豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三つれづれ日記

2017年10月04日 19時25分13秒 | 日記
 ( Vol 2090 ) 東京電力柏崎刈羽原子力発電所の 新基準適合 判断の基準は 政治的な意味合いが強い のではないか



東電は 

地震の最大の揺れを1209ガル(ガルは加速度の単位)

津波の高さを海抜8.3メートル

と設計上想定する安全対策を取った

しかし この根拠は どこからだしてきたのか


先の 南海トラフに関する地震予知に対して 

地震の発生時期や場所・規模を 角度高く予測する科学的に確立した手法はない

と 南海トラフ沿いの大規模地震の予測可能性に関する調査部会 は示した


このことを受けて 考えると 判定基準に疑問を抱く


設計想定を超えた場合 福島原発事故に対する考え方における 想定外だった という見解もでてくるのではないか



柏崎刈羽原子力発電所の原子炉は  福島原子力事故の福島第1原発と同じ沸騰水型原子炉 である

いまだ 福島原子力事故の解明は できていない というのが現状である 


どのような対策が 万全なのか 断定できないのではないか


東電は
 
事故時に放射性物質を除去して空気を逃がすことができる「フィルター付きベント(排気)装置」予備の循環冷却システムを新設する

という説明をしているが どこまでその安全性はあるのか

あくまでも 机上の安全ではないか



原子力発電施設に対する 真の安全対策が 解明されていない中


なぜ 原子力規制委員会 は新規性基準に適合している と決定したのか


ここには 政治的な 判断が なされたのではないか と疑問を抱く


このような決定をすることから 原子力規制委員会は 真の独立性を 確立する必要があるのではないか


良いものでも 危険性があれば NO という勇気を持つのが 原子力規制委員会 の役割ではないか

御用 原子力規制委員会 では困る


安全対策への 疑問が払拭されない現状において 

関係自治体は 住民の生活環境の安全を第一に 考えて 判断をするべきではないか


いまや 原子力発電は 公害であるという意識を もつことではないか 


産業 経済優先の中 どれだけ 環境破壊を黙認してきたか その罪を思い返してほしいものである

水銀による 水俣病 などが その良い事例である


まず 電力供給の安定のためという 大儀は 外して考えるべきではないか


生活環境の破壊をさせない ということを 重視した考え方をもって 判断してもらいたいものである


原子力規制委員会は 東京電力に対して

安全を最優先に原子力事業に取り組む

と確約させた というが 信頼できるのだろうか


田中委員長は 東電の安全文化には疑義が残る部分もある

と話している ことからも 確約は本当に効果があるのだろうか 

東電の取り組みを担保できる

という見解であるが 疑問を抱く


原子力規制委員会は 東電の経営方針を 指導 監督する といっているが 厳正にできるのだろうか 疑問である



関係自治体の首長は

生活環境を破壊させない という 意思を持って 住民の生活環境を守るということを 最重要視して 考えてもらいたい

けっして 経済最優先の論理で 生活環境の安全を軽視した 判断行動は するべきではない
  
 





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