20150419
ミンガラ春庭ミャンマー便り>ヤンゴン出張(11)ボージョーアウンサン市場
ヤンゴン最終日、3月29日は、おみやげ調達日。
まずは、下町へ。そして英国領時代から近代市場としてヤンゴンで営業しているというボージョーアウンサン市場へ出かけることにしました。植民地時代はスコットマーケットという名だったそうですが、現在は偉大な建国の父アウンサンの名を冠しています。
通りに出て、フレーダンの角っこまで歩いて行く。ちなみに「フレーダン」と表記した最初の「フ」は、無声子音という音で、鼻から「フ」と息をだしてから「レーダン」と言うらしいが、そんな音は私には無理。で「レーダン」と発音すると「ちょっとなまっている」と思われるらしいけれど、通じるからいいや。「トーキョー」という発音を外国人が「トキョー」と言っても、あ、東京といいたいのかなと思うし「キョットーへ行きたい」と言えば、「京都に行きたい」なのかと推測するくらいには、ヤンゴンの人も推測してくれるでしょう。
レーダンあたりはいつも渋滞なので、タクシーもスピードを落としているから、窓を閉めているタクシーをさがす。すなわち冷房車。冷房車の割合は2割強。冷房車はインド系が多く、英語が通じる可能性が高い。
ボージョーアウンサンと行き先を告げると運転手が3000チャットという。冷房車だったし、乗ってもよかったのだけれど、もうちょっと相場を知ろうと思って、乗らない。次の冷房なし仏教徒タクシーは4000チャットと言う。ふん、罰あたりめ。高いぞ。
どうして信仰がわかるかというと、タクシーはバックミラーにそれぞれのご本尊をぶら下げているから。最初の冷房車はヒンズー神をぶら下げていた。次は仏陀。仏にささげる白い仏花を下げているタクシーもある。日本のタクシーが交通安全のお守りをさげているようなもの。
次の冷房ヒンズー車が3000と言ったので、2500とダンピングしてみたらあっさりOKだった。日本円で考えてみれば、30分も乗るタクシーが300円でも250円でもどっちにしろ安いものなのですが、なんとなく値切ることができると、地元っ子みたいでうれしい。
英語が通じると思って「このあたり、いつも渋滞だねえ」と話しかけてみたのですが、私の英語発音が悪いのか、運転手のごきげんが悪かったのか、無言。そのうちケータイで話をはじめて、感じわるい。でも、悪いひとではなく、ボージョーアウンサン市場の中まで入り込んで、駐車場所をさがしてくれました。日曜日の市場、混み混みで止められない。もともと入り口で降りようと思っていたので、「ここでいい」と、降りました。
ボージョーアウンサン市場は、シュエタゴンバゴダと並ぶヤンゴンの名所。ツアー観光なら必ず立ち寄る。地元の人はボージョーゼーと呼ぶとか。
観光客相手の割だかな品も多いといいますが、近所のスーパーで買えなかったおみやげを探しに出かけたのです。
入り口でタクシーを降りて1926年に建造されたという市場の外観写真を取りたかったのですが、タクシーの「親切心」によって、市場内奥で降りたので、外観はこんな路地からのものしかとれませんでした。
市場の中は、中央通路をはさんで細い通路が縦横に通じている。小さな店が1600くらい出店していて、陶器、漆器、民芸品、宝石、衣料品と所狭しと商品が山積みになっています。
さいしょに、宝飾品の店で、またまた玉石のブレスレットを買いました。セインゲーハースーパーではひとつ2500チャットでしたが、こちらのは1500チャットだったので、買わないと損するように思って、またまた10個買い、おまけに指輪をもらいました。
いっぱい買ったから、写真を撮らせてもらいました。
日本語が聞こえたので行ってみると、日本語を話すミャンマーの人が、日本人お嬢さんふたりを案内している。ふたりは大学卒業記念旅行という大阪の女子大生でした。案内していた人は、別段ガイドさんではなく、日本で働いて日本語を覚えたというミャンマー人。ふたりを喫茶店に誘っていました。う~ん、おばさんには用がないよね。
と、思っていたら、「日本の方ですか」と、おばさんから声をかけられた。日本の企業から派遣されてヤンゴンに赴任したけれど、単身赴任で心細いから、ぜひお友達になって、と言う。私、赴任は8月なんですよ、と逃げかかったが、名刺を渡され、赴任したらぜひメールを、という。うん、お友達作り、だいじだよね。
市場の中に、日本人が店番をしているお店がありました。2年前に開店したというお菓子を売っている店で、クッキーの箱が大が8000チャットで小が5000チャット。ここらで売っているものと比べれば圧倒的に高い。しかし日本人がイメージする「旅のみやげ品」の体裁をととのえた箱入りクッキーは、スーパーでもみかけませんでしたから、小をふたつ買いました。たぶん、市場にくる日本人だけを相手にしていても商売成り立つのかも。
姑にはセインゲーハースーパーで、ミャンマー緑茶を買ったのですが、ボージョーアウンサン市場で、漆塗りの小盆を買いました。
ミャンマーは、パガン時代(9世紀-13世紀)から漆工芸が盛んで、現在も漆塗りの精緻な工芸品が作られています。日本の漆工芸技術のひとつに蒟醤(きんま)という漆に切り込みを入れて金などを埋め込んで模様をつける技法があります。これは、ミャンマーの「キンマ」が中国経由で日本へと伝えられたものだそうです。
日本で輪島塗などの漆工芸品を買おうとするとメチャ高いのですが、私が買った小盆、きれいな模様でしたが、5000チャット(500円)くらいでした。日本の感覚では箱入りクッキー5000チャットよりもずっと価値が高いように思いますが、今のところ人件費が安いので、漆塗りもこの値段で買える。そのうち高くなるかも。
そのほか、宝石店エリア、衣料品売り場など、1000以上の店、全部はとても見てまわれません。中央通路のそばに、Tシャツ店があり、おめあての「外国人旅行者御用達ミャンマー文字Tシャツ」を見つけました。息子、黒、娘緑、私黄色にしました。
お世話になっているK先生に「探していたミャンマー文字のTシャツが買えました」と、電話でご報告。K先生は下町のプロテスタント教会に来て信者さんとお話をしていたということでした。日本人の信者さんには会えなかったけれど、同じ宗派の教会でお祈りができてよかった、と言っていました。お話がすんだので、K先生もボージョーゼーで買い物をしたいというので、待つことにしました。
ボージョーゼーは、四角い回廊が市場を取り巻いているので、そのどこかの角っこにいれば、ぐるりと角角を回っていけば会えるから、角に立って動かないで、との電話。
角に立っていたら、絵はがき売りがしつこかったので、キーホルダーをふたつ買いました。
K先生と会えたので、ふたたび買い物。次はミャンマー文字一覧表がプリントされているエコバッグを買いました。
K先生が市場のそばの喫茶店でジュースを飲む間、しばし考えて、私はアボガドをふたつ割にしてもらい、スプーンですくって食べました。ジュースに入っている氷がおなかによくないような気がしたのです。
そのあと、K先生おすすめのおいしいミャンマー麺の店に行き、K先生が遅めのお昼ご飯を食べている間も、私は食べずにや八百屋を眺めていました。
下町にある高層のサクラタワー。主な日本企業はこの中に事務所を構えています。
ホテルに戻り、荷物の片付けをして、夕食はK先生O先生と大学近くの日本料理屋へ。お二方は、親子丼や牛丼を注文。私は滞在1週間目でまだ和食が恋しいというほどでもなく、とにかくおなかに優しそうなものを、と思ってスープ餃子にしました。どこが和食かって、わからんけど。
ヤンゴン空港から夜9時過ぎのANA直行便で、約8時間のフライト。
なんとエコノミークラスはオーバーブッキングになったそうで、私はビネスクラスに席替え搭乗。ラッキー。つうか、ビジネスクラスに乗るのは始めて。いつも格安ツアーや格安フライトのエコノミーばかりだったから。
朝、6時に成田に着きました。
30日は朝から夕方まで寝ていたけれど、おなかよくならず。
31日は大学へ行って出張報告。学長副学長顔をそろえる出張報告会に10分遅刻。あはは、14:40からだと思い込んでいた会議14:30スタートでした。いつものボケであって、ヤンゴン時差ボケなどではありません。
4月1日、行きつけのクリニックで薬をもらう。飲み始めたのですが、よくなったと思うとたたちまち大食いするので、また調子悪くなり、仕事が始まっても不調が続きました。たちのよくないおなかの菌が居座ったかと心配しましたが、要は、なおったと思って食べてしまうからいけなかったんです。半月の不調の末、ようやくおなかも落ち着いてきました。腹痛ダイエットは、たちまちリバウンドです。
以上、春庭のミャンマー出張報告でした。ヤンゴン赴任は8月になります。
<おわり>