Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 826 土橋正幸

2024年01月10日 | 1977 年 



無四球試合
無四球試合の記録保持者は73試合の小山正明投手。土橋投手は第3位だが、1試合平均の四死球は小山投手の「2.00 個」より少ない「1.40 個」である。生涯134完投だから、2.9完投に一度の割りで無四球試合をやったことになる。昭和34年のシーズンでは6月28日から7月16日にかけて54回 1/3 連続無四球で、白木義一郎投手(セネタース)の74回のパ・リーグ記録更新も視界に入った。ところが7月18日の近鉄戦7回一死二塁の場面でベンチから敬遠策を命じられた為に記録は潰えた。翌々年の昭和36年7月には56回連続無四球を続けたが8月26日の南海戦の初回先頭打者に四球を与え、またも記録更新を逃した。

テンポの速い江戸っ子投法
だが東京・浅草育ちの江戸っ子である土橋投手はそんな記録はどこ吹く風とばかり残念がる素振りは見せなかった。江戸っ子気質で気が短いというわけではないだろうが、投球間隔は短くテンポよく投げ込んだ。しかも制球力も抜群で土橋投手が投げる試合は実にスピーディーに進んだ。昭和36年度のパ・リーグの平均試合時間は2時間22分。ところが土橋投手が完投した試合は平均2時間13分だった。またこの年の年間無四球試合「10」は未だに破られていないパ・リーグ記録だ。加えてこの年は30勝・防御率1.90 とタイトルを獲得してもおかしくなかったが、稲尾投手(西鉄)が、42勝・防御率 1.69 と好成績を残したのが土橋投手には不運だった。

不運のフォークボール
昭和40年は肩を痛めて4勝10敗と不振だったが、翌41年は5月から6月にかけオール完投で6勝するなど鮮やかに蘇り、オールスター戦にも監督推薦で選ばれた。6月24日の近鉄戦は延長11回を1人で投げ切り無四球完投。7月14日の近鉄戦に先発した土橋投手は5回二死まで2失点。味方が初回5点、2回3点と援護し8対2とリードし、あとワンアウト取れば7勝目の権利を得られた。ところがここでアクシデントが起きた。5回二死二・三塁、土井選手をボールカウント2ー1と追い込んだ場面でフォークボールを投げた際に右肩に激痛が走り降板を余儀なくされた。全治3ヶ月と診断されたが二度と勝利を手にすることなく引退に追い込まれた。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« # 825 謹賀新年 | トップ | # 827 権藤正利 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

1977 年 」カテゴリの最新記事