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読書メモ2011後半

2010-02-28 12:47:00 | 読書・本・ログ


ぽかぽか春庭「読書メモ2011後半」
2011/12/18
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>2011年歳末(6)読書メモ2011後半

 今年1月に「年末年始読書記録」を書き8月に「2011年前半読書メモ」があるので、2011後半読書メモも書いておこうと思います。
 手元にある本や覚えているのだけ書くので、図書館に返却した分、すでにタイトルを忘れてしまったのもあるけれど、思い出さないってことは、それだけ印象にのこらなかったのだから、無理矢理思い出すこともない。

 8月~12月で13冊というのは、2011前半に比べてもずいぶん少ない冊数です。(前半は1月~7月で40冊)読書メモに残して置くのは、単行本文庫本新書だから、本屋でもらう出版PR誌や雑誌は記録しない。例えば、どこかの美術館だったかの「ご自由にお持ち帰り下さい」のコーナーにおいてあった『伝統と文化No.34 特集伊那人形芝居』というポーラ化粧品のメセナが出しているパンフレット、たいへんよくまとまった人形芝居紹介でしたが、雑誌やパンフレットは1冊カウントにはいれないので。どうしてこういうメモ・ルールにしたのかは忘れた。

2011後半は、電車の中読書がほとんどこの類の本ばかりだったし、徘徊散歩のお供には、建物の解説パンフレットなどを読んでいたことと、読書タイムが電車の中しかないのに、後半、電車のなかではもっぱら「睡眠不足解消タイム」となっていたので。得に夜更かしするほどしていたことがあったわけではないのに、なぜかいつも眠かった。


 3月、本棚倒壊で部屋が本の山になったとき、「これは本を整理しろという天からの命令」と思って、思い切り本を捨てました。だいたい、今までが「いつか読むかも知れない」と思うツンドク本や「何かの資料に使えるかも」という紙類が多すぎた。でも、捨ててみるとやっぱり、「あ、あの本に書いてあったこと、必要」を思えることが何度も出てきて、捨てたことを後悔することたびたび。やっぱりどれほどかさばろうと部屋を狭くしようと、捨てるんじゃなかったと思います。

 で、結局は捨てた分、古本屋でどんどん買うもんだから、部屋はまた元の木阿弥、床一面に散らかった本の山。買い込んだ本はほとんどが積んどく本になりました。

 @は図書館本 ¥は定価で買った本 ・は、ほとんどBookoffの100円、200円本。

<日本語日本文化関連>
・石田英一郎『日本文化論』ちくま文庫1987
・柳瀬尚紀『日本語は天才である』新潮文庫2009
@佐藤勝・小杉商一『懐かしい日本語辞典』東京堂出版2008
@遠山淳・他編『日本文化論キーワード』有斐閣双書2009

<小説・ノンフィクション>
・杉本苑子『マダム貞奴』読売新聞社1982
・安岡章太郎『大世紀末サーカス』文春文庫1988

<エッセイ、その他>
・佐野洋子『神も仏もありませぬ』筑摩書房2004
・村上春樹『辺境・近境』新潮文庫2010

<評論・研究書、評伝 その他>
・レズリー・ダウナー『マダム貞奴』集英社2007
@山口庸子『踊る身体の詩学』名古屋大学出版会2006 
・川村国光『オトメの祈り 近代女性イメージの誕生』1995紀伊國屋書店
¥木下直之『美術という見世物』講談社学術文庫2010
・佐野眞一『旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三』文藝春秋2005

 読んだ冊数は少ないけれど、どの本もたいへん印象深かった。前半の読書ではリービ英雄が私的特集だったのに対し、後半特集は川上貞奴。貞奴の欧米巡業に関連して『大世紀末サーカス』も読み直して、こちらもとても面白かった。

<つづく>
08:38 コメント(1) ページのトップへ
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2011年ドラマ演劇映画

2010-02-10 05:58:00 | 映画演劇舞踊
2011/12/22
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>2011年歳末(8)ドラマ

 年末の訃報、功成り名遂げた年長の方の死は悲しくはあっても、それなりに納得する。市川森一さんは。日本放送作家協会理事長を勤め、2003年には紫綬褒章も受章し、脚本家として功成った一生であったと納得しての見送りができます。しかし、同世代の人が亡くなると、やはり衝撃は大きく、これからまだまだ撮りたい作品があったろうに、と思うのです。12月20日森田芳光監督、61歳での死。

 今年はNHKBSで山田洋次監督が選んだ「日本の名画100選」という番組が始まり、日本映画の傑作を放映しています。今年は家族編50本。その中の1本として、森田芳光の『家族ゲーム』がありました。初公開のときは、娘が生まれた年で、映画を見る余裕はなかったのですが、テレビで何度か放映されるたびに見て来ました。松田優作と伊丹十三の演技合戦は面白かったけれど、脚本としては『の・ようなもの』のほうが秀逸と感じました。今回も、放映時に録画しておいて見ました。

 森田作品としては、そのほかに『キッチン』『阿修羅のごとく』が好きな作品でしたけれど、これは原作が好きってことだったのかもしれません。『間宮兄弟 (2006年)』や『武士の家計簿 (2010年)』は、まだ見ていないので、そのうち見たいと思います。遺作となった『僕達急行 A列車で行こう』は、久しぶりのオリジナル脚本だし、瑛太とマツケン、好きですから見たいです。監督、「これが遺作ならいいかな」と思えたかどうか、期待しています。

 今年後半、印象に残った連続ドラマ。
・「それでも、生きてゆく」瑛太、満島ひかり。大竹しのぶや風吹ジュンらの演技合戦がすごかった。風間俊介もよかったけれど、まだまだ伸びきれていない印象。悲しいストーリーだったけど、脚本もロケの景色もよかったです。 おみくじのように手紙を枝に結びつけるラストシーン、ほんとうにせつなく、泣けました。

・「11人もいる!」神木隆之介ほか。いつもながらのクドカン快進撃でした。毎週、笑えました。
・「家政婦のミタ」松嶋菜々子主演。「承知しました」の決めぜりふが保育園児にまで流行ったという今年一番の視聴率ドラマでしたが、私には今のところ「まあまあ」の感じ。
・「南極物語」「キムタク一人ヒーロー」ドラマなのはわかっていたけれど、予想外に犬たちの演技がよかったので見ていられた。リーダー犬リキ役のピム、ほんとうに演技上手で、昭和基地を見つめながら息絶えるシーンなど、家族で泣きました。タローとジローが迎えに来た隊員を見て、うなり声を上げて牙をむいた、という「史実」も、やわらげられていたけれど、ちゃんと写されていました。

・「江・姫たちの戦国」上野樹里主演。息子が戦国史を専攻しているので、いろいろ詳しい解説を聞くのが楽しみでした。史実とはここが違う、と息子が説明するところも、ドラマと割り切って、江が家康の伊賀越えに同行するなども楽しめたので、将軍夫妻がふたりして馬の遠乗りをするラストシーンも、まあ、これでいいんじゃないの、と思えました。

・「坂の上の雲」まだ、最終回を見ていないのですが、司馬遼太郎が「映像化した場合、脚色によっては、戦争賛美と誤解される作品になるかもしれない。それが心配だから、映像化してほしくない」と言っていたのを押し切ってドラマ化したとあって、「戦意高揚」的な映像になるか注目していたのですが、これまでのところ、司馬原作を裏切るような方向には行っていないと思います。数万の歩兵が満州の荒野に「使い捨て」にされた、ということもきちんと示していたと思うし、「日本の近代」がどれほど「ばくち」であったのか、よく伝わったと思います。

 娘は「映画もドラマも家族でわいわいしゃべりながら見るのが好き」というので、娘が見ないドラマや映画は、録画しておいて、一人で見ることになります。
・「テンペスト」仲間由紀恵の一本調子台詞まわしも気にならないくらい沖縄の風景は美しかった。

<つづく>

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2011年12月23日


ぽかぽか春庭「映画・ドラマ演劇メモ2011後半」
2011/12/23
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>2011年歳末(8)映画・ドラマ演劇メモ2011後半

 BSほか2011年後期にテレビで放映された映画のうち、『狂った果実』中平康監督1956年、『泥の河』小栗康平監督1981年、『人情紙風船』山中貞雄監督1937年、『楢山節考』木下惠介監督1958年、『切腹』小林正樹1962年、などが印象深かったです。

 『泥の河』何度かみてきたけれど、今回は加賀まりこの美しさが心に残りました。その美しい表情ひとつで、戦争をはさんで泥にまみれていながら「悲しみの聖母」とも思えるような存在の女性像をしっかり描き出している、これは女優の力なのか、それを引き出す監督の力なのか、
 『狂った果実』若い頃の石原裕次郎が好きではなかったので、見たこと無かったのですが、今回の放映で初めて見ました。クレジットの主演は裕次郎ですが、実質主演は16歳の津川雅彦。演技もまだ未熟ですけれど、「未熟さの光」にあふれていて、とてもよかった。『楢山節考』の田中絹代も、『切腹』の仲代達矢も、ほんとうにすごい演技で、圧倒されました。

 映画館に行ったのは飯田橋ギンレイホールのみ。2011年後半にギンレイで見た中では、『英国王のスピーチ』『キッズ・オールライト』『軽蔑』『ブラック・スワン』『未来を生きる君たちへHaevnen』がよかった。

 「英国王のスピーチ」では吃音がストーリーの要。吃音(どもり)にもさまざまなタイプがあるそうですが、イギリス女王エリザベス二世の父ジョージ6世(ヨーク公アルバート王子)の吃音は、幼時、左利きとO脚を父王によって厳しく矯正されたことが起因してどもるようになったと言われています。
 ジョージ6世のために、エリザベス王妃は、セラピスト兼演劇人であったライオネル・ローグを吃音矯正のため雇います。映画では、治療をめぐる王とローグの身分を超えた交流が描写されます。国王として国家の重大事、宣戦布告を国民に告げ、「国民を奮い立たせる演説」をしなければらならなかったときをクライマックスとして、ストーリーは終わります。
 その後の第二次大戦、大戦後の激務によって、ジョージ6世は1952年に56歳で崩御。その翌年にローグも73歳で死去。ロイヤルファミリーの人間模様も面白かったですけれど、「言葉の力」が直接のテーマになっていた映画でした。

 『ブラックスワン』をダンス仲間と見たあとお茶したとき、「子どもの頃バレエを習っていたというナタリーポートマンが、1年のバレエレッスンを受け、バレエシーンをポートマン自身の踊りで撮影した」とう宣伝文句をみな信じていたので、へぇ、自分がダンス下手なのはかまわないけれど、見る目はちゃんと持っていようよ、と思いました。1年でブラックスワンを吹き替え無しで踊れるようになったのなら大天才だから、ポートマンは女優なんぞやめて、バレエダンサーとして大成すべき、ということ。ABTダンサーのサラ・レーンがダンスシーンの吹き替えをやっているということが映画の宣伝としてはシークレット扱いになったのはどうしてか、と、疑問に思うけれど、映画の宣伝にはいろんな事情があるのでしょう。

 「エディット・ピアフ」で、マリオン・コティヤールは本物のピアフの歌にあわせて口パクしているけれど、それでよしとして誰も文句言わない。けれど、古くはオードリーヘプバーンの『マイフェアレディ』の歌をマーニ・ニクソン(『サウンド・オブ・ミュージック』の修道院長役で知られる)が吹き替えたときなど、マーニの名はいっさいクレジットされなかったというのも有名な話ですから、ブラックスワンもサラ・レーンの名が外に出されなかったのも、まあハリウッド的戦略。

 『未来を生きる君たちへHaevnen』。Haevnenは、スエーデン語デンマーク語で復讐という意味。スエーデン語とデンマーク語は、方言差のちがい程度しかありません。しかし、「我が方、尊し」は双方とも同じ。スエーデン人アントン がデンマークで、ロッシという名をロッシュと発音してしまい、よそ者と判断され受け入れてもらえない、というシーンがありました。暴力連鎖の行方を描いて秀逸でした。確かに、世界は理不尽な暴力に満ちています。ガンジー流の非暴力主義では解決しきれない問題が根深くあることも、きちんと描いた上で、暴力の連鎖が何も解決しないことを伝えていました。許しあうことをどのように受け入れていくのか、私たちにも突きつけられます。

 最後に舞台で興味深かったもの。
 12月11日日曜日、府中市の外語大アゴラホールで、シンポジウム「子規と漱石の近代」があり、正岡子規を主人公にした劇『六尺の天地』が上演されました。出演者の半分が留学生で、日本語の台詞として不十分な発音の留学生もそれなりにがんばっていました。主演の子規は発音も演技もとても上手で大熱演でした。ラストシーン、痛みにのたうちながら死の床にある子規の脳裏にあったであろう幻想として、ユニホーム姿の子規がホームランを打ち、「一直線じゃ」と、最後の台詞を言いました。近代のはじまりを一直線に生きて行った子規や漱石の軌跡を思うとき、今、「日本の近代のはじまりと終焉」について思い巡らしているところなので、『坂の上の雲』に描かれた子規よりも心に残る姿でした。

 私は活字人間ですけれど、映像でしか表現なしえなかったと思われるシーンに出会うと、もっともっといろんな映像を見たくなります。これからもドラマや映画を見る時間にかまけて、半年で13冊しか単行本を読まなかったという年もあろうかと思いますが、まあそれもまたよし。

<つづく>
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冬のアート散歩2011年12月

2010-02-07 19:07:00 | アート
2011/12/27
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>2011年歳末(11)冬の徘徊

 冬は寒さに負けて徘徊が減っています。12月のお散歩は、12月1日に三鷹のICUキャンパスを歩きました。お目当ての泰山荘は、国の重要文化財。内部公開があった大学祭のおりには、見ることができなかったのですが、せめて外観だけでも見ておこうと、仕事の帰りに寄り道しました。

 泰山荘には、表門、茶室、待合などがあります。ICUが三鷹の土地を買ったときに建物もそのまま譲り受け、そのまま保存してきた歴史的な建造物です。「高風居」と呼ばれる建物には、「一畳敷」と、六畳の茶室三畳の水屋があり、入母屋造、萱葺き、平屋建。
 「一畳敷」は、松浦武四郎(1818-1888北海道探検家・北海道という地名の名付け親)が、各地の神社仏閣や歴史的建造物の古材を使って建てた書斎で、六畳の茶室は「一畳敷」のために徳川頼倫(1872-1925紀州徳川家第15代目。侯爵)が、やはり歴史的建造物の古材を集めて建てたものです。明治初期に多くの地方の神社が国家神道の統合のために廃され、神社や寺の建物が毀された経緯があり、古材が出たものを利用したのではないかと推察されます。
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=137138

 今年、各地の紅葉が色づきが遅かったなか、12月の泰山荘は、表門から覗くと、門の奥に紅葉が夕日を受けて輝き、とてもきれいでした。親子連れのように見えるグループが見学していました。ICU女子学生が母親たちを連れて、キャンパスを案内しているところだったみたい。中を見ることができなかったのは残念ですが、これはまた来年の文化財公開のときにでも。

 12月4日日曜日、午後、白金台へ。白金の自然教育園を散歩。こちらはさらに紅葉の色づきが遅く、イロハモミジはまだ緑。オオモミジはちょっと色づいていました。園内一周してしてから松岡美術館へ。
http://www.matsuoka-museum.jp/exhibition/

 「日本の和美彩美(わびさび)」と題した展覧会、前期展示をみたのだけれど、後期にまた展示替えがあるというので、招待券もらって見ました。
「物語の絵」は、源氏や伊勢などを題材にした日本画が展示されていました。展示室6の「風景を感じる~秋から冬へ~」は、前回来たときとは展示替えになっていた絵です。

 松岡美術館は、貿易で財をなした松岡清次郎が、1975年に自宅を美術館にしたものです。ホキ美術館も、文具小売業からはじめて医療用不織布製品、滅菌用包装袋(メッキンバッグ)など医療用キット製品の会社を成功させた保木将夫(1931~)がコレクションを公開するために昨年設立した美術館です。

 12月18日日曜日、千葉経由土気へ。駅前でおひるを食べてから1:00~3:00、ホキ美術館見学。こちらも招待券もらったので、出かけたのだけれど、思った以上に遠かった。しかし、館内はけっこう賑わっていました。隣に広がる「昭和の森」に遊びに来ている千葉市民がついでに立ち寄るらしい。千葉市民は無料で見られるのかも。一般の入館料は1500円とるので、わたしゃ招待券がなければ、ここまで来ない。

 絵を見ているのは主として中高年の善男善女。「あれぇ、写真のようだねぇ、よくかけてる」と感心しながら見ています。写真のようにそっくりに写し取るのが上手な絵なのだと、図画工作の時間に教わった世代です。「このパン、美味そうに描けてるよ。焼きたての色だね」なんて声も聞こえます。

 私は、印象派や立体派、野獣派などから絵を見始めたので、写実はあまり好きではありませんでした。この夏に磯江毅の超リアル絵画を見て、「あ、写実もいいかも」とやっと思えたのです。それまでは、「見えるとおりに写しとるなら、カメラで撮影したものでも同じでしょ、という気持ちが抜けなかった。グスタボ・イソエを見て、「ああ、カメラが一瞬を写し取った写真と、画家が1年も2年もかけて写し取る写実は、異なる表現なのだ」ということを感じたのです。

 ホキ美術館にも磯江が4点ありました。ほかに、ホキコレクションのきっかけとなった森本草介の作品が30点のコレクションの中から何点も展示されていました。日展理事長中山忠彦の奥さんをモデルにした肖像画は、以前にまとめて見たことがありましたが、そのほか、私の知らない写実の画家が展示されていました。
http://www.hoki-museum.jp/about/index.html

<つづく>
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2011年12月28日


ぽかぽか春庭「ホキ美術館&昭和の森」
2011/12/28
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>2011年歳末(12)ホキ美術館&昭和の森

 リアリズムとは何か、ということを考えてきたので、ホキ美術館でこうしてまとめて写実絵画を見るのも感慨ふかかった。
おじさん、おばさんたちは「写真のようにそっくりに描けてるね」と感心していました。正直な感想と思います。でも写真と同じだったら、写真を撮れば今時、素人がデジタルカメラで写しても、ちゃっちゃと風景なり人物なり撮影でき、手っ取り早い。1枚の絵に1年間ときには2年間もかけて絵筆を走らせるのは、写真とは違う写実をキャンバスに定着させる忍耐強い情熱があるからであり、その画家の時間は、確かに画面から感じとることができます。

 人物も、風景も、静物も、それぞれに見所がありました。ただ、花を描いたものでよいと思ったのは、秋の野草を描いた一枚だけで、あとの花の絵は、牡丹もバラも、私には「よくできた紙の造花」に見えたのです。花の生命力を写し取る技術というのがどれほど難しいのか、よくわかりました。花をリアルに描くと造花に見えてしまう、というのはどういうわけなのか、わかりません。植物園などで「植物画コンクール」などの展示があるとき、ときどき見て来ましたが、こちらの「植物記録のための写生」は大丈夫なのに、「芸術のための写実」だと造花になる、これは不思議。

 リアリズム絵画ばかり見ていて、少々疲れました。ひたすらリアル。
 途中、隣の「千葉市昭和の森」に行き、「閉門まであと1時間しかないけれど、料金は2時間分払ってもらうよ」と言われながら、自転車を借りました。貸し自転車の係のおじさんに「おや一人かい、カレシはどーした」と聞かれました。ほっといてくれ。ここでも「オトモダチいない残念な人」と思われたのでしょう。美術館は一人で見ていても誰もなんとも思われないのに。サイクリングとなると、オバハンひとりで自転車に乗るのは反社会的なこととでも?

 生来のへそ曲がりなので、サイクリングロードからはずれて、どんどん森の中を行くと、道は階段になってしまい、自転車かついでの下りも上りも難儀して汗をかいた。決められたとおりの楽な舗装道を通りたくなくて、藪道に入り込み、人の何倍も苦労を背負い込んで、苦労の末に出た道は、他の人が楽々通った舗装道。しかも何周もの周回おくれ。まったく、どうして私はこうなのか。

 平らな道では、夕暮れ間近の森の中、楽しそうに二人連れ親子連れが散歩している中、ひとり走りまわって、まあ、本日食べたランチの分はカロリー消化して、美術館に戻りました。

 再入館のチケットを見せて、もう一度館内ひとめぐり。
http://www.hoki-museum.jp/gallery/02.html
http://www.hoki-museum.jp/gallery/03.html

 土曜日は6時までやっているということでしたが、来るとき2時間もかかったので、帰宅時間を考えて4時半にロッカーから荷物を出しました。そうしたら、あら、見たような顔が。館内に展示されていた肖像画そのままの保木館長でした。はあ、ほんとにリアリズム。
 以前、展覧会案内のチラシにもこの肖像画が載っていたのを見ました。このときは「一代で財をなした金満家」そのものに見えたので「なるほど、こういう人が、お金が有り余ると絵を買いたくなるってわけか。金が余ったからといって集めた絵、どんだけ絵が好きなのかなあ。バブル期のように利殖目的なんかで絵を買いあさる人だといやだなあ」という気持ちがあって、「千葉に写実絵画美術館オープンした」というニュースは知っていたけれど、これまでは見に来る気になれなかった。

 でも、コレクションはなかなか充実したものだったので、コレクション公開に対するお礼の気持ちを伝えようと、声をかけたら、気軽に話してくれました。写実絵画コレクションをはじめた動機などおたずねしたら、「私には美術はわからないので、見てすぐに何が書いてあるかわかる写実絵画だけを集めたんです」ということをおっしゃった。

 正直なお話に、ちょっと館長を見直しました。リアリズムとは何か、というような蘊蓄を語る人ではなく、館長は「見てすぐわかる絵を集めた」と率直に語る。全国に数ある美術館館長のなかで、いちばん「絵について造詣がない人」かもしれません。でも、絵を愛していることはわかりました。
 ちょっと遠いので、ちょくちょく来ることはないと思いますが、また招待券もらったら、見にきましょう。

 私の歳末。あまり「師走」ということもなく、ぶらぶらと冬をすごしています。まあ、こんな「相も変わらず」が私に日常であり、私の1年です。

<つづく>

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