Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#293 1982年・ドラフト会議 ②

2013年10月23日 | 1982 年 
「お父さん、お母さんゴメンなさい。僕が軽率でした」目を真っ赤に腫らした畠山投手は両親の前で手をついた。甲子園で日本一に登りつめた優勝投手の雄姿はそこには無かった。ドラフト会議当日、南海の単独1位指名を受けて「バッチリ予想通りでした。香川さんとバッテリーを組んでみたい。2~3年後には2桁勝利を狙います」と念願のプロ入りが叶った嬉しさの余り我を忘れて早々とプロ入りを宣言してしまった。だが両親の許しを得ていない段階でのプロ入り宣言は無分別すぎた。ドラフト会議後初の週末に阿波池田駅から土讃線に乗って意気揚々と徳島県小松島の実家に帰った畠山を待っていたのは祝福ではなく両親からの厳しい叱責だった。

「ドラフト会議後にお前は何を言ったのか分かっているのか?周囲と相談もせず勝手にプロ入りを宣言するとは一体どういうつもりなんだ。もしもプロ入りしないとなったら南海球団にも迷惑がかかる事を考えなかったのか?」普段から躾に厳しい父・匠さんだけでなく、いつもは自分を庇ってくれる母・ツミ子さんも「お母さんが前々から大学進学を勧めているのは今回のように世間知らずのまま世の中に出てはお前の為にならないと考えたからですよ。お母さんはお前をいい加減な事を口走るような子に育てたつもりはありません」「なぜ池田高校の普通科に進学させたかは分かっているでしょ?今の世の中は大学を出てこそ一人前。すぐに社会に出すつもりならわざわざ遠くの池田高校へ進学させません」と父同様に叱った。

卒業後の進路について両親とは何度も話し合い、例え希望するセ・リーグ球団から指名されても即答はしないと約束していた。しかし勉強が苦手な畠山にしてみれば「いざプロから指名されれば両親も大学進学を諦めてプロ入りを許してくれるだろう」とタカをくくっていた。「今のお前のような甘い考え方しか出来ない人間がプロへ行っても成功する筈がない」と父に断言され畠山の目はみるみる涙で溢れた。結局、畠山のプロ入りは白紙に戻った。ドラフト会議直後に穴吹新監督自ら池田高校へ出向き指名の挨拶を済ませた南海は経緯を静観していたが現状は「まな板の上の鯉」だ。「一縷の望みは畠山投手の『プロに行きたい』という気持ち。畠山家の前にテントを張ってでも食らいつきます」と内海スカウトも必死だ。

8千5百万円!というプロ野球史上最高の契約金を要求しようとしているのが野口投手(立大)だ。と言っても本人が口にしているのではなく山本監督(立大)が「引退後も借金なしで生活できるくらいのものを確保する事がプロ入りの条件。手取りで5千万円は必要」と語った事から税込み8千5百万円という額となったわけ。これに対して西武は「出来るだけ意向に沿いたい」と太っ腹な対応を見せている。もしこれが実現すれば原の8千万円を超える最高額となる。

同じ大学組の木戸・西田・田中の法大トリオで最も好待遇を受けているのが木戸捕手だ。熱烈な逆指名が功を奏して阪神の1位指名をゲット。ドラフト会議翌日に挨拶に訪れた田丸スカウトから背番号の提示を受けるなど相思相愛ぶりを披露し気分は既に阪神の一員だ。西田外野手も「希望するセ・リーグで文句なし」と広島カープ入りに支障は無さそうだ。ただ一人複雑な表情を見せたのが田中投手。「日ハムに悪い印象は無いですけどセ・リーグ希望だったから…」と今ひとつスッキリしない。しかし日ハムも小島球団代表が直々に交渉に出向くなどの熱意で口説く予定だ。契約金などの増額で「誠意」を見せれば入団の可能性は高い。

今ドラフトで異色な存在なのが中日3位指名の市村則紀投手(電電関東)。ドラフト指名選手中史上最高年齢30歳の「ベテラン投手」で、30歳と言えばプロ野球では中堅クラスだが社会人野球では業務に専念させる年齢の「肩たたき」世代だ。茨城・石下高校から東洋大へ進学するも同学年に松沼兄(現西武)がエースとして君臨していた為に目立たない4年間を過ごし、電電関東に就職後も主戦投手は田中幸雄(現日ハム)で市村はここでも2~3番手投手。田中投手のプロ入りでようやく陽の目を見てプロのスカウトの目に留まるようになった。

169cm・73kg の小兵。奥さんと2人の子供がいて安定した会社員の身分を捨ててまでしてのプロ入りはリスクが大きい。しかし本人は「ここまで続けた野球をトコトンやってみたい。プロへの憧れもあるしカミさんを説得してみます」と中日入りに意欲的。指名した中日側は「確かにこの年齢でのプロ入りは冒険だと思うけど本人の『是非ともプロで投げてみたい』という意欲に賭けた。年齢の割に肩は使い減りしてなく即戦力と考えてます(田村スカウト部長)」と期待は大きい。一方の会社側は昨年の田中投手に続き2年連続で主戦投手のプロ入りに難色を示してはいるが基本的に「本人の意思を尊重する」としている為、30歳の子連れルーキー誕生の日は近い。













コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« #292 1982年・ドラフト会議 ① | トップ | #294 銭闘開始 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

1982 年 」カテゴリの最新記事