10月20日(木);12日目
グーグルで河上鎮は百度地図では西村で掲載。中国では中国の地図で!
4人ほどいた中学生に永昌陵を尋ねると、ゆっくり下っている巩義方向にあるそう。
このおじーさん変な言葉で・・・、で、“日本からだ” と言うと、皆 “???” パスポート見せると、“オオ!・・・”パスポート自体初めて目にした感じ。彼らに何らかの刺激になればと思います。
石人、石馬は何を見てきたのでしょうか?
陵墓です。 振り返って参道。 国道なみ道路脇の大宋初代皇帝陵墓!
陵墓すぐ脇からバス道路へ上がれます。 振り返って見た永昌陵。
戻りの班車停めて乗り込みます3.5元。時間は3時半がとこ。バスセンターには20分かで到着。
博物館展示品。
博物館見学を流した後、隣の宋陵へ。
ここは5代英宗永厚陵ではなく、4代仁宗永昭陵です(当時はまだ気付いていません!)。
宋の陵墓は参道から下って陵墓に入る!、一般的には登って参拝でしょうが、何か意味があるのでしょうか?。
ここの石人、石馬はお行儀よく。陵内は整備されゴミもなく、公園になっています。
閉門された陵墓入口では中年の人がサックスの練習、今日の終わりにぴったり。
巩義の市内地図なら、永厚陵陪葬墓の楊延昭(六郎)墓を表示しているだろうという目論見は見事に外れ!この後、永厚陵とまだ思い込んでて、延昭墓をしばらく捜しましたが・・・。
よって期待した楊延昭(六郎)墓は何処にあるやら・・・。マ!こんなのに拘ってる日本人が可笑しい?。
そう言えば、今日も昼食はクッキー?、時間は5時半、ホテルはこの陵墓の裏、帰りの途中で少し早目の晩飯。
今日は疲れました!ホテルに帰ってメールして・・・。
kyoude yotei houmon owarimasita.asuha pekinni idou .asatteha 1jikani chitose.rennrakuha korede saigokamo.kakunin hensin negaimasu.
今の中国では、歴史に残してきた役割・事績で評価、保護されるのではなく、観光資源としての開発可能性か共産党プロパガンダ利用価値によってで、評価、保護されてるような印象を受けますが・・・。
西夏陵、唐乾陵、唐李広墓、諸葛亮祠、漢(茂陵・長陵)、衛青墓、霍去病墓、杜甫祠、宋(永昌陵・永熙陵・永昭陵)。
明日は鄭州経由新幹線で北京へ戻ります。
今日使ったお金;1+1+1+5+3.5+3.5+15=30元