大井町の駅前のキュリアンで行われた。
参加者は、百四十名を超え、会場いっぱい。座る席もないほどだった。
朝、加藤先生と再度打ち合わせ。「対談」に臨む。
この評価はともかくとして、子供の句会も午後の大人の句会も楽しかった。
これは、取り仕切る人間のすごさだ。
夕刻の反省会では、現代俳句協会の安西幹事長と「学校俳句」への取り組みについて
突っ込んだ話をして、先への希望が見えた。
この会で最も学んだことは、
俳人の先生方の俳句解釈のすごさである。
たった17音の俳句の作品の描かれている情景を様々に豊かに示していく。
俳句は、創作する文学であるだけでなく、読む文学であることを知った。
俳句を創作するためだけでなく、豊かに読むためにも、卓越した想像力が必要なのだ。
この事を子どもの俳句に当てはめてみよう。
すると、俳句を「作る」と同時に「鑑賞」を大切にし、友だちの作品について、
お互いに語り合うということだ。
この事も、俳句指導の重要な一部分と位置づける必要があると痛感した。
実に有意義な一日だった。
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先生の熱意に触れて、子供達の伸びやかな学校生活が目に見えるようです。御苦労の多いお立場でいらっしゃると思いますが、子供達のためにお身体をおいといつつご尽力を下さいますよう、お願い申し上げます。
「俳句をやっていると、さみしいと感じた日はない。
たいくつだと感じた日はない。」
ということばがありました。これも、俳句のもつ力ですね。
小山先生とのコーナーでは、もう少し時間がほしかったというのが正直なところでした。これを機会に、俳句の音読を広めていきたいと思います。
午後の句会での、小山校長先生が思われたこと、全くの同感です。俳句を「読む」ことは、とてもすばらしい学習だと感じました。それから、わたし自身も、もっともっと俳句を詠まなくてはいけないと感じもしました。
本当に、本当に勉強になった充実した一日。小山先生、田付先生、金子先生、ありがとうございました。