豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三つれづれ日記

2018年03月27日 07時41分13秒 | 日記
 ( Vol 2220 ) 公文書は なぜ管理されなければならないのか 原点に立ち返って 考える必要があるのではないか

財務省の公文書改ざんは 公文書の意義を軽視した 結果である


そのことは  公文書管理法が 提案された 福田内閣のときのことから 考えると 問題である


福田内閣のとき 公文書管理の法制化について 国会答弁では その意義について そのときの担当大臣 総理大臣は 熱弁をしている


公文書は 政府の活動や 歴史的な事実を正確に記録する

公文書は 準備から作成されるまでの期間のものを含めて 記録に残す

このことが 未来の国民に対して 様々な意思決定にどう取り組んできたのか等についての 記録をしっかり持っていただくということは 説明責任を将来に向けても果たすという意味で大変大事なことである 


という主旨のことを 国会で述べている

この中で 説明責任を将来に向けても果たす ということは 歴史的な検証が 詳細にわたって行えることができる 状況をつくる ということが必要である ということを言っている


公文書管理は 時の政権によって 隠蔽されたり 削除されて 歴史の検証ができないようなことが 起きてはならない

アメリカでは 大統領の文書 ツイッター Eメール など すべてが公文書として 残される ということまでして 公文書として定義し 永久に保管する という体制をとっている

そのことから アメリカのような公文書管理の体制をつくり 公文書については 独立した権限を持たせ 専門の管理官によって 厳重に管理保管されるべきではないか


そのくらいの 公文書に対する 重要性をもって 公文書の保管をしてもらいたい ものである



いまの 日本の公文書管理の法律は ざる法状態 といえるのではないか

後生の国民が 歴史的な検証が 可能となる文書を 公文書として残していく という意識を持って 公文書を作成してもらいたい

その選択 判断は 専門の公文書管理官の下で行われる くらいの重要なことである という 認識を持つ ことではないか


今回の 財務省の 公文書改ざんは その点において 基本的欠けている と言わざるをえない

未来の国民対する 責任を果たす という意識を持って やってもらいたいものである
















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豊前善三つれづれ日記

2018年03月27日 06時59分13秒 | 日記
 ( Vol 2219 ) 山での事故が相次いでいる これは自己管理の問題 自動車の運転と同じくらい 危険を意識した行動が必要である 


山も 自動車の運転も 自分の行動が 危険を招く という点では同じである


ちょっとしたミスが 大きな 事故を招く ということを 意識しなければならない


山に行くのは 自動車の運転と同じく 危険が潜んでいることを 考えなければならない


気軽に 山に登る その気持ちは理解できる

そこで 問題になるのが 欲望である

諦めきれない という欲望が 危険を招く

また 細心の注意が必要なのであるが 軽視されるケースがある

冬の八ヶ岳で起きた 滑落事故は 危険箇所での滑落 ということであるが

これも 慎重さが足りなかったことで生じたことだろうと思う

結果から いくらでも言えるのだが

問題は 自動車を運転するときは 慎重に 慎重に 事故を起こさないように 運転すると 同じように 山とつきあう必要がある


ここまできたのだから もっと上へ という 欲望 をどうコントロールするか


いつも ここでの対応が 分かれ目になる

自分の体調 自分の技量 にあった 行動ができるか


集団で行動すると 自分の気持ちをコントロールする力は 欲望に負けてしまうことが起きる


山は 危険 

というよりも 自動車を運転するのと同じ注意を払って 行動する ということではないか



うまく 自分の欲望をコントロールして 自分の技量にあった 行動をすれば 危険を回避できる

すべてが 自分の判断 が招いている


山は どれだけ 多くの人に 感動を与えてきたことか

そのことから考えても 山とうまくつきあうかを 考えた行動をとってもらいたいものである



気軽に行ける 山にも 自分の欲望から招く 危険は 潜んでいる


天候の変化 不注意な歩行による けが 体力の消耗 不十分な装備 無理な行動計画 などなど

いろいろな 要件が ある


山に 行くときは 自己管理を意識して 行動してもらいたい ものである



山と 良い関係を つくって 思い出に残る 行動をしてもらいたい


多くの人たちが 山から 多くの歓びと感動を 体験していることを忘れてはならない


歓びと感動を 体験する ためにも 自己管理を意識した 行動をとってもらいたい



そのことで 事故は回避できるのではないだろうか
 



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豊前善三つれづれ日記

2018年03月25日 12時23分16秒 | 日記
 ( Vol 2218 ) なぜ 安倍政権下で 過度な忖度が 行われるのか そこには 安倍政権 閣僚の ことあるごとに 語気を強めた パワーハラスメント があるからである

子供にもあるのだが 力の強いものが ことあるごとに 叱るように 語気を強めて言われたら

萎縮して 言っている相手に対して 過度な反応をした忖度をしてしまう

これは 子供に限らず 大人にも ある行動である

相手を気遣う という 行動は 決して 否定されるものではない

その別の表現として 忖度 という 表現がある

しかし 気遣いを 脅迫のような形となって 過度な状況になるようなことが 安倍政権下では 生じさせるような状況が つくられた

安倍総理 麻生財務相 の言動は その代表であろう

パワーハラスメント セクシャルハラスメント に関する法律が 国会で成立されたという 経緯を考えると 内閣自ら 法律に触れるような 行動に出ていること 意識しなければならないのではないか

財務省の文書改ざん について 最高責任者である 官僚の問題 とする 麻生財務相 の発言 は ハラスメントに対する 意識のなさを露呈するものである

過度な忖度が 招いた こととも言えるのではないか


なぜ 安倍政権下で 過度な忖度が 行われるのか

今一度 安倍総理 閣僚 自民党は 考え直す 必要があるのではないか


権力を振りかざした 語気の強い言い方で 相手を威嚇するような 言動が 関係機関において 過度な忖度 を生じさせた ということを自覚すべきである


報道 行政関係に対する 過度な忖度をさせるような 言動はやめるべきである


本来の対峙して お互いの力が発揮される 環境を再構築すべきではないか


行き過ぎた 言動が 招いたことを 安倍総理は 自民党は 反省してほしい


財務省の文書改ざんは 安倍総理が 麻生財務相が 招いたことである ことを自覚してほしい








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豊前善三つれづれ日記

2018年03月23日 08時44分16秒 | 日記
 ( Vol 2217 ) 安倍総理の 妻は言っていない という 答弁は 信用できない

安倍総理の 答弁は 本当のことを 言っていたのだろうか

財務省の 決裁文書改ざんの 発覚から いままでの 安倍総理の答弁は 嘘があった という 印象を受ける

そのことから 安倍総理の発言を みてみると

すべてを 信じるということはできない


なぜ そういうことになるのか


そこには 安倍総理の 国民に発信してきた 信頼してくれ という熱意 にある

安倍総理の熱弁に 国民は心を動かされ 信頼してきた

それが 財務省の文書改ざん が発覚して 安倍総理に対する 信頼 信用は 崩れてしまった

同時に 自民党に対しても 安倍内閣に対しても 信頼 信用は 崩れてしまった


いま 安倍総理 安部政権の閣僚が 嘘はいっていない と弁解しても 誰が信用するだろうか

それは 狼少年 と同じである


国民の信頼 信用 を得るには どうすればいいのか 考えてほしい 

まず すべてを 明らかにする 行動をすることではないか

安倍総理は 野党の要求に対して 受け入れる 姿勢を示し まな板の鯉 になる覚悟が必要なのではないか










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豊前善三つれづれ日記

2018年03月22日 23時36分15秒 | 日記
 ( Vol 2216 ) 自民党池田衆議院議員の 記者会見の答弁は 屁理屈 に映る


自民党文部科学部会長代理の池田佳隆衆院議員は 文科省への照会についての記者会見で

今回問題となった授業が法令に準拠したものだったか 
地元から懸念があれば国に届けることは 当然 大切な仕事と考えた
その信念に従って問い合わせをした

という弁明をしていたが 

この文言の中の 地元から という言葉が 引っ掛かる

地元から という言葉を 使えば 何でも 肯定できる という考え

これは 非常に危険である

行動したのは 言われたからというより 自分が 前川氏の授業に対して 異議を思ったからではないか


自分の考えであっても 地元から 市民から という言葉に置き換えれば 正当な行動であるかのように 論ずることができる

ここに 落し穴がある


軽く聞いていれば 肯定してしまうが

深く読めば 詭弁のように 映る

自分の行動を 正当化するための 詭弁に映る

いま 自民党議員の 傲慢な行動が問題になっている 状況下で いかに 圧力ではないかを表現しなければならない 

そんな 自民党の背景があって 一方的な形での 釈明をしたのではないか


このような 屁理屈ともとれる 論じ方でいいのだろうか

国民を愚弄している

傲慢な態度の パフォーマンスはいい加減にしてほしいものである

文科省へ 直接 問い合わせた 行為は 時期を考えると 非常に不自然である

圧力をかけるような 行動は慎むべきである



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