日(日) 会期中無休 

 会場にずらりと並んだ若林コレクション。海外流出していた作品もオークションなどで1点1点集めてきた、という貴重な品々。こんなティーセットでお茶を飲んだり花瓶に花を投げ入れたりすることもないだろうと思いつつ、会場をめぐりました。

 ティーセットが並んでいるテーブル


 そごう美術館の口上
 明治の開国後、世界に向けて開かれた港「横浜」。激動の時代のなか、森村市左衛門と大倉孫兵衛―横浜にゆかりあるふたりの出会いは、オールドノリタケの発展に大きく貢献しました。

 オールドノリタケとは、明治中期から第二次世界大戦期にかけて、森村組および日本陶器(現・株式会社ノリタケカンパニーリミテド)によって製作・販売・輸出された陶磁器です。19 世紀後半、欧米では万国博覧会が各地で開催され、日本をはじめとする異国への関心が高まりを見せます。そのなかで、明治政府の殖産興業政策の一環として陶磁器の生産が強化され、万国博覧会などを通じて欧米諸国に紹介されました。

 こうした時代に創業されたのが森村組です。森村組と、森村組の関連会社として設立された日本陶器は、アメリカの販売拠点であるモリムラブラザーズとの協同により、当時の欧米の顧客ニーズをいち早く取り入れ、新しいデザインの陶磁器を次々と生み出していきました。

 本展では、オールドノリタケの陶磁器やデザイン画などをご紹介いたします。アールヌーヴォーの華麗な絵付けを施された作品や、アールデコの可憐なモチーフが儚く咲いた作品など、欧米に学びながらも独創性を開花させた意匠、技法、器種を網羅する若林コレクションから、オールドノリタケのさまざまに咲いた色彩とデザインをお楽しみください。

 作品目録はもらいましたが、図録と見比べないと、作品名などはわからなくなってしまいます。図録買えばいいのに、ケチるから。
でも、「色絵金彩藤文花瓶1891-1921年頃 」という作品名や制昨年はわからなくなっても、この藤の絵の花瓶の美しさは心に残りますから、9月10日の眼の保養を並べていきます。実物が見たい方は、若林コレクションの展示は10月16日までですから、横浜に駆け付ければ間に合うし、別の美術館でご覧になるチャンスがあると思います。

 色絵金彩藤文花瓶1891-1921年頃 




 かわいい人形の作品もありました。

デザイン画の展示

 ティーセットの横で


<つづく>
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ぽかぽか春庭「日本伝統工芸展 in 日本橋三越」

2022-10-06 00:00:01 | エッセイ、コラム
20221006
ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩工芸の美(2)第69回日本伝統工芸展 in 日本橋三越

 久しぶりに日本橋三越の「日本伝統工芸展」に出かけました。
 毎年展示があることは知っていました。昔、息子が中学生のときに伝統工芸展を見たいというので見にきて、三越の食堂でごはんを食べるとき、息子が「お客様に、こういう丁寧すぎる応対する店だと落ち着かない。デニーズみたいなマニュアル通りの応対しかできない店員がいる店が気楽」という感想だったので、なるほど我が家は団地のファミレス階級なのだなと納得した思い出があります。

 平日の水曜日でしたが、なかなかのにぎわいだったので、おや、昔は客などまばらだったのに、けっこう伝統工芸が人気復活なんだなと思ったのですが、そうではないようで。
 展示初日だから、真子さんから日本伝統工芸会名誉会長を引き継いだ佳子内親王がオープニングセレモニーにご臨席。というので、えらいさんたちがぞろぞろ出席して、えらいさんのお弟子筋も引き続き見ていたりしたゆえの「初日にぎわい」だったのでした。
 会期:2022年9月14日(水)〜9月26日(月)

 三越の口上
 日本の優れた伝統工芸の保護と育成を目的に、公益社団法人 日本工芸会が毎年開催する日本工芸の技と美が集結する公募展。陶芸、染織、漆芸、金工、木竹工、人形、諸工芸7部門の一般公募作品1,158点より厳正な鑑審査を経て選ばれた入選作491点と重要無形文化財保持者(人間国宝)の最新作を含む558点を一堂に展覧いたします。

 受賞作品がずらりと並んでいました。禁止マークのある作品以外は撮影自由ということでしたが、美しい作品があまりにたくさんあるので、撮影するにも迷う。

 会場内、ガラス作品、染色作品、陶芸作品が並んでいる様子。


・河野祥篁 透網代花籠「朝露」(木竹工)本工芸会総裁賞

 ポスターの写真に出ているので、たぶん、これが最高賞なのでしょうね。

・田中義光 蒔絵箱「凛花」(漆芸)高松宮記念賞

・隠﨑隆一 備前白泥混淆花器(陶芸)文部科学大臣賞


・須藤靖典 乾漆蒔絵漆箱「果てしなき」(漆芸)日本工芸会保持者賞


・氣賀澤雅人 硝子切子鉢「波瑠璃」(諸工芸)NHK会長賞


・神垣夏子 籃胎蒟醬箱「幻想」(漆芸)日本工芸会奨励賞


・佐竹孝子 木綿風通織着物「宙」(染織)日本工芸会新人賞



・満丸正人 木芯桐塑布和紙貼「夕浜」(人形)日本工芸会奨励賞


・川邉雅規 硝子鶴首花入「凛然」(諸工芸)日本工芸会新人賞


 私が観覧した9月14日の次の日曜美術館で、日本伝統工芸展を取り上げていました。硝子鶴首花入「凛然」も、紹介されており、なんだかよくわからないのですが、とても難しいガラス工芸の技が使われている作品なのだと解説されていました。「わぁ、こんな首の長い花瓶をつくるの、ガラスでたいへんだろうなあ」という単純な見方でしたから素人の悲しさ、そんな高度な技なのだということも気づかずに眺めていたのでした。

 たくさんの美しい作品、よいひとときを過ごせましたが、高齢者春庭、最後に三越をでるとき、こけました。三越の敷地と歩道の切れ目に、3cnほどの段差があったのです。「えっと都営線の日本橋はどっちかな」と、目が泳いでいたために、段差に気づかず、思いっきり前のめりに倒れて、若い女性に「大丈夫ですか」と声をかけてもらいました。が、自力で立ち上がる。たぶん、ひざを擦りむいた傷くらいのものだと思って心配へのお礼を言って駅へ。
 高齢者はよそ見して歩いてはいけない、という教訓を得た三越。
 無料につられて見にきて、けがをしたらたいへんなことになるところでした。

<つづく>
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