春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

今日のいろいろ
ことばのYa!ちまた
ことばの知恵の輪
春庭ブックスタンド
春庭@アート散歩

ぽかぽか春庭「2022年3月目次」

2022-03-31 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220334
ぽかぽか春庭2022年3月目次

0301 ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>2022ことば集め(1)「かしく」を教わる
0303  2022ことば集め(2)三省堂の「辞書に載る新語」

0305 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記春よこい(1)3回目ワクチン接種と近頃の世相
0306 2022ふたふた日記春よこい(2)花は咲くー北京オリンピック・パラリンピック
0306 2022ふたふた日記春よこい(3)岩合光昭のネコ歩き
0310 2022ふたふた日記春よこい(4)洗足池の梅

0312 ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩建物巡り早春(1)旧清明文庫(勝海舟記念館)
0313 2022アート散歩建物巡り早春(2)港区郷土歴史館(旧公衆衛生院)

0315 ぽかぽか春庭アート散歩>アート散歩建物拾遺2021(1)白井晟一 入門 in 松濤美術館 in 松濤美術館
0317 アート散歩建物拾遺2021(2)中銀カプセルビル

0319 ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>2022日本語学校春(1)オンライン授業・日本語学校危機一髪
0320 2022日本語学校春(2)花嫁とは何か・学生に教わる日中語彙の意味違い
0322 2022日本語学校春(3)日本語びいき
0324 2022日本語学校春(4)卒業式2022

0326 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022たふた日記桜さくら(1)やっちゃんと目黒雅叙園
0327 2022ふたふた日記桜さくら(2)ミサイルママと六義園
0329 2022ふたふた日記桜さくら(3)フィギュアスケート世界選手権2022
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「フィギュアスケート世界選手権2022」

2022-03-29 00:00:01 | エッセイ、コラム

20220329
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記桜さくら
(3)フィギュアスケート世界選手権2022

 ウクライナへのロシア侵攻により、ロシア&ベラルーシは出場停止となった2022年フィギュアスケート世界選手権。よってロシア女子不在。男子は、チャンピオンのネイサンチェンも人気第一の羽生結弦も欠場。
 ロシア女子が表彰台独占するような昨今のフィギュア状況でしたが、今回は日本勢席巻の大会になるかな、と予想はついていました。予想通り、2014年の浅田真央羽生結弦のW金メダル以来の成績となりました。

 日本選手の活躍、すばらしかったです。
 ペア、りくりゅう銀メダル。アイスダンスかなだい、ショートもフリーもミスが出てしまい、16位。目標だった10位以内に届かず、2枠取りには成功しませんでしたが、来期も続けてほしいです。

 女子、坂本香織金メダル。
 樋口新葉11位河愛菜15位と、ミスが響いてしまい順位は希望通りにはいきませんでしたが、樋口選手のライオンキング、私も大好きな振り付けです。来シーズンの曲は変えるのかもしれませんけれど、私はこのナンバーの完成形をみたいです。

 男子、宇野昌磨金メダル、鍵山優真銀メダル、友野一希は、ジャンプミスがあり、ショート3位から後退しましたが、代役の代役として急遽日本代表になり調整も難しかった中、6位も立派な成績と思います。
 アメリカ代表として五輪代表に選ばれながら、コロナ陽性で出場できなかったビンセント・ジョウが銅メダルになったのも、よかったです。

 2019年世界大会の女子フリー試合とエキシビションをさいたまアリ―ナで観戦しました。5階席までぎっしり満員のようすを見てきたのに比べると、2022年フランスでの世界大会、女子ショートなど、ガラガラの座席が目立ちました。フランス人の女子有力選手が出場していないこともあると思いますが、日本でチケット抽選に当たることも難しい座席争奪戦から見ると、「あの、空いている席に飛んでいきたい」と思ってしまいます。コロナがなかったら、あの空席は全部日本から乗り込むファンで埋まったかもしれません。

 日本の女子3選手


 長く活躍してきた宮原知子選手が現役引退プロスケーターへ転身します。長年女子フィギュア競技を牽引してきた努力家、ほんとうにご苦労様でした。プロのスケートショウ、見に行きますよ。
 キーガンメッシングも引退。ネイサン・チェンもおそらく2022は学業優先、羽生選手の動向わからず。

 以上で、フィギュアスケート2022のリポート終わり。以下は、スケートにまつわる違和感表明のいくつか。
 
 違和感その1。2019年は、さいたまアリーナで、女子フリーとエキシビションを生観戦でき、よい時間をすごせました。
 女子フリーの試合のときのこと。会場の人々がにわかにざわつきました。何かなと思っていたら「タラソワさん、来てる」という声が聞こえました。浅田真央を指導したこともあるロシアのタチアナ・タラソワコーチが、ロシアの主だった選手の演技が終わったタイミングで、おつきの人に取り囲まれる形で会場を出ていくところでした。
 ふくよかな体形に毛皮のコート。(ふくよかな、というのは政治的に正しい表現であり、見た目の直接的な表現では「でっぷりの肉付き」)

 タラソワさん、数多くの名選手を指導したロシアフィギュアスケート界の重鎮、ロシアスケート連盟顧問 です。
 そのタラソワさんの坂本香織金メダルに対することば、釈然としません。

 スポーツ紙などの報道によるタラソワ発言
 「彼ら(出場選手)の中では一番優れていただけです。彼女たち(ロシア勢)がいなければ、本当の勝利とは言えないでしょう」
 「 彼女はすべてきれいにこなしたが、20年前のスケートだ。彼女は最高難度の要素を持っていなかったし、うちの子たちは技術的な完成度が常に進化している。どこでも1位になることは間違いないでしょう。日本人はよく滑ったけど、間違いなく最高レベルではない」

 なんてみっともない負け惜しみでしょう。トップ選手を育ててきた重鎮とは思えない発言です。ロシア女子が出場できなかった悔しさをぶつけたかったのでしょうが、「うちの子がどこでも1位。坂本の演技は20年前のレベル」という発言にいたっては、口あんぐりです。

 なぜ、ロシア勢が世界選手権から排除されなければならなかったのか、自国の政治に対する問題は完全無視し、さらには、カミラ・ワリエラ のドーピング問題に対するロシアフィギュア顧問としてのことばもなく、金メダリストに対する誹謗中傷のことば。ロシアが国家ぐるみでドーピングに励んで国威発揚に努めたことは、単なるうわさにすぎないとでも思っているのでしょうか。

 「うちの子が技術的完成度が進化している」ですって?少女に心臓薬を打って心臓強化で疲れない身体にし、ドーピング検査にひっかからない薬を進化させて筋肉増強を図る」それが「進化」だとでも?
 公平をむねとするスポーツ界で聞きたくないタチアナタラソワ・ロシア顧問のことばでした。
 日本のフィギュアスケート界から、この発言への反論はないのでしょうか。荒川理事もタラソワさんの指導を受けたことがあるから遠慮してるの?

違和感その2。フィギュアスケートは、ジャンプの回転数が多いほど高得点という、技術を争うスポーツであると同時に演技構成点という表現力を争う芸術性も評価のひとつです。羽生は自分自身を「スポーツ選手」と規定する一方「自分は表現者である」と言っています。表現力がなければ、いくら4回転をポンポン飛んだとしても、競技として完全ではない。

 六義園でミサイルママと花見おしゃべりしたときの話題のひとつ。ジャズダンスのミワ先生は、羽生の衣裳が大嫌いだ、という話でした。
 ミワ先生は、ジャズダンスの発表会でも、衣裳にフリルやスパンコールを飾ることを嫌い、出演者たちはできるだけシンプルな衣装にせざるを得ませんでした。ダンス参加者が高齢となるにともない、先生も体形をカバーするフリルなどを黙認し、華やかな衣装で年齢をごまかすことに文句をつけなくなりました。

 しかし、羽生の衣裳に対しては辛辣で、フリルや羽飾り、スパンコールに大反対だというのです。
 好みは人それぞれですから、ミワ先生が華やかな衣装を嫌い、シンプル衣裳での競技を望むのひとつの好みです。
 私は、羽生選手が華やかな衣装を着ることによって表現への意欲がたかまるのであれば、羽飾りもスパンコールもよいと思っています。
 ネイサン・チェンの「練習着のまんま出場してるんかい」というような、そっけないTシャツ衣裳も、それはネイサンの好みで、シンプルなほうが演技しやすいのならそれもよし。(ただし、北京冬季五輪のときのシャツはさすがに引いた。オレンジ色に宇宙模様?いいけどね。これが好みなら

 世界選手権で2021-2022のシーズンが終了。秋のグランプリシリーズまで、スケート観戦はお休みです。
 春休みもおわり、仕事は新学期に向けて始動。選手たちのがんばりに感謝しつつ、72歳老師がんばります。クワッドアクセルに挑戦し続けた羽生結弦の姿に励まされながら、留学生相手に奮励奮闘。

<おわり>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「しだれ桜 ミサイルママと六義園」

2022-03-27 00:00:01 | エッセイ、コラム

20220327
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記桜さくら(2)しだれ桜  ミサイルママと六義園

 ミサイルママと「大人の遠足」をしていたころ。
 お花見もふたりいっしょ。私がおにぎりを持っていき、ミサイルママがお湯ポットとドリップコーヒーを持ってきておいしいコーヒーを入れてくれる。六義園のしだれ桜をコーヒーを飲みながらながめてよいお花見でした。

 2017年の花見、4月5日昼に、ミサイルママと旧古川庭園と六義園のはしごで花見、5日夜六義園で息子娘と夜桜見物、7日に飛鳥山でひとり花見散歩と、花見の大盤振る舞いって感じで出歩きました。
 この年が、ミサイルママとの「大人の遠足」も一番いい時期でした。ミサイルママはよい方と出会って再婚し、「女手一つで子供二人の食い扶持を稼がにゃならぬしんどさ」を語り合う時間がなくなってしまった。

 再婚以来ジンさんとミサイルママふたりして年金生活になり、穏やかな落ち着いた生活でしあわせ。コロナの外出自粛からは、自宅団地となりの公園を毎朝ふたりで散歩して、運動不足解消しているのだとか。仲睦まじいミサイルママを誘うことも遠慮してきました。

 3月25日、久しぶりにミサイルママをお誘いしました。
 金曜日午前中は区の施設の体操教室に参加して、水曜日のジャズダンスレッスンのために体力維持を図っているというので、午後1時に待ち合わせ。六義園入園予約をとりました。
 六義園は3月20日まで休園していたのですが、東京も蔓延防止の解除で21日からお花見オープン。

 楽しみに出かけたのですが、しだれ桜はまだ五分咲きくらいで、満開の桜の見事さに比べるとちょっと残念。



 でもきょうは桜よりミサイルママとのおしゃべりがメインです。
久しぶりに会ったので、ジャズダンスの仲間たちや先生の近況も聞き、私の仕事の愚痴、オンライン授業してきたことがアナログ老師には負担が大きく、ストレスいっぱいだったなんてことを話しました。

 ジャズダンスの仲間の一人Aさんは、78歳になった今も、30年以上続けてきたホームヘルパーの仕事を元気にこなしていて、ダンスレッスンも続けているそうで、偉いなあと感心。介護を受ける側の年齢になっても、人を助けて感謝されつつ、料理上手を生かしていて、頭が下がる先輩です。
 Bさんは家を新築し、もうすぐ引っ越し。ご主人を見送ったあと一人暮らしだから、小さなマンションにでもと思っていたけど、お孫さんが東京都内の大学にこられるように、孫のために新築するのだそう。
 私の姑も70過ぎて家の改築を一人でやってのけ、90過ぎて一人暮らしがしんどくなったら一緒に住んでね、と言っていたけれど私がミャンマー赴任中に亡くなって、一緒に住むことかなわなかったことなど話す。Bさんの「孫を東京の大学に新築の家から通わせたい」っていう願い、かないますように。

 ミサイルママの近況報告。お連れ合いのジンさんの体調がこのところ良くなくて、たいへんだというので、私もタカ氏が週3回腎臓透析を受ける患者になって身障者手帳を交付されたと嘆く。ただ、これまで大の病院嫌いで、コロナワクチンも今までだったら受けなかったかもしれなかったけれど、事務所の隣にある病院でワクチンも3回やってもらい、食事飲み物の制限も守っていて、今までの不摂生が改善されたことが、かえってよかったかも。

 我が家、年金では暮らせず、私が働かなければ一家立ち行かない。皆が年金生活になっているのに、働き続けていると愚痴こぼす。
 ミサイルママは、二人の年金合わせてもカツカツだけど、都営住宅だから何とか暮らしていけるし、たまには格安の旅行も楽しみたい、とコロナ収束とジンさんの体調回復を待っているそう。

 ウクライナのことを思えば、戦火の中にいないだけでも幸せと思わなきゃということになりました。
 ウクライナも気の毒とおもうけど、アメリカがイラクやアフガンを攻撃した戦争のときは、学校病院が爆撃されて市民や子供が何万人も亡くなったのに、支援物資とか寄付する日本の人いなかったよね、と私の思いを伝えておく。
 イラクの核開発疑惑など事実無根であったことを後にアメリカが認めたけれど、死んだ子供は生き返らない。

 確かに、いまのロシアの攻撃は侵略行為であり、すぐに戦争をやめるべきだと思うけれど、イラク攻撃のときだって、政府は戦争に反対すべきだったと、私は思った、と話しました。すべての戦争に反対、と。
 非戦論を述べると、また非国民と言われるのだろうが。
 鬼畜英米と教えていた教師が、手のひら返して、アメリカの民主主義を見習おうと教えた時代もあったことも忘れ去られていくのだろうが、私は頑固者の平和主義者を続けます。

 「平和なクラスにしよう」という学級目標を教室に張り出したら、校長がすっ飛んできて、平和というのは政治的な主張だから、そんな言葉をつかうな、と担任教師を叱ったというニュースが前にありました。で、学級目標は「みんなで仲良く」になりましたとさ。いったいいつから「平和」というのは、政治的な主義主張になったっていうのでしょう。でも、学級目標の「平和」を叱った校長は、今は手のひら返して「ウクライナの平和のために、支援しましょう」とか言っているんだろうと思います。そんなもの

 ミサイル一発とんでくれば「みんなで仲良く核兵器保有」と言い出す人達もいますが、私は頑固高齢者だから、核兵器も戦争もお断り。
 平和な国の平和な公園の閉園の30分前に門を出て、駒込駅前でさよならしました。


<つづく>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「やっちゃんと目黒雅叙園」

2022-03-26 00:00:01 | エッセイ、コラム

20220326
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記桜さくら(1)やっちゃんと目黒雅叙園

 3月19日、久しぶりに目黒雅叙園に出かけました。
 群馬の友達やっちゃんが「目黒雅叙園でやる結婚式の招待状をもらったんだけど、行き方がわからない。日本の男の子と留学生の結婚式で親族の列席が少なくてこじんまり式っていうから、欠席するのもかわいそうだから、出席するって返事したんだ。目黒雅叙園なんて行ったこともないし、ハルちゃん連れて行っとくれ」と前日の18日の夜に連絡してきました。えっ~~明日ぁ!

 3月に結婚式に行くかもしれないとは聞いていたので、「出席する日にちが決まったら連絡して」と、メールしておいたのに、前日の夜の連絡!
 大慌てで、18日の午前中にオンライン授業を早めに終わりにしました。春休み中の宿題などを指示して終了。

 目黒雅叙園の最寄り駅目黒まで行きました。歩いても5分くらいで行ける雅叙園ですが、雨が降っている金曜日だったので、雅叙園行きバスがあって大助かり。駅からのバスに乗車。私もスマホを使いこなしていない年寄りですが、やっちゃんは私よりアナログですから、スマホもラインとメールくらいしか使わず、ホームページ検索なんぞもしたことがない。高校クラスメート誕生日も4日違いの72歳同士。まあ、助け合ってよろよろと今の世を活きています。

 やっちゃんと雅叙園1階エントランスで


 「どうやって雅叙園まで行くかわからなかったから、案内してもらって助かったよ。バスがあるなんて、知らなかった」とやっちゃんがいう。
 「今日は午前中のオンライン授業だったから、午後から案内できたけれど、午後の授業だったら、来られないところだった。前の日に連絡してきても、授業を替わってもらうとか調整ができないから、ドタキャンより土壇場で案内依頼ってほうがたいへんだよ」と、伝えましたが、何事も気にせずマイペースのやっちゃんは、「あはは、ぎりぎりまで出席するかどうか決めないでいたから、連絡しなかったんだ。着ていくもんがないからやめよかなと思ったけど、この黒いスーツ、昨日買ったんだ。上着が2000円でズボンが2000円。いいだろ。100均の店で100円のネックレスも買ったんだけど、息子が、そんな偽物真珠は本物じゃないってだれにだってわかるからつけないほうがいいっていうから、やめた」と、呑気なものです。

 そういう何も気にしないやっちゃんだからこそ、だれからも「つきあいにくい」と言われる春庭といっしょにいてくれるのです。たいていの人は私と1時間もいっしょにいると「疲れる」というのに、やっちゃんは自分が何にも気にしない人だから、私のこのめんどくさい性格も疲れないらしい。

 花の中のごきげんなやっちゃん


 やっちゃんが結婚式に出席している間、私は雅叙園の文化財「百段階段」を見学していました。(のちほど百段階段を紹介します)
 やっちゃんが私に伝えたのは、「結婚式は3時から5時まで」というので、百段階段を見学していればすぐに5時になるだろうと思ったのです。しかし、式場受付の係員に確かめると「3時半から挙式。4時半から7時まで披露宴」でした。なんともおおざっぱな、何も気にしないやっちゃんらしい時間の伝え方。

 階段見学を終えてもまだ5時。披露宴終了は7時だというので、はて、困った。
 「帰り道、品川の乗り換えがわからないから、品川まで送ってきてくれ」とやっちゃんが言っていたので、披露宴が終わるまで待っていなければなりません。



 雅叙園1階のふたつのカフェのうち、メニューを見比べる。コーヒー一杯880円のカフェと990円のカフェ。う~ん、高い!時間つぶしコーヒーは、マックの100円コーヒーに決めている私には、めちゃ高いコーヒーです。880円のほうに入りました。

 「花嫁さん以外に知っている人のいない披露宴だから、さっさと食べられるだけ食べて、途中で帰ってくるから待っていて」と言っていたやっちゃんから「すごいごちそうが出ているから、もっと食べていく」というメールがありました。ビーフステーキやふかひれ姿煮が出たのですって。

 やっちゃんは、留学生の世話をよくしています。ハンガリーからの留学生ニッキーを馬術クラブにさそい、馬術指導をしたのが縁になって、結婚式に招かれました。ニッキーは日本男性と知り合い、結婚することになりました。ハンガリーから両親兄弟がかけつけたけれど、家族以外の親戚やハンガリーの友達は来日が難しく、少人数結婚式になりました。こじんまりした親密な披露宴になってよかった、ということです。

 やっちゃんは「おいしい」という食事を7時までしっかり食べてくるだろうから、私も軽くなにか食べようと思ったのですが、サンドイッチ1800円とピザ1900円のどちらも高いと悩んだ末に、ピザと紅茶セットに決定。紅茶はローズヒップ。


 披露宴は7時までということでしたが、カフェも7時に閉店。ピザセット、2700円も払ったのに、やっちゃん戻ってくる前に追い出され、エスカレーター前のベンチで待ちました。

 目黒駅へ行く帰りのバスを待つ間に、館内で写真撮影。


 雅叙園のキンキラの螺鈿細工や鏝絵の装飾、「あの成金趣味がどうにも」と言う人もいますが、私は、この「成金っぽい好みを隠さないキッチュさ」を、これはこれで面白いと思っています。
 桜の鏝絵


 今回、百段階段の説明に、雅叙園創立者細川力蔵が料亭を開いたおりの志が書かれていました。「政治家華族層以外の、一般市民が気軽に料亭を利用できるようにしたい 」と考え、「だれにでもわかる豪華さ」を狙ったのだ、ということでした。

 エレベーターの中も唐獅子や花のキンキラ。

 はじめて見たやっちゃんは「すごいな」と感服しているので「だれにもわかりやすい豪華さ」は、伝わっていると思います。また、日本文化に造詣深くない外国人などにも、わかりやすい「日本趣味」ですから、ハンガリーから来日したニッキーの家族にも、「日本の美」のひとつが伝わったのかと思います。数寄屋造りや書院造りの渋さをいいと思う外国人がいてもいいし、雅叙園のキンキラをいいと思う人がいてもいい。

 やっちゃんは、県の「馬術競技審査部長」ですから、馬術試合が行われるごとに、競技の審査に出かけなければならず、私の休みと合わせるのは難しい。
  
 「もう遊べる時間は限られているんだから、いっぱいお出かけしよう」というやっちゃんと、どこにでかけましょうか。

オンライン授業は終わり学生は春休みになりましたが、わたしは3月中は在宅勤務で教員のクラス担当や授業スケジュール作成をしなければならないし、3月31日から出勤です。

留学生の来日が許可され4月中にとりあえずの8名のビザがでました。このあと予定の人数全員が来られるといいのですが。
ばらばらの来日だとスケジュール作成がたいへんです。留学生は2週間の待機が必要だし、留学生活のオリエンテーションもしなければなりません。
試合に出る日は昼寝時間がないけれと、普段は馬術競技の早朝練習したあと、学生は大学の授業に出るから、部室で昼寝してるんだというやっちゃんがうらやましい。


<つづく>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「日本語学校卒業式」

2022-03-24 00:00:01 | エッセイ、コラム

20220324
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>2022日本語学校春(4)卒業式2022

 コロナ感染拡大によりオンライン授業が続いていましたが、卒業式だけは対面で行いたいと願ってきました。コロナ禍の中、各地からオンライン卒業式の話題も聞こえてきましたが、やはり、卒業証書は、直接渡したい。

 ロシアによるウクライナ侵攻が収束を見せないという世界情勢の中、人生のひとつの区切りにあたり胸弾ませている卒業生に、できる限り明るく楽しい卒業式をおこなってやりたいと、準備のできない中、ぶっつけ本番の卒業式に向かいました。

 すでに進路が決定している卒業生11名。
 中国からの留学生の進路。国立大学大学院工学研究科修士課程1名研究生1名。国立大学の大学院農学研究科修士課程1名、私立大学大学院国際経営学研究科修士課程1名。私立大学経済学部1名。私立専門学校介護科1名。1名は就職希望。

 ネパールからの留学生。非漢字圏の学生の「漢字の壁」を乗り越えることができず、4級試験にも合格できませんでした。しかし、会話力は上達しました。1年前は「おはようございます」も口にできなかった学生が、なんと卒業スピーチを飛び入りで行うまでになりました。
 


 2021年3月の卒業式では、4人の卒業生の中のひとりが代表として卒業のことばを述べました。日本従来の卒業式の「代表一人が答辞、ひとりが送辞」という形式を踏襲した形でした。
 しかし、2回目の卒業式である2022年3月の今回は、私は全員に卒業のことばを言ってほしかったのです。

 オンライン授業の中で、「卒業生のことば」について教師からもいろいろ提案しました。
 小中学校などでは、代表の「答辞」ではなく、呼びかけ方式で、ひとりひとりが在学中の思い出などを語り合う方式をとるところが増えてきました。「みんなで仲良くいっしょに方式」が必ずしも卒業生にとって良い場合だけでないこともありますが、「全員で述べる方式」にしたいと提案し、学生も賛成してくれました。、、、、っていうか、「自分で言葉を考えなければならないなら、たいへんだから、先生が原案書いてくれるならいいけど」

 教師が「みんなで呼びかけ方式」の前後を考え、学生は「2020年の11月に来日し、2週間の缶詰待機を経て、12月から授業を始めて以来の思い出をひとことずつ述べる」ということになりました。

 卒業式場となった一番大きい教室3.モニターには、2021年12月に入校して以来の思い出写真が映写されました。

ネパールAさん:浴衣を着て写真を撮ったこと、うれしかったです。
ネパールBさん:クリスマス会、楽しかったです。

中国組
Cさん:2021年の3月にみんなで桜を見に行ったことが、よい思い出になりました。
Dさん:江戸東京たてもの園で、いろいろなたてものを見て、クイズに挑戦して、おもしろかった。


みんなでクイズをときながらたてもの園を歩きました。

Eさん:夏祭りでゲームを作って、みんなで遊んだこと、忘れません。


Fさん:先生のやさしさが、一番の思い出です。先生の笑顔を忘れません。


 先生に気をつかって、思い出のことばを作る学生こそ私の宝物。わたなべ君のやさしさを忘れないよ。お気遣い、ありがとう。
(渡辺は、教室内の通称。「教室では自分が呼ばれたい名前で呼びます」と、最初に言いました。すると、ひとりは「渡辺」という名で呼ばれたいと。みな、大好きなアニメの主人公の名を選ぶなどしました。紀川、藤原、大嵐など。どんなアニメか紹介してもらいましたが、ジブリのアニメくらいしか知らない私は、その名前がどんな登場人物かわからないまま、「はい、キカワさん、次読んで」などと呼んでいました。ワタナベさんキカワさんも卒業です)。

 3月11日、久しぶりに学校に集まった学生たち。学生はネクタイにスーツや女性もリクルート風スーツに身を正し、参加。


HAL先生の祝辞
 卒業式の日3月11日の11年前に東日本に大きな困難があったことを紹介し、11年の間に、困難の中からすこしずつ頑張ってきた人々がいたこと、卒業生も在校生もコロナ禍という困難な時代に留学生活をおくってきたけれど、きっとこれからも頑張っていけるよ、と励ましのことばを送りました。

 残念ながら謝恩会はなし。教職員で、ネパール学生が差し入れてくれた先生への感謝ケーキを食べました。


 それぞれの進路に向かう学生たち。思い思いに未来を開いていってほしいです。

<おわり>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「日本語びいき文庫本」

2022-03-22 00:00:01 | エッセイ、コラム
20220322
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>2022日本語学校春(3)日本語びいき文庫本

 ブログ友達のyokochannさんが『日本語びいき』という本を読んで面白かった、と感想をかいておられる。
 日本語の表記や文法について、日本語母語話者は気づかなかったり、まったく無意識に使っていたりすることがらを一般読者向けにわかりやすく解説してあり、ヨシタケシンスケさんの軽妙な挿絵によって楽しく読める本です。
 日本語への関心を深めてもらえて、とてもうれしい。
 
 文庫本『日本語びいき』


 そうなると、かって勤務していた職場で同僚だった清水由美さんに「本へのサイン」なんぞもらっておけばよかったと、ちょっと残念。
 清水さんは、同じ大学の出身にして、同じ講師室で10年以上も共に日本語教育に携わった同僚です。

 2010年に清水さんが『日本人の日本語知らず』というタイトルで最初に日本文化社から本を出版したとき、講師室では大不評でした。まず、タイトルが不評。それは。
 日本語音声学者言語学者として著名な博学の徒であった城生佰太郎『日本人の日本語知らず』が1989年に出版されており、日本語教師たちは「城生先生の本と同じタイトルをつけるなんて、不遜!」という感想を持ちました。次に「こんなタイトルをつけるのは、漫画の『日本人の知らない日本語』が売れに売れたので、便乗して売ろうというのか」 という反発。

 当時の日本語業界。
 日本語教師海野凪子に取材した蛇蔵の漫画が、2009年に発売されると爆発的な人気となり、本も売れテレビドラマにもなりました。私は漫画も(古本屋ですが)4巻まで買って読み、仲里依紗主演のドラマも見ました。
 そういう「漫画人気・テレビ人気」に便乗している感じがして、日本語教師たちはいっせいに反発し、講師室のテーブルの上に見本の本といっしょに出ている「購入希望者は名前をかいてください」というメモに自分の名を書き入れる人はいなかったようでした。(私が見た限りにおいては、ですが)
 私も、著者からサイン本をかうという発想はなく、発売当時には買いませんでした。

 『日本人の知らない日本語』がどれくらい版を重ねたのか知りませんが、同じ本のタイトルを変えて『日本語びいき』という文庫本になって2018年に売り出されると、文庫という手軽さもウケたし、値段も手ごろになったので、私もようやく購入することができました。
 さらに清水さんは同じネタで中学生高校生向けにポプラ社から新書「すばらしい日本語」を出版。今や押しも押されもせぬ「日本語の本」専門家です。

 2010年当時、日本語教師たちはどうしてあれほど『日本人の日本語知らず』の目次を見て「ふん!」という態度をとったのか。文庫を読んでみればわかります。大学で教える日本語教師、日本語教育能力試験に合格した日本語講師にとって、書かれている内容は「日本語学を学んだ者ならだれでも知っていること、日本語教育の常識」にすぎなかったからです。日本語教師にとって、何か新しいことを教えてくれる本ではありませんでした。日本語教師向けの本じゃないのですから、当然のこと。

 清水さんの本の価値はなにか。
 yokoちゃんが「形容詞と形容動詞のちがい」を清水さんの本を読んで「ふうん、イ形容詞とナ形容詞って言うんだ」と、納得してくれたように、日本語文法にも日本語教育にも縁のない人にも、わかりやすく日本語の表記や文法について教えてくれたことにあります。

 私は、専門的な文献で日本語の奥義を学ぶことも日本語教師にとって必要なことだけれど、清水由美さんが本に書いたように「一般の日本語母語話者に対して日本語をわかりやすく説明する」というのも大事な仕事と思います。
 日本語学を学び始めたばかりのころ、言語学は私にとってやたらに難しくて硬い学問で頭に入らないことばかりでしたが、千野栄一先生の『言語学の散歩』を読んで、すごく面白く楽しく言語学にとりくめるようになりました。「言語学の散歩」を読んでいなかったら、せっかく千野先生の授業に出られるようになったあとも、言語学がわからないままだったかもしれません。

 「日本語母語話者に、日本語をわかりやすく教える」という点についてなら、2004年からシリーズで『問題な日本語』が出版されていました。日本語教師たちは、『問題な日本語』のほうを高く評価していました。北原保雄(筑波大学名誉教授)という日本語業界ではよく知られた大先生が監修者となっていたので、安心して手にとっていたのに比べ、日本語学の論文ひとつでも学会で評価されたことのない著者が、日本語に関する著書を出版したことに対して、いっせいに反発を示したのでした。(学者の世界ってせまいなあ)

 私は当時すでに「日本語学会」「言語学会」「日本語教育学会」で伸し上がっていこうという野心も持たない老師でしたから、どのようなかたちであれ、日本語について興味を持ってもらえるならいいんじゃないかと思っていました。しかし、2010年にはやはり『日本人の日本語しらず』という城生佰太郎先生の著作と同じタイトルでは手にできませんでした。
 私自身は城生佰太郎先生の教え子じゃなかったけれど、音声学については、城生先生の論文で学ばせていただきました。ましてや、直接教えを受けた人だと、反発する気持ちも半端じゃなかったでしょう。
 
 いまとなっては、城生佰太郎先生の『日本人の日本語しらず』という本を読む人も少ないでしょうから、清水さんの『日本語びいき』をもっと大勢の日本語母語話者に読んででもらって、「へぇ、形容詞って、そういうことだったのか」と思ってもらえばいいんじゃないかと思います。

 文庫本『日本語びいき』、yokoちゃんにも楽しんでもらえる内容になって、日本語のいろいろについて興味を持ってもらえて、うれしいです。
 日本語。これからも日本語について、日本語言語文化について、日本語を教える老師として、四方八方にアンテナを張って、いきたいです。にっぽにあニッポン語教師、日々研鑽。

<つづく>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「花嫁とは何か・学生に教わる日中語彙の意味違い」

2022-03-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
20220320
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>2022日本語学校春(2)花嫁とは何か・学生に教わる日中語彙の意味違い

 オンライン授業。教科書の文章・文型だけではなく、日本文化・言語文化の学習も私が続けている授業のひとつ。
 3月のある日は、日本語と中国語の漢字語彙の意味の違いを復習しました。

 手紙=中国語ではトイレットペーパー。愛人=中国語では正式なパートナー。日本語では、正式な結婚相手以外の恋人。特に経済援助をともなう不倫相手。工作=中国語では「仕事」という意味。日本語では道具などをつかって、いろいろなものを作ること。
 などの、初級でも学ぶ日本語と中国語の意味の違いは定着していますが、それ以外にも、中国語母語話者が陥りやすい「漢字熟語はだいたいが中国語と日本語の意味は共通」という思い込みに注意させなければなりません。

 日本語能力試験3級レベル2級レベルの語でも、中国語簡体字と日本新字の違いさえ押さえておけば、「開店」「国籍」「応対」「昼夜」「学歴」「提供」「服装」「発言」「環境汚染」「風力発電」などなど、語彙表に出ている熟語の半分以上は、中国語と共通の意味ですから、漢字の読み方さえ覚えれば、非漢字圏の学生に比べて、語彙理解は早いです。それだけに、日本語と中国語の意味が異なる場合に要注意。

 私は、本に書かれていることしかわかっていません。
 若者の使う最近の中国語について最新情報を得ておきたいので、ときどき学生に確認をします。私が若者に教えてもらう時間を設けました。先生におしえてやれるのは、学生にとって得意満面になる時間、日本語で説明する「日本語で意見を述べる時間」でもあります。

 今回、学生に聞いて確認できたのは、「花嫁」ということば。
 日本式のブライダル産業が中国にも進出して、これまでの「新婦」ということばのほかに、「花嫁」という「結婚する女性を表すことば」が中国に進出した、と、雑誌に書いてありました。ほんとうに、花嫁が「新婦」と同じ語として広まっているのか、学生に確認しました。

 学生に「新婦」と「花嫁」は同じ意味ですか。日本語では花嫁は「今日結婚式をあげる女性のことです」と聞いてみました。
 学生は、「花嫁は、結婚式をあげる女性」じゃありません、「結婚式」という意味です、と、訂正してくれました。
 伝統的な結婚式ではなく、白いウエディングドレスをまとう新しいスタイルの結婚式を「花嫁」という、と学生の説明を受けました。中国の伝統的な結婚衣装は赤いドレス。赤は、中国のお祝いのめでたい色ですが、白いドレスは従来は「お葬式の服」だったのに、「花嫁」の結婚式では、西洋式の白いドレスもOK。

 中国の新郎新婦の伝統的結婚衣装


 中国語で「新婦シンプー」は、たった今結婚式に臨んでいる女性。この熟語は日本語も中国語も同じ。もうひとつ中国語では「新娘シンニャン」という「新婦」と同じ意味の語があります。しかし、日本語の「娘」と中国語の「娘」は意味が異なります、日本語では母親が生んだ女の子供を意味しますが、中国語では子供から見た「母親」を意味します。結婚式に臨む女性を「新娘」と呼びますが、これは、「新しく母親になるであろう女性」という意味なのです。

 そのほか、日中の意味違い。
 日本語で「清楚な女性」というと「派手ではないさわやかで美しい女性」のイメージが浮かびます。が、中国語では「清楚=清晰・明晰」という意味になり「はっきりしている」「クリアな」という意味になります。「このコピーのプリントは、はっきりしている=此副本印刷清楚」
 「清楚な女性」は、「顔だちも物言いもくっきりはっきりしていて明晰な女性」のこと。

 顔色。日本語では人の顔の状態。青い顔色=あまり血色のよくない顔つき。でも中国語で「顔色」は、「すべてのものの表面の色」なので、日本語「このパソコンの色はとてもいいね」中国語「这台电脑颜色不错」と、パソコンにも顔色を使います。「この机の顔色、いいねと君が言ったから、3月10日は最後の授業記念日」字余り。

 「馬鹿」
 日本語では愚かな人、知識のない人。中国語では「馬のような鹿」「茶色の毛色の馬のような鹿=あかシカ」
 コンタクさんは、中国の故事成語を日本語で解説してくれました。
 「『史記』の秦始皇本紀(秦の始皇帝の記録)の故事に「鹿をさして馬となす」ということばがあります。秦の丞相(最高権力の臣下)趙高が二世皇帝に、鹿を「馬である」と言って献じた。群臣は趙高の権勢を恐れて「これは立派な馬です」と答え丞相におもねった。見たまま「これは馬じゃない、鹿です」と答えた者は処刑された。このことより、自分の権勢をよいことに矛盾したことを押し通す意味として『指鹿為馬・鹿を指して馬となす』という熟語ができた」。
 うん、この語源由来を私も読んだことがあるけれど、もし、中国語の「指鹿為馬」が「馬鹿」の語源なら、現代中国語の発音は「マールー」日本語の音読みでは「ばろく」となるはず。
 バカとは、サンスクリット語で「無知」や「迷妄」を意味する「baka」「moha」の音写「莫迦(ばくか)」「募何(ぼか)」というほうが、信憑性がありそうですが、日本語でいっしょうけんめい故事成語を解説してくれたコンタクさんの説を「ことばの意味がよくわかりました」とひとつの説であることでよしとしました。

 「迷惑」の日本語中国語の意味の違いを確認しました。
 日本語の「迷惑」は、中国語では「混乱」という意味。中国語「我现在很迷惑」=日本語「私は今、混乱している」

 そのほか、「呉越同舟」という四字熟語について聞いてみたら「現在では呉国も越の国もないので、「同舟共済」という四字熟語を使う、なども聞くことができました。

 日本語教師は日本語については学生に教える材料をたくさんもっているけれど、学生から教わる言語文化、私にとっては楽しい「新しい学び」です。
 ストレスの多いオンライン授業ですが、学生から学ぶことも楽しみにして、春休みまで授業を続けました。

 3月19日から、在校生は春休み。中国在住の来日予定学生のオンライン授業も3月23日で終了。
 学生の春休み中、コロナ対策もあり、3月いっぱいは在宅勤務。教職員は2021年度のまとめと2020年度の準備。4月からの新学期に備えます。

<つづく>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「オンライン授業・日本語学校危機一髪」

2022-03-19 00:00:01 | エッセイ、コラム
20220329
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>2022日本語学校春(1)日本語学校危機一髪

 東京のコロナ感染、第6波は少しは落ち着いたかと思うのですが、専門家の見方では、このまま第7波に突入かも、ということで、日本語学校も正念場です。
 留学生の来日が許可されるかどうかが、2022年度内に倒産するかどうかの瀬戸際です。経営が安定している大手以外は、どの日本語学校も瀕死の状態です。

 飲み屋さんも「うちだって瀕死」とおっしゃるでしょう。わかります。でも飲み屋さんは、店でお酒が飲めなくなったお客さんに迷惑をかけることはありません。飲み屋で飲めなくても、お客さんは家で飲むこともできる。
 が、日本語学校は、学校がこまるだけではありません。青雲の志を負い親戚縁者への借金を背負って来日した留学生の運命を抱えているのです。在学生がこの学校で学んでいる間、倒産することなんかできません。学生ビザを失えば不法滞在者になってしまい、強制送還される場合もあるのですから。(倒産する前に、他校への転校手続きをすることになりますが、すんなり受け入れてくれる学校があるかどうかもわかりません)
 なんとか彼らが思い描いた「日本での未来」を開いていけるよう、願っています。

 2021年4月と2021年10月に来日する予定だった学生にオンライン授業を実施していましたが、2月半ばから在学生に対してもオンライン授業となりました。

 オンライン授業、苦手です。自宅のWifiの受信が弱く、ちょっとWifiの接続が不安定になると、もうパニくってしまいます。アナログ教師にできる手立ては「再起動」のみ。
 本文を読み、文型を復習し、学生が作った短文の誤用部分を指摘して、どうして誤りなのか、解説する。「~を挑戦する、じゃなくて、~に挑戦する、だよ」など。
 その間に学生の声が途切れたり「センセーの声が聞こえません」なんて言われるとあわてふためく。学生からは「センセー、落ち着いて。たぶん、先生がミュートのボタンを間違って押してしまったんですよ」と教えてもらったりします。ふぅ。

 学生に「日本語を話す練習」として週末にしたことの報告をさせたり、私が日本の季節の話題を提示したり。3月6日の授業では、洗足池の梅の写真を画面に写して、「日本の紅梅、きれいですね。これはしだれ梅」なんて説明をしました。
 週末のようすをたずねると、学生は「自転車で多摩湖まで行きました」などの健脚ぶりを報告したり、「多摩川に沿ってひとりで散歩しました」「新聞配達のアルバイトはいつもは退屈な道ですが、きのうは、中国で見たことのないきれいなネコを見て楽しかった」なども話してくれましたが、「ずっと部屋にいました。週末も寝て、ゲームして、また寝て、、、」などコロナの引きこもり生活であることを報告したり。
 2020年の12月に入学したときは、なかなか口から出てこなかった日本語が表現できるようになっています。

 1年とちょっとたって、みんな入学当時からずいぶんとじょうずになりました。中上級のクラス11名のうち、6人が進学を決め、3月に卒業する予定です。初中級のクラス18名のうち、4名が卒業予定。
 2020年4月と10月の入学予定者だった彼らは、コロナの来日制限でようやく2021年12月に入学し、入学時期がおくれたため、1年半コースの学生も、2023年3月まで日本語学校に在籍することができます。ですから、卒業を急ぐことはなかったのですが、就職希望の1名と、専門学校入学を決めたネパール人学生が卒業することになりました。

 ネパールからの留学生。日本語能力が3級レベルに達していないので、本来なら「漢字圏学生は日本語能力試験(Nテスト)2級以上非漢字圏はN3級以上の能力を持って卒業要件とする」という学校の規定には当てはまらないところでした。漢字の壁をのりこえられなかったのです。
 しかし、会話力は上達しました。1年前は「おはようございます」も口にできなかった学生でしたが、日常会話はこなせるようになり、アルバイト先でも日本人と会話できるまでになりました。

 この2年間、留学生が来日できず、困っているのは専門学校も同じ。留学生入学がないと経営ができなくなる学校もあります。留学生の入学を待ち望む専門学校の意向もあって、日本語能力不足のまま入学許可を受けました。この先、専門学校の日本語での授業に苦労するとは思いますが、ネパール女性4名が2名ずつそれぞれ都内の専門学校に進学を決めました。

 卒業生のうち、日本語能力試験合格者1級ふたり、2級3人。
 1級に合格した学生も、大学進学に必要な2級をクリアした学生も、胸を張って卒業に向かうことになります。
 コロナ感染拡大で、学生も学校経営もさまざまな影響をこうむりましたが、未来を向いていたいです。

 オンライン授業ではパソコンやスマホを使って学生の顔を見ることもできますが、やはり、顔と顔を見合わせて同じ教室で学ぶことが大事と思います。「教室の空気」ができてくるからです。

 オンライン授業になる一日前の日、日本語インタビューの発表会をしたときの写真。発表会の準備をしています。早く、教室で元気な学生の顔を見たいです。


<つづく>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「中銀カプルセルビル」

2022-03-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
20220322
ぽかぽか春庭アート散歩>アート散歩建物拾遺2021(2)中銀カプセルビル

 娘との都内巡り。
 浜離宮庭園に紅葉見物に出かけて、パナソニック汐留美術館へ回る通り道に、前から見たいと思っていた中銀カプセルビルの姿を見かけました。
 黒川紀章設計によるメタボリズム(新陳代謝)建築思想が結実した黒川の代表的な建築物です。



 メタボリズムは、新陳代謝を繰り返し、時代を経ても前のままの姿で、しかも常に新しさを保っている、という建築上の考え方です。

 1972年に、黒川はメタボリズムの表現として新しいビルを建設しました。ひとつひとつの部屋がカプセルになっていて、それを積み重ねた集合住宅。もし、どこかのカプセルが古くなったら、カプセルごと取り替えて、建物全体は新しさを保つ、と黒川は考えました。

 しかし、建設以来カプセルは一度も新しく取り換えられることもなく、ビル全体が老朽化しました。内部の設備も古くなり、配管設備の老朽化によって水漏れも起きるし、屋根部分の老化によって雨漏りも起き、どんどん古くなってきました。

 何度も取り壊して新築ビルを建て替える話が出たのですが、住人の中にこの建物の建築的価値を残すべきだと考える人もおり、取り壊し建て替えに反対運動が起きました。
 ビル所有者のいざこざもあったようで、結局、老朽化したままの姿になっていました。

 エントランス前のプレートも、古びてカプセルタワービルが「カフセルタワーヒル」になっています。たぶん、このまま取り壊すことを考慮してネームプレートの修理もしないのでしょう。


 いずれ取り壊されてしまうのかもしれませんが、その前に現在建っている姿で見ておきたいと思っていたのですが、パナソニック汐留美術館に何度も訪れても、このあたりの土地勘がないため、すぐそばにカプセルビルがあることに気づかなかったのです。最後になるかもしれない建物の姿を目にできてよかった。
 黒川の中銀カプセルタワービルの解体も、まもなく始まるということです。

 ひとつひとつのカプセルの内部は、埼玉県立近代美術館わきに展示されていました。この美術館を設計したのが黒川紀章だからです。
 2013年に埼玉近美を訪れた時、中銀カプセルタワーの中部を見ることもでき、ブログにUPしました。以下、2013年の春庭コラム再掲載です。 
~~~~~~~~~~~~~~~
中銀カプセルタワーのひとつとその内部
   
 中銀カプセルタワービルの写真がカプセルの横に展示されていました。

 中銀カプセルタワービルは、全体を取り壊して建て替える計画が出たものの、保存派の意見も根強い。黒川自身は「全体を取り壊さなくても、使用に耐えない一部だけを取り替えれば済むためにカプセルの設計にしてあるのだから」と、自身の作品が壊されることには、反対の立場だったそうです。

 一時は建て替え賛成派が半数以上になったものの、いつのまにか建て替え案は立ち消えに。
 話題になって賃貸希望者が増えた結果、ありきたりのオフィスビルになるようりも、「黒川紀章設計カプセルタワー」という付加価値で高めの賃貸にしたほうがいいと考えるオーナーが増えたのか、現在のところ建て替え案は再浮上に至っていないようです。

 現在の中銀カプセルひとつの賃貸は、10平米で1ヶ月6万円~6万5千円。中銀カプセルと同じ1972年に建てられた銀座のビルと比較すると。1972年築中央区銀座1-28-16杉浦ビルのレンタルオフィスは、90平米で1ヶ月27万円の賃貸料金です。10平米あたりなら約3万円ですから、カプセルタワーのほうが倍以上の割高であることがわかります。中銀カプセルという名に、付加価値がついているのだろうと思います。

 建物を見るにつけ、絵や陶磁器を見るにつけ、ついつい値段の話になるのが私の鑑賞法なので、賃貸料金比較をしてしまいました。
 新陳代謝(メタボリズム)なのに、代謝を拒否するのは、芸術的価値うんぬんよりも経済的要素があるのではないかと思ったので計算してみたまで。
 建築の思想うんぬんやら空間処理うんぬんなどの理論で建物を論評するのは専門家がさんざんやっているだろうから、私は私の「値段で論ずるアート」をやってみました。

 日展などの公募展を見るたび、入賞作とそうでない作に差はないなあと感じ、「審査の先生が、弟子筋の中から高額の指導料を師匠に収めた順に入賞させる」という毎年だされる噂がほんとうなのやら、と疑いながら見ていたのですが、今回の日展審査不正騒動の報道により、噂は本当だったことが明らかになりました。
 アートの評価なんてそんなものです。今後は、日展入賞作品の脇に「審査員への指導料100万円収めた作品」とか、「毎月10万円の講師料を払って指導を受けている人の作品」という具合に値段表をつけて展示したらいいんでないかい?

 建物にもさまざまな毀誉褒貶が付与されますが、ま、私は私の感覚で好きな絵や建物を見ていけばいいのだ、とつくづく思います。

 さて、摂取した熱量=カロリーの新陳代謝がうまく運ばずに、脂肪となって溜め込まれてしまうというのがメタボリックシンドローム。私の熱量の新陳代謝もさっぱりとすすまず、溜め込まれています。摂取熱量が消費熱量を上回る故に脂肪となるのだとはわかっているものの、今日も仕事帰りの電車の中で、鯖のバッテラ4貫とピーナツひと袋を食べてしまいました。

 明日をもしれぬ浮草稼業、来年の契約はどうなるのか。
 安定した幸福な人生をおくっている方には、非常勤やパート、派遣の不安な日々をおくる身の上を思いやる時間もないことでしょうが、せめて、駅のベンチでカップ酒飲んでいるおっさんやら、電車の中でピーナツをぼりぼり食べている太めのおばはんを見かけたおりは、「あらま、かわいそうに、新陳代謝がうまくいかず、ストレス溜め込んでいるんでしょうね」と、同情してください。

 建築メタボリズムの総帥、黒川紀章でさえ、自分の作品が新陳代謝されてしまうのを嫌がったのですから、わたくしごときがストレスを脂肪に変えて溜め込むのも、むべなるかな、私のメタボリックシンドローム代謝不全をお咎めなきよう。
~~~~~~~~~~~~~~
20220322
 メタボリズム建築の代表作「中銀カプセルタワー」は、ついに解体が決定したもようです。2022年内には取り壊してしまう。見たい人はお早めに。

 メタボリズムの建物。都内で見ることができるのは、菊竹清訓設計の江戸東京博物館。博物館はこれからも残るでしょうが、菊竹設計のホテル、上野不忍池のほとりに建っていたソフィテルホテルはすでに解体。跡地には、見た目ごく普通のビルが建っています。ソフィテルホテルは、地上面積や容積率に対して客室数が少ししか確保できなかったそうなので、資本主義の論理には合わない建物でした。建築的な価値うんぬんよりも、資本の原理が優先するのが私たちの住む資本主義世界。
 古いビルを保存するためには、耐震工事の厳重化などもあり、新しいビルを建てるよりも大金がかかるのだそうです。経済面だけ考えれば、新しいビルのほうが効率的運営には役立つ。

 菊竹設計の、今はなきソフィテルホテル。


  今、私が心配しているのは、電通が手放したという駒沢の八星苑です。
 「電通グループは、東京・世田谷に保有する農園と鎌倉の研修所などを4月に売却する。売却するのは世田谷区駒沢一丁目に所在する「電通八星苑」(敷地面積2万7544㎡、建物面積4棟4515㎡)を、住友不動産に売却」というニュースがでたのは2021年春。電通は、この広い緑地を畑として障碍者雇用枠の人々を農業従事者とすることで「わが社はちゃんと障碍者雇用を行っています」というイクスキューズにしていたのだとか。
 住友不動産がこの先管理していくのでしょうか。

 売却先がフランク・ロイド設計の個人住宅「旧林愛作氏邸宅」に、建築史上の価値を認めて保存してくれるなら問題ないですが、東京の広い土地を欲しがっている、成金は世界に多い。とくに、土地が国有の国の富裕層は、土地を自国で買うことができないため、つぎつぎに日本の土地を買い集めているというニュースも伝わってきます。京都の有名老舗旅館の広い日本庭園と旅館建物も、外国資本の手に渡ったなどと聞くと、東京の広い土地がほしいけれど、その土地を畑や個人住宅のままにしておくなんて、とんでもない、と考える富裕層が買ってしまったら、たちまち住宅は壊され、緑地はビルだかマンションだかになるでしょう。

 電通は旧林愛作邸を一般公開をしてこなかったので、私は一度も見ることがかないませんでした。林愛作は、ロイドが設計した旧帝国ホテルの支配人でした。渋沢栄一によって、帝国ホテル支配人に抜擢された林は、自宅の設計をロイドに依頼したのです。
 池袋に残る自由学園は見学可能なので、何度か見に行きましたが、旧林愛作邸を見ないままなのは、残念無念です。
  
<おわり>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「白井晟一 入門 in 松濤美術館」

2022-03-15 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220320
ぽかぽか春庭アート散歩>アート散歩建物拾遺2021(1)白井晟一 入門 in 松濤美術館 in 松濤美術館
 
 何度も訪れてきた松涛美術館。中庭の噴水や池に反射する光、2階にかけられた池の上の渡り廊下、池を取り囲む建物など、いい建物だなあと眺めてきましたが、設計者が白井晟一であることを意識したこともありませんでした。
 
 林芙美子のパリ生活の日記などに出てくる白井晟一。
 とてもダンディ、おしゃれな風貌で、夫ある身の芙美子をも虜にする青年だったろうなあと当時の写真などをみてきました。パリ在住時にはまだ建築家としても装丁家としても確立していないころで、「何かを求めて留学してきた日本青年」というだけのワカゾーでした。林芙美子の日記には「s」と書かれています。

 白井晟一の解説 by 松濤美術館 
 白井晟一(1905~1983)は京都で生まれ、京都高等工芸学校(現京都工芸繊維大学)図案科卒業後、ドイツで哲学を学ぶなど異色の経歴をもつ建築家です。
 林芙美子などと交流した滞欧期を経て帰国後、義兄の画家・近藤浩一路の自邸の設計を手掛けたことを契機に独学で建築家への道に進みました。その後「歓帰荘」「秋ノ宮村役場」といった初期の木造の個人住宅・公共建築から、「親和銀行本店」「ノアビル」「渋谷区立松濤美術館」など後期の記念碑的建築まで、多くの記憶に残る作品を残しました。そのユニークなスタイルから哲学の建築家などとも評されてきました。
 一方で、建築以外の分野でも才能を発揮し、多くの装丁デザインを手がけ、そのなかには「中公新書」の書籍装丁など現在まで使用されているものもあります。また著作や、書家としての活動など、建築の枠組みを超え、形や空間に対する思索を続けました。
 本展は、初期から晩年までの白井建築や、その多彩な活動の全体像にふれる、いわば白井晟一入門編として構成するものです。
 第1部では白井晟一の設計した展示室でオリジナル図面、建築模型、装丁デザイン画、書などを、白井晟一研究所のアーカイヴを中心に展示し、その活動をたどります。第2部では、晩年の代表的建築のひとつである松濤美術館そのものに焦点をあてます。長年、展示向けに壁面等が設置されている展示室を、白井がイメージした当初の姿に近づけ公開します。

 第2部(会期:2022年1月4日(火)~1月30日(日) )は、建築当初の姿に戻した白井が設計したままの「松濤美術館の建物を見る」というものでしたが、1月中にでかけることができず、残念でした。展示用に使われるときは、茶室などは見ることができませんし、展示の章名のために窓に黒幕がかけられたりしていたから、見ておきたかったのですが。

 松濤美術館が自館紹介に出している画像 正面入り口。


 私が観覧したのは第1部の展示。白井の建築図面や建築模型、すでに失われてしまっている建物の写真などが展示されていました。
 第1部/白井晟一クロニクル 2021年10月23日(土)~12月12日(日)

 白井の作品、群馬県松田町役場の写真、ノアビルの模型などの展示がありました。もう建物が残っていない作品も多いのですが、写真を見ることができただけでも、貴重な機会でした。白井の設計した小住宅は、ほとんど「現存せず」になっていました。

 設計図と映像作品による「原爆堂」は、すばらしい展示でした。白井がビキニ環礁の水爆実験のあと、ビキニや長崎原爆への鎮魂のために設計した慰霊堂ですが、実現することなく終わりました。
 CG動画が会場内で公開され、原爆堂の外部から内部を歩く擬似体験ができました。 
 設計図やそれをもとにした模型などで、全体のようすがよくわかりました。できるなら、長崎の平和公園にこの慰霊堂が実現できたらいいなあと思います。


 白井の作品のうち、小住宅は「現存せず」のものが多いですが、松井田町役場は、かろうじて建物は残されています。しかし、新しい耐震設備を施せないままに「廃墟」のようになっているというので、残念です。最新の写真を見ると、正面には「見学不可」とあり、中に入ることはできないようですが、群馬に行けたら、せめて外観を見てきたいです。

 松井田町役場の保存、長崎慰霊堂の実現、どこか志のある方、修理費建設費を工面できないものでしょうか。

 旧松井田町役場 2021年12月撮影の画像を借用


 松濤美術館の画像を見ていると、1月の「建築当初の美術館そのものを展示する」という展示時期に見にいく機会がなかったことが悔やまれます。
 また次の機会に。それまで借用画像をながめてすごします。

 中庭


 階段


<つづく>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「港区郷土歴史館(旧国立公衆衛生院)」

2022-03-13 00:00:01 | エッセイ、コラム

 旧国立衛生院(港区郷土歴史館)正面
 
20220313
ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩建物巡り早春(2)港区郷土歴史館(旧公衆衛生院)

 私の建物好きを知っている娘が「白金台の駅の前に建っている港区郷土歴史館って見学したことある?」と聞きます。「庭園美術館に行く前に、白金台の駅近くにある東京大学医科学研究所の建物を見たことあるけど、その隣にずっと工事中の建物があったなあ、そこかなあ」
 そこでした。 
 
 医科学研究所と同じく、内田祥三(うちだ よしかず1885-1972)の設計。内田は安田講堂をはじめ、東京大学の諸施設を数多く設計した建築家。(私は2月2日にこの施設を訪れて設計者略歴を見るまで「しょうぞう」という名前だとばかり思っていました)。
 
 1938(昭和13)年に建設された旧公衆衛生院。構造は鉄骨・鉄筋コンクリート造、スクラッチタイルで覆われたゴシック調の外観で、「内田ゴシック」 と呼ばれる重厚なスタイルです。
 医科学研究所と公衆衛生院は一対の建物としてデザインされています。
 
 これまで、東大法学部3号館 (1927)東大教養学部1号館 (1933)東京農工大学農学部本館 (1934)東大駒場博物館 (1934)東大理学部本館(1939)
など、内田作品はけっこうな数みてきました。
 でも、内田の遺作である損保ジャパン本社ビル(1976)など、そんぽ美術館にいくたび、正面入り口から入っていたのに、内田作品とはおもわずにスルーでした。なにしろ、どでんと重厚な内田建物が多いので、そんぽビルが内田作品かどうかなどはと気にしたことがなかったのです。
 
 公衆衛生研究所は、2002年に和光市に移転。私が隣の東大医学部病院の建物を見たころには、お化け屋敷のような雰囲気でした。医学発展のためと解剖された死体なんぞが夜な夜なでてくるような。
 2009年に建物は港区の所有となり、長く工事中で外観を見ることも難しかったです。2018年まで改修工事が続けられ、明るく美しい「港区立郷土歴史館等複合施設ゆかしの杜」として生まれ変わりました。(改修担当は日本設計)
 
 港区立郷土歴史館は、郷土資料などは常設展として有料展示ですが、建物を見るだけなら無料。私と娘は建物を見に来たのであるから、当然無料見学。撮影自由。テレビドラマのロケ地にもよく使われているのですと。
 
 旧公衆衛生院は、日本の公衆衛生の改善と向上のため、公衆衛生に携わる技術者の養成、訓練を行うとともに、公衆衛生に関する調査研究機関として設立されました。建物は、1923年にロックフェラー財団の寄贈により建設されました。外観は、城のような要塞のような、内田ゴシックによるこけおどし的重厚さですが、内部には保健婦看護婦になるための寮なども含まれ、当時としては最先端の女子寮でしたから、ここで学ぶ人にとっては、誇らしく国への貢献を決意したくなるような設備でしたろう。

 正面入り口ファサード内
 
 正面入り口ロビー
 
 講堂 
   
  旧所長室
 
 今回は、港区郷土歴史館の常設展示などを見る時間がなかったので、また訪れたいと思います。
 

 
<つづく>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「旧清明文庫(勝海舟記念館)」

2022-03-12 00:00:01 | エッセイ、コラム

 勝海舟記念館正面(旧清明文庫)

20220312
ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩建物巡り早春(1)旧清明文庫(勝海舟記念館)

 勝海舟記念館は、洗足池東側に建っています。東急池上線洗足池駅から道路を渡るとボート乗り場に着きます。
 ボート乗り場の東側に記念館があります。

 勝海舟は、西郷隆盛との江戸城明け渡し交渉に向かう途中、洗足池畔で休憩したのちに会談場所の池上本門寺へ向かったのだそうです。そのおり洗足池の風致が気に入り、池のほとりに別荘「洗足軒」を建てました。
 勝海舟の死後、遺族から財団法人清明会に土地が寄贈され、1928年、鉄筋コンクリート3階建ての洋館が竣工しました。外観はネオゴシックスタイル、内部はアールデコ装飾により建てられていますが、設計者がだれであるか施行者だれだったのか、記録が残されていません。

 西側から見る記念館
 

 勝海舟の遺蹟を保存するための清明文庫でしたが、戦後は出版社の所有となり鳳凰閣として存続。
 大田区が鳳凰閣を取得し、改修工事をほどこしたのち勝海舟記念館として2019年に一般公開しました。2000年に国登録有形文化財の指定をうけました。
 一般公開にあたって、東側にステンレス張りの新館が付け加えられました。現在、新館のエントランスから入場します。
 展示は撮影禁止ですが、建物の撮影はOK。内部は禁止のところ撮影OKのところがありました。

 旧清明文庫の玄関 玄関内側

 階段


 大田区の改修工事は、元の姿に近くなるよう修復されましたが、現在では手に入らない建材などは、できる限り復元を試みています。

 腰壁の泰山風タイル。
 

 2階講堂のステージわき飾り柱

天井の飾りは復元

 勝海舟の身長は154~156くらいだったそうです。(衣裳などから推定)
 等身大パネルといっしょに写真をとりました。


 記念館の展示物は撮影禁止なので、勝海舟の使用した印鑑の印影は撮影できませんでしたが、荷物を入れておいたロッカーのとびらに印影がプリントされていました。

 100年前の建物が、公共のものとして改修された例として、勝海舟記念館はよい一例かと思います。もうひとつ、旧公衆衛生院を港区が取得して改修し、港区郷土歴史館として区民のコミュニティにも利用できるようになるなどの例があります。関東大震災にも東京大空襲にも残った建物、大切にしてほしい。

 多くの近代建物が「耐震工事にお金がかかる」などの理由で解体撤去される例があとをたちません。個人の持ち物である建物などをできる限り公的に維持管理されていくよう、日本の近代建築史に残る建物が残されていくことを望んでいます。
 
 1928(昭和3)年に建てられたネオクラシック様式が残されている例は少ないということなので、勝海舟記念館として維持できることになり、よかったと思います。
 次回は港区郷土歴史館を紹介します。

<つづく>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「洗足池の梅」

2022-03-10 00:00:01 | エッセイ、コラム

 洗足池畔の紅梅

20220310
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記春よこい(4)洗足池の梅

 小石川後楽園の梅林で梅を見たり、神代植物園の梅林に出かけたりすることが春先の愉しみでしたが、今年は、大田区の洗足池公園に咲く梅を見にでかけました。
 娘息子が幼いころ、じいちゃんと洗足池に出かけボートに乗ったりするのが「祖父母の家に行くことの愉しみ」のひとつでしたが、私はいちども洗足池公園に行ったことがありませんでした。

 娘たちが幼いころのお楽しみだったスワンボート


 洗足池は、春は桜の名所夏は蛍秋は紅葉と、都内有数の景勝地。勝海舟がこの地の景色を気に入り別荘を建て墓も池のほとりにあります。今回洗足池に出かけたのは、2019年に公開された勝海舟記念館の建物を見るためでした。(建物は次回紹介)

 東急池上線洗足池駅を6時として、時計回りに池の周りを散歩しました。
 私は、はじめて訪れた洗足池。

 洗足池池月橋(駅から見て10時ほど)


 梅は、大田区内では「池上梅林」が有名なのですが、洗足池の池畔にも、そこそこ梅が見られたので、暖かい一日の散策にちょうどいい一周1,2kmでした。


 30cmくらいありそうな望遠カメラを持った一団がいました。洗足池は都内有数のバードウォッチングスポットだということです。
 私のコンパクトカメラで映すことができたのは、何羽もありませんでしたが、望遠のすごいレンズだと、きっといろいろな鳥を撮ることができたでしょう。この日はカワセミを見ることができませんでしたが、キンクロハジロ、オナガガモ、カルガモ、ユリカモメ などを見かけました。

キンクロハジロとゆりかもめ

 もとは千束だった地名が、日蓮上人が池のほとりで足を洗ったという伝説が生まれてから洗足池になったのだとか。足を洗ったときに袈裟をかけておいた松というのが寺の境内にあったのですが、3代目ということで、思った以上に細い幹だったので、がっかり。都内の公園で樹齢300年の物語の松(白金植物園)や浜離宮の三百年の松 などの立派な松を見てきたので、3代目とはいえ、もうちょっとがっしりした松を期待していたので、日蓮さんが袈裟をかけたときは、このくらいの細い松だったかもしれない、と思うことにしました。

 洗足池の伝説では日蓮袈裟懸けの松のほか、名馬「池月」の伝説が有名です。
 1180(治承4)年、源氏再興の挙兵のあと、鎌倉をめざす源頼朝が洗足池池畔で休んでいた時、見事な野生馬がやってきました。「池に映る月影のよう」 な美しい姿であった馬は名前を池月と名付けられ、頼朝の馬に。池月の活躍もきっと大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で描かれることでしょう。

 池月橋で。洗足池駅を6時とすると12時の対岸に名馬池月の像がありました。


 勝海舟記念館の見学を終え、池を見ると、もうすっかり夕暮れの景色でした。

 はじめて訪れた洗足池。桜のころ、また散歩したいと思います。
 3月3日の首相記者会見では、留学生の来日に配慮するというお話もでました。留学生にとって、日本語学校にとって、桜をゆっくり楽しめる春になってほしいです。

<おわり>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「岩合光昭のネコ歩き」

2022-03-08 00:00:01 | エッセイ、コラム

 購入した文庫本の表紙

20220306
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記春よこい(3)岩合光昭のネコ歩き

 昨年の夏、八王子の富士美術館で「岩合光昭の世界ネコ歩き」展を見た時、娘は「バスに乗りたくないから行かない」と言いました。八王子駅から20分くらいバスに乗らないとならないので、娘には苦手な道中です。ひとりで見てきました。
 それ以来娘は「やっぱりバス酔いを我慢しても見ておいたほうがよかったかなあ」と後悔していましたが、横浜のNHK放送ライブラリーで「NHK岩合光昭の世界ネコ歩き」展をやっているというので、2月11日祝日に出かけてきました。

会期:2021年12月10日-2022年2月13日


 体温管理マスク手洗い完全にして放送ライブラリーに、会期が終わる前々日に滑り込みセーフ。祝日だし、無料のイベントなので、思ったより人出はありました。
 見たい写真をじっくり見て回る余裕はありましたが、いつも私と娘が出かける「観覧者は私たちだけ」という美術館ほどすいてはいませんでした。



 猫写真も、NHKの番組「岩合光昭の世界ネコ歩き2」の放映も、楽しく観覧できました。
 会場で見た番組は、私がひとりでぼうっと見ていたテレビ「ニューヨーク篇」でした。
 ピザ屋の看板の上にいる白猫は覚えていましたが、「飼い主と公園散歩していて木に登ったはいいが、ひとりでは降りられない猫」などは忘れていたので、もう一度見て楽しめました。

 前回の富士美術館のときも今回も、岩合さんが猫たちに接する姿がとても魅力的で、世にねこ写真は数あれど、やはり岩合光昭さんならではの写真だなあと感じました。どのネコもとってもかわいい。世界の風景の中の猫も魅力的。


 前回富士美術館では絵ハガキを購入したけれど、今回は、娘のクリアファイルと写真集文庫本を購入したら、大判ハガキがおまけにもらえました。さらにくじをひいたら、いつも籤運のよい娘は、買うか買わないか迷っていたマスキングテープが当たりました。

 本を買ったおまけの絵ハガキは「京都の舞子さんとネコ」

 会場内は撮影できませんでしたが、写真パネルの「撮影スポット」が何か所かあったので、ネコや岩合さんといっしょにパチリ。

 


 NHKの「岩合光昭のネコ歩き」これからも楽しみに見ていきます。

 NHKのライブラリーの中では、アナウンサー体験をするコーナーなどがあって、ニュースやお天気コーナーのお試しに挑戦してみました。
 観覧のあとは食事して帰るのが定番でしたが、この日は、日本大通り駅からどこにも寄らずに帰宅。30分もかからず行ける横浜ですが、一応「他県」なので。

<つづく>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「花は咲くー北京オリンピック・パラリンピック」

2022-03-06 00:00:01 | エッセイ、コラム
20220306
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記春よこい(2)花は咲くー北京オリンピック・パラリンピック

 2月4日の開会式から23日の閉会式まで17日間。フィギュアスケートファンの娘と私は、放映されたフィギュア全試合全選手の競技を応援しました。
 フィギュア以外では、スピードスケート女子、カーリング女子、アイスホッケー女子、スキージャンプ女子、などはできる限りライブで応援しました。

 ライブで応援して勝てたときは「ほら、うちらが応援できたから高木美帆選手が1000メートルで金メダルとれた」などと大騒ぎでしたが、デイリーハイライトだけで見て済ませた、という競技もありました。たとえばバイアスロン、ボブスレー・リュージュなどはダイジェストで結果を見るだけでした。

 我が家はなんといっても、フィギュアスケートです。私は2月7日8日9日14日は勤務があったので、団体競技や男子シングルが午前中にライブ中継されたときは、ライブでは応援できませんでした。そのため、いとしのユズ君が氷の溝にひっかかってしまい、4回転アクセが不成功になってしまった、と、思ったのですが、これは私の念が届かなかったせいではなかったみたい。

 フィギュアスケート、スピードスケート、アイスホッケー、カーリングなど、氷を使う競技が数多くあります。カーリングは氷の状態を見定めることが勝敗を左右します。氷は、競技別にきっちり温度管理をして製氷すべきなのに、日本の精密な製氷技術に比べて、北京の製氷技術はやや精度が低く、管理不足の面が残る製氷だったのだ、という製氷専門家による意見があったと聞きました。

 スピードスケートでもパシュートで高木菜那選手が引っかかって転倒したという氷の状態。製氷の不備を乗り越えて勝つのが真のチャンピオンということもわからないではないですが、捻挫をこらえて出場したユズ君には、最高の状態の氷で滑ってほしかった。前にすべった選手が悪いのではありません。溝が深くなるほどの氷の状態だったという製氷の問題でしょう。

 フリーでの4Aが認定されたということで「少しはむくわれたかな」というユズ君のことばになったので、私も少しはほっとしました。

 フィギュア団体は、アイスダンスのチームココ、ペアのリクリュウの躍進で銅メダル。ソチでもピョンチャンでも届かなかったメダルをやっと団体でとれたのに、ワリエワのドーピング発覚でメダル授与式は行われませんでした。
 疑惑はあっても、ワリエワは15歳以下ということで競技出場が認められましたが、非常に後味が悪い。

 今後のクリーンな競技を保つために、何歳であれドーピング違反をしたものは、発覚から10年間は国際大会に出場禁止、指導していたコーチや関係者も同様、という措置をとらない限り、国家ぐるみのドーピングが続くでしょう。ロシア国内では、エテリコーチを擁護する声が大きいのだということですが、15歳のワリエラの身体管理は、エテリ・トゥトベリーゼコーチを中心とする指導陣に責任があります。ISUの厳格な審議を待ちたいです。

 かって、東ドイツの女子体操選手が成長をおさえるホルモンを投与され続け、成人後にホルモン異常や不妊などの健康被害が出たと訴えていました。
 ワリエワの成人後に健康被害が残らないことを祈るばかり。ワリエラが処方されていたのは、心臓の血流をよくする心臓病治療薬で、この薬を服用すれば、疲れをしらずに何時間でも練習していられるし、本番でも後半になって体力がなくなって失敗する、ということがなくなるそうです。でも、心臓が弱った高齢者に投与する薬剤を未成年の少女に投与すれば、将来の健康に及ぼす影響はどうなるのか。もっとも、かの国では、少女選手は成人すれば使い捨て。トクタミシェワがミンシンコーチのもとで25歳まで現役を続けたのは珍しい例です。エテリ門下ではなかったトクタミシェワは、ついにオリンピックに出場はかないませんでした。

 ROCの選手、コーチ陣に不信感をむき出しにしたトゥルソワはどうなるのか。演技を終えたトゥルソワを向かい入れようとしたエテリコーチの手を振り払い、「あなたのしたことはみんな知っている」と言いすてたのだとか。今後エテリコーチのもとでは練習できないでしょう。

 エテリコーチに「なぜ闘うのをやめたのか」と詰問されたとき、ワリエラはキス&クライで「これで、メダルセレモニーができるようになったでしょ」と口答えをしたのだという。国内では選手生活を続けられるのか心配でしたが、ワリエワ自身のサイトの中では、「コーチ陣に感謝しています。私を強くしてくれてありがとう」というコメントを出したそうです。亡命説も出るワリエワ。亡命されては困るので、この先、選手囲い込みもあるでしょう。国際大会で、国外に出るのを許さないか、ワリエラやトゥルソワの傍らには常に目を光らせた人がぴったりついている、ということになるのかも。ロシアのウクライナ進行を批判したメドべヂェワも心配だし。

 かっての世界最高のバレエダンサー、マイヤ・プリセツカヤが亡命を防ぐために軟禁同様の「不自由な生活」をおくらざるを得なかった、という時代に逆戻りかしら。
 練習がどれほどたいへんでも、安全に競技ができる日本の環境はありがたいものです。その平穏に慣れてしまわぬよう、世界の選手や芸術家を見守っていきたい。

 日本の選手、のびやかに持ち味を発揮しました。
 坂本選手鍵山宇野選手、メダル獲得おめでとう。樋口新葉選手も5位入賞りっぱです。 
 河辺愛菜選手は、緊張もあったのか転倒が続き成績は上がりませんでしたが、きっと今回の経験を生かして成長していけるでしょう。

  スノボもスキーも、選手はせいいっぱいがんばりました。ロコソラーレチームの銀メダルもほんとうによかった。

 そして、だれよりもすばらしいと思えたのは、やはり羽生結弦選手。足首捻挫をいつもの4倍の痛み止めで抑えての出場だったのに、ショートでは長く練習に打ち込んだクワッドアクセルがシングルになってしまう不運。
 フリーでは4Aがみとめられて、メダリストに次ぐ4位まで成績を上げたとはいえ、インタビューでは「むくわれなかった」と言い続けました。彼が極限まで練習を続けて追い求めた「冬季五輪三連覇」という偉業には届かなかったのはさぞかし無念ではあったと思います。
 彼自身にとっては満足のいく結果ではなかったでしょうが、私たちにとって、羽生選手が続けた挑戦は、三連覇と同じくらいすばらしいスポーツ精神の成果だったとおもいます。

 成田に帰国したユヅ君をユズフリークマダムたちがお出迎えしたそう。昨年観覧したユヅ君出演のアイスショーで、私と娘の席の後ろに陣取っていたマダ~ム一団、成田まで出向いたんじゃないかしら。 
 私とて、ユズ君が2007-2008シーズン13歳でノービス競技で優勝し同時にジュニア選手権3位となったときから、14年間応援を続けてきたユズファンです。が、22日は仕事しなけりゃならず、成田まで行けるマダ~ムたち、いい身分だなあとうらやまし。
 せめて東京の片隅から、この唯一無二の競技者をたたえたい。

 エキシビション「花は咲く」


 おそらく今後彼は、現役競技選手としてはスケートを続けないかもしれません。でも、私たちは、この北京五輪に向かった羽生選手の努力、挑戦する姿を思い出すたびに、ずっと励まされて生きていけます。ありがとうユヅ君。


 エキシビションの「花は咲く」も美しかったですが、唯一無二の羽生結弦という存在そのものが私たちの宝物です。エキシビションで楽しそうなユヅ君を見て、幸福な気持ちで北京五輪を見終わることができました。

 ロシアのウクライナ侵攻。ロシアのパラリンピック選手は出場が許されないことになりました。
 ロシア・ウクライナ情勢が解決し、ウクライナほかのスポーツ選手も安心して大会などに参加できるよう、ねがっていましたが、ロシア&ベラルーシは参加を許されないことに。プルシェンコは「政治とスポーツをいっしょにするな」と言いましたが、戦争好きなプーチンを恨め、というしかない。
 ロシアとベラルーシの選手は残念だけれど、選手たちも紛争解決を願っていると思います。

 3月5日のパラリンピック開会式を見ました。(実は、パラ会長の挨拶の途中で眠くなり、残りは6日午前中の録画で。バッハ会長といい、長いのどうにかならんか)
 マスコットは赤いランタン雪溶融シュエロンロン。あんまり親しめなかったパンダよりもかわいいかも。おみやげにもらうなら、こっち。(パンダマスコット「ビンドゥンドゥン」を織田信成は4時間半並んで入手 したんだって)

 選手団の入場、日本は「日」が4画の漢字なので、2番目の登場。ウクライナは「」ウーロン茶の「」と同じ。5画です。
 各国の選手、車いすの選手も義足の選手も誇らしく行進していました。障碍を持ちつつどれほどの努力を重ねてこの日を迎えたのかと思います。
 が、同時に、多くの国に存在する、恵まれない国の支援の薄い障害者のことを考えてしまいます。夏のパラリンピックのときも思いましたが、悲惨な状況に置かれている障碍者が多いことを忘れないようにしたいです。

 張芸謀(チャン・イーモウ)の演出は北京冬季オリンピックと同様のテイストでしたが、私には納得いかなかった演出が、ひとつありました。聖火最終ランナーの視覚障碍者の点火。
 点火場所に聖火を差し込むのに時間がかかると、会場から「加油!」の大合唱。ようやくうまく聖火台が出来上がると、大拍手。という感動シーン。

 へそ曲がりHALは、ここに違和感あり。点火はぶっつけ本番でやるわけではなく、何度も練習したはずです。視覚障害がある方は、目は見えなくても、聴覚触覚の感覚はとても鋭い。点火の作法を一度でも練習したことがあれば、雪の結晶の設置場所に聖火を差し込むのに、あれほど時間がかかることは思えません。張芸謀から「ゆっくり時間をかけて」という演出が要請されていたのではないかと思ってしまいます。それとも、本番のときだけ「アガって」しまったのかもしれませんが。


 少なくとも私が知っている日本の視覚障害の友人たちは、一度練習したことにあれほど手間どるとは考えられない。一度聞いた声は10年たって会っても声を聞いただけで「あ、〇〇さん久しぶり」と覚えているし、一度触ったものの使い方もきっちり使えるようになるからです。視覚以外の感覚が優れていると思う人ばかり。これって、私が出会った視覚障碍者だけが特別だったのではないと思うのだけれど。
 
 張芸謀演出、花火も氷上のプロジェクションマッピング映像も美しかったし、よい開会式でした。(会長挨拶が長いのをのぞけば)

 出場選手たちが十分に練習の成果を発揮できるよう願っています。
 そして、ウクライナに平和が戻りますように。

<つづく>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする