春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

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ぽかぽか春庭「2024年6月目次」

2024-06-30 00:00:01 | エッセイ、コラム

20240630
ぽかぽか春庭2024年6月目次

0601 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記5月(1)やっちゃんと上野科学博物館
0602 2024二十四節季日記5月(2)大哺乳類展
0604 2024二十四節季日記 5月(3)渋谷で虎に翼展

0606 ぽかぽか春庭アート散歩>2024ア―ト散歩5月(1)エミール・ガレ展in 松濤美術館
0608 ぽかぽか春庭アート散歩>2024建築散歩5月(1)白井晟一の松涛美術館

0609 ぽかぽか春庭アート散歩>2024アート散歩6月(1)テルマエ展 in 汐留パナソニック美術館

0611 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2014二十四節季日記6月(1)浜離宮
0613 2024二十四節季日記6月(2)旧新橋停車場歴史展示室 蒸気機関車

0615 ぽかぽか春庭アート散歩>2024アート散歩6月(2)歌と物語の絵― 雅やかなやまと絵の世界 in 泉屋博古館
0616 2024アート散歩6月(3)近代の日本画 in 五島美術館

0618 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記6月(3)認知症検査
0620 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記6月(4)免許書き換え高齢者講習 in にこたま

0622 ぽかぽか春庭アート散歩>2024アート散歩6月(4)生誕140年 YUMEJI展 大正浪漫と新しい世界 in 庭園美術館
0623 2024アート散歩6月(5)レガシー ―美を受け継ぐ モディリアーニ、シャガール、ピカソ、フジタ in 松岡美術館
0625 2024アート散歩6月(6)唐三彩 in 松岡美術館
0627 2024アート散歩6月(7)天空の贈り物-かかがや展 in そごう美術館

0629 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記6月(5)やっちゃんと上野散歩
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ぽかぽか春庭「やっちゃんと上野散歩」

2024-06-29 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240629
ぽかぽか春庭日常茶飯事典歩>2024二十四節季日記6月(8)やっちゃんと上野
散歩」

 4月にやっちゃんと科博にいったとき、6月末からやっちゃんの古い友人の絵が展示される公募展が始まるので、入選した絵を見に行こうと招待券をもらいました。6月23日から開催のされていた日本水彩展に26日出かけました。東京都美術館。

 日本水彩展は、1913(大正2)年に石井柏亭、南薫造らによって創設され、水彩専門の画家の公募展です。創立111年目という今年は、700名前後の入選者の作品が、第1室から27室まで上下二段に100cm 以上150cm以内という大きさの規定があるキャンバスがずらり。

 水彩画の団体だということでしたが、油彩っぽい絵もあるので、尋ねたところ、水彩と言っても最近はほとんどアクリル絵の具で描くので、水で溶けば水彩っぽく、塗り重ねれば油絵っぽくなるのだそう。
 油絵っぽいのは、「不透明なガッシュ風」だそう。ガッシュというのがなんだか知らんが。と思うとすぐ調べる。ガッシュとは私が知っていることばグヮシュ(グアッシュ)と同じでした。英語発音と仏語発音の違い。透明水彩絵具は糊成分が多いために絵具の透過性が高まり、顔料が多く糊成分が少ない不透明水彩絵具がガッシュ。なるほど。絵のことなんも知らんと見ている私も、ひとつおりこうになりました。

 やっちゃんは、リアル写実の絵がお気に入りで「写真みたいだ」と見入っています。鮮やかな緑陰も棚田も、藁屋根が崩れかかっている古い農家も、それぞれに描いた人の心をとらえ、みないっしょうけんめい描き、年に一度の公募展に応募する。入選を生きがいにしている人たちが、こんなにたくさんいるんだなあと、絵心のない私は、絵が描ける人がうらやましい。

 111年の伝統がある水彩画団体。700ものキャンバスは具象が9割。抽象やモチーフを構成した絵が1割。人物画も、バレリーナを描いても外国の女性を描いても美しい。しかし、700の絵の中に、心をわしづかみされるほどの衝撃はありません。どれも清く正しく美しい。

 やっちゃんの絵を見ての感想でいちばんおもしろかったこと。滝の絵の前で。
「カナダのなんたってけ、滝を見にいったことあるんだ」
「ナイアガラだね」
「うん、滝のうんと近くまでボートで近づけるツアーがあったんで、友達といっしょに滝つぼまで行って、ざあざあしぶきを浴びた」
「びしょ濡れになるのがウリだからね」
「旅行のときはいつも老人用の紙パンツをはいて、お下の失敗に用心していたけど、このときしぶきでパンツが水たっぷり吸っちゃって、ぶよんぶよんパンパンにふくらんだ」
「高吸水性ポリマー ってやつだね」
「ボート下りてトイレに駆け込んで履き替えたけれど、あんなに膨らむとは思わなかった」
 しーんとした水彩画展示の室内ですから、大声で笑うのは遠慮しましたけれど、美しい滝の絵を見て思い出すのが、パンパンにふくらんだ高吸水ポリマーパンツの思い出とは、いつも愉快なやっちゃんです。 

 東京都美術館のレストランは、満席。しばらく待っていましたが、やっちゃんに「少し歩くけれど、芸大の食堂に行ってみよう」と提案。芸大の学生はみな金持ちだから、値段の安い楽食部は、12時でもすいています。たぶん、オークラ運営のお高いレストランのほうが混んでいる。やっちゃんはカルボナーラう、私はひよこ豆カレー。ふたりで1250円。

 ランチ後、芸大美術館は休館中でしたが、陳列館で日本画第二研究室の毎年の展示という「素描展」を観覧。普段の授業で課題として描いた素描、研究室旅行でのスケッチなどが出展されていました。

 こちらも、上手ではあるけれど、さらっと通り過ぎていくきれいな絵。私は革命革新好みのレボリューション婆ですから、公募展700の力作水彩画にも、新進気鋭で学んでいるであろう日本画の学生たちの絵にも、さっぱり心うごきませんでした。

 私が好きな会田誠も山口晃も、芸大在学中は油絵でした。日本画の学生、奮起せよ。レボリューション婆の度肝を抜いてほしい。

 芸大から西洋美術館へ。65歳以上は無料で観覧できる常設展。やっちゃんはたくさん絵を見てお疲れ気味でしたが、いざ入館すると、やけに熱心に見て回っていました。さっさと歩いて、いすがあると座ってぼうっとしている私と大違い。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「天空の贈り物-かがや展 in そごう美術館」

2024-06-27 00:00:01 | エッセイ、コラム

20240627
ぽかぽか春庭アート散歩>2024アート散歩6月(7)天空の贈り物-かかがや展 in そごう美術館

 横浜そごう美術館で「天空の贈り物 KAGAYA星の世界」展へでかけました。私も娘も「KaGaYa」というのが何であるかも知らなかったのだけれど、ぐるっとパスで入場できるから行く気になりました。日本の月周回衛星通称「かぐや」の名は知っていたので、天空の写真展ときいて、かぐやから撮影された月や星の写真かなと思ったのです。

 KAGAYAは、フォトグラファー名、アーティスト名で、本名は加賀谷譲。どうして本名が世に知られたかというと、1993年に発見された小惑星「小惑星番号11949」が2003年に「kagayayutaka」(KAGAYAの本名フルネーム)と名付けられたから。KAGAYAさんに敬意を表しての発見者からの命名だそうです。 
 今まで名前に気づかずに天体写真として見たことがあったのかもしれませんが、アーティスト名を意識してアートとして見たのははじめてでした。

展示室内


 美しい写真の数々。全写真撮影OK、SNSへのUPもOKでした。
1 四季の星空 2 月のある空 3 オーロラ 4 天の川を追う星の旅 5 天空を映す 6 一瞬の宇宙
という章立てになっていましたが、映像作品に出たり入ったりしながら見たので、展示順ではなく、行ったり来たりしながら、気に入った星空を撮影させてもらいました。

「ハルニレの木と天の川」
「ひまわりと天の川        「ヒマワリに振る雪」
 
「銀河のほとりで ウユニ塩湖」
 
月虹(月光でできた虹)と銀河  タウシュベツの橋(廃線になった鉄道橋)
 

  

 
海の写真も撮っているKAGAYA

 映像作品は、AとBは新作の「天空の贈り物10分」とC旧作「一瞬の宇宙/天空賛歌」
 新作は、世界各地日本各地の星空がいっぱいに広がる映像で、床には波が打ち寄せる映像もあり、娘は「ソアリンみたいで世界中旅した気分で楽しかった」と言っていました。


 かえりは、そごうの10階レストランで「牛タンみやぎ」の牛タン定食。私はレディスセット(サラダ、牛つみれスープ、牛煮込みシチュー、ミニとろろ、牛タンと牛肉焼き、麦ごはん」という盛沢山。チケット提示サービスで生ビールを飲み、おなかいっぱい。
 帰り道から見上げると、ほぼ満月の十四夜月。メイキング映像では、KAGAYAさんのたくさんの機材と、いい映像がとれるところまでどこまでも進んでいく姿をみたので、コンパクトカメラじゃ無理と思い、明日の夜、家のベランダから撮ろうと帰宅。しかしながら、十五夜の土曜夜は雨でした。映像作品のタイトル「一瞬の宇宙」が示すように、天体写真のシャッターチャンスは一瞬の出会いなんだなあ、と思います。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「唐三彩・古代中国のフィギュア in 松岡美術館」

2024-06-25 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240625
ぽかぽか春庭アート散歩>2024アート散歩(4)唐三彩 in 松岡美術館

 松岡美術館2階第3室は、中国陶器をテーマごとに入れ替えつつ展示していますが、現在の展示は「唐三彩・古代中国のフィギュア展」。
 唐三彩は皿や椀にも優れた作品が作られてきましたが、人や牛馬などの形を模した陶器もすばらしい作品が数多く残され、展示されていました。

「唐の美女」
 
「唐の美少女」 

 死後も仕える役人
墓を守る武人、武神
  

 駱駝と駱駝使い
 


 馬
  

 踊る馬 皇帝などの前で、音楽に合わせて馬にダンスをさせる芸能があった
  

 テレビの中国歴史ドラマ『武則天』を全話楽しみました。主人公ウーメイニャンが馬を乗りこなしているのをみたとき、他の妃たちは馬に乗ったりしていなかったので、これはドラマだから、ウーメイニャンが若いころから積極的なはつらつとした女性であることを示すための演出だろうと思い込んでみていました。平安時代の宮廷女性が十二単に身をつつみ、部屋から一歩も出ずにくらしたように、同時代の唐の宮廷女性も、花園を散歩するくらいしか動くことはしなかったのだろうと。しかし、今回の唐三彩フィギュアに騎乗美女が展示されているのを見て、唐時代の女性が騎乗するのは、特別珍しいことじゃないのだ、と納得。
   

牛車

 唐三彩のフィギュア展、生き生きと表現された馬も駱駝も面白かったです。出土品は唐時代の権力者や金持ちが、死後も使用人や美少女小間使いや馬に囲まれて豊かな暮らしを続けるために副葬品として墓に持ち込んだものです。思いのままのフィギュアに囲まれて、千年の眠りはここちよい夢にみちていたでしょうか。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「レガシー ―美を受け継ぐ モディリアーニ、シャガール、ピカソ、フジタ in 松岡美術館」

2024-06-23 00:00:01 | エッセイ、コラム

20240620
ぽかぽか春庭アート散歩>2024アート散歩(3)レガシー ―美を受け継ぐ モディリアーニ、シャガール、ピカソ、フジタ in 松岡美術館

 私が足の骨折で出かけないでいた間、娘はひとりで松岡美術館に行ってみたけれど、あまり好みのコレクションじゃなかった、と言います。1階のエジプトの出土品も、アフガニスタンなどの仏像も、2階の中国陶器コレクションも、ピンとこなかった、というので、19日水曜日、私ひとりで松岡美術館へ。ぐるっとパス利用。

 松岡美術館の口上
 松岡美術館のコレクションから、パリに集った多くの異邦人からなるエコール・ド・パリや、前衛的な表現を探求したフォーヴィスムやキュビスム、シュルレアリスム、そして日本からパリに渡った作家たちの作品など、20世紀初頭のパリで生まれた多彩な表現を紹介します。
 20世紀初頭、新たな表現の探求の口火を切ったのは、フォーヴ(野獣)と評された作家たちでした。彼らの激しい筆致で描かれた作品は、驚きと動揺をもって受け止められました。客観的にリアルに描くという西洋絵画の伝統からの離脱を印象派からさらに推し進めた彼らは、その後、それぞれに表現を探求することになりました。
 本展では、フォーヴィスムに大きな影響を与えた新印象派の画家、ポール・シニャックとアンリ=エドモン・クロッスの作品を起点に、モーリス・ド・ヴラマンクやキース・ヴァン・ドンゲン、ラウル・デュフィら、フォーヴと呼ばれた作家たちの作品が紹介されます。

1 規範からの解放
 1905年にサロンドートンヌから新しい表現が出発しました。野獣のような荒々しい色彩とけなされた彼らは、のちに「野獣派」と名乗りをあげます。シニャックなどの新印象派から出発し、さらにおのおのの色彩をつきつめていきました。

 シニャック「オレンジを積んだ船マルセイユ」1923

キース・ヴァン・ドンゲン「マヨルカ島の女」1911-1912

ルイ・ヴァルタ「黄色い背景と大きな花束」

ラウル・デュフィ《信号所》1924年

2 西洋の外側へ

3 パリの日本人
  日本人アーティストが我も我もとパリをめざしパリの滞在を経験せぬもの芸術家にあらず、というような時代もありました。
 取り上げられているのは、藤田嗣治、田中繁吉、平賀亀祐、山下新太郎、角浩。第二次大戦後、パリへ渡った画家は、200人以上いるそうです。

4「 エコール・ド・パリ 
 母国を離れ、パリに集まったアーティストたちが、洗濯船や蜂の巣と呼ばれたボロアパートに集い、刺激しあいながら自分のめざすの芸術を探求しました。

 モイーズ・キスリング「シルヴィー嬢」

モーリス・ユトリロ「モンマルトルのジュノ通り」1926頃「モンマルトルのキュスティーヌ通り」1937頃
 
ユトリロ「モンマルトルの迷路」1942 

5 女性作家の登場
シュザンヌ・ヴァラドン「コンピェーニュ近くの古びた製粉所(オンワーズ県)」 1914

マリーローランサン「帽子をかぶった少女」1,924  「若い女」1937
   

 2階エレベーターわきで


<つづく>
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ぽかぽか春庭「生誕140年 YUMEJI展 大正浪漫と新しい世界 in 庭園美術館」

2024-06-22 12:00:01 | エッセイ、コラム

20240622 
ぽかぽか春庭アート散歩>2024アート散歩6月(3)生誕140年 YUMEJI展 大正浪漫と新しい世界 in 庭園美術館

 竹久夢二、それほど好きでもなかった。伊香保にある竹久夢二美術館も、一度も見たことがない。2千円以上は高いと思うので入館がむずかしい。

 岡山の夢二のふるさとに建つ夢二郷土美術館が、長く行方不明とされてきた油彩画「アマリリス」の発見新収蔵されたのを機会に、夢二郷土美術館に先立って庭園美術館での公開となりました。東京での先行公開のほうが、メディアで取り上げられる宣伝効果が大きいからと思われます。
 庭園美術館での今回の展示作品187点のうちの186点が、夢二郷土美術館コレクションです。
 第3水曜日65歳以上無料の日に、無料を利用しないと損した気になる貧乏性によって観覧。撮影OKの版画や雑誌挿絵原画もかなりありました。
 
 庭園美術館の口上
 「大正ロマン」を象徴する画家であり、詩人でもあった竹久夢二(たけひさ・ゆめじ)。
 1884(明治17)年に岡山県で生まれた夢二は、正規の美術教育を受けることなく独学で自身の画風を確立し、「夢二式」と称される叙情的な美人画によって人気を博しました。
 グラフィックデザイナーの草分けとしても活躍し、本や雑誌の装丁、衣服や雑貨などのデザインを手がけ、暮らしの中の美を追い求めました。
夢二の作品は、没後90年を経た今もなお多くの人々を魅了し続けています。
本展は、生誕140年を記念して、最新の研究に基づく新たな視点からその生涯をたどります。
 このたび発見された大正中期の名画《アマリリス》、滞米中に描かれた貴重な油彩画《西海岸の裸婦》、そして夢二を看取った友人に遺したスケッチ帖や素描など、初公開資料を含む約180点の作品を夢二郷土美術館コレクションを中心にご紹介します。
 世の中のさまざまな価値観が劇的に変化しつつあった20世紀前半、時代の立役者となった竹久夢二の魅力を存分にご堪能ください。

 1914(大正3)年、夢二は自らデザインした封筒や千代紙をはじめとする文具・小間物類を販売する「港屋絵草紙店」を開店しました。商品の広告チラシには「可愛い」という言葉が用いられ、当時の女性たちの心をつかみ、憧れの的となりました。夢二の可愛いデザインは約100年を経た今もなお、私たちを魅了し続けています。本展では時代を経ても色褪せない夢二の魅力をご堪能いただきます。
。  
港屋封筒 「桜草」「蔓草」「きのこ」大正前期 

 夢二郷土美術館所蔵 幻の名画《アマリリス》公開!
長らく所在不明であった油彩画《アマリリス》が、近年の調査により発見されました。夢二の油彩画は現存するだけでも約30点と少なく、本作はその来歴も含めて大変貴重な作例といえます。本展は、発見後、東京で公開・展示する初めての機会となります。また《アマリリス》に加えて、貴重な油彩画を多数展示し、これまであまり紹介されてこなかった油彩画家としての夢二の一面に迫ります。
 
 夢二の展覧会は、昭和の乙女たちにも大人気だったそうです。


 展示は、5章で構成されています。
1章 清新な写生と『夢二のアール・ヌーヴォー』 
 「アマリリス」は、1919年に展覧会に出された後、夢二が約3年間滞在した東京都文京区の菊富士ホテルに寄贈。44年に閉館した後、アマリリスは所在不明になっていました。菊富士ホテルは、大正昭和に芸術家や文士が宿にしていた本郷菊坂に建っていたホテル。の一昨年、同館が購入した。
文人集まる「菊富士ホテル」 当時の夢二を語る人々 
 菊富士ホテルは、大正から昭和にかけて名だたる文士や芸術家が暮らし夢二も投宿していました。世話になった謝礼としてアマリリスを贈ったとも、溜まった宿代が払えずに宿代としておいていったともいわれています。2022年に夢二郷土美術館が購入したあと5日のみの公開ののち、一般公開はこの庭園美術館が初公開となります。
 入館すると大広間に設置された壁に「アマリリス」が、最初に目に入ります。本郷菊坂の跡地の石碑には止宿者として坂口安吾や谷崎潤一郎とともに夢二の名もある。
 今回の目玉作品で、ポスターもこの絵がメイン。 

 夢二は長く画壇には評価されてきませんでした。今でいうテキスタイルデザインやグラフィックデザイン、浴衣や帯の柄、雑誌の挿絵や表紙、封筒や便箋の絵柄。売るために何でも手掛けた表現スタイル。従来の画壇の重鎮からは「所詮、売り絵の描き手であり、芸術ではない」と軽んじられてきたからです。現在のようなテキスタイルやグラフィックも含めて、アート作品として認められる世になって、「おんなこどもの好売り絵」という評価が変わってきたのです。
 みなとや版千代紙「桜草」「蔓草「きのこ」
  



・2章 大正浪漫の源泉──異郷、異国への夢」
 私が夢二を好きでなかったのは「世の中で好まれる、うつむいた儚げな女性像」「美しくたおやかな触れれば消えてしまいそうな少女像」が気に入らなかったからです。「自立してこそ女」と60年前の女子高で息巻いていた少女には、ロー・ルクセンブルクのような戦い抜いた女性こそが美しい、と思っていたから、夢二的少女は、当時の演歌に出てくる「捨てられてもじっと耐えてあなたを待つわ」的な女性と同じように、蹴とばしてやりたいくらいに思っていました。

 女性像の変遷。 今、耐え忍んで着てはもらえぬセーター編むのも、落ち葉の舞い散る終着駅で過去から逃げるのも、あなた好みの女になりたいと歌うのも、みんな昭和の男たちが抱く幻しの女性像にすぎず、そんな女はいないからこそ、男たちは昭和のスナックで幻想の女の歌に聞きほれたのだとわかってきました。「あなただけが頼りなの」なんてうつむき加減で上目遣いができた女性たちのしたたかさを、見上げる思い。自立自立といいながら、「高齢貧困者」になっている自分に「アホやったな、あんた」と同情する。

 「アマリリス」1919(大正8)は、当時の恋人であったモデルのお葉を描いた油彩。ハイカラな花であったアマリリスをお葉の髪飾りのように配し、テーブルにはコーヒーカップ。モダンな雰囲気をちりばめ、異郷へのあこがれが醸し出されています。本を膝に載せているお葉には、知的な雰囲気も出してほしかったのでしょうね。顔の大きさに比べて、手が大きすぎるように感じます。独学で洋画を習得した夢二とはいえ、人体デッサンなどは学んだとおもうのですが、手前に置かれた手を強調したのはなぜか。「従来、美人画といえば手足は小さめに描く」というセオリーであったのに、手を実際より大きめに描き、しかも左手人差し指と小指は、70代の私の指が変形性関節症のために少々曲がっているように、曲がっています。お葉の手を、大きな手曲がった指として描いたのは、夢二のどんな意識があったのでしょうか。他の挿絵や表紙絵など、どの女性像も別段手を大きくは描いていないので、気になりました。

「一座の花形」木版みなとや版 1916(大正5)ころ
 


3章 日本のベル・エポック──『夢二の時代』の芸術文化
 西洋文化取りいれに沸き立った明治後半から大正モダニズム時代の大衆文化。外国曲や日本の名歌などの楽譜を千点も出版したセノオ楽譜の表紙絵にも、モダンなイメージが表され、夢二は270点の表紙絵を描きました。「セノオ楽譜」は、妹尾幸陽が日本や外国の数々の名歌と名曲を紹介するために出版していた楽譜集。夢二の作詞した「宵待ち草」の表紙も描いています。

 「ヴェニスの船唄」1925(大正14)
  

 屏風「憩い(女)」昭和初期


 大正期終わりの夢二の仕事として、関東大震災直後に東京の町をスケッチがあります。NHK「英雄たちの選択」で夢二の大震災スケッチを取り上げたのに、録画しそこねたのですが、竹久夢二伊香保記念館で10月15日まで震災スケッチの展示があるというので、機会があれば見にいきましょう。
    

4章 アール・デコの魅惑と新しい日本画──1924-1931年

 「湖畔舞妓図」昭和初期     「立田姫」1931(昭和6)
  

5章 夢二の新世界──アメリカとヨーロッパでの活動──1931-1934年

 初公開のスケッチブックで晩年の夢二に迫る
夢二は、晩年の1931(昭和6)年から約2年間、欧米各地を巡る旅に出かけます。1930年代前半は、モダンな芸術と都市文化が急速に発展する一方で、ナチズムが勃興する不穏な時代でもありました。夢二は欧米滞在中の出来事を多数のスケッチとして残し、その一部は友人の手元に残されました。本展では初公開となるスケッチ帖を紹介します。

 晩年になって、長年の夢だった外遊を果たします。しかし、帰朝後わずかな年月でなくなることとなり、欧米滞在の成果が十分に残せたとはいえない心残りがあったことでしょう。

 今まであまり好きではないと思ってきた竹久夢二。夢二郷土美術館の180点余りを見て、お、これは竹久夢二伊香保記念館へも行こうかという気になりました。めでたし。

エントランスで

新館で


<つづく>
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ぽかぽか春庭「免許書き換え高齢者講習 in にこたま」

2024-06-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240625
ぽかぽか春庭アート散歩>2024アート散歩6月(4)免許書き換え高齢者講習 in にこたま

 6月17日、認知症検査OKだったので、さっそく運転講習の予約へ。18日朝から、いちばん交通の便がいいと思った日の丸自動車学校は、9時半の受け付け開始からずっとかけ続けても、「ただいま電話が込み合っていますのでおかけなおしください」ばかりで、10時半に「本日の受付終了しました」の録音音声に変わっておわり。恵比寿ガーデンプレイスの42階から見えるでっかい赤い球を載せている自動車学校の中に入ってみたかったのですが、残念。

 しかたないので、二子玉川の自動車学校にかけたら、「本校の高齢者講習は10月まで予約が入っております。ただし、本日キャンセルが一件でましたので、本日午後3時なら受付できます」というラッキーなお知らせ。大雨予報ですが、これをのがしてなるものかと、予約をして出かけました。

 3時集合に集まったのは5人の高齢者。ひとりはルイヴィトンバッグのシルバーグレイマダム。99歳の母親のために運転は必要不可欠なのだそう。あとは、ポロのポロシャツ禿爺さん、細い縞にハイビスカス柄が浮かんでいる爺さん、紺のポロシャツ爺さんは2月に認知症検査を終えて以来、高齢者講習を申し込み続けてようやく予約がとれた、という爺さん。5人のうち3人がキャンセル待ち滑り込み、という。高齢者講習は狭き門なのだと知る。今日キャンセルが出たのは、警報級の大雨が降る、という予報のためでしょう。雨の日はすべりやすくころびやすい。うかうか外出すると転んで寝たきりになるので、家族と暮らす高齢者だと、外に出るのを止められる。

 10分程度の実車講習、座学での「高齢者に多い事故の例」講習、視力検査の順で2時間8千円。
 運転する前に「40年間一度も運転したことがありません」と自己申告。

 とにかくひどい運転でした。左足は使わず、右足だけでアクセルとブレーキを踏みかえると言われているのに、つい左足をつかってしまう。昔受けたアクセルとクラッチとブレーキの3つを足で踏んでいたころ左足を使っていたのを足が覚えているらしいけど、左右のウインカーを出すことさえできず、隣の教官に言われないとウインカーださずに右折左折しようとする。めちゃくちゃだ。一時停止を見逃して、止まれ!一時停止見落とさず!と叱られても、そんなマーク、どこにあった?

 免許証更新できたとしても、決して運転しようなどと思ってはならない、と肝に銘じました。ひどい運転でも講習を受けたという証明書はもらえたので、誕生日一か月前には更新してきます。

 庭のナンテンは、手入れもしてないので、ぼさぼさと伸び放題。それでも難を転ずる難転のごろあわせで、我が家の難を転じてくれると信じて。


<おわり>
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ぽかぽか春庭「認知症検査」

2024-06-18 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240618
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記6月(3)認知症検査

 免許書き換えの前に認知症検査を受けなければならなくなりました。高貴幸齢者だから、しかたありません。夫はとっくに免許返納運転履歴証明書取得。身分証明にはこれで十分だって。
 私も免許返納してもいいと思うのですが、万が一運転する必要が出たとき免許を持っているほうがいいと思う未練があって、返納躊躇。おおかたの高齢者はなかなか返納する気になれないみたいですね。結果、先日も高齢ドライバーが重大事故を引き起こしたというニュース。私はこれまで運転することはなかったように、今後も運転することはないと思います。

 これまで認知症検査というのを受けたことがないので、どんなことをするのか知りたい、と思って検索をかけ
ながら、運転試験場に出かけました「2024年高齢者免許更新認知症検査模擬試験」というyoutubeがありました。
 さっそく模擬試験をやってみました。

 イラスト問題。ABCDの4グループがあり、それぞれ4つのイラストが出てきます。暗記時間は1枚1分。15秒でひとつの絵を暗記する。4つのグループを4分で暗記したあと、記憶をひっかきまわすために数字問題が出題されます。(この介入問題は採点されない)
 認知確認。16枚のイラストに出ていたものを書き出していく。次にヒント付きで書く。ヒントなしにかけたらひとつ5点。ヒントつきはひとつ2,5点全部で80点。
 ネット模擬テストで出題されたイラストは。
1 機関銃 琴 親指 電子レンジ
2 セミ 牛 とうもろこし なべ
3    はさみ トラック メロン ドレス
4    くじゃく チューリップ ドライバー いす

 単語を繰り返して覚えたつもりだったのに、回答してみると、答えられたのは、チューリップ ドライバー くじゃく いす 機関銃 琴 ドレス
 7つのみ。あらま。なんて記憶力が悪いんでしょ。これじゃ認知症テストに合格できないと思って焦りました。

 そこで「合格必勝法」のサイトの指南を受ける。イラストを覚えるために、私がやったような単語を繰り返しても覚えられない、と指南されました。ストーリーを作ってまとめて覚える「物語法」がよいとのこと。
 1のグループだったら「親指で琴を弾いたらポロロンと機関銃のような音がしたが、それは電子レンジの音だった」2グループは「セミと牛がなべでトウモロコシをゆでてたべた」3「トラックにを積み込んだメロンをドレスの女がはさみで切った」
というストーリーを創作して暗記するのだと。これならできそう。イラストを覚えるのは苦手だが、物語の暗記なら得意なほう。

 2024年度イラストテストの問題がネットに出ていたので模擬試験と思って眺めました。まさか、このイラストがそのまま試験に出るとはおもわなかったので、テキトーに眺めて運転免許試験場へ出かけたのですが、ネットに出ているイラストは、そのままそっくり試験問題でした。

 13時に集合し、氏名住所を紙に書き1050円支払って、試験室へ。ひとりひとりの机にタブレットとヘッドホン、タッチペンがおいてあります。ヘッドホンから流れてくる音声にしたがって、イラスト問題に挑戦。
1 刀 足 アコーディオン テレビ
 物語をつくって覚えるというネット模擬試験の指南でしたが、実際のテストでは「戦うときにつかう武器はどれですか」というヒントがでるので、刀の絵をタッチ。「刀です」と言う答えが聞こえる。「楽器はどれですか」というヒントにアコーディオンをタッチ。「アコーディオンです」と声がする。「体の一部はどれですか」というヒントに足をタッチ。「足です」と声。「電気製品はどれですか」と言う声に、テレビをタッチ。「テレビです」
 これで1はおわり。物語など作っている時間はなかった。一応「テレビを見たらアコーディオンの音がきこえ、素足の男が刀を持っている」と頭に思い浮かべる。すぐに2がはじまる。
2 カブトムシ 馬 かぼちゃ ほうちょう

 模擬試験に出たようなイラストだ。これも昆虫はどれですか、動物はどれですか、という声にタッチしていく。 カブトムシと馬がほうちょうでかぼちゃを切って食べる、と言うストーリーを思い浮かべる。
3と4に出たイラストは、ネット模擬試験のイラストとごっちゃになってしまい、思い出せない。
 帰宅後インターネットのイラスト模擬問題集を見ると
C: 筆 ヘリコプター パイナップル ズボン
D: すずめ バラ ソファ のこぎり
の絵だったことがわかった。でも、回答するとき、のこぎりとパイナップル、ズボン、筆は、まったく頭に残っていなかった。  

 回答欄に単語記入。ストーリーを作る時間などなかったので、最初に練習した時と同じに、そらでは7つしかこたえられなかった。ソファ、ヘリコプター、刀、かぼちゃ、すずめ、など、
 次に、ヒントが書いてあるタブレットによってイラストの答えを書き込んでいく。「戦いにつかう武器」回答かたな 「動物」うま、昆虫カブトムシ、台所用品ほうちょう、など。こちらはすらすらかけたのだが、途中で「規定点数を超えたので、これで終了」と打ち切られ、強制終了。

 36点以下が認知症の疑い、となるので、50点を超えていれば強制終了みたい。7つのイラストをそらで思い出せれば7×5点=35点なので、ヒント問題にいくつか答えられればすでに規定点数クリア。

 帰宅してネットに出ていたイラストを確認すると、2024年度認知試験のイラストとして出ている16枚の絵セット4枚×4セット×ABCDパターンの絵がそっくり同じに出ていました。つまり、この64枚セットを覚えていけば、だれでも合格になるのです。なあ~んだ。記憶力悪いとあせることもなかった。ともあれ、認知テストは合格です。

 イラスト問題で36点に達していないと、第2試験として今日の年月日や曜日、現在の時間を答える問題があったらしいけれど、そこまでいかないうちに強制終了=合格となったので、めでたしめでたし。

 高齢者免許書き換え認知症試験に臨む方々、ネットに出ている64枚のイラストにストーリーをつけてうろ覚えでも覚えていけば、なんとかなるので、心配なし。
 私も、最初にこのイラスト集を見つけておけばよかった。
 本日の出題はパターンDでした。
 

 次は実地運転試験。前回も運転実車試験、こわかったです。なにせ運転などこの40年間、したことなかったんですから。
 7月に実車運転講習の予約をするつもり。

<つづく>
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ぽかぽか春庭 「近代の日本画 in 五島美術館」

2024-06-16 00:00:01 | エッセイ、コラム

20240616
ぽかぽか春アート散歩>2024アート散歩6月(2)近代の日本画 in 五島美術館

 6月15日、久しぶりに五島美術館へ。ぐるっとパス利用。館蔵近代日本画の展示と館蔵古文書の展示。
 私立美術館は、明治以来のお金持ちの収集がもとになっている館が多い。明治以後に急成長したお金持ち、五島美術館も東急の総帥五島慶太のコレクションをもとにしています。五島慶太といえば、GOTOをももじった強盗慶太といわれたほどの剛腕経営でならしたし、大倉集古館の大倉喜八郎は武器商人として戦争のたびに大もうけした財産を美術品収集に当てたので、どうしても私の見方は、「貧乏人を泣かして大もうけした成金は、財産を社会に還元すべし」です。できれば無料公開してほしいけれど。今回もぐるっとパスだから見にきたけれど、1100円払うなら見なかったかも。あまり心に響く近代日本画はなかった展示。花鳥画というと、お金持ちが床の間に飾ってなんぼ、という感じ。いつもひとまわりする庭園では、両腕くわれて腕をぼりぼりかきながら帰宅。

 今回は、五島家のななめ前にある大敷地を占める「田中家」に興味津々で、帰りに広大な敷地を確認しながら上野毛駅へ向かいました。田中家は上野毛台地の旧名主の家ということがわかりました。今は世田谷区立になっている自然公園なども、田中家の敷地だったとのこと。田中家文書という古文書もいろいろあるらしい。
 強盗慶太とあだ名された新興大金持ちも、古くから名主として今も広大な敷地を手放さずにいる田中家も、とにかくお金と無縁の春庭には遠い人々。ああ、お知り合いだったらよかったのに。

  五島美術館の口上
 館蔵の近代日本画コレクションから、「花鳥画」を中心に、橋本雅邦、川端玉章、横山大観、川合玉堂、安田靫彦、前田青邨、川端龍子、金島桂華など、明治から昭和にかけての近代日本を代表する画家の作品約40点を選び展観します。大東急記念文庫創立75周年記念特集展示として、日本の古代から中世の歴史資料も同時公開。 
橋本雅邦「游鶴図」 

 金島佳華「富有柿」

 この柿が一番気に入ったかな。食べられそうなので。

 渡辺省亭


 四谷迎賓館の七宝焼き花鳥画の原画を担当した渡辺省亭は、ほとんどの作品が海外の美術館に流出し、また弟子をとらず同時代の画家の作品には手厳しい論を述べた省亭だったので、画壇受けはしなかったという人らしい。この展覧会に並ぶ画家たち。文化勲章を受章した功成り名遂げた画家がずらりと並ぶ「近代の日本画」の展示だったので、無冠の渡辺省亭の絵を好ましく思ってしまう、金持ちと名誉を得た画家を斜め下から見上げる春庭には、「ぐるっとパス利用じゃなく、1100円払っていたら不満に思っていたかも」という展示でした。
 古文書の展示も、研究者にとっては貴重なものだったのでしょうけれど、なにせ「読めないし」と、ななめに見て終わり。今回は私には気に入った作品を見いだせない展覧会でした。

 

<つづく>
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ぽかぽか春庭「歌と物語の絵 ― 雅やかなやまと絵の世界 in 泉屋博古館」

2024-06-15 12:00:01 | エッセイ、コラム

20240615  
ぽかぽか春庭アート散歩>2024アート散歩6月(3)歌と物語の絵― 雅やかなやまと絵の世界 in 泉屋博古館

 泉屋博古館の「歌と物語の絵」展を6月14日に観覧。ぐるっとパス利用。
 館所蔵品の中のやまと絵コレクションから選定された作品が展示されていました。点数は多くなかったですが、「源氏物語」が話題の今年ですから、紫式部が月を見て物語の着想を得たとされる姿を描いた絵とか、紫式部の曽祖父の姿絵とか、興味深く見てきました。 

泉屋博古館の口上
  古来、語り読み継がれてきた物語は、古くから絵巻物など絵画と深い関係にありました。和歌もまた、三十一文字の世界が絵画化されたり、絵に接した感興から歌が詠まれたりと、絵画との相互の刺激から表現が高められてきました。
 物語絵や歌絵の特徴のひとつは、精細な描写と典雅な色彩。宮廷や社寺の一級の絵師が貴人の美意識に寄り添い追求した「やまと絵」の様式を継承することでしょう。そして、ストーリーに流れる時間を表すかのような巻物、特別な場面を抽出してドラマティックに描き出す屏風など、長大な画面にさまざまな表現が生まれました。古典文学は、後世の人々が自分自身に引き寄せて味わうことで、読み継がれ輝き続けてきました。それに基づく絵画もまた同様です。
本展では、近世の人々の気分を映し出す物語絵と歌絵を、館蔵の住友コレクションから選りすぐってご紹介します。雅やかで華麗、時にちょっとユーモラスな世界をお楽しみください。

<うたうたう絵>
 伝・本阿弥光悦「下絵扇面散屏風」18世紀


宗達派《伊勢物語図屏風》桃山~江戸時代(17世紀)「梓弓」


 伊勢物語24段「梓弓」のお話は。ちぎった夫は出かけたまま三年待っても戻ってこない。女はあきらめて別の男と再婚するつもりになったところへ、夫がもどったが、女の事情を知って立ち去る。
 梓弓引けど引かねど昔より心は君によりにしものを
と元夫に歌を送り、男を追いかけたが、追いつかない。女は岩に指の血で和歌を書いて息絶える。
 あひ思はで離(か)れぬる人をとどめかねわが身は今ぞ消え果て 
 立ち去る男の牛車と、岩に文字を書く女の姿が描かれている屏風の絵を見ながら、きっと伊勢物語の読み聞かせをするのが江戸期にはなによりの子女教育でもあり屏風は大切な嫁入り道具にもなったのだろうと思って見ました。

 中世から江戸期に描かれた歌とセットの絵は、社交や教育のアイテムでもあり、一人楽しむ道具にもなっていたでしょう。
 
 松花堂昭乗「三十六歌仙書画帖」 伊勢 中納言朝忠 源順 紀友則  
 

 伝・藤原信実「上畳本三十六歌仙 藤原兼輔」

 紫式部のひいじいさん、という解説付き。三六歌仙のひとりではあるけれど、ひ孫が紫式部だから「ひ孫の七光り」で、もの知らずの私でも「お、カネスケさんね」と目を止める。

<ものかたる絵>
 狩野常信《紫式部観月図》江戸時代(18世紀)
 

 テレビドラマでは、若き日の紫式部と藤原道長の「秘める恋」が描かれています。現実にはありえなかった恋物語をドラマはドラマとして楽しんでいきたいと思って見ています。

 源氏物語、五島美術館で国宝の絵巻を見る機会がありました。巻物を裁断した絵です。絵巻を巻き取りながら、詞書を読んで聞かせたのです。江戸期には屏風仕立てにして代表的な場面を描き、部屋の調度としました。

 竹取物語17世紀「竜神の玉を取りに行く」

  竹取物語「求婚者の押し寄せる屋敷の中のかぐや姫」


   高精細複写ビデオによる解説で、屏風に描かれた物語の場面をひとつひとつ絵解きしてくれるので、むかし読んだ源氏も竹取も、場面がよみがえります。

 平家物語もここはひなの家、この人が後白河上皇、この人が阿波内侍。建礼門院は、山の中の仏花を摘んだ帰り道のここにいる、という説明を受けないで画面を見たら、どこに建礼門院がいるのかわからない、「見巧者」の反対側にいる見物客なのでぼうっと見ていたら気づかない。最初は後白河院といっしょにいる阿波内侍が建礼門院かと思ってみていました。母親も息子も一族郎党壇ノ浦の海に沈んだあと、たった一人生き残ってしまった平徳子。
・ほとどぎす治承寿永のおん国母三十にして経よます寺       
と、与謝野晶子が詠んだ京都大原の寂光院を訪れたときは、観光ブームに乗って、落ち着いた中にも静かな繁栄をしているお寺の印象でした。しかし、桃山時代に描かれたやまと絵の中では、近所の田舎家もひなびた趣,。寺も後白河上皇があまりの質素さに驚いた、という描写。仏さまに供える花は女院自らが山の中に分け入って摘んでくる、という生活。源平合戦のフィクサーだった後白河院は、壇ノ浦の実際の合戦話は、源氏側からは聞いていたでしょうが、歯医者の側の話を聞きたいと思ったのでしょう。悟りすまして一族の菩提を弔う平家物語の大原御幸の場面は、私も原文をたどりたどり読んだ覚えがありますが、源平盛衰記で建礼門院が後白河上皇を激しくののしった、というほうの物語は読んでいません。平家滅亡の陰の主導者に、うらみつらみを述べるほうが人間らしいとは思いますが、この絵で建礼門院は、ただ静かに山道を下っています。
《大原御幸図屏風》桃山時代(16世紀) 


 娘と「ビデオの解説があって、絵の内容がわかってよかった」と、六本木一丁目の駅ビルうどんやで晩御飯を食べながら話しました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「旧新橋停車場歴史展示室 蒸気機関車」

2024-06-13 00:00:01 | エッセイ、コラム


20240613
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024に十四節季日記(2)旧新橋停車場歴史展示室 蒸気機関車

 パナソニック汐留美術館に来た時は、隣に建つ新橋停車場博物館も見ていくことが多いです。無料なので。
 復元された近代日本最初の駅のたたずまいも好きだし、展示ごとにさまざまな鉄道の写真やビデオを楽しむことができます。前回訪れたときは、鉄道で働く人々の制服展示でした。今回は「蒸気機関車から電気機関車へ」という機関車特集。蒸気機関車から電気機関車の変遷などの写真展示と、精密な電気機関車模型がありました。

 旧新橋停車場博物館の口上
 1872(明治5)年10月14日に新橋~横浜間に日本初の鉄道が開業して以来、日本の鉄道は長きにわたり、機関車が客車や貨車をけん引する輸送形態が主流でした。本展では、国鉄の電気機関車やディーゼル機関車を中心に、貴重な写真や模型などの関連資料とともにその歴史と活躍をふり返ります。

 「乗り鉄」趣味だった私。青春18切符で一日乗りっぱなし乗車とか、130円初乗り切符で大回り一日乗車とか、電車に乗っているだけの旅を楽しみましたが、コロナ以後はさっぱり電車に乗っているだけの旅もしなくなりました。そろそろ復活したい。
 130円おおまわり乗車日記
https://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/7f86614e9e690e8f808035463142ec95
 
 私は、蒸気機関車が行き来する吾妻線(当時は長野原線)のわきに建つ家で育ちました。子供のころは、蒸気機関車の始発が線路を通っていく音で目を覚ましました。
 母の弟が国鉄職員だったので、叔父一家といっしょに毎年日本海の鯨波へ海水浴に出かけるのが、夏休みの恒例でした。行きかえり蒸気機関車に乗り、三国峠の清水トンネルで慌てて窓を閉めたのもなつかしい思い出です。まだ暗い3時に起きて駅へ向かい、始発に乗り6時間以上乗車。最初の2時間くらい半分うとうと。三国峠を越えると、群馬とは違う新潟の風景になるので、広い田んぼをひたすら眺めてすごしました。日本海の鯨波には10時ころ着きました。海の家に泊まり翌日午後また延々と列車にゆられて帰宅しました。私が列車に延々と揺られているのが好きなのは、このころの思い出が刷り込まれているからでしょう。

 高校生のころ、蒸気機関車の最後の運行がありました。吾妻線は1967(昭和42)に渋川- 長野原駅間が電化されました。SL最終運行は6月10日。 最後のSLはC11。花で飾られたC11の姿が新聞に載ったのを覚えています。
  現在は高崎水上間を観光用SLが不定期運行しています。

 産業革命後、さまざまな機械が人間の生活に入り込みました。自動織機も自動車も飛行機も月へ行くロケットも、人間の生活を豊かにしてきたと思います。その中で、私が一番好きな「人間が作り出した機械」は、蒸気機関車です。
 蒸気機関車は、私にとって「労働者の仲間の働く機械」です。たぶん、教科書に載っていた中野重治の詩の印象が強いのだろうと思います。観光運行でなく、ふるさとを定時運行で走っていた機関車を利用した、最後の世代にあたる70代の郷愁も含まれるでしょう。機関車は、私には労働者の力強く美しい働く姿を見せてくれた存在です。
 現在は観光用の蒸気機関車も走っていて、乗ることができます。昔の通勤通学用で利用したころとは違う乗り心地でしょうが、いつか乗車してみましょう。

 5時に鉄道博物館は終了です。まだ見たいビデオも残っていましたが、4時45分にぷつんと終わりました。NHKで時々「なつかしの廃線特集」などを放映するので、見ています。儲かる大動脈以外は、全国の小さな支線はほとんど廃止されている現在、ふるさとの県内鉄道が稼働しているのがありがたい。時間とお金が十分あるなら、母の弟「駅おじさん」が駅長をしていた駅をめぐる旅もしたい。乗り鉄復活に今一歩。

<つづく>
(おまけ)
機関車 中野重治

彼は巨大な図体を持ち
黒い千貫の重量をもつ
彼の身体の各部は悉く測定されてあり
彼の導管と車輪と無数のねじとは隈なく磨かれてある
彼の動くとき
メートルの針は敏感に廻転し
彼の走るとき
軌道と枕木と一せいに振動する
シャワッ シャワッ という音を立てて彼のピストンの腕が動きはじめるとき
それが車輪をかきまわして行くとき
町と村々とをまつしぐらに駆けぬけて行くのを見るとき
おれの心臓はとどろき
おれの両眼は泪ぐむ
真鍮の文字板を掲げ
赤いラムプを下げ
常に煙をくぐって千人の生活を搬ぶもの
旗とシグナルとハンドルとによって
輝く軌道の上を全き統制のうちに驀進(ばくしん)するもの
その律儀者の大男の後姿に
おれら今あつい手をあげる

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ぽかぽか春庭「浜離宮」

2024-06-11 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240611
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2014二十四節季日記6月(1)浜離宮

 久しぶりの浜離宮散策。パナソニック汐留美術館で娘と合流する前の、ひとり散歩です。前回娘といっしょに浜離宮散歩をしたときは、初冬でした。名残のもみじがかろうじて残されている風の強い日でしたが、6月7日は歩くと少し汗ばんできましたが、帽子半袖、日傘でちょうどいい。入園してまずベンチで、持参のおにぎりとバナナで腹ごしらえ。食べながら見た白い花、名前がわかりませんでした。
 園内の花を楽しみつつ、ゆるゆると回りました。

  

 6月の花は何といってもアヤメかかきつばた。何度教わっても区別がつきません。
 

 6月の園内は、アジサイも花盛りでしたが、我が家の狭庭のアジサイのほうが見事な咲きっぷり。ただし、柏葉アジサイは、我が家にはない花。きれいに咲いていました。

アメリカノウゼンカズラ        菜の花畑


 菜の花畑の上にはカップルモンシロチョウが何組も飛んでいたのですが、ちょっと切ない。なぜなら、菜の花の花期が終われば、全部引っこ抜かれて、夏の終わりには次はポピー、その次はコスモス畑に衣替えされるからです。菜の花に産み付けられたモンシロチョウ夫婦の愛の結晶は、たぶん全滅。絶滅危惧種にはなっていないだろうけど、せっかくの卵も少子化の波に逆らえず。

 塩入の池の周りを歩きました。中島のお茶屋は工事中。私と娘が前回浜離宮を散歩したときに、中島のお茶屋でお盆に載った抹茶と和菓子セットを頼みました。11月末日、あまりに強い風がふいてきて、抹茶茶碗は重みがあるから大丈夫でしたが、和菓子の薄いお皿が吹き飛ばされたのを思い出しました。もうひとつ買おうとしたら、お店の人が大丈夫です、と言ってサービスしてくれました。

 そんなことを思い出しながら海辺へ近づくとボーッと汽笛が聞こえます。東京湾と隅田川を行き来する東京都の水上バスが浜離宮乗り場を離れるところでした。船室の中の人は確認できませんが、デッキの上にいるのはほとんどがインバウンド客。この水上バス観光は、東京が水の都であるという感じがして、私もまた乗ってみたい。娘息子と水上バス観光に加わり浜離宮で下船したことを思い出しました。

 6月10日に「篤姫」再放送を見ました。ドラマ後の「篤姫紀行」では、篤姫の夫将軍家定が、浜離宮から薩摩藩の軍艦を見物したと紹介されていました。浜離宮での静養によって病弱な体を癒していたのかもしれない家定、幕末の激動の中、どんな気持ちで薩摩の西洋式軍艦を眺めたのでしょう。
 春庭が見つめる東京湾へ、観光水上バスが水門をくぐって出て行きました。

 

 復元された鷹のお茶屋で、建物復元工事のようすと鴨猟に使う網の作成過程のビデオをながめて一休み。
 鷹のお茶屋の前で


 久しぶりの浜離宮、青空と緑の木々、お花たち。楽しい散歩になりました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「テルマエ展 in 汐留パナソニック美術館」

2024-06-09 00:00:01 | エッセイ、コラム


20240609
ぽかぽか春庭アート散歩>2024アート散歩6月(1)テルマエ展  in 汐留パナソニック美術館

 会期終了まぎわは混むと思ったのですが、娘とかけこみで汐留パナソニック美術館でテルマエ展を観覧しました。

 パナソニック美術館の口上
 本展は、日本における古代ローマ研究の第一人者である青柳正規氏、芳賀京子氏の監修と、マンガ『テルマエ・ロマエ』で知られるヤマザキマリ氏のご協力 で、古代ローマの人々の生活を“お風呂文化” を中心に紹介するものです。絵画・彫刻・考古遺物といった100件以上の作品と映像や再現展示を通して、古代ローマをより身近に感じていただくことができるでしょう。
本展の開催館には、国内有数の温泉地のある地域が含まれています。それぞれの地域に残される地方色豊かな歴史と文化にも触れながら、 『テルマエ・ロマエ』の主人公・ルシウスが浴場を通して日本とローマを往復したように、それぞれの浴場文化を体感いただけましたら幸いです。


序章 テルマエ/古代都市ローマと公共浴場
 ローマ市で最初のテルマエは、初代皇帝アウグストゥスの右腕・アグリッパによって紀元前25年に建設されました。今も地上に遺構がよく残っているのは、カラカラ浴場(217年)と、ローマ市で最大のディオクレティアヌス浴場(302年頃)です。大規模なテルマエの運営には、水道の管理・維持に加え、大量の燃料と奴隷を必要としました。そのため古代ローマの風呂文化は、中世には消え去ってしまいました。 

 娘は漫画のテルマエロマエを完読しましたが、私は映画のⅠとⅡを見ただけで、漫画はⅠの一番最初の部分をみただけです。漫画は見ていないけれど、ヤマザキマリがインタビューで話しているのをラジオで聞き、漫画を描いた契機とか、映画化の過程などの裏話はだいたい知っています。映画化権として、百万円しかもらっていない、と今になってみれば、ⅠとⅡで興行収入が100億円もはいったのに、百万はいかにも不当に安いけれど、最初は無名の悲しさ、泳げたいやきくんの子門真人は、買取価格4万円だったそうですから。ヤマザキマリの名前が売れてからは、いろいろなタイアップや広告収入、美術展の監修、著作売り放題、テレビやラジオの出演など、大活躍なので、元はとれたんじゃないかと思います。どうだろ。
 
ヤマザキマリが描くルシウス    
       



第1章 古代ローマ都市のくらし
 公共浴場のルーツには、自然の温泉のほかに、古代ギリシャの運動施設の水風呂や、医神の神域の入浴施設がありました。ですがそれを大衆の娯楽のために、驚くほどの規模へと発展させたのは古代ローマ人でした。ギリシャでは若者たちは肌に油を塗り、全裸で運動したため、運動後にはストリギリス(肌かき器)で汚れを落とし、水で身体を洗う必要がありました。ギリシャでは女性の入浴の場は自宅に限られていましたが、ローマでは女性もテルマエに通うことができました。水や湯をふんだんに使用するテルマエは、水道をはじめとする高い建築・土木技術に支えられていました。 

ギリシャ時代は女性の入浴は家の中だけで、公共の浴場に侍るのは遊女のみだった、ということです。
「ヘタイラ(遊女)のいる饗宴」ナポリ国立考古学博物館 1世紀


第2章 古代ローマの浴場
 公共浴場のルーツには、自然の温泉のほかに、古代ギリシャの運動施設の水風呂や、医神の神域の入浴施設がありました。ですがそれを大衆の娯楽のために、驚くほどの規模へと発展させたのは古代ローマ人でした。ギリシャでは若者たちは肌に油を塗り、全裸で運動したため、運動後にはストリギリス(肌かき器)で汚れを落とし、水で身体を洗う必要がありました。ギリシャでは女性の入浴の場は自宅に限られていましたが、ローマでは女性もテルマエに通うことができました。水や湯をふんだんに使用するテルマエは、水道をはじめとする高い建築・土木技術に支えられていました。
 娘は漫画を読んでいたので、垢かき棒を見たとき、すぐにこれは垢を描きとる道具だとわかったそうですが、私は解説版を読まなければ、何の道具だか、わからなかったと思います。
 
入浴道具 1世紀 青銅 ナポリ国立考古学博物館蔵
 垢かきぼう、香油瓶などの「入浴セット」、
 
 娘はテルマエロマエを読んでいたので、垢かき棒「ストリギリス」を見てすぐに、あ、これは漫画に出てきた垢かき棒とわかったそうですが、私は漫画は最初の部分を見ただけなので、解説文を読むまでわかりませんでした。映画に出てきたとしても見逃していたと思います。奴隷がゆあみ客の背中なんかをかいていたのかもしれません。

「アポロとニンフへの奉納浮彫」ナポリ国立考古学博物館 2世紀

 左はしは、病をいやすアポロ。ニンフたちがもっているのは薬を混ぜ合わせる皿や香油瓶。

第3章 テルマエと美術
 テルマエは、大衆が美術品を間近に見ることができる場でもありました。床には水に強いモザイクが敷かれ、1〜2世紀には白黒モザイク、それ以降は多彩モザイクが好まれました。 ローマの大規模なテルマエには数多くの大理石彫刻も飾られました。皇帝や浴場の建設者の肖像のほかに、神々の像や古代ギリシャの有名作品のコピーが、壁面のニッチや円柱の間の台座の上に並びました。浴場のルーツのひとつであるギュムナシウム(運動施設)にちなんだアスリート像や、それを守護するヘラクレスの彫像など、浴場にふさわしい主題が選択されました。

「牧神頭部」アーティゾン美術館 1世紀

恥じらいのヴィーナス(ウェヌス・プディカ)



第4章 日本の入浴文化
 本展の最後の章では、国内に残される地方色豊かな温泉文化にも触れながら、日本のお風呂の歴史を概観します。日本において入浴の習慣が定着したのは江戸時代、家庭内の風呂が当たり前になった現在でも、東京だけで約700軒もの公衆浴場が存在しています。温泉地へ旅することや近年のサウナブームも、日本人がお風呂好きな民族であることに起因するのでしょう。『テルマエ・ロマエ』の主人公・ルシウスが、浴場を通して日本とローマを往復したように、古代ローマと日本のそれぞれの入浴文化を体感ください。
 
式亭三馬「浮世風呂」京都府立京都学・歴彩館 文政3年(1820)


 日本の入浴文化の歴史は古く、古代の天皇も戦国の武将も温泉を治療に利用してきました。特に江戸時代は庶民の間にも銭湯文化が花開き、さまざまな江戸文学や浮世絵に風呂風俗が描かれました。

 2024年4月、前作から11年の月日を経て『続テルマエ・ロマエ』第1巻が発売されました。ローマでも⒛年の月日が経っていて、浴場の技師ルシウスと息子の物語。
 映画化されるとして、キャスティング、阿部寛の息子役、だれがいいかな。ローマ顔でお風呂が似合う若手イケメン。ヤマザキマリさん、今度は映画化権、たっぷりもらってくださいな。
  
 

 会期終了まぎわの夜間会館日なので、えらく混みこみでした。
 娘と和食定食を食べて帰宅。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「白井晟一の松涛美術館」

2024-06-08 00:00:01 | エッセイ、コラム

松涛美術館設計段階での模型

20240608
ぽかぽか春庭アート散歩>2024建築散歩(1)白井晟一の松涛美術館

 2022年に松涛美術館で開催された白井誠一展で、白井の設計図や模型で、建築業績の全貌を見ることができました。白井の作品は取り壊されてしまったものが多く、現在見学可能な作品は数少ない。松涛美術館は都内で見学可能な渋谷区立の施設です。元土木事務所跡地に建てられ、1981年に開館しました。

 松涛美術館は、特別展でもぐるっとパスで入館できるので、ぐるっとパス使用可能期間内に一度は来館してきました。しかし、水曜日に出かけることが多かったので、毎週金曜日に実施されている館内ガイドツアーに参加したことはありませんでした。娘は、金曜日の夜間開館に美術館巡りをすることが多く、今回建築ガイドツアーにも参加を決めました。それで私もいっしょに金曜日に建築ツアーに参加。

 エントランス前から解説スタート。白井晟一の紹介。渋谷区の施設だったところを利用して計画されたが、白井の建築は予想以上に高級品が必要で、当初の予算を上回った、ということを説明してくれました。エントランスの外壁の石は、白井の希望で韓国産の石が指名され白井は名もなかった石に紅雲石という名を与えました。学芸員さんは、白井が設計したもうひとつの美術館である静岡市立芹沢銈介美術館 の外壁も紅雲石が使われていることを教えてくれました。いつか、行ってみたいです。壁の右側には、「泉」が。今は出していないけれど、水はちゃんと出るんだとか。
 

 エントランスの天井も白井のデザイン。これまで天井に目を向けたことなかった。展示室や館長室のドアなどには現在では入手困難なブラジリアンローズウッドを使用するなど、随所に高級建材が使われ、渋谷区の当初予算は大幅にUP。


 建物ガイドツアーが始まって以来という多くの参加者だったために、人数を半分ずつ分けて、見学。私と娘の組は、最初に地下2階を見学しました。地下ホールでは、椅子を並べて講演会を行ったり、グループごとに机についてワークショップを実施したりする。講演会用にスライドを映すスクリーンとともにチョークを使う黒板が壁に設置されていたことは45年前の時代を表している、と説明がありました。私が勤務した私立大学のひとつも、2018年に私がやめるまで黒板使用を続けていました。ホワイトボードを設置し直さないうちに、パソコンスライドをスクリーンに映せばいいことになって、黒板はそのまま残されました。

 1階と展示スペースで天井の梁のように見えるのは梁ではなく、空調ダクトを隠すための木目調の梁もどき。窓も白井のこだわりの魚鱗形の窓枠。地下2階から屋上まで吹き抜け、中庭の噴水が「癒し空間」になっています。

 
 開館からしばらくは、2階にはサロンミューゼという喫茶店があり、飲み物を飲みながら展示を楽しむことができた、という説明がありました。私が最初に松涛美術館を訪れたころには閉鎖されていました。
 噴水上の渡り廊下。以前、オープンしていたときに渉ってみたことがありましたが、この日はクローズ。
かって

 階段も白井のこだわりのらせん階段


 最後は普段非公開の館長室もドアからひとりずつ、部屋には入らず覗くことができました。館長室の写真は不可。
 40分間の建築ガイドツアー、楽しかったです。



<おわり>
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ぽかぽか春庭「エミール・ガレ展 in 松濤美術館」

2024-06-06 00:00:01 | エッセイ、コラム


20240606
ぽかぽか春庭アート散歩>2024ア―ト散歩5月(1)エミール・ガレ展 in 松濤美術館

 あちこちでガラス芸術にふれることを楽しんできましたが、今回は渋谷区立松涛美術館でエミール・ガレ展を観覧しました。点数は120点ほどで、それほど多くはなかったですが、今回の特徴は個人所蔵の作品が多かったということ。
 相手美術館とのつながりとか館長はじめ職員の個人的な人脈などで交渉次第で、ひとつの美術館の所蔵品をまとめて借りてくることは、あちこちの美術展でありました。が、個人所蔵品は、オークションなどでの販売実績などを調べるのかわかりませんが、所有者との交渉はけっこうたいへんなんじゃないかと、娘と話しました。


 一点物の絵画はオークションなどで有名画家の作品になるととてつもない値段がつきます。なんでも鑑定団の鑑定を面白がってみていますが、だいたい先祖が残した日本画家の掛け軸とかネットオークションで落札した絵画には偽物が多くて、所有者のがっかりした顔を見るのが面白い。

 ガレ作品を所蔵している人、お金持ちなんだろうなと思いますが、ガレという署名が入っている作品でも、絵画のようなバカ高い値段にはならない。これは、作品が一点物ではない場合があるからです。ガレは企業家としてガラスや陶器の工房を経営しており、ガレの署名入りで「ガレ工房大量生産品」として、大衆的な品として販売しました。ガレがたったひとりで最初から最後まで作り上げた、という作品ではなく、あくまでもガレという署名が入った工房作品なのだ、ということ、今回図録を読んで知りました。と言っても一点は10万円から100万円ですから、私には買えませんが。
 6月4日放映のお宝鑑定団ではガレとドーム兄弟のガラス製品が鑑定に出されました。3月31日に小樽西洋美術館でガレやドーム兄弟のガラスを見て、5月31日にガレ展を見たばかりですから、あ、これは本物かも、と直感。鑑定では10点のガレとドーム兄弟で1130万円という値段。値段で鑑賞する貧乏人ですから、おお、すごい!と羨望。

 チケットを自前で買ったときは図録買わない自分ルールですが、今回の展示は個人コレクションが多いので、この次に同じ展示をするのは難しいかも、と思い、2200円を奮発。松涛美術館の次は静岡美術館でへ巡回するそうですが、東京で同じコレクションが展示されるかどうかわかりませんので、娘と二人で見るならいいか、と購入。

 図録、カラー写真もきれいですし、ガラス製品制作のさまざまな技法解説のページや、研究者の論文も読みごたえがありました。日本人はなぜガレが好きなのか、という展示を担当した学芸員の論文もおもしろかった。印象派やアールヌーボーのアーティストはジャポニズムを取り入れているから、と漠然と思っていましたが、それだけじゃないみたい。ガレは表面的なジャポニズムだけじゃなく、輪廻転生とか深い精神的な内容まで表現しようとしていて、日本人の琴線に触れるのだ、というような解説でした。へぇ!

 1階ロビーの猫の置物は撮影自由。
猫型置物1865-1890
 

第1章 奇想のデザインを世に問う気鋭の工芸作家出現
・歴史主義 古典ギリシャローマ、ロココ様式

 ゴブレット(霊獣)1880年代     花器(ニンフ)1880-1886頃
 

・異国趣味 ジャポニズム、オリエンタル模様 
 1878年パリ万博で「月光色」とガレが名付けたガラス器が大人気に。これまでアートの世界には無縁だった昆虫が表現されています。北斎漫画などに出ているカエルや昆虫がそのままガラス器にうつされています。

 花器セミ1882(月光ガラス)      食器皿フロラル(コスモス)1881         
   
1870-1878頃香炉ヘラクレスオオカブト  植込鉢エジプト風1880-1884頃    
 

大杯(貝に跨るカエル、コイ)1883頃     花器セミ1884
  

第2章 深化を遂げる思索の造形
 ガレの工房ではガラス製品、陶器のほか、木製家具も制作しました。
 飾り棚エリンギウム1896-1898    花器(キク)1900頃   
  
酒瓶とグラス(ジュ二パー)1900 
          花器(ネコヤナギ)1890代と蓋物(ラン)1890-1894
    
  花器(トンボ、ススキ)1900頃  花器(ケシ、セミ)1890頃   
 


第3章 花開くアールヌーボー様式

花器(バラ)1901頃        脚付杯(バラ)1901-1904頃
    
 花器(ソテツ)1900-1904頃  
花器(アサガオ)1900-1904    花器(クジャクヤママユ)1900頃   
 
花器(プラタナス)1890      煙草入れ(トンボ、ブルーベル)1884)  
  

花器(オダマキ)1898-1900    ランプ(ジャンヌダルク)1903   
         
ランプ     
  
              花器(貝がら)1885-1889頃
              
  
  
花器’(ラン)1897頃と花器(セミ)1889-1905
      花器(湖水風景図)1878-1889 花器(チョウ、草花1878-1880)
 
蓋付瓶(アーモンド)1900-1904    台付花器(オモダカ)1890-1900頃  
                
         
 花器(ユリの実スズメ)1898-1900頃 
   
 花器(サイネリア)1890-1894頃      脚付杯(トンボ1890-1900)
 

  花器(ケシ、セミ)1890頃    香水瓶1878頃  
 
 
 
 建築ツアーの前と後ろに時間をとってゆっくり館内を回りました。「渋谷区民は無料」という措置、うらやまし。「目黒美術館は区民1割引き」というケチくさいこと言わずに、無料にしてほしい。2200円の図録を高いと感じる、私の貧乏がいけないのだけれど。


 おまけ。何でも鑑定団のガレ作品最高値350万円。


<つづく>
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