春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

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ぽかぽか春庭「2015年4月目次」

2015-04-30 00:00:01 | エッセイ、コラム


ぽかぽか春庭>2015年4月目次

0401 ミンガラ春庭ミャンマー便り便り>ミャンマー事情(1)ミャンマーの歴史と文字
0402 ミャンマー事情(2)ミャンマーの教育事情

0404 ミンガラ春庭ミャンマー便り>ヤンゴン出張(1)ヤンゴン到着
0405 ヤンゴン出張(2)マジェスティホテル
0407 ヤンゴン出張(3)ヤンゴン大学
0408 ヤンゴン出張(4)ヤンゴンの朝ご飯
0409 ヤンゴン出張(5)授業見学&ラングーンバー
0411 ヤンゴン出張(6)ヤンゴンの下町
0412 ヤンゴン出張(7)チャウタージーパゴダ寝釈迦像
0414 ヤンゴン出張(8)シュエタゴンパゴダ
0415 ヤンゴン出張(9)サイカーに乗ってカマユッ駅へ
0416 ヤンゴン出張(10)ヤンゴン環状線乗り鉄
0418 ヤンゴン出張(11)フレーダン市場の玉石
0419 ヤンゴン出張(12)ボージョーアウンサン市場

0421 ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記4月(1)2003年の花見
0422 2003三色七味日記4月(2)2003年の千鳥ヶ淵花見
0423 2003三色七味日記4月(3)2003年のめぐり逢う大地
0425 2003三色七味日記4月(4)2003年の新学期
0426 2003三色七味日記4月(5)2003年のトロン
0428 2003三色七味日記4月(6)2003年の大腸菌
0429 2003三色七味日記4月(7)2003年の美術トリビア
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ぽかぽか春庭「2003年の美術トリビア」

2015-04-29 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150429
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記4月( )

 2003年4月の日記再録を続けています。
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2003/04/27 日 曇り
日常茶飯事典>上野の美術館めぐり

 午後、息子と上野へ。芸大美術館で、韓国国立博物館所蔵の近代日本画展と通常展を見た。芸大美術館が開館して以来、ずっと来ようと思っていたが、やっと来ることができた。これまでは、東京都美術館まで来ているのに、芸大までは足をのばさなかった。

 息子に、中3の美術の時間に「日本美術史」をやるかもしれないから、見ておくと、「ああ、この人もこの人も本物を見た」って思えるから、よく見ておきなさいよ、と言う。
 日本画はあまり見たことのない息子。展示されていた絵の作者名で、息子が知っていたのは「徳川慶喜」一人だけ。へぇー、15代さんは絵もうまかったんだ、とふたりで感心。なかなか器用に描いていた。働き盛りで隠居したのだから、絵でも描いていないと間がもたず、上達したのかもしれない。

 卒業制作として残された自画像。それぞれの個性や、取り入れている時代の描き方が面白い。野獣派風あり表現派風あり。これを描いたときには皆「我こそは世界一の絵描き」と、思っていたのだろうが、半分はまったく名を知らなかった。早世した者、戦死したもの、挫折したもの。藤田嗣司や青木繁などはすぐわかる顔。

 次に西洋美術館。タペストリー展と通常展。
 こちらも「世界美術史」の授業のとき、紹介される絵がたくさんあるから、ようく見ておきなさいよ。「美術の教科書に出てくる絵ばっかりだよ。っていうか、この美術館にあるから美術の教科書に載っているんだけど」
 息子は、なかなかトリビアうんちくがあって、「レオナルドの絵のうち、本人が全部描いたのはモナリザだけで、あとは全部、工房の弟子に指示して書かせたものを、レオナルドの名で発表しているんだ」と詳しい。
 ルーブル美術館の画集を熱心に見ていた時期があったから、そのころ仕入れたネタか。私はまた、裸婦像に興味が出て熱心に見ているのかと思っていた。思春期ですから。

 タペストリーはとても大きいので、全体をぱっと見ただけでは、すみずみに何が書かれているか目に入らない。家に帰ってパンフレットをしみじみ見れば、ああ、ここにこんな犬が書かれている、とか、気がつく。もう疲れてきて、駆け足で見たので、本当はもっと時間をかけて見る価値のあるものだったのだろうに。

本日のそねみ:卒業制作をただで受け取る芸大、今、藤田や青木を売れば、、、


2003/04/28
日常茶飯事典>連休読書用本の仕入れ

 漢字作文、2コマ。

 仕事を終えて渋谷へ。ブックファーストで7冊約7000円のお買い物。文庫と新書だから、買おうかなあどうしようかなあと迷ったときは、ええい買っておけと、言えるほどのおこづかいがつかえてうれしい。

 迷わず買った本。西江雅之『ことばの課外授業』。書籍広告を見て、おお、西江先生ぜったいに買わなきゃ、と思っていた。真木悠介『気流のなる音』。単行本を買おう、買おうと思っていたら、文庫が出た。筑摩から初版が出たのが77年。もう26年もたっている。宮沢章夫『茫然とする技術』。図書館で借りて読んで、「文庫になったら買うぞ」と思っていた。斎藤美奈子『読者は踊る』。単行本のときも、文庫になったときもちょっと迷ったが、今回は「ヒメも読むだろうから、二人で楽しめればお得」と、買う理由がついたので、買った。

 迷ったのに買った本。松浦寿輝『エッフェル塔試論』。文庫で1500円もする本を買って、途中で読みたくなくなったらどうしよう、という迷い。大塚英志『みるみる小説が書ける6つのレッスン』。この前買った『キャラクター小説の書き方』があんまり感心しなかったので、まただまされるぞ、と思ったのだが「ま、いいか」と、買ってしまった。560円なら、つまらなくてもそれほどの損でもなしと思い、1500円なら読みこなせなかったら大損と思うあたりが、私の金銭感覚を表しているなあ、と線引きするために買った。佐藤雅彦『毎月新聞』本当は文庫になってから買いたかったが、この大きさがいいのだろうと買った。

 娘は、大学図書館で阿刀田高のシリーズを借りてきた。ガリバー、旧訳聖書、ギリシア神話、シェークスピア、アラビアンナイトの「知っていますか」シリーズ。ガリバーを読んでみたら面白かったから、図書館にあったのを「連休どこにもいくあてのない一家の中ですごす読書」として借りたのだと。

 今年は休みが飛び石になったことと、中国香港の風邪のせいで、海外旅行も半減。どこにも行く当てがない一家にとって「いやぁ、サーズが心配だから、海外旅行はちょっとね」と言える。
 読書三昧はいい休み方。

本日のひがみ:サーズは気にしないが、毎年金欠病


2003/04/29 火 晴れ
日常茶飯事典>みどりの日散歩コンドル設計の邸宅

 息子は事務所の手伝いに行く。私は11時にいっしょに家を出て、自転車で「恒例みどりの日公園めぐり」に行く。

 いつも最初は駅前の公園。去年と同じく、エコロジーリサイクルフリマをやっていた。帽子を忘れたので、100円くらいの帽子があったら買おうと思って寄ったのだが、ちょうどいい帽子はなかった。それで鍋がさめないように温めておくプレートを買った。100円と値がついていたが売り子の方から「50円にしときます」というので、もし使い物にならないような品でも、50円なら悔しくない、と買った。

 古河庭園に12時に着いた。コンドル設計の旧古河虎之助邸が、1時からガイドつきで公開されるというので、庭で12時半まで待つ。12時45分から当日受け付け分が始まるというので、少し早めに受付へ行ったが、もう20人くらい並んでいた。名前電話番号を書いて、525円入館料を払った。庭園は東京都の管轄だが、邸宅の管理をしているのはニューオオタニホテルの「大谷美術館」

 ガイドは、アルバイトの大学生坪井嬢19才。坪井嬢のお姉さんはこの邸宅でピアノのBGM演奏係などをしていて、去年の7月にここを借り切って結婚式を挙げたそう。貸し切り代金30万のほか、衣裳食事代などはほかのホテルの結婚式と同程度の料金だって。

 1階部分は客用のスペースなので、ビリヤード室、食堂など。庭園美術館の旧朝香の宮邸と同じような感じ。2階は、和室のプライベートスペース。朝香の宮邸はプライベートスペースも洋室だったと思う。
 足尾銅山の古河一族は男爵を受爵してもそこはやはり成金で、根っからの貴族じゃないから、プライベートには和室が必要だったとみえる。

 建築の専門家じゃないから、ようはわからないのだが、朝香の宮邸や駒場近代文学館になっている旧前田邸など洋風建築は、どうも西欧本場の邸宅に比べ、豪華さに劣るような気がする。
 それに対し数寄屋の家や茶室などは簡素な作りであっても、ひとつの宇宙を構成していて、広がりが見事と感じる。身びいきなのか、宇宙観の感じ方の違いなのか。

 今日の散歩テーマは「コンドル」ということにして、上野の岩崎邸へ行く。2時半すぎに着いたが、洋館の公開が始まったばかりなので、長蛇の列。1時間待ちという。

 それで、近くの天ぷらやに入って昼ご飯にした。天久、かき揚げ丼2000円。そりゃうまいことはうまいが、私ならてんやの600円かき揚げ丼で十分だ、と思った。愛想のないおばさんが二人でやっていた。お茶おかわりを頼んだが「あ、今お湯が終わったのでちょっと待って」と、言われたまま忘れられた。もう行くこともないだろうが、まあ、わたしのようなフリの一見さんは相手にしていない店だろうから、私が行かなくても商売繁昌は続くだろう。

 岩崎邸へ戻っても、列の長さは減っていなかった。洋館はまた来ればいいから、庭と和館だけ見て戻る。

 小石川植物園は、閉園時間で入れず、六義園へ。駒込から住宅街と染井霊園の中を抜けて西ヶ原商店街霜降商店街を通る。

 今日は散歩のおまけつき。「おふろセット」を持ってきたので、今月新装開店した「やなぎ湯」に寄る。ジェットバスとか、露天風呂もある。今日の露天風呂はワイン風呂。
 打たせ湯で、腰や肩に水流をあてる。ほぐれる心身。人もあまり混んでいなくてよかった。風呂上がりにロビーで、ビールを飲む。

 7時に帰宅。息子は、「メッセンジャーを2件やって、事務所の洗濯して買い物して、11時から5時までの拘束で働いて四千円」のアルバイトだった。娘は夕方まで寝ていて、「腹減った」という。唐揚げを揚げて、西ヶ原商店街で買ったお総菜レンコンはさみ揚げと含め煮で夕ご飯にした。

本日のつらみ:かき揚げ丼にお茶サービスなし


2003/04/30 水くもり時々雨
日常茶飯事典>自転車ポタリング

 午前中Aダンス。

 午後、昨日行けなかった小石川植物園に行こうかと思ったが、雨の具合が分からないので、やめにした。

 昨日の自転車ポタリング、楽しかったが、小石川植物園に入れなかったのだけが残念。
 上野の岩崎邸を3時半過ぎに出てから、急いで小石川植物園へ。4時2分前に着いた。4時閉門4時半閉園。しかし係りのおじいさんは「閉門時間だよ」と言って入れてくれなかった。
 あきらめて自転車を回したら4時のチャイムが鳴った。つまり、おじいさんは閉門時刻前なのに、門を開閉する自分の権限を示すために「終了」と言ったのだ。

 でも、定年後の楽しみとしてこれくらいの「権限を誇示する」しかないのだろう、とあきらめた。閉門2分前に来た人に対して、「園内にいられるのは、あと30分しかないですよ」と言いながら入れてくれる人もいるだろうし、「閉門」のひとことで、自分の権限を示したい人もいる。いろいろである。小石川から六義園へ向かう。

 六義園は通常5時閉園のところ1時間延長されていて、入ることができた。しだれ桜は葉桜になっている。ソメイヨシノではなく江戸彼岸桜だと説明が書いてあった。

 今年の春休み、このしだれ桜の夜桜ライトアップをはじめて見たのだった。
 夜8時、駒込で降りて、夜桜ライトアップへ。とても混んでいた。東京に引っ越して18年になるのに、ここの夜桜を見るのは初めてだと思ったら、ライトアップが始まったのは去年から。去年好評だったので、今年も文京区が実施したのだって。去年は舅の葬式、姉の葬式で、夜桜見物どころではなかった。

 4月10日を「桜吹雪忌」と呼ぶことにしたと、くらげんBBSに書き込み。「去年はホスピスへ向かう救急車のなかから桜を見たね、桜を見るたびに悲しくなるが、それでも桜は美しい」と。

 4月末の今は、葉桜若葉が美しい。もみじの若葉も。桜は花を、もみじは紅葉をめでるものではあるが、若葉の生命力というのも、人を元気にさせてくれる。

本日のうらみ:時間に律儀すぎる門番


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20150429
 上旬は花冷えという優雅な名も似合わないくらいの冷え冷えとした4月。下旬は一転7月の気温という夏日つづき。
 体の不調を天候不順のせいにしつつも、老化のボロ身を認めざるを得なくて、元気自慢健康自慢の鼻をへし折られてしおれています。

 新学期の体制も、ようようかたまって、7月までは3つの私立大学6つのクラスで6種類の授業。相変わらずの自転車操業。おまけに4月29日は世間様のゴールデンウィーク突入を横目に「29日は普通授業日とする」という大学方針に従って出講。なんて働き者なんでしょといいながら、老骨にむち打っています。
 みなさまのゴールデンウイークが楽しい日々でありますように。
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ぽかぽか春庭「2003年の大腸菌」

2015-04-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150428
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記4月(6)2003年の大腸菌

 2003年三色七味日記4月の再録を続けています。
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2003/04/16 水 晴れ
日常茶飯事典>大腸菌

 午前中、病院へ。10時20分に受付をする。1時間半待って、内科で3分、泌尿器科で3分の診察。検査結果を聞いただけ。
 内科では血圧を測って「上110下70異常なし。泌尿器科へ行ってください」と言われた。また15分待って、泌尿器科では「前回の膀胱炎の菌は大腸菌でした。今回は異常なし」と言われた。1分の診療。まあ、治ったのだから、よしとしよう。

 午後、教授法2コマ。教室は希望したのと違って椅子が動かない部屋だし、人数は多すぎるし、社会人入学のおじさんがいるし、いろいろ去年とは違う。

本日のうらみ:90分待ち3分診療


2003/04/17 木 晴れ夏日
ジャパニーズアンドロメダシアター>『池袋ウエストゲートパーク スープの回』

 「日本事情」初日。図書館に本を返して、去年1年間授業をした1号館に行ったら、今年はまた7号館に戻った、という。うろうろとまた7号館に。
 今年は2年生のみのクラスになって、人数も12人なので、去年より楽と思う。

 夜、『池袋ウエストゲートパーク スープの回』録画ビデオを見た。2000年のシリーズを見ていないので、面白くないだろう、と予想して見たのだが、面白かった。ビッグになってしまった坂口憲二や窪塚洋介の出番は一部分だろうという予想はあたった。加藤あいはアメリカ留学から一時帰国のちょい出演とか。
 とにかく、原作の石田衣良、脚本クドカン、プリクラデビューが売りだった妻夫木聡とか、関わった人全部が3年で全国区になってしまった、というのがスゴイ、というミーハー趣味で見たのだけれど。
 ストーリーは、ぶっこわれているミュージシャンが「究極のサウンド」を求めて起こす「骨音」クエストと、それを解決するスーパーヒーロー誠。
 最後の解決が、アフリカ帰りのキングタカシがスープだしの骨をぶったたいて、というオチは、ちょっと、いくら視聴者年齢層が低いとふんでも、それはないよ、という終わり方だったけれど、面白かったから許す。途中途中の小細工というか、「微分演出」がとても愉快だった。たとえば。

 加藤あいヒカルが出版した「トラウマリハビリのための本」のカバーが、もろ柳美里の「不倫の子生んじゃいましたシリーズ」のパクリ。ヒカル著作の三部作『虎』『馬』『誠』の、『誠』では赤ん坊大のこけしを大事そうに抱えている写真。とってもとっても笑えた。
 ラストのおまけで、ちょっと大きくなったコケシが本を見ながら「カーちゃん、俺、こんな写真を本にさらされて、町歩けねーよ」なんて言って、「バカ言ってんじゃないよ、オモニはねぇ、これでミルク代稼いだんだから、文句あんならあんた捨てたおやじ憎みな」ってな会話をつけたしてくれたら、微分演出としておもしろかったろうなあ。

 タレントの私生活暴露もの「プラトニックセックス」の売られ方と、「文学作品」であるはずの『命』三部作が結局は同じ大衆の視線にさらされるしかない日本の「文学業界」を、あのカバー写真一枚でさらけ出す手腕は、単なるパロディを超えて鋭い文学批評であり社会風刺であり、なんとも面白かった。
 ワイドショウも私小説も「人様の内情をのぞきたい」という視線によって売れ、どんなに文学的にすぐれた私小説であっても、のぞき興味からはずれれば、売れない。そういう大衆と業界のなれあいを映し出していました。

 続編だすなら、池袋イーストゲートパークにしなければならないラストシーンだったが、あれ?東口に公園あったっけ。
 
とにかく池袋は3年たっても相変わらず「どんだけビルが増えてもあか抜けない町第一位」を続けていて、遊んでいるガキどもは「どいつもダサイタマだべやぁ」という雰囲気で、洗練されそうもないのがいいな。

本日の負け惜しみ:東口には、椅子に座って本を読んでいられる本屋がふたつある。いい街だ(私の基準は本屋の充実度)


2003/04/18 金 晴れ夏日26度
ニッポニア教師日誌>私もコーシです

 3コマ。ビデオ1組と2組。1組の教科書。

 初期の国費留学生に比べ、このところ学生の質が落ちてきたという先生方の評価だったが、今期はまた、まじめで熱心な学生たち。でも、1組はまだひらがなも定着していないし、カタカナはようよう拾い読みというところだが、来週から漢字が始まる。たいへんだ。

 インドのフラが私の身分を聞くので、「私はプロフェッサーじゃありません。レクチャラーです」と言ったら、うれしそうに「In India, I'm lecturer too, 」と胸を張る。
 そこで覚え立ての「も」を定着させるべく、「フラさんは講師です。ハル先生も講師です」を言わせる。「インドで、フラさんは講師です。日本で、フラさんは講師じゃありません。学生です」も言わせる。「です/じゃありません」の復習もたっぷり。

 週末3コマぎっしり詰め込み、私も疲れた、学生も疲れた。終わりに「In this week, you had hard study.You are good students !」と、ほめたら、フラが「You are a good lecturer. You are our No.1 teacher.」と、ほめてくれた。ありがとね。

本日のつらみ:給料の低さもNO.1


2003/04/19 土 晴れ 
アンドロメダM31接続詞>絶望書店「小谷野メール」

 教授法の授業案を6月分まで作る。シラバス提出は半年も前だが、実際の授業は学生の顔ぶれ見て、やる気みてそれから授業案をまとめることになる。いきおい、配られたシラバスは「建前」にならざるをえない。

 3月26日イラク戦争への言及の後、更新がなかった絶望書店が「小谷野メール」公開で復活。とても面白い。小谷野が「有名大学の教授になりたい」とメールに書いているのを見て、あんたは将来に夢を抱く厨房だっだのね、と納得。阪大助教授を辞めた後、彼が未だに明治東大非常勤講師でしかなく、自分では「こんなに本も売れて、有名になったのだから、常勤職について当然である。教授になりたい」と思っているのは、発言のはしばしから分かっていたことであるが、こんなに露骨に書くほど素直な人だったとは!

 2チャンネルのある意味レベルの高さを無視して「学術論文はエライが、2チャンネラーは新聞も本も読まない馬鹿」とか言っているので、もう、ネットを甘く見ちゃいかんなあ。これでまた、2チャンネル小谷野ウォッチャーにネタを提供して、世の娯楽に貢献したのは偉いけど。と、思って、2チャンネル小谷野スレも読んでみた。絶望書店の小谷野いじり具合がよろしい、という評。同感。いじりがいのあるキャラ。おもしろいや。これでますます絶望氏から目が離せませぬな。赤いクレヨンしんちゃんが新学期活動停止状態なので、つまらないスキを埋めてくれます。

本日のさらみ:「もてない」が売れたので結婚した夫人とはすでに別れたらしい。サラ身。


2003/04/20 日 晴れ
ニッポニアニッポン事情>ヒトゲノム

 日曜地学ハイキングの例会「パナソニック恐竜館見学」の日だったが、娘体調不良につき、参加とりやめ。
 恐竜大ファンの娘は、恐竜館を楽しみにしていたのだが。例会参加なら、地学の先生方にいろいろ説明が聞けるところだったが、恐竜館は、いつでも行けるからと、今日はあきらめ。

 琥珀の中に閉じこめられていた蚊が吸った血のDNAから恐竜を復活させるのがジェラシックパーク。

 以下、DNA雑感。
脳のニューロン組織完全解読とヒトゲノム完全解読は、21世紀を大きく変える技術のものになり、思考を変えるもとになると思っている。朝日朝刊ヒトゲノム解読完了について、榊佳行のインタビューを読む。榊はヒトゲノム国際機構会長理化学研究所ゲノム科学総合研究センタープロジェクトディレクター。
 30億文字の塩基配列の中で、基本設計図は3万程度で、予想の10万より少なかったことが、早期解読終了の原因。単純に遺伝子が解読できれば人間生成の秘密がわかると思われていたのが、遺伝情報のネットワークが働くという。理科系に弱い私にも、遺伝情報ネットワークのことが理解できた。個々の存在にネットワークが重なることでものごとが動くのは、遺伝子レベルでも、世界情勢でも個人の人生でも変わらないということが「ふむふむなるほど」である。この基盤データは、無料公開を原則とし、自己の利益を追求しないで、人類の共通財産とするという姿勢がよろしい。

 遺伝子に思うこと。何で読んだのか、誰が書いたのかも忘れたネタモト不確実の記憶であるが「ノーベル賞玲於奈博士の教育者としての発言」として書いてあったもの。「ヒトゲノムが全解読されたあと、小学校の入学前健康診断で遺伝子情報を読みとれば、この子は理系最先端科学コース、この子は地道こつこつ技術者コース、この子は、という具合に適切な進路を用意してやることも可能」と言ったそう。
 本当に江崎玲於奈が言ったのかどうかもわからない未確認発言だが、言いそうな気もする。たぶん悪気もなく「子供の適性を考えてやるのは教育者として必要なこと」と本気で信じているんだろうとも思うが。でも、やだな。自分の将来のコースがが生まれたときから分かっている社会。

 私に関しては、中学3年生のとき受けた職業適性検査で「数字を扱う仕事は不可。ことばを扱う職業に向いている」という診断の通りになったことは認めるが、だからと言って私が経済アナリストや銀行窓口嬢になる可能性を閉ざされていたわけではなかった。
 私は自分でことばを商売道具にすることを選んだのであって、強制されたわけではない。生まれたとき、あるいは小学校入学時に「あんたの可能性はこれとこれ。こちらになれる可能性はゼロ」と将来を描き出してもらって、子供は幸福なんだろうか。

 病気の可能性がわかることについて、これから保険会社の暗躍が推測される。早期に病気にかかる可能性のある遺伝子を持つ人たちに対しての保険加入の可否。

 たぶん、生物の生きる目的は遺伝子を伝えることにあるのだろうが、なぜ遺伝子を未来に伝えなければならないのか、よくわからない。ピカイアの遺伝子が私までつながるとして、なぜ、ピカイアはそれを伝えなければならなかったのだろうか。遺伝子は宇宙の創生再生に必要な情報でも担っているのかもしれない。

 「コピーせずにはいられない」というのが、今のところ私に理解できる「遺伝子情報がこの世に存在する理由」である。そして「コピーしていると、必ずミスコピーが生まれる」のが、いいところ。男性の突然変異率が女性の2倍、というのは、XXとXYの差で生じるのだろうか。再生産用の肉体は突然変異しちゃいけないのか。

本日のひがみ:そりゃ、うちらのDNAなんぞ、箸にも棒にもひっかからないものだろうけど、ノーベル賞とれなくても、うちの子はかわいい


2003/04/21 月 小雨のち晴れ
日常茶飯事典>更年期仲間

 漢字と作文2コマ。

 帰りのバスで、「これからお世話になった方のお見舞いに行く」という教授といっしょになる。先週、姉の一周忌の品を渡したときに「更年期がたいへんで」という話を聞いたが、今日は音羽近辺の散歩コースの話。

 5年前、この女性教授から、「私は結婚している人は嫌いです。結婚していて、それ以上何を欲張ることがある」と言われて以来、嫌われていると思ったので、こちらから近づくこともしなかったが、なんだかこのごろは「更年期仲間」として公認されたみたい。
 今は、それほど嫌われていないのかもしれない。確かに助教授や講師には、まだ更年期の話は通じないかもしれないし、目をかけていた一番若い講師は「結婚!」してしまったし。
 私にとって、更年期症状は五十肩だけだったが、更年期についての話し相手はできる。

 独身女性教授というのは、私には「おそれおおい、遠い存在」のように思えたが、話してみれば、いい人だ。

本日のひがみ:更年期仲間とはいえ、私の年収の4倍の方とは、タメ口はきけない


<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年のトロン」

2015-04-26 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150426
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記4月(5)2003年のトロン

2004年の三色七味日記再録を続けています。
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2003/04/22 火 晴れ
ニッポニアニッポン事情>NHK『プロジェクトX トロン』

 3コマ。午前中、1組漢字。午後、1組教科書と会話。

 NHKのプロジェクトX日曜日再放送録画したのを見る。「トロン」の開発について。
 番組の作り方はいつもといっしょで、苦難と挫折を乗り越えて、トロンが勝ち組になるまで。
 今、私はウィンドーズ2000を使っているが、家電パソコンにトロン搭載機が売り出されたら乗り換えよう。トロンの何がいいか。「無料」だからである。何はともあれ無料と言う言葉に心惹かれる私である。

 開発した坂村教授、トロンの報酬を求めたら、今頃ゲイツと肩を並べる世界的大金持ちになれたろうに、それをしないで「かっこいいことをいうようですが、トロンは世界中の人々の、全人類の共通財産です」と言った。
 いいねぇ。泣かせる。私には言えないね。ゲイツの半分でもいいから利益を受け取りたい、と思うだろう。私には言えない台詞を言える坂村健をソンケー。そして、次はトロン搭載機を使おうと思う。

本日のひがみ: 無料テッシュ、無料美術館、無料トロン、無料ネット読書、が、わたしのお気に入り


2003/04/23 水 曇り
アンドロメダM31接続詞>薬袋黎爾ほか巡回コース

 午前中Aダンス。
 午後、教授法2コマ。受講生40人を超え、疲れる。40人いると、半分は話を聞いていない。20人のちゃんと聞いている学生だけにしてほしい。

 今日もネットをひとまわり。薬袋黎爾『駄目人間血風録』は、髪を完全カットしたと書き、カット前の写真がある。予想通りの顔だった。リコーそう。東浩紀もOBと書いてあった。みないれいじ君、東浩紀路線へ行きそうな気がしてきた。

 青木みや日記は未だに更新なし。うさぎや更新なし、サイコドクター、のだなのだ、絶望書店、みょうがのつぶやきなどなど。西村ドクター、最近お疲れかと思っていたが、今日は「愛子様」に噛みついていて、やっぱりドクターは何かに噛みついて叫んでいるのが似合っていると思う。

 おもしろいことに、サイコドクターと西村ドクターは何のつながりもなく、双方ともお互いの存在は知らないだろうに、ふたりとも青木みやのページをのぞくことは共通している。特に共通ネットワークがないと思うのに、リンクページが共通していることはよくある。つまり、それだけ私が興味をそそられるコンテンツが狭いということかもしれない。全然関係ないところから同じ人のページに出てしまうこともよくある。最近では全く関係ないキーワードやリンクから、何度も中澤港をヒットした。

本日のそねみ:我が家のゲーム漬けぼっちゃまとは出来が違うね、薬袋黎爾くん!


2003/04/24 木 朝小雨のち曇り
ニッポニア教師日誌>授業

 日本事情、作文、2コマ。
 ギーは、1年の作文と日本事情の単位を認定されていないので、2年の作文と日本事情の受講を認めないことにした。2Eの日本事情だけ履修させるように教務から連絡を受けたが、2Eと2Bはいっしょに履修して欲しいと要望する。

 今年こそ、少人数でまとまってやりたい。来年はまたレベルまちまちの人たちが大量に来るというので、今年くらいはこじんまりとやる。多加さん幸さん、今年の1年生はたいへんという。人数が多いだけならなんとかするが、レベル上下の差がありすぎるのだという。

本日のなやみ:今から来年の低レベルを心配


2003/04/25 金 朝小雨のち曇り 
日常茶飯事典>私生活と人生の親戚

 ビデオ会話3コマ。

 ヤンさんビデオ。ほかの初級ビデオ教材より、「ヤンさんの東京私生活」という内容が留学生には受けるのだが、いかんせん15年前の制作だと、車の形とか、ラジカセの型が、いかにも古い。しかし、ヤンさんのあと、新バージョンの「普通の私生活」シナリオでの初級教材ビデオはいいものがない。佐久間先生、新しいのを作って!

 「私生活」に関して、思い出したのが、『人生の親戚』。
 小説主人公まり恵のリアリティは、著者の私生活ふう記述とからめた部分によって支えられている。著者も、意識的に自分自身と息子をモデルとした語り手の知り合いとして、彼女に関わったことを記述する。

 もし、著者の私生活と全然関係のない、完全な三人称小説主人公の物語としてまり恵が描かれていたら、はたしてこの主人公の存在を「アリエネー」と言わずに受け入れることができるだろうか、という疑問。
 一生車いすで生活することになった息子と、知的障害を持つ息子。その二人が心中のようにして崖から落ちて死ぬ。まり恵の南米コミュニティでの生活。受難。神を持たない人のための宗教的な雰囲気に満ちた葬儀、葬儀後に明かされる真実。
 話としては、すらすら読めるし、まり恵さんに感情移入できるし、小説としては成功していると思う。

 『人生の親戚』は、小説のナラティブ語り方が生み出すリアリティの問題を、私に宿題として与えてくれました。でも、夏休みも冬休みも宿題は最後の最後までほっておいて、結局提出しないのが、我が家の伝統。

本日のうらみ:大江健三郎全集もうさぎタイムに齧られてしまいました


2003/04/26 土 曇り
ジャパニーズアンドロメダシアター>『黄泉がえり』

 午後、娘息子と『黄泉がえり』を見た。出かけるときはいつも3人一緒だから、ふたりとも何も気づいていなかったけれど、実をいうと3人そろって映画を見るのは実に久し振りのこと。前回いっしょに映画館へ行ったのは10年くらい前の『思ひ出ぽろぽろ』くらいじゃないだろうか。
 私と娘は時々いっしょに見てきたけれど、息子には難しすぎて分からない映画だったり、字幕が読めないから無理だったりして、ようやく3人いっしょに見られるようになった。

 『黄泉がえり』は、3人ともおおよそのストーリーは知っていた。しかし、竹内結子のあおいが黄泉がえりの一人だということに、私と娘はまったく気づかず、息子はあおいがアパートに帰って草なぎの平太に会うところくらいから「こいつ、死んでるな」と気づいたんだという。

 だいたい、息子は、普段でも「死んだ人の気配を感じることができる」人なのだ。スモモもそうだから、そういう体質が遺伝したんだろう。私はまったくそういうことはなく、寺へ行っても墓場へ行っても死んだ人を感じることはない。
 私はこの世のすべての現象を把握しているわけではないので、自分に分からないことだから、絶対にあり得ない現象であるなどと言い切ることはできない。たぶん、感じる人には感じられるのだろう、くらいしかわからない。

 スモモが墓参りに行ったかえりに、ときどきだれか先祖を連れて帰ってしまい、しばらくいっしょにいることになってしまうのを、むしろうらやましく思う。お母さんを連れて帰れたら、どんなにうれしいだろう。孫をひとりも見ないうちに死んでしまったお母さん。お母さんに、娘と息子を見てもらいたい。でも、スモモが連れて帰る先祖は、たいてい私たちが生まれる前にすでに死んでいた人ばかりで、本当に会いたい人は出てこないと言っていたが。

 そういう「死んだ人に会いたいなあ」という思いと、阿蘇の山の中の磁力が合体すると、死んだ人が黄泉がえる。
 何千人もの黄泉がえりが出現した阿蘇山中の村。
 黄泉がえりの愛する人に再会した人は、それぞれ、これからの人生を生きていく勇気を与えられる。
 自分を生んだために命を落とした母親忍足亜紀子に、医師田中邦衛の娘伊藤美咲が「生んでくれてありがとう」と、手話で言うところとか、哀川翔の周平が極楽とんぼの英也に「玲子を頼む」と託し、東心の英也兄が「全部分かった上で頼んでいるんだ」と諭すところとか、もう泣けて、泣けて。

 死んでしまった人も、いっしょうけんめい自分たちの幸せを願ってくれている。それに気づくだけでも、残された人は幸せになるために、精一杯これからの人生を過ごしていける。たった3週間であっても、それを伝えられた人はいいなあ。
 草なぎの平太も、あおいが「私が会いたかったのは平太、あなたなの」と言う言葉を聞いたことで、十分に報われたのだ。

 ただひとつの疑問。平太以外の、死者に会いたいと願う人々は、会いたい人が死んでいると知って願っていた。平太だけはあおいがすでに死んでいることに気づかないで、会いたいと願っていた。
 阿蘇の不思議な磁力パワーは、この願いをどちらも差別なく受け取り、会いたい人を黄泉がえらせてくれたっていうことなんだね。
 磁力パワーの及ぶ範囲に、角膜でも骨でも、DNAが残されていることが黄泉がえりの条件だった。物理的な条件に関しては、あるとないの区別がはっきりしているのに、「願い、思い」という精神的な条件に関しては、「強い思い」をどうやって判定したのか、基準は何だったのか、よく分からない。
 日頃は「亡くなった糟糠の妻の供養を怠らず、忘れたことはありません」と公言して同情票で当選した町長の妻が黄泉がえらず、若い後妻に溺れて先妻のことなんかとっくに忘れ果てていることなんかが描かれたら、基準がわかって面白かったけど、話が美しくなくなるかも。

 映画の後、スタバでお茶。
 息子が「あおいが死者だとすぐ気づいた」話や、わたしと息子には、安積紳一郎がどのシーンに出てきたのか、全然わからなかったのに、娘は安積が何かの番組で「私はここに出ています」と紹介しているのを見ていたから、ちゃんと気づいた、とか、いろいろおしゃべり。
 こんなふうに、いっしょに映画を見て、いっしょにおしゃべりする楽しみが出てきた。子供が成長するといっしょに遊びに行く回数が減ってくると思っていたが、これからは別のお出かけができる。

本日のつらみ:若い頃虫もつかなかった私、年取って霊もつかない


<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年の新学期」

2015-04-25 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150425
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年三色七味日記4月(4)2003年の新学期

 2003年三色七味日記再録を続けています。
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4月11日 金 晴れ 832
2003/04/11 金 晴れ

ニッポニア教師日誌>新学期

 新学期第1日目。1組完全ゼロスタート。フィリピン女、ケニア、ヨルダン、アルゼンチン、インド、ホンジュラス。2組ひらがな既習組、ブラジル、インドネシア、アルゼンチン女、エルサルバドル。今日外国人登録に行っていて欠席のインドがもう一人いて、全部で12人。みなまじめで熱心。
 教科書は直接法一般の導入練習方式。単語クイズ実施。会話の時間に次週の単語導入。

本日のそねみ:留学することが半年前からわかっているのに、ひらがなも自習しないで来日の勇気!


2003/04/12 土 雨
ジャパニーズアンドロメダシアター>『コナン べーカー街の亡霊』ネタバレ

 娘は朝9時半から9月の集中教育学授業の申し込みがあるというので、登録に行く。
 今回、選挙カーは一度も団地に来なかった。ジョイポリス裏で慎太郎の宣伝カーを見て、武道館入り口でドクター中松を見たくらい。

 夜、録画しておいた『名探偵コナン、ベーカー街の亡霊』を見た。テレビ放映の夜は、具合悪くてコナンどころじゃなかった。「ふたりで、見ちゃってもいいよ」と言って寝ていたのだが、娘は「お母さん、コナン好きなんだもの、三人で見よう」と録画しておいてくれたのだ。ホームズファンにはたまらないトリビアリズムがたっぷり。

 ラストで「副警視総監の孫」の正体、実はこの悪ガキの体を借りた天才少年ノアズアークだったことがわかる。娘息子と見るときは、適度にツッコミをいれ、ラストはこうなるという予想をしながら見るのだが、3人ともこの人物入れ替えには気づかなかった。

 ゲーム終了後、他の悪ガキたちはそれぞれゲームカタルシスを得て「ゲームの中で全力を出して友人を救った思い出」を得ている。しかし、この一番の悪ガキだけは、カタルシスを得られずに「僕はエライサンの孫なんだから偉いんだ」という勘違いを修正しないまま大人になっちゃうのかという不安を残すストーリー。よいこのみなさんのためには、ちょっとまずいんじゃないか。悪ガキたちは皆改心して「よいこ」になってもらわないと、日本の未来は暗かろう、という思いが画面に残るではないか。
 コナンみたいな健全なる少年少女向けお話は、途中どんなに「アリエネー」というツッコミが入っても、ラストは「みんなめでたし」にならんとなあ。あのバカ孫がコネで警察幹部になんぞなった日には、日本の警察の未来は暗い。というか、もう暗いのだけど。

 それともうひとつ、私に違和感が残ったのは、ランがジャックザリッパーを道連れに列車から断崖へと身を投げるシーン。「これはゲームの中のできごとであり、最後は必ず生き残ったコナンによって全員が復活できる」という確信があったとしても、女性がこのような自己犠牲を果たす役回りを引き受けるという安易なストーリーがちょっとね。
 グスコーブドリとか、一人の献身的な志願者を犠牲にすることによって全員が救われる、という形式のファンタジーになじめない体質なのだ。このような献身者が実際には報われることがなく、ほとんどの「献身」が犬死にだった記憶をまだ持ち続けている世代としては自己犠牲を賛美できない。

 だいたい私など、自己犠牲どころか、一番先に「こわい」と逃げだそうとしてゲームオーバーになるくちである。それゆえ、このような自己犠牲を見せられると「どうだ、お前にはできまいが、」と自分の弱さを確認させられる故に、「わが身を捨ててこそすべてを救う」思想についていけなくなるのであろう。

 あそこは、ランが武道の達人であるという設定を生かして、ラン自身の力でジャックを倒して欲しかった。そして最後にランとコナンとノアの3人で助かるというストーリーで何の問題もないであろうに。ランに「献身的な慈愛深き母」のイメージを託さずにいられない、青山剛昌や野沢尚やアニメーターたちへの、オールドフェミニスト的違和感。

 バーチャルゲーム機コクーン。娘は『国立博物館物語』に出てくる恐竜時代を体験するバーチャルコンピュータが早く実現したらいいと言っているので、無論このコナンのコクーンにも入りたいという。私は閉所恐怖症だからだめだな。あんなお棺にはいるようなのではだめ。外に窓がついている開放的な部屋でめがねをかけるくらいなら大丈夫かもしれないが、ジョイポリスのバーチャルジャングルツアー程度でこわいのだから、たぶん、だめだろうなあ。

本日のひがみ:現実では無理だから、せめてバーチャルで味わいたい冒険探検なのに


2003/04/13 日 晴れ
日常茶飯事典>成人!初投票

 娘20才の誕生日。朝、スモモさんからお祝い電話。夜はランからもメール。
 娘のケータイにもつぎつぎメールが入り、「選挙どうだった?って、みんな聞いてくるんだけど、まだだよって答えてる」と娘。

 午後、娘は息子とゲーム屋をめぐって、ゲーム攻略本とソフトが息子らのお祝い。私からは、3月29日に買った服4月10日に買った自転車がお祝いの分として渡してある。
 夜、投票に行って、デニーズで夕食。娘は「モー娘。」ファンだから「ピース」方式「うちじゃ、なぜか選挙に行って、一家で外食するんだ」というわけ。「私の誕生日ディナーがデニーズじゃ、ちょっと」というので、お祝いのフルコースはまた別の日に。

 デニーズから帰ってみれば、予想通り慎太郎が早速の当確。批判票がどれくらいになるのかの興味だったが、みんなそんなに慎太郎が好きかい。

本日のつらみ:私は「体型も雰囲気もしゃべり方も、あなたにそっくり」と言われている恵子ファンだよっ


2003/04/14 月 曇り
ニッポニア教師日誌>落選濡れ落ち葉

 慎太郎300万超の得票。批判票は三分の一にも届かない。樋口恵子ファンとしては、残念無念。

 漢字作文2コマ。Cクラス、今日はケンがおばさんを関西見物に連れて行くという理由で欠席。スウェーデンのメリーとタイのイルの女性ふたりになった。

 樋口恵子の落選話を枕にふって、女性のライフスタイル、ジェンダー論などを話す。樋口のネーミング、定年後男性の「濡れ落ち葉」は、湿気の多い日本での語感らしく、スウェーデンやタイでは「濡れ落ち葉のべったりくっつき感」というのが実感わかないようだった。
 もうひとつの樋口作キャッチコピー「老婆は一日にしてならず」のほうは、「ローマは~」のことわざが理解できるから、うけた。

 私もこれから、日、一日と老婆になっていくのである。ありがたいことに濡れ落ち葉にひっつかれる予定はない。最初から枝を離れ、風にのってふうらふうらと木に寄りつかない葉だもの

本日のねたみ:濡れ落ち葉はいらないが、金の成る木の葉っぱ募集中


2003/04/15 火 曇り
トキの本棚>『ディズニーリゾート150の秘密』

 ビデオ、会話3コマ。ナイジェリアの蟹麿君、ドクターコースに合格。捨てる神あれば拾う神あり。よかったよかった。国際関係論カンケーの先生の中に、ナイジェリア方面をリサーチしたい先生がちょうどいたのかもしれない。人生は運と偶然でできている。
 「ハル先生、だ~い好き」と言ってくれた蟹麿君、忘れないよ。

 娘が借りてきた『ディズニーリゾート150の秘密』を走り読み。娘がおもしろいと言うから。
 開演20周年、まだまだ舞浜一人勝ちが続く。ディズニーでバイトした学生の話を1月に聞いてから、ディズニー社員教育の方法に興味しんしん。
 ディズニー大学の研修方法はいかに。マクドナルド大学の研修も面白そうだが、マニュアルの徹底すりこみはいかにして可能になるのか。社員教育も企業秘密なので全部は明らかにされていないが、学生の話と合わせて、おおよその輪郭が分かった。でも、この徹底したマニュアルが通用するのは一人勝ちを続けている間だけじゃないのだろうか。
 ディズニーランドで働くということが「晴れの場所に参加する輝き」を失ったときには、マニュアルが守られないようになっていく心配がある。つまり、ディズニーランドでバイトする者への徹底した「あなたはいつでも監視されている」という労働条件に耐えて働くには、相当な覚悟がいるということ。

本日のひがみ:ディズニー大学より教育成果が上がらない駅弁大学


<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年のめぐり逢う大地」

2015-04-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150423
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年三色七味日記4月(3)2003年のめぐり逢う大地

 2003年三色七味日記再録を続けています。
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2003/04/09 水 晴れ 
ジャパニーズアンドロメダシアター>『めぐり逢う大地』

 子どもたちは学校始まったが、私はもう少し春休み。薬を飲んだらたちまち痛みもおさまったので、せっかくの残り少ない春休み、ひとりで『めぐり逢う大地』を見た。

 トマス・ハーディの「なんとか市長」という作品が原作とうたってあるが、原作ではなく「原案」にすぎない。なぜハーディを持ち出したか。「文芸大作」っぽい権威を宣伝対策上つけたかったのじゃないか。『千と千尋の大冒険』の原案が『霧のむこうのふしぎな町』というのと同じくらいの原案度だった。これなら『千』のほうだって、原作として『霧のむこう~』をださなければ、申し訳がたつまい。
 つまり、ハーディのほうは著作権が切れているのだから、どう使っても原作料を払わなくてもいいから?

 映画の原題は「The Claim」このごろのはやりは、英語をそのままカタカナにするタイトルだが、カタカナで「クレーム」にしてしまったら、意味が異なってしまう。外来語としてのクレームと英語のclaimは違うから、タイトルとして、ふさわしくなくなってしまうのだろう。

 この映画の見所は圧倒的なシェラネバダ山脈の偉容と、今にも谷底に転げ落ちそうに走る蒸気機関車。ビッグサンダーマウンテンの100倍こわそう。
 あとの人間模様は、ナスターシャ・キンスキー、結核で死にかけていていいとこないし、父の故郷にちなんで新しい町に「リスボア」と名付けるルシアは、ファドの声はいいが、町の新支配者として腕をふるうところをみる前に話は終わるし。結局、妻子を売って、金鉱町の行政権警察権司法権を一手に握る町の権力者になった男の没落物語。それも売り払った妻の「クレーム=要求、異議申し立て」によって、すべてを失う話。

 ラストシーンで鉄道測量技師はディロンの死を「王のようだった」と評する。もし、彼が本物の王なら、捨てた妻が結核で死に、実の娘に父親だとうち明けても本気にして貰えないからって、絶望なんかしちゃいけない。自分が一から作り上げた町に火をつけて、雪の中で凍死するという最後を選ぶべきでない。銀行の金庫でむなしく焼けた金。あの金を使って、鉄道沿いに新しい町を開き、娘に全財産を相続させるべく万全の手をうつべきだったろう。それができない「なりあがり偽王のさびしい生涯」という映画でした。

 どんなに息子が暗愚でも、王位につける努力を惜しまなかった「いるそん王」こそ、真の赤い帝王であろう。無論2代目で傾き、「唐様で売り家と書く三代目」というのが正しい王位継承である。

 久し振りにNHK7時のニュースを見た。バクダッド情勢を見る。ここでも成り上がり偽王のラストシーンをやっている。盛者必衰のことわりとやら、もののあはれを誘う桜吹雪の季節である。

本日の負け惜しみ:公団2DK住まいでは、唐様でも金釘流でも「売り家」と書けないが、娘は書道五段


2003/04/10 木 晴れ
トキの本棚>『男たちの脱暴力』

 姉の命日1周年。桜吹雪忌。法事は3月にすませたが、皆それぞれのやり方で、柿実さんをしのんでいることだろう。
 柿実さんの最初の亭主は、素面ではいい人なのに、酒が入ると暴れ出す人だった。この元亭主が結局肝臓をやられて死んだ後、3ヶ月後に柿実さんが亡くなった。元姑は「息子のあとを追ったんだね」と言ったそうだが、誰が別れた暴力夫の後なんぞ追いかけたいものか。

 「元DV夫疑惑」井上ひさしについて。
 米原万里が先月NHKのおひるのトーク番組にでたとき、はじめて彼女が「私の妹は井上ひさしの妻だ」と発言するのを聞いた。私が聞いたことがなかっただけで、他の場所では公言していたのかもしれないが。井上ひさしがペンクラブ会長になったことと、関係するのだろうか。井上がペンクラブ会長になってしまえば、彼が共産党幹部元国会議員米原昶の婿であることが世間に知れ渡ってもいいが、副会長であるうちは、共産党の婿殿であることは、公にしないほうがいいとか。

 「DV本」流行中とはいえ、西館好子が今更昔の話を出すのもせつない気がする。
 西村ドクターは好子さんのDV非難を受けて、ますます井上ひさしを見限っている。私は作品と実人生は別、という考えを持ち続ける。「いっぱいのかけそば」騒動のときのように、作者が悪者なら、作品の価値が落ちるという程度の作品なら、最初から文学作品としての価値はなかったのだ。作者の顔や生き方は本の売り方に関係するだけ。内容の価値には関係ない。

 中村正夫さんのDV本を読んでみる。『男たちの脱暴力』
 中村さんの本は、メンズサポートルームの活動の記録。DV加害者の男性たちの、セルフヘルプワークショップ。男性の側だけから見たインタビューが中心となっている、ということわりがあるせいか、どのDVも、女性たちの記録にみるような悲惨な状況ではない。
 家族や妻への感情を抑えに抑えていて、ついに爆発してしまうと、ついカッとなって妻をなぐってしまう、とか、ここに話されている程度のDVなら、女性たちをあれほど恐怖のどん底に陥れる暴力ではないのではないか、自由意志でワークショップに出ようとする男性は、DV加害者の中でも軽症なのではないかと感じた。

 毎年きまって、家族一緒に撮った写真を年賀状に印刷してくる中村正夫さん。今年は家族5人の他、ペットのインコまでカラー印刷されている念の入れ具合で、我が家のような擬似母子家庭に毎年こんな「幸せ家族写真」を送ってくるのは何のいやみじゃ、と思わせてきた。

 『男たちの脱帽力』あとがきでの、本人の告白によると、奥さんとはギクシャクしっぱなし。正夫さんは蒸発願望が強いのだと。蒸発願望など、誰でも持つわい。持つけど、実行はしないの。「蒸発願望がある」くらいが妻に対する申し訳のなさ、なら、うちのように初めから蒸発しっぱなしの家庭はどうなるんじゃ。ぷん。

本日のねたみ:一家4人で撮った写真、10年前のものしかない


<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年の千鳥ヶ淵花見」

2015-04-22 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150422
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記4月(2)2003年の千鳥ヶ淵花見

 2003年の三色七味日記再録を続けています。
 2003年4月の日記です。

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2003/04/06 日 晴れ
日常茶飯事典>桜散歩その3 千鳥が淵

 昨日の雨、秩父や箱根では雪だったという。まだ風が冷たいが、散らないうちにと、午後やっと起きてきた娘息子と千鳥が淵に花見に行く。歩くための体力ランチはロイホ。
 九段下についたら5時半。6時過ぎまで千鳥が淵と北の丸公園を歩く。武道館に「入学式」という垂れ幕がかかっている。そういえば、去年の4月7日は娘の入学式だった。去年入学式にはすでに葉桜だったが、今年はちょうど桜がきれいで、入学式と桜の構図が写真によさそうだ。

 桜をみるたび、昨春ホスピスで姉と最後の花見をしたことを思い出す。これから先ずっと、私にとって花吹雪は「姉の命の散る姿」として目に映るのだろう。

本日のうらみ:姉の病を誤診し「子宮筋腫なんて、切っちゃえばすぐ直る」と言った医者を絶対に許さない。術後毎月検査に通い、まだ具合が悪いと訴えているのに「もう子宮切っちゃったのに、子宮が悪くなるわけないだろ」と言った藪医者!姉はあなたに殺されたのだ
1年前に子宮肉腫を子宮筋腫と誤診し、次は自分たちの誤診をごまかすことに汲々として私たちに脅しをかけた医者達。


2003/04/07 月 晴れ 
日常茶飯事典>桜散歩その4代々木公園

 「明日から新学期始まるから、春休み最後の日を水族館ですごそう」というと、娘は「今日は水族園の気分じゃないから、渋谷でケーキ食べ放題をして、代々木公園の芝生でのんびりしたい」という。

 渋谷の「デザート王国」という店。前、ここは「ベーグル専門店」だった。以前食べに来たことがあった。それが今では「デザート王国」。
 ランチ時だったのでかなり混んでいて15分くらい待った。パスタとケーキ飲み物で1500円。パスタはうまくないし、ケーキは「100円ケーキの店」で出しているようなしろものだった。「食べ放題の店で残すのは御法度」にしている我が家だが、三人ともケーキを半分ずつ残した。
 こういう店はリピータファンをつける必要はなく、雑誌などで派手に宣伝をして「一度は試してみようか」という客を集め、客足が遠のいたら、またすぐ模様替えして違う店に作り直すのだろう。渋谷ではそういう商売が成り立つのだ。

 店にいる間、3回トイレに立つ。いくらケーキがまずくて水をたくさん飲んだからとはいえ、ちょっと変。

 代々木公園は桜吹雪。花見も今日が最後。芝生にシートを広げて休む。
 親子で出かけるのはこれが最後かと毎回思いながらお出かけする。シートに大学生の娘と中学生の息子が母の両脇にごろりと寝転がって、「まーたりゆるゆる」と寝ている。大学生の娘にデートの相手なく、中学生の息子にギャングエイジつるんで遊び回る仲間なし。これでいいのか。20年後40才の娘と35才の息子が母の両脇に寝転がって花見をしている図も思い浮かぶ。うひゃっ。

 またトイレに行きたくなったので、公園の中のトイレをさがす。帰る道、公園の出口でまたトイレに行く。「50すぎの年寄りはトイレが近い」と思っていた。

 娘が原宿で買い物をするというので、私と息子はダイソーに入って待つことにした。もう、完全に状態がおかしくなって、トイレをすましても、5分もたたずにまた行きたくなる。すごく痛い。身障者用のトイレに入って落ち着いて観察したら血尿になっている。もうダメ。ダイソーの目の前に内科婦人科と書いてあるクリニックがあったので、保険証もないが飛び込みで入ってみたが、婦人科は相談のみの受付で、内診などはできないというので、とにかく帰ることにした。

 代々木からの電車がつらかった。日頃病気になって電車に乗ることはない。病気のときは家で寝ているから。座席が空いて座れてとてもありがたかった。

 出血したことでとても不安になる。姉のように子宮肉腫かもしれない。体質は同じだろうから。すぐトイレに行きたくなるので、寝てもいられない。出血も多くなった。スモモに電話すると、たぶん膀胱炎だろうと言う。それで少しうとうとできた。

 夜中2時頃、目が覚めたので、ぼうこう炎を検索する。頻尿残尿感などの症状があてはまり、血尿が出る場合もある、という解説。ぼうこう炎なら、成人女性の4人に一人は既往のよくある病気だから、子宮肉腫のように、日本での症例は数少なく治療法もない、という病気ではない。少し不安もおさまる。よくある病気とはいえ、私にとっては初めてのことだから、心配は心配。

 どれほど貧乏でも、今まで健康だけは自信があった。健康がなによりの財産で一番の幸福だ。あたりまえのことだけど、日ごと健康が続くとありがたさを忘れてしまい、不平不満ばかり感じるようになる。ときどき具合が悪くなって、健康のありがたさを忘れないように神様がはからうのだろう。

本日のうらみ:どうこうも言ってられない痛み、ぼうこう


2003/04/08 火 雨が降ったりやんだり
日常茶飯事典>関西弁のお医者さん

 病院を受診する。内科にまわされ、「自覚症状、頻尿、残尿感、血尿」と書きこんだ予診質問表、尿検査で「白血球と糖が出ている」という結果により「ぼうこう炎」と診断された。問診と尿検査だけで、内診もなく診断が終わってちょっと心配だったけど、医者でもないスモモが電話で話を聞いただけで「あ、それ膀胱炎」と言ったのだから、医者も予診票を見ただけで、「あ、これ膀胱炎」と診断できるのだろう。

 ふわふわした話し方の関西弁の医者。関西では、このように頼りなさげな「ホンマにこれで大丈夫なんやろか」という雰囲気が好まれるのだろうか。ようわからんが。上州女としては「あんた、人の病気診断してるんだから、ちったあ、しっかりしいや!」と、背中をどつきたくなる。

 でも、看護師長の名札をつけた看護婦さんは、とてもてきぱきしていて賢しこそうで、指に針刺す採血も痛くなかったから、「ま、膀胱炎っていうなら、それでよし」と思う。血糖値は高くなく平常値だったが、いちおう尿には糖が出たので、近々糖尿病の検査をする、ということになった。母が糖尿だったから、私がなる可能性も高い。太っているし。甘いもの好きだし。

 帰りは雨の中、ちょっと遠回りになるが、たんぽぽ薬局目指して歩く。ところが、たんぽぽ薬局は閉鎖されていた。
 病院の裏側にひっそり隠れているようなロケーション。薬剤師たちは親切。客が少なくていつでも待たずに薬をもらえる。私にはとてもいい薬局だったのに、こういうとこは商売にならず、あくどく儲けるところが生き残るのだろう。薬局も商売だから仕方がないとはいえ、残念なことである。別の薬局で抗菌剤をもらった。

 排尿痛もだいぶおさまってきた。ぼうこう炎は、雑菌が入りやすいため女性がかかりやすく、四人にひとりは既往歴があるという。軽いものは自然治癒してしまうので、患部を見せるのがいやで医者にかからない人も多く、実際は二人に一人くらいは既往の病気なのだという。抗菌剤を1週間も飲めばよくなる、それほど心配のない病気。
 
 それでも出血すればあわてるし、痛いし、病気はいやだ。香港では新型ウィルスの肺炎で死者が100名を超えそうだというし、克服される病気もあれば新たな病気も生まれてくる。人間と病気の闘いは人類滅亡の日まで続くのだろう。

本日のつらみ:親切な薬局はもうからず


<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年の花見」

2015-04-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150421
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記4月(1)2003年の花見

 12年前のひつじ年2003年の日記を採録します。2003年4月の日記です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~^

2003/04/02 水 雨
日常茶飯事典>桜散歩その1 外堀

 午前中Aダンス。

 午後、昨日に引き続き、桜散歩をしようと思ったのに、花散らしの雨。

 昨日の散歩。飯田橋からお堀端沿いに市ヶ谷まで桜並木を歩く。土手の下から生えている桜の枝が、外堀通りの歩道の目の前に来るので、下から見上げる花見とはまた違った美しさ。すぐ目の前に花房がある。市ヶ谷から総武線で四谷へ。
 四谷上智大学前から市ヶ谷まで土手上を歩く。こちらは大木の枝がはるか頭上にある花見。宴会準備の青いシートがあちこちに広げられ、番人がひまそうに坐っている。あれも給料のうち。

 当方は3月中授業がないゆえ4月は「給料なし」なのだ。それで、缶コーヒーさえ飲まずに市ヶ谷から地下鉄で帰った。

 今日は一日ネット読書。サイコドクター読冊日記再開、うさぎやリニューアルオープン。

本日のねたみ:花見席取りシートに1日寝ていて給料もらえる人、うらやましいぞ


2003/04/03 木 曇りのち晴れ
日常茶飯事典>お台場ジョイポリス

 午後、お台場へ。ゆりかもめに久し振りに乗って、汐留サイトのなかを通っていく。「モノレールがビルの中で空中に浮いている感じがする」と、娘が言う。
 お台場海浜公園で降り、デックお台場へ。

 ジョイポリスは、私の苦手な室内アミューズメントパーク。閉所恐怖症なので、こういう閉じこもった場所に長くいると息苦しく、気持ちが悪くなってくる。一カ所でも外が見える窓があればいいが、そうでないとダメ。
 バーチャルスカイハングライダーとアクアノーバをやって、外へ出た。
 ひとりで、午後3時半から2時間、お台場散歩。

 5時半にジョイポリスに戻って、娘息子と合流、バーチャルジャングルドライブと急流下りの乗り物に乗る。
 バーチャルのいいところは、こわくなったら目をつむってしまえば、ただ椅子がガタガタゆれるだけ。ジャングルの吊り橋が壊れて下の峡谷に落ちるシーンで、目をつむった。
 娘は「ほんとうに吊り橋から落ちるなんて体験をしたら落ちるときの景色をみる余裕なんてないんだから、どんなふうに落下するのか、どう見えるのかちゃんと見なきゃだめじゃない。実際に死ぬわけじゃないのに」と言われた。それもそうだな。ちゃんと見ておけばよかった。だけど、こわかったんだもん。
 パニックには冷静に対処できない人間である。願わくは一生の間、戦争地震火事飛行機墜落&ジャングルドライブで吊り橋から落下、には出会いたくない。
 バーチャルジャングルツアー車は、後半なぜか性能アップして空をとぶ。娘は「空が飛べるのなら、橋から落ちずに最初からとべよ」と、ツッコミをいれながらも「ああ、楽しかった」。

 急流下りの方は、後半大波にもまれるシーンがあったが、こんどはがんばって波がどうかぶさってくるのか見ていた。実際に波にもまれたら、波のようすを観察する余裕はないだろうから。大波だが、逆巻きも砕けもせず実際の波とはちがうので、揺れるが転覆はしない。でも船酔いしそうだった。

 娘息子は「せっかくパスポート券買ったから閉館まで遊ぶ」というので、私は先に帰ることにした。
 ゆりかもめの中から見るお台場のビルの光と観覧車のライト。汐留付近の光と東京タワーのライト、レインボーブリッジのライト、ひさしぶりにお台場を訪れて、観光客になって楽しんだ。都市のライト。宇宙から見ても東京近辺の明かりの多さは地球の中でも異例というが、本当にきらきらで、都会的。
 これほどキラキラさせるために、どれだけ電力=石油やウランをつかっているのかと思いつつ、このきらめきを美しいと思うならアラビアの石油のために戦うことを拒否できまいと問われたら、どうする。自問自答。

 精神的な問題では今のほうがいいが、物質的な生活では50年代に戻ることもできるだろか。竈でご飯を炊いたことを覚えている最後の世代の人間だから。電気釜も洗濯機もなければないで生活できるとしても、パソコンは手放せない気がする。インターネットが変えた伝達を手放せないなあ。
 アトム誕生の2003年4月7日、手塚治虫は車は空を飛ぶものとして描いたが、お茶の水博士は黒いアナログ電話で通信する。1960年にも70年にも、一般人が世界中の人へ向けて発信できるとは夢にも思わなかった。

 ゆりかもめは相変わらず運行不順で、国際展示場駅で車輌事故が起きたからと、ストップした。それほどの遅れはなく新橋に着いたが、平日だから観光客より通勤客のほうが多い車内、運行不順に慣れているのか、皆さっさと下車していた。7時半。通勤客は家路を急ぐ。

本日のつらみ:ハイテク無人モノレールは、しょっちゅうストップ


2003/04/04 金 曇り夜雨
ニッポニアニッポン事情>桜散歩その2 不自由の女神の国

 昨日、3時半から5時半まではお台場散歩。

 はじめて「自由の女神」のレプリカを見る。この像がお台場にお目見えしたときの大騒ぎ。見物のために列を作り、警察官が誘導にあたったのだという。それから思えば、レインボウブリッジを背景に立つ姿がもう周囲になじんでいる感じがした。
 この像は、USアメリカ52番目の日本州が属州としての自分自身を自覚するためのレプリカだったのか、と気がつく。1960年には全国こぞって52番目の州となることに異議申し立てをした一般庶民。51番目は、プエルトリコ、イスラエル、イギリスの3つが属州化をねらって争っていると言うが、52番目は日本がすんなり決まったよなあ。

 今回の「属国化」には国民一同、騒ぎもせず、コイズミがブッシュにへこへこするのを認めている。ハンバーガーいっこ59円に慣れて、独立国家の気概も尊厳も忘れ、日本には石油ないんだからしょうがないよなあ、アメリカに守ってもらわなきゃジョンイルがミサイル打ち込んでくるよなあ、と首をすくめ、レプリカ女神が東京の街の風景にとけ込んでいるのを違和感もなく受け止める。
 桜満開の中の女神の姿が絶妙のマッチング。このように桜の中にたつならば、われわれのDNAは「自由の女神も神代よりの伝統」と思って受け入れられるのだろう。八百万の神の中にひとり増えても大差ない。

 「戦争反対」のピースウォーキングとやらに参加した人たちの何割が「戦争大賛成」の内閣を拒否できるのかと思うと、デモも「いちおう私、戦争反対って表現したからね」という免罪符になっている気がする。次の選挙につながらないいらだたしさ。民主主義の国であるならば、「戦争反対」なら「戦争賛成の政府」を変えることから始めるべきであろうが。
 デモクラシーではなく、「っても、暮らしぃ」の国の人々の花見。自由の女神越しにレインボウブリッジをながめたり、満開の桜と女神の構図の下、お台場海浜公園を歩く。不自由の女神の国の、「っても暮らしぃ」。「戦争反対、でも、暮らしが優先するから、暮らしを守るためには戦争賛成の内閣に一票」の人々の花見。

 女神像の次に、デック4階のお台場1丁目商店街。1960年代の商店街をテーマにしたショッピング街。
 ショウウィンドゥにある電化製品を指さして、おばさんたちが「ほら、あれあれ、うちにあんなのあったよね」と騒いでいる。電化製品がボーナスごとに家の中に増えている喜びに満ちていた頃。豊かさは家電品の数で目に見え、右肩上がりをだれも疑わなかった。会社村の中で一生を終えることが人生だった男たち、「専業主婦」と呼ばれ、名字が変わることがステイタスだった女たち。
 懐かしさはあるが、再びこの時代の「豊かさ実感」にもどるのがいいか、といわれれば、私はいやだ。ようやく女が窓をあけて外の空気を吸い、ドアから外に出られるようになったんだもの。物質的には昔にもどってもいいが、精神的には「ウーマンリブ以前」はつらい。
 この商店街もビルの中だが、ところどころに海側への出入り口があるから、それほど息苦しくはならない。でも、ひとまわりしたら飽きたので外に出た。

 無料シャトルバスでお台場の中を一周した。パステルタウン、ビッグサイトなどを回って、2時間のお台場ウォッチング。
 昔来たときは都市博中止後の空き地ばかり目立ち、閑散とした荒れ具合が「生まれる前に廃墟となっていた廃都市」光景としてなかなかの味を出していたが、今はこぎれいになり華やかになった。どっちがいいというなら、無論私は廃都市派だ。華やかなショッピングモールは経済活動によってお金を生み出すが、廃墟は何も生み出さず荒涼と立っているだけ。

 バクダッドのミサイル打ち込まれた後の映像はあまりに生々しくて、あれは廃墟ではない。あれは、殺されて血を流している死体。廃墟とは、既にされこうべになっていて「あなめ、あなめ」と風に声をさらしている姿。

本日のうらみ:戦火に巻き込まれている民もあれば、30年前の電化製品を豊かさの象徴となつかしむ民あり


2003/04/05 土 雨 
トキの本棚>『霧のむこうのふしぎな町』比較級「千と千尋」

 一日雨だから洗濯もできないし、とウダウダ。散ってしまうだろう桜を惜しみながら、それでも、夜中の12時に「日本語教授法」の一部をプリントした。

 『霧のむこうのふしぎな町』読了。「青い鳥文庫」をはじめて読んだ。ひらがなのひらき具合が、いい感じ。漢字にはほとんどにルビ。留学生に読ませるなら、最初に「千と千尋」を見せて、ジャポニズム風呂屋を味わってから、こちらを読むといい。

 作品としてどちらかひとつを選べというと、ファンタジー少女文学とアニメという異なる媒体だから、比較がむずかしいが、あえてひとつだけなら、私は「千」。
 ジブリファンには評判がいまいちだったし、私もジブリの中では「ナウシカ」や「トトロ」の方が優れていたと思うが、『霧のむこうのふしぎな町』は、このままアニメにしたら作品として弱い。女の子がほんわかすてきな一夏の思い出を作って、それなりに人々の様々な生活や喜び悩みを知って、成長して両親の待つ暖かな家庭に戻る。いい話だ。
 でも、「心温まるいい話」は、大人まで巻き込んでアカデミー賞ねらうところにはいかない。

 比較級、その1。まず、労働の質が違う。湯屋で千が命じられた労働は、一人前の大人と同じ「労働力」を求められている。登場するカオナシやハクの性格がよくわからないしキャラが弱いというのもわかるが、私は千がちゃんと労働をこなしていることだけでも、「きけ、万国の労働者階級出身者」として評価する。だいたい今時の子で、ぞうきんがちゃんと搾れてぞうきんがけができるなんて、えらいぞ千尋。
 一方、リナが「気ちがい通り」で体験するのは、本屋でも瀬戸物屋でも「手伝い」である。瀬戸物の中から偶然「王子」を発見してわがままな王子を変身させるのも、小学6年生が体験するにちょうどいい「ままごと」のように感じてしまう。登場人物は、みんなイイヒトで、ちょっと陰のあるオバサンも最後には息子の待つ家に戻ってめでたし。たぶん、この作品を素直に受け取るには年をとりすぎたのだ。

 比較その2。ピコットばあさんの挿絵と湯婆婆がイメージそっくりなのは笑えた。
 母と子の関係。湯婆婆の赤ん坊ねこっかわいがりが、赤ん坊自身が求めた成長によってぴしりと拒絶されたことは、ひょっとこお面の坊やが「母ちゃん恋し」から一歩踏み出して成長しないのと比べて、いい感じ。赤ん坊も小学生の女の子も自分の力で成長するのだよ。

 1975年にこのファンタジー小説が発表されたときには、ちょっとしたセンセーションだったというのだが、私はまったく知らなかった。当時はナルニア国とか、フランバーズ屋敷とか、外国ものばかり読んでいたような気がする。当時これを読んでいたら、少女の「ひと夏の思い出」話としてさらっとうけとめ、「中学校の図書館にいれてもいいかな」って判断したかもしれない。
 でも、もっと過酷で凄惨な成長もあることがわかってしまった大人にとっては、ちょっとものたりない。自分自身には一筋の傷さえ受けずにさらりと成長できる好運な女の子への嫉妬か。

 今や、クレヨンしんちゃん映画、仮面ライダー、○○レンジャーものまで、子供のパパママねらいのへんに大人びた小理屈つきの話にするのがはやりだから、気ちがい通りの話も、湯屋に底上げしなければ大人を巻き込めないという計算は見事にあたったというべきであろう。

本日のひがみ:私の役回りは、豚になる「千」の母親


<つづく>
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ミンガラ春庭「ボージョーアウンサン市場」

2015-04-19 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150419
ミンガラ春庭ミャンマー便り>ヤンゴン出張(11)ボージョーアウンサン市場

 ヤンゴン最終日、3月29日は、おみやげ調達日。
 まずは、下町へ。そして英国領時代から近代市場としてヤンゴンで営業しているというボージョーアウンサン市場へ出かけることにしました。植民地時代はスコットマーケットという名だったそうですが、現在は偉大な建国の父アウンサンの名を冠しています。

 通りに出て、フレーダンの角っこまで歩いて行く。ちなみに「フレーダン」と表記した最初の「フ」は、無声子音という音で、鼻から「フ」と息をだしてから「レーダン」と言うらしいが、そんな音は私には無理。で「レーダン」と発音すると「ちょっとなまっている」と思われるらしいけれど、通じるからいいや。「トーキョー」という発音を外国人が「トキョー」と言っても、あ、東京といいたいのかなと思うし「キョットーへ行きたい」と言えば、「京都に行きたい」なのかと推測するくらいには、ヤンゴンの人も推測してくれるでしょう。

 レーダンあたりはいつも渋滞なので、タクシーもスピードを落としているから、窓を閉めているタクシーをさがす。すなわち冷房車。冷房車の割合は2割強。冷房車はインド系が多く、英語が通じる可能性が高い。
 ボージョーアウンサンと行き先を告げると運転手が3000チャットという。冷房車だったし、乗ってもよかったのだけれど、もうちょっと相場を知ろうと思って、乗らない。次の冷房なし仏教徒タクシーは4000チャットと言う。ふん、罰あたりめ。高いぞ。

 どうして信仰がわかるかというと、タクシーはバックミラーにそれぞれのご本尊をぶら下げているから。最初の冷房車はヒンズー神をぶら下げていた。次は仏陀。仏にささげる白い仏花を下げているタクシーもある。日本のタクシーが交通安全のお守りをさげているようなもの。
 次の冷房ヒンズー車が3000と言ったので、2500とダンピングしてみたらあっさりOKだった。日本円で考えてみれば、30分も乗るタクシーが300円でも250円でもどっちにしろ安いものなのですが、なんとなく値切ることができると、地元っ子みたいでうれしい。

 英語が通じると思って「このあたり、いつも渋滞だねえ」と話しかけてみたのですが、私の英語発音が悪いのか、運転手のごきげんが悪かったのか、無言。そのうちケータイで話をはじめて、感じわるい。でも、悪いひとではなく、ボージョーアウンサン市場の中まで入り込んで、駐車場所をさがしてくれました。日曜日の市場、混み混みで止められない。もともと入り口で降りようと思っていたので、「ここでいい」と、降りました。

 ボージョーアウンサン市場は、シュエタゴンバゴダと並ぶヤンゴンの名所。ツアー観光なら必ず立ち寄る。地元の人はボージョーゼーと呼ぶとか。
 観光客相手の割だかな品も多いといいますが、近所のスーパーで買えなかったおみやげを探しに出かけたのです。

 入り口でタクシーを降りて1926年に建造されたという市場の外観写真を取りたかったのですが、タクシーの「親切心」によって、市場内奥で降りたので、外観はこんな路地からのものしかとれませんでした。



 市場の中は、中央通路をはさんで細い通路が縦横に通じている。小さな店が1600くらい出店していて、陶器、漆器、民芸品、宝石、衣料品と所狭しと商品が山積みになっています。





 さいしょに、宝飾品の店で、またまた玉石のブレスレットを買いました。セインゲーハースーパーではひとつ2500チャットでしたが、こちらのは1500チャットだったので、買わないと損するように思って、またまた10個買い、おまけに指輪をもらいました。

いっぱい買ったから、写真を撮らせてもらいました。


 日本語が聞こえたので行ってみると、日本語を話すミャンマーの人が、日本人お嬢さんふたりを案内している。ふたりは大学卒業記念旅行という大阪の女子大生でした。案内していた人は、別段ガイドさんではなく、日本で働いて日本語を覚えたというミャンマー人。ふたりを喫茶店に誘っていました。う~ん、おばさんには用がないよね。

 と、思っていたら、「日本の方ですか」と、おばさんから声をかけられた。日本の企業から派遣されてヤンゴンに赴任したけれど、単身赴任で心細いから、ぜひお友達になって、と言う。私、赴任は8月なんですよ、と逃げかかったが、名刺を渡され、赴任したらぜひメールを、という。うん、お友達作り、だいじだよね。
 
 市場の中に、日本人が店番をしているお店がありました。2年前に開店したというお菓子を売っている店で、クッキーの箱が大が8000チャットで小が5000チャット。ここらで売っているものと比べれば圧倒的に高い。しかし日本人がイメージする「旅のみやげ品」の体裁をととのえた箱入りクッキーは、スーパーでもみかけませんでしたから、小をふたつ買いました。たぶん、市場にくる日本人だけを相手にしていても商売成り立つのかも。

 姑にはセインゲーハースーパーで、ミャンマー緑茶を買ったのですが、ボージョーアウンサン市場で、漆塗りの小盆を買いました。
 ミャンマーは、パガン時代(9世紀-13世紀)から漆工芸が盛んで、現在も漆塗りの精緻な工芸品が作られています。日本の漆工芸技術のひとつに蒟醤(きんま)という漆に切り込みを入れて金などを埋め込んで模様をつける技法があります。これは、ミャンマーの「キンマ」が中国経由で日本へと伝えられたものだそうです。

 日本で輪島塗などの漆工芸品を買おうとするとメチャ高いのですが、私が買った小盆、きれいな模様でしたが、5000チャット(500円)くらいでした。日本の感覚では箱入りクッキー5000チャットよりもずっと価値が高いように思いますが、今のところ人件費が安いので、漆塗りもこの値段で買える。そのうち高くなるかも。

 そのほか、宝石店エリア、衣料品売り場など、1000以上の店、全部はとても見てまわれません。中央通路のそばに、Tシャツ店があり、おめあての「外国人旅行者御用達ミャンマー文字Tシャツ」を見つけました。息子、黒、娘緑、私黄色にしました。

 お世話になっているK先生に「探していたミャンマー文字のTシャツが買えました」と、電話でご報告。K先生は下町のプロテスタント教会に来て信者さんとお話をしていたということでした。日本人の信者さんには会えなかったけれど、同じ宗派の教会でお祈りができてよかった、と言っていました。お話がすんだので、K先生もボージョーゼーで買い物をしたいというので、待つことにしました。
 ボージョーゼーは、四角い回廊が市場を取り巻いているので、そのどこかの角っこにいれば、ぐるりと角角を回っていけば会えるから、角に立って動かないで、との電話。
 角に立っていたら、絵はがき売りがしつこかったので、キーホルダーをふたつ買いました。

 K先生と会えたので、ふたたび買い物。次はミャンマー文字一覧表がプリントされているエコバッグを買いました。

 K先生が市場のそばの喫茶店でジュースを飲む間、しばし考えて、私はアボガドをふたつ割にしてもらい、スプーンですくって食べました。ジュースに入っている氷がおなかによくないような気がしたのです。

 そのあと、K先生おすすめのおいしいミャンマー麺の店に行き、K先生が遅めのお昼ご飯を食べている間も、私は食べずにや八百屋を眺めていました。



下町にある高層のサクラタワー。主な日本企業はこの中に事務所を構えています。

 
 ホテルに戻り、荷物の片付けをして、夕食はK先生O先生と大学近くの日本料理屋へ。お二方は、親子丼や牛丼を注文。私は滞在1週間目でまだ和食が恋しいというほどでもなく、とにかくおなかに優しそうなものを、と思ってスープ餃子にしました。どこが和食かって、わからんけど。

 ヤンゴン空港から夜9時過ぎのANA直行便で、約8時間のフライト。
 なんとエコノミークラスはオーバーブッキングになったそうで、私はビネスクラスに席替え搭乗。ラッキー。つうか、ビジネスクラスに乗るのは始めて。いつも格安ツアーや格安フライトのエコノミーばかりだったから。

 朝、6時に成田に着きました。
 30日は朝から夕方まで寝ていたけれど、おなかよくならず。
 31日は大学へ行って出張報告。学長副学長顔をそろえる出張報告会に10分遅刻。あはは、14:40からだと思い込んでいた会議14:30スタートでした。いつものボケであって、ヤンゴン時差ボケなどではありません。
4月1日、行きつけのクリニックで薬をもらう。飲み始めたのですが、よくなったと思うとたたちまち大食いするので、また調子悪くなり、仕事が始まっても不調が続きました。たちのよくないおなかの菌が居座ったかと心配しましたが、要は、なおったと思って食べてしまうからいけなかったんです。半月の不調の末、ようやくおなかも落ち着いてきました。腹痛ダイエットは、たちまちリバウンドです。

 以上、春庭のミャンマー出張報告でした。ヤンゴン赴任は8月になります。

<おわり>
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ミンガラ春庭「フレーダン市場の玉石」

2015-04-18 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150418
ミンガラ春庭ミャンマー便り>ヤンゴン出張(10)フレーダン市場の玉石

 大学近くの繁華街のひとつがフレーダン市場。
 さまざまな店が並び、路上には露店がぎっしりと出ています。
 私は、娘と息子へのおみやげに、ミャンマー文字がプリントされているTシャツが買いたかったのです。しかし、どの店を覗いても、そういう柄のTシャツはおいてありません。

 考えてみると、日本でもひらがなの五十音表がプリントされているTシャツを若者が喜んで着ているってことは考えられず、「カッコわるい」と、敬遠されるかも。たぶんミャンマー文字Tシャツは、外人用おみやげ屋にしか売っていないのでしょう。日本の浅草仲店あたりに外国人観光客向けの、胸に「愛情」とか「幸福」なんていう文字を書いたTシャツを売っているように。

 セインゲイハーマーケットというスーパーに入りました。箱入りのミャンマー緑茶やミャンマー名物の玉石のブレスレットを買いました。ミャンマー山岳地帯は、ルビー、サファイア、瑪瑙、玉石などの宝石の産地として有名です。

 ルビーは、ヤンゴン北方にあるモゴック地区が主要産地です。ヤンゴンから北へ600kmほど。マンダレーの北西150km。海抜2300kmの地帯にあるジャングルの中に採掘場があります。軍政時代以後、宝石産業は軍の厳しい管理下にあり、現在も宝石産地に一般人が入り込むことはできません。軍高官と中華系宝石商の癒着も伝えられていますが、どうなんでしょうか。

 タイや香港で売られている「天然ルビー」は、品質の下がる「牛の血色」ルビー石を熱処理加工したものがほとんどで、真の掘り出したままのルビー石「鳩の血色」は、一般の店などに出回ることはまれだそうです。非加熱処理「真の「鳩の血色ルビー」は、ミャンマーから、サザビーやクリスティーズなどのオークションに送られ、世界の富豪達の手に落ちる。ダイヤモンドより産出量が少ない分、価格は高騰の一方とか。どのみち縁がありませんけれど。

 ルビー、サファイアのほか、翡翠もミャンマー産が世界最高級品。中国産の翡翠はネフライト(nephrite:軟玉)と呼ばれ、置物や灰皿など、加工しやすい。一方、ミャンマー産は ジェダイト(jadeite:硬玉)と呼ばれ、ダイヤモンド以外にジェダイドを傷つけることはできません。
 ヤンゴン市内に「宝石博物館」がありますが、今回は行くことができませんでした。

 そのほか、ミャンマーでは、ペリドット、スピネル、ムーンストーン、トルマリン、トパーズ、タンブリ石、ジルコン、アイオライト、スカポライトなどの玉石類貴石類が産出されています。
 高級品質の玉石は、ルビーサファイアほどではなくても、それなりに値が張りますが、品質が下がるものは、日本では考えられないくらいの安い値段で、ネックレスやブレスレットに細工されています。

 スーパーの玉石ブレスレットは、ひとつ2500チャット(250円)でした。日本のアクセサリー売り場だと1000~2000円くらいのものなので、ジャスダンス仲間へのおみやげにちょうどいいかと思って10個ほど買いました。売り子のお姉さんに「いっぱい買ったのだからおまけして」と頼んでみたけれど、ダメでした。スーパーは定価販売、と言ってゆずりません。こういうのを大量に買うなら、土産物屋のほうがいいのかもしれません。ただし、私には玉石の品質の善し悪しがわからないので、まあ、チェーン店で展開している地元のスーパーのほうが品質は安定しているかと思ったのです。

 夫へのおみやげに、ミャンマーの新聞を買いました。軍政時代は新聞も政府御用達の大本営発表みたいな新聞だけで、おもしろくなかったけれど、現在は硬軟とりまぜてさまざまな新聞が発行されているそうです。
 まず、「デモクラシー」という新聞を買いました。たぶん名前からして「スーチー派」の新聞かと思って。ほかに何種類か、ミャンマー文字はまったく読めないけれど、適当に。元新聞記者の夫、読めなくても、諸外国の新聞を眺めるだけで、割り付けとか写真の扱い方とか新聞ごとに特徴があるからおもしろい、と言います。私にはそんなおもしろさはわかりませんが、まあ、安上がりなおみやげとして。



 フレーダン市場街からホテルまで、無事歩いて帰れました。
 ヤンゴンの町、基本的に安全です。人々は親切。フレーダン駅からフレーダンマーケットへの道を間違えたときも、おっさんがいっしょうけんめい教えてくれました。



 ただし、歩道の穴にはご注意を。それから、町中にあふれている野良犬にも。狂犬病の予防接種などしていないでしょうから、噛まれないようにしないと。
 人々は野良犬は「ほっておく」という態度で、餌をやったりもせず、いじめたりもせず。だいたい、他者をいじめたり動物を虐待したりしたら、来世は即ゴキブリ。

 日本の若者向けアンケートの最近の調査で、「来世や輪廻転生を信じるか」という問いに、40%が信じると答えたそうなので、けっこう信じる人が多いんだ、と驚きました。
 私は、輪廻転生とは「地球上の生き物は、最初の単細胞から人間まで、ひとつのDNAでつながっている」という意味だと思っているので、まあ、私の前世はアメーバだとも言えるし、来世はゴキブリかもしれないと思っています。ゴキブリは人類滅亡後でも生き残るそうで。

ヤンゴンのわんぱく盛りたちがたむろしていた店


 ミャンマーの仏教徒にとっては、前世来世は、今生の時間と同じくらい大切なもののようです。ヤンゴンの人々が親切なのも、善行功徳を積んでおかないと、来世によりよい生まれにならないから。アンケート調査の結果はないけれど、おそらくミャンマー仏教徒に「来世を信じますか」なんて聞いても「あなたは空気を吸って呼吸していますか」と尋ねるのと同じくらいに、「なにを決まり切ったあたりまえのことを聞くのか」という反応だろうと思います。

 ミャンマーで暮らすことになる8月以後、人々の仏教信仰をもっと理解しないといけないなあと思いました。
 軍人出身のテインセイン大統領政府とスーチーさんら民主化運動の軋轢もどうなるかわからないけれど、ヤンゴン市内はとりあえず平穏だし、ヤンゴンの人々を理解するには、まずは仏教信仰を勉強すべきかと。





<つづく>
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ミンガラ春庭「ヤンゴン環状線乗り鉄」

2015-04-16 00:00:01 | エッセイ、コラム

ヤンゴン環状線切符(左ヤンゴン中央駅発券 右カマユッ駅発券)

20150416
ミンガラ春庭ミャンマー便り>ヤンゴン出張(10)ヤンゴン環状線乗り鉄

 ヤンゴン環状線は、下町にあるヤンゴン中央駅を出発して、ぐるりと市内を一周して3時間の旅程。ミャンマー文字がまだ読めない私ですが、駅名くらいはアルファベットで書かれているだろうとタカをくくって乗り込みました。
 カマユッ駅から中央駅まで、30分ほど。駅は8つ。大きい駅にはアルファベットがありましたが、小さい駅にはアルファベットなし。自分が今どこにいるのか、耳をそばだてて聞こえる駅名と地図を照合しながらけしきを眺めていました。

電車の中


 ヤンゴン中央駅につきました。
乗ってきた車両


 中央駅でいったん降りて、駅舎の写真を撮る。ふたたび乗り込もうとして切符を買おうとしたのだけれど、右回り線に乗れという。それじゃ、元来た線路を戻ることになるので、反対回りにしたい、と言ったのだけれど、それはもう夜にならないと発車しないので、環状線で一回りするなら、右回り、と諭される。切符は発着のホームのブースで買います。
 同じところを通っても、元の場所にもどれるのだから、いいや、と思って乗り込みました。

 ヤンゴン中央駅


駅の前を行くサイカー


駅待合室


時刻表、、、見てもわかりませんでしたが。


ホームの行き先表示板


駅のホーム


構内の線路


構内の電車車両


 沿線の駅のホームは、客が乗り降りする場所というより、人々が寄り集まって市場を開くための拠点、というふうで、どのホームにも乗り降りする客よりも物売りのほうが多い。

 小さい駅は、こんなもん




駅のホームはミニ市場




 沿線の景色、私が最初に乗り込んだカマユッ駅くらいまでは、人家がある沿線風景ですが、ヤンゴン環状線の北側と東側は、田園風景になります。ヤンゴン市はヤンゴン側の河港の水運によって発展した町なので、川から離れた地域は、近郊農村といったおもむき。明治大正の東京では、目黒あたりには田や畑が広がっており、三鷹とか王子近辺などまったくの田舎だったことを思うと、このヤンゴン東北部の田園風景が、いつまで畑でいられるのかなあと思います。

  

湿地帯の畑。農民は腰まで水につかって農作業していました。
   

 環状線で、ヤンゴン中央駅とちょうど対面にあたる駅の名は「ゴルフコース駅」といいます。ここでちょうど半分。
 ゴルフコース駅の手前くらいで、突然雷が聞こえて、急な大雨。人々は市場に出している品物にビニールシートをかけたりして、大わらわでした。


 3月は乾期の終わり。4月の水掛祭りは、ミャンマーの正月にあたります。水に恵まれる季節こそが「新しい年」と思う気持ち、わかります。
 ミャンマーの生活暦は、日本の旧暦(太陰太陽暦)と同じ、月の満ち欠けを基準にした暦です。お寺の行事なども満月のときに行われるそうです。

 環状線の北側東側の農村風景、やはり農民の暮らしは厳しいだろうなあと思います。近郊蔬菜農業が行われていましたが、腰まで水につかって菜っ葉を収穫していました。
 小学生くらいの子が、父親を手伝っていっしょうけんめい菜っ葉を取り入れているようす、「がんばれミャンマーっ子」と応援しました。

 電車はバスと同じく、輸入の中古車です。「学園都市線」という文字を車体につけたままの車両が走っていました。いったい日本のどこに学園都市線があったのか知りませんでしたが、調べてみたら北海道の札幌あたりでした。

 NHKだったと思いますが、佐野史郎が旅人になってミャンマーの鉄道路線を旅する旅番組を見ました。佐野史郎もかなりの乗り鉄でしたが、イギリスの老人たちが、古い鉄道で列車に乗って旅するのを趣味にしているようすも写っていました。英国領時代の電車が現役で走っているのに、大喜びで乗り込んでいました。
 これからミャンマーの観光開発をするなら、お寺めぐりだけでなく、日本やイギリスの古い電車車両に乗る「乗り鉄」向けのツアーとかあったら、けっこう人が集まるんじゃないかと思います。



 車内には物売りが行き交います。タバコ売り、サラダ売り、ドーナツ売り。いろいろな食べ物やら飲み物の売り子が行ったり来たり。


 海草サラダの物売り。白い海草にさまざまな薬味を混ぜ合わせてビニール袋にいれます。


 ドーナツ売りのおっさんが、印度系のじいちゃんに売っていた。ドーナツ状揚げパンをはさみで小さく切り分け、黒蜜のようなものをかけてビニール袋に入れてじいちゃんに渡す。じいちゃん、一切れずつゆっくり食べていました。車両のドアは、原則なし。このドアの出入り口は風通しがよくて、お客が好んで座り込む。


 車掌が検札に回ってきます。どっちがどれやらわからないので、カマユッ駅とヤンゴン中央駅で買った切符を両方見せました。
 色の黒い粗末な身なりの男の人が、車掌に厳しく責められていました。どうやら無賃乗車のようです。車掌の口調から少数民族への差別的な雰囲気が感じられました。乗客達は笑っています。
 20円の切符なのですから、「私がその人の分を払います」と、言いたかったのですが、外国人がそういう差し出がましいことをするのがはたしていいことなのかどうか躊躇しているうちに、何人かの車掌が集まってきて、男性を連れて行ってしまいました。
 
 ヤンゴン中央駅に近づくと、通勤通学の利用者が増えてきました。若者の一団が、それぞれの手にステンレスの3段重ね4段重ねの弁当箱を下げて入ってきました。Tシャツとジーンズの今時の若者。笑いあい、じゃれ合っていました。禁煙マークの下で堂々と喫煙しはじめたので、思わず禁煙マークを指さしたくなりましたが、まてよ、このマークは「学園都市線」の文字と同じく、彼らにはただの絵なのだろうか、という気もして、ヤンゴンでの禁煙場所を調べなければ、と自分を抑えました。
 車内にタバコ売りがやってくると、かれらは2本、3本とタバコを買っていました。箱で買うほど、若者のこずかいは多くない。まてよ、タバコ売りが車内にいるってことは車内禁煙ではないのか?

 再びヤンゴン中央駅を通過する。
 ホテルに一番近いフレーダン駅で降りました。約3時間半、環状線の旅、楽しかったです。
 おなかのことを考えて、ペットボトルに詰めて持っていったポカリスエットのほかは、半日何も食べないですごしました。いろいろな食べ物の物売りが来て、いつもの私なら好奇心のままにいろいろ食べたでしょうけれど、今回は自粛。

 フレーダン駅で下車しました。


 フレーダン駅前


<つづく>
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ミンガラ春庭「サイカーに乗ってカマユッ駅へ」

2015-04-15 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150415
ミンガラ春庭ミャンマー便り>ヤンゴン出張(9)サイカーに乗ってカマユッ駅へ


 3月27日金曜日、せっかくK先生が案内してくださったのに、くたびれきってしまった春庭。おなかの調子が悪く体調不良ということもありましたが、日頃の散歩やら建築探訪では、ひとりで勝手気ままに歩き回ることが多く、人様のあとをついて歩くということをしたことがないので、いっしょに歩く気疲れも体調不良を倍増している気がしました。
 同じ建築趣味ということがわかっていて気心知れた友とならいっしょに歩いて疲れないけれど、出会って数日、何が好きかもわかっていない人に気を遣いながら歩いたので、人慣れしていない私は疲れ切ってしまったのでしょう。

 3月28日は、朝電話をして「体調が戻らないので、午前中は寝ています。午後は近所をひとりで歩いて見ます」と、連絡し、ひとりですごすことにしました。
 親切なK先生は、心配してお昼に貴重な梅干しや生姜糖を届けてくれました。ありがたいこと。K先生が体調を悪くしたときは、梅干しでのりきったとのこと。

 お昼過ぎ、さっそく梅干しをいただき、パワーが出てきた気がしたので、ひとり町探索にでかけました。

 ヤンゴンには、東京の山手線のような環状線が走っています。これに乗るのはどうかとK先生に打診したとき、「電車の椅子は堅くて座り心地悪いし、周囲の景色はよくないし、地元の人は乗っていなくて観光客ばかりだったし、おすすめできません」というお話でした。なるほど、日本で乗り鉄趣味でない人にとっては、ヤンゴンに来て電車に乗る気も起きなくて当然です。

 でも、私は小学生のころからの乗り鉄。ただ電車に座って車窓を流れる景色を見ていれば一日かたい電車の座席に座っていても飽きない。ヤンゴン環状線は一周で3時間ほどだというので、午後半日あれば、ひとまわりできるはず。環状線なら必ず元の駅に戻ってくるし、一人で乗っていても迷子にはならない。
 まずは、ホテルから一番近くの駅をめざしました。

 ひとり歩きの気ままな点は、気に入ったものがあれば、ずっと眺めていられるところ。案内者のあとをついて歩くのでは、気ままにできませんから。
 道ばたの露店も、タバコ売りも珍しい。シガレットは高いので、一本単位での売り買いです。よく売れるのは、さまざまな香辛料を生の葉っぱにくるんだクーンと呼ばれる噛み煙草です。

 屋台タバコ売りのお姉さん。ささっと噛みタバコをつくりあげます。
 ます、葉っぱを一枚手にとる。キンマ(コショウ科コショウ属の植物)の葉です。葉に白い液体を塗る。石灰の水溶液にヤシ科の植物であるビンロウ(檳榔)の果実の種子をカットして混ぜた液体。これに店により地域によって好みが分かれるさまざまな香辛料をかけて、葉を折りたたむ。1個~3個で200チャット(20円)ほど。この葉っぱを噛んで液を味わうと、興奮または刺激・酩酊作用があり、肉体労働者にはやめられない嗜好品になっているのだそうです。

噛み煙草調合中のおねえさん


 ニコチン同様、依存性があり、ニコチンが肺がんを引き起こすのと同じように、発がん性もあるとのことで、若い人はしだいにクーンがよろこばれなくなっているそうですが、一度依存症になれば、なかなかやめられないので、東南アジアのこの噛み煙草、まだまだ売買が続くでしょう。
 写真を撮りたかったので、屋台のお姉さんの店をながめて、チョコレートキャンディと思われる飴をふたつ買いました。値段はよくわからなかったけれど、キャンディ2個で100チャット(10円)払ったので、写真数枚撮影させてもらいました。

キンマの葉っぱと女の人がよく髪にさしている黄色い花


 さらに、ぶらぶら歩いて行くとサイカー(自転車タクシー)のたまり場に行き当たりました。英語わかる人いないだろうなあと思いながら、カマユッ・ステーションと言って見る。インド系らしいおっちゃんが出てきて通訳を始める。う~ん、こういう人が出てくると値段交渉ややこしくなるんだよな、と思ったのだけれど、「駅」というミャンマー語すら出てこないので、しかたがない。向こうの言い値3000チャットを2000と言ってみたら、そこは遠いから、2500以下にはできない、という。歩いても行ける距離のはずだが、サイカーに乗ってみたかったので、2300チャットで手打ち。印度系のおっちゃんは、サイカーの運転手に「イングリッシュなんたら」と説明しているのがちょっと気になったけれど、まあ、なんとかなるだろうと、乗り込む。

サイカーたまり場


 細い路地を通り抜けていくので、タクシーで大通りを行くよりずっと、裏町のようすが眺められて楽しかった。





 しかし、鉄道の線路を通り過ぎてどんどん高級住宅街に入っていくので、サイカーの運転手に叫ぶ。「私は駅へ行きたいのに、どうして線路を通り過ぎちゃうんだ。駅は線路のそばにあるだろうに」
 叫んでも理解はしてもらえません。
線路を横切ってどんどん進んでいく



 運転手は通りの人に聞きながら、イングリッシュスクールの前で停車。やっぱりインドのおっちゃんは、「この外国人は、英語習いたいらしいから、英語学校へ連れて行け」と指示したらしい。まあ、私の下手な英語を聞いていたら「英語を習うべき人」と思われても当然だが。

 英語学校の門の前で困り果てていると、車が近づいてきて、わあわあわめく私を見ている。
 自家用車を運転している人なら英語わかるかと「駅に行きたいのに、このサイカーの運転手は駅を知らないようだから、道を教えて」と、頼みました。ところが、自家用車運転手のミャンマーなまり英語が私にわかりにくく、私のつたないジャパングリッシュが運転手に通じにくい。そのうち、自動車から坊ちゃまが降りてきました。小太りで上品そうな顔をした坊ちゃん、立派なクイーンズイングリッシュを話し、ようやく話が通じました。
 thank you とお礼をいう私に、坊ちゃまは「You are welcome」と、鷹揚に返事し、運転手付き自家用車でおでかけしていきました。

 サイカーの運転手にも、ようやく私が駅へ行きたいのだということがわかりました。やれやれ。
 道案内をしようという自転車小僧がついてきました。大人の自転車を「三角乗り」しています。三丁目の夕日あたりに、この三角乗りの自転車小僧が出てきた気がする。
 「こっちこっち」とサイカーおっちゃんに声を掛けています。駅についたので、さきほどのコーヒーキャンディをあげたのだけれど、まだ去らないので100チャットあげました。こういうのは子どもにとってよくないのではないかと思いましたけれど。

 サイカーは、2300チャットの約束だけれど、道がわからなくて行きつ戻りつした漕ぎ賃と思って2500チャット渡しました。北京故同の観光用自転車タクシーのときは、値段も高かったし、かなりぼられているのがわかっていたので、漕ぎ手に悪いとは思わなかったのですが、今回は、ふうふうと自転車を漕ぐ運転手がなんだか気の毒になりました。この人はこの労働によって賃金を得ているのだ、と思っても、他者に肉体労働をさせていて、こちらは乗っているだけ、という状態が、あまり居心地よくないのです。ガソリン代分高くても、タクシーに乗るほうが気が楽。

 カマユッ駅につき、窓口で切符を買う。
 切符は200チャット(20円)。最初2000チャット(200円)かと思いました。よくわからないので5000チャット札を出したら、おつりが4800チャットきました。ぐるりと3時間乗っても、1駅だけでも20円らしい。料金体系とかよくわからないまま、せかされました。ヤンゴン中央駅に向かう電車が来るところだから、急いで、線路の向こう側へ行け、と係員がせかします。ホームから線路におり、反対側ホームに上がる。
 駅舎やホームの写真を撮るまもなく、電車がやってきました。ヤンゴン鉄道乗り鉄出発です。

 カマユッ駅から電車に乗ってきた尼僧さん。ミャンマー上座仏教では、女性は正式の僧侶にはなれないので、この尼僧さんも「女性の修行者」という扱いなのだそうです。



<つづく>
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ミンガラ春庭「シュエタゴンパゴダ」

2015-04-14 00:00:01 | エッセイ、コラム

シュエタゴンパゴダ

20150414
ミンガラ春庭ミャンマー便り>ヤンゴン出張(8)シュエタゴンパゴダ

 ヤンゴンに来たら、何はなくともまず、シュエタゴンパゴダ。観光の第一の目玉です。
 地元の人は信仰のために祈りに行くので、お参りも入場無料ですが、観光客からは入場料8000チャット(800円)を徴収する。
 地元の人に見えるように、27日の朝方注文しておいたロンジーを着て出かけました。

 階段昇ってお寺入りするのが本来ですが、エレベーターもある。体調不良の身、当然エレベーターです。エレベーターを降りてうろうろしていると、たちまち外国人観光客と見破られ、英語を話すガイドの女性に入場券売り場につれていかれました。外国人だし観光客なのだから、観念してK先生の分と二人分16000チャット払う。

 地元の人は無料で観光客は8000チャットで不公平かというと、そんなことはない。地元の人は、パゴダを金色に保つための金箔を、それぞれの富貴に応じて寄進しています。現在2014年10月からシュエタゴンパゴダ金箔張り替えの工事が続行中で、大量の金箔が必要ですが、すべて、市民の寄進によってまかなうのです。
 仏教徒にとって、生活費に最低限のお金は必要だけれど、それ以外に余剰があれば、すべてせっせとお寺に寄進する。どこのお寺も金ぴかですが、みな人々の寄進です。托鉢のお坊さんにはごはん、お寺には金箔寄進。これはミャンマー仏教徒にとって、当然のこと。

 客引きに来たガイドさんの話す英語はミャンマー式英語で、発音にくせがある。体調不良のおりに英語聞いても右耳から左耳にとおりぬけてしまうだけ。「私は英語はわからない。日本語なら案内してもらうけれど」と言って引き取ってもらいました。



 3月27日金曜日は国軍記念日の祝日。土日と3連休になるので、夜のシュエタゴンパゴダは観光客も地元の信仰厚き人々もどっと押し寄せ、押すな押すなの賑わいでした。
 ライトアップしているシュエタゴンパゴダ。



 昔は、煌々たる月明かり星だけ明かりでも夜のお寺が荘厳な表情を見せたのではないかなと思います。
 近隣が電灯だらけになり、パゴダも月明かりだけでは輝かなくなってしまったのか、今ではピッカピカに光をあてて、これでもかと輝かしています。

 中央の塔はどの観光案内にもその姿が載っている、ミャンマーを代表するお寺。しかし、それ以外にも、お堂が数十とならび、それぞれその中に仏像が何十と並び、もう仏像の大バーゲンというくらい、ごちゃまんと仏様が並んでいます。
 しかも、光背がぴかぴか光るネオンサイン。青や赤のちかちかするクリスマスツリーの豆電球のように、ピカピカぐるぐる光背がまわり、私の目にはなにやらありがたみが半減する思い。
 でも、ミャンマーの人にとっては、このネオンサインがぐるぐる回る光背が、仏様の尊さを感じさせるのでしょう。
 人様の信仰は尊重すべきですが、このネオンサインぐるぐるの光背にはどうにもなじめませんでした。


背中のネオンサイン式光背


 居並ぶ仏達。その前には信心深き人々が座り込み、それぞれお経をあげています。信仰は自分自身を高めるため、少しでもお釈迦さまにちかづくため、と、聞かされても、大乗仏教しかも神道と習合した日本仏教の檀家たる私、ついつい「健康長寿、学業成就、一家安全国家安泰」なんぞとつぶやきたくなります。いえいえ、個人の願掛けなど小乗仏教の仏様はおとりあげにならぬばかりか、ご機嫌わるければ、仏罰必定。
 功徳を重ねていかねば来世はゴキブリ。

 あれ?お釈迦さまって、そういう輪廻転生を否定するために仏教を始めたのじゃなかったっけ。
 どうも仏教をよく理解していない私。

 ミャンマーでは、生まれた曜日が肝心で、曜日によって祈る仏様が決まっています。私の生まれた日は月曜日ということなので、月曜日の仏様にお祈りしたり、仏像に水をかけたりしました。

仏を守る象さんやナーガ(蛇)狛犬(もしくは獅子)

  


 それにつけても体調不良。あまりに数多くの仏様をめぐっているうち、すっかり疲れ切りもうホテルに帰って寝たい、という気分になりました。帰りたい、帰りたい、寝たい、ねむたい。
 きっと「こういうすばらしい仏の世界にいついつまでもいたい。拝んでいたい」という気分にならない人は、お参りすべきじゃないのかもしれないなあ、と、思いながら、足をひきずって歩きました。K先生が「じゃ、これで帰りましょう」と、おっしゃったときはほっとしました。パゴダ内にいたのは、2~3時間のことなのですが、日本のお寺には、法事などで出かけてもせいぜい1時間ほど坊さんのお経を聞いたりするだけなので、たくさんのお堂と仏像を見てまわって、一生分お寺まいりした気分になりました。
 
 ホテルに戻り、熱いおふろにつかって足を伸ばし「極楽、ごくらく」
 みほとけのご尊顔拝したてまつるよりも、お風呂のほうに極楽を感じるというのも、無信仰のなせるわざ。おなかのくすりを飲んで、寝ました。

<つづく> 
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ミンガラ春庭「寝釈迦像」

2015-04-12 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150412
ミンガラ春庭ミャンマー便り>ミャンマー出張(7)チャウタージーパゴダ寝釈迦像

 ミャンマーには、ヤンゴンのほかにも巨大な寝釈迦像が知られています。お釈迦様が寝転がってくつろいだ姿で説法をしている様子を表した仏像です。
 日本では釈迦入滅の「涅槃仏」のほうがありがたがられる仏像ですが、ミャンマーでは、寝ながら説法する「寝仏」が好まれます。

 ヤンゴン市ではチャウタージーパゴダの寝釈迦像が、多くの信者および外国人観光客を集めています。

チャウタージーパゴダ


 ミャンマーの人々にとって、お釈迦様ほか仏たちは、「少しでもその姿に近づきたい理想の姿」であるので、仏像はとってもリアルに作られています。このチャウタージーパゴダに並んでいた仏像、マダムタッソーの蝋人形館かと思うような、リアルな造形の仏像がずらりと勢揃いしていました。あまりにリアルなので、最近入滅した高僧の像かと思ったのですが、この蝋人形風も阿弥陀様とか菩薩様なのだそうです。

 巨大な寝釈迦も、日本人がイメージする木彫りや銅像の仏様とは違い、まつげフサフサのくちびるくっきり赤い、白塗りのお顔。高さ17.6m、長さ65.8m



 与謝野晶子をパクれば、「ヤンゴンやみほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな」となるところでしょうけれど、私にはやはり鎌倉大仏のほうが親しみやすい。もっとも鎌倉大仏はお釈迦様ではなくて、阿弥陀様。
 それにしても、こういうイケメン仏像が信仰の対象になるっていうのも、ミャンマー上座仏教と我が大乗仏教の違いなのでしょうか。


 この「 つけま つけま つけまつげ ぱちぱち つけまつけて とぅ 」のつけまつけっぷりときたら、日本のギャルも顔負けです。


 ミャンマーでは、仏様に祈りを捧げるのにも、現世利益など願うのは御法度。そんな自分の利益を願う心根では、仏様に怒られてしまう。ひたすら、よい人間でいること、よりよい人間になっていけることを祈るのです。
 仏教信徒は、托鉢する僧には食べ物を喜捨し、道行く人には水をふるまい、困っている人がいれば親切にして功徳を積み、お寺に来ては祈りをささげる。それが日常生活です。
 「金持ちになりたい」とか「試験に合格」などという自分自身の利益のための祈りではない。
 現世利益をかなえてくれる「ナッ」という精霊神も仏教と共存しているということで、日本の神仏混淆、仏神習合とは別の形で、ナッ信仰も盛ん。

 寝釈迦仏の足裏にも、びっしりとありがたい仏法の絵が描かれています


 チャウタージーパゴダの寝釈迦の前にも、祈りを捧げる熱心な信者や僧がいました。
 寝釈迦といっしょに自分を撮してワーキャーしているいる人たちがいたので、日本人かなあと耳をそばだてると、韓国語を話していました。韓国人は5000万人の全人口の四分の一、1000万人はキリスト教徒ですが、仏教徒も人口の2割くらいはいるはず。

 いっしょに参拝したK先生はプロテスタント信仰だそうなので、私の見方とは異なるのかも知れませんが、私はこのまつげばっちりのイケメン寝釈迦に説法されるよりは、薪をナタで断ち割ったような素朴な円空仏に見守られているほうが、心地よいと感じてしまいました。これは、それぞれの感じ方、それぞれの宗教観によるでしょう。私はどうも、楽して仏に安心をもらいたい、というダメ仏教徒。ミャンマー仏教の精神を学ぶにも、まだまだ勉強不足の春庭です。

鐘つきをしていた坊や。お父さんが坊やにカメラを向けて「こっち見ろ」と言っているのに、私のほうをじっと見つめてくれたので、1枚取らせてもらいました。


 寝釈迦の前にごろりと横になっている信徒たちもいます。私も、「しばらくあの人たちといっしょに横になっていたいので、どこか、見たいところを回ってきてください」と、案内してくれているK先生にお願いしました。体調が限界になっていましたので。
 小1時間も横になっていたでしょうか。
 K先生が寝転がっている私に、あおいで風を送っていてくださったことに気づきました。
 だいぶ体調もよくなったので、起き上がりました。

 K先生、次は日常生活に欠かせない市場とスーパーを見学するとおっしゃる。またしても「ホテルで休みたい」とは言えませんでした。
 最初に行ったボージョーアウンサンマーケットは、観光名所にもなっている宝飾品や衣料品などの土産物屋が並んでいる市内でいちばん由緒ある市場なのですが、3月27日は祝日の国軍記念日だったため、市場はお休みでした。

 そこで、一番新しいショッピングセンターに行ってみました。ジャンクションスクエアという2年ほど前にオープンした衣料品から食品、日用雑貨など生活に必要なものがそろうお店。道ばたの露店でも日用雑貨は売っているけれど、日本で買えるような品質のものがほしければ、ずっと割高になるけれど、ジャンクションスクエアが一番、という説明を受けました。

 Tシャツが一枚15000チャット(日本円1500円)くらいして、こりゃ、高いと感じました。私の感覚だと、ミャンマーでTシャツ買うなら300円以下で買いたい。日本で買ってミャンマーに着てきたTシャツ、日本のスーパー見切り品で300円のタイ製。(「ヤンゴンの朝ご飯」を食べているときのピンクのグーフィーTシャツです。品質が悪いわけじゃなくて、袖のところに汚れが付いてしまったので、格安に。なに、洗えば落ちた。)

スーパーで売っていた日本語つきの豆腐。日本語読めなくても、日本の文字っぽいものがついていれば、なんとなく高級そうになる。「とづふ」とかでなくちゃんと「とうふ」でした。


 ケーキ&パン屋のイートインでお茶を飲んでいると、両親と幼い子どもふたりの家族、日本語での会話。話しかけてみたら、ご主人は1月にヤンゴンに赴任。住まいなどを整えてから奥さんとお子さんを呼び寄せたそうです。
 ヤンゴンやネピドーでこれから貿易やらビジネスに活躍する人たちがどんどん入ってくるのだろうと思います。

スーパー内のケーキ屋


 今日のメイン観光であるシュエタゴンパゴダ。K先生は昼のジュエタゴンはヤンゴンに着いてすぐに観光していたので、今回は夜間のライトアップされたパゴダを見たいということでした。日が暮れるまでの2時間ほど休憩することになり、助かりました。
 ホテルに戻って、夕暮れまでベッドに横になりました。K先生もベッドでiパッドで調べ物をしたりしばしお休み時間。

 いつもの私なら、案内してくれる人以上に張り切ってあちこち歩き回りたい人なのに、今回の腹痛体調不良は、とんでもない誤算でした。
 しばし横になり、暗くなってからシュエタゴンパゴダに出発。

<つづく>
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ミンガラ春庭「ヤンゴンの下町」

2015-04-11 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150411
ミンガラ春庭ミャンマー便り>ミャンマー出張(6)ヤンゴンの下町

 ヤンゴン3日目27日金曜日は、下町を案内してもらいました。
 朝からおなかが痛くなり、調子がよくありませんでしたが、時間を作って案内をしてくださるというK先生に「休んでいたい」と言い出せずに、ちょっと無理をしてしまいました。

 下町へ向かうバスに乗る前に寄ったのが、ロンジーの店。民族衣装の腰巻きをオーダーするのです。
 生地を選び、夕方ホテルに帰るまでに仕立ててもらうことに。男性は生地を輪に縫い上げるだけで、巻き付けた布の端っこを折り曲げて巻き込み止めます。女性は、布の上部に紐を取り付け、紐を結んで着付けます。

ロンジー店の入り口。入り口で履き物をぬぎ、スリッパに履き替えます。


 下町まで、バスに乗りました。下町の中心地にはランドマークのお寺「スーレーパゴダ」があります。バスは、それぞれの車掌が行き先をどなるので、その声を聞き「スーレー」というのが聞こえたら下町へ向かっているのだから、どのバスでも乗ればよい、とのこと。バスにミャンマー文字で数字が書いてあるけれど、日本のように数字によって路線を表しているということはなく、私有のバスがほとんどで、その日によって行き先を変えたりするので、車掌の声にたよるのが一番確実なのだそうです。

 着任して2ヶ月、ヤンゴン日本語教育の先遣隊として基礎を固めてきたK先生、最低限必要なミャンマー語はなんとか覚えたのだけれど、英語とのちゃんぽんで生活してきた、とのこと。私もバスの乗り降りに必要なことばくらいは、早く覚えなければ。

 「スーレー」まで、一人200チャット(20円)払って、ぎゅーぎゅー詰めのバスの奥に移動。おなかの調子が悪いので、座りたいなあという顔をしていたら、若い人が席をゆずってくれました。ありがたし。ただし、ミャンマーでは親切を受けたからと行って気軽にミャンマー語で「ありがとう」と言ってはいけない、という国情。ミャンマー語での「ありがとう」ということばは、たいへん重いことばであり、「あなたに感謝し、このご恩は必ず返す」という契約にも似た意味になるのだそうです。親切にしてくれたお兄さんにお返しをする機会はもうないだろうから、ちょっとした親切を受けたときなど、にっこり笑顔を向ければそれでOK。どうしてもお礼のことばが言いたいのならミャンマー語ではなく、英語でThank you」と気軽に言っておく。

下町のランドマーク、スーレーパゴダ


スーレーのとなりの公園。中央には独立記念塔


 ヤンゴン下町の建物。英国領だった頃に建てられた近代建築が数多く残されています。メンテナンスが不十分なので、どれも古ぼけてしまっているのですが、東京の同じ時代の建築物は重要文化財に指定されているのを考えると、とても貴重な建物なのです。しかし、ミャンマーの人は、古ぼけた建築より、高層のあたらしいビルのほうを尊重したいようで、近代建築のの価値がまだわかっていないとみえます。取り壊してしまってからではおそいのですが。保存運動などはまだでていない模様。

 ヤンゴンにとって、幸か不幸かわからないのですが、ミャンマーが新しい国家として再出発しようとしたとき、首都はヤンゴンからネピドーに移転しました。そのため、ネピドーには新しいビルが建てられましたが、ヤンゴンにはいくつかは高層ビルなどがたちましたが、古いビルがどんどん取り壊されて、高層ビルに置き換わる、というような建築ラッシュはごく少なかったとみえます。
 そのために、古い建物が数多く残されました。東京の近代建築探索が趣味のひとつである春庭、ヤンゴン赴任のたのしみのひとつとして、「ヤンゴン近代建築探訪」おおいに楽しめそうです。

 バス車窓から見えた近代建築。あるビルの正面には「1937」という建築年を大きく壁にレリーフにしたものもありました。



旧最高裁判所。現在は閉鎖されています。


コロニアル建築の様式のひとつと思います



中央郵便局


 郵便局で切手を買い、日本へはがきを一枚だしました。まだ市内の絵はがきが買えていないので、ANAでもらった飛行機の絵はがきです。今回は、1週間だけの滞在なので、はがきが日本に着くよりも帰国する方が早いだろうから、絵はがきのたぐいは出さないことにしていたのですけれど、1ヶ月に10枚投函する青い鳥さん宛てのハガキは、いつもの通りに送り出します。私自身の「I am still alive」のハガキですから、生きていることをお知らせしなければ。河原温の「I am still alive」をまねて始めたシリーズですが、この5月に500枚目に達します。

 K先生もヤンゴン川を見たことがないというので、いっしょに川端のレストランにはいりました。
 ヤンゴン市は、ヤンゴン川の水運によって植民地物資の運輸を担い、大きな街に発展してきた歴史を持ちます。今では空路陸路の輸送が中心なっていますから、川の港と言っても、観光客の遊覧船がとまっているだけで、大きな貨物船は見当たりませんでした。



ヤンゴン川の小舟


ヤンゴン河港の旧税関


 ヤンゴン川岸のレストランで休みました。


 おなか悪いときは食べない方がいいとわかっているのですが、「ビタミンを取った方がいいから、果物なら大丈夫でしょう」というK先生のお言葉に、根が食いしん坊だもんだから、果物をとりました。スイカとメロン。マンゴージュース。


  
 食べたり飲んだりして、ますます調子が落ちましたが、ヤンゴン名所の「寝釈迦像」を見に行くというので、タクシーに。

 ヤンゴンのタクシーにメーターはありません。行き先を告げて運転手と交渉して値段を決めます。だいたいの相場を知っていれば、そうそうぼられることもないのですが、そこは交渉次第。ヤンゴン大学付近から下町までは、道の混み具合にもよりますが、およそ30分くらいの乗車時間で3000チャット(300円)くらい。日本のタクシーに比べると10分の1くらいの値段です。
 
 体調悪くなってきて、一度ホテルに戻って休みたい、と言いたかったのですが、案内してくださっているのに悪い、という気がしてしまって、言い出せませんでした。
 次なるヤンゴン名所は、巨大な寝釈迦仏です。

<つづく>  
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