春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

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ぽかぽか春庭「2014年5月目次」

2014-05-31 00:00:01 | エッセイ、コラム


2014/05/31
ぽかぽか春庭5月目次

05/01 ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>憲法記念日(1)ノーベル平和賞を9条に
05/03 憲法記念日(2)日本国憲法前文

05/04 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記5月(1)キトラ古墳壁画を見る
05/06 十四事日記5月(2)素足でダンス
05/07 十四事日記5月(3)馬事公苑でやっちゃんと
05/08 十四事日記5月(4)馬と信仰 in 食と農の博物館
05/10 十四事日記5月(5)長谷川町子美術館
05/11 十四事日記5月(6)手作り母の日
05/12 十四事日記5月(7)おでん母の日

05/14 ぽかぽか春庭にっぽにあにっぽん語教師日誌>日本語ふしぎ発見2014前期(1)日本語への疑問質問
05/15 日本語ふしぎ発見2014前期(2)ひふみよいむな
05/17 日本語ふしぎ発見2014前期(3)凱旋門があります
05/18 日本語ふしぎ発見2014前期(4)漢字仮名交じり文
05/20 日本語ふしぎ発見2014前期(5)君の名は、、、獅子
05/21 日本語ふしぎ発見2014前期(6)質問への回答

05/22 ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>十四事(1)騎その2
05/24 十四事(2)撃剣術
05/25 十四事(3)やわら
05/27 十四事(4)火箭(ひや)
05/28 十四事(5)捕縛(とりで)
05/29 十四事(6)居合、薙刀、鎌
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ぽかぽか春庭「居合、薙刀、鎌」

2014-05-29 00:00:01 | エッセイ、コラム
2014/05/29
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>十四事(5)居合、薙刀、鎌

 十四事武術に関連して、思いついたことを並べ立てるシリーズ。
 武術には縁がなかったので、直接武術にかかわらない周辺のことばかり述べております。今回も十四事の残り物の鎌、薙刀、居合について思い浮かんだことをランダムに。

 娘と息子が武器購入をめぐって論争しています。「やはり、ここは鎌じゃなくて、剣と槍を買うべきだ」などと。
 物騒な話ですが、ゲームのキャラクターが身に付ける武器のことを忖度しているのです。勇者にふさわしい武器を調達するのも、なかなか大変らしいです。
 平和ニッポン。息子もいい年になって、武器との関わり方が、ゲームキャラの武器購入程度のことで、ほんとうによかった。この先も、徴兵されどこかの紛争地域で「お友達の国を助けるために」武器をとらされる、なんてことになりませんように。あのう、うちの息子、実にヤワで、徴兵されてもけっしてお国のお役には立たないと思いますので、、、、お目こぼしを。

 鎌はもともとは農具ですが、「刀狩り」などで武器を持てなくなった農民にとっては、唯一「武器になりうる道具」でした。農民一揆のとき、お百姓たちが手に手に鎌や鍬なんぞをもって集まっている、という時代劇を思い出します。
 私が手にした鎌は、子供の頃、家で飼っていたうさぎの餌の草を刈るための鎌。持ち手の丈のみじかい刃鎌でした。

 鎌をふるっての草刈と、まさかり振り上げての薪割りは、子供の頃の私にとっては好きな「家のおてつだい」でした。包丁をつかう料理とか針をもっての縫い物などはまったく苦手だったのですが。
 
 牧草などを刈る西洋式のサイズ(scythe)に当たる長柄の鎌は、日本の農耕では用いられることはなかったのだろうと思います。西洋では、この長柄のサイズは、死神の持ち物になっていて、命を刈られるイメージがあります。
 かってのソビエト連邦の連邦旗は、赤字に黄色で農民を象徴する鎌と工場労働者を象徴するハンマーが交差している図柄でした。鍬なんぞよりも鎌が農民のシンボルになったのは、やはり「立ち上がって闘う農民」というには、鎌のほうがふさわしかったのでしょう。

 手の丈がみじかい日本の鎌を武器として使うためには、鎖をつけて振り回す鎖鎌になりました。
 薙刀の稽古を続けてきた友人の結婚式に出席したとき、友人の先生が薙刀を持ち、先生の先生が鎖鎌を携えて、古武道の型を披露してくれたことがありました。友人が習っていたのは対戦試合の薙刀ではなくて、形の美しさを見せて点数を付けるほうの薙刀術でした。そういえば、空手も対戦試合のほかに、形を披露して点数をつける競技があったなあ、日本の武術は対戦とともに「美しさ」が競われるのだなあと感じます。

 居合術も、座った状態で、鞘から刀剣を抜き放ち、形を演武し、納刀に至るまでを採点します。こちらも、刀で切り合うのではなく、技の美しさを採点するということで、対戦型の西洋武術とは異なっています。

 柔術も剣術も居合術もそれぞれ柔道剣道居合道となり、武術も大半は「道を極める」ための修養となっていることが多く、最終的な極意は精神的な修養によって得られるというのが、日本の武術の特徴のように思います。
 剣道、弓道、柔道、みんな「道」になってしまったのに、馬術は「馬道」にならなかったのは、現在スポーツ競技として実施されている馬術は西洋由来のものであり、流鏑馬などの儀礼的な馬術以外に日本古来の馬術は競技化していないからかなあ、とか、いろいろ考えるところはありました。

 武術に縁なく、たまにオリンピック中継や国体中継で剣道や柔道を見る程度の私ですが、 以上、日本の武術十四事にまつわるあれこれとりとめもなく思いめぐらすのは楽しかったです。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「捕縛(とりで)」

2014-05-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
2014/05/28
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>十四事(4)捕縛(とりで)

 映画やドラマの時代劇。御用提灯を掲げ、十手を持った捕り方たちは、「御用、御用!おとなしくお縄を頂戴せい!」と叫びます。ねずみ小僧などの泥棒側が主人公なら、どうぞ捕まらないで逃げおおせてほしいと手に汗握り、銭形平次などの目明しや与力が主人公なら、早く捕まえてほしいと手に汗握り、どちらにせよ「お縄」とは、捕まえた犯人を縛る縄のことだ、と、小学生の私でも承知していました。

 江戸武士の武術十四事に「捕縛(とりで)」が含まれていたこと、武士の役目が「戦争をする兵士」の役割から「地域の治安を担う警察」の役割も含むものになっていたことがうかがえます。

 逮捕した犯罪者を手錠によって拘束することが中心になった昭和期以後、警察でも捕縄術(ほじょうじゅつ/とりなわじゅつ)を教えることはなくなりました。警察が相手を縄で締め上げるのは、取調室で無理やりの自白を強いるための緊縛拷問術でつかうくらいになり、さらに容疑者の人権が問題視されるようになると拷問も御法度になりました。

 江戸武士の武術としての捕縛捕縄の技には、縄を用いた戦闘術なども含まれていました。鉤爪をつけた縄をつかって相手を倒し、その縄ですばやく縛り上げる。この技を「早縄術」という。一連の武術は江戸時代には各地に流派が存在するほどさかんでした。

 逮捕した相手をお白洲などに引き出して上位の人の目に触れさせる時の縛り方、また、刑罰としての市中引き回しなどのときに縛る方法などは、本縛といって、見た目にも華麗に見える縛り方が工夫され、季節によっても縛られる者の身分によっても、細かく縛り方が規定されていたそうです。へぇ~。「今日は曇り空で雨もパラついてきそうだし、今日の市中引き回しはうら若い女だし、縛り方は、これでいこう」なんて、捕縛掛の役人も工夫のしがいがあったことでしょう。

 たぶん、この本縛が、責め絵のしばりに発展していったんでしょうな。実用的な早縛じゃ、絵に描くにも花がない。

 近代警察の武道に捕縛術がなくなってからは、現代において、縄で緊縛する術は、ほそぼそとある分野で続けられているだけになり、一般の我々には縁遠いのものになりました。(ある分野というのを知りたい方は、伊藤晴雨の責め絵などごらんください)。

 さて、5月の捕物帖を賑わしたのが、「鎌倉の猫にメモリー」で、警察を愚弄した「パソコン遠隔操作」事件。
 犯人がついに「お縄」になりました。

 一時は誤認逮捕による冤罪事件を引き起こし、真犯人の片山祐輔被告(32)も「自分は濡れ衣。自分も冤罪事件の被害者」と訴えていて、私も「猫に接触している防犯カメラの映像だけ逮捕しちゃったら、状況証拠だけでいくらでも逮捕できる世の中になってしまうだろうなあ」と、危惧していました。

 パソコン遠隔操作事件。事件の発端は、2012年の初夏から秋にパソコンをつかって行われました。
 真犯人がインターネットの電子掲示板を利用して、他者のパソコンを遠隔操作し、他者のパソコンから犯罪予告(殺人、襲撃など)を行ったサイバー犯罪。現実に襲撃予告を受けた飛行機が発着できず、航空会社には実害が生じました。警察は犯罪予告に利用されたパソコンの持ち主を誤認逮捕するなど、真犯人に振り回されました。

 この冤罪逮捕で恐ろしいのは、逮捕された冤罪被害者のうちふたりは「私がやりました」と自白していることです。いったいどんな取り調べが行われたのか。そして、もし私が誤認逮捕されたとして、日夜責め続けられて、縄で逆さ吊りされるよりもつらいようなことばの拷問を受けたりしたら、早く楽になりたいという一心で、やってもいない犯行を認めてしまうのではないかと感じたことでした。

 警察も、冤罪を主張する片山祐輔を拘束し続けることはできず、釈放。
 2014年3月5日、片山が約1年ぶりに収容先の東京拘置所から保釈されました。保釈保証金は1千万。最初に前科がついたあと、親と姓を変えたけれど、父親は大会社のエライさんだったし、1千万円捻出に苦労はなかったのでしょう。
 我が家は、息子に「何があろうと鼻血もでない家なんだから、お縄を頂戴するようなことだけはしてくれるな」と言い聞かせています。

 そして、釈放後、警察は保釈中の容疑者の尾行を続けました。取調室で拷問を加えることは違法ですが、保釈金を払って正規に保釈した容疑者を尾行するというのも、捕縛術のひとつなのでしょう。たぶん。
 尾行を続けた警官は、片山がケータイを埋めた時点でどうしてすぐに掘り出さなかったかというと、裁判中にメールが発信されるのを待っていたのでしょう。まあ、それくらいはやるでしょう、ケーサツ。

 片山もそのまま冤罪被害者を演じていれば、警察も動けなかったでしょうに、わざわざ「真犯人」を名乗るメールを送りつけるアホなミスを犯しました。
 2014年5月16日、片山被告の公判中、「真犯人は自分である」というメールが発信されました。片山は公判中で鉄壁のアリバイ。そんなメールを出せるはずはない。したがって片山は真犯人ではない、という筋書きでした。しかし、尾行中の捜査員は、片山がケータイを川原に埋める姿を目撃していました。ビンゴ!

 自分の無実を強調したかったのかもしれませんが、愉快犯というのは、こんなところで墓穴を掘る。ちなみに、片山は、この手の犯罪で前科アリ。中高とも学習院出身のボッチャマしかも在学中はイジメを受けていたと母親の証言がある、というところが、劇場型犯罪にうってつけの犯人像です。でも、猫の首輪つけているところの映像では、いかにも2ちゃんねるの常連になりそうな小太り非モテ系だったので、こんな風貌だと、かえって違うんじゃないかと感じたのに。期待を裏切って、真犯人でした。

 この埋められたケータイを掘り出して分析した結果、ケータイは片山の所有物。メールは15日のうちに予約発信されていたことが判明しました。片山は5月22日の公判罪状認否で「真犯人は自分です」と、認めました。完全なる物的証拠が出てしまい、もう言い逃れはできないと感じたのだそうです。埋めてしまえばケータイ見つからないと本気で思ったのだとしたら、なんだかカワイソーになってしまう頭脳のような気もします。

 2年間世間を騒がしたネット時代の犯罪は、こうして「川原に埋めた証拠を掘り出す」という解決方法で終わりとなりました。逆にいうと、こういうアナログなミスがなければ、警察も裁判所も真犯人にたどり着けなかった。
 片山発言「警察庁長官と検事総長が、テレビ画面でパンツ一丁で出てきたら、出頭しますよ」。長官、パンツ一丁にならずにすんでよかったこと。

 新聞やテレビの報道だけでこの事件に接してきた者にとっては、おもしろい捕縛物語だったのですが、実際にこの事件によって「保護観察処分」を受けてしまった未成年の冤罪被害者(のちに取り消されたとはいえ)にとっては、一生の心の傷となったことでしょう。

 これから先、第二の片山祐輔は増殖するのでしょう。日本の警察、世界でも優秀な人達と思いますが、対処していけるのでしょうか。現代の捕縛術、みがきをかけてください。
 そして、私が信号無視して赤信号でわたっても、逮捕しないでください。私、信号無視以外に法律に違反したことないんですけれど、どうも冤罪被害者になった場合、逮捕されたらすぐに「へぇ、ぜ~んぶ私がやりました」と言ってしまいそうなヤワな人間でございます。

 弟を信じて冤罪を晴らした袴田巖さんのお姉さま、えらいわぁ。信じてくれる人がいるってすばらしい。
 私が誤認逮捕されたら?
 テレビのなかでモザイクかけられた顔して「そうねぇ、なんかしでかしそうな人だとは思っていた」としゃべりそうな人たちばかり周囲にいるので、せいぜい逮捕されないように気をつけます。お縄はねぇ、警察からもその筋の趣味の方からも受けたくないですわん。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「火箭(ひや)」

2014-05-27 00:00:01 | エッセイ、コラム
2014/05/27
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>十四事(3)火箭(ひや)

 「ひや」とは何かというに。火矢と書いた場合、第一義として、矢の先に油を染みこませておき、点火してから敵をめがけて放たれる武器です。主に、敵の家屋や武器庫の焼き討ち用に用いて、敵の勢力を削ぐために使いました。
 矢先にしみ込ませた油に点火して放ち、矢のへらの部分(篦「の」と読みます)の部分に火薬をに詰めこんだものが、石火矢・棒火矢などに発展していきました。

 また、火をつけた矢を空中に放つことによって、遠く離れた場所にいる見方に連絡する信号として用いることもありました。火の色、煙、音によって通信ができました。
 無線などの通信技術が発達するまでは、艦船からの通信は、火矢によって行われたのです。

 中国では、古くより火薬をつめた矢をロケット式発射器でうちあげて兵器として使用していました。現在でもロケット砲を火箭と呼ぶのは、このためです。
 現代中国では「火箭」とは、弾道ミサイルやロケットをさします。「中国運載火箭技術研究院」では、中国製ロケットを製造しています。 
 第二次世界大戦中に武器としてのロケット砲は各国によって競って開発されました。

 中国で火薬仕様による火箭が発達したのに対して、日本では火薬をつかった武器は発達しませんでした。なぜなら、火薬武器製造に欠かせない木炭、硫黄、硝石のうち、木炭と硫黄の供給は国内でできましたが、硝石は貴重な輸入品だったからです。

 元寇のころの火矢は、文字通り矢の先に火をつけて放つものでしたから、海上の艦隊から放たれても、海を隔てればそれほどの威力はありませんでした。 
 日本人が中国式の火箭の威力を目の前で見たのは、豊臣秀吉による朝鮮出兵時、明や朝鮮の兵士がロケット砲を打ち込んできた時でした。
 しかしそれでもなお、日本はロケット砲を自国の武器に取り入れませんでした。

 火薬を用いる打ち上げ式の火箭は、日本では江戸中期になって発達しました。武器としてではなく、「打ち上げ花火」としてです。江戸時代中期、打ち上げ花火は「流星花火(龍勢花火)」として人気を集めました。
 武器ではなく、花火。なんてすてきな火箭でしょう。

 夏の夜、また今年も打ち上げ花火、見に行きたいです。武器ではなく、夜の花としての火箭。

 火箭のもうひとつの発展の形。轟音とともに白い煙を吐き出し、火を噴きながら空へと駆け上がっていくロケット。
 5月24日のお昼のニュースを見ていたらロケットH2Aの打ち上げ成功を報じていました。鹿児島県の種子島宇宙センターから打ち上げられ、約15分後、搭載していた陸域観測技術衛星「だいち2号」を予定軌道に投入しました。だいち2号は、災害時の状況把握や地図作成、資源探査などに使われる観測衛星です。

 昔はロケット打ち上げのニュースというと失敗の報道ばかりだったのけれど、現在の打ち上げ成功率は95~96%に。青い空を登っていくH2Aの姿をテレビ画面で見ていて、日本の火箭が災害時に役立つような平和利用につながってよかった、と思いました。がんばれ「現代の火箭」

<つづく> 
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ぽかぽか春庭「やわら」

2014-05-25 00:00:01 | エッセイ、コラム
2014/05/25
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>十四事(3)やわら

 剣道の世界で榊原鍵吉(1830 - 1894)が江戸と明治をつないだことは、一般の人にはそれほど知られていないのに対して、江戸の柔術から現代の柔道へつないだ嘉納治五郎(1860 - 1938)の名は、柔道を習ったこともない私でも知っていました。明治の講道館柔道の創始者、そして柔道がオリンピック種目になるに至る世界スポーツとして発展する基礎を築いた人として、有名です。

 兵庫県の名家に生まれ、自身を強くしたいと柔術を志願。しかし、両親は虚弱なからだの悪化を心配して許してくれませんでした。1877年に官立東京開成学校から大学となったばかりの東京大学に入学すると、さっそく柔術を習おうとしました。しかし、明治10年、柔術は師範を探すことすら難しいほど衰退していました。

 ようやく見つけた師範、天神真楊流柔術の福田八之助に柔術指導を受け、福田の死後、学習院、東京高等師範などで教師として働きながら、柔術を理論面から整備しました。
 1882(明治19)年、上野に講道館を設立して段位性を儲けるなど、柔術から柔道へと武道の発展をはかりました。
 1909(明治42)年には日本人初のIOC(国際オリンピック委員会)委員に就任。日本が国際スポーツの場にデビューした1912(大正元)のストックホルムオリンピックでは団長として選手を率いました。

 という嘉納治五郎の功績は、彼をモデルとする『姿三四郎』『柔道一代』ほかの文学映像作品で、よく知られているし、浦沢直樹の漫画、アニメ作品YAWARA!』に出てくるヤワラちゃんのじいちゃん猪熊滋悟郎も、嘉納治五郎を彷彿とさせる柔道家になっています。

 「ヤワラちゃん」の愛称で女子柔道を牽引した谷亮子も今や国会議員の先生。2013年には柔道連盟の理事に就任。女子柔道もますます発展していくことでしょうね。

 先週金曜日の授業で「私の好きな日本の食べ物は〇〇です」「私の好きなスポーツは〇〇です」という文型の口馴し練習をしていたら、スペイン人なのに「私のきらいなスポーツはサッカーです」という学生がいました。「じゃ、何がすき?」とたずねると「マーシャルアーツ」といいます。「うん、日本語でいうと格闘技かな」と、説明したのですが、そのあと、マーシャルアーツと格闘技と重ならない部分もあるような気もしてきました。柔道などもマーシャルアーツと言っていいんだっけな。

 マーシャルアーツは、もともとは中国武術の翻訳語として欧米に伝わり「東洋武術」というように受け取られているそうです。

 受け持った留学生のなかに、日本語教育を終了したあと、千葉にある国際武道大学に進んだ学生がいます。はじめて国武大の名を聞いたときは「え?そういう大学があったの?」と思いましたが、1984年に設立された武道やスポーツ研究を中心にした体育系の大学でした。留学生は柔道を専攻し指導法をならって国の柔道普及を行うのだと意気込んでいました。今頃母国で柔道を教えているのかなあと想像しています。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「撃剣術」

2014-05-24 00:00:01 | エッセイ、コラム
2014/05/24
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>十四事(2)撃剣術

 十四事「射(弓道)・騎(馬術)・棒(棒術)・刀(剣道)・抜刀(いあい)・撃剣(刀剣、槍などで相手を切るのではなく、打って倒す)・薙刀(なぎなた)・鎌・槍・鉄砲・石火箭(いしびや)・火箭(ひや)・捕縛(とりで)・拳(やわら)」のうち、撃剣についてお話します。

 「刀で切る技」である剣術に対して、刀剣・木刀・竹刀(しない)で相手をうち、自分を守る武術を撃剣(げきけん)といいます。実際に剣を使って渡り合えば、切るばかりでなく、剣で打つ場合もあって、両者が完全に分離しているわけではないと思うのですが、武術の十四事においては、剣術と撃剣は別々の武術として並べられています。

 おそらく、江戸時代の剣道道場などでも、ふたつはともに刀剣木刀の術として扱われ、剣術家と撃剣家がまったく別種の人とは認識されていなかったでしょう。
 明治になって、武士の身分がなくなると、各地の道場で稽古を続けてきた武芸者にとって、剣の技は無用のものとなってしまいました。剣術師範として雇ってくれる藩が消滅してしまいました。

 「武士の魂」とまで尊ばれた剣術が、新政府にとっては無用の長物。新政府にとって、西欧と戦える大砲術や騎馬兵術は必要であっても、一対一で剣を構える戦い方は意味のないものでした。

 剣道が武術として命運尽きようとしたとき、その一歩てまえで踏みとどまったのが、榊原鍵吉(1830 - 1894)です。榊原は、剣術を相撲興行と同じように、客の前で強さを競い合う試合として披露することを思いつきました。木戸を建てて入場料をとり、剣客同士が戦うのを、観客はひいきの人を応援しながら観戦する。
 明治11年(1878年)には、明治天皇が上野に行幸し、天覧試合が挙行されるほどの大人気となりました。
 榊原らの撃剣会が成功すると、明治中期までに日本各地で撃剣興業が行われ人気を集めました。しかし、明治中期以後は他の娯楽の流行もあって、人気は衰えました。

 衰退するかにみえた剣術は、日本警察制度を確立した川路利良(初代警視総監)が、警察官の武術訓練として剣術を取り入れたことにより、命運を保ちました。撃剣術の師範たちは、警察に「撃剣世話掛」として雇い入れられ、榊原鍵吉は師範の選抜にあたりました。江戸から明治以後の剣術をつないだのが、榊原鍵吉だったといえます。
 榊原らの撃剣は、今も警察の「警視流」として、木太刀形(撃剣形)、立居合、が受け継がれています。

 私は、山田風太郎の『警視庁草子』などで明治期の警察について知った程度であり、「撃剣会」の剣客を主人公にした小説などを読んだ程度で詳しいことは勉強していなかったのですが、武道ひとすじに生きた人の話、好きです。

 宮本武蔵たち、剣の道ひとすじだった剣客。剣の道を突き詰めていくと、哲学に通じるものになってしまったように、日本の武道は、決して「強ければよい、相手をたおせばそれだけでよい」というふうにはならず、美しさ、いさぎよさ、など多分に精神的な修行のようになっていくところ、他の地域の武術とはかなりかけ離れてしまう。これはなぜなんだ、と、不思議に思います。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「騎その2」

2014-05-22 00:00:01 | エッセイ、コラム
2014/05/22
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>十四事(1)騎その2

 2014年、としの初めに十四事について、お話しました。
 「十四事」とは、江戸時代武士の武芸心得のうちの代表14種類。流派によって多少のちがいはありますが、射(弓道)・騎(馬術)・棒(棒術)・刀(剣道)・抜刀(いあい)・撃剣(刀剣、槍などで相手を切るのではなく、打って倒す)・薙刀(なぎなた)・鎌・槍・鉄砲・石火箭(いしびや)・火箭(ひや)・捕縛(とりで)・拳(やわら)。

 このうち、年頭に弓、騎、棒、槍、石火矢、鉄砲について述べました。2014年後半に入り、残りの武術についてもお話してみます。まずは、騎についてもう一度。

 3世紀ごろの中国史書『魏志倭人伝』に「この国に牛馬、虎豹、羊鵲なし」という記述があります。当時の中国では馬牛羊などの家畜、虎、豹などの動物、鳥のカササギはどこでも目にできる動物だったのに、日本には見当たらなかったと書かれているのです。実際に観察した結果か、伝聞によるものかはわかりませんが、現在の九州から関西にかけての報告と考えられます。

 ただし、「対馬の馬」などが現在の蒙古野馬に似た品種であることなどから、邪馬台国以前に日本に馬がいなかったのかどうか、断定はできません。農耕伝来とともに、家畜馬も列島にやってきただろうと思いますが、食用の野生馬はもっと前から列島にいたことは、岩手県などの遺跡から骨が出土していることからわかります。

 群馬県は、その名が示すように、馬が群れている土地でした。6世紀半ば(AD550年)の榛名山噴火の軽石堆積層から馬の足跡が見つかっています。(子持遺跡)
 群馬県は、古墳時代中期には、広大な牧場で馬の生産が行われていた地域だったのです。優良な馬はヤマト朝廷へ献上され、大豪族が「上津毛乃国」に君臨していました。
 九州やヤマト地方以外では全国でもっとも古墳が多い群馬県。榛名山嶺の草原を馬がかけている様子が目に浮かびます。

 古代の馬は、現在の蒙古野馬(もうこ・のうま)のように、小型種であったろうと言われています。(蒙古野馬を多摩動物園で見たことがありますが、モンゴルでは野生では絶滅し、動物園でのみ飼育されている貴重な品種なのだそうです)。

 馬に詳しい友人やっちゃんの解説によると。現在のポニーは、体が小さいので小さい子の乗馬に向くと思う人もいるけれど、実はサラブレッドなどよりよほど気性が荒く、野生味を残している馬で、子供には扱えない。ひき馬で大人がついているなら子供をのせてもいいけれど、乗馬に用いるのは危険だ、ということです。

 やっちゃんは、ポニーに足を蹴られて膝を痛め、馬術競技から引退したそうで、どうもポニーには点が辛いようでした。
 古代の小型馬も気性が荒かったのではないかと思います。古墳から出土する埴輪の馬はみなかわいらしい姿なのですが。

 農耕がはじまると、農耕神、養蚕の神として馬が祀られるようになり、仏教が入ると馬頭観音という馬の頭を持つ仏様が信仰の対象になりました。母の実家のとなりに馬頭様があり、馬頭様の境内は、私の遊び場でした。子供心には、どうして馬が仏様なのかと思っていましたし、悪いことをすると馬頭様に罰を受けると聞かされて怖くもありました。

 古代史への私の疑問のひとつ。平安時代に牛車はあったのに、なぜ日本には馬車が普及しなかったのか、という質問がありました。
 馬についてやっちゃんにいろいろ教わって、馬の飼育技術について調べてみると、謎が一部とけた気がします。日本の在来馬種、南部馬にしろ木曽駒にしろ、馬車には適さない荒い気性を持つ馬だったのではないか、ということです。平安貴族には、ゆったりと動く牛がちょうどよく、馬に車をひかせるのはたいへんだったのだろうと思います。

 馬の気性の荒さは、馬の飼育技術とも関係します。
 武士が関東に勢力を持ち、騎馬軍団が形成された背景には、馬の統制、とくに去勢技術が導入されたことが大きいのではないかと推察されているとのことですが、東武士と馬の去勢技術については、まだくわしく調べていません。いつごろ、どのへんから馬の統制が行われるようになったのか。

 また、古代史に感じる私の疑問のもうひとつ。中国の習俗習慣をあれほど熱心に取り入れたヤマト政権が、宦官制度だけは取り入れなかったのはなぜか、ということです。
 西欧やモンゴル平原の馬飼育において、重要な技術はオス馬の去勢。しかし、在来種の馬飼育において、騎馬軍団が統制されるようになるまで、馬の去勢は行われなかった。おそらくは神事やそれに伴う宗教感覚によって。去勢は忌むべき事柄に属していたのだと思います。
 宮廷に仕える男子に去勢を行わなかったことと合わせて、日本には去勢の習慣が根付かなかった。このことは中国との大きな違いです。

 オシラサマ信仰譚のひとつに、馬とヒトの女性との結婚があります。高貴な姫と馬とが結ばれるという伝誦。これなども、種馬以外の馬は去勢する習慣があった地域にはありえない民間伝誦だろうと思います。
 日本がかっては母系社会であり、稲作の中心となる太陽神、月読神、食物神とも女性神であったこととおそらくは関係しているのでしょうけれど、後宮に去勢された男性を導入することはありませんでした。

 武芸十四事のうち「騎(馬術)。日本における馬車の未普及、宦官の非成立について、考えめぐらしましたが、まあ、結論はでません。でも、こうやって疑問点をかいておけば、「こういう資料に書いてある」というお知らせもあるやもしれず。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「日本語疑問質問への回答」

2014-05-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
20140521
ぽかぽか春庭にっぽにあにっぽんご教師日誌>日本語ふしぎ発見2014前期(6)質問への回答

 日本人学生に「日本語と他の言語を対照したり、日本語を読み書き話すうえで、へんだなあとか、どうしてこのように表現するのかわからないなあ、と感じることがあったら、メールで質問しなさい」と伝えています。

 毎年おなじような質問がありますが、学生の質問ひとつひとつ答えることで、少しでも日本語に興味をもってほしいし、日本語学習者に質問されたとき、きちんと答えられる日本語教師であってほしいと願っています。

 私は、中学生のとき「どうして英語はペンが2本あったらペンズと言わなくてならないのですか」という質問に答えてもらえなかったことなどから、英語はずいぶんとへんな言語だと感じ、2度目の大学で英語教授法の先生に答えてもらうまで、英語を拒否してしまいました。

 日本語について質問されたら、きちんと答えられるようになったうえで、学習者に向き合います。どんな質問にも答えられる自信をつけたからといって、初級学習者にひとつひとつ答えないことも多い。たとえば「どうしてピンクいシャツと言ってはいけないのですか」という質問に「それは、あとで教えるから、今日は、まず赤い、青い、白い、黒い、黄色い、茶色い、この6つの色を覚えてね」と言えるのです。

 学習者が日本語の名詞と形容詞のちがいが十分にわかるようになってから、色彩名詞として新しく成立した緑、紫などは名詞のみ成立しており、形容詞化されているのは、古来から色彩名詞が成立していた赤青白黒の四色が基本であること、ピンうやオレンジなどは、日本語としてはまだ外来語として意識されるので、カタカナで表記する。現在形容詞化の途上なので、あと50年したら、みどりい、ぴんくい、おれんじい、を言うようになるでしょう。10代以下の子供たちがこう言い出したので。しかし、まだ今はちがうので、試験時に「みどりいシャツ」や「ぴんくいくつ」と書いたらバツだよ、今の時点で規範的日本語では「みどりのシャツ」「ピンクの靴」だから、と話します。

 教師にとっては「高校の古文の授業を復習してくれよ」というような質問もあるのですが、最近では入試で現代国語のみ出題する大学を受験する高校生は、古文を履修しないまま高校を卒業するので、以下のような単純な質問も出ます。

質問1)
日本語の疑問。「知らん」「分からん」の「ん」とは文法的に何ですか?
<回答>
 「わからぬ」の「ぬ」は、国文法では否定の助動詞。
 「ん n」は、動詞未然形に接続する否定助動詞「ぬ nu」のうちの「u」が脱落したものです。
 留学生のための日本語文法では「動詞否定形」のふるい形として、中級以後に「知らん」を扱います。初級段階では「しらない」「わからない」のみ扱います。

質問2)
 先生は、「水を飲む、息をのむとはいうけど、現時点では、車をのむ、ビルをのむとはいわないよね」とおしゃっていましたが、「津波がビルをのみこんだ」などという際、使用されていると思うのですが、それはまた違うのでしょうか。
<回答>
 初級では、実際に口のなかに飲み込む動作のみを扱う。津波がビルを飲み込むは、擬人法を含む比喩表現です。上級クラスになると、比喩表現も扱うが、初級の学習者にはそこまで教えない。

質問3)
 なぜ、自分の名前を自分でいうと人は幼さを感じるのでしょうか。
<回答>
人間の子は、生まれた時は母親(またはその他の養育者)と自分自身について一体視して育ち、生後8か月くらいで他者と養育者の区別がはっきりわかようになるため、人見知りが始まります。
 さらに成長すると、人の子は、自分自身と自分以外の区別がはっきりとできるようになる。これは、自称と他称を区別できるようになることで、大人に伝わる。自分自身を「ぼく」や「あたし」などと呼ぶようになる。しかし、自分への他者からの呼びかけの語、すなわち自分自身の名前をそのまま用いて自称とすることがある。「みよたんはねー」とか、「まあくんは、おなかすいたよ」とか。
少し大きくなってくると、自分の名前を自称詞として用いるのは、幼い子の場合であることが理解でき、他者から呼ばれる呼び名ではなく、人称をあらわす「おれ」「わたし」などを用いることができる。

 中学生高校生になっても、自称詞として自分の名を使うことは、幼くかわいらしい自分を演出する意図をもってなされる場合もあるが、多くの青少年は、自我意識が芽生えると、自分の名を自称詞として用いなくなる。それが自然な発達である。

 ここでは、自称としての名のほうについて述べました。
 旧日本の軍隊などで、姓を自称詞として用いて「スズキは本日の任務終了しました」などいうことはありました。
 ~~~~~~~~~~~~
 「どうしてひらがなとカタカナの両方をつかうのですか」「ひとつの漢字の読み方がたたくさんあるのはなぜですか」など、毎年出てくる質問もありますが、どのような疑問質問であれ、日本語に関心をもってくれることが肝要。
 「叔父叔母と伯父伯母」のふたつの表記の意味のちがいがあることを、はじめて知った」という感想コメントを書いてくる日本人大学もいました。年々学生の日本語力低下は顕著ですが、「まだまだこんなことをなげいていちゃいけない、日本語が通じる日本人であるだけマシ」と肝に銘じています。 
 
 日本語には、まだまださまざまな「ふしぎな表現」があります。
 ときに、教師にも気付かなかった質問を出してくれると、こちらも一生懸命考えて、思考訓練になります。

 ユニークな質問を楽しみにしています。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「君の名は、、、、獅子」

2014-05-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
20140520
ぽかぽか春庭にっぽにあにっぽんご教師日誌>日本語ふしぎ発見2014前期(5)君の名は、、、獅子

 日本語初級クラスでも、日本語教師養成コースの日本人クラスでも、一番最初にやることは、「このクラスでの呼び名(クラスネーム)の確認」です。自分が他者から「こう呼ばれたい」と、本人が申告する名前をクラスで呼ぶ、と、学生に念押しします。
 教師から氏姓に「さん」をつけて呼ばれるのが学校教育現場の一般的呼び方であることになれている日本人学生は、なぜクラスでの呼び名を決めるのか、不審な顔をします。

 名前は個人のもっとも基本の所有物であり、他者の名を尊重して呼ぶことが個人認証の第一歩であることを伝えます。また日本語教育史にふれて、70年以上前の日本語教育において、政府方針にしたがって、固有の名前を奪い、「日本人名」を強要した間違った過去があったことを話すこともあります。近代史を習ってこない学生もおり、「戦争をしていた時代」について、ほとんど知らないままの学生もいるのです。

 おそらく、これからの歴史教育においてますます「自分たちに都合が悪い過去」は語られないようになるでしょう。
 事実を事実として探求するのは必要なことと思うのですが、これからは「為政者にとって語りたくない過去は封印する」という歴史教育になっていくのではないかと懸念しています。

 「かって、民族の固有名を禁止した時代があった」ということは事実であり、それを不愉快に不名誉に感じた人々がいた、ということも事実なのですが、それを教室で語ったりすると「自虐史観」として排斥される世の中になりつつあると感じます。
 しかし、日本語教育の歴史を話す限り、日本語を快く受け入れた地域ばかりではなく、押しつけの日本語教育や皇民化教育に反発した地域もあったことを知っておくこと、今後の日本語教育がよいものになるために必要だと思っています。無批判な受容だけではなく、批判もきちんと行うこと。

 さて、名前の自己認識の話がすっとびました。自分が呼ばれたいと主張する名前をクラス内で呼び合うようにしている、というお話でした。
 私は、クラス内にいる学生を留学生であれ日本人学生であれ、本人申告通りに「ずっきーさん、エリザさん、コミさん、マッツアン、イトゥンさん」など、自己申告のネームカードに書かれた名で呼びます。

 日本人には発音しにくい名前もあるので、学生とはなしあって、本人になっとくできるニックネームをにしてもらうこともあります。ウイグル人、リズワンギュルさんだったら、リズさん。モンゴル人ダグワドルジさんだったら、ダグさん、とか。

 王さんは、「ワンさん」を英語のoneのように「頭高」すなわちワの音を高く、ンの音を低く言うと、ぜんぜん違う発音になってしまいます。王は上昇音。ワよりンのほうを高い音にしなければなりません。日本にはちょっとむずかしい。つい、ワンツースリーのワンになってしまいます。それならいっそ「オーさん」のほうがいい、という人も。
 日本名なら「林」は、はやしさん、中国人ならリンさん、韓国人ならイムさん。

 「林」が、ところ変われば別の発音になるように、ヨーロッパ系の人名も元は同じ名前でも、地域によって発音が変わります。
 英ピーター、独ペーター、露ビョートルが同じ名前。聖書のペテロに当たる、というくらいは知っていましたが。もとの名が同じとは思えない名も多いです。

 英ウォルターがフランスではゴーティエ、スペインではグアルテリョとなると、同じ名前には思えません。英名スティーヴン、ドイツではシュテファン、フランスではエチエンヌ。ポルトガルではエステヴァン。同じとは思えませんね。
 英セオドアが、ロシアではフョードルも一致しがたいけれど、もとは同じ名。

 ロシア名を呼ぶとき、ちとやっかいなときがあります。英語のMr.やフランス語のムッシュー、日本語の「~さん」にあたる敬称はロシア語にはなくて、父親の名前を付けて呼ぶのが丁寧な呼び方である、というのです。ていねいに敬意をつけて呼ぶべき人の父親の名をすべて暗記していなければなりません。「トルストイさん」と、「さん」をつけて呼ぶなら、「レフ・ニコラエビッチ(ニコライの息子レフ)」と呼ぶと敬意を表すことができます。ちょっと面倒ですね。

 「サウンドオブミュージック」のかっこいい大佐役だったクリストファー・プラマーがすっかり年取ってトルストイ役を演じた「終着駅トルストイ最後の旅」。
 主演のソフィア・トルストイ伯爵夫人を演じたデイム・ヘレン・ミレンは、さすが父は革命時に亡命したロシア貴族。堂々の演技でアカデミー主演女優賞ノミネート。あごひげ立派なトルストイのプラマーも助演男優賞にノミネート。

 この映画を録画して見ていて、気づいたことがあります。イギリスドイツロシアの共同制作で、クレジットロールは英語表記でした。そのため、トルストイの名前が英語表記になっていました。
 トルストイの日本語カタカナ表記ではレフ・ニコラエビッチ・トルストイ。 ロシア文字表記 Лев Николаевич Толстой。ラテン文字表記では、Lev Nikolayevich Tolstoy。

 さて、英語の映画だったので、レフ・ニコラエビッチの名前は、Leo Nikolayevich Tolstoyと表記されていました。それで、ようやく、ロシア名のレフとは、英語のLeoと同じ名前なのだと気づきました。これまで「レフ・トルストイ」と呼ぶだけで、レフはロシア語のリエーフ(лев rev)だと思ったことがなかったのです。レオLeoならわかります。手塚治虫のジャングル大帝のレオ、そして西武ライオンズのマスコットも同じ名。

 トルストイの名前は、ライオンだった!ロシア語を知っている人なら、なんでもないことなのでしょうが、初めて大文豪の名前レフの意味を知って、ちょっとした「トリビア発見気分」です。
 「ヤースナヤポリャーナの獅子」なんていう題で一遍書けそうですね。

 モンゴル人の名前ではアルスランまたは、アルスルンは「獅子」。タイのビールの商標(シンハビール)にもなっているsǐŋ(スィン)も獅子。ノーベル賞受賞の日本人科学者江崎玲於奈さんは、海外での表記はLeo Esakiと名乗り、ずばりライオンです。

 名前にまつわるあれこれ。たくさんの耳慣れない名前に出会えるのも、教室の楽しみです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「漢字仮名交じり文」

2014-05-18 00:00:40 | エッセイ、コラム
2014/05/18
ぽかぽか春庭にっぽにあにっぽん語教師日誌>日本語ふしぎ発見2014前期(4)漢字仮名交じり文

 留学生の間違い、誤用から教師はさまざまなことを学べると同じように、日本人学生の質問や感想を受け止めることによって、自分の言語文化観の確認もできます。以下は、先週の日本語言語文化解説に寄せられた質問にこたえたものです。
 現代日本語が漢字仮名まじり文という表記方法を採用したこと、この漢字ひらがなカタカナさらにはアルファベットまで混ぜて正式な表記法としてほぼ全国民が読み書き能力を保持していること、これは世界の中でも珍しいこと。

 日本語表記の解説するのは、毎年のことですが、いつもは「文字を混ぜて書くのはあたりまえだと思っていたけれど、そういえば英語はアルファベットだけ、中国語は漢字だけとわかっても、日本語が混ぜ書きをするのは特殊な表記法だとは思っていなかった」という感想がほとんどです。

<学生質問>中国から漢字とその読みが入ってきたのに、それまでの自分たちの古来の語を捨てずに、これと漢字をうまく織り交ぜることをした古代の日本人はすごいと思います。何故こんなこ とができたのでしょう?
<回答>
 同じように中国から漢字を取り入れた古代朝鮮の国では、文章を書くために自国語で表記するよりも、正式な漢文のみで文章表現を行いました。そのため、14世紀以前の古代朝鮮語は文献としては残されていないのです。しかし、古代朝鮮の官吏は、漢字に自国語の読み方をほどこし、自国語を表記する方法も考案していました。漢字にふたつの読みをつけることを発明したのは古代朝鮮の官吏であり、これを「吏読(りとう)」といいます。
漢字の「音」を自国語の発音にあてる方法も、古代朝鮮で発明された方法を取り入れました。

 日本は、漢字を取り入れたとき、この吏読を応用し、古代中国語の「山サン」は日本語の「やま」に当たることを知り「山」に「サン、やま」の二通りの発音を用いました。また漢字の音を音標文字として用いて自国語の表記に使うことにした本が『古事記』です。『古事記』の編集者太安万侶は苦心して自国語を漢字のみで表記しました。(太安万侶は編纂の代表者であって、古事記の漢字表記考案すべてが太安万侶の功績ではありません。代々の大勢の人々がいかに日本語表記を漢字で行うかについて、苦労を重ねてきました)

 これは、大和朝廷にとって、神の名や歌謡の「発音」が重要であったからだと思います。
「こもよ、みこもち ふくしもよ みふくちもち この丘に 菜摘ます娘」という歌謡を「有小的筐子的年軽的女児~」と中国語にしてしまったら、この求婚のうたの音のひぎきが失われ、祈り、希求の言葉ではなくなってしまうからでしょう。古代歌謡は、音の響きが大切なのですから。『万葉集』も詩のひびきが重要だったので、中国語に翻訳したのでは、意味をなさなかったので、漢字を表音文字として書き表す方法をあみだしました。

 万葉集の最初の歌、雄略天皇のうたとされていますが、古代の歌垣で歌われた古代歌謡だったろうと思います。
 漢字のみを用いて「 籠毛與美籠母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳爾 菜摘須児 」と書かれていても、日本語の表記です。おかげで、われわれは、8世紀(古代歌謡や東歌などはさらに古い時代の日本語と思います)の日本語を知ることができます。
 『古事記』や『万葉集』が残されこと、すばらしい言語文化だと思います。

~~~~~~~~
 『古事記』は私の最初の卒論だったので、万葉集や古事記が話題に出るとどうしてもしゃべりすぎるのですが、8~10世紀の日本語を現在私たちが読むことができる、ということはすごいことなのです。しかも、それを「春過ぎて夏きにけらし白妙の衣ほしたり天の香久山」や「田子の浦ゆ(に)うち出てみれば真白なる(白妙の)ふじのたかねに雪はふりつつ」などとそらんじて意味がわかるって、すごい。

 古代英語の文献に8世紀の叙事詩を記録したといわれる「ベオウルフ」がありますが、その一部をそらんじているイギリス人、どれほどいましょうか。
 百人一首を暗記してカルタ取りに興じることができた、というのは、言語文化伝承のうえで、すばらしいことでした。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「凱旋門があります」

2014-05-17 00:14:45 | エッセイ、コラム
2014/05/17
ぽかぽか春庭にっぽにあにっぽん語教師日誌>日本語ふしぎ発見2014前期(3)凱旋門があります

 日本語学習者、初級学生にも上級学生にもそれぞれの誤解誤用があります。
 教師には思いもよらない発想や考え方によって誤解を生じるので、教師にとっても誤用から学ぶことが数多くあります。

 今週、4月に日本語学習をゼロからはじめた学生の作文を添削しました。ゴールデンウイーク中の出来事を書いた作文です。あいうえおの「あ」を読み書き練習するところからはじめた学生たち、名詞文、形容詞文、動詞文の基礎をならったところです。
 週に90分授業を10コマ受講している学生たち。この学習量は、日本の中学生が4月にabcから始めて、1学期の学習を終えたくらいの分量です。1学期に習う分量の語学を1か月集中で詰め込むので、学生たちひーひーいいながら練習しています。

 留学生たち、集中講義で詰め込まれてきて、日本語で日記を書けるようになっています。
 「休みの日」というタイトルで書いた作文の中「休みの日、わたしは よこはまへ 行きました。中かがいで ひるごはんを たべました。よこはまびじゅつかんで きはんがをみました」という文がありました。文の誤用、単語のまちがいはおおよそ推察がきくようになっているのですが、この「きはんが」が何なのか、見当がつきません。規範が?

 学生に美術館でどんな絵を見たのか尋ねると、「ウッドカット」といいます。ウッドカットという人を私は知りません。「ウッドカットは画家の名前ですか」「いいえ、画家の名前は、ごようはしぐち、です」え?橋口五葉?その名前、わたし知っていますよ。明治時代の版画家です。
 「そうです、先生、ウッドカットです」やっとウッドカットと「きはんが」が結びつきました。学生が「きはんが」と書いていたのは、「木版画」のことでした。学生はウッドカットの「ウッド」を辞書でしらべたら「木」と出ていたので、ああ、この字ならったところだとばかり「きはんが」とかいたのでした。
 やっと留学生の書きたい意図がわかって添削することができました。

 今日は、国にあるものや、いるものの紹介をする練習をしました。「あります、います」の使い分け練習です。英語などでは物の存在も人の存在も「There is a student in a classroom.」「There is a desk in a classroom.」同じ文型でいいます。中国語も「在」は、人の存在も物の存在も表します。しかし、日本語は、有情物(生きて動くもの)は「います」。無情物(生きていない動かないもの)は「あります」と使い分けます。
 
 「ケニアにライオンがいます」「タイに象がいます」「ペルーにマチュピチュがあります」はわかったけれど、「フランスにArc de Triomphe de l'Etoileがあります」と言われても、そのフランス語が何を指しているのかわかりませんでした。フランス語、ボンジュールやジュテームくらいしかわからないので。でも、パリにあるものといえば、エッフェル塔か凱旋門だろうと思って、凱旋門の形を書いて「これですか」と尋ねたら、「そうです」
 フランス人学生にとっては必要な日本語になるであろうと思い、「がいせんもん」という語を教えました。

 日本語教師は、世界中の国から留学生を迎えます。世界中の言語がペラペラなわけではありません。しかし、世界中の文化や歴史、社会について興味を持っていることが必要です。初めて聞くフランス語の単語Arc de Triomphe de l'Etoileが学生の口から出たとき、そのことばを知らなくても、推理ゲームか頭の体操によって意味を推測することができれば、なんとか学生の言いたいことが推測できます。
 学生が辞書をひいて日本語訳をみつけたとして、それが見当はずれの訳だったりすることもあるので、辞書がたよりにならない場合もあります。

 世界中の国々に興味をもち、世界中のことばや文化をしりたいと思っていると、留学生の国の文化や地理、社会についてさまざまに知ることができて、毎日新鮮な脳でいられます。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ひふみよいむな」

2014-05-15 00:00:01 | エッセイ、コラム
2014/05/15
ぽかぽか春庭にっぽにあにっぽん語教師日誌>日本語ふしぎ発見2014前期(2)ひふみよいむな

 日本語教師養成コースの日本人学生に紹介する「日本語学習者にとっての関門」。最初に留学生がつまずく関門のひとつ。「日本語はむずかしい」と思ってしまうことのひとつに、数の数え方と序数詞があります。

 まず、スワヒリ語での数え方を覚えさせます。「モジャ、ンビリ、タトゥ、イネ、タノ、シタ、サバ、ナネ、ティサ、クミ」何度か復唱させて、トランプをひかせて、出た数をスワヒリ語で言わせます。次に朝鮮・韓国語「ハナ、トゥール、セッ、ネッ、タソッ、ヨソッ、イルゴプ、ヨドル、アホプ、ヨル
 学生は、「一度に両方は無理。あたまのなかで混乱する」とネを上げます。

 留学生は、日本語の数の数え方、ひ、ふ、み、よ、と、いちにさんしを両方覚えなければならないんですよ、と日本人学生にいうと「そんなら、どちらかひとつにすればいいじゃない。ひふみよは、いらないんじゃネ?」と、いいます。そこで、数えさせます。

 数えてください。「いち、に、さん、し」はい、どうそ。学生たち、「いち、に、さん、し、ご、ろく、しち、はち、きゅう、じゅう」。はい、よくできました。では逆に十から小さくして数えましょう。「じゅう、きゅう、はち、なな、ろく、ご、よん、さん、にー、いち」

 ひらがなで書いてみましょう。どこが違いますか。大きくなる時と、小さくなる時と、「数え方が違っていますよ。なぜでしょう。数を小さくいうときは、7は「なな」で4は「よん」です。でも大きくしていくときは、「一二三しごろく」という人のほうが多いです。日本語には、和語オリジナルの「ひふみよ」の数え方と中国語由来の「いちにさんし」の両方があり、未だに両方を使っています。

 ここで、日本語オリジナルの数え方「ひ、ふ、み、よ、いつ、むう、なな」の数を確認して、ふたつ、みっつ、よっつの数え方と、ふつか、みっか、よっかの日付のいいかたを復習。留学生にとって、日付を覚えるのはたいへんだということを話します。初級後半になっても、9月3日4時を「きゅうがつさんにちよんじ」といってしまうのです。ひ、ふ、み、よを覚えれば、ふつか、みっか、よっかも覚えられる。

 そして、留学生からの質問。ひとつ、ふたつ、みっつ。は、わかります。でも、だったら、ひつか、ふつか、みっかになるはずなのに、どうして、月の最初の日は、ひつかではなくて、「ついたち」なんですか。

 この答えも、このコラムでは何度も書いてきましたが、学生は初めてそんなことを考えるという顔で頭をひねっています。無意識につかってきた日本語なので、そういう疑問が出ることを予想していなかったからです。

 日本人学生には、まず、「日本語について、自分が疑問に感じたこと。英語や中国語とと比べて、日本語と違うと思ったことを書き出してみよう」という課題を与えます。ここから日本語探求の第一歩を始めます。

 数の古風な数え方について紹介します。今では誰もこのようには数えない、という意味で。
 5732。いつちあまり、ななももあまり、みそあまり、ふたつ。長いですね。

 今年も、日本人学生に「ふしぎな日本語」を考えてくるように宿題を課しました。すぐに私が答えてしまうこともありますが、いくつかは学生自身に調べさせて発表させます。いまどき、たいていの質問は、インターネットで調べれば即座に答えが出てきます。しかし、そういう疑問質問を日本語にかんして調べようとしてこなかったために、これまで調べてみたことがなかっただけです。
 「赤いはOK.みどりいはダメ」に関しても、「なぜ、毎月の最初のひをツイタチというか」にしても、googleあたりにキーワードを書き込めば、回答がゴマンと出てきます。

 しかし、中には、適切な回答が出てこない疑問も出てきます。それは、自分の頭で考えること。もし、日本語学を専攻するなら、その思考結果をまとめれば、よい卒業論文になるであろう、と学生に伝えます。
 問題を自分で発見し、自分の頭で解答を見つけることができるなんて、すごいことだよ、と。

 私の修士論文は、「わたしは美容院で髪を切った」に関する疑問から始まりました。
 日本語では「切った」という他動詞文で表現できるのに、英語に直訳して「I cut my hair in a beauty parlor. 」とすると「髪を短くしたい人が自分自身でハサミを持ち、自分の髪を切っている」と受け取られる可能性もあります。ハサミをもっているのが美容師であることをはっきりさせるには、受身表現や使役表現にして、「わたしは、美容院で美容師に私の髪を切らせたI had a beautician cut my hair in a beauty parlor」と表現しなければなりません。「わたしは髪を切った」を直訳すると不正確になるのです。
 これは日本語のどういう性質によるものなのだろうか、ということを考察し、日本語の他動詞文についてまとめました。

 学生たち、日本語について考える最初のツアー。この日本語の単語、この言葉の意味、この表現はおもしろいなあ、と感じることから日本語探索ツアーがはじまります。日本人学生からも「どうして、ピンクい服といってはいけないのか。わたしは言っている」という質問がでました。
 「それって、ちがくない?」も、「きれいくない」も「ぴんくい服」も、若い日本人の間にフツーに使われるようになっています。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「日本語への疑問質問にほんご?にっぽんご?」

2014-05-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
2014/05/14
ぽかぽか春庭にっぽにあにっぽん語教師日誌>日本語ふしぎ発見2014前期(1)日本語への疑問質問

  留学生の日本語初級授業は、4月中に名詞文の基本、形容詞文の基本、動詞文の基本を学び、いよいよ最初の関門、動詞の活用(conjugation, Inflection of the verb)を学んでいるところです。マスのかたち、行きます、食べますなどから基本文をようやく覚え、動詞をいくつか暗記したところで、こんどは、いく、食べる、する、などの辞書形(国文法では連体形&終止形と呼ぶ)を覚え、テ形(国文法では連用形のうち、テを伴うもの)、行って、食べて、して、などのかたちを1グループ(国文法では五段動詞)2グループ(国文法では一段動詞二段動詞、3グループ(国文法ではサ変可カ変)のグループ別に覚えなければなりません。

 中学校で英語を習ったとき、動詞の過去、過去分詞、などを覚えさせられたとき、あれまあ、なんて英語はやっかいなものだろうとうんざりしたことを思い出しましょう。留学生にとって、日本人にはなんでもない、いく→いって、という変化形が、記憶のためには大きな関門です。テ形の次は、ナイ形、行かない、食べない、しない。「いきない」になったり「いくない」になったり。タ形、仮定皃(バ形)、行けば、食べれば、すれば。さらに命令形、意向形(行こう、食べよう、しよう)と続きます。
 日本語学習者がひとつひとつの文型を覚え、実際の会話のなかで使えるようになるまで指導します。

 さて、そういう日本語学習者に日本語教えようという日本語教師養成コースの学生たち。実際に日本語教師になりたいと意気込んで養成コースの特別学費を払い込んでいるもの。何か資格をひとつ履歴書に書けば、就職に有利になるかもしれないという期待で授業をうけているもの、養成コースには申し込まなかったけれど、卒業単位に数えられるなら、受けてみようかと思って在籍している者。動機はさまざまなので、日本語教師をめざす学生には、実際に教えるとき役にたつように、単位だけほしいものには、「日本語って、案外おもしろい言語だなあ。知れば知るほど奥が深いなあ」と、思ってもらえるように、両面での工夫が必要になります。

 「日本語教授法」という教科書を与えて、最初のページからさいごまで講師が解説して、学生はそれをノートに書き写すという授業を、私はしたことがありません。学生が自分自身で課題を探し、自分で考え、ときには行動して日本語を知っていく、そういう授業を目指しています。現在の教育学用語でいうところの「課題解決型授業、タスク型授業(TBLS)」を私は15年前から日本人向け授業でも留学生向け授業でも行ってきて、時代はようやく私に追いついてきました。

 日本語教師養成コース受講の日本人学生に、最初に提出する課題。
 「日本語を使ったり話したりしてきたなかで、あれ、これは不思議だな、変だな、と感じたこと、英語を学んできた過程で、英語と日本語はちょっと違うなと感じたことを書き出してほしい」これが最初の課題です。

 いくつか「疑問」の事例をあげます。留学生の誤用紹介です。作文課題は「家族紹介」
1)留学生が作文に「私のお父さんは ぎんこには たらいています。お父さんの高いは 180cmです。お父さんのおもいは 140kgです。とてもスマートです。お父さんの目はみどりいです。お父さんのかみは、くろいじゃありません」と書きました。添削し、なぜこのような間違いをしたのか、書きなさい。

2)留学生が欠席理由をメモに書いてきました。「したしい先生。きのびよきです。きのクラスはやすみました。私はくすりをとりました。から あなたは心配しました わたしはすみません。」

 また、留学生からときどき出る質問。
3)ニホンとニッポン、どちらが正しいですか。にほんぎんこうですか、にっぽんぎんこうですか。にほんごですか、にっぽんごですか。スポーツの応援、にっぽんちゃちゃちゃですか。にほんちゃちゃちゃですか。

4)「わたしは、ともだちにアメリカの映画を紹介しました。「Black Swan」を辞書で調べて「くろいはくちょう」と言いました。日本人学生が「それは間違っている」と言いました。でも、私の辞書は、Black はくろい、Swanは、はくちょうでした。辞書は間違っていますか。

 春庭コラム10年間読んでくださった方、何度も読まされた日本語への疑問質問なのですが、日本語はもうすっかりわかっていると思い込んでいる日本人学生にとって、わかっているつもりなのに、いざ説明しようとすると、「みどりい服」はダメです「みどりの服」と言いなさい、と訂正することはできても「なぜ?」と問われると答えに詰まる者が多いのです。

 私が調べた英語辞書。たとえば、カレッジライトハウス英和辞典ではswanの日本語訳は、「はくちょう」のみです。だから、留学生が「くろいはくちょう」と言うのも当然。辞書に頼る日本語学習者にとって、しかたのない連語といえます。
 さて、「ぎんこうにいます」はよいけれど、「ぎんこうにはたらきます」は、なぜ誤用になるのでしょうか。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「おでん母の日」

2014-05-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
2014/05/12
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>十四事日記5月(7)おでん母の日

 5月11日の母の日。姑のところに行って、祝い袋のプレゼント。「好きなもの買って下さい」と言ってわたすのですが、以前は「前からUVカットの日傘ほしかったけど、ちょっと高いからどうしようと思っていたの。この間もらったお金で思い切って買ったのよ」などと買ったものを披露していましたが、最近は買い物もおっくうになったらしく、〇〇を買った、という報告はありません。でも、日々のこまかいことに使うのでも、役にたったなら、それでいいかな。

 11日、留学生を招いて、また「課外活動、日本の家を見る」をやりました。留学生がホームステイに招かれる家などは、どちらかというと日本人のなかでも余裕のある生活をしている家庭が多く、ごく普通のというかお金持ちでない家を見る機会は少ないのです。それで、「年金でぎりぎり暮らしている老人の家」として、姑の家をみてもらっています。私の方針として、現在教えているクラスの学生ではなく、前年度の学生を招きます。今回は、2013年10月から2014年2月まで教えた学生たちです。

 今回は、6人の来訪。おでんを煮ておき、留学生にはおにぎりを各自おにぎりを握って自分のランチをつくる体験、畳のへやでの所作、おじぎや歩き方、ゆかた着付け体験などをプログラムにしました。

 姑は、はじめてアフリカからの留学生に出会って「はじめはびっくりしたけれど、話してみるといい青年だね」と話して、彼におじいちゃんの残したゆかたを着せてくれました。コンピュータ技術を学ぶためにやってきた彼にとって「日本のおばあちゃん」の話す山形なまりの日本語は、教室で学ぶ「教科書の日本語」とちがって聞き取りにくかったとおもいますが、よい体験になったことと思います。

 母の日のプレゼントとして、留学生たちがネックレスをプレゼントしてくれました。
学生からのメッセージとネックレス


 留学生が帰ったあと、姑のおしゃべり相手を2時間ほど。女学校の同級生のうち、あの人も死んじゃったし、この人もホームに入っちゃったし、という。同級生の名前を忘れちゃった話。そういえば、私だって47年前の女子高のクラスメートの旧姓をまったく思い出せなかったのだから、89歳のしゅうとめが70年以上前のクラスメートの名前を思い出せなくても、まあこの先不自由はないんじゃないかしら。

 今回も「要支援」を一段階あげてもらって、ヘルパーさんの訪問を週2回に増やしてもらったどうでしょうと提案したのに、ガンとして「週1回お掃除してもらうので十分」と、言います。
 5時半に姑の家を出ました。夫は夜になってから来るそう。交代で見守りを続け、なんとか姑の一人暮らしも続いています。

 9日に娘がおばあちゃんの病院通いに付き添いました。娘が夕食に肉じゃがを作ったとき、「おばあちゃんはじゃがいものほか、冷蔵庫に残ったやさい全部、これも入れる、これも食べちゃおう」っていって、どんどん増やすから、肉じゃがじゃなくて、肉ねぎだか肉にんじんだかになっちゃった」と言っていました。「しかも、父はニンジン食べないで、おばあちゃんに、ニンジンも食べなさいって、叱られてた。還暦過ぎた息子なのに、ニンジン食べろって叱るから、おかしかった」と、娘は笑っていました。
 ニンジン残して母親に心配かけている息子、親に心配かけないようにしなくちゃね。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「手作り母の日」

2014-05-11 00:00:01 | エッセイ、コラム
2014/05/11
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>十四事日記5月(6)手作り母の日

 5月3日土曜日、池袋へ出かけました。
 家族の誕生日とか姑の記念日とか、特別なことがないとめったに外食はしないのですが、ゴールデンウイークは、我が家にしてみれば、年に数度のランチの日。池袋に行った時は、立ち寄るのがオザミというフレンチの店です。サンシャイン60ビルの59階にあるレストランで、ながめがよく、気持ちよく食べることができます。娘がいうには、そんなに格式張っていない気楽な店だけど、ギャルソンの応対や味が値段のわりにいい、という評価。私は舌音痴なので、娘が好きだという味ならなんでもOK。

 レストランでひとくちずつ分け合って食べる私と娘の「女子会」メニューシェアを、 息子はいやがりますが、ひとくちだけ味見するととても美味しく感じられるものです。で、いつも私は娘のをひとくちもらって、味見するのですが、すぐに味も名前も忘れてしまいます。それで、料理の名前が出てくるたびに、娘に「え~っと、ロッシーニってのはなんだっけ」とか聞くのです。
 そのときは、次はあっちを頼もう、と思うのです。次の機会にはメニュー名を忘れているから、あまり役にはたちませんが。

 
 私はAランチビール煮込みビーフ助合わせにポテトピューレ、息子は牛肩ロースステーキビネグレットソース(バルサミコとシェリー酢)フレンチフライ。娘はBランチで仔牛肉のクレピネット。私などメニューを見ても、クレビネットというのがどういう料理なのかもわかりません。
 クレピネットというのは、網脂のことだと教わりましたが、次に食べるときはきっと忘れています。

Aランチ オードブル盛り合わせ 赤かぶのポタージュ ビーフのビール煮込み デザート


ちょびっと味見した 娘の前菜タラのフリット、スペイン産うさぎのアスピックとサラダ


 ゴールデンウイークに東急ハンズが開催する手作り教室に、娘は毎年申し込みをして、「今年は作りたかったものの抽選に外れた」「今年はまあまあ作りたいものが確保できた」などと言いつつ参加しています。

 娘が手作りをしている間に、私と息子は本屋と電気屋をめぐります。息子も私も、パソコン関連の品と本のほかに、ショッピングするものがないので、買い物はすぐに終わり、東急ハンズに戻りました。

 娘が革細工をしているところをちらりと見に行って、あとはエレベーター前のベンチでぼけっと一休みしているうちに革のカメラケースができあがりました。娘から母の日のプレゼントです。娘は、おばあちゃんには、金箔を張った小箱を作りました。純金の金箔は10センチ四方くらいで100枚で25000円くらい。1枚だけ買うと600円だそうです。娘はひとつは自分用、ひとつはお婆ちゃん用に作りました。

 「金箔を貼る作業をはじめてやってみて、破いちゃいけないから緊張するし、均等に貼りつけられなくてシワ寄っちゃうし、やっぱりこういうのを熟練の手でさっさとやっていく職人さんはすごいなあって思った」という感想。素人の作品ですからむろん本職のようにはいきませんが、じゅうぶんきれいにできたと思います。娘は9日におばあちゃんの病院付き添いに行って、プレゼントしてきました。おばあちゃんはきれいな小箱を見て、「金箔だから、お正月にでも使おう」というので、「普段遣いにして。毎日つかってもらったほうがうれしいから」と、頼んだとのことでした。
 私も、カメラケース、毎日つかうつもりです。

 
<つづく>
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