円楽さん、異例の引退表明 「もう恥はさらせない」(朝日新聞) - goo ニュース
「笑点」の司会でおなじみだった円楽師が、引退を表明したとか。
今日、東京の国立演芸場の「国立名人会」に臨み、古典「芝浜」を口演したが、その後の記者会見で語ったそうな。
2005年に脳梗塞で倒れたあと、リハビリを乗り越えて去年高座に復帰していたが、今日の口演が納得できなかったのだろう。
「ろれつが回らなくて、声の大小、抑揚がうまくいかず、噺(はなし)のニュアンスが伝わらない」
と今日の口演を総括し、
「もう、よくなるということが全然ない。今日が引退する日ですかね」
と話した。
六代目笑福亭松鶴師の晩年の高座を何度か見た。
お世辞にも流暢な語り口ではない。
彼も脳溢血で倒れてからは、思うように言葉が出てこず、イライラしていることが度々だったと聞く。
確かに若い頃や倒れる前の録音などを聞くと、迫力ある発声としっかりした発音のキレイな大阪弁で耳に心地よく、これと比べれば本人の忸怩たる思いはいかばかりかと推し量られる。
鶴瓶師をはじめとして弟子達がよくモノマネをしていた、つっかえつっかえ言葉を発する独特の口調は、それでも“松鶴噺”とも言える世界を築いていたし、登場人物の心理描写もしっかり伝わってくるものであった。
落語の世界を構築するために必要なスキルは、なにも「立て板に水」のしゃべりが全てではないのである。
「笑点」の司会を引き継いでいる桂歌丸師も、
「きっちりとしゃべりたいという美学もいいが、完全主義も時と場合によります。失敗しても次にうまくできればいいんだ。『ろれつが回らないのが情けない』って言うけれど、治ると思えば治るんだ。今度会ったら、怒ってやりますよ。」
とコメントしているが同感。
まだまだ師匠・円生ゆずりのネタも数多くもっており、後進へと伝えてほしい。
そして何よりも、落語ファンにもっと落語を見せてほしいものである。
円楽師に松鶴になれとは言わないが、自分のおかれた状況に応じたネタを演じるのも、プロとしてあるべき姿ではないだろうか。
自分のあるがままの姿を素直に受け入れ、相応のネタでお客様に喜んでいただこうと考えれば、大ホールで「芝浜」を演じようとは思わないはず。
自身の状態から目をそむけ、倒れる前と同じようにしゃべれなくなったからもう落語やーめた!では駄々っ子と同じ。
噺家は高座に上がれる限りはお客様に喜んでもらうために最善を尽くすのが、プロとしてあるべき姿だと言うのは言いすぎか?
松鶴師と円楽師のどちらにプロ根性を感じるかと言えば、自分は松鶴師に軍配を上げる。
「笑点」の司会でおなじみだった円楽師が、引退を表明したとか。
今日、東京の国立演芸場の「国立名人会」に臨み、古典「芝浜」を口演したが、その後の記者会見で語ったそうな。
2005年に脳梗塞で倒れたあと、リハビリを乗り越えて去年高座に復帰していたが、今日の口演が納得できなかったのだろう。
「ろれつが回らなくて、声の大小、抑揚がうまくいかず、噺(はなし)のニュアンスが伝わらない」
と今日の口演を総括し、
「もう、よくなるということが全然ない。今日が引退する日ですかね」
と話した。
六代目笑福亭松鶴師の晩年の高座を何度か見た。
お世辞にも流暢な語り口ではない。
彼も脳溢血で倒れてからは、思うように言葉が出てこず、イライラしていることが度々だったと聞く。
確かに若い頃や倒れる前の録音などを聞くと、迫力ある発声としっかりした発音のキレイな大阪弁で耳に心地よく、これと比べれば本人の忸怩たる思いはいかばかりかと推し量られる。
鶴瓶師をはじめとして弟子達がよくモノマネをしていた、つっかえつっかえ言葉を発する独特の口調は、それでも“松鶴噺”とも言える世界を築いていたし、登場人物の心理描写もしっかり伝わってくるものであった。
落語の世界を構築するために必要なスキルは、なにも「立て板に水」のしゃべりが全てではないのである。
「笑点」の司会を引き継いでいる桂歌丸師も、
「きっちりとしゃべりたいという美学もいいが、完全主義も時と場合によります。失敗しても次にうまくできればいいんだ。『ろれつが回らないのが情けない』って言うけれど、治ると思えば治るんだ。今度会ったら、怒ってやりますよ。」
とコメントしているが同感。
まだまだ師匠・円生ゆずりのネタも数多くもっており、後進へと伝えてほしい。
そして何よりも、落語ファンにもっと落語を見せてほしいものである。
円楽師に松鶴になれとは言わないが、自分のおかれた状況に応じたネタを演じるのも、プロとしてあるべき姿ではないだろうか。
自分のあるがままの姿を素直に受け入れ、相応のネタでお客様に喜んでいただこうと考えれば、大ホールで「芝浜」を演じようとは思わないはず。
自身の状態から目をそむけ、倒れる前と同じようにしゃべれなくなったからもう落語やーめた!では駄々っ子と同じ。
噺家は高座に上がれる限りはお客様に喜んでもらうために最善を尽くすのが、プロとしてあるべき姿だと言うのは言いすぎか?
松鶴師と円楽師のどちらにプロ根性を感じるかと言えば、自分は松鶴師に軍配を上げる。