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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 763 週間リポート 阪神タイガース

2022年10月26日 | 1977 年 



" カ~ケ~フ " コール再び
阪神ファンのアイドル、掛布くんが再びファンの前に帰って来た。左手首死球禍から2ヵ月あまり経った5月23日、掛布選手は大阪・福島の大阪厚生年金病院で黒津清明医師の最終検査を受け、「完治」の診断を貰った。ようやく出たゴーサインに掛布選手はホッとしている。実は既に二軍のウエスタンリーグ戦に出場しており、打撃・守備ともに問題は無かったがお墨付きを得たことで一軍復帰も見えてきた。「既に練習で筋肉を使っていたので多少の痛みがあるようだが、これは骨とは関係ない。死球の後遺症は大丈夫(黒津医師)」との言葉に掛布選手は何度も頭を下げて病院をあとにした。

まったく長い2ヶ月弱の休養だった。プロ入り4年目だが怪我による欠場は二・三度あるがこんなに長いのは初体験。「とにかく早く治ってくれとそればかり祈ってました。また野球が出来るようになって良かったです(掛布)」と。翌日の24日には早速ウエスタンリーグのクラウン戦に代打で出場した。戦列復帰に急ピッチで、27日の対巨人戦(甲子園)に晴れて先発で復帰を果たした。4月中旬から途絶えていたカケフコールが甲子園球場に戻って来た。「本当に長い2ヶ月でした。野球が出来ないのはツラかった。ペナントレースはまだまだ先は長いし、これまでの分を取り返しますよ。暑い夏場は好きだし頑張ります」と笑顔が戻り元気ハツラツの掛布選手だ。


あと一歩でまたまたカクッ!
よくよく記録とは縁が無いのか…と首を傾げるのは上田次朗投手。いつも " いい線 " までは行くのだがあと一歩で記録達成とはならないのだ。5月31日の対広島6回戦(広島)もそうだった。上田投手は1回裏に3四球と犠飛で無安打で1点を失ったが、その後は安打を許さず8回裏も広島打線を抑えた。このまま9回裏も抑えればノーヒットノーランならぬ「ノーヒットワンラン」という珍記録を達成できたのだが、ライトル選手に中前打されてしまった。ノーヒットワンランは昭和14年の阪急対南海戦、金鯱対イーグルス戦、昭和34年の阪神対巨人戦、昭和39年の近鉄対南海戦の四度しかない珍記録だ。

実は上田投手は5年前の昭和47年7月1日の巨人戦(甲子園)で9回表二死まで無安打だったが長嶋選手に中前打され大記録を逃した過去がある。この時に悔しがる上田投手に長嶋選手が「まあ、まあ」と慰めたシーンは語り草となっている。それにしても上田投手は " あと一息 " に弱い。「ノーヒットだったのは知っていました。リードが1点だったので一発を打たれないように慎重になり過ぎました。まぁ勝てたので良しと考えるようにしました。正直言えば一度くらい記録を達成したいですね」と上田投手は本音を吐露する。「三度目の正直」か「二度あることは三度ある」なのか、今後の上田投手から目が離せない。


あれがトラ?いやネコだろ?
6月初旬まで何とか2位で踏ん張っていた阪神だが、遂にガタガタと崩れて4位に転落した。掛布、佐野、片岡らが戦列復帰したが今度は田淵選手が左ヒジ痛でダウンし6月12日の中日戦から先発を外れベンチ入りだけの状態となった。主砲の離脱でチーム内のムードは益々暗くなりそうでドロ沼状態はしばらく続く雲行きだ。田淵選手の欠場でこれまで以上に吉田監督の期待が大きくなる掛布選手だが怪我からの復帰直後は4割近い打率をキープしていたが、久しぶりの試合出場で疲れが出たのか最近は調子が下降気味。10日のヤクルト戦から14打席無安打で打率を3分以上落とした。

セ・リーグの首位打者争いは目下、若松・大杉選手(ヤクルト)、柳田選手(巨人)、田代選手(大洋)ら。6月17日現在、トップは若松選手の打率 359 だから掛布選手が再び調子を取り戻せばタイトル獲得のチャンスは生まれる。「首位打者なんて考えたことも無いっス。特に今年は怪我で長く休んでチームに迷惑をかけたしボクには資格はありませんよ。タイトルより休んでチームの勝利に貢献出来なかった分を何とか取り返したいです」と掛布選手。優勝争いから一歩も二歩も後退した阪神にあってファンにとって楽しみは掛布選手の首位打者とブリーデン選手の本塁打王の誕生であろう。

投手陣でも被本塁打病が上田次・江本・古沢投手ら主力級に伝染している。最も酷かったのが6月14日の対ヤクルト11回戦に先発した古沢投手。初回にロジャー選手、2回に大杉選手、3回と5回にマニエル選手に打たれ前半だけで4発被弾した。この日の静岡・草薙球場は左から右へ10m の強風が吹き投手にとって災難だったが、それはヤクルトの投手も同じ条件で言い訳にはならない。「風が強いのは分かっておった。速球で抑えられると思ったんやけどワシの失敗やった。風はホンマに怖いわ」と降板後の古沢投手は反省しきり。この日の古沢投手は一本調子で強風を計算に入れた投球には見えず、エースと呼ばれる男にしては少々甘かった。

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