あの大きな東北地震から7年が過ぎた。
歳を取ると、一年があっという間に感じる。
若くても一年が早いと言う人もいますが。
この一年、又は数年、何をしたかな、どんなことがあったかな・・と振り返ることも。
自分自身にとっても、いろいろあった。 嬉しいこともきついことも。
7年間の年月の経過を考えるとき、羽生選手(毎回登場)のことを考えます。
あの時、羽生さん(偉大なので君ではない)は、被災してリンクも自宅も使えず・・・
その後、絶望感に陥りながらも、アイスショーを転々としてスケートを続けていました。
もともと本人が持っている天性のものや、賢さ、努力、多くの才能があった。
しかし、あの地震のひどい状況にもかかわらず支えてくれた人たち、フアンがいたことは大きい。
”自分に何ができるか?”ということを常に考えている人だと思う。
金メダル獲得後の記者会見、二つの記者クラブでの会見。
初めて、自分の気持ちや思いを言葉を選びながら切々と話していました。
ショックと感動。
”オリンピックのメダリストとして今後の人生を全うしたい”と言っていた。
たくさんの人々に諦めない心、前に進む勇気を与えてくれました。
会見で、”仙台に来てお金を落としてください~”と笑いながら言いました。
誰が叫ぶよりも鶴の一声・・じゃない、羽生選手の一声。
被災地の様子をテレビで見るたび、他人事ではないと思います。
熊本地震もあったし。 幼い子供たちの心に残る傷を思うと切ない。
7年前の私は、保育園のベランダで揺れを体験しました。 おびえていた園児達。
もうあれから7年か・・と思うだけではもどかしい。
羽生さんが言っていた。
”仙台、宮城県でなにか買ったり、見物してもらえたら復興の手助けになるかな”というようなことを。
そうだ!仙台に行こう!
羽生会見の素晴らしさ、被災地のこと、自分達の今後など夫婦で話しました。
平成7年の阪神・淡路大震災のときは、同じ日に病気で亡くなった義母の香典を寄付しました。
東北地震後の7年間、まだ自分は何もできていない。
羽生さんが言った、”仙台に来てください”という言葉が耳に残る。
行きます、絶対に行きます。 そして、たくさん仙台名物を食べます。
お土産もいっぱい買いますよ。
極楽とんぼの夫は、”それで、いつ行くんだ?”と聞きます。
近いうちにきっと実現させます。 海外旅行より仙台へ、国内旅行も仙台へ。
今できることはそれくらいしかないので。
3/11だから、被災地や復興などの言葉がテレビから何度も聞こえてきます。
羽生選手は怪我のリハビリで、たぶんアイスショーは無理。
今年も行く気満々でしたが、せめて仙台に行って羽生関連地巡りをするのも楽しいかも。
14時46分、震災、津波で亡くなられた多くの犠牲者のご冥福をお祈りしました。
明日、そして今、何が起こるか解らない。
私たちは命を大切にして、諦めずに生きていかなければと切に思います。
歳を取ると、一年があっという間に感じる。
若くても一年が早いと言う人もいますが。
この一年、又は数年、何をしたかな、どんなことがあったかな・・と振り返ることも。
自分自身にとっても、いろいろあった。 嬉しいこともきついことも。
7年間の年月の経過を考えるとき、羽生選手(毎回登場)のことを考えます。
あの時、羽生さん(偉大なので君ではない)は、被災してリンクも自宅も使えず・・・
その後、絶望感に陥りながらも、アイスショーを転々としてスケートを続けていました。
もともと本人が持っている天性のものや、賢さ、努力、多くの才能があった。
しかし、あの地震のひどい状況にもかかわらず支えてくれた人たち、フアンがいたことは大きい。
”自分に何ができるか?”ということを常に考えている人だと思う。
金メダル獲得後の記者会見、二つの記者クラブでの会見。
初めて、自分の気持ちや思いを言葉を選びながら切々と話していました。
ショックと感動。
”オリンピックのメダリストとして今後の人生を全うしたい”と言っていた。
たくさんの人々に諦めない心、前に進む勇気を与えてくれました。
会見で、”仙台に来てお金を落としてください~”と笑いながら言いました。
誰が叫ぶよりも鶴の一声・・じゃない、羽生選手の一声。
被災地の様子をテレビで見るたび、他人事ではないと思います。
熊本地震もあったし。 幼い子供たちの心に残る傷を思うと切ない。
7年前の私は、保育園のベランダで揺れを体験しました。 おびえていた園児達。
もうあれから7年か・・と思うだけではもどかしい。
羽生さんが言っていた。
”仙台、宮城県でなにか買ったり、見物してもらえたら復興の手助けになるかな”というようなことを。
そうだ!仙台に行こう!
羽生会見の素晴らしさ、被災地のこと、自分達の今後など夫婦で話しました。
平成7年の阪神・淡路大震災のときは、同じ日に病気で亡くなった義母の香典を寄付しました。
東北地震後の7年間、まだ自分は何もできていない。
羽生さんが言った、”仙台に来てください”という言葉が耳に残る。
行きます、絶対に行きます。 そして、たくさん仙台名物を食べます。
お土産もいっぱい買いますよ。
極楽とんぼの夫は、”それで、いつ行くんだ?”と聞きます。
近いうちにきっと実現させます。 海外旅行より仙台へ、国内旅行も仙台へ。
今できることはそれくらいしかないので。
3/11だから、被災地や復興などの言葉がテレビから何度も聞こえてきます。
羽生選手は怪我のリハビリで、たぶんアイスショーは無理。
今年も行く気満々でしたが、せめて仙台に行って羽生関連地巡りをするのも楽しいかも。
14時46分、震災、津波で亡くなられた多くの犠牲者のご冥福をお祈りしました。
明日、そして今、何が起こるか解らない。
私たちは命を大切にして、諦めずに生きていかなければと切に思います。