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ぽかぽか春庭「虎に翼再び」

2024-11-03 00:00:01 | エッセイ、コラム


20241103
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記秋(1)虎に翼再び

 朝ドラ「虎に翼」が終了して一か月以上たつというのに、関連の話題がまだまだつきません。主役虎子の上司桂場役の松山ケンイチが「放送終了後の全話一気見コメント」に関心が集ったり、主題歌劇中歌がヒットしたりと、虎つば人気が続いています。

 橋本環奈のような絶対のかわいさを武器にはしていなかった伊藤沙莉がどんどん魅力を増していったのは、共演者のよさにもよるでしょうが、脚本のよさが際立っていました。
  『虎と翼』は、9月期の月間ギャラクシー賞を受賞。選評として
日本初の女性弁護士・三淵嘉子をモデルに、その人生軌跡の姿を借りて現代社会の格差や構造の矛盾、不条理といった問題へとつなげた。それらの疑念を果敢に訴えた脚本・吉田恵里香の覚悟ある姿勢、そしてその想いを見事に具現化した役者たちに拍手を送りたい。生硬になることなく、真っ当な人情ドラマとして成立させたことにも敬服」    
 私も敬服。

 10月、娘がお茶の水に出かけたおりに明治大学博物館を訪れ、「虎に翼展をやっていたので見てきた」という報告。5月末に渋谷で娘といっしょに虎に翼展を見たので、どうしようかと思いましたが、会期は10月28日までというので、終了しないうちにと、見てきました。

 明大博物館前の校舎に垂れ幕


 明治大学博物館の口上 
 大学史資料センター(所長・村上一博法学部教授)では、日本初の女性弁護士を輩出した明治大学法学部および専門部女子部(1929年設置)と、その卒業生について紹介する展覧会を開催します。
 明治大学は、いち早く法学を志す女性に門戸を開くため、1929(昭和4)年4月に専門部の一部門として女子部を設置し、1931(昭和6)年には女子部の卒業生に対して明治大学が設置する学部への入学を認めました。その結果、女子部と法学部で学んだ女子学生のなかから、三淵嘉子、中田正子、久米愛という3名の日本初の女性弁護士が誕生し、その後もしばらくは、女性弁護士の多くが明治大学女子部と法学部で学んだ者たちで占められました。
 本展覧会をきっかけに、日本における女性法曹養成のさきがけとなった明治大学法学部および女子部、またその卒業生の活躍について、ひろく知っていただければ幸いです。


 ドラマの中の明律大学女子部のモデルは、明治大学女子部。日本の女子法曹界人材育成に大きな力を発揮してきた明治大学ですが、女子大学生といえばおちゃ大、津田塾とかポン女トン女、お嬢様なら白百合聖心。女子高だった私の卒業校でも、明大を進学先に選ぶ人は少なかった。45年前にケニアでいっしょにすごした従妹ミチコは、女子高後輩ですが明大農学部出身でしたが。

 ドラマなどに登場するワセダや福沢諭吉が出ると必ずくっついて紹介されるケイオーに比べると分が悪かったメイジ、もうここぞとばかり女子部と法学部を推してきます。ドラマ効果と博物館の一室の「虎と翼」展効果で、たぶん来年の明大女子受験者大幅増かも。

 ドラマの中の山田よね着用衣装と寅子と娘優美着用のワンピース

 明倫大学女子部入口を模したセット

 ドラマ「虎に翼」も思い出せるし、明治大学の女子教育法曹人材教育の歴史もふりかえることができる良い展示でしたが、ひとつだけ不満が。
 寅子のモデルとなっているのは、明治大学出身日本初の弁護士のひとり三淵嘉子です。実家の姓は武藤。武藤家の書生と結婚後は和田。嘉子が実家の家族といっしょに撮った記念写真に「三淵家写真」というキャプションがついていました。後ろに立つふたりが嘉子の両親。右端が嘉子、右から3人目が嘉子の最初の夫 和田芳夫(と説明がついています。ほかの 4人の少年が、嘉子の弟たち四人です。
 写真に残る一家のうち、和田は1946年に戦病死。長弟は戦死。次弟は昭和化工重役 、三弟は医師。四弟は林野庁職員。

 嘉子と和田芳夫の一人息子和田芳武は寄生虫研究者。弟たちや息子の描き方は、ドラマの設定では大きく変えられていました。ドラマのキャラクター設定としてはよかったと思います。しかし、家族写真のキャプションが「三淵家写真」となっていたのはいただけません。嘉子が三淵姓となったのは、和田芳夫が亡くなったあと、三淵乾太郎と再婚したあとのこと。和田芳夫も写っている実家の家族写真なら、嘉子の旧姓「武藤家写真」または「和田芳夫嘉子夫妻と武藤家の人々」とすべきでした。細かいところが気になってしまうつまらぬ性分ですが、「学芸員の細かい気配りが展示の良さを左右する」というキュレーターの腕に信を置く博物館好きの感想です。

 法服のマネキンと。
 HALのTシャツにMeijiとあるのは明治大学のMeijiではなく、娘がチョコレートの懸賞応募であてた菓子メーカーのロゴです。
 

 法律には縁薄かったHALですが、女性が社会の中で活躍できるよう懸命に働いた先達に感謝をこめて、今の自由と平等な社会を守っていきたいです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「憲法公布の日」

2024-11-02 00:00:01 | エッセイ、コラム
20241102
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>憲法

 日本国憲法は、1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行されました 
 朝ドラ「虎に翼」で、差別に泣いてきた人々に勇気を与えた14条がたびたび言及されてきました。憲法公布の日にあたり、14条を中心に確認します。

 第三章 国民の権利及び義務第十条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。② 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。③ 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

 未来へ向けて世界が真に平等で平和な社会の中で個人として尊重され幸福に生きていくことができますように。

「未来を花束にして!」(女性参政権のために闘ったイギリス女性たちの実話をもとにした映画)

セザンヌ 「花束」


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ぽかぽか春庭2024年10月目次

2024-10-31 00:00:01 | エッセイ、コラム

20241031
ぽかぽか春庭2024年10月目次

1001 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記秋(1)ダンスィングミサイルママ
1003 2024二十四節季日記秋(2)シルバーパス
1005 2024二十四節季日記秋(3)シルバー行楽
1006 2024二十四節季日記秋(4)横浜散歩ニュースパーク&NHKライブラリー

1008 ぽかぽか春庭アート散歩>2024アート散歩秋(1)見立てミニチュアライフ展 in 横浜高島屋
1010 2024アート散歩秋(2)光と動きの100かいだてのいえ in 写真美術館
1012 2024アート散歩秋(3)見ることの重層展 in 写真美術館
1013 2024アート散歩秋(4)日本伝統工芸展 in 日本橋三越

1015 ぽかぽか春庭アート散歩>2024建物散歩秋(1)日本大通りの建物、旧横浜商工奨励館(横浜情報文化センター)、開港資料館
1017 2024建物散歩秋(2)横浜三塔めぐり
1019 2024建物散歩秋(3)庭園美術館建物公開2024
1020 2024建物散歩秋(4)吉川英治記念館

1022 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節日記季秋を求めて(1)シルバー行楽奥多摩ハイキング
1024 2024二十四節季日記秋を求めて(2)秋草散歩
1026 2024二十四節季日記秋を求めて(3)池袋よさこい祭り
1027 2024二十四節季日記秋を求めて(4)オットー・フォン・ハプスブルグ
1029 2024二十四節季日記秋を求めて(5)東レプロテニス2024 in 有明コロシアム
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ぽかぽか春庭「東レプロテニス2024 in 有明コロシアム」

2024-10-29 00:00:01 | エッセイ、コラム


20241029
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季霜降(5)東レプロテニス2024 in 有明コロシアム

 娘の懸賞生活、生活用品や食品が毎週当たりますが、ディズニーリゾートとかUFJなどあちこちのテーマパークやイベントも、食品ほどの頻度ではないけれど、たまには当選します。この秋のビッグイベントは、東レパンパシフィック オープンテニストーナメント2024( 通称東レプロテニス)の10月25日の有明コロシアムの席が当選しました。

 第39回目の大会。女子テニスの最高峰のトーナメントのひとつだ、ということすら大会概要を見てようやく知ったという程度の、選手といえば大阪なおみ選手くらいしか知らないテニス音痴。生まれて初めてのプロテニス試合の生観戦、おおいに楽しみにして出かけました。ただし、大阪選手は、体調悪く出場辞退。残念。

 10月25日金曜日はシングル準々決勝とタブルス準々決勝。だれが勝って準決勝へ進むのか、予想もつきません。

 初めてのプロテニスの試合観戦。有明コロシアムも初めて入りました。
 なにもかも珍しいおのぼりさん。入り口の荷物検査場前で。

 1万人が入る有明コロシアムですが、12時の試合開始にはまだ観客はパラパラでした。だんだん人数がふえてきたものの、メインアリーナモード2万人が1席も余すことなく満杯になる埼玉アリ―ナフィギュア会場を見てきた目には、テニスファンっていうのは、この程度なのかと思いました。たぶん、羽生げが現役のころのフィギュアが異常。現在の羽生ツアーも、たまアリ3日間で抽選外れのがっかりファン続出。3万円のアリーナ席が中国業者によって30万で転売されていると知って、娘とため息。

 

 15時前からの試合がなかなか始まらないと思っていたら、シングル順々決勝に残った唯一の日本人選手石井さやかはけがのため欠場とアナウンス。急遽、じゃんけん大会になりました。1回目では娘、2回目では私が最後のジャンケン決勝まで勝ち進んだのに、最後の1回で負けて、サインボールはもらえませんでした。

 大阪なおみ欠場、石井さやか棄権、じゃんけん敗退という残念続きでしたが、はじめて見たプロの試合は、テニスわからんちんの私にも迫力満点で楽しかったです。どのくらいわからんちんかというと。最終試合のダブルス準々決勝の3セットめ。それまで15-30-40と進んでいく点数が、一点ずつ取り合って10点先取にかわりました。え、どうして?ここだけ点数数え方がちがうのか、私も娘も知らなかった。

 結果は、
第1試合 ケイティボールター(ドイツ)6:2 6:1ビアンカアンドレースク(カナダ)
第2試合 ソフィア・ケニン (USA) 6:3 6:4 ダリア・カサトキナ (ロシア)
第3試合 ディアナ・シュナイダー 【WO】 石井さやか(日本)棄権
第4試合 ジェン・チンウェン (CHN) 6:0 1:6 6:3 レイラ・フェルナンデス(CAN) 
ダブルス クリスティナ・ブクサ(ESP)モニカ・ニクレスク(ROU) 6:3 3:6 10:4 青山 修子(JPN)穂積 絵莉(JPN) 

 第2試合の2選手 左カサトキナ 右ケニン

 勝利者インタビューのジェン・チンウェン  ダブルス青山穂積
 

 野球の音曲歓声球場を揺らす大応援に比べ、テニス観戦者は、よいプレーに拍手をするくらいで、実に静かな紳士淑女的な応援で、スポーツ文化の差を感じました。フィギュアでは推し選手の名入りタオルを揺らす応援、国際試合のときは、アゼルバイジャンとかエストニアとか、どこに存在する国かも人によっては知っていない、という国の国旗をちゃんと用意していて、国別に国旗を揺らすのが静かな応援です。全体にものすごくマナーがよく、ちょっと「上級観覧者からの圧」を感じるくらい。

 テニスはタオルも振らず声もたてず、実におしとやかな応援でした。相撲やフィギュアスケート観覧者の場合、自分自身はその競技を経験したことのない人がほとんどであるのに比べ、テニスの試合観覧者のほとんどがテニス経験者、若いころにせよ、現在の趣味のスポーツにせよ、一生のうちテニスをスポーツとして体験している。まったく競技経験のないうちら母娘のような観覧者は少数派らしい。

 点数のつけ方も知らない母娘でしたが、日本組の青山穂積ペアが準決勝ベスト4進出を決めて、うれしかったです。
 試合終了の9時半には国際展示場駅前のレストランビルの中、海鮮料理メヒコで遅い晩御飯を食べて帰りました。

 最終日の決勝、シングル優勝者はジェン・チンウェン鄭欽文 。パリオリンピック銀メダルの勢いそのままの優勝でした。ダブルス優勝者は青山修子・穂積絵莉でした。準々決勝でもよいパフォーマンスを見せてくれた選手の優勝、よかったです。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「オットー・フォン・ハプスブルグ」

2024-10-27 00:00:01 | エッセイ、コラム
20241027
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記秋(4)オットー・フォン・ハプスブルグ

 白金植物園庭園美術館訪問の10月16日。白金台駅を出ると目の前が港区立郷土歴史館。展示の内容によって立ち寄ることもあります。16日は「オットー・フォン・ハプスブルグその生涯と遺産 」の最終日だったので、観覧しました。写真と説明をパネルに貼りつけたオットーの一生の紹介です。展示の方法は簡便なものでしたが、オットーについて何も知らなかったものにとっては、よい内容でした。

 オットー・フォン・ハプスブルグ(ドイツ語表記 Otto von Habsburg1912-2011)は、最後のオーストリア皇帝カール1世と皇后ツィタの第一子。最後の皇太子。母親の皇后ツィタは、オットーが皇帝として復位することを崩御する日まであきらめませんでしたから、オットーが皇位継承権を放棄しオーストラリア共和国市民となったという知らせに、絶句したそうです。
 オットーは、一市民となったあと、国際汎ヨーロッパ連合第2代会長として、EUをまとめることに力をつくしました。

 港区郷土博物館の口上
 ハプスブルク家が、第一次世界⼤戦までの時代にオーストリア=ハンガリー帝国のハンガリー王及びオーストリア皇帝として君臨した事は良く知られています。その最後のハンガリー王及びオーストリア皇帝の長子がオットー・ハプスブルク(1912~2011)でした。第一次世界⼤戦後、オットーが戴冠することはありませんでしたが、第二次世界⼤戦下では外交上のコネクションを使って、何千もの迫害された人々を救済し、戦後はヨーロッパのために活動する国際的組織である汎ヨーロッパ連合の会長や、欧州議会の議員となりました。また、『鉄のカーテン』崩壊に重要な役割を果たした1989年の汎ヨーロッパ・ピクニックの後援者として、国際社会に多大な貢献をしました。そのオットー・ハプスブルクは、日本を何度も訪問し、皇室や政治的指導者、更には巨大企業の経営者とも強い関係を構築し、日本と欧米諸国との国際関係促進にも⼒を尽くしました。ギャラリー展では、日本との関係もご紹介します。


 オットーは、第二次世界大戦後は欧州議会議員や国際汎ヨーロッパ連合会長を務め、汎ヨーロッパ主義のために活動しました。欧州統合を提唱した国際汎ヨーロッパ連合初代会長であったリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーが死去したあと、リヒャルトの友人として会員になっていたオットーが、1972年に臨時会長となり、翌1973年に正式に第2代会長となりました。「東側社会」の崩壊をもたらした汎ヨーロッパ・ピクニックの中心人物の一人として活動し、冷戦時代の終結に寄与しました。 
 私は、リヒャルト・クーデンホーフカレルギーについては、その母青山光子の名によって知っていましたが、EUの土台となった活動にオットーもかかわってきたことを知りませんでした。

 紹介パネルは、洗礼式からの幼いころの写真は多数紹介されていましたが、オーストリア帝国が崩壊したのちの、スペインなどで流浪の日々をおくったころのことはあまりくわしくない。国籍を奪われた亡命者となった王室一家は、食べ物にも事欠いた生活だったというので、写真を撮る余裕もなかったのでしょう。
 オットーは、ハプスブルク家家長の役目を息子カールに譲ったのち、2011年、98歳で亡くなりました。

 展示では、「皇位継承者」「欧州の子弟」「オーストリア併合あるいは王政復古」「戦争と再出発」「オットー・ハプスブルクと日本」 のパートに分けてパネルが示されていました。
 オットーは何度も来日し、日本の皇室や経済人と積極的に関わったことが紹介されていました。オットーの息子カールは、現在オーストリアに在住しています。

 オットーがなくなった時、ローマ教皇からカールあてに届いた弔文の宛先は、Seiner Kaiserlichen Hoheit Erzherzog Karl von Österreich(オーストリア大公カール殿下)」だったそうなので、バチカンは今もカールをオーストラリア大公として遇しているのですね。
 今回のオットーの生涯紹介の共催は、駐日ハンガリー大使館 リスト・ハンガリー文化センターです。オットーは最後のハンガリ王の息子であり最後の皇太子であったので、ハンガリーがオットーを顕彰するのはわかりますが、オーストリアと共催していないのは、いろいろあるんでしょうね。オットーはパスポートを得る目的でオーストリア国民となることを選びましたが、自分自身のアイデンティティとしては「汎ヨーロッパ市民」と感じていたのだそうです。

 現在ウクライナとモルドバがEUへの加入審議中の国になっています。どちらも旧ソビエト連邦の構成国家でしたが、ロシアの傘下にいるよりEUとして国を維持していきたいと願っています。(国内には賛否両論がありますが)
 EUも移民問題や国家間の経済格差などさまざまな問題を抱えていますが、クーデンホーフカレルギーやオットー・ハプスブルグの理念を受け継いで、ヨーロッパがよりよい共同体になっていけるよう、極東から見守っています。
 
 港区立郷土歴史館(旧公衆衛生院)の前で。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「池袋よさこい祭り」

2024-10-26 00:00:01 | エッセイ、コラム


20241026
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記秋(3)池袋よさこい祭り

 ミサイルママと連れ立って出かける楽しみのひとつ。池袋ふくろ祭りで開催される「よさこい」。たくさんのチームが毎年それぞれの演武を競い、上手な踊りもあるし、お年寄りや子供をまじえたほのぼの系のチームもある。昨年2023年も観覧して、コロナで開催できなかった間も練習を続けて、踊りを磨いたチームに拍手をおくりました。大学チームは毎年メンバーが入れ替わるので、若々しい動きは毎年更新。シニアチーム、十年以上ひとつのチームでがんばっている人たちのイキの合った踊りも、見ごたえがあります。

 西口広場でミサイルママと待ち合わせ。ちょうど椅子がふたつ確保できたので、10時半から13時まで演武を見ました。西口のイタ飯屋でピザとスパゲティをとってシェア。ミサイルママは、毎週水曜日のジャズダンス練習のほか、第1と第3木曜日は水彩の練習。そのほか、シニア体操の会で、簡単リズムダンスを教えてほしいと頼まれ、11月には自作振り付けの「東京ブギウギ」を発表するんだ、と張り切っていました。

 15時から16時までアゼリア広場で見物。衣装工夫とかふりつけの見事さなど、見所が多く飽きません。ミサイルママが都営団地自治会の会議があるからと早めに引き上げたあと、西口駅前会場に移って、学生チームのエキシビションまで見届けました。自分でもどんだけ好きなのやら、と思います。112チームの踊り子たちは、毎月会費を払って練習を続け、自腹で衣装をあつらえ、東京までの旅費を工面し、池袋の路上で踊り続ける。その熱気が、見ているだけのこちらも元気にしてくれました。踊りだけでなく、私は大旗を振り回すのを見ているのも好きです。

 東京都知事賞(大賞)豊島区長賞遊佐町町長賞は、燦SUNでした。受賞したチームも、受賞をのがしたチームも、みなさんお疲れさん。楽しませてくれてありがとう。今回、カメラを忘れてしまい、力いっぱい踊ったそれぞれのチームの雄姿をとれなかったのが残念。

 画像借り物ですが、私が見ていた池袋西口駅前広場での大賞チーム燦SUN「祝彩」


<つづく>
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ぽかぽか春庭「秋草散歩」

2024-10-24 00:00:01 | エッセイ、コラム
20241024
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季秋を求めて(2)秋草散歩

 猛暑から一転肌寒いくらいの気温になりましたので、これはお散歩日和と都内の庭園や植物園を歩きました。



 三の丸尚蔵館から近代美術館に向かう途中にいつも立ち寄る皇居東御苑。皇居の石垣とススキの風情、秋らしい。ススキに映えるお月見だんご食べたい。

 アサザは全国的には絶滅危惧種のようですが、東御苑のアサザは池いっぱいに広がっていて、きれいでした。大切に保護されているのでしょう。
 アサザとひめこうほね
 

 庭園美術館のついでに立ち寄るのは白金植物園(国立科学博物館附属自然教育園 )まだ木立は色づいてはおらず、秋らしい風情はまだまだでしたが、楽しい散歩でした。

 秋といえばキノコ。植物園のなかにもきのこはいろいろ生えているでしょう。切り株に生えていたのはニッケイタケ(肉桂茸)。おいしそうに思えましたが、調べたら、毒ではないものの、硬くて食用にはならないと。食用になるとしても、植物園内のものは園外持ち出し禁止なので、秋の風情を楽しんでおわり。きのこ食べたい。
 

 園内の小道を歩いていると、ご婦人がいきなり「これなんの実でしょう」と、たずねてきたのですが、私も確信はありません。しかし、形が似ているので「まだ熟していないけど、あけびでしょうか」と答えました。熟すと紫色になるのですが、たぶんアケビでいいのでは。あけび食べたい。

 園内にはいろいろな木の実が見られましたが、次のも何の実やら。

 
 こんなふうに名前がはっきり書いてあるといいのですが。

 庭園美術館の日本庭園もまだ秋の風情ではありませんでしたが、静かな趣は散歩にちょうどいい。何組かのカップルがデートを楽しんでいたのが秋の風情?いやいや春夏秋冬、しっとりひそやかな庭園はデートにふさわしい。

   

 

 10月17日は、買い物から帰る道々、スーパームーンをながめて、道端のススキを心でお供えする。気はこころ。ススキに映える月見だんごを、、、あ、これもう言ったか。

 18日は練馬区立美術館へのお出かけで、yokoちゃんと久しぶりのおしゃべり。来年はシルバーパスデビューをしたいというyokoちゃんに、「シルバーパスを足として、無料施設で遊ぶ方法」の先達として、あそこもここもたくさん伝授するとはりきる。気候もよくなってきたので、秋の散歩に最適なお出かけ先もいっぱい。大音声で天下国家を語るわけじゃなく、それぞれの日常茶飯をこまごまと声に出す。こんなひとときが人生にとっては宝物。

 「19日(土)、東京都心の最高気温は30.1℃を観測し、1875年からの統計開
始以来、最も遅い30℃以上の真夏日となった」というニュース。なんと10月後半まで夏日とは。「暑さ寒さも彼岸まで」というのは、どこに行った。

 秋の深まりもこれからですが、おりおりの自然の変化を楽しんでささやかに暮らしていきたいです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「シルバー行楽奥多摩ハイキング」

2024-10-22 00:00:01 | エッセイ、コラム


20241020
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季秋を求めて(1)シルバー行楽奥多摩ハイキング

 春庭旅の目的は、1建物めぐり(擬洋館、近代洋館)2橋めぐり3滝めぐり4乗り鉄 5地方の美術館観覧、と思っていますが、都内からできるだけ運賃かけずにお出かけしたいとケチっているので、なかなか希望通りの旅にはなりません。

 吉川英治記念館へバス乗り継ぎで行こうと思っていたのですが、バス旅のコースを調べていたら、記念館主催のハイキング募集に滑り込みセーフで応募できたので、参加してきました。「バス旅・東京の西のはじへ」は、また今度。
 急遽応募を決めたのは、一人では行けそうもない「青梅一ノ滝」がコースに含まれていたからです。一の滝は2022(令和4)年3月に登山道整備が終わり、公開された高さ10mの滝です。道が整備される前までは、登山慣れしていない人は遭難の恐れもある秘境滝だったそうで、近くにある青龍寺の名から別名青龍の滝。辰年に行きたくなる場所です。

 滝を見ることのできるハイキングなら行きたい。
 二俣尾駅までの片道 千円強は散財になるけれど、私が青梅駅までの足としてバス路線をながめていた西武線花小金井駅から青梅までの最長都営バス路線で行くと、最寄り駅を始発で出ても集合時間の九時半に間に合いそうもない。都会を走るバス旅の欠点は、時間通りに運行できるかどうかわからない点。

 JRホリデー快速奥多摩に乗車。青梅終点。登山姿のおっさんや山ガールたちに交じってぞろぞろと乗り換え電車に乗ったら、大間違い。快速奥多摩駅行きでした。集合駅の二俣尾駅に快速は止まりません。10分弱待って青梅駅に戻り、二俣尾に9時28分に到着。9時半の集合時間にギリセーフ。駅前にはじいさんばあさんが集合しています。ばあさんたちと言っても、私より若い世代でしょう。受付で参加費千円払い、青梅市長の挨拶、担当者による簡単な足ほぐしの体操、コース説明。10時に出発。

 最初に奥多摩橋で上流の多摩川を眺める。


 奥多摩橋を渡り最初の立ち寄り地は不動明王のお堂。お堂へは、降雨後の濡れた急な道を登らなければならないとの説明。「無理と思う方は、ここでやすんでいてください」と指示があったけれど、御開帳の日以外は閉じられていると言うお堂の扉を特別に開けてもらいました、と説明があったのですから、お参りせねば。しかしながら宗教にうといHALなので、二礼二拍手一礼して、はて?不動明王は仏を守るのが役目。拍手はいらなかった。あら恥ずかし。初詣にもいかない宗教に遠い人間なので、どうもご利益がない行動ばかりする。次の愛宕神社は、神社というからには、こんどこそ二礼二拍手一礼。お賽銭はあげないので、たぶんご利益はない。

 いよいよ目的地の一の滝へ。滝であるから川の途中にある。川は谷底に流れているのだから、またまた急な山道を下る。こりゃ登りはえらいこっちゃ、と思いながら一歩一歩、ゆっくりと。


 一の滝は、地元では「幻の滝」と呼ばれてきたそう。国土地理院の定義では、水が崖を落ち始める滝口から滝つぼまでの落差5m以上、水が涸れることなく常に水量があること、を条件として国土地理院の地図に登録される。しかし青梅吉野郷一の滝は、落差10mで涸れることなく水量があるのに、滝までの道が整備されておらず、滝つぼへ降りられなかったからか、地図には載せられていなかった。地図にない「幻の滝」でした。


 現在は地域の「幾代会(植物観察からはじまった自然保護自然観察のボランティア)」の人々の活動などによって、滝つぼを観察できる山道もロープや手すりが整備されたので、近々地図にも明記されるようになるでしょうとのこと。

 即清寺の天井曼荼羅絵を拝観し、吉川英治と旧青梅吉野村のかかわりについてのレクチャーを受けてから、最後の立ち寄り地「吉川英治記念館」へ。

 

 私の好みからいくと滝以外の神社もお寺も、それほど見学したい場所ではありませんでしたが、幾代会のボランティアさんが丁寧に吉川英治と吉野村のかかわりについて説明してくれて、読んでもいないのに吉川文学に親しめた気がしました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「吉川英治記念館」

2024-10-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
20241020
ぽかぽか春庭アート散歩>2024建物散歩(4)吉川英治記念館

 深夜に目がさめていたとき、テレビをそのままにしていたら、「大人の人形劇」という番組になって、太原御幸の場面になった。おお、これは平家のラストシーンと思ってぼんやり見ていたら、後白河院が尼となった建礼門院平徳子を訪問する。ラストは麻鳥夫婦が吉野山の桜をながめ、平和をかみしめて平家が終わる。人形劇、リアルタイムでは見ていなかったので気づかなかったけれど、麻鳥夫婦の花見で終わるということは、この人形劇は吉川英治原作だったのかとわかりました。

 吉川英治記念館は、「来訪者減少により維持できず閉館」というニュースを見たきりで、再開館になった時期を知らなかった。青梅市が吉川英治旧宅を買い取って市営の施設にして復活しました。

 吉川英治は、敗戦前年に移住し約9年間暮らしたこの旧宅で「新平家物語」などを書きました。屋敷の旧主は養蚕農家で、英二は二階の蚕室に絨毯や畳を入れ、子供部屋にするなど改築を施しました。この母屋には「草思書屋」という扁額が掲げられています。
 国指定重要文化財旧吉川英治邸母屋「草思堂」
  

 

 元は養蚕農家だったため、二階の屋根上には蚕室の温度管理のための越屋根がついています。 
 縁側のガラス戸は、時代を示すゆがみのあるガラスです。母屋のいろりの間には、戦中戦後はめずらしかった屋内用内線電話が設置されています。文子夫人と再婚後、夫人は夫の執筆を邪魔しないよう、連絡は電話でなされた、とのガイドさんの説明。
   

 洋館は、明治時代後期に建てられました。洋館ベランダのタイルは瀬戸製
 

 洋館書斎              展示館
  

 展示館で、吉川英治の生涯をまとめたビデオなどを見て、展示室では文化勲章を眺めました。
 吉川が青梅吉野村で暮らしたあいだ、吉野村の住民税の8割は吉川英治の印税だったそうです。

 吉川文学の歴史小説、長いものが多いから、全巻読んだものはありません。宮本武蔵だとか私本太平記だとか、映画やテレビドラマで見ただけですけど、「読んだつもり」で、吉川邸の樹齢500~600年という椎の木を眺めました。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「庭園美術館建物公開2024」

2024-10-19 00:00:01 | エッセイ、コラム


20241019
ぽかぽか春庭アート散歩>2024建物散歩秋(3)庭園美術館建物公開2024

 年に何度か訪れてきた庭園美術館。夏は竹久夢二展を二度も観覧。一度目はひとりで二度目は娘と。秋は「建物公開、あかりともるとき」を第3水曜日に65歳以上無料の日に見にいきました。最寄りの目黒駅・白金台駅はシルバーパスで乗り降りできます。
 

 庭園美術館の口上
 本展は、1933年(昭和8)に竣工した旧朝香宮邸(現・東京都庭園美術館本館)の建築としての魅力を存分にご堪能いただくため、年に一度開催している建物公開展です。これまで当館では毎回テーマを設定し、様々な角度から建物公開展に取り組んでまいりました。今回は、この建物のみどころの一つとも言える「照明」に焦点を当てます。
 1920年代、滞在中のフランス・パリにて、当時全盛期だったアール・デコの様式美に触れ、魅せられた朝香宮夫妻。帰国後、最先端の技術と最高級の素材を用い、アール・デコの精華を積極的に取り入れた自邸を建設しました。フランスの装飾美術家アンリ・ラパンが主要な部屋の室内装飾を手がけ、宮内省内匠寮の技師らが全体の設計を担い、日仏のデザインが融合する形で完成した建築です。現在は美術館として活用していますが、竣工時からの改変はわずかで、当時の様子を良好な状態で伝えることから、国の重要文化財に指定されています。
 天井や壁面に据えられた照明は、旧朝香宮邸の室内空間において特に印象的な要素です。こだわりの材質やディテールがあしらわれた照明器具の多くは、この邸宅のために制作されたもので、華やかさと独自性を高めています。本展では、各室の照明に関する解説、資料を通して旧朝香宮邸の魅力に迫るとともに、同時代のランプ類を展示します。また、本館の窓のカーテンを開け放ち、自然の光を感じる空間で、宮邸時代の家具や調度を用いた再現展示をお楽しみいただきます。

 普段は作品保護のために閉じられている窓のカーテンを開け放ちます。大きな窓から望む景色とともに、旧朝香宮邸の室内装飾やアール・デコ様式の意匠、多彩な照明器具に改めてご注目ください。
秋が深まるにつれ、繊細な陽の光の移ろいを長く楽しめるしっとりとした季節です。徐々に色づき始める庭園もあわせてご堪能ください。 

 いつも窓のカーテンはきっちり閉じられ、外の景色を眺めることができませんが、今回は部屋の中から緑あふれる庭園を見ることができて、とても新鮮な旧朝香宮邸の建物見学になりました。朝香宮夫妻がパリ万博でアールデコを気に入り、朝香宮邸をアールデコの館として建設した1933(昭和8)年から90年余り。

 敗戦後、都内の主な建物はGHQに接収され、改造されてしまいました。岩崎邸の貴重な金唐革の壁紙の上にべったりとペンキが塗られてしまい、金唐革は修復不能になったのもその一例。現在金唐革の復元には1m四方で100万円かかるそうです。日本文化にまったく知識がない米軍将校の仕業、損害賠償を求めたい気分です。
 しかしながら旧朝香宮邸は、時の首相吉田茂が首相官邸として使用を決めたために、大きな損傷は免れました。

東側正面玄関              南面ベランダ側

 

 今回の展示では、復元された家具が配置され、照明具はあかあかと灯って往時をしのぶことができました。竣工なった新邸にわずか半年しか住まず、父と同じ腎臓系の病でなくなったという明治天皇第八皇女允子妃にとっては心残りだったことでしょう。現在、庭園美術館として、各部屋を観覧できること、ありがたいことです。

 朝香宮鳩彦王の書斎、居間
 

 カーテンが開けられた大食堂  復元されたワードローブのある納戸部屋
   

 普段は非公開のウインターガーデン。4階の日当たりのよいところに、冬の間の避寒の部屋として家族団らんの場所が設けられました。復元された赤いパイプ椅子、90年前の椅子ですが、とてもモダンなデザインです。私は最初にウインターガーデンを見学したとき、90年前の邸宅にどうしてこんな今どきのパイプ椅子を配置しているのかと思いましたが、朝香宮が直接注文して取り寄せた椅子とのことでした。


 日本庭園の中にある茶室「光華」も同時公開
 

 

 邸内を彩るあかりとルネ・ラリックらのアールデコ家具やガラス器はのちほどご紹介。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「横浜三塔めぐり」

2024-10-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
20241017
ぽかぽか春庭アート散歩>2024建物散歩秋(3)横浜三塔めぐり

 日本大通りの横浜近代建築めぐり。
 最初はキング。現役の神奈川県庁庁舎です。9月28日は土曜日で、土日は県庁はお休み。よって内部の見学はできませんでした。外観と玄関だけ見学。
 
   

    

 ジャックの塔。横浜市開港記念会館
 横浜市開港記念会館は、横浜港の開港50年を記念して1917(大正6)年に建てられた公会堂です。関東大震災で焼失し、1927年に再建。高さ36メートルの時計塔があり「ジャックの塔」と呼ばれてきました。1989年にドーム部分を復元し、重要文化財となりました。 



  
 
 二階講堂
 
 ステンドグラスも修理復元
 

 横浜三塔の中まで見たことがなく、ジャックの塔の中には初めて入りました。ジャックの塔の当初の建築技術などもわかりました。
 

 クィーンの塔(横浜税関資料館)
 1923(大正12)の関東大震災で庁舎が倒壊焼失し、帝都復興事業の一環として1934(昭和9)に再建。2003年に保全修復が完成。
  

 税関資料室の展示は、埋め立てて船が入れるようにして港を整備した歴史などを、ボランティア解説員に説明していました。どこかの老人会の人々が15人くらいいて、説明を聞いていたのにもぐって、いっしょに聞かせてもらいました。みな同じような爺さん婆さんですから、ひとりくらい婆さん増えても、だれも気にしません。

 第8代税関長は有島武。在任期間は、明治15年6月~明治24年7月の9年1ヵ月に及び歴代で最長。有島三兄弟(有島武郎(作家)、有島生馬(画家)、里見 弴 (作家)の父だということなど。
 輸入禁止物資の展示などもありましたが、ここらはパスして出口へ。

 キングの塔も、平日には中に入れますから、またいつか。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「旧横浜商工奨励館、開港資料館」

2024-10-15 00:00:01 | エッセイ、コラム
20241015
ぽかぽか春庭アート散歩>2024建物散歩秋(1)日本大通りの建物、旧横浜商工奨励館(横浜情報文化センター)、開港資料館

 9月28日、横浜の日本大通りをぶらぶらして、この地に残る近代建築を見て歩きました。


 旧横浜商工奨励館は、関東大震災で壊滅的となった横浜を復旧新生させるべく建てられました。1929(昭和4)年に竣工、2000(平成12)年に改修増築をほどこして横浜情報センターとなり、NHK放送センター、ニュースパーク(旧新聞博物館)などが入っています。
 設計は横浜市建築課で、木村龍雄、北川満多雄、徳永熊雄、佐藤芳夫ら横浜市建築課の技師たちの担当。建物の1階は石張、上層階は擬石仕あげ。

 旧横浜商工奨励館の正面

  
 正面後方に見える高層階は、増設された部分
  

 正面階段
 

2階階段上ロビー、貴賓室
 

旧英国領事館(横浜開港資料館)1931(昭和6年)
 
エントランス外側と内側
  

 商工奨励館のように、表層部分を残しつつ増築高層階を建て増しする方法もあるほか、横浜には、震災遺構の建築物も残されています。明治時代に建てられ関東大震災で崩壊した遺構のうち、この煉瓦遺構は、所有者の意向により、保存が決まりました。もとの「開通社」は、、横浜港から陸上される貨物の通関・発送取扱事務を営んでいた商社 だそう。1908(明治38)年に建てられたと推測され、近代建築のありようを知る手掛かりになります。

 

 日本大通りの近代建築、ハイライトは「三塔、キング・クイーン、ジャック」です。いつも通りすがりに外観を見るだけでしたが、28日、ゆっくり見学できました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「日本伝統工芸展 in 日本橋三越」

2024-10-13 00:00:01 | エッセイ、コラム


20241013
ぽかぽか春庭アート散歩>2024アート散歩秋(4)日本伝統工芸展 in 日本橋三越

 毎年楽しみにしている「日本工芸展」。日本橋三越での展示が始まり、9月19日木曜日に観覧。ずらりと並んだ力作傑作に圧倒されました。
 人間国宝=無形文化財保持者の作品もごろごろと並んでいて、値札はついていないけど、壺ひとつでン百万とかって、値段で見る癖がついているもんだから、「お手をふれないようにお願いします」と書いてあるのを見るまでもなく、うっかり触って落として割ったりしたら、一大事。撮影禁止マークのもの以外は撮影自由というので、気に入った作品にカメラを向けながら広い会場を回りました。

 
 陶磁器の作品が一番出品が多いけれど、私は自分の好みの人形と染色から見ていく。

 陶彫彩色「米芾山行」中村信喬(無形文化財保持者) 
                木芯桐塑和紙貼「春庭花」林駒夫
   
米芾(べいふつ)とは北宋時代の文人(書家画家文学者芸術全般)ですって。知らなかった。 

木芯桐塑和紙貼「あかばな」満丸正人 高松宮記念賞
                陶彫彩色「遠い地平」木佐貫倶子
  

 上布帯「夏日和」新垣幸子((無形文化財保持者)
                 
  

 絣着物「雪華」諏訪豪一 
                友禅訪問着「蔦」佐川恵  
    

 竹工芸 花籠「兆」大木淑恵 
                 煤竹文花籃「幻想」岐部笙芳           
  
  
日本工芸会木工芸 神代杉造箱 角間泰憲 文部科学大臣賞奨励賞
            截金飾筥「宙の調べ」江里朋子 日本工芸会奨励賞 
  
 栃造華文盆 川北良造(無形文化財保持者)
            からすうり蒔絵箱 中野孝一(無形文化財保持者)
  

 漆芸 金胎螺鈿蒔絵漆箱「さくら」 岸本圭司
                七宝鉢「律」安藤令子 日本工芸会会長賞
    

 さまざまな賞を得ている作品とそうではないのと、私にはどこにどんな差があるのかわからないのですが。並んでいる150点もの作品、ひとつひとつ見て回ると一日かかりそうだったけれど、どれも作家が一年かけて心をこめて作り上げたものだと思うと、さっさかさと通り過ぎるのが申し訳ないようなすばらしい作品ばかりでした。

 71回日本工芸展大賞


 現実には後継者不足などの問題もあるようで、会場の一角では染の後継者養成コースで2年かけて育てている方々の研修のようすを30分のドキュメンタリーにしたビデオが流され、研修生の作品も展示されていました。きっとこの中から育った工芸家が将来を担っていくのだと思います。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「見ることの重層展 in 写真美術館」

2024-10-12 00:00:01 | エッセイ、コラム
20241012
ぽかぽか春庭アート散歩>2024アート散歩秋(2)見ることの重層展 in 写真美術館

 写真美術館3階展示は「見ることの重層」


 写真美術館の口上
 東京都写真美術館では約37,000 点を超える収蔵作品のなかから、テーマに沿って選び抜かれた名品を定期的に紹介しています。本展覧会では、当館の所蔵する写真作品を中心に、「見ることの重奏」をテーマとして、見るということを問い直す試みを行います。
 ひとつの作品に内在する、作者や批評家、鑑賞者など、さまざまなまなざし。たとえば、写真家は制作のプロセスにおいて、ある対象を独自の方法で見つめ、それをフレーム化します。また批評家は、自身の作品の見方を言語化することで、作品を評価し、価値づけます。そして鑑賞者はそこに写されている事象と自身の個人的な経験や記憶を結びつけ、その関係性のなかで作品を見ることができます。
 このように、イメージの作り手、語り手、受け手など、その立ち位置によって、写真を見るという行為は多様なものとなります。そして見る経験は、イメージの表面上には見えない、歴史的な視点と豊かな想像力、自身の思考が重なり合い、それらを共鳴させる行為とも言えるのではないでしょうか。
 本展では、これまで語られてきた作品をめぐる言葉とともに、時代も地域も異なるコレクションが一堂に展示されます。出品作品を通して、写真を見るということについて思考をめぐらせる場となれば幸いです。
出品作家|
ベレニス ・ アボット、ウジェーヌ ・ アジェ、アンナ ・ アトキンス、チェン ・ ウェイ、スコット ・ ハイド、アンドレ ・ ケルテス、ウィリアム ・ クライン、奈良原 一高、マン ・ レイ、杉浦 邦恵、 モーリス ・ タバール、寺田 真由美、マイナー ・ ホワイト、山崎 博

 アンナ・アトキンス(1799-1871) イギリスケント州生まれ)
 アンナは出生の翌年に母を亡くしました。科学者であった父から19世紀にはまれであった科学的教育を受けて育ちました。父の博物著書の挿絵を描くなどしたのち西インド諸島で財をなしたアトキンスと結婚。子供に恵まれませんでしたが、植物標本の作製を続け、父と夫の共通の友人であるタルボットから写真技術を習いました。植物画を描くとともに、写真乾板の上に植物標本を載せ、太陽光で露出する、という方法で、植物の姿を定着した。アンナは41歳までにはカメラを所有しており、最も初期にカメラによる作品を残した女性になりました。1843年に、ウイリアム・H・ハーベイの藻類を収集した本にサイアノタイプ撮影の藻類の写真を掲載。アンナは植物標本を残すためにカメラを手にしたのだけれど、残された青い画像はとても美しい。

 アンナ・アトキンスの「ギンシダ(ジャマイカ)」


 アンナ・アトキンスは植物学研究者の間では知られていたのでしょうが、亡くなってから45年たって、インターネットの中で突然よみがえりました。2015年、アンナのシアノプリントがネット公開され、2017年にはアムステルダム国立美術館で開催された「19世紀の新しい現実の写真」展の主要作家として世に知られるようになったのです。

 私は、アンナ・アトキンスという最初の写真家となった女性をまったく知りませんでした。今回一作品だけですが、プリントを見ることができてよかったです。
 写真美術館所蔵作品以外のアンナ・アトキンス撮影作品


 牧野富三郎は、植物画を描くとき、その植物が一番美しく見える角度を探して写生したということですが、アンナもシダや藻類の姿を写すとき、一番美しく見えるように写真乾板の上にそっと乗せたのに違いない。

 奈良原一高の写真は、何度も見ています。好きな写真家のひとり。でも、「大ガラス」とタイトルをつけたマルセル・デュシャンの作品を撮影したもの、一点だけというのを見たことあるけど、数点まとめて展示してあるのを初めて見ました。 
 アメリカ・フィラデルフィア美術館に所蔵されているマルセル・デュシャンの《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》(1915〜23)を奈良原が撮影。一連の写真群は、『デュシャン大ガラスと瀧口修造シガー・ボックス』としてまとめられ、91年にみすず書房より出版されました。 

奈良原一高「大ガラス」
  
  
   
 
 マン・レイの作品は撮影不可でしたが、大半は撮影自由だったので、さまざまな写真家の作品に触れ、前回見た今村光彦の「日本の里山」展ももう一度見て、9月第三水曜日のシルバーデイを楽しみました。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「光と動きの100かいだてのいえ in 写真美術館」

2024-10-10 00:00:01 | エッセイ、コラム


20241010
ぽかぽか春庭アート散歩>2024アート散歩秋(2)光と動きの100かいだてのいえ in 写真美術館

 写真美術館、第3水曜日のお楽しみ。地下1階、2階、3階の展示のうち、2階の今森光彦「日本の里山」展は7月第3水曜日にも見たので、最後にササッと回ることにして、地 1階のいわいとしお「光と動きの100かいだてのいえ」から観覧。副題は「19世紀の映像装置とメディアアートをつなぐ」
会期:2024.7.30(火)—11.3(日・祝)

 写真美術館の口上
 人気絵本『100かいだてのいえ』の作者いわいとしおは、日本を代表するメディアアーティスト岩井俊雄でもあります。岩井は、幼少からアニメーションに強い興味を持ち、パラパラマンガや驚き盤を現代のテクノロジーによって進化させた作品<時間層>シリーズによって、独自のメディアアートを確立しました。この展覧会では、岩井のメディアアートと、その原点となる19世紀の映像装置をつなぎ、光と動きが生み出す視覚体験の面白さと、それらを作り上げた科学者や芸術家たちの飽くなき探求心を解き明かします。

地下1階エントランスの看板

 
 19世紀に写真技術が日に日に進化をとげ、光と影の表現を深めてきた歴史。パラパラ漫画から連続写真の連続上映による映画の発展。そのメディアを原点として、19世紀から20世紀の装置の再現もので、写真や映画の原理を知り、観覧者は参加型展示で遊ぶ。

入口にある100階建てのいえの立体作品


 映像装置を動かしてピアノの音を出すのなどやってみたけれど、とっても下手でした。ぽろろん素敵な音をつなぐころができる人もいるのに、私のは単音をぼん、ぼんと鳴らすのが精いっぱい。円盤を回して絵が動き出すのをスリットから覗くのも下手。

 小学生時代の工作ノートが出展されていました。いろいろな工作物のアイディアをノートに書き記し、実際に制作した作品のページには「済」と書き込まれている。


 メディアアートは、芸大卒業作品から展示があり、光と動きがくるくるチカチカ。見続けていると年寄りの目はチカチカしてくるのですが、こういう新しいアートにふれるのもメイドの土産と思って眺めました。

 スイッチをいれると人が無限にくるくる動く。


 写真や映画の原点を知り、再現された古典的な「動きを楽しむ装置」に実際に触ってみたり、最先端のメディアアートを知る。「現代アートはわからんちん」とばかり言っている老婆にも楽しいひとときでした。

<つづく>
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