春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

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ぽかぽか春庭「2021年1月目次」

2021-01-31 00:00:01 | エッセイ、コラム


2021年1月 目次

0101 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>21世紀日記新年(1)牛年の絆をあなたと
0102 21世紀日記新年(2)牛はどこまでも歩く
0103 21世紀日記新年(3)ステイホーム年年始
0105 21世紀日記新年(4)おめでとう
0107 21世紀日記新年(5)コロナ新年
0109 21世紀日記新年(6)恵比寿新年

0110 ぽかぽか春庭アート散歩>2020アート散歩回顧(1)黒田記念館&東博本館
0112 2020アート散歩回顧(2)刀剣の美 in 東博&刀剣美術館&三井美術館
0114 2020アート散歩回顧(3)北斎 in 北斎記念館
0116 2020アート散歩回顧(4)江戸の出版文化 in 東洋文庫&江戸のエナジー展 in 静嘉堂文庫美術館 &サントリー美術館
0117 2020アート散歩回顧(5)上田薫展 in 横須賀美術館&埼玉県立美術館
0121 2020アート散歩回顧(6)花・華ざかり日本画展 in 郷さくら美術館
0121 2020アート散歩回顧(7)杏咲く頃ー絵筆と歩いたシルクロード小間嘉幸絵画展 in 横浜ユーラシア文化館 
0123 2020アート散歩回顧(8)海を渡った伊万里~ロースドルフ城の悲劇 in 大倉集古館
0124 2020アート散歩回顧(9)沿線風景 in 世田谷美術館
0126 2020アート散歩回顧(10)生命の庭展in庭園美術館
2028 2020アート散歩回顧(11)朝倉彫塑館
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ぽかぽか春庭「朝倉彫塑館」

2021-01-30 00:00:01 | エッセイ、コラム
20210130
ぽかぽか春庭アート散歩>2020アート散歩回顧(9)朝倉彫塑館 

 12月9日は、朝倉彫塑館へ。上野動物園のパンダ観覧指定時間が午後3時だったので、それまでの時間朝倉彫塑館を観覧。

 娘も私も彫刻にはあまり興味がなかったのですが、旧岩崎邸を訪れたついでに、不忍池のほとりにある下町風俗資料館を観覧。資料館の前に、昔上野に設置されていた朝倉文夫の作品が置かれています。
 1946(昭和21)年に、敗戦から立ち直ろうとする日本を若者の姿を「生誕」像として制作しました。 
 上野公園入口にあった噴水とともに設置されていたのですが、地下駐車場整備のために撤去され朝倉彫塑館の収蔵庫に眠ったたままになっていました。再び日の目を見た生誕像、なんか、健全な若者を絵に描いたような。いや、絵じゃなくて彫刻なんですが。

 朝倉彫塑館にも同じ作品が入り口にありました。

 「アンチ股間若衆」の好例かも。隠さなかったのは、なぜだったのか、朝倉文夫に聞きたい気がしますが、どうも、高尚な芸術作品を見るにあたって、そこばかりに目がいくのはどうしたものか。

 朝倉彫塑館前で。 


 入り口に置かれていた彫刻「雲」 1908年制作


 屋上の上の彫刻が見えますか。
 ズームで撮ってもよくわからなかったのですが。



 屋上に出ることができます。こんな像でした。


 屋上庭園から見ると。


 玄関前におかれた群像>
 「雲」2009


 朝倉彫塑館、館内撮影禁止ですが、屋上とサンルームは撮影自由。
 サンルーム


 サンルームにあった猫の像。朝倉は猫が大好きでかわいがっていたそうです。
 猫の像と。


 朝倉彫塑館の庭園は、文夫が丹精込めたお気に入りの庭。広くはないですが、水音を楽しむという趣向もあり、心静かに過ごせる庭でした。



 庭に出ることはできませんが、室内どこからも庭を眺めることができような設計です。
 3階から倉が見えたので、ボランティアガイドさんに伺うと、倉は隣の所有だとのこと。
 私と娘は上野動物園の入場指定時間に間に合わせるような観覧になってあまりゆとりがありませんでしたが、一日とってゆったりすごすにふさわしい場所でした。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「沿線風景 in 世田谷美術館」

2021-01-28 00:00:01 | エッセイ、コラム


202101028
ぽかぽか春庭アート散歩>2020アート散歩回顧(13 )沿線風景 in 世田谷美術館

 収蔵所蔵品が何十万点にも及ぶ東京国立博物館などに比べ、雨後の竹の子のように建てられた地方ごとの市営県営の美術館は、収蔵品もそう潤沢には持ち合わせていないので、その土地にゆかりの画家の作品やその地方の景色を描いた作品を収集することが多いです。

 世田谷区立世田谷美術館も、世田谷区にゆかりの画家・造形家の作品を収蔵してきました。世田谷で生まれたとか、生涯の一時期に世田谷に住んだとか。
 2020年12月にぐるっとパスで見に行ったときの世田谷区立美術館の展示は「美術家たちの沿線物語 田園都市線世田谷線物語」

 世田谷美術館の口上
 1907年に世田谷で最初に開通し、“玉電”の愛称で親しまれた玉川電気鉄道。現在は、渋谷から二子玉川に向かう東急田園都市線と、三軒茶屋から分岐し下高井戸へと至る東急世田谷線に、その名残をとどめています
玉電”沿線では、1913年、都内初の高級分譲地である桜新町が開発されたのはじめ、1923年の関東大震災以降、次第に宅地化が進み、多くの美術家たちもまた、広い土地にアトリエをもとめて移り住みました。本展では、この沿線にゆかりの美術家たちを取り上げ、数々のエピソードとともに作品をご紹介します


 世田谷を描いた絵や、世田谷ゆかりの画家の絵が展示されていました。
 桑原甲子雄 《松蔭神社前駅》〈世田谷ボロ市〉1936


 他館からの借り物展示を撮影禁止マークをつけた上で、館所蔵品展は写真撮影可としてほしかった。
 展示室内
 

 向井純吉「新雪」

 
展示室外の壁にあった作品
 

世田谷美術館のレストラン、ル・ジャルダンでランチしようとしたら、1時すぎであったにもかかわらず、予約客以外は受け付けられないという。しかたがないから、

 世田谷美術館地下カフェのガレットランチ


 世田谷美術館内レストラン、ル・ジャルダンではランチが終わった4時すぎにようやく入店でき、アフタヌーンティを賞味。


 サンドイッチもあるティーセットなので、5時すぎまでゆっくりすごして、けっこうおなかいっぱいになり、 バスでニコタマに戻りました。

 世田谷公園の中で


<つづく>
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ぽかぽか春庭「生命の庭展 in 庭園美術館」

2021-01-26 00:00:01 | エッセイ、コラム
20210126 
ぽかぽか春庭アート散歩>2020アート散歩拾遺(12)生命の庭展in庭園美術館

 202011月12月、ぐるっとパスで都内の美術館博物館を巡って楽しみました。
 私も娘も現代美術の展示に興味はわかなかったのですが、建物だけでも見て回ろうと庭園美術館に入館。現代美術とアールデコ空間とのコラボがどんなものなのかという興味は少しありましたが。

 食堂の壁画の現代美術展示


私と娘が一番気に入った作品は、青木美歌のガラスを素材とした造形です。とても繊細な美しい作品でした。
 青木美歌「Wonder」2016(画像借り物)


 青木美歌《あなたと私の間に》 2006




 アールデコのお屋敷のあちこちに作品が置かれていました。他の現代アートが部屋から浮いていたり、そぐわない感じもする中、ガラスの作品は、お屋敷の雰囲気に合っていました。



 展示する部屋の選択は作家自身が部屋を見て決めた、ということでした。
 部屋の雰囲気とは対峙するかのように、わざと合わないようにするのも、作家の意図かも知れません。

小林正人「この星へ(ペア)」2009


 私と娘は「わからん」と思いながら通りすぎた部屋も多かったです。
 香水塔の間に置かれた山口圭介「花箱」は、カセットテープケースひとつひとつの中に造花が入れてあり、それが無限に並べられている作品です。こちらはまあ、見れば花が入っているのだし、作者の意図も感じられて、現代美術わからん者にも受け入れやすかった。



 普段は閉められている部屋のドアが開いているので、何かなと覗いてみると


 ここにも作品が展示されていました。


新館の第2展示会場の写真は撮影OKでした。


 娘は、部屋のインテリアなどを楽しんですごしました。アールデコの意匠は、何度見ても新鮮な美しさを感じさせます。

 玄関タイルと室内のタイル


 階段の飾り


 階段上の灯り


 シャンデリアなどのインテリア製品は複製復元が多いですができる限り戦前の宮家時代の写真などをもとに再現されています。


 このお屋敷での現代美術展示、ミスマッチが新しいというところなのでしょうが、どうにも新しい感覚についていけない老母老嬢でした。
 閉館時間まで観覧していたので、併設レストランは閉まっており、目黒駅まで歩いて晩ご飯を食べて帰りました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ちひろ美術館&林芙美子記念館」

2021-01-24 00:00:01 | エッセイ、コラム
20210124
ぽかぽか春庭アート散歩>2020アート散歩拾遺(10)ちひろ美術館&林芙美子記念館

 私は何度目かの、娘ははじめてのちひろ美術館訪問。上石神井駅から住宅街の中を歩きました。いわさきちひろの住居兼アトリエのあった跡地に美術館が建てられています。



 ちひろ美術館の展示は、ほとんどはコロタイプ複写の展示です。原画が戦後の紙質の悪い時代のものが多く、展示していると光の影響なので色が劣化する恐れがあるからです。
 むろん「本物を見た」という感激も大事です。普段は複写を常設で展示しておき、特別な機会を設けて本物を見せる。

 ちひろの絵は、もともと絵本などの印刷のための絵ですから、複写に向いています。
 子どもの絵は、ちひろにもっともふさわしいテーマです。さまざまな子どもの絵が残されています。どの絵もちひろが子どもに向けるまなざしが感じられます。

 今回、ちひろの年譜を読み、戦争前のちひろのつらい時代について知りました。
 ちひろは20歳のとき、長女として婿養子をとるように、という両親に従い結婚しました。夫の任地満州に渡ったのですが、夫との仲は深まりませんでした。夫の自殺という事態となり帰国。両親が開拓民として暮らしていた安曇野へ。安曇野にもちひろ記念館が建てられています。

 ちひろは希望を求めて共産党の勉強会に参加します。
 ちひろ27歳の自画像は、強く暗い意志を感じさせます。



 ちひろ30歳のときに共産党勉強会で、若手弁護士の松本善明と出会います。
 一人息子が生まれた後、収入のない夫を支えるために絵本の挿絵画家として子供を養育するお金を稼ぐ。子供は安曇野の両親に預けて、仕事の手があくと息子に会いに出掛ける日々でした。 
 息子をそばに置きたくてもかなわない、という心の寂しさが、ちひろの子どもを描く絵に反映しているように思います。ちひろの子どもの絵には子どもに注がれるあたたかい目とともに、子どもの寂しさや悲しさも感じさせる描写であるように思います。決して無邪気に遊び回るだけではない、子どもの静かな喜びと悲しみが伝わってきます。

 上石神井駅に戻ると、娘が地図を見ながら「この沿線の駅に林芙美子記念館もあるから寄っていこう。いまからだと閉館時間ぎりぎりだけど」というので、中井駅で降りました。

 林芙美子記念館は、小説家・林芙美子(1903~51年)が1941(昭和16)年から1951(昭和26)年に亡くなるまで住んでいた家がそのまま残されている建物です。
 1930年から新宿区落合に住み、1939(昭和14)年に島津製作所所有地を購入し山口文象の設計によって数寄屋造りの平屋建の「生涯の家」を建てました。当時の建築坪数制限のため、芙美子名義の母屋(接客用、老母の部屋)と緑敏名義の芙美子書斎と夫緑敏のアトリエの別棟を2棟建てました。
 芙美子の戦中戦後の著作が書かれた書斎が残されています。

 
 紅葉と芙美子記念館


 アトリエ部分に入室し、ビデオを視聴しました。芙美子がラジオ番組収録のために若い女性に「これからの女性の生き方」について講演しているようすが流されていました。若い女性の質問に答えて「やりたいことをやればいいだけです」と答えていました。
 まだまだやりたいことができない社会情勢であるから、その女性も「どう女性が生きて行けばいいのか」と質問したのでしょうに、芙美子にとっては「今やりたいことをやればいいだけ」と答える強さがありました。

 『放浪記』に書かれた極貧の時代にも、芙美子は「書きたいことを書く」という意志を貫きました。

 「貧乏を売り物にし、パリ洋行を売り、戦争中は戦地ルポを売りまくった」と非難の声が山ほどあったことなど、芙美子自身はものともしませんでした。森光子主演の舞台『放浪記』にも、芙美子が雑誌掲載のチャンスをつかむために、友人の原稿を意図して投稿しなかったエピソードが描かれています。

 人気絶頂の流行作家として急死した芙美子の葬儀で川端康成は弔辞で「あなたは多くの人に恨まれて憎まれていたけれど、今は安らかに眠ってください」と述べるなど芙美子への毀誉褒貶は「葬式の場でわざわざ故人への悪口を並べなくても」と思うほどのもの。

 戦後、人気女性作家が数多く輩出されました。しかし、現在もまだ読者を失わないのはそう多くはありません。芙美子人気は、菊田一夫と森光子の力もあったかもしれませんが、こうして記念館で芙美子の書斎を眺めていると、どんな悪評にもめげず書き切ったお芙美さんから元気づけられたような気になります。

 「やりたいことをやればいいだけですよ」と、さらりと若い女性を前に語った林芙美子の声には、自分の生き方への自信に満ちていました。 
 一人息子が母の遺品を守ってきた松本家に対して、林芙美子は一人息子(養子)も早く亡くなったためもあるのでしょう、直筆原稿などの遺品は記念館にそう多くは展示されていませんでした。

 芙美子が来ていた衣服の展示もありました。昔の人ですから、小柄です。
 芙美子パネルといっしょに写真撮影。等身大だとすると、私よりずっと小柄だったのかとおもいます。
 
画家と作家、ふたりの女性の生涯を娘とたどった一日、ゆったり暮れていきました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「海を渡った古伊万里 in 大倉集古館」

2021-01-23 00:00:01 | エッセイ、コラム


20210123
ぽかぽか春庭アート散歩>2020アート散歩回顧(6)海を渡った伊万里~ロースドルフ城の悲劇 in 大倉集古館

 大倉集古館が改修を経て再オープンしてからずいぶんたつのに、ようやく改修後の観覧をしてきました。
 当初2020年11月3日(火祝)~2021年1月24日(日)であった展示期間は、緊急事態宣言を受け1月11日までで終了となり、12日から休館。12月中にみておいてよかった。「海を渡った伊万里~ロースドルフ城の悲劇」展を12月16日に観覧。この展覧会は以下に巡回されます。

愛知県美術館(2021/4/10-6/13)
山口県立萩美術館・浦上記念館(2021/9/18-11/23)



大倉集古館の口上
  オーストリア、ウィーン近郊にたたずむロースドルフ城には、古伊万里を中心とした陶磁コレクションが多数所蔵され、かつてそれらは城内を美しく飾っていました。ところが、第二次世界大戦後の悲劇により、陶磁コレクションの大半は粉々に破壊されてしまったのです。本展では、佐賀県立九州陶磁文化館所蔵の古伊万里の名品とともに、ロースドルフ城の陶磁コレクションと破壊された陶片を展覧し、さらには、日本の技術により修復した作品などを初公開いたします。

 展示の順路最初は、古伊万里の華麗な作品。展示室の中央に、ソ連兵の暴虐によりめちゃくちゃに破壊された陶磁コレクションの再現。次に日本の陶磁修復技術者によって修復した古伊万里の展示。
 ロースドルフ城の陶磁器コレクションが破壊されていたことも知らなかったし、日本の技術者が修復してきたことも知らなかったので、多くの知見が得られとても見ごたえがありました。古伊万里の数々、美しい陶磁器でした。 

 ロースドルフ城には、破壊された陶磁器をそのまま展示してあります。(画像借りもの)


 修復前の砕けた写真と修復後の作品がならべてあり、いったいどこをどう継いだのかわからない、というくらい完璧な修復技術にびっくりしました。時間もたいそうかかったことと思いますが、日本の技術のすごさに感嘆しました。

 娘とビデオを見ました。一部ではあるでしょうが、修復作業のようすが録画されていました。
 ソ連兵に破壊され、割れた皿の写真。


 修復を受け、蘇った皿。見事です。


 ロースドルフ城での破壊された陶磁器



 割れた皿の展示。


 九州陶磁器美術館のコレクション
 色絵花鳥紋蓋付き壺(1860-80年代 有田窯)

色絵幔幕桜牡丹紋瓶(1700-30年代 有田窯)


 色絵花鳥紋角瓶(1870-90年代 有田窯)金属の蓋と台座はヨーロッパで付け加えられ、ポプリ入れとして使用された。




 染付唐草文大皿(17世紀中頃に制作された大皿。有田窯)


 娘が一番気に入ったのは、中国の美人を模して有田で焼かれた皿の絵、美人は日本風美人になって作られていたことです。中国陶磁器の美人を模した日本の皿の模様が、日本風美女になっているのが一番好き、という感想です。文化がこのように往来を重ねながら進展しているようすがよくわかります。


 改修後の大倉集古館はテラスに出られるようになっていました。




 大倉集古館の前にあるホテルオークラで、「レイトランチセット」を食べて帰りました。
 娘はパスタセット、私はロールキャベツセット。



 いつか、古伊万里のお皿にお料理を盛りつけして食べてみたいけれど、今のところは100円ショップのお皿でもいいかな。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「杏咲く頃絵筆と歩いたシルクロード小間嘉幸絵画展 in ユーラシア文化館」

2021-01-21 00:00:01 | エッセイ、コラム


20210121
ぽかぽか春庭アート散歩>2020アート散歩回顧(9)杏咲く頃ー絵筆と歩いたシルクロード小間嘉幸絵画展 in 横浜ユーラシア文化館

 ロイヤルウィングクルーズに行った日、馬車道から大さん橋まで歩く途中にユーラシア文化館と開港記念館があるので立ち寄りました。ユーラシア文化館で開催されていた「小間嘉幸絵画展ー杏咲く頃― 絵筆と歩いたシルクロード」を思いがけず観覧し、とてもよかったです。

 入り口に掲げられたパルミラ遺跡の写真


 小間嘉幸氏(1929~2012)は群馬県富岡市出身。東京で中学校の美術教師として教壇に立ちつつ1972年から約30年にわたりシルクロードを旅して、中国、中央アジア、西アジア各地の風景やその土地の人々を描き続けました。小間が描いた作品の中には、アフガニスタンのバーミヤン大仏やシリアのパルミラ遺跡のように戦乱によって失われた貴重な遺跡のかっての姿がとどめられています。
 横浜ユーラシア文化館は2019年に遺族より作品の寄贈を受け、今回の展覧会となりました。
 文化館所蔵品となったので、写真撮影OKですが、著作権は遺族にあります。「©KOMA NORIKO」を明記するように、という注意書き。(いろいろなサイトを眺めたが、コピーライト表示をしていないところがほどんどでしたが、以下の絵のすべて、©KOMA NORIKOです。

 失われた遺跡の光景を描きとどめたということももちろん大事ですが、日本画平山郁夫のシルクロードともまた異なる小間嘉幸の独自の世界が表現されていて、とても魅力のある絵でした。

紹介ビデオの中で 娘さんが「NHKのシルクロードの番組を見ていたら、画面の中に絵を書いている人が写されていて、遠景から人物が大写しになると、それがお父さんだったので、お父さんだお父さんだって、家族で大騒ぎした」と、語っていました。

 中学校の美術の先生をしながら、夏休みなどを利用して中国、パキスタン、トルコなどシルクロードの旅を30年続けたという画業のあり方。売れる絵を描くのではなく、描きたい絵を好きなように描くために、美術教師という生活を支える仕事を堅実に続けながらこつこつと描き続ける、そういう人生もいいなあと感じました。家族の生活をきっちりと支えた生涯だったからこそ、遺族は画商に売り出すなどの作品の散逸を招くことをせず、ユーラシア文化館というふさわしい場所にまとめて残すことを選ぶことができたのだと思います。

第1章 シルクロードを描く―中国から西アジアへ―
 小間は、1979、1984、1991、1996に中国を訪れ、スケッチや作品を残しています。

 北京・故宮(紫禁城)


 「火焔山」

 1985の俳句雑誌「寒雷」の表紙に使われた絵。中国トルファン盆地にある500mの丘陵が、日に染まると真っ赤に燃え上がるように見える。

 「火焔山とラクダ」


 「莫高窟」(火炎山近くのベセクリク千洞仏)


 「アブンババイヤ」

  1972年にヤ俳人加藤楸邨を案内してウズベキスタンの首都タシケント旧市街の広場を描きました。加藤の記録によると、電車に乗って旧市街へ出向いたとあります。
 
 「タシケント、サマルカンドの丘」


 小間は1973年1976年にアフガニスタンを旅行をしています。
 1976年に描いたバーミヤン磨崖仏。2001年にイスラム勢力タリバーンによって破壊されました。


 第2章 シルクロードの人々に出会う
 シルクロードの人々を描いた小間のあたたかいまなざしを感じました。

 「高昌故城の女性」

 
 「ウズベキスタン・タシケントのバザール」。露天商の人々


マザリシャリフの巡礼(アフガニスタンの聖地へ向かう巡礼者たち)


 マザリシャリフのブルーモスクへ詣でる巡礼者


 マザリシャリフの楽師(伝統楽器ルバブを弾く)


 埋葬 葬儀に集まった人々


 「遺跡に立つ」 カブールにあるシェール・ダルワーザ山の前に立つ男


 「ベドウィンの女達」1980年代末に訪れたシリアやレバノンで出会った遊牧民ベドウィンの人々は、テントを家として遊牧を続けていました。


 「カブールの女達」


 楽士

 
第3章 絵筆が遺した遺跡の風景
 「パルミラ遺跡」1992年にシリア・レバノンを旅し、パルミラ遺跡を描きました。


 イラン・クセルクセス門 寒雷400号記念号の表紙に使用


 ポスターとなった「杏咲くころ」


 杏咲くころと私


 小間嘉幸さんの絵、もともとシルクロードが大好きなこともありますが、とても心にしみるよい絵だと感じました。絵をご寄贈くださったご遺族にも感謝。

(おまけ)11月21日・22日に開催された「第1回 横浜ユーラシア・スタチュー・ミュージアム」。アマビエに扮したり緑の木に扮したりした大道芸の人々が、じっと動かずに彫刻のように立っています。私と娘はユーラシア文化館と開港記念館で「狼執事」さんに、出会いました。スタチューさんは、じっと動かず彫刻のように立っているので、最初は人形かと思います。しかし、ある瞬間少し動くのでびっくりします。その芸に投げ銭したら、いっしょに写真を撮ってくれました。狼執事さんが持つティーポットの蓋に「ありがとう」と書いてありました。
 

<つづく>
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ぽかぽか春庭「花・華ざかり日本画展 in 郷さくら美術館」

2021-01-19 00:00:01 | エッセイ、コラム


20210121
ぽかぽか春庭アート散歩>アート2020回顧(4)花・華ざかり日本画展 in 郷さくら美術館

 2021年11月29日日曜日は、東横線中目黒駅へ。 
 娘はこの駅に降り立つのは初めて。私は何度か降りたことがあります。旧千代田生命本社ビル(1966村野藤吾)を見るためです。

 この建物は、千代田生命倒産のため売却され、目黒区役所に生まれ変わりました。千代田生命本社のときは、生命保険にも入っていない私には縁遠い建物でしたが、目黒区役所となれば、おおやけの建物。だれでも入れます。もちろん、パブリックスペースへの転換のためには大改修が必要でした。たいてい、このような改修は不評に終わることが多いのですが、この目黒区役所は評判がいい。それじゃ物見高く見に行かねば、と、何度か出掛けました。戸籍謄本など、郵送でも申し込みが出来るのに、わざわざ目黒区庁舎に取りにいったのです。

 今回の中目黒駅下車は、郷さくら美術館へ行くため。
 郷さくら美術館東京館は、2012年に開館。昭和生まれの日本画家の作品を中心に収集されています。4室のうち、3つは季節ごとのコレクション作品、一つは美術館の名前のとおり、さまざまな画家によって描かれた桜の日本画が入れ替わりで展示されています。館内禁止マークがある絵以外は撮影自由。

 牧 進《三春瀧櫻》2000年

水谷興志「吉野にて」2003


 林 潤一《四季樹花図》2001年



 中島千波《白麗花》1993年


 小倉亜矢子《燃えんとす》2017年


 岩永てるみ「薔薇のノートルダム」2019


 森田りえ子「秋華」の前で

 郷さくら美術館入り口


 はじめて訪れた郷さくら美術館。住宅街の中にある小さな美術館ですが、きれいな花の絵、堪能しました。花の命を映し出そうと、画家は描写に命をかけたのだろうなあ、と思いました。
 同時に、毎年行われているらしい、館主催の日本画コンクールに入賞したりするとホテルのロビーなんかに飾られる大作壁画や屏風絵の注文が来たりするのだろうなあと、若手日本画家の作品を見ながら感じました。
 決して人間存在の不安をかき立てたり、自分の立ち位置の不安定さをさらに揺るがせるように、そういう種類の絵ではなく、つまり、ホテルなどに集まる多種多様な人が心地よく感じられるような美しい花の絵。心地よい絵も必要です。ホテルロビーには。

 今やムンクの「叫び」のイラストついた文房具だのハンカチだのが売られている時代ですから、1枚の絵を見ることによって世の中ひっくり返ったりはしない時代ですけれど、絵を見ることによって心になにものかが与えられるとはどういうことなのか、ということを自分に問いかけながらの鑑賞となりました。

 渋谷と吉祥寺を結ぶ線、渋谷駅コンコース壁を岡本太郎の「明日の神話」の大画面が飾られています。朝夕通勤に急ぐ人々の足は絵の前で立ち止まることはありません。
「明日への神話」。第五福竜丸のビキニ沖核実験による被爆で被災し、原爆症を発症した乗組員が亡くなりました。岡本太郎は核保有核実験への怒りを込めてこの絵を描きました。
 しかし、この絵が話題になったのは、「核への怒り」のためではありませんでした。メキシコのホテルに買われてからホテルの倒産によって行方不明になり、20年以上かかってようやく存在が突き止められた、という劇的な再発見話が話題をさらったのです。
 「明日への神話」の右下に福島原発爆発への怒りを込めてチムポンが付け加えた絵も、その怒りの表現は考慮されず「公共のものを傷つけた」という理由で撤去されました。
 ピカソの「ゲルニカ」も、スペイン戦争の争いよりも、今ではピカソがこの絵を描いていたときにふたりの愛人が絵の前で鉢合わせして大げんかしたことが有名。

 絵を描く行為には、美しい物を表現したい人も人間存在の奥底を見つめたい人も、さまざまあるでしょう。きれいなきれいな花の絵の前で、絵が人に与えるものについて思い巡らしながら、歩きました。

 そして、帰りは生まれてはじめて代官山という駅におり、おしゃれなカフェを横目に、餃子王将で晩ご飯。なんだか気分を代官山っぽくしたいからと直径2センチで一個250円ほどのチョコレートを6粒買い、家で娘と「高いね、たかいね」と言いながら食べました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「上田薫展 in 横須賀美術館&埼玉県立美術館」

2021-01-17 00:00:01 | エッセイ、コラム

 上田薫展埼玉美術館ポスター

20210117
ぽかぽか春庭アート散歩>2020秋アート散歩(1)上田薫展 in 横須賀美術館&埼玉県立美術館

 横須賀美術館は2007年の開館。横須賀市制施行100周年記念事業のひとつとして建てられました。
 私は東京から離れたところだと群馬県立美術館とか埼玉県立美術館などは生まれた土地仕事をしてきた土地なので、ゆかりを感じて美術館を訪れる機会もありましたが、神奈川だと葉山にある神奈川県近代美術館や鎌倉の文学館などのほかはあまり出かけたことがありませんでした。
 横須賀にも、市立美術館が設立されたことをようやく知りました。13年もたっているのに。
 建物は、「山本理顕設計工場」です。

 これまで私が「これを見逃してなるものか」と思うような展覧会がなかったこともこれまで横須賀まで足を延ばさなかった理由のひとつです。
 今回、私ではなく娘が「絶対にこの絵を見ておきたい」という展示があり、一緒に行くことにしました。
 写真の登場以後、「リアルに描くことはどういう意味があるのか」という気持ちを持ちつつ、娘の希望に従うことにして横須賀美術館入館。

 上田薫展 横須賀美術館ポスター


 上田薫の「超リアリズム絵画」。
 時間の流れの中の「一瞬を切り取る」という超絶テクニックで描いた絵画を、「現代美術も抽象画もようわからぬ。具象やリアリズムがいい」という娘にとって、「驚愕の超リアリズム」だったのです。

 生玉子A1975群馬県立近代美術館


 生玉子C1976東京都現代美術館


 皿の上の玉子のカラ


 私は「ホキ美術館」を2度訪ね、リアリズム絵画を見てきました。
 私はホキ美術館で「超リアリズム絵画」の数々、「写真以上にほんものそっくり」という絵をたくさん見ました。「そっくりに描いても写真を超えられないものが多い」と感じる作品もあったし、写真以上にリアルという作品もありました。

 でも、リンゴを本物そっくりに描いた絵を見るなら、絵を見ないで、リンゴをテーブルの上に置いて眺めていても同じではないか、という思いが消えていなかった。木枠でフレームを作っておいてりんごを2個並べて、おけば同じじゃないかと。
 ホキの展示では気に入った作品もあったのですが、リアリズムの「本物そっくり」というのがあまりピンときていなかったのです。「反リアリズム」への気分も残っていました。

 「写真以上にほんものそっくり、写真以上にリアル」という絵もあるし「そっくりに描いても写真を超えられないものが多い」と感じる作品もありました。
 
 スプーンのジャム1974東京都現代美術館


 上田薫のハイパーリアリズム。サラダが本物のサラダ以上にみずみずしくおいしそうに見えたこと、リアルな絵の中に確かに画家の精神が見えたこと、リアリズム絵画をどこか「写真の亜流」のように思っていたことが間違いだったことがわかりました。

 最初に「上田薫、制作を語る」というビデオを見ました。私も作者についてぜんぜん知らなくて、NHK「日曜美術館」の「展覧会紹介」で作品のいくつかが紹介されているのを見ただけ。娘は「あれ?薫って名前なので女性画家だとばかり思っていた」上田薫は92歳のおじいさんでした。


 埼玉美術館による上田薫紹介
上田薫(1928~)は、写真を使って対象を精巧に描き出す画家です。 殻からつるりと落ちてくる、なま玉子、スプーンですくい上げられたアイスクリーム、泡、水の流れなど、流動する世界の“一瞬”を切り取ったかのような作風で知られています。 東京藝術大学で油画を学び、卒業はグラフィック・デザイナーとして活躍しました。しかし、1970年頃から再び絵筆をとり、対象を克明に描き出す絵画作品を発表して、高い評価を受けます。 鮮やかな色彩と精緻な描写によって、動きの中の“一瞬”を捉えた緊張感あふれる作品は、さまざまな写実表現が注目を集めた2000年代以降の美術の動向の中でも、不動の位置を占めています

 生玉子G1976愛知県美術館


 絵を描くことを趣味のひとつにしている友人ミサイルママに上田薫を見てもらいたいと思い、巡回展が開かれている埼玉美術館へいっしょにでかけました。私は2度めの上田薫ですが、ミサイルママはホキ美術館へも観覧に行ったことがあるリアリズム絵画好きですから、楽しんでもらえてよかったです。
 
泡k1981水戸市立美術館
 

 スプーンのイチゴ1975豊橋市美術館


 一番おいしそうと思ったのは、サラダ。
 サラダE2014


 リアリズムのすごさを知った上田薫展でした。

 展示のようす



 横須賀美術館の撮影OKコーナーで


<つづく>
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ぽかぽか春庭「江戸の出版文化 in 東洋文庫&江戸のエナジー展 in 静嘉堂文庫美術館 &サントリー美術館 」

2021-01-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
20210116
ぽかぽか春庭アート散歩>2020アート巡り拾遺(3)江戸の出版文化 in 東洋文庫&江戸のエナジー展 in 静嘉堂文庫美術館 &サントリー美術館

 2020年11月12月、せっせとぐるっとパス利用を続けました。浮世絵をまとめて掲載しておきます。江戸東京博物館の浮世絵。江戸の出版文化 in 東洋文庫&江戸のエナジー展 in 静嘉堂文庫美術館。そして2021年1月観覧のサントリー美術館で見た浮世絵をメモしておきます。


 江戸東京博物館江戸ゾーン展示の浮世絵。見にいったのが11月11日だったから、11月の行事を描いた浮世絵が多く展示されていました。

 歌川広重 東都年中行事十一月浅草とりの市(1854)

 (絵の説明には「とりのまち」となっていました。英文説明ではAsakusa Tori no ichi Fair となっていたので、とりのいちのほうがいいと思います。Fairを訳して「まち」にしたのかもしれないが)
 でも、渓斎英泉の十月とりの市は英語は同じTori no ichi Fairなのに、「とりのいち」と訳されていて、学芸員のミスか、説明文を作った人のミスか。細かいところを気にする私も私。

 渓斎英泉 十一月 とりのいち


 歌川広重(3代目 186)幕末の子供たちの遊びを描いた「子をとろことろ」私は小学校でこの遊びを校庭でやりましたが、今の子ども達はどうでしょう。


 鳥居清長1782~84頃)「当世遊里美人合 辰巳艶」


 六義園で紅葉を見ようかと出掛けた先、紅葉はイマイチでしたが、六義園のそばにある東洋文庫で開催していた「江戸の出版文化展」は、なかなか見応えのある展示でした。
 木版の錦絵も瓦版も、江戸の人々の文化度を高めたと思います。明治初期に来日した西欧人が、「日本では人力車夫さえ、待ち時間のヒマを惜しんで新聞を読んでいる」と驚いた日本の識字率の高さ、江戸以来の出版物になれている民衆の姿が「日本は文化度の高い国だ」という西欧の認知に繋がったと思います。

 東洋文庫を創設した岩崎家。三菱創業150周年の記念展示を やっていました。


 江戸の出版文化、文字だけの本も浮世絵も展示されていましたが、文字だけの展示は、娘と眺めて「読メネー」
 
 伊勢物語


 変体仮名読み練習の演習では「伊勢物語」を読んだはずなのに、冒頭の「むかし をとこありけり」は読めるけれど、「京にありわびてあづまに、、、、はて何だっかしらん」もう、絵だけ見ることにしました。

 「日本書紀」慶長勅版(後陽成天皇の勅命により出版されたもの)


 やはり、冒頭の「古、天地いまだ分かれず陰陽混沌として、、、」昔、古事記卒論書いたとき日本書紀は書き下し文で読んだきりだからなあ。江戸の人たち、愛書家だったらこれくらいの漢文は読めたのだろうなあ。
 あとは、絵だけ見ていきました。
 
 歌川広重「近江八景」1834年刊行

 歌川広重「丸木橋を渡る女たち」


 鳥居清長「芥川」(「桂川連理柵」の心中場面を伊勢物語芥川の場面になぞらえて絵にしています)
 

 静嘉堂文庫


 江戸のエナジー展
 静嘉堂は、こちらも岩崎家の創設。東洋文庫同様、三菱創業150年の記念展です。東洋文庫の江戸の出版文化展と共通しているテーマ「江戸のエナジー展」
 

 

 英一蝶「朝暾曳馬図」江戸時代17世紀

 

 静嘉堂の庭は多摩の崖線を利用した高低差がある庭園だったので、足下を気にして私はロビーでビデオを見て待っており、娘だけがお庭散策。

 ビデオは、岩崎家4代がコレクションをどのように続けてきたかの来歴でした。



 三菱も経済界では自動車は不振だし、ロケットやミサイル製造もうまくいかず、苦戦中みたいですが、岩崎4代が代々残してくれた「お宝収集趣味」のおかげで、こうしてぐるっとパス利用で見て回れる。

 こうした社会貢献ができてこその金持ちである。自分のためだけに設けたお金を使う成金がいたら、軽蔑されてしかるべき。社会のため、とりわけ、貧乏な日本語教師のために寄付してこその金持ちといえる。こころある金持ちは、そこんとこよろしく。

 静嘉堂文庫にはカフェ併設がなかったので、ニコタマに戻ってお茶しました。


 東洋文庫ではのカフェオリエントでランチできました。
マリーアントワネット弁当を食す。どこがマリーアントワネットかというと、弁当箱の蓋が、マリー愛用の祈祷書のデザインを用いているのですと。




<つづく>

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ぽかぽか春庭「北斎 in 北斎記念館」

2021-01-14 00:00:01 | エッセイ、コラム

 神奈川沖浪裏

2021114
ぽかぽか春庭アート散歩>2020のアートシーン(2)北斎 in 北斎記念館

 11月11日に大相撲を見る前に、同じ両国駅から行く場所なので、北斎記念館へ立ち寄りました。

 私の世代の美術好きの多くがそうであるように、絵を見ることが好きになった中学生以後、印象派以後の近代絵画から見始めました。子供のころは、「浮世絵の美女も風景もなんだか古くさい感じがするなあ」と思っていました。

 浮世絵を見るようになったのは、ゴッホやマネの絵の中に浮世絵の模写があったり、ジャポニズムについて知って、浮世絵が西洋絵画へ大きな影響を与えてきたのだと言うことがわかって以後。西洋経由で浮世絵の価値を知ったのは残念なことですが、桂離宮の美を日本人が知ったのもドイツ人ブルーノ・タウトの賞賛と西欧社会への紹介を経てのことですし、中学生ごろから浮世絵が大好きだった、という人、あまり知らないです。
 ともあれ、江戸が浮世絵文化を持っていたこと、喜ばしいことです。

 中でも、「ビッグウエイブ」の絵は「レオナルドのモナリザ&ムンクの叫び」と並んで、世界中の誰でも知っている3つの絵、として知られています。ビッグウエイブ、正式名は神奈川沖浪裏」です。
 北斎は、「この千年の間に世界に影響を与えた人物100人」の中に、日本人としてただひとり選ばれています。ライフ誌が1999年に選出した「20世紀に最も影響を残した、1000~2000年間の人物100人」の中に選出されました。(この企画は人気記事となり、以後は毎年「今年最も影響力を与えた人物100人」が発表されています)

 北斎美術館。両国駅から数分歩いた先にありました。
 北斎館


 墨田区亀沢あたりは葛飾北斎が生まれた土地です。何度も引っ越しを繰り返しましたが、生涯をこの区域で過ごしました。エントランスに墨田区の地図があり、北斎が住んだ地、ゆかりの地が示されていました。

 館内撮影OK。入り口の上部に「須佐之男命厄神退治図」コロナ退散の願いを込めた展示です。インクジェット複製。原画は関東大震災で焼失し、美術雑誌掲載の写真から推定復元。素戔嗚尊が疫病神を退治する絵は、牛島神社に奉納されました。コロリ(コレラ)などが流行った江戸では人々の信仰を集めたことでしょう。スサノオさん、コロナも退治してください。

 須佐之男命厄神退治図(1845)


 賀奈川沖本杢之図(1804-07頃)


 富嶽三十六景甲州石班沢(1831)


 百物語さらやしき(1831~32頃)


 芥子(1833~34)


 諸国瀧めぐり下野黒髪山きりふりの滝(1833頃)


 「うゑかえどき 小野小町」(1835~36頃)「花の色はうつりにけりないたづらに~」の絵解き


 北斎の版画、江戸時代から人気作品で、何度も刷り返されているので、初刷りと後年の摺りでは色合いが異なっていたしますが、北斎館の収集は質が高いものが多いと感じました。

 北斎と娘の応為(お栄)が狭い部屋で画業に励むようす




 北斎館と両国駅の間に、「Ori」という店があります。北斎の版画を精巧なジャガード織りで織りあげてあります。

 一番大きな「神奈川沖浪うら」は、ひとつ20万円。とても買えないから、牛すじ煮込みのランチをいただいたあとひとつひとつ織り上がっている作品を見せてもらいました。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「刀剣の美 in 東博&刀剣美術館&三井美術館」

2021-01-12 00:00:01 | エッセイ、コラム
20210112
ぽかぽか春庭アート散歩>2020アート散歩回顧(2)刀剣の美 in 東博&刀剣美術館&三井美術館

 アートは原始の壁画から現代美術まで何でも見たい春庭ですが、何度見ても「ようわからん」と思うのが刀剣です。
 刀の波紋にいろいろな模様があることはわかるのですが、全体として刀は刀という以外の細かい差はわからず、どんな名刀も銘を見なければ区別がわからぬ。

 武具を美々しくしつらえるのは、どの文化でも同じで、武具に呪術性精神性を持たせて神への捧げ物にするのも同じ、ということまでは理解できますが、それを純粋な美として鑑賞する感受性を持ち合わせなかった。

 東京国立博物館の国宝 三条宗近(三日月宗近)平安時代に鍛造された名刀。


 東博でも刀剣美術館でも「刀剣女子」たちは「刀剣乱舞」のファンらしく熱心に刀の写真をとっていました。
 刀剣乱舞では三日月宗近はこんなイケメンに擬人化


 重要文化財 粟田口由光(岩切長束藤四朗)鎌倉時代中期に鍛造


 刀剣乱舞だとこんな姿に


 太刀 正恒 鎌倉時代初期 重要文化財 


 刀剣美術館で


刀剣美術館の建物


 三井記念美術館の入り口にある刀剣乱舞のパネルといっしょに写真がとれるコーナー


 いっしょに撮りました。


 三井記念美術館の入り口の中側


<つづく>
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ぽかぽか春庭「黒田記念館&東博本館」

2021-01-10 00:00:01 | エッセイ、コラム


黒田清輝「瓶花(菊)」1912(明治45)年

20210110
ぽかぽか春庭アート散歩>2020アート散歩を振り返る(1)黒田記念館&東博
本館

 2020年11月12月2ヶ月間に、無料の美術館公開とぐるっとパス利用(99館分の入場券と割引券がついているチケット集)で、30館ほどの美術館博物館めぐりをしました。2ヶ月で30館、記録です。娘と一日に午前午後ふたつの館をめぐるハードスケジュールでした。

 怒濤のアート散歩記録を2021年1月2月に続けますので、絵に興味ない方には退屈かもしれませんが、さらっと絵だけでもながめていただければ幸いです。って、いつもの記事でも文章は読まれていなくて、さらっと画像だけ見られているサイトですけれど。文章も読んでくださる奇特な方、ありがとうございます。今年も娘が評する「固くて面白くともない文章」を続けます。

 11月3日文化の日は一般人も東京国立博物館が無料になります。私は「70歳以上常設展はいつでも無料」を利用して、本館は「国宝室展示替え」ごとに本館常設展を見ていますが、娘は何か特別展があるとき以外に東博に来ないし、特別展の日は特別展を熱心に見ただけで疲れてしまい、本館の常設展を見に行く力が残っていない。
 そこで、今回は常設展だけ見る、そのかわり、普段は足を延ばさない黒田記念館も見てみる、ということにしました。

 黒田記念館も「だれでもいつでも無料」なのですが、いつ訪れても観覧者は少ない。
 11月3日は、特別室が開室されていたので、私も久しぶりに「真善美」の3点セットや美術教科書の展示「湖畔」を見ることができました。写真撮影は本館と同じように、撮影禁止マークがついていない作品はフラッシュなしでとることができます。

 黒田の絵について特に好きだとも思ってこなかったのですが、「写実」ということを考えているところだったので、以前見たときよりも心に響きました。

 トルコ帽子の自画像1889(明治22)


 真善美


 舞子


 案山子1920(大正9)


 「読書」と私
 

 黒田記念館前


 「何が描かれているのかわからない絵は嫌い」という現代美術嫌いの娘も、黒田の写実はわかりやすかったので、気に入った作品の絵ハガキを買っていました。

 東洋館のレストランで五目麺を食べてからゆっくり本館を回りました。
 今回の本館。子ども達がアートを楽しむための企画展が本館1階でありました。
 アートが身近であるものであり、楽しめるものだということを子ども達にわかってもらい、アートは楽しいな、という思いを持って育ってほしい、というプロジェクトです。館内でおしゃべりしていると係員からこっぴどく叱られるというような美術館でなく、いろいろな仕掛けで面白がってもらおうという企画、続けてほしいです。
 面白企画のひとつとしてデジタルアートや高性能精細複製の作品が出展されていました。たとえば、酒井抱一の夏草秋草図では、風が吹いて草がゆらゆら揺れているデジタルアートになっていました。

 以下の屏風。国宝の酒井抱一「夏草秋草図屏風」と国宝「納涼図」、複製ですが、私のような近眼&老観の者には両方並べられているとしても違いがわからないかも。ただし、「本物を見た」という感動も大事なことなので、本物は期間限定で展示し、ふだんは複製を出しておく、というのもいいんじゃないかしら。作品劣化を防ぐことと、子供にも日本の至宝に親しんでもらうために、複製展示してほしい。

 



<つづく>

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ぽかぽか春庭「恵比寿新年」

2021-01-09 00:00:01 | エッセイ、コラム

 恵比寿ガーデンプレイスのタワー38階から見る富士山

20210109
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>2021二十一世紀日記新年(6)恵比寿新年

 例年であれば海外で新年を迎える旅行を楽しんだり、一家総出で温泉に泊まったり、一族そろって昔ながらの伝統行事を営んだり、さまざまなお正月があったことでしょうが、今年ばかりは5人以上集まっての会食は自粛。
 我が家は2日夜に夫娘と私でお雑煮を食べたほかは、お屠蘇も祝わず柏手もうたず。

 3日、恒例だった「写真美術館で雅楽を聞く」が中止だろうなあとは思いながら、もしかしたら開催かもと、淡い期待で恵比寿に出かけました。思ったとおり雅楽はやっていませんでした。毎年、写真美術館の研究者学芸員のひとりが所属している雅楽の会がめでたい曲を披露してきたのを、お正月の楽しみのひとつにしてきたのですが。

 こちらは例年通り、2階展示室と3階展示室が「正月恒例無料開室」になっていたので、ゆっくり見て回りました。写真観覧の報告はまたのちほど。

 恵比寿の年末年始恒例のバカラシャンデリアも日の光に輝いていたし、恵比寿タワー38階から富士山を眺めることができたし、よいお正月だった、と思うことにします。
 七福神恵比寿様も、昨年よおくお祈りしてきた大黒様も、我が家をお守りくださると信じて。

新年3日のバカラシャンデリア



 我が家の正月恒例駅伝応援は。夫母校、12年ぶりの優勝。我が母校、一応シード内。娘母校、優勝候補のひとつという前評判はどこへやらシード落ち。娘悔しがる。という結果。録画しておいたものをディレイ再生で見ているので、応援の念が時空を超えて届かなかったからだ、やっぱり早起きしてリアルタイム応援しないと勝てない、という娘に、同じく録画視聴でも夫母校は最後の最後で追いついて一位になったのですから、あまり応援の念に差は無いと思うのですが。

 4,5日は、家でまったり。6日は、六本木のミッドタウンへ。サントリー美術館のリニューアル記念展第3部を見るためです。
 1月8日にも緊急事態宣言が出されるというニュース。今回はお酒を伴う飲食の場での営業時間短縮が中心とのことで、前回のようにエビデンスもなしに学校も図書館も美術館も閉鎖されたというむちゃくちゃな事態にはしない、ということらしく、美術館は閉鎖にならないだろう、と予測はしました。が、万が一の美術館閉鎖に備えて1月6日にあわててサントリー美術館に出掛けてきたというわけです。
 2021年最初の行楽。このあとどんなイベントが、どれだけできることでしょう。

 去年サントリー美術館の年間パスポートを買ったのは、リニューアルオープンコレクション展の第3部、すなわち現在の展示を見たいからでした。年間パスポートだから第1部と第2部も見に行きましたが、今回の展示を見ないでは何のための年間パスポートだか。
 娘が見たがったエミール・ガレのガラス器展示も薩摩切子展示もとてもよかったです。後ほどご報告。

 サントリー美術館観覧のあとは、お決まり休憩。併設カフェの不室屋で私はランチセット、娘は車麩のフレンチトーストとドリンクのセット。
 おいしくいただき、今年の出足も順調です。


 息子へのおみやげは、不室屋のおすましセットとミッドタウン内で買ったウナギ弁当。チーズケーキ。

 どうか、皆々さまによい2021年でありますように。
 1月7日初出勤で働き続けます。

<つづく>

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ぽかぽか春庭「コロナ新年」

2021-01-07 00:00:01 | エッセイ、コラム

20210107
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2021に十一世紀日記新年(5)コロナ新年

 ときおり「このサイトの人気記事」という欄をスマホで見ます。自分の記事の中で、誰かが検索したりして見てくれた記事がランキングされています。
 春庭サイトの人気記事はだいたい同じものがあがってきます。おおむねテレビドラマ関係かエロ用語が含まれている記事、日本語関係記事では熟字訓クイズと和製片仮名語が人気。
 なぜこれがこんなに検索でひっかかるのか不明、というのもありますが。

 中国ドラマに関連して「瓔珞の史実」「武則天の髪かんざし」、これはテレビでの放映がある限り検索に引っかかるでしょう。

 絵画鑑賞記事のうちエロ語が含まれていると、検索にかかるらしい。一番多いのは「草間彌生の芸術チンチ ン」。東京近代美術館にある草間の作品の写真がUPされています。
 ミケランジェロ「ダビデ」のレプリカ像について書いた「古今若衆」は、美術学者木下直之の著作『股間若衆―男の裸は芸術か」(日本各地の若者立像の股間がモロ出しではなく、それとなく布地で隠されてきたこと、に対する論考)に対して、春庭のオマージュとして、恵比寿にあるダビデ像レプリカの写真を掲載し、論考の中心部を拡大教授講演して載せたってものなんですけど。
 みんなどんだけチンチンが好きなのやら。

 同類として「コッドピース」についての解説文もよく検索される。西洋絵画に描かれてきたコッドピースについて論考したコラムです。コッドピース、西洋において男性のその部分をより大きく見せるための袋状のおしゃれグッズです。2018-03-04 の記事ですので、興味を持たれた方はどうぞ、カレンダーから飛んでください。

 「概念美少女」などの会田誠やバルチュスも同じ類いの検索にひっかかるらしい。エロはかくも偉大なり。私はエロのためにUPしたのではなく、あくまでも美術鑑賞記録として載せた記事なんですけれど、、、、。

 2013年1月正月の記事が人気記事になっていたので、いったい何を書いたのやらとエゴリサーチ。7年も前の正月記事、すっかり忘れています。
 正月元日から7日まで日にちごとの有名俳句を順番に並べた記事でした。
 その中に、自作のよれよれ歌も載せていて、自分でもこんなこと詠んでいたんだとびっくり。

 再掲載します。自分でも忘れていたのだから、他の人が覚えているはずもなく、まあ、いつもの「書くことないときはコピペでごまかす」のひとつです。

・芋も好き餅も好きなり今朝の春体重計を新調せむとて(虚子の本歌取り春庭)
・年立つや自転車でいくシャッター街大売り出しはまだ先のこと(春庭)
・正月の番組に笑う声のして団地の窓は同じ形ぞ(春庭)
・元旦の厚き新聞広げては、電子ブックの広告を見る(春庭)
・街歩きの果てジュピターの輝ける1月の空希望はあるか(春庭)
・蓬髪のままに迎えし新年よ今年は彗星めぐる年とふ(春庭)
・初風は団地広場に凧をあげベランダに立つ蓬髪に吹く(春庭)
・初日記未知のページの白(ブランク)の希望という名の行間数える(春庭)

 コッドピース記事を自己検索していたら、啓蟄駄歌も発見。
2018年
・啓蟄も春分もなく労働は裁量制なりぢっと手を見る 春庭
・啓蟄の丸の内線もほの暗き穴より出でて四谷に止まる 春庭

2021年新作は「コロナ新年」。
・平穏な日の復活はいつになるアマビエに祈るコロナ退散
・巣ごもりの正月鬼滅の刃にて変異型遺伝子とふ切って捨てたい
・夏までの終息願う夏まではじっと静かにしていますから
・コロナ禍に逝きし人々の転生は蓮華童子と信じて祈る
・太陽のコロナであれば人々に熱と光を与えるはずだが

いわさきちひろ 牛と子ども達


<つづく

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