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買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 903 突然の解任劇 ②

2025年07月02日 | 1977 年 



8日間もの熟慮の末に出た爆弾発言
それは驚くべき発言だった。これまでにも過去に複数の球団で内部抗争はあったが、今回の南海のように公式の場で堂々と相手の氏名を挙げて不満をぶちまけたという例は見当たらない。それも一時的な感情の高まりによる衝動的な発言ではなく、何日も熟慮の末の発言でありそれを聞いた相手側の驚きは大きい。球団から解任を通告された野村監督は外部との接触を一切絶ち豊中市刀根山の自宅に8日間籠った。昭和52年10月5日、大阪北区のロイヤルホテル「桐の間」で記者会見を開いた。シャンデリアが輝き金屏風を背にマイク9本、テレビカメラ10台、記者70人、カメラマン30人が詰めかけて会見場は異様な雰囲気を呈した。

「この一週間、私なりに色々と考えてまいりましたが、私は鶴岡元老にぶっ飛ばされたと思っています。スポーツの世界に政治があるとは思ってもいませんでした。鶴岡政権の圧力の前に私はぶっ飛んだわけでございます」といきなりの爆弾発言で始まった記者会見だったが、その後の記者との一問一答でも衝撃の告白が続発した。解任の経緯や裏で工作した人物の名前など積もりに積もった鬱憤を一気に吐き出した。プライベートな女性問題にも触れて「すべては彼女というきっかけでつけ入れられた」と愛人関係にあった女性が選手起用に介入した事実はないと否定し、川勝オーナーをはじめ球団トップグループの無能さに怒りをぶつけた。


野村発言の要旨
女性問題について「色々と言われているがこれはプライバシーのことであり公私混同と取りざたされているが針小棒大にされている。特に彼女が采配に口を出したとかコーチ会議に出席して意見を述べたとかは全くのデマである。彼女自身は野球に関して無知で、そこまで非常識な人間ではない。また私もそんなことは絶対に許したりしない」と全面否定。「こうした在りもしないことが週刊誌に出たのは陰謀としか考えられない。私に成りすました人間が選手の奥さんに電話をかけて怒鳴りつけた事実を確認している。まるでスパイ映画のようなことが裏で展開されてた」と球団側による陰謀説を展開した。

自らの去就について野村監督は「シーズン中の早い段階で嫌な予感はしていたし、第三者からも " 危ないよ " と忠告をされていた。しかし自分としては一度くらい球団から呼び出しがあって然るべきだと思っていた。こちらから求めても会ってもらえなかった」と球団側と話し合いたかった胸の内を吐露した。9月27日に森本球団代表から会談を提案されたがそれを断った件については「25日付けのスポーツ紙を見て一方的に解任されることを知った。翌々日に会いたいと言ってきたが遠征先から大阪に戻ってみたら会談後に解任を正式発表する道筋が既に決まっており会っても仕方ないと判断して断った」


謝罪しないという野村第二次告発が?
当然、この野村発言は関係者に波紋を広げた。名前を挙げられた鶴岡一人氏は「とんでもない話や。なんで俺が野村の足を引っ張らなきゃならんのや。人事権も無いのに」と立腹し、一時は謝罪を求めるなど態度を硬化させたが時間が経つにつれ「関わるのもアホらしい」と自ら動くことはやめて球団に善処を求め現在は静観している。球団側は野村発言に対して事実無根の内容として訓告文書を送ることになり、特に鶴岡氏に謝罪するよう要求した。「野村君は現在も南海の支配下選手であり球団命令として訓告した」と森本代表は対決姿勢を露わにしたが野村監督は「発言内容は舌足らずの部分もあったが鶴岡氏が動いたのは確認したし謝るつもりはない」と反発した。

記者会見の日と時を同じくして某週刊誌に手記を載せた野村監督。またテレビに出演してファンに別れの挨拶も検討しているという。まだまだ野村監督の逆襲は始まったばかりだ。問題は南海と野村監督との間だけに納まらない。永年の功労に対して岡野パ・リーグ会長がコミッショナー表彰をするよう連盟に進言していたが、この問題の発覚を受けて取り下げられた。「とにかく野村といえば長嶋や王と並ぶ日本プロ野球界の宝。プロを目指す若者の目標でありシンボルであった。それが今回の騒動で大きくイメージダウンした。女性トラブルは勿論だが大恩ある鶴岡氏を陰謀の主役のように公言したことが拙かった」というのが球界関係者の代表的意見だ。




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