
20250419
ぽかぽか春庭アート散歩>アート散歩2025建物めぐり春(3)九段ハウス
重要文化財の旧山口萬吉邸。内藤多仲が構造設計を担当した邸宅。1927年に竣工。現在は会員制によって利用されているため、一般見学者はなかなか見る機会がありません。昨年、「CURATION⇄FAIR」が開催され、チケットを買えば、アートフェアで売られている作品を買うのでも眺めるだけでも入館できたこと、気づかずに残念に思っていたら、アートフェアが好評だったらしく、2025年も開催されることになりました。ぐるっとパス利用専門の私には高いチケット2500円ですが、オンライン購入。苦手なパソコン申し込みをして、2月10日に念願の九段ハウスを訪問。
九段ハウスの口上
新潟県長岡市出身の財界人である5代目山口萬吉の私邸として1927年に建築されたkudan house。強固な耐震性と当時流行だったスパニッシュ建築様式が歴史的価値を持つと認められ、2018年には「登録有形文化財」として登録されました。
関東大震災を経験した山口萬吉は、後に「耐震構造の父」と呼ばれる内藤多仲に感銘を受け、内藤の構造設計である壁式鉄筋コンクリート造を採用しました。1945年の東京大空襲で多くの木造建物が焼失しましたが、九段ハウスは災禍から逃れ、ほぼ建築当時のままの姿で今なお歴史を紡いでいます。
また、アーチ、スパニッシュ瓦といった趣深い装いに加え、1階にはスクリーンポーチ、2階にベランダ、3階には屋上など、半屋外空間が多数存在し、四季を肌で感じることができます。
関東大震災を経験した山口萬吉は、後に「耐震構造の父」と呼ばれる内藤多仲に感銘を受け、内藤の構造設計である壁式鉄筋コンクリート造を採用しました。1945年の東京大空襲で多くの木造建物が焼失しましたが、九段ハウスは災禍から逃れ、ほぼ建築当時のままの姿で今なお歴史を紡いでいます。
また、アーチ、スパニッシュ瓦といった趣深い装いに加え、1階にはスクリーンポーチ、2階にベランダ、3階には屋上など、半屋外空間が多数存在し、四季を肌で感じることができます。
東京大空襲では、山手線内外の多くの木造住宅が焼失しました。 東京空襲焼失地を記録した地図を見ると、東京の中央が真っ赤に塗られて焼失地を示し、皇居日比谷公園のほか、民間地で焼け残ったのは上野の西の谷中地域など、わずかな地域が残っているのがわかります。山口萬吉邸が残されたのはまさに奇跡的なことでした。
旧山口萬吉邸は、九段ハウスとして東京の都心にある会員制スペースへと再生されました。建築当時の姿を残す貴重な住宅を見学できました。
門前


建物外観(南面)


建物西南面 建物外観(東面)


西側通用玄関 通用口ドア


正面玄関内部 エントランスホール


一階客間 一階客間のあかりと川端康成の書


1階ベランダ

二階への階段 階段上踊り場


階段からエントランスホールを見る

室内(和室) 和室欄間


洋間 廊下から外を見る


CURATION⇄FAIRのアート作品が飾られた洋室

3階テラスから見る3階屋根 3階テラス


3階テラス 3階テラスから見る屋根瓦


1階床下の地下室の明り取り 地下室へおりる外階段


地下上部の明り取りによって、地下も十分に自然光が入ります。


地下ボイラー室のアート展示はビデオ作品

九段ハウス、3階テラスと地下室が他の洋館とひとあじ異なる空間でした。
オリジナルは竣工1927年で、鉄筋コンクリートによるスパニッシュ様式の洋館です。内藤多仲、木子七郎、今井兼次という当時の日本を代表する3人の建築家による設計です。
住宅として使われていたときの雰囲気を保ちつつ、水回りや耐震など改修は設備を中心としています。地下はギャラリーと茶室として再生させました。今回の見学では、地下から3階までアート作品が並び、趣のある空間を形作っていました。
住宅として使われていたときの雰囲気を保ちつつ、水回りや耐震など改修は設備を中心としています。地下はギャラリーと茶室として再生させました。今回の見学では、地下から3階までアート作品が並び、趣のある空間を形作っていました。
ひさしぶりの建物探索。旧い建物を修理したり復元したりする建築関係の人々に感謝しつつ、私は時空を旅して楽しむだけですが、せめてこの家の旧主山口萬吉をしのびながら、九段の坂を下り、九段駅へと向かいました。
山口萬吉について。山口家は越後の素封家。初代萬吉は次男であったため商人となる。長岡で唐物屋を営んで財をなし、長岡随一の地主となって江戸へ進出。明治維新後は、百貨店を開いたり石油会社や銀行の設立発起人となったりして近代化の波に乗り、明治財界の有力者となりました。
九段ハウスを建てたのは、五代目萬吉です。五代目萬吉は、明治30年生まれ。慶應義塾大学に入り、20歳のとき渡米留学。8年間の留学から帰国後、早稲田で建築を教えていた内藤多仲 と知り合い、内藤が考案した耐震構造理論に共感して早稲田の建築人に自宅設計を依頼しました。1923年の関東大震災後、1927年に建設された山口萬吉邸は、現在までしっかりした構造によって残されてきました。
明治の財界人は、渋川市原美術館や三渓園やを残した原三渓、大倉集古館の大倉喜八郎、五島美術館の五島慶太など、財が有り余ると美術趣味を発揮しました。山口萬吉は美術館を建てることはしませんでしたが、内部装飾から家具調度まで自分の趣味を通した建物を残しました。
九段ハウス、普段は会員制なのでなかなか入ることはかないませんが、今回のようにアートキュレーション施設として開かれるのを、また楽しみに待ちましょう。
<つづく>