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ぽかぽか春庭「2014年8月目次」

2014-08-31 00:00:01 | エッセイ、コラム


20140831
ぽかぽか春庭 2014年8月目次

0803 春庭ことばのYa!ちまた>検索キーワード(1)アッパッパ
0805 検索キーワード(2)アクセス解析
0806 検索キーワード(3)原爆詩集
0807 検索キーワード(4)ペリパトス

0809 ぽかぽか春庭アート散歩>オリエント逍遙(1)オリエントの切り子ガラス腕
0811 オリエント逍遙(2)トルコ展in東洋文庫
0812 オリエント逍遙(3)オリエントの音楽
0813 オリエント逍遙(4)オリエント音楽&アラビア文字お習字in東洋文庫
0814 オリエント逍遙(5)古代エジプト展女王と女神in東京都美術館

0815 春庭ことばのYa!ちまた>憲法9条 

0817 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記8月(1)私は見た-ゴヤ in 西洋美術館
0819 十四事日記8月(2)お盆の愚痴まいり
0820 十四事日記8月(3)高原列車で清里ファーストトレインへ
0821 十四事日記8月(4)清里カントリーイン・ファーストトレイン
0823 十四事日記8月(5)ファーストトレインのアンティークと清里の花 
0824 十四事日記8月(6)平山郁夫シルクロード美術館 in 清里
0826 十四事日記8月(7)2008年のポールラッシュ巡り&西の魔女ロケ
0827 十四事日記8月(8)日本発掘in 江戸東京博物館
0828 十四事日記8月(9)思い出のマーニー×種田陽平展 in 江戸東京博物館

0830 ぽかぽか春庭ブックスタンド>2014年5~8月読書メモ
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ぽかぽか春庭「読書メモ2014年5月~8月」

2014-08-30 00:00:01 | エッセイ、コラム


2014/08/30
ぽかぽか春庭ブックスタンド>読書メモ2014年5月~8月
(・百円本半額本 @図書館本 ¥定価購入本 *図書館廃棄本)

<日本語・日本文化>


<評論・エッセイ>
・中野京子『怖い絵で人間を読む』2010NHK出版生活人新書
・井上ひさし『ことばを読む』1992中公文庫
・平嶋二郎『世界建築史の旅』1992中公文庫
・司馬遼太郎『歴史の舞台』1993中公文庫
・司馬遼太郎『神戸横浜散歩 街道をゆく21』1988朝日文庫
・司馬遼太郎『三浦半島記 街道をゆく42』1997朝日文庫
・司馬遼太郎『オランダ紀行』1997朝日文庫
・井上靖・司馬遼太郎『西域をゆく』1998文春文庫
・永井路子『太平記紀行』1990中公文庫
・石井美樹子『薔薇の王朝 王妃たちの英国を旅する』
・村上春樹『村上朝日堂ハイホー』1992新潮文庫
・佐伯彰一 『近代日本の自伝』1990中公文庫
*保阪正康『自伝の人間学』2007新潮文庫

<小説・戯曲・ノンフィクション>
・村上春樹『スプートニクの恋人』2001講談社文庫
・村上春樹『色彩をもたない多崎つくると彼の巡礼の年』2013文藝春秋
・原田マハ『ヴィルジニーの食卓』2013講談社
・原田マハ『楽園のカンバス』2012講談社
・辻邦生『夜ひらく』1955綜合社
・司馬遼太郎『豊臣家の人々』1991中公文庫
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ぽかぽか春庭「思い出のマーニー×種田庸平展 in 江戸東京博物館」

2014-08-28 00:00:01 | エッセイ、コラム

湿っ地屋敷

20140827
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記8月(7)思い出のマーニー×種田庸平展 in 江戸東京博物館

 8月20日、息子との江戸東京博物館へのおでかけ。昼ご飯を食べたあと、特別展の「思い出のマーニー×種田庸平展」、見ていくかどうか、息子に聞きました。
 姉娘が病院の日で、いっしょに来られなかったので、姉思いの息子くん、「う~ん、姉もジブリ好きなのに、先に見ちゃったら、怒るかな」と、気にしています。娘は、8月22日もおばあちゃん(姑)の病院付き添いです。

 「借りぐらしのアリエッティ×種田陽平展」は木場の現代美術館で開催していたので、私は「マーニー」も現代美術館だと思い込んでいて、「日本発掘展」を見た後、ひとりで現代美術館へ行くつもりでした。しかし、今回は現代美術館ではなく、江戸東京博物館での開催。だったら、息子もいっしょに見たらどうかと思ったのです。学生割引の息子チケット代1040円は、母がおごるから、と。

 ディズニーアニメもジブリアニメも大好きな息子と娘、「思い出のマーニー」のメイキング番組もテレビで見ています。ただし、娘は「家族とおしゃべりしながら見たいから、劇場で見るのはいや」という鑑賞法。マーニーを家族で見るのもずいぶんと後になると思いつつ、みなで、マーニーのメイキング番組を見たのです。こだわりの作画、スタッフ一同、いかにしてこまかい描写に情熱を傾けているか、など知りました。

 マーニー展示、とてもよかったです。種田陽平のスケッチ、美術、アニメーター出身の米林監督の絵コンテなど、映画を見る前に、マーニーの世界を味わえて、映画への期待も高まりました。

 会場内は撮影禁止ですが、入り口の前に、記念撮影用のパネルが置いてあり、子どもたち、かわるがわる記念撮影をしていました。


 物語の舞台「湿っ地屋敷」のジオラマ。マーニーとアンナが訪れる漁師小屋、そしてマーニーの部屋やサイロ内部などが、実写映画のセットと同じ作りで再現されていました。精巧繊細な美術にあらためて映画のシーンを思い出させるセット。映画を先に見た人にとっては、もう一度映画を見たいと思わせる美しいセットです。
 まだ見ていない私には、娘は家で家族でわいわい話し合いながら見たいというけれど、私だけ一人で劇場で見ちゃおうかなと思わせる美術でした。

 映画「マーニー」は、ディズニーの「アナと雪の女王」に比べるととても地味な出来で、小さな子どもにもわかりやすいディズニーのストーリー展開に比べ、「マーニー」の客の入りは今ひとつらしいです。
 繊細な心の動きを画面に表現している映画という評判、私は楽しみにして見ます。

 ジブリの今後を背負っていく米林宏昌(愛称マロ)。宮崎駿が長編アニメからの引退を表明し、今後のジブリはどうなっていくのかと、アニメファンが気をもんでいるときですから、「マーニー」がコケたりしたら、次が作れなくなってしまう。今のところ、8月までの興行収入では、制作費ぎりぎり回収がやっとのことで、次回作の制作費は無理かも知れません。1本のアニメで100億の興行収入がないと、ジブリを維持していくことができないそうです。
 せっかく美術監督に種田陽平を招いて美しい画面を作り上げたのに、どうなるこれからのジブリ。

 グッズ売り場で、私はいつものように、絵はがき購入。息子は姉の反応を気にして、「いっしょに行かなかったおわびのおみやげ」をいろいろ買い込んでいます。マーニーの絵が描かれたボールペン、シールなど。
 娘は、弟クンを連れて行かない時に、私とふたりだけで外食しても、まったく気にしないのに、姉の「絶対子分」格の息子は、姉ぬきで外食したことがバレると怖い、と思っているのです。この秋には26歳になるのに、気分は5歳のとき母と別れて9歳の姉とともに群馬のじいちゃんちに預けられて、姉に世話をされていたときのままの姉弟関係です。

 8月12日に娘と「父の目の手術平癒祈願」に根津神社へお参りに行って、帰りに本郷の「用心棒・本号」というラーメン屋によったときも、「ま、弟には、カップラーメンでも作ってやるさ」と、次郎系ラーメンという豚骨背脂のこってりラーメンを食べて帰りました。

 娘は、「私もマーニー展見たかったのに」と、文句を言いましたが、マーニーの絵のボールペンで少しは機嫌をなおしました。8月22日もおばあちゃんの病院付き添い、こんなばあちゃん孝行をしている娘だもの、きっとそのうちいいことあるよ。
 根津神社が何に御利益があるところかよく知らなかったけれど、夫の平癒祈願より念入りに娘の良縁祈願をしておきました。

根津神社

 
<おわり>
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ぽかぽか春庭「日本発掘 in 江戸東京博物館」

2014-08-27 00:00:01 | エッセイ、コラム

国宝「合掌土偶」

20140827
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記8月(7)日本発掘in 江戸東京博物館

 東京都美術館と西洋美術館で「息子とデート」して、息子がそう機嫌悪そうでもなかったので、老母は味をしめ、江戸東京博物館にもいっしょに行こう、と誘ってみました。
 息子が在籍中の大学は、キャンパスパスポートという制度に参加しているので、学生証があれば、博物館の通常展を無料で見ることができます。ランチおごるから、と誘い水。うまくのってくれたので、「発掘された日本列島2014-日本発掘」という考古学出土品の展示を見ることにしました。

 息子を持つ友人には、「男の子なんて、中学生になれば母親なんてうざいだけっていうようになるから、いつまでも手元におこうなんて考えちゃ、ヨメの来てがないよ」と、言っているのですが、我が家は、どうやら最初からヨメのなり手もなさそうな息子なので、大学生になっても「母親とデート」してくれます。あはは、世の息子を持つ母親たちよ。息子を囲っておきたければ、我が家のように、徹底的「非モテ男」に育てなさい。

 江戸東京博物館が開館して以来20年間の発掘品の中から、国宝や重要文化財に指定された優品が一同に展示されている、ということで楽しみに見にいきました。
 息子の専攻は戦国史なので、考古学の発掘品によって大きな成果があがる古代史とは違い、発掘品より古文書の新発見のほうがわくわくするみたいですけれど、見ておいて損はありません。


 平安京の貴族藤原良相(ふじわらのよしみ813-867)の邸宅跡から出土した土器のひらがな。近年の発掘のうち、へぇ、こういうものが出土したんだ、と、ときめきつつ新聞の報道写真を眺めました。鑑定によると、このかわらけは、9世紀後半の土器。そこにひらがなが書かれていました。

 万葉集は759年頃の成立。万葉仮名、すなわち漢字の音を利用して日本語を書き表しており、久羅下と漢字で書いて「くらげ」と読ませる方法で日本語の長歌短歌を記述しました。
 それから200年の間に、漢字を崩し字にして省略した「草仮名」が発達していきました。ひらがなが成立の時期については、これまでも諸説ありました。10世紀後半というのが、有力な説でしたが、さらに成立年代を50年さかのぼる発見が藤原良相邸跡からの墨書土器です。

 京都市埋蔵文化財研究所は2012年11月に京都市中京区貴族邸跡を発掘。9世紀後半の土器に、最古級のひらがなが書かれていたと発表しました。
 展示されていたのは、「ひとにくしとお(も)はれ(人憎しと思はれ)と読み取れる墨書土器の破片。
 京都で展示されていたときは、見に行くお金もなかった。報道から1年半がたち、江戸東京博物館に展示されている実物を見ることができて感激でした。



 次に印象に残ったのは、群馬県出土の縄文土器です。
 我がふるさと、埋蔵文化ファンにとっても重要な地域です。実家のすぐ近くから甲冑を着けた人骨が発掘されるなど、母が生きていたら、きっと発掘現場を見に行っただろうと思います。

 私の母は、岩宿遺跡を発見した相沢忠洋さんを尊敬していました。相沢さんは、納豆の行商をしながら独学で発掘を続け、ついに日本に旧石器時代があることを証明した人。郷土の誇りでした。
 母は、土の中から昔々の歴史が掘り出されるとについてたいそう興味を持ち、「私も学問する機会があったなら、考古学やってみたかった」と、言っていました。群馬県は古墳が多い土地柄で、埴輪や土器の出土も多い。
 考古学新発見のニュースは、いつもわくわくさせてくれました。

 今回の展示では、群馬県道訓前遺跡出土品が見事でした。道訓前遺跡は、縄文時代中期中葉から後葉にかけての大規模な環状集落で、竪穴住居跡も40軒分が見つかっています。縄文中期の土器、すばらしい造形で、迫力のある美しさでした。



 出土品のうち、私が惹かれるのは、やはり、埴輪や土偶などの人や動物の姿です。
横綱の土俵入り?踊る人?

犬、鳥、牛



葬られている人の顔をうつしたものか、「デスマスク」と呼ばれている土偶も。




 日本発掘展を見た後、7階の和食店でランチ。今まで何度も来ている江戸東京博物館ですが、7階で食べたのは数えるほどしかありません。高いから。でも、おごってやると言って息子をつれだしたので、江戸なんとか弁当1700円。これでも大盤振る舞いのうち。仕事先で食べるコンビニ弁当なんていつも500円以内で買えるものに決めています。賞味期限切れの肉が使われていたとしても、さもありなん、というような代物です。まあ、当分江戸東京の7階で食べることもないと思うので、記念に写真に撮りました。たいしたおかずもはいっていないで、私にとっては、「コストパフォーマンス悪い」です。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「2008年のポールラッシュ巡り&西の魔女ロケ」

2014-08-26 00:00:01 | エッセイ、コラム

 キープ協会内に作られた「おばあちゃんの家」映画「西の魔女が死んだ」のロケに使われた

20140826
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記8月(8)2008年のポールラッシュ巡り&西の魔女ロケ

 八ヶ岳の南麓。開墾が続けられてきましたが、冬の寒さがとりわけ厳しいため、作物は実らず、米作もできず。
 戦後、アメリカ人牧師ポール・ラッシュの尽力により、寒冷地農業、高原野菜の栽培や酪農に重点をおくようになりました。

 2008年に清里を訪れたときは、妹モモの車で、「ポール・ラッシュ巡り」をしました。キープ協会、聖アンデレ教会、ポールラッシュ記念館など。
 ポール・ラッシュが設立したキープ協会は、Kiyosato Educational Experiment Project(清里教育実験計画)の頭文字をとり、キープ(KEEP)と名付けられ、高冷地実験農場、農村診療所、農民図書館、農業学校などを展開しました。

 OCNカフェが閉鎖になったとき、過去ログは「ブログ人」に残しました。しかし、2008年の日記には写真を貼り付けませんでしたので、2008年の写真、そして2012年の写真を載せておきます。ブログ人も閉鎖になるというので、11月までに過去ログをまた移転しなければなりません。

 その前に、2008年と2013年夏の清里写真だけ載せておきましょう。

ポールラッシュの胸像


 ポール・ラッシュは、アメリカンフットボールを日本に紹介し、「日本フットボールの父」という名をフットボール協会から呈されています。記念館には、アメリカンフットボール関連の記念品がたくさん並んでいました。

 ポール・ラッシュ記念館、ポールの書斎。
   

聖アンデレ教会

畳敷きの礼拝堂(清里の農民が気軽に入れるように畳敷きにしたのだそうです)


キープ協会清泉寮
←妹モモ


 家の前にいるのは、私だか妹だか2008年のことなので記憶があやふやですが、たぶん、妹のモモ。同じ体型なので、どっちがどっちやら。互いに「私より太いほうが姉」「私よりおデブなのが妹」と、思っているのですが、他人から見ると「双子ですか?」

~~~~~~~~~~

2008/09/25 
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(5)西の魔女
 8月7日、新宿武蔵野館で映画を見ました。『西の魔女が死んだ』
http://blogs.yahoo.co.jp/nishimajo_movie/7321577.html

 7月末に、妹とでかけた清里高原のキープ協会敷地内のなか、映画『西の魔女が死んだ』の「おばあちゃんの家」ロケ地が、一般公開されていました。
 ロケ用に建設されたのですが、ロケ終了後は、入場料300円で公開中。

 映画を見る前でしたが、妹といっしょに、おばあちゃんの家を見てきました。
 案内板があって、「おばあちゃんの散歩道」をたどることもできたのですが、お散歩は次のお楽しみにして、おばあちゃんの家をゆっくり見ました。ハーブティもいただいて(無料)ゆっくりすごしました。
http://www.keep.or.jp/nishimajo/

 『西の魔女が死んだ』原作は、梨木香歩の短編小説。
 「他人に無理して合わせるのは疲れた」と考える中学生の女の子マイ。女の子のグループ同士のつきあいから距離をおいたマイは、そのためクラスメートからは無視され孤立してしまいます。
 
 不登校になったまいが、夏の一ヶ月をすごしたおばあちゃんの家。
 とてもすてきな、心なごむおばあちゃんの家でした。

 主人公マイのおばあちゃんは、イギリスから英語教師として来日し、高校の理科教師だったおじいちゃんと結婚しました。おじいちゃんが亡くなった後も、ひとりで自分のスタイルを守って静かに生活しています。

 おばあちゃんを演じているサチ・パーカーは、1956年生まれ。オスカー女優シャーリー・マクレーンの娘。父親のプロデューサー、スティーブ・パーカーとともに、6~12歳を日本で過ごし、日本語も上手です。


 マイのおばあちゃんの暮らし方、雰囲気がターシャ・テューダーに似ている気がします。
 自然の中で、自給自足に近い暮らしを続け、縫い物もジャム作りも、自然を生かし周囲の人々ともよい距離を保って暮らしている。
 私も、ターシャやマイのおばあちゃんのように晩年を過ごせたらいいのになあ。

 映画のなかで主人公マイが一夏をすごすおばあちゃんの家の中、ひとつひとつのようすが、心に響きました。

おばあちゃんの台所



 ロケ地の家のテーブルに、マイが使っていたマグカップがそのまま残されていたので、マイがマグカップでハーブティを飲む場面も、いっしょにお料理するおばあちゃんの台所用具なども、故郷の家をみるようになつかしい気がしました。


~~~~~~~~~~
 2014年5月をもって、この「おばあちゃんの家」公開は終了したそうです。
 2008年に見て、もう一度見たいと思っていたのに、かないませんでした。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「平山郁夫シルクロード美術館 in 清里」

2014-08-24 00:00:01 | エッセイ、コラム
20140824
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記8月(5)平山郁夫シルクロード美術館in清里

 去年清里ですごしたとき、甲斐小泉駅で途中下車して平山郁夫シルクロード美術館を見学しました。今年も妹といっしょに清里萌木の村で野外バレエ公演を見た翌日は、ひとりで美術館へ。

 妹と姪は、雑貨の店をひやかしたり、名物のアイスクリームを食べ歩いたりするほうがいいというので、「おいしい学校」近くの道の駅で昼ご飯を食べた後、甲斐小泉駅まで送ってもらってわかれました。

 甲斐小泉駅は、中央線小淵沢で小海線に乗り換えて、最初の駅、無人駅です。小さな駅舎を出るとすぐ目の前がらくだ公園。公園のうしろが平山郁夫シルクロード美術館です。

 1階の展示室、第1室2室は、シルクロード、バーミヤン、ガンダーラなどの仏像です。1階の第5室まで、テーマに沿って平山郁夫の画業が続きます。
 2階は平山が現地でスケッチして描いたシルクロードシリーズの展示。

 2階、ラウンジにはシルクロードの民族衣装がつるされていて、「ご自由に試着してくださ」と、あります。

 どれがいいかなと、選んでセルフタイマーで写真撮影。好きに勝手に好みの服を選んだつもりだったのに、家に帰ってから去年とった写真と比べたら、無意識にまったく同じような服を選んでいました。好みが一貫しているというかなんというか。どうせコスプレなんだから、少しは違う衣装を選べばいいものを。
 同じ服かというと、前身頃の模様が少し違っているので、まったく同じ服がハンガーにぶら下がっていたわけじゃないのに、同じタイプを選んでしまう。

2013年のコスプレ   

 2014年のコスプレ


 去年と同じように、展示室の監視員が非常に感じ悪かった。
 女性客が一人でやってきて、ひとりで衣装をきて、一人コスプレ。セルフタイマーで写真を撮っていると、「怪しい人」と思うものなんだか、実に疑わしい目でこちらをチラ見している。まあ、あやしい風体のこちらが悪いのかもしれないけれど。「おたくの大事な備品のシルクロード衣装、着たまま帰ったりしませんから、ほら、ちゃんと脱いでハンガーにかけましたからね」と、監視員の女性にアピールしましたが、気分悪いので、去年は絵はがきしか買わず、図録は買わなかったけれど、今年は図録買おうかと思っていた気分が失せました。

 だから、平山郁夫シルクロード記念館の記念品は、去年とほとんど同じコスプレの写真だけです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ファーストトレインのアンティークと清里の花」

2014-08-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
20140823
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記8月(4)ファーストトレインのアンティークと清里の花

 清里カントリーイン・ファーストトレインの1階には、アンティークの蓄音機やタイプライタ-、電話機などが飾られていて、ミニ博物館のようです。

  

     

 私が育った田舎の家には、こんな電話器も蓄音機もなかったのに、なつかしい気がしてしまうのは、映画やドラマで見た昔の暮らしがインプットされているせいでしょうか。

 バレエを見た翌日は、のんびり高原ドライブ。雑貨屋めぐりなどをしてすごしました。妹と姪は「森の日曜日」という名の木製品屋がお気に入りで、毎年壁飾りだの置物のたぐい、どさっと小物を買います。そんなに買い込んでも、あの散らかし放題の家のどこに飾るというのか。

 私も妹も世にいう「片づけられない人」であり、お互いに「あのうちよりマシ」と思って汚部屋の中にあまんじて住んでいます。あまんじることなく、早く片づけたらいいのだけれど。
 私も、いつかはスッキリと片付いた部屋の一輪の花でも飾って暮らしたいと願っていますが、いつになることやら。
 それまではせめて、高原に咲く花の写真で楽しみます。

 清里に自生していた花は、野あざみのほかは、どんな花だったでしょうか。リゾート地になった今は、店の軒先にもレストランの窓際にもさまざまな花が植えられ、目を楽しませてくれます。

                                                         

 久しぶりに野菜の花も見ました。キュウリの黄色い花、とうもろこしの花、


 店の前の華やかな花も、野に咲く素朴な花もいいけれど、私は野菜の花を見るとうれしくなります。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「清里カントリーイン・ファーストトレイン」

2014-08-21 00:00:01 | エッセイ、コラム


20140821
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記8月(3)清里カントリーイン・ファーストトレイン

 清里のペンションカントリーインファーストトレインのマダムは双子のお母さんで、双子さんはそれぞれが結婚してお孫さんもいるそうです。お孫さんがいるとは見えない、とても若々しいきれいな方です。トールペイント作りの講師もして宿泊客に教えてくれます。バラ作りもしていて、ウェルカムティーは、ローズ茶でした。ご主人はシェフ&自家製燻製作りや畑を担当。

ローズティ


 4組の宿泊客でいっぱいの小さなペンションですが、そのうち3組は、去年とまったく同じメンバーでした。60代か70代くらいのバレエファンとおぼしき一人旅の女性。老夫婦とその子供達3ペアとお孫さん達総勢12人。私たち(私、妹、妹の長女)が3人。あと、カップル1組は、去年は同じ夜の泊まりではなかったですが、毎年やってくるリピーターが多い宿のようです。

 去年も顔を合わせたご家族と「あらあ、またお会いできましたね」と、なつかしの同窓会のようでした。ご一家のお名前を伺うこともしませんでしたけれど。老夫人「子供達が結婚してそれぞれが遠くに住んでいるんですけれど、夏の清里だけはいっしょに過ごしてくれるんです。娘の旦那も息子も働き盛りの年齢で、休みを合わせるのがたいへんなのに、毎年ここだけはいっしょにって、そろって集まってくれるんですよ」と、うれしそうに話していました。去年に比べてお孫さんが一人増えていました。

 一人旅では味も素っ気もない駅前ビジネスホテルに泊まる私ですが、夕食も朝食もとてもおいしいメニューなので、1年に1度はこういうプチ贅沢もいいかなと。ぜいたくといっても、それは私の普段の生活から見て、ということで、一般的なリゾート地宿泊施設に比べれば、ずっと割安です。夕食朝食にオプションメニューをつけて、1泊2食つきで13000円。リーズナブルで、とても居心地のよいペンションです。オプションメニューをつけなければ、1万円くらいと思います。

夕食メニュー 前菜、スープ、レタスサラダ、魚グリル、自家製燻製肉、デザート
        

朝食メニュー フルーツ盛り合わせ、ヨーグルトとジュース、ズッキーニキッシュとベーコン、フレンチトースト
      


 難点は、木造ペンションなので防音が弱いところ。私は平気だけれど、「子供の声がうるさい」などが気になる人だと、マイナス点をつけるかも。私は、ロックコンサートの会場でだって寝られます。
 ぐっすり寝て朝の光に目覚めると、姪に「おばちゃん、ベッドに入って3分もしないうちに爆睡だったね」と、言われました。何でも食べられることと、どこでも寝られることは、私の健康の元です。

 夕食までのあいだ、ひと風呂あびて、フィールドバレエ公演のリハーサルを見ていました。夜の公演は有料ですが、リハーサルは無料で、どの席で見てもOK。照明の効果はありませんが、ダンスの動きは本番と同じですから、それなりに楽しめます。

      

 リハーサルを見ておくのは、野外公演にとって、雨はギャンブルみたいなものだから。私が見た2008年も、3つの演目のうち、途中で雨になった晩がありましたし、私が行かなかった2012年の公演でも、妹と姪が楽しみにしていた公演が「雨で中止になってしまった」というのです。

 以前はチケットに「雨の場合でも払い戻しはしません」と書かれていたのですが、それは、10日間に3つのプログラムを上演していたからで、2012年からは10日間にひとつの演目だけを上演するかわりに、雨が降ったときは、「翌年の公演チケットに振り替えができる」という制度に変わったのだって。

 夜、久しぶりに銀河を見ました。東京で見えるのはオリオンの帯の三つ星とそれを囲む四角いからだくらいで、天の川などまったく見えませんが、ぼうっと白く天を流れる星の川を見て、人は、こういう星空を眺められる夜をすごせるところに暮らすこそ贅沢な生活だなあと思いました。娘と息子に「毎夜星空を眺める暮らし」というのをさせてやれない子育てだったのは、貧乏生活で仕方なし。プラネタリウムは区の施設があったので、よくつれて行ったけれど。

 8月2日の夜は、夕立の予報が出ていたのに、運良く満点の星の下、白鳥の湖を見ました。バレエのリポートはまたのちほど。
~~~~~~~~~~

 広島の土石流惨事、被害を受けた方々へお見舞い申し上げます。
 ゲリラ豪雨、スーパーセル、レインバンド、バックビルディング、、、と、次々新しい気象用語が知らされ、異常気象現象が「通常」になる怖さを感じます。
 人間が制御できないものを、人間が使用しようとする怖さ、そして自然を支配できるかのような人間の傲慢さを地球が怒っているような、、、、。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「高原列車で清里ファーストトレインへ」

2014-08-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
20140820
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記8月(2)高原列車で清里ファーストトレインへ

 この夏も、妹といっしょに、野外ステージで行われるフィールドバレエを見るために、清里に出かけました。妹は姪といっしょに車で清里に向かい、私は小海線に乗りたいから、新宿から「快速ビューやまなし」で小淵沢へ。

 8月2日の朝、駅の改札の人が「当日の指定席券は、切符売り場の機械で購入してください」と言うのですが、日頃指定席だのグリーン車だのを利用したことがないので、「すみません、婆さんは機械の押し方がわからないので、やってください」と頼んだら、ボタンを押してくれました。私は、銀行ATMの機械だって、3回ボタンを押し間違えて「暗証番号エラーにつきロック」となってお金が下ろせなかったことがあるくらいの機械音痴の「ボタンをちゃんと押せない人」。駅員さんもわけわからない婆さんには親切です。

 「機械操作なので、席は選べませんよ」と、駅員さんに言われたのですが、運良くビューやまなしの2階指定席がとれました。どうせ指定席なら、1階より2階のほうがうれしい。私は電車の2階席に座るのがはじめて。新宿で、うれしがって写真を撮りました。記念です。

ビューやまなし           7号車2階席
     

 小淵沢で小海線に乗り換えて3つめの駅が清里です。
 小海線臨時八ヶ岳高原号

♫汽車の窓からハンケチ振れば 牧場の乙女が花束なげる
  明るい青空白樺林 山越え谷越えはるばると
  ララ、、、ララ、、、、高原列車はラララララ、行くよ

 私は、この歌を小海線のイメージで歌っていたのですが、この高原列車のモデルは作詞した丘灯至夫の故郷、東北の磐越西線につながる沼尻軽便鉄道なんだそうです。沼尻鉄道は1969年に廃線。
 乗り鉄&廃線ハイキング趣味の私、いつかは磐越西線のSLに乗って、沼尻軽便鉄道跡をありてみたいです。

 私は朝ご飯食べずに朝早く家を出たので、電車の中で崎陽軒夏弁当を食べたのだけれど、妹と姪は「なんだ、清里でいっしょにランチしようと思っていたので、途中のドライブインでおやつしか食べなかった。お昼を食べてから清里駅に迎えに行くから、待ってて」というので、清里駅前に展示してある機関車などながめて待っていました。

 C56機関車。1938(昭和13)年に製造され、昭和16年から31年間小海線を牽引した働き者です。機関車は、人間が作り出した機械文明の文物のうち、もっとも美しいもののひとつと思います。昭和47年に現役引退して清里駅前に展示されているそうですが、整備が可能なら、夏の間だけでも観光列車として小海線を走らせたら、人気がでるんじゃないかしら。そういえば、沼尻鉄道につながっていた磐越西線でも、時々Lを走らせて観光の目玉にしているので、小海線のSLも有望だと思うのだけれど。

 
 
 なんて考えながら駅舎のまわりの花の写真を撮っていたら、「おばちゃ~ん」と姪の声。広い駅前広場の花壇なのに、よくぞ見つけてくれたと思ったのですが、姪は「遠くからでも、はっきり見える体型」と言います。はい、遠目にも目立つおデブでよかった。

 去年泊まったファーストトレインというペンション、食事がおいしくてマダムも感じのいい人だったので、今年も宿泊しました。

 フォーストトレイン、始発列車です。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「お盆の愚痴まいり」

2014-08-19 00:00:01 | エッセイ、コラム
20140819
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記8月(2)お盆の愚痴まいり

 8月15日は、姑の家へお盆のお線香を立てに行きました。
 夫と姑は意見一致していて、ふたりとも宗教を一切気にしない人です。舅の遺骨も「ふるさとのお寺の本家の墓に」と親戚が言っても、遠くの本家よりどこでもいいから近くのお寺」と、都内のお寺に納めましたが、そのお寺が何宗であろうと関係なし。

 お盆にご先祖の魂が帰ってくる、という仏教伝来以前の日本の古い習俗についても、そう思いたい人が信じていればそれでよい、というクールなスタンスです。夫も姑も、お墓に迎えに行っても行かなくても、帰りたい魂なら帰ってくるんだろ、というか、そもそも死後の魂というのをあまり信じていない。舅の法事はきちんとやるけれど、それは生きている人たちの集まりのひとつとして行うのです。

 門の前で迎え火をたいてご先祖を迎えた田舎の習慣を見て育った私からみると、「何もしなくても帰りたければ、勝手にかえってくるだろう」という都会の考え方、さいしょはびっくりしましたが、お正月の年神様のお迎えもしない都会ですから、お盆もこんなものなのか、と、だんだん慣れました。

 姑の家は一戸建てですが、マンション暮らしの都会の人は、どのようにして迎え火をたくのでしょうか。私の住む団地では、広場で花火をするのも禁止されて久しく、ドアの前で火なぞたいたら、消防署に通報されてしまいます。

 姑との話題は、お盆前、8月12日に行われた夫の目の手術について。姑も10年以上前に白内障の手術をして、よく見えるようになった、と経験済みなので、夫が白内障の手術を受ける、ということを打ち明けられても、まったく心配はしていなかったようです。
 歯医者の治療を受けるのと同じくらい、という感覚です。

 でも、風邪引いても医者に行きたがらない医者嫌いの夫にとっては、「手術」というだけで、とても不安だったらしく、「盲腸の手術と同じようなものなんだって。目の手術の中では一番簡単な手術ですぐ終わるから、病院に来なくてもいい」ということを何度も念を押すのです。

 娘は「こんなに何度も、こなくてもいいって言うってことは、ほんとうは来てほしいのかもね」と、いつもの夫の反語法をおもんぱかって「病院に行ったほうがいいのかなあ」と案じています。
 結局のところ、手術の日12日、12時の面会が開始されてから1時間ほどは息子が病室に行き、私と娘は1時半から5時半まで、手術前の不安に陥りそうな夫の話し相手をしていました。手術が終わってから、「ほんとはとても不安に感じた」と、娘には打ち明け話。私にはそんな弱音は吐かずに「お見舞いに持ってきてくれたみかん、ありがと」と言っただけ。

 夫が妻に「ありがと」なんて言ったことはないので、これはよほど感謝の念を持ったに違いない、と、私が感想を述べると、息子は「あ、それって、DVバタード妻が、酔うと殴ったりするけれど、酔ってないときは、ほんとは優しい人なんです、ってアル中夫をかばう時の心理と同じだ。たまにありがとうと言われたくらいで、ほだされちゃいけない」と、冷静なおことば。

 息子は、私と娘が行く前に見舞いに行ってあげているのです。父らしいことは何ひとつしてくれなかった父親なのに、なんてけなげな親孝行息子でしょう。
 これも皆、女手ひとつで育てた母親(私!)の育て方がよかったからでしょう。と、姑に言いたい。姑は、女手ひとつの家庭だったと思っていなので、言わないけど。 

 日帰りでもできるという手術ですが、夫にとっては生まれて初めての体にメスが入る体験なので、大事をとって2泊3日の入院ということになりました。
 見えにくくなっている右目を手術し、経過を見て、まだ見えにくくはなっていない左目の手術も9月に予定されています。
 退院したその日からすぐに「仕事が3日分たまっちゃったから、大忙し」という夫ですが、お盆のうちは取引先も仕事を依頼してこないですから、いつもよりはゆっくりできるでしょう。

 姑は、足腰弱り、娘が介助していっしょに出かけるのでないと、買い物に出かけるのもおっくうになってきていました。今の楽しみは、自宅から100メートルのところにローソンが開店したので、そこまでなら買い物に行けること。

 娘、息子といっしょに「おばあちゃん、ローソンに行こう」と、買い出しに誘いました。ローソンの品揃えですから、大量に商品があるスーパーのようには品選びも時間がかからないだろう、と思ったこちらが甘かった。豆腐ひとつ買うにも、納豆を買うにも、どうしようかと迷いに迷い、ものすごく時間がかかります。ほかには、ナスが2個入ったパック、和菓子2個、パック入りの煮物、寿司折り、おにぎりなどなど。コンビニの品が珍しいうちは、あれこれ買うのも楽しみになるので、よかったけれど。

 私と息子が、「おばあちゃんの買い物付き添い、もう飽きた」と言うと、娘は「何いってんの、私は毎週病院付き添いでずっとおばあちゃんの無限ループ昔語りにつきあって、買い物につきあっているんだからね」

 ばあちゃん孝行な孫娘を持って、姑も幸福な晩年と思いますが、娘は「おばあちゃんの話を聞いていると、おばあちゃんの思考法では、一番大切なのは跡取り息子で、その次に大切なのは息子の後を継ぐ孫息子なの。孫娘なんて、いずれ他家の人になると思っていて、どうでもいい存在みたいよ」

 姑は、娘(夫の姉)が勝手な恋愛をして売れない翻訳家と結婚し、50歳で病死してしまったことを、今でも恨みに思っていて、娘にむかって「親が喜ばないような結婚をしちゃだめよ」と言いつのります。

 姑には安心してもらいましょう。「母親を見ていれば、苦労ばかりの結婚をして人生を歩くってのが、どういう現実であるか、重々承知しているから、うちの娘、まだまだ結婚したいなんていう気にならないみたいですから、ご安心を」

 夫は18日に診察を受け、手術後の経過はまったく心配なく、普通に生活して大丈夫と言われたそうです。でもまだ顔を洗ったりシャンプーしたりするのは、目に水がはいるのが心配でやっていない、という報告。

 自分でシャンプーできないなら、その間は美容院へ行ってシャンプーだけしてもらえばよい、とアドバイスしたのだけれど、「せっかくドライシャンプーの瓶をあなたに買ってもらったのだから、当分これを使うよ」と言います。今時、男の人が美容院へ行くのって、ごく普通のことなのに、やったことのないことはしたがらない、昭和の男。

 18日月曜日には、私も目の検診をうけました。眼底の写真などをとり、今のところ異常なし。ほっとしました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「私は見た-ゴヤ in 西洋美術館」

2014-08-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
20140817
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記8月(1)私は見た-ゴヤ in 西洋美術館

 8月8日、息子が「期限が今日までの美術館招待券をもらってあったのを忘れていたんだけれど、母上、エジプト展見たいならあげようか」と、言います。「息子くんからゆずってもらわんでも、私もエジプト展の招待券もらってあったな。えっと、招待券有効期限は、あらま、今日までだ」
 展覧会の会期は9月23日までなので、油断していました。

 せっかくの招待券無駄にするところでした。
 盛りつけて出された食べ物を残すことができません。これは、子供の頃「おかわり」と言っておかわりもらったあと、食べ物を残したりすると、父に「自分の腹にあとどれだけ入るか考えもせずにおかわりするな」と、ひどく叱られたことが原因だろうと思います。もらったものを無駄にすることに罪の意識を持ってしまうのです。もらった招待券、時間がなくて無駄にすることも、食べ物を残したのと同じように悪いことをした気分になるのです。

 というわけで、ふたりそろって東京都美術館のエジプト展を見に行くことになりました。娘は、毎週金曜日は、おばあちゃんの歯医者さん付き添いの日。「ふたりは美術館で、私だけ病院なんておもしろくな~い。ふたりでレストランに入ってランチとかおいしいもの食べたら許さないからね。マックでチキンナゲットでも食べなさい」と、むくれています。

 まあ、マクドナルドの中国産消費期限切れチキンナゲットを食べても、私の鉄の胃袋なら消化できるから大丈夫とは思ったけれど、上野駅公園口にはマックがない。東京都美術館手前にあるスターバックスで息子と待ち合わせて、コーヒーとサンドイッチでランチ。

 息子は、東京都美術館に入るのは初めてだと言っていました。息子は、学部授業の学芸員養成講座のティーチングアシスタントをしているので、江戸東京博物館、東京国立博物館、佐倉の歴史博物館などには学生を引率して毎期行くことになっているのだけれど、美術館の方は、足を運ぶ機会がなかった、と言うのです。

 東京都美術館の古代エジプト展、平日金曜日でしたが、そこそこの人出。土日だと混み混みで、人混みがきらいな息子は見ていられなかったかもしれません。
 「古代エジプト展女王と女神」の見学レポートは8月14日にUPした通りです。

 東京都美術館を出たあと、息子は「科学博物館で太古の哺乳動物展を見たい」と言います。私もサーベルタイガーだのナウマンゾウだのに興味津々でしたが、あいにく招待券は手に入っていない。特別展なのでふたりで3800円の出費になり、我が家にとってはぜいたく出費です。姉娘に相談しないで先に見ちゃったりするとあとで「私も行きたかったのに」と、むくれるだろうから、今回はパス。

 そこで、息子に「西洋美術館を見よう」と、誘いました。西洋美術館の通常展は、学生証を持っている息子は130円で入館できます。息子は、東京国立博物館の日本画は、屏風絵など歴史の研究に必要なこともあり、見ていますが、西洋美術館は日本史にあまり関係ないので、一度も見たことがない、というのです。

 「日本史には直接の関わりがなくても、たとえばポルトガル宣教師がはるばる東の果てにやってきた精神を知るのに、キリスト教絵画を見ておくことは、必要だと思うよ。つうか、なんでもいいから、とにかく美術の教科書に載っているような作品、一度は本物を見ておきなさい」とすすめて、強引に連れて行きました。

 西洋美術館の通常展示、1階の最初はロダンの彫刻の部屋。ロダンのバルザック像を見ても、息子は「バルザックというのは、音楽家だっけな」と言います。「19世紀フランスの小説家。代表作は、人間喜劇、谷間の百合」と解説してやっても、「まったく知らない」と、そっけない。
 若者にとっては、バルザックといえば、「ドラゴンクエストモンスターズ」の魔獣のことを指すらしい。

 2階は、最初はキリスト教美術が続きます。祭壇画だのイコンだの。
 ルーベンス「眠る二人の子供」を見て、息子は「フランダースのネロがあれほど見たがった画家の絵だから、すごい絵なんだろうけど、この子たち、あんまりかわいくない」と、私が最初にこのルーベンスを見て感じたのと同じことを言う。親子だね。それにしても、ルーベンスといえば、「ネロが死ぬ前に見上げた絵」くらいしか思い浮かばないのは、うちのアホ親子だけ?

ルーベンス「眠る二人の子供」

 この子供は、ルーベンスの兄さんの子だそうですから、ルーベンスもかわいい子だと思って描いたのでしょうが。

 2002年にオークションに出されたルーベンスの「幼児虐殺」は5000万ポンド(85億円)で落札されたのですから、かわいいと思えなくたって「眠る二人の子供」をくれるといわれたら、もちろんもらいますけれど。どうも、値段で絵を見る貧乏性が抜けません。

 ぐるりと西洋美術史をめぐって、アングル、ダビッドを経て印象派になってくると、ようやく息子にも「あ、この絵知っている」とか「この人、知ってる」という画家が出てきます。

 近代美術館や西洋美術館が好きなのは、著作権が切れていて、当館所蔵の作品は写真撮影ができるところ。フラッシュは禁止ですけれど。
 図録を買えばいいのに、ケチるから、出品目録をもらって家に帰ると、もう忘れてしまって、絵とタイトルが結びつかない。で、絵とタイトルを続けて写して帰れるのはありがたい。

 私にとって今回の展示で一番よかったのは、常設展企画として、版画展示室にゴヤの版画が出ていたこと。とても充実した展示でした。
 フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス(1764-1828)


 忘れないうちに、印象に残った絵とタイトルをUPしておきましょう。

ゴヤ「ロス・カプリーチョス43理性の眠りは怪物を生む」


ゴヤ「戦争の惨禍50かわいそうなお母さん」


 前庭に出て、ロダンの「考える人」やブールデルの「弓を引くヘラクレス」を見て、うん、これで西洋美術史に関して、息子に一通りの目の保養をさせてやれたわい、と思いましたが、息子は「ひとりでもう一度来ようと思うほど、絵が好きじゃない」と、つれないことを言っていました。
 西洋美術館で息子とデートするのは、これが最初で最後なのかもしれません。

 帰りは、上野駅のエキナカショップへ。「私は病院でおばあちゃんの相手なのに」とむくれている娘、病院付き添いにがんばったことへのおみやげに、娘の好物メルヘンのフルーツサンドイッチを買いました。娘が一番好きという夏みかんサンドと夏の新メニュー、山形ピオニーネ。息子はブルーベリークリームをチョイス。絵よりも、フルーツサンドイッチの方がうれしい息子でした。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「憲法9条」

2014-08-15 00:00:01 | エッセイ、コラム
20140815
ぽかぽか春庭>憲法9条

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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ぽかぽか春庭「古代エジプト展女王と女神 in 東京都美術館」

2014-08-14 00:00:01 | エッセイ、コラム


20140814
ぽかぽか春庭アート散歩>オリエント逍遙(4)古代エジプト展女王と女神in東京都美術館

 8月8日金曜日に、息子といっしょに「古代エジプト展女王と女神」を見ました。(東京都美術館7月19日~9月23日)


(撮影禁止なので、この1枚のほかは、すべて借り物写真です。展示の絵は、壁画の模写でした。模写だったら、特別撮影禁止するほどでもないと思うのです。メトロポリタン美術館が、非商用の撮影なら許可しているように、撮影をきょかすべきです。人が映り込まないようにしたものは、個人ブログ掲載も許可すべきだと思います。著作権は3000年前にキレているでしょうに)。

 展示構成は
1章 ファラオになった女王ハトシェプスト
2章 愛と美の女神ハトホル
3章 信仰された女神たち
4章 王妃、女王たち
5章 王族の装身具
6章 王族の化粧道具
7章 来世への信仰 

 「エジプト展女王と女神」は、メトロポリタン美術館のエジプトコレクションの中から、ハトシェプスト女王の葬祭殿発掘出土品を中心にした展示です。
 200点の出品のうち、メトロポリタン美術館が作った、ハトジェプスト女王葬祭殿の模型も展示されていました。100分の1の模型です。

 ナイル川西岸の断崖を背にして建てられたハトシェプスト葬祭殿は、1997年、エジプト外国人観光客襲撃事件(ルクソール事件)がおき、日本人10人を含む61名の観光客がイスラム過激派によって殺された場所。このような無差別テロは許されるべきではありませんが、貧しい暮らしを強いられている現地の人の中には、外国人観光客が神聖なエジプトの遺跡を我が物顔で歩く、と思う人もいたのかもしれません。

エジプトナイル川西岸のハトシェプスト葬祭殿


 エジプトのピラミッド発掘もそうですが、遺跡の発掘はほとんどが外国の主導で行われ、発掘された出土品は、諸外国に持ち去られてしまうのですから、エジプト人がおもしろくないと考えるのも無理はないのでしょう。しかし、発掘が行われなかったらどうなったかというと、ほとんどのピラミッドでは、数千年にわたる盗掘が行われて、埋蔵品は散逸してしまっていた、という事実があるので、外国人による発掘すべてがエジプトにとって悪いことだったかというと、そうでもないような気がします。

 メトロポリタン美術館によるハトシェプスト葬祭殿の発掘は、1923年から35年にかけて行われました。エジプトがイギリス帝国支配下から独立して王国となった時代での発掘でした。この時代には、エジプト政府との共同での発掘品は半分譲ってもらうというパルタージュ(フランス語で「分かち合い」の意味partage)制度があったために、メトロポリタン美術館の発掘団は、合法的に発掘品をアメリカに持ち帰ることができました。

 メトロポリタン美術館には3万点を超えるエジプト発掘品が所蔵されていますが、その中のデンドゥール神殿出土品は、エジプト政府からメトロポリタン美術館へ寄贈されたものです。これは、アメリカへが寄付を集めて、アスワンハイダム工事による水没の危機からヌビア遺跡を救ったことへの感謝のしるしとしてエジプト政府がアメリカに寄贈したものです。

 ハトジェプストは、第18王朝のトトメス1世を父とし、父の正妃を母として生まれました。父の妃のうち下位の妃を母として生まれた異母兄弟のトトメス2世と結婚しました。夫のトトメス2世の遺言により、夫と側室イシスの間に生まれた息子をトトメス3世として即位させ、自身も男装して王として共同統治を行いました。

 ハトシェプストは女性ファラオとして絶大な権力をふるいましたが、在世中は、貿易を盛んにし、戦いよりも平和外交によって治世を行ったそうです。在位は、紀元前1479年頃 - 紀元前1458年頃。
 王家の谷から出土したミイラの鑑定により、50歳くらいで亡くなったことが判明したそうです。
 
 今回の展示では、ハトシェプスト女王を中心として、女神像、女王像、そして女性達の装飾品化粧品などが並んでいました。

エジプトのハープ


 ハトシェプスト女王の頭部像は、50cmくらいの美しい像です。ハトシェプスト葬祭殿から発掘されたときは、破壊されていたのを、メトロポリタン美術館が破片を集めて復元したそうです。破壊を命じたのはトトメス3世だったのではないか、と言われています。ハトシェプスト女王が生きている間は、共同統治者とは名ばかりで、継母に頭を押さえられていて、実権をもつことができなかったトトメス3世でしたが、女王の死後、好きなように戦争をして領土を拡大。葬祭殿に残る、ハトシェプストがファラオとしての姿を残した像のほとんどを破壊したということです。
 このハトシェプスト女王頭部も、元は赤い冠の上に白いファラオとしての冠が載っていたそうですが、赤い冠だけが復元されています。



 古代エジプトでは、男神と同じくらい女神が尊重されていました。牛の姿を持つハトホル女神や、雌ライオンの頭をもつ≪セクメト女神像、バステト女神の頭はネコ。タウェレト女神に至っては、カバ・ライオン・ワニ・女性が合体した姿。これは、動物の持つ力を備えた神であったことを表しているのだそうです。

 そのほか興味深かったのは、女性がゲームをしている壁画の模写とチェスの展示。化粧道具や装身具。数千年前の女性たちももおしゃれに余念がなかった、と言うべきか、ファラオの愛を得て世継ぎを生めば栄耀栄華思いのまま。そのためには美しく装うことこそ女性の武器であったいうのは、古今東西かわりなし。

女王の冠


 最後のコーナーは、エジプトの死生観を知れる、ミイラを納めた棺や、カノプス壺の展示。
 古代エジプトにおいてミイラを作る際、一番大事なのは心臓です。心臓に魂が宿ると考えられていたからです。心臓以外の重要な臓器を保存するために使われていたのが、カノプス壺です。カノプス壺の上部の形、隼は腸入れ、山犬は胃を、ヒヒは肺臓、人の形の壺は肝臓を入れます。私の感覚だと、そんなふうに内臓を別々に保存して、来世でうまく継ぎ足してもとの姿に戻れるのかしらと心配になりますが、エジプト人は死後の生活は、現世と同じように続くと信じていました。

ミイラの棺


 エジプト人は、脳の機能を知らなかったので、脳は「いらないその他臓器」として捨ててしまったんですって。来世で脳がなくても大丈夫だったんだろか。
 私の場合、脳を保存してもしなくても、大差はない思考力しか持ち合わせていないので。脳がすてられたとしても、来世でそれなりに暮らせるんじゃないかと思いますけれど。それでも、どうせ来世で暮らすなら、もうちょっとパーツを上等なものに取り替えて、もっと並びのよい目鼻に、もっと長い足で、心臓は、、、、今よりもっと毛が生えているのかもしれません。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「アラビア文字お習字in東洋文庫」

2014-08-13 00:00:01 | エッセイ、コラム

アラビア文字で右から左へ「は、る、に、わ」(先生のお手本)

20140813
ぽかぽか春庭アート散歩>オリエント逍遙(3)オリエント音楽&アラビア文字お習字in東洋文庫

 8月10日、東洋文庫3度目の来館。今回は、展示見学が目的ではなく、7月26日にトルコ展を見たときに予約申し込みをしておいた、アラビア文字書道教室に参加するためです。

 毎度告白している通り、私は生来の悪筆で、子供の頃、姉と妹が書道教室にお習字に出かけるときも、「私は正座して習うのはいやだ」という理由をつけてお習字を回避。
 書道をやったのは、学校のお習字の時間だけ。悪筆は持って生まれた運命と思っています。

 中国&日本の書道は筆で文字を書きますが、西洋のアルファベットにもペンで美しい書体を書く書道(カリグラフィ)というものがあるのだと知ったのは、いつごろだったでしょうか。さらに、アラビア文字にも、伝統的なカリフラフィがあることをしりました。
 アラビア文字カリグラフィ、一度体験してみたいと思っていました。7月26日にトルコ展を見たおり、8月10日、トルコ展最終日にアラビア文字書道の講習会があるというので、申し込みました。

 午後2時から、アラビア書道を習いました。講師は、日本アラビア書道協会・事務局長の山岡幸一先生。
 最初の20分間は、アラビア文字の歴史、書体の説明などの解説。アラビア文字は、英語などで用いられているアルファベットと同じく、フェニキア文字から発達した28の文字によって右から左へ書いていきます。

竹のペンとテキスト


 アラビア語は、本来はコーランを書くための文字なので、現代トルコ語を書き表すためには、英語と同じabcのアルファベットが採用されています。
 アラビア文字は、イスラム教圏では広く用いられている文字ですが、子音のみで、aiueoなどの母音文字を本来は書き表しません。コーランも読み方を習った者だけが読み書きするのみで、一般の人は文字が読めないまま、コーランの朗唱を聞くことが信仰の中心でした。

 現在では初学者のためには、母音の助字シャクルがアラビア文字に補助としてつけられており、冒頭の「はるにわ」にも、シャクルが入っています。ただし、アラビア語の母音はア、イ、ウの3つだけなので、「ハルニワ」はアラビア文字で書けるけれど、たとえば、「春子」だったら、「ハルク」と記述するしかなく、春江だったら「ハルイ」と記述するしかありません。
 そのため、トルコ語など5母音の言語は、イスラム圏であっても、アラビア文字で表記するには不自由です。トルコ語がアルファベット表記に転換したのは、そのためもあるのです。

 私が35年前にアラビア語を習ったときも、先生はフスハ-という正則アラビア語のコーランの読み方を教えるのみで、私にはわけもわからず、あえなく挫折。私は、アラビア文字がフェニキア文字をもとにしたabcアルファベットと同種の文字であるということすら、今回ようやく知ったのです。くねくねとのたうつように見えるアラビア文字、abcアルファベットとほぼ対応しています。

ت = t ل = l د = d、うんうん、わかってきたぞ。でも、دはdでرはrだって、どうやって区別するんだ。ほとんど同じに見える。でも、留学生が「ン」と「ソ」が同じにしか見えない、という気持ちがよくわかります。まったく最近は、日本人大学生の書くカタカナも「ン=ん」と「ソ=そ」って、同じに見えますから。

 アラビア文字の筆記体は、アルファベット筆記体と同じく続け文字で書かれるので、単独の文字と、語頭、語中、語尾の形がそれぞれ異なり、28の文字を知るには、28×4の文字を覚える必要があります。今回は体験なので、読めなくてもいいので、まずは自分の名前を先生のお手本通りに臨書することを練習します。

 紙と篠竹を削って作られているアラビア書道のペンを、はじめて持ちました。親指人差し指中指の3本でつまんで書きます。
 漢字書道で「永」を書いて、点や払いなどを練習するように、まずは、点の書き方、右から左へ横に線を引く練習、右から左へ波のように曲線を書く練習、縦に線を引く練習。

 体験講習ですから、うまく線がかけないうちに、お手本のアラビア語を書いたカードが配られました。ひとりひとり違うことばで、私の隣の人の言葉は、Amal سماء(希望)で、私のお手本は、رح. ファラフ(喜び)。すてきなことばですが、なかなかきれいな形になりません。山岡先生のお弟子さんたちがアシスタントとして手をとって教えてくださいます。練習のことばがかけたら、自分の名前を臨書。練習用の紙の裏表にびっしり練習しましたが、私は最後まで自分の名前をきれいな形に仕上げられませんでした。

 上手にかけている人に、先生が「日本書道をやっていますか」と、たずねていました。筆文字が書ける人は、力の入れ方抜き方が会得できているので、竹ペンでのアラビア書道もこつを知るのが早いとのこと。筆文字を苦手にしてきた私、アラビア文字書道のコツも飲み込みが遅いのでした。

 最後に、自分の名前を清書をします。私は何度練習しても、先生が書いてくださったお手本「は、る、に、わ」が上手にかけないので、喜びرح. を清書しました。こちらの方が文字が二つのみなので。隣の席の人は、名前と「سماء(希望)」の両方をすらすらと清書していました。あ~あ、ここでも落ちこぼれだわん。

 日本語教師志望の学生には、語学教師は、2年に1度くらいは、新しい言語や文字に挑戦した方がいい、と話しています。新しい言葉を習得することがどれほどたいへんなことか、ということを、常に身に染みていたほうがいいのです。「ああ、難しい、あらら、わからない」ということを我が身に言い聞かせていないと、「語学がすらすらとは修得できない学習者」の気持ちがわからなくなってしまう、と学生に言っています。
 語学教師になる人は、私のような外国語が大の苦手という人は少ないのです。それで、毎期私は「日本語落ちこぼれ」の学生に「先生の授業が一番よかった」と、言われます。語学落ちこぼれの気持ちがわかるからだろうと思います。

 サクサクと英語も覚え、他の言語も楽々と身に付けてしまった、というような優秀な人は、語学で苦労する学習者に対して「ああ、こんな簡単なことがなぜできないんだ」と、思ってしまうのです。最初から学ぶ気もない物見遊山留学は論外ですが、努力してもなかなか新しい言語が体に入っていかない人の気持ち、私はよくわかります。

 今回のアラビア文字書道も、ひらがなカタカナを最初に覚えるときの日本語学習者の気持ちになって、「は」と「ほ」を取り違えたり「ろ」と「る」、「れ」と「わ」と「ね」がごちゃまぜになったりという学習者の初歩の苦労を味わえて、よかったです。

 アラビア文字はきれいにかけませんでしたが、私にとっては、よい体験でした。山岡先生、アシスタントティーチャーのみなさん、ありがとうございました。
 新しいことに挑戦するのは、「رح. ファラフ(喜び)」でした。

春庭のアラビア文字書道  ファラフ(喜び)
 
 たぶん、運筆がよろしくないのですが、まあ、できたことにしておきます。喜びです。
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「オリエントの音楽」

2014-08-12 00:00:01 | エッセイ、コラム
20140812
ぽかぽか春庭アート散歩>オリエント(3)オリエントの音楽

 東洋文庫は、三菱財閥岩崎家の三代目岩崎久弥が、1917年に北京駐在のオーストラリア人G. E. モリソン博士から東アジアに関する欧文の書籍・絵画・冊子等約2万4千点を買い取ったことに始まります。久弥は、日本の古文書収集と合わせ、1924年に東洋研究施設「東洋文庫」を設立しました。

 東洋に関する書物100万冊、国宝を含む貴重な書物を所蔵しています。貸し出しはしませんが、無料で閲覧できます。
 一般の人が気楽にこれらの書物に触れることができるよう、2011年に東洋文庫ミュージアムがオープンしました。

 東洋文庫ミュージアム、最初の見学は2012年の「東インド会社とアジアの海賊」だったと思うのですが、ブログには見学の感想を記録していませんでした。倭寇や東インド会社について学んだことがあったはずなのに、書いておかないと何を見たのかすぐに忘れてしまいます。覚えているのは、はじめて2階のモリソン書庫の開架図書を眺めたときの感慨です。
 
 モリソンが収集した書物たち。眺めているだけで、人類の知の集積に圧倒される思いがしました。今回もやはり、個々の展示もさることながら、このモリソン書庫の本の並びに感銘を受けました。
 もし、何かの刑罰を受けて、一生ひとつの部屋に閉じ込められるというのなら、こういう部屋になら閉じ込められても生きていけます。まあ、閉じ込められるようなハメになりたくはないですが。


 8月10日、3度目の来館。午後1時からのトルコ民族楽器サズの演奏を50分聞きました。「新オリエント楽派」という演奏集団に所属し、トルコ文化センターなどで、音楽講師をなさっている大平清さんという方です。


 大平さんは、トルコに渡って民族楽器サズ演奏を習得したほか、ギリシアのアテネでは、ギリシアの伝統的民族楽器ブズーキ、ギリシア古謡レベティカ、ウイグルの民謡とドタールなど、広くオリエントの民族音楽に精通しています。

 ウイグルのドタールを弾く大平清さん
http://www.youtube.com/watch?v=ihQ0SFAlUOs
 アゼルバイジャンのサズを弾く大平清さん
http://www.youtube.com/watch?v=OwfDbj9S_Wc&index=24&list=UUpcO-jhLoayN0lb-BCHNH2Q

 サズは、撥弦楽器の中では、マンドリンのように丸く膨らんだ胴体をしています。洋梨または卵を縦に半分に切った形。響きは、琵琶に似ていると思いました。

 東洋文庫ミュージアムのオリエントホールでの演奏でしたが、私はアラビア書道の会場の2階のレクチャールームに荷物を置いて、オリエントホールを見下ろす2階の渡り廊下で聞いていました。サズの音や大平さんの歌声は2階までよく響いたのですが、楽器紹介や曲目紹介の説明は聞こえませんでした。トルコ音楽の変拍子の話などしていたのは、オーケストラの指揮者のように手を振って解説していたので、わかりましたが。

 どうしてオリエントホールで聞かなかったかというと、前回は招待券で入館して、すでにトルコ展は全部見ています。今回、オリエントホールに入場するためだけでも、入館料680円払わなくてはならないというので、「いいや、近くで聞かなくても2階まで吹き抜けのホールなのだから、2階の渡り廊下でも十分に音が聞こえるはず」と思って、680円の入館料をけちったのです。680円あったら、帰りにラーメンの一杯でも食べられる、というせこい精神。そんなせこい私の心ですが、サズのオリエントの響きは、シルクロードのはるかな旅やオリエントの町のにぎわいや、高原で羊の群れを追う遊牧民の広々としたのびやかなイメージを伝えてくれました。

 私は小泉文夫の著作などを通じて民族音楽が好きになり、小島美子の授業を受けて民族音楽や民俗芸能について楽しくまなぶことができました。民族音楽や舞踊演劇などを研究できたら楽しいだろうなあと思っていました。文化人類学のフィールドワークがしてみたくて、ケニアに出かけ、「民族芸能学」をやってみたいと思ったのです。ケニアでは、アフリカンダンスのおけいこをしただけで、研究というほどのことはかけらもできませんでしたが。

 アフリカやオセアニアの音楽が好きで、中近東の楽器についてはあまり詳しくありませんでした。ウードとサズの違い、なんてのも知らないまま大平さんの演奏を聴きました。
 
 サズは、吟遊詩人が歌いながら演奏したという点も琵琶法師が平家物語などを語りながら演奏したのと似ています。日本の舞楽は、中国経由で胡楽すなわちペルシャなどオリエントの音楽舞踊が伝わったものですから、サズの響きがどこかなつかしく感じられる音であるのも当然なのでしょう。

 サズ(saz)を弾く大平清さん
http://www.youtube.com/watch?v=fNoZEeemANs
 
 トルコ、ウイグル、アゼルバイジャンなど、シルクロードの音、オリエントの調べ、すてきな音楽でした。

 オリエントの音楽を堪能している間、オリエントホールの中庭に面した全面ガラス張りの南面には、激しい雨が打ち付けていました。家を出るときは目の前が真っ白になるほどの雨で、行くのをやめようかと思っていたのですが、駒込駅に着いたら、雨は小やみになっていて10分ほど東洋文庫に向かって歩いている間は傘をささずに歩けたのに、やはり台風の影響は強いなあと、ガラス窓の雨を眺めていました。

 夜のニュースで大雨による二階までの浸水やら竜巻による被害などを報じていて、やはり今回の台風も大きな影響があったのだと知りました。
 被害を受けた方にはお見舞い申し上げます。東京で音楽を楽しんでいて申し訳なかったけれど、帰るときも、駒込駅まで歩く間は雨は小やみになっていたので、それほど大きな被害が出ているとは思いませんでした。
 暦の上では秋になっていますが、まだまだ暑さや台風に気をつけねば。

<つづく>
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