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Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 852 カネやんロッテ

2024年07月10日 | 1977 年 



あの前期のだらしなさがウソのようにカネやんロッテの躍進は素晴らしい。首位街道を突っ走って意気軒昂と思ったらそうでもなかった。意外にオトナシク静かなのだ。どうやらカネやんの変貌なのか、強くなったこととカンケイあるのかな…

夏に強い秘密と再生屋の真骨頂
なんとも鮮やかなロッテの変わり身である。オールスター戦前まで5勝6敗1分けと相変わらず不振をかこっていたが、球宴明けの16試合を10勝3敗3分けと蘇った。昭和49年のリーグ優勝以来の7連勝などで一気に首位に躍り出た。思い返せば前期シーズンは散々の成績でパ・リーグではロッテ以外の球団が観客動員数を伸ばす中、唯一前年同時期と比較し減少した。当然ロッテファンからの風当たりは強かった。それがアッという間にパ・リーグの主役になった。8月9日に首位に立つとカネやんは「ロッテの夏がやって来たんや。これからもドンドン行くで」と怪気炎をぶち上げた。

翌10日、宿敵の阪急戦で1点リードを許した9回二死一塁から登板した速球王・山口投手を攻め満塁とし、新井選手の右前打で逆転サヨナラ勝ちを収めた。スタンドを歓喜の渦に巻き込む快進撃の秘密はどこにあるのだろうか?確かにロッテは人々が暑さでウンザリする夏場になると強さを発揮する。日本一になった昭和49年も、前・後期シーズンともに3位で優勝を逃した昨年も8月の声を聞くと勝ちまくった。「ロッテ名物の死のランニングは何の為やと思う?伊達や酔狂で走っているわけじゃないんやで。夏の暑さに負けないスタミナを養う為に走っとるんや」とカネやんは胸を張る。

戦力面では投手陣の再整備、特に三井・成田投手の立ち直りが大きい。両投手はキャンプの時点で右肩痛を発症し出遅れが必至だった。それを見込んだカネやんは勝負所は後期シーズンと設定し、前期シーズンではエース・村田投手を酷使せず温存した。オールスター期間中の休みに三井投手をマンツーマン指導し、自らの目で回復ぶりをチェックして三井投手の復活を確信した。「完投してくれとは言わん。2イニングでエエからピタッと抑えてくれるリリーフの切り札になって欲しかった。三井にはそれが出来ると思った」とカネやん。

前期シーズンの死んだふりは後期シーズンを前にしての作戦だったのだろうか。三井・成田投手が戦列に復帰すると戦い方が変わった。好例が8月4日の対クラウン5回戦だ。5人の投手を惜しげもなく継ぎ込んで珍しい5投手による完封劇を果たした。後期シーズンに入り好回転しだした中で移籍選手の活躍も目立った。クラウンから来た白選手は指名打者をガッチリ掴み、実績が乏しかった安木投手は中継ぎ投手どころか先発ローテーション入りしそうな勢いだ。中日を自由契約となりテスト入団した末永選手も持ち味を発揮している。「再生屋はノム(南海・野村監督)ばかりやない。どんな選手もワシの言う事ことを聞けば蘇るで」とカネやんは得意顔。


いい意味でのカネやん離れ
ともすれば余りにパーフェクトを求める監督に対し距離を置く " カネやん離れ " がチーム内で起きていた。またカネやん自ら文字通り陣頭指揮によるムード野球に慣れが生じていた。どの世界でも慣れは怖い。慣れることで思わぬところで墓穴を掘ってしまうケースが多々ある。気性の激しいカネやんが檄を飛ばしても慢性から選手たちは踊らなくなっていた。加えて報道陣の前でミスをした選手をヤリ玉に挙げる回数が増えたことでチーム内にシラケたムードが漂うようになった。こうなるとチーム力は自ずと減じていくものである。前期シーズンではカネやんが雷を落とせば落とすほど勝てなくなった。

チームのカネやん離れが後期シーズンでは好結果に結びついている。監督就任5年目にして「ようやく選手自身がプロフェッショナルとして自立し始めた」というのが外部の声だ。選手が自分のするべきことは何かということを割り切っているのがこれまでと異なる点。各自が己の立場で持てる力を出せば良い、というムードが漂い始めている。それがバラバラのものではなくチームの勝利に向けて結束している。このままいけば後期シーズン優勝も不可能ではない。まさに選手が大人になったことでチーム力が急上昇したのだ。誰かれとなしに優勝という2文字に向かって動き出した気配が濃厚となった。


監督のジンクス打破実現へ
かつてのようにラッパを吹かなくなったカネやんだが、それは計算してのことだ。「ムード野球じゃ勝てん」と監督就任時のムード野球を自ら否定し地道な野球に変わりつつある。タレント監督として前面に出るよりあくまでロッテナインの自主性を重んじる効果に勝負をかけている。チーム内からは「監督がこれまでと全く変わったとは思わないが、それでいて勝負への気持ちはこれまで以上に伝わってくる」という声が聞こえてくるのはカネやんの変身が成功した裏付けだろう。社長業やタレント業を放棄したわけではないが、それ以上に野球に対する熱量が上回った結果だろう。

カネやんは「ワシは何もせんでええのや。コーチ陣が全てやってくれている」と軽くいなすがナインに向ける視線は強烈だ。何もせんでええ、は大袈裟だがその姿勢こそカネやんの視野を広げる一因になろう。信頼関係を構築し自主性がチーム力を後押しすることになる。5年前の監督就任会見での第一声「 " 名選手必ずしも名監督にあらず " などというジンクスは信用せんでくれ!」を実証する絶好のチャンスであることは間違いない。ロッテファンならずともそのジンクス打破に大きな期待を寄せているのだから。



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# 851 サダハル・オー ②

2024年07月03日 | 1977 年 



前人未到の756号ホームランへ挑戦する王選手。その記念アーチが架かるのも間近だ。ひとくちに756号といっても、そこには王選手のみが知る長い苦労の道がある。今日はその苦労話をじっくり聞いてみよう。

苦しんだがゆえに達した世界への道
聞き手…今年のキャンプの時から心がけていた集中心の具合はどうですか?
王選手…集中心というのはやっぱりある程度、結果が伴っていないと持続できないと思い知らされました。
    バッティング練習の集中とは全く違う。

聞き手…持続ね。実際の試合で投手に相対する場面はその都度違うので難しいですよね。
王選手…ハイ、だから一生懸命集中しているつもりでも打てないと弱気になりますね。状態が悪い時は
    気持ちが守勢に回って、どんどん技術的な事ばっかり考え込んでしまうんです。

聞き手…考えれば考えるほどがんじがらめになってしまうような?
王選手…そうなんです。今年ほど相手投手のストレートが速く感じたことはなかった。去年までと相手の
    顔ぶれは変わらないのにおかしいなって、また考え込んじゃう悪循環ですね。

聞き手…そういえば見ていて今年はボール球に手を出す場面が多い気がします。
王選手…ええ、焦って悪球に手を出してしまうんです。
聞き手…君ほどの選球眼が良い選手がそうなるなんて余程の事ですね
王選手…ツーストライクになるのが怖いんです。だから早いカウントで打ちにいっちゃう。
聞き手…苦しんだ度合いから考えたら今シーズン前半が一番だったんじゃないの?
王選手…そうですね。変な話ですけど幻影に怯えたというか、自分の年齢を意識しましたね。これまで
    スランプになっても技術面の事は考えたけど年齢や体力面を考えたことはなかった。でも今年に
    なって体力の衰えを意識したことが一番イヤでした。

聞き手…なるほどね。

キングを獲ることの効用
聞き手…ホームラン打者というのは悪い時期があっても打ち出したら続いて打てるもんでしょ?
王選手…ハイ、普段はそうですね
聞き手…それが今シーズンは良くなったと思ったらまた途切れることが多い。一番苦しんだんじゃないの?
王選手…本当に歯がゆかったですね。今シーズンみたいな感覚は初めてです。
聞き手…初めてなんだ
王選手…数字だけ見ても最初は田代(大洋)が走ってブリーデン(阪神)が続き、それをコージ(山本浩二)が
    追うという争いに自分は加われない状態に忸怩たる思いでした。

聞き手…でも現在はトップを走っているわけだから
王選手…でも安心は出来ません
聞き手…あくまでも個人的な意見だけど今年は何が何でも本塁打王にならなくちゃダメだよ
王選手…やはりそう思いますか
聞き手…ダメというのはアーロンを抜いて世界記録を更新した年に日本の本塁打王が大リーグの
    中古品であるブリーデンじゃ締まりがないでしょ。せっかくの世界記録が色褪せる。

王選手…肝に銘じておきます.
聞き手…それにタイトルを獲ることで選手寿命も延びると思う
王選手…そうですね。来年も頑張ろうと気持ちにハリが出ますから

日本中が沸く756号はいつか?
聞き手…僕が現役で一緒に巨人でプレーしていた頃の君はよく寝ることで有名だったけど今もそう?
王選手…睡眠時間はだいぶ短くなりましたね。昨夜も寝たのは夜中の2時頃で10時には起きました。
    自然と目が覚めてしまうんです。睡眠に関しては明らかに歳をとったと感じますね(苦笑)

聞き手…若い頃は体を揺すっても起きなかったからね。遠征で寝台車に乗って駅に到着しても起きなかった。
王選手…今じゃ起こされる方から起こす方に変わりましたよ(笑)
聞き手…本題の世界記録更新について、いつ頃達成しそうですか?
王選手…雨でだいぶ試合が流されましたが順調にいけば9月頃じゃないですか。
聞き手…例年の調子ならね
王選手…連覇に向けてチームの調子も良いし僕もそのリズムに便乗してなるべく早く達成したいです。
聞き手…記録を達成したらまた話を聞かせて下さい。今日はありがとうございました。
王選手…ありがとうございました。頑張ります。


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# 850 サダハル・オー ①

2024年06月26日 | 1977 年 



先日、大リーグコミッショナーのボウイ・キューン氏が「大リーグ組織外のサダハル・オーがハンク・アーロンが持つ通算755本塁打記録を抜いても世界一とは認めない」と発言して注目された。アメリカの選手や国民の王選手に対する評価はどうなのだろうか?

王は神様、日本の最高の人気者
アメリカで最も著明なスポーツウィークリー誌「スポーツイラストレイテッド」8月15日号に王選手の特集が掲載された。それによるとミスター・オーが日本で最高の英雄にのし上がった理由は2つある。1つはバッティングフォームの特異性。2つ目はオーに優る人気者がいないことだという。「日本でのプロ野球は絶対的なものだ。バスケットもフットボールもプロ組織はない。有名なプロボクサーやテニスプレイヤーもいない」というわけだ。「和製ロバート・レッドフォードもいない」と芸能界にも王を超える人気スターがいないことを、いかにもアメリカ人らしくユーモラスに表現している。

この特集記事を書いたフランク・デフォード記者は6月下旬に来日すると一週間にわたり神宮球場、後楽園球場で巨人戦を観戦し、王選手や一本足打法の師匠である荒川博氏にインタビューする傍らライト投手(巨人)やロジャー選手(ヤクルト)などを取材した。神宮球場のヤクルト戦では会田投手から通算742号を放ちハンク・アーロンが持つ記録更新まで14本となった。昨年の7月に樹立した大リーグの金字塔が半年足らずで王選手に塗り替えられるのだからデフォード記者もアメリカ国民も快いはずはない。「日本の野球の歴史はまだ100年余り。体のちっぽけな男が我々の国技を追い抜くだなんて考える方がバカげている」と正直にジェラシーを吐露する。


王へのビーンボールは冒とくだ
なぜ王選手の代名詞でもある一本足打法を崩す為のブラッシュボールを投じないのかというのが大リーグの投手たちの疑問だ。現在の大リーグでは頭を狙ったビーンボールは禁止されているが、実際にはビーンボールまがいのブラッシュボールを投じる投手はいる。投手のテクニックのひとつであるブラッシュボールをなぜ使わないかという疑問も頷けるが、デフォード記者は「そもそも日本ではブラッシュボール自体容認されていない。人気者のサダハル・オーにぶつけたら彼に対する冒とくで大変なことになる」と解説し、「それほどサダハル・オーは日本人にとって代替の効かない唯一無二の存在なのだ」と力説する。

デフォード記者は王選手に対する印象を「飛びぬけてハンサムでもないが人懐っこい顔だ。後で分かったことだが実に模範的な性格の人だった」と語っている。この特集号の中では長嶋監督についても触れているが「ハッとするくらハンサムガイ」と王選手と対照的に描かれているのが面白い。その長嶋監督は王選手を「一言で表すなら非常に親切なジェントルマン。いつもチーム全員のことを考えている選手で和製ベーブルースだ」と評する。かつて巨人軍に在籍していたデーブ・ジョンソン選手(フィーリーズ)は「ミスター・オーはスーパーガイだ。私の知る限り彼以上にハードな練習をする選手はいない」とコメントしている。


98%は王と巨人に味方している
日本における巨人軍の独占的人気ぶりからデフォード記者は巨人の武勇伝は庶民文化のバロメーターと穿った見方をしている。巨人人気が垂直降下すれば大半の日本国民の最もシンボリックな失敗になり、人々は球場に駆けつけて気の毒な長嶋監督や王選手に必死に声援を送る。長嶋監督1年目の最下位になった時がまさにそうであったと指摘する。王選手個人も33本塁打と不振続きで連続本塁打王のタイトルも途絶えた。励まされた巨人軍は翌年は優勝し、王選手も49本塁打・123打点・打率 325 と復活を遂げた。この記事の中で注目されるのは判定が微妙な時は98%までが巨人や王選手に味方すると書いている事だ。

王選手とチームメイトのライト投手は来日前に巨人軍の投手として投げればストライクゾーンが広くなると言われたが、今これを素直に認めている。それを踏まえてデフォード記者の見解は次のようになる。「日本人が権威者を尊敬するのは勿論で野球の審判員も権威者に属する。彼らも調和を大切にする日本人の特性で難しい判定を下す時に巨人を勝たせたいファンに同調する傾向が強くなる。ミスター・オーも以前、『僕は4ストライクが許されている』と語ったことがあった。つまり三振ではなく四振だったということ。ただし現在ではその発言は否定しているがミスター・オーの輝かしい記録に影を差しかねない」



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# 849 デッカイ変身 ③

2024年06月19日 | 1977 年 



パンチで勝負、とっつぁん人生変える
川崎球場のロッカールームでこのところ「あんたホントに元サラリーマン?」などとキャプテンの松原選手が高木選手を冷やかすことが増えている。ロッカーが隣同士の山下選手も「高木さんは相模原市役所時代はサボってばかりでしたんでしょ。それでなくちゃこんなに野球が上手いわけがない」とチクリ。5年前まで神奈川県相模原市役所収納課に勤務し、税金滞納者に対する差し押さえ業務をしていた高木選手。そんな高木選手を大洋ナインが冷やかすのも頷ける。プロ入り前は野球漬けだった他の選手を尻目にテスト入団の高木選手が突然の開花で打率3割3分6厘 で打撃十傑5位(8月19日現在)だ。シピン選手は11位、山下選手は17位と後塵を拝す状態。

特に後半戦に入ってから13試合で4割ジャストと高木選手は大当たり中。ひところはナント5割を超えていた。固め打ちも4安打が1回、3安打が2回と打ちまくった。知名度も急上昇中で「高木」といえばほとんどの人が中日の高木守道を思い浮かべるが最近は「アッ、大洋の高木だ」と言われることが増えてきた。大洋に入団してから3年間で一軍出場は21試合。昨年ようやく94試合出場した。そんな高木選手が大変身を遂げた理由は、もちろん本人の努力もあるが別当監督の存在が大きい。別当監督の好みは長距離砲だ。パンチ力がある選手なら少々の難があろうが別当監督は見事に変身させる。田代選手がその良い例だ。


愛称は " とっつぁん "
とっつぁんの愛称で分かるとおり、高木選手の動作はちと鈍い。富山での巨人戦で右ヒザを痛めたのも実はスライディングでやったもの。外野での守備となるとベンチをハラハラ、ドッキリさせる場面が幾度もある。そのうえ走塁も下手くそときている。だがパンチ力は売り出し中の田代選手に引けをとらない。そこに目をつけた別当監督の英才教育が始まった。「僕が前に大洋の監督をしていた最後の年(昭和47年)にテストに合格して入団し7試合ほど起用した。久しぶり会ってここまで伸びていたのに驚いた。この5年間相当努力したのが分かったよ」と別当監督。とはいっても監督自ら教えるチャンスはなかなか巡って来なかった。

だが何が幸いするか分からない。巨人戦での故障で試合に出られないブランクができた間、別当監督は直々に高木選手の打撃フォーム改造に乗り出した。「それが功を奏しましたね。それまで両ヒジを締め過ぎていたんです。それと構えた時に必要以上に右肩を内側に入れ過ぎていたんです。それを注意されて楽にスイングできるようになったんです」と高木選手は振り返る。以降の活躍ぶりはご存じの通りで、長嶋監督の目に留まり遂にオールスター戦にも出場することに繋がった。オールスター戦では自分と同じテスト入団の野村監督に挨拶をして野村監督から「お互いテスト入団の意地を忘れないように」と激励され感激したという。


一度死んだと思えば何だってやれるさ
これからの課題は左腕投手対策だ。新浦投手のような速球派だけでなく安田・梶間投手のような軟投派も苦手である。「球は速くないから打てそうなんですけどタイミングが合わなくて…(高木)」と苦手意識を認める。別当監督は「高木のような器用さが無い打者は軟投派を苦手にする。むしろ左対左のハンデじゃなくてタイミングの取り方や投手の心理を読むことを研究する必要があるね。今後も左腕投手が出てきても引っ込めないからそのうち慣れて打ち出すんじゃないかな」とのんびり構えている。

プロ入りして5年目、ただ今28歳。川崎市生田のアパートで妻・妙子さん、長女・愛子ちゃん(2歳)と3人暮らし。そして妙子さんのお腹には赤ちゃんが宿っている。「10月29日が予定日。家族が増えると今のアパートは手狭になるから一家の主人としてはそろそろ家を建てなきゃと考えてます」という。そして高木選手は感慨深げにこうも言う。「慢心しそうになるとあの時のことを思うようにしているんだ。入団した昭和47年のオフに球団から自由契約になるかもしれないと電話があったんだ。結婚したばかりで慌てたよ。実際に次の就職探しもしたし。一度死んだ身だと思えば何だってやれるさ」と。



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# 848 デッカイ変身 ②

2024年06月12日 | 1977 年 



夜の帝王からドエライ怪物へと変身
8月16日、ナゴヤ球場での中日戦に登板した2年目の北別府投手(広島)。カウント2-1と追い込んだ大島選手に投じた決め球のフォークボールを完璧に捉えられ左中間スタンドに叩き込まれた。2日前、大島選手は西京極球場での阪神戦では山本和投手から2打席連続本塁打を放った。代打起用ばかりだった大島選手にとって20本の大台に乗せたのはプロ入り9年目で初めてだ。北別府投手から放った一発で3打席連発となった。これで後半戦に入り16試合で8本塁打。2試合に1本という量産ペースだ。打率も3割5分台へ上昇し、首位打者さえ窺える好位置につけている。今や押しも押されぬドラゴンズの中心選手である。

開幕前は話題を独占していたデービス選手が不在の今、ホットコーナーを守る大島選手がファンの声援を独り占めしている。「首位打者?とんでもないですよ。レギュラーになったのが今シーズンが初めて。打席での余裕もなくて1打席ごと夢中でやっているだけですよ」と大活躍にも控え目な大島選手だ。確かに今の自分を冷静に考えてみるだけの余裕はないだろうが、相手の広島カープナインは「中日にドエライ怪物がいた」と口あんぐり。 " 遊びに夢中な夜から働く夜へ " 一大転換となった大島選手。そこに野球一本に集中して打ちまくる大変身の原因があるようだ。


変身の転機となった森本の存在
昨シーズンまでの大島選手は野球よりお酒や車を愛する遊び人で有名だった。名古屋市内のマンションで気ままな独り暮らし。夜ともなれば栄地区のネオン街に繰り出した。誘われれば麻雀もやる。長髪で派手な服装に身を包み、どこか大洋のシピン選手に似たニヒルな男だ。それが今シーズンはピタリと止まってしまった。「一晩ゲームに出ると体重が3kg ぐらい減っちゃう。野球以外のことをする暇がないんです、悲しいことに(苦笑)」と大島選手は言う。

阪急から移籍して来た森本選手と三塁のレギュラーをめぐる争いを繰り広げていたが、森本選手の怪我をきっかけに大島選手の急成長が始まった。大島選手といえば一発長打が売り物で中日ファンは劣勢を挽回する起死回生の一発を放つ意外性に痺れた。だが歓喜するファンとは対照的に首脳陣は派手な一発より好機の場面で堅実な適時打を求めた。その首脳陣が欲する堅実さを今シーズンの大島選手は応えるようになった反面で一発がパタリと止まってしまいファンからは失望の声も聞かれるようになった。だが杉山コーチは「いずれホームランを打ち出す時は来る。ファンの人たちは待っていて欲しい」と太鼓判を押す。


兄の急死も拍車
今年の5月10日、神戸に住む兄・隆さんが急死した。大島選手はその日の試合に涙をこらえて出場した。試合後に兄のもとに駆けつけた大島選手は「今まで俺は何をしていたんだ…。両親や家の事を全部兄貴に任せて気楽に生きてきた。これからは俺が全て引き受ける。兄貴ゴメン」と亡き兄の前で誓った。その日を境に大島選手は変わった。人間はどんなことが人生を変えるきっかけになるか分からない。ただ、それを掴むか掴まないかはその人間の心がけひとつである。

オールスター戦に監督推薦で出場が決まった時、大島選手は「エエッ、僕が選ばれるなんて…まさか」と思わず叫んだ。全セの長嶋監督も若い大島選手が大きく成長しているのを感じ取ったひとりである。「努力していれば見る人はちゃんと見てくれるんだ」と再認識したという。大分の中津工高では無名の投手だったが当時の本多スカウトがその長打力を秘めた打撃センスに惚れてドラフト3位に指名され入団した。それから3年間はスカウトから二軍の指導者になっていた本多氏に鍛えられ、水原茂監督の抜擢で一軍に昇格したがレギュラーへの道は険しく実力よりも人気が先行していた。

プロ3年目の若手ながら派手な一発を放つなど中日ファン、特にヤング層の人気は高かった。しかし最近の人気はむしろヤングより玄人筋のファンに移行し始めている。いくら本塁打を放っても怖い表情を崩さない。もうヤング層には手が届かないほど大島選手は大きく脱皮してしまった。その意味では苦節9年目にして初めて人気・実力が伯仲した主力選手に堂々と仲間入りできたわけでもある。今の姿勢を崩さないかぎり大島選手は更に上昇し続けることだろう。



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# 847 デッカイ変身 ①

2024年06月05日 | 1977 年 



ひとつの壁にぶち当たった時、人間それをどう突き破るか。一番難しいところだが、それを見事成功した後の生きざまは素晴らしいものになるはずである。

セーブは男の生き甲斐、反逆児の転身
「ここいらで踏ん張らないと名前を忘れられてしまう」江夏投手が復活宣言をした。阪神から南海に移籍し、期待されながら昨シーズンは勝ち星が少なくその名前は新聞紙上から消えた。そんな江夏投手がリリーフ役に徹し復活を遂げた。8月15日の阪急戦でリリーフし6試合連続セーブポイントを記録した。これは7月10日の近鉄戦ダブルヘッダーでのセーブから数えて8連続セーブとなり、中日の鈴木孝投手が一昨年にマークした7連続セーブのプロ野球記録を更新した。「記録といってもリリーフじゃねぇ。でもまぁチームの勝利に貢献できることは働き甲斐のあることだわな」と江夏投手は振り返る。

往年の江夏投手を知る人には驚きの発言だろう。根っからの先発完投型で監督が交代を命じたらプイッと横を向き不貞腐れた表情をするのが珍しくなかったのだ。反逆児と呼ばれ異端者とまで言われた江夏投手の最近の豹変ぶりには驚かされる。苦悩の末のリリーフ役転向だった。開幕前に左腕の血行障害を起こし、一時は再起不能とさえ言われたくらい重症だった。しかし腕に電流を当てパラフィンで患部を温める特殊な療法が効いて徐々に回復し投球に支障がないところまで這い上がってきた。球団は数十万円する治療器具を江夏投手の為に購入し、大阪球場のロッカールームの奥に設置した。

午後に球場入りするナインより一足早く江夏投手はロッカールームに来て治療器具を使用した後、入念にマッサージを受けて試合に臨んだ。阪神時代に酷使した左腕はボロボロだった。江夏投手は「過去の事は言うまい。今は一生懸命、若い選手たちに負けないよう頑張るだけや」と静かに語るが、そもそも " 若い選手 " という表現を使うほど江夏投手はまだ29歳で老け込む歳ではない。野村監督も「江夏の存在は大きい。若手選手にはない経験値がある。自分は江夏を頼りにしている」と江夏投手の存在の大きさを指摘し、昨シーズンの不振から「江夏獲得は失敗だった」という声にも「そんなことはない」と言い続けてきた。


あの江夏が「監督のために」と
野村・江夏会談は昨オフからずっと続いてきた。江夏投手が監督と膝を交えて話し合うのは初めてで、阪神時代では皆無だった。「野村監督は僕を庇い、励まし人生についてまで教えてくれた。こんなありがたいことはない。僕は野村監督の為、チームの為にリリーフ役に徹することを決意しました」と話す江夏投手の表情は底抜けに明るかった。そんな江夏投手にショッキングな事が起きた。阪神時代には常連だったオールスター戦に選出されなかったのだ。江夏投手はオールスター戦期間中の休みを利用して野村監督の自宅がある豊中市刀根山に引っ越しを行なった。選手がシーズン中に住まいを変えるのは異例である。

それ以来、遠征に行く時も野村監督と行動を共にした。野村監督にとっても江夏投手と一緒にいることで左ヒジの状態を確認できて都合が良かった。「江夏の復活は信じていた。あれだけの大投手を短い寿命で終わらせしまってはいかん。それはワシの使命でもある」と42歳で今なお捕手という重労働に耐えて現役で活躍する野村監督にとって江夏投手の選手寿命を延ばすことは大事な仕事である。藤田学、山内、佐藤、金城投手らを先発で起用できるのもリリーフ役の江夏投手が控えているからだ。本人の努力と周囲のサポートもあって江夏投手は復活することができた。

左ヒジの痛みもなくなり「毎日でもいい。僕が役立つならいつでもマウンドに立ちたい」と " 優等生 " になった江夏投手は話す。「本人も速球一本やりで押し通すのはもう無理だと気がついて、打者との駆け引きや読みを駆使した投球術は天下一品。あとは左腕がどれくらい耐えられるかだ」と評論家各氏は口を揃える。また南海担当記者は「江夏は逆境を乗り越えて性格まで変わった。子供も生まれて親としての自覚を持つようになり、公私共にまさに文字通りの大変身だ。チームに溶け込もうという気持ちがいじらしいほど分かる」と言っている。秋口に向かって江夏投手の投球から目が離せない。
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# 846 素顔拝見・益山性旭

2024年05月29日 | 1977 年 



強心臓の持ち主といわれ、貴重な左腕として期待される阪神のルーキー・益山投手。ちょっと細身で色も白く、一見神経質そうに見える彼だが「勝ち負けの数字や相手の事より自分自身がよければそれでいい」と言葉は厳しい。

好きなことをしてお金が貰えるなんて
聞き手…プロの生活を始めて半年が過ぎましたが、いかがですか?
益 山…学生の頃とは違うなぁと思いますね。野球そのものは変わりませんが、やりかたが違います。
聞き手…やりかた?
益 山…ええ、練習の。プロは結果がお金に直結する。普段の練習が如何に大事か再認識しました。
聞き手…阪神の印象は?
益 山…いいですよ。僕は実家が大阪だし昔から阪神ファンでしたから阪神に入れて幸運でした。
聞き手…プロ入りは子供の頃からの夢だったとか
益 山…野球を始めたのは中学からですから夢というより目標でした。高校卒業時にドラフト指名(大洋4位)
    されてプロ入りの現実味が増しました。好きな野球でお金が貰えるなんて最高ですよね。

聞き手…プロ初登板の感想は?
益 山…やはり緊張しました。ヤクルト戦でしたが左打者が多かったのでラッキーでした。
聞き手…巨人戦(6月28日)で張本・王選手を連続三振とった時は?
益 山…もちろん嬉しかったですけど、研究されるし次の対戦を心配しました。実際、ダメでした(苦笑)
聞き手…憧れの選手とか目標にする選手は誰ですか?
益 山…特にはいません。学生の時は好きな投手はいましたけど、同じ世界に入った現在は必要ないと。
聞き手…学生の頃は誰が憧れでしたか?
益 山…鈴木啓示さん(近鉄)です。

頼れるのは自分だけ。最低10年はこの世界で
聞き手…最近の高校球児の中には野球の為に左利きに変える選手もいるそうですが益山さんは?
益 山…へぇ、そんな選手がいるんですか。僕は生まれつきの左利きです。逆に右利きに変える親も
    いるみたいですけど、ウチの親は字を書く時だけ右に矯正しましたけど他は左利きのままです。

聞き手…開幕から今までで最も印象に残っている試合は?
益 山…初先発した中日戦(7月21日)です。前日に告げられたんですけど色々考えていたら寝不足に…
聞き手…残念ながら勝てませんでしたね
益 山…でも納得しています。それまで中継ぎばかりでしたから学生時代みたいに先発完投が理想です。
聞き手…合宿所ではどんな生活ですか?
益 山…どんなと言われても僕はあまり合宿所にいないんです。
聞き手…どこで何をしているの?
益 山…実家が近いんで実家で過ごして合宿所には寝に行くだけです(笑)
聞き手…同期の佐藤投手(阪急)、斉藤投手(大洋)の活躍は気になりますか?
益 山…特に意識していません。要は自分が出来ることをするだけです。
聞き手…でも新人王は譲れない?
益 山…いいえ、新人王は投票ですから。タイトルよりも息の長い選手生活、最低10年は頑張ります。


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# 845 月見草

2024年05月22日 | 1977 年 



野村監督との対談はポツリポツリというかダラダラというかそんな調子だった。野村監督は今にも居眠りをしてしまいそうで何やら心細くなった。しかし話のひとつひとつが面白く私のツボにはまった。

金が魅力でプロ入り
「プロ野球の世界に入った動機?やっぱりカネやな。プロの世界に入ればとにかくカネになると思ったから」と話しながらタバコを離さない。洋モクのケントを口に咥えて煙たそうに目を細めて話し続けた。「でも実際にプロ入りしても思うてたほどカネは貰えんかったなぁ。忘れもせんが年俸8万4千円やった(苦笑)。なんぼテスト入団でもちょっと安すぎやろと思ったな」京都府下の網野で生まれ育ち小学校、中学校を卒業した。家が貧乏で小学3年生から中学卒業まで新聞配達をやっていた。アルバイト?と聞くと「そんな生易しいもんやなかった。本業だよ。一家が生きていく為のカネを稼いでいたから気安く休んだりできんかったよ」と否定した。

父親は昭和13年、野村監督が3歳の時に亡くなった。戦死だった。「お袋と三歳上の兄貴と俺。食っていく為に必死やった。当時の貧乏いうのは今とはわけが違う。ホンマに餓死してまう」網野に住之江織物の絨毯工場があった。母親はそこへ働きに行っていた。だが過労がたたり子宮ガンを患い働けなくなった。その頃から小学校3年の野村少年が家計の為に新聞配達をするようになったのだ。「あの頃は本当に辛かったねぇ。明日食べるものがなかったからお袋も大変だった」と振り返る。その母親が亡くなったのは昭和43年。野村 " 選手 " は既にスター選手になっていたが、「まだ監督にはなってなかった。お袋に晴れ姿を見せられず残念だった」と吐息をつく。


兄貴のお陰で高校へ
中学校に入学すると野球部に入った。「お袋に頼んだんや野球をやらせてくれと。その代わり卒業したら京都へ丁稚奉公に行くからと」その彼が峯山高校に進学した。「高校へ行けたのは兄貴のお陰だった。高校くらい出てないと人様に相手にされないぞとお袋に言ってくれて最初は反対していたお袋を説得してくれたんだ」それで野球も辞めずに済んだのだ。ただし野球界では峯山高校は言うまでもなく無名高校だった。グラウンドも小さく、そもそも野球専用ではなく恵まれた環境ではなかった。

「俺は誰が何と言おうと、とことんまでプレーをやっていこうと思うてるね。ファンが1人もいなくなって、もうお前は野球を辞めろと言われるまで続けるよ」この道24年・43歳。言うまでもなくプロ野球界の最古参である。「花盛りの最中にパッと現役を去る人もおるが、それは人それぞれの考え方というもんでね、俺は12球団のどこも使ってくれなくまでプレーしたいねぇ。何しろ丹後の田舎から出て来て右も左も分からんかった人間がここまで生き残ってこれたんやからそう簡単に辞められん」


ボロボロになるまで
昭和46年に突如として右肘にアクシデントが起こった。痛みが激しく球を投げられなくなった。医者にもかかったが治る見込みは立たなかった。「なにしろ投手に返球する距離も投げられんかったから困ったねぇ。もう俺もこれまでかと密かに引退を覚悟したわ」と振り返った。だが医者も見放した状態を何と腕立て伏せをすることで克服してしまった。「結局、この世界は人を頼りにしただけではアカンのや。自分の事は自分で解決せんとな」

好きな酒も断った。故障と飲酒は関係なかったが「何かを辞めることによって野球に全てを賭ける。そういう生き方をしようと決めたんや」と淡々と語る。野村監督の話は途切れては続き、その言葉一つ一つに味があり、風格があり、千金の重みがあった。「人生ていうもんは大体こういうもんやないのかねぇ。ボロボロになるまで、ぶつぶつと自問自答しながら生きていく。それが人間の生き様というもんと違うかね」




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# 844 吼えよタイガース ②

2024年05月15日 | 1977 年 



吉田監督の催眠術で打開策なるか
多くの評論家は「巨人にこんなに差をつけられるチームじゃない。選手の力量は巨人と五分五分。問題は選手個々の心構えの違いだ」と口を揃える。強い時は手がつけられない。一番から八番まで一発を打てる打者がズラリと並び、投手陣も開幕から9試合連続で完投したように強力だ。それでいて弱い時は赤子の手をひねるようにコロリと負ける。そんなチーム状況が13年間も続いているのだ。5年ほど前、当時の村山監督は「催眠術でもかければ勝ち続けるかもしれない」と強くて弱い阪神をこう表現していた。。

最近そんな例が海の向こうで起こった。8月13日付のザ・スポーティング・ニューズが報じた。低迷を続けるエンゼルスの選手に催眠術をかけて戦わせた。ロサンゼルス市ビバリーヒルズに事務所があるアーサー・レイン氏が催眠術をかけた。チームはマリナーズに勝利した。エースのノーラン・ライアン投手も「今まで色々考えて悩んだりして吹っ切れないものがあったけど気が晴れた気がした。勝つ自信が沸いてきたよ」と催眠術の効果を力説した。この催眠術師を起用したハリー・ダルトンGMもその効果に驚いた。

今の阪神もこれと同じ状態かもしれない。吉田監督の思惑と裏腹な選手の動き。これといった打開策もなくズルズルとペナントレースから脱落していった。だがまだ30試合以上も残っている。このまま巨人の軍門に下るのは阪神ナインにとっても阪神ファンにとっても耐えられないはずだ。「とにかく最後まで全力を尽くす。たとえ今年はダメでも来シーズンへの糧になるのだから」と吉田監督は闘争本能を剝き出しにして阪神ナインにハッパをかけ続ける。


明るい希望はブリーデンと掛布
そんな沈滞ムードが漂うチームに明るい話題もある。王選手と本塁打王争いをしているブリーデン選手と規定打席不足ながら首位打者の可能性を秘める掛布選手の存在だ。「本塁打王は王選手のものだよ」と相変わらずタイトルに無欲なブリーデン選手だが言葉とは裏腹に明らかにホームラン狙いの豪快なスイングを見せている。日頃からブリーデン選手を注視している山内コーチは「アイツもやはりタイトルが欲しいんだな」と。事実、ブリーデン選手は山田通訳に「ホームランキングになったら球団はいくらボーナスをくれるだろうか」と聞いてきたそうだ。もしもタイトルを獲れば年俸の大幅アップは確実で、田淵選手に代わってチーム一番の高給取りになるのは間違いない。

一方の掛布選手は首位打者への夢をストレートに口にする。「打撃ベスト10 に名前を連ねていたらこんなに落ち着いてはいられないでしょう。規定打席不足は僕にとって好都合ですね。だから今は何も考えず1本でも多くヒットを打ちたいです」と。規定打席到達には10試合ほど足らないが今の調子が続けば死のロードが終わって甲子園に戻る8月下旬に打撃10傑の上位に顔を出すだろう。現時点に当てはめれば4位くらいだが打席数が少ないので2~3試合で固め打ちをすればトップに躍り出る可能性もある。「ハッキリ言って首位打者は最高の名誉でしょ。僕みたいな若造が簡単に獲れるものではないと重々承知しています。でもチャンスですから頑張ります」とタイトル獲得の意志を隠さない掛布選手だ。



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# 843 吼えよタイガース ①

2024年05月08日 | 1977 年 



巨人の対抗馬、いや巨人を圧倒してくれるはずの阪神だった。確かに不運なことも多かったが、大きく水を開けられるとまたぞろ無気力な面が出てはいないか。まだ戦いは終わっていない。伝統の猛虎の意地にかけて阿修羅のように暴れて欲しいものだ。

200発打線が泣くネコの阪神
それは甲子園球場を高校野球に明け渡した " 死のロード " の最中の出来事だった。山内コーチが遂に愚痴をこぼしたのは対中日3連戦(西宮球場)を1勝2敗と負け越して、死のロードを半分終了し2勝6敗となった8月14日の試合後だった。「覇気がないんや。やる気が有るのか無いのかサッパリ分からん。うだるような暑さでもスタンドで多くのファンが応援してくれる。そんなファンのことを思ってプレーしてる選手はおるんやろうか…多分おらんやろ」とため息をついた。吉田監督も「星野に6連敗もするなんて…気合いが入っていない証拠や」と笛吹けども踊らないナインにお手上げといった様子だ。

100試合を消化しないうちに首位巨人に10ゲームも離されたのは6年ぶりのこと。5位に沈んだ昭和46年の村山監督時代に8月下旬に首位巨人と4位阪神との差が11.5ゲームとなって以来だ。昭和39年以来、13年も遠ざかっている優勝という悲願に向かって力強くスタートした今シーズン。「すべてを勝利に」のスローガンを掲げた吉田監督は就任3年目の今年にすべてをかけた筈だった。" 200発打線 " という12球団トップの破壊力を持つ強力打線をバックに古沢・江本・谷村・上田次投手ら完投能力を持つ先発陣と山本和・安仁屋投手のリリーフの切り札2人を配置し「優勝できるスタッフと条件は揃った」と吉田監督は胸を張って開幕を迎えた。それがどうだ…


まさかこんなに早く後退するとは
あれから半年、猛虎のイメージとは程遠く「借りてきたネコ」状態で彷徨っている。吉田監督は敗北宣言こそしていないが日頃の冗談もめっきり減った。つい最近まで阪神番記者に「ウチがコロコロ負け続けて書くことも無くなったんじゃないの」「あまり負け過ぎるとシーズンオフにあんたらが走り回らんといかんようになるから楽させるようにそろそろ頑張らんと」など軽口をたたいていた。だが8月15日からの対大洋、巨人6連戦の静岡・東京遠征では報道陣を避けて口をへの字に結んだままだった。

誤算だらけのシーズンだったかもしれない。開幕のヤクルト戦で満塁アーチを放ち華々しいスタートをきった若トラ掛布選手の死球禍が最初のアクシデントなら、次は成長著しい佐野選手が外野フェンス激突し頭蓋骨骨折の大怪我で戦線離脱。さらにラインバック、ブリーデン選手の両助っ人も怪我で欠場する試合も増えた。とどめは主砲・田淵選手の死球でまさに故障者続出の5ヶ月だった。7月下旬の巨人3連戦(甲子園)で勝ち越して遅まきながら8月反攻を唱えたとたんに古沢投手ら先発4本柱がKOの連続で出鼻をくじかれた。


ファン無視のシラケたチーム事情
負けが混んで来れば複雑なチーム事情がムクムクと頭をもたげてくる。7月13日の大洋戦で田村投手から右親指に死球を受け、亀裂骨折で全治1ヶ月の診断をされた田淵選手の言葉がふるっていた。「これでまた給料を下げられてしまう」と。選手個人としては理解できるが、そこは本心でなくてもいいから選手会長としてこれからのチームを心配する発言をしてもらいたかった。8月12日の中日戦で1ヶ月ぶりに復帰した田淵選手が代打に起用され二塁打を放ちファンから大声援を受けた。だが阪神ベンチはさほど盛り上がらなかった。

代打の田淵選手に交代させられた池辺選手は持っていたバットを力任せにグラウンドに叩きつけ不満を露わにした。しかも翌日の試合から先発メンバーからも外され、その理由を池辺選手は「きのう、あの場面でふくれっ面をしたせいだろうな」と自虐的に語った。田淵選手は翌13日の試合にも代打で出場し今度は左翼席に高々とアーチをかけた。「1ヶ月のブランクさえなければオレも今頃はホームラン王争いに1枚加わっていたのにな」と久々の一発に酔いしれたが、阪神ベンチはここでもシラケたムードに覆われた。

また14日の中日戦に先発登板したものの4回でKO降板した江本投手は「中日打線はちっとも怖くない。谷沢なんかカーブ、カーブで攻めれば簡単に討ち取れる選手なのにサインは真っすぐばかり。それじゃ打たれるわな」と片岡捕手のリードを非難した。だがサインに不服があれば首をふればいいはず。それもしないで打たれたのだから江本投手に片岡捕手を責める資格はない。などなどまたぞろ出て来た阪神の不思議なチーム事情。「ホンマこのチームはよう分からんよ」と外様の山内コーチは困惑顔だ。



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# 842 ストーブリーグ

2024年05月01日 | 1977 年 



火のない所に煙は立たずと言いますが、早くも来季に向け新体制確立の準備をするチームが…

秘密会談が始まっている
東日本を襲った長い夏の雨も収まりペナントレースも第4コーナーに差し掛かった近頃、複数の球団で密かに来季に向けて会議が行われた。セ・リーグのA球団は新体制の第一歩として監督・コーチ陣の刷新を掲げた。「とある解説者が球団からテレビ局との契約内容を聞かれたそうだ。中途解約が出来るのかとか。オフになったらまた連絡すると言われたそうだ」とマスコミ関係者は言う。また別のマスコミ関係者はパ・リーグのB球団の監督が今年限りでユニフォームを脱ぐとフロントに伝えたという情報をキャッチした。

セ・リーグ4監督が危ない
いま各球団の担当記者の間で語られているのは「セ・リーグで動きのないのは巨人の長嶋さんと大洋の別当さんの2人だけ。パ・リーグではロッテのカネやんとクラウンの鬼頭さんが怪しい」そうで今年のストーブリーグの主役はセ・リーグの4球団の監督だそうだ。このうち広岡監督(ヤクルト)と古葉監督(広島)については「まさか」の声もあるが、「広岡監督はキャンプの頃から言ってるよ来年のことは分からないって。フロント陣は広岡監督の手腕を買っているけど松園オーナーはそうでもない。仮に2位なら首がつながるだろうけど3位に終わったら危ないよ」とヤクルト担当記者は言う。

カープは先日のフロント人事を刷新した経緯を見ても、いかに赤ヘル初優勝を成し遂げた古葉監督でも安閑としていられないという意見がネット裏の大半の声だ。吉田監督(阪神)は、と言うよりも阪神という球団は毎年監督の首が話題になる。今年も御多分に洩れず早くも「全く作戦が的外れな監督だ」とか「他の監督なら巨人の独走は許していないはず。監督の力量が疑われる」など吉田監督批判が表立って賑やかだ。残る中日は与那嶺監督の更迭は決定的で既に具体的な名前が挙がっている。


次期人事内定という中日
いま漏れ伝えられているのは中利夫二軍打撃コーチの昇格だ。そして外部から長老級の後見人を立てる案が浮上している。ただその後見人の人選は難航していて児玉利一、濃人渉、杉浦清、坪内道則など中日OBをひと当たりしたが決まらず、牧野茂や杉下茂現巨人投手コーチなど巨人関係者にまで触手を伸ばしている。実は昨年は森昌彦にコーチ就任を打診しており、過去には別所毅彦、青田昇、中上英雄、千葉茂、藤田元司など巨人OB勢と接触している。いずれにせよシーズン終了を待って電光石火に大改革をすると明言しており、準備が着々と進んでいるのは確かなようである。

「何をぬかすか!」と金田監督は言うが…
パ・リーグではカネやんが後期シーズン優勝を花道に監督を辞任し勇退するのではというムードがある。その噂の出処はカネやんが最近めっきり放言が減り、勝負に対して情熱がなくなったというもの。そうした声に対してカネやんは「無口になったって?それはワシが黙っていてもチームが勝つということ。ようやくワシのやり方がチームに浸透したんじゃ。辞めるとか何をぬかしとんじゃ」と目をギョロリと反論する。だが周囲ではロッテが川崎球場を本拠地移転に伴って心機一転、チームの大改革に踏み切るのではないという声は根強い。


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# 841 ジュニアオールスター戦

2024年04月24日 | 1977 年 



7月24日、西宮球場で行われたジュニアオールスター戦で3年連続苦杯を舐めていた全イ軍が4年ぶりに雪辱した。酒井投手(ヤクルト)、佐藤投手(阪急)、益山投手(阪神)などドラフト1位指名選手が登場し熱戦が繰り広げられた。

一軍の味で球宴大活躍
全イ軍は初回に島田選手(日ハム)と中畑選手(巨人)の安打と2つの犠飛で3点を先行すると先発の斉藤投手(大洋)から中山投手(巨人)、酒井投手(ヤクルト)、藤城投手(巨人)、田村投手(大洋)の小刻みの投手リレーで全ウ軍の反撃を抑えて3対2で勝利した。勝利監督の岩本巨人二軍監督は4年ぶりの勝利を喜んでいたが、通算では全ウ軍の9勝4敗3分けと5つも負け越しているので全イ軍のリーグ関係者は「この勝ちをきっかけに来年以降も勝てるよう頑張ります」と口を揃えて怪気炎をあげていた。

この試合で大活躍したのが殊勲賞と打撃賞を獲得した日ハムのルーキー・島田選手だ。2週間ほど前に上垣地選手の一軍昇格の為に島田選手は二軍落ちしたのだが、プレーぶりは攻守ともに一味ちがう格の違いを見せつけた。第1打席から中前打、右前打、右前打。全イ軍が放った7安打のうち島田選手1人で3安打と気を吐いた。「これを機会に何としてももう一度、一軍に行きたい。足を活かしてとにかくシャープさを売り物にしたい」という島田選手の一軍復帰も早まりそうだ。


久々のサッシー登場
打のヒーローが島田選手なら投の方は2人で5三振を奪った先発の斉藤投手と見事な締めくくりでセーブをあげた田村投手の大洋コンビ。しかしスタンドの注目が集まったのはやはりサッシーこと酒井投手だった。昨年の甲子園大会以来、大阪のファンの前では初お披露目だっただけに大変な歓声だった。女学生ファンの黄色い声援を受けて1イニングを3人で片づけた。投げた9球のうち4球が目下マスター中の大きなカーブ。あとは自慢の速球で受けた笠間捕手(巨人)は「あれで肩を痛めたあとなんて…。ストレートもよく伸びてましたよ」とその怪物ぶりに驚いていた。

好ライバル同士の明と暗
お互いが「彼には負けたくない」とライバル意識をムキ出しだった佐藤義投手(阪急)と益山投手(阪神)は共にドラフト1位ルーキー。先ずは佐藤投手が先発で登場した。だが地元・西宮球場という緊張があったのか打者5人に2安打1四球に味方の失策も重なり2失点。ワンアウトを取っただけで一・三塁に走者を残したまま降板。「何が何だか分からないうちに終わってしまった…」と佐藤投手は無残なKO劇にショックを隠せなかった。その後を継いだのが益山投手。当初の4回から登板する予定が急遽繰り上がったが持ち前の度胸の良さで左犠飛だけに抑え、その後も好投し打者9人を1安打・3奪三振と佐藤投手とは好対照の結果を残した。

益山投手の見せ場は全イ軍のクリーンアップに鎮座する巨人勢との対決だった。益山投手は二宮選手を胸元を突く直球で左飛、山本功選手は空振り三振、中畑選手を中飛に打ち取り次代を担う若手対決は益山投手の圧勝だった。対戦した巨人勢は二宮選手が「速さは感じなかった」と言えば、中畑選手も「ストレートもカーブも大したことないと思うんですけどねぇ…」と悔しさいっぱいで歯切れが悪い。一方の益山投手は「巨人勢?特に意識しなかったです」とケロリとしたもので、近く一軍で登板する予定もあり格の違いを見せつけて余裕たっぷりといったところだった。



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# 840 週間リポート・大洋ホエールズ

2024年04月17日 | 1977 年 



初先発・福島堂々完投勝利
オールスター戦で初先発し、11本塁打を浴びながらも " 完投勝利 " を飾ったのは福島捕手ならぬ " 福島投手 " だ。実はこれ第3戦の試合前に行われたホームラン競争で投手を務めた時の話。11本塁打対10本塁打で全セが勝利し、福嶋選手は全セのナインから「ナイスピッチング」と冷やかされ照れくさそうに苦笑いしながら「初めて投手をやって固くなっちゃった。勝ててよかったよ」と勝利の弁。このホームラン競争は両リーグの3人ずつの代表が12スイングで本塁打を何本打てるかで勝負する。先攻の全パはリー選手(ロッテ)が4本、ウイリアムス選手(日ハム)と山崎選手(ロッテ)がそれぞれ3本を放ち計10本塁打。

対する全セの最初は福嶋選手の同僚・田代選手(大洋)で右に左に4本。続く大杉選手(ヤクルト)は3連発をダブルで放ち6本と大爆発し全パの10本に並び全セの負けはなくなった。最後は王選手(巨人)。「王さんならもう勝ったも当然だ」と役目を果たせると安堵する福嶋選手だったが、その王選手になかなか一発が出ない。「シーズン中なら打たれなくて喜ぶところだけど打って欲しいところで打ってくれなくて困りました」とぼやいた。ようやく10スイング目に柵越えが出て全セの勝利が決まった。

「何しろ初登板だったから大変でした。それにしてもよう打たれましたわ」と意気揚々とベンチに戻った福嶋選手は何と各チームの投手陣から歓迎を受けた。巨人以外の投手はシーズン中は王選手に打たれ泣かされ続けている。「田代選手や大杉選手には打たれましたが王選手は見事に抑えた。ウイークポイントはどこですか」と王選手を僅か1本塁打に抑えた " 福島投手 " に抑える秘訣を教えてもらおうというわけだ。 " 福島投手 " は「それは言えないな。内緒だよ」とニンマリするばかりだった。


あと5年はやれる
5月22日の対中日7回戦でプロ入り通算99勝目をあげて以来、足踏み状態だった高橋重行投手が7月20日の対ヤクルト13回戦でプロ70人目の通算100勝を達成した。この間、18回もトライしながら勝ち星に恵まれなかっただけに「長すぎて感激も薄れちゃった」と2ヶ月ぶりの勝利に苦笑い。プロ入り14年目、32歳のベテランだが「あと5年は投げられる体力とスタミナには自信がある。これで一区切りついたし、スピードアップで勝ち星を稼ぎますよ」と元気いっぱい。

高橋投手は千葉商を中退してプロ入りしたが2年間は二軍暮らしだったが、1964年に17勝し新人王に選ばれた。翌年には21勝をあげるなどその後も順調に勝ち星を重ね、一軍に昇格後6年で71勝をあげた。それが100勝まで残りの29勝をあげるのに9年もかかった計算になる。高橋投手は「150勝は絶対に達成しますよ。100勝の時に味わえなかった感激を味わうんですから」とやる気満々だ。



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# 839 週間リポート・ヤクルトスワローズ

2024年04月10日 | 1977 年 



このツキと自信はデカイぞ
「シゲ(長嶋監督)に感謝状でも贈らにゃいかんな」とクールさが売りの広岡監督が珍しく冗談を飛ばした。安田・鈴木・梶間投手、大杉・若松選手を送り込んだ今年のオールスター戦。地元・神宮球場での第3戦に先発して3イニング・1失点と可もなし不可もなしだった安田投手以外は第1戦の平和台球場で若松選手が殊勲賞、大杉選手がホームラン競争で両リーグトップの6本を記録するなど大活躍してヤクルト勢の存在を高めたからだった。夢の球宴に勝った負けたは意味はないが、競り合いや勝負どころでまだ弱いと評されることが多いヤクルトの選手が後半戦に向けて自信をつけてくれたのは大きかった。

中でも広岡監督が一番喜んだのが鈴木投手と梶間投手の活躍ぶり。第3戦で優秀投手賞を獲得した鈴木投手は2試合・5イニング・自責点0。「自分が優秀投手賞に選ばれるなんて思っていなかったので夢みたいです」と球宴終了後も気分はウキウキだった。前半戦の鈴木投手は9勝5敗で安田投手と並ぶチームトップの勝ち星。これがフロックでなかったことが証明された。また梶間投手は球宴ルーキー史上初の2勝をあげた。しかも第1戦が12球、第2戦は僅か5球で計17球を投げただけで2勝を手にした。

「ツキがないと泣きごとを言うやつは結局自分に力がないんだ。力があればツキの方から転がり込んで来るもんさ。オレは彼(梶間)を実力で選んだ。オレの目に狂いはなかった」と長嶋監督。力をつけ粘りが出てきたナインに「はっきり言って巨人との差はある。だがバラバラだったチームプレーが纏まりつつある。後半戦は巨人と互角に戦えるようになる」と広岡監督は確かな手応えを感じている。ヤクルトに欠けているのは巨人の王や張本といったチームの牽引者だ。松岡・安田投手、若松・大杉・大矢選手に球宴で自信をつけた鈴木・梶間投手が加われば決して巨人に引けはとらない。


規定打席
「いつ頃、新聞のリーダーズに名前が出るかな」とマニエル選手が指折り数えてその日を待っている。相棒のロジャー選手が規定打席に到達しているのに比べてマニエル選手は規定打席にあと「13打席」足りていない。打点こそ大杉選手の「59」及ばないがチーム2位。21本塁打はリーグ6位。そして打率は3割を超えているが打撃ベスト10 に名前を連ねていない。「体の状態はすごく良い。でもリーダーズに名前が出るのと出ないとでは気持ちの張りが全く違う」


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# 838 週間リポート・中日ドラゴンズ

2024年04月03日 | 1977 年 



怖いぞ?のってきたマーチン
マーチン選手に待望の二世が誕生した。7月23日夜にパトリシア夫人が名古屋市立大学病院で3400g の男児を出産した。「ハッピーだ、ハッピーだ!」とマーチン選手は大喜び。「どうだ立派なベビーだろ。初めての子供だから男でも女でもよかったけど、本音は男の子が欲しかったんだ」と普段は物静かな男が珍しくアメリカ人らしい派手なジェスチャーで大はしゃぎ。「手も大きいし足だってほらこんなに特大でスポーツは何をやらせても上手くなりそうだ。鼻も高くてハンサムさ」といった具合。名前は " トーマス・ジェイコフ・マーチン " 君と決めているそうで、マーチン選手の喜び方は留まるところを知らない。

「可愛い息子の為に後半戦はポンポンとホームランを飛ばすぜ」とナゴヤ球場で始まった後半戦に向けたミニキャンプでは宣言通りポンポンと柵越えを連発させていた。そんなマーチン選手を見守る中日ナインの多くは「まぁ練習だけじゃなく本番で打てるかが肝心だよね」と半信半疑状態だ。今シーズンのマーチン選手の本塁打数は前半戦を終えた時点で10本。昨年はこの時期すでに24本塁打だったのだから今シーズンは大砲としては目を覆いたくなるほどの大減産。首脳陣は「息子も生まれてこれをキッカケに心機一転して大爆発してくれれば願ったり叶ったりなんだがなぁ」と淡い期待を寄せている。


髪をバッサリ、心機一転の堂上投手
悲運の男と呼ばれているのが堂上投手。何しろ前半戦で何度も目の前に勝利投手の据え膳を置かれながら、その都度取り逃がして未だに0勝4敗。「オレ、もう前のことは全部忘れて新しく出直すよ」と言うなり、長かった頭髪をオールスター戦が始まる頃にバッサリ切った。新しい気分で出直すには先ずは見た目からというわけ。何としても今季初の白星を掴みたい。堂上投手のいじらしい気持ちがこんなところにも表れている。

意味わかる?
「公式戦ならピッチャー交代の場面なのに…」とオールスター第3戦でマウンド上の鈴木孝政投手が燃えた。最終回に無死二三塁のピンチから二死一三塁となり、1点差で打席に福本選手(阪急)を迎えた場面だった。ベンチを飛び出した長嶋監督が「タカマサ、代えないぞ。代えないぞ」と大声で言いながら近寄って来たのに先ずビックリ。投手たるもの監督に代えないと言われたら「ようしやってやる」と意気に感じるのは当たり前だ。

「敬遠するか?」と長嶋監督に聞かれると「いいえ、勝負します。任せてください抑えてみせます」と宣言した。結果は宣言通り福本選手を快速球で三振に仕留めて見事に男をあげた。投手を生かすも殺すも監督のサジ加減ひとつだというのが周囲の実感だろう。中日球団関係者の皆さん、この意味わかりますか?



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