自由人の発信 おっさんの中国一人旅から国内旅。

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

2016中国一人旅 巩義の地に杜甫生家・墓さらに宋陵を訪ねる。その2

2016-12-01 14:32:16 | 旅行記

10月20日(木);12日目

 グーグルで河上鎮は百度地図では西村で掲載。中国では中国の地図で!

バス通り左手に町、班車行先の西村です。 

4人ほどいた中学生に永昌陵を尋ねると、ゆっくり下っている巩義方向にあるそう。  

このおじーさん変な言葉で・・・、で、“日本からだ” と言うと、皆 “???” パスポート見せると、“オオ!・・・”パスポート自体初めて目にした感じ。彼らに何らかの刺激になればと思います。

永昌陵の表示?・・・。  向かいは常封村入口。  

 

見えます永昌陵!ようやく訪ねあてたのですが・・・。  

宋王朝初代皇帝趙匡胤の陵墓?これが参拝路!  

陵墓を望みます。  この様に見えるはず。   

 

ここしか入って行く道はありません。   

石人、石馬は何を見てきたのでしょうか?

            

陵墓です。  振り返って参道。  国道なみ道路脇の大宋初代皇帝陵墓!

祭祀壇    なんとも言えず・・・。

陵墓すぐ脇にあった女性?像。   

陵墓すぐ脇からバス道路へ上がれます。  振り返って見た永昌陵。  

宋王朝初代皇帝趙匡胤   2代皇帝趙匡義  

戻りの班車停めて乗り込みます3.5元。時間は3時半がとこ。バスセンターには20分かで到着。

 

5時までの時間を近くの永昭陵横の博物館で、歩きます。 

博物館展示品。

商、周代石斧・青銅器    

戦国時代陶水管、他。    

漢代青銅器。      鉄製犂。 保温器   

展示品の中でピントの比較的いいもので。             

宋陵石刻品。      

石門石刻品。       

石窟寺旧蔵品。    

唐三彩他陶器。                          

博物館見学を流した後、隣の宋陵へ。

 

ここは5代英宗永厚陵ではなく、4代仁宗永昭陵です(当時はまだ気付いていません!)。

その永昭陵。     

宋の陵墓は参道から下って陵墓に入る!、一般的には登って参拝でしょうが、何か意味があるのでしょうか?。

ここの石人、石馬はお行儀よく。陵内は整備されゴミもなく、公園になっています。

         

閉門された陵墓入口では中年の人がサックスの練習、今日の終わりにぴったり。  

 

巩義の市内地図なら、永厚陵陪葬墓の楊延昭(六郎)墓を表示しているだろうという目論見は見事に外れ!この後、永厚陵とまだ思い込んでて、延昭墓をしばらく捜しましたが・・・。

よって期待した楊延昭(六郎)墓は何処にあるやら・・・。マ!こんなのに拘ってる日本人が可笑しい?。

 

そう言えば、今日も昼食はクッキー?、時間は5時半、ホテルはこの陵墓の裏、帰りの途中で少し早目の晩飯。

  冷菜(硬豆腐?)、チャーハン、ビール15元。

今日は疲れました!ホテルに帰ってメールして・・・。

kyoude yotei houmon owarimasita.asuha pekinni idou .asatteha 1jikani chitose.rennrakuha korede saigokamo.kakunin hensin negaimasu.

 

今の中国では、歴史に残してきた役割・事績で評価、保護されるのではなく、観光資源としての開発可能性か共産党プロパガンダ利用価値によってで、評価、保護されてるような印象を受けますが・・・。

西夏陵、唐乾陵、唐李広墓、諸葛亮祠、漢(茂陵・長陵)、衛青墓、霍去病墓、杜甫祠、宋(永昌陵・永熙陵・永昭陵)。

明日は鄭州経由新幹線で北京へ戻ります。

今日使ったお金;1+1+1+5+3.5+3.5+15=30元

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2016中国一人旅 巩義の地に... | トップ | 2016中国一人旅 巩義から鄭... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

旅行記」カテゴリの最新記事