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ぽかぽか春庭「楽友会交響楽団定期コンサート in 錦糸町トリニティホール」

2024-09-03 00:00:01 | エッセイ、コラム

20240903
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記処暑(3)楽友会交響楽団定期コンサート in 錦糸町トリニティホール

 9月1日、ごひいきのアマチュアオーケストラのコンサートに出かけました。東京楽友協会交響楽団だい117回定期演奏会。毎年2回の定期コンサートに行けない時期もあったけれど、もう30年以上聞き続けています。

指揮:森口真司
・Y.S.バッハ/エルガー編曲 幻想曲とフーガ ハ短調 BWV 537
・マーラー  交響曲第6番 イ短調「悲劇的」
指揮:森口真司

 不安定な天候。錦糸町駅に出ると土砂降りでした。しかも北口に下りるべきを間違えて反対口に出てしまったので、遠回りをして交番にも聞いて開演5分前にたどり着く。
 
 バッハをエルガーが編曲した幻想曲とフーガ、8分の曲が終わるとすぐ20分の休憩。メインのマーラーは80分の大作です。打楽器が大編成。「ハンマー」という他の曲では見たこともない打楽器が使われ、舞台下手前に薄桃色の布地で覆った台が置いてあり、第4楽章のなかほどで、奏者は大きなハンマーを振り下ろして音を出しました。
 悲劇的という副題はマーラー自身がつけたかどうかは定かではないということでしたが、ハンマーで台をぶったたく、という打楽器指定はマーラー自身がしています。よっぽどだれかをぶったたきたかったのでしょうね。 

 グスタフ・マーラー(1860-1911)は40歳のとき美貌で作曲家でもあったアルマ・シントラーと知り合います。翌年3月に結婚。アルマは21歳。グスタフはアルマに作曲家として生きることを封じさせ、11月には長女が、04年にはが誕生しました。交響曲6番は、マーラーの生涯の幸福の絶頂期03~05年に作曲され、06年5月27日にエッセンでマーラー自身の指揮によって初演されました。ところが、長女はジフテリアにより病死、マーラー自身は心臓病を患うという悲劇に見舞われ、そのため6番には悲劇的という副題がつけられてきました。マーラーは51歳で敗血症により死去。

 第1楽章 アレグロ・エネルジーコ・マ・ノン・トロッポ
 第2楽章 アンダンテ・モデラート
 第3楽章 スケルツォ
 第4楽章 終曲 アレグロモデラート~アレグロエネルジーコ

 第2楽章は穏やかな美しいメロディですが、他は激しく強い曲調。マーラー6番を聞き終わると、駅までは傘をささずに歩けました。錦糸町駅前ビルのスーパーライフで買い物して帰宅。 
  
<つづく>
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ぽかぽか春庭「トット記念碑と昭和な揚げ物」

2024-09-01 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240901
ぽかぽか春日常茶飯事典>2024二十四節季日記処暑(1)トット記念碑と唱和な揚げ物

 世界的なベストセラーとなり、全世界で2500万部が読まれた「窓ぎわのトットちゃん」。発刊からあっというまに日本国内でもベストセラーになりましたから、ベストセラーとなったものを後追いで読むことをよしとしなかったへそ曲がりの私は、発行から数年遅れで読んだ記憶があります。

 昨年はアニメ版の映画が評判になったのですが、まだ見ていません。たまたま「プロジェクトX挑戦者たち」でトモエ学園がとりあげられたので、視聴。

 1937(昭和12)に小林宗作(1893年-1963 )が自由が丘に創立したトモエ学園。群馬県に生まれ高等小学校卒の代用教員から教育の道に入った小林宗作は、ヨーロッパで幼児教育を学び、リトミックを中心に幼稚園小学校の理想的な教育をめざしました。学校のようすは「トットちゃん」に描かれていますが、プロジェクトXは、理想の教育が受け入れられない小林の苦悩や、東京大空襲で校舎が全焼したあとの苦労などを描写していました。小林の死去により廃校。

 番組の終わりに、アニメ映画の公開にあわせたように自由が丘にトモエ学園の記念碑が、今のイオンモール(かってのピーコック)に建てられたことが紹介されていました。
 トモエ学園が自由が丘にあったことは知っていましたが、跡地がこんな駅の近くにあったとは知らず、娘とピーコックで買い物しても、かってここにトモエ学園がたっていたなんて気づきませんでした。

 所要があり自由が丘を訪れたおり、8月19日に記念碑を撮影しました。ものすごく暑い日でした。「用のない年よりは外に出るな」とニュースでもいっていた日でしたが、用があったので。



「私たちこの地に学び育まれた者は、ここに行われた教育が、時をこえて生き続けることを願い、恩師への敬愛と感謝の思いを込めて、この碑を建てる。/自由が丘学園/トモエ学園 同窓生 並びに 関係者一同」
 この学園で学んだ人々の思い、小林宗作の思いが感じられる碑でした。
 
 自由が丘駅周辺にさまざまな飲食店が軒を並べているし、イオンモールの中にもレストランがありましたが、しらかば通りの揚げ物定食屋「瀬戸」で「揚げ物三点セット」を注文。80代くらいのご夫婦が営むお店です。

 カウンターに椅子が6つだけ。12時の開店前から並んでいた3人組みは、二人連れが二組座ったあと、あとは二人分しか椅子がないと聞いて、あきらめていました。おかげで私とうしろのおっさんがすわれました。おっさんはコロッケ定食。三点セットは、揚げ物の中から三種を選びます。私はアジフライ、チキンカツとコロッケを選択。味噌汁つけもの、キャベツ。ご飯大もりにして1400円でした。御主人は「大もりの次にカマタもあるよ」と冗談を言う。私がカマタってなんですか、と初めて訪れた客らしく尋ねると、「アはは、大森の一つ手前の蒲田」と種明かし。大井町くらいにしようかとも思いましたが、揚げ物が3種くるのですから大森で。

 おかみさんは、お盆休みに水上と草津に出かけたことを久しぶりらしい二人連れに話しています。ビールのあての小鉢が草津みやげなどだという話。草津は自由が丘より人出が多くて、湯もみショウは長蛇の列だったという話をしていました。85歳というご主人は、もくもくと揚げ物をあげ続ける。注文を確認し、パン粉をつけていく。私の席はちょうどエアコン冷気が噴き出すところにあたっていたので、暑くはなかったけれど、揚なべの前の席に座った二人連れにはうちわが出されました。

 おかみさんの話によると、最近インターネットなどで「The昭和な店」と評判になり、若者が食べに来るようになったという。12時開店で、12時45分には最初に座った6人は会計をすませて、昼食修了。何度も店をのぞきに来ていたペアのうち女性は「広島の生もみじまんじゅう」というのをおかみさんに渡し、おかみさんはお返しに草津の名物を渡していました。男性だけが三点セットを注文。5種の揚げ物のなかから、男性はエビフライ、コロッケ、イカリングを選びました。女性は、6人で満席だった店がいつごろ空くかわからないから、食事は済ませてきたのですって。

 チェーン店やこじゃれたカフェは増えるけれど、こんな「昭和の店」もつぶれないで残っていてほしいな。揚げ物、カラリとした揚げ具合で、おいしかったです。

<つづく>
コメント (4)
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