豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2014年05月30日 10時05分49秒 | 日記
 ( Vol 1080 ) 原発と原水爆と 違いはないのではないか 被爆すれば大変なことになる

形 使用方法は違うが 本質的なものは 同じではないか

核兵器となり得るもの としての認識がある

原子力の 平和利用として 兵器を転用

だが 原子力の持つ 危険性に対しては なおざりにしてきた

危険性を 無視して 原発の利用を 経済発展の道具としてきた

しかし その便法も 戦争の産物の転用を図る方法として とられたもの


原子力の平和利用は 詭弁に過ぎない


電力の補強としての 原子力は 時期尚早であったにもかかわらず 推し進めてきた

その結果が 世界で 原発事故が発生するたびに 放射能汚染問題が生じ 解決することができない 状態が 続いている


今一度 原発は 原水爆と変わりない ということを 認識するときではないか

原発の持つ危険性を どう認識しているのか

自動車事故とは違う タンカー事故とは違う

原発が事故を 起こすということは 原水爆の兵器を使用したことと同じ問題被害が生じる

広島 長崎の被害を 忘れてはならない


本当に 原発は稼働して 原水爆兵器のような悲劇を生じさせないことができるのか

原発に関わっている 政府 議員 電力会社 社員 学者 製造会社 社員 たちは 事故を起こしたときの多大なる被害の 責任を認識しているのだろうか 

ただただ 経済的利益のみを 重視して いるだけで 責任を認識していないのではないか

被害の重大さ 廃棄物の処理 汚染物質の処理といった 課題をなおざりにした 行動は言語道断である


今なお 福島原発事故による 放射性物質の放出により生じた汚染物質の処分不方法は 確立されていない

その処置は 場当たり的で 解決を未来へと 先送りにしている

責任の先送りを 続けて良いのだろうか

責任を先送りにするのではなく

いま 責任をとる行動を してほしいものである

いまだ 処理ができない 原発のシステムは 欠陥である

原発稼働だけが システムではない

原発稼働によって生じる もの すべてを含めたシステムこそ 真の原発システムである

その考え方が 欠落した 原発推進は 無責任すぎる

また 原発の製造も 無責任すぎる


このような無責任が まかり通る 政治は 間違っているのではないか


国民に責任の とれる 行動をとてもらいたい


原発は 原水爆という兵器と なんら変わらないことを 認識してほしいものである






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