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面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」

2011年08月18日 | 映画
1969年7月。
アポロ11号が月面着陸に成功した。
この歴史的な偉業の裏には、アメリカ政府とNASAが隠してきたことがあった。
月の裏側には、宇宙の彼方・サイバトロンからやってきた金属生命体、トランスフォーマー達の宇宙船が不時着しており、宇宙飛行士達はそれを探索するという極秘任務を負っていたのである。
彼らが月面から持ち帰ったのは、大阪万博で展示されることとなる「月の石」だけではない。
不時着し、乗員の生命反応が絶えている宇宙船にあったある物質も持ち帰ってきたのであるが、これが将来の地球に大きな試練をもたらすことになるとは、誰も夢想だにしなかった。

時は進んで現代。
オートボット達と力を合わせてディエプティコン軍団と戦ってきたサム(シャイア・ラブーフ)も、大学を卒業して社会人となった。
厳しい就職活動をくぐりぬけてようやく採用された職場だったが、彼の周りで再びディセプティコンによる侵略が始まった。
これを阻止するために立ち向かうオートボット軍団だったが、ある一体のトランスフォーマーの復活が、オートボットと人類の間に築かれてきた信頼を揺るがし、協力関係は消滅する。
そしてディセプティコン軍団は、あの月面に不時着している宇宙船の仲間を甦らせると同時に、凄まじいパワーで地球上へと移動させ、かつてないほどの規模で人類に襲いかかってきた。
人類は未曾有の大攻勢を受け、滅亡の危機にさらされる…


2007年夏、製作総指揮スティーブン・スピルバーグ、監督マイケル・ベイのコンピにより誕生した「トランスフォーマー」シリーズも、遂に最終章。
本シリーズの醍醐味は、迫力の実写アクションと、最先端技術による驚異的なCG映像を組み合わせによる、スケールの大きいスペクタクル映像にある。
今回は更に、3D映像に革命を起こしたと言われる「アバター」で使用された3Dカメラを実写シーンを撮影。
そこへ最新かつ最高の技術で作り上げられたCG映像がミックスされることで、正に奇跡の映像革命がもたらされている!


遥か宇宙の彼方、惑星サイバトロンからやって来た金属生命体。
“彼ら”は、CDプレーヤーやデジカメなどの生活用品から、ジェット機、車などの乗り物まで、大小様々・多種多様なマシンに変身し、地球上に侵入していた。
そして地球を征服するべく、突如としてロボットに“トランスフォーム”し、人類に襲いかかる。
しかし“彼ら”は全てが地球を我が物としようとする悪玉ではない。
人類と共に地球で平和に暮らしていこうとしている善玉がいた。
こうして“彼ら”は、自由と平和を愛するオートボットと、強権支配を目論む悪の軍団ディセプティコンとに分かれ、激しい戦いを繰りひろげる。
トランスフォーマー・シリーズにおける、この基本コンセプトさえ押さえておけば、これまでシリーズを観たことがなくても、本作を存分に楽しむことができる。
何よりもトランスフォーマー・シリーズは、スクリーンいっぱいに繰りひろげられる“最新映像技術の見本市”とでも言うべき驚異の映像が最大の魅力である。
金属生命体が実在するかの如くに見える世界最高峰の映像技術は、劇場の大スクリーンでこそ存分に堪能できる。

そしてこれが最終章となる覚悟からだろうか。
マイケル・ベイの“やりきった感”全開の凄まじいテンポに引っ張られ、ラストの30分は息つくヒマも無い。
エンドロールが流れ出す瞬間、思わず「お~~~っ…」と声を漏らしながら大きくひと呼吸入れてしまう。


痛快娯楽空想科学活劇の大傑作!


トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン
2011年/アメリカ  監督:マイケル・ベイ
出演:シャイア・ラブーフ、ロージー・ハンティントン=ホワイトレイ、ジョシュ・デュアメル、タイリース・ギブソン、ジョン・タトゥーロ

「一枚のハガキ」

2011年08月17日 | 映画
日本の敗色が濃厚となっていた太平洋戦争末期。
予科練が宿舎として使用するための天理教本部の宿坊を清掃するという任務を終えた「中年兵」100名は、新たな任務を命じられることになった。
60名はフィリピンの陸戦隊に、30名は潜水艦乗員に、残り10名は宝塚音楽学校で予科練が使用する建物の清掃に、それぞれ赴任することを告げられる。
そして兵士達の任務先は、上官によるくじ引きで決められた。

くじ引きが行われた夜、宝塚への赴任が決まった松山啓太(豊川悦司)は、フィリピンに送られることになった森川定造(六平直政)から、妻から送られてきた1枚のハガキを手渡される。
定造は、自分の思いのたけを返事にしたためたいが検閲ではねられるため思うような手紙は書けない、もし啓太が生き延びることができたなら、妻の友子(大竹しのぶ)に「ハガキは確かに受け取った」と伝えて欲しいとハガキを託し、フィリピンへと向かった。

やがて戦争は終わり、「中年兵」100名のうち終戦まで生き残ることができたのは、啓太を含めてたったの6名だった。
宝塚に着任し、任務が終了すると再びくじ引きが行われ、更に4名が戦地へと送り込まれたのだが、啓太はそこでも“くじ運”が良かったのだ。
啓太は、自宅に帰ると妻に宛てて手紙を書く。
やがて復員した啓太が、瀬戸内の小島にある自宅に到着すると、伯父の利エ門(津川雅彦)の姿だけがあった。
聞けば、妻と父親が“デキ”てしまい、啓太が戻ることが分かると、二人して逃げてしまったのだという。
納得のいかない啓太は二人が暮らす大阪へ向かい、キャバレーで働く妻に会いに行くものの、どうすることもできず、妻から「戦死すればよかったんじゃ!」と言われてしまう。
何のために生きて帰ってきたのか。
生きる気力を失った啓太は、無為に毎日を過ごした。
島中から好奇の目で見られ、子供達にバカにされ、島での暮らしに嫌気がさしてきた啓太は、ブラジルに移民することにする。
そして荷物の整理をしていて、定造から託されたハガキを見つけ、約束を果たすために友子のもとを訪ねた。

夫を亡くした友子は、舅・勇吉(柄本明)と姑・チヨ(倍賞美津子)から、年老いた自分達だけでは、満足に働いて生活していくことはできないので、このまま一緒に暮らしてほしいと懇願される。
しかも、村の習わしで長男が死んだら次男を跡継ぎにすることが決められており、定造の弟である三平(大地泰仁)と結婚して欲しいと頼まれる。
他に身寄りの無い友子は、夫とのささやかな幸せを奪った戦争を恨みながらも承諾するが、やがて三平も召集され、戦死する。
二人の後を追うように舅が心臓麻痺で亡くなり、落胆した姑が自殺し、ひとりになった友子は、自分から全てを奪い去ってしまった戦争に対して激しい憎悪を抱きながら、唯一残された古い家屋と共に朽ち果てようとしていた。
そんなある日、ハガキを持った啓太が訪ねてきた…


99歳になる巨匠・新藤兼人監督自ら、「映画人生最後の作品にする」と宣言した作品。
太平洋戦争末期に徴集された100人の兵士のうち、94人が戦死し6人だけが生きて帰った、その生死を分けたのは上官が引いた“くじ”だったという実体験を基に作られている。
人の運命がくじ引きによって決められ、兵士の死は働き手を失った家族のその後の人生をも破滅に向かわせる。
自身が体験した戦争の不条理と愚かさを、厳しく冷静にかつユーモラスに描く。

本作は、ただ単に戦争を忌み嫌い、やみくもに反戦を謳うのではない。
理不尽な悲しみに襲われ、全てを奪われてしまっても、生き残った人間はとにかく生きて生きて生き抜くことを訴え、そして人間には生き抜いていく力があることを、力強く明るく提示する。
自らの戦争体験と、これまで積み重ねてきた人生経験とが紡ぎだす独特の反戦物語は、今年99歳になる新藤監督だからこそ描くことができるもの。
監督自身の生命力がそのまま、本作の生命力となっている。


前作「石内尋常高等小学校 花は散れども」でこれが最後の作品と言いながら、今回再びメガホンを取ることになった。
新藤監督は、亡くなった戦友94人の魂を背負って生きてきたという。
そしてこれまでも反戦をテーマとした作品を撮ってきたものの、自身の体験を描くことには躊躇があったようで、敢えて触れずにきたのだとも話している。
しかし今回、いよいよ映画監督としての体力の限界を感じ、映画を作ることができるのは最後になると悟ったとき、ようやく自身の体験と向き合うことができたのだとか。
監督作品として49作目を撮った99歳の新藤監督。
「私が見た戦争を映画にしてからじゃないと“死ねない”と思った」との言葉に監督の覚悟が感じられるが、願わくは来年、100歳にして50作目となる作品を観たいもの。
世界に誇る巨匠渾身の“遺作”…。


一枚のハガキ
2011年/日本  監督・脚本・原作:新藤兼人
出演:豊川悦司、大竹しのぶ、六平直政、大杉漣、柄本明、津川雅彦、倍賞美津子、大地泰仁

「サンザシの樹の下で」

2011年08月16日 | 映画
文化大革命の嵐吹き荒れる1970年代初頭の中国。
農民こそ素晴らしく、学生は彼らから学ぶべきだという思想のもと、都会の高校生は農村での住み込み実習に派遣された。
ジンチュウ(チョウ・ドンユィ)もそんな女子高校生の一人。
彼女が派遣された村にあるサンザシの樹には、ある言い伝えがあった。
それは、樹の下に埋められた抗日戦争の兵士の血が染み込み、白い花が赤く咲くという、革命精神を象徴する話である。

村長(リー・シュエチェン)の家で暮らすことになったジンチュウは、地質調査隊で働きながら村長の家で家族同様の扱いを受けている年上の青年スン(ショーン・ドウ)と出会う。
両親や兄弟たち実の家族と離れて暮らすスンは、ジンチュウへの好意を隠さず、何かと気にかけてくれる。
そんなスンに恋心を抱くジンチュウ。
しかし彼女には、恋愛は許されなかった。
彼女の父親は、反革命分子と見なされて投獄されている。
そしてそのことが原因で母親(シー・メイチュアン)は辛い仕事を強いられ、困窮の極みの中をジンチュウと妹、弟の3人の子供たちを育てていた。
そんな境遇にも関わらず、幸運にも教職に就く機会を得たジンチュウは、家族が絶望的な状況から抜け出すための唯一の希望だった。
しかし、もし革命の精神に背いて恋愛に浮かれていると知られたら、たちまち非難を浴び、教職への道は断たれてしまうのである。

それでも気持ちを抑えることができず、人目を忍んで逢瀬を重ねる二人。
そんなある日、二人で自転車に乗っているところを、ジンチュウの母に見つかってしまう。
「娘の幸せを願うなら、会わないでほしい。」
ジンチュウの母の言葉に頷き、彼女の元を去るスン。
しばらくして、スンが入院したことを知ったジンチュウは、母に内緒で遠方の病院まで見舞いに訪れた。
彼女の心配をよそに、気丈に振舞うスン。
「ただの定期健康診断だ。」
翌日、一緒に訪れた町の色鮮やかな赤い布を見つけたジンチュウはスンと約束を交わす。
「サンザシの花が咲く頃、この布で作った赤い服を着て、あなたと一緒に見に行くわ。」
別れ際、泣きながら手を振るジンチュウ。
その姿をいつまでも見送り続けるスン。
だが、ジンチュウが次に病院を訪れた時、スンの姿は無かった。
その後彼女は、スンが重い病に罹っていることを知った…


チャン・ツィーをスターダムへと上らせた「初恋のきた道」以来となるチャン・イーモウ監督の純愛映画。
中国系アメリカ人作家エイミーが友人の手記を基に発表したベストセラー小説「サンザシの恋」を原作に、前作以上にピュアで切ない文化大革命下の悲恋を描く。
今回、チャン・イーモウによってヒロインに抜擢されたチョウ・ドンユィは、いまや“絶滅種”と言えるほどの奥ゆかしい恋心を抱く主人公を演じるのにふさわしいあどけなさと、その恋心を貫く芯の強さを感じさせる見事な演技を見せている。
そのナチュラルさは、「初恋のきた道」のヒロイン、チャン・ツィーに“演技臭さ”を思い起こさせるほど自然体。
素人同然だから出せた部分もあるのだろうが、その魅力を最大限に引き出してスクリーンに収めたチャン・イーモウはさすが。
「HERO」「LOVERS」「王妃の紋章」と、最近は大作をとり続けてきた印象のあるチャン・イーモウの、原点回帰とでも言うべき純愛映画であるが、このテの映画を撮らせたら彼の右に出る者はいない。


様々な制度や規制によって、“体制側”から表面的には抑圧される個人だが、その内面は抑えきれるものではないのは当然の摂理。
その抑えきれない思いは、規制によって抑圧される外面の圧力によって、心の奥底へとグーっと沈み込みながら純度を増す。
それはまるで、地表に落ちた雨水が地層を通って地中深くへ染み込んで浄化され、キレイに澄んだ地下水となるのと似ているか。
封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生するという大義名分を掲げつつ、単なる権力闘争に過ぎなかった文革。
汚い政治闘争によって作り出された歪んだ社会、そんな社会の中だからこそ切なくピュアな物語が生まれると言えるのはなんとも皮肉。

ジンチュウとスンの純真無垢な恋の行方に、「そんなヤツおれへんで!」とツッコんでしまうか、はたまた純粋さに心を打たれて落涙するか。
赤い服に身を包んで駆けるジンチュウの姿、ジンチュウとスンが心から楽しそうに笑顔を見せている写真を見て、自然に涙が頬を伝えば、まだまだピュアな心が残っている証拠。
自身の“心の純度”を推し量ることもできる純愛物語。

イノセントな二人の姿が痛々しいほど切ない、ラブ・ストーリーの傑作!


サンザシの樹の下で
2010年/中国  監督:チャン・イーモウ
出演:チョウ・ドンユィ、ショーン・ドウ、シー・メイチュアン、リー・シュエチェン、チェン・タイシェン

勝ちゲームにおける素人目にもどうかと思う采配について。

2011年08月08日 | 野球
阪神・関本、代打V撃!首位ヤっつけたァ(サンケイスポーツ) - goo ニュース


今季初の大阪ドーム。
またしても得点の入らない辛気臭い試合展開。

しかし7回のラッキーセブンに、ようやくチャンスの芽が…




先頭打者の鳥谷がヒットで出たあと、ヘタレ4番の新井はしっかりアウトになったが、5番のブラゼルがライト前へ力で打球を運び、盗塁王を狙える位置にいる鳥谷が3塁を陥れて1死1、3塁の大チャンス!
ここでブラゼルに代走でイッキにたたみかける攻勢に…と思ったがベンチは動かない。
なんで?
いくら6番の金本がアテにならないと思っていたとしても、これでは攻撃の気勢が上がるワケが無い。
そして金本のテンションも上がることはないだろう。
それどころか「なんや、オレには長打は出ぇへんと監督は思っとるんやな」など、落胆と不信感でヤル気がそがれるというものだ。
こういうムード作りの下手さが、真弓が監督としての資質に欠ける特徴のひとつである。

案の定(?)金本は犠牲フライも打てずにアウトとなり、チャンスが消えそうになった。
ここで右の代打の切り札・関本を投入。
スタンドは再び大盛り上がり!

そして本当に勝負強い関本は、見事にライト線へとツーベースを狙えるヒットは放った!
ここでブラゼルに代走を出していなかった凡ミスのために、3塁ランナーの鳥谷が還るだけか…と思った刹那、ライトのバレンティンが打球処理を誤ってまごついたため、ブラゼルもホームインすることができた。
この2点目が入ったことが、後々大きくモノを言うことになるのだが、なぜ真弓はブラゼルに代走を出して長打で2点獲りにいこうとしなかったのか。
おそらく、またブラゼルに打席が回ることを想定して“温存”したのだろうが、誰がどう見てもこの7回裏は、1死1、3塁となったところでタイガースに大きく流れはきており、押せ押せのムードになっていた。
ここでブラゼルに代走を送ることは、タイガースに傾いている試合の流れを利用してチームに勢いをもたらすことにつながるのは明白。
こういうところでムダに躊躇する真弓の度胸の無さと決断の悪さも、タイガースを勝利から遠ざける最大の要因のひとつだ。
金本の意気を上げ、チームに勢いをもたらそうという姿勢が一切見られない真弓の姿勢は、本当に歯がゆいを通り越して殺意さえ覚えてしまう。
そして気がつくと、3塁まで達した関本に代走を出している。
意味が分からない。
関本はそのままファーストの守備固めに入れ、ブラゼルのところに外野の守備固めを入れるのが自然な流れというものだろう。
こうしてムダに野手を“消費”するから、万が一のときに選手が足りなくなってしまうのだ。
去年、投手の西村に外野を守らせるハメに陥ったというのに、全く懲りていない。

さて、ようやく先制した後の8回表も先発の久保は完璧だった。
しっかり三者凡退に打ち取る見事なピッチングで、ヤクルトに試合の流れを渡さない。
投球数もようやく100球に達したところで、完投できるスタミナは十分残っているはず。
ヤクルト打線は全くタイミングが合っておらず、このまま9回もいくのだろう…と思っていると、今度は8回裏、先頭打者の久保に代打が出た。
まあ、藤川もいることでもあり、もう1点を取りに行くというのは考えられることだと思ったが、出てきた代打が大和。
え?
マートンではないのか?
少なくとも大和より藤川俊介の方が打てるやろ…あ!先に金本に替えて守備固めに入れていたのか!
マウンドには左の久古とはいえ、もう1点を獲りにいく!というのなら、桧山の方がよっぽど納得がいく。
守備要員の大和を代打に出して、どれほど期待できるというのか!?
憮然として見ていたが、案の定大和はヒットが出る雰囲気も無いままアウト。
そのままあっさり三者凡退で終わってしまった。

そして9回は藤川登場。
それはいいのだが、またここで真弓の危機管理能力の無さを露呈するオーダー組み換えが行われる。
大和を代打で出したのなら、そのままセカンドに入れて、上本の打順に藤川を入れるべき。
8回裏は2番の平野で終わったのであり、ピッチャーの打順は極力回ってこないところに入れるのが定石というもの。
本当なら平野のところに入れたいが、守備固めの外野手がいないので、次に回りにくい1番の上本と入れ替えるのがベストではないか。
藤川がピシャリ抑えて終わることを信じている、と言えば聞こえがいいが、監督たるもの「万が一」のことを考えて極力危険回避に向けた手をうつべきであろう。
真弓に監督としての能力が著しく欠けることは火を見るよりも明らかなことは前から分かっていたが、改めて目の前でその無能ぶりを見せつけられると本当に腹が立つ!

さて肝心の藤川の投球であるが、これがどうにも心もとない。
いきなり先頭バッターのサードゴロを新井が弾いてエラー。
続く川端にヒットを打たれてハラハラ度が増す中、なんとか畠山をセカンドゴロに打ち取ってようやく1死となるが、2、3塁にランナーを置く苦しい状況。
代打・宮出に四球を与えて満塁とすると、続く宮本も歩かせてしまい、とうとう押し出しで1点失ってしまう。
先の讀賣戦でのサヨナラ負けが脳裏をよぎったのは言うまでもない。
しかしながら、次のバレンティンが不調で助かった。
ボール球に手を出して三振に倒れていよいよ二死。

さあ、あとひとり……!




ここで迎えたのは川本だったが、ようやく二死までこぎつけて彼を迎えた藤川は、すっかり相手を“見下ろす”気分になっていたのではないだろうか。
最後は藤川らしく、高めのストレートを空振りさせて三振、ゲームセット!
なんとも重苦しい、しんどい試合。
真弓の消極的かつトンチンカンな采配で、楽勝ムードは微塵もない。

恒例のベンチ前の整列。
応援に対する御礼ではなく、危うくチームを負けに導きそうになった不適切な采配をファンに謝れ!
マイクを使って詫びてもらいたいものだ。




この後、土日ともに勝って3連勝を果たし、久しぶりの貯金もできたが、次は鬼門のナゴヤドーム。
真弓のもとでは「破竹の勢い」など、夢のまた夢。
ただただ、バッターが打って投手が抑えれば勝つという、采配とは無縁の試合を続けるタイガースには、やはり優勝を望むべくもなく…

「プリンセス トヨトミ」

2011年08月05日 | 映画
2011年7月8日金曜日、午後4時。
大阪が“全停止”した。

その4日前の月曜日、3人の会計検査院調査官が大阪にやってきた。
税金の無駄遣いを許さず、調査対象を徹底的に追い詰めて“鬼の松平”と怖れられる松平元(堤真一)。
その部下で、天性の勘で大きなヤマを当てて“ミラクル鳥居”と呼ばれている鳥居忠子(綾瀬はるか)。
日仏のハーフで、クールな新人エリート調査官の旭ゲーンズブール(岡田将生)。
順調に大阪での実地調査を進めた彼らは、大阪府庁、府立高校と調査を終え、次の調査対象のある空堀商店街を訪れた。

財団法人OJO(大阪城跡整備機構)に調査に入った3人だったが、内容には特に問題は無かった。
昼食をとるために入った、OJOの正面にあるお好み焼き屋「太閤」には、一風変わった少年がいた。
店をを営む真田幸一(中井貴一)と竹子(和久井映見)夫婦の一人息子・真田大輔(森永悠希)は、女の子になりたいという悩みを抱えていて、セーラー服で通学していた。
しかしその格好が原因で、学校ではいじめに遭っていたのだった。
そして大輔の幼馴染に橋場茶子(沢木ルカ)という少女がいた。
彼女は大輔とは対照的に男勝りで、大輔をいじめる悪ガキどもを懲らしめるような女の子だった。

そんな不思議な少年少女がいる空堀商店街にひっそりと佇むOJOに対して、松平は不信感を抱く。
携帯電話を忘れたことに気付いてOJOに戻ってみると、誰もいなかったからだ。
再度3人で徹底的に調査するが、全て帳尻は合っていて不正は見当たらない。
これ以上の調査はムダと諦めかけた鳥居が、
「これでOJOが嘘をついているとしたら、大阪中が口裏を合わせていることになりますよ」
と不満をもらしたとき、松平は閃いた。
「大阪の全ての人間が口裏を合わせている。」
再びOJOを訪れた松平が、経理担当の長曽我部(笹野高史)と押し問答になったとき、不意にお好み焼き屋「太閤」の主人・真田幸一が現われ、不思議なことを言った。
「私は大阪国総理大臣、真田幸一です…」


奇想天外な物語が特徴的な万城目学の同名小説を、堤真一、綾瀬はるか、中井貴一ら豪華キャストで映画化。
「大阪国」という“地下国家”(地底人の国という意味ではない)に、毎年何億という国家予算がつぎ込まれているという隠された事実を突き止めた会計検査院調査官が、蓮舫ばりに“仕分け”しようとし、それを「大阪国民」が阻止しようと立ち上がる。
相変わらず奇想天外な“万城目学節”が炸裂。

「大阪国」は、父から息子へとその存在が語り継がれ、「大阪国」の男の使命を言い伝えられてくることで代々守られてきたという。
そもそもは大阪城落城の際、秀頼の息子である国松が抜け穴から城外へと逃れ、これを大坂の町人たちが人知れず保護したことに起因するという。
明るく派手好きで人懐っこい秀吉は大坂の民衆から絶大な人気を得ており、またその出世譚は、戦乱の世で縦横無尽に暴れまわる武士によって長年苦しい生活を強いられてきた庶民にとって、溜飲の下がる格好の娯楽だったことだろう。
また、大坂に拠点を置き、町を発展させた秀吉に対して、民衆が敬意を払い、恩を感じていたことであろう。
豊臣家に対する大坂人の思慕の念は、相当強かったに違いない。

その豊臣家を滅ぼした徳川家康に対して、大坂人が好意を持つはずがない。
しかも、権謀術数を尽くして豊臣家を追い込んで滅ぼしたという、陰湿な印象を家康に対して抱いたであろうことは「方広寺鐘銘事件」から推測されるが、いずれにしても陽気な秀吉に比べれば陰気な家康を大坂人は嫌ったことだろう。
そして家康が拠点を構える江戸に対して、大坂人の中で敵愾心にも似た対抗意識が育っていったとしても、何ら不思議なことは無い。
むしろ必然と言えるだろう。
東京に対して何となく対抗心を持ってしまう大阪人が決して少なくないのは、1600年以来の“伝統”によるものなのである。


そんな大阪人のココロをやんわりとくすぐる、“オトナのためのファンタジー”。
(決してエロチックな意味合いでのオトナではなく)
特にクライマックスにおける「大阪国民」の総決起は、大阪のオッサンの琴線に触れずにはいられない。


プリンセス トヨトミ
2011年/日本  監督:鈴木雅之
出演:堤真一、綾瀬はるか、岡田将生、沢木ルカ、森永悠希

「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2」

2011年08月04日 | 映画
ハリー・ポッター(ダニエル・ラドクリフ)たちとヴォルデモート卿(レイフ・ファインズ)との最終決戦。
「分霊箱」を次々を壊され、次第に弱っていくと同時に正気を失いはじめたヴォルデモートは、大軍団を率いていよいよホグワーツへと押し寄せる。
これまでの秘密が全て明らかになり、壮大なクライマックスを経て、物語はフィナーレへと進んでいく。

シリーズを通して多くのファンがその成長を見守ってきたハリーたちは、これまで自分たちを育ててくれたホグワーツを最後の砦に、激烈な戦いを繰り広げる。
死の淵に立ちながらも最後まで戦いを挑み続けるハリーに、立派な大人への階段を着実にのぼっていく我が子を見る思いがする。
ロンとハーマイオニーの恋の行方や、最後の最後に大活躍を見せるネビルなど、“子供たち”の著しい成長ぶりだけでなく、ダンブルドア校長やマクゴナガル先生の活躍にスネイプ先生の過去の秘密など、“大人たち”の見せ場もふんだんに用意されている。

シリーズ最終章にふさわしい、壮大なスケールで描かれるスペクタクルは見応え十分。
ファンタジーの王道もついに完結…


ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2
2011年/アメリカ  監督:デヴィッド・イェーツ
出演:ダニエル・ラドクリフ、ルパート・グリント、エマ・ワトソン、ヘレナ・ボナム=カーター、ロビー・コルトレーン

岸和田花火大会2011

2011年08月01日 | 放浪記
7月30日(土)。
去年に続いて、海の男・umiさんのご好意に甘えて、umiさんの“高速艇”に乗って海上から「岸和田花火大会」を観覧。
umiさんの高速艇は今年も快調♪
海上保安庁に追われる密漁船もかくやと思われる高速でビューポイントへ。
(顔中が塩辛くなったのは言うまでもない)

去年、血眼になって写メを撮りまくった割には“ナイスショット”がほとんど無く、今年はもう少しゆっくりと花火を見ることを心がけつつ、やっぱりケッコウ写メってしまうわけで。

  

海面に花火の光が映るのが何とも良い風情

やっぱりブレたり流れたりタイミングが悪かったりと、ロクでもない写りばかりの中から、秀逸の2枚。

  

20時から21時の1時間、たっぷりと夏の風物詩を堪能。
umiさんには感謝多謝!