Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 827 権藤正利

2024年01月17日 | 1977 年 



足かけ3年・28連敗
昭和28年に洋松(現大洋)に入団すると早速15勝して新人王になったが、21年間続いた現役生活でこの年が自己最多勝利。3年目の昭和30年7月9日から同32年6月2日にかけて28連敗を喫して一躍有名になった。昭和30年のシーズンを8連敗で終えると翌年も出ると負けを繰り返して6月10日まで10連敗をし、従来の記録であった林直明投手(大洋)の18連敗に並んだ。何とか勝たせてやりたい首脳陣は1週間後の6月17日の国鉄戦で4回まで5対1とリードした場面で権藤投手をリリーフに起用した。ところがたちまち3ラン本塁打を浴び1点差に。7回二死満塁で押し出し死球と牽制悪送球などで3失点で19連敗の新記録となった。

こうしてその後も負け続けて28連敗。ようやく昭和32年7月7日の巨人戦に完封勝ちして連敗に終止符を打った。連敗を止めたのが巨人戦だったが、それまで権藤投手の対巨人戦は通算4勝19敗(勝率1割7分4厘)と最も苦手としていた対戦相手だっただけに連敗は続くと思っていたチーム関係者はよくぞ勝てたもんだと驚いた。苦手としていた巨人に勝ったことが自信となったかどうかは分からないが、これ以降の巨人戦は16勝23敗(勝率4割1分)と健闘した。


光る昭和42年の防御率1位
28連敗以外にも権藤投手は通算69暴投、ゲーム4死球(昭和32年9月17日・阪神戦)、1イニング5四球(昭和29年9月29日・阪神戦)、連続4四球(同阪神戦)とワースト記録続出で話題となった。また昭和30年6月18日の巨人戦で敬遠の投球をした時に、権藤投手が投げる前に目時捕手がキャッチャーズボックスから足を出してしまい権藤投手にボークが宣告されるというプロ野球史上唯一の珍記録も残してしまった。だがそんな権藤投手が胸を張って誇れるのが昭和42年の防御率1位である。

だがこれも自らの好投や野手陣の攻守で失点を防いだものではなく、エラーにより自責点にならなかったというものだった。阪神に移籍後の6月5日の古巣大洋戦は失点2・自責点0、7月18日の広島戦は失点6・自責点3、10月1日の中日戦は失点4・自責点1だった。そして10月14日のヤクルト戦に先発して6回 1/3 を投げたところで規定投球回数に達し退いた。結局、失点35・自責点21で防御率 1.40 でタイトルを獲得した。この年は苦手だった巨人相手に34回 2/3 投げて失点・自責点ともに4に抑え、防御率 1.03 と好投した。


実働21年は投手の最長年数
現役最後のシーズンとなった昭和48年にも巨人戦は7回 2/3 を投げ、自責点2で防御率.2.25 だった。特筆すべきはこの年の三冠王になった王選手と四度対戦し、中飛・中飛・三ゴロ・左飛とピタリと抑えたこと。燃え尽きる力を振り絞って投げた結果というべきか。こうして現役21年間に投げた試合は719試合。実働年数は小山正明投手(阪神➡ロッテ➡大洋)と並ぶ投手の最長年数である。また719試合登板は金田正一投手(国鉄➡巨人)の944試合、梶本隆夫投手(阪急)の867試合に次ぐ左腕投手歴代No,3である。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« # 826 土橋正幸 | トップ | # 828 城之内邦雄 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

1977 年 」カテゴリの最新記事