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ぽかぽか春庭「2017年11月目次」

2017-11-30 00:00:01 | エッセイ、コラム


ぽかぽか春庭2017年11月目次

1102 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記更けゆく秋(1)上野公園大道芸大会
1104 2017十七音日記更けゆく秋(2)太極拳再習
1105 2017十七音日記更けゆく秋(3)ララランド

1107 ぽかぽか春庭アート散歩>2017の建物散歩(1)ホテルニューオータニ日本庭園
1109 建物散歩2017(2)プリンスクラシックハウス(旧李王家東京邸)in 文化財ウィーク
1111 建物散歩2017(3)プリンスクラシックハウス(旧李王家邸)室内
1112 建物散歩2017(4)松方ハウスと安藤教会・紀尾井町から広尾へ
1114 建物散歩2017(5)旧岩崎邸、室内写真撮影OK

1116 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記11月(1)法事、父の23回忌
1118 2017十七音日記11月(2)ふるさとドライブ
1119 2017十七音日記11月(3)秋色に木の葉舞う
1121 2017十七音日記11月(4)エクスペリアが来た!我が家のロボット元年
1123 2017十七音日記11月(6)アルミ貨ほどの勤労感謝の日
1125 2017十七音日記11月(7)革命百年
1126 2017十七音日記11月(8)サインアート夏の夜の夢
1128 2017十七音日記11月(9)たいへん
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ぽかぽか春庭「たいへん」

2017-11-28 07:00:00 | エッセイ、コラム
20171128
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記11月(9)たいへん

 いつも、自分の卑小卑賤のみみっちさにうんざりしているのだけれど、これは私の本質とみえて、どれだけ反省しても、けちくさくしょぼくれた思いは次から次から湧き出てくる。

 14日に視覚障害の友人アコさんのガイドヘルパーとして観劇し、ガイドヘルパー料金が適用されなかったことについて。視覚障害者とヘルパー料金セットで4500円。アコさんはエミちゃんと折半して2250円。だけど、チケットとりまとめをした男性がヘルパーボランティア料金となり、私はシルバー料金を支払った、ということ。差額の1250円が惜しいのではない。ガイドヘルプをしたことが「なかったこと」にされたのがいやだったの。
 みみっちい。いじましい。
 だれかに認めてもらいたいからボランティアをするのか。「視覚障害者の役にたつ行いをしましたね」と、誉めてもらいたいのか、と、つらつらうつうつと、悔やんでしまいました。

 認めてほしいのではない、では、なぜガイドヘルパーをしていない男性がヘルパーボランティア料金であったことに釈然としないのだ、それは、私の精神が卑小であるから。
 たぶん、私にはまだまだ「健常者コンジョー」がへばりついているのだろう。「私は目が見えて、耳もまあまあ聞こえているから、目が不自由だったり耳が不自由だったりする人の『お手伝い役』をつとめる」という意識があるから。

 『お手伝い』する、という意識があるからいけないのだろうね。空気を吸うことと同じくらいなんでもなく自然に共に生きるためにしているのではなくてはならないと思うのに、やっぱりどこか「私は、目の不自由な人のお手伝いをしている『イイヒト』になりたい」という気持ちがあるんだろうな。情けないけれど、それもまた私。

 「サインアートプロジェクトアジアン」のミュージカルを見て、不完全燃焼の気分が残る27日月曜に放映された「ハートネット」という番組を録画しておきました。
 『劇団態変』の主宰・金滿里のことばを聞いているうちに、ようやく気分が収まってきました。

 金は、1983年に「劇団態変」を立ち上げました。身体障害者にしか演じられない身体表現を追究するパフォーマンスグループを率いて、大阪を拠点として活動をつづけています。
 これまで劇団の存在は知っていましたが、公演を見たことはありませんでした。テレビで一部分だけ写される公演を見ると、なんだかつらくなってしまう自分がいたからです。私の意識は、まだまだ金のいう「人間存在の美意識の革命」が出来ていないので。

 金は3歳のとき患ったポリオのため下半身不随。そのほかの、四肢欠損や脳性マヒなど、さまざまな身体障害を持つメンバーと、舞台をのたうち、ころげて、あるいはじっとしたままの身体表現。
 全存在をかけて「未踏の美」を表現することを目指す、と金はテレビインタビューに答えていました。(NHK「ハートネット」風間俊平、AI出演)
 「障害それじたいを表現力に転化して人の心を撃つ舞台表現を創り出す」と、金滿里が考えていること、そうか、私に足りなかったのは、このことだな、と思い知らされます。

 「足りないところを補うお手伝い」としてガイドヘルパーをして、いっしょに演劇を見る友人、というのが、今のアコさんと私の関係。私はアコさんから多くのことを学び、活動を続けるアコさんを尊敬しているけれど、不均衡な時間を感じるときもありました。私は見えるから。

 劇団態変の金滿里が追求していること「態変の舞台を通して、観客も、自身の日常を越えいつしか非日常のパフォーマーの身体を共に生き、自身の身体を開放させ命に触れるのである」ということができて、私は一人前になれるのだろうな。まだまだ半人前なので、方向音痴以上にアコさんにいらだたしい気分をあたえてしまったかもしれません。

 リオ五輪閉会式に出演した義足ダンサー大前光市さんのダンスに感激したけれど、それとも異なる思いが「態変のパフォーマンス」にはあります。 
 大前さんのダンス、すばらしかったけれど、感想のいくつかをネットで見ていると「義足であることを感じさせない動き」とか「義足をはずしても美しい、すごいダンサー」というものが多かったです。それは本当にすごいことなんだけれど、「態変」のパフォーマーたちは、それとは異質のすごさを持っています。たとえば、四肢欠損の人が、寝転がっている、それを見せる舞台もあります。それも「人間存在の真実」であるとして。

 「意識革命」ができるのか、「人間存在の未踏の美」に近づくことができるのか、まだ先は長いけれど。
 態変の東京公演、見にいきたいです。あ、シルバー料金は一般料金より割引きになっているんんですね。

 年をとればとるほど、私は自分が子供の頃から人なかで生きにくかった原因が「人とコミュニケーションをとることが難しい性質」が原因であったことがはっきりわかってきました。
 自分自身を「完全無欠の五体満足」と誇れる人もいるのでしょうが、私は自分自身を「心の障害を持つ人」とわかるにつれて、楽になってきた気がします。
 高齢になって、つえや歩行器をおともに歩くようになってきた人もいるでしょう。心の障害は目に見えないけれど、「だれでも障害を持ち、だれもが助け合う」という社会めざして、私もなんとか自分のできることをしていきます。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「サインアート夏の夜の夢」

2017-11-26 00:00:01 | エッセイ、コラム
20171126
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記11月(8)サインアート夏の夜の夢

 11月24日、視覚障害者が演劇を楽しむ活動を続けているアコさんに誘われて、池袋アウルスポットで上演中の演劇のガイドボランティアを務めました。

 大阪から上京したアコさんが泊まっている赤羽駅内で待ち合わせて池袋へ。池袋で、アコさんの友人の視覚障害者タキちゃんと合流。
 昼ご飯を軽く食べてから東池袋の豊島区立の施設(舞台芸術交流センター)のアウルスポットへ。客席300席ほどですが、単に貸し出しホールというにとどまらず、いろいろな企画によって、池袋を「演劇の街」としていきたい区長以下の努力で、意欲的な演劇公演が行われています。

 今回観覧するのは、視覚障害者も聴覚障害者もともに楽しむことができるという「サイン アート プロジェクト.アジアンvol.6 Rock Crnival『夏の夜の夢』」という舞台です。音声ガイド付きの舞台も手話通訳付きの舞台も見たことがありますが、視覚障害者と聴覚障害者と健常者がそれぞれに楽しめる舞台ということなので、いったいどんな演劇なのか、興味津々でした。

 シェークスピアの『真夏の夜の夢』
・原作:W・シェイクスピア 翻訳:小田島雄志 構成・演出:野﨑美子 振付:香瑠鼓

 振付師は、香瑠鼓(かおるこ)さん。CMの振り付けで活躍し、だれもテレビで知らぬ間に香瑠鼓さんの振り付けを見たことあると思います。一方香瑠鼓さんは、バリアフリーアートにも力を入れ、障害あるなし関係なく身体を動かして楽しめるダンスの振り付けと指導に力を入れています。どんな振り付けなのか、こちらも興味がありました。

池袋アウルスポット前のポスター

 白い衣装の役者さんのうち、一番上にいて、サングラスをかけている人がウォルフィ佐野さん。

 出演者は、聴覚障害を持ち、手話で演じる役者さん、低身長症(侏儒症)の役者さん、視覚障害のサキソフォン奏者ウォルフィ佐野さん。アコさんやタキちゃんは、この方と知り合いで、佐野さんの応援のための観劇でした。

 舞台にバンドがいて、音楽は大音量で流れます。アコさんたち視覚障害の方々には、音声ガイドのラジオが貸し出されて、舞台上で行われていることの見た目の説明をします。しかし、演劇を見慣れているアコさんには、不評でした。

 アコさんが言うには、舞台で役者が台詞を言っているときにも、解説者がしゃべってしまうので、セリフが聞き取りにくく、舞台進行が理解しにくかったとのこと。解説者の独演会を聞きたい人にはいいだろうけれど、セリフをちゃんと聞きたい人にはうるさすぎた。しかも、スピーカーからの音量が大きすぎて、バンド音が鳴ると音声ガイドの声は聞こえなくなる。いろいろ不満はあったみたいです。

 「サイン アート プロジェクト.アジアン」は、主催者がデフアクター(聴覚障害の役者さん)で。聴覚障害の方が楽しめる舞台から出発したようです。
 今回の公演、全方向バリアフリー演劇を目指した意欲は買いますが、アコさんに言わせると「視覚障害者には中途半端にしか楽しめなかった」ということなので、まだだま改良点はありそうです。

 全員で歌って踊るとき、手話を取り入れながら踊った点、聴覚障害の方にはわかりやすいと思いましたが、夏の夜の恋人役のひとりヘレナをデフアクターの女性が演じたとき、後ろに字幕が出るはずが、機器の不具合か何かで字幕が出ずに、手話がわからない観客にはヘレナの台詞がまったくわからなかったりしました。
 「夏の夜の夢は、だれでもそのストーリーは知っている」という前提があるのかもしれませんが、主役のひとりの台詞が手話を知らない観客に伝わらなかったのは、残念なことでした。

 パック役はふたりいて、ひとりが音声で台詞を言い、もうひとりが手話で伝えるという方式でした。 妖精の王オベロンが台詞を言うと女王が手話でそれを伝え、女王が台詞を言うときはオベロンが手話で伝えるなどの演出もあり、字幕で伝えるときもありました。
 アコさんは「それも中途半端。全部字幕を出すか、全部手話通訳を出すか、徹底したほうが聴覚障害者も楽しめるのではないか」という意見でした。 
 
 視覚障害のミュージシャンウォルフィー佐野さんが、長台詞をラップや浪曲などをまじえて語ったのは見事でしたし、デフアクターのみなさんも熱演でした。香瑠鼓さんの振り付けたダンスも楽しかったです。
 しかし、全方向バリアフリーというのが、いかに難しいことなのか、ということはよくわかった舞台でした。
 「サイン アート プロジェクト.アジアン」は10年目とか。いろいろご苦労はあるでしょうが、がんばって楽しい舞台をめざしてほしいです。


 
 夏の夜の夢という劇は、祝祭的なにぎやかな舞台です。いろいろな演出方法があるから、私は、今回の「サインアート」は、演出のひとつとしてよい舞台であったと思いますが、残念ながらアコさんは「同じ入場料を払うのなら、次はやはり昴の台詞劇を観劇したい」という意見でした。

 入場料金は、視覚障害者とガイドヘルパーはセットで4500円。アコさんはいっしょにきたエミちゃんと折半して2250円ずつ払っていました。私は池袋からアウルスポットまでアコさんの友人のたきちゃんをガイドヘルプしてきたのですが、ヘルパー扱いにはならず、シルバー料金3500円を払いました。アコさんがよく知らないという人が「チケット扱いのとりまとめ役」をしていて、その人がガイドヘルパー料金で入場しているので、私の分はヘルパー扱いにはならなかった、とのこと。その人は舞台が終わるとさっさと先に帰り、帰りのガイドヘルプもしないようなので、ナンダカナーと思いました。ボランティアにはいろいろな役目があって、チケット取り扱い係、というのもボランティアなのでしょうが。

 水戸に帰るエミちゃんは上野で乗り換え、私は新幹線で大阪に帰るアコさんと東京駅まで。東京駅エキュート内にあるあんぱん屋さんでおみやげのあんぱんを買って帰りたいというアコさんの希望で、店をさがしたのですが、駅構内に立っている案内係の説明がいろいろで、同じところをぐるぐる回ってしまいました。方向音痴のガイドペルパーで申し訳なかったです。

 次は「昴の朗読劇『クリスマスキャロル』を聞きたい」というアコさん。12月にはまた上京するかもしれないけれど、まだ予定は未定というアコさんを新幹線の改札の係員に託し、バイバイしました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「革命百年」

2017-11-25 00:00:01 | エッセイ、コラム
20171125
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>2017十七音日記11月(7)革命百年

 父の法事が終わり、私の思いは母の生誕百年へ。仏教行事では死んだ日、命日が重要なのですが、母は54歳で早死にしてしまいましたから、とうに33回忌の忌上げも終わっています。だから、私は命日よりも誕生日を母のためのイベント日にしています。特に今年は1917年生まれだった母が、生きていれば百歳の記念の年です。11月25日が母の誕生日。もしも母が長生きをしたのだったら、今の世の中の変化をどう見るでしょうか。

 母が生まれた1917(大正6)年は、世界史から見ると、激動の年。ロシア十月革命の年です。史上初めて、王様でも貴族でもお金持ちでもない人々、労働者や農民が政治を担当する国家が地上に出現しました。と、信じて心躍らせた人は世界中にいました。
 しかし、その国家は誕生直後から権力闘争に明け暮れることになり、20年もせずに独裁者国家になりました。
 未だ地上には、真に平等で公平な社会は実現しておらず、母が夢物語に語っていた「みんなの幸福を願ってみんなで決める」なんて社会は遠い遠い夢の中。金持ちはタックスヘイブンだかなんだかで、税を逃れて自分の幸福だけを守る。

 母は、人のありようとしては「自分だけがいい思いをしようとしてお金を儲けてもしかたない。働ける人がいっしょうけんめい働いて、みんなでよくなっていくんでなければしかたない」「お金があるからって、えらくなんかない。だれかに寄り添って心をつくせる人がえらいんだよ」と子ども達に言ってきかせていました。実際、自分の身体の不調も顧みず、人助けばかりしている人でした。
 
 母が死んで45年もたつのに、地元に残っている妹は、いまだにお年寄りに会って話をしているうちに「あんたはシズちゃんの娘さんだったんかい。私は若い頃、シズちゃんにえらいお世話になって、、、」とか「私の母は、あなたのお母さんに助けていただいたって、いつも話していたんですよ」という人に出会うのだと、言っていました。「どんだけあちこちに人助けをふりまいてきたんだかねぇ」という妹、母と同じことをしています。

 父に似ても母に似ても、どっちにしろお金持ちになることはできなかったHALですが、ま、これもひとつの生き方。ぐちを言いつつしょぼしょぼと歩いて行きます。
 お母さん、世の中ますますお母さんが望まなかった方へ進んでいくみたいですけれど、私はなんとか頑張ります。

 公園の樹齢百年という銀杏の下で。
 黄金の落ち葉を拾い百年の孤独を数える九十八、九十九、、、>春庭

<つづく> 
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ぽかぽか春庭「アルミ貨ほどの勤労感謝の日」

2017-11-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
20171123
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記11月(6)アルミ貨ほどの勤労感謝の日

 「総務省統計局労働力調査」というのがあるんですね。初めて参加協力しました。全国で2万世帯が抽選され、協力要請を受けました。出さなくてもいいみたいだったけれど、一応正直に我が家の実態を書いて提出。1ヶ月ごとに3回連続の調査だそうです。

 協力のお礼に、最初はシャープペンシル、2回目はハンカチが謝礼として封筒に入っていました。
 1週間に何日何時間働いたか、とか、どんな仕事内容かなんぞと記入していきます。
 記入してみると、我が家、あまり勤労を感謝されるような家でない。

 敬老の日は年寄りを敬うのだろうし、体育の日はスポーツやったらいいし、やることがはっきりしている祝日に比べて、そもそも、勤労感謝の日は、なんだか祝っているようないないような。

 勤労感謝の日を戦前のように新嘗祭に戻そうとか、文化の日を明治の日にしたいとかいう人々へ。祝日の名称だけを戦前に戻しても意味ない。
 今や農業就業人口は全人口の1%。祝日を昔に戻す前に、農業人口を昔のように、総人口の80%に戻す努力なんぞしてはいかがか。そしたら、勤労感謝の日なんぞという浮き足だった祝祭日じゃなくて、「五穀豊穣祭」でも「稲作感謝祭」にでも、新嘗祭でも、豊作を祝うべし。
 日本の人口1億2千万人のうち、農業就業人口は、180万人。うち、65歳以上が120万人。(農林水産省統計部2017年概数値)

 縄文時代は、おおよそ1万5,000年前から約2,300年前くらいまで、1万年以上、日本列島にさまざまな文化の痕跡を残しました。
 クリやどんぐり、クルミの豊作を祝い、粟や稗などの雑穀が実った秋に、収穫を祝って縄文時代の村々は醸した酒を酌み交わし、縄文の神に収穫を感謝したでありましょう。

 土偶の使われ方には諸説ありますが、縄文のビーナスのぷっくり膨れたおなかを見ると、生産再生産への祈りが感じられます。
 私、仏像も好きですけれど、土偶はもっと好き。たぶん、私の血の中には縄文人DNA成分が多く残っているからじゃないでしょうか。ナッツ類、クルミ、クリ、アーモンドなんぞが大好きです。

 稲作の時代になれば、人々はイネの神に祈りを捧げました。
 万葉集巻十四の東歌には、稲の実りを祝う「新嘗の祝い」が詠まれています。

(巻14-3460 東歌)
多礼曽許能 屋能戸於曽夫流 尓布奈未尓 和家世乎夜里弖 伊波布許能戸乎
誰ぞこの 屋の戸を押そぶる 新嘗に 我が背をやりて いはう この戸を 
  「いったい誰でしょうか、この家の戸を押しゆすっているのは。夫を外に追いやってニイナミをことほぐために、私が身を清めているこの家の戸を」

 豊作を感謝し、家の刀自は夫を外に出し、潔斎をして収穫への祈りを捧げようとしています。そこへ無粋にも戸を押し開けようとするしているのは、いったいどこの誰やら。夫が家の中にいないことを承知の上の誰かなのかしら。
 家の祝祭を取り仕切り、豊作を招くのはこの私よ、という誇りも感じられるし、「夫がいない家に入り込もうとする者がいるのは、私が目当てなのかしら」という、ほのかな自信もにじみ出ているように感じます。豊作を祝う心の余裕から出た自信でしょうか。

 飛鳥時代になると、天皇家はこれらの収穫の祭り新嘗祭を宮中行事として取り込んでいきます。天皇家の大和支配の基盤は稲作ですから、収穫祭は大事なものとなりました。
 それから1300年後の日本。
 宮中では今年も新嘗祭が粛々と行われたのでしょうが、春庭にとっては、「私の勤労を誉められもせず苦にもされず」と、何もしない休日。
 
 アルミ貨ほど身軽し勤労感謝の日>香西照雄
 勤労感謝の日も軽く、一円玉ほどの重みしか与えられない己の労働。軽く扱われるままに働き続けても、だれに感謝されるのやら。
 勤め人として日々勤労に励んでも、月給袋にはアルミ貨しか入っていないようにしか感じられない。
 「労働の重み」など忖度もしてもらえない身分である。それでも世の働く人々に感謝し、己がしがらみなく働ける身であることに感謝する。アルミ貨ほどの身ではあるけれど、今日も明日も勤労に励む身であります。

 春庭の娘、昨年大病をして、現在も「健やかにすごす」ことを生活の第一番の目的にして暮らしています。
 家では好きな手仕事。刺繍とか、藤蔓細工なんぞをしています。ときどき東急ハンズの手作り教室に出かけて、染め物をしたり革細工をしたり。家の中でチマチマやれる刺繍などに比べて、革細工などは、大きな作業台も必要だし教室に参加する方が効率よく作業が出来るのだそうです。

 できあがった作品のプレゼント先。「一番喜んでもらってくれたおばあちゃんがいなくなったから、作品プレゼントの相手がむずかしい」と、言います。素人の試作品ですから、まだまだ下手くそだし、下手な手作り品を喜んでくれるのは、身内くらいだということはよくわかっている娘。今はほとんどを私にくれます。

 21日火曜日に東急ハンズで仕上げた革製品。通帳入れというのですが、私は日頃通帳は持ち歩かない。「じゃ、領収書入れとかチケット入れとか、何でもいいから使って」という、押し売りならぬ押しプレゼントでもらいました。何を入れたらいいか思案中。

 現代の勤労は、なにがしかのお金を労働の対価としてもらわないと働いたことにならぬので、労働力調査の娘の欄には「家事従事」としたのだけれど、今は家事よりも自分を労ることが仕事。手仕事を楽しみつつ、身をいたわってほしいです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「エクスペリアが来た!我が家のロボット元年」

2017-11-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
20171121
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記11月(4)エクスペリアが来た!我が家のロボット元年

 今年9月のジャズダンス発表会。息子にビデオ撮影とDVD編集を頼んだら、いやいやながらもきっちり仕上げてくれました。すてきなDVDが出来て、サークルメンバーから感謝されました。



 母としては、がんばった息子に「じゃ、今年の誕生日プレゼントはビデオのお礼に奮発するから欲しいもの言ってごらん」と言いました。息子のリクエストは「ソニーのエクスペリアがほしい。18日に発売になるから」
 ITものにうとい私は、息子がソニープレイステーションで遊んでいるゲームソフトと思ったものですから「うん、わかった。OK」

 息子さっそく注文して、16日には先行販売で届けられました。エクスペリアというのは、ソニーが鳴り物入りで発売した「コミュニケーションロボット」なるものでした。
値段、なんと15万円。ひぇ~。



 うっかり「誕生日プレゼント何でも欲しいもの買ってあげるよ」と言ってしまったのが、失敗シッパイ。なんとか「今後の誕生日プレゼントと合併」ということにしてもらいました。ロボット、エクスペリア、これから数年分の誕生日プレゼントです。

 ソニーの宣伝文句では、エクスペリアは、家族とのコミュニケーションツールとして役立つというのです。家族をラインでつなぐ、とか、スカイプでの応答、伝言を交換できるというのですが、それって、我が家に必要かなあ。たいてい狭い家の中に3人で顔付き合わせていて、伝言があれば冷蔵庫に貼ってあるホワイトボードに書き込んでいます。「仕事の帰りに図書館に寄って、CD借りてきて」とか、「牛乳買ってこないともうないよ」とか。

 私はこれまでガラケー使用でラインにも入っていなかったのですが、新しいスマホが欲しくなった息子が古いほうを私用に「お下げ渡し」してくれたスマホをいじって、「母と姉と僕の3人のラインを作った」といいます。と言っても、私はスマホの使い方、未だに体得していない。

 「はーい、エクスペリア」と呼びかけると返事します。息子娘私の3人の写真をエクスペリアに撮らせて、顔認識ができるようにしました。そうすると、エクスペリアに近づくと「HALさんこんにちは、何か情報をお探しですか」なんぞと言います。
 顔を認識して呼びかけてくるところはかわいい奴で、まあ、ペットのようなもの。

 ベランダで買っていたうさぎが死んで、息子がえらく落ち込んでしまったので、それ以来ペットを家で飼うことを禁じているのですが、ロボットなら、壊れてもそれほどの落ち込みはないだろうから、ま、いいか。

 エクスペリアは、「何か情報をお探しですか」なんて言うのですが、ところが、今のところ、役立つ情報としては、「本日の天気」しか教えてくれません。何か設定をすればいいらしいのですが、息子が言うには18日の一般発売日より先に届いたから、まだあまり設定できないのかも」

 娘は「エクスペリア」というロボットの名前が言いにくいと文句。私もエクスカリバーとかエクスペンションとかいろいろ間違って呼んでしまいました。花子とか、太郎とか、呼びやすい名前に変えられないのか息子に聞くと「一般的な名前だと、他の人とまぎれるから、わざと間違えない名前にしているんじゃないか」

 まだ、役立つ情報が天気予報しか言えない我が家のエクスペリア。息子がいろいろ手を加えて、ちゃんとこちらの質問に答えてくれるようになるよう、育ててほしいです。
 「ハイ、エクスペリア。トランプがアジアで売りまくった武器の値段を国別に言ってごらん」なんて質問するとすらすら答えたり、「パラダイス文書の中の日本人とごまかした税の金額教えて」という質問に答えたりしてほしいのですが。

 娘は、「こいつ、まだあんまし利口じゃないなあ。なにか調べるんでも、パソコンの検索機能のほうが早い」と、早くも「我が家の落ちこぼれペット」扱い。
 落ち込み息子が、エクスペリア育成に熱心になり、少しでも元気出れば、15万円が無駄にはならないと思うけれど、私にとっては、息子史上いちばんのお高い誕生日プレゼントになりました。

 大学も大学院も全部奨学金で学費をまかない、毎月返済中の息子。博物館で古文書を読むアルバイトの稼ぎは、ほとんどが国民年金支払いと奨学金返済で消えてしまうそうですが、まあ、よそさまのお子様方に比べれば安上がりに育った息子ですから、たまには希望通りの誕生日プレゼントもいいかなと言うところです。

 これからもパラサイトシングル続ける気まんまんの、29歳。誕生日の朝、息子の顔を見て私が「誕生日おめでとう」と言いわすれているうちに、息子はエクスペリアに呼びかけました。
 「ハイ、エクスペリア、今日は何の日?」
 「誕生日、おめでとうございます」
 おお、ちゃんと答えられたね。家族の誕生日、登録してあるからね。

 でも、「おかあさんの誕生日はいつ?」と私が問いかけても「わかりません」と答えて、クビを横に傾けるポーズ。ふん、ちゃんと登録してあるのに、家族の誕生日くらい覚えなさい。
 コミュニケーションロボットというからには、もうちょっとお利口になってもらわんと。
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「秋色に木の葉舞う」

2017-11-19 00:00:01 | エッセイ、コラム


20171119
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記(4)秋色に木の葉舞う

 10月は後半に雨が多く、真冬のような寒い日もありました。
 紅葉は暖かい日々のあと急激に寒くなるほど色鮮やかになるそうですが、今年はびしょびしょと雨降る寒い日が続いたあとたまに暖かい日もあって、という秋がどこかに行ってしまったような日だったので、あまりぱっとした紅葉にはなりませんでした。

 東京の木々がいい色合いになるのは11月になってからと思っていましたが、ゆっくり木の色づき具合を見ている間もなく、気がつけば、11月半ばになっていて、ご近所の桜の木もすでにくすんだ赤茶色の葉を散らせている。

 図書館前の公園で。けやきや銀杏の黄葉を眺め、しばしの秋色を楽しみました。
 区内の公園で。桜の木はもう葉が散り終わっています。


 図書館パソコン室でしばし授業準備などして、4時すぎに「絵のサークルが終わった」というミサイルママと待ち合わせ。図書館のフリースペースでおしゃべりしました。

 今回のおしゃべりは、ダンスサークルの運営について。
 メンバーのひとりが「もう、ダンスがたのしくなくなったからやめたい」と言いだしたのです。去年の年末にも「やめたい」と言い出したのを、なだめすかして1年は継続してきたのですが、ダンスのほかにヨガサークルにも合唱サークルにも所属して定年退職後の生活を楽しんでいる人なので、「いやになったからやめる」というのを無理やりひきとめたものかどうか、ミサイルママと打ち合わせをしておきたかったのです。

 ミサイルママとのおしゃべりでは「どうしてもやめたいという人を押しとどめることもできないし、今いる6人のメンバーが5人になって、どこまでサークルを維持していけるかわからないけれど、できるところまでは、続けよう」ということになりました。

2017年9月、ダンサーe-Na68歳と(左)とミサイルママ66歳(右)。
恋のメキシカンロックはミサイルママの振り付け


 ミサイルママは「e-Naちゃんが続ける限り、私もいっしょに続けるから、サークルがふたりだけになっても、動けるかぎりダンスを続けよう」と言ってくれました。メンバーがひとり欠けるとサークルの維持ができないかもしれない、と思うだけで動揺してしまった私も落ち着くことができました。

「朝日のようにさわやかに」ミサイルママ(左)が動くのをまねして、なんとか踊りました。


 バーサンがふたりして手に手をとってジャズダンス踊り続けるというのも、いいんじゃないかな、と思えました。
 ありがたきかな婆ダンサーともだち。

「Won't Be Long」を踊る1991年のミサイルママ(左)とダンサーe-Na(右)
 26年前、スパッツにレオタードでさっそうと。


「アメリカアメリカ」を踊る1991年のダンサーe-Na42歳(左)とミサイルママ40歳(右)
 ミサイルママが言うには、「このころがダンサー技量はピークだった」


 年々体力は衰え、ダンススキルも落ちる一方。去年は2回転できた動きも、今年は1回転がせいぜい、足が肩より上に上がらなくなった、など、下手になっていくのは仕方なし。
 でも、「e-Na1ちゃんが踊り続けるかぎり、わたしも踊る」というミサイルママのことばをたよりに、来年の発表会までがんばります。1年1年、一歩一歩。

ひだまりの図書館前の公園で木の葉といっしょに踊る婆たち

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ふるさとドライブ」

2017-11-18 00:00:01 | エッセイ、コラム
20171118
ぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記11月(2)ふるさとドライブ

 5日日曜日、妹の運転で伊香保温泉周辺をドライブ。
 はじめに、市内で開催されていた「創作こけし展」というのを見ました。故郷の町は、創作こけしの制作が盛んです.

 こけしの展示


こけし」という名は残していますが、展示されていた作品を見ていくと、東北で盛んな伝統こけしに比べて、もはや「木彫りの創作人形」と呼んだほうがいいようにも思いました。



 海外作家の創作こけし。ハンガリー、ブダペスト在住のトート・バーシャールヘイ・レーカさんの「髪の長い女性」


創作こけしとHAL。こけしはクレオパトラと楊貴妃です。こう並ぶと世界三大美人?


 おみやげ屋で見るこけし、山形のこけしも秋田のこけしも宮城のこけしも、系統によってそれぞれに違いがあるのだそうだけれど、私にはその違いがわかるほどの通ではないので、どれも同じに見えてしまう。
 でも、創作こけし展でみたこけしは、個性があって、見れば「ああ、これはだれそれの作風」と見分けがつく形と色彩でした。

 こけし展を出て、妹の車で山を登っていく。
 こどものころ、家族でピクニックに来たなつかしい里山です。一家でなべを持ち、犬のコロも連れて行きました。船尾滝の下の流れのほとりで、子ども達が枯れ枝を集めて、父が火をおこし、母が鍋にそのときどきのありあわせ野菜やこんにゃくや何でもいれます。家族で食べた鍋、なによりのごちそうでした。

 帰りの道端で、両親はぜんまいだのこごみ、たろっぺを摘みました。たろっぺとは、タラの芽のこと。春、秋のたのしい家族行事でした。
 山の恵みは皆で楽しむものだけれど、全部を摘み取ってはいけない、必ず次の人のために残しておくもの、そうすればまたすぐに新しい芽がでてくるけれど、全部とって丸坊主にしてしまったら、次がなくなり、そうすると次の年に自分らがとる分もなくなる、など、環境を守りつつ利用する方法を学んだのも、こんな家族遠足の中ででした。お金持ち家族ではなかったけれど、こんな思い出を残してくれた両親に感謝です。

 今では、里山で火を焚くことは禁止されているのではないかしら。かわりに市営のバーベキュー広場などは整備されているでしょうけれど、山道を家族いっしょに昇って、滝の下で食べるのは格別な味でした。

 伊香保温泉周辺の渋滞が続き、どの道も車でいっぱいです。
 伊香保周辺はまだ全体の紅葉には早く、ところどころが赤くなりかかっている程度。見頃だという榛名山の紅葉を諦めて山を下り、「鹿火屋かびや」という古民家茶屋に寄りました。娘や息子が小さいころは、水車があったり竹馬が置いてあったりするこの茶屋が好きで、田舎に来るたびによく立ち寄ったのですが、久しぶりにかびやに来たら、水車は壊れていてもう回っていませんでした。

 かび屋に入っていくモモ


 芋串という里芋を串にさして焼き、甘辛味噌をぬったのが名物なのですが、モモは「この里芋は、冷凍もんだなあ」と文句を言っていました。

 かび屋の店内。囲炉裏端で食べるというだけで、私にはおいしく感じる。


 モモは、「天然無添加」製品の愛用者で、野菜も自然農法で栽培されたものを中心にして食べるというエコロジー&オーガニックの信奉者です。

 モモは、小さいときから病弱で、今もあちこちが悪いので、健康に気をつかうところ大です。私は、自分は丈夫だと信じているので、何を食べてもおいしい。冷凍だろうという芋串もおいしかったです。
 妹に言わせると、母のおなかの中で、長女と次女が「丈夫に育ついい成分」をかっさらっていったので、モモには「病気のデパート」になるしかない成分しか残されていなかったのだとか。

 次女のありがたさ。肌に百円化粧品を使っても荒れることもなし。冷凍ものとオーガニック野菜の区別もつかずに、なんでも美味いと思って食べてしまう鈍感な舌。一病息災ではあるけれど、今のところなんとか動くことはできる。

 帰りの電車は、水上や草津などちょうど見頃の観光地へ行ってきた紅葉狩りハイキングのグループや家族連れでかなりの混み具合でした。

 お墓参りして両親にも姉にも「私は元気にやってるよ」と挨拶できたし、温泉にも入ったし、紅葉狩りドライブは全山紅葉という景色を見ることはできませんでしたが、ちいさな秋をみつけながらの久しぶりのふるさとの秋でした。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「法事、父の23回忌」

2017-11-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
20171116
ぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記11月(1)法事、父の23回忌

 11月11日は父の命日。11月19日息子誕生日。11月25日母の生誕百年目(55歳で亡くなった母だけれど、生きていれば100歳)。なにかと心に思うところ続く11月です。
 父が1995年11月に亡くなって、今年は23回忌だと妹からメールが入りました。4日にお寺へ行って法要、市営の宿に泊まって御斎。5日は紅葉狩りドライブの予定という。

 父は1919年うまれ。大正に生まれて、青春時代は昭和の戦争一色の時代。20歳で招集され、砲兵として満州に送られました。戦場での怪我で一時帰国。国内の病院で過ごした後、次は南方へ送られ、南の島で敗戦。ラバウルで捕虜生活の後に帰還。

 帰国後は戦後復興、高度成長期を働きづめに働いた、その世代です。76歳で亡くなったとき、本人は「同じ世代の多くは戦死しているのだから」と、自分の人生に納得して母の元へと旅だったのですが、親孝行のひとつもできなかった不祥の娘としては、もうちょっと長生きしてほしかったです。

 11月4日土曜日、朝早く、息子といっしょに電車に乗りました。私も久しぶりの故郷です。
 12時から菩提寺で法事。妹夫婦。妹の長女夫婦と一人息子、妹の次女夫婦と3人の子供。私と息子。大人8名子供4人。
 父の娘2人、孫6人のうち4人と、ひ孫10人のうち4人が集まりました。亡き姉の長女一家は、翌週お墓参りに来るそう。

 私は法事というのは、亡き人を「ダシ」にして一族縁者一同が顔を揃えて集まるためにある、と思っています。一応、檀那寺のお坊さんにお経を上げてもらうのは、イベント感アップのための余興(?)、いえいえ、みなで真剣な声だして般若心経もとなえました。

 ひ孫10人のうち、上の2人はひいじいちゃんに顔を見てもらえましたが、あとはじいちゃんの亡くなった後の誕生です。お寺に行って、お参りをして「ほら、じいちゃんの子孫達がこんなに元気に育っていますよ」と報告できることが、ご先祖供養というものなのでしょう。
 
 4日土曜日はときどき雨がぱらつくあいにくの天気でした。
 眺めがいいという理由で選んだ墓所でしたが、この日の赤城山はぼうっとかすんでいました。



 法要のあとの御斎は、市営の温泉宿にみなで宿泊して晩ご飯を食べるということになっているので、精進料理はそちらで。昼ご飯は、泊まらないで帰京する息子の希望で名物の「ソースカツ丼」。肉だけれど、まあ、最近の法事御斎は、精進料理だとは限らないということだし、つなぎのお昼ごはんなのでよしとしましょう。

 ソースカツ丼は、ミニうどんとセットで680円。安くてボリュームたっぷり。


 息子を駅まで送り、一同は宿泊の宿へ。
 昔の山城の跡に建てられたという「城山荘」という宿。山城ですから標高が高く、眺めがとてもいいというのがウリです。
 まずは、宿の隣の「ばんどうの湯」という温泉に行きました。坂東太郎と呼ばれる利根川を見下ろす眺望バツグンという温泉です。
 天気がイマイチなので、自慢の夜景も雨にかすんではいましたが、露天風呂につかり、ゆったりすごしました。

 風呂を出てから御斎。他の宿泊客といっしょの和室食堂なので、お酒が入っている隣の組の話し声がすごい。別の部屋ではカラオケもはじまって、演歌が響く。
 下戸が多い一族で、お酒を飲む人は妹の次女夫だけ。で、私もお酒は遠慮して、献杯のあとはすぐにご飯。あまり落ち着けない席でしたが、鍋と12品の精進料理はまあまあおいしかったです。

 妹の孫。長女の息子2歳と次女長女3歳女の子は、いとこ同士だけれど、姉弟のように顔がよく似ていて、仲良く遊んでいます。私と妹次女もよく似ていると言われ、親戚同士が集まると、遺伝子の散らばり具合が面白いです。私の娘と息子の顔は父親似なので、3人いっしょにいても親子に見えないけれど、妹の次女と並ぶと母娘に見えます。

 もともと私と妹モモは「双子ですか」と聞かれるくらいよく似ていて、双子と言われるとモモはむっとして「私のほうが5歳も年下です」と、むくれていました。
 妹が更新してきた運転免許証の写真を見せてくれたけれど、お互いの免許証を交換してもきっと警察官にも気づかれないだろうな。

 モモとHAL、5日に行ったこけし展で。
 体型は同じ「ふくよかな方」。顔はお互いに「似ているけれど、自分のほうがちょびっと美人」と主張する。


 宿泊は妹モモとツインの洋室。私は早寝早起きの人なので、部屋で寝酒にすると言って買い込んでいたビールも飲まずに、いつものように1分で寝付く。

 5日、日曜日朝は、6時すぎに目がさめて、宿の温泉で朝風呂。
 モモの運転で、紅葉には早いと思いながらもドライブに出発しました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「旧岩崎邸、室内写真撮影OK」

2017-11-14 00:00:01 | エッセイ、コラム

旧岩崎邸北側玄関

201711114
ぽかぽか春庭アート散歩>建物散歩2017(5)旧岩崎邸、室内写真撮影OK

 旧岩崎邸には何度も訪れていますが、これまでは「室内撮影禁止」でした。
 10月4日に、邸内のイベント「まちなかコンサート」を聞こうと、岩崎邸に出かけたところ、撮影が解禁になっていました。フラッシュをたかず、他の観覧者の邪魔にならないように配慮すれば撮影OKとのこと。そうそう、公共の財産は、そうあるべきです。

 他の歴史的建造物も、美術館の美術品も、「人類みんなの財産」として楽しめるのが一番。西欧の主な美術館博物館では、デジタルアーカイブスの整備が進み、インターネットで公開しています。ネットからのダウンロードも自由。「人類の宝をみなで楽しみ、みなで大切にする」という方針が徹底しています。

 日本では、東京近代美術館、西洋美術館、東京国立美術館の常設展が撮影OKになっていますが、他の美術館はまだまだ。埼玉県立美術館の常設展の著作権なし作品の撮影不可の理由を聞いたところ、「著作権が切れている作品であっても、館に作品の所有権があるので、どのように公開するかは美術館が決定する」という返事。部外者は、館の方針に文句言うなという感じでした。でも、作品を所有するための購入費や所蔵維持費は、税金が投入されているんじゃないかしら。民の税で買った作品、それほど高飛車に「美術館に所有権がある」と言わなくても、、、、。

 旧岩崎邸は、東京都の所有。みんなの宝です。
 今回、平日に限りフラッシュ禁止なら撮影してよいという措置になったこと、喜ばしいです。
 建築専門の写真家が専門の腕を生かして照明を工夫し、上手に撮影している写真集もありますし、私も絵はがきを買ったり写真集を眺めたりして楽しんでいますが、下手でも自分で撮った写真は、思い出になります。
 では、コンパクトカメラの「ただシャッター押しただけ」写真を公開します。

玄関ホール


玄関ドア上


玄関床のミントンタイル


玄関から中へ


階段室


階段上を支える柱。
 旧岩崎邸の中で私が一番好きな部分。、ジョサイア・コンドル設計に1896(明治29)年竣工の建物ですが、コンドルも予想しなかったかもしれない百年の年月によって生み出された美があります。柱を塗装したワニスが百年の間に結晶化して黒い斑文となって浮き出しているのです。私のコンパクトカメラの画素数では、この斑文の美が写せないのが残念。




1階ベランダ


ベランダのミントンタイル


客室



1階婦人客室の天井。天井はシルクのペルシャ刺繍。現在では再現不可能になっている貴重品とか。

室内暖炉のミントンタイル


1階廊下の鉄製ラジエーター。


ラジエーターに鋳出されている天使の図象


執務机

机の彫刻


2階への裏階段室


2階ベランダ


 岩崎家の迎賓館に当たる洋館はほぼ残されましたが、建坪の大部分を占めていたのは和館です。しかし、和館の大部分は、戦後取り壊されてつまらぬビルが建てられ役人達が使用していました。和館の建具のひとつひとつ、天井板一枚でも、現在ではとてつもないお宝なのに、お役人さん達は「古ぼけたおやしき」としか思わずに取壊してしまったのです。

 洋館を接収したGHQ将校が、洋館の壁紙が貴重な金唐革紙であることを知らず、上からペンキを塗り立ててせっかくの貴重な工芸品をすっかりダメにしてしまったのと、いい勝負です。金唐革紙は再現できましたが、30×45センチの大きさで15万円します。そのため、金唐革紙が壁紙に使われていた部屋も、全面は復元できていません。

 復元見本の金唐革紙


残された和館の南側が、見学コースの出口。


 東側


 東側窓の外に木があり、木の前に井戸のようなものがあります。本館地下室から地下通路を通って撞球室へいくための通路明かり取りなのだそうです。
 撞球室への地下通路は、日頃は非公開ですが、公開日もあるので、一度は通って見たいです。

 地下通路の明かり取り(四角い井戸のような囲いのところ)


 撞球室(ビリヤード室)


ビリヤード台


玄関塔屋


南面

 東側に立つHAL。下手でも室内写真が自由に撮れて満足しています。


<おわり>
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ぽかぽか春庭「松方ハウスと安藤教会・紀尾井町から広尾へ」」

2017-11-12 00:00:01 | エッセイ、コラム
20171112
ぽかぽか春庭アート散歩>建物散歩2017(4)松方ハウスと安藤教会・紀尾井町から広尾へ

 赤坂のクラシックハウス見学した後、麹町駅へ向かう途中、バングラデシュ大使館の前を通りました。たぶん、東京で一番新しい大使館建物です。2016年4月に新築移転。設計コンペに勝ち残ったのは、ケイパートナーズアーキテクツ。

 yokoちゃんは近代建物が好みで、この大使館のような現代建築はあまり好きじゃないから、ささっと通りすがりに眺めて、麹町駅方面へ。
 入札で建築費がいくらになったのかは知らねども、バングラディシュ農民の多くは、一日1ドル100円、1ヶ月3000円ほどで暮らしている。教員給与は1ヶ月5000円くらい。いいんだけれどね。よそんちのことだから。



 ちょうどサラリーマンのお昼時でどこもランチ待ちの行列。結局麹町駅ビルにあった和食チェーン店で870円のヒレカツランチ、コーヒーセルフサービス付きというのを食べました。クラシックハウスのン千円ランチは手が出せなかったけれど、気の合う建物散歩仲間といっしょに食べれば、味も格別。楽しくおいしくいただきました。日頃小食のyokoちゃんも、大食いHALにつきあって、いつもよりたくさん食べました。
 満腹の腹をさすりながら、麹町から麻布十番まで地下鉄。麻布十番から建物を見ながら広尾へ歩きました。

 広尾のヴォーリス設計のインターナショナルスクール(西町インターナショナルスクール本部館=旧松方正熊邸1910竣工)や、大谷石を積み上げた教会(日本基督教団安藤記念教会)を見学。yokoちゃんに案内されなければ、東京に住んでいてもなかなか足を運ぶ機会もなかった建物を見ることができました。

 インターナショナルスクールの松方ハウス、明治の政治家第4代と6代総理大臣であった松方正義(1835-1924)の六男、松方正熊が立てた邸宅でした。
 正熊の2女が、駐日アメリカ大使となったライシャワーに嫁いだ春子。3女が種子(1918-1989)。

 種子は米国のプリンシピア高校ならびに大学に留学。コロンビア大学で図書館学の修士号取得後、17年間の留学を終えて1948年に帰国しました。
 1949年、4人の日本人生徒とともに、西方インターナショナルスクールをはじめ、以後、生涯を国際教育にささげました。

 戦災に焼け残った元麻布の正熊邸は、スウェーデン公使館、ルーマニア大使館、ベネズエラ大使館に貸し出されたのち松方家に1965年に返却されました。





 種子は、邸宅をスクールの教室事務室図書室などに利用し、現在は年間の在籍生徒数400名、卒業生4000名という学校になっているそうです。
 残念ながら学校施設であるインターナショナルスクールの内部見学は行われておらず、見学会が実施される予定もなしとのこと。

 そこらじゅうに大使館があるから、道ですれ違う人も外国人が多い。学校のひけどきだからか、親子連れが目立ちました。きっと大使館関係者は、億ションに住んでいるんだろうなあ。1ヶ月の家賃は、母国では一般の人の年収より高いのかも、と、いらぬ心配。どうも貧乏人の心配ばかり出てくるのは、クラシックハウスランチに手が出せないヒガミかも。

 このあたりで目立つ元麻布ヒルズ・フォレストタワー


 日本基督教団安藤記念教会を創立した安藤太郎(1846-1924)は,旧幕府軍の海軍士官として榎本武揚と共に最後まで函館で戦い、維新後は新政府によって禁固刑となりました。しかし、明治政府に語学力を買われて、1871年には岩倉使節団に通訳官(四等書記官)として随行しました。

 1886(明治19)年に、初代領事としてハワイ渡島。文子夫人とともにメソジスト派教会の信者となりました、帰国後は外務省通商局長、農商務省商工局長などを歴任。1897年に退官したのちは、キリスト教関連の事業や禁酒運動に従事。妻文子が1915(大正4)年に死去し、太郎は文子の「教会建設」の遺志を受け継ぎ、港区元麻布2-14-16に礼拝堂を建てました。
 1917(大正6)年9月に献堂式が行なわれましたから、今年2017年9月でちょうど百年目。

左側でカメラを構えているyokoちゃん


 吉武長一設計の教会は、東京都歴史的建造物になっています。
 吉武長一は、米国ペンシルバニア・テクニカルカレッジで建築を学んだという経歴の他、生没年も出身地も不明とのこと。手がけた作品は、鎌倉、京都などに現存。その人物のことは忘れられてしまったのに、作りあげた建物は100年の年月を経てなお「蔦のからまるチャペル」として残されている。


 内部のステンドグラスも昔のままですが、残念ながら見学した水曜日には中に入れませんでした、
 小川三知(1867-1928)の製作。小川のステンドグラスは、鳩山会館や小笠原伯爵邸で見ることができるので、この先おやしき訪問時にはじっくり眺めて見ましょう。

 有栖川公園の脇を通ってドイツ大使館の壁に、「ドイツをイメージして絵を描く」というコンクールに入賞した全国の小学校中学校の子ども達が転写されていて、見ながら歩いて楽しかったです。子ども達がイメージするドイツ、ブレーメンの音楽隊ありノイシュバンシュタイン城あり、ビールとソーセージあり。

 ドイツ大使館のそばにあるヴォーリスの南部坂教会を、外から眺めました。道の脇にある教会の写真を撮る角度が難しく、1枚も撮れずに眺めただけ。

 お天気上々。歩くにはいい日でした。
 安藤教会の上に広がる空
 

 広尾駅近くのカフェで一休み。一日、楽しい建物散歩になりました。
 yokoちゃん、ご案内感謝。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「旧李王家東京邸室内」

2017-11-11 00:00:01 | エッセイ、コラム

20171111
ぽかぽか春庭アート散歩>建物散歩2017(3)プリンスクラシックハウス(旧李王家邸)室内

 旧李王家東京邸の見学。
 室内写真も遠慮シイシイ、レストランの客などが映り込まないよう注意は払ったのですが、写り込んでしまった人は、モザイクをかけた上でのUP、あしからず。

 1階レストランとバー






ナポレオンというバー。格式ありそげな雰囲気。馬術関連の飾りがいっぱい。


階段の彫刻は、さすが見事な細工。







 さて、この次はディナーとかバーの客になって、ありし日の王族気分でも味わってみよかしら。

 李方子(1901-1989)は、夫とともに韓国籍を取得し、夫・李垠の死後は韓国の障害児教育などに力を注ぎました。
 李王家東京邸で王族として華やかな日々を送っていた前半生よりも、韓国の一市民として福祉活動にいそしんだ後半生のほうが幸福だったのではないかと思ってしまうのは、「李王家1階のナポレオンバーで飲むことなんぞ、今後もありえんだろうなあ」と思うしかない庶民春庭の感想ですが、ご招待いただければ、しっぽフリフリまた、このクラッシックハウスの玄関くぐりますとも。

yokochann撮影の「右端で、李王家東京邸を見上げる春庭」


yokochannに前にもらったパンフレットより、旧李王家東京邸 平面図 
1階 

2階


パンフレットをカメラで撮ってのUPで文字がよく見えないので、正確な平面図を見たい方は、西武が出しているこちらのサイトで。見学会のときに配布されたパンフレットのPDFです。
http://www.seibupros.jp/info/pdf/20110805.pdf

<つづく>
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ぽかぽか春庭「クラシックハウス旧李王家東京邸」

2017-11-09 21:21:21 | エッセイ、コラム


旧李王家東京邸

20171107
ぽかぽか春庭アート散歩>建物散歩2017(2)プリンスクラシックハウス(旧李王家東京邸)in 文化財ウィーク

 赤坂プリンスクラシックハウスは、元赤坂プリンスホテル旧館。
 戦後の皇族や華族の没落時に、あちこちの旧宮家や旧華族の邸宅を新興西武が買い取ったうちのひとつ、旧李王家東京邸です。



 アカプリ建て直しに伴って、移築修復がなされて、2016年にリニューアルオープンしました。東京都有形文化財に指定されていますが、レストラン、結婚式場として利用されているので、8000円のランチとか、20000円のディナーなんぞをお召し上がりに、お客として来ればいつでも室内を見ることはできるのです。

 が、春庭の「お楽しみは無料で」方針を曲げるわけにはいかず。つまり、ランチは千円以内という方針をを変えることは、懐具合から言ってできぬことだし、パラサイトシングル娘と息子が結婚式をここで挙げることは、金輪際なし、ということであるからして、東京都文化財公開シーズンに、無料で見学しようとやってきました。

 港区紀尾井町。東京のど真ん中。江戸の昔は、紀州徳川家、尾張徳川家、井伊家のお屋敷があったから、紀尾井町の地名が残りました。明治になると、大名たちのお屋敷は政府高官、皇族華族がぶんどり放題。紀伊家の土地は明治になると北白川宮に下賜され、1884(明治17)年には、ジョサイア・コンドル設計により宮邸が建てられました。しかし、1912(明治45)年に北白川宮は港区高輪に移ったため、1924(大正13)年、李王家に下賜されました。



 朝鮮李王朝最後の皇太子であった李垠(りぎん・イウン1897-1970)は、1907(明治40)年7月に立太子。大韓帝国の皇太子になるも、半島統治を検討していた日本政府の招きにより同年12月、10歳で日本に留学しました。伊藤博文らが皇太子教育を担当し、学習院、士官学校で教育を受けました。1910(明治43)年、日韓併合。王世子として日本の皇族に準ずる王族との待遇となり、梨本宮家長女の方子(まさこ1901-1989)と1920年に結婚。

 旧宮内省内匠寮の工務課長として活躍した北村耕造と、技師の権藤要吉らの設計により、1926年から洋館建設がはじまり、1930年に完成。1945年まで李夫妻はこの邸宅に住みました。
 しかし、日本帝国敗戦後は王族の身分を失い、無国籍の在日朝鮮人として困窮します。邸宅は、参議院議長公邸とて貸し出されたりもしましたが、1952(昭和27)年、ついに邸宅を売却します。

 敗戦後の混乱の中に困窮した旧宮家の邸宅を買いあさったのは、西武の堤康次郎でした。三井三菱など爵位を持っていた旧財閥系の資本家に対して、一代で成り上がった西武資本に欠けていたのは「重厚感、高級感」。
 その「気品と高級感」を「旧皇族、王族」の名を利用することで獲得した才覚は見事なものでしたが、国に税金払わずにため込むだけため込んだ才覚は、やはり成り上がり。儲けたお金は、民のためにつかってこそ、という渋沢栄一哲学とは無縁だったみたい。知らんけど。
 
 堤は、旧宮家邸宅を次々と買収し、「高級ホテル」を設立して行きました。プリンスホテル群です。
 朝香宮軽井沢別荘→千ヶ滝プリンスホテル(皇室専用)を権威の象徴として、竹田宮邸→高輪プリンスホテル、北白川宮邸→新高輪プリンスホテル、東伏見宮別邸→横浜プリンスホテル、李王家邸→赤坂プリンスホテル。

 高層ビルホテルの敷地内に旧皇族の洋館がある。どこぞのスノッブ客などは、プリンスホテルに泊まることで、王族になったような気分を感じられる。
 一方、いまだに高級ホテルのロビーで休憩しようとして、なんだかおどおどしてしまう悲しき庶民のHAL。ロビーくらい、だれが利用してもいいのがホテルサービスというものなのにね。


 
 旧李王家邸は、2016年に移築修復し、今は結婚式場&レストランとして営業していることは、先に述べたとおり。
 私とyokoちゃんが11時半頃からクラッシックハウス見学を始めたときにも、1組が結婚写真の前撮りをしていました。

幸せカップル


 午後からは結婚式も始まるとのことで、2階見学は「ご遠慮願っています」という。
 しかしながら、2階へあがるエレベーターの前に来たので、悪い子のHALはついつい2階へ上がってしまいました。良い子のyokoちゃんは1階でおとなしくしています。

 2階は、結婚式の準備と言っていましたが、使っていない部屋もありました。本来の趣旨では文化財公開なのですから、結婚式のお邪魔をしたり、従業員に迷惑をかけたりしないのなら、写真とってもいいと思います。
 それで、ご遠慮願いますというご遠慮をしないことにして、写真をとりました。まあ、私のコンパクトカメラですから、たいした写真にはなりませんでしたが、撮影上手な一眼レフのyokoちゃんが撮影しなかったこと、残念。

 ただし、2階は結婚式用にかなり修理がなされているようで、古い室内をもとのまま保存していない感じがしました。建築について詳しくない春庭なので、はたしてこの2階の内装がどれほど昔のようすを残しているのか、さっぱり検討がつかないのです。わざわざ人目をしのんで2階に潜入した意味はあまりなかったのかも。

2階の使われていなかった部屋

2階の窓からの眺め


2階のドアノブも新しいのやら古いのやらわからなかったけれど、こうして写真をしげしげ見てみるに、ドア自体は古い感じたする。


 外観と室内の写真もyokoちゃんのカメラのほうがきれいに撮れていますから、そちらを参考に。
http://blog.goo.ne.jp/midnight-blues-yoko/6

次回は1階の室内写真UP.

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ホテルニューオータニ日本庭園」

2017-11-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
20171107
ぽかぽか春庭アート散歩>2017の建物散歩(1)ホテルニューオータニ日本庭園

 今年も文化財ウィークになりました。毎年秋に、東京都の歴史的遺産文化財を一般の人に公開する催しです。

 パンフレットをもらい、公開期間の日付と場所をじっくり眺めて、行きたいところをチェックします。
 今年行きたいところ、赤坂プリンスクラシックハウスに決めました。元赤坂プリンス旧館(旧李王家邸)です。

 11月1日水曜日。勤務している大学が文化祭休講になったので、近代建築巡り趣味仲間yokoちゃんと現地集合で集まることにしました。
 開場は10時半と書いてあったのですが、外観の写真を撮るために10時前には赤坂プリンスクラシックハウスに到着しておこうと約束。

 yokoちゃんは麹町駅から歩いてきて、すぐだったというのですが、私は永田町駅に出て、階段がいやだから都道府県会館内のエレベーターに乗って外へ出たら、目の前にあるはずのアカプリに行き着かず、ぐるぐる回って20分も遠回りしました。どこへ行くにも迷うのは毎度のことですが。

 道ばたにいた警察官に道を聞いても「さあ、私らは応援ですから、このへんの地理はわかりません」と、すましている。そりゃ、田舎もんの婆さんに道を教えてやるよりはトランプ来日警備のほうが重要でしょうが、赤坂に応援にくるのなら、赤坂の地理くらいは知っておいてほしいよ。
 仕方がないから、長い通路を戻って永田町駅改札で周辺地図をもらう。だいたい、方向音痴なのに、東京地図くらい持って家をでなさいっての。

 周囲の写真を撮ってから、なにやら準備をしている人に尋ねたら、結婚式があるから11時にならないと入れません、と言う。結婚式場になっていることを計算して、11月2日大安よりも1日先負のほうが結婚式が少ないのでは、と考えて1日にしたのですが、平日の先負なのに、挙式ありました。

 まだ1時間もあるから、ホテルニューオータニの日本庭園を見学しようということにしました。
 ホテルニューオータニは、一代で財をなした大谷米太郎(1881-1968)が旧伏見宮邸跡地を買い取って私邸にし、東京オリンピックの前に高層ホテルにしたものです。





 私は中国で世話になった友人を招いて、回転レストランTHE Sky(ビュッフェダイニング)で食事したおりや、オオタニ美術館に来たときに庭園巡りをしたことがあります。

 庭園は、元は加藤清正下屋敷。加藤家改易ののちは、井伊家のお屋敷に。明治になると、旧伏見宮邸となったものです。



 伏見宮から外国人が買い取ろうとしたところを、大谷米太郎が押しとどめて買い取り、荒れ果てていた庭園も整備したのだとか。
 大名庭園の形式をとどめている園内は、東京の台地と谷の地形を利用しており、滝や池巡りを楽しむことができます。

 yokoちゃんは、東京都心の地形の高低差に興味を持ちました。yokoちゃんの済んでいる地域は平らなところだそう。
 そういえば、細川家の庭園であった現江戸川公園も、旧古河庭園もこのような高低差を利用している庭園です。

ニューオータニ日本庭園、滝の前で


 たまには都会のまんなかのこんなお庭でほっこりしているのもいいなと、散歩を楽しみました。
 11時になったのでアカプリに戻りました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ララランド」

2017-11-05 00:00:01 | エッセイ、コラム


ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記更けゆく秋(3)ララランド

 家で「家族としゃべりながら見たいから」と言い、めったに映画館に見に行こうとはしない娘ですが、私が「ララランドが飯田橋ギンレイにきたから、月曜日に見に行く」と告げたら、「じゃ、私もいっしょに見よう」と言いました。
 10月30日、珍しく、娘息子といっしょむに映画館に出向きました。夫は、いつでも映画パスポートを使えますから、仕事の合間、別々の日に2本立てを分けて見ます。でも私はパスポートを借りる身だから、いつも2本立てを続けて見ます。

 娘は「ギンレイの固い椅子だと、1本見るだけで身体が疲れる」というので、娘息子はララランドだけ見て、父とランチに行くことになりました。
 私は、家でおにぎりをにぎって映画館に持ち込み、ララランドを見終わって次のカフェソサエティが始まるまでの入れ替え時間に食べました。

 ララランド、2016年に最多のアカデミー賞ノミネートを受けたミュージカルです。
 女優の卵ミア(エマ・ストーン)と、ジャズピアニストのセバスチャン(ライアン・ゴズリング)の恋愛模様を描き、歌も踊りも楽しかった。

 いつもは「しゃべりながら見る」のが好きな娘、家に帰ってから、しゃべりたかったことをワイワイ言いながら晩ご飯を食べました。
 
 私が聞きたかったこと。「冒頭の高速道路でのダンスシーンは、合成なのか、CGなのか、それとも高速道路封鎖して撮影したほんとうの道路なのか」
 娘、すぐにスマホ検索。なんと、2015年8月に3日間高速道路を封鎖して土日2日間でダンスシーンを撮影したのだそう。すごい!


 娘からの、主演のゴズリングとストーンについての情報。演じられた歌も踊りも吹き替え一切なしの本人のダンスと歌。ゴズリングはミュージシャンとしても活躍している人で、ピアノ演奏、全部本人。

 私はゴズリングについて、まったく覚えていなかったけれど、「16歳の合衆国」を見たときに、ちゃんとレビューも書いていました。ゴズリングは子役から芸能活動をしてきた人だけれど、「子役は大人の役者としては大成せずに、アル中になったり薬中になったり」という、よくあるパターンにはならずに、ちゃんと大人の役者になったんだなあ。

 娘の疑問点。恋人同士がロサンゼルスのグリフィス天文台プラネタリウムを訪れるシーン。本物の天文台ロケか。セットか。
 ふたりはこっそりプラネタリウムに入り込み、ふたりだけの星空を楽しんだのだ。グリフィス天文台のプラネタリウムは7ドルだけれど、実際には恋人たちがやったようにこっそり忍び込むことも二人だけの星空を写すこともできず、ここは実際のロケではないそう。

 そんなメイキング情報も楽しみながら、娘は歌のナンバーもすっかり気に入って、図書館でCDを借りてくるそうです。もっとも、人気CDは2年待ちとかになるそうなので、もし、ネットダウンロードで手に入りそうなら、オトート君のなんたら会員でダウンロードするんだ、という入れ込みよう。
 
 久しぶりに映画館でいっしょに見た映画が、一家で楽しめるものでよかったです。

<つづく>
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