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中国バックパック前に日本古代史(継体天皇)を訪ねて(その2)。

2015-04-09 17:30:16 | 旅行記

3月21日;筒城宮のあるJR片町線同志社前を2時半に乗らねば。

まずは長岡京にある継体天皇3度目の引っ越し先乙訓宮を訪ねます。

 8時前には出発、阪急高槻から西向日(むこう;読めませんでした)下車。

町のチェックしていると光明寺をヒットします。浄土宗総本山、法然上人はここで荼毘に付されたとなっています。我が家は浄土宗、両親のムナ仏は知恩院に収めています。これも縁とまずは向かいます。

駅前の住宅街を抜け川を渡って、光明寺への一本道、御山へ向かってゆるく上っています。       いよいよ入口

途中この方向が乙訓宮、千五百年前を想像するに、大王のいない大和へプレッシャーを掛けるには最適の位置取りかとそんな想像を巡らしては納得!

途中の花屋さんの梅は満開!お店には花苗!さすが内地  

そして光明寺境内です。   

朝早い?(9時)せいか御影堂一番乗り?ゆっくりと法然上人に対面  

阿弥陀堂

閉まっていましたが、誰もいないし・・・、そっと戸障子あけておじゃまします。

誰も居ないのを幸い?に・・・。 御影堂より入口を

光明寺本玄関庫裏

この地方の豪農?庇護者茂右ヱ門

袈裟かけの松荼毘壇?(勝手な思い込み)

忘れ物で戻ったりしながら、乙訓の宮長閑な一人旅

地図を読み込みながら・・・弘法大師ゆかり? 裏口でした。。

オオ!そうです!唐から帰朝し、大和に入ってしばらく槇尾山、そして嵯峨天皇になって呼び出されここ乙訓寺別当を命ぜられています。

図らずもまたまた大師御縁なのでしょうか?槇尾山~ここ乙訓~高尾山~東寺~高野山。。  

そして早良親王幽閉の寺

気になった仏頭天然記念物のモチノキ

乙訓の宮跡の石碑、探しても見当たりません!よってここに比定します。乙訓宮跡

オット、ここが正面入り口でした。

バス停あったのですが日中は運行していなかったような・・・。で歩け歩け!

位置的には過っての参道、門前町?ゆっくりと下って阪急長岡天神駅へ 

長岡天神駅から桂川越えた京阪淀へバス移動!運転手さんに訊くと、JR長岡京乗り換えだとか。。

駅前の下車時にバス停訊くと2番乗り場と、2番乗り場でなく1番の方、探し当てた時は1分遅れ?早く出ることはないかと、10分ほど待ちましたが・・・、次は1時間後!(阪急バスの運転手さん、疲れていたのか愛想なし!)。

1時間あれば歩いて行けるかと、歩け歩け!春のウォーキングです。

京都市に入ります。  

桂川

この狭隘を挟んで天下分け目、山崎の合戦でしょう、納得!

振り返って乙訓の宮方面

河内、大和方向!納得!!  

1時間ほどかけて京阪淀トウチャコ! 

ホームからJRA京都競馬場

電車から山崎を

樟葉駅と駅前  

正面こんもりした森の中です。標高は五、六十メートルといった所、尾根筋になっています。宮位置取り納得! 

交野神社境内です。     

1時近くになろうとしています。。駅へ途中のバス停に京田辺行が表示。来合わせたバスに乗りますがなんだか結構あっちゃこっちゃと寄ってくれます。これでは・・・、と、JR駅松井山手です!下車!1時41分同志社前行です! 

52分かにトウチャコ!30分かの電車に乗るには30分しかありません!  

ここ筒城の宮もやはり60メートルほどの丘です。位置取り納得ですが、600m10分で!歩いてはいられません、ここは駆け足!顎出してしまいます。

校門の守衛さんに筒城の宮跡訊ねます。すぐ向かいの丘の上!3宮目制覇!!   

それにしても素晴らしい同志社大学構内!環境良すぎ?・・・(落ち着かないかも?私だけ?)。    

下りは軽快に

木津川方面

この隘路が宇治川、近江につながっています。継体天皇の路です。

かくして、無事というか予定通り関空到着。

継体天皇三宮に立って千五百年前の攻防が形となって頭を駆け巡ります(これってなんなのか・・・、マ!イイカ!!)。

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