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13日目;「城市そのもの!」荊州城巡りと楚郢都を訪ねる。

2013-12-03 11:13:10 | 旅行記

10月24日(木) 今日は一日ここ荊州を歩きます。

ゆっくりしていいのですが、6時前には目覚めます。ベットに居ても勿体ない?なす事なして身だしなみ済ませ7時前には行動開始。。

その前にフロントでPC使えないかと訊くとフロント横のPCを使っていいと。で自宅にメール入れておきます。

ホテル前の様子、歩いて南門へ移動。

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荊州城には過って6箇所の城門?現在2箇所(大北門、東門)に清代城楼が残っています。ここ南門は城門遺構。城内はかなりの規模、早朝の城門には沢山の人達が。でもここは車は通行できないので賑やかですが、混雑はしていません。

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城門正面に関帝廟。

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広場は催事用テントに早朝?市民の交流の場。ダンス、太極拳、etc、そして早くから品物広げてる露天の人達。そのダンスで一組が際立っています、ユーチューブで。http://www.youtube.com/watch?v=eAd2IrNhmEg

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人々の足はバイクか電動自転車。自転車は少なくなっています。日常生活では、この城門は不便でしょうが・・・。甕構造がしっかりと残っています。

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お年よりが占い?ではありません、何もしていません、でも椅子は・・・。これをどう理解していいか迷います。いや、詮索は止めます。

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城門の様子が分かるかと。

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城壁のレンガはかなりの年代物。。でもこの穴は・・・。

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南門側お堀の様子。

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南門東側城壁。

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城外から南門を。魚売りの露天の様子を収めたくて。表示看板は魚の値段?量り売りですが・・・。内陸では魚は淡水魚(大概は生かして売っていますが)、でも川の様子を見ると・・・、私は川魚はあまり食べた経験ないし、小骨が多いので中国では食べません。

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城門前の様子。この地域ではレンコン畑が方々にあり、ここでも店先?に置いて売ってる?中国では流通が日本とは違い、生産者が直接消費地に持って来ての、ある意味対面販売です。

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丁度お腹も良い具合に減ってきたので、麺やさんへ。店先にトッピングの具が数種類、私は内臓の煮込みを指差します6元。なかなか美味!

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戻って城門の上へ、5元では半票はありません。写真のお城は何処の?

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両脇の出入口は公園のために開けたのでしょう。

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城楼の基壇。

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この石の意味が分かりません。

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太極拳、私達がやってるのと同じ?一瞬、降りて一緒にと思ったのですが、上がったばかりです。見終わって降りた時には解散していました。上手下手は関係なく、それぞれが楽しみます。

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上から見た南門城外。このバス?城門を通行できる?この通りにバスを通して行くという柔軟さ。この右のホテル、下は私が入った食堂とかで入口なんか無かったようですが・・・。左には天主堂もあったんです。

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城楼から一端降りて、西側城壁上を歩きます。

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角楼の内部構造?始めて見ます。

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城壁上から見えた高中(中学以上?)で行進の練習。行進曲かけてやってるのですが、中国でも新しい世代、それなりに消化している子もいるようでした。

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ここの城壁も外面はレンガですが内面は土手状態。このあたりは胸壁もありませんが、歩廊の敷きレンガは残っています。お堀側の緑地も整備されています。

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と、ここで胡弓音。ユーチューブで聴けます。http://www.youtube.com/watch?v=3Xt71xxAs5Y チャンと楽譜があるんですね。。

 

離れた所でおじさんも、衒うことも無く、ただ楽しんでる様子。

途中一度降りて廟?を過ぎた所で再度城壁に。南西隅の所。

そこで出合ったおじさんと孫、可愛くてしょうがないといった様子。持っていた白い恋人を「お孫さんへ」とおすそ分け。

西側城壁の様子とお堀の周りのよく手入れの行き届いた畑。このおおらかさこそ中国の人たちの姿かと。

   

胸壁のレンガの刻印1983年。ようやく文革のトラウマから抜け出し、内陸でも観光資源が見直されてきた時の記録といえるのでは。

 

西門の脇を降りていきます。

明代創建のこの城楼は清代乾隆53年(西暦1788年)の大水害時この門からの流入で大被害を受けたので、翌年規模を縮小、嵩上げして今日の姿になっていると言った事が記されています。

   

規模を小さくしてこの規模!自動車も通っていますがラッシュ時は・・・。

城楼に上がります。と、チケット売り場にこのレプリカ?子供だましですが、中国系の小説を読んでるといろんな武器が出てくるので、参考にとつい買ってしまいます20元。

     

 

西門城外の様子。すぐ下ではおじさん、今日の食材仕入れ・・・。この後ニワトリさんは絞められ、食材となるはず。

 

次は、この近くにある博物館へ、と、道端でオバーちゃんが作ってる布鞋を並べています。右下を孫の土産にと思ったのですが、少し小さい?左は気にいらない、値段は40元だとかで、少し・・・。いま少し後悔(向うにいるとつい、食事の金額と比べて値段を判断してしまいます)。

博物館隣の道観。

荊州博物館。ここは過っての楚の国、すぐ近くに都紀南城がありました。秦の計略に乗ってしまい、将軍白起によって破壊され、楚の国は逃れ都を商丘、寿春に移しますが、国としては滅びたようなものです。この時には、端午の節句で出てくる楚の廷臣屈原もいます。

以上の前知識を持って。

その都、紀南城に立ちたかったのですが、いまは農地で遺構が特定できない?目標が定められなくて断念。そこに右下の郢城という所に城郭の遺構が残ってる?と、それに紀南城は郢都とも表記されているので予定に入れています、ただし規模が違う。荊州駅から歩きの範囲?。

    

青銅器から鉄器への移行期、青銅器関係がかなり収集されています。

   

   

  

副葬品の漆器類や傭。

    

再現の墓室と発掘のミイラ。

  

博物館URLから転載。今は見やすく修正してる?

 

売店にあった篆刻用、印面3cm角?の鶏血石8600元(×16.5=141,900円)の値段が付いています。

漆芸品の一部。   

 

絹織物から刺繍品。   

 

11時過ぎには博物館出て、道順で大北門へ。過ってのメインストリート。ニワトリさん商品です、捌いてくれと頼むと・・・、ここで書くことではありません。。

木曜日のお昼時だからか、街は静か。

ここ大北門は城楼も備えた良い感じ。

  

振り返った町並み。

城門は城門で形を保ちながらも車を通して日常も利用しています。道は昔の攻防時のまま、まったく住んでる人は大変でしょう。

    

ここ北側のお堀は中州状を挟んでかなりな規模、

家屋も江南様式?です。 

でも使用方法が変われば、反応します。

城楼に上がってみようと思うのですが、誰もいません。案内乞うと、向かいからおばさん(誰も来ないんじゃー・・・)。財布には小銭が無く、100元札を出すと、「小さいのは」と、で財布見せて3元しかないと言うと、3元とって「入りな」と。

 

荊州城の経過が書かれています。レンガ造りになったのは北宋時代で清代に修復されながら現存に至るといった所かと。

整備した時は其れなりだったのでしょうが、維持管理をしていかない事には、劣化は急速に進みます。でも今の中国ではそこまで手が回らない?その一方で50年後を見据えた駅舎を作る。これをどう解釈するかで、将来の中国が見えてくる気もします。。

  

棟木には最後の修復年?道光18年(1839年アヘン戦争前年)

 

城内、メインストリート?と城外。ここ荊州の都市開発は沙市の方で行われてるようで、結果旧市街はある意味古い町並み?。

 

12時過ぎです、出ようとすると、若者が入ってきて、この柱の向うでお昼ね?起こさないようにソット失礼。。

ここも上からの甕城の遺構がよく見れます。

  

三国公園?の前からバスで一端ホテル近くへ、食事して郢城へ向かいます。食事は例のホテル前の食堂へ、看板にある水餃子半斤。写真がいつも食べる半斤の量、でもここのお店はサービスいい?それとも馴染みのおじいちゃんなのでオマケかな?5元(メモっています。

3時前に再びバスで駅へ。

駅の右手を地図片手に・・・、??。

バスターミナルも建設中?活気の無い現場です。コンクリートの工事はバケットで、40年前には同じようにやっていましたが。

新幹線線路ガードの向こうに目的地郢都遺跡があるはず。因みに中国では在来線、新幹線とも標準軌ですので、線路幅だけで言えば相互乗り入れは可能。よって在来線管制で運行している区間については普通車両も入ってくるようです。

 

さて城郭はこの辺かと、探していたところ、一段高い土手?沼状はレンコン畑。

  

ありました!郢城と判読できます。ヨカッタ・・・、といった感覚。

ブログ人引っ越しに伴ってGOO文字制限の為続きは”続編”http://blog.goo.ne.jp/haishi4706/e/984449f1d3dfe7b52e4b0c0d5b9fded2 で。

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