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ぽかぽか春庭「2018年9月目次」

2018-09-30 00:00:01 | エッセイ、コラム


20180930
ぽかぽか春庭2018年9月目次

0901 ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>ことば古今東西(1)消えます、きえます、、、、日本語
0902 ことば古今東西(2)入試スピーキング

0904 ぽかぽか春庭ニッポニアにっぽん語教師日誌>(1)修了生との会食

0906 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記残暑deござんしょ(1)大人のえんそく in 都美
0908 2018十八番日記残暑deござんしょ(2)友と語れば姥桜の園
0909 2018十八番日記残暑deござんしょ(3)コキ前
0911 2018十八番日記残暑deござんしょ(4)岩寿
0913 2018十八番日記残暑deござんしょ(5)ダンス発表会

0915 ぽかぽか春庭シネマパラダイス>愛を描く(1)モード・ルイス 幸せの絵具
0916 愛を描く(2)シェイプオブウォーター
0918 愛を描く(3)スリービルボード
0920 愛を描く(4)ナチュラルウーマン

0922 ぽかぽか春庭シネマパラダイス>事実と真実(1)ペンタゴンペーパーズ
0923 事実と真実(2)タクシー運転手・約束は海を越えて

0925 2018十八番日記秋の空(1)1ディズニークラシックコンサート
0927 2018十八番日記秋の空(2)足が痛い
0929 2018十八番日記秋の空(3)ディズニーonアイス
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ぽかぽか春庭「ディズニーonアイス」

2018-09-29 00:00:01 | エッセイ、コラム

ディズニーオンアイス。ディズニープリンセスショウ

20180929
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記秋の空(3)ディズニーonアイス

 9月15日土曜日、ディズニーオンアイスを見てきました。
 去年娘息子と見て、楽しかったので、今年も3人の席を予約しておいたのですが、当日になって息子の体調が悪くなり、娘も看病のために行かない、というので、さあ、どうしよう。私も足が痛いので、どうしようかと思っていたところでしたが、娘も息子も行かないのでは、予約チケット、料金払い込み済みがまるまる3人分無駄になる。

 無料コンサートや食料品半額セールが大好きな私。買ったチケットを無駄にするなど、とんでもないこと。SS席で、私にしてみたら高いチケットです。
 こういうときお誘いするミサイルママは、金曜日夜から実家に帰っているところ。

 友人K子さんとジャズダンス仲間のこずさんに声をかけ、急遽いっしょに見てもらうことになりました。ふたりともディズニーアニメにもフィギュアスケートにもそれほどの興味はなかったのですが、「お金出してみることは絶対になかったと思うから、ご招待していただいて、一生に一度のアイスショウ見物になった」と、喜んでくれました。

 さいたま新都心駅で待ち合わせ、さいたまアリーナへ。私は足をかばいながら歩くので、もたもたしていましたが、開演の6時には間に合いました。
 席は去年見た席よりもずっとリンクに近く、見やすいところでした。

 ビデオも写真も撮り放題のお許しが出ている公演なのに、去年はカメラ持っていくのを忘れてしまいました。今年は、気に入ったシーンを撮ることができました。

 オープニング。ミッキーマウスのアニメ映画公開90周年のお祝い。ミッキーセレブレーション


 おなじみのディズニーキャラクター


 会場には、ミニーやディズニープリンセスのコスプレ女の子たちがいっぱい。みな、お気に入りのキャラクターが出てくるとキャーキャーと声援を送っています。
 一方、60代ふたり70代ひとりの婆さんトリオのほうは、3人とも、孫もいない身の上。(独身ひとり、未婚息子30代と暮らす母ひとり、未婚35歳娘未婚30歳息子の母ひとり)

 ディズニーフリークの娘息子を持った私だけが、ほとんどのディズニーアニメをおつきあいで見ているし、キャラクターも知っているので、「これはムーランっていう中国の女性が主人公でね、、、、」とか、「南太平洋の島が舞台で、モアナという女の子がひとりで舟に乗って冒険してくるお話」なんてストーリー解説しましたけれど、やっぱり、ディズニーオンアイスは、ディズニー好きな人がいちばん楽しめるとわかりました。

 舟でリンク上を滑走するモアナ


 「インザヘッド」、娘の好きなアニメですが、日本の子供たちにはあまり人気がなかったみたい。(画像借り物)



さすがにシンデレラは、K子さんとこずさんも知っている。


 ペアスケートの技術レベルは低いけれど、シンデレラがすべっていると思うと楽しい。(画像借り物)


 フィギュアスケートとしての技術は、グランプリシリーズやフィギュア世界大会を見ていたほうがずっと高度な技を見ることができます。

 アイスショウは、フィギュアの楽しさよりもショウとしての構成や照明などを楽しめる。
 ディズニーオンアイスの売り物は、フィギュアスケート+エアリアルショウです。

 今回は、ディズニープリンセス総登場のシークエンスで、ラプンツェルと人魚姫アリエルがロープとシルクを使ったエアリアルの技を披露しました。
 エアリアルとは、天井から吊り下げられたロープや布(シルク)にぶら下がったり、体に巻き付けたりして、ぐるぐると空中回転する技です。スケートもできてエアリアルもできるのはすごいと思いました。

 ラプンツェルのエアリアル(画像借り物) 


 やはり、一番人気は、「アナと雪の女王」でした。会場内には雪の女王エルサコスプレが多数。

 子ども時代のアナとエルサ


 アナと雪ダルマのオルフ


 来年は、息子娘もいっしょに楽しめますように。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「足が痛い」

2018-09-27 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180927
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記秋の空(2)足が痛い

 貧乏どんぞこでも、笑って暮らしてきたのは、大病したことがなかったという幸運に恵まれ、助けてくれる家族や友達に恵まれてきたからだと感謝してきました。
 肩が痛くて腕が上に上がらないとか、不調はそこそこにあったのですが、9月9日にジャズダンス発表会がおわったとたんに膝が痛み出したのにはまいりました。

 整形外科クリニックの先生は、膝をちょいと押してみて、「ああ、これは関節炎。水たまっているから抜きましょう」と、先生にとっては珍しくともなんともない、年よりはだれでもこうなる、という具合に、ひざに注射針を刺し、膝の処置をしました。
 医師からは「階段の上り下りはできるだけ避け、和式トイレも避ける」と助言がありましたが、それは普段から実践済み。

 変形性膝関節炎。高齢女性に多く、太っていることも原因のひとつ。大腿四頭筋の鍛え方が足りず、自分の体重を支える力が弱ったために、膝に負担がきた。
 日ごろは毎日の通勤で5000歩ほど歩きます。健康維持のために毎日1万歩は歩くこと、と健康指南ではよく言われるのですが、69歳の身に片道90分の通勤は、それだけで疲れてしまうので、1万歩なんてとても無理、と思っていました。

 通勤途中の乗り換えで、どうしてもエレベーターもエスカレーターもない駅があります。それで、乗り換え回数が増えるけれど、エレベーターのある駅経由に変えてみました。エレベーター出口から外に出て、JR乗り換え口まで、300mほど大通りを歩きます。

 この通勤路を試した日がたまたま雨だったために、背にリュック、肩掛け鞄さげて傘さして、そろりそろりと右ひざをいたわりつつ歩く。
 これまでの経路だと階段上り下りはたいへんですが、乗り換え1回ですんでいたのですが、お試し経路では乗り換えが2回になります。一日であきらめました。階段の上下はきついですが、乗り換え口のようすがわかっていたほうが疲れない。

 ずっと働き続けているので、「働くのが好きなんでしょう」と思われたり「働いているほうが気持ちに張りがでますね」と慰められたりしますが、私は、若いころから晴読雨読が理想。気が向けば、ときたま晴耕雨読。
 好きな本を、ぐうたらと読んで過ごせればそれ以上の望みなし。本は100円文庫でも図書館本でも十分ですから、あとは、寝て食べる分だけなんとか確保する。服もいらなきゃ化粧品もいらない。でも、それすらができない貧乏家族。働かざるを得ないのです。じっと手を見る。

 駅のホームやバス車内などで、足がご不自由なお年寄りを見ると「どうしても外出が必要なんだろうなあ、病院へ行くのかな」とお気の毒に思ってきましたが、今は私が「足がご不自由な気の毒な方」
 「障害は、不便ではあるが不幸ではない」という考え方もあることはわかりますが、痛む膝をできるだけ曲げ伸ばしがないように片道90分の通勤をしていると、「とってもとっても不便だし、こんなふうにしてまで働かなければ、食べていけない私は不幸だ」という気分になってきます。

 18歳から50年間働いてきたのに、老後の身を養うことができなかった、私の働き方。「寄らば大樹」に所属せず、フリーランスを貫いた、というと自由の身のような気がしたのですが、それは気だがしただけで、実際に年を取ってみると、今の私は不幸のかたまり、愚痴の大嵐。

 でも、娘は「母は、どこかに所属したとしても、上司と大喧嘩してやめてしまったろうから、どのみち貧乏な老後になったのさ」と、言います。言えてる。最初の大学卒業後、中学校教師を3年で辞めたのも、校長のパワハラを受けてのことだった、と思い出します。上下関係のある職場で、上司に気遣いが必要な人間関係では、働けない人間でした。大学非常勤講師を20年間続けられたのは、時間の切り売り商売で、自分の授業さえきちんとしていれば、上下関係なかったから。

 歩くのより自転車に乗るほうが楽だ、ということがわかりました。膝を、曲げたり伸ばしたりするから痛む。自転車のペダルを踏んでいるとき、膝は曲げっぱなしです。乗るときと降りるときに痛むけれど、歩くよりはずっと楽だということを発見しました。まあ、こんな発見したところで痛みが治まるわけじゃないけれど。

 その点、肩の関節炎のときは、腕は上に上がらなくなったけれど、上にあげないでいれば見た目にはわからないし、背中のブラジャーホックは娘息子に頼んでとめてもらっていたので、手が後ろにまわらない不自由はなんとかなりました。

 しかし、どうしても移動しなければならないので、足を動かさずにはいられない。駅のホームをそろりそろりと歩いていると、どどっと走るようにホームを歩くラッシュ時の客は恐怖に感じます。9時ごろに乗換駅のホームを歩くので、ラッシュ真っただ中よりはましですが、体のご不自由な方々は、こういう恐怖を感じながら移動してきているんだろうなあと、今更ですが身にしみます。
 
 すこしずつ痛みも治まってきて、膝は曲げたり伸ばしたりするから関節が痛むのであって、ずっと曲げっぱなしで歩くと楽だ、という発見もありました。ロボットのアシモがひざをまっすぐにのばさずに歩いていた姿に似ています。人間の歩き方としては不自然ですが、歩かざるを得ないので。
 夫も、退院してきたものの、骨折完全治癒ではないので、移動に不自由だと。仕事のためには、タクシーで移動しているというのですが、私は地下鉄と電車通勤片道90分。
 9月9日重陽節に発症した膝の痛み、2週間たって、だいぶよくなってきました。一歩移動するごとに「痛い!」と心の中で叫ばなくても済むようになってきています。

 年をとれば、何かしら不自由なことは増えていくのですが、貧乏家族を背負って、なんとかがんばります。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ディズ二ークラシックコンサート」

2018-09-25 00:00:01 | エッセイ、コラム

ディズニークラシックコンサート、カーテンコール

20180925
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記秋の空(1)ディズ二ークラシックコンサート

 9月22日、娘息子と、文京シビックセンターに出かけました。娘と息子が大好きなディズニークラシックコンサート、私はお相伴ですが、楽しくすごしました。



 昨年いっしょに行ったディズニークラシックコンサートの「目玉」はラプンツェルでしたので、コンサートのあと、私はディズニーアニメ「ラプンツェル」をもう一度見て復習しました。

 昨年は、有楽町フォーラムの大きな劇場の2階席だったので、スクリーンが少し見づらかったです。今年はステージに近い席を予約。真ん中ではなく、上手寄りでしたが、見やすい席でした。


 今回は、2018ディズニークラシックの初日だったので、プレミア公演特典として、ラストに写真撮影時間が設けられました。今後のコンサートチケット販売に貢献するためです。よって、私も他の予定稿を後回しにして「ディズニークラシックコンサート2018」感想を先にしました。



 コンサート第1部の目玉は、「世界初演!ミッキーマウス スクリーンデビュー90周年『蒸気船ウィリー』」
 『蒸気船ウィリー』は、ディズニーランドのアーケード内で古いアニメを公開していたころに見たことがあります。今回のコンサートでは、このアニメにオーケストラと歌手が合わせて音楽と歌を披露します。画面と音楽がぴったり合い、ミニーやミッキーの声も歌手がじょうずに画面に合わせていました。1928年制作のアニメの原点です。


 
 第1部、続けてアラン・メンケンの名曲セレクション
 ディズニープリンセスの出てくるアニメの代表的な歌を、男性4人女性4人の歌手が、ブラッド・ケリー指揮のオーケストラをバックに歌いました。 
 曲目は、
・パート・オブ・ユア・ワールド/「リトル・マーメイド」より
・美女と野獣/「美女と野獣」より
・カラー・オブ・ザ・ウィンド/「ポカホンタス」より
・輝く未来/「塔の上のラプンツェル」より
・ホール・ニュー・ワールド/「アラジン」より



 第2部の「目玉」は、『ヘラクレス(1997)』でした。
 ギリシャ神話とはだいぶ話が違っている、ということだけ覚えていたのですが、私はストーリーをまったく覚えていません。娘が、9月22日土曜日の昼に放映された『ヘラクレス』を録画してくれたので、あとで見るつもりです。



 ギリシャ神話のヘラクレスは、ゼウスが人間の女性アルクメーネーに横恋慕し、婚約者になりすましてアルクメーネーに産ませた半神半人ですが、ディズニ―アニメでは、ゼウスと正妻ヘラの間に生まれたけれど、地獄の主ハデスによって誘拐され、人間の夫婦の子として育てられた、ということにされています。

 人間界で育てられたヘラクレスは、ハデスによって神の能力を封じられていましたが、怪力だけは残されていました。
生まれもった怪力のために周囲に馴染めない生活を送っていたある日、ゼウスの神殿にでかけたヘラクレスは、自分が神の子であることを知ります。父ゼウスとの再会をはたしたヘラクレスは、ゼウスから「神の世界に戻る条件はただ一つ“本当のヒーロー”になること」と告げられます。

 “本当のヒーロー”の意味を求めて修行に出発したヘラクレスに、死者の国の神ハデスの罠が次々と襲いかかります。罠のひとつが「美女メグ」。
 メグは、かって恋人の命を救うためにハデスに仕えるという契約を結んだ女性です。しかし、恋人は命を救われたことなど意に介せずメグを捨て、他の女性へと去ってしまったのです。人間の男を憎んでいたメグも、真摯なヘラクレスに会い、しだいに変わっていきます。

 ヘラクレスはメグに恋をして、生きる意味を知ります。神となることが幸福なのではない、恋しい人のために生きることが幸福なのだと。
   
 監督・脚本・製作はジョン・マスカーとロン・クレメンツ。『リトル・マーメイド』『アラジン』も、同じコンビの作品です。
 オリジナル・スコアと挿入歌の作曲はアラン・メンケン。作詞はイヴィッド・ジッペルが担当。
 
 

 天井から光の玉(小さな光る棒粒)が降ってくるのも、金色のリボンが降ってくるのも楽しかったし、ディズニーフリークの娘と息子は、本当に喜んで聞いていました。
 普段私がいく無料のクラシックコンサートでは、じじばばばかりなので、若い人がたくさん詰めかけているコンサート、久しぶりでした。

 母子で久しぶりのおでかけ。後楽園遊園地の中の餃子屋「紅虎」で晩御飯を食べて帰りました。


<つづく> 
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ぽかぽか春庭「タクシー運転手 約束は海を越えて」

2018-09-23 18:11:03 | エッセイ、コラム


20180923
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>事実と真実(2)タクシー運転手約束は海を越えて

 報道が社会を変える。
 ジャーナリストにとっては、最も華々しく誇りに思える出来事と思います。

 ウォーターゲート事件の報道で、最強国の大統領を辞任に追いやった記者もいれば、遠いアジアの国の知られざる大事件を報道して、一国の民主化を推し進める原動力となった記者も。
 一方、与党機関紙のような提灯記事しか載せられない新聞もあれば、与党議員による人権無視の「生産力のない人々に福祉をあたえるな」発言を擁護しているとしか思えない「わが社の方針」を述べる出版社社長もいる。

 『タクシー運転手 約束は海を越えて』(2017年 チャン・フン監督作品「택시운전사」)は、1980年5月に起きた光州事件の報道と、ドイツ人特派員をソウルから光州に連れていき取材に同行したタクシー運転手の物語です。9月21日、飯田橋ギンレイにて鑑賞。
 以下、ネタバレを含む紹介です。 

 韓国現代史のなかで、もっとも大きな事件のひとつ、光州事件。
 韓国でとてつもなく大きな出来事が起きている、ということに、隣国である日本の人々も、当初はほとんど気づいていませんでした。
 私自身はといえば。1980年の4月にケニアから帰国し、1980年5月はまだ「赤道ボケ」の最中でしたから、本当に光州事件を理解したのは、事件が収束し、韓国人自身が光州事件を検証し始めてからでした。

 光州事件はさまざまな切り口でドラマや映画の題材にもなりましたが、私はそれらを見ておらず、今回はじめて「光州事件」を目の当たりに感じたのです。これまでは「韓国軍が自国の民衆に発砲し死者多数」と聞いても、民衆運動の側面のひとつ、という印象でした。天安門事件も東欧その他での民衆弾圧も、民衆が反政府運動を始めると、容赦なく弾圧が加えられてきたからです。

 天安門事件は残念ながら民主化にはつながらず、一党独裁が続く中国です。経済開放によって、一部の人々は豊かになりましたが、まだまだ貧富の差が大きい。
 一方、民主化を求めた光州の人々の犠牲のもと、韓国は変かわりました。

 しかしながら、光州の人々の怒りや苦しみを、1980年当時には、わが身にひしひしと感じたことはなかった、と、告白しておきます。

 映画は、実話をもとにしています。光州事件を世界で最初に報道した記者のひとり、ユルゲン・ヒンツペーター(トーマス・クレッチマン)通称ピーターは、ドイツ人の東京特派員。韓国で大事件が起きているらしいと噂を聞き、記者魂から韓国入りします。このとき44歳。

 ソウルの個人タクシー運転手キム・マンソプ(ソン・ガンホ)は、妻に先立たれ、11歳のひとり娘とかつかつの生活をおくっています。親友の家の半地下に住まわせてもらい、寝床は確保しているけれど、家賃は4ヶ月も滞納しており、娘の運動靴が小さくなっても買ってやれません。

 光州まで往復すれば、10万ウォン(1980年ころのレートでは3~4万円)というウマい話を安食堂で耳にしたキムは、この話を横取りして、光州に行くことにしました。
 ソウルから光州まで268km。飛ばせば、一人娘が寝付くまでには戻ってこられる。家賃の滞納も心配ですが、それ以上に、お金が入ったら娘に靴を買ってやりたい。

 ピーターを乗せたタクシーは、光州にたどり着くまで、軍の検問やらさまざまな障害にはばまれ、ただならぬ光州であることを感じながら到着します。気の良いタクシー運転手は、自分が兵役をきちんとすませたまっとうな市民であるのだから、よもや軍や警察が自分を逮捕しようとするだろうなどと、思ってもいません。

 光州市周辺は大規模なデモが起こり、クーデターによって政権の座についた全斗煥が戒厳令を敷いています。軍や警察が市民に発砲し、大きな混乱に陥っている中、キムとピーターは、片言の英語で意思疎通ができる学生ク・ジェシク(リュ・ジュンヨル)や光州市のタクシー運転手ファン・テスル(ユ・ヘジン)の助けも借りて、取材を始めます。



 最終的な報告書では、軍と警察による弾圧で、死者154人負傷者3028人となっています。
 目の前で倒れていく市民を助けようにも、キムとピーターにも政府側の保安部隊の手が迫り、ふたりは逃げ回ります。保安部隊の私服は、デモ参加者を「北韓にそそのかされているアカども」とみなしています。

 キムは、ひとり残してきた娘を思い、光州市のタクシー業者仲間から、「娘のもとへ帰ってやれ」と説得され、一度は途中まで戻ります。
 しかし、戒厳令のもと報道管制が敷かれ、近くの町にすら光州の悲劇が伝わっていないことを知ると、命がけで報道を続けようとしているピーターのもとに戻ります。

 最後は軍保安部や警察光州市のタクシー仲間たちと、壮絶なカーチェイス。実話をもとにした映画ですが、ここは、おそらく映画的なシーンとして付け加えられたのだと思います。



 命からがらながらソウルに戻ったピーターは、東京から世界に向けて発信します。ドイツ公共放送(ARD)その他の報道によって、光州事件が世界に知られることになりました。

 この事件を契機として全国的な民主化要求運動も起こり、民主化の流れが生まれました。
 現在、韓国は大統領を直接選挙で人々が選ぶことができるようになり、軍独裁から民主政権へと生まれ変わりました。

 2003年、ピーターは民主化に貢献したとして韓国側から賞を受けます。彼はいっしょに光州へいったタクシー運転手に再会したいと手を尽くしましたが、キムサボクという運転手を探し出すことはできませんでした。映画の中では、運転手キムは、賞を受けたピーターの記事を新聞で見て、昔の冒険を思い出し、満足するというシーンで終わっています。

 事実としては。
 2017年にこの映画が韓国で大ヒットすると、モデルとなったした運転手さがしがはじまり、タクシー運転手キムの息子キム・スンピルが写真を公開しました。タクシー運転手だった父親とユルゲン・ヒンツペーターがいっしょに写されています。
 スンピルの報告では、父親は、光州事件の4年後に癌でなくなっていたそうです。2003年に韓国を再訪したピーターが運転手を探し出せなかったのは、20年も前に亡くなっていたからでした。

 映画のキムサボクはサウジで働いたことがあって片言の英語が話せるという設定でしたが、事実のキムサボクは、英語も流暢で、光州についてピーターに簡潔な状況説明をしてやれる人物だったようです。

 ドイツ人記者ユルゲン・ヒンツペーターは、映画製作に協力しましたが、映画公開前2016年に亡くなりました。ピーターは、爪と髪の毛と遺品を韓国光州市に埋葬するよう遺言しました。
 光州事件の犠牲者をたたえて埋葬した墓地「国立5・18民主墓地」のエリア内にピーターの墓地があります。写真を埋め込んだ墓石には、今も人々が花を手向けています。
 ピーターの光州報道第一報がなければ、報道統制のもと、光州事件は世の中に知られることなく葬られたのかもしれません。軍政権は「北韓のそそのかしによる赤化暴徒の反乱」で済ませて、闇に葬ったでしょうから。

 ピーターにとっても、長い記者生活の中、光州でおきたことを報道できたことは、生涯の誇りであったことでしょう。ジャーナリストの誇りは「事実を報道すること」です。

 事実としては、タクシー運転手キムサボクは、光州事件の4年後に亡くなっていたのですが、映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』の中のキム・サボクは、こののちも、光州事件の真実を人々に伝えていくでしょう。

 映画は、第90回アメリカアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされましたが、授賞は『ナチュラルウーマン』でした。ドイツ人記者でなく、アメリカ人記者という設定だったら受賞したのかも、なんて思うけれど、事実はドイツ人記者だったし。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「ペンタゴンペーパーズ」

2018-09-22 00:00:01 | エッセイ、コラム


20180922
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>事実と真実(1)ペンタゴンペーパーズ最高機密文書

 ペンタゴン・ペーパーズ( Pentagon Papers 原題The Post)は、2017年のアメリカ映画。
 主演のメリル・ストリープは、アカデミー賞の主演女優賞にノミネートされましたが、受賞はフランシス・マクドーマント(スリー・ビルボード)でした。
 作品賞もノミネートのみ。スピルバーグは、監督賞のノミネートなし。でも、いい映画と思いました。

 史実での「ペンタゴン・ペーパーズ」の原題は「ベトナムにおける政策決定の歴史、1945年-1968年」"History of U.S. Decision-Making Process on Viet Nam Policy, 1945-1968」ベトナムがフランス植民地だった時代(F・ルーズベルト大統領時代)から、ニクソンに至るまでの各時代のベトナム施策が詳細につづられた「最高機密文書」です。

 映画では、ベトナム戦争のさなかに、1971年、ニクソン大統領が作成を命じたベトナムに関する報告書が中心になっていました。 

 映画は、政府がその存在をひた隠しにした最高機密文書を、ニューヨークタイムズとワシントンポストというアメリカの二大主要新聞が暴露した経緯を描いています。

 「ペンタゴンペーパーズ」。真実を隠し、国民をだましてきた政府を憎み、真実の報道にかけた新聞社の、報道への信念が描かれます。また、専業主婦からやむを得ず新聞社主になった女性の成長物語でもあります。

 スピルバークが「報道」をテーマに映画を作ろうと思ったのは、現在のアメリカの状況、すなわち、自分に都合の悪いことを報道したニュースなどはすべて「フェイクニュース.うそ報道」と切って捨てるトランプ大統領の存在と、そういう大統領を支持する勢力の拡大に一石投じる、という意味合いがあったのだろうと感じます。

 ひるがえって、思うに。
 「政府が国民をだます」ということに、怒りも痛痒も感じない国民が多数を占める国にとって、いったい「真実」とはなんでしょうか。

 「自分と妻がいささかでも関わっていたことがわかったら、辞任する」と言っていた人が、「それは収賄に関わっていたら、という意味であって、収賄事案じゃないことは明らかになった」と、ふんぞりかえって「この件はかわした」と、言う人を、与党は党をあげて持ち上げようとしている。ふぅ、この国では真実なんて愛されなくてもいいんだな、自分にさえ都合がよければ、だれが嘘をつこうと気にしない風土であるのだ、と思いながら「ペンタゴンペーパーズ」を見ていました。

 ベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)は、ワシントン・ポストの編集主幹にして、トクダネハンター。新聞社内では「海賊」と呼ばれているやり手記者です。
(ベンは実在の人物。1921-2014。この映画に描かれたころは50歳。93歳で死去)
 トム・ハンクスは撮影時には60歳になっていましたが、働き盛りの記者を生き生きと演じていました。
 ワシントンポストの社主は、キャサリン・グラハム(呼び名はケイ。メリル・ストリープ)。こちらも実在の女性(1916-2001)です。1998年出版の自伝によりピュリッツアー賞を受賞)

 ケイの夫は、ケイの父親が社長だった新聞社を受け継ぎました。しかし、周囲のだれにもわからない理由で自殺してしまいます。専業主婦からいきなり社長になったケイを、周囲の人たちはみなが「危なっかしい、ほんとに新聞社を維持していけるのか」と、不安に思っています。
 ストリープの演技、最初はおどおどと経営にかかわっていき、自信なさそうな演技。最後の決断をしたあとは、見違えるように「この新聞はわたしの魂」と思える顔つきになっています。

 最高機密文書の持ち出し。ニューヨークタイムズとワシントンポストの報道合戦。政府の新聞発行差し止め命令と裁判のゆくえ。
 はらはらドキドキの展開を経て、映画の最後のシーンは、ウォーターゲート事件の発端。キャサリン・グラハムがポスト紙に掲載を決断し、ニクソンを辞任に追い込んだ事件です。

 また、エンド・クレジットに「ノーラ・エフロンに捧ぐ」という文字がでています。j女性監督のエフロン(1941-2012)は、「めぐり逢えたら」「ユーガットメール」などを残しました。
 ノーラの元夫は、ウォーターゲート事件を報道した記者のひとりです。

 新聞社が政府によって取り潰されるかもしれない、という事態を迎えて、ケイが決断した「真実を報道するのが新聞の使命」を、スピルバークはアメリカ社会につきつけたと思います。
 しかし、2018年、トランプはますます増長。
 トランプ政権側近中の側近にして首になったバノンからのリーク情報をもとにしたといわれる『炎と激怒("FIRE AND FURY: Inside the Trump White House")』に対しては、例によって「虚偽の本フェイクブック」と決めつけ、販売差し止めを要求しています。内容がまったくの嘘なら、ほうっておいて、真実を国民に知らせればいいだけ、と思うのは対岸の火事だからかな。どうなっていくんでしょうか。

 真実はどうでもいい国の「トランプのポチ君」も、ますます増長していくでありましょう。そういう国ですから。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ナチュラルウーマン」

2018-09-20 00:00:01 | エッセイ、コラム

ナチュラルウーマン ダニエラ・ヴェガ

20180920
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>愛を描く(4)ナチュラルウーマン

 『ナチュラルウーマン』は、2017年チリのセバスティアン・レリオ監督作品。90回アカデミー賞外国語映画賞を受賞。チリ映画の受賞は初めてのことです。
 原題「Una Mujer Fantástica」の英語訳は「Fantastic Woman」。日本語タイトルは「すばらしい女性」でもよかったのでは。

 ダニエラ・ベガ(Daniela Vega)は、1988年生まれの歌手・女優。この映画出演まで、国際的にはほとんど無名でした。第4回イベロアメリカ・フェニックス賞2017で主演女優賞を受賞し、米アカデミー賞外国語映画賞受賞により、一気に知名度があがりました。

 以下、ネタバレを含む紹介です

 映画冒頭にイグアスの滝の風景が出てきます。イグアスの滝はアルゼンチンとブラジルにまたがって流れ落ちています。ごく自然に男でも女でもなく、トランスジェンダーとして生きて生きていこうとする自然な人生をイグアスの滝は象徴しています。

 マリーナは、男性として生まれたけれど、現在は女性として暮らしています。昼はウエートレス、夜はクラブ歌手。
 最初は男性として生まれても、マリーナはごく普通の女性として生きようとしています。

 同棲する年の離れた恋人オルランド(フランシスコ・レジェス)に誕生日を祝ってもらい、イグアスの滝への旅行をプレゼントする、ときかされます。

マリーナとオルランド


 しかし、オルランドはマリーナと共にすごしたベッドで苦しみだし、階段を転げ落ちてなくなってしまいます。

 オルランドの元妻と息子は、マリーナに「車をかえせ、部屋を出ていけ」と、言います。息子ブルーノ(ニコラ・サアベドラ)は、自分たちを捨ててマリーナを選んだ父親は「狂ってしまった」としか思えません。

 マリーナは、元妻ソニアから葬儀への参列も拒否されます。
 「性犯罪捜査官」という女性警官コルテスは、「私は修士号も持っている」と、自分の能力を誇示しつつ、マリーナとオルランドの関係を執拗にさぐります。オルランドの怪我について「オルランドからサディスティックな行為を要求されたために、マリーナが抵抗しあげく殺してしまった」と解釈しているのです。

 米西海岸などで受容が進んでいるLGBTも、カトリック国で保守的なチリでは、まだまだ「狂っている」とみなされています。トランスジェンダーがナチュラルな存在としてうけいれられるにはいたっていません。 

 マリーナは、オルランドが残した鍵がどこのものなのか、探し始めました。この鍵を開ければ、イグアスの滝へ行く旅行券があるのではないかと推測。カフェの客が持っていた同型の鍵から、サウナのロッカーの鍵であることを知ります。マリーナは、女風呂側から入り、通路から男性側のロッカールームに入り込みます。
 マリーナの上半身は、男女どちらでもなく、どちらにも見えます。
 
 探し当てたロッカーのなかは、(おそらく)からっぽだったのでしょう。マリーナがイグアスに行く航空券を手にできなかったのをみると。

 マリーナは、オルランドの家族からさまざまないやがらせ、迫害を受けます。
 葬儀への参列を拒まれましたが、家族がいなくなったあと、焼き場に入ることに成功します。チリの火葬場には家族が残る習慣がなく、焼き場にいるのは事務的に事を運ぶ職員だけ。日本の習慣では、焼き上がった骨を、親族が受け渡ししながら骨壺に収めていくのですが、日本とは異なり、遺体に対してはそっけない。故人のお骨をどうしても探しに行かずにはいられない日本と、お骨に対する思いが違うなあと感じます。

 マリーナは、オルランドとふたりだけのお別れをし、迫害にめげず、強く生きていくことを誓います。(直接のことばではその決意は表現されていませんけれど、私はそう感じました)。焼き場シーン、オルフェウスとユリディスを思わせます。死者の国に入り込むのはユリディスのマリーナですけれど。

 ラストシーン、マリーナは、リサイタルで「オンブラマイフ」を歌います。マリーナはオルランドというやすらげる木陰を失いましたが、木のようにすっくと立ち、自分のいるべき場所にいると思います。
 
 「ナチュラルウーマン」ラストで歌う「オンブラマイフ」
https://www.youtube.com/watch?v=LRZlsFHHnKA
 ヘンデルが、カステラート(少年の声を保つために去勢された歌手)のために作曲した歌曲です。

木が木陰を愛する歌。

(堀内敬三訳)
木陰よ、緑はゆる
うるわしき木陰よ
木陰よ、風も薫る
うるわしき木陰よ
われを招く木陰よ
やさし楽し
わが心の永遠なる安らぎ

(別訳)
木陰よ
緑の木陰よ
輝く陽にきらめく木の葉よ
風よ雨よこの平安乱すな
楡の樹の平安を
この木陰で憩う
喜び安らぎよ

Ombra mai fù
di vegetabile,
cara ed amabile,
soave più

Frondi tenere e belle
del mio platano amato
per voi risplende il fato
tuoni lampi e procelle
nonv`oltraggino mai la cara pace
ne giunga a profanarvi austro rapace!
Ombra mai fu
di vegetabile,
cara ed amabile,
soave piu.

 マリーナが、強風に向かっているシーン、バスター・キートンへのオマージュ画面ということらしいですが、そんなことは知らず、マリーナが人生の逆風に立ち向かう姿と思って見ました。
 

<おわり>
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ぽかぽか春庭「スリービルボード」

2018-09-18 00:00:01 | エッセイ、コラム


20180918
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>愛を描く(4)スリービルボード

 2017年公開の映画「スリービルボード原題: Three Billboards Outside Ebbing, Missouriミシシッピ州エビング郊外の3枚の看板」。
 第90回アカデミー賞の主演女優賞(フランシス・マクドーマンド)と助演男優賞(サム・ロックウェル)を受賞した映画です。

 映画を見た印象では、脚本賞を受賞した『ゲットアウト』よりも脚本賞をとらせたかった映画に感じました。
 「ゲットアウト」のラストシーン。私は、「こうなって終わったほうがより映画としては上質になっただろうに、観客受けを考えたラストになったのが残念」と感想を述べました。
https://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/66173d5dbd18f13a858ea5f265ce672b

 スリービルボードの脚本は、文句なしです。主演女優賞もさすがです。が、次こそサリー・ホーキンスにとってほしい。

 原題にわざわざ「ミズーリ州のエビング郊外」と出ているのは、意図があります。
 2014年、ミズーリ州ファーガソンで起きた「マイケル・ブラウン射殺事件」は記憶に新しい。白人警官が無抵抗の18歳黒人男性に6発もの銃弾を浴びせて射殺し、しかも遺体を路上に6時間放置。あげく、警察官は不起訴。抗議行動は全米に波及した、という事件です。8月19日にセントルイスでも同様の事件が起き、ミズーリ州といえば、粗暴な警察官による人種差別行動が想起されるのです。

 以下、ネタバレを含む紹介です。結末までのストーリーが出ていますので、未見の方ご注意 

 ミルドレッド・ヘイズ(フランシス・マクドーマンド)は、町はずれに立つ三つの看板を借り受けました。町の広告社にたのんだ看板の文面は3つ。
 「レイプされて殺された」「未だに犯人が捕まらない」「どうして、ウィロビー署長?」という文言は、町の人々の関心を引きます。



 ウィロビー署長(ウディ・ハレルソン)は人格者で町の人の尊敬を集めており、彼に向って不満をぶちまけるような看板は非難の的になります。ミルドレッドは町の人からさまざまないやがらせを受けますが、一歩もひきません。
 ウィロビーを慕う部下の警察官ジェイソン・ディクソン(サム・ロックウェル)は、人種差別主義者です。また、同性愛者を憎み、迫害していました。
 ミルドレッドが警察に喧嘩を売り、慕っているウィロビー署長を侮辱ていると考え、彼女の友人を逮捕したり、執拗に追い詰めます。

 末期癌だったウィロビーは、家族と楽しいひとときをすごしたあと、ひそかに遺書を用意し、自殺します。アンジェラの看板がウィロビー自殺の原因と思った町の人とディクソンは、激高し、ついにディクソンはミルドレッドの看板を制作した広告社のレッドを窓から突き落とす、という暴挙にでます。ウィロビー後任の黒人署長は、ディクソンの暴挙を目撃し、彼を首にします。

 ある日看板が燃え上がりました。ミルドレッドはディクソンら、警察側の仕業とみなし、警察署に放火します。炎の中からはい出てきたのは、ディクソン。逃げ遅れたのは、ウィロビーからの手紙を読んでいて火に気づかなかったのです。

 ミルドレッドは、火に焼かれたディクソンが、命がけで「アンジェラレイプ殺害事件」の書類を守ろうとしたことを知ります。
 看板への放火は、世間の反応をおそれた夫チャーリー(ジョン・ホークス)の仕業と判明。夫のことばから、娘アンジェラは父親と暮らしたがっていたことを知ります。

 反抗期で折り合いの悪いアンジェラが「遊びに行くから車をかして。歩いているとレイプされるかもしれない」と頼んだ時、ミルドレッドは「レイプされればいい」と言って車を貸さなかったことが胸のしこりになっています。このしこりは、犯人が検挙されるまで残ると感じています。

 ディクソンは、病院でレッドと同室になります。レッドは、包帯でぐるぐる巻きにされているディクソンにやさしいことばをかけます。ディクソンはレッドを2階から突き落としたことを謝罪します。自分に大怪我をさせたディクソンをとがめることなく、レッドはオレンジジュースを彼に飲ませます。ディクソンがレッドを嫌っていたのは、レッドが「ゲイっぽい」からでした。
 ディクソンは、ウィロビー署長の遺言をかみしめます。

 ウィロビーは、ディクソンの秘密を理解していました。ディクソンが同性愛者を迫害するのは、自分自身が女性に性的興味を持てないマザコンだったからです。ウィロビーは「もしも人からゲイと呼ばれたら、性的マイノリティを差別してはならないという法律への違反者として逮捕しろ」と、書き残していました。

 ディクソンは警察官ではなくなっていましたが、パブで「レイプを自慢する男」の話を耳にし、彼に喧嘩をふっかけます。彼の顔をひっかき、爪に残った皮膚片をDNA鑑定に送りました。アンジェラの体に残されたDNAと照合するためです。

 軍帰りのレイプ自慢男は、アンジェラ事件の時期、外国に派遣されていたことが判明し、DNAも異なりました。
 がっかりしたディクソンは、事の経緯をミルドレッドに報告し、「いっしょに、レイプ男を殺しに行こう」と持ち掛けます。アンジェラ事件の犯人ではないとしても、どこかでレイプ犯罪を犯したに違いないからです。

 ミルドレッドの「レイプ犯を許さない」という気持ちが、レイプ男をやっつけることで晴れるなら、自分も行動をともにする、というディクソンの申し出でした。

 ミルドレッドは承知し、いっしょに車に乗り込みます。しかし、「ほんとうにヤツを殺すのか」というディクソンの確認のことばに対し、ミルドレッドは「道々考えよう」と答えます。

 「許すこと」が映画のテーマのひとつか、と私は感じました。
 ミルドレッドが許せなかったのは、レイプ犯だけじゃなかった。捜査に手間取り、遅々としてすすまないように見える警察。その警察を指揮しているウィロビー署長。自分と娘息子を捨てて去り、いまは若い愛人と同棲している夫。
 なによりも、娘に向かって「レイプされたらいい」と言って車を貸さなかった自分自身をもっとも許せなかったのだろうと思います。そのうしろめたい気持ちから解放されるには、レイプ犯犯人逮捕を望み続けること。

 ウィロビー署長はミルドレッドにも手紙を残しています。警察は懸命に捜査をしたこと、それでも決定的な証拠は出ず、犯人にたどり着くのはむずかしい案件だったこと、放火で焼けた看板の再制作費として、ウィロビーからレッドに代金が支払い済みであること。

 有能でもなく、粗暴だったディクソンは、レッドから飲ませてもらったオレンジジュース、ウィロビー署長からの手紙によって、変化します。ミルドレッドも、ディクソンの変化を受け、ウィロビーからの手紙によって、気持ちが変わっていきます。

 ミルドレッドは、元夫に「彼女を大切にしな」と言ってやれました。この先、ミルドレッドの気持ちが世の中との折り合いをつけられるようになるのかどうかはわかりません。わからないし、ミズーリ州だし。この先もトランプ政権下では、移民差別も人種差別も強まることが懸念されます。だからこそ、ミズーリ州を舞台にこの映画が作られたのだと思います。

 画面をきちんと見ていない私。重要な点を見逃していました。ウィロビー署長の愛読書は、フラナリー・オコーナー(Flannery O'Connor1925-1964)の『A Good Man Is Hard To Find1955』( 日本語訳『善人はなかなかいない』)です。そのタイトルの本が画面に出てきても、私はオコーナーの作品だと気づきませんでした。

 オコーナーは、大江健三郎の『人生の親戚』(小説)で知りました。オコーナーのことば『人生の習慣』をタイトルにした大江の講演集も読んだのに、オコーナーを読んでいなかったために、気づかなかったのです。ウィロビー署長の人柄を示す本だったのに。

 世の中、善人はなかなかみつかりません。しかし、ゼロではない。鬼ばかりの世間を渡るうち、かならず善人に出会います。鬼が善人に変わることもあれば、その逆もある。

 憎しみの連鎖を断ち切って、憎むべき相手を許せるかどうか。
 この世に許せないことばかりあるけれど、路上でだれかに出会ったら、善人でありたいとは思います。

 人間への愛を、変わった角度で描いているけれど、この世に人への愛があることはわかります。スリービルボード、いい映画でした。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「シェイプオブウォーター」

2018-09-16 00:00:01 | エッセイ、コラム


20180916
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>愛を描く(2)シェイプオブウォーター

 2017年公開の『シェイプオブウォーター』ギレルモ・デル・トロ監督作品。
 「幸せの絵具」でモード・ルイスを演じたサリー・ホーキンスが主演。
 第90回アカデミー賞の作品賞、監督賞、作曲賞 美術賞を受賞。サリーは、主演女優賞にノミネートされましたが、受賞はスリービルボードのフランシス・マクドーマンド。

 シェイプオブウオーターで描かれるのは、幼児期に虐待(のどを切られた傷跡が残る)を受け、耳は聞こえるのに声がでなくなった女性イライザと、奥地の大河で土地の人からは神のように思われてきた「異形の生物」との愛です。
 東京国際映画祭では無編集版をR18で上映。私が見た一般館(飯田橋ギンレイ)ではR15+指定での上映でした。以下ネタバレを含む紹介です。

 東西冷戦下の1960年代。アメリカとソ連は、宇宙での覇権を争っていました。ライカ犬をロケットに宇宙ロケットに乗せて成功したソ連。遅れをとったアメリカは、ある生物をロケットに乗せる研究を始めようとしていました。

 イライザは、宇宙研究所の清掃人です。
町の映画館の上階アパート一室に、わびしく暮らすイライザ。研究所清掃員仲間デリラとは手話で話し合うし、アパート隣人のジャイルズには、食事を差し入れるなどして、決して独りぼっちではありません。

 しかし、イライザは美人でもなく、手話がわからない人とは話せないため、恋人を持ったことはありません。性的には成熟しているけれど、男性とつきあったことはないのです。
 映画冒頭で、イライザの浴室での自慰シーンがあります。
 イライザは、自分の意思ははっきり伝える強さも持ち、自分自身の性的な欲望も自覚している自立した女性です。

 イライザ同僚の黒人女性デリラ(オクタヴィア・スペンサー)は、夫から無視され愛されていないと感じ、夫への愚痴をイライザにぶつけることで、心の平静を保ってています。
 彼女は、母が「聖書の中にある名だから」とつけた「デリラ」という名の女性がどういう人だったか知りませんでした。彼女に「デリラは、夫を裏切る女だ」と告げるのは、研究所警備責任者のストリックランド(マイケル・シャノン)。
 デリラは、「夫に黙って従うばかりの妻でなく、夫と対立する妻もいる」ということを知ります。

 イライザは、隣人のジャイルズ(リチャード・ジェンキンス) の部屋のソファで寝ることもあり親しくしています。ジャイルズは、広告用の商業イラストを描いてかつかつの生活を立てているけれど、仕事ではまったく評価されていません。
 ジャイルズは、障害をもつ隣人イライザを一人前の女性と認め交流しているけれど、性的には女性を愛することのない男性です。

 ある日、秘密の研究対象「異形人」が研究室に運ばれてきました。
 研究所の警備責任者は、上に弱く下に強く出る粗暴で権力的なタイプです。軍から研究所警備責任者として派遣されていますが、上司のホイト元帥には逆らいません。
 プールの中につながれている異形人を虐待し、逆襲されて指2本食いちぎられます。
 床に流れた血を洗い流さなければならなくなり、イライザは掃除を命じられます。

 掃除をしているとき、イライザは異形の人と出会います。


 ストリックランドは、支配欲権勢欲の強いサディスティックな男です。美人妻と子供と大きな家を持つ「アメリカ社会では理想的な生活」を手に入れているのに、けっして幸福ではなく、満たされていない。妻に対しても暴力的で一方的な性行為をするのみで、妻や子は彼を嫌っているように見えます。いくら社会的に成功した人生を送っているように見えても、真に愛し合う家庭を築けない男は、虚勢の人生をおくるしかないんだなあと思えます。

 ストリックランドは、イライザを手に入れれば、口がきけない分、いっそう強く女性を支配できるのではないかと思い、暴力的に彼女に迫ります。しかし、イライザは言いなりにはならず、強い意志でストリックランドを拒絶します。

  イライザは、異形人に心惹かれ、しだいに打ち解けるようになります。姿は異形でも、やさしさと知性ある目を持つことをイライザは理解し、手話を教えます。イライザがゆで卵を与えて手話で「たまご」と教えると、彼はそれを覚えます。異形人は、肉食なのです。
 

 異形人が生体解剖されることを知り、イライザは彼をプールから連れ出し、自宅の風呂場にかくまいます。つながれていた首の鎖の鍵を、ホフステトラー博士(マイケル・スタールバーグ)が貸してくれました。ソ連のスパイとして研究所に潜り込んでいる博士は、貴重な異形人を殺せというソ連側の命令に逆らったのです。

 ジャイルズは、自分が受けた傷に異形人がさわると治癒することに気づきます。彼を神とあがめていた地元民は、それを知っていたのでしょう。
 ゴーシュのセロだって、ネズミの親子にとっては、神様のような癒しの道具でした。チェロの振動が動物の治癒に役立ったのですから、異形人の手にはなんらかの治癒の力があったと信じます。

 ジャイルズは、自宅の猫が異形人に食われても「それは彼の本能だからしかたない」と理解を示します。この受容力はすごい。

 イライザは、追手が迫っていることを知り、デリラとジャイルズの力も借りて、大雨の日に運河から逃がそうとするのですが、、、、
 デリラの夫から情報を引き出したストリックランドがイライザと異形人を追い詰めます。
 自分の夫は自身の保身のために妻の親友を売り渡すような人だということを知り、デリラはイライザを助けるべく運河へ向かうのですが、、、、、

 映画の画面は美しく、異形の半魚人の造形も、イライザが愛する対象ですから、決して嫌な感じの怪物には仕上げていません。
 イライザは、自宅浴室にかくした異形人と愛をかわします。浴室のドアをタオルでふさぎ浴室を水で満たしたために、階下の映画館は天井から水漏れしてしまいます。タオルをドアに詰めたくらいだと、水は溜まらないんじゃないかと思いますが、そこはファンタジー。
 
 シェイプオブウォーター。水の形。雨の日にイライザが乗るバスの窓の水滴も、ふたつの水滴がくっついてひとつになったり、繊細な水の表現が美しい。

 水の中で抱き合うふたりの姿。私はいいと思いました。
 「欲求不満解消なら、人間とやれ」と思った「もてない男」もいたみたいですが、ピンクレディも「地球の、オトコに、飽きたところよっ」と歌っていたじゃありませんか。イライザは、言い寄ってくる暴力男ストリッドランドを拒絶し、心やさしい異形人のほうと愛し合ったのです。自分の意思で。

 デリダに異形人の性器について聞かれると、イライザは、彼の体の一部が割れて中から出てくることをジェスチャーで教えます。そうそう、人間の男みたいに、のべつぶら下げておくのは機能的じゃありませんわね。

 ギレルモ・デル・トロ(Guillermo del Toro 1964~)は、メキシコ出身。私は『パンズラビリンス2006』は好きでしたが、ホビットの冒険シリーズはあまりノレませんでした。

 デル・トロは本作について、映画『大アマゾンの半魚人』1954を下敷きにした、と述べています。
 元話では、半魚人モンスターギルマン(鱗怪人)が悪役で、人間女性ケイをさらおうとします。人間側は、悪役の鱗怪人を襲撃します。

 デル・トロは、「ほんとうの怪物とは、人の心の中にある」と語っています。「シェイプオブウォーター」でいうと、異形人を虐待するストリックランドや、祖国のためには部下に非情な命令も下すソ連のスパイたち。
 自分とは異なる人々を抑圧しようとしている現在のアメリカ精神こそ、怪物だ、と感じさせる脚本でした。

 60年代の白人至上主義、マッチョ主義の時代、障害を持つ人、黒人、同性愛者は差別され、つらい人生を送らざるをえませんでした。公民権運動の前、マイノリティは、生きづらさをかかえていました。ゲイは必至に性的少数者であることを隠したし、マイノリティであることを隠せない黒人は、バスの座席も制限されるなど、不平等な扱いを受けてきました。

 現在であっても、「生きるに値する命か、値しない命か」を、本人ではない人々が選別し、値しないと判断したら尊厳死へ、という考え方は根強く残されています。トランプ大統領自身が、ツイッターで勝手なこと言っています。ときにその発言には本音が含まれ、人権無視が露骨に口にされています)。

 パラリンピックなどで活躍できる人や、IT業界などで働ける人にとっては、「障害を持っていても生きていける」社会であっても、職を得ることのできない人には、厳しい社会です。「ある人間が、社会にとってどれだけ有益なのか、どれだけ稼ぎ、納税する可能性があるのか」という価値判断は、今もアメリカ社会を覆っています。日本も。

 むろん、デル・トロがこの映画によってアメリカアカデミーから監督賞を受けても、出身地メキシコとの間に壁を作るといってきたトランプが「壁はやめた」となるわけではありません。
 トランプを選んだのはアメリカ国民の意思です。(選挙にロシアの干渉があったのかは別として) 

 自分自身とはことなる生き物(クリーチャー)を理解し、共に生きようとすること。むずかしいことでしょうけれど、イライザが異形人を愛したように、できるはず。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「モード・ルイス 幸せの絵具」

2018-09-15 00:00:01 | エッセイ、コラム


20181015
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>愛を描く(1)モード・ルイス 幸せの絵具


『幸せの絵具 愛を描く人モード・ルイス』8月4日に飯田橋ギンレイで鑑賞。
 モード・ルイス:   サリー・ホーキンス
 エベレット・ルイス: イーサン・ホーク
 監督:        アシュリング・ウォルシュ     

 カナダでもっとも有名な画家というモード・ルイス(Maud Lewis1903-1970)。
 はて、私はまったく知りませんでした。アメリカで人気のモーゼスおばあさんは知っていましたが、カナダで人気のモード・ルイスは、日本の美術界ではほとんど知られてきませんでした。

 モードやモーゼスおばあさんたちの絵は、素朴派とひとくくりにされています。ナイーヴ・アート(Naïve Art)とも。アカデミックな美術教育を受けたことがない画家の絵。
 そのひとり、アンリ・ルソー(1844-1910)は、今や現代美術の画家のなかでも、もっとも重要な画家のひとりです。ルソーも作品を発表し始めたころは、「素人の税関吏のへたくそな絵」と評されていました。

 モードの絵も、その初期には「こんな絵、うちのガキだってかいてらぁ」と、近所のおっさんに酷評されるほどでした。でも、あたたかい素朴な絵は、しだいに知られるようになっていきました。

実在のモード・ルイス(晩年)


 最初にモードの絵が知られるようになったのは、避暑のためにカナダに来ていたニューヨークのジャーナリスト女性の報道によって。
 モードは、住んでいる小さな家(というより小屋)の壁全部に自分の好みの絵を描いていました。それを目にとめたジャーナリストは、何枚かの絵葉書カードを購入。新聞でモードの生活を紹介します。

 海辺の小さな小屋に、夫エベレットとふたりで住み、エベレットが売り歩く魚とともに、クリスマスカードを1枚10ペンスで売り歩く生活。モードの絵がアメリカ副大統領だったニクソンに買い上げられるほど有名になったあとも、ふたりの生活は清貧のままでした。

ルイス家の前に立つモード


 アシュリング・ウォルシュによる映画の物語は。
 モード・ドゥーリーは、両親を亡くしたあと、伯母の家にひきとられることになりました。モードの兄チャーリーが相続した家を売り払ってしまい、モードの住むところがなくなったためです。しかし、伯母との折り合いが悪く、自立したいモードは、家政婦募集のチラシを見て、エベレットの家にやってきます。 

 若年性関節リューマチの持病があるモードは、家政婦としてエベレットの家に押し掛けたのに、家事はろくすっぽできません。家事のあいまに、家じゅうの壁に絵を描くようになります。しかし、エベレットはしだいにモードの絵の才能に理解をしめすようになり、家事はエベレットが受け持ち、モードに絵を描かせる時間を作ってやります。
  
 モードの手は、絵筆をにぎるのも不自由ですが、その絵は人々の心をなごませ明るくするのでした。エベレットは、絵を買いたいという客が押し寄せることににうんざりしたりしますが、モードとふたり、海辺の小さな小屋に死がふたりを分かつまで清貧を貫いて暮らしました。
 ふたりの愛の物語。海辺の小屋に描かれたたくさんの花や小鳥のように、あるがままに自然に溶け込んでいる愛でした。


 ラストシーンに、実在のモードとエベレットがインタビューに応じたときの実際の映像が映されます。
 モードを演じたサリー・ホーキンスは、モードがそのまま出てきたように演じました。一方、イーサン・ホークは「ドキュメンタリーじゃないんだから」と、エベレットの風貌とは異なっていましたが、モードを武骨だけれど大きな愛で包んでいる姿を演じました。演じ方はことなるけれど、ふたりとも演技には定評がある人たちです。アカデミー賞の主演女優賞主演男優賞にノミネートされてきた俳優さん、この映画の演技もそれぞれ素晴らしかったです。

 モードとエベレットの小さな家は、モードが描いた絵とともに、丸ごと美術館に展示されています。(ノバスコシア美術館)ふたりの死後荒れ果てていた小屋を修復復元したのだそうです。
 でも、大自然の中に見る家と美術館の中の復元では印象がだいぶ違います。ふたりの家があった場所には、家の形を模したモニュメントがあるそうですが、映画に使われた家でもいいから、自然の中においてほしいなあ。

ノバスコシア美術館のモードの家


 映画の最後タイトルロールの間に、モードの絵が挿入されました。

 映画では、音信を断っていた伯母を見舞にいくときに持っていった絵

 猫も、モードのお気に入りのモチーフでした。



 カナダ、ノヴァスコシア州の光景

 日本ではまとまって紹介されたことのないモード・ルイスですが、映画がヒットしたから、きっとどこかの美術館がノバスコシア美術館に交渉して展覧会が開かれるんじゃないかと期待しています。
 私の希望としては、東京都美術館で開催してほしい。(第3水曜日65歳以上無料だから)

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ダンス発表会」

2018-09-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180913
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記(5)ダンス発表会

 毎年9月の「文化センターサークル友の会発表会」、今年は9月9日に行われました。
 私たちジャスダンス発表の前は、日本舞踊のばーさんたち。私たちのあとはフラダンスのばーさんたち。そして、あいだにジャズダンスのばーさん、すなわち私たち。

 最初の曲は「インザムード」こちらは何度も発表会で踊っていて、だいたい振り付けは頭に入っています。ミサイルママは男性役衣装。白シャツにモノトーン縞のベスト、黒い帽子。私は、緑色の布を腰につけて踊ります。



 他の二組、くにちゃんとみやちゃん、こずさんとあきちゃん。
 女性衣装のくにちゃんとあきちゃんは、この布が腰に十分回るのですが、ウエスト幅ゆたかなe-Naは、5センチばかり布地横幅が足りません。なってこった。紐をつけて、なんとか腰にくっついているようにしました。

 渡辺直美の踊り、とても動きがきれいで、太っていてもキレッキレに踊れれば問題ない。
 でも、私の場合、太っている上に、動きがどんくさい。いいんです。本人楽しんでいるから。


 ミサイルママは、ボサノバ「おいしい水」でソロダンス。今カレのシンさんが、客席からアツい視線で見守る中、すてきなダンス、うっとりする華麗な踊り。

 67歳の美魔女です。 


 ことしの目玉は、フラメンコのスカートをはいて踊るセビジャーナスとジョビジョバ。
 ミサイルママとくにこさんは、前に所属していた水曜日のジャズダンスサークルで何度も踊ったことがある曲です。実をいうと、私も水曜日のサークルで、昔むかしに踊ったことあるのに、振り付けはまったく覚えていません。
 とりあえず、スカートをひらひらさせておけば、見ている人は振り付けを知らないのですから、まちがえたところは先生にわかるだけ、といつものお気楽ダンスでおどりました。
e-Naは緑色、ミサイルママは青い水玉フリルのスカートです。


 いつも人のふりを見てまねするだけで、振り付けの暗記をしたことがない。
 今回もミサイルママのうしろに立ち、ミサイルママのフリを一瞬おくれてまねをする。
 ジョビジョバの前後逆の動きになるところは、ミサイルママのおかげで全員同じ動きをすることになって、なんとかちゃんと踊れました。

 セビジャーナス

ジョビジョバ


 最後フィナーレは、「I owe you nathing」
 「あんたに借りはねーぜ」というタイトルですが、今回もまたミサイルママに大きな借りができました。

 ちょこっとご飯おごったくらいじゃ、帳消しにならない借りなんですけれど、ミサイルママに「どんくさい友達を助けてあげるってのも、人生の楽しみのひとつ」と思ってもらえればなにより。
 「♪たす~けられたり助けたり、、、」あれ?友達には、助けられるばかりの春庭です。

 スカートが長すぎたので、丈つめをしたのですが、ちょっと短くしすぎました。

 打ち上げ会では、先生からいろいろダメ出しがありました。いつもの打ち上げでは終わったことなので、先生は「よかったよかった」とだけ言うのですが、今回は、11月の先生地元の発表会にもミサイルママとあと2人がセビジャーナスを踊ることになっているので、先生も甘いことは言わず、厳しいダメ出しが続きました。ダンサーe-Naは、11月には出演しないので、何も言われずにすみましたので、自己満足で終わることができました。よかったよかった。
 
 「来年も楽しく踊りましょう」と、言い合って、打ち上げもおひらきに。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「岩(Rock)寿」

2018-09-11 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180911
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記残暑deござんしょ(4)岩寿

 百歳の百の字から一を引くと白。だから99歳は白寿。まあ、こじづけですね。
 古希から1を引いた69歳は、さて、何寿にしようか。岩寿はいかが。69はRockロックというただのダジャレで岩です。

 さて、めでたく春庭、岩寿をすぎました。
 誕生日、冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし。毎年同じことを言っていますね。

 一年中おつむのほうがめでたいので、とくに岩寿をめでたいと祝うこともありません。ひとりで裸踊りでも踊って、ことほぎましょう。あ、岩寿婆の裸はだれも見たくない。それじゃ、発表会で踊るセビジャーナスの衣装で岩寿の艶姿を。

リハーサルの日、ラストのおじぎの練習


 9月9日午後の発表会。
 スペインセビリア地方の踊り、「セビジャーナス」の次に踊る曲は「ジョビジョバ(Djobi Djoba)」。CM曲にも使われたというジプシーキングスの歌です。

 この曲のふりつけ、前列と後列が逆の動きをするところがあります。前列が右に行くと後列は左。前列が右に回れば後列は左まわり。みな、なんでもなく踊れています。私以外は。

 私は、もともと右と左の判断が弱い。運転免許を取ったあと、ならし運転のドライブをしたとき。姉が助手席で「次は右折」と言っているのに、私はとっさの判断ができず、左に曲がってしまいました。「右も左もわからない人は、運転しちゃいけない」と言われ、運転をあきらめました。路上教習でOKが出たのは、教官がちゃんと指示してくれたからだったんですね。自分で左右判断するのは私にはできないことでした。
 東京では運転をしなくても生活できたのでよかった。群馬では車がないと病院へもいけないし、買い物もできない。

 ダンスの自主練習していて、以前の発表会ビデオを見ながら練習することがあります。メンバーたちは、ビデオを鏡として逆の動きができるのに、私は、ビデオの動きと逆ができないのです。
 これまでの曲では、前列のふりつけを見て同じように踊るので問題はありませんでした。私の前にはいつも、上手なミサイルママがいます。
 いつも、前列に立つミサイルママを見て、まねして踊ります。自分では振り付けを覚えられないのです。

 ところが、ジョビジョバでは前列と後列の動きが逆。私には逆の動きができないので、困りました。サークル会長のミサイルママに、ジョビジョバの出演をおりる、と申し出ました。「色覚異常の人は、緑と赤の区別ができないでしょ。これは訓練したところで変えられない。私が左右区別できないのも、同じようなもの。練習続けても本番でまちがえたらいやだから、出演するのやめようかと思う」と。

 芸能人にもいるみたい。左右のとっさの判断が難しい人。堺雅人が、2015年4月12日に放送されたトーク番組「おしゃれイズム」(日本テレビ系)に出演し、「急に言われると右と左がわからない」ことを告白。堺雅人は、とっさにおつりの計算をすることもむずかしいそうです。ワァ―オ!同じような人がいた。

 脳の疾患としては「ゲルストマン症候群」というのがあって、左右がわからない、計算ができない、というものだそうです。私や堺雅人のように「落ち着いて考えれば、左右の区別もお釣りの計算もできないことはないけれど、とっさに言われるとできない」という程度の人は、けっこういるみたいです。

 ミサイルママは、前列のくにこさんに相談して、「前列後列が逆にならず、全員同じ方向に移動するのでもいいか」と、ミワ先生に申し込んでくれました。先生はOKと言ってくださいました。以前は、ふりつけの変更などとんでもないことでしたが、最近、サークルメンバーの老化に合わせて、無理のない振り付けに変更してくれることもあります。

 私は、ミサイルママが先生に相談したあと、遅れて練習に参加しました。ですから、いきさつを知らないまま、ああよかった、左右逆でなく、全員同じ方向に移動することになった、と思ったのです。

 が、あとで、みやちゃんにいきさつを聞きました。ミサイルママは、「e-Naちゃんが踊れないと言っているから、全員同じ方向に動きたい」と言ったのではなく「逆の動きだと私も踊りづらいし、動きがバラバラに見えるから、全員同じ移動で揃えたい」と理由を述べたのですって。
 私が「左右逆だと踊れない」と言ったのに、そんなことは出さずに、先生にお話ししてくれたのでした。

 ミサイルママがいつも人を思いやり気遣う人であることは、25年間いっしょにすごすなかでわかっていたことでしたが、今回も、「なんて気遣いの深いやさしい人だろう!」と、感激しました。

 自主練習もがんばって、さて、発表は9日午後、文化センター視聴覚室。
 私たちの前のサークルは日本舞踊、私たちの次の発表は、フラダンス。いずれも婆さんたちのサークル活動ですが、我がサークルは、元気溌剌をとりえとして、せいいっぱい笑顔で踊りました。ヘタでもいいんです。仲間といっしょに、スカートをひらひらさせ、年に一度つけまつげのメイクをして楽しくすごせたと思います。 
 発表会写真は明日大公開。太鼓腹ダンスに乞うご期待。

リハーサルの日、インザムードの衣装で



 誕生日を祝って、お花をいただきました。ハンさんヨンファンさん、ありがとう。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「コキ前」

2018-09-09 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180909
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記残暑deござんしょ(3)コキ前

 来年古希。
 まあ、古希ともなれば、古来稀なりですから、ちょっとはめでたい気分にさせてもらおうと思っていますが、コキ前ってのは、あまりうれしくもない。還暦になったときだって、自分がそんな年寄りになるとは思っていなかった、と感じたのに、60代ももう終わるんです。あっという間。失敗つづきの69年間、この夏もたくさんの失敗をやらかしました。

 先日も。
 地下鉄の一番まえの車両。運転席とのあいだにドアがあり、ドアノブに手提げ袋を提げておいた。背にはリュック。肩掛けバッグも下げていて、手提げ袋も持つと電車の揺れに手が使えぬ。地下鉄ポイント切り替えの場所で、「次、大きく揺れます」アナウンスがあるけれど、運転手さんの運転技術の差で、ものすごく揺れるときとそうでもないときがあり、つり革をつかんでいても、年よりはよろける。ドア脇で寄り掛かれるところに立つと体を預けられるのでそうはよろけない。
 JRとの乗換駅であわてて降りる。

 降りたら、手提げ袋をドアにかけたままだったことに気づき、さらにあわてる。銀行カードも運転免許証も保険証も全部入れてある財布を、袋に入れたはず。
 地下鉄出口の駅員さんに、忘れ物問い合わせをしてもらいました。駅員さんが私の乗った地下鉄の終点駅に連絡をしている間、ペットボトルのお茶を飲もうとリュックの中を見たら、お財布が入っていました。それじゃ、袋の中身は、サラダパックと半額シールがついているパン。

 駅員さんに、「すみません、お財布ありましたから、仕事に行きます。手提げ袋の中はお弁当だったので、もし見つかったら、帰りに受けとりにきます。見つからなかったら、あきらめます」と言って仕事先へ。
 結局、帰りに見つかった手提げ袋を、駅の事務室にとりにいきました。大切なものを落とすと出てこないのに、お弁当程度だと出てくる。69年間に落とし物忘れ物数限りなし。

 8月19日日曜日、「演劇を楽しむ視覚障害者の会」を続けているアコさんから連絡がありました。「座・高円寺」で劇団昴の公演を見たあと、東京駅から新幹線で大阪に帰るので、高円寺から東京駅までのガイドヘルプ。
 「お願いごとがあるので、ゆっくりお話ししたい」ということだったので、東京駅でカフェに入ろうとうろうろしました。
 東海道新幹線乗り場に近い、ちょうどいい場所にカフェが見つからず、新幹線待合室で「お願い事」を聞くことに。
 アコさんのお願いとは「アコ夫が関わっている『福祉の広場』という雑誌の視覚障碍者向け朗読員が不足しているので、朗読ボランティアを大募集している。東京在住者でもいいので、引き受けてほしい」ということでした。

 私とアコさんが出会ったのは、25年も前のこと。アコさんが同じ区内に在住しているころ。区内図書館音読希望の視覚障害者とで朗読ボランティアとして出会ったのでした。アコさんは、私の朗読が気に入り、いつも「ご指名」してくれたので、私も、アコさん以外の人の朗読はしなくなりました。

 アコさんが大阪に引っ越してからは、東京に演劇を見に出てきたときに、舞台までのガイドヘルパーとして付き添う、年に何回かの出会いになりましたが、私が見たいときはいっしょに舞台も見て、ご飯を食べることもある、というおつきあいになりました。
 
  アコさんは福祉削減の政策や、「子どもを持たない人は生産的でない」という議員の発言について、悲憤慷慨。「視覚障碍者で子どもを持たなかった私など、真っ先に不要な人間として扱われるのだろうなあ」と嘆きます。
 明るい人柄がみなに慕われ、みなの心をなごませているアコさんです。そういう「心のともしび」は、生産のなかには勘定しない政府なのでしょう。

 今の政府の考え方が進んでいくと、将来は「社会貢献センター」という名の「安楽死センター」ができるだろう、と、私の悲観的想像。60歳還暦まで馬車馬のごとく働いて、60歳の定年を迎えると「自主自立者」と「社会貢献者」のどちらの生活がいいか、選ぶ。社会貢献法という法律を決めた政府を、有権者は支持し選んできたのですから、決められた法律には従う。
 自主自立者は、福祉などの助けを借りずに生きていく人たち。病気になれば高額の自費診療。社会貢献者は、70歳までは、住まいも食料も医療も十分に与えられる。けれど、70になったら社会に貢献する人になる。「社会貢献センター」に収容され、やすらかにおだやかに眠るように安心してあの世へ行き、その内臓や角膜その他、利用できる部分は世の中のために提供する。利用できないような臓器の人は、医学生利用の解剖用遺体となる。

 こんな未来もSFの世界だけじゃないんだなあ、と、「非生産的人間」への発言を聞いて想像しました。
 SFジャパンでは。18歳で、第一の選別があります。現在中国で実施されている「高考」よりもっと厳しい「全国統一高校卒業試験」。スポーツ推薦を受けた一部の高校スポーツエリート以外の高校生は、一発勝負の点数で入学できる大学が決まる。高校3年生の1割は「高度専門性をもつ大学(医師、弁護士、上級公務員などをめざす)」4割は「一般大学」、その他は進学断念。現在の日本の大学進学率は50%に達していますが、英語スピーキング試験に備えて家庭教師を雇う費用もない家庭の子供は、進学をあきらめざるを得ない。スピーキング試験って、自己紹介をするとか、道順を教えるとか、そういう「単純会話」じゃないからね。
ある問題を提示され、自分の考えを述べるというようなスピーキングです。

 高額の大学費用が捻出できない低所得者の子供たちは、軍隊で5年つとめると大学奨学金を得られるということにひかれて、ぞくぞく入隊。(現在の米軍志願兵は、だいたいこのタイプ。経済的徴兵と呼ばれる)
 働き続けて60歳でまた選別。私の内臓など、もうボロボロですし、目は老眼、耳は遠い。だから、私が最後に貢献できるのは、医学生向け解剖用だけかも。

 7時の新幹線だというのに、待合室でぎりぎりまでおしゃべりしていました。あわてて新幹線ホームについたら、ホームにいた車掌さんが「7時発の新大阪行き、今ホームを出発しました」と言うのです。真っ青になりました。大失敗。

 私の「時間観念のなさ」による失敗なので、新幹線切符負担しようと窓口に行ったら、指定席券5000円を買いなおすと、乗車券1万円も買いなおさなければならない。自由席にすわるのなら、乗車券を買いなおさなくてもよい、ということです。7時23分の新大阪駅行き自由席に車掌さんに案内してもらって、アコさん希望の「トイレに近い席」が確保できました。

 ガイドヘルプ大失敗の巻。夜10時すぎに電話したら、アコさんは、まだ家に到着していなくて、地下鉄に乗り換えたところ、と言っていました。夜おそくになれば、昼以上に、視覚障碍者の外出は困難になります。昼は、白杖を持っている人に気づいて、ヘルプしてくれる人もいるけれど、夜は人通りも少ないし、気遣ってくれる人がない道を進むことになる。ほんとうに申し訳ないことをしたと、反省。

 人様のお役にたちたいというのは心意気だけで、ほんとうに役に立たない婆さんであるなあ、と毎度の反省なんですが、また次も失敗つづきなんだろう。

 と、嘆きながらも年だけは重ねています。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「友と語れば姥桜の園」

2018-09-08 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180908
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記残暑deござんしょ(2)友と語れば姥桜の園

9月6日未明の北海道地震、たいへんでした。全道ほぼ全世帯停電という事態になり、泊原発への送電もストップ。非常用電源があるから、原発冷却はできる、と報道されていましたが、発表される「絶対安全」は、絶対じゃないことが2011年によくよくわかりましたからね。
 被害あった方、不安を抱えている方、お見舞い申し上げます。
 全道停電が全面復旧するまでに1週間かかるのだそうです。1週間電気なしの暮らし、たいへんでしょうね。

 春庭は、さまざまな不安抱えながらも、友人たちに助けられること多々あり、なんとか暮らしていられること、感謝の毎日です。

 友人K子さんとのおつきあい。1970年から48年になります。
 女子高時代からの友人やっちゃんたちとの1965年以来のおつきあいに比べれば短いですが、それでも50年近くの交友は、ともだち少ない私にとっては、宝物のような友人です。

 5月26日土曜日に梅若能楽堂での公演、東京ノーヴィレパートリーシアター『桜の園』に、K子さんからご招待いただいて観劇してきました。
(公演レポートは、
https://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/287cf2500e41445bb0b29fca1e316d7c)

 K子さんは、この劇団の「スタニスラフスキー・スタジオ」というところに所属しています。劇団の「演劇教室ワークショップ」から発展したアマチュア劇グループのメンバーとして演劇活動を続けています。
 スタジオ公演にK子さんも出演するとき、ミサイルママたちと誘い合わせて下北沢の劇場に見に行きました。

 7月29日は、私がK子さんをお誘いして、池袋演芸場に出かけました。仕事を終えてからかけつける私は、何時につくか予想できないので、演芸場入り口で待ち合わせ。
 金原亭世之介独演会。おおいに笑って、終演後、K子さんのお宅におじゃましました。(世之介独演会感想8月5日に)
独演会レポートは、
https://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/b8c26ee5988401b87a7e94dafbe70396#comment-list

 K子さんは、伯母様からゆずられたというすてきなグリーンのワンピース。私より2歳うえですから古希すぎているはずですが、相変わらずシックな美人さんです。
 料理上手なK子さんですが、この日は高幡不動へのお参りとお墓参りをしたその足で池袋演芸場までかけつけた、ということで、デパ地下お寿司を用意してくれました。

 おおいに笑っておなかの脂肪をゆすったので、ビールを飲みながらお寿司をぺろりと。そのあと、近所のむかしながらのお豆腐屋さんがつくっているお豆腐冷ややっこ、ふるさとの妹さんから送られてきたソーセージ、トマトサラダなどをつまみながら、ワインをいただきました。
 ソーセージは、行者ニンニク入りのハーブソーセージでとてもおいしかったです。

 K子さんのニュースは、昨年から三味線を習い始めたこと。若くして亡くなったK子さんの母上は、結婚前に三味線を習っていました。とても筋がよいとほめられて、ゆくゆくは長唄師範などして自活できるようにというほどでしたが、結婚後は歌舞音曲を好まないご主人に遠慮してか、お稽古をやめてしまったのだそうです。

 K子さんは若いころは三味線を習ってみようなどとはかけらも思っていなかったのに、最近、もしあの世でお母さんと会ったら、なにも共通する話題がないことに気づき、お母さんの好きだった三味線のお稽古に通うことにしたのだそうです。もし、お母さんに会えたら、三味線のことをいろいろ話し合える、もしもあの世で会えたなら、、、、、。

 まだまだお稽古を始めたばかりなので、3の糸もテトロンナイロン製で、上達したら取り替えるそうです。三味線の棹も上達するにしたがって、上等な木材に換えていくのですって。
 腕があがってきて、発表会などに出るのを見に行くのはいつになるかしら。K子さんの三味線の音色が楽しみです。

 娘からメール。「K子さんの家に寄るならメールするというから、晩御飯食べないで待っていたのに、おなかすいたから母を待たないで食べます」と。しまった、娘への「晩御飯食べて帰るメール」を忘れてしまいました。
 地下鉄の終電に間に合って、ようよう帰宅できました。
 
 8月23日夜にも、K子さん宅へ。ビールとビビンバ丼をいただきつつ、おしゃべりを続けました。仕事のうえのお願い事をして、K子さんにはこころよく引き受けていただいたのですが、いろいろK子さんのお手を煩わせたうえで「今回は、なかったことに」ということになってしまい、残念無念。K子さんの経験と卓越した能力をお借りしたかったのですが、いろいろと仕事の制度上の制約があり、ご破算になりました。

 「こちらから頼んでおいてご破算にする」という頼み事。
 夏の間、さんざんお手間を取らせたのに、白紙撤回になってしまいました。
 「今回はダメだったけど、いつでも私の細腕なんかお貸しするから、また聞いてね」と、やさしい言葉をかけてくれたK子さん。いつもありがとう。

 宵越しのお金は持たない春庭ですが、長年の友情は持っている、それだけでも人生万々歳。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「大人のえんそく in 都美」

2018-09-06 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180906
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記残暑deござんしょ(1)大人のえんそく in 都美

 9月4日の台風21号、「非常に大きい」という台風の本州直撃は25年ぶりなのだとか。被害のあった方、お気の毒に思います。前回の被害教訓があったので、早めに避難を実施した地区もあったということですが、目の前に迫らないと腰があがらないのも人の常。
 東京は、夜中、激しい風と雨でした。

 さて、春庭はミサイルママとの大人の遠足を楽しみに暮らしております。
 熟年恋愛中の彼女、土日はデートのほうが忙しくなり、婆ともだちといっしょに出かけるのもたいへんなんですが、なんとか時間やりくりしてくれて、8月15日、第3水曜日に東京都立美術館に行きました。藤田嗣治展開催中、第3水曜日は65歳以上無料日です。(藤田嗣治展紹介はのちほど)

 あまりの暑さのせいか、いつもの第3水曜日に比べるとジジババの出足もかげり、30分待ちくらいで入場できました。
 11時半から90分見て13時に出口で待ち合わせと約束したのですが、出展点数が沢山あり、最後の「レオナール・フジタ」になってからの宗教画は、ほとんど駆け足。

 約束時間を13時半にすればよかったと思いましたが、開催中、9月にもう一度第3水曜日がめぐってくるので、そのときまた見にくればいいや、今回はミサイルママとの大人の遠足中心、と思って、出口へ。入退場口わきのベンチで1時間くらいおしゃべり。

 上野から地元に戻って、ミサイルママの好きな大戸屋で和食たべながら3時間もおしゃべり。主な話題は、ミサイルママ熟年恋愛報告。彼がいかに誠実なやさしい人であるかの報告をたっぷり聞きました。

 私の話題は、ニーナ・アナニアシヴィリのバレエを見たことなど。
 3泊4日で、バレエの指定席券2夜分、宿泊費、食費などで10万円ほどの旅費。これは私には年に1度の大消費。
 やっちゃんにはガソリン代プラス運転手をしてもらったので、ペンション宿泊費食費は私もち。
 バレエチケット代、オーベルジュ2泊の宿泊費は、自分の分だけ妹に払い、11日のランチと、今回こられなかった妹長女へのおみやげ(レストランRockのレトルトカレーひとつ700円5個)は、わたしのおごり。娘と息子へのおみやげは、清里名物のソーセージとスモークポークタン。

 日ごろ、団地となりのスーパーのお肉やピザ、夜9時すぎに半額引きになってから買う生活を続けていて、服も買わず、化粧品は「ちふれ」の格安品。
 清里生活は、私にとって、年に一度のプチ贅沢なんだ、と説明しました。

 来年古希になるのに、国民年金では年金暮らしもできず、仕事を続けなければ食べていけない一家。
 もっとも、ミサイルママも年金では暮らしがたたず、パートの仕事を続けています。
 今カレのジンさんが65歳になったら、定年後は湘南あたりで引退生活をするというので、「そのときは東京を引き払って彼についていくつもり」というのが、ミサイルママの現在の希望。

 あれ?前カレのとき、ミサイルママが65歳になったら、前カレの家に住むことにするって言ってたっけなあ、とまぜっかえしてやったのも、モテモテ美女へのひがみやっかみの弁。

 若いころ、男性からは「理屈っぽくて、かわいげのない、怖い女」と扱われ、唯一もてたのは、ケニア滞在時に「色が白い」と言われてモテたのみ。そりゃ、日に焼けて真っ黒だったとはいえ、ケニアの人々に比べれば、いくらかは色白だったからね、
 ケニアの人に「嫁にこないか」と、モテまくり。私の「モテ期」はケニアだけでした。ケニア一家に嫁に行かない言い訳に「ほら、この人が夫です」と紹介していた人と、帰国後ほんとに結婚することになるとは思わなんだ。

 ケニアでナイロビ到着その日に出会ったタカ氏。
 6月に転んで骨折。入院2ヶ月でようよう退院してきました。入院中喧嘩して「もう病院にこなくていい」と言われたので、退院の世話も娘にまかせました。

 娘は、「退院手続きとかは、おばあちゃんのときもやったから別段たいへんじゃなかったけれど、父は、自分がいかにまじめな患者としてリハビリにはげんだか、というのを延々話していて、めんどかった」と。
 リハビリに励むのが一種生きがいになっていて、もうちょっと入院していたいと懇願したのに、リハビリ担当の先生から「単純骨折の人は、1ヶ月で退院するのに、2ヶ月も入院していたのだから」と、追い出されたみたい。

 しばらくは杖をついての歩行になるみたいだけれど、ともあれ、退院できてよござんした。
 残暑の日々も、仕事さえあれば生きていける人ですから、好きに生きてください。

 私も、残暑の日々をめげずに生きてまいります。

<つづく>
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