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ぽかぽか春庭「2018年8月目次」

2018-08-30 00:00:01 | エッセイ、コラム


20180830
ぽかぽか春庭2018年8月目次

0802 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記燃える夏(1)報道写真展2018 in 東京都写真美術館 & コミットメントとは
0804 2018十八番日記燃える夏(2)納涼食事会
0805 2018十八番日記燃える夏(3)納涼落語 by 金原亭世之介独演会 in 池袋演芸場

0807 ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>夏のことば(3)黒い雨 by 井伏鱒二
0809 夏のことば(2)原子爆弾 即興ニスギズ by 原民喜
0811 夏のことば(3)写文・屍の街 by 原民喜
0812 夏のことば(4)写文・祈りのかわりに~にんげんをかえせ by 峠三吉
0814 夏のことば(5)慟哭 by 大平数子
0816 夏のことば(6)球場のナイン vs 窮状の9

0818 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記涼をもとめて(1)モネの庭
0819 2018十八番日記涼をもとめて(2)やっちゃんとドライブ&バレエリハーサル
0821 2018十八番日記涼をもとめて(3)やっちゃんと清里散歩
0823 2018十八番日記涼をもとめて(4)やっちゃんと清里滝巡り&聖アンデレ教会
0825 2018十八番日記涼をもとめて(5)ドン・キホーテ in 清里フィールドバレエ
0826 2018十八番日記涼をもとめて(6)モモと清里めぐり
0828 2018十八番日記涼をもとめて(7)ニーナ・アナニアシヴィリ、スペシャルガラ
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ぽかぽか春庭「ニーナ・アナ二アシヴィリガラ in 清里フィールドバレエ」

2018-08-28 00:00:01 | エッセイ、コラム

ニーナ・アナニアシヴィリの海賊パドゥドゥ、カーテンコール

20180828
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記涼をもとめて(6)ニーナ・二アシヴィリガラ in 清里フィールドバレエ

 11日午後、妹モモと「ニーナ・アナニアシヴィリ スペシャルガラ」のリハーサルを見てすごしました。
 八王子を拠点とするバレエ団「バレエ・シャンブルウエスト」の団員と主催者川口ゆり子のリハ。
 私と妹が見ている間はニーナは登場せず、夕ご飯を食べるために、オーべルジュ・ファーストトレインにもどったあとに場当たりを行ったのかもしれません。

 スペシャルガラの第1部は、ドン・キホーテより第3幕。キトリ川口まりバジル藤島光太。川口まりは、2017年のローザンヌコンクール出場者のひとり。名前から見て、主催者川口ゆり子の親族かしら。川口ゆり子は、1950年生まれ。川口まりは2017ローザンヌ出場時には高校卒業間近だったと思うので、娘じゃないとおもうのだけれど、姪?。バレエ団員の席次では早くも上位に来ているので、ただの一団員バレリーナじゃない印象。

キトリ川口まりバジル藤島光太。

 
 川口ゆり子は「竹の幻想」よりコノハナサクヤヒメとニニギノミコトのパドゥドゥに出演。


 バレエシャンブルウエストの男性ダンサー。ジョン・ヘンリー・リード。10日夜のドン・キホーテでは、ドン・キホーテ役。11日夜は、ニーナの相手役海賊パドゥドゥのアリ役です。


 バレエ団員総出演という感じのケークウォーク




 5時半からの夕ご飯。11日夜は、オーナーシェフが自宅の燻製窯で作ったスモークミートスペシャルコースでした。しかし、私は、前夜の遅刻にこりてゆっくり味わうこともせず、大急ぎで食べました。妹モモは「夕べ、せっかくのフルコースだったのに、急いで食べちゃったから」と、のんびりしていて、デザートまであわてずさわがず時間をつかいました。
 それで、またまた7時の開園時間に遅れたのです。く~!
 でも、11日夜は、10分ほどの遅刻でしたから、指定席につくことができました。

 リハーサルで見た「ドン・キホーテ・パドゥドゥ」や「竹の幻想」、やはり、照明があたると雰囲気が変わります。「ケイクウォーク」も、楽しい群舞でした。

 そして、お待ちかねのニーナ・アナニアシヴィリの「瀕死の白鳥」
 サンサーンスの「白鳥」にのせて、優雅な白鳥が舞いました。腕の動き、ポールドブラがすごい。プリンシパルとしてバレエ団を担うのは引退したとはいえ、ゲスト出演は続けているニーナ、表現力はすばらしい。

 ニーナは、1963年グルジア(現ジョージア)の生まれ。スターリン政権下の大粛清のため、元貴族の一家はほぼ全員が粛清され、ニーナの父親だけが生き延びた、という育ちなのだそうです。(父は靴職人、母は農奴という「まったき労働者階級」の生まれのスターリンにとって、元貴族なんてのは抹殺しなければならない人々だったでしょう)。

 ニーナはフィギュアスケート大会優勝から見出されてバレリーナとなり、着実にキャリアを築きました。ボリショイバレエ団に1981年から20年間所属、ソ連崩壊後、アメリカンバレエシアターのプリンシパルとなり、2009年に引退。

 現在は、ふるさとのジョージアで、ジョージア国立バレエ団の芸術監督に就任し、後進の指導に当たりつつ、ゲストバレリーナとして、世界で踊っています。
 ニーナ、55歳ですが、鍛えた身体はとても美しい。川口ゆり子は68歳ですし、森下洋子は私よりひとつ上の70歳で現役バレエダンサーですからね。私もまだまだジャズダンスがんばらなくちゃ。あはは、年齢だけ比べてもしかたないけれど。心意気です。

 ニーナは、2017年に日本の旭日中綬章を受章。2016年から山梨県清里高原の萌木の村での野外バレエに出演。2016年には雨で踊れませんでしたが、2017年にはジゼルとスペシャルガラに出演。
 2018年の雨はどうか、、、、
 
 第1幕が終わって、休憩中「なんとか雨はもちそうか」と思ったら、第2幕に入ったら雨。
 「海賊」メドーラとアリのグラン・パ・ドゥドゥをニーナが踊るのを見たから、残りのオダリスクや花園は見られなくても仕方ないか、とも思いましたが、みな、雨が止むのを辛抱強く待っています。
 やがて雨も小降りになり、萌木の里の舞台拭きふき隊が雑巾モップがけで舞台をととのえ、舞台再開されました。

 カーテンコールは撮影自由。


 萌木の村フィールドバレエ名物の花火も見ることができました。


 オーベルジュ・ファーストトレインの12日朝のブレックファスト。ちょいこじゃれた朝ごはんは、やっちゃんなら「上昇気流のほうが気楽でいい」というかも。


 ファーストトレインの内装は、アンティーク家具や楽器が並べられています。


 ファーストトレインの前で。
 若いころ、妹モモは「ふたごですか」と問われるたびに「私のほうが5歳下ですっ!」と答えていたが、なに、還暦過ぎれば5歳下も上もありゃしない、同じようなもん、と姉の弁。
 体形ふたご。


 12日朝、チェックアウトしたあと、モモはおおいそぎで群馬に帰りました。12日夜は、次女一家、姪っ子(姉の長女)一家とキャンプ&バーベキュー大会があるので、準備しなくちゃと、なんとも大忙しのスケジュール。

 私は、清里駅まで送ってもらったあと、ピクニックバスで清里南側を一周(一日券千円)。30分くらい。
 それからサンメドゥズ清里というスキー場のある施設まで行ってみました。スキーリフトで山の上まで行ったらまた景色がいいかと思ったのですが、あいにく霧が出てきたので、山頂はあきらめて、下りのバスを待つことに。まだちょっと時間があると思ってレストランでソフトクリームを食べていたら、下りのバスに乗り遅れてしまい、2時間も待つはめに。その間雷雨。雷雨のため、リフトは運転中止となっていたので、乗らなくて正解でした。

 ようやく雨が小降りになり、清里駅へ戻りました。
 清里駅でも次の電車を90分待ちました。14時50分発と思って待っていたら、電車こないので、駅員さんに聞いたら、15時50分発だといわれました。私の勘違い。
 12日は、バス待ちと電車待ちで終わりました。

清里駅
 

 小淵沢からホリデー快速「ビューやまなし号」で帰京。(快速なので、普通乗車券のみ)新宿から山手線まわりで帰宅しました。
 とても楽しく、東京よりは涼しい3泊4日の清里でした。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「モモと清里めぐり」

2018-08-26 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180826
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記涼をもとめて(5)モモと清里めぐり

 フィールドバレエを見に来ている清里。
 夜はバレエ見物ですが、昼間は、清里観光あれこれ。毎年来ている妹モモは、もう清里の主だった名所はほとんど行きつくしていて、11日昼のあいだは部屋でゆっくりしていて、午後、バレエのリハーサルを見ようという計画でした。

 2日続けて泊まるのでチェックアウトしないのだから、ホテルのように部屋ですごしていいのだと思ったていたら、オーナーマダムの千鶴さんは「おそうじの間、お客様には外出していただいています」と言う。しかたないので、外出することに。

 まず、北斗市の道の駅南清里の近くにある「こいのぼりの里」へ。ケーブルカーで行ける展望台があるというので、涼しさと山の景色を求めて、展望台まで行ってみることにしました。妹モモは、高所恐怖のケがあるので、カフェで休憩することに。私一人でケーブルカーに。

 まごい駅とでひごい駅の間を「こいのぼり号」が往復します。
 

 展望台からの景色は、きれい。


 涼しいかと思った展望台周辺の「花の森公園」は、とっても暑くて、展望台に上って四方の写真を撮ったらもう何もすることがないので、そのまま下りました。名物だという窯焼きピザは閉店中だったし、あまり好きじゃない赤いサルビアの花以外には咲いていない時期だし 


 八ヶ岳山麗は、牧畜が盛ん。牛たちも、狭い牛舎で暮らすより、広々とした牧場の草を好きに食べて、お肉も上質になるんでしょう。それを食うのはわたしたち。

 
 妹がいつもfacebookチェックしている「八ヶ岳ホースケア牧場」へ行ってみたいと言う。
 ホースケア牧場は、年をとった馬やケガなどの休養をとる馬を預けるための牧場です。
 競馬用の馬など、一部の特別な馬は繁殖用に残されるものの、一般競争馬は、走れなくなると容赦なく馬肉にされてしまうと聞いていました。(馬刺、けっこう好きですけど)

 このホースケア牧場は、八ヶ岳南麓の夏涼しい気候のもとで高齢馬や休養を要する馬が過ごせる牧場として開場しました。

 私はお馬たちの顔ばかり写真とっていて、牧場全体の写真を撮り忘れました。↓は、ホースケア牧場のブログに出ている借り物。


 馬の預託費用は高いのだろうと思うのですが、愛馬の余生に心くだく馬主も多いとみえて、2011年に開場して以来、馬たちは広々した牧場ですごしています。厩舎の環境もよさそうで、高齢馬、故障馬のケアに心をくだいてきた牧場主さんの心遣いが伝わります。
 牧場主さんがいればいつでも見学OK。

アンジェラ号だったけな。

名前忘れてしまいました。
  

 妹モモは、起きている間じゅう、しゃべり続ける人です。テレビだと、明石家さんまもしゃべり続ける人だそうですが、さんまは面白いギャグ満載のおしゃべりなのに対し、モモは、ずっと愚痴つづき。

 清里に来る前、モモのお舅さんが亡くなり、葬儀や家の始末が大変だったと。モモの亭主てっちゃんは長男なのに、結婚後、私の実家で私の父と暮らすことを選びました。そのころは、てっちゃん父は再婚して、継母所生の弟もいたので、継母との折り合いがよくないのかと思っていたのですが、、、、。結婚後わかったことは、てっちゃんは父親から離れたかったみたい。父親はたいそう変人で、父の家を出たい、というのが、「ますおさん結婚」の実情だとわかった、という妹の話。継母は、とてもよい人だったそうです。

 その変わり者の舅の介護がいかにたいへんだったか、葬儀の始末がどれほど苦労だったかを延々と愚痴ります。介護の世話も経済的な支援もいっさいしないできた舅の親族が葬儀となるとしゃしゃり出てくるってのは、よくある話。

 それにひきかえ、私たちの実父は、「検査入院」と言って入院してから1ヶ月で亡くなってしまいました。父の死は悲しかったけれど、姉妹交替で病院詰めもして「できることはしてやれた、十分なことをして亡き母のもとへ送り届けた」という「お見送りのこころがまえ」もできたあとでの葬儀だったので、始末がよかった、という妹の実感。
 やはり、死ぬのも一仕事。後始末をきちんとしておかないと、残されたものはたいへんだとよくわかります。

 そのほかの妹の話題は、もっぱら長女の息子、次女の長男次男長女、合計4人の孫について。ケータイの写真もたっぷり見ました。次女の娘は、朝起きてから夜寝るまでしゃべり続ける子だそうです。モモ次女はあまりしゃべらないのに、モモの隔世遺伝か。
 姉の孫は、長女に4人、次女に2人。私の両親には、合計10人のひ孫ができたので、もう十分かなと。私が孫を持たなくても、「非生産的」と非難されることもないと思うのだけれど。
 
 余生をすごす馬たちが、十分なケアを受けているのを見ていると、感じること。与党のえらいさんたちは、「役にたたなくなった競走馬は馬肉」という馬の扱いと同じ思想で人間をみているんだろうなあ、と少々せつなくなります。
 産業の役に立たなくなった高齢者は「早く死ぬのが最後のおしごと」と邪魔者扱いされてしまうのかと。「LGBTは子供を作らず、再生産できない人たち」という発言は、障碍者や高齢者その他をどう見ているのか、よくわかる発言です。でも、みながその与党を多数派として選挙で選ぶのだから、たぶん、みんな「自分は役立たずじゃない」と自信をもっているんでしょうね。来年古希の私は、「よぼよぼ高齢者」として排除される日も近いと思っています。

 SF小説では、未来のできごととして「仕事を持たず、働けない人間は、安楽死センター行き」というのが出てきますけれど。私にはそれが「ありえない」ことじゃないように思います。
 ジョージ・オーウェル『1984』に描かれた全体主義は、姿かたちをかえてこの社会に実現していると思いますから。

 妹と昼ご飯は、レストランRoCKのカレー。私には2日続けてになりましたが、萌木の村の名物ですから、妹も{カレーを楽しみにしていた}というので。おいしいので、2日続けてカレーもOK。

 11日午後は、フィールドバレエ最終演目の「ニーナ・アナニアシヴィリ ガラ」のリハーサルを見ました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ドン・キホーテ in 清里フィールドバレエ」

2018-08-25 00:00:01 | エッセイ、コラム

清里フィールドバレエ・ドン・キホーテカーテンコール

20180823
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記涼をもとめて(4)ドン・キホーテ in 清里フィールドバレエ

 八ヶ岳山麗清里。
 料理がおいしいオーベルジュ・ファーストトレイン。私は5時半からの晩御飯を先に食べ始めました。

 ファーストトレインCコース(フルコース)。
 本日は、前菜、レタスサラダとジャガイモポタージュ、牛肉と魚のテリーヌ、デザート。デザートは、まっちゃスフレとブルーベリームース。

 やっちゃんとファーストトレインテラスでお茶を飲んで妹を待っている間、オーベルジュオーナーシェフが前に広がっている自家菜園でブルーベリーやハーブを摘み取っているのを見ていました。オーナーは、摘みたてブルーベリーの味見をさせてくれました。そのブルーベリーがムースになって今日のデザート。
 おいしかったですが、バレエの開演時間があるので、さっさと食べて、ゆっくり味合わうことできず。写真も撮るのを忘れてしまいました。

 6時すぎ、ようやく妹モモが到着。毎回、モモの長女が運転していたので、久しぶりにひとりで運転してみたら、萌木の村までは順調だったのに、ファーストトレインまでの小道に入ったら、道がわからなくなり、行ったり来たりしてしまったのだって。
 お料理、せっかくのフルコースなのに、モモは大慌てでかっこむ。
 妹のコースを写真に撮りました。





 7時から開演なのに、妹が遅刻したために、指定席へつくことができませんでした。
 ドン・キホーテ第1幕を、自由席一番うしろで見ることに。
 第一幕が終わり、指定席に移動したとたんに、清里名物の突然の雷雨。

 幕間休憩が終わっても雨は降り続きます。清里フィールドバレエでは毎度のことなので、観客は配布されたレインコートを着て待っています。私は妹が用意してきたポンチョで椅子ごとすっぽりと包み、じっとしていました。これで上演中止になったら、遅れた妹を責めるところでした。

 15分間の幕間休憩からさらに20分ほど待つと、雨脚弱くなってきました。萌木の村スタッフは、大型モップと雑巾でステージを整えます。毎年必ず雷雨があるので、手慣れています。

 第2幕から指定席でのバレエ観覧。ドン・キホーテはテレビのバレエ中継で見たことがあるだけで、舞台で見たのははじめてです。
 10日夜の主役キトリは松村里沙。相手役バジルは江本拓。ドン・キホーテはジョン・ヘンリーリード。

 舞台終了後、カーテンコールは撮影OK。




 バレエでは、ドン・キホーテは狂言回し的な役割で、主役はキトリとバジル。
 若い二人がさまざまな障害をはねのけて結ばれるまでが、ドン・キホーテとサンチョパンサのコミカルな踊りをはさんで展開します。

 白鳥の湖では黒鳥の「32回転グランフェッテ」が見どころになっていますが、ドン・キホーテでは、キトリが「32回転グランフェッテ」を見せます。
 「回転軸は1か所で」というのが上手なグランフェッテなのですが、雨上がりのステージなのでフィギュアスケート「スピンのトラベリング」状態になってしまい、だいぶん軸が移動してしまいました。これだけ見たら審査員ならグランフェッテに厳しい点数をつけるところかもしれません。しかし、私は9日昼に、キトリとバジルのパドゥドゥリハーサルを見ていたので、「やはり雨上がりのステージは滑りやすいのだなあ」と納得。

 場面転換の間、ドン・キホーテとサンチョが客席に降りて、ぬいぐるみやお菓子をプレゼントしてくれる演出もありました。子供だけでなく、大人にも配っていたので、妹といっしょに手を挙げてアピールしたのですが、もらえませんでした。残念。
 キトリとバジルの結婚式シーンでは、フィールドバレエ名物の花火もあがり、楽しい一夜でした。 

<つづく>
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ぽかぽか春庭「やっちゃんと清里滝巡り&聖アンデレ教会」

2018-08-23 00:00:01 | エッセイ、コラム

清里吐龍の滝

20180826
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記涼をもとめて(3)やっちゃんと清里滝巡り&聖アンデレ教会

 やっちゃんは、10日は、清里の滝巡りをしたいという私の希望に合わせてくれたのですが、実は「滝は群馬県のほうが数多いし、見事な景観の滝をたくさん見てきたから、それほど清里の滝に期待していない」と言っていました。

 朝ごはん前の萌木の村散策で見た千ケ滝は、遠くから見ただけだったせいもあり、やっちゃんの「滝基準」の審査では「群馬の滝の方がいいなあ」とのことでした。

 萌木の里から少し車で行った先には、大滝があります。こちらは、滝審査員のおめがねにかなうかどうか。 

 大滝入り口


 大滝へ降りていくには、渓谷の下まで険しい山道の階段を下りていかなければなりません。下りはともかく、滝を見た後の登りはきつかった。

 大滝の前で

 
 大滝は、滝つぼの深さ3メートルと説明が出ていて、水量も豊富でした。「うん、これはいいね」と、やっちゃんの滝審査にも合格。


 大滝にはドローン撮影をしているカップルがいました。いまどきは、趣味の撮影でもインスタグラムにのせておくと買い手(クリック)がつくのだとか。一枚1円というくらいの値段ですが、ヒットすると撮影した写真で生活できる人も出てきたそうで、こどもが将来なりたい職業にyoutuberを上げるのもわかります。

 経済のことわからないですけれど、政府はDNP産出基準に、従来のような生産中心でなく、レンタルやシェア市場も算入することにした、と新聞に出ていました。仮想通貨はじめ、従来の生産観とは異なる状況になっていることを、理解しているんでしょうか。
 youtuberの中は、クリックしてもらうことで生活している人もいるのに、その人たちは「生産性がない」ってことになっているのかしら。

 産業や生産の基準が変わってきたのに、いまだに「LGBTには生産性がない」と言う議員もいて、考え方が世の中の変化についていけない与党なんだなあとつくづく思います。ものの生産と売り買いだけがGNPではないし、子供を産むだけが愛し合うカップルの役目でもない。第一、人間の存在を「再生産できるかどうか」で決めようとする思想はおそろしい。そういえば、「排卵しなくなった婆さんは無用の存在」と言った元都知事もいましたっけ。

 「無用の存在」になっている婆ふたり、大滝を堪能して、次は吐龍の滝へ。

 吐龍の滝入り口前には、清里めぐりのバスも止まります。バス停から滝までは、観光客向きの遊歩道。


 途中、野辺山線の鉄橋の下をくぐります。


 吐龍の滝の前でやっちゃんと


 やっちゃんは、さらに先の奥まで行くというので、私は吐龍の滝の前で待つことにしました。大滝への下り登りですっかりくたびれてしまったのです。90分、のんびりベンチに横になっていました。
 戻ってきたやっちゃんは、「往復、楽しかったよ。かなりきつい道だったから、HALちゃんは行かなくて正解だった」と言っていました。

 ↑の「吐龍の滝」入り口看板の右側に出ている人は、聖教会派の宣教師ポール・ラッシュ(Paul Rusch 1897-1979)です。
 ポール・ラッシュは、日本にアメリカンフットボールを伝えた人であり、清里入植者に清里の土地に合う酪農を勧めた人です。「清里の恩人」として、みなに尊敬されています。

 ポール・ラッシュが建てた教会を見にいきました。
 聖アンデレ教会は、日本人信徒の生活習慣に合わせた畳敷きの教会として建てられました。今では畳の上にいすもおかれていますが。



 教会南側
 

 納骨堂にはポール・ラッシュの遺骨も収められているそうですが、そちらは見学できません。
 第二次大戦中は、米陸軍の語学将校養成にあたり、日本語教育を行ったという人なので、いつか業績をくわしく知りたい人のひとりです。

 2時半過ぎに昼ごはん。5時半にはオーベルジュでバレエ公演前に夕食が出るので、蕎麦屋で軽めの昼食。ざるそばと天婦羅。

 3時半にオーベルジュ「ファーストトレイン」にチェックイン。
 部屋で妹の到着を待っていようと思ったのですが、セキュリティがどうこうで、部屋に宿泊者以外は入れないというので、外のテラス席で「ウェルカムティ」を飲みながら待つことにしました。

 ドライローズが入れてあるすてきなティでしたが、やっちゃんはお茶を運んでくれたオーナーマダムの千鶴さんの優美な姿を見て、やや気後れ。「上昇気流のおっさんのほうが、気を使わない感じでいい」と言います。
 やっちゃんは、ちょっと気取った雰囲気とか、優雅優美とかがまったく性に合わないのです。

 10日にやっちゃんが着ていたのは、どこそこからもらったというピンクと白の横じまポロシャツ。私が「ウォーリーを探せで、ウォーリーが来ているシャツみたい」というと、「なんじゃそりゃ」と笑っていました。私とやっちゃんの共通項は、服装にまったく興味がなく、何を着ていてもいいってこと。

 妹は、「午後1時ごろ家を出ます」というメールを寄こしていたので、「ぜったいに2時過ぎるよ」とやっちゃんに言ったのですが、はたして2時半になって、「まだ家。夕ご飯に遅れるから、先に食べていて」というメールが来ました。

 やっちゃんは、妹モモが着いたら群馬に帰ると言って、5時までテラスでおしゃべりしながら待っていてくれたのですが、「山道暗くなる前に」と、帰りました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「やっちゃんと清里散歩」

2018-08-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180821
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記涼をもとめて(3)やっちゃんと清里散歩

 やっちゃんとペンション上昇気流の朝ごはん前に、早朝散歩。
 やっちゃんは、元理科教師ですから、虫、花、石の観察と収集が趣味のひとつ。
 いろいろ教わりながら花や虫を見て歩きました。
 
 やっちゃんは、大きなスズメバチの巣をみつけて、「あれ、欲しいなあ。冬になって蜂が死んだら、取りに来たいなあ」と言っていました。
 夏のスズメバチは攻撃力が強いですけれど、冬には働きバチはみな死んでしまい、巣を出た女王バチだけが落ち葉の下などで越冬できるそうです。私は、スズメバチもミツバチのように越冬できると思っていましたから、スズメバチの巣は冬にからっぽになる、ということを初めて知りました。

 自然が好き、と言いながら自然の姿を何も知らない都会人が多い、なんて思っていましたが、自分自身が自然を知らない都会人。群馬で生活したのは20年。東京に出てきて48年ですからね。

 花の名前、ひとつひとつ教わったのですが、聞いたときはふんふんと思っても、みんな忘れてしまいました。
 覚えているのは、「これは毒だからさわっちゃだめ」というきのこと、かぼちゃの花と同じズッキーニの花くらい。

 ズッキーニと毒キノコ


 くずの花とごぼうの花。
 ごぼう、食べられる根っこしか見たことなく、花は初めて見ました。くずは、根っこも見たことなく、クズ粉のクズ餅になったのしか知りませんでした。(もっとも、私がスーパーで買うクズ餅は、本物のクズ粉をつかっちゃいないが。クズ粉は高い)

 
 コスモスの花は花びらがふちどりで珍しいとやっちゃんが言っていました。


 名前忘れた清里の花々


 萌木の村の林の道を行くやっちゃん


 林を抜けて、萌木の村近くにある千ヶ滝を見ました。


 やっちゃんは、山菜取りが趣味のひとつで、山歩きをしながら県内のほとんどの滝を見てきたそうです。千ケ滝は、群馬の滝に勝ってないそうです。 

 ペンション上昇気流に戻って、散歩の汗をながすために、朝風呂。
 露天風呂は。朝の景色もさわやかで、林の雰囲気がよかったです。

 上昇気流。外観、見た目は悪くないです。


 朝ごはんもまあまあ普通。
 
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「やっちゃんとドライブ&バレエリハーサル」

2018-08-19 00:00:01 | エッセイ、コラム

清里萌木の村野外バレエリハーサル

20180819
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記残暑ざんしょ(2)やっちゃんとドライブ&バレエリハーサル

 やっちゃんから「夏休みにあーそびーましょ」とメールがきました。東京下町を散歩したいという。下町散歩ゆうても、この猛暑の中歩きまわったら、来年は古希の婆ふたり、熱中症は必至。もっとも、やっちゃんは、早朝、大学の馬術部指導で野外活動には慣れている。倒れてしまうのは私。

 そこで、私の夏休み予定を話しました。10日、11日は、妹と八ヶ岳山麓清里に宿泊して、夜に行われる野外バレエ公演をみる予定。妹は毎年この野外公演のバレエを見ていますが、私は4年ぶり。夏は、ヤンゴンに滞在していたり、いろいろあって、出かけられなかったのです。そこで、たっぷりと清里高原を楽しむために、妹より一日前に清里にでかけることにしました。

 妹の定宿は料理自慢のオーベルジュ。その「ファーストトレイン」はバレエ公演時期にはすぐに満室になってしまい、9日の一泊はとれませんでした。そこで、その隣のペンション「上昇気流」を予約。部屋はツインだけれど、シングルで泊まるなら千円増し、ということになっていたのですが「ツインの部屋だから、もうひとり泊まれるよ」と、やっちゃんを誘いました。
 やっちゃんは車で馬術試合が開かれる小淵沢まで往復していて、清里への道は慣れているというので、私も同乗させてもらうことに。
 ガソリン代と運転手代はやっちゃん持ち、私は宿代持ち。下町散歩は、涼しくなってからと、約束完了。
 
 やっちゃんは、「私の人生、馬うま馬」という人。県馬術連盟の審判を務め、毎朝地元の大学馬術部のコーチと馬の世話。さまざまな馬術大会に出かけて、競技審判を務めたり、馬が規定にあっているかを審査したり。
 8月はじめにも小淵沢で行われた馬術競技大会のスタッフをつとめてきたばかり。しかし、いつも清里は素通りなので、「たまには清里観光もいいね」と、いっしょに行ってくれることになりました。

 やっちゃんの運転でドライブ。「兄貴にもらったプリウス。ナビはついているけれど、入力の仕方がわからないから使ったことない」というアナログやっちゃん。

 下仁田をすぎ、荒船山の脇を通り、快適に走ります。「高校の遠足で荒船山に登ったよね」と、思い出話に花が咲きました。当時、私は眼鏡をかけたりはずしたりしていたため、荒船山頂で休憩したとき、汗をぬぐうため眼鏡をはずし、岩の上に眼鏡を置いといてそのまま忘れて下山したのが一番の思い出。

 佐久市で一休み。やっちゃんは、佐久市の旧中込(なかごみ)学校に案内してくれました。擬洋風建築の文化遺産です。赤坂迎賓館をいっしょに見たとき、「私の趣味のひとつは古い建物を見ること」と、言ったことあるので、連れて行ってくれたのです。
 旧中込小学校、すてきな明治の小学校でした。(旧中込小学校の建物訪問記はのちほど)

 ランチは、中込学校の近くにあるピザ屋で。やっちゃんの元同僚だった先生が開いたお店ですって。

 清里への道々、9日10日の観光予定を話しました。9日、宿にチェックインしたら、私はバレエ公演のリハーサルを見たい、そして10日は、清里の滝巡りをしたい。やっちゃんは、私の希望に合わせてくれることになりました。

 野外バレエが行われる萌木の村の大看板前。


 宿は、いつも妹と泊まるオーベルジュ「ファーストトレイン」の隣の「上昇気流」というペンション。
 ファーストトレインは、夏も早々に予約で満杯になるのに、上昇気流はいつ見ても、どの日も「4室以上空き」のマークが出ていて、あまりの人気のなさにちょっと不安も感じました。清里のペンション、どこも夏場の書き入れ時。それなのに、空きがありすぎじゃないか。「上昇気流」というネーミングから見ると、山の斜面でハンググライダーでもやっていた人がオーナーなのか。
 オーナーの私たちよりちょっぴり年下の初老男性、人はよさそうなんだけれど、、、、。昔は登山ガイドをしていたけれど、年取ったので、今は山へ行くこともなくなったそうです。

 口コミサイトには、オーナーは人がよいが、宿泊施設としてのサービスはあまり、、、、、と出ていました。歯ブラシ、バスタオルなどのアメニティなし。その通りでした。タオルも歯ブラシも持っていったから、いいけど。風呂場のシャンプー低品質という口コミ。その通り。髪がごわごわになりました。(シャンプーはいつも妹が持ってくるので、荷物に入れていませんでした)。

 夜中、階段がぎしぎし大きな音で鳴る、という口コミ。その通り、夜中にギシギシ音で目が覚めました。

 「上昇気流」の部屋は、ツインベッドが二室つながっている4人部屋。部屋に衣装ダンスも冷蔵庫もついていない「ベッドだけの部屋」ですが、小さいテレビはおいてありました。やっちゃんは、「テレビを見ながら寝るのが好き」というので、テレビがあるほう。私はもうひとつの部屋にしました。

 部屋に荷物を置いて、バレエのリハーサルを見に出かけました。
 リハーサルは、夜7時から行われる公演の「場当たり」が主要なポイント。振り付けは八王子にあるバレエ団「バレエシャンブルウエスト」でしっかりと練習してきています。どの場面でも今村博明総監督と、弟子筋の指導者からマイクの声がとび、舞台の位置取りの確認が行われました。



 9日夜は、この「萌木の村野外バレエ」で一番多く上演されている「ジゼル」。9日夜のジゼルは、バレエ団の主宰者川口ゆり子です。私は、2014年にも川口ゆり子のジゼルを見ているので、今回はジゼルのチケットはとらず、リハーサルだけ見ることにしたのです。(リハーサル観覧は無料)
 10日夜はドン・キホーテ、11日夜はニーナ・アナニアシヴィリ・ガラ。2夜のチケットは妹モモが指定席を予約してあります。

 ジゼル主役の川口ゆり子には、今村監督も注文なし。40年間川口&今村バレエ団を続けてきた夫妻ですから、以心伝心なんでしょ。


 昼間のリハーサルですから、照明がなく、ダンサーも軽い調整で、衣装を着ていない人もいるし、衣装の下に冷え対策のレッグウォーマーやレオタードを着ている。でも、部分部分の動きはきちんとやっていますから、リハーサルも楽しく見ていられます。

 やっちゃんは、そもそもバレエを見たことがない。バレエにまったく興味のないやっちゃんですから、「途中で飽きたら、この萌木の村の周辺を散歩してきてね」と、言ったのですが、4時半から6時まで、リハーサルをいっしょに見ていてくれました。
 もし、私が馬術競技の練習風景をおつきあいで見たとしても、30分が限度かも。ホースショーや競技本番なら90分は見ていられるけれど。
 趣味も違い、性格も明るく社交的なやっちゃんが、高校時代から根暗で人とつきあいの少ない私と友達でいてくれて、ありがたい。

 バレエ看板の前


 やっちゃんに「ジゼル」のあらすじを解説。ついでにやっちゃんの斜め前で指示を出している今村博明総監督は、国際ヴァルナバレエコンクールの審査員をつとめていることを解説。馬術競技の審査員をつとめるやっちゃんなので、踊りそのものよりも「審査をする」ということに興味があるかも。


 
 9日のジゼルリハーサルほか、10日のドン・キホーテも主役キトリとバジルのパドゥドゥリハーサルがありました。


 リハーサル風景。照明はないけれど、背景の森の間からのぞく青空もきれいで、やっちゃんにもバレエの楽しさがわかってもらえたかな。やっちゃんは「とにかく足が頭の上までピンと伸ばせるのでスゴイ」と感嘆していました。

 ふたり交替で「バレリーナになったつもり」写真を撮り合いました。

 
 晩御飯は、萌木の村レストランROCKで、名物カレー。カレーにハムソーセージオードブルをつけて。やっちゃんは、隣のテーブルの焼肉を見たら食べたくなり、追加。
 ちょい食べすぎですが、ふたりとも大食い大満足でした。


 上昇気流のお風呂は、貸し切り露天風呂。宿泊客はひとり旅の高齢男性と、家族5人組。晩御飯のあとは、バレエを見に行く客なので、その間、露天風呂はふたりでのんびりできました。
 清里は星空の美しさもウリのひとつですが、9日夜は雲が多く、星は見ることができませんでした。やっちゃんはライトアップで清里の森を眺められる露天風呂が気に入ったみたい。

 やっちゃんは「馬の次にテレビ大好きっこ」で、「テレビ見たまま寝るのが好き」。
 9日夜は、女子ソフトボールのオーストラリア対日本の試合を見ながらベッドに寝転がる。私もソフトボールの試合を見ました。

 やっちゃんは、18歳で大学進学と同時に馬術を始めましたが、中学高校6年間はソフトボールのピッチャー&4番打者。女子高グランドでカッコよくボールを投げるやっちゃんを、あこがれの目でながめている「遠巻きファン」のひとりだったのに、今ではいっしょに旅できるなんて、ファン冥利につきます。

 ソフトボール試合は、満塁の剣が峰。ここでピッチャー交替。上野由岐子登場。やっちゃんの高校時代の雰囲気は上野とよく似ています。上野は、ぴたりと三振で打ち取り、押さえました。すごいねぇ、さすが上野だねぇ、と二人で感嘆。
 やっちゃんは地元企業の社員だった上野のサインももらってあるそう。いいなぁ。
 やっちゃんが大学でソフトボールを続けなかったのは、体が小さくて、高校レベルではなんとかなったけれど、大学レベルではレギュラーにもなれない、と思ったから。

 テレビ見ながらよもやま話。
 「獣医学部の推薦入学を狙ったけれど、ソフトボールばっかりしてて、勉強しなかったから、推薦落とされた。先生は、内申成績にだいぶゲタはかせたって言ってたけどナァ。しかたないから、一般入試受けて、獣医学部は偏差値高いから、酪農学部に入った」という。
 北海道の酪農大学で乗馬に出会い、以来50年間馬とともに過ごしてきました。

 やっちゃんの息子さんも、最近「乗馬クラブ」の仕事をはじめたという話を聞きながら、寝つきました。
 「朝、早起きして萌木の村のまわりを散歩しよう」と約束したのですが、途中、階段のギシギシ音で目が覚めました。もう一度寝ましたが、二度目の寝つきが悪く、あまり早起きはできませんでした。

 10日は、早朝散歩。午前午後清里の滝巡り。夜、妹モモと野外バレエ。盛りだくさんなスケジュールです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「モネの庭」

2018-08-18 00:00:01 | エッセイ、コラム

デパートの屋上にあるモネの庭

20180818
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記涼をもとめて(1)モネの庭

 8月7日、池袋で友人K子さんとランチしたあと、おつかいものの菓子折りを買うためにデパートへ。最初東武に入りましたが、西武の屋上に「モネの庭」がオープンしたという記事を思い出して西武に行きました。

 印象派の画家モネは、ジャポニスム大好き。浮世絵の収集のほか、日本風の庭園を自宅に作り、池のスイレンを繰り返し描きました。
 ジヴェルニーに残された「モネの庭」は、今では観光客が引きも切らず訪れる名所になっています。
 フランスジヴェルニーに行ってみたいなあと思っていましたが、おふらんすは遠い。
 「ふらんすへ行きたしと思へどもふらんすはあまりに遠し」と、朔太郎が言ったときほどは遠くなくなったけれど、なにせ、フランス行きの飛行機代もない生活。

 モネが描いた「モネの庭・ニッポンの橋」


 四国にこのジヴェルニーの庭をそっくり再現した「モネの庭」ができたことは、だいぶ前に知ったのですが、フランスほどではなくても、四国も私のふところには遠い。

 2000年に高知県安芸郡北川村野友に「北川村モネの庭マルモッタン」というのができました。四国にお遍路にでたときは寄りたいなあとおもってきたのですが、それからだって早20年近くたちました。
 北川村モネの庭は、ジヴェルニーのそっくりさんコピー庭ですが、デパート屋上は、「ニッポン橋」がある周辺の再現、ミニ版モネの庭です。
 池袋に行く用事があれば寄ってみようと思っていて、8月7日の雨の日に実現しました。

 
 
 モネがジヴェルニーの庭で繰り返し描いたスイレン。
 ↓は、ビュールレコレクション展で。
 ↓だけは撮影自由でしたが、人がいっぱいで、人が映り込まないように撮影することはむずかしかったです。人がいないチャンスは少なかったので、あわてて撮って斜め画像に。


 屋上庭園のスイレン


 西武9階屋上。火曜日の午後、雨が降ったりやんだりの天気なので、庭を見にくる客はぼつぼつ程度です。写真を撮るのに他の見物者が入り込まないようにするには、少々待つ、という程度の混みようで、ゆっくりできました。

 池のまわりからミストが出ています。ときおり雨も降るのに、ミスト必要かなあと思いながら、しばしの涼しさを味わいました。

 庭園の手入れをする係員が池の草を刈ったりしていました。造園設計と管理手入れは日比谷アメニスという造園会社。私は日比谷花壇という名は知っていましたが、日比谷アメニスと改名していたことは知りませんでした。
 手入れの監督に来たらしい係員さんに写真を撮ってもらいました。ジヴェルニーに行った気分で。



 デパートの屋上、いろんなタイプがありますが、西武のモネの庭、一休みするにはいい場所と思います。気候天気のいい日は、こんなにのんびりできないのかもしれないけれど。

 <つづく>
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ぽかぽか春庭「球場のナイン vs 窮状の9」

2018-08-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180816
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>夏のことば(6)球場のナイン vs 窮状の9

 ベートーベンの第九のメロディで憲法9条を歌っています。歌手はボーカロイド。

https://www.youtube.com/watch?v=oKMcuWrcJyI

第九条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


 球場のナインの皆さまも、サッカー場のイレブンの方々も、バスケットボール場のファイブも、どうぞ、窮状の「9」を読んでくださいませ。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「慟哭 by 大平数子」

2018-08-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180814
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>夏のことば(5)慟哭 by 大平数子

 祈りとしての夏の朗読。
 「慟哭」は、吉永小百合さんによる朗読が有名ですが、どうぞ、ご自身の声で朗読してみてください。

 大平数子(1923-1986 広島の爆心地より2.2kmの地点で被爆。体内被曝の次男は、生後間もなく死去。夫も被爆により死亡。 

『少年のひろしま』より

「あい」
逝ったひとはかえってこれないから
逝ったひとは叫ぶことが出来ないから
逝ったひとはなげくすべがないから
生きのこったひとはどうすればいい
生きのこったひとは何がわかればいい
生きのこったひとは悲しみをちぎってあるく
生きのこったひとは思い出を凍らせて歩く
生きのこったひとは固定した面(マスク)を抱いて歩く


(原爆より三日目に吾が家の焼けあとに呆然と立ちました)
めぐりめぐってたずねあてたら まだ灰があつうて
やかんをひろうてもどりました
でこぼこのやかんになっておりました

「やかん」
やかんよ
きかしてくれ
親しい人の消息を

やかんがかわゆうて
むしように
むしようにさすっておりました 

坊さんが来てさ
くろいものを着てさ
かねをならしはじめると
母さんに見つめられて
あかるい灯明のむこうに
おまえたち
てれているのさ
ぽろ ぽろ
いとすいせんの匂う下で
母さんに叱られたとき
おまえたち
やったように
ちょっと泣き顔なのさ



「月夜」
もう寝たかい
もうねたかい
まだかい
もうねたろう
はよう
ねてくれよ
よんでいる
だれかよんでいる
むこうのほうでよんでいる
くずれながら
よせてきながら
母(ママン)ー
どこかでよんでいる
母(ママン)ー
沖の方でよんでいる

夕方
花やの前を通ると
花たちがいっせいにこっちを見る
チューリップも
アネモネも
スイートピーも
ヒヤシンスも
それからフリージアも
みいんな
手を出して
連れてかえってくれという
母さんに抱かれていたい言う


「失ったものに」
まちにあったかい灯がとぼるようになった
ふかふか ふかしたてのパンが
ちんれつだなにかざられるようになった
中学の帽子が似合うだろう
今宵かじるこのパンを
たべさしてやりたい
はらいっぱいたべさしてやりたい
女夜叉(おんなやしゃ)になって
おまえたちを殺したものを
憎んで、憎んで、憎み殺してやりたいが
今日は
母さんは空になって
おまえのための鳩を飛ばそう
まめつぶになって消えていくまで
とばしつづけよう

「慟哭」(しょうじ=次男)(やすし=長男)
しょうじ よう
やすし よう

しょうじ よう
やすし よう

しょうじ よおう
やすしい よおう

しょうじい よおう
やすしい よおう

しょうじい
しょうじい
しょうじいい



「母」
風さん 風さん 風さん
あなたが世界中をくまなく吹いて
どこかでわたしの子どもを見かけたら
わたしが
待って待って
待ちくたびれて
それでも
のぞみを捨てないで
まだ
待っているからと
あの子に伝えて下さいな

お月さん お月さん お月さん
あなたは
1年 365日
そうして歩いておいでだから
あなたは何でも見えるでしょうから
私の子どもが
道が多くて帰れないと
泣いていたなら
迷わずまっすぐ帰ったらいいと
おしえてやって下さいな

つばめさん つばめさん
あなたがいた みなみの国に
もしや わたしの子どもが
帰るのを忘れて 遊んでいやしないでしょうか
あの子はものおぼえのいいこだから
きっとわたしを
思いだしてくれるでしょうけれど
南の国はあったかいから
南の国はいっぱいいっぱい花が匂うているから
花の香りにむせて
私の子どもが帰るのを忘れているかも
しれないのです
もし
あなたが私の子どもを見かけたら
私が待っているからと
あの子に伝えて下さいな
ザクザクザク
山里にみぞれ降る
ゆきの重さ
悲しみの重さ
とてつもなくながいよると
とてつもなくみじかいひると
とてるもなくながいよると
とてつもなくみじかいひると

「こどもたちへ」
こどもたちよ
あなたは知っているでしょう
正義ということを
正義とは
つるぎをぬくことでないことを
正義とは
”あい”だということを
正義とは
お母さんを悲しませないことだということを
みんなお母さんの子だから
子ども達よ
あなたは知っているでしょう。



吉永小百合朗読(ピアノ坂本龍一) 峠三吉「にんげんをかえせ」大平数子「慟哭」
オックスフォード大学での朗読

https://www.youtube.com/watch?v=lEalWrdso8w

*大平泰(やすし1942~ 広島県榎町生まれ。2歳2ヶ月で被爆。父、弟、祖母が被曝死。中国新聞論説委)。
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ぽかぽか春庭「写文・祈りのかわりに~峠三吉にんげんをかえせ」

2018-08-12 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180812
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>夏のことば(3)写文・祈りのかわりに~にんげんをかえせ by 峠三吉


峠三吉



ちちをかえせ ははをかえせ

としよりをかえせ

こどもをかえせ


わたしをかえせ わたしにつながる

にんげんをかえせ


にんげんの にんげんのよのあるかぎり

くずれぬへいわを

へいわをかえせ

~~~~~~~~

八月六日


あの閃光が忘れえようか

瞬時に街頭の三万は消え

圧おしつぶされた暗闇の底で

五万の悲鳴は絶え


渦巻くきいろい煙がうすれると

ビルディングは裂さけ、橋は崩くずれ

満員電車はそのまま焦こげ

涯しない瓦礫がれきと燃えさしの堆積たいせきであった広島

やがてボロ切れのような皮膚を垂れた

両手を胸に

くずれた脳漿のうしょうを踏み

焼け焦こげた布を腰にまとって

泣きながら群れ歩いた裸体の行列


石地蔵のように散乱した練兵場の屍体

つながれた筏いかだへ這はいより折り重った河岸の群も

灼やけつく日ざしの下でしだいに屍体とかわり

夕空をつく火光かこうの中に

下敷きのまま生きていた母や弟の町のあたりも

焼けうつり


兵器廠へいきしょうの床の糞尿ふんにょうのうえに

のがれ横たわった女学生らの

太鼓腹の、片眼つぶれの、半身あかむけの、丸坊主の

誰がたれとも分らぬ一群の上に朝日がさせば

すでに動くものもなく

異臭いしゅうのよどんだなかで

金かなダライにとぶ蠅の羽音だけ


三十万の全市をしめた

あの静寂が忘れえようか

そのしずけさの中で

帰らなかった妻や子のしろい眼窩がんかが

俺たちの心魂をたち割って

込めたねがいを

忘れえようか!

~~~~~~~~





泣き叫ぶ耳の奥の声

音もなく膨ふくれあがり

とびかかってきた

烈しい異状さの空間

たち罩こめた塵煙じんえんの

きなくさいはためきの間を

走り狂う影

〈あ

にげら

れる〉

はね起きる腰から

崩れ散る煉瓦屑の

からだが

燃えている

背中から突き倒した

熱風が

袖で肩で

火になって

煙のなかにつかむ

水槽のコンクリー角

水の中に

もう頭

水をかける衣服が

焦こげ散って

ない

電線材木釘硝子片

波打つ瓦の壁

爪が燃え

踵かかとがとれ

せなかに貼はりついた鉛の溶鈑ようばん

〈う・う・う・う〉

すでに火

くろく

電柱も壁土も

われた頭に噴ふきこむ

火と煙

の渦

〈ヒロちゃん ヒロちゃん〉

抑える乳が

あ 血綿けつめんの穴

倒れたまま

――おまえおまえおまえはどこ

腹這いいざる煙の中に

どこから現れたか

手と手をつなぎ

盆踊りのぐるぐる廻りをつづける

裸のむすめたち

つまずき仆たおれる環の

瓦の下から

またも肩

髪のない老婆の

熱気にあぶり出され

のたうつ癇高かんだかいさけび

もうゆれる炎の道ばた

タイコの腹をふくらせ

唇までめくれた

あかい肉塊たち

足首をつかむ

ずるりと剥むけた手

ころがった眼で叫ぶ

白く煮えた首

手で踏んだ毛髪、脳漿のうしょう

むしこめる煙、ぶっつかる火の風

はじける火の粉の闇で

金いろの子供の瞳

燃える体

灼やける咽喉のど

どっと崩折くずおれて



めりこんで



おお もう

すすめぬ

暗いひとりの底

こめかみの轟音が急に遠のき

ああ

どうしたこと

どうしてわたしは

道ばたのこんなところで

おまえからもはなれ

し、死な

ねば



らぬ


~~~~~~~~~~




衝つき当った天蓋てんがいの

まくれ拡がった死被しひの

垂れこめた雲の

薄闇の地上から

煙をはねのけ

歯がみし

おどりあがり

合体して

黒い あかい 蒼あおい炎は

煌きらめく火の粉を吹き散らしながら

いまや全市のうえに

立ちあがった。


藻ものように ゆれゆれ

つきすすむ炎の群列。

場とさつじょうへ曳ひかれていた牛の群は

河岸をなだれ墜おち

灰いろの鳩が一羽

羽根をちぢめて橋のうえにころがる。

ぴょこ ぴょこ

噴煙のしたから這い出て

火にのまれゆくのは

四足の

無数の人間。

噴き崩れた余燼よじんのかさなりに

髪をかきむしったまま

硬直こうちょくした

呪いが燻くすぶる


濃縮のうしゅくされ

爆発した時間のあと

灼熱しゃくねつの憎悪だけが

ばくばくと拡がって。

空間に堆積たいせきする

無韻むいんの沈黙


太陽をおしのけた

ウラニューム熱線は

処女の背肉に

羅衣うすぎぬの花模様を焼きつけ

司祭の黒衣を

瞬間 燃えあがらせ

1945, Aug. 6

まひるの中の真夜

人間が神に加えた

たしかな火刑。

この一夜

ひろしまの火光は

人類の寝床に映り

歴史はやがて

すべての神に似るものを

待ち伏せる。

~~~~~~~~~

盲目


河岸におしつぶされた

産院の堆積たいせきの底から

妻に付き添っていた男ら

手脚をひきずり

石崖の伝馬てんまにあつまる


胸から顔を硝子片に襲われたくら闇のなか

干潟ひがたの伝馬は火の粉にぬりこめられ

熱に追われた盲めしい

河原に降りてよろめき

よろめく脚を

泥土に奪われ


仆たおれた群に

寂漠せきばくとひろしまは燃え

燃えくずれ

はや くれ方のみち汐しお


河原に汐はよせ

汐は満ち

手が浸り脚が浸り

むすうの傷穴から海水がしみ入りつつ

動かぬものら

顫ふるえる意識の暗黒で

喪うしなわれたものをまさぐる神経が

閃光の爆幕に突きあたり

もう一度

燃尽しょうじんする


巨大な崩壊を潜くぐりこえた本能が

手脚の浮動にちぎれ

河中に転落する黒焦くろこげの梁木はりぎに

ゆらめく生の残像


(嬰児えいじと共の 妻のほほえみ
  透明な産室の 窓ぎわの朝餉あさげ)



そして

硝子にえぐられた双眼が

血膿ちうみと泥と

雲煙の裂け間

山上の

暮映ぼえいを溜ため

~~~~~~~~~

<つづく>
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ぽかぽか春庭「写文・屍の街 by 原民喜」

2018-08-11 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180812
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>夏のことば(3)写文・屍の街 by 原民喜

 8月6日から15日まで、「私的平和週間」として、戦争文学原爆文学とくくられている作品の中から、毎年少しずつ抜粋し、朗読することで、私にとっての祈りの言葉、私のとっての写経と思ってすごしております。かってのあの日々を忘れないために。
~~~~~~~~~~

「屍の街」原民喜

 私はあのとき広島の川原で、いろんな怪物を視た。男であるのか、女であるのか、ほとんど区別もつかない程、顔がくちゃくちゃに腫れ上って、随って眼は糸のように細まり、唇は思いきり爛れ、それに痛々しい肢体を露出させ、虫の息で横たわっている人間たち……。だが、そうした変装者のなかに、一人の女流作家がいて、あの地獄変を体験していたとは、まだあの時は知らなかった。

 「なんてひどい顔ね。四谷怪談のお岩みたい。いつの間にこんなになったのかしら」と大田洋子氏は屍の街を離れ、田舎の仮りの宿に着いたとき鏡で自分の顔を見ながら驚いている。それから、無疵だったものがつぎつぎに死んでゆく、あの原子爆弾症の脅威を背後に感じながら「書いておくことの責任を果してから死にたい」と筆をとりだす。こうした必死の姿勢で書かれたのがこの「屍の街」である。銅色に焦げた皮膚に白い薬や、油や、それから焼栗をならべたような火ぶくれがつぶれて、癩病のような恰好になっていた。これは、この著者が目撃した、惨劇の一断片であるが、こうした無数の衝撃のために、心の傷あとはうずきつづけるのだ。著者は女性にむかってこう訴えている。

 生きなくてはならない一人の女の右手が、永久にうしなわれて行くのでしたら、戦争そのものへの抗議と憎悪が日本中の女の胸に燃え立つはずです。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「原子爆弾 即興ニスギズ by 原民喜」

2018-08-09 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180809
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>夏のことば(2)原子爆弾 即興ニスギズ by 原民喜

毎年、写経のかわりに、詩や小説の文の中から書き写しをして、朗読します。祈りが届かなくなっていくような世の中ですが、この祈りをやめてしまったら、私が私でなくなるような、にんげんでなくなるような気がしてしまいますので。
 青空文庫からの引用です。入力ボランティアに感謝しつつ、コピーさせていただきます。
 来てくださる人も稀な春庭サイトですが、もし、おいでいただいたなら、これから3回ほどの写文、どうぞ、声を出して朗読してくださいますよう。今回は原民喜の俳句、次回,原の小説から。峠三吉、大平数子と続きます。
~~~~~~~~~~~~~

原子爆弾 即ニスギズ」原民喜

夏の野に幻の破片きらめけり

短夜をタオれし山河叫び合ふ
(タオれし:タオの漢字は[血]プラス[ト])

炎の樹雷雨の空に舞ひ上る

日の暑さ死臭に満てる百日紅

重傷者来て飲む清水生温く

梯子にゐる屍もあり雲の峰

水をのみ死にゆく少女蝉の声

人の肩に爪立てて死す夏の月

魂呆けて川にかがめり月見草

廃虚すぎて蜻蛉の群を眺めやる


<つづく>
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ぽかぽか春庭「写文・黒い雨 by 井伏鱒二」

2018-08-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180807月
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>夏のことば(3)黒い雨 by 井伏鱒二

 8月に山の日を作って、旧盆時期にも「happy summer holiday」と人々を浮かれさせたいという方針もあろうかとは存じますが、私は、8月6日から15日まで、「私的平和週間」として、戦争文学原爆文学とくくられている作品の中から、毎年少しずつ抜粋し、朗読することで、私にとっての祈りの言葉、私のとっての写経と思ってすごしております。かってのあの日々を忘れないために。
 むろん、せっかくの山の日、遊びに参ります。清里高原にて、祈りの朗読つづけます。
~~~~~~~~~~

黒い雨 by 井伏鱒二
(原爆投下の直後の描写)

 車内の人たちの意見を綜合すると、閃光が煌いた瞬間にドガンという音がしたという説と、ザアとかドワァツという音がしたという説に分けられる。僕としては、ドガンという音がしたとは云いかねる。ドワァッという音であった。
 爆発地点は大体に於て丁字橋附近だろう。それを中心に、二キロ以内、またはそれ以上に近い圏内にいた人たちは、ドガンという音を聞かなかったようだと云っている。

 四キロも五キロも離れたところにいた人たちも、一様にピカリの閃光を見て数秒後に、ドワァッという音を聞いたと云っている。風圧の音か爆発音ではなかったかと思う。この音と同時に、窓硝子が吹きとばされ、家がぐらりと揺れ動いたそうだ。

 爆発で中天に生れた入道雲を、僕はクラゲの形の大入道だと見た。近距離で見たのと遠距離で見たのでは形が違っている筈だ。乗客のうちには、松茸型の雲だったと云う人もいた。

~~~~~~~~~~

 奈良岡朋子による、『原爆の子(新藤兼人監督作品)1952』出演の思い出と、『黒い雨』朗読です。
 
https://www.youtube.com/watch?v=JpCELJobnkA

1.奈良岡朋子が『原爆の子』に出演したころの回想
2.『黒い雨』前半朗読
3.奈良岡朋子の空襲体験と疎開の思い出、疎開先弘前で聞いた玉音放送
4.『黒い雨』後半朗読
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「納涼落語 by 金原亭世之介独演会 in 池袋演芸場」

2018-08-05 00:00:01 | エッセイ、コラム


20180805
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記燃える夏(3)納涼落語 by 金原亭世之介独演会 in 池袋演芸場

 暑いです。もともとヤワな春庭の右脳も左脳も燃えたぎっております。
 池袋演芸場で「金原亭世之介独演会」を聞きました。日ごろ薄ぼんやりと生きていて、この夏の猛暑に右脳も左脳もさっぱり働かなくなって春庭の、脳活です。
 7月30日、6時開場、6:30開演。

 最初に登場したのは、世之介の二番弟子、金原亭杏寿。まだ前座にもなっていない見習いですからから、名前の「めくり」もありません。

 二番弟子は、一番弟子の金原亭乃ゝ香のあとを引き継いで、世之介師匠が大学の客員教授として出講するとき、教室に座布団を運んだりなどの師匠の世話する役をこなしています。世之介教授の担当授業「情報・メディア表現B」の受講生たちに、教室に高座をもうけて一席うかがったこともあります。

 教室での金原亭安寿のミニ高座。先生が講義している教室の脇に高座がしつらえてあり、学生は、横を向いて聞いています。(画像借り物。肖像権に問題ありの場合削除します)


 杏寿は、2017年の11月に、女優として所属していた芸能プロダクションを円満退社し、世之介に入門。今はまだ見習いです。前座になるには最低10席の噺を師匠の前でうかがい、合格点をもらわなければならない、というのが落語界の暗黙のしきたりだそうですが、杏寿は半年で5席まで覚えたところ。と、ブログに書いていましたから、きっと近々前座になるでしょう。

 某所でこの杏寿さんを見かけて、「高座でのお名前はなんていうの」と質問したことがありました。「あんじゅ」とおっしゃるので、「安寿と厨子王かしら」とたずねると、「あんずにことぶき」と教えてくれました。見習いとして師匠のお世話をしながら、噺を稽古中というので、「何席覚えましたか」と質問すると、「まだ五席」といっていましたが、それから3か月の7月には、師匠の独演会で一席うかがうようになっているのですから、たいしたものです。

 杏寿の先輩、一番弟子乃ゝ香さんは元ミスキャンパスのべっぴんさん。そして二番弟子杏寿さんは、沖縄出身の元女優さん、一番におとらず美人です。乃ゝ香さんのブログタイトルが「もしも女子大生が落語家になったら」であるのに対して、杏寿さんのブログは「沖縄女優が落語家になったわけ」
 うん、美人度もブログUP度も切磋琢磨の女弟子。

 杏寿の一席は「寿限無」。
 いまやNHK教育テレビの「にほんごであそぼ」でも、子供たちが声をそろえて「じゅげむじゅげむごこうのすりきれかいじゃりすいぎょの~ちょうきゅうめいのちょうすけ」と暗唱している寿限無ですから、前座噺、見習い噺としてどういうふうに演じるのかと、聞き入りました。

 杏寿の語り口は、名前の部分を超高速活舌でもって「寿限無じゅげむごこうのすりきれ~」を10秒くらいで全部言う、その活舌ぶりにみな「ほう」となる。美しいお顔で「いっしょうけんめい稽古に励みました」と感じさせるところがかわいい。

 近所の子供が「ここの子になぐられて大きなこぶができた」と訴えにくる。ふた親が我が子の名を繰り返してコブの下手人を確かめているうちに、こぶもひっこんだ、というサゲになります。
 10秒で名前を言ってしまうと、その間にこぶが引っ込むだろうかという疑問は残りますが、おなじみの噺をどう表現するか、ということなら、おでこに「よくできました」のハンコをペタンと押してあげたいかわいらしさ。
 「美人は百万年分の得」と、去年の「乃ゝ香評」と同じこと書いておきます。美人へのひがみやっかみは、私の持ちネタ。

 世之介師匠は、1992年に真打になってからも長い間弟子をとらずにいました。「男社会の落語会にあって女性真打も増えてきたので、女性が語る落語を考えているころの2016年に乃ゝ香が弟子入り志願してきたので」というタイミングが合って、乃ゝ香在学中に入門。2017年3月卒業と同時に見習いから前座になりました。

 前座になったばかりのころ、某所(杏寿と出会ったところと同じですが)で出会い、同じ質問をしました。高座名と何席覚えたか。
 昨年4月の世之介独演会で乃ゝ香の「こほめ」を聞いたときの感想は、こちら。
https://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/m/201705/1

 世之介一番弟子、前座乃ゝ香の「孝行糖」。
 乃ゝ香の噺を一年ぶりに聞きます。前回聞いたときは、「前座というのは、真打の師匠がどれほどうまいのかというのを客に知らせるために高座にあがる」と「美人へのやっかみ評」を書いたのですが、今回、噺の上達ぶりに「1年間みっちり修業を重ねたんだなあ」と、感じました。とても上手になっていました。

 ちょっと足りない与太郎が、親孝行のご褒美にお上から報奨金をもらいます。ご近所さんたちの配慮によって、もらったお金で飴屋を始めます。親孝行のご褒美を元手にして売る飴ですから、孝行糖と名付けたのが当たり、この飴をなめれば親孝行になれる、との評判もたって、売り上げ上々です。

 「孝行糖、こーこーとぉ。孝行糖の本来は、粳の小米に寒ざらし、カヤに銀杏、肉桂に丁子、チャンチキチン、スケテンテン。昔むかしの唐土(もろこし)の二十四孝のそのなかで、ほら老莱子といえる人、親を大事にしようとて、こらこしらえあげたる孝行糖。食べてみな、こら美味しいよ。また売れたったら嬉しいねッ」
 という飴屋の売り口上もいっしょうけんめい覚えました。

 孝行糖を鐘太鼓をならし口上をつけて売り歩き、水戸上屋敷門前でお囃子口上をやってしまいます。お武家様の門前では音曲遠慮すべきこと知らなかった与太郎、水戸様御家来に棒で打たれてしまいます。

 通りかかった知り合いが、弁解し助けてくれます。痛いようと泣く与太郎に、知り合いが「どこが痛いのか」と聞きます。
 与太郎はぶたれたところをさして「こーこーとぉ、こーこーとぉ」と下げ。

 古典落語のなかでいちばんショーモナイ、ダジャレのサゲなんだって。この「しょうもないサゲ」も、美人が語ればわっはっはと楽しくなる。
 乃ゝ香の精進ぶりを聞くことができました。三遊亭金馬師匠直伝で、お墨付きをもらったというネタなんですって。

 ひとつ注文つけるなら。与太郎描写がさらに深まることを。
 チョイとろ与太郎のばかっぷりを口跡で伝えるには、演技力が必要。たとえば、山ピーが「アルジャーノンに花束を」を演じたときがそうでした。「ほんとうは利口もんの僕が、おつむのたりない役をやっているのさ」が見え見えの演技になっていました。新薬の力でどんどん知能指数が上がり、天才になったときの山ピーは、優れた能力とともにある孤独感が出ていてとてもよかったんだけれど。

 乃ゝ香の与太郎も同じく、「ほんとは美人で利口な私が演じる、与太郎のおばかさん」という感じでしたが、でも、美人だから許す。

 「孝行糖」の与太郎は、母親を大事にし、孝行糖の売り出し口上の長いのを暗記できたのですから、ちょっと抜けているところがあっても、まるっきりのもののわからなさではない。
 ただ、「武家大家の門前で音曲まかりならぬ」というような世間知が少々足りない。そのビミョーなおばかぶりを伝える口跡をものにして、さらなる精進を重ね、二つ目真打と成長する姿を見ることができたら、老落語ファンもうれしい。こちらの寿命が寿限無じゅげむのちょうきゅうめいのちょうすけ、くらい長生きするなら、きっと乃ゝ香杏寿の真打披露も見ることができるでしょう。

 ゲスト出演者、ポール宮田。ポール牧の弟子だそう。歌謡曲の替え歌と、演歌の前奏司会の「ちゃんと歌を聞いてくれる場合の司会」と「だれも歌を聞いちゃいないカラオケなんかのときの司会」のネタで笑わせました。

 今日が初仕事で高座返し(座布団をひっくり返す)をやったのは、世之介三番弟子、駒平。師匠の二つ目時代の名をもらったのですから、期待の弟子なのでしょう。そのうち、前座をつとめるようになったら聞いてみたい。
 乃ゝ香が1年で上達したのを聞くと、世之介師匠の弟子育成力はすごいと思います。

 真打登場。「笠碁」と、夏向き幽霊噺「三年目」。

 枕には、いろいろな話題が出ました。師匠自身が大正大学客員教授を務めていることから、大学の危機管理について、など。
 大正大学非常勤講師だった50代のおっさんが、教え子女子大生といっしょに暮らすようになったのがなんだかんだのトラブルになった。彼女の心ををつなぎとめるために、言われるままに大学の建物脇で全裸になりましたとさ。彼女が、脱いだ服全部を持ち去ってしまったので、通報されるまで全裸でいた、という事件。笑える事件ですが、大学側が対応を間違えれば、翌年の受験生が減るところでした。
 私は事件が起きたときはヤンゴンにいたので、事件があったことだけ知っており、どんな内容の事件だったかを、世之介の枕でようやく知りました。

 師匠は、大学から「大学教授としての振る舞い方」的な分厚いマニュアルを渡され、「先生、ほんとうに大丈夫でしょうね」と、念を押されたそう。師匠が大学講義にあたって、美人弟子を同行しているのは、イケメン教授に群がってくる女子大生避けなのかもしれないと思いました。世之介師匠の危機管理、大丈夫と思います。

 世之介の枕。全国に危機管理学部を持つ大学は、3校。アメフト事件で危機管理がまるでなっていないことが全国に知れ渡った日本大学。あとの2校は、千葉科学大学と倉敷芸術科学大学(2017年学部開設)。この2校は、嘘答弁やらを繰り返している加計学園系列です。世之介師匠は、「この3校に危機管理学部があるって、笑っちゃうしかないですね」とふっていました。たしかに。
 (ちなみに。理事長の加計氏とおとしたもだちABEシンゾーさんは、2004年の千葉科学大学開学式にも2014年10周年記念式典にも出席)

 枕でたっぷり笑わせて、「笠碁」。ほんとうに聞きほれるしかない見事な一席でした。
 相模屋と近江屋の人物描写で、古川柳「碁敵(ごがたき)は憎さも憎しなつかしし」のやりとりを聞かせました。

 一席終わって、となりの女性(高齢者ばかりだった観客の中では若いほう。40代くらい)がお連れ合いに質問していました。「どうして傘のしずくで碁盤が濡れるの?傘さしたまま部屋にあがったってわけ?」
 お連れ合いが解説。「このカサは、今の傘じゃなくてさ。富士参りのカサって言ってたでしょ。頭にかぶるやつ。だからあ、碁が打てるうれしさで、笠を頭から外すのも忘れて碁盤の前にすわっちゃって、しずくが垂れたんだよ」

 噺の中で、師匠が「笠」について「富士参りの笠」とだけ言い、形やら頭にかぶる笠だというような解説はしなかったので、独演会の噺を聞きにくるような観客は、みな落語の中にでてくる事柄については先刻承知で、ヘタにいろいろな解説をつけるのを野暮と思うような人ばかりなのだろうなあ、と思ったのでした。そこは、若い人がわんさか押し寄せるテレビ向けの高座とは違うんでしょ。

 でも、アラウンド古希の私の世代でも、カサと聞いて、笠のほうを思い浮かべるのは、手植えの田植えを見たことがある田舎育ち。
 若い人に「笠」をイメージしてもらうには「ほら、国語の教科書に出ていた『かさ地蔵(かさこじぞう)』のお話読んだことあるかな。おじいさんが、雪の中のお地蔵さんに、菅笠をかぶせてやるお話。あれに出てきた笠」というと、わかってもらえるかも。(現在、2年生の国語教科書への掲載率が高いおはなしです)。

 そうか、若い人にとって、笠をイメージするのもむずかしいとなると、笠碁を聞いて、碁が早く打ちたくて、碁敵の碁盤にしずくが垂れることなんか気にもとめない心の「はやり」もわかってもらえないのだなあと感じました。落語の語彙、ますます、若者からは縁遠くなっています。

 また、「碁敵の家に、忘れてきた煙草入れを取り返しに行く」という旦那に、おかみさんが「傘は、私がつかいますから、もっていかないで。こっちの笠、富士参りのときのをかぶってください」というのも若い人には理解ができない。

 傘は一家に一本あればいいほう、傘なんぞ家にないほうが普通であった時代、若い世代にはわからない。安いビニール傘が大量に出回るようになったのは、1980年代からのこと。それ以前を覚えている世代には、傘が貴重品であった時代がわかるけれど、30歳以下の世代なら、生まれた時から使い捨て傘ほかの安傘が家のなかにごろごろしているので、家に傘が1本しかない、ということが理解できないかも。

 新派の波野久理子だったか二代目水谷八重子だったか忘れたけれど、新派上演の意義のひとつとして、明治の生活文化、身体文化、そのほかの明治という時代を伝えていくことも大切なこと、とインタビューに答えたことがありました。

 古典落語の意義も、江戸、明治の庶民の心意気や生活を伝えていくのが意義のひとつかも。 新作落語で時代時代の新しい笑いを作っていくことも必要でしょうが、古典落語の噺を聞いて、生活文化しぐさの文化を伝えるのも大切だなあと感じました。

 碁敵と喧嘩して碁がうてず、退屈しきった旦那がキセルで煙草を吸う仕草。もう時代劇でしかキセルでの喫煙は見ることができず、これからますます喫煙不可の社会になると、若い人には、扇子をキセルに見立てて吸うところ、何をしているところなのか、わからなくなっていくんじゃないかしら。

 歌舞伎は、スーパー歌舞伎以後、映像とのコラボありワンピースやナルトなどの漫画原作ありと、なんでも取り入れて21世紀の生き残りをかけています。
 語りだけで世界を作っていく落語。若い客を呼ばなければ、これからどうなるやら。私の世代がいなくなったら、観客がいなくなる。

 金原亭世之介独演会の、池袋演芸場。4月の独演会では立ち見が出たので、7月30日には補助席も設けられていました。しかし、補助席利用するまでには至らず、93座席のうち、空席もわずかながらありました。問題は空席ではなく、観客のほとんどが高齢者だったこと。ハゲだのシラガだのばっかり。
 師匠のブログ「世之介のそばにおいでよ」に出ている7月30日の写真。ハゲおやじの前の前の席に、私の頭が写っていました。高齢者のあたま。

 さてさて。若い観客を呼び込まなければ、落語の将来、先細り。
 落語で笑える観客が育たなければ、いくら美人落語家が増えても、古典落語を聞きたい客はどんどんと高齢化の一方。古典落語は絶滅危惧芸能なのか。
 東西800人いるという落語家のなかには、新作とテレビのバラエティ番組やらコメンテーターやらの出演で稼げればいいという人もいるでしょうけれど。
 落語が伝統芸能として税金で保護しなければならない芸になってしまったら、「ちゃんと笑わせろ、この税金ドロボー」なんていうヤジも起きそう。

 高齢者たちのなかに、若い男性ふたりみえていました。美人弟子その1その2のおっかけファンなのか、世之介教授の授業を取っている「クリエイティブライティングコース」の学生なのか。
 世之介教授学生への課題のひとつは、「落語台本の制作実習」。若い台本作者が育って、若い美人弟子が育って、そして若い観客が育っていけば落語の将来万々歳です。学生さんよ、単位もらったあとも、落語ききなさいよ。

「三年目」
 ご亭主への思いを残して若くして亡くなった女房。やむを得ず後妻をめとることになったら、婚礼の晩に化けて出て、後妻を退散させると約束しました。しかし、女房の幽霊はいくら待っても出てこない。3年たってようやく「うらめしや~」と現れたので、遅れた理由を聞くと、「納棺のとき、私の頭を丸めたでしょ」「ああ、成仏できるように僧の姿にするのが習わしだから」「こんな坊主頭ではあなたに愛想づかしされるかもしれないから、髪が伸びるまで3年待ちました」

 女房の描写が絶品でした。夫が後添えとの間に子ももうけ、幸せに暮らしていることへのやるせなさと、それでも亭主への思いを捨てられない女心が、しぐさひとつセリフひとつに表現されていました。

 古今亭一門は、女性の描写を十八番にしており、女性のしぐさを学ぶために、日本舞踊の名取になることが奨励されているのだと、枕にふっていました。世之介師匠も日本舞踊浅茅流の名取。浅茅与志寿朗。

 本も書くし、若かりし頃はシンガーソングライターとして歌も出していた、というマルチな才能の師匠。弟子や学生を育てる才能もお持ちで。
 「なんで神様はそんなに何でもできる人と、なんにもできないドジばかりの人を分けるんでしょか」
 「そりゃ、どうにも違いがあるんですよ」
 「え、どこに違いが?」
 右脳をさして「こーこーとぉ」左脳をさして、「こーこーとぉ」
 おあとがよろしいようで。って、あんまりよろしくはないが、おひらき。

<つづく>
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