今度引っ越しをすると言うこともあって、本を整理している。かなり人にあげたり、古本屋に売ったり、そしてきのうはこれだけ本をゴミ捨て場に運んだ。
これまでも何度となく本の整理はしている。本棚二つ分ぐらいあった教育関係の図書は、今は本棚の一段にも満たない。小説の類もほとんどなくなった。新書類もかなりの程度減らした。
本を捨てるのは断腸の思いだ。
それは、本が自分の生きた証拠のようなもののように思えるからだ。
読んだ本は捨てられない。
持っていてももう一度読むかどうかわかりはしないが、捨てるには忍びない。なんだか自分自身を切り刻んでいるような気がするのだ。
では、読んでいない本はどうか。買ったのに10年も20年も読まない本を今後読むとは思えないが、いざ、目の前にすると捨てられない。買ったときは読みたいと思ったのだ。その時の気持ちが蘇ってくる。
これを捨てるのは、自分の未来の可能性を捨てるようなものだと思えてしまうのだ。
しかし、それらに目をつぶって捨ててしまっても生きるのに困るわけでは全くない。
人間が動物と違うのは、過去と未来を認識出来るからだ。その具体的な表れがモノや本になるわけで、未練があるのは非常に人間的な所作だとも言えるかもしれない。今の自分に自信があれば、相対的に過去と未来の位置は小さくなるかもしれないが・・・
最終的には、辞典だけもっていればよいということになるのだろうけれど、なかなか難しいことだ。断・捨・離は、流行だが、それには、一瞬心をシャットダウンすることが必要なようだ。
いつの間にか、俳句の本屋詩歌の本が本棚の半分近くを占めるようになってきた。
知らないうちに生きる方向が変わってきたということだろう。まあいいや。