春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

今日のいろいろ
ことばのYa!ちまた
ことばの知恵の輪
春庭ブックスタンド
春庭@アート散歩

ぽかぽか春庭「2016年10月目次」

2016-10-30 00:00:01 | エッセイ、コラム


20161030
ぽかぽか春庭2016年10月目次

1001 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>秋散歩(1)ビールで乾杯
1002 秋散歩(2)ダリアと栃の実 in 神代植物園
1004 秋散歩(3)輝く女性達展 in国立文書館&三の丸尚蔵館in皇居東御苑
1005 秋散歩(4)カワセミ in 名主の滝公園
1006 秋散歩(5)かかしin 後楽園
1008 秋散歩(6)地球交響曲第八番 in 写真美術館

1009 ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>神無月のことば(1)秋の暮れ
1011 神無月のことば(2)秋思
1012 神無月のことば(3)鰯、鯖、鱗
1013 神無月のことば(4)秋の生活
1015 神無月のことば(5)はがむはイミフ

1016 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記・地の花空の花(1)秋の花火
1018 2016十六夜さまよい日記10月(2)東京よさこい in 池袋
1019 2016十六夜さまよい日記10月(3)九州観光物産フェア in 代々木公園
1020 2016十六夜さまよい日記10月(4)思い思いに体育の日 in 代々木公園
1022 2016十六夜さまよい日記10月(5)秋バラ in 旧古河庭園
1023 2016十六夜さまよい日記10月(6)アートナイトで徹夜
1025 2016十六夜さまよい日記10月(7)パフォーマンス誇り高き馬 in 六本木アートナイト
1026 2016十六夜さまよい日記10月(8)秋草 in 白金自然教育園

1027 ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>晩秋のことば(1)秋草俳句ing
1029 晩秋のことば(2)SBA 米でマジおこ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「SBA 米でマジおこ」

2016-10-29 00:00:01 | エッセイ、コラム
20161029
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>晩秋のことば(2)SBA 米でマジおこ

 27日、録画してあるドラマ見ようとテレビつけたら、国会中継をしていたので、しばらく見ていました。野党の質問に、与党の大臣その他が答弁になっていない答弁を何度も同じことを繰り返したりはぐらかしたりするやりとりは定番でしたが、TPPにカンすることだったので、こりゃ、重大かもと思って見ていました。しかし、途中から見たせいか、何度も繰り返して質問答弁に出てくるSBS米というのが、わからない。質問の最初には説明があったのかもしれないけれど、最初のところは聞いていないので、わからないまま質問答弁を聞いていました。

 野党は農水省の「ききとり調査」なるものが、お手盛りの「結果ありき」の調査にすぎぬことを追求し、また、取引に参加する業者が入札に加わる資格の又貸しをしている、という点を追求していました。

 調べてみると。
 SBS米とは。海外より輸入されるミニマムアクセス米(MA米)の中で、SBS方式で輸入されるお米のこと。SBS米は、主に主食用に用いられ、近年MA米77万トンのうち10万トン分の枠を占めている。

 SBS方式とは、「契約方式のひとつ。Simultaneous Buy and Sellの略で、「売買同時契約」のこと。SBS方式は輸入業者と国内の買い手である実需者がペアで国の入札に参加する形式をとります。これは両者間の実質的な直接取引になるため、一般輸入に比べて、より輸入米の適正な市場評価を得られる方式になっている」。と、みると、なんだか適正な感じを受けますが、やはり、資格の又貸しとか、不正は堂々と行われているようです。利権ががんじがらめに組み合わさっています。

 ほほう、MA米もSBS米も知らなかった。こんなふうに何も知らずに米を食べているから、いいように転がされてしまうのですね。
 農水大臣は「強行採決すべし」と主張したそうで、ボロがでないうちにTPPを早いこと決めてしまいたい政府の腹をあけすけに漏らしてしまって墓穴を掘りました。どういう利権がからみ、どこの国にシッポ振りたいのかは知りませんが(知っていますが)、農家も消費者もそっちのけでことが進んでいることは、よくわかりました。
 
 仕事を休んで半年。SBSもMAも知らず、略語にうとくなってしまったかと、職業訓練開始。
 来年4月からまた若者用語採集の現場に復帰できそうですが、やたらに略語を使いたがる日本人大学生相手にことばが通じるかしら。
 キャンパスで耳にする若者用語と文章語の違いがわからずに、論文や作文に「ていうか、やばい」だの「日本でのワンチャンねらって留学した」だの書いてくる留学生に対処するためにも、若者用語も知っておく必要があります。
 前に紹介した「了解→りょ」はさらに「り」に省略されているそうです。 

・とりま→「とりあえず、まあ」の略語。用例「とりま、若者用語でも拾っておこう」

・ワンチャン→「ワンチャンス(one chance)」の略。「ワンチャンあり=多少とも可能性がある」「ワンチャンなし=まったく可能性なし」のように使う。

・それな→「そのとおりだな」「たしかにね」と、相手に同意する相づち。

・ほぼほぼ→おおよそその通り。だいたいの

・リアルガチ→演出なしに現実にガチンコ(真剣勝負)をする。用例:教師「今日は単語の抜き打ちテストをする」学生「まじっすか、センセ」教師「リアルガチだ」

・Bダッシュ→ゲームコントローラーのBボタンを押しっぱなしでゲーム主人公を走らせるように、急いで移動すること

・チキる→チキンのように臆病にふるまうこと

・場面で→場面や状況に応じたアクションを起こす。用例:「試験が終わったあとどうする?」「とりま、場面で(とりあえず、まあ、状況に応じてどこかへいく)」

・おこ→怒る。激おこ、マジおこ、など。

 さて、SBS米を知らなかった春庭。新聞雑誌などに登場するアルファベット略語を確認しました。チェックすると。

1)意味がわからなかった略語。2)意味はわかるが、元の英語がわからなかった略語、3)意味もわかるし、元英語もわかる。
に分かれました。

 最近のアルファベット略語のチェック。

1)略語を見て、意味がわからなかった語
・ETC 自動料金収受システム  Electronic Toll Collection
 車を持っていないし高速道路に入ることもないので、なじみがない語でした。

2)意味はわかるけれど、略語の元英語がわからなかった語
・USB ユニバーサル シリアル バス Universal Serial Bus
 「ユーエスビー」というカタカナ語で覚えてしまったので、元の語を知らなかった。
・AED Automated External Defibrillator, 自動体外式除細動器
 Eは、エレクトリックかなんかだろうと思っていました。
・ATM  Automatic teller machine 現金自動預け払い機
 ドラマ「花咲舞がだまっちゃいない」を見ていて、はじめて銀行窓口業務の行員をテラーというのだと知ったのだけれど、ATMのTがTellerのTだと知りませんでした。
・LCC Low Cost Carrier 低価格運搬 低価格旅客機
・LED Light Emitting Diode 発光ダイオード
 Eはやはりエレクトリックだろうと思っていました。
・GPS Global Positioning System : 全地球位置把握システム
・ADSL  Asymmetric Digital Subscriber Line : 非対称デジタル加入者線
・ALS  Amyotrophic Lateral Sclerosis : 筋萎縮性側索硬化症
・CEO  Chief Executive Officer : 最高経営責任者
・CIA  Central Intelligence Agency : 米中央情報局
 「情報=インテリジェンス」がわかっていませんでした。
・DVD  Digital Versatile Disc   ディーブイディー
 VはVideoだと思っていました。
・NASA ナサ the National Aeronautical and Space Administration : アメリカ航空宇宙局
・FIFA  Federation Internationale de Football Association : 国際サッカー連盟
・FBI Federal Bureau of Investigation : 連邦捜査局
・IC  Integrated Circuit : 集積回路
・NATO ナトー the North Atlantic Treaty Organization : 北大西洋条約機構
・NPT  a Nuclear Nonproliferation Treaty : 核拡散防止条約
略すなら、NNTになると思うのだけれど。
・ODA  Official Development Assistance : 政府開発援助
・OPEC オペック the Organization of the Petroleum Exporting Countries : 石油輸出国機構
・PR  Public Relations : 広報(活動)
・SARS サーズSevere Acute Respiratory Syndrome : 重症急性呼吸器症候群
・TOB  Take Over Bid : 株式公開買付
・TPP  Trans-Pacific Partnership : 環太平洋戦略的経済連携協定
 Tは貿易のtradeトレイドだと思っていました。
・UNHCR  the United Nations High Commissioner for Refugees : 国連難民高等弁務官
 緒方貞子さんがトップになったときに覚えたはずが、Cはcouncilカウンシルだと思っていました。

3)意味も元英語もわかっていた語。
 自分がわかったものについては、エラソーにクイズにする。
 30問。みなさまにおかれましては、意味はわかるが英語は知らない、というほうが多いと思うのですが。

 30問全部略語の元を知っているという方。8888です。(ネット用語では、パチパチパチ拍手、という意味。もう廃れているかも)

2文字 1. HP 2. IQ 3. UV 4. BS 5.CG 6. EU 7. PC 8. PB
3文字 1.BBQ 2.DNA 3.GNP  4.GHQ 5.IMF  6.JIS  7.MVP  8.NPO  9.UFO  10.PKO 11.VIP  12.CPU 13. ICU 14.IOC 15. WHO 
4文字以上 1.ASEAN 2. BRICs 3. PTSD 4. UNICEF 5. UNESCO 6.YMCA 7.JICA  

 正解は各自検索リアルガチよろしく。

<おわり>
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「秋草俳句ing 」

2016-10-27 00:00:01 | エッセイ、コラム
20161027
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>晩秋のことば(1)秋草俳句ing

 野山を歩き回るハイキングhiking。
 俳句を作ることを目的に旅するのを吟行という。吟行というほど本格的ではないし、名句秀句もつくれないけれど、なんとか五七五を並べながら歩くことを「俳句ingハイキング」とシャレてみて、ふむふむうまいこと言った、と思っていたら、私が造語したと思った以前に、すでに一般に使われていたようです。一足おそかった。

 自分ではうまいこと俳句を作れなくても、歳時記をめくって、散歩の中で出会った草花を確かめると、散歩の楽しみも二倍になります。ヘボ句でも自分で五七五並べてみれば、又、俳句ingの楽しみひとしきり。

 10月19日に散歩した白金自然教育園で見つけた秋草のいろいろ。
歳時記をのぞくと、芭蕉の句などは角川板新潮板の両版に出ていますが、近代俳句は、両版とも意地を張るごとく、例句の作者が異なっています。
 そのなか、秋草の例句に、新潮版にも角川版にも出ている句がありました。滝井孝作、俳人ではなく小説家ですから、歳時記を作る際の編者たちが属する結社のしばりなどがなくて、どちらからも選ばれたのかも。

秋草


秋草や昼は障子をはずし置く(滝井孝作)
秋草にまろべば空も海となる(木下夕爾)
草の花ひたすら咲いてみせにけり(久保田万太郎)

 秋薊は、新潮板には季語としてたてられていますが、角川板にはなし。


秋薊千草の上に倒れけり(前田普羅)

草の穂、草の実


草の穂を日に照らされて野は隠る(山口誓子)
実をつけて悲しきほどの小草かな(高浜虚子)
払いきれぬ草の実つけて歩きけり(長谷川かな女)

 自然教育園の細道を歩いていると、私のシャツにもいっぱいの草の実が張り付きました。とげとげして痛いので、払い落としましたけれど。

ミゾソバ


 角川歳時記「溝蕎麦」の句。高浜虚子一家勢揃い。父と長男と次女
溝蕎麦や多摩の小流ここに又(高浜虚子)
町中に溝蕎麦の堰く流れあり(高浜年尾)
みぞそばの水より道にはびこれる(星野立子)

ホトトギス 時鳥草・杜鵑草。新潮板にはない季語です。
 


この山の時鳥草活け手桶古る(野沢節子)

 ススキ


山は暮れ野は黄昏の薄哉(与謝蕪村)
をりとりてはらりとおもきすすきかな(飯田蛇笏)
芒の穂ばかりに夕日残りけり(久保田万太郎)

 ワレモコウ吾亦紅


霧の中おのが身細き吾亦紅(橋本多佳子)
野踏みて刀自が賜ひぬ吾亦紅(石田波郷)
吾も亦紅なりとひそやかに(高浜虚子)
 
 林の中の細道を歩いていると、ポトポトとどんぐりが落ちる音が聞こえてきます。
 神代植物園は落ちていた木の実は拾って持ち帰ってもよい、ということでした。植物園なので、植物の種の保存やダリア薔薇ボタンなどの品種改良などが中心の仕事であって、小鳥のことは植物園のしごとではないのだろうと思います。神代植物園で拾った栃の実、干してとってあります。

 自然教育園の落ちた実は「小鳥たちの大切な食べ物ですから、木の実を持ち帰らないでください」という張り紙がありました。そういう点でも自然教育園は、虫たちや小鳥たちの営みを含んで自然のままにしておかなければいけないのだなあ、と思いました。

二つ三つ木の実の落つる音寂し(正岡子規)
見舞い人栃の実すでに拾い持つ(石田波郷)
栃の実となりて我が辺に静まりぬ(加藤楸邨)

 春庭のことば遊びは、ハイハイきんぐ。よちよち歩きにもならず、這い這いで進んでいく。ことば遊びも五七五七七に並べれば、ワカらん和歌。以下、春庭の「這い這いきんぐ」と「ワカラン和歌」

・木の実降り白金の森夕焼ける
・あかあかと貧の小家に茨の実
・白粉花花魁道中晴れ晴れと
・女郎花街道沿いに客をひく
・揺れつつも太閤の威厳大瓢箪



団地のベランダ
・金木犀香る広場に園児らは輪っかを手渡しリレーの練習
・物言えば寒く山梔子実となりて部屋隅に落ちてまろく転がる
・実石榴の赤いつぶつぶ光吸いどれが芽となる次の実となる
・栃の実の丸々ありぬ渋抜きは難しと聞けど捨てるに惜しき

帰省の思い出
・亡き母の植えし無花果この秋も故郷の廃家にたわわに実る
・上州路嬬恋村の秋甘藍丸々笑って並びおるなり
・無人駅の窓辺を染めるコスモスが揺れてお別れ出発進行
・枸杞の実がクコの木にあり我れもまた我が家にあるべし貧の小家に
・旅果てて子への土産のどんぐりがポケットにありかしゃかしゃと歩く
・車窓より金芒の穂に手をふれば母の手の如金色揺れおり

<つづく>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「秋草 in 白金自然教育園」

2016-10-26 00:00:01 | エッセイ、コラム
20161026
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記10月(8)秋草 in 白金自然教育園

 山手線内側の緑。上野の森、新宿御苑、皇居東御苑などへよく行きます。
 都内の緑散歩、庭園も植物園もそれぞれに見所がありますが、歩いていて一番好きなのは、皇居東御苑と白金自然教育園かも。武蔵野の自然をできるだけ保存しようとしているからです。
 10月19日、白金自然教育園を散歩。正式名称は、国立科学博物館附属自然教育園。
 自然教育園では、森林の自然推移を研究するため、木が倒れたら倒れたまま、外来植物が生えたら生えたままに保存されています。

 白金自然教育園は、江戸がまだ武蔵野の野原であった時代には、白金長者と呼ばれる大地主の屋敷がありました。園内のそこここに、屋敷を取り囲んでいた土塁を見ることができます。
 江戸時代には高松藩松平家(水戸徳川家の分家筋)の下屋敷となりました。

 江戸から東京に変わるとき、ほとんどの大名屋敷は政府直轄地とされ、東京市中の35%の土地が明治政府の支配下におかれました。
 この大名屋敷を、政府高官が次々に私物化しました。(お手盛りの法令は作った上なので、法律上は問題なしだったのでしょうが)
 東京の土地を私物化しなかったのは、西郷隆盛と板垣退助ぐらいだったということですが、そのあたりの経緯について、なんらかの歴史書が出ているのでしょうか。

 高松藩松平家下屋敷は、明治時代には陸海軍の火薬庫として使われ、大正時代には皇室御料地になりました。現在は、国立科学博物館附属自然教育園。
 政府高官の私有地なんぞになっていたら、いまごろは、この緑の自然園もマンションが立ち並ぶ土地となって、「シロガネーゼマダム」が闊歩していたのでしょう。
 ありがたいことに、今は貧乏春庭でも、緑を楽しみ花を写しながら歩くことができます。(65歳以上、いつでも無料)。

ノガリヤス(だと思います)


モミジガサ


 自然のままに推移を見ていくのが自然教育園の方針ですが、今回歩いて見たら、「通路側のシュロの木は、伐採しました」という掲示がありました。温暖化のため、どんどんシュロの木が増えてきた、ということは以前の説明にもありましたが、通路にまではみ出すほどのさばってきたのですね。そのうち、ここも「熱帯植物園」のように、シュロやら椰子やらがいっぱいになるのかな。

 秋に咲くホトトギスの名前は、鳥のホトトギス(杜鵑)の胸にある斑点に花の斑点をなぞらえたことに由来しています。「タイワンホトトギス台湾杜鵑草」は、台湾や沖縄に自生していて、絶滅危惧種になっているそうなので、自然教育園に生えているのも貴重なことです。

タイワンホトトギス


ホトトギス


 タイワンホトトギスが「台湾」だったので、ノハラアザミ野原薊に対するタイアザミは、タイ国原産の外来種かと思ったら、「大薊タイアザミ」ですって。別名「利根薊トネアザミ」。
 アザミは地域ごとにいろいろな種類があり、利根流域には固有のアザミがあり、高知には高知のアザミがある。それが、それぞれ絶滅危惧種になっています。
 タイワンホトトギスとホトトギスの違いはかろうじて区別がついたのですが、タイアザミとノハラアザミの違いは、ぜんぜんわかりませんでした。

タイアザミ(大薊・利根薊)

ノハラアザミ


アザミの蜜を吸うクロアゲハ


 秋草、秋の花。
 野草の花ですから、地味な花が多かったですが、小さな花が草陰に賢明に咲いている様子、心なごみました。

マツカゼソウ


シロヨメナ白嫁菜


ユウガギク優雅菊(シロヨメナの葉は切れ込みが浅く。ユウガギクは葉っぱに切れ込みがある。といっても、私には区別がむずかしい。どっちがどちらやら)


ナガボノシロワレモコウ(長穂の白吾亦紅)白いのに、吾亦紅ってところがいいね。


テンニンソウ。蜜を摺っているのはハナアブか?


ミゾソバ


アキノウナギツカミ。ミゾソバと似ているけれど葉っぱが違う。


 春夏に訪れることが多くて、秋にはあまり来ていなかったので、前は気にならなかった、背高泡立ち草が、池の近辺にずいぶん増えていることに気づきました。


 コスモスもひまわりも外来の花。ひまわりは江戸時代、コスモスは明治時代に日本にやってきました。
 自然教育園では、まだひまわりとコスモスは見ていません。栽培種としてタネが持ち込まれることがなかったので、ひまわりもコスモスも武蔵野の野原にはなかった、ということです。

 背高泡立ち草は、どこから運ばれてきたのやら、生命力の強い花なので、これからどんどん増えていくのかもしれません。背高泡立ち草には、毒があり、いったん根がつくと、他の草を毒によって押さえつけ、自分の勢力を伸ばすのだそうです。しかし、勢力が増えすぎるとこんどは自分の毒で自家中毒になり、増えすぎを押さえるという、なんだかよくわからない外来の草。在来種を駆逐してしまうのでなければ、日本に根付いても悪くは無い。ひまわりは夏の、コスモスは秋の景色になじみましたから、背高泡立ち草もあと100年もすれば、日本の秋の景色に定着するのでしょう。

 外来のブラックバスがのさばってアユほかの川魚を駆逐してしまったり、西洋ミツバチが日本ミツバチを減少させたように、外来植物が生態系を変えてしまったのは事実。でも、偶然生まれたソメイヨシノが明治以後の日本の桜風景をすっかり変えてしまったのも、時代の移り変わりなのかもしれません。
 私は、今の自然を眺めるしかありません。

 池の周辺でよく見かけるというカワセミは、今回は残念ながらいませんでした。けれど、林があり草花が生い茂る園内には、花虻や、黒揚羽などが飛び回っていたし、トンボ(たぶんホソミオツネントンボ)を見ることができました。ホソミオツネントンボ、羽が透き通っていて、揺れる姫ガマの穂の上にいたので、私のカメラではピントが合いませんでした。

 草のみも木の実も実っていて、小鳥や虫たちには大ご馳走の秋でしょう。
ウバユリ

ヤブミョウガ




梢の上のほうに実っていた木の実。木の名前、わかりません。




路傍植物園で自撮り
 

 19日水曜日は、庭園美術館に行く予定でした。白金自然教育園は庭園美術館の隣だから、ついでに30分だけ寄ろうと思ったのですが、結局3時間散歩しました。庭園美術館観覧の時間が減ったけれど、秋の午後、ゆったりと歩くことができました。

<おわり>
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「パフォーマンス誇り高き馬 in 六本木アートナイト」

2016-10-25 00:00:01 | エッセイ、コラム

パフォーマンス誇り高き馬

20161025
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記10月(7)パフォーマンス誇り高き馬 in 六本木アートナイト

 22日夜、六本木アートナイトに出かけました。
 サントリー美術館開催の琳派鈴木其一展、見たいけれど、シルバー割引きもないし、一般料金1300円を払うか否か、と、迷うほどのことも無いけれど、「行楽は無料で」というポリシーにのっとって悩んでいたら、耳寄りな話。六本木アートナイトの夜は22時まで開館で、500円に割引きになるという。「無料」の次に「割引き」が好きな春庭。500円ワンコインなら、いいよね、と、土曜日の夜は六本木へ。

 土曜夜の六本木は、こじゃれた若者や外国人がいっぱいです。しょぼくれたオバハンは、ちと場違いな雰囲気でもありますが、このヨレヨレの古着、ジャズダンス仲間サクラさんからのもらいもの。リサイクルショップでも「ウェス(雑巾)にしかならない」といわれたという一品、私が着れば「グランジファッション(ボロ着)なのよ」という顔で六本木をのし歩く。歩いているうちはいいけれど、疲れて街角に座って、前にボール紙の箱を出しておけば、なにがしかのお情け小銭が稼げるかもといういで立ち。

 富士フイルムギャラリーで写真展見て、広場で「ムサビファッションショウ」見て、鈴木其一展見て、ミッドタウンプラザで、「誇り高き馬」というショウを見ました。
 「キダム」という団体なので、カナダのシルクドソレイユの「キダム」かと思っていたのですが、フランスを拠点として国際的に活動している、と、パンフレットに説明があったスペクタクル・パフォーマンスグループ「カンパニー・デ・キダム Compagnie des Quidams」という、別団体。2010年の六本木アートナイトにも出演したのですって。知らなかった。もっとも、私が六本木アートナイトに来たのは、2012年の会田誠展を見るためのみ。

 新作「FierS à Cheval ~誇り高き馬~」、どんなショウなのかと興味津々でショウ開始20分も前に、最前列に腰をおろしました。この段階で腰を下ろしているのは、私のほかはひとりで、広場を取り囲む大勢の人は立っていました。10分くらい前になると、係が綱をもってきて、最前列が綱の前に押し出ないように、注意をして、「前列の人は座ってください」と座らせました。さらに5分くらい前になると、私の横にいた人たちに「ここをショウのパフォーマーが通るので、道をあけてください」と言って立たせて、通路を作りました。

 なんて段取りの悪いショウの運営でしょう。ぐるりと観客が取り囲む前に、ショウの人々が通る道を確保するくらいのことはやっておくべきでしょう。ムサビのファッションショウは、そうやっていました。それでも、日本の観客はすなおだから、係員の指示にしたがって、道をあけました。せっかく確保していた観覧場所。私ならぐずるな。

 係員は、ショウの段取りを聞いていなかったらしい。「ミッドタウンの入り口広場で入場ショウを行い、そのあとプラザ会場まで行進してくる」という演出者と会場整理係の連携がとれていなかったために、入場通路を確保しておかなかったのです。わたしの隣の人までがたたされて、脇に寄るよう移動させられました。私は少し脇によけましたが、座ったままでした。

 音が遠くに聞こえ、やがてショウの光の白馬が入場してきました。入場が終わると、通路はまた観客でふさがれました。

入場する馬



私の目の前に、ショウの係員達が片膝立ちになって並んだので、視界がふさがれてしまい、20分も前に座って、最前列を確保した意味がなくなりました。私は背が低いので、立っていると前の人の背中しか見得ないため、早めに来て最前列に座ったのです。でも、結局、前の人の背中越しにのぞくことになりました。場所取りを間違えました。

係員の肩越しにカメラを向ける




 係員の背中越しに見得るショウ。とてもきれいだったので、ショウの間は、「係員の背中に前をふさがれてよく見えない」という不満も忘れていましたが、ショウが終わると係員は「そこ、どいて」と、終了の通路を急に指示しました。今度は、私も立って移動。急な移動だったので、押されてしまい、要領悪いオバハンは、倒されそうになりました。日頃ジャズダンスで鍛えたバランス感覚が役立って、かろうじて転びはしなかったですが、いっちゃなんですが、日頃運動していない高齢者なら、確実に転んで怪我をしただろうと思います。

 ショウはとてもすてきな美しいものだったので、この「演出を心得ていない会場準備の悪さ」がとても残念でした。綱の片付けをしていた男性にひとこと言ったら「上司に伝えます」と答えたけれど、日本の会社風土の中で、彼が上司に言える立場にあるかどうか、わかりません。観客が怪我をして訴訟騒ぎにでもしない限り、だれも責任はとらず、「より安全な会場運営」は生まれないのでしょう。5万人がふるさとを奪われても「事故が起きるまでは安全」というお国柄ですから。

 ミッドタウン入り口で、「誇り高き馬」の終了パフォーマンスがあり、今度は後ろに立って見ました。前の背の高い外国人に目線をふさがれましたが、転ぶよりまし。外国人の腕のわきからショウをのぞく。



 終わりの会場一周の時、私もせいいっぱい拍手しました。
 パフォーマーの顔がよく見えました。


 そのうちのひとり、女性の顔が、ショウをやり遂げた誇りと、観客からの拍手を受けて上気し、とても幸福そうに輝いていたのが印象的でした。「誇り高き馬」というタイトルのショウでしたが、パフォーマーがこのショウに誇りを持っていることもわかり、とてもよかったです。

 馬は空気を抜き、たたまれてショウは終わりました。
終了のごあいさつ


 物を作る職人の誇りに充ちた顔、ショウをするパフォーマーの誇らしげな顔。魚売る魚屋の己の売り物に自信を持っている顔、本屋の店員の本が大好きという顔、そういう、自分自身の生きている道に誇りを持っている人を眺めるのが大好きですから、うれしそうなパフォーマー女性の顔、私も幸せに感じました。

 「徹夜で美術館」のつもりで六本木に来て、六本木ヒルズまで行けば、展望台で夜明かしできるとわかっていたけれど、ヒルズまで行くのがおっくうになりました。ショウの観客に押されて転びそうになったのも、「高齢者」ゆえだから、無理しちゃいけない、と思い直しました。

 最終の地下鉄で、帰宅しました。
 晩ご飯用に娘息子のために準備して焼いておいたサンマ、温めて食べました。
 「母がいない晩ご飯なんだから、母があんまり好きじゃない物を食べようと思って、ピザとって食べたから、サンマ残した」と、娘が言うのです。別にピザが好きじゃないってことじゃないのよ。サンマ、好きだけれど、今年は高かったから、半額セール一匹100円になるのを待って買ったのです。娘は、「ピザもネット注文で半額だった。4000円のところ2000円」と言う、同じ半額でも、サンマとピザじゃあね。ま、いいか。私も楽しい夜だったし。娘と息子はピザほおばりながら、大好きなフィギュアスケート、グランプリファイナル初回アメリカ杯を楽しんだし。

 天高く馬肥ゆるホースショウ見て、サンマ食べる夜。そんな秋のひと夜でした。

六本木アートナイトのメインアート、名和晃平のバルーンアート


<つづく>
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「アートナイトで徹夜」

2016-10-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
20161023
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記10月(6)アートナイトで徹夜

 秋バラのコラム、薔薇の紹介が土曜日UP、歳時記部分は日曜日UPのつもりで、準備したのに、まちがえて、歳時記部分も土曜日22日にUPしてしまいました。
 予定稿タネ切れにつき、本日はお休み。

 土曜日夜から六本木アートナイトに行き、「徹夜で美術館」をやります。

<つづく>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「秋ばら in 旧古河庭園」

2016-10-22 00:00:01 | エッセイ、コラム

旧古河庭園

201610122
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記10月(5)秋バラ in 旧古河庭園

 旧古河庭園に秋バラを見にいきました。
 まずは、庭園の近くの「ひらつか亭」で、お昼ごはん分として。おはぎ、茶飯おにぎりをひとつずつ、おやつ分としておだんご、大福を買って、入園。

真っ青な「日本晴れ」のお天気。日向は暑かったです。


 日陰のベンチに座って、まずは、お昼分を食べました。おやつ分はあとでと思ったのですが、「バラシュークリーム」というのを売っている。そうか、大福よりもバラシュークリームだったか、と思いましたが、おだんご、大福があるので、がまん。

日本庭園の池


 きれいなバラを見て、芝生で無料コンサートの音楽を楽しみ、秋の土曜日、のんびりすごせました。

 バラと古い洋館という図柄、ほんとうによく似合います。


 これで美の饗宴「洋館と美女」ならば言うことなしですが、残念ながら、「古い洋館と自撮り大好きオバンのたそがれ」は、「古い」という点が共通するばかりで、、、、


 家に帰って、写真を撮った品種を確認。歳時記をめくりました。

初恋

万葉


カトリーヌ・ドヌーブとスブニール・ド・アンネフランク(アンネフランクの思い出)


 季節ごとに歳時記をぱらぱらとめくって季語を確認するのは、自分自身の楽しみとしてでもあるし、語学&日本文化を教える教師としての、職業訓練のひとつと思っています。

 使用している主な歳時記は角川板です。角川は、四季と新年の季節ごとの文庫本は、1972年版の本を未だに持っていますが、ぼろくなってきて、今は合版本を使っています。
 例句は、新潮社版から引くこともあります。新潮板は、古本屋百円本の1951年初版1986年第48刷。ほかには、山本健吉の句歌歳時記などをぱらぱらめくる。

 角川板の編集は角川書店となっていますが、季語と例句の選択には、御大角川源義の意向が大きく働いているだろうと思います。一方、新潮社版の編集主幹は誰なのか、私はまだ知りませんが、きっと俳句の世界の中の人は知っているんでしょ。

 角川と新潮では、登載されている季語にも違いがあります。代々木公園にいったとき、秋薔薇がきれいに咲いていたので、角川合本で探したけれど、「秋薔薇」は載っていませんでした。「薔薇」は夏の季語です。

 角川板に秋蝶、秋鯖や秋茄子などは載っているけれど、秋薔薇はないってのは、角川源義さんが、最初に歳時記編集をしたころには、まだ秋咲き品種のバラはそれほど開発されておらず、秀句も生まれていなかったのか。
 
 秋バラについて。
 現在の薔薇の園芸品種の親ともいうべき、どの品種にも含まれている先祖として、中国原産の「庚申薔薇コウシンバラ」と日本原産の「野茨ノイバラ」「浜茄子ハマナス」があります。

 コウシンバラは、暦の庚申が巡るごと、すなわち60日ごとに花をつける種類でした。現在の園芸バラは、2ヶ月ごとに花をつける四季咲きの遺伝子を持っているのですが、夏は木を休めるため、冬は冬眠させるために剪定し、初夏と秋に咲かせるように栽培されています。

 てなことを、にわか勉強で知りました。私ときたら、春薔薇と秋薔薇は、まったく異なる種類のバラであろうと思っていたのです。春咲く品種と秋咲く品種が別々にあるのかと。

ビッグドリーム


 新潮板の秋バラ解説。
 「薔薇は四月、五月と咲くので夏の季語であるが、一段落して盛夏を休み、秋涼しくなって再び咲くのを秋薔薇という。二度目なので樹勢に左右され、花はやや小ぶりであることが多い。秋気いや増す中で芳香を放って咲く気品が愛される」(by伊藤敬子)
 俳人伊藤桂子の解説であること、新潮俳諧歳時記には書いてありません。ネット歳時記『増殖する歳時記』(by清水哲男)に出ていました。清水は、秋バラというものがあるということすら、気づかず、自宅庭に秋バラが咲いたので、驚いたら、ちゃんと季語になっていた、と述べています。春バラと秋バラは別品種かと思っていた私も、同じようなもの。

 清水の例句は
秋薔薇や彩を尽して艶ならず(松根東洋城)
 東洋城は、漱石の弟子だそうです。

 新潮の秋バラに出ている例句は
墓地荒れぬ十字架(クルス)にまとふ秋薔薇も(大須賀秀子)
秋咲きのバラ夕焼けてくづれ落つ(狩谷整司)

 大須賀秀子で検索すると、詐欺師呼ばわりされている最近の事業家が出てきてしまいます。俳人のほうはというと。わずかに『勤労俳句の鑑賞』(昭和21年3月/編纂)という本の紹介の中に、大須賀秀子の俳句が載っていました。
 『勤労俳句の鑑賞』は、戦時中に編集されていたものの、紙などの統制が行われていた時期なので、敗戦後半年たって出版された本、ということです。大須賀秀子は、特に有名俳人でもなく、編集にあたった水原秋桜子、富安風生。飯田蛇笏、臼田亜浪が主催していた結社に所属していて、師匠が一句のせてくれた、という俳句のようです。

 同署のなかの「高原の秋風」というタイトルの選者は飯田蛇笏なので、あるいは蛇笏の弟子筋か。
麦打の調子揃へば唄ひけり(大須賀秀子)
 う~ん、秋バラの句のほうが好きかも。

ドフトゴールド


 狩谷整司も、名前を検索して記事が見つけられません。私は、こんなふうに、ただ一句を歳時記に遺して、どこの誰やらもすでにわからなくなっている人を知ると、妙にうれしくなります。俳句結社に属して、結社が毎月出す雑誌にたまに採用されることを楽しみに俳句を作りながら、日々の暮らしを営む。私の母がそんな生き方をした人だったからでしょう。

アンジェラ


 母が属していた俳句の会は、「きさらぎ」という名でした。主宰していた南雲時計店の主も亡き今は、きさらぎを覚えている人も少なくなっているでしょう。南雲時計店の息子と娘(二卵性双生児。同級生でした)が、毎月の俳句雑誌などを遺しておいているなら、うれしいですけれど。

 母は、薔薇はそれほど好きな花でなく、小さな花が集まって咲く、オオイヌノフグリやフリージア、かすみ草が好きでした。薔薇は当時は「お高い」花だったので、たまにもらいものがあると、咲き残りの花びらも大事に押し花にしていました。

・亡き母の古びた句帳にひとひらの薔薇の花びらセピアに静まる(春庭)



<つづく>
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「思い思いに体育の日」

2016-10-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
20161020
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記10月(4)思い思いに体育の日 in 代々木公園

 10月10日、マジェンバそばと有田の地ビールで腹ごしらえができたので、橋を渡って、代々木公園の芝生広場へ。
 休日を思い思いにすごす人々を見ることができて、眺めているだけで平和な気分になれます。



外国人の集まり


 フリスビーのような円盤を投げ合っているふたり。「その投げ方は、ふつうのフリスビーとは違うんですか」と、質問してみました。「これは、フリースタイルという投げ方です」と答えてくれました。代々木公園には、フリスビーやフリースタイルのサークルがいくつもあるみたいです。

 犬の散歩ともだち、のような人々もたくさんいましたが、珍しかったのは、ミーアキャット散歩友達のグループ。
 ミーアキャットをペットにしている人たち、寄り集まって散歩して、最後はカフェで飼育方法とかしつけとか語り合っているらしい。熊を飼育していた人たちが、熊に噛まれてなくなったというニュースあったけれど、ミーアキャットなら噛まれて死ぬまでには至らないだろうし。
 みな、かわいい、かわいいと言いながら見ていたけれど、顔は野性味たっぷりでした。私にはちょい怖い顔におもえたけれど、飼い主には世界一かわいく見えるのだとは思います。



 ディズニーの曲が聞こえてきたので、そばに寄ってみました。外国人親子が何組か演奏を聴いていました。東京ヘブンアーティスト、というグループではなく、facebookに活動をのせるために、演奏のようすをビデオ録画することになり、代々木公園でビデオ撮りしている、ということでした。世田谷区民センターなどで練習に集まれるメンバーを、facebookでお知らせして仲間になった、ということで、ディズニー曲発表会などの活動をしているそうです。



 写真掲載の場合、目は黒塗りしてほしいけれど、グループ名を出すのはOK,という許可をもらいました。ところが、忘れん坊の春庭、肝心のグループ名を忘れてしまいました。「名前聞いても、ボケ脳で忘れちゃうから、紙に書いてくれないかな」と、頼んで書いてもらったのに、メモしてくれた紙をどこかにしまって忘れてしまって、いつものボケです。

 いろんなキーワードで検索して、だめだったのですが、シンプルにディズニー曲 世田谷で、ようやく何番目かに名前が出てきました。
 楽団名、Magical Harmonyです。
 facebookは、https://www.facebook.com/1magicalharmony/

 マジカルハーモニーの演奏、楽しかったです。
 楽譜がなかったので、暗譜演奏できる曲だけで、聞くことができた曲数はすくなかったけれど、公演では、たくさんのレパートリーを披露してくれるのだと思います。2016年のコンサートは、6月28日、八王子市芸術文化会館いちょうホールで行った、ということでした。今は来年の発表目指して練習中、というので、機会があったら、来年のコンサート、聞いてみたいです。




 この平和で安穏な公園の人々を守っていける社会であってほしいけれど、それは絶対に、かの首相が演説し、それに迎合した与党議員がいっせいに拍手したという、海上保安庁、警察、自衛隊の力だけでは無いはず。

 首相が言う。「現場では夜を徹して、今この瞬間も、海上保安庁、警察、自衛隊員の諸君が任務に当たっています」「彼らに対し、今この場所から、心からの敬意を示そうではありませんか」と述べ、自ら演説を中断して拍手を始めた。すると、自民党議員も起立して手をたたき、演説は20秒近く「中断」した。と、いうニュース。
 大政翼賛会かと思った。

 「市民の平和な生活を守る」という点に関してなら、消防署員だって命を張って社会を守っています。火事の現場で救急の現場で。「現場では夜を徹して今、この瞬間も」消防署員は救急車にのり消防車に乗っていると思います。だけど、首相の頭にあるのは「海上保安庁、警察、自衛隊」のみ。消防署員には気の毒なことでした。

 この違いは何か。消防署員は武器を携行していないのです。海上保安庁は、船から自動小銃を撃った。警察官は拳銃を保持できる。自衛隊はむろん。一方消防署員は武器は持たない。な~るほど。首相にとって、「国民を守る」は眼中になく、国を守る、とは「武器を持つこと」に限定されるのだな、、、、と、前からわかっていたけれど、よもやこんな大政翼賛会方式で表明するとは思わなかった。世も末じゃと言っているうちに、音楽の教科書に歌が載るだろう。歌わない子どもは道徳の成績が不可になる。

♫肩をならべて兄さんと 今日も学校へ行けるのは
海保さんのおかげです
お国のために お国のために戦った 海保さんのおかげです
♫ 夕べ楽しい御飯どき 家内そろつて語るのも
警察さんのおかげです
お国のために  お国のために傷ついた 警察さんのおかげです
♫ 淋しいけれど母さまと 今日もまどかに眠るのも
自衛隊さんのおかげです
お国のために お国のために戦死した 自衛隊さんのおかげです

 自衛隊派遣の南スーダンジュバでは、政府軍と反政府軍の間でドンパチと銃撃戦が行われている。しかし、ジュバにたったの7時間滞在しただけで、「自衛隊派遣しても安全な地域です」と言った稲田朋美防衛庁長官は、野党の質問に対して「戦闘地域とは、国と国との戦いの場面を言うのであって、南スーダンは内戦なので、戦闘地域とは言わない。これは衝突である」という答弁を繰り返しました。たまたまテレビをつけたら、国会中継だったので、いつから「戦闘」ということばの意味が変わったのかと、口をあんぐりしながら見ていました。

 ほほう、銃撃戦やっていても、それは「国と国との戦いじゃないから、戦闘ではない」ですと。「衝突」ですと。
 ジュバでは一般市民の死者も出ています。しかし、それは戦闘のとばっちりで死んだのではないんですね。稲田長官の言によれば、「衝突」の結果の死者です。
 稲田長官は「国を守るためには、血を流す覚悟を」と、過去にも発言しているので、国民としては、国会しばらく休んで、自衛隊といっしょにジュバに2年ほど居続けたらどうかと思います。戦闘ではない、衝突の中なのだから、血を流す覚悟を持つまでもないでしょう。

 こりゃ、神にでも仏にでも、世界平和をお願いしなきゃならぬと、明治神宮へ。
 特定の宗教を持たない私ですが、「祈り」は大事だと思っています。

 明治百年の森を久しぶりに見ておこうと、神宮の鳥居をくぐる。大勢の人が列を作って並んでいる。薪能の開催日でした。
 薪能は見ることできなかったけれど、宮司さんが能舞台のお祓いをしているところを見ることができました。




 能の公演、ふだんの公演では、謡を習っている人と仕舞を習っている人しか見にこないけれど、なぜか薪能だけは、どの地区の薪能も、チケット早々に完売ですと。要は能を見たいのではなく、イベントに参加したいのですね。

 明治神宮薪能は、建設会社の安藤ハザマが協賛奉納の催しのようで、往復はがき応募すると、どういう抽選かわからないけれど、500組千人が招待される。
 有名人招待と往復はがき応募招待の受付は、分かれていましたから、ハガキ応募は後ろの席だろうなあ、と見当がつく。
 
 神宮の森を見るつもりで来たのですが、木を見て森を見ざるごとく、森を見ず薪を見た。



 ついでと言ってはなんですが、パンパンと拍手して、家内安全健康長寿学業成就その他もろもろをお願いして原宿駅から帰りました。

<つづく>
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「九州観光物産フェアin代々木公園」

2016-10-19 00:00:01 | エッセイ、コラム
20161019
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記10月(3)九州観光物産フェア in 代々木公園

 10月10日のひとり散歩。
 体育の日だから、代々木体育館とかで何かスポーツ系のイベントやっているかも知れないと思って無料イベント検索してみたら、代々木公園で九州観光物産フェアをやっていました。九州各県の名産名物のブースが出るらしい。こりゃ、体育館で運動するより食い気だなあ、と、代々木公園へ。

 原宿駅から明治神宮前の橋へ。この橋は、ひところはロリータファッションのオトメまたは心はオトメの人々がごった返しつつ、互いに写真を取り合ったり、かわいいイラスト入り名刺なんぞを交換したりしていて、面白かったけれど、今やゴスロリ(ゴシック・アンド・ロリータ)(の聖地はどこかに移動してしまったのか、それともゴスロリそのものが流行じゃ無くなっのか。みかけたのはたった一人。

人待ちのゴスロリさん


 代々木公園のNHK側の広場で、九州観光物産フェアやっていました。
 お昼ご飯食べずに出てきたので、まずは腹ごしらえ。
 会場ぐるりと回って、どれもおいしそうな食べ物飲み物のなかから、きのうまで400円だったけれど、最終日の今日は300円という小城市のB級グルメ「マジェンバ」。100円でも割引きされていればうれしいからね。

 マジェンバ?どこの国の食べ物じゃい、と思って、つらつら思うに、北九州は「セ」が「シェ」になって「シェンシェイ先生」。「ゼ」が「ジェ」になって、「ジェニ銭」になるのであるからして、「マジェンバ」は、「混ぜねば」という意味であり、汁ソバではなくて混ぜソバであろうと推測。果たして列に並んで300円払うと、特製タレの混ぜラーメンでした。豚肉、キャベツ、刻み紅ショウガがのっていて混ぜて食す。

 おいしゅうございました。



 飲み物は、有田市の地ビール。


 代々木野外ステージには、各県のゆるキャラ勢揃い。しかし、熊本くまもんは、多忙につき欠席でした。たぶん、政治の手ではさっぱりはかどらない熊本地震復興のために奔走しているのだろう。利権がからんで大もうけできるので無ければ、復興はなかなか進まない。



 くまもんの代わりといっちゃなんですが、薩長土肥のつきあいで、九州でもないのに、坂本龍馬キャラが来ていましたから、いっしょにパチリ。そういえば、息子と以外、若い男性とツーショットなんて、最近とんと機会がなかったので、着ぐるみ龍馬でも、イケメンとツーショットできて、ビールコップ片手にハッピーな春庭です。



<つづく>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「東京よさこい」

2016-10-18 00:00:01 | エッセイ、コラム

東京よさこい「しん」

20161018
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記10月(2)東京よさこい in 池袋

 10月9日の一人散歩。
 池袋のふくろ祭り「東京よさこいコンクール」に行きました。これまで、池袋駅近くにつとめていたミサイルママと待ち合わせをして、いっしょに見てきたのですが、ミサイルママ、今年は10月から職業訓練「ホテル・レストラン業務」を受け始めて、かなりハードな研修であるのに加えて、9月末に高尾山登山をしたあと、疲れからか首が回らなくなった、と言います。訓練のない土日は、治療院で首の治療を受けるというので、いっしょにいけませんでした。

 「今までだって、さんざんお金無くて首が回らない生活してきたのに、なにを今更、本当に首回らなくなってんのよ」と、からかってみましたが、実は私も五十肩のぶり返しで六十肩(正式名称は「肩関節周囲炎」ですと)。
 パジャマにしているTシャツを脱ごうとしたら、手が回らなくて脱げないので、息子に「ほおい、助けて。このシャツ脱がせて」と頼んで、ひっぱってもらいました。

 リュックサック背負った肩も心配なので、演舞スケジュール表を見ながらあちこちの会場を回る、いうことはしないで、池袋西口広場(ウェストゲートパークのほうがわかりやすいか)のベンチに座ったまま、最後まで見ていました。昼ご飯食べてから出かけたので、残念ながら殿堂入りしている長野のチーム「風林火山」は終わったあと。筑波大学斬桐舞チームから、終了まで見ていました。延々4時間半もベンチに座り続けて踊りを見ていて、ほんとに好きだなあ、と自分でも思います。

 原宿元気よさこいで優勝した「しん」が、池袋でも優勝。二冠二連覇です。踊りのレベルも高いし、琉球ことばを取り入れた歌もよかったです。

2016東京よさこい大賞チーム「しん」


 踊りが上手なチームもゆるいチームもありますが、それぞれが振り付けを工夫し衣装をを準備し、せいいっぱい練習を続けてきたのだろうと思うと、それぞれのよさをくみ取りたいと見ているうちに、あっという間に終了の6時になりました。

豊島区長賞 REIKA組


 クラシックバレエやジャズダンスなど、たいていのジャンルの踊りが好きですが、たとえば、バレエを4時間半座って見続けるのは、途中休憩が挟まったとしても、しんどいかも。よさこいのいいところは、気楽に気兼ねなく見ていられるところ。バレエ見ながらおせんべかじったりしたら顰蹙ですが、よさこいのダンス会場のまわりには、各地の食べ物屋が出ていて、みな、食べたり飲んだりしながら、気楽に見ています。

 私が座ったベンチの隣にいた外人夫婦は、生春巻など買ってきて、食べながら見ていて、夫婦で盛んに写真を撮って楽しんでいました。
 東京五輪の文化プログラムでは、日本の民衆の祭りとして、よさこいもぜひ紹介してほしいと思います。能や歌舞伎もよいけれど、こんなふうに、人々が自分のお金を出し合って衣装を作り、練習場所を確保して、みなでひとつの踊りを作り上げていくエネルギー、すごいと思います。

高知県知事賞 疾風乱舞

 疾風乱舞は、次々に衣装を脱いで替えていく演出


 私が見た中で、ここ、すごいなと思ったチームは、なんらかの賞をうけたところが多かたです。準大賞のdance compani REIKA組、 kagura、 疾風乱舞、燦-SUN-、それぞれ衣装も工夫され、踊りも「あ、私がこのチームに入ったら、4分半の途中で息切れだあ」と思いました。



 ミャンマー赴任から休んでいた私のダンス練習、10月から再開しました。10月は区の健康フェア連動行事で、一般からの応募者を招いての練習なので、手助けする人が必要だから、1年間踊っていなくて体重増の私でも、いないよりましです。
 昨年までは「シニア元気塾。参加者は50歳から」というしばりがあったので、60代以上70代80代の人もいて、スキップも忘れてしまった、という人が多かったけれど、今回は年齢のしばりがなくなったので、40代50代の人中心で、スキップ出来ない人はいなかった。

 みなさん、健康のためにダンスしましょうよ。東京よさこいはチト激しい振り付けが多かったけれど、春庭が踊るサークル、ゆる~いです。サークル維持のために、あと5人は加入して欲しいです。スキップ出来ない人も、体うごかせば楽しくなることうけあい。

 前回の健康フェアに参加したミヤちゃんが、サークルに加入しました。その理由。「私、こういう体型だから、ダンスサークルとか入りづらかったけれど、健康フェアでこのサークル来てみたら、私より丸々した体型の人がいたんで、私でも大丈夫と思って加入しました」
 ミャンマーから帰ってきたら「e-Naちゃんがいてくれたおかげで、ひとりメンバーが増えたんだよ」と、コズさんが教えてくれました。
 ほらね。私のこの「超ふくよかな」体型が功を奏した。

 超々ふくよかな方も、五十肩六十肩の人も、首回らない人も、どうぞShall we dance!!

<つづく>
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「地の花空の花」

2016-10-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
20161016
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記10月(1)地の花空の花・秋の花火会

 10月8日土曜日、東京都北区主催の花火会がありました。隅田川花火大会ほかの花火大会よりは小規模であるという心もちから、大会ではなくて「花火会」というゴケンソンな北区です。

 おかげで、隅田川の人出が100万人というごったがえしの大会であるのに比べれば、人出も5万人程度。当日でも有料席を買うことができるという、地元密着の花火会です。
 打ち上げは6時半すぎですが、12時過ぎから地元の商店会が、おでんや焼き鳥その他、地元の名産品などの店が出るし、ステージでは地元のフラダンス教室やらタップダンススクールやらの生徒たちのダンスがあります。上手な人もいるし、私のように、前の人のフリを見ながら、半拍遅れで踊る人もあり、ゆる~い出し物です。

 私は、14時から売り出すという有料席当日券を買って、娘息子を待っていました。去年は有料指定席は売り切れたと聞いて、赤水門有料自由席で見て、きれいに見えました。今年もそれでいいと思っていたのですが、花火会場当日券売り場の係員が有料指定席がまだある、というので、今年はちょいと奮発して、青水門有料指定席4人シートを買いました。なぜ売れ残っていたかといと、当日昼過ぎまで雨がふっていたからです。指定席8人シートというのが売れ残ったので、8人席を2分割して4人シートにして売る、ということでした。

 我が家3人で4人席を買うのは贅沢だと思いましたが、今年は娘へのご褒美として、打ち上げ場所の真ん前の青水門シート。

 荒川と隅田川が分岐するところに設置された水門。青水門が建設されたのは、80年前。青水門ができあがると赤水門は取り壊される予定でしたが、遺して欲しいという声をいれて、赤水門は青水門の手前に遺されています。
 水門ができたことで、東京の町が荒川の洪水に苦しめられることはなくなりました。

水門までは荒川。水門から荒川と隅田川に分かれる。


 無料席にシートを敷いて、本を読んで待っていて、4時半から指定席入場が始まったので、移動。5時半頃、娘と息子が到着。夜になって寒くなると困るから、寒くないように支度しておいでとメールしたのですが、半袖一枚のうえに長袖一枚はおる、という程度で間に合う、秋の気候でした。

 赤水門

青水門 
 

 青水門の前には、セイタカアワダチソウの群落。侵略的外来種、帰化植物のひとつですが、かって疑われた「秋の花粉症の原因」ではなかった、ということがわかってきたみたい。花粉症の原因はブタクサでした。

背高泡立ち草


 北区花火会。青水門手前の中州に設置された打ち上げ場所から、200mくらいの場所で眺めることができ、目のまえに花開く花火。ドドンという音がおなかに響き、大迫力の花火でした。他の花火大会のような大型の花火は少ないし、7700発なので、打ち上げ数も少なかったですが、各地の花火コンクールで入賞した芸術花火や音楽に合わせて打ち上げるミュージック花火など楽しめました。
 遠くの空に小さく見える遠花火もいいものですが、たまには、目の前に打ち上げ場所があるという大迫力の花火もとてもよかったです。



 困ったことに、花火後のレストランはどこも満員。ファミレスで待つことにして、ずいぶんと待つことになりました。私は、待っている間に、焼き鳥やら焼きそばやらを食べていたので、それほどおなかがすいていなかったのですが、娘と息子は「夕ご飯食べないで来たから、もうすぐに食べたい」というのでレストランによることにしたのですが、これなら、家に帰ってからピザでも取ったほうが早かった、というくらい待たされました。
 ようやくありついた晩ご飯。私は、「待っている間にいろいろ食べたから、あまりおなかすいていない」と言いながら「松茸ご飯と牡蠣フライ御膳」完食でした。

 娘は「赤水門の席もよく見えたけれど、青水門の指定席で見ちゃうと、来年もこっちの席のほうがいいなあ」と言います。来年も、いっしょに花火を見たいなあと思います。

<つづく>
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「はがむはイミフ」

2016-10-15 00:00:01 | エッセイ、コラム
20161015
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>神無月のことば(5)はがむはイミフ

 言葉は生きていて、生きているから生まれたり死んだりする。それはわかっているのに、自分の見知った言葉が消えていくのは寂しくて、新しいカタカナ語やら若者言葉やらが流通していると、ふん、チャラチャラした言葉がまたひとつ増えおって、と思う。

 新しい語をなかなか受け入れられないのは年寄りの特権だから、無理して年寄りが「そんな言葉はイミフ」なんぞと言わなくていいのである。イミフとはキョウビの若者用語で「意味不明」のことである、と解説されても「イミフメイ」の「メイ」を省略したところで、言語生活どれだけの節約になるのか、と思う。思うけれども若者は「イミフ」と言うのだ。

 きのう、季語の中の「生活」の語がどんどん現実の生活からは遠ざかっていく語ばかりだ、という話を書いたので、娘息子にクイズを出してみた。
 娘息子はアラサーだけど、まだかろうじて若者用語をしゃべる範囲に入っている。ただし、ふたりとも、毎日紙の新聞を一面から最後のテレビ番組欄まで全部読み、月に数冊の本を読むところが現代の若者とは生活習慣が異なる。ふたりとも紙の本は、タブレットとかいうものに移行しつつあるのはいたしかたなかろう。

 「ヒコバエというのは、何が生えているか知っているか」即答「知らない」。まあ、そうだろうよ。
 「よろず屋というのは、何を売っているか知っているか」即答「何でも売っている。いろんなもの」おや、知っていたか。
 「あのね、ゲームの中によろず屋が出てきて、武器でも食べ物でも何でも売っているんだよ。RPGゲームやっている子なら、小学生でも知っている」
 そ、そうだったのか。なるほど、ある言葉が、時代の中では消えてなくなっても、継承されるひとつのルートは、ゲームのなかでの使用語彙ということがあったのか。

 娘が小学生の時、「烏兎」の意味をちゃんと知っていたので驚いたらゲームの中で「勇者」だったか「魔法使い」だったかが扱う、「金烏玉兔」という技があり、金烏玉兔を省略して烏兎であることを知っていた、というのを思い出した。

 ツイッターやっていないので、「リムる」というネット用語を知らなかった。ツイッターのフォローをやめることを言う。フォロー解除を、英語ではremooveという。日本語ネット用語ではリムーブする→リムる。
 知らなくてもまったく問題ない。ツイッターやってないし、だれのフォローもしていないから。「あいつにリムられた」と、むかつくこともない。

 テンカのアサヒとテンカのベネッセが共同で語意検定なる試験をやっていて、世代間ギャップの大きい語の調査を出していた。
http://blog.benesse.ne.jp/bh/ja/news/m/2016/09/15/docs/20160915release.pdf

 親世代が知っているが、高校生は知らない語トップ5
 阿漕、イデオロギー、忌憚、見まがう、活路
 高校生は知っていて、親世代は知らない語トップ5
 ディスる、イミフ、りょ(了解の略)、きょどる(挙動不審になる)、ぽちる(ネット通販で購入ボタンを押す)

 なるほど、さもありなん。言わずもがなのむべなるかな。
 大学生と接しなくなって、1年たつ。これから先、私も若者新語に出会う機会が少なくなっていることだろう。

 今のところ、娘息子がふたりでしゃべっているのを聞けば、たいていは意味がわかる。コンビニなどで買い物をするとき「これ、ピピって買おう」と言って、スイカカードを機械にかざして買っている。そうか、「ピピる」とはカードなどで買い物をするとき機械音が「ピピッ」と鳴るので「ピピる」なのだな。

 ベネッセの報告によるアンケート結果の統計によると「語彙力が高い層とは、読書量が多い」「年収が高い」「幸福感を持つ割合が高い」と相関するのだという。おやまあ、私は語彙力高いほうのつもりだ。読書量は多いが、年収は高くない。まあ、どこにも例外はあるもんだ。

 ことば収集は、私の趣味でもあり商売道具のつもり。毎日なにかしらの、ことばについての新発見はある。
 「赤ん坊が、はがむ」という表現について。つい先日「はがむ=あかちゃんが人見知りをする」という語は、群馬方言であることを知った。ずっと、標準語だと思っていたのです。

 世代間ギャップはさらに広がっていくでしょうが、カタカナ新語にめげず、ネット用語に驚かず、まだまだことば修行、続けます。
 カタカナ語が増えることが問題なのではありません。
 英語を使って生活する方が、マシな暮らしができるとわかれば、2世代60年で言語は亡ぶ。ロシアの貴族全員がフランス語を話し、農奴はロシア語を話していたように、日本富裕層は英語を話し、労働層は、カタカナ日本語を話す社会になるやもしれず。

・高校生キョドってディスってイミフです日本語流浪の果てに滅亡

 いいけどね。200年後に日本語滅亡したって。1万年後には人類全体が滅亡しているかも知れないんだし。
 どこかのお役人や学者は、核のゴミは10万年後まで大丈夫って言ったらしいけれど、10万年後に彼らが責任取るわけじゃないもの、何とでも言える。

 日本語さん、しからば、左様のしだいにて。左様なら。さらば。じゃあね。バイビー。
 滅亡へ向かって。りょ。

 藤原定家(1162-1241)の自筆「明月記」断簡1211年筆

 私だって、読めませんけれどね。でも、この文字、このことば。これを美しいと、貴重だと思う人もいなくなっていくのかと思うと、オマイラ先人をディスることなかれ。自分の中の核をかたちづくっているのは、、、、うんぬんといくらいっても、既読無視。リムられたって、最初からコミ症(コミュニケーション障害)だしな。

<おわり> 
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「秋の生活」

2016-10-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
20161013
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>神無月のことば(4)秋の生活

 農水省2015年の速報によると、農業就業人口は200万人割れ。2011年の統計で、農業就業人口のうち基幹的農業従事者数(農業以外の職業を持っていない専従者)は、186万2千人にまで減少したことがわかりました。しかし、それから4年で、農業に副業として携わっている人でさえも、200万人割りが迫ってきました。

 TPP受け入れておいて、「農業人口を増やす人材育成」とはちゃんちゃらおかしい。減って当然。食っていけないもの。
 今や農業は、マネーゲームで成金になった人が「自然農法で、自分だけは安全なものを食べるために趣味で行う道楽」となったのであるからして、大方の若者が、職業として農業で食べていこうとは思わないのも、当然でしょう。

 日本が近代国家として走り出した1875年から、1960年まで。農地面積550万ha、農業就業人口1,400万人、農家戸数550万戸という数字が維持されてきました。高度成長期までは、一定の農業従事者がいました。
 農業基本法が作られた1961年から、農業衰退は急速に進み、今、農業の総生産はGDP(Gross Domestic Product)の1%を切っています。日本の国土は、国民が食べる食料の1%も生み出していない。
 豊洲市場の盛り土を決めた責任者さえ出てこない日本だから、日本の農業をだめにした責任者など出てくるはずもないけれど、2000年以上続いた農耕技術は消えてしまえば、だれもそれを伝えることはできなくなる。。

 かくして金持ちは国産のまつたけなどお召し上がりになり、我ら貧乏人は、「食の安全」とやらに不安かかえながら、どこやらの輸入食品を日々食卓に上らせて、残留農薬やら添加物やら保存料やらを体に蓄積させていく。「きちんと検査をしてます」と、担当者は言うに違いない。しかし、きちんとやってきたはずの豊洲市場地下にはなにやらわけのわからぬ水がたまり、東京五輪の経費削減を計れば、利権にまみれている某森氏が「それはできない」とおっしゃる。

 で、何が言いたいかというと、歳時記、季語の中の死語累々のページです。
 時候、天文、地理にはそれほどの変化はありません。時代がどのように変わろうと、立春から210日たてば「二百十日」という季語は使える。陰暦八月十五日に空を見上げれば十五夜満月。
 しかるに、「生活」とタイトルがついたページ、死語の山です。こんな言葉を日常生活で使う人はいるのか、と思います。

 日本の詩歌では、行ったことない土地でも、名所であるなら「歌枕」として和歌にし、恋愛経験なくとも「忍ぶ恋」という題が出ればそれらしき歌を詠む。それが詩歌の技法でした。
 だから、見たこと聞いたことない季語でも、想像で一句ひねって悪かろうはずもない。しかし、しかし、実感のない「落とし水」も「毛見」も、「添水」も、それらを使って、いったいどのような。句が生まれているのやら。

 「砧」打つ音など、実際には聞いたこともない。「鹿火屋」など、見たこともない。
 歳時記見ていて「高擌たかはご・たかはが」というものを、初めて知りました。竹串や木の枝に黐(もち)を塗って,おとりのそばに立てる。おとりの声を聞いて「なわばり」を取られるかもと、近づいてくる小鳥を捕まえる。現在では狩猟法で禁止。高はごで小鳥を捕まえた経験を持つ人はもはやいないだろうと思います。それでもちゃんと例句は載っています。

高はごにつかず去る鳥美しき(山崎布丈)

 生活実感はなくとも、歌枕のように、見たこともない農耕を句にすることもあるし、あるいは、東京も高度成長期以前は街中に空き地原っぱもあったということなので、今のようにビル林立の町よりは自然が残っていたのかもしれません。

茜堀夕日の岡を帰りけり(尾崎紅葉)
 紅葉は、江戸の終わり慶応3年に、芝中門前町(現・東京都港区浜松町)で生まれ、牛込でなくなった江戸っ子だったので、「茜を掘る」作業をどのあたりで目にしたのかわからないけれど、戦後生まれの私は、そもそも染料にする茜の根を見たことがありません。

 山本作兵衛の炭鉱絵がユネスコ記憶遺産になってうれしかった。でも、季語のことばは「日本記憶遺産」として遺されたとして、意味があるでしょうか。
 女性下着名称からシミーズやズロースが消えて、だれも困っていないように、榾火(ほだび)という物や言葉が消えても、それはそれで仕方がないのでありましょう。 
 農耕技術も、それに関わることばも、あるいは、他の「絶滅危惧語」となっていることばも、保存はできるでしょうが、生きた言葉ではなくなる。
 それでもいいのかなあと思いつつ、歳時記をぱらぱらとめくり、初めて見ることばに「あらら、知らなかった」と己がことばの貧しさを知る。

 ま、消えたことばをあれこれ惜しむのも、秋の夜長のひまつぶし。ひつまぶし食い、、、、あ、昨日も言ったな、これ。

 こんな具合に、秋の生活もつるべ落とし。といっても、だれもつるべを使ってない。

 消えたと思っていたら、どっこい生き残っていました。昭和の宣伝媒体、チンドン屋。10月5日、渋谷の駅前。


<つづく>
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「鰯、鯖、鱗」

2016-10-12 00:00:01 | エッセイ、コラム
20161012
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>神無月のことば(3)鰯、鯖、鱗

 10月。先週の火曜日4日は、東京の気温32度で真夏日でした。1週間すぎて、11日火曜日の気温は、正午にようやく20度を超えてすぐ午後はまた10度台。体温調節のきかない病人と年寄りには、難しい天気。女心と秋の空とばかりは言っておられません。暑い暑いと文句を言い、すぐに寒い寒いと不平を述べる。これ、女心ではなく、婆心。

 昨日の天気もすぐに忘れてしまう婆脳ですから、「あの暑かった日、いつだったっけ」と忘れても、昨今のコンピュータは賢いから、キーワードを入れれば、即座に「それは、10月4日、32度でした」と、教えてくれる。トップ棋士も「googleアルファ碁」に負けるご時世、私の脳が天気記憶できなくても当然です。
 すみともさんブログにも一句残しました。
AIに負けるこの脳冬隣(春庭)

 9月5日。どっしりとわき上がる入道雲。その雄渾さに「東京でもこんな大きな入道雲出るんだ」とながめたのは、亀戸駅へ向かうバスの窓からの眺めでした。
 東京新聞の写真ニュース「9月5日、首都高速中央環状線扇大橋付近から南東方向を見ると、まるで真夏のような上空に高く伸びる入道雲が現れた」というのが、私が見た入道雲と同じ雲だろうと思うので、写真借りました。バスの中からだったゆえ、うまく撮れなかったので。



 もう、空は秋の雲。気象用語では巻積雲。
 季語では、鰯雲鯖雲鱗雲。どれもいっしょのような気がして特に使い分けてもいませんでした。気象用語、学術用語としては、巻積雲というだけで、とくに鰯鯖鱗の区別はないのですって。ただ、雲の研究家が見た目で分けると、こまかい違いがあるようです。

 けれど、巻積雲より高い空に出る高積雲は、別の雲。ひとつひとつの雲の塊が大きくて、俗称はひつじ雲。

・鰯雲
 漁師ことばでは、イワシ大量の目安になる雲。細かくちぎれた雲が並び、イワシの群れのよう。


・鯖雲
 鯖の背中の鱗が波のように見える、その背のような雲


・鱗雲
 魚の鱗が並んでいるように見える雲

(画像どれも借り物)

 な~るほど、そういう違いがありましたか。こちとら群馬の山奥育ち。寿司屋でサンマとアジとイワシの握りを三つ並べて出されて、はて、どれがどれやったかいな、とにかくどれもうまい、ということしかわからない山猿ですから、鰯雲も鯖雲も、区別したことがありませんでした。(鯖鮨は見た目でわかる。これもうまい)

 かように、どれがどれでもいいような鰯鯖鱗でしたが、季語となるとだんぜん鰯くんの勝ち。鰯の俳句は、水族館のぐるぐる回り水槽の中をぐるぐる回っているどれも旨そげな鰯の群れの如くたくさんあるのに、鯖ときたら、私には一句しか見つからなかった。

 これは、イワシグモが五音節で五七五にうまく当てはまるのに、サバグモだと、「鯖雲や」「鯖雲の」「鯖雲は」というように、助詞をくっつけないと納まりが悪く、前後のことばが組み立てにくい、という理由だと思います。

鯖雲に入り船を待つ女衆(石川桂郎)
 秋鯖大漁が目に浮かぶ。旨そうだ。

鰯雲こころの波の末消えて(水原秋桜子)
鰯雲日かげは水の音迅く(飯田龍太)
鰯雲ひとに告ぐべきことならず(加藤楸邨)

 この三句、鯖でも鰯でもいけそうな。
 鯖雲やこころの波の末消えて 鯖雲の日かげは水の音迅く 鯖雲やひとに告ぐべきことならず
 やっぱりね、どちらでもよさそう。 

妻がいて子がいて孤独いわし雲(安住敦)
 孤独はやっぱりイワシかな。弱そうで。

いわし雲亡ぶ片鱗も遺さずに(上田五千石)
 雲が空一面に広がっているときは、今に消えてしまうとは思えない。しかるに、諸行無常はこの世のならい。猛きものも終には滅びぬひとへに風の前の塵に同じ。
 こちらは、鱗雲にすると、片鱗と重なってごちゃごちゃするからイワシのほうがよかったのかな。私は「鱗雲亡ぶ片鱗も遺さずに」という鱗の重ねりが好き。
 ま、イワシとウロコでは、イワシのほうがうまそうだ。鯛の鱗は揚げるパリパリしてうまいそうだが、山育ちゆえ、食べたことなかった。

 秋空の巻積雲も、季語も、腹の足しにはならぬが、いっときヒマツブシにはなる。ヒツマブシ食いたい。イワシ握り食べたい。鯖押し寿司食べたい。

<つづく>
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「秋思」

2016-10-11 00:00:01 | エッセイ、コラム
20161011
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>神無月のことば(2)秋思

「即事」杜甫
聞道花門破
和親事却非
人憐漢公主
生得渡河帰
腰支勝宝衣
秋思抛雲鬢
群兇猶索戦
回首意多違


聞くならく花門は破れ 和親事は却って非なりと
人は憐れむ漢の公主の 生きて河を渡りて帰るを得たることを
秋思は雲鬢(うんぴん)を抛(なげう)ち 腰支(ようし)は宝衣に勝る
群兇は猶戦いを索め 首を回らせば意に違うこと多し

春庭拙訳 間違った解釈もあるかも)
聞いた話だが、花門(ウイグル回紇)軍が洛陽の戦いで敗れたという。
回紇は唐と和親を結んでいた(政略結婚により結ばれていた)が、これはかえってよくなかった。
回紇国王が死に、妃として唐から送り込まれていた公主(王女)が、殉死をせずに黄河を渡って帰国したことを、唐の人々は憐れんでいる
公主は秋に思いのあまり、雲のように美しかった髪を投げうち、公主の腰つきは宝石で飾った衣装よりも美しい。
凶悪な者どもの群れは、なお戦をしかけてくる
思い返せば思いのままにならぬことが多かった

 杜甫の五言律詩。高校漢文の授業を寝て過ごしたため、上記の和訳は不確かですが、辺境の異地へ嫁がされ、戦に敗れて帰国した王女の哀れが、秋の物思いにぴったりの感じがしたのだろうと思います。

 この杜甫の詩「即事」に出てくる「秋思」が日本では大受けで、秋は物思いの季節になった、というのが「秋思」の語源説のひとつ。
 蛮地の王との政略結婚。王は戦死し、王女は川を渡って唐に戻る。柳腰を沈め物思いにふける。宝石で飾った衣装よりも、美しい腰つきで、愁いに満ちた眉をくもらせて物思いに沈む、、、、

 秋は物思いの季節です。が、私ごときが「秋思」と憂い顔を作っても、晩のおかずを考えているようにしか見えないので、漢詩にも和歌にもなりませぬ。

・永劫の涯に 火燃ゆる 秋思かな (野見山朱鳥)


渡良瀬川周辺の葦原野焼き 画像借り物
(野焼きは春の行事ですが。永劫の果てに燃えるなら、これくらい豪勢な火のほうがいいかなと)
 
<つづく>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする