3月22日(月)快晴;角倉家別宅の面影を残す関鳩楼で、ビュフェでない和朝食、いいものです。施設の性格からか外人さんは居ません、味わってほしいものですが・・・。
年に一度の兄弟の元気を実感、また来年の再会を約してそれぞれ散って行きますが、まずはJR嵯峨嵐山駅へ。
私は2つ目かの花園で下車。。
さて今日の一人旅、メインは名だたる竜安寺。
石庭!石庭!、禅の極意!世界遺産!わしもという気はないので、いまだ拝見していませんでした(庭見て悟る?気もしないので)。
が明石散人著「竜安寺石庭の謎」を古本ワゴンで偶然手にしました。俄然興味を持って(おかげで電車乗り間違え反対方向、厚別まで・・・)、これは是非現地確認して、建立者細川勝元の追体験をと、今回一人旅のメインに据えます(仁和寺は流れで・・・)。
大雲山竜安寺はすぐ近く臨済宗妙心寺を本山としているので、まずは妙心寺から。
三門 寺内は人もまばら、天気も良く、静かに雰囲気を味わいます。
方丈に見学受付、法堂、明智風呂は案内付有料拝観、十分後かの案内を受けて、みな思い思いに待機。
集まった10人ほどで、解錠された法堂の中へ、撮影ご遠慮ですが・・・。
天井の龍は将に八方睨み、そして堂内西から東へ移動していくに従って、劉は下り龍から上り龍へと。梵鐘は録音で!
続けて明知風呂、明智光秀、本能寺からこちらへ来て腹を・・・?、過ってのお風呂(サウナ?)の様子。
部屋の中に本物があったような気もしませんが・・・。この展示方法、違和感覚えますが・・・。
外国の方がお友達にガイドしていましたが、観覧料を徴収しての展示法としてはいかがか?(それともこれも禅の公案?)
同じく障子引手に刷り込まれたモミジ こちらに価値を感じましたが。。
聞き取りにくいのですが生です。https://www.youtube.com/watch?v=iSRKJGTiM84
塔所の謂れ 読むと遺言により設けなかったが、遠諱法要の記念に建立したそうですが・・・。
北門からすぐに竜安寺御陵道?そう、背後の山に五天皇御陵、予定しています。
竜安寺参道商店街。お昼です、どこかで・・・、手打ちうどんの旗です。
お店はお年の主人と同じ年配のおばーさん?、奥には息子さん?先客は年配の常連さん一人。
少しお腹にやさしい物でと、きつねうどん。
と、声がかかります”どちらから?””札幌です””元気ですね!”等々。
”俺に缶ビール””どうですか1杯!””いやー、頂きます””この唐揚げも少し”
こんなやり取り、出会いが好きです。。丁寧にお礼言って、なんだか気持ちは晴れ晴れ!
いくらも歩かないうちに竜安寺のようです。
「竜安寺石庭の謎」の受け売り。この地は代々徳大寺家の地所、室町時代管領細川勝元が自身の京都での根拠地(いざとなったら砦機能)として、三方を山、前面に水面のここを、十年近くを弄して譲り受け?取敢えず竜安寺として、師事していた臨済宗妙心寺住持、義天玄承の基に開いた寺。
現在の竜安寺は当時寺の東脇に勝元の別宅として構えた所が、幾多の変遷を経て現在の竜安寺として今に至る?。故に禅寺にないはずの細川勝元の墓もここにあると!
こんな具合に謎かけされると、確認しないことには・・・。
確かにお寺の規模にしては広大な敷地です。そして外人さん、外人さん!
鏡容池内の弁天島へ ここに過って三成の墓が?さらにも一つ幸村の墓??
まず謎その一、勅使門への階段が東へ振れている? そのような・・・。
みんな!石庭4つの謎を考えながら?(なかなか空きません!)。わたしはパス。。
そこに展示されてる一七九九刊行の「都林泉名勝図絵」 この絵では園内を人が散策?
西側広縁より石庭を この後方丈裏に蹲踞があるのですがこれはレプリカ、本物は別の所?
わざわざ山で使われる制度のいいコンパス持参。ところが何度、どこをチェックしてもこの庭はまさにコンパスで南、だとすると真北(北斗星)からの真南はもっと西に触れて、著者の絵っこと反対!
なんだこの本お遊び?フィクション?オイオイです!
ではこの石の配置の謎解きもお遊びですか!! マ、楽しんだからイイカ!でもここまで創作する!!。
そうなると石の配置は・・・、意外に適当に配置したのかも?勝元が舌出してアカンベ!。
続いて御陵見学。途中のハナカイドウ? 関係者以外は立入禁止。
続けて義天玄承、細川勝元・政元の墓はと・・・、オットここも関係者以外はです。
こちらが入口かと・・・。またまた関係者です。 手も足も出ない竜安寺でした、引き揚げ!。
さてまだ時間は2時前、今日は御室仁和寺まで回れます、歩いて15,6分です。
長くなり過ぎたのでこの後はその3で!