2011/12/29
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>2011年歳末(13)海の中の天国
夫が「2011年の分の経理をまとめておきたいから、家に置いてある領収証を事務所に持ってきて」というので、26日、郵便局とかジュンク堂とかの領収書を飯田橋の事務所に届けました。
自営小企業では妻が経理を担当する例が多いそうですが、私は「先天的計算苦手症」で、テストを作っても何回計算してもなかなか100点満点ぴったりにできず、問題を増やしたり減らしたり、計算のほうに時間がかかる。まして会社の経理など私にやらせたらとんでもないことになるのをわかっているから、夫は、経理を担当していた舅がなくなった2002年以後は、自分で計算をしています。何度計算したって赤字の会社なのですけれど。
届けたついでに、今年最後の映画館と思って、飯田橋ギンレイホールで『海洋天堂』と『木洩れ日の家で』2本立てを見ました。どちも女性監督の作品、とてもよかったです。
日本では、自閉症児への理解は昔に比べれば進んできました。戸部けいこ(1957- 2010)のまんがを原作にした2004年の『光とともに』も、2006年の草薙剛主演『僕の歩く道』も、とても印象深いドラマで、自閉症について一般の人にもたくさんのことを伝え、理解を深めました。
親が死んだあと、障害を持つ子供が幸福に生きて行くにはどうしたらよいのか、ということについても、多くの論点が出されています。
しかし、中国では、まだまだ障害を持つ人への理解は深まっていません。
「普通に働いても貧しい人が多いのに、社会の役にも立たない障害者に手厚い保護を与えている余裕は、現在の中国にはない」と、言い切った中国人にも会いました。
『海洋天堂』は、死期を知った父親が、まだ自立できていない自閉症児の息子を抱えてすごした、最後の日々の物語です。
監督は、自閉症児施設でボランティアを続けてきた薛暁路(シュエ・シャオルー)。薛暁路は、陳凱歌(チェン・カイコー)監督作品『北京ヴァイオリン』の共同脚本家として知られています。『北京ヴァイオリン』の脚本もとてもよく出来ていましたが、この『海洋天堂』も巧みな脚本です。音楽は久石譲。
主演は華麗なアクションでハリウッドでも活躍してきた李連杰( ジェット・リー)。アクション以外でも演技派として今後やっていける、ということを示せた点で、脚本を読み、「ノーギャラでもいいからこの役を演じたい」と願ったというのもうなずけます。
水族館職員の王心誠(ワン・シンチョン)は47歳。妻に先立たれ、一人息子大福(ターフー)を男手で育ててきました。養護施設を卒業した大福は21歳。自閉症のため、まだ日常生活も自立できていません。心誠の職場の水族館プールで泳がせて貰うのを無上の喜びとする大福ですが、買い物も服の脱ぎ着もまだ一人では出来ないのです。
しかし、心誠は一大決心で大福が自立できるよう日常生活の訓練を始めます。末期癌であと数ヶ月の余命と診断されたからです。
自閉症児は、ひとりひとりが異なる症状を持つと言われていますが、強いこだわりを持つことや、あるきっかけでパニックを起こすこと、周囲の人と円滑なコミュニケーションが望めないことなどの特徴は、大福も同じです。
さまざまな問題が起こり、心誠が安心できる状態にはなりません。しかし、近所に住み、心誠に心を寄せている雑貨屋の柴(チャン)さんや、養護施設の元校長先生などの理解者もいて、水族館館長も、心誠がいなくても大福が水族館のプールで泳ぐことを認めるようになります。
大福を演じた若手俳優、文章(ウェン・ジャン)は、youtubeに出ていたインタビューで、自閉症者を演じた苦心について語っていましたが、ジェットリーに劣らずよい演技でした。
『光とともに』や『僕の歩く道』によって日本でも自閉症児(者)についての理解が以前よりはよくなったのと同じように、中国でもこれから障害を持つ人々への一般の関心がもっとよくなることを願っています。
障害を持つ人も幸福に暮らせる中国であるなら、13億だか14億の人々みなが幸福に暮らせる中国になるだろうと思います。
<つづく>
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2011年12月30日
ぽかぽか春庭「木洩れ日の家で」
2011/12/30
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>2011年歳末(14)木洩れ日の家で
『木洩れ日の家で』。
ポーランド語の映画を見るのは久しぶりです。ポーランド語、まったくわかりませんけれど、ヘルバタの一語だけはわかりました。ラストシーンで男の子が紅茶を主人公のアニェラのもとへ運んできて「ヘルバタだよ」と声をかけます。
ポーランド人留学生に、ポーランド語の日常生活で紅茶は、ヘルバタ(英語流に発音するとハーブティ)であると教わったことがありました。この場合のハーブとは、お茶の葉っぱのこと。公式な場では、ロシア語由来の「チャー」も使われるけれど、日常生活ではヘルバタだ、と言っていたことを映画の画面から確かめることができました。一語でも画面のことばがわかってうれしいです。
いつも一人でお茶を入れて一人で飲んでいる91歳のアニェラが、「熱いお茶を入れてくれる人が必要」と思っていることが、いっそう身にしみました。以下ネタバレあらすじ。
91歳のアニェラが、頑固者で昔風の礼節を守る女性であるということが冒頭のクリニックのシーンで示されます。アニェラがおそるおそるドアを開けて「こんにちは」というと、いきなり女医さんは「脱いで、そこに横になって」と命じます。アニェラは憤慨してクリニックを飛び出します。昔気質のアニェラにしてみれば、「女性が人前で服を脱ぐ」ということは重大事なのに、挨拶もせぬうちに「脱げ」とは、とんでもないことなのです。忙しい女医さんの現代風の診察に合わせようなんて気は毛頭ありません。
アニェラの日常生活は、毎日かわりばえ無く静かに繰り返されます。生まれる前に両親が買ったワルシャワ郊外の木造の家をかたくなに守ることと、古きよき時代を回顧することでアニェラの一日は成り立っています。バレエを習っていた少女時代、夫と踊ったワルツ、かわいらしい素直な少年だった一人息子ヴィトゥシュ。古い家のひとつひとつに思い出が満ちています。
現実の日常生活は、愛犬のフィラデルフィアと話すのみで、ご近所とも折り合いが悪い。左隣は、週末に訪れる愛人を待つ女の家。アニェラから見たら下品な人々が出入りし、とうてい近所づきあいする気になれない。もう一軒のお隣は、音楽教室を開く若い夫婦。出入りする悪戯小僧たちがアニェラの大切な庭に入り込み、悪さをするのが気が気でない。
結婚後は家に寄りつこうとしない息子と、その連れ合い。なつこうとしないわがままな孫娘。同居したいというアニェラの願いは通じません。あまつさえ、息子は母親の意志を無視して、古い家を売れるうちに売ってしまおうとします。
このままでは自分の死後、大切な家がこのままの形で残されることはないと悟ったアニェラは、静かに死のうと準備しますが、突然、死ぬのはやめて、古い家をそのまま保存するための行動を開始します。
アニェラを演じるダヌタ・シャフラルスカは、1915年生まれ、芸歴は80年以上というポーランドきっての大女優。2006年の映画撮影当時、役と同じ91歳。堂々の演技で、老いることの哀しみと強さを描いていました。よくある「愛されるかわいいお年寄り」像を吹っ飛ばす、とても味のあるしわしわのお顔でした。
2011年では96歳になっていると思うのですが、現役で女優を続けているそうです。
<つづく>
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2011年12月31日
jぽかぽか春庭「明日はきっと良い日」
2011/12/31
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>2011年歳末(15)明日はきっと良い日
『木洩れ日の家で』の監督、ドロタ・ケンジェジャフスカは、自身の母親も映画監督だそうです。幼いころから映画の現場ですごし、学生時代に短編映画を撮ることからスタートしました。近所の木造の家に起こったエピソードを聞き、2週間で脚本を書き上げたといいます。
家の描写で一番感心したのは、部屋全面に使われているガラス窓の古い硝子。
古い建物を見物にいくと、ガイドさんは窓硝子を指して、「戦前に作られた硝子は今のようなオートマチック工程で作られるのではないため、わずかなゆがみがあり、外の風景などがほんの少しゆがんだり滲んだりするのが、歴史ある建物の味わいになっています。今ではこういう硝子が作られなくなっているので貴重です」と説明します。
『木洩れ日の家で』のロケに使われた木造お屋敷のガラス窓には、全面にこの「貴重な硝子」が使われていて、この建物はセットなどではなく、本物の古いお屋敷がつかわれたのだろうと見受けました。日本だと、このようなガラスが残されていてロケに使えるような民家は、もはや無くなっているだろうと思います。
特に、アニェラが家を残すための重大な話し合いを音楽教室の夫妻とかわしているシーンは、ガラス窓の向こうからの、愛犬フィラデルフィアの視点で描かれており、話し合いの中身は観客には聞こえず、置いてけぼりにされたフィラの「クィーン」という鳴き声のみが聞こえる。フィラ役のワンコは、白戸家のお父さん犬カイ君や、南極物語のリーダー犬リキ役ピムと「犬タレント界アカデミー賞」を競う名演技でした。
このガラス窓を通した光景、庭の景色や回想シーンが少しのゆがみを持つことによって、アニェラの心を通過したものであることがよく伝わりました。映画を見る楽しみのひとつは、文による表現とは異なる表現を見つけること。映像でしか見ることのできない表現、映画的手法というのを味わえるのが、映画を見るおもしろさです。この「古いゆがんだガラス窓を通した光景」という撮影の方法は、よくある手なのかもしれないけれど、アニェラの心象風景を映し出すためにとても効果的だと感じました。
アニェラがブランコをこいで見つめる空や庭の木々の映像も、よくあるブランコからの景色なのだけれど、アニェラの生命感、人生最後の輝きが表現されているように思いました。
撮影は、アルトゥル・ラインハルト。監督の夫です。現代ではカラーフィルムより撮影が難しいというモノクロームで、静謐な美を画面に定着させています。夫婦でひとつの映画を作り上げるなんて、すてきです。
わが夫なんぞ、妻とはまったく無関係に生きています。私は領収証を届けるくらいが夫にしてやれることで、夫が私にしてくれることといったら、映画のパスカードを貸してくれるだけ。まあ、おかげでギンレイにかかった映画はカードで見ることができますけど。
私がギンレイで見た中での2011年の「よかった映画」5本を、「女性監督」だけにしぼって、選んでみました。ほかにも『英国王のスピーチ』とか『トゥルーグリッド』とか、面白かった映画はあったけれど、普通のベストテンベストファイブはもっと映画見巧者もやっていることなので、あえて、「女性視点」で選びました。
・ウニー・ルコント『冬の小鳥』
・ドロタ・ケンジェジャフスカ『木洩れ日の家で』
・スサンネ・ビア『未来を生きる君たちへ』
・リサ・チョロデンコ『キッズ・オールライト』
・松井久子『レオニー』
次点 荻上直子『トイレット』
ドロタ・ケンジェジャフスカの最新作は、あいち国際女性映画祭で2011年9月に公開された『明日はきっとよくなる』。ストリートチルドレンの密入国を描いた作品だといいます。日本とポーランドの共同制作というので、近々一般公開もされるでしょうから、楽しみにしています。
タイトルだけでも心ひかれます。「明日は、きっとよくなる!!」
私とウェブ友ちよさんの合い言葉は「明日はきっと良い日」です。
来年はきっとよい年になると希望を持ってカレンダーをめくりたいと思います。
みなさま、よいお年を!!
<2011年これにておひらき>
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>2011年歳末(13)海の中の天国
夫が「2011年の分の経理をまとめておきたいから、家に置いてある領収証を事務所に持ってきて」というので、26日、郵便局とかジュンク堂とかの領収書を飯田橋の事務所に届けました。
自営小企業では妻が経理を担当する例が多いそうですが、私は「先天的計算苦手症」で、テストを作っても何回計算してもなかなか100点満点ぴったりにできず、問題を増やしたり減らしたり、計算のほうに時間がかかる。まして会社の経理など私にやらせたらとんでもないことになるのをわかっているから、夫は、経理を担当していた舅がなくなった2002年以後は、自分で計算をしています。何度計算したって赤字の会社なのですけれど。
届けたついでに、今年最後の映画館と思って、飯田橋ギンレイホールで『海洋天堂』と『木洩れ日の家で』2本立てを見ました。どちも女性監督の作品、とてもよかったです。
日本では、自閉症児への理解は昔に比べれば進んできました。戸部けいこ(1957- 2010)のまんがを原作にした2004年の『光とともに』も、2006年の草薙剛主演『僕の歩く道』も、とても印象深いドラマで、自閉症について一般の人にもたくさんのことを伝え、理解を深めました。
親が死んだあと、障害を持つ子供が幸福に生きて行くにはどうしたらよいのか、ということについても、多くの論点が出されています。
しかし、中国では、まだまだ障害を持つ人への理解は深まっていません。
「普通に働いても貧しい人が多いのに、社会の役にも立たない障害者に手厚い保護を与えている余裕は、現在の中国にはない」と、言い切った中国人にも会いました。
『海洋天堂』は、死期を知った父親が、まだ自立できていない自閉症児の息子を抱えてすごした、最後の日々の物語です。
監督は、自閉症児施設でボランティアを続けてきた薛暁路(シュエ・シャオルー)。薛暁路は、陳凱歌(チェン・カイコー)監督作品『北京ヴァイオリン』の共同脚本家として知られています。『北京ヴァイオリン』の脚本もとてもよく出来ていましたが、この『海洋天堂』も巧みな脚本です。音楽は久石譲。
主演は華麗なアクションでハリウッドでも活躍してきた李連杰( ジェット・リー)。アクション以外でも演技派として今後やっていける、ということを示せた点で、脚本を読み、「ノーギャラでもいいからこの役を演じたい」と願ったというのもうなずけます。
水族館職員の王心誠(ワン・シンチョン)は47歳。妻に先立たれ、一人息子大福(ターフー)を男手で育ててきました。養護施設を卒業した大福は21歳。自閉症のため、まだ日常生活も自立できていません。心誠の職場の水族館プールで泳がせて貰うのを無上の喜びとする大福ですが、買い物も服の脱ぎ着もまだ一人では出来ないのです。
しかし、心誠は一大決心で大福が自立できるよう日常生活の訓練を始めます。末期癌であと数ヶ月の余命と診断されたからです。
自閉症児は、ひとりひとりが異なる症状を持つと言われていますが、強いこだわりを持つことや、あるきっかけでパニックを起こすこと、周囲の人と円滑なコミュニケーションが望めないことなどの特徴は、大福も同じです。
さまざまな問題が起こり、心誠が安心できる状態にはなりません。しかし、近所に住み、心誠に心を寄せている雑貨屋の柴(チャン)さんや、養護施設の元校長先生などの理解者もいて、水族館館長も、心誠がいなくても大福が水族館のプールで泳ぐことを認めるようになります。
大福を演じた若手俳優、文章(ウェン・ジャン)は、youtubeに出ていたインタビューで、自閉症者を演じた苦心について語っていましたが、ジェットリーに劣らずよい演技でした。
『光とともに』や『僕の歩く道』によって日本でも自閉症児(者)についての理解が以前よりはよくなったのと同じように、中国でもこれから障害を持つ人々への一般の関心がもっとよくなることを願っています。
障害を持つ人も幸福に暮らせる中国であるなら、13億だか14億の人々みなが幸福に暮らせる中国になるだろうと思います。
<つづく>
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2011年12月30日
ぽかぽか春庭「木洩れ日の家で」
2011/12/30
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>2011年歳末(14)木洩れ日の家で
『木洩れ日の家で』。
ポーランド語の映画を見るのは久しぶりです。ポーランド語、まったくわかりませんけれど、ヘルバタの一語だけはわかりました。ラストシーンで男の子が紅茶を主人公のアニェラのもとへ運んできて「ヘルバタだよ」と声をかけます。
ポーランド人留学生に、ポーランド語の日常生活で紅茶は、ヘルバタ(英語流に発音するとハーブティ)であると教わったことがありました。この場合のハーブとは、お茶の葉っぱのこと。公式な場では、ロシア語由来の「チャー」も使われるけれど、日常生活ではヘルバタだ、と言っていたことを映画の画面から確かめることができました。一語でも画面のことばがわかってうれしいです。
いつも一人でお茶を入れて一人で飲んでいる91歳のアニェラが、「熱いお茶を入れてくれる人が必要」と思っていることが、いっそう身にしみました。以下ネタバレあらすじ。
91歳のアニェラが、頑固者で昔風の礼節を守る女性であるということが冒頭のクリニックのシーンで示されます。アニェラがおそるおそるドアを開けて「こんにちは」というと、いきなり女医さんは「脱いで、そこに横になって」と命じます。アニェラは憤慨してクリニックを飛び出します。昔気質のアニェラにしてみれば、「女性が人前で服を脱ぐ」ということは重大事なのに、挨拶もせぬうちに「脱げ」とは、とんでもないことなのです。忙しい女医さんの現代風の診察に合わせようなんて気は毛頭ありません。
アニェラの日常生活は、毎日かわりばえ無く静かに繰り返されます。生まれる前に両親が買ったワルシャワ郊外の木造の家をかたくなに守ることと、古きよき時代を回顧することでアニェラの一日は成り立っています。バレエを習っていた少女時代、夫と踊ったワルツ、かわいらしい素直な少年だった一人息子ヴィトゥシュ。古い家のひとつひとつに思い出が満ちています。
現実の日常生活は、愛犬のフィラデルフィアと話すのみで、ご近所とも折り合いが悪い。左隣は、週末に訪れる愛人を待つ女の家。アニェラから見たら下品な人々が出入りし、とうてい近所づきあいする気になれない。もう一軒のお隣は、音楽教室を開く若い夫婦。出入りする悪戯小僧たちがアニェラの大切な庭に入り込み、悪さをするのが気が気でない。
結婚後は家に寄りつこうとしない息子と、その連れ合い。なつこうとしないわがままな孫娘。同居したいというアニェラの願いは通じません。あまつさえ、息子は母親の意志を無視して、古い家を売れるうちに売ってしまおうとします。
このままでは自分の死後、大切な家がこのままの形で残されることはないと悟ったアニェラは、静かに死のうと準備しますが、突然、死ぬのはやめて、古い家をそのまま保存するための行動を開始します。
アニェラを演じるダヌタ・シャフラルスカは、1915年生まれ、芸歴は80年以上というポーランドきっての大女優。2006年の映画撮影当時、役と同じ91歳。堂々の演技で、老いることの哀しみと強さを描いていました。よくある「愛されるかわいいお年寄り」像を吹っ飛ばす、とても味のあるしわしわのお顔でした。
2011年では96歳になっていると思うのですが、現役で女優を続けているそうです。
<つづく>
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2011年12月31日
jぽかぽか春庭「明日はきっと良い日」
2011/12/31
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>2011年歳末(15)明日はきっと良い日
『木洩れ日の家で』の監督、ドロタ・ケンジェジャフスカは、自身の母親も映画監督だそうです。幼いころから映画の現場ですごし、学生時代に短編映画を撮ることからスタートしました。近所の木造の家に起こったエピソードを聞き、2週間で脚本を書き上げたといいます。
家の描写で一番感心したのは、部屋全面に使われているガラス窓の古い硝子。
古い建物を見物にいくと、ガイドさんは窓硝子を指して、「戦前に作られた硝子は今のようなオートマチック工程で作られるのではないため、わずかなゆがみがあり、外の風景などがほんの少しゆがんだり滲んだりするのが、歴史ある建物の味わいになっています。今ではこういう硝子が作られなくなっているので貴重です」と説明します。
『木洩れ日の家で』のロケに使われた木造お屋敷のガラス窓には、全面にこの「貴重な硝子」が使われていて、この建物はセットなどではなく、本物の古いお屋敷がつかわれたのだろうと見受けました。日本だと、このようなガラスが残されていてロケに使えるような民家は、もはや無くなっているだろうと思います。
特に、アニェラが家を残すための重大な話し合いを音楽教室の夫妻とかわしているシーンは、ガラス窓の向こうからの、愛犬フィラデルフィアの視点で描かれており、話し合いの中身は観客には聞こえず、置いてけぼりにされたフィラの「クィーン」という鳴き声のみが聞こえる。フィラ役のワンコは、白戸家のお父さん犬カイ君や、南極物語のリーダー犬リキ役ピムと「犬タレント界アカデミー賞」を競う名演技でした。
このガラス窓を通した光景、庭の景色や回想シーンが少しのゆがみを持つことによって、アニェラの心を通過したものであることがよく伝わりました。映画を見る楽しみのひとつは、文による表現とは異なる表現を見つけること。映像でしか見ることのできない表現、映画的手法というのを味わえるのが、映画を見るおもしろさです。この「古いゆがんだガラス窓を通した光景」という撮影の方法は、よくある手なのかもしれないけれど、アニェラの心象風景を映し出すためにとても効果的だと感じました。
アニェラがブランコをこいで見つめる空や庭の木々の映像も、よくあるブランコからの景色なのだけれど、アニェラの生命感、人生最後の輝きが表現されているように思いました。
撮影は、アルトゥル・ラインハルト。監督の夫です。現代ではカラーフィルムより撮影が難しいというモノクロームで、静謐な美を画面に定着させています。夫婦でひとつの映画を作り上げるなんて、すてきです。
わが夫なんぞ、妻とはまったく無関係に生きています。私は領収証を届けるくらいが夫にしてやれることで、夫が私にしてくれることといったら、映画のパスカードを貸してくれるだけ。まあ、おかげでギンレイにかかった映画はカードで見ることができますけど。
私がギンレイで見た中での2011年の「よかった映画」5本を、「女性監督」だけにしぼって、選んでみました。ほかにも『英国王のスピーチ』とか『トゥルーグリッド』とか、面白かった映画はあったけれど、普通のベストテンベストファイブはもっと映画見巧者もやっていることなので、あえて、「女性視点」で選びました。
・ウニー・ルコント『冬の小鳥』
・ドロタ・ケンジェジャフスカ『木洩れ日の家で』
・スサンネ・ビア『未来を生きる君たちへ』
・リサ・チョロデンコ『キッズ・オールライト』
・松井久子『レオニー』
次点 荻上直子『トイレット』
ドロタ・ケンジェジャフスカの最新作は、あいち国際女性映画祭で2011年9月に公開された『明日はきっとよくなる』。ストリートチルドレンの密入国を描いた作品だといいます。日本とポーランドの共同制作というので、近々一般公開もされるでしょうから、楽しみにしています。
タイトルだけでも心ひかれます。「明日は、きっとよくなる!!」
私とウェブ友ちよさんの合い言葉は「明日はきっと良い日」です。
来年はきっとよい年になると希望を持ってカレンダーをめくりたいと思います。
みなさま、よいお年を!!
<2011年これにておひらき>