面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

ノリの復活

2007年02月25日 | 野球
中村紀が中日と「育成選手」契約、年俸400万円(読売新聞) - goo ニュース


中村ノリが中日に「育成選手」として採用された。
背番号は205。
「男ドアホウ甲子園」の谷風の222を彷彿とさせるデカい番号である。
(そら漫画やがな)

近鉄時代、「いてまえ打線」の主砲として一躍スターダムにのし上がってからのノリは、どう考えても勘違いしているとしか思えなかった。
ロクな練習もせずにブクブクと醜く太って成績は下降の一途。
それでも自分の実力を過信していた彼はメジャーに挑戦するも全く通用せず。
マイナー待遇でしか受け入れられないとなると、あれだけ嫌がっていたはずのオリックスが厚遇で迎えるとアッサリ復帰。
しかし身体のキレを戻す努力をしているとは思えない調子で過ごした挙句、怪我ばかりしてロクな成績をあげることもできず、さりとて来シーズンに期する姿勢も見られず、球団とワケの分からないモメ方をして自由契約となった。

そして、どこからもお呼びがかからない状況にまで追い込まれて、ようやく自分の真の姿が見えたのだろうか。
育成選手枠での採用を検討するという前提で中日のテストを受けることに、喜んで沖縄のキャンプへ駆け込んだ。

ニュースなどで見たところ、一時期のブクブク太りは解消されたように見受けられるが、もう一度原点に立ち戻って一心に野球に専念するか?
まだまだ老け込む歳ではなく、才能もある選手。
大阪の府立高校出身プロ野球選手としても、もっと活躍してほしいと願う。
心を入れ替えて再起してくれることに期待したい。


男女平等考

2007年02月25日 | ニュースから
Working Woman キャリアセレブ塾 数字で見る男と女の働き方【第2回】語られざる男性差別 男性に“職業選択の自由”はあるのか [2/3](日経ビジネスオンライン) - goo ニュース


「男性差別」。
なるほど、まずマスメディアで取り上げられることのない概念だ。
社会は男性中心に回っており、女性は被差別者であり、虐げられた存在であるから保護されねばならない。
これが現在の世間一般的な通念ではないだろうか。
そこにコラム筆者は一石を投げかけている。

筆者は、子供を持つ米国人夫婦たちに、家事育児分担についてインタビューしているが、特に意識しなくても「家計を支える妻と専業主夫」というカップルにしばしば出会うという。
妻は自分の適性を冷静に見つめて仕事に精を出して家計を支え、夫は育児責任を果たす。
外で働くのも育児をするのも、こんなふうにどちらか得意な方が担当すればいいのではないかと問うが、全く同感である。
結婚しても相手に高い収入があり、また安定的に仕事に従事し、しかもキャリアをめきめきあげていくことに喜びとやりがいを感じているのなら、自分は専業主夫となることに何の抵抗もない。
米国の転職サイトCareer Builderの2005年の調査によれば、18歳以下の子供を持つフルタイムで働く男性の49%が、「妻の収入で家計を支えられるなら、仕事を辞めて専業主夫になりたい」と答えている。
年齢別では、36~50歳の男性に専業主夫志望が最も多く、この年齢層の53%が、可能なら仕事を辞めて家で子供と過ごしたいと答えた。
自分も正にその層に合致しており、アンケート結果にも納得である。

米国で女性の高学歴化と社会進出が進んだ1976年に出版された『Who Will raise the children?』(James A. Levine著、J.B. Lippincott Company刊)という著作がある。
120人の男性にインタビューし、彼らが直面した差別の実態を紹介したものであるが、今、日本で起きているのは、この本が著された米国の1970年代によく似た変化である。
社会構造の変化や政府の後押しで女性の地位が急上昇しようとしている一方、男性差別についてはいまだに公の場では議論にすらなっていない。
過日とりあげた映画「それでもボクはやってない」も、男性差別の典型的な例としてとらえることができるが、男性が自分が差別を受けていることを訴えることは、甚だ困難をきたす風潮があると思われる。

著者は訴える。
日本でこの時期に、男性への差別を是正しない限り本当の意味で男女平等にはならない。
特に一部の女性はもはや弱者ではない。
それにもかかわらず、職場や私生活で女性を“女の子”扱いする文化はまだ残っている。
例えば「女性に長時間残業させるのはよくない」と考える管理職が、女性を早く帰す代わりに、男性を余計に働かせる。男女同一賃金なら、これは男性差別になるはずだと。

「男性差別」に対して、これほど明快に書かれたものを目にした覚えがなく、なかなか痛快なコラムである。
原始時代、男は食料としての獲物を求めて狩猟に出て、女は家にいて家族を守りながら男の成果を待っている。
そこから人間の脳が発達し、文化というものが発達してきたことを考えれば、完全な男女平等社会の実現は文明そのものであろう。
世の中のあらゆる職業に対して、「男女」という区別は取り払い、純粋にその人物にとっての適不適を見定めるべきレベルにまで、人間社会は進化を遂げてきたと言えるのではないだろうか。


アクセス数変遷

2007年02月25日 | よもやま
しばらく1日あたりのアクセス数が500を保っていたが、先週は更新頻度が少なくなり、また更新も当日午後以降というような日があったことが影響してか、1週間のアクセス数が前週よりも1000以上減った。

ニュース記事へのツッコミと、日付変更後すぐの更新、そして新規記事を複数アップする、という3施策を実施してきたところ、日々のアクセス数が激増していったのであるが、それが途絶えるとぱったりアクセスが激減する。

面白いな~!
こちらの“手間のかけ具合”が如実にアクセスに反映されるという、ダイレクトな反応が見られるのは愉快である。
観客を前にした高座で一席かけるときに似てるかも!?


落語会in天満天神繁昌亭 by紫亭京太郎

2007年02月25日 | 落語
昨年9月の開場以来、ようやく繁昌亭へ行って来た。
夜席の6時半開演の直前に到着したのだが、既に1階席はほぼ満員。
舞台に近い席を探して、一番右端の席を見つけて座ってみたが、あまりにも角度が急過ぎた。
これならいっそ、2階席へ行こう!と連れを誘って席を立つと、後から入ってきたご婦人のグループが、自分達が立った席へすかさず座ってきた。

一旦入口を出て2階席への階段へ行くと通行止めに。
そばにいた桂文鹿師に声をかけると、
「すみません、1階席を埋めたいんで…」
とのことであったが、わずかの残席は角度が悪いうえに1席ずつしか空いていないため、連れとバラバラになってしまって興ざめであることを訴えると、その席の“主任”を務める桂三金師と相談し、2階席も開放された。

自分達が最初の客なので、いそいそ階段を上がって最前列ど真ん中付近を“占拠”したのだが、2階席からも舞台は近く、これは見やすい♪
実にイイ小屋である。
本当に落語を観ることを主眼に置いた設計になっているのだなと思いつつ、演者からもこれはやりやすいだろうな、と改めて感じ入った。
新宿の末広亭に負けない良い席ができたことは、本当に喜ばしい限りである。

開演まで少し時間がありそうだったので、ひとまず自分の提灯を確認した。
あったあった!
なんと、2階席の上の方へ上がれば手に取れる位置にぶら下がっている♪
写真に撮るのは後にして、まずは舞台に集中することにした。

【開口一番直前の舞台】

開口一番は桂吉弥師の「つる」。
師匠の故・吉朝師譲りの、丁寧でそつのない口演。
大師匠の米朝師にもつながる、実にオーソドックスな、キレイにまとまった高座で、安心して見ていられる。

続いては桂都んぼ師「向う付け」。
高座に上がったときの貼り付けたような笑顔で笑いが取れるのはオイシイ。
サル系の顔をくしゃっと潰した笑顔は見ただけで笑える。
吉弥師とは対照的なくらいに動的な口演で、アホのキャラはピッタリと“ニン”に合っていた。
仁鶴師が演じるアホを彷彿とさせる、愛すべきキャラに仕上がっていて楽しめる。

中トリは桂かい枝師の「堪忍袋」。
口演が始まってしばらくはネタが何か見極められず、「天災」か?…いやいや「喧嘩の仲裁」か?
いや、違うような…と中盤を過ぎたあたりでようやく分かった。
堪忍袋が出てきたからである。
このネタ、てっきり鶴瓶のオリジナルかと思っていたのだ。
膨大なワタシの『落語ライブラリー』の中でも、今のところ鶴瓶師の口演しか持っていない。
実は他の演者で聞いたこともなかったからなのだが、調べてみると結構あちこちでかけられているネタであった。
非常に動的な中にも仕草のキレが良く、丁寧な演出でテンポ良く小気味よい高座である。

ここで中入り。
歌舞伎のような緞帳が下りてきた。
へぇ~、舞台が開く前後とは違うんやなぁ、と感心。


【「中入り」時の緞帳】

さてさて、再び自分の提灯を確認し、デジカメで写真をパチパチ♪
最近、どうもブレることが多いので、数枚撮っておく。
と、ここで違和感を覚えた。
ん?何かおかしいぞ??


【とくとご覧あれ…】

あ!じ、字が違うてるがな!!
(「ちごうてる」と大阪弁でお読みください)
これでは「しばてい・きょうたろう」である。
誰やねん、それ!?
「紫」と「柴」を書き間違えているのだ。
がび~ん。。
ショック…
連れは「『縛ってぇ、京太郎~』やな!」と大笑い。
「縛ってチョウさん、このカラダ」という言い回しが大学時代に流行ったが(そらウチのクラブの中だけか)、それを彷彿とさせる“大誤植”である。
帰りがけに誰かに言おうと、気を取り直して残り2席に集中した。

もたれは桂文鹿師の「動物園」。
なのだが、スゴイ演出でビックリした!
移動動物園で動物の毛皮を着てなりすますという“バイト”に就く主人公は、本来は虎になるのだが、なんとゴリラになるという設定。
最後には、本物のデカいゴリラと対決させられるという、ぶっ飛びの展開。
…どんなオチやったか、忘れてしもたがな!?
セリフまわしも仕草も雑なところが目につき、演出と合わせて、どっかの落研で「この人の落語は面白いで!」と評判をとってる学生の高座を観ているような気分。
落研の観客を意識してるのか?とさえ思ってしまった。

さて、大トリは桂三金師の「ちしゃ医者」。
マクラで「トリに相応しいネタです」というフリがあったので、何を演るのかと思ったら、ウ○コネタて(苦笑)
コロコロした見ためと明るくも丁寧な語り口によるキャラクターの効果で、話の汚さが緩和される。
とは言え、ほんまに汚い話やでなぁ…これが大トリかいな。

2階席最前列に陣取り、存分に堪能した初めての繁昌亭。
満足満足♪
本当にイイ小屋ができたものである。
自分もあの舞台に立ちたい…いや座りたいものであるが、上方の落語家にとっての“聖地”であり、噺家達の間には、素人が上がることには抵抗があることは耳にしている。
夢果たせず亡くなった六代目松鶴をはじめとして、一時は滅んだとさえ言われた上方落語を今日の隆盛まで築いてきた先達と現役噺家達の悲願が成就した、たくさんの思いが込められた高座である。
素人に好きなように使われるのには抵抗もあるだろうことは想像に難くない。
しかし、この小屋を本当の意味での「上方落語の聖地」と位置付けるのであれば、在野の“天狗連”にも高座を開放することこそ、上方落語発展の礎を磐石のものとする最善の策であると愚考する次第である。

さて帰りがけ、アンケート用紙を提出しながら入口にいた受付の女性に声をかけた。
「あのぅ…個人名の提灯、吊ってもろうてるんですけど、字が違うてますねん。」
「え!?ホンマですか!」
ビックリして目をむく女性。
横で聞いていた桂都んぼ師、
「なんちゅうことや!そら取り替えなアカンがな!」
と、高座での“サル笑顔”が嘘のような怒り心頭の表情になったのだが、その顔もなんか可笑しい。。

提灯を設置したのは、いわゆる開設準備室事務局なので、そっちへ連絡してほしいということで、連絡先の電話番号を教えてくれた。
(後日電話したのだが、なぜか誰も出てくれない…)

会場を出ようとしたそのとき、入口に千社札の印刷機を発見した!
300円で自分の千社札シールが作れる優れもの。
閉館間際の慌しい時間も顧みず、さっそく作ってみた。
デザインを選ぶのに意外と時間がかかるのだが、これは手ごろで楽しい♪
あちこちで配る予定なので、どこかで見かけますれば、ぜひ本ブログまでご一報を!

大阪待望の上方落語定席。
落語を観るには絶好の場所であり、落語好きにとっての極楽である。
末永く栄えんことを祈って、皆さんもぜひ足をお運びくださいますよう、上方落語協会に成り代わりまして(!?)、お願い申しあげる次第。


女子アナニュース

2007年02月25日 | ニュースから
TBS小林麻耶アナ事故で入院(スポーツニッポン) - goo ニュース


人気女子アナの小林麻耶が交通事故に遭って入院した。
自分もかつて同じように追突事故によりムチウチになったことがあるが、あなどると意外と後でしんどかったりするもの。
投薬治療が必要で全治3週間とは結構シンドそうだが、ヒトゴトながらしっかり休んでもらいたいものである。

TBSの中でも、1、2を争う可愛い女子アナの彼女。
「チューボーですよ!」で共演しているマチャアキが一番心配しつつガッカリしているのではないだろうか!?