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Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 867 本拠地移転決定

2024年10月23日 | 1977 年 



「ホエールズ横浜へ移転表明」…川崎市民の反対署名運動も効果なく、大洋球団は横浜移転を決定した。

54万人の反対署名むなしく
大洋ホエールズの横浜移転が本決まりになった。8月2日、大洋球団の横田球団社長が伊藤川崎市長に「前オーナー(謙吉氏)の遺志を継いで横浜市に本拠地を移すことを決めました」と通告した。伊藤市長は移転反対運動の先頭に立っていたのでガッカリした表情のままだった。「川崎市民の心と企業の論理の違いを冷酷無残に見せつけられた思いだ」と市民感情を代弁した。川崎市民はホエールズが横浜に出来る新球場に移転する話を聞いて、なんと54万人もの反対署名を集めた。川崎市民は103万人。その半数を超える人数を巻き込んだのだから凄い。大洋球団は移転通告する機会を幾度か先送りし市民に淡い期待を持たせたが結局、本拠地移転を表明した。

横田社長は球団も企業であるから営業成績を第一義に考えなくてはと語った。川崎に本拠地を置いて以来、22年間ついに儲からない川崎を出て横浜に行くのだという。横浜に移ることは早くから予測されていた。昨秋、西武グループの国土計画が横浜スタジアム建設を発表した際、建設費用の一部を賄うとして一口250万円の指定席を売るにあたって「巨人戦が観戦できます。向こう45年間に渡りセ・リーグの試合を観戦できます」とPRすると250万円×800口が瞬く間に売れた。その時点で大洋球団の横浜移転は決まっていた筈である。そうでなければ計20億円分の詐欺行為になってしまう恐れがあるからだ。

反対運動の中心は川崎市と労働組合だった。「プロ野球が無くなったら川崎には健全な娯楽が無くなってしまう。競輪と競馬の街になってしまう」なにも競輪や競馬が不健全娯楽ということではないが、未成年の子供たちが楽しめるプロ野球ほど市民に浸透していない。去り行くものに対する情の大きさが反対運動を盛り上げたのだろう。「大洋ホエールズは川崎ホエールズだった。選手は川崎市民のシンボルでもあった。昭和35年に優勝した時の感激は忘れられない」と存在して当たり前で普段は気に留めない大洋ホエールズが無くなる寂しさ。プロ野球と市民との繋がりが鮮明に浮き出たフランチャイズ意識の発掘になった。


大洋の代わりにロッテが進出?
8月2日に最終的な決定を川崎市に通告した横田球団社長は「今までお世話になった恩は忘れない。巨人戦も何試合かは川崎球場でやるようにしたい」と話すと伊藤市長は「どうしても出て行くのなら代わりのプロ野球球団を川崎に誘致することに大洋球団も協力して欲しい。巨人戦も川崎球場でより多く開催するよう努力して下さい」と申し入れた。現時点では巨人戦を川崎球場で何試合やるかは決まっておらず、川崎市が納得できる提案を大洋球団が出来るかは未知数である。

一方で他球団の川崎誘致に関してはロッテオリオンズの移転が有力視されている。ロッテは仙台に準本拠地を置かざるを得なくてジプシー生活を送っていたが、これでようやく地の利のいい本拠地を持つことになりそうだ。だが仙台市では早くもロッテ移転反対の声が一部で上がっているが、大洋球団が去る川崎市ほどの動きはない。現実問題として巨人戦がないパ・リーグだけにロッテが去ることに仙台市民の間では運動の盛り上がりは欠けている感じだ。


プロ野球に新時代到来?
新球場の横浜スタジアムの前身は平和球場。それ以前にはルー・ゲーリック球場と呼ばれていて、日本で最初のナイター(進駐軍主催)が行われた由緒ある球場だ。昨年10月以来、改装工事が進められ全面人工芝で観客席を移動させて野球以外のスポーツや催し物にも使用できる3万人収容の総合スタジアムである。スタジアム建設は横浜市と国土計画が主体になって進められている。来年3月20日の完成予定でこけら落としには巨人や阪神を招いてオープン戦を開催する予定だという。

建設主との関係から大洋ホエールズの移転が正式に完了した暁には、オーナー企業が大洋漁業から西武(国土計画)に変更するのではという見方がある。既に大洋球団の株の45%を西武グループが保有しているといわれていることからそういった見方があるのだろう。だが堤義明国土計画社長は「球団経営には全く野心がない」と全面否定している。しかし大洋ホエールズの横浜移転はどこか新時代の到来を匂わせている気がしてならない。



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# 866 レン・サカタ

2024年10月16日 | 1977 年 



攻守に溌剌プレーのレン・サカタ
大リーグ史上初の日系人選手、ミルウォーキーブリュワーズのレン・サカタ選手(24歳)は連日攻守に大ハッスルし早くもチームの人気者になっている。ただし「日系選手ということではなく、いちプレーヤーとして注目して欲しい」と現状の " ルーツ探し " 喧噪に注文をつける。7月下旬に正二塁手だったドン・マネー選手(30歳)が怪我で離脱した為、3Aのスポーケンインディアンスから大リーグに昇格した。サカタ選手の3Aでの成績は317打数95安打・4本塁打・68打点。昇格直後の7月25日のオリオールズ戦で先発のマルチネス投手から嬉しい大リーグ第1号本塁打を放った。

8月7日、地元カウンティスタジアムでのダブルヘッダー対ブルージェイズ戦で第1ゲームは4打数3安打・1打点、第2ゲームは3打数1安打・1打点と活躍しチームは連勝した。だがチーム状態は良くなく東地区で53勝70敗と勝率5割を下回り首位のレッドソックスから21ゲームの大差をつけられ7球団中6位と低迷している。それでもフレッシュなサカタ選手の話題が影響したのか1万2千人のファンが球場を訪れた。あのベーブルースの本塁打記録を破ったハンクアーロンが在籍していた昨年ですら1万人を割る試合が多かったことを考えるとサカタ選手の人気ぶりが分かろうというものだ。

14日のインディアンス戦では第2号本塁打をマーク。これにはサカタ選手の育ての親であり、かつて太平洋クラブライオンズにも在籍したハワードコーチも「Good Job!」と大喜びした。攻守の中心だったマネー選手が怪我で離脱した時にサカタ選手の昇格を強く推したのが昨年まで3Aのスポーケンインディアンスで監督をしていたハワードコーチだった。身長1m75cm・体重73kg と決して恵まれた体ではないが、こと守りに関してはプレーイングコーチだったレイノルズ選手に鍛えられ「レンの右に出る二塁手はいない」とまでになった。何しろ今巨人で活躍しているリンド選手をブリュワーズから追いやったのはサカタ選手なのだ。

今から13年前の1964年9月1日に " マッシー " こと村上投手(現日ハム)がサンフランシスコジャイアンツでデビューし、大リーグの日系人選手第1号として話題を集めたがアメリカ本土では日系人選手はサカタ選手が最初と認識されており、アメリカンリーグ・ナショナルリーグともに連盟関係者はサカタ選手が日系人選手第1号だと公式に表明している。怪我で戦列を離れていたマネー選手は1ヶ月ぶりに復帰したが二塁のポジション争いに敗れて嫌がっていたDHに回されてしまった。それほど現在のサカタ選手は周囲の信頼を得ているのである。ハワイはホノルル生まれの正真正銘 " 日系人選手第1号 " サカタ選手の活躍ぶりは楽しみである。



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# 865 首位打者争い

2024年10月09日 | 1977 年 



確実なのは巨人のV2くらいで個人タイトルの行方も混沌としている今年のプロ野球。なかでも首位打者ほど激しく火花を散らしている争いはない(記録は8月17日現在)。昨年と一味ちがうバットマンレースを分析すると…

首位打者へ派手に逆転!ブルーム
昭和26年から51年までのセ・パ両リーグ首位打者53人(昭和44年のパ・リーグは同率で2人)のうち90%近い47人がオールスター戦までの前半戦で打撃10傑の上位に位置し、23人はトップに立っていた。セ・リーグでは昭和30年から7年連続で前半戦のトップ選手がそのままタイトルを獲得した。一方でトップと打率5分以上の差をひっくり返したのは昭和34年の杉山選手(南海)、37年のブルーム選手(近鉄)、44年の張本選手(東映)、51年の吉岡選手(太平洋ク)の4人しかいない。

中でも派手に逆転したのがブルーム選手と張本選手。ブルーム選手は前半戦では打撃10傑8位だったが終わってみたら2位の選手に4分以上の差をつけた。後半戦は166打数77安打・打率は4割6分6厘だった。張本選手は前年まで2年連続でタイトルを獲っていたが、この年はトップの永淵選手(近鉄)に6分5厘差の7位で前半戦を終えた。それが後半戦再開後、4打数4安打するとジリジリと打率を上げて最終的に永淵選手と同率でタイトルを分け合った。


掛布にも充分ある首位打者の資格
過去の例を参考にすれば今年も打撃10傑上位から首位打者が誕生すると考えて良さそうだがセ・リーグでは、いま規定打席不足で潜航している掛布選手を見逃してはいけない。掛布選手の打率3割4分4厘は第4位に相当する。規定打席数はチーム試合数の3.1倍。あと10試合、8月末には堂々ランクインするはずだ。今シーズンの掛布選手は開幕戦で満塁本塁打を放つなど快調なスタートを切り打ちまくったが4月17日の広島戦でアクシデントに襲われた。あの死球禍である。この試合でも2回に4号本塁打を打っていた。ところが4回の打席で松原投手から右ヒジに、次の打席では渡辺投手から左手首に死球を受けた。

当日の診断では全治2~3日の打撲だったので一軍登録は抹消されず代打で試合に出続けた。それが裏目に出た。4月24日のヤクルト戦ダブルヘッダー(神宮)の第2ゲームに先発でフル出場した後に「どうも手首に違和感がある」と慶応大学病院で診察を受けるとドクターストップがかかった。欠場は1ヶ月続き復帰できたのは5月27日の巨人戦だった。長いブランクの影響で試合勘が鈍り、復帰戦は4打数無安打。結局、対巨人3連戦は11打数1安打に終わり周囲は不安顔だったが本人は「久しぶりのナイターで緊張しましたがもう大丈夫」と一安心。徐々に試合勘も戻り6月4日の巨人戦では3打数3安打の猛打賞で復活をアピールできた。

掛布選手と同じく規定打席数不足でランキングから外れていた昨シーズンのパ・リーグ首位打者の吉岡選手(クラウン)は8月中旬に規定打席に達したが打率は2割8分7厘で11位だった。開幕から5月頃までは控え選手で5安打しか放っていなかったが基選手の戦線離脱で正二塁手となった。プロ入り8年間で32安打しか打っていない選手だったが、規定打席到達後の後半戦は124打数47安打・打率 .379 と打ちまくり首位打者になった。この吉岡選手に比べたら掛布選手は昨シーズン打率5位の実績がありタイトル獲得の資格は充分にある。


ひしめく新顔、笑うのは誰か?
最近は毎年のように新顔が首位打者争いに参戦するようになった。昭和50年のセ・リーグは山本浩選手(広島)、パ・リーグは白選手(太平洋ク)。翌51年のセ・リーグは谷沢選手(中日)、パ・リーグは吉岡選手(当時太平洋ク)と2年連続で両リーグともに新顔がタイトルを奪取した。今シーズンもパ・リーグの上位5人のうち過去に首位打者になった経験があるのは4位の加藤秀選手(阪急)だけ。現在トップの門田選手(南海)は昨シーズンの3位がキャリアハイだ。2位で頑張っている島谷選手(阪急)に至っては昨シーズンまでの中日時代の8年間で打撃10傑入りすらしたことがない。

現在のセ・リーグのトップは昭和47年に首位打者になった若松選手(ヤクルト)。3位には過去7度の経験者である張本選手がいるが、その間で奮闘しているのが2位の大島選手(中日)。打率は若松選手と1分5厘差だが2ヶ月前は4分の差があったのをここまで追い上げてきた。大島選手は昨シーズンまで専ら代打要員だっただけに大躍進である。もう一人、高木選手(大洋)の存在も忘れてはならない。現在5位につけている6年目の苦労人で昨シーズンの201打数56安打・打率 .279 がこれまでの最高成績。果たして最後に笑うのは若松選手ら常連か、掛布選手や大島選手らの新顔か首位打者争いから目が離せない。



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# 864 週間レポート 大洋ホエールズ

2024年10月02日 | 1977 年 



流れ流れてどうなんの…
猛暑が続いたと思ったら今度は秋の長雨が連日シトシト。この影響を良きにつけ悪しきにつけ受けたのが大洋ナインだ。12日の巨人戦を平松投手の力投で勝ち、「さぁ残りの試合も頂きだ(別当監督)」と意気上がったのも束の間、13・14日の巨人戦が雨天中止に。「まぁいい休養になる」とここまでは大洋ナインの表情も穏やかだった。だが後が悪かった。16日の練習は3日分の練習不足を取り返そうと多摩川で泥まみれになって猛練習となり大洋ナインはヘトヘトになり、翌日は18日の静岡での阪神戦の為に新幹線で移動した。曇り空を眺めながら「阪神戦は大丈夫かな」と不安な表情を浮かべた。

その不安は的中した。大洋ナインが草薙球場に入ったとたんに待っていたかのように土砂降りとなり試合は中止に。「俺たちは何しに静岡まで来たんだ」と愚痴った。しかもお盆の時期と重なって全員一緒に帰京する新幹線のチケット入手が難しく、牛込マネージャーは「各自めいめい帰って下さい!」とヤケ気味に指示をしたが、なんと大半の選手が座れず立ちっ放しで帰京する有り様だった。ツイてないのはこれだけではない。翌19日の阪神戦(川崎)も雨天中止となり7日連続の休養となり、手持ち無沙汰の大洋ナインを横目に頭を悩ませているのが堀本投手コーチだ。

投手のやり繰りは普段でも大変なのにこの雨の影響で苦労は増した。「雨でグラウンドが使えず走り込み不足、投げ込み不足になってしまった。かといって登板予定の投手に無理な練習はさせられない。どうすりゃいいんだ」と堀本コーチは雨空を見上げてブツブツ。投手陣の中でも最大の被害者は斎藤明夫投手。新人ながらローテーション入りしているが何度か先発起用を告げられてもその都度雨で中止になり精神的に追い込まれた。「胃の当たりがキリキリと痛い。食べ物にあたったわけじゃあるまいし何でやろう。こんなの初めての経験」と日頃の強気な態度も消えてダンマリを決め込んだ肝っ玉ルーキー。


貫 禄
にぎやかな選手が帰って来た。今シーズン開幕当初に二軍落ちしていた関本投手が8月11日のヤクルト戦から一軍に復帰した。10日に合流した関本投手は先ずは「やぁ君たち俺の留守中は元気だったかい?」と二軍暮らしもなんのその、得意の舌先での先制攻撃に大洋ナインは意表を突かれた。特に投手陣は若手主体なので関本投手の貫禄ぶりに返す言葉もなかった。「そろそろ働かないとオマンマの食い上げ。せっかく大洋に来て戦力にならずじゃチームに申し訳ない。今までの分も取り返すよ」と言うが、肝心の直球のスピードは往年には程遠く首脳陣の評価も芳しくない。関本投手にとって前途は多難のようである。


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# 863 週間レポート ヤクルトスワローズ

2024年09月25日 | 1977 年 



生涯忘れえぬ米田からの一発
大杉選手が去る8月11日の大洋戦で史上8人目の通算350号本塁打を達成した。「いろいろあったなぁ」と13年間のプロ生活を振り返って感慨深げに投手との駆け引きやタイトル争いの心理状態を披露した。大杉選手自身が一番印象に残っているのは東映フライヤーズに在籍し、初めて本塁打王になった昭和46年のシーズン。ホームランダービー常連の野村監督(南海)は残り3試合、大杉選手は2試合で共に42本塁打と並び終盤まで競り合った。野村監督は42本のままシーズンを終えたが大杉選手は最終戦となる対阪急ダブルヘッダーで2発放って44本塁打でタイトルを獲得した。

「神サマにすがる思いで打席に入る時に米田さんに声を掛けたんだ。『フォークボールを投げて下さい』って。言っておくけど僕はフォークボールが大の苦手で全く打てなかった。そうしたら本当にフォークボールが来た。苦手の球を打ってこそタイトルを獲らなきゃ意味ないじゃん」と。米田投手から43号を放ったのに続き、第2ゲームでも足立投手から44号を連発して野村監督との本塁打王争いに決着をつけた。「野村さんに勝った感激で涙が止まらず、汗にかこつけて溢れ出る涙を何度も拭った」と回顧する。念の為に言っておくが米田投手は " 打たせるため " にフォークボールを投げたのではあるまい。苦手な球を要求する大杉選手を意気に感じたのだろう。

プロ初本塁打は昭和40年9月17日の東京オリオンズ戦で迫田投手から。「シュートに詰まってバットが折れるかと思ったので慌てて左手一本で打ったらレフトスタンドに飛び込んだ。当時の東京球場は狭かったからホームランになったんだと思う」当時の月給は7万円。13年前とはいえバット1本は2千円ほど。簡単にバットを折るわけにはいかなかったので、咄嗟に右手を離してスイングしたことが柵越えにつながったようだ。こうなると次なる目標は史上3人目となる通算500号本塁打。「僕はいま32歳。あと5年はバリバリ働けると思う。年間30本なら軽くいけますよ」と腕をぶす。


ドロボー
神宮球場の右翼場外にあるクラブハウスがまた泥棒の狙い撃ちに遭った。去る8月13日午後4時頃、新宿区霞ヶ丘13にある「ヤクルトクラブハウス」内の更衣室が荒らされ、倉田投手ら選手5人が計6万1千円の窃盗被害に。これまでも毎年のように空き巣に入られて警戒をしているのだがプロフェッショナルの手口にはお手上げ状態なのである。

たまたま一軍選手は広島に遠征中で小森二軍監督以下、二軍の選手たちが練習中に忍び込まれて被害に遭った。高給取りが多い一軍選手がゴソッと狙われたら被害額はもっと多かったに違いない。一昨年には熱狂的なファンがクラブハウスに侵入して選手のグローブ、帽子、ストッキングなど練習用具一式を盗んだこともあった。



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# 862 週間レポート 中日ドラゴンズ

2024年09月18日 | 1977 年 



タイガース?キャッツだろう
「星野っちゅう男は役者やのう」これは野球評論家の鶴岡一人氏の言葉。またこうも続ける。「阪神と試合をやっとる中日を見てるとこれが5位あたりをウロチョロしているチームやとはどうしても思えまへんなぁ」と中日が阪神をカモにしている今シーズンを代弁している。西京極球場での阪神戦も2勝1敗とまたしても勝ち越した。その代表格は虎キラーの星野投手である。「コラー、星野ええかげんにしとけッ」と虎キチの絶叫が聞こえたのか分からないがマウンド上の星野投手は声のした方向に目をやり「うん、うん」と頷いた。これを見た阪神ナインは余計にカリカリ。こうなれば戦う前に勝負アリだった。阪神は1対8で惨敗した。

星野投手はこの勝利で今シーズン9勝目。阪神からはオール完投の6勝、うち完封が2試合。セーブも2つ稼いでいる。「今年の俺は阪神さんから給料をもらっているようなもの。この分では西の方向に足を向けて寝れんゾ」とニヤリ。阪神戦は通算でも24勝11敗とお得意さんにしている。「本当はね俺はいつもビクビクして投げているんだ。今年は体調が万全ではなくスピードが出ないからさ」と自分の右太モモをさすった。肉離れを起こした右足を庇うあまり投球フォームを崩して直球の伸びを欠いているのだ。

スピード不足をスライダーやフォークボールなど変化球を駆使してしのいでいる。これが強振する打者が多い阪神打線にはかわす投球が功を奏しているのかもしれない。中日ナインは「阪神相手に仙ちゃんが投げたら勝ったも同然」とばかりノビノビとプレーして思い切りの良い好打や守備でもファインプレーを披露する。逆に阪神ナインは「中日の連中はウチとやると、どうしてあんなによく打つんだろ。ホント不思議だわ」と嘆く。人間なにが幸いするかわからないものだ。


板についてきた田尾
デービス選手が8月2日の広島戦で三村選手が放った打球を捕球した際にフェンスに激突し左手首を骨折して戦線離脱した。その穴を埋めるべく後釜に入った田尾選手がようやく板についてきた。特に最近の守備について師匠役の中コーチが「短期間であれだけこなせるようになったのは大したもの。良いセンスの持ち主だね」と舌を巻く急成長ぶり。ただしバッティングについてはもう一息といったところ。「投球から早く目を離してしまうのが欠点。顎が上がりボール球に手を出してしまう」というのがネット裏の共通した田尾評だ。

ダイヤモンドグラブ
「実は僕、ダイヤモンドグラブ賞を狙っているんですよ」と冗談を飛ばすのは対広島18回戦で13勝目をマークした鈴木孝政投手。この試合、2対2の同点で迎えた7回に広島が一死三塁と勝ち越しのピンチに鈴木孝投手は好調のライトル選手と対戦した。初球、なんとライトル選手はバントの構えをした。スクイズである。意表を突かれた鈴木孝投手は一瞬出遅れたがすぐにダッシュでマウンドを駆け下り捕球するとバックホームし、間一髪でアウトにして失点を防いだ。

「てっきり打ってくるもんだと思っていたので驚いた。ライトルがバントの構えをした時は『エッ、送りバント?』と直ぐにスクイズだと分からなかった。ビックリして出遅れたけど運良く目の前に球が転がって来たので間に合った。ちょっとでも横に行っていたら負けていたでしょうね」と振り返った。調子の良い時は何でも好転する。果たして鈴木孝投手の幸運がいつまで続くのか。ダイヤモンドグラブ賞を獲るという軽い冗談が実現するかもしれない。



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# 861 週間レポート 広島東洋カープ

2024年09月11日 | 1977 年 



見えたぞ大記録達成の日
" 大記録 " といっても不名誉な方で、池谷投手が " 本塁打配球王 " に邁進中である。15日のヤクルト戦に先発し6回までは散発5安打と見事な投球を見せたが、7回二死一塁で若松選手に左翼ポール直撃の同点本塁打を浴びて試合は引き分けとなり勝利を逃した。この引き分けでチームの今シーズンの引き分けが12試合となりセ・リーグ記録を更新した。150球の完投をフイにした池谷投手は「若松さんにまたやられたなぁ。打たれた球は悪くなかったのに…」と何とも割り切れない様子。

決して失投ではなく外角低目いっぱいの左打者の死角に投げたのだが見事に弾き返された。この一発は池谷投手にとって今シーズン39本目の被本塁打。2位以下を大きく引き離す、不名誉な断トツのホームラン配球王である。これまでのセ・リーグ記録は昨年の平松投手(大洋)が記録した40本だから記録更新は時間の問題。「だからといって登板しないわけにはいかないし…もう覚悟はしているので開き直って思い切り投げるだけです」と少々ヤケ気味の池谷投手。


王の一発は我が広島市民球場で
" 世紀の本塁打 " をどこで打つのか。あと7本(8月19日現在)に迫った王選手の本塁打世界記録は話題となっているが、23日から地元で巨人戦を控えている広島もその余波を受けている。「ひょっとしたらウチの投手が打たれる場面があるかも」と球団関係者はソワソワしている。だからといって世紀の一発を打たれては困るというわけではないようだ。「勝負だから負けられはしないが記念となる本塁打がこの広島で見られるのは地元のファンにとって幸せだと思う」と関係者は寧ろ歓迎?している。

タイトル
6回途中で雨の為にコールドゲームとなった16日のヤクルト戦。勝ち投手となった高橋里投手は「これぞまさに天の恵み。調子が悪かったので、かわすピッチングに終始したけどそれ以上に雨がかわしてくれたね」とご満悦な様子。この勝利で4連勝の11勝目。ハーラーダービーで13勝でトップを走る安田投手(ヤクルト)を射程圏内に捉える一方で防御率も良くなり「こうなったら両方のタイトルを狙っちゃおうかな」と目を輝かせる。


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# 860 週間レポート 阪神タイガース

2024年09月04日 | 1977 年 



田淵はやっぱり怪物だった
長らく故障で試合から遠ざかっていた田淵選手。ベンチ入りしたとたん一発を放ち、やはり怪物だとの声が溢れた。田淵選手は休み明けに強く、よく打つというジンクスは生きていた。驚異の一発は8月13日の中日戦(西京極)の7回裏に飛び出した。代打に起用されると芝池投手から左翼席に放り込んだ。この一発で阪神の連敗をストップさせてファンは大興奮。右手親指の第一関節亀裂骨折で1ヶ月近く休んでいたが、9日の最終診断でドクターストップが解かれて二軍での練習を再開した。3日間の打ち込み後に12日の中日戦から戦列に復帰した。代打に起用された復帰第1打席こそ左翼フライに倒れたが、前述の通り2打席目に19号本塁打を放った。

過去にも死球禍で休んだ後に復帰するやたちまち本塁打を放ったことがある。「本当に休んだ後はよう打ちよる。やはり怪物の類ですワ。他の選手には真似できへん。ろくに練習せえへんでもあの当たりですワ」と吉田監督も舌を巻いた。待望のスタメン復帰は月末の巨人3連戦(後楽園)からで猛虎打線の中心に返り咲いた。「指の骨折なので送球には難がある。でも残り試合も少ないし少々無理してでもやらんとね」やはり猛虎打線に田淵選手は必要不可欠な存在であることが改めて気づかされた。


掛布もうすぐベスト10入り
掛布選手の名前がもうすぐ新聞紙上を賑わせる。左手首の負傷で1ヶ月半も休み、打席数不足だったが間もなく規定打席に到達する。8月19日時点であと10試合不足なので9月上旬には待望の打撃10傑入りし、打率 .344 は4位あたりに顔を出す勘定だ。期待はもちろん首位打者のタイトル獲得だが厄介なのが若松選手や張本選手といった首位打者争いの常連実力派の存在で、彼らを追い抜くのは至難の技だ。ちなみにトップを走る若松選手の打率は .368 もあり大変なハイアベレージでこの調子で走られては追いつけそうにない。

「首位打者なんて僕には無理ですよ。昨年の打率 .325 を少しでも上回れば上出来だと思っています。規定打席に到達すると新聞で自分の名前を見る楽しみが出来ますが、反面でプレッシャーを感じてしまいそうで怖さもある。規定打席にあまり早く届かない方が良いかなと考えてしまいます。案外、名前が出ないうちが花かも」と正直に話す。チームは不振だが掛布選手のバッティングは安定し、虎ファンにとって唯一の希望の星だ。


嬉しい悲鳴
古沢投手が二重の喜び。8月13日の中日戦で9勝目をあげたが、実に1ヶ月ぶりに美酒を味わった。この試合でもう一つ古沢投手が歓喜したのが左翼ポール際に放った2号本塁打。大阪厚生年金病院の黒津清明整形外科医長との間でノーヒットノーラン達成や自身が本塁打を放った場合は10万円のボーナスを受け取る約束をしている。第1号に続きまたも10万円を手にした古沢投手は「文句なしの一発やった。マグレも二度目となれば実力や。あんまり打つと先生が破産しよるから打ち止めにするかな」とニンマリ。残るは本職のノーヒットノーラン達成だが果たして実現することは出来るか。


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# 859 週間レポート 読売ジャイアンツ

2024年08月28日 | 1977 年 



仁王様の目がまた鋭く光った
7日間も試合が中止になった13日から19日までの間、目をギラつかせてバットを振っていたのが張本選手。本塁打世界記録の喧騒真っ只中の王選手はリラックスして体調維持に努めていたのと対照的に張本選手は全身に力を漲らせていた。「これからはワンちゃんが敬遠されることが多くなると思うけど、それを少なくする為には後ろを打つ俺がバンバン打つ以外ないでしょ。援護射撃しなくちゃ」と張り切る張本選手。 " 三番・王、四番・張本 " の打順は王選手への敬遠をさせないようにと長嶋監督が取った手段だ。加えて張本選手が目をギラつかせているもうひとつの理由が熾烈な首位打者争いである。

目下トップの若松選手(ヤクルト)を大島選手(中日)や大杉選手(ヤクルト)らと共に激しく追い上げる争いを繰り広げている。昨シーズンは最後の最後で谷沢選手(中日)に逆転され首位打者を逃しているだけに、さぞ今年は是非ともタイトル獲得を熱望している思われるが本人は「首位打者を獲るというよりもチームが優勝する為に打つことが最後に自分の為になると信じている」と敢えて冷静さを装っている様子。だが本心は首位打者に照準を合わせている。その証拠に張本選手は「若松君とは2分の差があるけどこれは5試合もあれば縮められる。秋は夏の疲れが出始めるからそこを如何に乗り切れるかがカギだね」と首位打者を意識した発言をしている。

史上2人目となるセ・パ両リーグに跨る首位打者(初代は江藤慎一)と、自身が持つ首位打者獲得回数記録(現在7回)の更新に燃えている。雨天中止となった15日の多摩川グラウンドで雨の中で黙々と1時間も打ち込んだ。仁王様のような頑丈でいかつい体、古武士のような豪快ツラ。それが雨の中で全身から湯気を立てて打つ様は " 凄絶 " という表現がピッタリ。打ち終わって「これでサッパリしたよ」と笑ったが、このあたりの張本選手はさしずめ本塁打世界新記録を目指す「王牛若丸」と共に連覇を狙う長嶋巨人に仕える「張本弁慶」といった感じ。「用心棒で結構。他人が何と言おうと脇目もふらず用心棒に徹するよ」とギロリと目を見開いた。


指の長い先生
中国から視察にやって来た野球代表団にフォークボールの神様である杉下投手コーチが極意を伝授した。伝家の宝刀であるフォークボールの投げ方を教わったのは弱冠二十歳の王永平投手。王投手は将来性有望な甘粛省のエースで指も長い。杉下コーチの指を見た王投手は「自分より指が長い選手を見たのは初めてでビックリしました。しかも球を指で挟んで投げるなんて二度ビックリです。教えられたことをしっかり学んでフォークボールを投げられるように頑張ります」と目を輝かせた。


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# 858 週間レポート クラウンライターライオンズ

2024年08月21日 | 1977 年 



こりゃ案外やりよるバイ
「もはやこれまでか」「序盤の快進撃も夢物語になり果てるのか」とファンはもちろん球団関係者までが何度あきらめかけたことか。8月9日の日ハム戦に敗れて首位の座を明け渡して以来、このままズルズルと落ちていくと見られていた順位のことだ。ところが地元3大シリーズの最後を飾る " お盆シリーズ " 7連戦が終わってもまだ2位につけたまま。あきらめかけていたファンも「こりゃ案外やりよるバイ」と球場に駆けつけ声援を送り、お盆の平和台球場は4日間で10万人を超す観客を集めた。前後期2シーズン制が始まって以来、最高となる観客動員数だった。

シリーズ前半のロッテ4連戦は苦手の村田・八木沢投手を打てず1勝3敗と負け越したが、前期シーズンに勝ち越した阪急相手に連勝して2位をキープ。この踏ん張りをチーム状態が悪い中でやってのけたのが意義がある。後期シーズンのクラウンはやはりひと味違うと周囲に印象づけた。オールスター戦前の7連勝は土井・竹之内・ハンセン・太田選手らベテランの活躍でやってのけたが、お盆シリーズの働き頭は若菜や真弓といった若手野手とリリーフ連投で頑張った永射投手の24歳トリオが中心となった。

特に真弓選手はロッテ戦に連敗した後の3戦目からロザリオ選手を追いやってスタメン出場を果たしたとたんに活躍した。柳川商時代からの同期生でもある若菜選手を二塁に置いて逆転の2ランを放った他にも阪急戦では先制点に結び付く三塁打で出塁すると基選手の三ゴロで生還する好走塁を見せた。基選手が放ったゴロが三遊間に飛ぶと同時に本塁ベースを目指し猛ダッシュした。バックホームの送球を受けて待ち構える河村捕手のブロックを避けるように左側に回り込みタッチを掻い潜ってホームインするという離れ業を演じた。この得点が打線への誘い水となってハンセン選手の13号本塁打や広瀬選手のタイムリーが出て快勝した。


右前三塁打
ロッテに勝てなくても阪急があるさとお盆シリーズで阪急潰しに出たクラウン。先発の古賀投手が打たれて3対3の同点となったが8回裏二死満塁の場面で不調のロザリオ選手に代わり鈴木浩選手が代打に起用された。強振した打球は舞い上がり前進する右翼手・ウイリアムス選手の前にポトリと落ちた。「あんな打球は初めて」と鈴木浩選手は振り返った通り、ワンバウンドした球はイレギュラーバウンドしてウイリアムス選手の横をすり抜けてフェンスにまで達した。記録は走者一掃のライト前三塁打。主軸を打つベテラン選手が不調をかこっている折りだけに、活きの良い若手選手の活躍が目立つクラウンだ。


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# 857 週間レポート ロッテオリオンズ

2024年08月14日 | 1977 年 



カネやん「投手のカガミや」
3年ぶりの7連勝で一気にパ・リーグの主役に躍り出たロッテ。ナインの表情も明るくやる気に満ちている。14日のクラウンとのダブルヘッダー第2試合で惜しくも敗れ連勝が止まったが、翌15日に同じクラウン戦で八木沢投手が完封勝利。コーチ兼任のベテランが若手のお手本となる投球を見せるあたりに快進撃の秘密が隠されている。本拠地を持たないジプシー生活で、延べにすると日本列島を縦断するほどの距離を移動している。八木沢投手が勝利した日は東京を離れて15日目。連勝を止められ、移動に慣れている筈のロッテナインもさすがに疲れを隠せなくなっていた。ズルズル連敗をしてもおかしくない危機をベテラン投手が救ったのだ。

これで今シーズン二度目の完封勝利を飾った八木沢投手だが前期シーズンは不運がつきまとった。投げるたびに防御率は良くなるのに勝ち星は一向に増えない。何故か八木沢投手が登板するとバックが足を引っ張った。つまらないところで味方のエラーが飛び出し、打線も沈黙したりと黒星ばかり続くという八木沢投手には気の毒な巡り合わせとなった。それでも八木沢投手は「いやいや運が悪かっただけで誰のせいでもない。根気よく投げていれば必ずいい時が来るよ」とベテラン選手らしく味方を責めることなく黙々と投げ続けた。この完封劇をきっかけにツキも変わろうというものだ。

八木沢投手には以前から不思議なツキがついて回っている。高校(作新学院)時代に春のセンバツ大会で優勝投手となるも半年後の夏の大会で作新学院は史上初の春夏連覇を達成したが、八木沢投手は体調を崩しエースとして投げられず悔しい思いをした。かと思えば早稲田大学に進学後はエースとして三度のリーグ優勝を果たすなど東京六大学野球のエースとして君臨した。高校・大学・プロとことごとく優勝を経験した数少ない選手だけに周囲は「今シーズンの不運は前期の不思議な巡り合わせで終わり。もともとツキに恵まれた選手だから後期は勝ち続けるよ」と威勢の良い声をかける。これには八木沢投手もニンマリ。


我が母校
幾つになっても母校の動向は気になるもの。高校野球の夏の甲子園大会が行われている最中はロッテナインもテレビの前に輪を作ってカンカンガクガク。有藤選手、弘田選手は高知商。飯塚選手は宇都宮学園。岩崎選手は津久見高などなど、それぞれの母校に声援を送った。大会が進むにつれ徐々に姿を消す高校が増えると「オイ、お前の学校はまだ残っているか?」と我が事のように心配する様は微笑ましい。母校敗退が決まった選手は「うん、うん、よくやったよ。負けちゃったけど精一杯ガンバッタから励ましてやらなくちゃ」と甲子園出場が決まった時とは違いシンミリしていた。


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# 856 週間レポート 日本ハムファイターズ

2024年08月07日 | 1977 年 



ドッコイ生きていた第三の男
第三の男こと村井選手が6日の南海戦でデッカイ殊勲打を放った。8回に代打に起用されると江夏投手の代わりばなの初球を狙いすまし強振すると打球は左翼席に飛び込む代打逆転満塁本塁打となった。この一発で5対3で勝利し、チームは勝率5割になり3位に浮上した。「監督から初球から思い切って狙っていけとアドバイスされていたので好きな内角低目に的を絞って待っていました」と話す村井選手。実はその試合の前の近鉄戦では鈴木啓投手から3号3ランを放ったばかり。いずれも左腕投手からの一発で大沢監督は「そりゃそうよ。村井は対左腕の切り札だもの」と手放しで褒めた。

村井選手は入団4年目で未だファンには馴染みが薄いが、北海高➡電電北海道と若松選手(ヤクルト)の直系の後輩である。性格は向こう気が強く負けず嫌いと若松選手に似ている。昨年は正捕手のポジションを手にしかけたが後期シーズンに入ると急に打撃不振に陥り控え選手になってしまった。更に今年になってからは右足痛風を発症しプレーすることが出来ずベンチ入りすら見送られブルペン捕手になった。最近ようやく病状が回復し加藤・大宮捕手に次ぐ第三の捕手に戻った。もともと思い切りの良いスイングは定評があり、コンディションが万全になりさえすれば正捕手の座に就ける選手である。


大沢監督の留任決定
前期シーズンでの快進撃のお陰か2年契約が切れる大沢監督の留任が早々と決まった。これは8月13日に高松市で開かれた「香川県後援会設立パーティ」に出席する為に高松市を訪れた大社オーナーが記者会見で明らかにしたもの。大社オーナーは「プロ野球の監督は長期にやらなくてはチームは強くならない。大沢監督には来シーズンも頑張ってもらいたい」と語った。その知らせを聞いた大沢監督は「去年より今年の方が成績も良い。私の方針がチーム内に浸透してきた。このチームを更に強くしたい」と飛躍を誓った。

節 酒
9号本塁打を放った永淵選手。あと1本で通算100号になる。「プロ10年目だから年間10本ペースは僕らしい」と自嘲していると古巣の近鉄の加藤投手がツカツカとそばに駆け寄って来た。「最近の永淵さんは打球が遠くに飛ぶようになりましたね。アルコールを断つとパワーが増えるんですか。昔は『酒がオレのパワーの源だ』と言っていたのに」と冷やかした。節酒してから好調を維持している永淵選手は照れ笑いに終始した。


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# 855 週間レポート 近鉄バファローズ

2024年07月31日 | 1977 年 



ニャロメから消えた笑顔
あまりにも遅い2勝目だった。柳田投手は8月12日の南海戦に先発し、被安打3・奪三振10・失点1で見事完投勝ちを収めた。実に5月25日の日ハム戦以来の勝ち星だった。柳田投手は漫画の主人公・ニャロメに似ているひょうきん者だが勝てない間は口数が減り笑顔を見せることも少なくなった。ペナントレースが3分の2を過ぎようとしている時点で僅か1勝しかしていなかったのだ。昨シーズンは鈴木啓・太田幸と共にローテーションの中心を担ってきた柳田投手。それが今シーズンは故障もあり開幕から蚊帳の外だった。「もう俺には先発はめぐって来ない」と愚痴を口にする状態まで追い込まれた。

更なる飛躍を今シーズンにかけていた柳田投手は宿毛キャンプでも人一倍練習したが結果が出ない。意欲と現実が噛み合わず悶々とした日々を送っていたが考えてもいなかった先発を南海戦の前日に告げられた。「この試合で好投できなかったら今シーズンはお終い」と心に決めてマウンドに上がった。案ずるより産むが易しとはこの日の柳田投手のことだった。初回を連続三振でスタートを切ると柏原選手のソロホームランだけに抑えて完投勝利。大喜びかと思いきや柳田投手は「今までチームに迷惑をかけた。これからその分も返さなければ」と笑顔はなかった。西本監督も「柳田の復活は明るい材料」と巻き返しに手応えを感じている様子。


エースの貫禄15勝も喜ばぬ鈴木
パ・リーグのハーラーダービーを独走する鈴木啓投手が13日の日ハム戦にも勝って両リーグ15勝一番乗り。この調子を持続させれば昭和44年に記録した自己最多の24勝を上回りそうな勢いだ。しかしマウンドを降りた鈴木啓投手は「俺もひとがエエわ」と苦笑いした。8回に富田選手に四球を与えて今シーズン八度目となる無四球試合をフイにしたからだ。「15勝は勿論うれしいがチームが上位に行かないと面白くない。下位でウロチョロしてたらつまらん」と不満げ。ハーラートップにいてもチームを思うこの心はやはりエースだけのことはある。

ガソリンタンク
超ベテランの米田投手の最近の口癖は「早く一区切りつけたい」である。通算350勝にあと2勝で今シーズンを迎えたが、なかなか勝てず王手をかけた今シーズン初勝利をあげたのは8月10日の南海戦だった。既に金田正一氏の記録を破る通算945試合登板の新記録を達成してるだけに、一気に350勝もという気持ちが前述の口癖に現れたわけだ。開幕前に痛めた腰も完治し「ナンボでも投げまっせ」と意気込む。350勝を達成したら次は?との質問に「そう簡単に辞めんぞ。新たな目標を見つけて投げ続ける」と39歳にして " ガソリンタンク " の異名はまだまだ捨てそうにない。


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# 854 週間レポート 南海ホークス

2024年07月24日 | 1977 年 



謙遜のし過ぎでしょう?
門田選手がニョッキリと首位打者の席へ躍り出て来た。阪急の島谷・加藤秀選手やロッテの有藤・リー選手に対抗して南海でただ一人の3割バッターがその面目を施すように登場したのである。阪急とのダブルヘッダーで大当たりし今季初めて首位打者の座に就いた門田選手。生来の照れ屋さんは嬉しさもあまり表に出せずモジモジ。「いやぁ、直ぐに落ちますよ。僕は首位打者なんてガラじゃないですから」としきりに謙遜して頭を掻くが、その言葉とは裏腹に左方向への打球は力強さを増しヒットの量産体制に入っていることは周知の事実だ。

「タイトルの話はまだまだ先。それよりもチームが勝ってくれる方が嬉しい」とザワつく周囲に困惑するが野村監督は門田選手にタイトルを狙わすようにしている。「チームの為にも本人の為にもタイトルを狙うぐらいの気構えでやってもらいたい。カドが打てばチームの勝利に近づくんだし他の選手もつられてプラスになる」と野村監督はチームと門田選手の将来の為にも全面支援の構えである。昭和46年に打点王を獲得して以来のチャンス到来に周囲は期待している。


スワッ野村御大が送りバント
四番打者が送りバント…天下の野村監督が阪急戦で試みた。場面は無死二塁、その前の打席ではいい当たりの左越えの適時打を放っていた。また再び得点を稼ぎたいところなのに足立投手の初球から送りバントの構えをした。走者を三塁に進めて後続の柏原・ピアース選手でダメ押し点を狙う作戦を立てたようだが、いずれにしても野村監督に犠牲バントは消極的でネット裏では疑問視する声が多かった。案の定、1球目は失敗。続く2球目は捕手への小フライとなりこの奇策は失敗に終わった。

苦笑いしながらベンチに引き揚げてきた野村監督。後続も凡退してしまい得点はならなかった。本来なら送りバントを失敗した野村監督自身は罰金ものである。だが何が幸いするか分からないもので野村監督のプレーが南海ナインを刺激したのか次の回に追加点が入り南海が勝利をものにした。試合後、野村監督はこの件について聞かれるとバツが悪そうに「いやぁ失敗しました。どうしても点が欲しい場面だったのでバントを試みたけどダメやった。申し訳ない」と頭を下げた。


森の石松
ホプキンス選手が判定を不服とし審判に暴行し退場させられペナルティで出場停止処分となった。その為、練習後の " 暇人・ホプキンス " はベンチ裏や食堂をウロウロし、試合に臨むナインを見かけると激励する。河埜選手には「コーノ、アイスコーヒーを奢るから頑張れ」と言ってコーヒーを差し出すと河埜選手は目を白黒させるもコーヒーを飲むと試合でヒットを量産した。これにはホプキンス選手も「僕の分まで打ってくれた」と大喜びし、森の石松よろしく「飲みねぇ、飲みねぇ」と他の選手にもコーヒーの " 押し売り " に走り回った。


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# 853 週間レポート 阪急ブレーブス

2024年07月17日 | 1977 年 



歯切れも悪いインタビュー
2年連続の前・後期制覇の野望に黄色信号が灯った。対南海9回戦(大阪)はちょうど後期シーズン30試合目だったが逆転負けで14勝15敗1分けと勝率5割を切り4位に転落した。上田監督のショックが大きかったのはエース山田投手で負けたこと。山田投手は8回まで南海打線を2安打1失点に抑えていたが、阪急打線も藤田投手に1得点に抑えられ最後は山田投手が苦手の門田選手に17号3ラン本塁打を浴び負けてしまった。前日の試合は足立投手、前々日は稲葉投手とエース級を起用したが同一カード3連敗を喫してしまった。無論、投手陣を一方的には責められない。攻撃陣の3試合の得点が3点・1点・1点で勝てというのは難しい。

「今日は何も話すことはない。こんな不細工な試合を続けていては」と普段は流ちょうにインタビューに対応する上田監督も歯切れが悪い。貧打線に投手陣払底の今こそ文字通り「家貧しくて孝子顕る」を期待したが現れなかった。対南海戦3連敗後、舞台を平和台球場に移した対クラウン4回戦に上田監督はナント三枝投手を先発に起用した。三枝投手はドラフト外で大昭和製紙富士から入団したルーキーだ。カーブとシュートを駆使する中継ぎ投手を先発させる上田監督の奇策だった。3回までは無難にこなしたが一回りした4回に打ち込まれ敗戦投手に。これで4連敗で借金「2」となり5位転落。「ウ~ン…」と頭を抱える上田監督は言葉を失った。


ミスターブレーブス二軍落ち
長池選手が8月16日に一軍登録を抹消され当分の間ファームで調整することになった。痛めていた右手中指突き指の回復がおもわしくないところへ古傷の右足アキレス腱痛が再発した為。故障を発症した後も一軍に帯同し一緒に練習を続けていたがベンチ入りは見送られていて「この際、徹底して治療に専念したい」と長池選手本人から上田監督に申し出て戦列を離れることとなった。過去にMVPが二度、本塁打王が三度、打点王も三度と輝かしい経歴のミスターブレーブスも最近は故障に泣かされている。

偉大な先輩
第59回全国高校野球大会で母校の今治西が強豪の智弁学園を破ってベスト8入りした時、「ワシの後輩はしっかりしとる」と高井選手は鼻高々。高井選手自身の高校時代は今は同じ釜の飯を食うことになった島谷選手がいた高松商に敗れて甲子園には手が届かなかっただけに後輩たちの頑張りに感心しきり。ところでこの高井選手は後輩諸君から「高井先輩はさすが」と感謝されっ放し。というのも練習場探しに四苦八苦していた母校の苦境を知り西宮球場に掛け合って練習の場を提供した。

1回戦が第4試合に予定されていたので高井選手はナイター戦突入必至と考えて、練習開始を日没後にするスケジュールを組む用意周到さを見せた。予想通り試合は試合はナイターとなった。ナイターを経験したことがない相手校の選手たちは戸惑っていたが、事前に照明に目を慣らしていた後輩たちは普段通りのプレーをすることが出来て今治西は2回戦に勝ち進んだ。持つべきは偉大な先輩である。



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