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Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 882 週間レポート 読売ジャイアンツ

2025年02月05日 | 1977 年 



オレはゴルフをやりてぇんだ
今シーズンはこれ迄おとなしかったライト投手がとうとう暴れた。8月3日に無断夏休み。「先発した翌日はアガリなんだけど球場に来てランニングをしてから休むことになっている。しょうがない奴だ」と神宮球場でライト投手が来るのを待っていた杉下投手コーチは呆れ顔。前日にライト投手がKO降板後に苦情を聞いた佐伯球団常務は「無断欠席を許してはチームの規律が乱れる。厳重注意をして罰金を取ります」とカンカンだ。" 苦情 " とは2日のヤクルト戦で2回KO後にライト投手が佐伯常務に「ゴルフでもして野球のことを忘れたい。明日から2日間休みをくれ」と訴えていたことだ。

佐伯常務はそれ以上詳しいことは言わなかったが、球団関係者によるとライト投手は杉下投手コーチと野手陣への不満を爆発させていたという。どんな理由があれ無断欠席は一種の首脳陣批判であり処罰は必至。だが長嶋監督は「困ったことだねぇ」と言いながらもニヤリニヤリ。「決して褒められたことではないが不甲斐ない自分に腹を立てて発奮してくれればいいけどね」とさほど怒りはないようだ。というのもアメリカではKOされた投手のストレス解消用にベンチ裏にアルミ缶などが置かれている。それを蹴り上げたりするのだ。「日本だとマナーが悪いと批判されるけど外人選手は不満を発散させないとダメなんだよ」と長嶋監督。

とはいえそれと無断欠席は別の話。謹慎中のライト投手の代わりに右目を負傷していた新浦投手が急遽一軍に合流した。「もう違和感はない。視力も落ちてない。良い休みとなって球が速くなったんじゃないの」と新浦投手は元気いっぱい。また消化器官を患っていた加藤投手も先発ローテーションに復帰し完全復調をアピールした。「1人が出てくれば1人がおかしくなる。なかなか全員の足並みが揃わんねぇ」と杉下投手コーチは喜んだり嘆いたり忙しい。長嶋監督は「どこのチームも夏場は苦しいんだ。その苦しさに勝たなきゃプロじゃない」とライト投手の無断サボリを機にチーム全員の奮起を促した。


ヤジ将軍
4打数4安打とか猛打賞とか時たま出場しては固め打ちを披露していた上田選手に河埜選手の背筋痛欠場でスタメンのチャンスが巡ってきた。「急なことで緊張しちゃうよ」とベテラン選手ながら戸惑い気味。ベンチではヤジ将軍の異名をとるプロ14年生。「チョンボだけはしないようにしたい。本音を言えばヤジっているよりヤジられる方がやり甲斐がある」というのがスタメン出場の実感だそうだ。


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# 881 週間レポート クラウンライターライオンズ

2025年01月29日 | 1977 年 



" ガキ大将集団よ " と坂井代表
後期シーズンに吹き荒れるクラウン旋風はどうやら単純なフロックではないようだ。2つの異なる勝ちパターンを持っているからだ。オールスター戦までは投高、つまり投手陣が踏ん張って勝つというパターンが多かったのだが、後期シーズンに入ると打線が活気づき先発投手がKOされた後も着々と加点をし逆転勝ちすることが珍しくなくなった。無論、投打ともに好調なら申し分ないがそんな理想的な状態は日本一の阪急でも難しく、質量ともに格下のクラウンに望むのは無理筋な話だ。「とにかく勝てる試合は確実に取りにいく」と鬼頭監督。オールスター戦後は間違いなく打力上位の試合が続いている。

夏場に投手が疲れて調子を落とすのはクラウンだけの現象でなく打線がカバーして相手に打ち勝つ他に妙薬はない。そんな折りも折り、タイミング良くクラウン打線は調子を上げてきた。特に大田・竹之内選手の仲良しコンビのホームラン攻勢が効果的。吉岡選手とハンセン・ロザリオ両助っ人コンビもようやく日本の野球に慣れて実力を発揮し出した。前期シーズンのタイムリー欠乏症がウソのような変わりようだ。キャッチフレーズをつけるのがお得意の坂井代表は今のチームを「ガキ大将集団」と名付けた。一昨年は「山賊軍団」だったから少し小粒になったわけだがガキ大将の方が将来性を感じられ選手たちには好評のようだ。

大砲あり、機動攻撃あり、更に連打による集中攻撃ありと乗りに乗っているクラウン打線。前期シーズンは沈黙する打線に伊藤打撃コーチの表情も冴えなかったが今ではすっかり明るくなった。「前期シーズンの終盤から打線は上向いてきた。ようやく連打が出るようになりホッとしている。いい球を逃さず例え初球からでも打って出る積極性、思い切りの良いバッティングが好調の原因だろう」と笑顔で分析する。好調なチーム状況でも鬼頭監督は相変わらず「今の時期に首位とか順位を気にするのは早過ぎる。ただウチの野球をするだけだよ」と慎重すぎる姿勢は崩していない。


救世主
後期シーズン序盤戦のヤマ場と考えられていた球宴後の初ロードとなる近鉄3連戦を2勝1敗と勝ち越した。最も貢献度が高かった投手はベテランの山下投手だ。何しろ2勝とも山下投手が勝利投手だった。2日間の連投で計7回 2/3 を投げ1失点に抑えた。「連投は別にどうってことないよ。今は永射投手が少し疲れが溜まって休んでいるから彼の分も頑張らないと。この先ずっと救援役になるかどうかは決まっていない」とピッチング同様にひょうひょうとした話しぶりの山下投手。これで前期シーズンの6月26日の近鉄戦(日生)以来10試合負け知らずだ。「山下さんがブルペンにいると負ける気がしない」とナインの信頼も厚い救世主の誕生だ。


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# 880 週間レポート ロッテオリオンズ

2025年01月22日 | 1977 年 



戻って来た " あの感じ "
リー選手のホームランパワーがやっと復活した。オールスター戦後の6試合で5発。スランプがウソのように再びホームランダービーを独走の勢いだ。20号を放ったのが梅雨入り前の5月29日。後楽園球場のバックスクリーンに叩き込んだ。その時点のロッテは45試合目で「2.25試合に1本」のハイペースで本塁打を量産していた。ところがそれ以降、オールスター戦までの32試合で僅か2本とペースダウンした。その間、猛追するミッチェル選手(日ハム)に追いつかれてしまった。そんなリー選手の復活の要因はオールスター戦にあった。試合前に王選手と会話する機会がありアドバイスを受けたのだ。

バッティングのタイミングが完全に狂っていた。各球団の徹底的なマークに遭い、持ち味のコンパクトで鋭いスイングはどこへやら。バットが遠回りをして打球に角度がつかなくなっていた。また王選手にはパワーヒッターと周囲から言われることを意識して一発を狙うようになり体が開いてしまう欠点を指摘された。「ミスター・オーと話をするうちにフィーリングが戻ってきたんだ」とほんの1秒の何十分の一のズレを修正するやいなや面白いように打球の飛距離が戻った。オールスター戦明けの7月29日、神宮球場での南海戦で復活を告げる2発を放った。そのうち1本は仏・パリ行きの懸賞がついたバックスクリーン直撃の一発で懐も潤いニコニコ。

打棒が復活し怖いモノなしのリー選手に悩み事が出現した。子供たちの学校の関係でウィレッタ夫人、長男ローン君、長女キムペリーちゃんが7月30日にアメリカに帰国してしまい孤独感に圧し潰されそうなのだ。「食事を摂るのも一苦労」と嘆き、ホームシックに陥ることが心配されている。日本での先生役でもあるラフィーバーコーチが公私にわたって手を回してくれているのが救いとなっている。「ジミーさん(ラフィーバーコーチ)と食事したり話し相手になってもらい助かります」と最悪の事態は避けられそうだが、ホームランを量産しても今一つ張り合いがないリー選手は寂しそうだ。


お客さん
久々に一軍に帰って来た選手の感想はだいたい決まっているようだ。約10ヶ月ぶりのマウンドを踏んだ三井投手も同様に「お客さんが見ていてくれるのがどんなに素晴らしいことか改めて知らされました。マウンドに立った時、ネット裏にお客さんが沢山いるのは何ともシビレルことなんですねぇ」と語った。春のキャンプで痛めた右肩の治療に長い時間を要してきただけに感慨もひとしおだったのだろう。「今日が僕の開幕戦。これからじゃんじゃん投げますよ」と本人は大いに張り切るが周りはハラハラするばかり。周囲の「無茶はしないでくれ。治ったばかりなんだから」の声は通じない?


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# 879 週間レポート 日本ハムファイターズ

2025年01月15日 | 1977 年 



アッといわせた " 三匹の侍 "
「札幌は " 北へ帰ろう " シリーズなんだ。縁起が良いからな」とフロント陣も大沢監督も大いに期待していた札幌シリーズ。オールスター戦明けの初戦は相性の良い阪急が相手。前期シーズンの快進撃は5月の八戸・青森の、みちのくシリーズでの3連勝から始まった。「阪急を倒して景気づけできれば快進撃が再び…」というわけだったが " 捕らぬ狸の皮算用 " になってしまった。初戦は山田投手に、次戦は稲葉投手に抑えられオールスター戦を挟み5連敗を喫した。3戦目を勝利し一矢報いるのが精一杯だった。

試合は負け越したが話題になっている日ハム3選手を紹介しよう。先ずミッチェル選手は下手投げの山田投手が大の苦手で30日の試合では4打数4三振でシーズン99三振で大台に王手となったが、ミッチェル選手は落ち込むことなく「サッポロは故郷のミルウォーキーと同じ緯度で気候も似ていてお気に入り」と遠征に同伴したリング夫人の従兄弟のジム・ジャクソン氏と札幌観光を楽しみ大好きなビールを堪能した。そのお陰なのか3戦目に勝利を呼ぶ23号本塁打を放ち、ホームランダービートップを快走するリー選手(ロッテ)を猛追する。

連敗を止めた試合の山下選手の一発も話題に。山下選手は4打数4安打と大暴れした富田選手に代わり守備固めとして途中出場した。「トミさんが4安打なら僕はホームランを打ってくる」と宣言して打席に向かった。「冗談もほどほどに」と富田選手や日ハムナインが一笑に付したのも無理はない。今シーズン巨人から移籍した山下選手はプロ10年で本塁打はゼロで11年目での初本塁打だった。巨人時代は代走や守備固めの出場がほとんどで打席に入る機会が少なかった。ベーブルース並みの予告ホームランに日ハムナインは驚いた。

一番デッカイ札幌みやげとなったのが杉田投手の好投だ。多摩川グラウンドでミニキャンプを張る高橋一投手に代わって2カ月ぶりに今回の札幌遠征から一軍に上がって来たばかりだった。「一軍に上がって直ぐに先発に起用されるなんて光栄だった。チームの信頼を裏切らない為にも頑張らないと」と3戦目に先発するとあわや完封の1失点の完投勝ちで2勝目を上げた。「立ち上がりに一死三塁で加藤秀さんを三振に抑えたのが大きかった」と試合を振り返る。「夏場の暑い時期に間に合って他の投手の負担を減らせる。杉田の復帰は大きいよ」と新山投手コーチもニッコリ。


中止のココロ

札幌シリーズにはつきもので選手らが楽しみにしていたのがビール園でのジンギスカン鍋の会食が中止に。選手らはさぞかしガッカリしているかと思ったら「仕方ないな」と諦め顔。というのも昨年は飲んで騒いでと大盛り上がりだったが、翌日の試合は二日酔いする選手が続出しダブルヘッダー2試合を連敗してしまった苦い経験があるからだ。練習開始が翌朝8時半なのに宴会は二次会、三次会と続き深夜遅くまで飲んでいたら勝てるわけがない。「去年を反省して中止になっても文句は言えないよ」と選手も心得て中止のココロを読んでいた。


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# 878 週間レポート 近鉄バファローズ

2025年01月08日 | 1977 年 



ついに日本一! 米田 " 945 "
米田哲也投手が7月31日、日生球場での対クラウン7回戦で先発した板東投手が打たれ、大量5点のリードを許した4回表から三番手投手として登板し、金田正一(現ロッテ監督)が持っていた通算944試合の最多登板記録を更新した。初登板は阪急時代の昭和31年4月3日の対大映2回戦だった。マウンドを降りた米田投手は首にタオルを巻いてリラックスした表情で報道陣の前に姿を現し「長く投げてりゃいつか出来るこっちゃ。カネさんもこの記録を破られるのは時間の問題と思っていたやろ」と高揚感もなく淡々とコメントした。

22年間もプロの世界で投げ続けた男にとって敗戦処理としての登板は屈辱的であった筈だが、老雄は日頃から「どんな場面でも手を抜くのはプロとして失格だ」と言い続けていた通り必死で投げた。ウイニングショットのフォークボールを駆使して懸命のマウンドだった。だが現実は厳しく力の衰えは隠し難く8回表には無死から吉岡選手、大田選手に連打され佐藤文投手に後を託し降板した。「次は350勝やな。その時は良い投球をしたいね」と、あと2勝で達成する通算350勝に超ベテラン投手は早くも気持ちを切り替えている。


“ 25本は打ちたい " 羽田
羽田選手が対日ハム3回戦で自己ベストの16号本塁打を放った。1対3とリードされた6回に佐伯投手から左翼席場外への一発だった。羽田選手はこれまで昭和48年12本、49年14本、50年15本、51年6本だった。試合が引き分けに終わった為か「一応、目標は達成しました」と言葉少なだった。バディ、ジョーンズ選手の両助っ人が不振とあって羽田選手が四番の重責を任され、打率も徐々に上がってきている。この調子が続けば自己ベスト記録は大幅に伸びるだろう。四番打者として25本塁打が最低ラインだ。

ダメ外人
左足肉離れの治療でアメリカに帰国しているバディ選手が球団事務所に近況を知らせてきた。それによると7月13日に帰国した後にロスアンジェルスのF・ジョベ医師の診断を受け、骨には異常はないが左ヒザの筋肉が腫れているため炎症止めの注射治療を続けているそうだ。近鉄は目下12球団最低のチーム打率に泣いているだけに助っ人の再来日が待たれるが「いつ治るか分からんようでは話にならん。こっちに帰って来る頃には後期シーズンは決着しとるんとちゃうか。当てにはしとらんよ」と西本監督はダメ外人にすっかり愛想を尽かしているようだ。


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# 877 週間レポート 南海ホークス

2025年01月01日 | 1977 年 



丈夫で長持ちとはこのこと
ノムさんがまたひとつ長寿に相応しい記録を更新した。21年連続2桁本塁打というやつである。対ロッテ6回戦の9回に成田投手から放った10号本塁打がそれ。昭和32年に30本塁打を放って以来、20本以上の連続記録は昭和49年の12本で途切れたが、昨シーズンも10本を放って2桁本塁打記録は続いていた。プロ24年目で今年のオールスター戦では最年長出場記録を塗り替えた。「長くプレーしていれば自然と記録というものはついてくる。この歳になると記録とか数字というものがプレーを続ける励みになる。嬉しいもんや。ワシの知らない記録があったら教えてな」とまだまだ隠居する気はないようだ。

捕手としての出場記録は日本はおろか大リーグの記録も塗り替えてしまい今や世界最長息の捕手となった。出場記録ばかりか通算安打をはじめ、最多塁打・最多得点打・最多犠打・最多三振など最多記録がゾロゾロ並ぶ。全てが1日、1試合の地味な努力の積み重ねから生まれてきた結晶の記録だ。「まだまだプレーは続けたい。たとえボロボロになってもやりたいなぁ。ワシから野球を取ったら何もないからの」と老いてますます盛んな御長寿ノムさんである。


門田は珍記録達成
ノムさんの記録には及ばないが門田選手がオールスター戦で珍しい記録を達成した。名付けて「3試合連続受賞」だ。昨年の第2戦で最優秀選手賞、第3戦で敢闘賞を受賞したのに続き、今年の第1戦でも敢闘賞を受賞した。これで足掛け2年の3試合連続受賞を果たした。昨シーズンあれだけ騒がれた " グリーン旋風 " の中心打者だった男だけに「今年もオールスター戦で何か受賞せんと格好わるい」と前々から言っていた。受賞を果たし重責から解放されたが、続く第2・3戦は良い所なしで今度は反省しきり。「疲れがドッと出てプレーに集中出来なかった。申し訳ない。このお詫びは公式戦で」と上田監督(阪急)には物騒な発言をした。

我が家
オールスター戦明けから藤原選手が元気に三塁手として戻ってきた。怪我で戦列を離れていたが、治った後も一塁や指名打者に回されたりでホットコーナーから遠ざかっていた。「ここ(三塁)だと強い打球が飛んでくるが慣れているので気分は楽です。指名打者は試合に出ている気がしない」と久々の我が家に気分が良さそう。帰ってきたホットコーナーでハツラツプレーを発揮する藤原選手に首脳陣もホッとした表情。「やっぱり、チャイ(藤原)がいると安心」と野村監督も目を細めた。


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# 876 週間レポート 阪急ブレーブス

2024年12月25日 | 1977 年 



ホームランで復帰の挨拶
頼りになる男が2ヶ月ぶりに戻って来た。「ボク、休んでいる間に腕力が強くなったのかな」とジョークが飛び出すマルカーノ選手が戦列復帰を本塁打で飾った。練習中に打球を左眼下に受けたのが6月11日。安静と治療に専念し7月26日に主治医からゴーサインが出た。8月の日ハムとの札幌遠征から復帰し、阪急キラーの高橋直投手から値千金の同点本塁打を放った。ちょうど50日ぶりの試合でいきなりの本塁打に「彼の復帰を僕らが打って祝ってやろうと思ったら逆に彼に助けられたよ」と福本選手は苦笑い。

マルカーノ選手の一発に「最初の2~3試合でゲーム勘が戻りさえすれば御の字と思っていたら何のことはないポカスカ打ってくれた」と上田監督や中田打撃コーチは大喜び。気楽な打順で打たせようとマルカーノ選手を七番に起用したことがそれを表している。まさに案ずるより産むが易しだったわけだ。マルカーノ選手はチームが前期優勝を果たした時は病院のベッドの上にいた。もし怪我をしていなければ出場確実だったオールスター戦もテレビ観戦を余儀なくされ悔しい思いをした。

マルカーノ選手の復帰は技術面だけではない。陽気なベネズエラ男がいるだけでチーム内の雰囲気はパッと明るくなる。「ミナサン、ボクガイナクテ、サミシカッタデスカ」と笑顔で話しかける。力強い助っ人のカムバックは快調に後期シーズンを滑り出したクラウンの鬼頭監督やロッテのカネやん、南海のノムさんたちの苦虫を嚙み潰したようなイヤ~な顔が手に取るように伝わってくる。


ウイリアムス1人ニンマリ
このほどの北海道遠征は昭和36年の対オリオンズ戦以来、実に16年ぶりだった。この遠征に上田監督が粋な計らいを見せた。遠征に家族の同伴を認めたのである。上田監督の配慮に阪急ナインは「久しぶりに女房孝行ができる(山田投手)」と喜んだが、蓋を開けてみると家族を同伴したのはウイリアムス選手のみだった。福本選手や山口投手ら幼い子供がいる選手は「もうちょっと大きくなって周りに迷惑がかからなくなったら」と遠慮したらしい。「ボクの家族だけ楽しんで申し訳ないねぇ」と恐縮しながらウイリアムス選手は試合が終わると札幌周辺の観光名所を見て回った。

愛のムチ
ルーキーの佐藤義則投手がご当地での登板を飾れなかった。先の北海道遠征で佐藤投手は対日ハム戦で制球難で3回もたずに降板した。江差港から船で3時間ほどの奥尻島の生まれ。札幌から8時間ほどの距離があり、正直ご当地と呼ぶには遠いが円山球場に両親はじめ親戚一同がつめかけた。漁師の父親・義美さん(54歳)は息子の晴れ姿を楽しみにしていたが打ち込まれ降板した息子に「もっと苦しんだ方が本人の為になる」と激励した。これぞまさしく親の愛のムチ。佐藤投手は「みんな楽しみにして応援に来てくれたのだろうに申し訳ない。この負けを糧にして頑張ります」と気丈に応えた。


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# 875 八重樫幸雄

2024年12月18日 | 1977 年 



ガッチリとした体つき。ちょっとやそっとでは壊れそうにないという感じである。決して饒舌ではない語り口だが皆から「ハチ」の愛称で親しまれており、それがまた彼の魅力のひとつである。

絶好のチャンスだから是非とも頑張らなくては
聞き手…大矢選手の怪我のあと頑張っていますけど調子は?
八重樫…そうですね、まぁ調子は悪くないです
聞き手…広岡監督はリード面を評価しています
八重樫…安田さんと組んで4連勝しましたが僕のリードじゃなくて安田さんのお陰です
聞き手…またまた御謙遜を。昨シーズンまでは主に代打で出場していましたね
八重樫…そうですね。途中ちょっと怪我で休みましたが
聞き手…後半戦は守りの面でも注目されます
八重樫…与えられたチャンスに応えないといけないと思っています
聞き手…広岡監督から何かアドバイスはありましたか?
八重樫…投手のリードも打撃も強気でいけと言われています
聞き手…大矢選手にライバル意識ありますか?
八重樫…勿論あります。僕だけじゃなくて選手は全員持っています。プロですから
聞き手…控えでベンチにいる時も相手打者を研究しているそうですね
八重樫…ええ、大学ノートにメモしています
聞き手…プロ入り前は捕手以外のポジションも経験されたとか
八重樫…投手以外は一通りやりましたが性に合っていたのはやはり捕手でした
聞き手…捕手というポジションは重労働でしょ?
八重樫…やはり疲れます。特に精神面での疲労は大きいです。でもその分やり甲斐もあります

僕は亭主関白で厳しいでしょうね
聞き手…昨年のオフに長年の恋が実ってめでたく幸子夫人とゴールインしました
八重樫…えへへ(照れ笑い)
聞き手…馴れ初めを教えて下さい
八重樫…高校3年の冬休みにクリスマスパーティーをやったんです。僕がいた仙台商は男女交際に
    厳しくて彼女はいませんでした。高校生活も残り少ないからと野球部の友達がパーティーを
    開いたんです。そこで知り合いました。卒業してから3年くらいブランクがあったんですが
    再会して付き合い始めて4年後に結婚しました。

聞き手…結婚すると野球のプレーでも気持ちが違いますか?
八重樫…それはありますね。独り身の時みたいにノンビリできないですから。やっぱり生活が
    かかっているというか、気持ちが引き締まるっていうのは感じます

聞き手…お子さんはまだですがやはり男の子が生まれたら野球をやらせたい?
八重樫…まだ生まれてもいないので(苦笑い)
聞き手…亭主関白と愛妻家、ご自分ではどちらだと思いますか?
八重樫…そうですねぇ、亭主関白ですかね
聞き手…なんとなく分かります。口数も多くないし、一見すると怖い印象を受けます
八重樫…そうですか?まぁ短気は短気ですけどね。高校時代と比べたら穏やかになった気はします
聞き手…暴れん坊だった?
八重樫…人に手を上げることはなかったですけど、すぐカッとするタイプでした(苦笑い)
聞き手…後半戦も活躍を期待しています。今日はありがとうございました
八重樫…はい、頑張ります。ありがとうございました


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# 874 未来のヒーロー ④

2024年12月11日 | 1977 年 



寿司職人からプロの世界へ
開幕前に一番の話題となったのは柴田民男投手(大洋)ではないだろうか。夢に向かって猪突猛進していた男が遂に己の限界を知り夢を捨てた。昨年夏の都市対抗野球に富士重工の柴田投手は日立製作所の補強選手として出場した。日立製作所は1回戦で住友金属に敗れ柴田投手も大会を去った。大会後に柴田投手は年齢(28歳)と実力の限界を悟って野球から身を引いた。同時に富士重工を退社した。「野球をやめるんだからサラリーマンでいたってつまらない。自分の腕一本で食っていきたい」と兄・明さんが経営する東京・向島にある「柴寿司」で修業をすることにした。富士重工時代に知り合った柳子さんと結婚もして第二の人生を歩み出した。

暮れも押し迫った12月に一人の紳士が柴寿司に現れた。大洋の湊谷スカウトである。カウンター越にシャリを握る柴田に湊谷スカウトは「なぁ柴田君、いっちょウチで勝負してみないか。君ならやれると思う」と声をかけた。状況が飲み込めぬ柴田はその紳士が湊谷スカウトだと知ると放心状態になり「えっ、まさか…」と狐に化かされたようにキョトンと固まってしまった。日大三➡日大➡富士重工と野球を続けたのは「俺の夢はプロ入り」という願いを叶えるため。その野球をやめたのもプロになれないなら続ける意味がないと思ったからだ。しかも、もう独身じゃなく責任がある。自分の夢だけを追っていい立場じゃない。


無失点デビュー
悩む柴田を後押ししたのが兄・明さんと柳子夫人だった。「男だったらプロでやってみなさいよ。寿司屋の修業は後でいいから」と。そうして寿司職人柴田は柴田投手に戻り白球を握った。春のキャンプから柴田投手は飛ばした。別当監督や堀本投手コーチはニコニコで「こりゃ掘り出し物だ」と口を揃えた。しかし好事魔多し。5ヶ月間のブランクは大きく右ヒジ痛でダウンしてしまった。だが夢だったプロの世界で負けてたまるかと奮起し、黙々と走り込んで故障の回復に努め早期に投げ込みを再開した。開幕一軍はならなかったものの、オールスター戦期間中の一軍練習に参加し、主力打者をキリキリ舞いさせて一軍昇格を果たした。

8月2日の阪神戦(甲子園)で念願のデビューとなった。6回裏から2イニングを投げ、4安打されたが得意のシュートで2併殺を奪い無失点に抑えた。「やっぱり緊張で地に足がつかなかった。本当に嬉しいです…」と声を詰まらせた。憧れの甲子園球場で無口な男が精一杯の喜びを表現している頃、東京では明さんと柳子夫人は「本人も嬉しいでしょうが私たちも大喜びです。良かった良かった」と祝福した。別当監督も柴田投手の好投に大満足でこれからも柴田投手をどしどし投げさせるそうだ。夢だったプロ野球の世界で次はエースへの夢を膨らませる柴田投手である。



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# 873 未来のヒーロー ③

2024年12月04日 | 1977 年 



打たれても青雲の志を捨てぬ
巨人の入団テストを受けるも不合格。ならば巨人を見返す為にと阪神のテストを受けて合格した青雲光夫投手。文字通り " 青雲の志 " を持って阪神に入団した。その強肩ぶりは春のキャンプで注目され速球王の「山口二世」だと話題になった。あれから半年、真っ黒に日焼けした青雲投手はまだ屈託のない笑顔のままだ。「プロ野球ってそんな甘い世界じゃないですよ。まだまだ勉強しなきゃならないことが山ほど残ってます」と " 二軍ずれ " していない青雲投手が頼もしい。0勝3敗と二軍でも勝ち星は無く、久保二軍投手コーチは「正直いうと二軍の試合でも投げさせるレベルではない」と手厳しいが本人は前向きでへこたれない。

昨年10月に行われた巨人の入団テストを受けて、某スカウトから「合格だよ」と耳打ちされ喜んだが結果は不合格。ならば自分を落とした巨人を倒せる阪神の入団テストで遠投120mを投げて周囲を驚かせ見事合格した。そうしたプロ入りの経緯や反骨精神も阪神ファンを喜ばせた。「これは即戦力です」と吉田監督の一言でキャンプ中の安芸市営球場は大騒ぎとなった。早速マスコミは「山口二世」ともて囃し、青雲という珍しい名字もどこか浮世離れして興味を引きつけた。ドラフト1位指名の益山投手や前々年のドラフト5位指名で1年後れで入団した深沢投手ら即戦力投手を差し置いて安芸キャンプに抜擢された寵児だ。


一軍選手もビックリの球も
だが現実は甘くない。ウエスタンリーグで17イニングを投げて自責点7。本塁打も3本浴びた。「深沢さんや益山さんに比べて僕は経験が少ない。高校野球なら初球の甘いコースのストライクを見逃してくれてもプロは打ってくる。初めて経験することが多く大変です。プロの世界に慣れるにはもう少し時間が必要です」と。久保コーチは「ピッチングの型は出来ている。でも正確なコントロールや配球はまだまだアマチュアで二軍レベルでも通用しない」と手厳しい。キャンプで即戦力だと喜んだ吉田監督もとんだ勇み足だったが、並みのテスト生とは違い将来性は確実にある。

時々、打撃投手として一軍の練習に参加するが何球かに1球は一軍選手も手が出ないスピードのある球を投げる。それを目の当たりにした皆川一軍投手コーチは1ヶ月ほど前、二軍の試合で投げる青雲投手を見に行った。「カーブで攻めればよいところでシュートで勝負している。あの辺のテクニックが分かれば勝てるようになるよ。素材が良いのは間違いない」と評価した。現段階の青雲投手に高等な投球テクニックを求めるのは無理かもしれないが、逆に言えばそれだけ無限の可能性を秘めている投手なのだ。高校時代(島根・平田高)は県予選の1回戦に勝つのが精一杯で神奈川大学に進学するも中退。投手としての伸び代は充分残っている。

安芸キャンプで一歩リードしていた2人のルーキーに今は差をつけられた。益山投手は一軍のマウンドに立っている。右手首の腱鞘炎で二軍にいる深沢投手もいずれは一軍に上がるはずだ。「やっぱり悔しいです。でも2人は僕より野球を知っている。いろいろ経験値を積んで1日でも早く甲子園球場のマウンドに立ちたい」と野球エリートに対するライバル心は捨てていない。テスト生から300勝投手になった小山正明氏にあやかって背番号「47」のユニフォームを着ている青雲投手。その志は夏空の雲のように大きい。



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# 872 未来のヒーロー ②

2024年11月27日 | 1977 年 



ジュニアオールスターで見せた意地と力
今春キャンプで最大の新星と騒がれた酒井投手(ヤクルト)に対して本人も球団も " 酒井以上 " とぶち上げたのが久保康生投手。早いもので久保投手が近鉄のユニフォームに袖を通して7ヶ月。筑豊の小さな炭鉱町が生んだ逸材はプロの世界にも慣れてすっかり逞しくなった。入団時は78kgだった体重は厳しい練習により3kg減って引き締まり、逆に胸囲と腰回りは大きくなった。「高校時代よりちょっとスマートになったけどこれはプロの練習の賜物。自分で言うのも何ですが馬力はついた感じです」と久保投手は日焼けした精悍な顔で笑う。高卒ルーキーながら二軍投手陣の三本柱の一員としての存在感はなかなかのモノ。

二軍での成績はここまで2勝1敗。やや物足りない気もするが「きっちりローテーションを決めていて雨で中止になった試合が巡り合わせで多かったから登板機会が少なかった」と中西二軍投手コーチは言う。翌日にスライド登板させないあたりも将来のエース候補への配慮だ。久保投手が大物の片鱗を覗かせたのは7月24日のジュニアオールスター戦(西宮)だった。この晴れの舞台で久保投手は宿命のライバル酒井投手と顔を合わせた。近鉄との入団交渉では「実力は僕の方が上です」と言い張り、" 酒井並み " の契約金(3000万円)を要求して中島スカウト部長を手こずらせた経緯があるほど酒井投手へのライバル意識が強い。

プロ入りしてからもその気持ちは変わらないどころか増幅している。ジュニアオールスター戦で酒井投手が1イニングをぴしゃりと抑えた後の7回表に負けん気を剥き出しにしてマウンドに上がった。酒井投手より多い2イニングを投げ打者6人を1安打に抑えた。マウンドを降りた久保投手は「酒井君はあまり迫力が無かったですね、疲れがあるんでしょうか。一軍入りは後れをとったけど、(酒井投手は)実力で一軍入りしたとは思っていない。本当の勝負はこれからです」と顔を上気させて語気を強めた。


「2年目が勝負」と本人
手塩にかけて育てている中西二軍投手コーチの久保投手評は「カーブのコントロールの良さは相変わらず。高目に抜けていたストレートも下半身が鍛えられて修正出来てきた。頭のいい投手で呑み込みが早く調子が悪くても試合になればそれなりの投球が出来て新人ではレベルが高い。ブルペンでの良さをマウンドで発揮できない先輩の仲根投手とは好対照だ」と現段階では合格のようだ。今すぐにでも一軍に昇格させようと思えば可能な実力ではあるが、「中途半端な形で一軍に上げても本人の為に良くない」という西本監督の意向もあり今年は二軍でじっくり鍛えるのが球団の方針だ。

客寄せの為に人気先行で一軍に上げたものの失敗に終わった酒井投手の先例があるだけに「全て現場に任せてます。新人王を狙える器だと思うので、慌てず実力を充分につけてからでも遅くない」と山崎球団社長もじっくり腰を据えて構えている。西本監督や球団の思惑を知ってか知らずか当の本人も「まだまだ一軍で通用するとは思っていません。来年のキャンプまでは地道に体を鍛えて2年目が勝負です」とキッパリ。視線は来シーズンに向けられている。そういえば昨年暮れの入団会見でも同じことを言っていた。久保投手の志はその時から微塵も揺れ動いてはいない。実に楽しみなルーキーである。



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# 871 未来のヒーロー ①

2024年11月20日 | 1977 年 



人の噂も七十五日とか。春に話題にのぼった男たちもその後、つい忘れがちなもの。そこで " あの春一番 " ともいうべき話題をまいた未来のヒーローの近況をお知らせしよう。

大きく育てる為の英才教育中
180cm・75kg 、左投げ左打ち。立花義家選手は見た目には何の変哲もないルーキーの1人だが、スカウト界隈では凄腕と定評のある青木一三クラウン球団渉外担当重役が惚れ込んで松下電器に就職が内定していたのを口説き落としてクラウンに入団させた大器である。その立花選手を一目見て「素材は張本以上」と感嘆したのが東映時代に張本選手を育てた松木謙治郎氏だ。御年68歳の松木氏が張本選手以来18年ぶりに情熱を傾ける逸材に巡り合ったのだ。立花選手の感想を求められた張本選手は「めったに褒めない松木さんに認められたんだから立花くんは本物。中距離打者の理論では松木さんの右に出る人はいない。全てを任せて頑張れ」と述べた。

立花選手が大物に育つかどうかは本人の努力次第。球団も英才教育を施す方針で「松木さんには島原キャンプの臨時コーチをお願いした。1年を通して立花くんを見てもらうというわけにもいかず二軍が名古屋に遠征した時に指導してもらった。これからも事情の許す限り指導をお願いするつもりです」と青木球団重役。松木氏からのアドバイスを和田二軍監督を通じて立花選手に伝えるようにしているが、やはり直接指導が望ましいのは確かで今後の課題として球団も苦慮している。

「立花は足も速いし肩も強い。守備だけなら今の一軍選手より上かもしれない。打撃に関しては徹底的に体を絞り上げて体幹を鍛えている過渡的段階。使い勝手のよい選手でいいなら直ぐに一軍に上げてもいいけど、将来的にチームの中心打者として活躍してもらう為には少なくとも今年いっぱいは二軍で鍛えた方が本人の為にもチームの為にもプラスだと考えた」と和田二軍監督は言う。新人王の資格も近年は条件が緩和されたこともあり、一軍昇格したら新人王が確実なレベルの活躍を出来るように球団も考えている。

出場即新人王といった形のデビューにしたいというのが球団の考えで暫くは温存したいようだが、立花選手の成長度は球団の思いを超える。8月5日に行われたウエスタンリーグのトーナメント大会で最優秀選手に選ばれるなど早くも実力の非凡さを示した。「何をやらせてもサマになる選手。天性の何かを持っているし、実に熱心でタフ。暑い今はさすがにバテがきているが、この夏を乗り越えればもう一段階飛躍できるでしょう」というのが和田二軍監督の見方だ。春の話題をさらった男は順調に成長しているようだ。



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# 870 永射 保

2024年11月13日 | 1977 年 


行き先を告げず姿消す
実はインタビューを予定していた日には永射投手に会えなかった。彼は宿泊先のホテルのフロントに「すみません、インタビューは明日に変更してください」と私へのメッセージを託して独りで大阪の夜の街に出掛けてしまったのだ。その日(7月31日)は日生球場の近鉄戦に永射投手は先発登板した。序盤からクラウン打線が爆発し7点リードしていたが、3回裏に羽田選手に3ラン本塁打を打たれたところで降板させられた。よほどショックだったのか誰にも行き先を告げず消えてしまった。「彼を許してやってください。悔しさと情けなさで自分が嫌になったんだと思います」と同僚の古賀投手が永射投手に代わって頭を下げた。

私も辛くなってきた。永射投手に会えないのは残念だったが、それより3ラン本塁打を浴びて降板させられ宿舎に帰るなり姿を消した気持ちがひしひしと伝わり気の毒な思いだった。翌日の昼に私は再びホテルを訪ねた。彼のショックはまだ癒えていないはずと思い、私は昨夜の件は口にしないと心に決めていた。顔を合わせるなり永射投手は「昨夜は申し訳ありませんでした」と謝罪した。「曽根崎のスナックで夜中の2時過ぎまで飲んでました」と話す永射投手の表情は意外にもスッキリしていた。いかにも若者らしく爽やかさと生気を取り戻していた永射投手に私はホッとした。

強く印象に残る1勝目
プロ入りは5年前。指宿商からカープに入団した。1年目は1試合に登板し0勝0敗。2年目は20試合に登板したが0勝0敗と結果が出ず、当時の別当監督(現大洋監督)は「今のままじゃ通用しないので投球フォームをサイドスローで投げてみろ」と命じた。左腕でサイドスローは珍しく、小柄な体格のハンデを克服しプロの世界で生き残るにはそれしかないとフォーム改造を決めた。「サイドに変えてみたらコントロールが良くなった。力まずに八分の力で投げても球のキレが良くなりました」と本人も手応えを感じた。だが現実は甘くなく、2年目のオフに太平洋クラブへトレードされたが移籍後も勝ち星をあげることは出来なかった。

やっと勝てたのは昨シーズンの藤井寺球場での近鉄戦で既にプロ入り5年が経っていた。「九州の両親に電話をしました。『よかったな』とうめくように言ってくれた親父の一言を今でも憶えている」と浅黒い顔に思わず笑みが滲み出た。父親は鹿児島県の大浦町で果樹園を経営している。スポーツ一家で父親も2人の兄もマラソンが得意だ。「実は僕もマラソンが得意で高校時代は県大会の駅伝に出たことがあるんです」と。そう言われてみると 身長171cm・体重76kgと小柄な体格の割に足腰と胸板の発達が目につく。そこに強靭なバイタリティが秘められているように思える。


念願を球宴で果たす
今シーズンの永射投手は既に8勝をあげ優勝候補の阪急を抑えて首位に躍り出たクラウン投手陣の貴重な支柱となっている。その左腕はオールスター戦で3連投し、全セが誇る王・張本選手のOH砲をピシャリと封じた。「第1戦で王さんをファーストゴロ、張本さんはセンターフライに抑えた。2戦目は2人から三振を奪い、3戦目はセカンドゴロと四球だった。3連投は批判もあったけど僕は大満足です」と過去5年の苦渋から一気に解放されたかのような活躍だった。「広島時代にワンポイントリリーフで王さんと対戦したんですけど打席の王さんと目が合った瞬間に体がすくんでしまった。まさに雲の上の存在なんです」と当時を振り返った。

その時の登板を含めて王選手に2本の本塁打を許した。「自分の力の無さを思い知らされました。でもいつか絶対にそのお返しはしたいと心に秘め続けてきました。その念願がオールスター戦の舞台で果たすことが出来て嬉しかったです」と感慨深げに話す。子供の頃に西鉄ライオンズに憧れプロ野球選手を目指した少年は、その夢を実現させ栄光のスターダムへの道を力強く歩み出している。インタビューを終えると近くにいた年輩の紳士が「クラウンの永射投手ですよね。頑張って下さい応援しています」と言うと「ハイ、ありがとうございます」と応じる永射投手を見て夢が叶ってよかったなぁと感激した。23歳の若者の将来は無限に広がっている。



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# 869 覆面記者座談会 ②

2024年11月06日 | 1977 年 



大洋の川上哲治招聘の真実性
A記者…来シーズンから横浜に移転することが決まった大洋もミステリーじみた話が多いね。中でも
    川上哲治氏の監督就任説には驚いた

B記者…これには根拠があるんだ。横浜スタジアム設立発起人会ができた時に大洋球団の累積赤字を
    減らす為に西武グループが資本参加して45%の株式を保有した。それを機にユニフォームの
    袖から「マルハ」のマークが消えたことから、いずれ大洋を西武が買収するのではという噂が
    広まった。

D記者…でも西武グループの堤義明社長は球団経営には手を出さないと明言していた
B記者…そう。その代わりにV9監督の川上さんを招いて大洋を常に優勝争いが出来る強豪チームに
    建て直して欲しいと堤義明社長が球団に要請したと言うんだ

C記者…川上さんが監督になればチームも強くなるだろうし球場経営も成功間違いなしという計算だね
D記者…ファンにとっても楽しみが倍増するだろうね、長嶋監督との師弟対決実現で。ただそうなると
    別当監督の立場が微妙になってくる。田代選手や高木選手を育てて、万年Bクラスだった大洋を
    勝率5割ラインまで引き上げた功労者だから

B記者…でも今シーズンの別当監督は失政もある。堀本投手コーチの起用だよ。ルーキーの斎藤明投手は
    出てきたものの、エースとなるべき奥江・間柴の左右の両輪はサッパリ。理由は堀本コーチの
    指導方法だと言われている。

D記者…いやそれはコーチが悪いんじゃなくて投手自身がだらしないんだ。大洋投手陣の伝統だよ
A記者…そうも言えるね。もし仮に川上監督が誕生したら別当さんはヘッドコーチが適任じゃないかな

クラウン勝って鬼頭監督の行方は
C記者…話題をパ・リーグに移そう。例年ならパ・リーグの方が怪談じみた話が多いが今シーズンは静かだね
D記者…前期は本命の阪急が優勝。後期はクラウンの躍進でパ・リーグ人気に火が点いた。本来なら鬼頭監督が
    評価されておかしくないのに何故か今季限りの声が多い

B記者…ドローチャー監督の代役にしては長く続いた方でしょ。昨年は前後期ともに最下位。今年の前期も
    最下位だったから後期シーズンが良くても来年も任せられるかは疑問だよ

A記者…後任候補は大洋同様に九州(熊本)出身の川上さん、西鉄黄金時代を築いた投打のスター稲尾さんと
    中西太さんの名前が挙がっている

B記者…地元では稲尾さんを推す声が多い。中西さんはライオンズを去った時の印象が今でも悪い
C記者…例の黒い霧事件で逃げるようにヤクルトの打撃コーチになった件ね
D記者…鬼頭さんの他にもカネやんの動向が怪しいと耳にしたけど意外だね
A記者…重光オーナーがカネやんが監督に就任する時に「金田くんがロッテを去る時は私が球団を手放す時だ」と
    言ったそうだからクビはないだろうけどロッテ本社筋でカネやんの信用は薄れてきている

B記者…話は飛ぶけど川上さんと鶴岡さんがセ・パ両リーグの会長になるかもという噂は聞いた?
C記者…鈴木セ・リーグ会長は高齢だし、岡野パ・リーグ会長は血圧が高く眼底出血の症状が出て、奥さんから
    仕事を辞めるように説得されたそうだ

D記者…日本では選手出身の会長は過去にいないけど大リーグは当たり前になっている
A記者…日本のプロ野球界もそういう時代に来ている。この2人の会長さんが誕生するもしないも各球団の
    オーナー達の胸算用ひとつ。是非とも実現して欲しいね




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# 868 覆面記者座談会 ①

2024年10月30日 | 1977 年 



お盆の8月は怪談とミステリーの季節。プロ野球界も毎年この季節になると色々な怪談が生まれる。その真打が監督更迭のミステリー。担当記者諸氏にその怪談の出処など話してもらったのだが、その正体は実体はヒュ~・ドロドロ…

阪神・村山監督再出馬難航で吉田安泰?
A記者…お化けの季節だけど球界の幽霊話は聞かなくなったね
C記者…そうでもないよ。元巨人の湯浅投手の話とか
A記者…えっ、本当の幽霊話?
B記者…5年ほど前に急死した湯浅投手の幽霊がよみうりランドの合宿所に現れたって話ね
C記者…そうなんだ。2~3年くらい前から夏になると選手が考えられない怪我をするようになったのも
    湯浅投手の祟りじゃないかと。湯浅投手が亡くなったのも夏だったから

D記者…言われてみればそうだね。新浦投手の右目に打球が当たり怪我したのもオールスター戦だったし
B記者…オールスター戦明けのヤクルト戦で河埜選手が背筋痛で離脱し後半戦は2勝4敗と苦しいスタート
C記者…でも巨人のV2は動かないだろうな。追う阪神がだらしない。吉田監督の首が怪しくなってきた
A記者…確かに今年の阪神は強い時は大リーグ級だけど弱い時は草野球並み。情けないよ
D記者…でも吉田監督の評価は本社のお偉いさん筋には受けが良い
B記者…元監督の藤本定義氏も田淵、ラインバックらの怪我は想定外で吉田監督を責めていない
A記者…しかも後任監督に目ぼしい候補がいない。人気では村山さんが一番でフロント陣の評価も悪くないが
    村山さん本人にその気がない

B記者…そりゃまた何故?
A記者…村山さんはSSKを退社して自身で運動具会社を興したばかり。社長業と評論家の両立でスケジュールが
    一杯だそう。消去法で吉田監督続投となりそうだ。


与那嶺の采配いかに、今年まで?
C記者…さて広島だが古葉監督は遂に8月5日に正式留任が決まった。でもルーツ監督時代の活気は無いね
D記者…トレードの失敗に尽きる。一時は山本一打撃コーチが監督代行になるのではと噂されていた
B記者…開幕前は広島と中日が優勝候補の双璧だった。それが揃って最下位争いするとはね
C記者…与那嶺さんも覚悟は出来てるみたい。ちょうど契約も切れるし潮時だよね
A記者…後見人でもある小山オーナーがバックアップしてるけど新聞業の商売敵である巨人に昨シーズンから
    後楽園球場19連敗。今シーズンも2勝11敗1分けじゃ援護のしようがない。

D記者…後任は中利夫コーチの昇格が有力視されているけどネームバリューは今ひとつだし選手間の人気もない
C記者…牧野さん(元巨人)の名前も昨年あたりは盛んに挙がっていたけど、今の収入(推定5千万円)を
    手放してまで火中の栗を拾うことはないだろうね

B記者…中コーチ、近藤貞夫氏の他にも地元(岐阜商)出身の森昌彦氏までリストアップしてるそうだ
A記者…森氏は面白いね。評論家としての評判も良いし長嶋政権がこの先も続きそうで巨人では出番が回って
    来そうもないし、中日の監督として長嶋巨人との因縁対決は注目を浴びる

C記者…そういえば土屋亨球団総務が今年から東京駐在になったけど、さては森監督への口説き役かと
    冷やかされてたね。本人はニヤニヤして肯定も否定もしなかったけど、あとは森氏の気持ち次第だね

D記者…" 森監督 " がお流れになったら高木選手のプレーイングマネジャー昇格も有り得る



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